2020年5月2日土曜日

社窓の窓からー4月のしめくくり

☆宣伝写真☆

友達のノムこと野村浩平さんが
対談・構成を担当した本です。
帯にある「女の人生」は
ノムの案で通ったテーマ!!!!!
(最初は別のテーマの予定が、ノムの提案で
女の人生に変更になった)



1人で英訳するようになってから4ヶ月が経過した。

相変わらず初めて訳す文章は、いつ訳す時も怖いし、自分にできるんだろうか?と毎回不安にもなる。

この4ヶ月、私の相棒はGoogle翻訳だった。

自分の訳す文章が本当に日本語が意図する内容と同じかどうかを確認するために、とにかくどんなに大丈夫な文章であってもGoogle翻訳を全てかけた。

中には日本語の通りに訳せないものもあるから、そういう時はGoogle翻訳の和訳を見て、その後はもう一度自分が書いた英語を見て、本当に内容が合っているかどうかをくまなく確認している。

常に怖いし、自分の英語がその後エンドユーザーから各国の翻訳者たちに手渡ると思うと、いっときも気が抜けなかった。

そうやって走り抜けてきた4ヶ月だった。





昨日(4/28)の夜、ノムと電話した時に新人の子の話をした。

ノムに私は「自分が困るわけでもないし、イライラするのとも違う、なんだけどなんだかずっとモヤモヤする」と言った。

ノムは相変わらず丁寧に聞き取りをしてくれて、さらには面白いことを提案してくれる。

「ねぇぶっしー、ダイス振ってみて」

「双子座、6ハウス、ヘッドホンの形の時に下に線があるのってヘッドだっけ?」とか言いながらノムとやりとりをした。

ノムは電話の向こうで言った。

「コミュニケーション、コミュニケーションって真っ先に出てきた。今回のことってコミュニケーションじゃない?」

ノムはこんな風に続けた。

「心が通うコミュニケーション、そこな気がする」

ノムは色んなことを私の話から察してくれた。

新しい子というのが、とても失礼なことをしているように感じるとノムは切り出して、具体的にどうしてそう思ったかを私が言った話のエピソードの具体例をいくつも出しながら説明してくれた。

例えば私が英語や仕事の中で大事な点に関して説明しているのにメモを取らないとか、添削して返しても全然それに対してありがたみを覚えてないようなところとか(←「ありがたみ」と私は一度も言ったことがなくて、話の感じからノムが「ありがたがってない風に聞こえる」と言って、私もそれで言われてみれば…とようやく気付いた)、私が指示したGoogle翻訳を全然活用せず完全に我流で英訳していたこととか。

Google翻訳の話は私は初日にもしたし、その後実際に英訳練習の時にも言った。

本番の英訳になると、自分が最初で最後の英訳担当者・確認係になるから、Google翻訳は欠かせないことを言っていた。

自分の英訳が人様の命に関わるもので事故や怪我があっては絶対にいけないから、だからこそきちんと訳せたかどうか自己判断だけで判断できないから、それゆえにGoogle翻訳に必ずかける必要があることは言った。

そうしたことが全く響いてなかったのか、軽く捉えたのか、覚えることがたくさんあるから抜けたのか、それとも派遣社員であり尚且つ英語の仕事は初めてしたと言う私が信用に値しないのか、なんなのかは知らない。

とにかく、真剣に教えたり伝えたりしたことがことごとく伝わってないのは本当だった。

なんなら何回かは「今の話は大事なことだから、メモを取ってください」と指示した時もあった。

英語ではなく、業務上大切な点を伝えているのにスルーされることも多々ある。

とにかく、色んなやりとりを思い出すと、本当にあれこれ失礼なことも言われたりされてきたんだなと、ノムが教えてくれたことで初めて気付いた。

いつだったかは、本人が聞いてきた文法があって、それはその時説明したけれども、実際のところどうなんだろう?と思ってネットで検索した。

検索した中でYahoo知恵袋にあった回答が一番わかりやすく端的に丁寧に説明されていたから、それを私はコピーして彼女に渡したことがあった。

ちなみに調べたのは残業した後の平日の夜家の中だった。

そして次の日の朝、職場でそのYahoo知恵袋を検索かけて、なんとか職場の閲覧規制はかからず無事に印刷できて彼女に渡したものだった。

その時に彼女は私にこんな風に言ってきた。

「あのー、これは良いと思うんですけれど、大学の時先生からネットの英語情報は信用できないから使わないようにと指導されてきて、だから私はネットの情報に不慣れなんですが。ネットの情報も使って良いんでしょうか?」

最後の質問は具体的に何という言葉かは忘れたけれど、おおよそそんな風だった。

その時私は、とにかく私はわからないものに関してはひたすら検索する癖があるから、見たらそれが信用できるものかどうかすぐに判断できるから、もし今後文法がわからないとなって調べて判断つかない時は、印刷してそれを見せてもらえたら使える内容かどうかは伝えられるから、見せてくださいと言った。

って言った日から一度もそんなこと聞かれてないことに今書いてて気付いた。

はっきり言って、私は彼女をバカにしている。

能力的なことをバカにしているのではなく(そんなのは各自得意不得意があるから、そういうことで誰かのことをバカにすることは絶対にない)、目の前に使える人=私がいて、とりあえず聞けばなんでもほいほいと答えてくれるだけじゃなく、知ってることは出し惜しみせず情報をありったけ渡してくれる人がいるのに、それを使わない。

大学の先生とかいう肩書きやキャリアとかだけで判断するのか知らないけれど、私みたいにいちいち細かく本人が書いたこの文章はここがおかしいとかいうことをきちんと説明のメモ付きで、まるで赤ペン先生のように書いて渡すのに、そういうことの重みも全くわかってない。

彼女はやる気があると思ったからそうしていたけれども、実際は全然言葉と行動が一致していなくて、本気なら本気でもっとやるだろうと思う。

伸びないだろうな…、そう思い始めてる。

伝えても反応がない、反応が薄いところを見て、これで伸びる方がおかしいとさえ思う。





まぁ色々思うことはあるけれども、今回の私が変に落ち込まず芯から強く立っていられるのには理由がある。

理由は大きく2つあって、1つにはわかる人たちにはわかってもらえてさらに支持してもらえたり応援してもらっていること。

例えばノムなら、精密機械のこともマニアックな英語のこともちんぷんかんぷんだと思うけれども、ノムは真っ直ぐに本質だけを見て、私のしていることの凄さや本気度をいつも冷静に客観的に見て言葉にしてくれる。

ノムに言われるまで私は自分がしていることが凄いことだなんて全く思っていなかった。

でもノムは私が友達だからとかそういう理由ではなく、本当に人として何が大事か、仕事をする時に何を大切に思うか、自分の価値観を軸にして見るものと私の話とを組み合わせて、それで私のしていることがどんな風に映るのかを言葉にして教えてくれる。

今いきなり思い出したから、ここで自慢をすると。

このブログに出てくるノムの名前は「野村浩平」さんで、そしてつい最近ノムが対談や構成を担当した瀬戸内寂聴さんと宮沢りえさんの本が刊行された。

その時のウラ話やノムが構成する際の素案やら色々聞いていたから、それが本当に本になったと聞いて嬉しさ然り、自慢したい衝動に駆られている。

そう、こんな凄い人物としょっちゅう電話して好き放題に喋れるなんて、私は最強の人運に恵まれている。

そう、この本の裏にある「野村浩平」さんこそが私の仕事の色んなことの相談に乗ってくれて、素敵なアドバイスや本質的な視点をもたらしてくれてる。

こうやって言葉にして表すと、私はなんと凄い人と繋がれているんだろうと思う。

職場の中でも、周りの人たちからたくさん助けてもらっている。

私がする質問は毎回厄介だし、はっきり言って説明するのに手間もかかるから面倒くさいと感じても不思議じゃない。

なんだけど、そんなことはいとわずに、私の質問に根気よく付き合ってくれる人たちがいる。

私のしていることに理解を示してくれるだけじゃなく、大事なこととして思ってくれてるのが相手の人たちの態度から感じられる。

さらには、英語に強い友達と障害児教育専門の友達にそれぞれ連絡して、英語の友達には彼女が英訳した文章を、教育の友達には彼女の様子をそれぞれ伝えて、そういう子には何をすれば本人の力が伸びるのかを聞いた。

それだって、どちらの友達も中堅的な立場で仕事も忙しいし、子どもも小さいから家でも忙しいのに、時間をそれぞれ作ってくれて、ものすごく丁寧且つ具体的なアドバイスをくれた。

そうやって周りに頼れる人たちがいて、そして力を貸してもらえるというのは、本当の本当にありがたい。





もう1つは、誰が何と言おうと、自分のこれまでの積み重ねを自分が見てきているから、それで自信がある。

この間、国公立の医療系大学院に通っているチカと話した。

チカに聞かれるまで知らずにいたけれども、私が大学時代に書いていた各種レポートや論文は、日本でいうところの大学院レベルのスタイルでやっていた。

リサーチペーパーと呼ばれるもので、仮説を立てて、その仮説を支える理論を探して、そしてその理論と自分の仮説から具体的な研究方法や方針を定めて、実際に研究検証して、その後データ分析や解析をして、そこから結論を導いて、実際の理論と現実とがどうだったかをまとめるみたいなことも一通りやって(数本はそのスタイルで課題としてやった記憶がある)、当然それらすべては英語で書いて読んで調べて…となる。

そうしたことを思い出した時に、私が18年近い英語のブランクがあっても即座に書けて対応できるのは、そうした積み重ねがあるからだとわかった。

しかも、若いってすごいな!って人生で初めて自分に対して思ったと思うけれども、若い頃に身につけたものは体で覚えている。

今さっきも、becomeを調べていた。

とにかく英語ではbecomeをほとんど使うことがなかった。

これは口酸っぱく「使わない」と私はネイティブの英語のエキスパートたちから教えられて、それで今回新しい子がやたらとbecomeを使うのと、その使い方がまたとにかく「変」で、どうしたことかと思っていた。

あまりにも変な使い方をいくつかしていて、それでとうとう私は調べた。

とにかく変だけど、どうしてそれがダメなのかが理由がわからない。

ちなみにわかったことは、becomeは永続的に「なる」状態に使う動詞だと知った。

だから
「He became tall.」彼は背が高くなったー
は高くなった背については変わらないからbecomeを使えるけれど、
「He became tired.」彼は疲れたー
は疲れたはその時はそうでも時間が経てば変わるから、そういうことには使えないと知った。

それでわかった。

彼女の書いたbecomeに違和感があったのは、色々切り替わる機械の状態に対してbecomeを使っていたから、それでとてつもなく変だったこと。

何が言いたかったかというと、私はそうしたことを理由もなく感覚的にずっと習得していたから、だから感覚的に覚えたことはおおよそ間違いはないはず。

理論理屈は後からいくらでも見つけられるけれど、この感覚は今から習得するとなると、ものすごい時間がかかるし、さらには英語圏にいない環境下でそれを身に付けるとなったら半端なく大変になる。

調べてわかったけれども、私は上に書いた説明に行き当たるまで今回は10数個のサイトを見ている。

なかなかピンとくる説明に行き当たらなくて、それでようやく探し当てたものだった。

この「ピンとくる」感覚は、私の専売特許みたいなもので、そのピンとくるこないというのは普段から色んなものを調べる癖があって、それだからこそ英語にしてもそういう基準が自分の中にあるから、センサーに引っかかる引っかからないがはっきりしている。

こうした自分の感覚は一朝一夕に出来上がったのじゃない。

isとdoesの区別もつかず、なんなら今でも仮定法と呼ばれるものの時制とかわからないまま来てしまっているけれども、それでもこうして最後は腹を決めて訳すことができて、そして自分の持っている情報を堂々と出せるのは、これまでの積み重ねのおかげに他ならない。

ひたすら小さなことを積み重ねてきた自分がいるから、その過去の自分に今の自分が支えられている。





連休に入る前、とうとう同じ部署の人から新人の子が何をしていて何ができるようになったのかを聞かれた。

私はその話題をとことん避けていた。

聞かれてもすっとぼけて、話を切り替えたりして避けてきた。

だけど今回はもう誤魔化せないし、実際に同じ仕事をするチームとしては少しでも手が欲しいのも本当で、だから細かいことは言わなかったけれども、かなり厳しいことと現時点で本人にお願いできる業務がほぼゼロであることを伝えた。
(ちなみに私は最初の1ヶ月で6個の大きなくくりの業務を同時進行で教えられて、さらには2ヶ月目からはその同時進行で教えられた通常業務+いきなり英訳依頼が止まらなくなって今に至る)

その時にそれじゃまずいよねという話から、新人の子は派遣や契約ではなく正社員なんだから、確実に仕事ができないとまずいと言っていた。

そんな風にこれまで考えてなかったから、言われてみてそうか…と初めて思った。

まぁ実際に言われてもピンとこなかったけれども(苦笑)。

続けて彼女は言った。

正社員だから、少なくともそれ相応の給料はもらっているはずで、だから何もしてないっていうのはちょっとね…、という感じだった。

それに関しても、その通りでもだから何だ?という感じだった。

言ってきた子に何か思うこともなければ、新しい子に何かを思うこともなかった。

家に帰って、ふと気になって、一体新卒採用ならいくらあの会社は給料を出すんだろう?と思ってネットで調べた。

額面を採用サイトで知って、思わず電卓で自分の時給から1ヶ月分の給料を割り出した。

私が1ヶ月普通に働くよりも今現在何もできない新しい子の方が普通にお金をもらっている( ̄∀ ̄;)。

朝のメールのやりとりを思い出した。

新しい子の対応のことで、正社員の男性陣にお願いメールを出した。

本当に色々やらかしていて、何せ周りはどういう状況かも知らないから、それで少しだけ状況を伝えての対応に関してお願いメールを書いた。

素案は私が書いて、その後上司から大幅に修正が為されたものを私は清書してそれを送信した。

その私のメールに対して、男性の1人から彼女はまだ何も知らないゆえに技術的なことも教える必要があることや能力に差があるのは仕方ないけれどもだからと言って何も知らないままにはさせられないから…というようなことを書かれてきた。

そして社内の状況で、みんな忙しいから下々になればなるほど冷たくされたりきちんと教えてもらえない状況もあるから、だからこそできる範囲のことは協力したいみたいなことも書かれてきた。

それもごもっともだからよろしくお願いします、と返した。

けれど、それもまた私はちょっと引っかかった。

というのは、その中に具体的な技術の基本のきと呼ばれるような言葉がいくつか出ていて、それを彼女は知らないから正しく知る必要があると書かれていたものを、私も1つも知らない状態で、なんならその中の言葉によっては英単語さえ今も知らないぐらいで、そんな中で私はずっと英訳をしてきた。

社内で冷たい対応なんてのも色々浴びてきたけれども、私は唯一その担当者しか頼れないから、どんなに塩対応でも本当はその場で泣き出したいぐらいに嫌な思いをしていた時でも、それでも何事もないようにひたすら質問を続けて、なんとか説明を受けて、その十分とは言い難い説明と日本語の原稿とを最大限忠実に日本語で理解した上でそれを英訳していた。

相手が怒っているなぁなんてのも感じることは時々あるし、心折れそうになってももう自分だけが唯一そこで踏ん張ってやらないことには私じゃなくてその先のその文章を本当に必要とする人たちに迷惑がかかるのは明らかだったから、自分の感情は捨てた。

質問の後、恐怖とかでしばらく体が震えるぐらいの時だってあったし、気持ちを切り替えるのにコーヒーを飲んだり何か違うことをしてみたりとか、そんな風にやってきたこともかなりあった。

今でこそイケメンエンジニアの硬派さんという最大のサポートを惜しみなくしてくれる人がいるけれども、これだって色々な偶然が重なって硬派さん自ら申し出てくれて、さらには周りの目もあったけれどもそれも見て見ぬふりでガンガン質問に行くことを繰り返して、それでもはやもう私が質問に行くのは当たり前みたいな風景におそらく今はなっていて、未だに誰からも文句は言われていない。

文句を言われたのなら私はいつでも硬派さんをかばう用意はできているし、そして私自身の困り事も訴える用意はできている。

さらにトムさんや海外事業トップのMr.ダンディーからの英訳のサポートも適宜お願いしている状況だけれど、それらだって1から色んなやりとりを積み重ねていての今だったりする。

いくら仕事と言えども本当にかなりな負担を相手の人たちに強いるから、負担の大きい人たちに小さなお菓子を用意して持って行くのも私なりの罪滅ぼしでやっている。

どんな塩対応でも絶対に最後は時間をもらったことや説明をしてくれたこともお礼をしっかり言うし、本当に超きちんとしてくれた人には「ものすごい助かりました」というのも付け足して言う。

とにかく、派遣だし何か相手の人たちにプラスとなるような容姿やフェロモンや癒しを与えられるわけでもないから、本当に自分で工夫できることは工夫して、なんとか協力してもらえるように(本当は私がお願いされてるからそれも実際は少しおかしな話だったりする)動いている。

孤立無援且つ何も知らない状態でいきなり難易度MAX+大至急とか激短納期みたいな英訳ばかりに当たりまくって、それで走り抜けてきた最初の1ヶ月2ヶ月だった。

硬派さんはじめ色んな人たちからサポートをもらうのは最初と比べて数段良くなったことだけれども、難易度MAXや大至急なんてのは相変わらず変わらない。

それに比べて、最初から恵まれた状況+理解者も協力者もいる新しい子を前に、釈然としないものの、代わりに自分がしてきたこと、全力でやって積み重ねてきた数々のもの、それに対してすごく誇らしい気持ちになった。

それは私が選んでいることだから何も言えないけれども、だけどもし周りが、お金なら確実に私よりもらっている新しい子の方が何一つできなくて責任あるものも何もさせられない状況で、反対に彼女よりお金をもらっていない私が責任のある、そしてものによってはものすごく重たい責任のものを担当していると知ったらどうなんだろう?と思った。

責任あるものをさせられないというのは、その中でも一番簡単なものを教えて引き継ぐ予定だったけれども、引き継ぐのは変わりないけれども、それを引き継ぐだけの十分な能力に達していないどころか色々やらかすことが徐々に判明していて、それで引き継ぐにしてもものすごいフォローとチェックが常に必要だというのが最近わかった(上がその状況をたまたま見つけて、それで1からチェック必須になった)。

一番簡単な業務でそれだから、この後もっと色々業務でやるものがあるのに、もはや何ならできるのか…とまで囁かれ始めている。

それはそうと、本当に何もないところからのスタートでよくぞここまで形にしてきたなぁと思った。

ちなみに技術的なことで言えば、頭キレッキレの硬派さんでさえも知らないとか何を意味しているのかわからないというような原稿まで無知な私が担当しているわけで、本当にどうなっているんだろうと思う( ̄∀ ̄;)。

色々あったけれども、最終的に自分が自分に納得できる形を追求し続けたのは良かった。

給料云々も聞いたからと言って、仕事に対して手を抜くとか文句を言うとかはない。

同じように仕事をするし、今手元にある新しい子の英訳の練習で添削の終わってないものはそれもこれまで同様に添削して返そうと思う。(ちなみに返しても、それをどの程度中身を見てくれてそこから感じてくれるのかはわからない。そこは期待ゼロでいかないと自分の方がしんどくなる。)

5月からは新しい子への新人教育的な業務がなくなるから、自分が担当した部分だけは最後までしっかりやりきって終わりにしたい。

この世的には色々と不利な感じなんだとは思う。

立場で言えば、正社員がしっかりとお勤めをこなしたらいいわけだし、派遣の私は補佐的に入るのが本来正解なんだと思う。

こんな言い方も卑しいけれども、ただ現実、私の方が数をこなしているのと元々の英語の知識が豊富なのとで、仕事自体はやれる。

それも会社が求める正確性とスピードという点で、それにある程度適ったものを提供できる。

その辺りは割り切って私はするし、とにかくきっちりとすることで次の扉が開くと思っている。

今のところも長くはいないと思うし、いつかは終わりがくる。

そのいつか終わる時に「◯◯をしておけば良かった」みたいな後悔だけはしたくない。

これからだって理不尽なことや納得いかないこと、嫌な思いをする場面はあると思う。

そういうのは仕方ない。

だけど、それらに対して不平不満をこぼして、それで本来の業務を手抜きするというのは違うと思うし、そうはしたくない。

さらに言うと、今の職場は周りがどう思うかは別として、私は最後は人とか人同士の信頼関係だと思っている。

あの人はきちんとやる人だと思われていたい。

あの人にお願いしておいたら大丈夫と思われるような状態はいつも心がけたい。

今回みたいな状況を目の当たりにして、可哀想というか憐れな感じがする。

本来優秀なはずなのに(数少ない採用人数を突破して大手企業に採用されるわけだから、素の能力は高いと思う)、今の仕事内容は相当な努力を要する現状にある。

しかも本人希望でやりたい仕事にも関わらず、その仕事に対しての適性に、はっきりと言えば壊滅的にマッチしていない。

努力してなんとか埋まるとかいうレベルじゃない。

英語の基礎基本からおかしなことになっているから、そんなの仕事以前の問題になってしまう。

しかも怖ろしいことに、その基礎基本も知らないならまだしも誤って覚えたまま今に至るものがたかが4つの原稿の英訳練習で毎回何個かあるわけだから、そんな状態ではとてもじゃないけれどもお客さん含めて対外的に出せるようなレベルにない。

私がこれまで担当した英訳の中に、過去の英訳がおかしかったものを直したことも時々ある。

おかしかった英訳を見ていて、本当に毎回イラッとするぐらいに酷い英訳だったけれども、今回わかった気がした。

そういうレベルの人が訳したらそうなるわ!って。

私が直した英訳は、ことごとく大事な情報が欠けている状態で英訳をされていた。

だからその欠けている大事な情報たちを足して書き直した。

それに酷似した英訳を練習の時点で新しい子は作っているから、これはもう数をこなせばわかるようになるというレベルじゃない。

良くも悪くも私みたいに「自分の英訳が信用ならない」とか「間違えたらやばいから、絶対にGoogle翻訳かけなきゃ」みたいな危機感もないし、自己不審的な、自分の能力を疑うこともしない。

彼女にはそうした感覚がないこともあって、だから余計と現状では本番なんてとてもじゃないけれどもさせられないし、今後やれるようになるのかと言えば、一旦これまでの基礎基本を捨てて1から学び直しましょう!と提案しても良いぐらいに新しく身に付けるだけじゃなくこれまで積み重ねた基礎を一度無しにしてもう一度正しい基礎基本を身につけないといけない。

とかいう状況で、やりたいことでも適性がないというのは本当に本人にしたら苦しいことだと思う。

そういうこともあって、可哀想とか憐れに感じる。

しかも、自分の習ってきたこと、学んで自分の中に積み重ねたことが間違えていたなんて、とんでもなく悲しい。

彼女は彼女で中高大学と10年分の英語の学びがあるわけで、その学びが違いますなんて、私なら本当に嫌になる。

これまで英語に関してどうこう思うことはなかったけれども、彼女に会ったことで自分の英語の基礎基本の凄さを知った。

本当の本当に徹底的に鍛え上げられたものだから、最初は自分で、大学の頃は英文法専門とするネイティブの人たちから直して正しいものを教えてもらえたから、だから今の私がいる。

当時のような環境にもなければ、本当に嫌になるくらいに勉強したり英文書いたりしないとだったから、そんなことを今もう一度やれと言われてもやりたくはない。

何でもそうだけど、その時にしかやれないことってあって、その時にやらなかったことはいつか持ち越したくてももうやれない。

彼女がこれからどの程度伸びるかはわからないけれども、かなりな積み重ねを必要とするのは間違いない。

しかも本業は基礎を積み立てることではなく、本来なら基礎があって当たり前で、それを軸にして仕事をこなさないといけないのにその基礎が不十分で誤っているわけだから、そこからやらないといけない。

色々なんだかなぁと思う。





好き放題に書いた。

このままアップする。

自分で「あの人はきちんとやる人だと思われていたい。」と書いていてかなり吐きそうだけれど( ̄ཀ ̄;;)、だけど本当のことだからそのままにした。

他にも人のことを良く言わないのも趣味にはないけれども、それだって本当のことすぎて嘘は書いてない。

情報開示について、社名伏せて名前伏せても読む人が読んだらわかるのもどうかと思うけれども、それで罰則を受けたり解雇になっても仕方ないと思う。

ちなみに書いてて気付いたけれども、仕事に関して言えば、人として挨拶しないとか煙たい態度を取ってくるとかいう人ででも仕事はできる人と、人当たりは良くても仕事ができない人なら、私の場合は前者の人の方がいい。

冷たくされたりイライラぶつけられるじゃないけれど明らかに自分の感情を私にぶつけてますよね?の人たちもいるけれど、どの人も少なくとも私が聞いたことについてきちんと大事なことは説明してくれた。

仕事ができなくて本人にその認識もないというとんでも事態に遭遇して、そちらの方がタチが悪いとわかった。

私は何でもかんでも言いすぎる傾向があるのかもしれないけれど、会社だって「新しいものには取り替えずに既存のものを調整する」ことを「新しいものに取り替える」と訳してもらっては困るわけで、それを知ってるのに報告にあげず、「できます」とかいう嘘の報告するわけにいかないでしょ?と思う。

真面目にそのレベルの出来栄えに毎回私は当たったわけで、それが1回ならまだしも毎回何個(=複数文に誤訳あり)もそのような事態に陥っていて、それでわからないことは質問してくださいと言ってることもまるでご挨拶状態で大事なことは何も聞かれず(ちなみに質問はされるけれども、的違いなことばかりを聞かれる)、そんなこんなで何とか普通にしようと目論む方が無理がありすぎる。

誰しもが強みはあるけれども、適材適所というのはあるから、適材適所になっていないものをどうにかするよりも、適材適所で本人の強みが活かされるところにいる方がうんといいだろうと思う。

特に白黒はっきりした結果を求める業界なら尚のことそうで、常に白いものを求められているのに本人が頑張っても黒いものしか用意できないなら、そこに居続けることの方が本人も周りもしんどくなるのは時間の問題だと思う。

完全に私の愚痴日記になったけれども、それが直近の現実。

5月から体制が変わるから(正社員の育休明けの人が戻ってくる)、また違う流れになっていくだろうと思う。

ちなみに連休前に席替えがあって私は通路側に移動になったけれども、何が嫌かって私の雑多すぎる机周りが常に人々の目にさらされること( ̄∀ ̄;)。

仲良くしてくれてる人たちが私の席に来て「すごいたくさん資料があるんだね」と遠回しにその雑多ぶりを皆が伝えてくれるぐらい、本当にカオスな机がオープンになっている。

しかも悲しいかな…、その通路、技術の人たち皆が各種資料を持ち込むのに通過するところだから、もうここはあきらめて、その汚さや雑多さにみんなの目が慣れるのを待つしかない( ̄∀ ̄;)。

過去にその席だった人たちはとてもきれいに整理整頓されていて、初代雑多王が私になる。

そんなこんなで4月の勤務を終えて、今は6連休の2日目。

ゴールデンウィークって速く過ぎ去るんだな…と思ってる。

あと休みが4日しかないという事実に愕然とする((((;゚Д゚)))))))。

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