2022年4月6日水曜日

4月の最初の月曜日【舞台裏その2】

左の本は3冊目のタロット関連の英語の本。
タイトルにある「Journaling」に相応しく、
この本とタロットカードを使いながら
日記を書く風になっている。
その日記風なことを書くためのノートが写真右。
この本から今回のイケメン上司の
誕生日メッセージとその舞台裏について
4月最初の月曜日の朝、
ビッグヒントをもらうことになる。

自分でノートをアレンジした!
表の「inspire」(ひらめき)
と書かれたシールがとても気に入っている!

200枚のノートの厚さ。
厚さがこの写真で伝わるかわからないけれど、
一生日常的に使うことを見越して
この厚さのノートにしたかった。



舞台裏の話も引き続き書き残したいと思うけれど、色々一気に動きすぎているから、オンタイムの話を今回は挟みたい。


4月の第一月曜日の今日、4日の話。







つい数日前から私は朝小さな日記みたいなものを付けるようになった。


日記ではなくて、正しくはタロットカードにまつわる1つの質問に答えるというもの。


イケメン上司の誕生日の日、私が注文した3冊目の英語のタロットの本が到着した。


その本というのが、1枚のカードあたり約60個の質問が書かれているもので、例えばの質問として「あなたの魂があなたに話しかけてるとしたのなら、何をあなたに伝えるでしょう?」みたいなのとか。

”Journaling the Tarot: Evolutions” 

Andy Matzner著)


毎朝、これまで通りのルーティンとしてタロットカードを1枚ペンジュラムに選んでもらって、それを見ての一言メッセージをまずはノートに書いて、さらに次にまたペンジュラムに質問の番号を選んでもらって、その質問に答えることをしている。


大学ノートで3行くらい書いて終わる。


余談だけど、それを書くためのノートが欲しくて、とうとう先週の金曜日の仕事の後、200枚ノートを買ってきた()


近くの大型文具店にはなくて、20数キロ離れた文具店にまで足を伸ばした。仕事とは打って変わって、すごい体力を発揮٩•̀- )و 


で、月曜の朝に当たった内容が、今週自分のありのままの愛を表現する一番の良い方法って?みたいな内容で、朝から「愛」、それも「LOVE」の方じゃなくて「loving」と現在進行形の単語が充てがわれていた。


それに対して私が書いたことは、

・自分の中にあるものを言葉で表現して伝えること

・そこに希望がちゃんとあるんだよということが伝わるように言葉をおこすこと

だった。


この質問を見て、まず私の中で思い浮かんだのは、この「舞台裏」シリーズだった。


本当に最後まできちんと書けるのかかなり自信がなくなってきたけれど、それじゃダメなんだと思った。


愛とかlovingとかそういうのはさておいて、私が見た風景は、見ているのはたしかに私だけれど、それを伝えることが私に託されているように感じた。


イケメン上司と私とがどうであるとか関係なく、とにかく私が持っている情報を余すことなく伝えることが大事なんだと思った。


すんごい繊細な部分に土足でドカドカと踏み込んでいる自覚はものすごくある。


時間が経てば経つほど、私がそうしたくてしたと言うよりも、それをする必要があってカードリーディングの着想を得て、さらには実際に書いたようなことをイケメン上司に伝える必要があって、それの言葉の紡ぎ手として私がたまたま選出されたんじゃないかと思っている。


宇宙なり神々の審議会なりの采配めいたものを感じて仕方ない( ̄∀ ̄;)


それこそ山で行方不明になったおじいちゃんが、おじいちゃんと家族とを繋げるために私のところに現れた(と言っても私には見えないし感じることもできずに、霊視ができるヒーラーさんを通してではあったけれど)みたいな、そういう係分担的な感じで私にイケメン上司へのメッセンジャー係が回ってきたんじゃないかと思っている。


言い訳じみているけれど、本当にそんな風に感じている。


だからこそ、舞台裏の話も書いてアップすることが何よりも大事なんじゃないかと思った。


きちんと心を込めて書くこと、それを求められている、誰から求められているかはわからないけれど、そういう感覚が湧いて出てきた。


もし私が書かなければ、全ては迷宮入りをして終わる。


この距離感を思うと、イケメン上司側は知ることが大事だとするなら、私と接触しなくても済む今の方法が一番良いのかもしれないなとさえ思ったりもする。


対面とかだと逃げ場がないけれど、今なら読み逃げって言葉は悪いけれど、読むだけで終わらせられるし、読みたくなければそれを読まない選択肢もある。


どういう風にイケメン上司がするかはさておいて、私側にとって大事なのはきちんと言葉を用意してイケメン上司が読みたいタイミングで読めるように準備をすることだと思った。


そしてそれは私にしかできない。


私の見ている景色を他の誰かが言葉にすることはできない。


だから私がきちんと言葉で書いて、少しでもイケメン上司がその内容に触れられるようにするのが私に託されたものじゃないのかなと。


そして1つ前のブログにも少し書いたけれど、今回イケメン上司へのメッセージを書いて初めて気付いたけれど、私がメッセージをキャッチして書く(伝える)内容というのは、そこに希望が託されている。


まだまだ人生にはきちんと可能性も希望もあるからね!っていうようなことが、本人にだけわかるように中身が構成されているように思う。


書き手は私だけれど、中身は私が考えてるのとは違うから、それはあくまでも私にも次の誰かにバトンを渡すために渡されたもので、私が個人で考えて編み出してるわけじゃない。


その希望も、私が口を開かなきゃ本人に伝わらないことで、私がそれを全うすることが大事なんだと思った。


「今週」ときちんと限定されて質問されていたから、この今の状況下で私がすることは、この舞台裏を書き上げてブログにアップすることだと思った。







ここからは、かなりやるせない気持ちになったことを書きたいと思う。


私は数週間先のとある友達への誕生日プレゼントの用意を始めた。


これはAll手作りで、どこからどう見てもコテコテの超手作り感満載のものになる。


で、その手作りプレゼントがこの上なく楽しい作業で、そこでも私は1つの工程として「書いている」。


絶対に喜んでもらえる自信もあれば、手に渡った本人がそれを生涯大事にしてくれるだろうことまで想像がつく。


そして私の趣味が全面的に出ている今回のプレゼント作戦は、用意する側の私にも楽しい気持ちを存分にプレゼントしてくれてる。


作りながら、鼻歌でも歌っちゃうよー♪みたいな気持ちになった自分を見て、イケメン上司のメッセージを書いていた時とは雲泥の差であることに気付いた。


受け取ってもらえるかどうかもわからない、スーパーお節介ババア、妖怪お節介ババアみたいになってガンガン境界線をぶち破って、タブー的なメッセージ書いて、そして突然ブログにアップなんかされて、必要なことなのかもしれなくても、イケメン上司には迷惑とかやめて欲しいと思われてもおかしくない、そういうことの不安と心配が絶えずあった中でのプレゼント準備だったわけで、今回のプレゼントとは全く異なる。


必要なことがイコール歓迎されることとは限らない。


単純に、イケメン上司にも喜んでもらえる!って確信を持って準備できるような関係だったのなら良かったなと心底思った。


コテコテの手作り感満載でも、境界線ぶち破りでも、耳の痛いメッセージでも、それが望まれていたのなら私もルンルンで用意できたと思うけれど、実際はその真逆で、最初から最後まで「こんなこと、私がやっちゃっていいんだろうか?」っていうのが消えなかった。


というよりも、公然として堂々とプレゼントを用意して渡せる関係にただただ憧れた。


こんな風にコソコソ、そして他人行儀みたいな感じじゃなくて、それこそラッピングからこだわって用意できるような、そして相手も喜んでくれると確信を持てながら準備できる、その関係性に憧れた。


自分のしていることに後悔はないけれど、これで良かったかどうかは私もわからないし、仮に良くなくても「仕方ないよね」とあきらめる、そんな風に自分を仕向けることのさみしさをひしひしと感じている。


友達のプレゼントの用意は、8時間労働の後にやってるとは思えないくらい、超エネルギッシュで、超楽しかった。


そしてこの楽しい作業を友達の誕生日の時まであと10数回は味わえる。


贈る側も贈られる側も両方がハッピーなプレゼントって、そんなものの方が稀なのかもしれない。


私が選んでやっていることだというのは重々承知しているけれど、この天と地ほどの差がある2つのプレゼントの用意を体験してみて、私としては普通に違和感なくプレゼントを準備して渡せる関係に憧れて仕方ない。


もはやイケメン上司側からしたら、プレゼントにさえ見えないシロモノだろうから、さらに一層闇の度合いが高いななんて思った。


せめて罰ゲームみたいな毛色になってないことをひたすら祈るしかない、そう思っている。







自分を癒すために、手始めに過去の日記帳を読むことを最近始めた。


そこにはイケメン上司がまだ新潟にいた頃に書いたものもあって、癒しそっちのけでそちらの方を読み始めた。


「こんなに体中、心の奥底から表面に至るところで色んなことを感じているのに、何もない出逢いで終わることなんかあるのかなと思ってる。」

(2017年9月18日)


言葉で表現するのは難しいし、この説明が難しすぎる状態を言葉で説明するのも不可能に近い。


ただ1つだけ当時の私に言えることがあるとするなら、「何もないまま終わることはないよ」ということ。


イケメン上司と同じ職場に行っていた頃、感覚的に本当にぶっ飛んだ感じの、過去に一度も体験したことのない感覚を私は文字通り「全身全霊」で感じていた。(感覚だけに絞って言うと、当時と変わらない。変わらないどころか進化を遂げた感じさえある。)


だけど、目の前の現実は何の接触もないどころか嫌がられてる風なわけで、だから私は自分の感覚の方がおかしいと思った。


感覚と目の前の現実のギャップが凄すぎて、私は現実を見ようとした。


感覚の方ではなく現実がすべてだと思うように自分を追い込んだりもした。


まさか5年以上経過したある時に、タロットだのカードだのを使ってメッセージをキャッチして、キャッチしたものを言葉にして、ブログにアップして、それをイケメン上司に届けようとするなんて、しかもかわいらしい内容じゃなくて耳の痛い内容を容赦なく書くなんて、色々普通じゃない。


これを縁と呼んでいいのかその辺りも甚だ疑問だけど、少なくとも「何もないまま終わる」んじゃなくて、とっても不思議な方向にその後(=今現在)舵がとられるようになった。


物理的な距離を超えて色んなことが起こる(起こせる)のは、やっぱり魂的なテーマがでんとそびえ立っているからなのかなと思っている。


自分癒しのために日記帳を開いたのに、結果的に当時の自分に会いに行って、色々感慨深いものを感じつつ、何もない終わり方ではなくせめて何かしらは動いた今の現実に私は実はとっても救われている。


イケメン上司の誕生日が起点となったわけだけど、結果的に私の方がプレゼントを受け取っている。


毎度のことながら、本末転倒具合がすごいけれど、本当にそうなっている。







月曜日の1日は、


>朝、1日の始まり


「舞台裏」を含めて、きちんと最後まで伝える必要のあることは書いてブログにアップしてイケメン上司に届くようにしようと決意。



>夕方


友達の誕生日プレゼントの用意を始めて、イケメン上司の時にした用意(カートリーディング)の時と全く違う様子に愕然とする。

喜ばれないどころか負担や迷惑だとかいうことをひたすら心配しながらしていた準備だと気付いて、わかってはいてもいたたまれなくなった。



>夜


イケメン上司が新潟にいた頃、それも転勤でいなくなる直前の頃の日記帳を見て色んなことを発見する。

「何もない」ことを心配というか気がかりにしていた当時の自分からは想像もできない今にいるということに気がついた。



というようなことが1日の中で起こるわけで、普通に起きて支度して仕事行って帰ってきて自分の時間を過ごしたに過ぎない、普段と変わらない1日だったわけだけど、心の方は5泊6日とかの海外旅行にでも行ってきたの?くらいの色んなことが一気に起こっていた。


翌日の火曜日(この部分を書いている今は水曜日の朝)にはさらにまた違う心理的変化を迎えるわけだけど、それはまた別の記事で書いていこうと思う。


そして話があちこちに飛び過ぎているけれど、カードリーディングした時の舞台裏についてはきちんと最後まで書いて書き終わったらアップする予定。

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