小さな自分が出てきた。
正月早々、風邪のような症状でダウンした。
最初は喉の痛みと少しばかりの咳。
そのうち頭痛と節々の痛み。
微熱から一気に38度台後半の発熱。
姪っ子と妹が風邪菌を持っていたけれども、私以外誰ももらっていないところを見て、もしかして浄化!?と思った。
ペンジュラムに確認すると、風邪ではなく浄化らしい。
年末は浄化のエネルギーが強くて体調不良になる人が多いといくつかのブログで目にしていたけれど、私には今回それが来なくて、とうとう大浄化も私は抜けて健康体を手に入れたんだ!と喜んでいたら、正月早々体を悪くした。
なんとなく想像していたけれど、熱は一晩で下がった。
私にとっての浄化のための体調不良、特に発熱は、基本的に長引かない。
だけど、喉の痛みと節々の痛みはパワーアップした。
不具合が起きているのは、何かしら気付いてねのサインだと思っている。
熱が出た1月1日の夜は、1時間おきにトイレに行った。
汗もかかず解熱したから、多分このトイレ作戦が功を奏したと思う。
真夜中に1時間ごとに起きてよく眠れなかったことと、熱で頭がボーッとしていたことで、出てきた出てきた。
なんとなく予想はしていたけれども、小さな頃からの自分が出てくるのが今回大事だったんだと思う。
「小さな頃の自分が出てくる」というのは、本当に立体的に小さな自分が現れるんじゃなくて、小さな自分が感じていた感覚がほぼそっくりそのまま出てくる。
小さな自分は心が剥き出しみたくなっていて、本当にそのまま色んなことをストレートに感じる。
その分ものすごく傷付きやすいけれども、代わりにその自分が出てくるとちょっとだけホッとする。
普段はその自分は出てこない。
理性や大人の自分が抑え込んで出てこない。
だけど、発熱とか普段とは違う体調になって色々体が緩んだ時や心が朦朧とした時に、そういう自分がひょっと出てくる。
今回も今回ですごく不思議な感じだった。
4歳の姪っ子とのやりとりで、子どもの頃の自分が出てきた。
姪っ子は1対1の時はいいけれども、大人の人数が増えれば増えるほど、変な優先順位が現れて、私なんかは露骨に意地悪を被る。
「ふみこはダメ!」などと言われたり、本気の嫌がらせにしかならないことをされたりして、決して気分の良いものではない。
ちなみに今はこうでも、時間の経過と共に変わってくると思っている。
児童養護施設で働いていた時もそうだったけれども、私は決して子どもウケするタイプの大人じゃない。
最初から子どもに好かれるタイプの人というのはいて、私はその空気はどうやっても出せないし、そんなことで勝負しようなんて思わない。
ただ、根性だけはあるから、子どもとどんなにぶつかって嫌な感じになっても、それはそれ、次は次と割り切って付き合えるのと、自分の感情で子どもを振り回したりはしない。
ダメなものはダメとどこまでもはっきりと言うけれども、自分の感情に任せて相手を怒ったりなじったりとかはしない。
そういうことが子どもたちも肌感覚でわかってくると、私に向けてくるものが変わってくる。
子どもが心を開いてくる。
時間も労力も半端なくかかるけれども、誠実に勝るものはないと私は思うほど、人間関係ではそういうことが大事だと思っている。
姪っ子はさておいても、そんな風に小さな自分が出てきて、自分が超がんばってがんばってがんばり抜いて今があるんだと知った。
大人の私でさえも戸惑う。
明らかな意地悪だったらまだ何だかんだと言葉で説明できるけれども、そうではない絶妙な態度で拒否や否定、無視をするのはどう伝えてみようもない。
ちなみに姪っ子は多分意図的にしている。
怒られたいとかいうのよりも、多分私の反応を見ている。
要は、自分の一番醜い姿を私には見せている。
明るくて朗らかなところではなく、意地汚くて意地悪い自分を見せる。
こんなに意地悪してもふみこは好きでいてくれる?という挑発的なものを感じる。
可愛くて愛くるしい自分が愛されるのは肌でわかると思う。
でもそうではない自分も愛されるかどうかはわからない。
でも小さな体の中にも腹黒さや意地悪さはきちんとあって、普段はそれを出せないんだと思う。
そこで自分の命が危なくならない相手で、尚且つこの人なら受けてくれそうというので私にそんな面白くない役割が回ってきてるんじゃないかと思う。
現に、姪っ子は意地悪をする時に私の顔をガン見して私の反応を確かめたり、不意打ちに私にすり寄ってきて可愛らしさをアピールしたり、かなり面白いことをしている。
*
姪っ子とそんなやりとりがいくつかあって熱でうなされていた時に、小学校1年生か2年生の頃のシーンが出てきた。
いじめられるシーンといじめっ子が自分にすり寄ってくるシーンとが続けて出てきた。
私は毎回どのように親に説明していたのか知らないけれども、帰り道の途中に神社があってお清めの水場のすぐ前を通る時、しょっちゅうその水をずぶ濡れになるまで掛けられていた。
服とかが濡れてるのは明らかにおかしいのに、私は素知らぬ顔をして家に帰っていた。
親が気付かなかったかどうかはわからない。
だけど私はしれっとした顔で何事もなかったかのようにしていた。
書いてて思い出した。
これは予想でしかないけれども…。
その後も大人になるくらいまでの年齢域で私は何回か自分の身に危険が及ぶような状況に遭遇したことがある。
子どもの頃もその後のもう少し年齢域が上がった頃も、本当に身の危険が迫ると私は声を出せなくなる。
「助けて」の一言が言えない。
今はそういうことに出くわしてないからどう反応するかは知らないけれども、少なくとも成人前の私はあまりの恐怖で完全に声を失い、ひたすら耐えることしかその時々はできなかった。
だから子どもの頃も、ものすごく嫌だったけれども、声を出さなかったのではなく、出せなかったのではないかと思う。
そこにプラスして、帰り道の2人のいじめっ子のうちの1人が休むと、今度は手のひらを返したようにもう1人は私にやさしくなって仲良く話をしてくる。
素直に私はそれを喜べなかった。
今日だけやさしくて、また明日になってもう1人が戻ってきたのならまたいじめられる、そう思うと何で今だけやさしいのか全く理解できなかった。
そんなことを姪っ子とのやりとりを通して思い出した時に、今大人になった私でさえもさぁどう姪っ子に振るまおうかと考えるのに、小さな自分はどうやってそれらを対処していたのか、想像を絶するものがあった。
しかも大人になった私は心理セラピーの方法なんかも身につけて多少の知恵があるけれども、子どもの私にはそんな頼れる手段なんかなかったから、その時その時で小さな体で目一杯戦っていたんだろうなぁと思う。
そういう自分のことが今回の発熱の時にひょいと出てきた。
その自分と今の40歳の発熱の自分とは関係ないけれども、「そうだ」と思いついて、真夜中に果物缶を開けた。
本当は白桃や黄桃の缶詰を想像していたけれども、あったのはなんと生まれて初めて見たアプリコットの缶詰だった。
子どもの時に発熱すると母がいつも果物缶を開けて食べさせてくれたことを思い出して、それを今度は大人の自分が自分にしてあげることで、なんとなく子どもの自分が癒される気がした。
今回の体調不良は、長いこと自分の体の中に溜め込んだ負のエネルギーを外に解き放つ、そのために起こっている気がした。
*
もう1つ気付いたことがある。
私が高校以降繋がった人間関係というのは、1つには相手の人が気分によってコロコロ変わらない人だということ。
相手の出方が読めないようなタイプの人は私が苦手とするから、仕事とかでどうでも関わらないといけない場合でもなければ、親しい人間関係の中ではそうした人とは絶対に仲良くならない。
人間誰しも感情の起伏はあるけれども、それを周りに巻き散らしてしまうような人は私は苦手だし、そんな人と付き合いたくない。
派遣に行くと大体その手の人が必ずと言っていいほどいたけれども(派遣・正社員問わず)、個人としては絶対に関わり合いになりたくないと思った。
もう1つは、私がどうであれ、相手から見た時の私の価値観が同じ人というのを大切にしている。
いじめっ子の片割れが休むと親しくされる件も、私には本当に不可解なことだった。
昨日の私と今日の私とで差がないのに、どうして状況が変わると関係性や私の人としての価値みたいなのが変化するのか、全く理解できなかった。
この手のタイプの人も苦手だから、私はそういう人のことはとにかく避ける。
そして、これはニートや引きこもりのような状態になってより一層はっきりとしたことだけれど、そういう時こそ相手と自分の関係の真価が問われる。
そうした状況下にある私自身を否定する人とは関係を続けていけない、そう感じた。
これは言葉とかではなくて、超わかりにくいどころか私にしかわからないような感覚かもしれないけれども、たとえ同じ言葉をかけてきても相手がそれを私をまるっと受け入れて言ってくれているのか、反対にある部分の私を否定して言ってきているのか、その差がわかる。
前者は言われても変な感じはしない。
でも後者は言われるとすごいグサッとくる。
しかも後者のタチの悪いところは、本人は良かれと思って言ったり態度で示したりするところで、だからまさかそれが私には凶器のようになっているなんて本人は全く思ってもいないだろうと思う。
30代の10年間を通り過ぎて学んだことの1つは、何をしていても何をしていなくても、私そのものは変わらないし、そして私の価値そのものも変わらないということ。
社会の役立ち度ゼロで周りに迷惑かけてる度マックスでも、それで私そのものの価値が左右されるなんてことはない。
周りの評価はたしかに変わる。
だけど、それはそれだし、それに合わせて私の価値を自分の中でも変える必要はないと知った。
そして、そうなった時に本当に周りの人たちの考え方や価値観も見えてくる。
良し悪しはないし人それぞれだけど、ドン底をいくような時にそれを良しと思わない人たちとは長く付き合えないと思った。
良しと思ってない人たちは、見えない部分で私を否定しているのがわかる。
それは居心地が悪いし、自分が何か大きく間違えてしまっていてダメな人みたいに映って仕方なかった。
ただでさえ罪悪感満載、後ろめたさや自己否定の連続しているところに、さらなる追い討ちが来る。
私ももしかしたら見知らぬところでやらかしているかもしれない。
でも、できる限り、窮地に追い込まれている人をさらに窮地に追い込むようなことだけはしないにしようと思った。
*
微熱に戻って元気が出てきてから、久しぶりにリマーナすず先生のブログを開いた。
すず先生は占星術家で私が2018年の夏に個人鑑定を受けてきた先生。
時々、1ヶ月から2ヶ月に1回の頻度で先生のブログをチェックする。
すず先生のブログをチェックするのは目的があって、先生のブログは超マニアックなホロスコープの解説について教えて欲しいとコメントする人が後を絶たなくて、それに対してすず先生も無視せずに丁寧に返信している。
それが読みたくてチェックしている。
個人的にはマニアックな人たちはきちんと個人鑑定受けてください、と思うけれども、それとは別にその人たちの質問のおかげで私も新しく知れたりすることもたくさんあるから、恩恵に預かっている。
今回このタイミングで見た新しいコメントの内容は、今の私にピッタリのメッセージだった。
コメントで見かけたのは、私と同じ相を持つ子どもについて相談している母親からの質問だった。
(https://hapihapiastrology2.blog.ss-blog.jp/list_comments/16459342/)
↑リンク飛ばないけれども、それが書いてある場所。
『学びに関して長い期間、努力を続けることになるでしょう。』
すず先生はそのように返していた。
それを見て、「あっ!」となった。
これが学びかどうかは知らないけれども、私のこの自分の振り返りはある種尋常ではないと思う。
前は誰しもがするとは思わなくても、逆にする人もいるでしょうと思って特別とは思わなかった。
ある時から、占星術講座のクラスメイトだったノムから、ぶっしーのそのひたすら自分を見る習慣というのは普通じゃないし、ぶっしーほど自分を振り返る人もいないと言われて、それで初めてそれが普通じゃないんだとようやく自覚できた。
だけど、ノムもノムで私みたいにしているし、他にも同じようにやる人に何人か出会ったことがあるから、やっぱりそんなに特別とは思わなかった。
だけど、今回この体調不良のタイミングですず先生のコメントを読んでハッとした。
この自分の内面をひたすら見ることや、熱まで出して体はマックス具合が悪いのに、そんな最中に子どもの頃の自分の感覚を思い出して癒す行為を行うなんて、どう考えても普通じゃないなぁと。
そして努力しているつもりはないけれども、自分の心のケアについては長いこと学びを続けているのは本当だなぁと。
最近じゃ、こうした不具合が出ると、過去の自分の感覚が出てきたら、その感覚の瞬間をわざと自分の中で追体験して、それをスローモーションのように再生して、どこで私がこの感覚に至ったのか、何をその感覚と感情を結びつけたのか、そんなことの分析までしている。
そんなことして何の得になるのかなんて考えず、むしろやっても得にならないとも思うけれども、ほぼ自動的にそれをしてしまう。
ちなみにこれをすると、心の傷が和らいだり、自分が楽になれたり、はたまた未来の危険に備えたりできるから、そういう意味でやっている場合が多い。
人間の心なんて本当に複雑怪奇にできているから、基本的に機械のようにAを押したらaになって、Bを押したらbになるみたいな単純構造とはいかない。
いかないけれども、それを細かく見てあげることで自分が救われたり楽になれたりすることはある。
そういう意味で私はずっとそんなことをまるで毎日ストレッチする人のように自然とやっているし、それをすず先生の言う『学びに関して長い期間、努力を続けることになるでしょう。』に当てはまるんじゃないかなと思った。
超ぶっちゃけたことを言えば、世の各種心理サービスを提供している多くの人よりも圧倒的に私は自分を使って自分を見ていると自負している。
ブログの記事を1つでも読めば、その人の思考の癖とか価値観とか軸となる考え方とかが1つは確実に見えてくる。
なぜなら、自分で自分を見まくって、そして心理系でもスピ系でもたくさんの書物を読んできたから、そうした諸々の積み重ねでわかってしまう。
すず先生は同じコメント内で続けてこんな風に言っている。
『彼にしかわからない敏感な感覚だったり
複雑な葛藤を抱え、回り道をしがち。』
私のそうしたマニアックな分析から得たものは、それこそ「私にしかわからない敏感な感覚」に当てはまる気がする。
「複雑な葛藤」もこれかな…と思い当たる節がある。
例えば姪っ子にしても子ども時代のいじめっ子にしても、他の人たちと私とに何の差があるのか私にはわからない。
なんだか意味のわからない嫌がらせを受ける、だけど状況が変わるととても親しみを示される、それが私には不可解すぎる。
もちろん人間だから一定ではいられない。
だけどもこうした類いの状況を幼い頃から山ほど体験してきた私にとって、相手の出方が読めないのは相変わらずだし、それによってこれまでは自分もグラグラしまくりだったから葛藤もその分多かった。
最近は開き直って、それがたとえ姪っ子であってもされて気分の良いものではないけれども、それは私の問題じゃなくて相手の問題なんだと思うようになった。
私が何か嫌がらせをしていてその仕返しとして嫌がらせを受けるならわかる。
でもそうじゃない。
何もしてなくても、突然攻撃されたりするわけで、私が当たりやすいのかもしれないけれど、だからと言って私が悪いのとは絶対に違う。
でも、こんなこと言いたくないけれども、こうした状況がたくさんあったことで私はここまで自分を見る習慣を身につけたと思っている。
そういう意味不明な状況は山ほどもたらされてきたから、ある意味慣れている。
自分で言うのもなんだけど、ここまで本当に色んなことを体験してきて、それでもひねくれず相手に仕返ししようともせず、精神的に投薬治療や入院を伴うほど病んだり、はたまた誰かに危害を加えるとかしない自分を見て、本気ですごいと思う時が時々ある。
メンタル強めだと思う。
そりゃ独特の感覚も育ちやすい環境にあったなぁと思う。
とにかく、今回のタイミングですず先生の言葉を見つけられたことはとってもラッキーだった。
自分で自分の人生を肯定できるヒントがそこにはあった。
*
体が不調でもブログを書く元気はあった。
そして、小さな自分に戻ったみたいになって、その時の自分を振り返る元気もあった。
相変わらず怪人級のメンタルだなぁ…と自分で思う。
体の具合が悪いのにできるわけだから、これはある種の才能だとさえ思う(笑)。
2020年1月3日金曜日
2020年1月1日水曜日
2020年マイテーマ:100年先に引き継がれるもの
迎春2020〜令和2年
お飾りは通り過ぎたホテルの前のもの
この1年、そしてここから先の長い人生の中で自分の軸にしたいものの記録。
「100年先の時代にも引き継がれるもの」
何年か前に名古屋の美術館で見たゴッホ展で一番印象に残ったのは、ゴッホの絵よりもゴッホのことをまとめたDVDのワンシーンだった。
ゴッホは「100年後の人たちが見た時に、絵の中の人がそこにいるような肖像画を描きたい」と、それを念頭において絵を描いていたとのこと。
今も使い続けている木のテーブルは、一枚板でオーダーメイドで作ってもらったものだった。
2010年に一人暮らしを始める時、テーブルだけはこだわった。
自分と共に年月を重ねるもの、そのテーブルの上で思い出を紡いでいきたい、それができる一生モノのテーブルを探した。
そしてオーダーメイドも予算内でいけると知って、唯一無二のもの、世界に1つしかないテーブルが欲しいと思った。
冬が始まる前から手伝い始めたヨシダさんの農業の手法の資料作り。
そこには、人間と自然が地球に在り続ける限り、絶対的に必要とされる自然の循環にまつわる知恵が記されている。
100年ではなく、何百年とこれから先も引き継がれるであろうことが描かれている。
東日本大震災の被災地を何年もずっと訪問している友達がいる。
友達が着眼して絶対の必要性を訴えているものは、これから先、災害対策で間違いなく絶対に取り入れられるものだとわかる。
まだまだその考えが全く受け入れられない異質なものだけれど、それは災害大国日本で、そして少子化が進む日本で、避けては通れない対策で、そして友達が目をつけたところは1人の命だけじゃなくて地域全体を救う事業に間違いなく発展していく。
友達は近い将来、その分野のパイオニアになるかと思う。
12月から行き始めた英訳の仕事。
来月からは本格的に、私が訳す文章が何十年先、100年先の時代にも引き継がれるものの1つや2つには少なくともなるだろうと思われる。
*
2019年最後の週に友人ノムと交わした会話の1つに、「手紙」があった。
英訳の仕事の教育係の人が月末で辞める関係で、私はお礼の手紙を書いた。
その話から私がこれまで仕事で関わってきた何百人という人たちの中の最低でも100人以上、もしかすると200人300人くらいになるかもだけど、それだけの人数の人たちに向けてお礼の手紙を自分が辞める時か相手が辞める時のタイミングで書いて渡している話をした。
そうした時の手紙は統一したテーマがあって、基本的にお礼とは別に相手の強みを言葉にして伝えている。
辞める時だから、そこから何かを得ようとか印象を良くしようとかいうタイプの魂胆は一切ない。
もうそれっきり会っていない人たちの方が圧倒的に多い。
なんだけど、なんとなくそうしたいからそうしている、ということをノムに会話の中で言った。
そうしたらノムはそれに感銘を受けて、早速ノムはそれを自分も実行に移した。
ちょうど12月で終わる個展の店のオーナーさんに、お礼の手紙と共にそのお店の強みを書いて渡したと教えてくれた。
1年前も同じ店で個展を開催していて、その時もお礼状は書いたけれども、お店の強みとかは書かなかったとのこと。
今回は、そのお店がどんな風に素敵でどんな風にそれが強みになっていて、その素敵なところや強みに触れたノムが何を感じたのかを綴ったとノムは言った。
ぶっしーの話があったからこそだとノムは言ってくれた。
これはとっても嬉しい話だった。
手紙の話を何でしたのかは今となっては全く覚えていないけれども、ノムがその話を聞いて良いと思ったことを取り入れてくれたことはめちゃくちゃ嬉しいことだった。
ノムに取り入れて欲しいとかこんな方法が良いと提案したいとかでは一切なく、本当に会話の一部だった。
そもそもそんな話を私は人にしたこと自体初めてだったけれども、その話がそんな風に誰かに届いてその誰かも同じことをするという流れにとっても感動した。
ノムの話を聞いて、それがいいなと思った。
誰かに何かを教えるのではなく、ただただ私が私の何かを言う中に相手の人がヒントを見つけてくれるってなんて素敵だろうと思った。
*
ずっと受け継がれていくもの、それも儲けとか肩書とかを狙ってするものではなく、本当に本質的にこれ絶対に大事!と感じるものを残していく、そのことをこの2ヶ月くらいで一気に見た私は、そうしたことに心から惹かれた。
今の世の中の流れは、変な順番で成り立っている。
正しくは、成り立っている真似をしているだけで、何かおかしいことをまるでそれが正しいかのように見立てて、その秩序のない中でそれが普通と言わんばかりに存在している。
そういえば、年末に面白いことを知ることになった。
年末に国会議員の人が収賄容疑か詐欺罪かで逮捕された。
カジノの誘致とかと関わってるとかなんとかのやつ。
私はそのことに全く興味もなく、ニュースで見ても気にも留めず流し見していた。
私がその件に関して興味を持ったことは、もっと別のことだった。
その逮捕された国会議員とつるんでいた一般人との関係を暴露された記事をたまたま見た。
記事のタイトルからはそんな内容だとは想像もつかずに読んでみたらそれだった。
その記事の中に、ある団体の名前が出てきた。
国会議員の逮捕と何らかの形で関与していた団体とのことだった。
それ見て本気で驚いた。
その団体について、私はある人から投資話を持ちかけられていてどうしようという相談を2年ぐらい前にされた。
そういうことに詳しい人を知っているから聞くね、と約束したものの、約束の前にその相談されたまさにその時その場で私はペンジュラムに聞いた。
ペンジュラムは有無も言わず、ものすごい勢いでスーパーNOを出してきた。
私は名前しか聞かされてなくて、名前聞いたところで知らないものは知らないから、ふと思い立ってペンジュラムに聞いてみただけだった。
相手は私のペンジュラムに若干半信半疑でいたけれども、私はペンジュラムの異常なほどの強さでスーパーNOを出す様子を普通ではないから気をつけてと伝えた。
その後詳しい人からも怪しい感じがするから気をつけてと言われて、相談者は投資をせずに今に至っている。
そう、あの時早々とどういうわけかペンジュラムは異常を尋常ではない形で察知していて、それがまさかまさかの犯罪絡みの内容だったとは、何年か置いた今頃になって知った。
大晦日の日にインテリ男子とやりとりした際、こんなことを言われてすごく嬉しかった。
「なんだかんだ武士俣さんのやってることは、百年前からやってるテクノロジーに左右されない営みなのかもしれないですね
ある意味デジタル社会の対極にあるアナログ、
それもアナログの最先端みたいな
印象」
『アナログの最先端』という言葉に超ウットリした(笑)。
でもそういうことなのかもしれない。
ペンジュラムの精度は私本人とは全く関係ないところで整えられているように思うけれども、とにかくアナログの最先端と言わんばかりに何年か前に犯罪の臭いを嗅ぎつけて、それで実際にそうだと判明したわけだから、本当に凄い。
私は何も目指してはいないけれども、どういうわけか色んな話を色んな人たちから聞く。
私は世の中の情報にはものすごく疎いし、デジタル全般は壊滅的な苦手度を誇っている。
だけど、話を聞く中で「これ何か変だ」というのはわかる。
反対にすごい突飛なことでも「これはこの後も絶対に残るだろう」ということもなんとなくわかる。
これまではそのセンサーが何基準なのかさっぱりわからなかったけれども、最近少しずつわかるようになってきた。
・純正のお役立ち度
・何十年、百年、何百年と継承される度
・最初の想いの純粋度
この辺りがセンサーの基準になっていると思う。
上の基準の純度が高ければ高いほど、物事はスムーズに運ぶし、聞いてても流れが良い。
反対にそこに訝(いぶか)しいものが混ざっていればいるほど、こちらにはその違和感が伝わってくる。
お役立ち度は、儲けや肩書は一切関与しない視点で測定されるから、一歩間違えると「それやって何になるの?」とかいうことを平気で口にする世の中の人たちがいる。
儲けや肩書は生まなくても、もっと色んな人たちの命や生活そのものを良いものにする要素がはっきりと含まれている。
先々に引き継がれることは、話を聞いてピンとくる。
なぜなら、人間や社会、自然にとって良いものだとわかるから。
いっときのブームや流行ではなく、それが今年でも10年後100年後でも絶対に大切にされるとわかる。
そして最後の「最初の想い」の部分は、いくらその後に似た活動をする人が現れても敵わないと思う。
最初の想いは、本人が1喋れば100のことが伝わる。
しかも、本気の人たちはカンペなしでベラベラと喋る。
あったことや思っていることを、まるで今この瞬間に目の前で見ながら話しているかのように、悠然とそして詳細に話をしている。
ちなみに、純度が高くても、何十年何百年というコースのものは、今日言って明日完成とはならない。
時間も実現したり継承されたりするまで莫大にかかる場合もあるから、そこは気長に目の前の一作業をやってコツコツ貯めていくしかない。
そうなんだけど、そういう芯の通ったものなら必要なものはきちんと集まるの法則になっている。
気が遠くなりそうなほど必要なものは数多とあっても、1つまた1つと必要なものたちは必要な人たちに届くようになっている。
そして、そういう人たちはその手間暇を惜しまない。
ものすごく面倒で煩雑でも、それら抜きに物事は進められないから、そうしたものを1つ1つ形にするために労力と時間をしっかりと正しく使っている。
*
こんなことを書いていたら、「正解!」と言わんばかりにヨシダさんから元日早々電話が来た。
ヨシダさんは新年の挨拶を口にした後、去年はものすごく楽しかった、本当に楽しかったと言った。
私と飲む時間が楽しいというのもあるかもしれないけれども、本当に楽しいのはヨシダさんが残りの人生で取り組むテーマが始動したことだと私は思っている。
ヨシダさんのプロジェクトは、これからもう一度日の目を浴びることになると思う。
そして死ぬその時まで全力で取り組むものになるかと思う。
ヨシダさんの資料作りは少し面白い展開を見せている。
1つには、全く関係のない私の友人のノムとミッチー(=ノムの恋人)から知恵をもらえたこと。
資料の印刷に関して、あれこれ色んな印刷をしている2人、特にミッチーから具体的にどういう手段や方法が良いかを教えてもらって、その教えてもらったことをノムが今度はものすごく丁寧にサイト付きで説明を私に送ってくれた。
ノムからはそれ以外にヨシダさんの宣伝方法を独自に伝えてもらっていて、必要ならいつでもノムの先にいる関係者に繋げるよと言ってもらっている。
もう1つは、今の英訳の仕事が関係している。
英訳の仕事は英訳もするけれども、それ以外にWordやPowerPointを使って公式文書の清書をする。
清書業務は私の苦手なパソコン操作満載で毎度発狂しそうになっているけれども、そのおかげで私はヒントを得て、すでに作ったヨシダさんの資料の見た目に美しくない、よろしくないところをきれいに見やすく整えられるようになる予定(←正月終わったら取り組む予定)。
複雑な操作もかなりできるようになりつつあって、まさか新しい仕事がこんな風にヨシダさんの資料に役立てられるとは思わなかった。
正直どうにもできなくて、パソコン得意なシステムとか組める友達に連絡して何とかしようかと思っていた。
それをまさかの場所から方法を取得できることとなって、自分の中では給料もらいながら無料のパソコンスクールに通っているようなものだと思っている。
私の知識や技術なんかはたかが知れてるから、そうやって思いもよらぬ形で解決方法がもたらされるところも、エネルギーの通りの良さや速さを立証している。
*
こうして私は、自分がどういうものに惹かれるのか、知りつつある。
すっごくたくさんの回り道と悩み時間と立ち止まり時間とを通過して、本当に自分がいつか動けるようになるのか不安でたまらなかった。
自信(自分を信じる気持ち)はいつも低空飛行で、あるのかないのかもわからなかったし、どこに向かうでもない自分のことが恐怖でしかない時期も幾つもあった。
今はそういう特殊なことに関わらせてもらえることが嬉しかったり、興味あるなぁとなっている。
またいつ変わるかもわからない。
だけど、自分の中にあるセンサーを信用して、それをするしないを決めていってももう大丈夫なところまで来れたのかもしれない。
自分のことは怪しいけれども、自分以外のことなら基本的に私情がほとんど挟まれないから冷静に見据えることができる。
そして、自分の中で「これは本物だ」とわかるものは、百発百中と言わんばかりに当たる。
100年先の未来に引き継ぐもの。
多分私はそういうものに恋をするように惚れ込んでいくと思う。
今の中で一番長い付き合いなのは自分の木のテーブルで、それは飽きたことがただの一度もない。
自分と巡り合うものが長く続かなくてもいい。
一度でも自分が本気で惚れ込んだものなら、その惚れ込んだものに出会えた奇跡を私は自分の中で大切にしていける。
今年から始まる時間の中で1つでも多くの縁あるものと出会っていけたらいいなぁと思う。
そして欲を言えば、その先に自分が本当に生涯を通じて取り組みたいものと引き合って、それを少しずつ形にできたらいい。
2019年12月31日火曜日
今年の一文字「結」
今年の一文字。
今年はなんとなくやりたくなって、それで一文字選んでみた。
弱
激
動
静
が候補に上がったけれど、どれもピンとこなくてやめた。
自分の弱さをたくさん見たなとか、激しい1年だったなぁとか、色んな形で動いたなとか、じっと静かにタイミングを待ったなとか。
でもどれも一部であって全部じゃない。
そこで「全部」と感じられる自分の今年に当てはまる漢字を他に探した。
「結」
しっくりきた。
「結ぶ」
今年は色んなものや人と新たな縁が出た年だった。
人はもちろんのこと、自分自身の気持ちと結ばれたり、自分の持っていた回路と結ばれたり、自分の能力と結ばれたり。
「繋がる」ではなくて「結ぶ」「結ばれる」の方だった。
繋がるの方は、なんとなく自然派生的に繋がっていくイメージがある。
その一方で結ぶは、自分の意志があって初めて人でも物でも自分と結ばれていく、能動的なものを感じる。
今年の大きな特徴の1つに、年初めの1月と年終わりの12月とではまるっと繋がっている人間関係が違うこと。
こんなにも違う年は初めてだと思う。
年初めの頃の人間関係を私はほぼほぼ断ち切った。
その事さえも、「繋がらない事」を選んで、繋がらない道と自分とを結んだという感じがする。
今年は前半と後半とで丸っと違っていて、前半はとにかくしんどいことがいくつも続いた。
そして、前半の私は、良き人間関係を自ら断ち切るとはいかがなものかと思った。
私が離れようと決めた関係は、どれもとてもお世話になった関係ばかりだった。
離れようと考える自分の方がどうかと思った。
だけど、私の中にある小さなひっかかりをどうしても無視できなかった。
小骨が喉に引っかかったみたいな違和感が心の奥の奥の方に余韻として残る。
たくさんの良きこととたくさんのお世話になったことが99.9%だとするなら、余韻の部分は0.1%未満となる。
私が選んだのはその0.1%の方だった。
それを無視して関係を続けた場合、その先の自分にどうしても明るい展望を抱けなかった。
その余韻部分というのは、本当に小さなことなのに、いつまでも自分の中で自問自答するようなもので、いつまで経っても消えないものだった。
思い出すと明るい気持ちになるものではなく苦しくなったり、自分が自分に対して選んだものが果たして合っているのか自信が持てなかったりするものだった。
渦中は渦中すぎてわからなかったけれども、今は離れて良かったと心底思っている。
あの当時の悶々としたものをもし今も持っていたとするなら、とんでもなく気持ちや自分自身が重たくなっていたことだろう…って簡単に予測ができる。
離れた人間関係の共通点はそこだった。
会ったり話したりした後に、悶々とする何かが必ずと言っていいほどあった。
それは私が持ちたいものではなかった。
そして、悶々とする先に、自分で自分の価値がわからなくなった。
誰かや何かの良きものとするのに適合した私は良くて、でもそれをやると自分が消耗することになってばかりいた。
この答えは、この2ヶ月ほどで取り組んだ米の仕事で知り合ったヨシダさんの農業資料作りの手伝いや、長年の友達の伝書鳩と会計監査役をしてはっきりとわかった。
実務面で言えば、圧倒的に資料作りと会計監査と伝書鳩の方が面倒だった。
面倒で手間暇かかって、やっていて楽しい作業とは絶対に言えなかった。
だけど、取り組んでいる時も終わった今も「関われて良かった。関わらせてくれてありがとう」という気持ちでいる。
いつになるかわからないけれども、私がそこでのやりとりを通じて見たもの感じたものは、今後全力で言葉にしていこうと思っている。
変わらない何かがそこにはあって、そして私が私のいる意味を見出せる、そんな風に感じられるものがあった。
このブログの中では色々言うし、弱音も文句も不満も山ほど吐き出したりはするものの、1つだけ私が本気で信じていることがある。
私は私の可能性に賭けているし、たとえ社会的にものすごく小さくなって隠れていなければいけないような状況の時でも、私が最後ギリギリのところで持ち続けているのは、自分の道が必ず拓くことを信じる気持ちだったりする。
断ち切った人間関係において、1つ大きなところは、私のそうした信じたい気持ちを踏みにじられてしまうことだった。
相手の人たちは何気ない気持ちで口にしたにしか過ぎないだろうと思う。
もしくは良かれと思って言ってくれたかもしれない。
だけど、そうしたものが私には凶器にしかならなかった。
家にほぼほぼ引きこもるみたいな、メンタル的には一番弱っていたような時が続いていたからこそ、小さな言葉や態度は私の奥深いところを刺した。
自分でも自分の先や未来なんかわからない。
しかもこれ!と言い切れるような何か手にしたいものもない。
何かあればすぐに「何で私生きているんだろう?」って暗く考えてしまうし、体が元気な自分を見て「今日も生きるんだな…」とかなり後ろ向きに思うことはたくさんある。
そうした自分ではあるけれども、私はこんな自分でも生きてていいんだということをあきらめたくない。
そして生きてるからには何かがあると思っていたい。
何かというのは、希望的な何かを指している。
そういう気持ちの部分に影が落ちていた。
相手のせいとは言わない。
だけど、どこかで私が否定されたり、利用価値のある私だけが必要とされた時に、私の中の何かがはじけた。
私からすると、私の尊厳に関わるところが完全に崩落してしまう、そういうものを相手の人たちは無意識に向けてくるところがあった。
だから0.1%のことであっても見過ごせなかった。
自分の中の一番守りたいところがグラグラする、そうしたことが続いていた。
だからあの重さは、そうしたことからもたらされるもので、私は当然耐えられなかった。
人間関係すべて失うことになるのを覚悟した、と今振り返って思う。
どの人たちも素敵なところがたくさんある。
世話にもものすごくなった。
その人たちなくしては、今の私が今の私にならないこともわかっていた。
今の私になるために、その人たちがしてくれたことは本当に偉大で、それは今でも本気で感謝している。
だからそうしたものをわかっていながらも私の一存で離れようとした自分は究極のバカだと思ったし、何してんの?ともものすごくたくさん思った。
もうそういう人たちには出会えない、それも何度も何度も思った。
そうした覚悟で1人また1人と離れて完全にリセットがかかったタイミングの後、占星術講座で一緒になったノムと個人的にやりとりする関係性が生まれた。
ノムは本当に色んなことを私にもたらしてくれているけれども、多分一番大きいのは、私を私の可能性を本気で信じてくれることだと思う。
ノムと出会った時も私はすでにニート真っ盛りな時期で、ノムにはわりかし早い段階でそのことを告白していたと思う。
ノムは事情を知らない頃から私のことを良い風に思ってくれていたけれども、私は最初の頃それが逆に心苦しかった。
もし私の素性を知ったのなら、ノムはどう反応するのか予測がつかなかった。
ニートな私が言う言葉や考えは、私の素性が明るみになったら綺麗事に思われるかもしれない…、そんな心配をした。
1つまた1つと知り合ってそして自己開示をしていくうちに知っていった。
ノムは私のことを外側についているもの又はついていないもので判断しない人だということ。
そして私が1つまた1つと色々言うたびに、ノムはそれでも私のことや私の可能性を全力で信じてくれた。
そして私のしてきたことや現在進行形でしていることに対して、本当の価値をそこに見出してくれた。
ノムは私が信じているものを、ノムも同じように信じてくれる人だと知った。
ノムも全力で自分自身を信じて、周りが何と言おうと自分の中にある絶対を大切にしている。
自分の中にあるものをたくさん言葉にしようとする習慣のあるノムは、私の言葉にできない部分をよく言葉にしてくれる。
そんな風にノムと過ごすようになって、私はV字回復のように人間関係や自分の心に大きな変化を得た。
ノムが登場して以降、ノムが紹介してくれた人たちや、自分が動いた先にいた人たちと新しく関係が始まったり、はたまた長年の付き合いのある友達とのやりとりが復活したりしている。
リセットされた後の人間関係には年初めのような重たさや悶々感はなくて、本当の深い部分で自分がそのままでいて大丈夫、という類いの安心感がある。
相手から必要とされる時も、本当に私は便利屋でも都合の良い友人でもなく、私という人が必要とされているというのを感じる。
そして、私の生き方でも考えでも、それが相手と違うからと言って否定されることもなければ、それと私の存在意義がごちゃごちゃにされることもなかった。
違いも含めて私を大切にしてくれる、そういうのを今年の後半は感じることが多かった。
「結ぶ」
自分で結ぶことを選んだ人間関係、反対に結ばないと決めた方の「結んだ道」、どの結ぶも絶対に自分の気持ちが一番にあった。
自分がどうしたいのか、それをひたすら丁寧に丁寧に聞き取るようになって、ようやくこの1年の後半で自分の気持ちと選択とにズレが少なくなってきたと感じる。
「やりたくない」とか「嫌」とか「関わりたくない」とかそういうのももちろんある。
万年文句垂れぞうな私がいきなり改心してそういう気持ちがなくなったなんてことは一切ない。
でも代わりに、「やりたくない」なら「やりたくない気持ち」と、「嫌」なら「嫌な気持ち」と、「関わりたくない」なら「関わりたくない気持ち」と自分とを結べるようになってきた。
自分に嘘が少ないというのはとても楽な状態で、そうしたことができるようになったのは今年の大きな収穫だったなと感じている。
今書いてて思った。
「結ぶ」っていうのは、言葉を変えると「選ぶ」っていうことだなぁって。
選ぶことは何もハッピーでウキウキするものだけじゃない。
痛みを伴うものや苦しくなってしまうものもある。
ただそのどれの場合も、自分の気持ちに一番近いものを選べば、その時々は痛みや苦しみがセットでも後から癒される。
もし私が「お世話になったのに関係を切るなんてありえない」としたのなら、関係はもしかしたら続いたのかもしれないけれども、自分はいつもどこか重たさがあって、自分の気持ちを無視している分苦しくなって、今みたいな自分とは違っていたと思う。
「ご縁を大事にする」という世間一般で言われる価値観ではなく、「0.1%程度の小さなことだけど、私は納得できない」自分の感覚を優先できたことが大きかった。
どちらを大事にしても間違いじゃない。
だけど、私は外の価値観ではなく自分の感覚や価値観を一番にしたいんだと気付いた。
「結ぶ」とした中に自分の持っているものと結ばれることも今年は含まれた。
2つ前に『おいせさん手帳』と題して、ノムのお誘いのおかげで書く仕事の完成品の宣伝をした。
最低限のきまり(文字数や日にち、日本的な〇〇の日の時季的な暦の内容を盛り込むこと以外は自由だった)を守ったのなら、あとは自由に表現して良いという中で、私は初めて自分の中に出てくるものを外向けに言葉を紡ぐという作業をした。
それはこのブログや手紙、他の諸々の書き物とは全く次元の違うもので、言葉と自分とを結ぶ作業みたいな感じだった。
言葉がスルスルっと出てきて、自分自身もその言葉に包まれるみたいな、なんとも言えない不思議な感覚だった。
どこかに習いに行ったり誰かから教わったとかではない。
それはひたすら自分の感覚と繋がっていく、結ばれていく、そういうタイプのものだった。
今思うと、それができたのは、自分の中にあった異質のものたちを1つ、また1つと整理して、自分の中で噛み砕いて、それで自分の中がある程度きれいに整って、そこに自分の中にあるものと結ばれるための土台が作られたからだと思う。
そして自分の中にあるものと結ばれて知った。
本当にそれが自分のもので生まれ持ってきたものなら、とてもスムーズに事が運ぶということ。
私は当時20数個のメッセージを紡いだけれども、私が唯一そのためにしたことは、自分の中にあるものを言葉にするために、自分の状態を整えることだけだった。
ウンウン唸りながら言葉を紡ぐなんてことはしなかった。
スルスルと出てくるために、時間を作って、気持ち良くそこと繋がれるように自分の内面や目に見える外面(部屋の掃除で整えられるもの)を整えるだけで良かった。
そんな風にして、自分と自分の持っているものを結んだ。
そうやって自分の本質を出迎えたりもした。
色んなものと結んだ2019年。
来年は本当にどうなるかわからないけれども、この1年で結んだものは今年だけじゃない、これから長い時間結ばれていくものという予感がする。
そういう気持ちでこの1年を締めくくれたことはとても大きい。
「結ぶ」というのは、辞書によると「つなぎ合わせる」とのこと。
つなぎ合わせることのできた色んなもの、繋がることのできた人との縁、そういうものをこれから長く大切にしていきたい。
今年はなんとなくやりたくなって、それで一文字選んでみた。
弱
激
動
静
が候補に上がったけれど、どれもピンとこなくてやめた。
自分の弱さをたくさん見たなとか、激しい1年だったなぁとか、色んな形で動いたなとか、じっと静かにタイミングを待ったなとか。
でもどれも一部であって全部じゃない。
そこで「全部」と感じられる自分の今年に当てはまる漢字を他に探した。
「結」
しっくりきた。
「結ぶ」
今年は色んなものや人と新たな縁が出た年だった。
人はもちろんのこと、自分自身の気持ちと結ばれたり、自分の持っていた回路と結ばれたり、自分の能力と結ばれたり。
「繋がる」ではなくて「結ぶ」「結ばれる」の方だった。
繋がるの方は、なんとなく自然派生的に繋がっていくイメージがある。
その一方で結ぶは、自分の意志があって初めて人でも物でも自分と結ばれていく、能動的なものを感じる。
今年の大きな特徴の1つに、年初めの1月と年終わりの12月とではまるっと繋がっている人間関係が違うこと。
こんなにも違う年は初めてだと思う。
年初めの頃の人間関係を私はほぼほぼ断ち切った。
その事さえも、「繋がらない事」を選んで、繋がらない道と自分とを結んだという感じがする。
今年は前半と後半とで丸っと違っていて、前半はとにかくしんどいことがいくつも続いた。
そして、前半の私は、良き人間関係を自ら断ち切るとはいかがなものかと思った。
私が離れようと決めた関係は、どれもとてもお世話になった関係ばかりだった。
離れようと考える自分の方がどうかと思った。
だけど、私の中にある小さなひっかかりをどうしても無視できなかった。
小骨が喉に引っかかったみたいな違和感が心の奥の奥の方に余韻として残る。
たくさんの良きこととたくさんのお世話になったことが99.9%だとするなら、余韻の部分は0.1%未満となる。
私が選んだのはその0.1%の方だった。
それを無視して関係を続けた場合、その先の自分にどうしても明るい展望を抱けなかった。
その余韻部分というのは、本当に小さなことなのに、いつまでも自分の中で自問自答するようなもので、いつまで経っても消えないものだった。
思い出すと明るい気持ちになるものではなく苦しくなったり、自分が自分に対して選んだものが果たして合っているのか自信が持てなかったりするものだった。
渦中は渦中すぎてわからなかったけれども、今は離れて良かったと心底思っている。
あの当時の悶々としたものをもし今も持っていたとするなら、とんでもなく気持ちや自分自身が重たくなっていたことだろう…って簡単に予測ができる。
離れた人間関係の共通点はそこだった。
会ったり話したりした後に、悶々とする何かが必ずと言っていいほどあった。
それは私が持ちたいものではなかった。
そして、悶々とする先に、自分で自分の価値がわからなくなった。
誰かや何かの良きものとするのに適合した私は良くて、でもそれをやると自分が消耗することになってばかりいた。
この答えは、この2ヶ月ほどで取り組んだ米の仕事で知り合ったヨシダさんの農業資料作りの手伝いや、長年の友達の伝書鳩と会計監査役をしてはっきりとわかった。
実務面で言えば、圧倒的に資料作りと会計監査と伝書鳩の方が面倒だった。
面倒で手間暇かかって、やっていて楽しい作業とは絶対に言えなかった。
だけど、取り組んでいる時も終わった今も「関われて良かった。関わらせてくれてありがとう」という気持ちでいる。
いつになるかわからないけれども、私がそこでのやりとりを通じて見たもの感じたものは、今後全力で言葉にしていこうと思っている。
変わらない何かがそこにはあって、そして私が私のいる意味を見出せる、そんな風に感じられるものがあった。
このブログの中では色々言うし、弱音も文句も不満も山ほど吐き出したりはするものの、1つだけ私が本気で信じていることがある。
私は私の可能性に賭けているし、たとえ社会的にものすごく小さくなって隠れていなければいけないような状況の時でも、私が最後ギリギリのところで持ち続けているのは、自分の道が必ず拓くことを信じる気持ちだったりする。
断ち切った人間関係において、1つ大きなところは、私のそうした信じたい気持ちを踏みにじられてしまうことだった。
相手の人たちは何気ない気持ちで口にしたにしか過ぎないだろうと思う。
もしくは良かれと思って言ってくれたかもしれない。
だけど、そうしたものが私には凶器にしかならなかった。
家にほぼほぼ引きこもるみたいな、メンタル的には一番弱っていたような時が続いていたからこそ、小さな言葉や態度は私の奥深いところを刺した。
自分でも自分の先や未来なんかわからない。
しかもこれ!と言い切れるような何か手にしたいものもない。
何かあればすぐに「何で私生きているんだろう?」って暗く考えてしまうし、体が元気な自分を見て「今日も生きるんだな…」とかなり後ろ向きに思うことはたくさんある。
そうした自分ではあるけれども、私はこんな自分でも生きてていいんだということをあきらめたくない。
そして生きてるからには何かがあると思っていたい。
何かというのは、希望的な何かを指している。
そういう気持ちの部分に影が落ちていた。
相手のせいとは言わない。
だけど、どこかで私が否定されたり、利用価値のある私だけが必要とされた時に、私の中の何かがはじけた。
私からすると、私の尊厳に関わるところが完全に崩落してしまう、そういうものを相手の人たちは無意識に向けてくるところがあった。
だから0.1%のことであっても見過ごせなかった。
自分の中の一番守りたいところがグラグラする、そうしたことが続いていた。
だからあの重さは、そうしたことからもたらされるもので、私は当然耐えられなかった。
人間関係すべて失うことになるのを覚悟した、と今振り返って思う。
どの人たちも素敵なところがたくさんある。
世話にもものすごくなった。
その人たちなくしては、今の私が今の私にならないこともわかっていた。
今の私になるために、その人たちがしてくれたことは本当に偉大で、それは今でも本気で感謝している。
だからそうしたものをわかっていながらも私の一存で離れようとした自分は究極のバカだと思ったし、何してんの?ともものすごくたくさん思った。
もうそういう人たちには出会えない、それも何度も何度も思った。
そうした覚悟で1人また1人と離れて完全にリセットがかかったタイミングの後、占星術講座で一緒になったノムと個人的にやりとりする関係性が生まれた。
ノムは本当に色んなことを私にもたらしてくれているけれども、多分一番大きいのは、私を私の可能性を本気で信じてくれることだと思う。
ノムと出会った時も私はすでにニート真っ盛りな時期で、ノムにはわりかし早い段階でそのことを告白していたと思う。
ノムは事情を知らない頃から私のことを良い風に思ってくれていたけれども、私は最初の頃それが逆に心苦しかった。
もし私の素性を知ったのなら、ノムはどう反応するのか予測がつかなかった。
ニートな私が言う言葉や考えは、私の素性が明るみになったら綺麗事に思われるかもしれない…、そんな心配をした。
1つまた1つと知り合ってそして自己開示をしていくうちに知っていった。
ノムは私のことを外側についているもの又はついていないもので判断しない人だということ。
そして私が1つまた1つと色々言うたびに、ノムはそれでも私のことや私の可能性を全力で信じてくれた。
そして私のしてきたことや現在進行形でしていることに対して、本当の価値をそこに見出してくれた。
ノムは私が信じているものを、ノムも同じように信じてくれる人だと知った。
ノムも全力で自分自身を信じて、周りが何と言おうと自分の中にある絶対を大切にしている。
自分の中にあるものをたくさん言葉にしようとする習慣のあるノムは、私の言葉にできない部分をよく言葉にしてくれる。
そんな風にノムと過ごすようになって、私はV字回復のように人間関係や自分の心に大きな変化を得た。
ノムが登場して以降、ノムが紹介してくれた人たちや、自分が動いた先にいた人たちと新しく関係が始まったり、はたまた長年の付き合いのある友達とのやりとりが復活したりしている。
リセットされた後の人間関係には年初めのような重たさや悶々感はなくて、本当の深い部分で自分がそのままでいて大丈夫、という類いの安心感がある。
相手から必要とされる時も、本当に私は便利屋でも都合の良い友人でもなく、私という人が必要とされているというのを感じる。
そして、私の生き方でも考えでも、それが相手と違うからと言って否定されることもなければ、それと私の存在意義がごちゃごちゃにされることもなかった。
違いも含めて私を大切にしてくれる、そういうのを今年の後半は感じることが多かった。
「結ぶ」
自分で結ぶことを選んだ人間関係、反対に結ばないと決めた方の「結んだ道」、どの結ぶも絶対に自分の気持ちが一番にあった。
自分がどうしたいのか、それをひたすら丁寧に丁寧に聞き取るようになって、ようやくこの1年の後半で自分の気持ちと選択とにズレが少なくなってきたと感じる。
「やりたくない」とか「嫌」とか「関わりたくない」とかそういうのももちろんある。
万年文句垂れぞうな私がいきなり改心してそういう気持ちがなくなったなんてことは一切ない。
でも代わりに、「やりたくない」なら「やりたくない気持ち」と、「嫌」なら「嫌な気持ち」と、「関わりたくない」なら「関わりたくない気持ち」と自分とを結べるようになってきた。
自分に嘘が少ないというのはとても楽な状態で、そうしたことができるようになったのは今年の大きな収穫だったなと感じている。
今書いてて思った。
「結ぶ」っていうのは、言葉を変えると「選ぶ」っていうことだなぁって。
選ぶことは何もハッピーでウキウキするものだけじゃない。
痛みを伴うものや苦しくなってしまうものもある。
ただそのどれの場合も、自分の気持ちに一番近いものを選べば、その時々は痛みや苦しみがセットでも後から癒される。
もし私が「お世話になったのに関係を切るなんてありえない」としたのなら、関係はもしかしたら続いたのかもしれないけれども、自分はいつもどこか重たさがあって、自分の気持ちを無視している分苦しくなって、今みたいな自分とは違っていたと思う。
「ご縁を大事にする」という世間一般で言われる価値観ではなく、「0.1%程度の小さなことだけど、私は納得できない」自分の感覚を優先できたことが大きかった。
どちらを大事にしても間違いじゃない。
だけど、私は外の価値観ではなく自分の感覚や価値観を一番にしたいんだと気付いた。
「結ぶ」とした中に自分の持っているものと結ばれることも今年は含まれた。
2つ前に『おいせさん手帳』と題して、ノムのお誘いのおかげで書く仕事の完成品の宣伝をした。
最低限のきまり(文字数や日にち、日本的な〇〇の日の時季的な暦の内容を盛り込むこと以外は自由だった)を守ったのなら、あとは自由に表現して良いという中で、私は初めて自分の中に出てくるものを外向けに言葉を紡ぐという作業をした。
それはこのブログや手紙、他の諸々の書き物とは全く次元の違うもので、言葉と自分とを結ぶ作業みたいな感じだった。
言葉がスルスルっと出てきて、自分自身もその言葉に包まれるみたいな、なんとも言えない不思議な感覚だった。
どこかに習いに行ったり誰かから教わったとかではない。
それはひたすら自分の感覚と繋がっていく、結ばれていく、そういうタイプのものだった。
今思うと、それができたのは、自分の中にあった異質のものたちを1つ、また1つと整理して、自分の中で噛み砕いて、それで自分の中がある程度きれいに整って、そこに自分の中にあるものと結ばれるための土台が作られたからだと思う。
そして自分の中にあるものと結ばれて知った。
本当にそれが自分のもので生まれ持ってきたものなら、とてもスムーズに事が運ぶということ。
私は当時20数個のメッセージを紡いだけれども、私が唯一そのためにしたことは、自分の中にあるものを言葉にするために、自分の状態を整えることだけだった。
ウンウン唸りながら言葉を紡ぐなんてことはしなかった。
スルスルと出てくるために、時間を作って、気持ち良くそこと繋がれるように自分の内面や目に見える外面(部屋の掃除で整えられるもの)を整えるだけで良かった。
そんな風にして、自分と自分の持っているものを結んだ。
そうやって自分の本質を出迎えたりもした。
色んなものと結んだ2019年。
来年は本当にどうなるかわからないけれども、この1年で結んだものは今年だけじゃない、これから長い時間結ばれていくものという予感がする。
そういう気持ちでこの1年を締めくくれたことはとても大きい。
「結ぶ」というのは、辞書によると「つなぎ合わせる」とのこと。
つなぎ合わせることのできた色んなもの、繋がることのできた人との縁、そういうものをこれから長く大切にしていきたい。
2019年12月30日月曜日
2019年ラスト心のボヤキ
超個人的なモヤモヤをこれから掃き出そう。
嬉しい言葉をもらった。
本当に嬉しかった。
だけど、脳内ではお願いしなくても別のテーマとその言葉を重ね合わせる。
同じ土俵に乗せること自体おかしいのもわかっているし、またもや妄想炸裂みたいな話なのもわかっている。
でも、自分がずっとこんなことを続けるのかと思うととてもしんどいし、とにかく外に出してしまいたい。
また何も起こらないと思っている。
だけど、こんなのをまた来年も自分の中で続くのかと思うと、自分の中の何か大切な部分がシクシク、チクチクと痛みを覚える。
すべてはなるようにしかならない事もよくよくわかっている。
起こらないことはどこをどうやっても起こりようがない。
だけど、そうだといくら頭で考えても納得できないものは納得できない。
書いたからと言って納得できないこともわかっている。
書くから納得できた!とならなくても、「伝える」ことでせめてもの納得を得ようと思っている。
一体全体私は何をしているのだろう…と思うけれども、もうどうやっても色々おかしいから、そのおかしいことや納得できないことをせめて100から99に減らせないかと奮闘して書く。
自分の欲深さや業も丸出しでかなり恥ずかしいことではあるけれども、そうやってしても伝えたいから書く。
2019/12/23 お昼過ぎ
上の続きを書く前にもう1つ付け足してから話をしたい。
これを書く前に『職場の風景』と題したブログを先にアップした。
時系列で言うと。
23日……激情型
24〜25日……穏やか型
26日……覚悟型
と同じ内容に触れるにしても変わっている。
まずは、激しい気持ちが、どちらかと言うと責めたくなるようなそういう手の激しさがドバドバと自分の中から出てきた。
それはこの後書く。
そして、何がきっかけかもはや忘れたけれども、途中からは穏やかな気持ちに推移した。
その穏やかな気持ちで書いたのが過去の職場で私が見ていた風景だった。
その後、本当に書くかは今の段階ではわからないけれども、年末年始を迎えるにあたって毎年恒例のごとく自分の中に強い余波を残しているものと、じゃあそれはそうと私がどうしたいのかを書けたらいいと思っている。
自分の本心を口にすることは、覚悟を問われる。
今日は〇〇が食べたいなみたいな話は緊張も何もないけれども、自分の気持ちや考えを言うのは覚悟がいる。
焦っているのとは違うけれども、来年2020年の自分のことを想像する時に、来年はもっと色んなことを言えなくなるかもしれない…と思う。
これだけ言ってもダメなものはやっぱりダメだから、ダメならダメで自分の気持ちの軸を少しずつ変えたい。
2019/12/26
年末年始は少し気持ちが重たい。
2年前、聞いてもいないその人の年末年始の恒例行事的な約束を知った。
その人はライブなのか音楽フェスなのかに出かけるらしかった。
1人じゃない。
相手がどんな人かまで、なぜか情報はやってきた。
聞いてもいないその情報は、真偽のほどはわからなくても私を大きく打ちのめした。
ちなみに、実際の関係性は知らないけれども、2年前の年末年始は面白いことが起きた。
その話を聞いた瞬間からそのことがずっとずっと頭にあって、気がおかしくなりそうだった。
さらにその時は魂の関係について暇さえあれば毎日調べていたから(毎日毎日、仕事行っていたにも関わらず最低1時間以上はやったと思う)、そうした情報だけはものすごい勢いで吸収していった。
調べた中で、そうした魂の関係の強い人に出会うのは、霊性開花のためとあって、私はそんなのは本気でいらなかったし、何が悲しくて一緒にもいられなければ、さらに本人はもういないのにどうしてそういう余計な情報まで来るのかと思っていた。
一緒にいられなくてもせめて情報はいらない。
苦しいことばかりが続いて、霊性開花なんぞくそくらえぐらいに思っていた
霊性なんかいらないから、その人と会える時間をくださいと思った。
そしてどういうわけか聞いていないのに知ってしまったその人の個人の予定なんか、記憶ごと消し去ってください、と本気の本気で願った。
1年の垢落としに天然温泉が良いと聞いて実際に出かけたけれども、温泉に入ろうが記憶など抹消されるわけもなく、悶々とする気持ちは続いた。
自分でも、認めたくなかったけれども、自覚は少しずつあった。
不思議なシンクロとか、とにかく私が自分の道にきちんと進むような、それらのメッセージを伝える人たちが次々に現れていた頃でもあって、色々普通じゃないことは気付いていた。
今(2019年)はまだかなりマシになったけれども、当時は今以上に反発も強ければ、絶対に信じない、自分の希望が何も叶わないのに何でそのわけのわからないことばかりが起こり続けるのか、そんなのは気のせいだと思おうとした。
そして、その人の年末の予定を聞いて、ますますその人と私とは何の関係もなくすべて自分側の一方的な気持ちや出来事だったんだと全力でそのように結論付けようとしていた。
というそんな時に、奇跡は起きた。
温泉に行く時も私は迷子になって(iPhoneでマップを見て進んだにも関わらず)、私は帰りはペンジュラムに聞いて進んだらどうかと思った。
そんなこと一度もしたことがなかった。
自分の気持ちはブレブレだし、メンタルは叩きのめされているし、色々ダメだと思って、ペンジュラムには何の期待もしなかった。
だけど、私はその時おかしなことを思った。
「もし本当の本当にその人が縁のある人なら、私にそうだとわかるサインを見せて欲しい」
大真面目にそう願ってからのペンジュラムを使っての運転だった。
ペンジュラムの道案内は本気で凄まじかった。
民家が建ち並ぶ道や見知らぬ地元民しか知らなさそうな道をバンバン案内された。
ペンジュラムまで狂ったと私なんかは思った。
最悪iPhoneでナビしたらいいと思っていたから、ペンジュラムへの期待もほぼほぼゼロで、まさかペンジュラムが道案内をしてくれるわけない、その人もその人の人生をいくから、その人と私とが交わらないように、ペンジュラムも道案内なんて芸当をするわけないと思った。
どこをどう走っているのかもわからず走っていたら、なんとお目当てのコンビニのある大きな国道の交差点に出た。
本当に驚いた。
ペンジュラムはまさかの道案内を完璧にして、しかも私が肉まんを買いたくて行きたいと思ったそのコンビニをピンポイントで案内した。
同じ道を走れと言われても私は同じ道を走れないし、夜だったから余計とどこをどう走ったのか知らない。
ペンジュラムはその時単なる道案内をしたんじゃなかった。
私がもう何も信じない、関係なんてあるわけない、すべて自分の勘違いで何か激しすぎる思い込みでひと夏が存在していて、その夏にたまたま相手の人がいるだけだった、相手の中から私は消えただろうし、相手は相手で新しい生活が始まっているから私はもはや何の人でもない、それがすべてだと思った。
そう思った矢先のペンジュラムの道案内で、ペンジュラムは完璧すぎるパフォーマンスを目の前で披露してくれた。
絶体絶命とは違うけれども、本当に何かを信じることも怖ければ、すべて否定して自分をなだめるくらいしか方法が思い浮かばなかったその時に、ペンジュラムは奇跡を見せてくれて、そっと私に寄り添うようにそこにいてくれた。
今でもあれが何かなんて言葉では説明できないけれども、ペンジュラムはそんな風にパワーアップする時は、どういうわけかその人が絡んでいる。
何でそうなのかは知らないけれど、実際にそうなっている。
その時に少し気持ちが落ち着いた私は、肉まんを買い終わると、今度はすぐ近くの大きな川の前の駐車場を目指した。
私にしたらすべてが始まった場所だった。
その川の駐車場は、その人の転勤を私の当時の教育係から聞かされた日の昼休みに行った場所だった。
ごはんに誘われたことが本当に嫌だったようで、あからさまに嫌そうな態度を目の前で見て、私はもうそっとしておこうと思っていた。
仕事に超行きにくかったけれども、元々仕事上絡みがなかったからそっとしておけば良いと、それで表面上だけでも穏便にできると考えた。
その2日後の朝、転勤を聞かされて、私は茫然自失となった。
その日の昼休みこそ、ペンジュラムが初めて新しい動きを見せてくれた時だった。
ペンジュラムの動きは決まっていて、当時は時計回りのYESと縦揺れのNOしかなかった。
それ以外の動きをしたことないって知っていたから、私はわざとそのペンジュラムを使って賭けに出た。
他の動き方を絶対にペンジュラムはしないって100%確信していた。
もしペンジュラムが見たこともない動きをしたのなら、私は自分の気持ちに従って動こうと思った。
そんなこと起こるわけないと知って、それでペンジュラムを手に取ってペンジュラムの動きを見たのが、その川の近くの駐車場でだった。
そこでペンジュラムは予想だにしなかった動きを披露して、そしてそこが私にとっての転機となった。
ペンジュラムがそのような新しい動きを見せてくれなければ、私はその後実際に動いたようには動かなかった。
その人が1人でいそうなところを狙って話しかけに行ったり(←撃沈)、嫌がらせみたいな長さの手紙を書いて渡したり、そういうおかしなことはしなかった。
その時のことがなければ、私は多分今は全く違う人生を歩んだと思う。
ペンジュラムがナビを完璧にしてくれたことで、私はそのさらに3ヶ月以上前に起こった新しいペンジュラムの動きを見た川へと出かけた。
この話には起承転結はないけれど、2年前の年末の風景は今も強烈に自分の中に残っている。
すごく悶々としていた自分と、その人がいたことで私側の人生のあれやこれやのスイッチが入ることを色々思った。
まさかその時、当時のことがその後2年もズルズルといくなんて、想像さえしていなかった。
*
「もし俺があと20若かったら、おまえさんに結婚を申し込んでた。
俺は女遊びはたくさんしてきた。
してきたけれども、翌日になると忘れる。
全部忘れる。
でもおまえさんは違う。
おまえさんは美人じゃない。
だけど、会うと翌日も印象に残る。
こう、何て言うかな、自分の中に残る」
これはクリスマス前の週末に米の仕事で知り合ったヨシダさんと飲んだ時に言われた言葉だった。
ヨシダさんから預かった農業の資料を作り終わったから、それを渡すのと一緒にヨシダさんが飲もうと誘ってくれてた。
これは単純に言われて嬉しかった。
私は美人じゃないし、男の人たちが遊びたくなるようなそういう女の人ではない。
ヨシダさんは70歳で、70歳からしたら40歳の私は若いだろうし、その差がこうした言葉を引き出せたのかもしれない。
そこにプラスして、私がするヨシダさんの資料作りはヨシダさんにとって想定外のことだった。
ヨシダさんが思っていた以上のことをどうやら私はしているらしい。
「ここまでしてくれるとは思ってもみなかった」と何度言われたかわからない。
そういう諸々がプラスアルファであったから、言われた言葉だったのかもしれない。
誰かの中に印象に残るというのは、とっても嬉しいことだった。
ヨシダさんはこうも言った。
「おまえさんはまだ飲み足らない」
そう言ってもっと飲めと言ってきたのだけれど、私が十分に飲んでるから大丈夫と言うと「いやいや、まだまだだ」とヨシダさんは言う。
ヨシダさんいわく、
「おまえさんは飲むとほんのり顔が赤くなる。
今日はまだ赤くないから、だから飲み足らない」
とのことだった。
そんなこと、飲むようになった年齢の頃から初めて言われた。
私はいわゆる酒豪、ザルと呼ばれるアルコールガンガンいけるタイプで、これまで色んな人たちと飲んできたけれども、誰もそんなこと私に言ってきたことがなかった。
飲んでもほぼ普段と変わらないし、たとえ多少上機嫌というか少しばかりテンションが高くなっても、絡むとか泣き出すとか怒り出すとか触るとか、そうした厄介なことは一切しないし、飲めば飲むほど相手側が深い話ができたりもするから、私はこれまで何人かの男友達や職場の男性たちから「一緒に飲みやすいし、楽しく飲める」と言ってもらえた。
実際に相手の人たちが酔い潰れても私は平気なんてこともざらにあるから、飲んで可愛く酔える女の人たちがある種羨ましく、あんなのは私は飲んでてもシラフとほとんど変わらないから、絶対に酔ったフリとか相手に擦り寄るとか絶対にできない。
飲める男の人たちと同じペースで飲めてしまうし、酔わないしで、飲んでいる時に何か私の変化について言ってきた人は、ヨシダさん以外には誰もいなくて、だからヨシダさんがが初めてだった。
しかももっと言うと、それは相当きちんと見ないとわからないことで、普段私は「飲んでも顔色ひとつ変わらないね」と言われるから、本当によく見ないとわからないことだと思う。
そんなやりとりがあって、2つのことを思った。
1つには、癒された。
ヨシダさんと会う数日前のことだったと思う。
職場であまりにもわからない内容を英訳する関係で、依頼者の設計男子が私と私の教育係の2人を連れて製作現場に行って具体的なものを見せて説明してくれた時があった。
今の職場には数百人従業員がいるかと思うけれども、女性はどんなに多く見積もっても数十人しかいない。
「女というだけで珍しい」みたいな環境下で、特に製作現場は99%男と言っても過言じゃない。
そんな場所へと行った。
設計男子の知り合い的な人たちに途中会った。
本当は見せたかった機械が1つも見当たらず、どうしたのかを設計男子は聞いていた。
その人たちいわく、みんな出荷されて出払ったとのことで、その短いやりとりの間の本当に小さなことだった。
3〜4人ほどいた男の1人の人が、話そっちのけで私の頭からつま先まで一巡して品定めするかのように見ていた瞬間があった。
それが好意的な視線とは違っていて、ブスだと言いたいのか、あの体型無いわと思っているのか、真相はわからないけれども、決してそれをされた側は気持ち良くはいられないタイプの視線だった。
こんなこと滅多に起こらないけれども、その時の私はその様子を見て少なからず傷ついた。
言葉にすると伝わりにくいけれども、好意的ではない、悪意とも違うけれども、品定め的な感じで見られるのが本当に嫌だった。
私の教育係の女の子みたいな可愛さや可憐さはなく、そちらと比べたら同じ女として私側はかなりいたたまれなくなる。
私は心底嫌だったけれども、人としてましてや社内の人なわけだから変な風にもできないから、他の人たちにするように会釈して、顔も相当表情に気をつけて笑いはしないけれどもそこそこ愛想良くするくらいのことはした。
でも内心は、本当に嫌で、あの目線1つに傷付いた私がいたのも本当だった。
そんな風なことがあった後のヨシダさんの言葉で、本当に嬉しかった。
ヨシダさんの言葉は好意的に見てもらえてることが伝わってきたし、同じ見るでも全然中身は違う。
ヨシダさんの言葉を振り返った時に、もしかして…と、少しよりもかなり、期待したことがあった。
ヨシダさんは私のことを「印象に残る」と言った。
もしかして、その人にとっても私は印象に残る人となったのかもしれない。
美人ではないし、その人の好みやタイプは知らないけれども、何も私をより好むなんてことは考えられない。
だけど、私という人物そのものは何かしら印象に残ったのではないかな…と思った。
本気で私が受け付けられなければ、私の書くこの文章をその人は読まないと思う。
ごはん行くとかはごめんでも、ブログを読むのは嫌ではないのだとするなら、ヨシダさんが言うように「印象に残る」ものを私が持っている、と思ってもいいのかもしれない。
心には残る、私の立ち位置はそういうものなのかもしれない。
ましてや魂の関係なら、余計とそうなんだろう。
なんだかよくわからないけれども、とにかく何かしら余韻が残る。
そういう感じの存在なら、なんとなく今の状況もこの2年ほどの状況も納得がいく。
別にブログを読むだけなら、形ある関係性は要らないし、そんなのなくても自分の読みたい時に読みたいものを読みたいペースで読めばいいわけだから、そういうことなら今の状況は、私の中で納得はできないけれども説明としてわからなくもない。
これはその人とは関係ないけれども、ヨシダさんみたいな感じで私を見てくれる人と一緒になりたいと思った。
私は美人とかスタイルが良いとかでもなければ、ある時はズバッと物を言って男の人たちの怒りの琴線に引火したり(←悪意はないけれども、私の無知さや世間ズレな部分が成果とか肩書とかを重視する男の人たちを過去に何人か怒らせた)、女子力も高くなければ、格好も適当、太ってもダイエットしないし、色々抜けてるところや欠点となるところを挙げたらキリがない。
だけど、自分という人間そのものに興味を持ってもらえるとか、飲んだ時の小さな変化に気付いてもらえるとか、そういうのは嬉しい。
外見的なものやふるまい的なもので勝負などはなからできない私は、そういう「個性」と呼べるべき部分を見てくれる人となら、相手の人も私と楽しく一緒にいられるだろうと少しは思う。
私に美貌だのスタイルの良さだの目に見える女子力だのを求められても、残念すぎるくらいに何も提供できない。
相手の人が私と一緒にいられて良かったなどと思ってもらうには色々ハードルが高いものがあるから、だから私に興味のある人とならその人も私といられて良かったと思ってもらえるかな…と想像する。
もし残りの人生でそんな人と出会えたとするなら、それは人生最大の奇跡になるなぁと今から想像している。
ここからが毒吐き本番。
ヨシダさんの言葉を後から振り返った時に、どうしてその言葉を私は言って欲しい人から言ってもらえないのだろう…と思った。
結婚を申し込まれたいとかそんなハードルの超高いものではなく、一緒に飲みたいでも時間を過ごしてみたいでもそのように思ってもらえないことがもどかしかった。
すごい悔しいと感じることもある。
ブログは読んでくれるのになぁ……、会うのや連絡するのはそんなに嫌なのかと思ったら本当にやるせない。
これを書いている今、超激情に呑まれていた時のようにはもう書けなくなっている。
毒という毒が次から次へと出ていた。
それが今は出てこなくなった。
2019/12/30
年の瀬も迫る今、今年のうちにアップしたいものはアップしようと思っている。
ご縁が無いというのはどうにもならない。
それは願ったり祈ったりしたら手に入るものじゃ絶対にない。
今日の昼間、高校からの友達に会ってきた。
みんなそれぞれ生きている世界は違うものの、今も繋がっている超希少な関係にある。
その中の1人が最近あった出会いについて話をした。
友達が婚活的な出会いの場に出かけた理由は、色々あった時に誰かに甘えたい、そう思って行ってきたとのこと。
そして、いざ1人の人とやりとりが始まったら、相手の求めているものが自分にとって重たいもので、自分は今の今、すぐに結婚したいのとは違うと気付いた、と言っていた。
既婚者たちはさらにすごい言葉というか、リアルな日常を教えてくれた。
「自己処理」
要は、色々重なって誰かに甘えたい、話を聞いてもらいたいと思っても、物理的に家族はいても家族は甘えられる対象ではない、むしろ旦那に話をしようものなら逆に疲れるだのしのごの言われてケンカの元になるから、だから余計なことは言わないのだそう。
そして、行き場のない気持ちや想いは誰かがいても結局は自分1人でなんとかするしかなく、そうなると最終的にいつも「自己処理」になる。
そのように既婚者たちは言った。
ちなみに自己処理が積み重なった結果、友達の1人は医者通いしないといけなくなったぐらいに体の一部に異変をきたした。
何でも口にするタイプの友達が体を悪くしたというのが本当に驚いた。
結婚しても夫婦の関係は出来上がるものじゃない。
ましてや寂しさや心許なさが薄まるということはないと改めて知った。
ふと、私は気付いたことがある。
私はどんなに強烈な状況下にあっても、男の人に甘えたいとならない。
何でもかんでも自分1人で何とかしようとしたり、1人で抱え込む方が楽だと思っている節がある。
甘えるのも本当に下手くそだし、自分の本音を上手く伝えられない。
そして、くだんの友達が言うように、いざ出会いがあって相手が気に入ってくれても、自分側が同じ温度で相手を想えないことや相手が気に入ってくれていても自分側がその人と結婚したいと思わなければ重たく感じることもあって、色々上手くいかないと説明していた。
そこまで聞いて、あれは本当に奇跡的な出逢いだったんだと改めて思った。
理性も常識もぶっ飛んで一緒にいたいと思える人と出逢えるなんて本当に普通にないことなんだと知った。
それってすごくしあわせなことなんだと思えた。
結果はどうあれ、この年になってそんな人と出逢えることがすごいと感じた。
行きも帰りもその人の誕生日のナンバープレートを見かけた。
行きは目の前を走る車がそうで、帰りはゴチャゴチャした道で対向車を優先させるのに止まった場所からちょうど見える位置に車が1台止まっていて、その車がそうだった。
年内はあと出かけない予定だし、年明けも今のところ家にこもる予定でいる。
しばらくは外に出ないだろう時に、そうやってその人の誕生日のナンバープレートをタイミングよく2台も見れて、今年も無事に年を越せそうだと思えた。
年の終わりにそのようなラッキーアイテムを見れて、それだけで私は気持ちが上向いて明るくなれた。
こういうところは自分のおめでたいところだと感じる。
その人から一緒に過ごしたいと思ってもらえた女の人たちというのは何と羨ましいことかと思うけれども、自分はそういうのは手に入らない代わりに、自分の気持ちを立て直したり温めたりする方法を手に入れることがもしかしたらしあわせに繋がるのかもしれない。
私のしあわせ定義とズレているだけで、本当はそれが大事なのかもしれない。
今でもその人の人生の中に自分もいたかったと思うし、一緒に時間を重ねたかったなぁと思う。
でも叶わないなら叶わないで、誕生日のナンバープレートを見て今年1年の締めもバッチリと結論付けられる自分は凄いし、暗く沈んでいるよりも頭の中お花畑みたいな明るい方が良い。
音楽イベントも格闘技も年越しそばもお雑煮もおせちも年賀状も、ありとあらゆる年末年始の1ページに私は加われないけれども、距離も時間も関係なく好きなように自分の気持ちを愛でられるのはある意味とっても恵まれていてしあわせなのかもしれない。
2019/12/30 21:43
結局のところ、読み返すとすごい毒吐きはしなかった。
毒吐き的な言葉や想いが一番強く渦巻いていた頃(クリスマスが終わったあたりだったと思う)、私はやるせなさと悔しさともどかしさみたいなのがあった。
ブログが届くと知った私は、さらに自分の欲を強めた。
2年前の秋の私は、ブログが届くなんて全く考えられなかった。
どんな確率かと思った。
ゼロに近い確率に賭けた。
たしかに私は文章を書くことに苦手意識はないし、普段から私生活でも仕事でもあれこれ記録することに慣れていたから書き続けることに対してできるかな?みたいな不安は一切なかった。
なかったけれども、書けるからと言って書き続けられるわけじゃない。
書き続けるには、それを支えるだけの気持ちがないと実行できない。
力を出す時に、どの部分を使っているのかを見る。
何とも重たい話かもしれないけれども、その人にまつわる何かを書く時の私は全身全霊という言葉がぴったりで、そうなってしまうくらいに「どうか届きますように」と超真剣に祈りながら書いている。
それがいつしか「届いたらいいな」から「届いているかもしれない」へ、そして「確実に届いている」に変わっていった。
今でも忘れられない。
2年前にその話をその時仲良くしていた子にした時に、「そんなことってある?何でそう思えるの?」と言われた時があった。
本気で悔しかった。
だけど、私が信じられたのは、その小さな可能性に賭ける自分の気持ちだけだった。
どんなにおかしいと思っても、私にはそれしか信じられるものがなかった。
魂の関係云々も、本当にそうだと知るのはもっと後の話で、それだって今も半信半疑みたいな気持ちもある。
その小さな可能性に賭けた私の願いが本当に叶って2年ほど。
欲とは恐ろしいものでもっと欲しくなる。
ブログを読んでくれるのなら、連絡くれてもいいじゃん!とまた勝手なことを思ったりする。
なんなら少しくらい会う時間を作ってくれてもいいのに…みたいな。
ちなみに私には何の記事がよく読まれるかまでわかるから、ついでに注文を付けると、他の記事たちももっと読んでくれたらいいのにな、なんて贅沢なことを思っていたりもする。
あまりにもたくさん読まれているものに関して、私は1〜2ヶ月に1回、自分でも読んでみようと試みている。
自分で書いといてなんだけど、最後まできちんと読めたためしがない(途中で飽きたり、長いと思って流し読みを私はする)。
どれも何がそこまで面白いのかさっぱりわからない。
そのわからない面白さよりも私書き手としては、こっちの方をもっと読んで欲しいのに…なんて思っていたりもする。←自分で自分が超面倒くさい。
今日、友達と会った後にハイスペ男子から連絡が来た。
私の知っている人の中で5本の指に入るハイスペ男子だと思う。
ハイスペ男子からは、共通の友人に会って私の話が出てきて、私の消息が気になりますとあった。
ハイスペ男子はその後続けて、ダウジング的なことはどうなったかも聞いてきた。
ハイスペ男子とやりとりして、その人も実はそういう変わったジャンルの変わった人に興味がある1人なのかもしれないと思った。
その人は私じゃなくて私の変わっていることに興味があるだけなのかもしれないな…なんて思った。
ここ最近、友人ノムから私の世間ズレしている「異端」と呼べるものが具体的にどういうものかの説明を何回かに分けて伝えてもらった。
内容は割愛するけれども、それは異端であると同時にそれを見た人たちからすると忘れられないことにもなったりする、というようなことを教えてくれた。
その人からしても私は異端だったのかもしれないし(一応普通の社会人風は装っていた)、それこそそういう意味でインパクトがあって印象に残る人なのかもしれない。
いずれにしても、ブログはどういうわけか届くようになって、今という時を迎えている。
これが一般的な人なら、何でごはんを一緒に食べるのは断ってブログは読むの?何なのそれ?となると思う。
私はその辺りそんな風には考えなくて、ごはんはごはん、ブログはブログ、もっと言うと2年前は2年前・今は今と思っている。
だから今から連絡1つあったのなら私はスーパーウェルカムだし、ごはん行こうなんて言われたら私は喜んで出かけていく。
あと、気になるのかもしれないから情報提供すると。
私が東京でホロスコープを受けた先生は、「リマーナすず」先生。
占星術講座の先生で個人鑑定もされているのが「桐吉謳子」先生。
すず先生の方は予約して受けれるのが1ヶ月先とかになるかと思う。
桐吉先生は春先まで骨折の自宅療養中で、それまでは鑑定休止と言っていたけれども、ゴールデンウィークの頃には鑑定を再開するかなと思う。
2人とも変わってなければ90分4500円で、対面だけじゃなく電話対応もしてくれる。
万が一武士俣鑑定希望なら、個人的に連絡くださいだし。
話を戻そう。
私は自分の気持ちが変わることを願ったりもしたけれども、これからだっていつ何時それを願うか知らないけれども、それでも少なくとも私は連絡が欲しいのも時間が欲しいのも全く変わらずにここまで来てしまった。
ブログは見つけてもらえたことも相変わらず嬉しいし、読んでくれてありがとうと思っている。
どんな気持ちで読んでくれているのか興味津々だし他にも聞いてみたいことはたくさんあるけれど、それがいつか本当に聞ける瞬間が訪れたのならとっても嬉しいし、そんな日が本当に来たのなら夢のようだなと思う。
私は常に一方的で、その人にはこの一連のことがどんな風に映っているのかを知らない。
だけど、私が色んなことを思ったり感じたりしたように、その人だってその人にしかわからない思いや感じがあったと思う。
いつかその人の時間軸と私の時間軸がもう一度交わることがあったのなら、本当に素敵だなと思う。
交わり方も第一希望は何回も何回も普通にやりとりできるようになることだけど、それがたった一度超ショートメールとか超ショートタイム的なやりとりでもいい。
このよくわからない状態に私も悶々とはするけれども、でもそれをネチネチと言ったり責めたりする気持ちはない。
私にとっても訳が分からないように、その人にしてみても訳が分からないこともたくさんあったんだろうと思う。
結局聞かずじまいで終わったけれども、その人のことを一言も話に出したことがないのに、その人がどういう人かということを突然私に伝えてきた霊視ができるヒーラーさんに去年の今頃だったと思うけれども、言われたんだった。
ヒーラーさんいわくあまりにも特殊な関係らしく、本人はただただ混乱するばかりで自分じゃ事の次第や何がどうなってるかなんて説明できないと思います、って。
本人からしても「これは何なんだ??」となって全く理解できない状態なんじゃないかと、この辺りは霊視して言っているのかヒーラーさんの個人予測で言っているのかわからなかったけれども、そのように言っていた。
だからホロスコープの記事をたくさん読むのかしら。
変な関係だよねー、なんかよくわかんないよねー、と言い合えたらどんなに良いかと思う。
これでこのことをこの記事の中で書くのはおしまいにするけれども、そもそも書こうと思ったのは、私のスタンスや気持ちを明らかにしようと思って書き始めたんだった。
覚悟を決めたと言ったのは、そこだった。
きちんと自分の意志表明をしようと思った。
かなり恥ずかしいけれども、何考えてるのかわからないではなく、せめて「私の考えはこれこれこうです」とわかるようにしておきたいと思った。
連絡は年中無休で待っているし、無視したり辛辣な返信をしたりもしない。
連絡が欲しいし、本当にやりとりできるようになったら良いなと思っている。
重たいと思われてもおかしくてぶっ飛んだ人と思われてもいい。
そのどれでもいいから、いつかのタイミングでやりとりできますように、とまた今年の年の瀬も一夜明けて新年迎えてもそう願うだろう。
今年1年も私は心の支えとしてその人のことがあったのは変わらずだった。
色々思うけれども、そういう人を心の中でもそっと持てるというのは本当に幸運なことだと感じている。
今年1年もありがとうございました。
おかげさまでなんとかなった1年。
ありったけの感謝を込めて。
2019年大晦日
(完)
嬉しい言葉をもらった。
本当に嬉しかった。
だけど、脳内ではお願いしなくても別のテーマとその言葉を重ね合わせる。
同じ土俵に乗せること自体おかしいのもわかっているし、またもや妄想炸裂みたいな話なのもわかっている。
でも、自分がずっとこんなことを続けるのかと思うととてもしんどいし、とにかく外に出してしまいたい。
また何も起こらないと思っている。
だけど、こんなのをまた来年も自分の中で続くのかと思うと、自分の中の何か大切な部分がシクシク、チクチクと痛みを覚える。
すべてはなるようにしかならない事もよくよくわかっている。
起こらないことはどこをどうやっても起こりようがない。
だけど、そうだといくら頭で考えても納得できないものは納得できない。
書いたからと言って納得できないこともわかっている。
書くから納得できた!とならなくても、「伝える」ことでせめてもの納得を得ようと思っている。
一体全体私は何をしているのだろう…と思うけれども、もうどうやっても色々おかしいから、そのおかしいことや納得できないことをせめて100から99に減らせないかと奮闘して書く。
自分の欲深さや業も丸出しでかなり恥ずかしいことではあるけれども、そうやってしても伝えたいから書く。
2019/12/23 お昼過ぎ
上の続きを書く前にもう1つ付け足してから話をしたい。
これを書く前に『職場の風景』と題したブログを先にアップした。
時系列で言うと。
23日……激情型
24〜25日……穏やか型
26日……覚悟型
と同じ内容に触れるにしても変わっている。
まずは、激しい気持ちが、どちらかと言うと責めたくなるようなそういう手の激しさがドバドバと自分の中から出てきた。
それはこの後書く。
そして、何がきっかけかもはや忘れたけれども、途中からは穏やかな気持ちに推移した。
その穏やかな気持ちで書いたのが過去の職場で私が見ていた風景だった。
その後、本当に書くかは今の段階ではわからないけれども、年末年始を迎えるにあたって毎年恒例のごとく自分の中に強い余波を残しているものと、じゃあそれはそうと私がどうしたいのかを書けたらいいと思っている。
自分の本心を口にすることは、覚悟を問われる。
今日は〇〇が食べたいなみたいな話は緊張も何もないけれども、自分の気持ちや考えを言うのは覚悟がいる。
焦っているのとは違うけれども、来年2020年の自分のことを想像する時に、来年はもっと色んなことを言えなくなるかもしれない…と思う。
これだけ言ってもダメなものはやっぱりダメだから、ダメならダメで自分の気持ちの軸を少しずつ変えたい。
2019/12/26
年末年始は少し気持ちが重たい。
2年前、聞いてもいないその人の年末年始の恒例行事的な約束を知った。
その人はライブなのか音楽フェスなのかに出かけるらしかった。
1人じゃない。
相手がどんな人かまで、なぜか情報はやってきた。
聞いてもいないその情報は、真偽のほどはわからなくても私を大きく打ちのめした。
ちなみに、実際の関係性は知らないけれども、2年前の年末年始は面白いことが起きた。
その話を聞いた瞬間からそのことがずっとずっと頭にあって、気がおかしくなりそうだった。
さらにその時は魂の関係について暇さえあれば毎日調べていたから(毎日毎日、仕事行っていたにも関わらず最低1時間以上はやったと思う)、そうした情報だけはものすごい勢いで吸収していった。
調べた中で、そうした魂の関係の強い人に出会うのは、霊性開花のためとあって、私はそんなのは本気でいらなかったし、何が悲しくて一緒にもいられなければ、さらに本人はもういないのにどうしてそういう余計な情報まで来るのかと思っていた。
一緒にいられなくてもせめて情報はいらない。
苦しいことばかりが続いて、霊性開花なんぞくそくらえぐらいに思っていた
霊性なんかいらないから、その人と会える時間をくださいと思った。
そしてどういうわけか聞いていないのに知ってしまったその人の個人の予定なんか、記憶ごと消し去ってください、と本気の本気で願った。
1年の垢落としに天然温泉が良いと聞いて実際に出かけたけれども、温泉に入ろうが記憶など抹消されるわけもなく、悶々とする気持ちは続いた。
自分でも、認めたくなかったけれども、自覚は少しずつあった。
不思議なシンクロとか、とにかく私が自分の道にきちんと進むような、それらのメッセージを伝える人たちが次々に現れていた頃でもあって、色々普通じゃないことは気付いていた。
今(2019年)はまだかなりマシになったけれども、当時は今以上に反発も強ければ、絶対に信じない、自分の希望が何も叶わないのに何でそのわけのわからないことばかりが起こり続けるのか、そんなのは気のせいだと思おうとした。
そして、その人の年末の予定を聞いて、ますますその人と私とは何の関係もなくすべて自分側の一方的な気持ちや出来事だったんだと全力でそのように結論付けようとしていた。
というそんな時に、奇跡は起きた。
温泉に行く時も私は迷子になって(iPhoneでマップを見て進んだにも関わらず)、私は帰りはペンジュラムに聞いて進んだらどうかと思った。
そんなこと一度もしたことがなかった。
自分の気持ちはブレブレだし、メンタルは叩きのめされているし、色々ダメだと思って、ペンジュラムには何の期待もしなかった。
だけど、私はその時おかしなことを思った。
「もし本当の本当にその人が縁のある人なら、私にそうだとわかるサインを見せて欲しい」
大真面目にそう願ってからのペンジュラムを使っての運転だった。
ペンジュラムの道案内は本気で凄まじかった。
民家が建ち並ぶ道や見知らぬ地元民しか知らなさそうな道をバンバン案内された。
ペンジュラムまで狂ったと私なんかは思った。
最悪iPhoneでナビしたらいいと思っていたから、ペンジュラムへの期待もほぼほぼゼロで、まさかペンジュラムが道案内をしてくれるわけない、その人もその人の人生をいくから、その人と私とが交わらないように、ペンジュラムも道案内なんて芸当をするわけないと思った。
どこをどう走っているのかもわからず走っていたら、なんとお目当てのコンビニのある大きな国道の交差点に出た。
本当に驚いた。
ペンジュラムはまさかの道案内を完璧にして、しかも私が肉まんを買いたくて行きたいと思ったそのコンビニをピンポイントで案内した。
同じ道を走れと言われても私は同じ道を走れないし、夜だったから余計とどこをどう走ったのか知らない。
ペンジュラムはその時単なる道案内をしたんじゃなかった。
私がもう何も信じない、関係なんてあるわけない、すべて自分の勘違いで何か激しすぎる思い込みでひと夏が存在していて、その夏にたまたま相手の人がいるだけだった、相手の中から私は消えただろうし、相手は相手で新しい生活が始まっているから私はもはや何の人でもない、それがすべてだと思った。
そう思った矢先のペンジュラムの道案内で、ペンジュラムは完璧すぎるパフォーマンスを目の前で披露してくれた。
絶体絶命とは違うけれども、本当に何かを信じることも怖ければ、すべて否定して自分をなだめるくらいしか方法が思い浮かばなかったその時に、ペンジュラムは奇跡を見せてくれて、そっと私に寄り添うようにそこにいてくれた。
今でもあれが何かなんて言葉では説明できないけれども、ペンジュラムはそんな風にパワーアップする時は、どういうわけかその人が絡んでいる。
何でそうなのかは知らないけれど、実際にそうなっている。
その時に少し気持ちが落ち着いた私は、肉まんを買い終わると、今度はすぐ近くの大きな川の前の駐車場を目指した。
私にしたらすべてが始まった場所だった。
その川の駐車場は、その人の転勤を私の当時の教育係から聞かされた日の昼休みに行った場所だった。
ごはんに誘われたことが本当に嫌だったようで、あからさまに嫌そうな態度を目の前で見て、私はもうそっとしておこうと思っていた。
仕事に超行きにくかったけれども、元々仕事上絡みがなかったからそっとしておけば良いと、それで表面上だけでも穏便にできると考えた。
その2日後の朝、転勤を聞かされて、私は茫然自失となった。
その日の昼休みこそ、ペンジュラムが初めて新しい動きを見せてくれた時だった。
ペンジュラムの動きは決まっていて、当時は時計回りのYESと縦揺れのNOしかなかった。
それ以外の動きをしたことないって知っていたから、私はわざとそのペンジュラムを使って賭けに出た。
他の動き方を絶対にペンジュラムはしないって100%確信していた。
もしペンジュラムが見たこともない動きをしたのなら、私は自分の気持ちに従って動こうと思った。
そんなこと起こるわけないと知って、それでペンジュラムを手に取ってペンジュラムの動きを見たのが、その川の近くの駐車場でだった。
そこでペンジュラムは予想だにしなかった動きを披露して、そしてそこが私にとっての転機となった。
ペンジュラムがそのような新しい動きを見せてくれなければ、私はその後実際に動いたようには動かなかった。
その人が1人でいそうなところを狙って話しかけに行ったり(←撃沈)、嫌がらせみたいな長さの手紙を書いて渡したり、そういうおかしなことはしなかった。
その時のことがなければ、私は多分今は全く違う人生を歩んだと思う。
ペンジュラムがナビを完璧にしてくれたことで、私はそのさらに3ヶ月以上前に起こった新しいペンジュラムの動きを見た川へと出かけた。
この話には起承転結はないけれど、2年前の年末の風景は今も強烈に自分の中に残っている。
すごく悶々としていた自分と、その人がいたことで私側の人生のあれやこれやのスイッチが入ることを色々思った。
まさかその時、当時のことがその後2年もズルズルといくなんて、想像さえしていなかった。
*
「もし俺があと20若かったら、おまえさんに結婚を申し込んでた。
俺は女遊びはたくさんしてきた。
してきたけれども、翌日になると忘れる。
全部忘れる。
でもおまえさんは違う。
おまえさんは美人じゃない。
だけど、会うと翌日も印象に残る。
こう、何て言うかな、自分の中に残る」
これはクリスマス前の週末に米の仕事で知り合ったヨシダさんと飲んだ時に言われた言葉だった。
ヨシダさんから預かった農業の資料を作り終わったから、それを渡すのと一緒にヨシダさんが飲もうと誘ってくれてた。
これは単純に言われて嬉しかった。
私は美人じゃないし、男の人たちが遊びたくなるようなそういう女の人ではない。
ヨシダさんは70歳で、70歳からしたら40歳の私は若いだろうし、その差がこうした言葉を引き出せたのかもしれない。
そこにプラスして、私がするヨシダさんの資料作りはヨシダさんにとって想定外のことだった。
ヨシダさんが思っていた以上のことをどうやら私はしているらしい。
「ここまでしてくれるとは思ってもみなかった」と何度言われたかわからない。
そういう諸々がプラスアルファであったから、言われた言葉だったのかもしれない。
誰かの中に印象に残るというのは、とっても嬉しいことだった。
ヨシダさんはこうも言った。
「おまえさんはまだ飲み足らない」
そう言ってもっと飲めと言ってきたのだけれど、私が十分に飲んでるから大丈夫と言うと「いやいや、まだまだだ」とヨシダさんは言う。
ヨシダさんいわく、
「おまえさんは飲むとほんのり顔が赤くなる。
今日はまだ赤くないから、だから飲み足らない」
とのことだった。
そんなこと、飲むようになった年齢の頃から初めて言われた。
私はいわゆる酒豪、ザルと呼ばれるアルコールガンガンいけるタイプで、これまで色んな人たちと飲んできたけれども、誰もそんなこと私に言ってきたことがなかった。
飲んでもほぼ普段と変わらないし、たとえ多少上機嫌というか少しばかりテンションが高くなっても、絡むとか泣き出すとか怒り出すとか触るとか、そうした厄介なことは一切しないし、飲めば飲むほど相手側が深い話ができたりもするから、私はこれまで何人かの男友達や職場の男性たちから「一緒に飲みやすいし、楽しく飲める」と言ってもらえた。
実際に相手の人たちが酔い潰れても私は平気なんてこともざらにあるから、飲んで可愛く酔える女の人たちがある種羨ましく、あんなのは私は飲んでてもシラフとほとんど変わらないから、絶対に酔ったフリとか相手に擦り寄るとか絶対にできない。
飲める男の人たちと同じペースで飲めてしまうし、酔わないしで、飲んでいる時に何か私の変化について言ってきた人は、ヨシダさん以外には誰もいなくて、だからヨシダさんがが初めてだった。
しかももっと言うと、それは相当きちんと見ないとわからないことで、普段私は「飲んでも顔色ひとつ変わらないね」と言われるから、本当によく見ないとわからないことだと思う。
そんなやりとりがあって、2つのことを思った。
1つには、癒された。
ヨシダさんと会う数日前のことだったと思う。
職場であまりにもわからない内容を英訳する関係で、依頼者の設計男子が私と私の教育係の2人を連れて製作現場に行って具体的なものを見せて説明してくれた時があった。
今の職場には数百人従業員がいるかと思うけれども、女性はどんなに多く見積もっても数十人しかいない。
「女というだけで珍しい」みたいな環境下で、特に製作現場は99%男と言っても過言じゃない。
そんな場所へと行った。
設計男子の知り合い的な人たちに途中会った。
本当は見せたかった機械が1つも見当たらず、どうしたのかを設計男子は聞いていた。
その人たちいわく、みんな出荷されて出払ったとのことで、その短いやりとりの間の本当に小さなことだった。
3〜4人ほどいた男の1人の人が、話そっちのけで私の頭からつま先まで一巡して品定めするかのように見ていた瞬間があった。
それが好意的な視線とは違っていて、ブスだと言いたいのか、あの体型無いわと思っているのか、真相はわからないけれども、決してそれをされた側は気持ち良くはいられないタイプの視線だった。
こんなこと滅多に起こらないけれども、その時の私はその様子を見て少なからず傷ついた。
言葉にすると伝わりにくいけれども、好意的ではない、悪意とも違うけれども、品定め的な感じで見られるのが本当に嫌だった。
私の教育係の女の子みたいな可愛さや可憐さはなく、そちらと比べたら同じ女として私側はかなりいたたまれなくなる。
私は心底嫌だったけれども、人としてましてや社内の人なわけだから変な風にもできないから、他の人たちにするように会釈して、顔も相当表情に気をつけて笑いはしないけれどもそこそこ愛想良くするくらいのことはした。
でも内心は、本当に嫌で、あの目線1つに傷付いた私がいたのも本当だった。
そんな風なことがあった後のヨシダさんの言葉で、本当に嬉しかった。
ヨシダさんの言葉は好意的に見てもらえてることが伝わってきたし、同じ見るでも全然中身は違う。
ヨシダさんの言葉を振り返った時に、もしかして…と、少しよりもかなり、期待したことがあった。
ヨシダさんは私のことを「印象に残る」と言った。
もしかして、その人にとっても私は印象に残る人となったのかもしれない。
美人ではないし、その人の好みやタイプは知らないけれども、何も私をより好むなんてことは考えられない。
だけど、私という人物そのものは何かしら印象に残ったのではないかな…と思った。
本気で私が受け付けられなければ、私の書くこの文章をその人は読まないと思う。
ごはん行くとかはごめんでも、ブログを読むのは嫌ではないのだとするなら、ヨシダさんが言うように「印象に残る」ものを私が持っている、と思ってもいいのかもしれない。
心には残る、私の立ち位置はそういうものなのかもしれない。
ましてや魂の関係なら、余計とそうなんだろう。
なんだかよくわからないけれども、とにかく何かしら余韻が残る。
そういう感じの存在なら、なんとなく今の状況もこの2年ほどの状況も納得がいく。
別にブログを読むだけなら、形ある関係性は要らないし、そんなのなくても自分の読みたい時に読みたいものを読みたいペースで読めばいいわけだから、そういうことなら今の状況は、私の中で納得はできないけれども説明としてわからなくもない。
これはその人とは関係ないけれども、ヨシダさんみたいな感じで私を見てくれる人と一緒になりたいと思った。
私は美人とかスタイルが良いとかでもなければ、ある時はズバッと物を言って男の人たちの怒りの琴線に引火したり(←悪意はないけれども、私の無知さや世間ズレな部分が成果とか肩書とかを重視する男の人たちを過去に何人か怒らせた)、女子力も高くなければ、格好も適当、太ってもダイエットしないし、色々抜けてるところや欠点となるところを挙げたらキリがない。
だけど、自分という人間そのものに興味を持ってもらえるとか、飲んだ時の小さな変化に気付いてもらえるとか、そういうのは嬉しい。
外見的なものやふるまい的なもので勝負などはなからできない私は、そういう「個性」と呼べるべき部分を見てくれる人となら、相手の人も私と楽しく一緒にいられるだろうと少しは思う。
私に美貌だのスタイルの良さだの目に見える女子力だのを求められても、残念すぎるくらいに何も提供できない。
相手の人が私と一緒にいられて良かったなどと思ってもらうには色々ハードルが高いものがあるから、だから私に興味のある人とならその人も私といられて良かったと思ってもらえるかな…と想像する。
もし残りの人生でそんな人と出会えたとするなら、それは人生最大の奇跡になるなぁと今から想像している。
ここからが毒吐き本番。
ヨシダさんの言葉を後から振り返った時に、どうしてその言葉を私は言って欲しい人から言ってもらえないのだろう…と思った。
結婚を申し込まれたいとかそんなハードルの超高いものではなく、一緒に飲みたいでも時間を過ごしてみたいでもそのように思ってもらえないことがもどかしかった。
すごい悔しいと感じることもある。
ブログは読んでくれるのになぁ……、会うのや連絡するのはそんなに嫌なのかと思ったら本当にやるせない。
これを書いている今、超激情に呑まれていた時のようにはもう書けなくなっている。
毒という毒が次から次へと出ていた。
それが今は出てこなくなった。
2019/12/30
年の瀬も迫る今、今年のうちにアップしたいものはアップしようと思っている。
ご縁が無いというのはどうにもならない。
それは願ったり祈ったりしたら手に入るものじゃ絶対にない。
今日の昼間、高校からの友達に会ってきた。
みんなそれぞれ生きている世界は違うものの、今も繋がっている超希少な関係にある。
その中の1人が最近あった出会いについて話をした。
友達が婚活的な出会いの場に出かけた理由は、色々あった時に誰かに甘えたい、そう思って行ってきたとのこと。
そして、いざ1人の人とやりとりが始まったら、相手の求めているものが自分にとって重たいもので、自分は今の今、すぐに結婚したいのとは違うと気付いた、と言っていた。
既婚者たちはさらにすごい言葉というか、リアルな日常を教えてくれた。
「自己処理」
要は、色々重なって誰かに甘えたい、話を聞いてもらいたいと思っても、物理的に家族はいても家族は甘えられる対象ではない、むしろ旦那に話をしようものなら逆に疲れるだのしのごの言われてケンカの元になるから、だから余計なことは言わないのだそう。
そして、行き場のない気持ちや想いは誰かがいても結局は自分1人でなんとかするしかなく、そうなると最終的にいつも「自己処理」になる。
そのように既婚者たちは言った。
ちなみに自己処理が積み重なった結果、友達の1人は医者通いしないといけなくなったぐらいに体の一部に異変をきたした。
何でも口にするタイプの友達が体を悪くしたというのが本当に驚いた。
結婚しても夫婦の関係は出来上がるものじゃない。
ましてや寂しさや心許なさが薄まるということはないと改めて知った。
ふと、私は気付いたことがある。
私はどんなに強烈な状況下にあっても、男の人に甘えたいとならない。
何でもかんでも自分1人で何とかしようとしたり、1人で抱え込む方が楽だと思っている節がある。
甘えるのも本当に下手くそだし、自分の本音を上手く伝えられない。
そして、くだんの友達が言うように、いざ出会いがあって相手が気に入ってくれても、自分側が同じ温度で相手を想えないことや相手が気に入ってくれていても自分側がその人と結婚したいと思わなければ重たく感じることもあって、色々上手くいかないと説明していた。
そこまで聞いて、あれは本当に奇跡的な出逢いだったんだと改めて思った。
理性も常識もぶっ飛んで一緒にいたいと思える人と出逢えるなんて本当に普通にないことなんだと知った。
それってすごくしあわせなことなんだと思えた。
結果はどうあれ、この年になってそんな人と出逢えることがすごいと感じた。
行きも帰りもその人の誕生日のナンバープレートを見かけた。
行きは目の前を走る車がそうで、帰りはゴチャゴチャした道で対向車を優先させるのに止まった場所からちょうど見える位置に車が1台止まっていて、その車がそうだった。
年内はあと出かけない予定だし、年明けも今のところ家にこもる予定でいる。
しばらくは外に出ないだろう時に、そうやってその人の誕生日のナンバープレートをタイミングよく2台も見れて、今年も無事に年を越せそうだと思えた。
年の終わりにそのようなラッキーアイテムを見れて、それだけで私は気持ちが上向いて明るくなれた。
こういうところは自分のおめでたいところだと感じる。
その人から一緒に過ごしたいと思ってもらえた女の人たちというのは何と羨ましいことかと思うけれども、自分はそういうのは手に入らない代わりに、自分の気持ちを立て直したり温めたりする方法を手に入れることがもしかしたらしあわせに繋がるのかもしれない。
私のしあわせ定義とズレているだけで、本当はそれが大事なのかもしれない。
今でもその人の人生の中に自分もいたかったと思うし、一緒に時間を重ねたかったなぁと思う。
でも叶わないなら叶わないで、誕生日のナンバープレートを見て今年1年の締めもバッチリと結論付けられる自分は凄いし、暗く沈んでいるよりも頭の中お花畑みたいな明るい方が良い。
音楽イベントも格闘技も年越しそばもお雑煮もおせちも年賀状も、ありとあらゆる年末年始の1ページに私は加われないけれども、距離も時間も関係なく好きなように自分の気持ちを愛でられるのはある意味とっても恵まれていてしあわせなのかもしれない。
2019/12/30 21:43
結局のところ、読み返すとすごい毒吐きはしなかった。
毒吐き的な言葉や想いが一番強く渦巻いていた頃(クリスマスが終わったあたりだったと思う)、私はやるせなさと悔しさともどかしさみたいなのがあった。
ブログが届くと知った私は、さらに自分の欲を強めた。
2年前の秋の私は、ブログが届くなんて全く考えられなかった。
どんな確率かと思った。
ゼロに近い確率に賭けた。
たしかに私は文章を書くことに苦手意識はないし、普段から私生活でも仕事でもあれこれ記録することに慣れていたから書き続けることに対してできるかな?みたいな不安は一切なかった。
なかったけれども、書けるからと言って書き続けられるわけじゃない。
書き続けるには、それを支えるだけの気持ちがないと実行できない。
力を出す時に、どの部分を使っているのかを見る。
何とも重たい話かもしれないけれども、その人にまつわる何かを書く時の私は全身全霊という言葉がぴったりで、そうなってしまうくらいに「どうか届きますように」と超真剣に祈りながら書いている。
それがいつしか「届いたらいいな」から「届いているかもしれない」へ、そして「確実に届いている」に変わっていった。
今でも忘れられない。
2年前にその話をその時仲良くしていた子にした時に、「そんなことってある?何でそう思えるの?」と言われた時があった。
本気で悔しかった。
だけど、私が信じられたのは、その小さな可能性に賭ける自分の気持ちだけだった。
どんなにおかしいと思っても、私にはそれしか信じられるものがなかった。
魂の関係云々も、本当にそうだと知るのはもっと後の話で、それだって今も半信半疑みたいな気持ちもある。
その小さな可能性に賭けた私の願いが本当に叶って2年ほど。
欲とは恐ろしいものでもっと欲しくなる。
ブログを読んでくれるのなら、連絡くれてもいいじゃん!とまた勝手なことを思ったりする。
なんなら少しくらい会う時間を作ってくれてもいいのに…みたいな。
ちなみに私には何の記事がよく読まれるかまでわかるから、ついでに注文を付けると、他の記事たちももっと読んでくれたらいいのにな、なんて贅沢なことを思っていたりもする。
あまりにもたくさん読まれているものに関して、私は1〜2ヶ月に1回、自分でも読んでみようと試みている。
自分で書いといてなんだけど、最後まできちんと読めたためしがない(途中で飽きたり、長いと思って流し読みを私はする)。
どれも何がそこまで面白いのかさっぱりわからない。
そのわからない面白さよりも私書き手としては、こっちの方をもっと読んで欲しいのに…なんて思っていたりもする。←自分で自分が超面倒くさい。
今日、友達と会った後にハイスペ男子から連絡が来た。
私の知っている人の中で5本の指に入るハイスペ男子だと思う。
ハイスペ男子からは、共通の友人に会って私の話が出てきて、私の消息が気になりますとあった。
ハイスペ男子はその後続けて、ダウジング的なことはどうなったかも聞いてきた。
ハイスペ男子とやりとりして、その人も実はそういう変わったジャンルの変わった人に興味がある1人なのかもしれないと思った。
その人は私じゃなくて私の変わっていることに興味があるだけなのかもしれないな…なんて思った。
ここ最近、友人ノムから私の世間ズレしている「異端」と呼べるものが具体的にどういうものかの説明を何回かに分けて伝えてもらった。
内容は割愛するけれども、それは異端であると同時にそれを見た人たちからすると忘れられないことにもなったりする、というようなことを教えてくれた。
その人からしても私は異端だったのかもしれないし(一応普通の社会人風は装っていた)、それこそそういう意味でインパクトがあって印象に残る人なのかもしれない。
いずれにしても、ブログはどういうわけか届くようになって、今という時を迎えている。
これが一般的な人なら、何でごはんを一緒に食べるのは断ってブログは読むの?何なのそれ?となると思う。
私はその辺りそんな風には考えなくて、ごはんはごはん、ブログはブログ、もっと言うと2年前は2年前・今は今と思っている。
だから今から連絡1つあったのなら私はスーパーウェルカムだし、ごはん行こうなんて言われたら私は喜んで出かけていく。
あと、気になるのかもしれないから情報提供すると。
私が東京でホロスコープを受けた先生は、「リマーナすず」先生。
占星術講座の先生で個人鑑定もされているのが「桐吉謳子」先生。
すず先生の方は予約して受けれるのが1ヶ月先とかになるかと思う。
桐吉先生は春先まで骨折の自宅療養中で、それまでは鑑定休止と言っていたけれども、ゴールデンウィークの頃には鑑定を再開するかなと思う。
2人とも変わってなければ90分4500円で、対面だけじゃなく電話対応もしてくれる。
万が一武士俣鑑定希望なら、個人的に連絡くださいだし。
話を戻そう。
私は自分の気持ちが変わることを願ったりもしたけれども、これからだっていつ何時それを願うか知らないけれども、それでも少なくとも私は連絡が欲しいのも時間が欲しいのも全く変わらずにここまで来てしまった。
ブログは見つけてもらえたことも相変わらず嬉しいし、読んでくれてありがとうと思っている。
どんな気持ちで読んでくれているのか興味津々だし他にも聞いてみたいことはたくさんあるけれど、それがいつか本当に聞ける瞬間が訪れたのならとっても嬉しいし、そんな日が本当に来たのなら夢のようだなと思う。
私は常に一方的で、その人にはこの一連のことがどんな風に映っているのかを知らない。
だけど、私が色んなことを思ったり感じたりしたように、その人だってその人にしかわからない思いや感じがあったと思う。
いつかその人の時間軸と私の時間軸がもう一度交わることがあったのなら、本当に素敵だなと思う。
交わり方も第一希望は何回も何回も普通にやりとりできるようになることだけど、それがたった一度超ショートメールとか超ショートタイム的なやりとりでもいい。
このよくわからない状態に私も悶々とはするけれども、でもそれをネチネチと言ったり責めたりする気持ちはない。
私にとっても訳が分からないように、その人にしてみても訳が分からないこともたくさんあったんだろうと思う。
結局聞かずじまいで終わったけれども、その人のことを一言も話に出したことがないのに、その人がどういう人かということを突然私に伝えてきた霊視ができるヒーラーさんに去年の今頃だったと思うけれども、言われたんだった。
ヒーラーさんいわくあまりにも特殊な関係らしく、本人はただただ混乱するばかりで自分じゃ事の次第や何がどうなってるかなんて説明できないと思います、って。
本人からしても「これは何なんだ??」となって全く理解できない状態なんじゃないかと、この辺りは霊視して言っているのかヒーラーさんの個人予測で言っているのかわからなかったけれども、そのように言っていた。
だからホロスコープの記事をたくさん読むのかしら。
変な関係だよねー、なんかよくわかんないよねー、と言い合えたらどんなに良いかと思う。
これでこのことをこの記事の中で書くのはおしまいにするけれども、そもそも書こうと思ったのは、私のスタンスや気持ちを明らかにしようと思って書き始めたんだった。
覚悟を決めたと言ったのは、そこだった。
きちんと自分の意志表明をしようと思った。
かなり恥ずかしいけれども、何考えてるのかわからないではなく、せめて「私の考えはこれこれこうです」とわかるようにしておきたいと思った。
連絡は年中無休で待っているし、無視したり辛辣な返信をしたりもしない。
連絡が欲しいし、本当にやりとりできるようになったら良いなと思っている。
重たいと思われてもおかしくてぶっ飛んだ人と思われてもいい。
そのどれでもいいから、いつかのタイミングでやりとりできますように、とまた今年の年の瀬も一夜明けて新年迎えてもそう願うだろう。
今年1年も私は心の支えとしてその人のことがあったのは変わらずだった。
色々思うけれども、そういう人を心の中でもそっと持てるというのは本当に幸運なことだと感じている。
今年1年もありがとうございました。
おかげさまでなんとかなった1年。
ありったけの感謝を込めて。
2019年大晦日
(完)
2019年12月29日日曜日
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お♡し♡ら♡せ
写真の通り!
人生で初めて自分の名前が刊行物に載った!!!
わかりにくいと悪いから説明すると(♡´艸`)♡
最上部のStaffと出ている上から6番目、staff紹介の1番下の
『協力』
というところ。
全体の中で一番大きな文字の『おいせさん手帳 2020』ってところのすぐ上。
そこに、野村浩平(←ノム)の隣りに「武士俣史子」って出ている!!!
写真を拡大してどうぞ見てくださいませ!!
私の名前を見たところでご利益なんぞ何もないけれど、正真正銘「武士俣史子」の名があったでしょ!!!
一応欲しい人がいるかもわからないから、ワンクリックでポチれるように、Amazonも楽天もどちらも調べてリンク飛べるようにした(笑)!
(リンク不具合で、Amazonのリンク先は削除しました。リンクは外しましたが、Amazonからも注文可能です。2020.1.14)
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ノムいわく、Kioskなんかでも売っているらしいし、今なら東急ハンズやロフトの手帳コーナーとかにありそうだし。
田舎で東急ハンズやロフトと無縁の地域の方は、わりと大きなTSUTAYAで取り扱いある!(うちから一番近くて大きいところのTSUTAYAの手帳コーナーにあった!)
良かったら見てみてください!
私は1冊は編集者の方からもらえたけれど、もう1冊買おうかどうしようか思案中。
記念品として取っておきたいからそこに直接書き込めなくて、自分が書いた日の分だけは次の1年、何かしら一言直接添えたいから、その日の出来事でもその時にその自分の過去に書いた文章を見て感じたことでも、何かしら書きたいから、それ用に買おうかなと。
中身の見本はおいせさん手帳の紹介ページを見てもらえたら…と思うけれど、ノムと私とが書いた部分の想いの部分を少しだけここでは紹介。
ノムと私は1日一言メッセージみたいなものの40数日分を担当した。
ノムと私とで軸にしたことは、本当に気持ちが沈んだ時にそっと手を差し伸べてくれるもの、そっと寄り添ってくれるもの、今すぐ自分のために自分1人でできること、そういうヒントを発信しよう!だった。
2019.8.8のLINEより
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
<私→ノム>
人生苦行満載だから、常に癒しを自ら求める、その辺りの実体験付きでの癒しのアイディアなら、いくらでも提供できるのに!
素人だから逆に言うと。
ありきたりの知恵ならある種ネットで取り寄せられるじゃんね。
でも、さっきの梅の話も傘の話(注:梅と傘は最初に私がサンプルで作ったメッセージ)もあれ私の実話だから、どこにも書いてないし、でも小さなことだけど、本当に気持ちが沈んでる時とかは梅の匂いだったり雨音だったりにそっと心に手を差し伸べてもらえるんだよね。
ノムもノムならではの実体験や知恵があるじゃんね!それらを2人で出し合って1つの癒しのストーリーができたら、多分見本の金運祈願よりも実際にやってみる人いる気がする!!!
人間目線というか、「今すぐに癒せるよー」みたいなのがあってもいいのかな、って思う。
<ノム→私>
うんうん、そうだよね。あえて本で持っていたいってのは、お守りみたいなエネルギーというか、そういう要素があるものだったりする人も多いと思うし。3分の2は決まっているなら、残りの3分の1弱、ひと月にたぶん8日程度のNEWは、やわらかい部分に届く言葉にできたらいいね。ふーん、ってなる知識、情報じゃなくて、月の自分に届く人間目線のことば。
(注:「月の自分」というのは、一番素の状態になっている時の自分のこと)
<私→ノム>
月の自分に届く人間目線の言葉←胸ズキュンなフレーズ
エネルギーとしては、絶対に伝わると思う!!!
しかも、例えば夏に冬のページを見ても、その場面を想像するだけで何かそこからその人が自分だけのメッセージや思い出を受け取れると思うんだよね。それって単なる手帳ではないし、その人の心の鍵を開けるための1きっかけとかになりえそうだもんね!
<ノム→私>
いろいろありがとう! 盛りだくさん!! まず手帳のことは、ぼくの中で習慣的に「仕事」って即座に分類されちゃってたわけだけど、ぶっしーとやりとりする中で、手帳というのは、その人の相棒みたいな存在であり、秘密を書き、打ち明けられる親友みたいなものでもあり、さらに心の支えみたいなお守り的な存在にもなる特別なものとも言えるんだなあ、と思うようになった。そう手帳捉えてみると、やはり、やっぱり、落ち込んでいる自分をやさしく包むような言葉が書かれていてほしいな、と思う。朝読んだら心が軽やかになるようなそんな言葉。光の言葉✨ こういうぼくたちの感覚を共有、共感できる人だったら、すごくすてきな手帳になりそう🐬
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私の担当した日:
1月14日…蟹座月食後の今
1月17日…心を取り戻す日
1月23日…月読神社大祭
2月5日…立春後、春分に向けて
2月21日…太陽が魚座へ
2月29日…うるう年
3月1日…菜の花の時季
3月25日…牡羊座の新月から一夜明けて
4月2日…桜開花の季節
6月11日…傘の日
6月17日…紫陽花の見頃
7月20日…土用の梅仕事
7月27日…花火大会の時期
7月28日…不動明王の縁日
7月31日…自然とたわむれる日
8月8日…立秋翌日
8月19日…獅子座の新月
8月25日…太陽が乙女座へ
9月4日…くしの日
9月11日…愛をそっと取り出して思い出す日
9月13日…稲刈りの時期
10月21日…一粒万倍日
11月11日…1が4つ並ぶ、再生スタートの日
11月12日…皮膚の日〈い⑴い⑴ひ⑴ふ⑵〉
12月26日…新しい風の時代へ
ノムの担当した日:
1月19日…太陽が水瓶座へ
2月2日…上弦の月
2月26日…母倉日と神吉日
3月13日…比叡の大護摩
4月20日…牡牛座の始まり
4月27日…冥王星が逆行
5月12日…ノードが蟹座から双子座へ
5月21日…太陽が双子座へ
6月2日…横浜港・長崎港 開港記念日
6月3日…測量の日
6月22日…太陽が蟹座へ
7月3日…波の日
8月30日…巳の日
9月24日…太陽が天秤座へ
9月27日…女性ドライバーの日
10月14日…神御衣祭(かんみそさい)
10月28日…牡牛座の満月を前に
11月4日…いいよ「114)の日
11月14日…蠍座の新月を前に
11月20日…射手座を前に
12月12日…清水寺の漢字の日
12月22日…グレートコンジャンクション
12月23日…太陽が山羊座へ
〜未来の構想〜
2020年は、ノムなり私なりが担当した日には、それぞれの書いた文章を写真でアップして、その時の制作秘話や裏側のおしゃべりなんかを紹介できたらいいなぁと思っている。
本当は色んなことがあったから、それをもっと丁寧に言葉にする予定だったけれども、慌ただしく年末年始を迎えて(主に家事+おば業)、その余裕が無くなったから、とりあえず年内に紹介を、そして詳細や他に書きたかったことは来年に繰り越すことに。
良かったら手に取って見てください
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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うんうん、そうだよね。あえて本で持っていたいってのは、お守りみたいなエネルギーというか、そういう要素があるものだったりする人も多いと思うし。3分の2は決まっているなら、残りの3分の1弱、ひと月にたぶん8日程度のNEWは、やわらかい部分に届く言葉にできたらいいね。ふーん、ってなる知識、情報じゃなくて、月の自分に届く人間目線のことば。
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7月28日…不動明王の縁日
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ノムの担当した日:
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6月2日…横浜港・長崎港 開港記念日
6月3日…測量の日
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7月3日…波の日
8月30日…巳の日
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12月23日…太陽が山羊座へ
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2019.11.6
初めて現物を本屋さんで見た日
2019年12月25日水曜日
職場の風景
Merry Christmas 2019
本文とは関係ない
今年のクリスマスイルミネーション☆
たまたま用事があって見れたイルミネーション。
改めてイルミネーション見るの好きだなぁと思った。
仕事日誌第3週目の感想に、質問に行く際の相手との距離の近さと自分がしゃがむ関係で相手を上目遣いで見る格好になる事への懸念を書いた。
私はそんなの自分が嫌だから、私が嫌にならない距離感と姿勢を保ちながら質問しに行こうと決めた。
それを書きながら、書く時だけじゃなく実際に職場の中でもこのことを別のシーンで想像した。
これは今の仕事を始めた時から思っていることだけど、もし今みたいに席のすぐ隣りにイケメンがいたら仕事が手につかなかったなぁなんて思う。
隣りとは1メートル以上空いているし、両隣りは女性で黙々と仕事をするタイプの方たちだから、私はすごく集中して仕事ができる。
もしこれが同じポジションでも隣りはイケメンなら仕事中も気はそぞろで全然仕事にならなかっただろうなぁと思った。
いつか夢の中でイケメンと席が隣りという場面の夢を見たことがあったけれど、それさえも超ドキドキだった。
夢の中の風景って普段はすぐに忘れるけれど、その夢のことは今でも覚えている。
そのイケメンと席が隣りで、そして私が変な意味不明な労働基準関係の難しい電話を取る羽目になって、イケメンに目配せで「助けて」アピールをして、イケメンに助けてもらったところまで覚えている。
俺に話を振ってくれるなオーラに負けじと助けてアピールをした自分。
夢の中ではありえないほどの自己PR力で、そして何だかんだでそこまでできる人間関係があるみたいだった。
イケメンが私の席のところにまで来るその感じにドキドキしながらも、それを頼める自分が、夢の中の話と言えども羨ましかった。
後から知ったことだけど、私が今の職場に企業見学に行った時、4人の方々が対応されて、そのうちの3人が超大御所的ポジションの方たちだった。
1人は人事の女性だから、出社初日も対応してもらったし個人的な会話もほんの少ししたからどうこういうことはないけれど、驚いたのは残りの3人のおじさんたちだった。
そもそもどんな人たちがそこに同席しているのか、何でたかが派遣1人、しかも年度末までの超短期の期間しか雇用予定のない派遣に4人もの人たちが同席するのか超不思議でならなかった。
今となってはもっと具体的に書いておけば良かったけれども、おじさんたちは笑いもしなければ質問も色々勝手を知らない一般人からするとズレていて、何を見てズレてると思ったのかもはや思い出せないけれども、とにかく変だと感じた。
とかいうおじさんたちが実は社内の大御所たちばかりで、役職が上の方たちだとそれぞれひょんなことから知り得た。
そのうちの1人も、私はつい昨日(12月中旬のいつか)知ったばかりだった。
何回かその明らかに上席とわかる位置のデスクに書類を持って行ったことがある。
常に不在で、郵便受け的なお手紙ボックスの中に書類を置いて帰っていた。
それが昨日初めて本人がいて、その上席こそが面談の時のおじさんの1人だと知った。
向こうは気付いたかはわからないけれど、私は気付いた。
お願いしますと言って箱の中に入れたら、おじさんは一瞬だけ表情を和らげて私の方を見ながら「はい」と返事をした。
これが妙に感動的なシーンだった。
もう1人別のおじさんもしょっちゅう廊下とかですれ違うけれども、毎回きちんと挨拶してくれる方で、挨拶を慣習としない企業風土の中でこの人すごいなぁといつも思っている。
ちなみに人事のトップだと知った。
どちらのおじさんもちょっと人間的な部分が見えて、そこを見てホロリとした。
そうした姿を見て、私が見たかったものはこういうものだったと気付いた。
イケメンは直接ではないけれど上司で尚且つ職場の責任者だった。
立場もあって、私は全く近付くチャンスもなく、当然近付くチャンスがなければ、人として交わることもなかった。
だけど、私が見たかったものはそういうその人にしかない人間的な部分だった。
イケメンは私が最初の日、中間管理職なり年齢相応な立場でまだ他に上がいると勘違いしたくらいに、全く偉そうにしていない人だった。
机の配置もオフィスの間取りそのものが全体的に不思議なところだったから、デスクが置けないからちょっと他の人たちとは違う席なんだと思った。
それくらいの勘違いをするほどに、イケメンには偉ぶるみたいな態度が全くなかった。
私でなくても、あの時あの場でイケメンがまさかその中のトップだなんてすぐにわかる人がいたらすごいと思う。
勤務している間に、イケメンより2つ上になるかと思うけれども、何回か上席的な男性陣がやってきた。
私にはその人たちがうんと年上に見えて、まさかの私の1つ上と知った時は思わずチラチラとガン見をしてしまったほど、見た目というかが老け込んで見えた←超失礼。
いくつか上の人も1人いたけれども、その方に関しては10以上年上で50代かと勘違いした。
その人たちは容姿というよりも、むしろ容姿にはきちんと気遣いしている風だったけれども、放ってる雰囲気が偉そうな感じというか、偉ぶってるのとは違うけれども、男の人特有の大きく見せるみたいなそういうのを持っていた。
イケメンはそういうものもなくて、だから余計と若く見えて、私は勝手に年は近くても何歳か下の人かと思った。
まさか1つしか違わないなんて聞いた時には心底驚いた。
接触できる場面が極端に少なくて、私は電話の取り次ぎでも書類渡しでも何でもいいから超やりたかったけれども、そのどれも基本的には関わりがなくて、だからその人特有の仕草とかちょっとしたクセとか、そういうものもほとんど見ることができなかった。
イケメンは最後まで偉そうではなかったし、気さくな感じとは違うけれども、肩書き的な立場を振りかざすみたいなことは一切しない人だった。
イケメンはこの人はこういう立場だからとかいうことよりも、相手が年上であれば立場がたとえ自分が上でも相手に対して敬意を払っていたし、自分より下の人相手でも何かを頼む時は丁寧に頼んでいた。
イケメンがあまりにも普通にそうしていたからその当時は気付かなかったけれども、大きな企業で働いている人としてはかなり珍しいタイプだと思う。
誰とでもすぐに仲良くなれるタイプでは絶対にない人だけど、人としての振る舞いがとても感じの良い人で、ただでさえイケメンなのにそうしたことがさらにイケメン度をアップさせていた。
そういう大枠の部分は見てわかるものももちろんあったけれども、私はもっと詳細を知りたかった。
人間くさいところをもっともっと見たかった。
自分から喋るなんてことをしない人だから、全然個人的なことは何一つ知らなかったけれども、個人情報じゃなくていいから、公の場でない時の話し方とか顔とか私はそういうものを見たくてたまらなかった。
今現在の職場で書類を渡しに行ってちょっと緩むような面談の時の男性の表情や雰囲気を見て、こういうやりとりをもっともっとイケメンとしたかったなぁと思った。
当時の記憶を私はまるっと維持したまま今に至っている。
これほどまでに記憶が残ったのは、私の記憶力が高いからじゃない。
仕事の時の記憶は何回やっても覚える気がないのか、メモを見ないと新しい仕事はやれない。
当時の仕事のことも大方は忘れた。
だけど、その人とやりとりしたことは覚えている。
すべて鮮明に覚えている。
それは、それだけのインパクトがあったということ。
書類を渡しに行ったり、電話の折り返しを伝言しに行ったり、たった一度ずつしかないような小さな瞬間たちを私は覚えたまま今を生きている。
ファイルを探していたその人に声をかけたり、年上の穏やかな方に話しかける時は自分は立ち膝的な格好で相手を敬ったり、後輩と話す時は少しくだけていたり、仕事の話なのに目をキラキラさせるほど目がとても澄んでいてきれいだったり、何か起こると颯爽と身を翻してすぐに駆け付けたり、大雨の日はカッパを着て仕事していたり、椅子に座る時は背側を前にしてまたがるようにして座って仕事の話をしたり、仕事のファイルを見る時は自席に戻らずその場でどかっと座り込んで見たり…。
その人は知らないと思う。
その人がファイルを見る時は、私も同じキャビネットにある別のファイルが必要で、いつもいつもよくタイミングがかち合うなぁと思っていたこと。
そう、本当はビックリするほどのタイミングが重なりまくっていた。
でも私はその人に究極に近くなってしまうそのことがどうしても恥ずかしいやら何やらで、毎回わざとタイミングをずらしてファイルを取りに行っていた。
この上なく近付けるチャンスで、その人にちょっとよけてもらわないといけないから必ず「すみません、ちょっとだけいいですか?」ぐらいなやりとりはできるってわかっていても、私にはそれをする勇気がなかった。
今すぐにでもそこに行きたい気持ち以上に勇気のない方が勝っていた。
そうしたことも全部全部覚えている。
今だから思うのは、それら全てをこんなにもはっきりと記憶しているのは、それは魂の記憶だからだと思う。
ここから先は私の超妄想に満ち満ちた話だけれど、そうやってものすごく強く鮮明に記憶するのは、魂そのものがそれを希望しているからだと思っている。
過去世で10歳ぐらいまでしか生きられなかったとされる自分を思う時、その時に近くにいてくれた人たちを見て最後何を想って日々を過ごすかを想像したことが何回かある。
その人たちの姿やその人たちとのやりとりを克明に自分の目に記憶に命に刻もうとしたんじゃないかと思う。
子どもの方が大人より何十倍と感度が高いから、死ぬその時も自分が長くないことはそこそこわかったのではないかと思う。
そう思う時、自分が見たいものはその時に近くにいてくれた人たちじゃないかと思った。
そういうのは言葉以上に伝わることがある。
言葉のやりとりよりも、ただそこにいる人の空気や存在感を全身全霊で感じる、そんな風だったかもしれない。
そして黙っている時ほど、空気は真っ直ぐに伝わる。
ベラベラと私のこのブログのように言葉を長々とたくさん並べたら伝わるわけじゃなく、何もなくてもただそこにいてくれるだけでその人の気持ちや想いが伝わることもたくさんある。
死ぬ間際なんか特に体が弱っていたと思うから、たくさんの言葉よりもただただそこにいてくれるだけで相手からたくさんの何かをもらうこともあると思う。
そんなことを思う時、今世でイケメンと同じ職場に勤めることになって、ものすごく短い期間とはいえ、その瞬間瞬間のことが今でも強く深く鮮明に残っているというのは、その時の名残やその時の自分を追体験しているのかもしれないなぁと思う。
寝床で体を動かせないみたいな状態だとするなら、尚更相手側から私の元へ来てくれないと相手のことを捉えることができない。
来てくれた時は動かない体を使って、自分が記憶できる限り相手のことを記憶したかと思う。
そんなこんなを想像すると、夏の職場でイケメンを私が全力で見て捉えていたことは、もしかしたらいつかの自分がしていたことをそっくりそのまま今の体を使ってやっていたのかもしれない。
魂はすべての人生、今世ばかりじゃなく前世や過去世の記憶もすべて持っているとされているから、当時のやりとりを今世でも再現しててもおかしくない。
日が経てば経つほど、当時の記憶が鮮明になる様を見て、自分でも驚いた。
毎日生きていたら、何かしら新しいことが人生にプラスされる。
特にイケメンがいなくなってからの人生は相当な勢いと意味不明な出来事と縁ができたけれども、今のところ断トツでイケメンの存在がいた瞬間や時間が色濃く残っている。
夏の色んな日に、それがいつかの未来に何度も思い起こすからしっかり覚えようなんて思って覚えたのとは違う。
気付けば、他のことは忘れたり大きなインパクトがあっても一過性であるのに対して、イケメンはずっとずっと残った。
そして、他のところに是非とも活用したい桁外れの記憶力をイケメンにまつわることやイケメンが存在した瞬間を私は持つことになった。
その時のことだけが、異常と呼ぶべきものすごい強さで残り、私もまさかその後自分の人生が色々変化を迎えてもここまで残り続けることになるなんて想像さえしていなかった。
知っているのは、元気らしいことと彼女の有無は知らないけれど今も独身なこと、趣味は続いていること、仕事は部署の人が異動した後補充がなくてその部分も自分が担当することになって忙しいこと、を人づてに聞いた。
どうすることも私にはもうできないし、間接的に何かを知ったところで私が望むようなやりとりが手に入るわけじゃない。
そうと知っていても、記憶の残り方は想像を遥かに超えた残り方を保持している。
だからこれは魂の記憶なんだと思う。
文字通り、全身全霊でイケメンを見て覚えたことを私が今もはっきりと鮮明に覚えているのは、恋愛的な片想いズルズルとかいうことよりも、本当に魂が覚えておきたくてそうなっているという感じがする。
当時の仕事とは風景も内容も違う今、それでも私は時々1枚もののPDFをコピー機で取ったり、書庫のようなところに行ってファイルを取りに行くこともある。
全く違う風景に自分はいるのに、そこで私が見ているのは、イケメンがいた頃のコピー機でのやりとりだったり、キャビネットでのすごい確率でかち合うことだったりする。
もうコピー機を前にしても、そこにイケメンが自分の印刷物を取りにくることもないし、当時と同じ色のどこのオフィスにでもあるような分厚い青ファイルを取りに行ってもイケメンがいるからタイミングをずらそうなんてことはしない。
でもそうしたことが鮮明に思い出されて仕方ない。
今の職場は従業員が何人いるのか知らないけれども、とにかくたくさんの人たちとすれ違う。
たくさんの人たちとすれ違えばすれ違うほど、イケメンとすれ違うことのできた空間に一緒にいられて、イケメンの名前が何で、イケメンもせめて私を見て私が武士俣さんだと知ってもらえていたことというのは、どのくらいの奇跡なのかと思う。
魂がプレゼントしてくれたものだと思う。
イケメンと当時出逢えたことは、魂が叶えたいことで魂が今世にももたらしたい出逢いだったんだろうと思う。
魂、魂と連呼するのもいかがなものかと思ってはいるけれども、そうとでも説明しないと私の中で折り合いがつかない。
去年の今頃も似たようなことを思って何かしら書いたかと思うけれども、まさかそれがもう1年繰り越しになるとは思わなかった。
まさか新たな職場に行ってまで思い起こされるのがここに書いたようなことになるなんて、想像さえしていなかった。
これは備忘録とか普段書く何かを感じたり思ったりしたこととも違う。
軌跡を残すのと一緒に、これだけは伝えたい、届けたいというのがはっきりとある。
年内にアップできるかどうか怪しいけれども、友人ノムの声掛けで実現した来年のある手帳にメッセージを書いたものが現実に印刷されて書店に並んでいるけれども、それさえも私は伝えたいとは思っていない。
そちらの方が社会的に見せられるし宣伝もできるものだけど、それはそれという感じ。
でもここに書いた超個人的なことで書いたところでだから何?というものの方が、私にとっては重要で他の何にも代えられない。
そしてこれだけは言葉にしなきゃ伝わることさえないって知っているから、他の何を差し置いてもこれだけは書こうという意志がものすごく明確にある。
願掛けのように、魂の願いのように、言葉を綴って見えるようにして、そして伝わる可能性に賭けて伝わるようにする。
命の言葉を通訳している気分でずっとこの文章を書いていた。
2019年12月22日日曜日
仕事日誌ー英語よりも心配な事ー
通勤風景
2枚とも幻想的な感じで好き
ー 仕事日誌第3週〜続報〜 ー
【距離感問題解消☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆】
業務上、設計の理系男子たちにも質問をしなければいけないことで、新たな問題勃発などと前回のブログに書いた。
距離がやたらと近いことや下から見上げるみたいな上目遣いとか、そんなの絶対に無理ー!!!とぎゃあぎゃあ騒ぎながら書いた前回のブログ。
これが程なく解決した☆☆☆
☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆
今日(12/20)は思いつくと、観察するようにはした。
やっぱり基本的にはみんな近い。
通路の問題があるから、みんなどうしてもL字型の内側に入ってこざるを得なくて近くなる。
1畳はあるかと思いきや、今日よくよく見てみると3分の2畳程度しかなく、ますます気の重たい状況が明白となった。
そんなこんなのうちに、昨日の設計男子が私のところにわざわざ来てくれた。
昨日の説明が一部誤っていたからというもので、それをわざわざ説明するために時間を作って来てくれた。
もれなくお手本的な距離感を彼が見せてくれた。
適度な距離感で相手に目線を合わせる高さに立ったまま身をかがめる、というスタイルだった。
1月以降ほうぼうの設計男子たちのところに1人で行くことになるかと思うけれども、それなら私もやれる!と思って、安心した。
申し訳ないぐらいに内容は理解できなかったけれども、きちんと説明もしてくれると知って、さらなる安心感を得た。
いきなり「めっちゃ良い人じゃん!」となって、とりあえず何とかなるかも…と思えた。
【英語よりも……その1】
機械の様々なことを説明する英訳を主にやっている。
この間、あまりの量と内容に発狂しそうになったものの、とりあえずやれないことはないとわかってきた。
60枚強のパワーポイント資料の英訳で、半分で良いかと思えばほとんど全てのページをカバーすることになって、本当の本当に頭から湯気が出るかと思った。
何が難しいかと言うと、日本語そのものが理解できないこと。
例えば昨日も昨日で、ある部品の変更手続きに関する英訳をしたけれども、変更は変更でもまさか「一度変更したら半永久的に変更したままのもの」と「用途に応じて仕様を変える臨機応変型の変更」と2つあるだなんて、「変更」の一言からは想像もしなかった。
教育係の人が「これってどっちの変更だろう?」と言ったから初めて「言われてみれば…」となったけれども、そうでなければオールスルーした私。
細かいけれども、半永久的な変更と臨機応変型の変更とでは単語が変わる。
最初がchangeで2つ目がswitchになる。
そしてさらにどうでもいいけれども、changeの時は基本的に
「change A to B」
switchの時は基本的に
「switch from A to B」
になる。
前置詞も毎度怪しいから、家から持参した妹の高校時代に使っていた英和辞典に出てなければ、ネットの英英辞典まで使って確認してるよ、私…!!と誰かに言いたい。
さらに余談だけど、私は高校時代の英和辞典をそれこそ25年、四半世紀使っているけれども、私の高校時代の辞書は超優秀!と知った。
私のはジーニアスを使っていて、それの方が妹のスーパーアンカーより2〜3万語収録が多い。
妹の方が賢い高校に行っていたのに、こういう不思議なことも起こるんだなと思った。
冗談抜きで、ジーニアス1冊で十分事足りる。
この間図書館でTOEIC攻略法的な本を見たけれど、私も書いたらどうか、『高校生向け辞書でTOEIC900点獲得!』とか( ̄∀ ̄;)。
ちなみに攻略本を少しだけ覗いて、それだけでやる気は一瞬でなくなったぐらいに、辛そうな勉強法だった。
さらにどうでもいいけれども、私の勉強法は確実に英語ができるようにはなるけれど(友達の娘で実証済み)、楽しく勉強できる方法からは程遠いから、決して勧められない。
友達の娘がそれでもやり続けて、その結果できるようになって「英語が楽しい!」なんて言ってくれた時は、奇跡かと思った。
話が逸れた( ̄∀ ̄;)。
とにかく一事が万事、英訳の前に日本語問題勃発しまくりという現在進行形の超重要課題が横たわっている。
さらなる余談だけど。
ようやく何をその何百万から何千万とする機械がしてくれるのかわかった。
「金属を加工」するらしい。
しかもそれを教えてくれたのは社内の人ではなく、何でも知ってそうな米の仕事の時に世話になったヨシダさんが教えてくれた。
ヨシダさんに「自動旋盤(じどうせんばん)ってなに?」と聞いたら、ちょうど焼肉屋にいて、焼肉屋の席にある焼き器の金属部分や煙を吸い取るえんとつなんかを指して、そういう金属を色んな形に加工するものだと教えてくれた。
ちなみに日本語は漢字も読めないことがある。
この間、何を思ってくれたのか、社内での依頼書に対してわざわざ手書きで書くタイトル部分に読み仮名を付けてくれた超素晴らしい気遣いの方がいた。
(誰が書いてくれたのかは不明)
「揺動」
「ようどう」と読むv( ̄∀ ̄)v←得意げ。
意味は知らない。
工業用語なんだろうけれど、そういう意味のわからない言葉を毎回英訳する…。
マニアックな言葉ほど言い方が決まっているから、実はそれは訳しやすい。
この間「振動」とやらを訳すことになって、これの方が超厄介だった。
何がどう振動するのかで英単語が変わるらしく、それを説明する工業用語集の説明をもらった。
もちろん読んでも意味不明( ̄∀ ̄;)。
中には、本来の英語なら振動という意味には絶対にならなくても、工業英語になると突然「振動」も意味として加わる単語があって、そんなのど素人がわかるはずもなく、相変わらずぽっかーんΣ(꒪◊꒪; )))) となって終わった。
ちなみに当面の私の目標は「何がわからないのかを説明できるようになること」。
さすがに「全然わかりません」とは言えないから(超言いたいけれども)、何がどう理解できないのか、せめて拙い理解力と怪しい日本語で説明できるぐらいにはなりたい!
【英語よりも……その2】
英語は何だかやれるかもしれない…と少しは思えるようになったけれども、そうとは全く思えないのが「パソコン操作」。
取扱説明書を清書するという業務がある。
WordやPowerPointを使うことが多いけれども、それがシャレにならないくらい難しい。
この間は、図をコピペするだけなのに、それができなくて1時間近く悪戦苦闘。
やり方を教えてもらっても、新たなトラブル続出で、3回くらい教育係の人を呼びに行った( ̄∀ ̄;)。
しかも私のパソコン、やっぱり動きが変で、教育係の人も「あれ?なんか動かない!あれ?えっ?」とか、けっこうな頻度で言っていて、だから「苦肉の策」としてのトラブル回避法を伝えられる。
本来のスタンダードな方法は知らないまま、苦肉の策ばかりを覚えて私はどうするのかと思う( ̄∀ ̄;)。
相変わらず、ありえないエラーをパソコンが起こすのは続いているから、あまりにも続くようなら上司に次回は言うことになった。
もしパソコン本体入れ替えとかなったら、それもまたそれで恐ろしい。
どうも社内で統一したソフトではないみたいで、Wordも人によってバージョンが違うとのこと。
不慣れな人がバージョン変更になったら、シャレにならない。
その新バージョンをまた1から知っていかないといけないわけで、そんなの切なさすぎる。
先月あたりに母の携帯らくらくフォンの機種変に一緒に行った。
らくらくフォンは素晴らしかった!!!
バージョンアップしても、私以上に操作のおぼつかない年寄りたちでも使いこなせるように、表面のボタンや画面は全部同じだった!
そして、ドコモの素晴らしい点は、なんとらくらくフォン専用ダイヤルがあって、わからない時はその専用フリーダイヤルにタッチ1つで繋がり、そこで超丁寧に対応してもらえるだけじゃなく、なんと遠隔操作でエラーも解消してくれるという超スーパーウルトラCみたいな極上のサービスまで付いている。
2人で電話して(母は最初の「娘に任せます」を言うだけの係。電話中母は新聞見たりコーヒー飲んだり超のんきに過ごしていたΣ(꒪◊꒪ )))) )、1時間コースのエラー解消は、ドコモのエキスパートなオペレーター様によって解決できた!
とかいう社内サービスが欲しいくらいに、私のパソコン操作は超絶怪しい。
ついでに「これ私も欲しい!」と思ったのは、らくらくフォンは未だにきちんと分厚い本体説明書がついてきて、オールフルカラーで1手順毎に実際の画面の絵がカラーで付いていて、しかも老眼対応で文字もとっても大きくて超見やすい。
iPhoneにもそれ欲しい!
私は超我流で、iPhoneもWordもExcelもPowerPointも覚えたから、自分が使ったことない機能は一切知らない。
PowerPointも、まさかドミニカで作らざるを得なくなって、触ったことも見たこともなかった私は、パソコンを持って片道6時間くらいかけて同期の友達の家に泊まり込みで操作方法を習いに行った。
そんなことが今頃役に立つ機会が巡ってくるとは、青天の霹靂だった。
そんな風に「習うより慣れろ」方式で覚えたパソコン操作は、正式には習ってないから、多くのパソコンユーザーが普通にできることが私にはできないことがたくさんある。
そうしたことたちが今後どれだけマイナスに働くのかはわからないけれど、せっかくの実践で覚えなければいけないチャンスを得たから、それを活かしたいと思う。
(↑こんな風に思えたのはもちろん自力ではなく( ̄∀ ̄;)、友人ノムからそのような助言があったから、ようやくそのように捉えることができるようになった!)
【英語よりも……その3】
取扱説明書の清書の第1号はドイツ語の分だった。
翻訳を外注して戻ってきたものを、今度は私のいる部署の人たちで手分けして清書する。
11ヶ国語に訳されるようで(海外にも多数輸出されてる模様)、英語以外は外部に翻訳をお願いしている。
で、戻ってきたものというのが、構成上エラーを起こしたりしているからそれの修正や、例えば行間が空きすぎとか変なところで改行されてるとか、その他にも色々見どころ満載だったりする。
この間は日本語英語併記バージョンのものをやって、私には何の不具合も感じないから何も直さずにいたら、フォントが違うと指摘を受けてそれの変更をいくつもした(T ^ T)。
えっΣ(꒪◊꒪; )))) !?何が違うの?というレベルの修正業務がたくさんあって、何が不安かと言えば「気付かないこと」。
私は基本的に読めたら何でもいいという人だし、そういうことは超がつく大雑把さだから、そもそも「気付けない」( ̄◇ ̄;)。
そして、第1号はドイツ語で、初めてドイツ語の長文を見たけれども、ドイツ語とは実に不思議な体系で、1語1語が超長い。
その長さゆえ改行や単語と単語の感覚がおかしなことになっていて、見慣れたら気付くとは思うけれども、最初見て「で、これは何の不具合が!?」状態だった。
そういう繊細さを持ち合わせてないから、今後その「ない繊細さ」をどのように自分の中に植えつけていくかが最大の争点と思った。
英語よりも前途多難な感じΣ(꒪◊꒪; )))) 。
【気の引き締まる&感動した話】
中国語と韓国語以外は、基本的に英語をベースにして他の言語に翻訳されるとのこと。
日本語→ドイツ語ではなく、日本語→英語→ドイツ語となるらしい。
だから、私のする英訳が今後は他国語に翻訳される時の大元になる。
これは真面目にやらないとダメだと本気で思った。
いい加減にはできないのはわかっていたけれども、想像以上に重要な役割だと知って、それでこれまで以上にさらに真面目にやろうと思った次第。
機械を設計する人がいて、機械を作る大勢の技術者がいて、その人たちの素晴らしい仕事を自分の英訳でダメにしてはいけないから、本気で真面目にやらなきゃダメだとかつてないほどの責任感を感じている。
ちなみにこんな重たい業務が派遣の私にきているのは、単に大元の責任者の正社員の女の子が産休育休で、だからその業務が引き継がれているから。
感動したのはこうだった。
外注に出している翻訳は、例えばドイツ語なら日本の翻訳会社を通じてドイツの翻訳者に渡されて、ドイツ人なのかまでは知らないけれども、とにかく現地の人が私の英訳を見てそれをドイツ語ならドイツ語に訳してくれる模様。
言葉のリレーみたいだなと思った。
内容は工業用語で全く萌えないけれども、その流れは感動的な話で私は萌えた。
きちんとバトンを渡せるように、真面目に英訳やろうと思った。
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