2022年4月13日水曜日

お知らせとカードと詩集【舞台裏その3】

今年のさくら
2022/04/10

「何から書こうかな…」で始まるのは
舞台裏本編の下書き。
まだ書き終えてないですよ、
と言わんばかりに何回もiPhoneに表示される。

花見の予定が物欲に取って代わった土曜日。

私の気持ちを代弁してくれる詩がたくさんあって
そしてそれを残りの人生で何百回、何千回と
振り返って味わえそうと思って
家に連れて帰ってきた詩集

冷やし中華始めました٩(ˊᗜˋ*)و



2022/04/09

舞台裏の話をシリーズ化する予定は全くなかったけれど、書こうとしてなかなか書き始めないうちにどんどんネタが増えてくるから、小ネタたちをとりあえずアップしていこうと思う。


まずは、「書きなさい」のお知らせなのか、奇妙なことに携帯の待受画面に、その書き途中で止まっている舞台裏の下書きがあるよ、と2回か3回くらいお知らせがきた( ̄∀ ̄;)

(ちょうどまたお知らせが出てきたからスクショしたのが冒頭の写真の1枚)


私は普段からもメモを色々いじっているからそれが直近のいじったメモではないのに、そのお知らせがなぜか表示される時はいつもその舞台裏の本編が出てくる。


よほど私が忘れていると思っているのか、何度も表示される( ̄∀ ̄;)







私の思考は実に自由に無駄に色んなことを考える。


イケメン上司に向けたメッセージ、あれがどんな風にイケメン上司の目に映ったのかを想像しだした。


こんなにも生産性のない、妄想満載の思考もないけれど、思考はいつの時も自由に飛んで行く。


そんなこと想像しても何にもならないけれど、そのように勝手に始まって、途中は端折るけれど、思わぬところに自分が着地した。


改めて、メッセージをキャッチしたものはいつの時もそれを真っ直ぐに出していきたい、それが相手にどう映ろうが関係なく、自分は自分の中に浮かんだものをそっくりそのまま出したい、そう思った。


私に届くメッセージたちは、届けられることをそもそも意図して私の元にやってくる。


私が勝手にメッセージを無いものにしたり変えたりするのはよろしくない。


あくまでも特定の誰かに届くように、私は単なる配達係として間に入っているだけ。


当たっているのか全く見当違いなことを言っているのかわからないけれど、それでも私は自分の最善を尽くしてのあれだから、もうそれはどちらでも良いと思っている。


仮に見当違いなことを言っていたとしても、やっぱりメッセージそのものは届けられることを意図されてくるものなわけで、私の妄想や想像というのとは違う。


さらに言うと、自分以外の誰か第三者向けのメッセージは、私には正直何を言わんとするのかあんまりよくはわからない。


さすがに書いてはいるから書いている文字はわかるけれど、その文字の先に見える世界や過去の出来事、心情なんかは全くもってわからない。


メッセージ自体も私に響かない場合が多いから、書くとすぐに忘れる。(イケメン上司向けのLOVEのメッセージはあまりにも強烈過ぎて、今でも一言一句覚えているけれど、他の細かいところは大体忘れた( ̄∀ ̄;)


だからそれが私に向けられたメッセージではないことはよくわかる。


であれば尚のこと、相手に届けることが何よりも大切で、当たってないとか見当違いだとかいうことはもはやどちらでも良いもの、そんな風に感じる。


今回のイケメン上司のメッセージは、私がそんな頼まれてもないことをやって本当に良いものかものすごく迷ったしためらった。


本来ならやって良い人物ではないと思うし、やり過ぎ感は超絶否めない。


でも、私自身はやって良かった。


イケメン上司の反応が何だったとしてもやって良かった。







2022/04/10


昨日は2年ぶりくらいに友達に会った。


ぶっしーにおみやげがあるー!と言ってもらったものは、なんとイケメン上司の苗字が入った洋菓子屋さんのお菓子たち。


前にも聞いたことはあったけれど、今回もう一度きちんと確認して聞いたら、彼女の職場の前の道を真っ直ぐに隣町まで行くとその洋菓子さんがあって、職場の社長が取引先なんかに持っていく手土産の定番中の定番らしい。


友達はわざわざ金曜日仕事の後に家とは真逆の方向にある洋菓子屋さんに行ってくれたとのことで、ありがたく頂戴した。


色々積もる話もあったけれど、その中ではたと気付かされたことがあった。


最近彼女が取り寄せた健康グッズがあって、その時に同封されてきた普通の本と変わらない厚さの、商品カタログというよりもそれぞれの物の説明が書かれたものを持ってきて私に見せてくれた。


その冊子の中にオラクルカードなんかをたくさん置いている店が東京にあって、そこに私が行ったことがあるかどうかを聞くために見せてくれた。


そこには行ったこともなければ存在さえも知らなかったけれど、たった1枚の写真だけで私には超テンション上がりまくりな店内の風景があった。


同列の本の中にはオラクルカードの説明が続いているページも数ページあって、そここそ今回私が注目して気付かされたことがあった。


イケメン上司向けの誕生日のメッセージ、LOVEがどうのこうのと書かれたメッセージカードは、たしかに私の手元にあるカードたちの中でも唯一無二のものではあるけれども、その数ページに渡るオラクルカードの説明を見て、そこに掲載されているだけでもぱっと見100はあるだろうし、実際に世の中には無限大にオラクルカードがあって、それが千なのか万なのかはわからないけれど、その数多とあるオラクルカードの中でまずはそのカードセットが私に選ばれてうちに運ばれてきて、さらにはペンジュラムにイケメン上司向けのメッセージはこのカードだと選ばれたものがそれだったわけで、確率の問題で考えたら、ありえない確率をくぐり抜けてやってきたことがわかった。


単なる1枚のカードではなくて、世界中どこを探したってそれと同じメッセージが書かれているカードなんておそらく無いと思う。


それがわざわざ選ばれていて、そしてあまりにもどストレートな表現ではあったけれど、何せそれが全体のテーマとして出てきているわけだから伝えないわけにもいかず、それで最終的に伝えられたように言葉は紡がれてこのブログにアップされた。


さらに言うと、カードに書かれていた英語の文章自体も相当珍しいもので、本当に作者独自の表現方法で、いくら英語圏のオラクルカードたちをあれこれ探したとしても、あれと同じ文章(I help create the world where it is safe for us to love each other.)をどこかで見ることは絶対にないと言い切っても良い。


だからあのカードに書かれていたメッセージは、本当に唯一無二のピンポイントでイケメン上司のために向けられたものだったんだと、今頃になってよくわかった。


カードリーディングをしたという話を友達にかなり端折って説明したら、友達からも私が考えたことと同じことを言われた。


「ぶっしーが(カードリーディングから)伝えた内容って、それ他の誰も言ってくれる人っていないと思う。女の人同士とか学生みたいに若いのなら周りから痛いところをつかれるような、でもとても大切なことだから言われることがあるかもだけど、中年の40を越えた、しっかりと働いて社会的にきちんとしているおじさんに向かってさ、愛だのもっと人と深く関われだの、そんなこと言ってくれる人、◯◯さんじゃなくても他の人たちも同様にそんな人たち普通に周りにいなくて当たり前だと思う。

しかも自分と周りとの間に見えない壁を作るタイプで絶対に相手に踏み込ませないみたいなタイプなら、余計と周りは何か言うなんて絶対にしないから、ぶっしーの口というか手を借りてでも伝えなきゃいけない、本人が知らなきゃいけない内容だったんだろうね」


冷静に考えてみると、本当にそうだなと思う。


私の感覚が少しズレているんだろうけれど、普段からゲイの友人ノムから相談されることがあるし(男友達というよりもかなり中性的な感じだから、あえて今回はゲイと付けてみた)、年に1〜3回くらいだろうか、男友達から相談というのではないけれど、何か聞いて欲しいとか話して発散したいのかなと思うような連絡が来るから、元々男の人たちから何か聞かれるとかいうことに妙に慣れていて、何か男の人たちに伝えることに緊張感があるとかいうようなことはゼロとは言わないけれど場数の分だけ変に慣れている。


でもそんなのはそもそも超まれで、普通に職場の中でのことを考えたらありえないってわかる。


スーパー頭の良い理系男子たちで会社の9割は構成されているその状況を見て、例えばそのうちの誰かに「愛って大事だよ」とか「人と深く関わることがあなたの人生にとって大事だよ」と真顔で伝える、面と向かわなくてもメールとかでもいいから伝えるなんてありえない( ̄∀ ̄;)


そんなこと絶対にやらない。


だからかなり特殊な状況でもたらされたメッセージではあったけれど、本当の本当に必要があってイケメン上司に届けられたものだと思う。


イケメン上司が必要としていたかはわからないけれども、少なくとも魂の合意は取れてるってペンジュラムが言ってた!子どもみたいな言い草( ̄∀ ̄;)







舞台裏の話から少し逸れてしまうけれど、友達と会った日、私は待ち合わせ時間よりもうんと早く家を出て、毎年1人で楽しんでくる桜並木を見に行った。


見に行ったついでに駅裏のビルの中の雑貨屋と本屋にも立ち寄った。


タロット本はもう買わない予定だけど見たかったのと、雑貨屋は私のツボを刺激しまくりなおしゃれなものに溢れているから、単に見て楽しむためだけに行った。


はずなのに、全く予定にもないものたちを購入した( ̄∀ ̄;)


本は、タロット本コーナーを見てその帰りにいくつもある本棚の通路の、タロットコーナーから一番近い通路に入ってすぐにあった。


表紙の帯だけでも十分に良かったけれど、中に書いてある詩がとてつもなく良くて、買うか迷ったけれど、その詩と共にこれから何百回何千回とイケメン上司がいた色んなシーンを振り返られると思って買ってきた。


私が言葉にできなかった気持ちや感覚が、詩の中にまさにピッタリな表現で描かれていた。


まず2つほど紹介したい。


「見えない手紙 I


声の届かない

場所にいる

あの人に どうしても

言葉を届けたい


そうした

祈りのような

心持ちが

人に 宿らなければ

この世に

詩など

けっして生まれは

しなかっただろう


誕生の起源から

詩は 誰も

運べない場所への

手紙だった


返事はこない

そう分かっていても 送る

目には見えない

手紙だった」



「見えない手紙 II


書かねば

ならないのは

上手な詩ではなく

わたしの詩


大切な

あの人に送る

言葉にならない

透明な手紙」


(引用:『詩集 美しいとき』若松英輔・著)



同じ詩集の中に、今回私がメッセージをイケメン上司向けに書いたことの行為をありのまま表したような詩があった。


「時を贈る


姿が見えなくなった

あなたは いつも

眼には

見えず

手では

ふれられないものを

たくさん

与えてくれる


だから わたしも

だれの眼にも

映らないものを

そっと

あなたに

贈り返したいのです


美しい言葉や

おこないを

捧げられれば

よいのですが

うまくいきません


だから 朝

すこしだけ

早く起きて

誰もいないところで

そっと

あなたをおもう

藍色のときを

贈ります」



朝早起きしてはないし、藍色のときも贈ってはないけれど、冒頭の部分、目には見えない、手では触れられないものを、本当にたくさんイケメン上司からもらっている。


イケメン上司が私に贈っている気などないのは重々承知で、それでも目の前にいた時もいなくなってから今に至る5年近い時間の中でも、絶えず色んな形でイケメン上司から色んなものをもらっている。


オカルト体質みたいなものも、これがきれいに花開くことになる原動力はイケメン上司から与えてもらっているものにある。


もちろん、自分がこれまでやってきた色んなことたちがベースにあるけれども、一番大事で一番コアとなっている源みたいなもの、それはイケメン上司がもし私の生きる世界に現れなかったのなら半永久的に私はそこに辿り着くことがなかった。


イケメン上司というのは、私の中の細胞という細胞の総入れ替えをさせて刷新させ生まれ変わってさらには細胞が活動する、それもものすごく深いところの領域から動き出す、その部分を引き出してくれた人物になる。


本人は何かしてる気なんてなくても、その存在だけで本当にそういう凄いことをやってのけた人なわけで、イケメン上司なくしては今の私などありえない。


そして不思議だけれど、もうイケメン上司は物理的に近くにはいないし、連絡が取れるわけでもないし、ないないだらけの状態なわけだけど、私の中で開いた領域は開いた後もずっと更新されまくりで、イケメン上司の存在というのがやっぱり今も変わらずに何かしら大きく影響している。


大袈裟に聞こえるかもわからないけれど、この私のオカルト体質やタロットカードをよくもわからないうちからスラスラとそこからメッセージをキャッチしてくるなんていうのは、その半分というか土台の部分にはいつの時もイケメン上司の貢献がある。


人間が体を維持するのに、血液だったり空気だったり水だったりが必要不可欠なわけで、イケメン上司というのは私のオカルト体質のそういう必要不可欠なところを供給してくれる感じ。


だから何かを贈り返したいというのは、その部分に私は並々ならぬ感謝をしているし、何にもならなくてもせめてできることの何かはしたいという気持ち。(+これで連絡が来たら良いなという我欲もかなりある( ̄∀ ̄;)


この詩を読んだ時に、そうだ、そういう気持ちもあったんだと気付かされた。







舞台裏の本編はまたおいおい書いてアップしたいと思う。


最後の「冷やし中華始めました」は、食べ物系ブログを見ていつか真似したいと思っていたもの。


つい最近の日曜日、あまりにも暑くて、冷たいものを何か食べたいと思って、去年買って余った冷やし中華の乾麺を使って作った。


改めて冷やし中華って本当に楽チンなごはんだと気付いて(麺は茹でて、具材は切るのと卵を焼くのとくらい)、今年は冷やし中華が大活躍するかもしれない。


舞台裏でもなんでもないけれど、なんとなく書き残したい話だったから、今回ここで一緒にアップ()

2022年4月6日水曜日

4月の最初の月曜日【舞台裏その2】

左の本は3冊目のタロット関連の英語の本。
タイトルにある「Journaling」に相応しく、
この本とタロットカードを使いながら
日記を書く風になっている。
その日記風なことを書くためのノートが写真右。
この本から今回のイケメン上司の
誕生日メッセージとその舞台裏について
4月最初の月曜日の朝、
ビッグヒントをもらうことになる。

自分でノートをアレンジした!
表の「inspire」(ひらめき)
と書かれたシールがとても気に入っている!

200枚のノートの厚さ。
厚さがこの写真で伝わるかわからないけれど、
一生日常的に使うことを見越して
この厚さのノートにしたかった。



舞台裏の話も引き続き書き残したいと思うけれど、色々一気に動きすぎているから、オンタイムの話を今回は挟みたい。


4月の第一月曜日の今日、4日の話。







つい数日前から私は朝小さな日記みたいなものを付けるようになった。


日記ではなくて、正しくはタロットカードにまつわる1つの質問に答えるというもの。


イケメン上司の誕生日の日、私が注文した3冊目の英語のタロットの本が到着した。


その本というのが、1枚のカードあたり約60個の質問が書かれているもので、例えばの質問として「あなたの魂があなたに話しかけてるとしたのなら、何をあなたに伝えるでしょう?」みたいなのとか。

”Journaling the Tarot: Evolutions” 

Andy Matzner著)


毎朝、これまで通りのルーティンとしてタロットカードを1枚ペンジュラムに選んでもらって、それを見ての一言メッセージをまずはノートに書いて、さらに次にまたペンジュラムに質問の番号を選んでもらって、その質問に答えることをしている。


大学ノートで3行くらい書いて終わる。


余談だけど、それを書くためのノートが欲しくて、とうとう先週の金曜日の仕事の後、200枚ノートを買ってきた()


近くの大型文具店にはなくて、20数キロ離れた文具店にまで足を伸ばした。仕事とは打って変わって、すごい体力を発揮٩•̀- )و 


で、月曜の朝に当たった内容が、今週自分のありのままの愛を表現する一番の良い方法って?みたいな内容で、朝から「愛」、それも「LOVE」の方じゃなくて「loving」と現在進行形の単語が充てがわれていた。


それに対して私が書いたことは、

・自分の中にあるものを言葉で表現して伝えること

・そこに希望がちゃんとあるんだよということが伝わるように言葉をおこすこと

だった。


この質問を見て、まず私の中で思い浮かんだのは、この「舞台裏」シリーズだった。


本当に最後まできちんと書けるのかかなり自信がなくなってきたけれど、それじゃダメなんだと思った。


愛とかlovingとかそういうのはさておいて、私が見た風景は、見ているのはたしかに私だけれど、それを伝えることが私に託されているように感じた。


イケメン上司と私とがどうであるとか関係なく、とにかく私が持っている情報を余すことなく伝えることが大事なんだと思った。


すんごい繊細な部分に土足でドカドカと踏み込んでいる自覚はものすごくある。


時間が経てば経つほど、私がそうしたくてしたと言うよりも、それをする必要があってカードリーディングの着想を得て、さらには実際に書いたようなことをイケメン上司に伝える必要があって、それの言葉の紡ぎ手として私がたまたま選出されたんじゃないかと思っている。


宇宙なり神々の審議会なりの采配めいたものを感じて仕方ない( ̄∀ ̄;)


それこそ山で行方不明になったおじいちゃんが、おじいちゃんと家族とを繋げるために私のところに現れた(と言っても私には見えないし感じることもできずに、霊視ができるヒーラーさんを通してではあったけれど)みたいな、そういう係分担的な感じで私にイケメン上司へのメッセンジャー係が回ってきたんじゃないかと思っている。


言い訳じみているけれど、本当にそんな風に感じている。


だからこそ、舞台裏の話も書いてアップすることが何よりも大事なんじゃないかと思った。


きちんと心を込めて書くこと、それを求められている、誰から求められているかはわからないけれど、そういう感覚が湧いて出てきた。


もし私が書かなければ、全ては迷宮入りをして終わる。


この距離感を思うと、イケメン上司側は知ることが大事だとするなら、私と接触しなくても済む今の方法が一番良いのかもしれないなとさえ思ったりもする。


対面とかだと逃げ場がないけれど、今なら読み逃げって言葉は悪いけれど、読むだけで終わらせられるし、読みたくなければそれを読まない選択肢もある。


どういう風にイケメン上司がするかはさておいて、私側にとって大事なのはきちんと言葉を用意してイケメン上司が読みたいタイミングで読めるように準備をすることだと思った。


そしてそれは私にしかできない。


私の見ている景色を他の誰かが言葉にすることはできない。


だから私がきちんと言葉で書いて、少しでもイケメン上司がその内容に触れられるようにするのが私に託されたものじゃないのかなと。


そして1つ前のブログにも少し書いたけれど、今回イケメン上司へのメッセージを書いて初めて気付いたけれど、私がメッセージをキャッチして書く(伝える)内容というのは、そこに希望が託されている。


まだまだ人生にはきちんと可能性も希望もあるからね!っていうようなことが、本人にだけわかるように中身が構成されているように思う。


書き手は私だけれど、中身は私が考えてるのとは違うから、それはあくまでも私にも次の誰かにバトンを渡すために渡されたもので、私が個人で考えて編み出してるわけじゃない。


その希望も、私が口を開かなきゃ本人に伝わらないことで、私がそれを全うすることが大事なんだと思った。


「今週」ときちんと限定されて質問されていたから、この今の状況下で私がすることは、この舞台裏を書き上げてブログにアップすることだと思った。







ここからは、かなりやるせない気持ちになったことを書きたいと思う。


私は数週間先のとある友達への誕生日プレゼントの用意を始めた。


これはAll手作りで、どこからどう見てもコテコテの超手作り感満載のものになる。


で、その手作りプレゼントがこの上なく楽しい作業で、そこでも私は1つの工程として「書いている」。


絶対に喜んでもらえる自信もあれば、手に渡った本人がそれを生涯大事にしてくれるだろうことまで想像がつく。


そして私の趣味が全面的に出ている今回のプレゼント作戦は、用意する側の私にも楽しい気持ちを存分にプレゼントしてくれてる。


作りながら、鼻歌でも歌っちゃうよー♪みたいな気持ちになった自分を見て、イケメン上司のメッセージを書いていた時とは雲泥の差であることに気付いた。


受け取ってもらえるかどうかもわからない、スーパーお節介ババア、妖怪お節介ババアみたいになってガンガン境界線をぶち破って、タブー的なメッセージ書いて、そして突然ブログにアップなんかされて、必要なことなのかもしれなくても、イケメン上司には迷惑とかやめて欲しいと思われてもおかしくない、そういうことの不安と心配が絶えずあった中でのプレゼント準備だったわけで、今回のプレゼントとは全く異なる。


必要なことがイコール歓迎されることとは限らない。


単純に、イケメン上司にも喜んでもらえる!って確信を持って準備できるような関係だったのなら良かったなと心底思った。


コテコテの手作り感満載でも、境界線ぶち破りでも、耳の痛いメッセージでも、それが望まれていたのなら私もルンルンで用意できたと思うけれど、実際はその真逆で、最初から最後まで「こんなこと、私がやっちゃっていいんだろうか?」っていうのが消えなかった。


というよりも、公然として堂々とプレゼントを用意して渡せる関係にただただ憧れた。


こんな風にコソコソ、そして他人行儀みたいな感じじゃなくて、それこそラッピングからこだわって用意できるような、そして相手も喜んでくれると確信を持てながら準備できる、その関係性に憧れた。


自分のしていることに後悔はないけれど、これで良かったかどうかは私もわからないし、仮に良くなくても「仕方ないよね」とあきらめる、そんな風に自分を仕向けることのさみしさをひしひしと感じている。


友達のプレゼントの用意は、8時間労働の後にやってるとは思えないくらい、超エネルギッシュで、超楽しかった。


そしてこの楽しい作業を友達の誕生日の時まであと10数回は味わえる。


贈る側も贈られる側も両方がハッピーなプレゼントって、そんなものの方が稀なのかもしれない。


私が選んでやっていることだというのは重々承知しているけれど、この天と地ほどの差がある2つのプレゼントの用意を体験してみて、私としては普通に違和感なくプレゼントを準備して渡せる関係に憧れて仕方ない。


もはやイケメン上司側からしたら、プレゼントにさえ見えないシロモノだろうから、さらに一層闇の度合いが高いななんて思った。


せめて罰ゲームみたいな毛色になってないことをひたすら祈るしかない、そう思っている。







自分を癒すために、手始めに過去の日記帳を読むことを最近始めた。


そこにはイケメン上司がまだ新潟にいた頃に書いたものもあって、癒しそっちのけでそちらの方を読み始めた。


「こんなに体中、心の奥底から表面に至るところで色んなことを感じているのに、何もない出逢いで終わることなんかあるのかなと思ってる。」

(2017年9月18日)


言葉で表現するのは難しいし、この説明が難しすぎる状態を言葉で説明するのも不可能に近い。


ただ1つだけ当時の私に言えることがあるとするなら、「何もないまま終わることはないよ」ということ。


イケメン上司と同じ職場に行っていた頃、感覚的に本当にぶっ飛んだ感じの、過去に一度も体験したことのない感覚を私は文字通り「全身全霊」で感じていた。(感覚だけに絞って言うと、当時と変わらない。変わらないどころか進化を遂げた感じさえある。)


だけど、目の前の現実は何の接触もないどころか嫌がられてる風なわけで、だから私は自分の感覚の方がおかしいと思った。


感覚と目の前の現実のギャップが凄すぎて、私は現実を見ようとした。


感覚の方ではなく現実がすべてだと思うように自分を追い込んだりもした。


まさか5年以上経過したある時に、タロットだのカードだのを使ってメッセージをキャッチして、キャッチしたものを言葉にして、ブログにアップして、それをイケメン上司に届けようとするなんて、しかもかわいらしい内容じゃなくて耳の痛い内容を容赦なく書くなんて、色々普通じゃない。


これを縁と呼んでいいのかその辺りも甚だ疑問だけど、少なくとも「何もないまま終わる」んじゃなくて、とっても不思議な方向にその後(=今現在)舵がとられるようになった。


物理的な距離を超えて色んなことが起こる(起こせる)のは、やっぱり魂的なテーマがでんとそびえ立っているからなのかなと思っている。


自分癒しのために日記帳を開いたのに、結果的に当時の自分に会いに行って、色々感慨深いものを感じつつ、何もない終わり方ではなくせめて何かしらは動いた今の現実に私は実はとっても救われている。


イケメン上司の誕生日が起点となったわけだけど、結果的に私の方がプレゼントを受け取っている。


毎度のことながら、本末転倒具合がすごいけれど、本当にそうなっている。







月曜日の1日は、


>朝、1日の始まり


「舞台裏」を含めて、きちんと最後まで伝える必要のあることは書いてブログにアップしてイケメン上司に届くようにしようと決意。



>夕方


友達の誕生日プレゼントの用意を始めて、イケメン上司の時にした用意(カートリーディング)の時と全く違う様子に愕然とする。

喜ばれないどころか負担や迷惑だとかいうことをひたすら心配しながらしていた準備だと気付いて、わかってはいてもいたたまれなくなった。



>夜


イケメン上司が新潟にいた頃、それも転勤でいなくなる直前の頃の日記帳を見て色んなことを発見する。

「何もない」ことを心配というか気がかりにしていた当時の自分からは想像もできない今にいるということに気がついた。



というようなことが1日の中で起こるわけで、普通に起きて支度して仕事行って帰ってきて自分の時間を過ごしたに過ぎない、普段と変わらない1日だったわけだけど、心の方は5泊6日とかの海外旅行にでも行ってきたの?くらいの色んなことが一気に起こっていた。


翌日の火曜日(この部分を書いている今は水曜日の朝)にはさらにまた違う心理的変化を迎えるわけだけど、それはまた別の記事で書いていこうと思う。


そして話があちこちに飛び過ぎているけれど、カードリーディングした時の舞台裏についてはきちんと最後まで書いて書き終わったらアップする予定。

2022年4月3日日曜日

舞台裏その1




イケメン上司の誕生日メッセージを書いてから早1週間って書こうとしたら、まだ1週間も経ってないことに今気付いた!


舞台裏も説明しないと、あのメッセージの意味やそこに至るまでの物語など伝わらないだろうと思って、それを途中まで書いたものが2つ。


1つにまとめて書こうとしているうちに、次から次へと展開していくから、頭の理解も追いつかないまま進んで結局何も終わらずアップしなかった、というのだけは避けたいから、とりあえず今書けるものを書いたら一度アップしようと思う。


ちなみに次から次へと展開するのは、イケメン上司と私の関係とかいうような、私としては是非とも起こっていただきたい方ではなく、今回ももれなくオカルトワールドがセットになっているから、そちらがもう異常な速さで動いている。


結果だけ言えば、

・カードリーディングをしてイケメン上司向けのメッセージを書き下ろす

・自分癒しを本格的にこれから始める

という感じ。


この説明だけだと全く速さが伝わらないのが残念すぎるけれど、これまでさんざん癒しだの心理セラピーだのと色々やってきた私からすると、本来数年、最低でも2年とか3年かけてやるようなことがたかがこの1ヶ月ほどで起こっていて、そりゃもう肩で息をするような、息つく暇も無いみたいな、そんなバタバタ感で今に至っている。


少なくとも、イケメン上司向けにメッセージを書こうとなったのもとても急だったし、それもやったら終わり!(一度きり、その後の展開はなし)くらいな気持ちでやっていたけれど、まさかそこから色んなことが飛び火して「自分癒し」をしないと本当にいけない、と思うところに至るなんて、カードを読み解いている時は全く思いもしないことだった。


自分癒しもやりたいからやるというよりも、体の調子がさすがによろしくなさすぎて、やらないと絶対に良くならないだろうと思ったから。


やらなくてもいいなら、ダラダラしたいし色々面倒だと言ってしまったら本当にそうだから、私は「やらない」に落ち着くだろうけれど、いかんせん体はきちんとサインを送っていて、あとどうするかは私次第みたくなっている。


ちなみに体調不良と言っても、気まぐれな頭痛と頭の重たさが主たる症状で、残業できるだけの体力もあれば食欲は落ちないどころか旺盛で、はたからすると「元気な人」にしか見えないと思う。


医者に行くほどの不調でもなければ、寝込むような不調でもない。


更年期なのとも違うように思う。


さすがに本格的におかしかったら、何かしらの診療科を受診しようとは思うけれども、そういう不調とは違う。


さらに、最初は右側頭部がズキズキしていたから、その意味を調べると「過去を(過去の傷や痛みを)手放さないことで起こっている」とあって、ぐうの音も出ず。


4月1日が新月と知って、それでホロスコープ を出してみたら、公転周期249年(=360度1周するのに249年かかるということ)の冥王星が、まさに今私の生まれた時の子午線軸と呼ばれる軸上にピッタリ0度でのっかっていて、そりゃもう容赦なく変容エネルギー注ぎまくりだわねと思った。


ペンジュラムも浄化だと言うし、友人ノムに連絡して、ノムのペンジュラムにも聞いてと頼んだらそちらも同じように私の頭痛や体調不良は浄化と出たし、話聞いてても体の不具合じゃなくて不要なエネルギーを出してるイメージだと返ってきた。


そんなこんなで自分癒しの方に今は舵を切っている。







(話があちこちに飛ぶけれど、途中まで書いた2つのうちの1つがこの下のもの)


↓↓↓



実際のカードリーディングがどんな風だったのかについて書き残しておきたい。


始める前、要はカードを引く前の私は「愛」という言葉がそもそもカード上に現れるなんて微塵も思っていなかったし、そんな話をするつもりもサラサラなかったし、ましてや私だってそんなことに触れていいなんて考えたこともなかったから、とにかく出てきたカードに驚いた。


今書いてて気付いたけれど、もうあのカードは最初から現れることが決まっていたと思う。


私も触れる気がない以上は私が自ら触れるわけもなく。


ましてや相手はイケメン上司なわけで、仮にイケメン上司が私と普通に話ができるそこそこの友達的な付き合いがあったとしても、絶対に恋愛の相談なんてしないだろうし、愛について語るなんてことも絶対にない。


太陽が西から昇る以上に起こらないことだと私は思っている。


タブーな領域というか、絶対に触れられない、触れてはいけない、そういう領域のものという風に私の目には映る。


そんな領域のもの、もはやはっきりと提示されない限り私が口にするわけもなく、そしてイケメン上司が触れることだって絶対にない。


だからカードがあんな風にはっきりと出るしかなかったんだと思う。


それ以外に手段が許されていない、そんな風にさえ私は感じる。


しかも「LOVE」とはっきりと書いてあるカードは、去年のことでも今年のことでもなく、全てにおいての軸となるもの、それが全体の動機になることもあれば、全体の総括的なものになることもあれば、必要不可欠なテーマとして出たりと、一時的なものもしくはある特定の分野に関わるものではなくて、とにかく全体に関わるものとして出てきたものだった。


もしこれがなんとなく「愛」にまつわるようなカードや言葉だったりしたのなら、私は1億パーセント「愛」なんて直接的すぎる言葉は使わず、ごちゃごちゃとまどろっこしくなってもそのまどろっこしさの方が伝えやすいからそちらを選んだと断言できる。


あんな風に出てきたら使わざるを得ないし、私が勝手に解釈を歪めたり言葉を変えたりすることはできない。


基本的にカードリーディングでも誰かの魂的なメッセージをキャッチする時も、ズバリな言葉や表現が来た時には、私はそれを変えない。


変えるべきではないと思っている。


なぜならそれは私が勝手に変えていいことではなく、相手ありきの相手向けのメッセージなわけで、私は単なる受信係でしかないから、その役割を全うするだけ。


イケメン上司の魂もそういう意味でちゃんと人を選んでいると思う。


こうした見えない世界のメッセージを下ろす系の人の中には、自分の認知や価値観で勝手に言葉を変える人もいる。


だけど私はそれをしないし、ましてや忖度もしなければ相手を上げるための盛り上げるみたいなこともしない。


反対にとてつもなく言いにくいとか触れにくい内容でも、来てしまったのならそれを隠蔽したり裏工作せずに、伝え方は相当注意を払うけれども来たメッセージは伝える。


そういう風に基本来たままを真っ直ぐに伝えてくれる人ということで、私なんかはまさに最適な人物だったんだと思う。


あの人なら「愛」って真っ直ぐに言うから、本人も耳を傾けざるを得ないだろう、とそれこそ神々の審議会的なところで話し合われたかもしれない。


とにかく誤解のないように言いたいことは、あれは私の言葉ではなくてカードがそうだと言った言葉で、私はそれをそっくりそのまま書き下ろしただけだということ。


ノムから、私というのは、メッセージを受け取る側の人の心に、耳に届くように伝えることができる人だと言ってもらった。


イケメン上司から見てどのように映っていたかはわからないけれども、本当に1つでも何かイケメン上司の心や耳に届けられたとするのなら、本当にやって良かったなと思う。


反対に何も届いていなくても、とてつもなく貴重な機会を手にしたわけで、結局私の方には何かしら深いものが強く残っているから、私はイケメン上司の反応が何だったとしてもあのようにメッセージをキャッチして言葉にしてブログにアップして良かったと思っている。







細かい内容をいつ書けるのか自信がないから、数日経った今(4/3の夜)も記憶に残っていることをとりあえず記してこれはアップしたいと思う。


数枚のカードを使って、イケメン上司向けにメッセージをキャッチして書いたわけだけど、すっごい不思議な感じだった。


今回1枚だけカードリーディングをした瞬間の写真をアップする予定でいるけれど、少なくともそのカードたちを見ただけでは「何のこっちゃ?」状態なのが一般的な感覚だと思うし、私も今写真越しに改めて見て、よくぞ実際に書いた風に解釈できたなぁと我ながら感心した次第だけれど。


カードたちを見ていたら徐々に記憶が蘇ってきた。


カードリーディングをした時、カードたちを見て、英語のガイドブックで多分2文ないし3文程度の文章を見て、一気に色んなことが私の中で繋がって、ストーリーみたいなものが浮かんだ。


「見えた」と書こうとしたけれど、私は「視える」人では絶対にないし、何か聞こえるのとも違う。


一番状態として近いのは「浮かぶ」感じ。


その浮かんだことが、本当に土足で立ち入っちゃいけないことは感覚で察知したし、これ書くの?えっ(꒪ꇴ꒪)?書いちゃう?書かなくていいかな?とかいう自問自答がしばらく止まらなかった。


もちろん何があったとかいうことはさっぱりわからない。


わからないけれども、1つだけはっきりとわかったのは(カードにそう出ていた)、過去の人間関係の中ですっごい傷ついたことがあっただろうこと。


それが、例えば虐待とか私みたいにすごい酷いいじめとかそういうわかりやすいことではなくて、第三者からすると一見して全然悪くなさそうなのに本人にしたら、すごく大切にしていること、大事にしていることを、自分がそれを分かち合いたいと思う相手に上手く伝わらなかったとか、踏みにじられたとか、理解されなかったとか、それが何かなんて私にはわからなくても、とにかくそういう非常に言葉にしづらいことでの傷なんだろうことはカードがそうだというのを見せてきた。


オラクルカードも合わせたら、かれこれ10年以上色んなカードに触れて、さらにはカードリーディング的なことをしてはいるけれど、今回ほどとてもクリアにはっきりとしたものが瞬時に浮かんだことはこれまでにない。


これがどこまでが私の思考回路でどこからがオカルトワールドからやってきている情報なのかさっぱりわからなかったけれども、イケメン上司が人との関係で絶対に自分側の線というか境界線みたいなものを相手が踏み越えてこないようにバリアを張るみたいな姿も思い浮かんだ。


イケメン上司とおそらく今も繋がっているだろうSさんがいつか私に言っていた、「〇〇さん(=イケメン上司)に、個人的なことは絶対に聞かないです、っていうか聞けないです」みたいな言葉も思い出した。


それはとても想像できるし、当時はそう聞いてもそれがイケメン上司のスタイルとか個性くらいにしか捉えてなかったけれど、今回カードを見て、プラスこの5年近い時間を費やしてみて、イケメン上司がバリアを張るのは自分が傷つかないための自分を守る手段として持っているものなんだろうなと思った。


人と関係を持つ、関係を深めることに対して、すごい恐怖感や逃げたくなるような感覚が常にあるタイプじゃないかと思った。


(心の声:こんなこと書くつもりもなかったけれど、このように言葉が出てくるから、とりあえず書き続けてみようと思う)


とにかく、イケメン上司の心の中でものぞいてるんじゃないかと思ったくらいに(見るつもりはなかったけれどごめん、ごめん、ごめんと謝りながら)、自分自身のカードリーディングする時よりもうんとわかりやすい状況が瞬時に浮かんだことには自分でも驚いた。


状況と言うよりも状態とか心の背景というか、そんなのが見え隠れしていた。


だから「LOVE」という単語がはっきりと出てきたこともある意味とても納得というか、そこだよね、テーマ、という感じがした。


さらに今冷静になって思い出すと、「safe」という単語も出ていて、とにかく安全であることが本当に大事だというのは、裏を返せば安全だと感じられないと自分が踏み込めないからこそ、安心安全であることがとても大切な条件なんだというのもわかる。


そんなにはっきりと出ている中で、愛に対してイケメン上司側があきらめていないことが伝わってくる。


古傷が疼いたりするから積極的に関与したいこととは違うだろうけれど、人を愛すること、人から愛されることに対してあきらめていない、そんな風に感じる。


当初そんなカードやカードから伝わるストーリーみたいなのが出てくるなんて想定すらしてなかったから、なんとなく仕事とか人生全体の何かとか、そういうメッセージをキャッチするものだとばかり思っていた。


でも出てきたのは、心の深いところにしまってある思いとか声とかそういうもので、私の中では踏み越えてはならない一線を越えてしまって、自分がそんなことを果たしてして良いものなのか、そこをまずは何よりも疑った。


余計なお世話なのは目に浮かぶし、頼まれてもないし、第三者から絶対につっこまれたくないだろうテーマだろうと思った。


でもだからこそ伝える必要があるのかもしれないとも思った。


40歳も超えたバリバリと働いている男の人に「愛」とはなんぞやなんていうことを真面目に伝えることなんて、超絶おかしな話なわけで、大体おまえ(=私)はどうなんだ?というツッコミどころ満載な内容だし、おまえには言われたくない内容の最たるものである可能性はめちゃくちゃ高い。


そういうことを言い出したらいくらでも何とでも言えてしまうけれども、そういうことは脇に置いてでもあの時は伝える必要のあることだったんだと思う。


残りの人生でイケメン上司が知る必要のある、そこは避けて通れない大切なことだからね、のメッセージだったんじゃないかと思う。


それはとっても怖いことだろうとは想像できる。


でもこれまで色んな人たちにメッセージを伝えてみてわかった1つの法則は、伝えられるメッセージには必ず希望が託されている。


その人の人生が今よりも生きやすくなったり、本人が本当に望む方向に近づいたりできるように、メッセージがどんなに辛辣でもそこには絶対に希望が込められていて、そういうものが私のところにやってきて本人に伝わるような算段が整えられる。


まず1つ絶対的にクリアしてないといけなかったのは、イケメン上司が私のブログを訪れるということ。


メッセージというのは、本人にきちんと伝わることが何よりも大事だから、本人にとって耳の痛い内容であったとしても、一番受け取りやすい形態で伝えられる。


例えば1年後に同じようなメッセージを伝えることになったとしても、その時にイケメン上司が私のブログをチェックしてくれるという保証はない。


今は本当に「満を持して」という雰囲気が漂いまくってる。


そして私が一方的に書くように、イケメン上司も自分のタイミングで見て好きに咀嚼できることが大切なんだとも思う。


それこそ見たくなければ見ない選択肢もきちんとあるし、自分の身を安全な位置に置いてメッセージに触れることが今回はとても大事だったんじゃないのかなと思う。


そんなこんなの状況はとりあえずクリアしていて、あとは少しでも多く大切なことが本人に伝わるように紡がれたのがあのメッセージだったんだと私は思う。


そして色々あっても、人生にはいつの時も希望の光が残されていること、その希望を形にもできるし、自分の人生にも取り込むことができる、そういう願いが込められていたように感じる。


ちなみに参考までに、ここ最近した人たちのカードリーディングのテーマは、1人は自分の声を外に向かって出していく、自己表現+人間関係のテーマだったり、1人は社会的な得する条件よりも自分の信じた道を貫き通すことだったり、また別の1人はこれから大きな転換点を迎えようとしていることに対して選ぶことの基準は自分がしっくりきているかどうかということだったりと、少なくとも愛がどうだなんていう内容では一切なかった。


だからイケメン上司に向かって放たれたメッセージは、それこそが本当に今のイケメン上司に必要なメッセージだったと思う。







最後に、愛にまつわることで自分癒しをしばらく徹底してやるという話をノムにしたら、ノムが紹介してくれた本があって、それがすごく良かったから紹介したい。(私も注文したばかりで全容は全く知らない。)


『愛するということ』エーリッヒ・フロム著


Amazonで少しだけど試し読みもできる。


ノムが説明してくれて印象的だったのは、愛というのは先天的に備わっていて勝手に湧くものというよりも、後天的にトレーニングを積んで身につけていくものだというようなことが本に書いてあるらしい。


寝落ちしそうになりながらこれを書いているから私の説明だとかなり怪しいけれど、気になる方がいたらAmazonで試し読みすると本の雰囲気が少しは掴めると思う。


読み返す体力も勇気もないから、今日はこのままでアップ。


色々行き過ぎた表現があったのならごめんなさい。

先に謝っておく作戦()