2019年12月13日金曜日
『I ♥ LaPela』〜2008.8.2日記より
「過去の日記よりこんにちは!」シリーズ。
写真はスクリーンショットしたものだけど、今回は写真の黄色いロゴマークのお話。
はっきり言ってどうでもいい内容だけど(そして読んでも何の教養や知識にもならない)、この間mixiの中で書いた別の日記を探していた時についでに見つけたから、面白くてコピペしておいた。
ドミニカにいた頃に書いたものだけど、当時も当時でくだらないことに己の力を使っていたことがわかる。
しかも、毎日停電があって(数時間単位で)、しかもそれは1日1回とは限らず2回3回とある日もあったけれども、そんな電気事情の最中でわざわざ書いたのがこんなことだったのかと思うと、なんだかもう…と言いたくなる( ̄∀ ̄;)。
文中の私が自分の未来を自由に想像させているシーンが出てくる。
40歳という年齢もわざわざ出して話をしている。
おおよそ想像していた40歳とはずいぶんと違うけれども、その違う自分や自分の人生に悲観はしていないことに気付いた。
あと、単純に、昔むかしに書いたものでも何も古くなってない感じが妙に嬉しかった。
多分そこに書いたことは今もそのままだろうし、今も今で見たら似たようなことを思うのかもしれない。
そのままなのがそれはそれでいいなぁと思った。
ちょっと真面目に「はじめに」的なことを書いたけれども、ここから先は真面目な話じゃないし、なんならそのまま掲載するけれども、言葉の使い方といい視点といい、淑女にはなれない自分が明るみになって終わる( ̄∀ ̄;)。
気品とか品格とか、もうどこ吹く風状態だけど、世界の中にはそんな現実もあるんだよ〜というご紹介ということで、とりあえずアップ。
何度もしつこいけれども、本当に教養にも知識にもならない内容。
良かったら読んでください(ペコリ、ペコリ)←お辞儀してゴマかす。
2019.12.13
*
2008.8.2
『I ♥ LaPela』
このフレーズ、ドミニカ共和国にいたら新聞ではおなじみの宣伝。
一日たりとも欠かすことなく巻頭ページなんかに必ず載っている、と言っても過言ではないくらいよく目にする。
でもつい数日前までそれが一体何の宣伝なのかわからなければ興味もさしてなかった。
Pelaで「ろうそく」という意味の単語だけど、ろうそくという意味ではないんだろうなぁ、まぁ何かの商品名には違いないとは思っていたけれど、本当に全く気に留めてもいなかった。
で、この目玉商品の正体は・・・
なんと、バイアグラ。
っていうか、朝からバイアグラ?
新聞は朝に読むもの。
そこにバイアグラの宣伝が、毎朝巻頭ページに登場?
新聞だけにはとどまらない。
前々から多少気にはなっていたけれど、けっこうきれいな薬局なんかには、これまた必ずと言っていいほど窓一面を飾るくらいの大きさでバイアグラの宣伝が施されている。
もっと感じたい?的な投げかけキャッチフレーズと共に。
バイアグラってそんなに普通に世間の目に触れて販売されるもの??日本にいたら医師の処方が必要なバイアグラだけあっていまいち日本人の私にはぴんとこないながらも何だかよく目に付く宣伝だった(私が一番よく目にするやつは、必ず大渋滞する交差点付近の薬局で、これまた必ずその薬局付近で止まるからよく覚えてる)。
もちろん新聞や薬局のウインドーだけにとどまらず、この国ではもっと大々的にバイアグラが宣伝されている!
私はテレビ見ないからわからないけれど、テレビを見ている人たちの話では、子どもも普通に見るような番組や時間帯でも、その合間のコマーシャルでバイアグラのコマーシャルが流れるらしい。
話によるとしぼんでいた植物がいきなりぴんと立つらしい。
逆にそのCM見てみたくて仕方ない(笑)。
これもまた聞いた話だけど、ドミニカでは色んなタイプのバイアグラが出回っているらしく、中には48時間持続します!なんていうのもあるらしい。
バイアグラを世の中に伝えるくらいならもっと性教育を徹底して、この国の10代での妊娠や育てられもしないのにぼんぼこと生むこの国の無謀な家族計画を何とかしてくれ!と思っていた矢先のこと。
今日活動で必要なものを調達するために大きな日用雑貨店に出かけてきた。
ドミニカ共和国では基本、教科書は市販されていて(各教科1冊2000円程度するという、この国の所得には全く見合っていないお値段、だから買える人は限られてくる)、9月からの新学期に向けて今ちょうど教科書が売りに出されているところ。
識字教室に使えそうなのないかなぁと思って一通り見て回ると、なんと『性教育』と題した教科書がスペイン語や算数、理科、社会の教科書に並んで売られていた!
それもなんと1年生から8年生という意味なのか、きちんと1から8まであった。
すべては見なかったけれど、とりあえず数冊手にとって見たら段階を踏んでいるというのはわかった。
あまりにもよく出来すぎていて、これもまた他の国からの受け売りで、そして輸入して手に入れているのかと思って出版元を確かめるとなんと首都サント・ドミンゴ、ドミニカ共和国になっている。
しかも教育省推薦と思しき部分も見受けられた。
どの程度この国で性教育が成されているのかわからないけれど、各学年毎に教科書が用意されるらしいくらいとりあえずはカリキュラムに組まれているんだろうか・・・?
例えば私の識字教室に来ている女の子、17歳の女の子は現在第3児妊娠中。
上の子は4歳になろうとしている。
他にも7人8人子どもいますという人がざらにいて、この間他の参加者の人たちとそういう話をしていたら4人がとても少なく感じて、子ども産んでないどころか結婚もしていませんなんていう私はさらに場違いみたいな感じだった(苦笑)。
で、今日は今日で、ある男の人、見たところ30代後半か40に届くかなどうかなという人。下手したら30歳になったかどうかという可能性もある人が職場にやってきた。
ソーシャルワーカーの人に今家庭状況が大変だから何とかしてもらいたいという相談をしていて、私はその時隣りで識字教室をしていて全然話とかわからなかったけれど。
あとあと聞くと、彼の息子が事故で両腕両足を失って、それでその息子の3歳の息子をどうしたらいいかという相談だと教えてもらった。
その時点で???とはてなばかりが浮かんだけれど、ようやくその男性が3歳の孫を持つおじいちゃん的な存在であることが理解できた。
ちなみに息子の嫁は逃げたらしい。
これまで30歳そこそこでおばあちゃんになる可能性のある人というのは、周りに多数存在しているため全然不思議な気はしなかったけれど、その逆バージョンも当然あるわけで、30歳そこそこでおじいちゃんになる人もいる。
っていうか同い年でおじいちゃん???
まだ30になっていなくてももうこの際29も30も関係ない。
っていうか30でおじいちゃん???
もちろんドミニカでも中流や上流階級の人たちになると、先進国同様、たくさんの子どもより少ない子どもに十分な教育を与えようというのが主流で、何人も子ども産みました!なんていう人は少ない。
でも私の活動するところは「貧困」がテーマそのものだから、子どもの数も準じて多い。
ただ、私の観点で言うと、それは将来の働き手を確保するためというより、首都の場合は性教育をきちんと受けずに、そういう知識も持ち合わせず、とりあえず性欲に走って、それを満たした結果が子沢山という感じがする。
別にそういう人たちがたくさんの子どもを望んで子どもができたという感じではない。
単純にその時堕胎するお金がないとかそういう理由が大きい気がする(注:ドミニカ共和国では基本的に堕胎は禁止)。
っていうか、バイアグラはいいからまずは避妊と無理のない家族計画を推奨してくれ~!!!と思わずにはいられない。
いや、他国の心配をする前に自国の日本、そして自国の日本を心配する前にまずはわが身の心配が先決かな・・・と思ってしまう。
なぜなら、合計特殊出生率?正式名称は忘れたけれど、私が日本を出る前は1.29という数字がこっちにきてから1.25に下がったものに対して、私も少なからずとも拍車をかけそういう困る貢献を日本にしているわけだから・・・
で、子どもは3人欲しいと今でものんきに考えているけれど、この間少し計算をしてみたら、仮に40歳までに3人目を出産したとして・・・それはかなり色んな意味で急がないと無理なんじゃないかと気付いた。
でも急ぎたくても急げるものじゃないし、それに産めるとも限らないし・・・
この国に来てやたらに年齢を数歳下に見られることに対していい気になっていたけれど、実際は違う、実年齢、特に身体的年齢は確実に重ねているわけだから、そこのところを忘れちゃいけないなぁというのと、まぁ当面の一番の課題は『結婚』じゃないだろうか・・・
バイアグラの話から私の個人の課題(結婚)なんていう締めで終わるのおかしいけど、とりあえずは寝る時間が来たから寝る。
とりあえずは寝て体力を養い、将来の出産に向けるのが一番??
追伸:今日も例の薬局の前を通ったから本当に何てせりふで宣伝されているのか確認したら。
スペイン語で
WOW! Mejoras erecciones para mejorar relaciones
直訳すると
ワオー!関係を良くするために勃起力を良くしよう!とある。
英語もそうだけど、スペイン語も遠まわしには言わず直接的に言う傾向が強い。
2019年12月12日木曜日
夜中の3時29分からのつぶやき
サクッと短く書こうと思う。
今が真夜中の3時29分とiPhoneの画面には表示されている。
21時半ぐらいだったと思うから、ちょうど6時間前。
私はものすごく久しぶりに500ml缶の発泡酒を開けた。
数年前まではよく飲んでいたけれども、飲まない生活になってからは気分転換は別にアルコールじゃなくてもいいんだなと思った。
今途中まで書いたけれども、今日仕事の最後に少し英訳の練習をして、それというのが「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」みたいな、もう読んだだけでは何を言っているのかさっぱりわからないものをやって頭のネジが飛んだ。
私の心が異次元にワープしそうだった( ̄∀ ̄;)。
家に帰ったら帰ったで、今度はまだ続行中の会計監査の計算を電卓片手に始めた。
それが終わってからの発泡酒だった。
そのためにわざわざカルビーの堅あげポテトまで買ってきたくらい。
英訳で頭のネジが飛び、会計監査の計算で新たなネジが飛び、さらに久しぶりの平日の夜の迎え酒でネジが飛び。
ネジがたくさん飛んだから、ということにしておこう。
私は無性に電話をかけてみたくなった。
アルコールが入って、滅多に起こらない「気持ち良さ」みたいなのがあった。
基本的に何杯でもガブガブいける口だから、ほろ酔い気分なんて滅多に経験できない。
でも今日は、今日というか6時間前は年に一度起こるか起こらないかのほろ酔い気分を味わっていた。
英訳も明日はもっとやらないといけない会計監査用の計算も全く楽しくないけれども、でも私は電話のことを考えたら、その時は妙に楽しくなった。
ある意味頭が逝かれたんだと思う。
私が電話したいと思った相手の電話番号は携帯のアドレスに入っていない。
だからもし本当にかけるとするなら、私は手入力で番号を画面タッチしないといけない。
アドレスに入っていない、というのはすなわち、普段どころか過去に一度も電話をしたことがない相手だから。
しかもその番号が今も使われているのかも知らないし、そもそもプライベート用の番号ではないわけで、そんなところにかけるわけにもいかない。
理性というものがきちんとあるから、そんなことは絶対にしないけれども、6時間前の私は頭のネジがいくつか飛んだから、ありえもしない想像を巡らせては1人で楽しんでいた。
もしくだらない電話ができる仲なら、今電話したら楽しいかもなぁとか。
大人は忙しいから、「無用の電話」ってできなくなる。
例えばこの数ヶ月、最多で電話した占星術のクラスメイトのノムでさえ、「無用の電話」とは違う。
ノムとの電話は無目的のおしゃべりタイムのようであって、中身はまるで違う。
一生分の心理セラピーを電話越しに受けているようなもので、とても楽しくて充実したおしゃべりではあるけれども、無目的からは程遠い。
私の知る電話の中で一番目的が強くて、そして必要があってもたらされているんだろうと思う。
ここ最近は会計監査や友達間の伝書鳩的な伝達係をするためにたくさん電話をしているけれども、それだって無目的とは違う。
そういうのじゃなくて、本当に何の用事もなくて、一般的な大人からすると「一番くだらない電話」とされる電話を6時間前の私はしたがった。
その電話のしたがり度は、他に類を見ないものだった。
仮に本当に電話をかけたとしたって、相手にしても私の番号が登録されてるわけもないから無視されて終わりだろうし、仮に名前なんか表示されてしまったのなら絶対に出てもらえないのが関の山だと思う。
そうした現実的なことは珍しく何も考えず、本当に純粋に私は用事のない電話をかけたくなった。
私的な会話を一度も交わしたことがないから、そんなの現実レベルに無理なのは頭の片隅でわかっていたと思う。
なんだけど、私は電話したくなった。
22時37分くらいまで1時間ほどはほぼほぼそんなことを考えていた。
22時半を過ぎた時間を見て、もう夜も遅い時間でこんな時間にかけるのは非常識だし遅すぎると大真面目に思って、その電話したいは少しずつ名残惜しそうに消えていった。
これシラフでは絶対に起こり得ないことだと思った。
アルコールだけじゃなく、色んな頭を使いまくることを一気にやったから、頭が疲れたんだと思う。
人恋しいのとは少し違っていた。
くだらない、何も考えなくていい、そうした気持ちのゆるんだ時間が欲しかった。
その先に電話したいのがその人だった。
まともに話したことさえないのに、本当に意識が多分異次元にぶっ飛んだおかげで、私は妙に電話したがりさんになっていた。
その人はそんなくだらない電話をもししてくれるとするなら何の話をしてくれるんだろう?って思う。
今書いててふと思ったのは、私のその「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」とかを説明してくれてもいいんだと思った。
少なくとも「端末」と「基盤」とがどう違うのかわからない私からすると、すべては「何か電気系統のもの」でしかないから、それの違いをベラベラと話してくれたらいいのに〜と思った。
そんなことじゃなくていい。
もうごはん食べた?とか。
今何かテレビ見てる?とか。
それって最高に贅沢な会話だと私は思っている。
他の人は知らないけれども、私がする電話は基本的にくだらないことも話しても、どちらかというより9割は超真剣な話が多い。
人が一生の中で一度聞くか聞かないかみたいな話。
私の場合、何かのバランスが完全におかしくて、そうしたヘビーなものは日常茶飯事レベルで起こっても、「何食べた?」みたいな日常の超どうでもいい話をすることがほとんど無い。
その人としたい話って基盤とかじゃなくて、本当にスーパーくだらない、生産性の1ミリもない、話しても話さなくてもいい、なんなら話した後、場合によっては「時間の無駄だった」と感じるタイプの話なんだと今書きながら気付いた。
そんなの永遠に来ないと知っても、それでもそういうのに私は憧れている。
その人の趣味の話でもいい。
試合のルールも技の名前も1つも知らないけれども、その話だっていい。
むしろ知りたいのは、買ったTシャツをなぜ着ないのかや、それは普段どんなことになっているのかや、着るものと着ないものの差は何なのかとか、その人にしかわからないその人だけの人生のある1つのこだわりを知りたい。
こんな情報を他人から教えてもらって、私はその話ができる人のことが超羨ましかった。
その人にしかわからないくだらないことは絶対にないそうした話をする機会がもたらされないことの現実のむごさがある。
「むごさ」って惨さ・酷さ・苛さという漢字があるって今知った。
なんかどれもピッタリな感じ。
希望の反対は絶望だと思うけれども、そうした「理由はないけれど電話したい」という希望と、そうした希望を抱くたびに叶わないと知ることの絶望、それらが毎回行き来している。
手紙を書いた中身はかなりきれいにまとめてあったけれども、本当は私はどんな食べ物が好きなのかとか、何をされると嬉しくて何をされるとイラッとくるのかや、普段目に映る景色がどんな景色なのかや、眠れない夜は何してる?とか、知ったところで社会の中でのお役立ち度ゼロでも私は知れたら楽しいなぁ嬉しいなぁと思ったのはそういうことだった。
私が知りたいのは、その人を構成する色んなことたちだった。
そしてできるだけたくさん色んなことを細かく知りたかった。
その人が仕事ができるのは知っていたから、そこはある程度十分見せてもらえたから(勝手に見ていただけだけど)、そうではない素顔を見たかった。
その人の素顔、それはすなわち生きている小さな事柄を知りたかった。
例えばいつか話しかけに行った日、その人は道具の整理のようなことをしていた。
何でそんなことをしていたのかは知らないけれど、誰の目にもつかない場所で1人で黙々とそんなことをしていた。
本当は気分転換とかをしていたのかもしれない。
わからないけれども、責任ある仕事を日々細々とたくさんしないといけないわけで、道具の整理整頓はちょっと頭に風を送り込めるのかもしれない。
本来なら他人のホロスコープなど勝手に見ちゃいけないんだけれど、私はそのTシャツの話を教えてくれた人経由でその人の誕生日を知った。
ペンジュラムの力も借りて、私は時間まで特定させてホロスコープを出した。
パッと見ただけではわからないから細かくは見ていないけれども、道具の整理整頓をもしあの時していたとするなら、それは素のその人自身が自分の安心感や安定感を得るのにとても適した行為なんだろうなぁというのはホロスコープを見たらわかる。
その人はホロスコープのホの字も知らないと思うけれども、自分でも知らなくても自然とそうしてしまうぐらいにその人の中では普通のことなんだと思う。
そんなところに私はのこのこと出て行って、いきなり爆弾のようなことを口にして、爆弾は本当に爆発して終わった。
あんなに近くにいたのが今となっては幻のようになっている。
でもあの時は本当に近くに行くことができて、話しかけられるのも嫌そうだったけれども話しかけることもできて、超勇気を振り絞って自分の希望などを口にしてみて、でもできませんと言われて。
私の頭の中の時系列や時間の過ぎ方がかなりおかしいことに気付いた。
あの時のことがまるでつい最近みたいな近さに感じることもあれば、幻のように感じることもある。
そう言われたのに、私の頭の中はどうしたのか、今日は今日で無性に電話をしてみたくなって、何を私は記憶していたんだろうと思う。
ありえもしない可能性に妙に心が躍った私は、希望を持つ天才だなと思う。
あの時、本当は心を少し切り替えたくて道具の整理整頓をしていたとするなら、私の登場とか私の前置きもなくいきなりの話しかけてきた内容とか、単なる頭痛の種でしかなかったなぁなんて思う。
もはや何の話を書いているのかもわからなくなってきたけれども、これから寝ないと絶対に仕事にならないから、このまま読み返さずにアップしてしまおうと思う。
本当は何の用事もなくても電話したかった、もっと言えばそれができる関係が欲しかったという話なんだろうけれど、そんな希望はブツブツと言ったからと言って叶えられるものじゃない。
でも、1つだけ言えるのは、その頭のネジがぶっ飛んだみたいな時に私が「電話したい」ってなったのは、本当の願いなんだろうなぁということ。
理性も常識もぶっ飛ぶぐらいになったからこそ、素の私はそうした根源的な願いを自然と自分の中でキャッチしていたんだろうと思う。
今が真夜中の3時29分とiPhoneの画面には表示されている。
21時半ぐらいだったと思うから、ちょうど6時間前。
私はものすごく久しぶりに500ml缶の発泡酒を開けた。
数年前まではよく飲んでいたけれども、飲まない生活になってからは気分転換は別にアルコールじゃなくてもいいんだなと思った。
今途中まで書いたけれども、今日仕事の最後に少し英訳の練習をして、それというのが「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」みたいな、もう読んだだけでは何を言っているのかさっぱりわからないものをやって頭のネジが飛んだ。
私の心が異次元にワープしそうだった( ̄∀ ̄;)。
家に帰ったら帰ったで、今度はまだ続行中の会計監査の計算を電卓片手に始めた。
それが終わってからの発泡酒だった。
そのためにわざわざカルビーの堅あげポテトまで買ってきたくらい。
英訳で頭のネジが飛び、会計監査の計算で新たなネジが飛び、さらに久しぶりの平日の夜の迎え酒でネジが飛び。
ネジがたくさん飛んだから、ということにしておこう。
私は無性に電話をかけてみたくなった。
アルコールが入って、滅多に起こらない「気持ち良さ」みたいなのがあった。
基本的に何杯でもガブガブいける口だから、ほろ酔い気分なんて滅多に経験できない。
でも今日は、今日というか6時間前は年に一度起こるか起こらないかのほろ酔い気分を味わっていた。
英訳も明日はもっとやらないといけない会計監査用の計算も全く楽しくないけれども、でも私は電話のことを考えたら、その時は妙に楽しくなった。
ある意味頭が逝かれたんだと思う。
私が電話したいと思った相手の電話番号は携帯のアドレスに入っていない。
だからもし本当にかけるとするなら、私は手入力で番号を画面タッチしないといけない。
アドレスに入っていない、というのはすなわち、普段どころか過去に一度も電話をしたことがない相手だから。
しかもその番号が今も使われているのかも知らないし、そもそもプライベート用の番号ではないわけで、そんなところにかけるわけにもいかない。
理性というものがきちんとあるから、そんなことは絶対にしないけれども、6時間前の私は頭のネジがいくつか飛んだから、ありえもしない想像を巡らせては1人で楽しんでいた。
もしくだらない電話ができる仲なら、今電話したら楽しいかもなぁとか。
大人は忙しいから、「無用の電話」ってできなくなる。
例えばこの数ヶ月、最多で電話した占星術のクラスメイトのノムでさえ、「無用の電話」とは違う。
ノムとの電話は無目的のおしゃべりタイムのようであって、中身はまるで違う。
一生分の心理セラピーを電話越しに受けているようなもので、とても楽しくて充実したおしゃべりではあるけれども、無目的からは程遠い。
私の知る電話の中で一番目的が強くて、そして必要があってもたらされているんだろうと思う。
ここ最近は会計監査や友達間の伝書鳩的な伝達係をするためにたくさん電話をしているけれども、それだって無目的とは違う。
そういうのじゃなくて、本当に何の用事もなくて、一般的な大人からすると「一番くだらない電話」とされる電話を6時間前の私はしたがった。
その電話のしたがり度は、他に類を見ないものだった。
仮に本当に電話をかけたとしたって、相手にしても私の番号が登録されてるわけもないから無視されて終わりだろうし、仮に名前なんか表示されてしまったのなら絶対に出てもらえないのが関の山だと思う。
そうした現実的なことは珍しく何も考えず、本当に純粋に私は用事のない電話をかけたくなった。
私的な会話を一度も交わしたことがないから、そんなの現実レベルに無理なのは頭の片隅でわかっていたと思う。
なんだけど、私は電話したくなった。
22時37分くらいまで1時間ほどはほぼほぼそんなことを考えていた。
22時半を過ぎた時間を見て、もう夜も遅い時間でこんな時間にかけるのは非常識だし遅すぎると大真面目に思って、その電話したいは少しずつ名残惜しそうに消えていった。
これシラフでは絶対に起こり得ないことだと思った。
アルコールだけじゃなく、色んな頭を使いまくることを一気にやったから、頭が疲れたんだと思う。
人恋しいのとは少し違っていた。
くだらない、何も考えなくていい、そうした気持ちのゆるんだ時間が欲しかった。
その先に電話したいのがその人だった。
まともに話したことさえないのに、本当に意識が多分異次元にぶっ飛んだおかげで、私は妙に電話したがりさんになっていた。
その人はそんなくだらない電話をもししてくれるとするなら何の話をしてくれるんだろう?って思う。
今書いててふと思ったのは、私のその「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」とかを説明してくれてもいいんだと思った。
少なくとも「端末」と「基盤」とがどう違うのかわからない私からすると、すべては「何か電気系統のもの」でしかないから、それの違いをベラベラと話してくれたらいいのに〜と思った。
そんなことじゃなくていい。
もうごはん食べた?とか。
今何かテレビ見てる?とか。
それって最高に贅沢な会話だと私は思っている。
他の人は知らないけれども、私がする電話は基本的にくだらないことも話しても、どちらかというより9割は超真剣な話が多い。
人が一生の中で一度聞くか聞かないかみたいな話。
私の場合、何かのバランスが完全におかしくて、そうしたヘビーなものは日常茶飯事レベルで起こっても、「何食べた?」みたいな日常の超どうでもいい話をすることがほとんど無い。
その人としたい話って基盤とかじゃなくて、本当にスーパーくだらない、生産性の1ミリもない、話しても話さなくてもいい、なんなら話した後、場合によっては「時間の無駄だった」と感じるタイプの話なんだと今書きながら気付いた。
そんなの永遠に来ないと知っても、それでもそういうのに私は憧れている。
その人の趣味の話でもいい。
試合のルールも技の名前も1つも知らないけれども、その話だっていい。
むしろ知りたいのは、買ったTシャツをなぜ着ないのかや、それは普段どんなことになっているのかや、着るものと着ないものの差は何なのかとか、その人にしかわからないその人だけの人生のある1つのこだわりを知りたい。
こんな情報を他人から教えてもらって、私はその話ができる人のことが超羨ましかった。
その人にしかわからないくだらないことは絶対にないそうした話をする機会がもたらされないことの現実のむごさがある。
「むごさ」って惨さ・酷さ・苛さという漢字があるって今知った。
なんかどれもピッタリな感じ。
希望の反対は絶望だと思うけれども、そうした「理由はないけれど電話したい」という希望と、そうした希望を抱くたびに叶わないと知ることの絶望、それらが毎回行き来している。
手紙を書いた中身はかなりきれいにまとめてあったけれども、本当は私はどんな食べ物が好きなのかとか、何をされると嬉しくて何をされるとイラッとくるのかや、普段目に映る景色がどんな景色なのかや、眠れない夜は何してる?とか、知ったところで社会の中でのお役立ち度ゼロでも私は知れたら楽しいなぁ嬉しいなぁと思ったのはそういうことだった。
私が知りたいのは、その人を構成する色んなことたちだった。
そしてできるだけたくさん色んなことを細かく知りたかった。
その人が仕事ができるのは知っていたから、そこはある程度十分見せてもらえたから(勝手に見ていただけだけど)、そうではない素顔を見たかった。
その人の素顔、それはすなわち生きている小さな事柄を知りたかった。
例えばいつか話しかけに行った日、その人は道具の整理のようなことをしていた。
何でそんなことをしていたのかは知らないけれど、誰の目にもつかない場所で1人で黙々とそんなことをしていた。
本当は気分転換とかをしていたのかもしれない。
わからないけれども、責任ある仕事を日々細々とたくさんしないといけないわけで、道具の整理整頓はちょっと頭に風を送り込めるのかもしれない。
本来なら他人のホロスコープなど勝手に見ちゃいけないんだけれど、私はそのTシャツの話を教えてくれた人経由でその人の誕生日を知った。
ペンジュラムの力も借りて、私は時間まで特定させてホロスコープを出した。
パッと見ただけではわからないから細かくは見ていないけれども、道具の整理整頓をもしあの時していたとするなら、それは素のその人自身が自分の安心感や安定感を得るのにとても適した行為なんだろうなぁというのはホロスコープを見たらわかる。
その人はホロスコープのホの字も知らないと思うけれども、自分でも知らなくても自然とそうしてしまうぐらいにその人の中では普通のことなんだと思う。
そんなところに私はのこのこと出て行って、いきなり爆弾のようなことを口にして、爆弾は本当に爆発して終わった。
あんなに近くにいたのが今となっては幻のようになっている。
でもあの時は本当に近くに行くことができて、話しかけられるのも嫌そうだったけれども話しかけることもできて、超勇気を振り絞って自分の希望などを口にしてみて、でもできませんと言われて。
私の頭の中の時系列や時間の過ぎ方がかなりおかしいことに気付いた。
あの時のことがまるでつい最近みたいな近さに感じることもあれば、幻のように感じることもある。
そう言われたのに、私の頭の中はどうしたのか、今日は今日で無性に電話をしてみたくなって、何を私は記憶していたんだろうと思う。
ありえもしない可能性に妙に心が躍った私は、希望を持つ天才だなと思う。
あの時、本当は心を少し切り替えたくて道具の整理整頓をしていたとするなら、私の登場とか私の前置きもなくいきなりの話しかけてきた内容とか、単なる頭痛の種でしかなかったなぁなんて思う。
もはや何の話を書いているのかもわからなくなってきたけれども、これから寝ないと絶対に仕事にならないから、このまま読み返さずにアップしてしまおうと思う。
本当は何の用事もなくても電話したかった、もっと言えばそれができる関係が欲しかったという話なんだろうけれど、そんな希望はブツブツと言ったからと言って叶えられるものじゃない。
でも、1つだけ言えるのは、その頭のネジがぶっ飛んだみたいな時に私が「電話したい」ってなったのは、本当の願いなんだろうなぁということ。
理性も常識もぶっ飛ぶぐらいになったからこそ、素の私はそうした根源的な願いを自然と自分の中でキャッチしていたんだろうと思う。
2019年12月11日水曜日
サイボーグなオペレーター
2019/12/10の朝焼け
2019/12/11の朝焼け
またもや途中シリーズをいくつかアップしていこうと思っている。
時系列もはちゃめちゃだけど、せっかく書いたし、この1年はあまりノートに何かを書かなかったから、覚書も兼ねてアップしたい。
ネタだけは毎日毎日いくらでも出てくるから、その中でも厳選して「これは!」と思うものを綴りたい。
ちなみに昨日(12/9)の夜にやってきたフレッシュな最新ネタは、ネタなんて呼んじゃいけない、とても大切な「生きる」ことの話だった。
友達の1人が東日本大震災の後もずっとずっと継続して被災地のいくつかの現地に入っている。
なんならこの週末も友達は現地入りしていて、私に電気の餅つき機の動画を送ってきた、しあわせのお裾分けと言って(笑)。
そこで友達はインタビューをひたすらしている。
そのインタビューの生の声を聞かせてくれて、それをブログに書くことも快諾してくれた。
友達の話は、どれもこれも言葉を失うものばかりだった。
生きることの本質を問う話満載で、凄かった。
九死に一生を得た人のインタビューも中にはあった。
間違いなく「心の時代」が到来する。
今私のところには、とにかく不思議と色んな情報が集まる。
その情報たちが何なのか、まだ点と点で全然繋がらないけれども、集まって印象に残ったものは極力文章に起こして発信したいと思っている。
なぜなら、その中に確実にヒントがあるから。
何がどう繋がるかわからないし、単なる私の自己満足みたいになって終わりかもしれないけれど、でも確実に意味のない情報は来ないと思うから、来たものは極力発信しようと思っている。
そんな前置きの後の今回の話は、またもや愚痴満載みたいなものだけど、これもまたこれで対比材料として大きな役目を果たすと思うから、あえてアップしたいと思ってアップする。
2019/12/10
家に残るための手段を確保するために始めた仕事探し。
1つ目は不採用だったけれども、個人的に面白い点というか毒吐きというかがあるから書いてみようと思う。
ここは本気で条件だけで選んだ仕事だった。
ただ最初から懸念事項があった。
名古屋にいた頃、私は人生で初めての派遣社員なるものになった後、いくつかの派遣会社に登録したけれども、数年の間に10社近くは何だかんだと登録に行ったと思う。
最初の3社ほどは大手の派遣会社で気付かなかったけれど、何社目かに小さな派遣会社に行った。
そこは今でも忘れられないけれど、派遣会社の中でも最低ランクで、別に派遣会社でなくても一般企業としても最低だった。
例えば、きちんとした履歴書の持参を催促されて登録会に持って行くと、普通であればそれを預かって終わりで、登録希望者(派遣希望側)が再度その場で入力することはない。
だいたいどちらかで、その場で希望者が入力するから履歴書・職務経歴書不要となるか、そうでなければきちんとした履歴書・職務経歴書を持参して、それを派遣会社側が入力するかのどちらか。
そこは、きちんとした物を持参させた上で、さらにもう一度今度はその会社のシステムに入力することをさせられた。
この二度手間はなんなんだ!?と思った。
さらには、怪しいと感じたことがいくつもあって、そこは早々と断って二度と関わらなかったけれど、そこがもっとやばいと知ったのはそれからしばらくしてのことだった。
別の大手の派遣会社に行った時にもらってきたきちんとしたパンフレットに見覚えがあった。
あれ?と思って家に帰ってから見てみたら、なんとそのやばい方の派遣会社は、大手の派遣会社のパンフレットをそのまんまコピペしていて、それを安い印刷で済ませたことがわかった。
よその会社のパンフレットをコピペして自社のパンフレットにするって、その会社以外そんなところはなかったから、派遣会社云々と言うよりも会社自体がおかしな体質なんだと思った。
そういうので会社の本質や体質が出るんだなとわかって、派遣会社だけはそれ以降選ぶようになった。
基本、派遣会社は大手や大元の親会社がきちんとしているところにしか行かないようになった。
そして、これは派遣に限らず、心理のプログラムとか各種スクールとか、そうしたものを見る時に私はかなりな確率で「代表者」とか「社長」のメッセージを見に行く。
それを見ると大体その団体のカラーがわかるのと、大事なものが伝わる度合いも見えてくる。
で、今回の1つ目の仕事の会社は、超きっちりはしているけれど、とにかく中身がない感じがした。
社長メッセージがひどいもので、何1つ伝わるものがなければ、私には1つとしてまともに読める文章がなかった。
国会の答弁みたいな文章で、これで何をこの人は伝えたいんだろう?と思った。
会社自体は一部上場でも、本当に何か大切なものが欠けてしまっている気がした。
これは勝手な想像だけど、最近ニュースになった関西電力の菓子折りの下に札束が入っていた、ああいう世界がリアルにありそうなだなぁという感じ。
申し込むにあたり、これまでの職歴を打ち込んでいったけれど、とにかく細かく聞いてくるところで、私は8個書いた。
途中嫌になって、1つはとうとう省いた。
これ長続きしなくてダメな人として見られる典型的なパターンかと思うけれども、私からすると、世間的な評価はさておいても、とにかく色んな世界の色んな仕事や人を知ることができたのは今となっては財産だなと思っている。
そして、ついでの話だけど、それだけ色々見てきてもやっぱり最後はどんな仕事や役職や肩書、立場でも、どの人もみんな「人」だというのは感じたし、どの人も等しく生きているというのも思った。
とかいうことが、多分あのコテコテの理論武装型のホームページの会社からは、粗末に又は雑に扱われるだろうことはなんとなく想像がついた。
2時間コースで自己プロフィールを何とか完成させた後、1時間くらいすると、その会社から電話がかかってきた。
人生の中で当たったオペレーター的な人の中で、ダントツで機械音声みたいな話し方をする人だった。
呆気にとられたぐらい。
丁寧だし言葉遣いもきちんとしているし、質問にもテキパキと答えてくれるんだけど、とにかく感情がゴッソリ抜け落ちてる。
この女の人、大丈夫だろうか?と、私が心配することじゃないけれど、本気で心配になるくらいだった。
本物のコールセンターは2つ、他にコールセンター機能兼の職場が3つ、合計5つ行ったから、中で働いている人たちの様子はわかる。
そして普段の生活の中でも、注文や故障なんかがあればコールセンターに電話するから、オペレーターの様子はけっこう数としてはそこそこ知っていると思う。
史上最高にサイボーグ型のオペレーターで、ほんと機械とやりとりしているみたいだった。
社長のメッセージや会社の理念なんかにものすごく似通ったタイプのオペレーターという感じだった。
で、これもまた不思議な話というか、これ資本ってどこから出ているの?と思ったこと。
今回の仕事は、ネットでしか見たことがないけれど、まるで東京の派遣の時給みたいな金額が設定されていた。
確実に名古屋の派遣の時給の相場よりも数百円上回る。
ある商品の導入をするための飛び込み営業が仕事だとサイボーグオペレーターの説明によって知ったけれども、それでもその時給や交通費などの諸経費のカバーなんかは、どこがお金を出すのかな…と思った。
私が想像するに、これ国が絡んでいて、相当な税金が投与されてるんじゃないのかと思った。
たしかに国が推進する一事業ではあるから、国からの補助金があってもおかしくはないけれど、名古屋のような地方都市ではなく「田舎市町村」のレベルに東京的な時給を発生させるのは普通に考えて難しいし、そして契約取れて導入したからと言って、そこからの契約料のペイバックなんかたかが知れていると思う。
どう考えてもおかしい背景がいくつも裏側に潜んでいる気がしてならなかった。
日本経済はたまた日本社会の闇の部分がかなりそこと癒着しているように感じる。
という印象の会社だったわけで、私の経歴側に問題ありだったのかは知らないけれど、そこは行く必要がない、縁のないところとして終わった。
ここからガラリと話が変わるけれど、今回の2時間コースの入力の時に、入力する際に初めて意識が違うところに飛ぶ場面があった。
緊急連絡先のところだった。
毎度毎度、緊急連絡先を書く時、「いつかは続柄に『夫』って書きたい!」と妄想する箇所ではあるけれど、今回だけはその妄想は登場してこなかった。
初めて、父の名前を入れることに、それが当たり前ではないことに気付かされた。
ずっと普通に緊急連絡先はいつも父だったし、そこに何かを思うこともなければ、それがいつかそうではなくなるなんて想像したことさえなかった。
初めてその部分に疑問が浮かんだ。
2019/11/9
ーーー2019/12/11 追記
父の続きの話。
10月〜11月頃の体調の悪さはどうなったのやら、父は普段の調子に近いものを戻しつつある。
結局のところ原因不明のままだから、また近いうちに何かしら検査は必要かと思うけれども、どうしたことか父はとにかく一時より確実に体調は良くなった。
看護師の友達から、もし検査結果異常なしなら、具体的に何科の何の検査を追加で受けたらいいのか、父が精密検査を受けた翌日に教えてもらった。
その友達の話も書き途中になっている。
当時の友達とのやりとりがなければ、私は今頃もっと不安だったかと思うけれども、あの時に1時間以上に渡って友達が電話越しに事細かに説明をわかるようにしてくれて、とても助かった。
上に書いたものは、先が長くなさそうな父のそばにいようと考えて、ひとつ目のフルタイムに申し込んでダメになった直後の話。
その時には全く選択肢にもなかった仕事に就いたわけだけど、結果的に出社当日の朝に知らされた配置替えの仕事、当時からすると仕事を探し始めて4つ目、正しくはここに書いた仕事の前に受けようとしていたものも含めたら5つ目のものに決まった。
これもまた昨日(12/10)女上司の人から初めて聞いたことだったけれども、実は私の前に別の人がエントリーをしていたとのこと。
ところが、会社の判断でその人の英語力では務まらないだろうと考えて、採用見送りになった。
ちなみに見送りになった人の方が、ビジネス英語を使う職歴を持っていて、そちらの方が確実に実務をこなせたと思う、私からすると。
ところが私の方が単純にTOEICの点数が高かったから(点数だけはたしかにズバ抜けて良い)、という理由から、英訳どころか英語関連の職歴ゼロの私に会社はあえて打診したという、すごい話だった。
しかも会社にとっても前代未聞の採用の仕方で、当たり前だけどその打診を受けた私もまさか出社初日の開始5分前に言われるなんて、事実は小説より奇なり状態だった。
女上司に私は当日の朝、それこそ敷地内の駐車場内で派遣会社から初めて話をもらったと言ったら、相手もひっくり返りそうなぐらい驚いていた。
社内ではさすがに前の週で話は動いていたけれども、社内の方でもバタバタで何も決まっていないままとりあえず私に打診してからどうなるかを決めようとしていたようだった。
その仕事になったおかげで、夜はいつも父と同じ時間にごはんを食べれるようになった。
実は、仕事がキャンセルになった英語の仕事以外の他の3つなら、父とごはんを食べるようには絶対にならなかった。
なんなら、始業が早いから、終業も17時前で、その後家に帰って私がごはんを作る日も週の半分以上を占めている。
昨日は
・かぶと肉そぼろの煮物
・白菜とあさりのグラタン
・レンコンと紫玉ねぎのサラダ
なんかをパパっと作った。
こうした諸々の話も書きたいけれど、とりあえず仕事探しをしていた11月の話は一旦終了。
個人的に、上の仕事は採用見送りになったけれども、2時間も実に無駄な入力の時間を費やしたけれども、受けて良かったと思っている。
世の中のある仕組みの裏側を少しだけど見れることになって、私はその裏側こそ大切なものが含まれていた、正しくはそちらは欠落していた裏側を見れた。
その裏側は相当裏に何かをはらんでいる気がするから、もしかしたら今日今すぐではなくても、これが1年2年と時間が経過した時にかなりおかしなことが発覚するんじゃないかとひっそりと思っている。
2019年12月10日火曜日
武士俣流:世の中の見え方
〜はじめに〜
これから紹介するのは完全に個人のボヤキだけど、この話はみんなどこか繋がっていると思う。
先日から、どういうわけかそのような話が続いていて、一見1つ1つは無関係みたいに見えても、実は根底は同じものだと思っている。
そして、そこで感じていることが、おそらくこれからの時代を大きく左右するんじゃないかと思っている。
*
私→ノム
今日さ、◯麺とかを手掛ける本社の会社がテレビに映っていてね。
そこは高層ビルの30階とかで、すごいオシャレなオフィスなのね。カフェみたいなオフィス。
だけど私は一瞬だけ映った「新規開店部署」みたいなところの仕事の説明を見て(ヒルナンデスというお昼のバラエティ番組で、「ここは何の会社でしょうか?」みたいなクイズ形式のワンシーンだった)、それ見ただけですごい違和感を感じた。
洗練された都会のオフィスの人がクリック1つで次の新規オープンが確定するみたいな。もちろん下調べをしてると思う。だけど、現地も見たのか見てないのかは知らないけれど、テレビの向こうでは少なくとも見ていなくて、じゃあ次はここにしましょう、ここなら集客と儲けがたくさん見込めるでしょうみたいなデータ分析の結果1つで店がオープンする。
なんだか、人のことを、そこに携わる人たちのことを馬鹿にしているというか、敬意がないなぁと感じた。
その人のワンクリックで、ものすごい沢山の労働力が動く。たしかに労働市場に貢献するかもしれない。だけど、◯麺のスタッフの人たちは、地域の最低賃金なりそれに少し毛が生えた程度のお金で、信じられないくらいのマニュアル、それを徹底した労働力を提供する。食材を運ぶドライバーさんやその食材を作る農家さん、そうした人たちにも想いを馳せて、クリックすると次の新規開店を目指してるとはとても感じられない職場風景だった。そういう現場を支える人たちもそのオフィスみたいな優雅さがあるかと言えばそんなの皆無で、こうしたギャップは個人の好き好きとして片付けていいものとは少し違うように感じている。
消費者のニーズに応えるのも大事だけど、それ以上にそこに関わる色んな人たちが少しでも幸せそうに無理なく働ける、そして働いたことに対して本社の人並みに何か保証がある…、そういうのでないと、何もかも虚構の世界だなぁなんて私は思ってしまったよ。
そんなの無理だろうけれど、きれいなオフィスだけじゃなく、現場の店舗もそしてそこの休憩室も映して欲しかったな。現場も同じくらい大切にしてると感じたならまた違う風に映ったのかもしれないけれどね。
今回の様々な人とのやりとりから、一気に世の中の裏側というか、裏方で本当に信念持ってお仕事や活動している人たち4人に触れて、ものすごく考えさせられた。
色んな立場、色んな背景があって当たり前とは思うものの、今騒がれている安倍晋三事務所が大きく絡んでいるんじゃないかという桜を見る会とか、ああした権力争いや支援者集めに特化した軸も信念もないようなものから、儲け主義に走るものから、そして一言聞いた瞬間言葉を失うくらいの衝撃を与える真の、本物の命のバトンリレーみたいなものと。
最後の命のバトンリレーみたいなものは、目立たないし見えない。それは派手さもなければ、世の中に広く紹介もされてないし、知られてもいない。だけど確実に息づいてる。そして、小さな個人1人の小さな動きでも、聞いた瞬間百のことが伝わる、そういうものだった。
そうしたものが大事にされる社会がいいと本気で思った。◯麺みたいな高層ビルのおしゃれオフィスの仮面かぶりまくり、仮面かぶってることすら本人たち気付いていないみたいなのじゃなくて、洒落っ気もなければ綺麗でもない、だけど情熱や覚悟だけは半端ないみたいな、そういう世界の人たちの話を立て続けに聞いて、何か感じるものは言葉じゃ言い表せないようなものだった。
ノム→私
仕事ってことにフォーカスされているというか、目下のぶっしーのテーマみたいなときに、◯麺のテレビを見ているのも面白いね。ぼくは、プロフェッショナルという番組に出てた掃除のエキスパートに人が、フジテレビに番組に出るにあたり、打ち合わせにテレビ局へ行った際の密着映像を見たんだけどもね。彼女は、普段から、掃除が行き届いていないところを見過ごせないらしく、局に入ってから、打ち合わせの場所まで行くのに、ストレートに向かえば5分で着くところが、あそこもここも気になって1時間かかってて(やらせ的なこともあるのかもだけど)。とにかく、一見綺麗な、あるいは外から見ると綺麗でオシャレなフジテレビも、彼女の目には「ひどい!」ってなところで、滞在しているうちに「かゆくなってきた」と言い、「ここで働きたくありません」と言って帰ってた。なんか、ぶっしーの感じた◯麺のことと、ちょっと通じるものがある気がする。表面をとりつくろうとも、見る人にはごまかせないというか。ハリボテというか。かゆくなるような環境って、なんというか、精神的にも、ぞわぞわしそうだなー、って思う。一見華やか、中身は劣悪、みたいなね。
本当に今、そして今後は、これまでまかり通ってきたいびつな仕組みやら形は破壊されていくのかも、と、あらためて思う。風の時代になり、再生フェーズに入ったら、「あの頃はなんで、あんな嘘みたいなことがまかり通っていたんだろう?」と、世の中が反転しているかもだよね。今はほんとの端境期。これまでの型にこだわるほどしんどくなりそうだよね。
私→ノム
ノムのフジテレビの掃除の話、◯麺、そして私のこの度の英訳の仕事のキャンセルの話、なんかみんな同じだなぁと思った。
英訳の仕事のキャンセルは全然いいのね。そうなるべくしてそうなった流れだと思うから。
だけど私がこのことに違和感を感じたのは、固有名詞出した方が話しやすいから出すけれど、☆☆社って言う会社なのね。長岡市民からしたら、☆☆社って豊田市のトヨタ自動車みたいな企業なわけ。だから、企業の母体はでかいし、細々とした名前を聞いただけじゃ何の部署か想像もつかないくらい、とにかく色んな部署がある。
今回応募したのは、従業員1万5千人ほどの1人のポジションだったわけで、そんなのいくらでも吐いて捨てる駒なのは重々承知している。
なんだけど私が不誠実だなぁと思ったのは、今回私が応募したことで、実は社内の部署合併の話が持ち上がっていて、そもそもそのポジションを残せるかどうかわからない状態になって、それこそそうしたでかい会社の部長級の人たちで予算も含めて話し合うみたいな状態だったことが、派遣会社にしてもその時に初めて知らされたことなんだよね。
それがもう結果が出る、という直前のことで1日2日待つ話ならまだわかる。だけど、1週目の金曜の午後に私がエントリーして、2週目の水曜日に派遣会社の担当、内勤、営業2名の人がわざわざご丁寧に電話してくるも「(実はこれこれこういう状況で…の説明の後)まだ結果が出ないみたいでもう少しお待ち下さい」ってなって、それで金曜日の夕方に電話してもまだ結果が出ないと。朝の時点ではまだ動きが入っていませんでした、なのでまた確認して多分来週になります、ごめんなさいと言われた。ちなみに派遣会社は何も悪くない。
で、3週目の月曜、それは昨日ね、朝イチに近い時間で電話きて、☆☆社から仕事のキャンセルが来たと。
これね、私が☆☆社の正社員とか契約社員を申し込んでいてのこの時間を置くのはわかる。だけど、本来なら、社内で選考したり手続きしたりが面倒なのと、期間雇用的に今人が早急に欲しいということで派遣会社に求人を依頼している。向こうからしたらひとコマの人間でも、その1人の人生の時間、生活もあるわけで、そこには全く想いを巡らすことのできない人たちなんだなと思った。自分たちにとっては1週間以上結論を先延ばしにして相手をどうにも動かせなくする(応募上、他と並行はできないシステムになっている)ことなんか痛くも痒くもないわけで、別にそれはかまわない。実際に私も延びてくれたおかげでやれたことはたくさんあったからね(苦笑)。
だけど、毎年それこそ20年近く前から、だから私なんかが新卒と呼ばれるような時代から、新入社員の入社式には親を呼ぶような会社でものすごい福利厚生のしっかりとした会社で、表面的には人を大事にしている。でも、末端の人間でまだ見知らぬ誰かなら大事にしないできない、それが今回ものすごくはっきりとした。
メール1通、電話1本で良かったと思うよ、今社内での部署編成をしているから英訳の求人を今一度保留にして募集をストップしてくれませんか?と。予算が組めてまたお願いするでも、反対にこの度は求人キャンセルにしても、また決定次第すぐにご連絡します、の一言がなぜ言えない?と思った。
根回しできないような、小さなことに気付けない、大事にできないような人たちが今の日本の大半なのかもしれない。そしてそういう人たちが経済を支えるんだけれど、そりゃ崩壊するよね?と思った。経済破綻というより、システムの破綻というかね。人間を大事にできないシステムは必ず崩壊する、と私は思っている。
だってどんなに小さな仕事でも、それがロボットではなく人間がするのであれば、そこには必ず感情があるし、その人を大事にするのは当たり前のことだと私はずっと思っている。
話は少し変わるけれど、児童養護施設で働いた5年半のうち、4人の保育士トップ、保育園で言うなら園長にあたる人にあたったんだよね。特に最初の人はその中でも一番すごくて、まずは誰よりも毎日朝の3時間、又は夜の3時間だけ来てくれるパートさん3人を一番大切にしていた。給料は一番安いのに一番大変な時間を朝のパートさんは週6、夜のパートさんは法律的な雇用調整のために年に2回10日間休む以外は年中無休で来てくれてて、さすがに新人の私でもそれはものすごいことだと知った。
だからトップの人はお金はどうにもできない分、自分が夜勤明けとか日勤で特に担当する仕事がない時は、その人たちを仕事終わりに呼んで30分位、夜のパートさんも終わった後のほんの10分15分ね、「お茶入れたから飲んでって!」と誘って、一緒に茶菓子食べながらなんてことないおしゃべりをしていたの。月にそれぞれ3回ぐらいは最低でもしてたんじゃないかなと思う。そして必ずその人たちにお礼を言って、その人たちのおかげで施設が回ってるということも常々言ってた。実際にそうで、私たちが朝の6時から出勤することはないわけで、その部分を本当に手伝ってもらっていた。夜もパートさんが10日間休む時は私たちの勤務が特殊になって(日勤遅番の組み合わせで超キツかった)、ほんとに来てもらうことのありがたさはよくわかっていた。
だけど最後のトップは異動でいきなりトップとして入らなきゃいけなくて、そしてこの人というのがほんとに役立たない、気付かない人で、お礼の1つも言えない。お礼言わないならまだしも、パートさんたちの在り方で自分の考える保育と違うとパートさんたちにいきなりダメ出しを直に出す、なんなら保育理論まで持ち出して指導する。そんなんだったから全然合わなくて、パートさんたちも毎回怒って大炎上していて、なぜか若い私が当時からパートさんたちの話を聞いてなだめる役目だった(笑)。
それはそうと、末端の人を大事にできない人はダメだなとその時は日々その光景を見て感じていたし、それは今も変わらずに思う。
ノムのフジテレビで掃除のインタビューを受けた人も、◯麺の本社のワンクリックで新規出店とかふざけたことをまるで正しいと信じてる人も、今回の☆☆社の担当者も、みんな共通していると思う。
そうした1人の人間をどこまで大事にできるか、たとえ見えなくて生涯で直接会うことがない相手でもそこに想いを馳せて関われるか、それがいかにできるかできないかで今後の世の中のあり方は変わると思う。
*
元々の用事を話し終えた後、すーさんに「ねぇ、話すっごい変わるんだけど、ちょっと聞いてもいい?」と話をものすごい変えて聞いてみた。
「日本で働くおじさんたちは、みんな感情が死んだようになってるのは当たり前なの?」
すーさんに、来月から年度末まで派遣の仕事に行くことになったこと、そこに行ったら面談に同席したおじさんたちの感情が死んでいたことなんかを言った。
面談の様子を少し言っただけですーさんは
「ぶっしー、そこでかい企業だね」
と言った。
小さな情報1つですぐにわかるってすごいなぁと思いつつ、すーさんがどうしておじさんたちが感情が死んでいるのか、どうしておじさんたちが疲れているのか、それ故にどうしておじさんたちが的外れな質問を私にしてきたのか、それをわかりやすく解説してくれた。
すーさんも大きな企業で管理職しているから、自分の会社の例はね…、などと話しながら教えてもらった。
すーさんの説明の前に、私は1つ本当に疑問に思っていることも口にした。
「すーさんあのさぁ、何で命が絡んでいたり誰か死ぬかもとかじゃないのに、間に合わない、間に合わないって言って、常に急いで常に残業して、それって何なの?
人が死にそうならそりゃ急がなきゃなのはわかるけれども、別に今日やることをやらなくてもあしたも普通に来るのに、何でそんなにも急ぐの?そりゃ売上とかに関係するかもしれないけれど、そんなの無理に合わせるより、1日遅らせてもいいから目の前の人たちが少しでも働きやすくすることの方が大事じゃないの?」
30代の私は、営業とそして裏方事務だけども常に期限が付いている仕事をした時に、毎日毎日それらの仕事を不思議に思っていた。
裏方事務に関しては、トイレに行く時間もないくらいに本当に常に色んなものに追われていた。
変な社内ルールがあって、初期対応を問題発生後3日以内に行うというもので、それとは別にずっと継続している案件も同時進行で行う。
さらには待ったなしで来る顧客対応の各種電話にも出る。
だから、初期対応+継続対応+緊急対応を同時進行で行う。
それが慣例だったからそのようになっていたけれども、私は今でもその仕事は本来なら各対応ごとに人を1人配置してもいい仕事量だと思うし、本気でミス1つ許されない、ミスが出ると大きな金額の損失か大型の顧客クレームに繋がるから、常に緊張感の高すぎる内容をやり続けていた。
あの時の毎晩夢の中でも仕事をしてうなされて朝起きるとグッタリしていたことは忘れられない。
でも私は今でも思っているけれども、それを明日に繰り越しても、本気の初動部分以外は実は明日でも1週間後でも「差」はなくて、そんなの誰も死なないし命に関わるわけじゃないんだから明日でも明後日でもいいじゃん、と思っていた。
国は今「働き方改革」とか言っているけれども、本気で法律出した方がいいよと思う、命に関わるもの以外の業務は、人が自殺したり心身の病気になるような期限やノルマを課すのは禁止!!!って。
だって業務量は減らないのに働く時間だけカットされたら、その減らない部分の仕事はどうするの?と思う。
本気で人死ぬよ!というのが何故にわからないのか、そんなに生き急いでどうするの?と思う。
今度行くところは、行く前よりすでに「業務が滞って遅れている」と言う。
1日10時間働いても間に合わないのは、時間に対しての業務量が見合ってないか、やり方がおかしいか、もしくは働く人がサボっているかのいずれかしか普通には考えられない。
働く人が真面目にやってるとするなら、それは量か方法がおかしいわけで、そこを誰もテコ入れしないのか、要は抜本を見直さないのか、それが不思議でたまらない。
途中から私の頭の中の話になってしまったけれども、そんなこんなを経て、すーさんがとてもわかりやすい説明をしてくれた。
「これはあくまでも俺の今行っている会社の話ね」
そう前置きした上ですーさんが教えてくれた負のスパイラル。
「まずは、どの業界も基本は『成長前提』なんだよね。
去年より売上何%上げるとかいう目標が毎年毎年言われるわけ。去年より何%売上増って、去年も今年もその前の年もずっとずっと言い続けてるわけ。
それいつまで去年より何%増を目指すってやるの?と思うけれども、とにかくそうなわけ。
でさ、その目標に対して営業が仕事を取ってくる。仕事を取ってくるのはいいけれども、現場は去年も今年も人員配置同じだから、下手すると人員の数が減ったりしてるわけ、だけど目標は売上増だからそれに基づいて商品やサービスを提供するように動くしかないから、残業してでもやっていかないといけない」
そこで私が「えー、そんなの無理じゃん!ここでさ、そんなに急いでもみんなが倒れるだけだからちょっと納期遅らせましょうか?とかならないわけ?別に誰か死ぬわけでも命がかかってるわけでもないじゃん!」と聞いた。
「いや、本当そうなんだよ。別に死ぬわけじゃないし、誰かの命が危ないとかでもない。
でも仮に納期を遅らせたら、競合他社に今度は仕事を持っていかれる。そうすると売上が落ちる。
売上が落ちたら今度は現場の者は上から叱られる。上の者もさらにその上の者から叱られる。それは嫌だから何とか間に合わせようとする。そこでいちいち感情なんか出してたら身がもたないし、いちいち“どうして?”なんて考えたらしんどくなるだけだから、みんな感情を殺すしかなくなる。何も感じないフリでもしていないと自分がもたない。
だから、ぶっしーが見たおじさんたちもみんな感情が死んでたんだと思うよ」
「それって経営者がバカだね。
だってさ、無理な成長戦略を打ち出して、じゃあ仮に色んな人たちが無理をして達成したとしても、今度は人が倒れるじゃん。体なり心なり壊すじゃん。
売上と引き換えに失うものが大きすぎるよ。人はお金に替えられないじゃん。そういう人を失ってもいいからそんなアホな売上目標を達成するなんて、本気で馬鹿げてる」
「もうさぁ、製造系や工場はどこも万年人手不足だよ。本当に人が足りない。足りてないのに売上は去年より何%増とか言い出してる。もうね、すべて悪循環なの。
だからぶっしーが見たおじさんたちも、上には逆らえないし、感情もね押し殺してないとやっていけないからやる。そのうち感情があったことも忘れるくらいに疲れ果てる。だからおじさんたち、疲れた顔して感情が死んだみたいになってたでしょ?」
「そうだよ!
でもあれ、朝の10時半の話だからね!
別に1日の終わりに会いに行ったわけじゃなく、なんならその日は新潟県にしては珍しく晴れて天気良くて気持ちの良い日だったんだよ!
なのにみんな死んだような顔してるの」
「もう、想像がつく。
売上、売上ってなっていて、みんな右肩上がりの成長を目指す。そんなのどこまで上げるの?限界があるよって思っても、それでもまだ上を目指す。果てしなく、終わりがない。
その中で人はどんどん疲れていく。
来る日も来る日もやってもやっても終わらない、何かに追われてる。
そりゃ感情が死んだようになるよね」
「でさ、じゃあ仮に今の成長がしばらくは右肩上がりだとしても、いずれ世代交代するでしょ。
今の若い子たちは、生まれた時から週休2日なわけ。休むことやのんびりすることに慣れてるわけ。そんな子たちに今みたいな無茶ぶりを要求しても、ほとんどの子は耐えられなくなって転職するなり辞めるなりすると思うんだけど。
だから今のやり方じゃ絶対にいつか通用しなくなるじゃんね。もういい加減、右肩上がり、成長ありきみたいな戦略やめたらいいのにね」
「そう、そこなんだよ!
いくら新しい子たち、若い子たちが入ってきても、せっかく育てても、辞めますとかなるわけ。もう、すべてパーでまた1からやり直しになるんだよ」
「だから、上の経営陣が『この会社に残りたい。ここで働きたい』って思ってもらえるような環境を作らないことには、もう残るとか無理だよね、普通に考えて」
「このままじゃダメなのはわかってる。みんなわかってるんだよ。
でも、じゃあどうするの?ってなった時に、みんなその『どうする』がわからないんだよね、真面目に。
日本はまだまだ年功序列の色が強いし、年取るとやれなくても求められる。そして怒られないようにしても、それは上も下も関係なく、自分の上からは怒られる。
成長戦略ではもういずれ行き詰まるってわかっているのに、まだそれができると信じてそのように動いているところが多い」
「わかった!
おじさんたち、『どうしたらいい?』が聞けない。それは立場もあるけれど、困った時に1人で抱え込む人たちが本当に多い。
それじゃ仕方ないから自分が頑張るしかない!ってなって、余計としんどくなるばかりだよね」
「だからおじさんたちの感情が死ぬ。そのままじゃもたないからね」
すーさんに、そう言えば次のところは始業前に体操もあるんだった!と言ったらこんな風に返ってきた。
「ぶっしー見てごらん!
感情が死んでるおじさんたちは、ただ手や足をブラブラしてるだけで、体操になってないはずだから」
「せっかく体動かせるのにね。もったいないね」
「そんなもんなんだよ。何で体操するのかもわからない、とりあえず手足動かしておく、でも気持ちはもう全然そこにない、何もかも考えられなくなるぐらいにおじさんたちは弱ってる」
すーさんは自分も気持ちはよくわかると言いながら私に説明してくれた。
その後も私は実際に見学の時におじさんとやりとりして、おかしいと感じたことをすーさんにそのまま言ってみた。
表情がないだけではなく、他にも一般社会からはおおよそかけ離れた、社内ではまかり通っても一歩外に出たらそれ変だよと思ったことを赤裸々に言った。
すーさんはそれに同意しつつも何を言い出すかと思えば
「だから、ぶっしーが行くんだね!
ぶっしー、がんばれ〜(笑)!」
などと言い出した。
「いや、頑張んないよ。
仕事は真面目にするけれど、黙って黙々とこなして、他のことは気付いても自分に差し支えなければ何も言わないよ。
私はダンマリを通して空気のようにそこにいようと思うから。
それに私の席って、周りから背中向ける席だから何も見えないし」
「ぶっしーみたいな人がいたら、『いや、年度末とまで言わずもう少し残ってください』とか言われるだろうなぁ」
すーさんは私を評してくれたけれども、それは嬉しかったけれども、すでに行く前から9割9分9厘不安な私には、残る選択肢はないし、この間時間をもらうわけだから、次なる自分の身の振り方を考えたいと思った。
誰から時間をもらうわけでもないけれど、今決められないことを何かしら決める方にしたい、というのはずっと自分の中にある。
そのための時間が、父と過ごす時間と同時に与えられていると自分では思っている。
*
ノムと、恋人ミッチーがお風呂タイムの時間に突入した時間帯から電話をした。
ミッチーからは、ぶっしーも浩平さん(=ノム)も話したいだろうから、僕に遠慮せずに電話してねと言ってもらっている。
なのに、ノムはなぜかミッチーのいない時間を狙って、まるで浮気する人たちみたいだった(笑)。(正しくは、その時間が一番ノムが時間作りやすい。)
しかも、ノムは「これ人から教えてもらった!」と言って、ある時からiPadをジップロックに入れて、それをお風呂場に持ち込んでそのままお風呂でも長風呂して電話を続けることをいつからか始めた。
ジップロックの薄い膜が声を少し遠くさせるけれども、慣れてしまえば何てことはない。
ノムも私も毎回テーマなど決めずにベラベラとおしゃべりをするから(このおしゃべりは実はすごいセラピー効果がある)、今回のテーマはなぜかものすごく2人に関係のない、だけどノムの中で今話そうとなった話を聞かせてくれた(11/24)。
ノムのライター時代の先輩の話だった。
インタビュー記事を書く時は、当然その前にインタビューがある。
何でそんな話になったのか忘れたけれど、ノムが「これだけは引き継ぐことができない」と言った話がとても印象的だった。
その先輩はある現場を若い人たちに引き継いで自分は別のところへと移ったらしい。
それはどの業界も珍しくないから、若手への引継ぎと思えば、それで話は終わる。
ノムの話したことはこうだった。
現場入りする時というのは、手土産や差し入れを持参するのが慣例らしい。
何年も前のある時、ノムは先輩の差し入れの準備に同行した。
数人分の朝の早い時間の差し入れだったその時、ノムはその差し入れへの心くばりの凄さに驚いた。
おにぎりになったらしいけれども、どの味が良いか、みんな同じ味が良いか別々が良いか、別々ならどんな組み合わせが良いか、食べやすいか、などなど本当に細かいことで、もしかしたら誰も気付かないかもしれないけれど、その誰も気付かないかもしれないことにノムの先輩は丁寧に時間をかけて用意をしたとのことだった。
しかも差し入れというのは、必ずしも食べてもらえるとも限らなくて、食べてもらえない、手さえつけてもらえないこともザラにあると言っていた。
そうしたものにも、その先輩は律儀に礼を尽くして相手を今できる最大限の力でもてなそうとする人のようだった。
ノムはその先輩のその姿勢を「ホスピタリティの凄い人」と言った。
先輩の今回の現場離れは、世間でいうところの左遷みたいなものだった。
その先輩は業界では本来ご法度とされることをやったことが明るみになって、それで左遷のように現場を外された。
ご法度なことは、私のような素人が聞いてると、何がどうそんなに問題なのか正直よくわからなかった。
むしろ、ご法度と知ってもそれを実行するということは、常に危険と隣り合わせで自分の選手生命もかかっていたかと思う。
それを百も承知でやったということは、並大抵の覚悟ではなかっただろうと思う。
段取りとか現場対応とか、そうしたことは引き継いだとは思う、だけどあの先輩でなければやれなかったおもてなしの部分は誰も真似できないと思う、とノムは言った。
そういう素晴らしいものを、大人の事情で切らなければいけないことの無念さと損失の大きさをノムの話の節々から感じた。
ノムの話を聞きながら、米の仕事のヨシダさんの話を思い出した。
ヨシダさんは農協に勤めていた頃、主に農機具の部署を担当した。
ある時、ヨシダさんが農機具の大手3社に農機具の見積もりと見本とを依頼した。
A社、B社、C社からそれぞれ農機具の見本が届いた。
ヨシダさんはその後も長い付き合いとなるA社を選んで、そしてその後、地区全体に普及させる農機具全般をA社一択で農家や農業法人に広めていった。
何が違ったのか。
ヨシダさんは言った。
「A社だけだった、新品を用意してきたのは。B社とC社は中古を持ってきた。その差を見て、俺はA社1本でいくと決めて、そして農協の上の者にも全部掛け合って、地区全体でA社のものを使うように全部変えた」
ちなみにA社の当時の営業担当が後のA社の社長となった人だった。
(↑この話を聞いて、もしかしてヨシダさんが親交のあったA社の社長というのはこの人じゃないかと思って聞いたら、そうだと返ってきた。)
*
ファストフードに掃除のエキスパート、感情が死んでるおじさんたち、おもてなしの心を持った異業種の2人。
私はやっぱり最後は「心」だと思う。
ポチッとワンクリックでお店をオープンするのが今一番効率的なのかもしれない。
自分や家族を守るために感情を押し殺してまで働くこともあると思う。
ルール違反だからと言って現場を外すのはどの業界でもあるあるだろう。
なんだけど、「心」はどこに行っちゃったんだろう?と思う。
すーさんと別の日に話したことが忘れられない。
すーさんと私とで、あることに対して何ができるのかを話し合った日があった。
事態は思わぬ方向に転がりそうになっていて、緊張感をずっと持っていた。
その緊張感がある日頂点に達してはじけ飛んでしまったのなら、相当怖いことが起こるだろうことが予想された。
だからそのままにはできないね…、となって2人で対策を考えて、いざという時にはその対策を講じることを決めた。
すーさんは言った。
「あのね、迷惑をかけるとか、周りを振り回すとかはまだいいの。そんなのはこれまでもそうだったし、今に始まったことじゃない。
だけど、1つの行動が誰かを不幸にするのはダメだよ。それは絶対にあっちゃならん」
すーさんはこうも言った。
「感情をなめてたらダメ。
あまりにも感情が高ぶると、人は何をするかわからん。
感情1つで人を殺したりするんだから。
感情をそのままにしてたら危ない」
すーさんが言う「不幸」というのは、感情をそのままにして、それが本人や本人にとって大切な誰かを傷つけてしまうことだった。
すーさんはもはや事の顛末など些末なことと言わんばかりに注目もしておらず、それよりもそのことで心が大きく乱れているだろう相手のことを想像して、それの怖さを口にしていた。
本当に何が起きてもおかしくない、それぐらいの緊迫した様子となっていた。
だから2人で「この方法なら、もしかしたら“心配しているよ”の気持ちが伝わるかもしれないね」と、必殺技を考えた。
多分もう言葉での理解を求めても厳しいから、せめて態度で示そう、ということでウルトラCの方法が2人の中で採用された。
ちなみにウルトラCは、すーさんと私とで一緒に時間を合わせて電話することだった。
大の大人が2人も時間を合わせて電話してくるなんて普通はないから、それが事の深刻さゆえにうちらもそのくらい体制を整えてまで心配しているよ、のアピールにならないかと考えた。
言葉では入らない。
感情の暴走が本人だけにとどまらず、その先の大切な人にまで及んだらシャレにならないから、そこは何とか止めたいねとすーさんと話し合った。
そして、すーさんと私とで考えた最終の秘密兵器は「情に訴える」だった。
感情を押し殺したり、人を人として扱わない・敬わないようになったら、必ずそれが歪みを生むと思う。
私の小さなひっかかりだけど、例えば今日(12/9)、仕事上必要な席次表が渡された。
今日から着任した役職の人がいる。
私は1週間前に配属されている。
役職の人の名前はきちんと席に名前が入っていて、私の席は空欄のままだった。
業務の責任の重さから私の名前がないのは逆に願ったり叶ったりだけど(例:「誰このやらかした人?名前読めないし、席次表に名前もない!」とかなってバレないで欲しい←こらっ!)、これ私みたいな反応ではなく、違う反応をする人ももちろんいる。
あなたの居場所はありませんよ、とか。
あなたにはゴーストライターのように働いてもらいますから、あなたは存在してないも同然です、とか。
そう捉えたっておかしくない。
もう1つ席次表を見て気になったところがあった。
私が本来行く予定だったExcel入力1日10時間コースの仕事の場所が同じフロアにある。
こここそ、その会社の超底辺の土台部分を担っている人たちで、その人たちの働きが間違いなく会社の発展に大きく貢献する。
単なる入力ではなく、企業が発展するための入力だというのは事前に説明を聞いていたから、それだけが唯一私の中で「何かの役に立てるなら、その入力は悪くない」と思えたものだった。
そこには数名の派遣の人が雇われていて、そのものすごく長い拘束時間の仕事を担っている。
なのに、その手渡された席次表にはその人たちの席は存在さえしていなかった。
名前がないだけじゃない。
席そのものがかなりうやむやにされていて、そこに関わる一部の人たちしかその一番の土台を担ってくれている人たちのことを知らない。
そもそも私もひっそりとしたかったから、自分がそこに行くならそれで良かったけれども、会社の在り方として、それはどうなのかと思った。
本当に労力を提供して会社の発展に力を貸してくれる人たちなのに、その人たちの存在は抹消されている。
自分のことではないけれども、私はなんだかショックだった。
あそこで黙々と入力に打ち込んでいる人たち、会社の発展に貢献してくれる人たちは、書面では存在していないんだと知った。
明日はボーナス支給日だから明細を渡します、と朝礼で部長が言っていた。
短時間のパートさんにまでボーナスを支給する素晴らしい会社だと知った。
この素晴らしさがそうしたお金だけではなく、人にも還元されないかな…と思った。
派遣にボーナスを出せとかいうことではなく、せめて今協力してくれてる人たち、それもその入力の人たちは1年と長丁場なんだから、せめてその人たちが存在していませんまたいな在り方がどうやらおかしいぞーと気付ける人が1人でもいたらいいのになと思った。
(余談だけど、私のはずっと空席で通って欲しいと思っている。なんと数ヶ月勤務の私に、武士俣の名前入り検印用の印が初日に発注されていて、もはや恐ろしさしかない責任に早くもギャーーー!!!となっている∑(ΦдΦlll…)。
ごちゃごちゃと色んなことを書いたけれども、いかに自分が大切にされているかというのは、どんな立場のどんな年齢の人も共通して欲してると思う。
そこが転んでさえなければ、多分なんとかなる。
「心」や「心くばり」が全業界全業種共通だと思う。
しかもそれは仕事や社会生活だけじゃなくて、小さな個人のことも含めて、すべてはそこじゃない?と感じる。
ただいま色々余裕失いまくりだけど(頭のキャパシティが追いつかない)、頭の追いつかないのは仕方ないけれど、心だけはせめて深呼吸を自分のために心がけたいなぁと思っている。
これから紹介するのは完全に個人のボヤキだけど、この話はみんなどこか繋がっていると思う。
先日から、どういうわけかそのような話が続いていて、一見1つ1つは無関係みたいに見えても、実は根底は同じものだと思っている。
そして、そこで感じていることが、おそらくこれからの時代を大きく左右するんじゃないかと思っている。
*
私→ノム
今日さ、◯麺とかを手掛ける本社の会社がテレビに映っていてね。
そこは高層ビルの30階とかで、すごいオシャレなオフィスなのね。カフェみたいなオフィス。
だけど私は一瞬だけ映った「新規開店部署」みたいなところの仕事の説明を見て(ヒルナンデスというお昼のバラエティ番組で、「ここは何の会社でしょうか?」みたいなクイズ形式のワンシーンだった)、それ見ただけですごい違和感を感じた。
洗練された都会のオフィスの人がクリック1つで次の新規オープンが確定するみたいな。もちろん下調べをしてると思う。だけど、現地も見たのか見てないのかは知らないけれど、テレビの向こうでは少なくとも見ていなくて、じゃあ次はここにしましょう、ここなら集客と儲けがたくさん見込めるでしょうみたいなデータ分析の結果1つで店がオープンする。
なんだか、人のことを、そこに携わる人たちのことを馬鹿にしているというか、敬意がないなぁと感じた。
その人のワンクリックで、ものすごい沢山の労働力が動く。たしかに労働市場に貢献するかもしれない。だけど、◯麺のスタッフの人たちは、地域の最低賃金なりそれに少し毛が生えた程度のお金で、信じられないくらいのマニュアル、それを徹底した労働力を提供する。食材を運ぶドライバーさんやその食材を作る農家さん、そうした人たちにも想いを馳せて、クリックすると次の新規開店を目指してるとはとても感じられない職場風景だった。そういう現場を支える人たちもそのオフィスみたいな優雅さがあるかと言えばそんなの皆無で、こうしたギャップは個人の好き好きとして片付けていいものとは少し違うように感じている。
消費者のニーズに応えるのも大事だけど、それ以上にそこに関わる色んな人たちが少しでも幸せそうに無理なく働ける、そして働いたことに対して本社の人並みに何か保証がある…、そういうのでないと、何もかも虚構の世界だなぁなんて私は思ってしまったよ。
そんなの無理だろうけれど、きれいなオフィスだけじゃなく、現場の店舗もそしてそこの休憩室も映して欲しかったな。現場も同じくらい大切にしてると感じたならまた違う風に映ったのかもしれないけれどね。
今回の様々な人とのやりとりから、一気に世の中の裏側というか、裏方で本当に信念持ってお仕事や活動している人たち4人に触れて、ものすごく考えさせられた。
色んな立場、色んな背景があって当たり前とは思うものの、今騒がれている安倍晋三事務所が大きく絡んでいるんじゃないかという桜を見る会とか、ああした権力争いや支援者集めに特化した軸も信念もないようなものから、儲け主義に走るものから、そして一言聞いた瞬間言葉を失うくらいの衝撃を与える真の、本物の命のバトンリレーみたいなものと。
最後の命のバトンリレーみたいなものは、目立たないし見えない。それは派手さもなければ、世の中に広く紹介もされてないし、知られてもいない。だけど確実に息づいてる。そして、小さな個人1人の小さな動きでも、聞いた瞬間百のことが伝わる、そういうものだった。
そうしたものが大事にされる社会がいいと本気で思った。◯麺みたいな高層ビルのおしゃれオフィスの仮面かぶりまくり、仮面かぶってることすら本人たち気付いていないみたいなのじゃなくて、洒落っ気もなければ綺麗でもない、だけど情熱や覚悟だけは半端ないみたいな、そういう世界の人たちの話を立て続けに聞いて、何か感じるものは言葉じゃ言い表せないようなものだった。
ノム→私
仕事ってことにフォーカスされているというか、目下のぶっしーのテーマみたいなときに、◯麺のテレビを見ているのも面白いね。ぼくは、プロフェッショナルという番組に出てた掃除のエキスパートに人が、フジテレビに番組に出るにあたり、打ち合わせにテレビ局へ行った際の密着映像を見たんだけどもね。彼女は、普段から、掃除が行き届いていないところを見過ごせないらしく、局に入ってから、打ち合わせの場所まで行くのに、ストレートに向かえば5分で着くところが、あそこもここも気になって1時間かかってて(やらせ的なこともあるのかもだけど)。とにかく、一見綺麗な、あるいは外から見ると綺麗でオシャレなフジテレビも、彼女の目には「ひどい!」ってなところで、滞在しているうちに「かゆくなってきた」と言い、「ここで働きたくありません」と言って帰ってた。なんか、ぶっしーの感じた◯麺のことと、ちょっと通じるものがある気がする。表面をとりつくろうとも、見る人にはごまかせないというか。ハリボテというか。かゆくなるような環境って、なんというか、精神的にも、ぞわぞわしそうだなー、って思う。一見華やか、中身は劣悪、みたいなね。
本当に今、そして今後は、これまでまかり通ってきたいびつな仕組みやら形は破壊されていくのかも、と、あらためて思う。風の時代になり、再生フェーズに入ったら、「あの頃はなんで、あんな嘘みたいなことがまかり通っていたんだろう?」と、世の中が反転しているかもだよね。今はほんとの端境期。これまでの型にこだわるほどしんどくなりそうだよね。
私→ノム
ノムのフジテレビの掃除の話、◯麺、そして私のこの度の英訳の仕事のキャンセルの話、なんかみんな同じだなぁと思った。
英訳の仕事のキャンセルは全然いいのね。そうなるべくしてそうなった流れだと思うから。
だけど私がこのことに違和感を感じたのは、固有名詞出した方が話しやすいから出すけれど、☆☆社って言う会社なのね。長岡市民からしたら、☆☆社って豊田市のトヨタ自動車みたいな企業なわけ。だから、企業の母体はでかいし、細々とした名前を聞いただけじゃ何の部署か想像もつかないくらい、とにかく色んな部署がある。
今回応募したのは、従業員1万5千人ほどの1人のポジションだったわけで、そんなのいくらでも吐いて捨てる駒なのは重々承知している。
なんだけど私が不誠実だなぁと思ったのは、今回私が応募したことで、実は社内の部署合併の話が持ち上がっていて、そもそもそのポジションを残せるかどうかわからない状態になって、それこそそうしたでかい会社の部長級の人たちで予算も含めて話し合うみたいな状態だったことが、派遣会社にしてもその時に初めて知らされたことなんだよね。
それがもう結果が出る、という直前のことで1日2日待つ話ならまだわかる。だけど、1週目の金曜の午後に私がエントリーして、2週目の水曜日に派遣会社の担当、内勤、営業2名の人がわざわざご丁寧に電話してくるも「(実はこれこれこういう状況で…の説明の後)まだ結果が出ないみたいでもう少しお待ち下さい」ってなって、それで金曜日の夕方に電話してもまだ結果が出ないと。朝の時点ではまだ動きが入っていませんでした、なのでまた確認して多分来週になります、ごめんなさいと言われた。ちなみに派遣会社は何も悪くない。
で、3週目の月曜、それは昨日ね、朝イチに近い時間で電話きて、☆☆社から仕事のキャンセルが来たと。
これね、私が☆☆社の正社員とか契約社員を申し込んでいてのこの時間を置くのはわかる。だけど、本来なら、社内で選考したり手続きしたりが面倒なのと、期間雇用的に今人が早急に欲しいということで派遣会社に求人を依頼している。向こうからしたらひとコマの人間でも、その1人の人生の時間、生活もあるわけで、そこには全く想いを巡らすことのできない人たちなんだなと思った。自分たちにとっては1週間以上結論を先延ばしにして相手をどうにも動かせなくする(応募上、他と並行はできないシステムになっている)ことなんか痛くも痒くもないわけで、別にそれはかまわない。実際に私も延びてくれたおかげでやれたことはたくさんあったからね(苦笑)。
だけど、毎年それこそ20年近く前から、だから私なんかが新卒と呼ばれるような時代から、新入社員の入社式には親を呼ぶような会社でものすごい福利厚生のしっかりとした会社で、表面的には人を大事にしている。でも、末端の人間でまだ見知らぬ誰かなら大事にしないできない、それが今回ものすごくはっきりとした。
メール1通、電話1本で良かったと思うよ、今社内での部署編成をしているから英訳の求人を今一度保留にして募集をストップしてくれませんか?と。予算が組めてまたお願いするでも、反対にこの度は求人キャンセルにしても、また決定次第すぐにご連絡します、の一言がなぜ言えない?と思った。
根回しできないような、小さなことに気付けない、大事にできないような人たちが今の日本の大半なのかもしれない。そしてそういう人たちが経済を支えるんだけれど、そりゃ崩壊するよね?と思った。経済破綻というより、システムの破綻というかね。人間を大事にできないシステムは必ず崩壊する、と私は思っている。
だってどんなに小さな仕事でも、それがロボットではなく人間がするのであれば、そこには必ず感情があるし、その人を大事にするのは当たり前のことだと私はずっと思っている。
話は少し変わるけれど、児童養護施設で働いた5年半のうち、4人の保育士トップ、保育園で言うなら園長にあたる人にあたったんだよね。特に最初の人はその中でも一番すごくて、まずは誰よりも毎日朝の3時間、又は夜の3時間だけ来てくれるパートさん3人を一番大切にしていた。給料は一番安いのに一番大変な時間を朝のパートさんは週6、夜のパートさんは法律的な雇用調整のために年に2回10日間休む以外は年中無休で来てくれてて、さすがに新人の私でもそれはものすごいことだと知った。
だからトップの人はお金はどうにもできない分、自分が夜勤明けとか日勤で特に担当する仕事がない時は、その人たちを仕事終わりに呼んで30分位、夜のパートさんも終わった後のほんの10分15分ね、「お茶入れたから飲んでって!」と誘って、一緒に茶菓子食べながらなんてことないおしゃべりをしていたの。月にそれぞれ3回ぐらいは最低でもしてたんじゃないかなと思う。そして必ずその人たちにお礼を言って、その人たちのおかげで施設が回ってるということも常々言ってた。実際にそうで、私たちが朝の6時から出勤することはないわけで、その部分を本当に手伝ってもらっていた。夜もパートさんが10日間休む時は私たちの勤務が特殊になって(日勤遅番の組み合わせで超キツかった)、ほんとに来てもらうことのありがたさはよくわかっていた。
だけど最後のトップは異動でいきなりトップとして入らなきゃいけなくて、そしてこの人というのがほんとに役立たない、気付かない人で、お礼の1つも言えない。お礼言わないならまだしも、パートさんたちの在り方で自分の考える保育と違うとパートさんたちにいきなりダメ出しを直に出す、なんなら保育理論まで持ち出して指導する。そんなんだったから全然合わなくて、パートさんたちも毎回怒って大炎上していて、なぜか若い私が当時からパートさんたちの話を聞いてなだめる役目だった(笑)。
それはそうと、末端の人を大事にできない人はダメだなとその時は日々その光景を見て感じていたし、それは今も変わらずに思う。
ノムのフジテレビで掃除のインタビューを受けた人も、◯麺の本社のワンクリックで新規出店とかふざけたことをまるで正しいと信じてる人も、今回の☆☆社の担当者も、みんな共通していると思う。
そうした1人の人間をどこまで大事にできるか、たとえ見えなくて生涯で直接会うことがない相手でもそこに想いを馳せて関われるか、それがいかにできるかできないかで今後の世の中のあり方は変わると思う。
*
元々の用事を話し終えた後、すーさんに「ねぇ、話すっごい変わるんだけど、ちょっと聞いてもいい?」と話をものすごい変えて聞いてみた。
「日本で働くおじさんたちは、みんな感情が死んだようになってるのは当たり前なの?」
すーさんに、来月から年度末まで派遣の仕事に行くことになったこと、そこに行ったら面談に同席したおじさんたちの感情が死んでいたことなんかを言った。
面談の様子を少し言っただけですーさんは
「ぶっしー、そこでかい企業だね」
と言った。
小さな情報1つですぐにわかるってすごいなぁと思いつつ、すーさんがどうしておじさんたちが感情が死んでいるのか、どうしておじさんたちが疲れているのか、それ故にどうしておじさんたちが的外れな質問を私にしてきたのか、それをわかりやすく解説してくれた。
すーさんも大きな企業で管理職しているから、自分の会社の例はね…、などと話しながら教えてもらった。
すーさんの説明の前に、私は1つ本当に疑問に思っていることも口にした。
「すーさんあのさぁ、何で命が絡んでいたり誰か死ぬかもとかじゃないのに、間に合わない、間に合わないって言って、常に急いで常に残業して、それって何なの?
人が死にそうならそりゃ急がなきゃなのはわかるけれども、別に今日やることをやらなくてもあしたも普通に来るのに、何でそんなにも急ぐの?そりゃ売上とかに関係するかもしれないけれど、そんなの無理に合わせるより、1日遅らせてもいいから目の前の人たちが少しでも働きやすくすることの方が大事じゃないの?」
30代の私は、営業とそして裏方事務だけども常に期限が付いている仕事をした時に、毎日毎日それらの仕事を不思議に思っていた。
裏方事務に関しては、トイレに行く時間もないくらいに本当に常に色んなものに追われていた。
変な社内ルールがあって、初期対応を問題発生後3日以内に行うというもので、それとは別にずっと継続している案件も同時進行で行う。
さらには待ったなしで来る顧客対応の各種電話にも出る。
だから、初期対応+継続対応+緊急対応を同時進行で行う。
それが慣例だったからそのようになっていたけれども、私は今でもその仕事は本来なら各対応ごとに人を1人配置してもいい仕事量だと思うし、本気でミス1つ許されない、ミスが出ると大きな金額の損失か大型の顧客クレームに繋がるから、常に緊張感の高すぎる内容をやり続けていた。
あの時の毎晩夢の中でも仕事をしてうなされて朝起きるとグッタリしていたことは忘れられない。
でも私は今でも思っているけれども、それを明日に繰り越しても、本気の初動部分以外は実は明日でも1週間後でも「差」はなくて、そんなの誰も死なないし命に関わるわけじゃないんだから明日でも明後日でもいいじゃん、と思っていた。
国は今「働き方改革」とか言っているけれども、本気で法律出した方がいいよと思う、命に関わるもの以外の業務は、人が自殺したり心身の病気になるような期限やノルマを課すのは禁止!!!って。
だって業務量は減らないのに働く時間だけカットされたら、その減らない部分の仕事はどうするの?と思う。
本気で人死ぬよ!というのが何故にわからないのか、そんなに生き急いでどうするの?と思う。
今度行くところは、行く前よりすでに「業務が滞って遅れている」と言う。
1日10時間働いても間に合わないのは、時間に対しての業務量が見合ってないか、やり方がおかしいか、もしくは働く人がサボっているかのいずれかしか普通には考えられない。
働く人が真面目にやってるとするなら、それは量か方法がおかしいわけで、そこを誰もテコ入れしないのか、要は抜本を見直さないのか、それが不思議でたまらない。
途中から私の頭の中の話になってしまったけれども、そんなこんなを経て、すーさんがとてもわかりやすい説明をしてくれた。
「これはあくまでも俺の今行っている会社の話ね」
そう前置きした上ですーさんが教えてくれた負のスパイラル。
「まずは、どの業界も基本は『成長前提』なんだよね。
去年より売上何%上げるとかいう目標が毎年毎年言われるわけ。去年より何%売上増って、去年も今年もその前の年もずっとずっと言い続けてるわけ。
それいつまで去年より何%増を目指すってやるの?と思うけれども、とにかくそうなわけ。
でさ、その目標に対して営業が仕事を取ってくる。仕事を取ってくるのはいいけれども、現場は去年も今年も人員配置同じだから、下手すると人員の数が減ったりしてるわけ、だけど目標は売上増だからそれに基づいて商品やサービスを提供するように動くしかないから、残業してでもやっていかないといけない」
そこで私が「えー、そんなの無理じゃん!ここでさ、そんなに急いでもみんなが倒れるだけだからちょっと納期遅らせましょうか?とかならないわけ?別に誰か死ぬわけでも命がかかってるわけでもないじゃん!」と聞いた。
「いや、本当そうなんだよ。別に死ぬわけじゃないし、誰かの命が危ないとかでもない。
でも仮に納期を遅らせたら、競合他社に今度は仕事を持っていかれる。そうすると売上が落ちる。
売上が落ちたら今度は現場の者は上から叱られる。上の者もさらにその上の者から叱られる。それは嫌だから何とか間に合わせようとする。そこでいちいち感情なんか出してたら身がもたないし、いちいち“どうして?”なんて考えたらしんどくなるだけだから、みんな感情を殺すしかなくなる。何も感じないフリでもしていないと自分がもたない。
だから、ぶっしーが見たおじさんたちもみんな感情が死んでたんだと思うよ」
「それって経営者がバカだね。
だってさ、無理な成長戦略を打ち出して、じゃあ仮に色んな人たちが無理をして達成したとしても、今度は人が倒れるじゃん。体なり心なり壊すじゃん。
売上と引き換えに失うものが大きすぎるよ。人はお金に替えられないじゃん。そういう人を失ってもいいからそんなアホな売上目標を達成するなんて、本気で馬鹿げてる」
「もうさぁ、製造系や工場はどこも万年人手不足だよ。本当に人が足りない。足りてないのに売上は去年より何%増とか言い出してる。もうね、すべて悪循環なの。
だからぶっしーが見たおじさんたちも、上には逆らえないし、感情もね押し殺してないとやっていけないからやる。そのうち感情があったことも忘れるくらいに疲れ果てる。だからおじさんたち、疲れた顔して感情が死んだみたいになってたでしょ?」
「そうだよ!
でもあれ、朝の10時半の話だからね!
別に1日の終わりに会いに行ったわけじゃなく、なんならその日は新潟県にしては珍しく晴れて天気良くて気持ちの良い日だったんだよ!
なのにみんな死んだような顔してるの」
「もう、想像がつく。
売上、売上ってなっていて、みんな右肩上がりの成長を目指す。そんなのどこまで上げるの?限界があるよって思っても、それでもまだ上を目指す。果てしなく、終わりがない。
その中で人はどんどん疲れていく。
来る日も来る日もやってもやっても終わらない、何かに追われてる。
そりゃ感情が死んだようになるよね」
「でさ、じゃあ仮に今の成長がしばらくは右肩上がりだとしても、いずれ世代交代するでしょ。
今の若い子たちは、生まれた時から週休2日なわけ。休むことやのんびりすることに慣れてるわけ。そんな子たちに今みたいな無茶ぶりを要求しても、ほとんどの子は耐えられなくなって転職するなり辞めるなりすると思うんだけど。
だから今のやり方じゃ絶対にいつか通用しなくなるじゃんね。もういい加減、右肩上がり、成長ありきみたいな戦略やめたらいいのにね」
「そう、そこなんだよ!
いくら新しい子たち、若い子たちが入ってきても、せっかく育てても、辞めますとかなるわけ。もう、すべてパーでまた1からやり直しになるんだよ」
「だから、上の経営陣が『この会社に残りたい。ここで働きたい』って思ってもらえるような環境を作らないことには、もう残るとか無理だよね、普通に考えて」
「このままじゃダメなのはわかってる。みんなわかってるんだよ。
でも、じゃあどうするの?ってなった時に、みんなその『どうする』がわからないんだよね、真面目に。
日本はまだまだ年功序列の色が強いし、年取るとやれなくても求められる。そして怒られないようにしても、それは上も下も関係なく、自分の上からは怒られる。
成長戦略ではもういずれ行き詰まるってわかっているのに、まだそれができると信じてそのように動いているところが多い」
「わかった!
おじさんたち、『どうしたらいい?』が聞けない。それは立場もあるけれど、困った時に1人で抱え込む人たちが本当に多い。
それじゃ仕方ないから自分が頑張るしかない!ってなって、余計としんどくなるばかりだよね」
「だからおじさんたちの感情が死ぬ。そのままじゃもたないからね」
すーさんに、そう言えば次のところは始業前に体操もあるんだった!と言ったらこんな風に返ってきた。
「ぶっしー見てごらん!
感情が死んでるおじさんたちは、ただ手や足をブラブラしてるだけで、体操になってないはずだから」
「せっかく体動かせるのにね。もったいないね」
「そんなもんなんだよ。何で体操するのかもわからない、とりあえず手足動かしておく、でも気持ちはもう全然そこにない、何もかも考えられなくなるぐらいにおじさんたちは弱ってる」
すーさんは自分も気持ちはよくわかると言いながら私に説明してくれた。
その後も私は実際に見学の時におじさんとやりとりして、おかしいと感じたことをすーさんにそのまま言ってみた。
表情がないだけではなく、他にも一般社会からはおおよそかけ離れた、社内ではまかり通っても一歩外に出たらそれ変だよと思ったことを赤裸々に言った。
すーさんはそれに同意しつつも何を言い出すかと思えば
「だから、ぶっしーが行くんだね!
ぶっしー、がんばれ〜(笑)!」
などと言い出した。
「いや、頑張んないよ。
仕事は真面目にするけれど、黙って黙々とこなして、他のことは気付いても自分に差し支えなければ何も言わないよ。
私はダンマリを通して空気のようにそこにいようと思うから。
それに私の席って、周りから背中向ける席だから何も見えないし」
「ぶっしーみたいな人がいたら、『いや、年度末とまで言わずもう少し残ってください』とか言われるだろうなぁ」
すーさんは私を評してくれたけれども、それは嬉しかったけれども、すでに行く前から9割9分9厘不安な私には、残る選択肢はないし、この間時間をもらうわけだから、次なる自分の身の振り方を考えたいと思った。
誰から時間をもらうわけでもないけれど、今決められないことを何かしら決める方にしたい、というのはずっと自分の中にある。
そのための時間が、父と過ごす時間と同時に与えられていると自分では思っている。
*
ノムと、恋人ミッチーがお風呂タイムの時間に突入した時間帯から電話をした。
ミッチーからは、ぶっしーも浩平さん(=ノム)も話したいだろうから、僕に遠慮せずに電話してねと言ってもらっている。
なのに、ノムはなぜかミッチーのいない時間を狙って、まるで浮気する人たちみたいだった(笑)。(正しくは、その時間が一番ノムが時間作りやすい。)
しかも、ノムは「これ人から教えてもらった!」と言って、ある時からiPadをジップロックに入れて、それをお風呂場に持ち込んでそのままお風呂でも長風呂して電話を続けることをいつからか始めた。
ジップロックの薄い膜が声を少し遠くさせるけれども、慣れてしまえば何てことはない。
ノムも私も毎回テーマなど決めずにベラベラとおしゃべりをするから(このおしゃべりは実はすごいセラピー効果がある)、今回のテーマはなぜかものすごく2人に関係のない、だけどノムの中で今話そうとなった話を聞かせてくれた(11/24)。
ノムのライター時代の先輩の話だった。
インタビュー記事を書く時は、当然その前にインタビューがある。
何でそんな話になったのか忘れたけれど、ノムが「これだけは引き継ぐことができない」と言った話がとても印象的だった。
その先輩はある現場を若い人たちに引き継いで自分は別のところへと移ったらしい。
それはどの業界も珍しくないから、若手への引継ぎと思えば、それで話は終わる。
ノムの話したことはこうだった。
現場入りする時というのは、手土産や差し入れを持参するのが慣例らしい。
何年も前のある時、ノムは先輩の差し入れの準備に同行した。
数人分の朝の早い時間の差し入れだったその時、ノムはその差し入れへの心くばりの凄さに驚いた。
おにぎりになったらしいけれども、どの味が良いか、みんな同じ味が良いか別々が良いか、別々ならどんな組み合わせが良いか、食べやすいか、などなど本当に細かいことで、もしかしたら誰も気付かないかもしれないけれど、その誰も気付かないかもしれないことにノムの先輩は丁寧に時間をかけて用意をしたとのことだった。
しかも差し入れというのは、必ずしも食べてもらえるとも限らなくて、食べてもらえない、手さえつけてもらえないこともザラにあると言っていた。
そうしたものにも、その先輩は律儀に礼を尽くして相手を今できる最大限の力でもてなそうとする人のようだった。
ノムはその先輩のその姿勢を「ホスピタリティの凄い人」と言った。
先輩の今回の現場離れは、世間でいうところの左遷みたいなものだった。
その先輩は業界では本来ご法度とされることをやったことが明るみになって、それで左遷のように現場を外された。
ご法度なことは、私のような素人が聞いてると、何がどうそんなに問題なのか正直よくわからなかった。
むしろ、ご法度と知ってもそれを実行するということは、常に危険と隣り合わせで自分の選手生命もかかっていたかと思う。
それを百も承知でやったということは、並大抵の覚悟ではなかっただろうと思う。
段取りとか現場対応とか、そうしたことは引き継いだとは思う、だけどあの先輩でなければやれなかったおもてなしの部分は誰も真似できないと思う、とノムは言った。
そういう素晴らしいものを、大人の事情で切らなければいけないことの無念さと損失の大きさをノムの話の節々から感じた。
ノムの話を聞きながら、米の仕事のヨシダさんの話を思い出した。
ヨシダさんは農協に勤めていた頃、主に農機具の部署を担当した。
ある時、ヨシダさんが農機具の大手3社に農機具の見積もりと見本とを依頼した。
A社、B社、C社からそれぞれ農機具の見本が届いた。
ヨシダさんはその後も長い付き合いとなるA社を選んで、そしてその後、地区全体に普及させる農機具全般をA社一択で農家や農業法人に広めていった。
何が違ったのか。
ヨシダさんは言った。
「A社だけだった、新品を用意してきたのは。B社とC社は中古を持ってきた。その差を見て、俺はA社1本でいくと決めて、そして農協の上の者にも全部掛け合って、地区全体でA社のものを使うように全部変えた」
ちなみにA社の当時の営業担当が後のA社の社長となった人だった。
(↑この話を聞いて、もしかしてヨシダさんが親交のあったA社の社長というのはこの人じゃないかと思って聞いたら、そうだと返ってきた。)
*
ファストフードに掃除のエキスパート、感情が死んでるおじさんたち、おもてなしの心を持った異業種の2人。
私はやっぱり最後は「心」だと思う。
ポチッとワンクリックでお店をオープンするのが今一番効率的なのかもしれない。
自分や家族を守るために感情を押し殺してまで働くこともあると思う。
ルール違反だからと言って現場を外すのはどの業界でもあるあるだろう。
なんだけど、「心」はどこに行っちゃったんだろう?と思う。
すーさんと別の日に話したことが忘れられない。
すーさんと私とで、あることに対して何ができるのかを話し合った日があった。
事態は思わぬ方向に転がりそうになっていて、緊張感をずっと持っていた。
その緊張感がある日頂点に達してはじけ飛んでしまったのなら、相当怖いことが起こるだろうことが予想された。
だからそのままにはできないね…、となって2人で対策を考えて、いざという時にはその対策を講じることを決めた。
すーさんは言った。
「あのね、迷惑をかけるとか、周りを振り回すとかはまだいいの。そんなのはこれまでもそうだったし、今に始まったことじゃない。
だけど、1つの行動が誰かを不幸にするのはダメだよ。それは絶対にあっちゃならん」
すーさんはこうも言った。
「感情をなめてたらダメ。
あまりにも感情が高ぶると、人は何をするかわからん。
感情1つで人を殺したりするんだから。
感情をそのままにしてたら危ない」
すーさんが言う「不幸」というのは、感情をそのままにして、それが本人や本人にとって大切な誰かを傷つけてしまうことだった。
すーさんはもはや事の顛末など些末なことと言わんばかりに注目もしておらず、それよりもそのことで心が大きく乱れているだろう相手のことを想像して、それの怖さを口にしていた。
本当に何が起きてもおかしくない、それぐらいの緊迫した様子となっていた。
だから2人で「この方法なら、もしかしたら“心配しているよ”の気持ちが伝わるかもしれないね」と、必殺技を考えた。
多分もう言葉での理解を求めても厳しいから、せめて態度で示そう、ということでウルトラCの方法が2人の中で採用された。
ちなみにウルトラCは、すーさんと私とで一緒に時間を合わせて電話することだった。
大の大人が2人も時間を合わせて電話してくるなんて普通はないから、それが事の深刻さゆえにうちらもそのくらい体制を整えてまで心配しているよ、のアピールにならないかと考えた。
言葉では入らない。
感情の暴走が本人だけにとどまらず、その先の大切な人にまで及んだらシャレにならないから、そこは何とか止めたいねとすーさんと話し合った。
そして、すーさんと私とで考えた最終の秘密兵器は「情に訴える」だった。
感情を押し殺したり、人を人として扱わない・敬わないようになったら、必ずそれが歪みを生むと思う。
私の小さなひっかかりだけど、例えば今日(12/9)、仕事上必要な席次表が渡された。
今日から着任した役職の人がいる。
私は1週間前に配属されている。
役職の人の名前はきちんと席に名前が入っていて、私の席は空欄のままだった。
業務の責任の重さから私の名前がないのは逆に願ったり叶ったりだけど(例:「誰このやらかした人?名前読めないし、席次表に名前もない!」とかなってバレないで欲しい←こらっ!)、これ私みたいな反応ではなく、違う反応をする人ももちろんいる。
あなたの居場所はありませんよ、とか。
あなたにはゴーストライターのように働いてもらいますから、あなたは存在してないも同然です、とか。
そう捉えたっておかしくない。
もう1つ席次表を見て気になったところがあった。
私が本来行く予定だったExcel入力1日10時間コースの仕事の場所が同じフロアにある。
こここそ、その会社の超底辺の土台部分を担っている人たちで、その人たちの働きが間違いなく会社の発展に大きく貢献する。
単なる入力ではなく、企業が発展するための入力だというのは事前に説明を聞いていたから、それだけが唯一私の中で「何かの役に立てるなら、その入力は悪くない」と思えたものだった。
そこには数名の派遣の人が雇われていて、そのものすごく長い拘束時間の仕事を担っている。
なのに、その手渡された席次表にはその人たちの席は存在さえしていなかった。
名前がないだけじゃない。
席そのものがかなりうやむやにされていて、そこに関わる一部の人たちしかその一番の土台を担ってくれている人たちのことを知らない。
そもそも私もひっそりとしたかったから、自分がそこに行くならそれで良かったけれども、会社の在り方として、それはどうなのかと思った。
本当に労力を提供して会社の発展に力を貸してくれる人たちなのに、その人たちの存在は抹消されている。
自分のことではないけれども、私はなんだかショックだった。
あそこで黙々と入力に打ち込んでいる人たち、会社の発展に貢献してくれる人たちは、書面では存在していないんだと知った。
明日はボーナス支給日だから明細を渡します、と朝礼で部長が言っていた。
短時間のパートさんにまでボーナスを支給する素晴らしい会社だと知った。
この素晴らしさがそうしたお金だけではなく、人にも還元されないかな…と思った。
派遣にボーナスを出せとかいうことではなく、せめて今協力してくれてる人たち、それもその入力の人たちは1年と長丁場なんだから、せめてその人たちが存在していませんまたいな在り方がどうやらおかしいぞーと気付ける人が1人でもいたらいいのになと思った。
(余談だけど、私のはずっと空席で通って欲しいと思っている。なんと数ヶ月勤務の私に、武士俣の名前入り検印用の印が初日に発注されていて、もはや恐ろしさしかない責任に早くもギャーーー!!!となっている∑(ΦдΦlll…)。
ごちゃごちゃと色んなことを書いたけれども、いかに自分が大切にされているかというのは、どんな立場のどんな年齢の人も共通して欲してると思う。
そこが転んでさえなければ、多分なんとかなる。
「心」や「心くばり」が全業界全業種共通だと思う。
しかもそれは仕事や社会生活だけじゃなくて、小さな個人のことも含めて、すべてはそこじゃない?と感じる。
ただいま色々余裕失いまくりだけど(頭のキャパシティが追いつかない)、頭の追いつかないのは仕方ないけれど、心だけはせめて深呼吸を自分のために心がけたいなぁと思っている。
2019年12月8日日曜日
夢2019ー40歳の自分記録
野村浩平 個展「パルス」
↑ノムの個展(12/2〜12/28まで開催。リンク飛びます!)
「ぶっしー、ぶっしーは夢ってある?」
ノムからこんな風に質問がきた。
自分なりに色々感じることがあったから、思いついたまま書いてみたい。
色々思いついたことはこれから書くとして、今真っ先に思い浮かんだこと。
自分が40歳になって、「夢ってある?」なんて誰かから聞いてもらえる大人になれるなんて、想像もしていなかった。
しかも、ノムはふざけてなくて大真面目に聞いてくれてる。
茶化してもないし、ぶっしーあるなら教えてほしいみたいな、本当に興味を持って私に粋な質問を投げかけている。
私も私で「40にもなって、夢なんて言ってないで現実を見たら」なんてことを言うような大人にならなかったのは良かった。
社会的に色々とポンコツ中年でも、世の中の恐ろしい洗脳に侵されず、ある意味超我が道(未知)を行きまくりだけど、それでも心ある大人になれて良かった。
1年8ヶ月、社会から離れてほぼ家にいて、親からも大目玉食らいながらも引きこもりみたいなニートをして、このおかげで、相当色んなことに喜べるようになった。
私はさして興味のない仕事のために、朝は40分ないし30分も前から職場に到着する自分を体験するなんて思わなかった。
週5の弁当にもすごく恐怖を抱いていたけれども、なんと週5毎日弁当を持参できた自分は、ものすごい進化を遂げた気分になれた。
わっぱ弁当デビューできたおかげもあるけれども、私が真面目に弁当を毎日持参するのは約4年ぶりになる。
40過ぎても、自分の苦手なことが少しでもできたことを喜べる自分は何と明るい大人になれたのかと思う(笑)。
こういうハードル低いこと、世の多くの人が普通にできてることが苦手な私には、小さなことができるだけで喜びになる。
本当にどこまでもおめでたい。
ノムに宛てようと思って下書きした箇条書きたち。
・生きていて良かった、
そう思える瞬間を手にすること
・小さなしあわせを喜べる自分でいること
・自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)
・手に入らないものを「他の人に譲る」ではなく、何がなんでも欲しいと思っている自分の気持ちをとことん追求すること
否定しないこと
受け入れること
ノムからの質問とほぼ同じタイミングで手にした「生きてて良かったこと」は最後にとっておきの「夢」として触れる。
小さなではなくそれはとっても大きなしあわせだったけれども、小さなしあわせを喜べる自分の話もそこに付け足して書こう。
だから反対から話をしていこう。
何年も前からずっと取っているメルマガがある。
月に3回来るか来ないかのメルマガだから、ずっとそのままにしている。
ちょうどこれを書き始める前に1通メルマガが届いていて、欲しいものが手に入らない時は他の人に譲るつもりでとか、執着は良くないってあったから、それについて思ったことを書きたい。
私は今回のメルマガの綺麗事を読んで、静かに腹が立った。
人が本気で欲しいものが手に入らない時、それを他の誰かに譲るとか、執着しないとかって、聞こえはいいけれども、そんな気持ちにはとてもなれない。
これは後々「そうかもしれない……」とは少しは思えても、当初から思えたことじゃなく、逆説的に考えて見えてきたこと。
私が小さなしあわせに気付けるようになったり、当たり前のことが当たり前じゃないと思えるようになったのは、自分の人生から大切な人が消えてしまったからだった。
何があろうとも、一番欲しいものが手に入らないというのは本当に強烈で、共に生きる時間、共に生きられなくてもせめて同じ場所にいられる時間が持てないと知って、私はそこからの立て直しが必要になった。
ひとつだけ言えるのは、そういう体験をしたことで私は謙虚さを身につけられたと思う。
何もかもが当たり前ではないこと。
それを知るだけで、本当に何もかも世界が変わると知ったから、私は残りの人生で何を求めていいのかわからなくなった。
他の何でも埋められないし、相手と共に生きる時間がないところから、何を自分が欲しいのかなんて何も思いつくことができなかった。
だから執着しないとか、私の欲しかったものを他の誰かに譲ったと思うとか、私はそんな気持ちには今もなれないし、ならなくていいと思っている。
代わりに、今はその自分をとことん受け止めること、その自分を否定しないこと、欲しいものはやっぱり欲しいと自分に対して言える勇気、そういうものを大事にしたいと思うようになった。
2年前の秋にガラリと世界の色彩が変わった。
私の心は冬眠するように静かで深いところに沈んだ。
もう二度とは訪れない時間に人物に、それを認めるなんてできない自分との葛藤が始まった。
そちらは冬眠気味でも、魂的なこと、この人生のそもそもの設定的なことはどんどん勢いよく起こり出した。
全く心も気持ちもついていかなくても、そちらは待ったなしでなんでもじゃんじゃんやってくる。
そのよくわからない勢いを、私個人の願い側にも少しは回してくれー!!!と思うぐらいに、そちらは快調。
どんなに強く願おうが、どんなにさめざめと泣くくらいに悲しかろうが、そんなのは1ミリとして願いを聞き入れてもらえない。
そういうところからのスタートが今に繋がっているわけで、本当に私は何かをたくさん望んだつもりもなければ、そもそもの生きるテンションも高くはないから、途方に暮れたまま、日常は過ぎていった。
自分がどの程度生きたいとか、明日が楽しみ♪なんてことがない人にも、生きたい気持ちがなくても、朝も明日もくる。
叶わないものはさておいても、そうではない部分で明るく1日を迎えることができるメンタルがある自分ではなかった。
だけど、私の心の姿勢なんて関係なく、来る日も来る日も朝は来てしまうし、その中で生きることになる。
笑えなくても悲しくても生きる。
そのような中で私が身につけてきたものは、他にもたくさんあることに今回気付かされた。
1年8ヶ月ぶりの社会復帰は、これまでとは全く違う様子になっている。
私は自分がこんなにもまるで何事もなかったかのように、社会に復帰できるとは思わなかった。
まだまだお客さん状態でも、それでも日々弁当作って間に合うように家を出て仕事に行く。
1週間毎日睡魔との戦いだったけれども、それでも行く。
自分のそうした行動さえも感動を覚える。
1年8ヶ月の間、時々単発の仕事をしたのは私の目を開かせてくれた。
世の中の色んなことが当たり前ではない、そういう裏の現場をいくつか見せてもらえた。
郵便を正しく届けるのに何人の人たちもが関わっていること。
郵便を仕分けするのに、私たちの目には見えない透明の印を読み解く技術をどこかのメーカーが開発したこと。
大型電気店のディスプレイは、各メーカーの担当者が毎回入れ替えをしていること。
パッと売場を見て瞬時に棚の配置からどの大きさのテレビをどの場所に置くのかを計算、空間をデザインしている様子は圧巻だった。
そして十分お金を支払ってもらっているのに、暑いから少しは水分補給になれば…と3日も連続で毎日お茶と炭酸系のジュースを用意してもらっていたことには本当に感動した。
コンビニ弁当を作る工場のユニホームのタグ付けに行った時は、どう見ても課長や部長と呼ばれる男性ともう1人も係長かなと思しき男性とが黙々と作業をしている姿は、見ているだけで背筋が伸びるみたいな風景だった。
すぐ近くでは工場内で次のお弁当の試作品の試食会のようなものが行われていて、全身真っ白いユニホームに身を包んだ数人の人たちが朝も早くから試食をしていた。
味や見た目の検査をしているみたいで、各自が手書きの用紙にひと口食べては何かしらを記入していた。
ユニホームの洗濯を請け負う大手のクリーニングメーカーでは、どんなにお金や他の待遇を上げても、とにかくドライバーが集まらないことを嘆いていた。
どんなに丁寧にクリーニングをしても、それを最終的に各顧客先の企業に配達に行かないといけないのに、そこがとにかく集まらないとのこと。
まさか誰もコンビニの弁当を食べる際に、裏側では誰かがその弁当を作るユニホームを作っていて、ユニホームはすぐ汚れるから毎日大量にクリーニングに出されていて、それを取りに行ってまたきれいになったら運ぶ人がいて、もちろんその途中には複雑なクリーニング工程を色んな人たちが担っているなんて思いもしないと思う。
最後のお米の仕事はもうただただ尊敬の念しか湧かなかった。
自分が日々食べるごはんを育てるまでに冬の終わりから秋口まで長期に生産者たちは晴れの日も嵐の日も関係なく携わる。
機械の稼働に合わせて稲刈りを行うなんて、今回初めて知った。
天気が良いから刈ろう!って、個人で食べる分の人たちはそうできるけれども、何かしら市場に出す人たちはそうもできない。
天気ではなく機械都合第一で、その次に天気が条件として加味されるなんて、そんなこと私も実際に見るまでは知らなかった。
そうした裏方の仕事を見れば見るほど、色んなことが何一つ当たり前ではないということに気付かされる。
それとは別に、何もしていない自分が社会からは猛烈なダメ出しを食らうことにも私は長いこと納得できなかった。
何かを提供していないと人としての価値がないみたいな社会の風潮は、私にとってものすごく大きな壁だった。
特に、いわゆる高学歴と呼ばれるものを持っていてやれることもいくつかはあるのに、それでも何もしない自分は、本当に単なる社会の異常者みたいに評されて何かしら間違えているとしか思えなかった。
そうこうしているうちに今度はオカルト体質がどんどんパワーアップして、普通の人たちが一生の中で体験もしないような、そういう分野のことが自分の人生に入り込むようになってきた。
自分が望んだとも思えないものもやってきてしまって、私は正直に自分がどこに向かうのかどんどん分からなくなったし、1年半くらいは事の重大さにおののいて、誰かの一生に関わるような瞬間に居合わせるたびにゾッとしている自分がいた。
それこそ逃げるわけにもいかないから、粛々とやってきたものに向き合うしかない。
社会を構成する最小の単位になりうる仕事の裏側も見れば、その社会を構成する一個人の人生のある瞬間も見れば、そのどれもが滞りなく進むなんてのはもう奇跡どころじゃない、超超超有り得ない事なんだとようやく理解できるようになってきた。
そうしたことを知ってからの社会復帰だったわけで、いくら睡魔に襲われそうになっても、色々使えないかもしれない私であっても、企業もその私にお金を支払うわけで、それが数ヶ月と言えども保証してくれるなんて、何とすごいことなのかと今は感じる。
未だにあそこで造られている機械たちがどういう現場で何をするものなのかさっぱりわからないけれども、それで生み出す利益の一部が私のような末端の者を雇う資金面の1つになると思ったら、周りの方たちに足など向けて寝られない。
そうは言っても、ここにくるまでに本当に色々しんどかったし、何もしない自分をとにかくOKに自分の中でする、しかも周りからは全く理解されない中でそうするというのは超絶難しいことだった。
・自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)
それはそうした自分の気持ちから生まれている。
色々カッコ悪いし、言い訳みたいなことは山ほど出てくるし、周りに何をしているのかと聞かれても答えられないし。
そんな自分でも生きること、中には今日生きていることさえも本当に難しい命の問題を抱えてる人たちもいる中で、私は何もないのに自分のわがままみたいな感じで自分の人生を粗末に扱うことにもものすごく罪悪感が湧いた。
とても胸張ってこんな生き方しています、なんて言えなかった自分は、生きてることさえはばかられて自分の中では大葛藤して、どこにも行き着けない自分に辟易とした。
だけど、そういう自分にとことん向き合ったおかげで、とにかく社会の評価などどうでもいいから、自分にだけは嘘をつかないように、自分だけはいつどんな時も目の前で自分の人生を自分のことを見ているから、その自分に対して後ろめたいことは絶対にしないにしようと思った。
それは、例えば「働かない」という社会的に後ろめたいことじゃない。
「働かない自分を超いじめまくる自分」「働かない自分はダメだと超自己否定しまくる自分」をないことにしようとしたり、その自分に仮面をかぶせて社会的に見た目を良くするとかいうことが【自分に対して不誠実】になる。
「自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)」
というのは、カッコ悪いのもいい加減なのも嘘ついたり黙って大切なことを言わなかったり、そういう色んな自分も自分だから、その自分を丸ごと受け止める、自分だけは自分を追い込まないようにする、そういうことを指している。
いきなりは色々できないから、その色々できない自分でいいわけだし、誰が何と言おうと自分そのものに対して低評価な自分でもそれでいいんだと思ったり。
反対に私に対しておかしな評価をしてくる人たち、たとえそれが私を心配してのことでも、私を真っ向から否定してくる人たちに心からのバッシングをしているし(面倒だから言わないけれど心では罵倒している)、そういう自分も自分なんだと今はわかるようになってきた。
とにかくそういう自分も受け入れ出したらとても楽になってきたし、口には出さなくても私は自分がされて嫌なことはいつまでもネチネチと覚えていて、心の中では「あなたとは二度と関わり合いになりたくありません」と思っている人たちもいるし、なんだか真っ黒いものが腹だけとは言わず全身に及んでいると思うけれども、もうそれも自分だからその自分が良いとは思わなくてもせめて否定はやめようと思う。
手にしたいものが入らなくて「それに執着しない自分」ではなく、「そのことにとことん執着している自分」で私はい続けたい。
他の誰かがもしくは社会の多くの人たちが良いとすることを良いとできない自分は本当に色々厄介だし、そういうことが生きづらさの根源のひとつでもあると思うけれども、私はその自分で本当は良かったんだな…と最近は思い始めている。
最近感動したことを書きたい。
1週間前の日曜日、私は人生で初めて会計監査なるものをやった。
資料となるデータが送られてきて、そもそも何をしていいのかもわからなくて、「で、何したらいいの?」と超低次元の質問から始めないといけなかったけれども、私はそこに関わらせてもらって本当に良かった。
何に感動したかというと、それぞれの人たちがそれぞれの得意分野や知恵を出し合って、1つのきちんとしたものを作るプロセスにものすごく感動した。
私含めて4人は4人とも友達ということにはなるけれども、会計監査になった途端、言葉は友達言葉でも中身は超シビアで、少しのことも見逃さずすべて正しく適切に対応することをみんなが徹底していた。
国会の意味不明なやりとりの何千倍と厳しい指摘とそれに対しての本来やるべきことへの是正は、プロ顔負け状態だった。
私は会計監査なるものをそもそもしたことがないから何が普通なのかもわからないけれども、少なくとも外で働く「社会人」的な数々の仕事の現場よりも、ボランティアで構成されたその時の会計監査が、過去最高に一番厳しくて一番きちんとしていた。
数字を扱う仕事は過去にもしたことはあるけれども、そんなの比にはならないぐらいにきっちりしていた。
しかもそんなにキッチリしなければいけないという法律的なきまりのないものに対して、ものすごくきちんとしていたから、そこに臨む人たちとで作る神々しい雰囲気やプロセスに私は心底感動した。
さらに感動したこと。
友達は私の今現在の状況は細かくは知らない。
少なくとも、社会的に肩書を持っていないことは知っている。
当時はニート最終日で、外に向けて堂々と紹介できるものなど何もなかった。
その何もない私の状態で、こうして何か重要な役割を頼まれるというのは、ものすごく名誉なことだった。
何一つ誇れるものなどなくても、そんな大事なことに選んでもらえるなんて、最高の名誉だと思った。
しかも友達の選定基準が素晴らしかった。
☆NOをきちんと言ってくれる人
☆友達の意見になびかず厳正に公正に判断をしてくれる人
☆何かしらの不正や不適切なものがあった場合、それを臆さずに友達に伝えてくれる人
そうしたことをぶっしーにお願いしてもいいと思ってもらえたことは本当に大きな名誉だった。
世に通用する肩書よりも何百倍、何千倍と価値あることのように私には思えた。
そして、社会との関わりを絶ちまくって1年8ヶ月近く過ごした頃に、そのような名誉あることを依頼されたことも大きかった。
何もない自分、何も持っていない自分、そういう自分でも誰かから必要とされるというのはとても嬉しいことだった。
必要としてくれてありがとう!という気持ちでいっぱいになった。
そして会計監査の煩雑さに、二度と会計監査などしたくないという気持ちも同じくらい強く持った( ̄∀ ̄;)←相変わらず。
最後に今回一番書きたかったこと。
冒頭の写真は、ノムの今開催中の個展の案内のハガキ。
ここにはいっぱいしあわせが詰まっている。
そもそも私はノムが私に個展の案内を郵送してくるなんて考えたこともなかった。
ノムから個展の案内状に関して少しだけ相談はされた。
でも私の中では相談だけで、なんなら私にはいくらでも直接メールでも電話でも案内できるから、案内状をノムが送ってくるなんて思ってもいなかった。
ノムは今回趣向を変えて、「案内状」ではなく「お礼状」として案内を出すことに決めた。
印刷の中身は今回の個展の案内でも、ノムはそこにこれまで足を運んでくれたことや個人的なありがとうの気持ちを表すつもりのようだった。
でもそれは本当に他の人たちに宛てるもので私に来るとは思わなかった。
そう聞いていたハガキが私の手元に届いた。
睡魔と戦って仕事開始に伴う生活のリズムも掴めない頃、届いたものだった。
ノムの手書きの短いメッセージは乾いた心にたっぷりの潤いを与えてくれた。
さらに切手が猫ちゃん切手でこれまたすっごく可愛いものだった。
ノムにお礼のLINEをした。
そうしたらこんな風に返ってきた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
こんばんは〜(^з^)-☆ おつかれさま〜! メッセージありがとう! あのハガキは、ミッチーが出してくれたんだけど、帰宅したミッチーに「ぶっしーの可愛い切手にしたよ」って言われてた〜。しっかりミッチーの想いもキャッチしてもらえてうれしいよ!
10枚セットみたいな切手で、それぞれ柄が違って。たぶんミッチーのイチオシがこの猫ちゃんだったんだね! かわいい🐈
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
このノムとの小さなやりとりに私はすっかり心を奪われた。
ノムが私にありがとうのお手紙ハガキを贈ってくれたことももちろん嬉しかったけれども、それとは別にノムの恋人であるミッチーもこのハガキの一端を担っていて、可愛い猫ちゃん切手の裏側には別の意図があったなんてさらなる嬉しさがプレゼントされたみたいだった。
しかもこの切手を私はノムが選んだとばかり思っていたから、それがまさかのミッチーセレクションで、さらには種類が色々ある中でのイチオシを私に選んでくれてたなんて、飛び上がりそうなくらいに嬉しかった。
気になって郵便局の記念切手を検索した。
たしかに今限定のもので、全体を見渡すと私のところに来たものが一番可愛い♡と私も思った。
しかもそのことをミッチーがわざわざノムに報告してくれたおかげで、ノム経由で私も知ることができた。
ミッチーのノムへの報告は常々最小限というのはなんとなく話を聞いてて想像できるから、その中でミッチーが私に可愛いのを選んで送ったと報告したことのレア度、レア報告度を想像した。
そうした色々を知った時に、
「生きていて良かった」
と本当の本当に思えた。
そして、そのことたちというのは、たとえ1億円を積んでも絶対に手にできない超スペシャルなものだということにも気付いた。
ノムがミッチーにハガキを託す瞬間…1000円
ミッチーが猫ちゃん切手の中でもイチオシの切手をぶっしー宛てに選ぶ…1000円
ミッチーが帰宅後、ノムに「ぶっしーの可愛い切手にしたよ」と報告する…1000円
とかいう風にどこかに売られているわけじゃない。
そもそもノムに「私にも案内状送って」なんて頼むことさえ発想もしなければ、その日何枚のハガキをミッチーが代わりに出したのかはわからないけれども、その中の1枚が私と知って私にイチオシの切手を選んで貼ってくれるなんて、一生に一度しか起こり得ない。
猫ちゃんの切手だって今回特別な記念切手のようで年がら年中あるのとは違うし、その時に「あ!ぶっしーの分も入ってる。ぶっしーには僕のこのお気に入りを貼ろう!」ってミッチーにそのような発想を持たせるなんて、絶対にできない。
私の全く知らないところで、他の誰かが私に想いを込めた何かを用意してくれる。
そういうやさしさや気持ちは、お金を積んだらとか社会的に有名になったらとか、そういうことで手にできるものでは絶対にない。
ニート生活をするとお金の使い方に関して、大きなテーマのように考える機会が一気に増える。
本当に極限までいった時に、ハッと気付く。
生きていくのにそんなにも必要なものはないし、そして私の場合はここが本当に顕著だけれど、お金というものを使ってまで欲しいものがほとんどない。
物欲がほとんど湧かない。
それは我慢してるとか無理してるとか、はたまた清貧を目指してるとかでも一切ない。
そうまでして手に入れたい、と思えるものがない。
私がここ数年で本気で欲しいと思ったのは、ある人との時間だった。
それが自分の人生に与えられないと知って、そこからが本当の人生の出発地点のようになったと思う。
一番欲しいものが手に入らないしそれは他で代用も効かないと知っているから、私が自分のためにできるのは「手にできないものが人生にはある」ということをひたすら受け入れることだった。
自分の生きる時間はどうやらたっぷりあるのに、少なくともその後から今に至るまで大病もせずに日々生き延びるぐらいの生命力を持ち合わせていたけれども、私には何のありがたみも感じられなかった。
共にする時間はどんなに切望しても手に入らず、それ以上に欲しいものなんか何もない私にとって、すべてのものはまやかしとしてしか目に映らなかった。
心の中ではずっと残像のように相手のことを思っても、相手のいない人生に慣れていくしかない。
これが私のこだわりだと言われたら何も言えないけれども、それでもある1人の人が自分の人生に現れてくれるだけで本当に毎日生きていることが嬉しくて喜びで、夜は夜で1日をものすごく丁寧に振り返って朝は朝で「今日も命がある」と本当に喜びで目覚めるなんて、そんな体験を私は人生でするなんて思ってもいなかった。
私はそれを全身全霊で体感していたから、それがある日突然終わりとなっても自分の気持ちをうまく切り替えられなかった。
そしてその後の脱力感も半端なかったけれども、その後何かを欲しいと思って手にしたものなんか何もなかったんじゃないかなと思う。
色々素敵なことや心温まることはあった。
それでも私の中で、いつも一番欲しいものが手にできない現実が横たわっているから、それ以上に欲しいものとか、何かを手にしたいとか、とにかくそういう気持ちが本当に湧かない。
それはお金に制限がかかるようになったニート生活でさらに顕著になった。
お金という手段で交換できるものに興味のない自分がますますドヤ顔で自分の中に出てくるようになった。
私はむしろ、お金を使ってでも手にできるものに興味を持てるなら、そちらの方がある意味健全な人間生活を送れるから、あった方がいいとさえ思っている。
でも「◯◯が欲しい」っていうのは、欲しいと思って勝手に湧いてくるものとは違う。
何かを欲する気持ちは自然と湧くもので、それを私はもう望んでも手に入らないと知って、そこからは何が欲しいなんて考えたこともない。
究極に欲しいものは手にできないその現実をひたすら受け入れることができるように、いつもいつも気持ちの上では葛藤している。
そんな時間の中で、突然届いたノムからのお手紙とミッチーセレクションの切手だった。
ノムとミッチーと会った時間もものすごく貴重だったけれども、それよりも私が「生きていて良かった」と心から思えたのは今回のハガキの方だった。
それは、色んなことが当たり前じゃないことに私が気付いたからかもしれない。
切手をデザインする誰かがいる。
このタイミングでノムがお礼状的な個展の案内状を送ろうと決める。
お礼状を自分でデザインして用意する。
手書きで温かいメッセージをノムが住所と一緒に書く。
ミッチーがノムの代わりにハガキを送る係になる。
ミッチーが猫ちゃんの記念切手を選ぶ。
10枚シートの中に1番のお気に入りをミッチーが見つける。
ぶっしーにその1番のお気に入りを貼ろう!とミッチーが考える。
郵便局内の色んな工程を経て、無事に私の手元にハガキが届く。
これだけのことが寸分の狂いもなく起こっていた。
どれも小さなことたちかもしれない。
でもその小さなことを誰か1人でも怠ったのなら、今私の手元にはノムからのミッチーセレクション切手付きハガキは手にすることができない。
ミッチーが切手を選んだのは、時間にして10秒くらいのことかもしれない。
でもその小さな時間は、これだけたくさんのしあわせを運んでくる。
そして帰ったら帰ったで、私のいないところでミッチーとノムとで私のハガキの切手話をする。
こんな風に誰かの人生に登場できて、私は不在でもおしゃべりの中に自分も登場できる。
おしゃべりは一瞬で終わるし、それは一生に一度きりの一期一会のトークでも、そうやって誰かの人生に自分がちょびっと登場して、温かい話の中に入れる。
超極上のしあわせだと私はカウントしている。
「生きていて良かった」
そう思える瞬間を手にすること
至福の時間を人生で体験した後、その至福の時間は二度と再現されないと知って、早くも2年が過ぎた。
その後も、感動したことも人のやさしさも色んな良きものを手にできたけれども、それでもやっぱり一番大切に思っていたものが失われた部分はどうにもならずに今に至っている。
その欠落は残りの人生で大ドンデン返しでも起こらない限りは手にすることはない。
そのどこまでも悲しい現実を受け入れつつ、残りの人生は生きていくだろうと思っている。
そこはどうにもできなくても、今回のノムとミッチーの共作によるお手紙をもらって、私は大真面目に「生きてて良かった」と心から感じられた。
欠落した人生のデフォルトでも、それでもまだ生きてる中で「生きてて良かった」と思える瞬間に遭遇できるなんて、私にはものすごい大きな希望になった。
深い闇のところに自分はいるみたいな気持ちによくなるけれども、そんなところに「生きてて良かった」瞬間が訪れるなんて、それは想定外の嬉しい出来事だった。
そして、それに気付けた自分を見て、
「小さなしあわせを喜べる自分でいること」
これが大事だとわかった。
ノムのありがとうハガキもミッチーセレクションの可愛い猫ちゃん切手も、いかにも見落としてしまいそうな小さなものだと思う。
だけど、修羅場みたいなところだけは幾つもくぐり抜けてきただけあって、私は小さなしあわせを喜べる体質になれた。
本当によくここまで心が耐えられてきたかと思う。
色んな形で鍛えられた私の心は、小さなしあわせをさっと見つける能力を身につけた。
元々、お金やモノにそんなに興味のない私は、それで手にできるものよりも、どんなにお金を積んでも手にできないものに重きを置く傾向がある。
「世界にひとつだけ」なんて、私にとって何よりもの最高級品だし、この世の中で一番価値ある価値基準だとさえ思っている。
そういう目で世界を眺めると、しあわせはそこいら中に転がっているし、それを喜べるかどうかは私次第だというのもわかる。
随分と心はやさぐれてはいるけれども、それでも今回みたいに「生きてて良かった」と思える心は持ち続けていたいし、そしてその元となる小さなしあわせを見つけられる自分でもあり続けたいと思う。
書きながらずっと思っていたけれども、今回のノムとミッチーの共演は、全くもって小さくなく、ものすごく大きなスーパースペシャルなしあわせだと思う。
↑ノムの個展(12/2〜12/28まで開催。リンク飛びます!)
「ぶっしー、ぶっしーは夢ってある?」
ノムからこんな風に質問がきた。
自分なりに色々感じることがあったから、思いついたまま書いてみたい。
色々思いついたことはこれから書くとして、今真っ先に思い浮かんだこと。
自分が40歳になって、「夢ってある?」なんて誰かから聞いてもらえる大人になれるなんて、想像もしていなかった。
しかも、ノムはふざけてなくて大真面目に聞いてくれてる。
茶化してもないし、ぶっしーあるなら教えてほしいみたいな、本当に興味を持って私に粋な質問を投げかけている。
私も私で「40にもなって、夢なんて言ってないで現実を見たら」なんてことを言うような大人にならなかったのは良かった。
社会的に色々とポンコツ中年でも、世の中の恐ろしい洗脳に侵されず、ある意味超我が道(未知)を行きまくりだけど、それでも心ある大人になれて良かった。
1年8ヶ月、社会から離れてほぼ家にいて、親からも大目玉食らいながらも引きこもりみたいなニートをして、このおかげで、相当色んなことに喜べるようになった。
私はさして興味のない仕事のために、朝は40分ないし30分も前から職場に到着する自分を体験するなんて思わなかった。
週5の弁当にもすごく恐怖を抱いていたけれども、なんと週5毎日弁当を持参できた自分は、ものすごい進化を遂げた気分になれた。
わっぱ弁当デビューできたおかげもあるけれども、私が真面目に弁当を毎日持参するのは約4年ぶりになる。
40過ぎても、自分の苦手なことが少しでもできたことを喜べる自分は何と明るい大人になれたのかと思う(笑)。
こういうハードル低いこと、世の多くの人が普通にできてることが苦手な私には、小さなことができるだけで喜びになる。
本当にどこまでもおめでたい。
ノムに宛てようと思って下書きした箇条書きたち。
・生きていて良かった、
そう思える瞬間を手にすること
・小さなしあわせを喜べる自分でいること
・自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)
・手に入らないものを「他の人に譲る」ではなく、何がなんでも欲しいと思っている自分の気持ちをとことん追求すること
否定しないこと
受け入れること
ノムからの質問とほぼ同じタイミングで手にした「生きてて良かったこと」は最後にとっておきの「夢」として触れる。
小さなではなくそれはとっても大きなしあわせだったけれども、小さなしあわせを喜べる自分の話もそこに付け足して書こう。
だから反対から話をしていこう。
何年も前からずっと取っているメルマガがある。
月に3回来るか来ないかのメルマガだから、ずっとそのままにしている。
ちょうどこれを書き始める前に1通メルマガが届いていて、欲しいものが手に入らない時は他の人に譲るつもりでとか、執着は良くないってあったから、それについて思ったことを書きたい。
私は今回のメルマガの綺麗事を読んで、静かに腹が立った。
人が本気で欲しいものが手に入らない時、それを他の誰かに譲るとか、執着しないとかって、聞こえはいいけれども、そんな気持ちにはとてもなれない。
これは後々「そうかもしれない……」とは少しは思えても、当初から思えたことじゃなく、逆説的に考えて見えてきたこと。
私が小さなしあわせに気付けるようになったり、当たり前のことが当たり前じゃないと思えるようになったのは、自分の人生から大切な人が消えてしまったからだった。
何があろうとも、一番欲しいものが手に入らないというのは本当に強烈で、共に生きる時間、共に生きられなくてもせめて同じ場所にいられる時間が持てないと知って、私はそこからの立て直しが必要になった。
ひとつだけ言えるのは、そういう体験をしたことで私は謙虚さを身につけられたと思う。
何もかもが当たり前ではないこと。
それを知るだけで、本当に何もかも世界が変わると知ったから、私は残りの人生で何を求めていいのかわからなくなった。
他の何でも埋められないし、相手と共に生きる時間がないところから、何を自分が欲しいのかなんて何も思いつくことができなかった。
だから執着しないとか、私の欲しかったものを他の誰かに譲ったと思うとか、私はそんな気持ちには今もなれないし、ならなくていいと思っている。
代わりに、今はその自分をとことん受け止めること、その自分を否定しないこと、欲しいものはやっぱり欲しいと自分に対して言える勇気、そういうものを大事にしたいと思うようになった。
2年前の秋にガラリと世界の色彩が変わった。
私の心は冬眠するように静かで深いところに沈んだ。
もう二度とは訪れない時間に人物に、それを認めるなんてできない自分との葛藤が始まった。
そちらは冬眠気味でも、魂的なこと、この人生のそもそもの設定的なことはどんどん勢いよく起こり出した。
全く心も気持ちもついていかなくても、そちらは待ったなしでなんでもじゃんじゃんやってくる。
そのよくわからない勢いを、私個人の願い側にも少しは回してくれー!!!と思うぐらいに、そちらは快調。
どんなに強く願おうが、どんなにさめざめと泣くくらいに悲しかろうが、そんなのは1ミリとして願いを聞き入れてもらえない。
そういうところからのスタートが今に繋がっているわけで、本当に私は何かをたくさん望んだつもりもなければ、そもそもの生きるテンションも高くはないから、途方に暮れたまま、日常は過ぎていった。
自分がどの程度生きたいとか、明日が楽しみ♪なんてことがない人にも、生きたい気持ちがなくても、朝も明日もくる。
叶わないものはさておいても、そうではない部分で明るく1日を迎えることができるメンタルがある自分ではなかった。
だけど、私の心の姿勢なんて関係なく、来る日も来る日も朝は来てしまうし、その中で生きることになる。
笑えなくても悲しくても生きる。
そのような中で私が身につけてきたものは、他にもたくさんあることに今回気付かされた。
1年8ヶ月ぶりの社会復帰は、これまでとは全く違う様子になっている。
私は自分がこんなにもまるで何事もなかったかのように、社会に復帰できるとは思わなかった。
まだまだお客さん状態でも、それでも日々弁当作って間に合うように家を出て仕事に行く。
1週間毎日睡魔との戦いだったけれども、それでも行く。
自分のそうした行動さえも感動を覚える。
1年8ヶ月の間、時々単発の仕事をしたのは私の目を開かせてくれた。
世の中の色んなことが当たり前ではない、そういう裏の現場をいくつか見せてもらえた。
郵便を正しく届けるのに何人の人たちもが関わっていること。
郵便を仕分けするのに、私たちの目には見えない透明の印を読み解く技術をどこかのメーカーが開発したこと。
大型電気店のディスプレイは、各メーカーの担当者が毎回入れ替えをしていること。
パッと売場を見て瞬時に棚の配置からどの大きさのテレビをどの場所に置くのかを計算、空間をデザインしている様子は圧巻だった。
そして十分お金を支払ってもらっているのに、暑いから少しは水分補給になれば…と3日も連続で毎日お茶と炭酸系のジュースを用意してもらっていたことには本当に感動した。
コンビニ弁当を作る工場のユニホームのタグ付けに行った時は、どう見ても課長や部長と呼ばれる男性ともう1人も係長かなと思しき男性とが黙々と作業をしている姿は、見ているだけで背筋が伸びるみたいな風景だった。
すぐ近くでは工場内で次のお弁当の試作品の試食会のようなものが行われていて、全身真っ白いユニホームに身を包んだ数人の人たちが朝も早くから試食をしていた。
味や見た目の検査をしているみたいで、各自が手書きの用紙にひと口食べては何かしらを記入していた。
ユニホームの洗濯を請け負う大手のクリーニングメーカーでは、どんなにお金や他の待遇を上げても、とにかくドライバーが集まらないことを嘆いていた。
どんなに丁寧にクリーニングをしても、それを最終的に各顧客先の企業に配達に行かないといけないのに、そこがとにかく集まらないとのこと。
まさか誰もコンビニの弁当を食べる際に、裏側では誰かがその弁当を作るユニホームを作っていて、ユニホームはすぐ汚れるから毎日大量にクリーニングに出されていて、それを取りに行ってまたきれいになったら運ぶ人がいて、もちろんその途中には複雑なクリーニング工程を色んな人たちが担っているなんて思いもしないと思う。
最後のお米の仕事はもうただただ尊敬の念しか湧かなかった。
自分が日々食べるごはんを育てるまでに冬の終わりから秋口まで長期に生産者たちは晴れの日も嵐の日も関係なく携わる。
機械の稼働に合わせて稲刈りを行うなんて、今回初めて知った。
天気が良いから刈ろう!って、個人で食べる分の人たちはそうできるけれども、何かしら市場に出す人たちはそうもできない。
天気ではなく機械都合第一で、その次に天気が条件として加味されるなんて、そんなこと私も実際に見るまでは知らなかった。
そうした裏方の仕事を見れば見るほど、色んなことが何一つ当たり前ではないということに気付かされる。
それとは別に、何もしていない自分が社会からは猛烈なダメ出しを食らうことにも私は長いこと納得できなかった。
何かを提供していないと人としての価値がないみたいな社会の風潮は、私にとってものすごく大きな壁だった。
特に、いわゆる高学歴と呼ばれるものを持っていてやれることもいくつかはあるのに、それでも何もしない自分は、本当に単なる社会の異常者みたいに評されて何かしら間違えているとしか思えなかった。
そうこうしているうちに今度はオカルト体質がどんどんパワーアップして、普通の人たちが一生の中で体験もしないような、そういう分野のことが自分の人生に入り込むようになってきた。
自分が望んだとも思えないものもやってきてしまって、私は正直に自分がどこに向かうのかどんどん分からなくなったし、1年半くらいは事の重大さにおののいて、誰かの一生に関わるような瞬間に居合わせるたびにゾッとしている自分がいた。
それこそ逃げるわけにもいかないから、粛々とやってきたものに向き合うしかない。
社会を構成する最小の単位になりうる仕事の裏側も見れば、その社会を構成する一個人の人生のある瞬間も見れば、そのどれもが滞りなく進むなんてのはもう奇跡どころじゃない、超超超有り得ない事なんだとようやく理解できるようになってきた。
そうしたことを知ってからの社会復帰だったわけで、いくら睡魔に襲われそうになっても、色々使えないかもしれない私であっても、企業もその私にお金を支払うわけで、それが数ヶ月と言えども保証してくれるなんて、何とすごいことなのかと今は感じる。
未だにあそこで造られている機械たちがどういう現場で何をするものなのかさっぱりわからないけれども、それで生み出す利益の一部が私のような末端の者を雇う資金面の1つになると思ったら、周りの方たちに足など向けて寝られない。
そうは言っても、ここにくるまでに本当に色々しんどかったし、何もしない自分をとにかくOKに自分の中でする、しかも周りからは全く理解されない中でそうするというのは超絶難しいことだった。
・自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)
それはそうした自分の気持ちから生まれている。
色々カッコ悪いし、言い訳みたいなことは山ほど出てくるし、周りに何をしているのかと聞かれても答えられないし。
そんな自分でも生きること、中には今日生きていることさえも本当に難しい命の問題を抱えてる人たちもいる中で、私は何もないのに自分のわがままみたいな感じで自分の人生を粗末に扱うことにもものすごく罪悪感が湧いた。
とても胸張ってこんな生き方しています、なんて言えなかった自分は、生きてることさえはばかられて自分の中では大葛藤して、どこにも行き着けない自分に辟易とした。
だけど、そういう自分にとことん向き合ったおかげで、とにかく社会の評価などどうでもいいから、自分にだけは嘘をつかないように、自分だけはいつどんな時も目の前で自分の人生を自分のことを見ているから、その自分に対して後ろめたいことは絶対にしないにしようと思った。
それは、例えば「働かない」という社会的に後ろめたいことじゃない。
「働かない自分を超いじめまくる自分」「働かない自分はダメだと超自己否定しまくる自分」をないことにしようとしたり、その自分に仮面をかぶせて社会的に見た目を良くするとかいうことが【自分に対して不誠実】になる。
「自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)」
というのは、カッコ悪いのもいい加減なのも嘘ついたり黙って大切なことを言わなかったり、そういう色んな自分も自分だから、その自分を丸ごと受け止める、自分だけは自分を追い込まないようにする、そういうことを指している。
いきなりは色々できないから、その色々できない自分でいいわけだし、誰が何と言おうと自分そのものに対して低評価な自分でもそれでいいんだと思ったり。
反対に私に対しておかしな評価をしてくる人たち、たとえそれが私を心配してのことでも、私を真っ向から否定してくる人たちに心からのバッシングをしているし(面倒だから言わないけれど心では罵倒している)、そういう自分も自分なんだと今はわかるようになってきた。
とにかくそういう自分も受け入れ出したらとても楽になってきたし、口には出さなくても私は自分がされて嫌なことはいつまでもネチネチと覚えていて、心の中では「あなたとは二度と関わり合いになりたくありません」と思っている人たちもいるし、なんだか真っ黒いものが腹だけとは言わず全身に及んでいると思うけれども、もうそれも自分だからその自分が良いとは思わなくてもせめて否定はやめようと思う。
手にしたいものが入らなくて「それに執着しない自分」ではなく、「そのことにとことん執着している自分」で私はい続けたい。
他の誰かがもしくは社会の多くの人たちが良いとすることを良いとできない自分は本当に色々厄介だし、そういうことが生きづらさの根源のひとつでもあると思うけれども、私はその自分で本当は良かったんだな…と最近は思い始めている。
最近感動したことを書きたい。
1週間前の日曜日、私は人生で初めて会計監査なるものをやった。
資料となるデータが送られてきて、そもそも何をしていいのかもわからなくて、「で、何したらいいの?」と超低次元の質問から始めないといけなかったけれども、私はそこに関わらせてもらって本当に良かった。
何に感動したかというと、それぞれの人たちがそれぞれの得意分野や知恵を出し合って、1つのきちんとしたものを作るプロセスにものすごく感動した。
私含めて4人は4人とも友達ということにはなるけれども、会計監査になった途端、言葉は友達言葉でも中身は超シビアで、少しのことも見逃さずすべて正しく適切に対応することをみんなが徹底していた。
国会の意味不明なやりとりの何千倍と厳しい指摘とそれに対しての本来やるべきことへの是正は、プロ顔負け状態だった。
私は会計監査なるものをそもそもしたことがないから何が普通なのかもわからないけれども、少なくとも外で働く「社会人」的な数々の仕事の現場よりも、ボランティアで構成されたその時の会計監査が、過去最高に一番厳しくて一番きちんとしていた。
数字を扱う仕事は過去にもしたことはあるけれども、そんなの比にはならないぐらいにきっちりしていた。
しかもそんなにキッチリしなければいけないという法律的なきまりのないものに対して、ものすごくきちんとしていたから、そこに臨む人たちとで作る神々しい雰囲気やプロセスに私は心底感動した。
さらに感動したこと。
友達は私の今現在の状況は細かくは知らない。
少なくとも、社会的に肩書を持っていないことは知っている。
当時はニート最終日で、外に向けて堂々と紹介できるものなど何もなかった。
その何もない私の状態で、こうして何か重要な役割を頼まれるというのは、ものすごく名誉なことだった。
何一つ誇れるものなどなくても、そんな大事なことに選んでもらえるなんて、最高の名誉だと思った。
しかも友達の選定基準が素晴らしかった。
☆NOをきちんと言ってくれる人
☆友達の意見になびかず厳正に公正に判断をしてくれる人
☆何かしらの不正や不適切なものがあった場合、それを臆さずに友達に伝えてくれる人
そうしたことをぶっしーにお願いしてもいいと思ってもらえたことは本当に大きな名誉だった。
世に通用する肩書よりも何百倍、何千倍と価値あることのように私には思えた。
そして、社会との関わりを絶ちまくって1年8ヶ月近く過ごした頃に、そのような名誉あることを依頼されたことも大きかった。
何もない自分、何も持っていない自分、そういう自分でも誰かから必要とされるというのはとても嬉しいことだった。
必要としてくれてありがとう!という気持ちでいっぱいになった。
そして会計監査の煩雑さに、二度と会計監査などしたくないという気持ちも同じくらい強く持った( ̄∀ ̄;)←相変わらず。
最後に今回一番書きたかったこと。
冒頭の写真は、ノムの今開催中の個展の案内のハガキ。
ここにはいっぱいしあわせが詰まっている。
そもそも私はノムが私に個展の案内を郵送してくるなんて考えたこともなかった。
ノムから個展の案内状に関して少しだけ相談はされた。
でも私の中では相談だけで、なんなら私にはいくらでも直接メールでも電話でも案内できるから、案内状をノムが送ってくるなんて思ってもいなかった。
ノムは今回趣向を変えて、「案内状」ではなく「お礼状」として案内を出すことに決めた。
印刷の中身は今回の個展の案内でも、ノムはそこにこれまで足を運んでくれたことや個人的なありがとうの気持ちを表すつもりのようだった。
でもそれは本当に他の人たちに宛てるもので私に来るとは思わなかった。
そう聞いていたハガキが私の手元に届いた。
睡魔と戦って仕事開始に伴う生活のリズムも掴めない頃、届いたものだった。
ノムの手書きの短いメッセージは乾いた心にたっぷりの潤いを与えてくれた。
さらに切手が猫ちゃん切手でこれまたすっごく可愛いものだった。
ノムにお礼のLINEをした。
そうしたらこんな風に返ってきた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
こんばんは〜(^з^)-☆ おつかれさま〜! メッセージありがとう! あのハガキは、ミッチーが出してくれたんだけど、帰宅したミッチーに「ぶっしーの可愛い切手にしたよ」って言われてた〜。しっかりミッチーの想いもキャッチしてもらえてうれしいよ!
10枚セットみたいな切手で、それぞれ柄が違って。たぶんミッチーのイチオシがこの猫ちゃんだったんだね! かわいい🐈
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
このノムとの小さなやりとりに私はすっかり心を奪われた。
ノムが私にありがとうのお手紙ハガキを贈ってくれたことももちろん嬉しかったけれども、それとは別にノムの恋人であるミッチーもこのハガキの一端を担っていて、可愛い猫ちゃん切手の裏側には別の意図があったなんてさらなる嬉しさがプレゼントされたみたいだった。
しかもこの切手を私はノムが選んだとばかり思っていたから、それがまさかのミッチーセレクションで、さらには種類が色々ある中でのイチオシを私に選んでくれてたなんて、飛び上がりそうなくらいに嬉しかった。
気になって郵便局の記念切手を検索した。
たしかに今限定のもので、全体を見渡すと私のところに来たものが一番可愛い♡と私も思った。
しかもそのことをミッチーがわざわざノムに報告してくれたおかげで、ノム経由で私も知ることができた。
ミッチーのノムへの報告は常々最小限というのはなんとなく話を聞いてて想像できるから、その中でミッチーが私に可愛いのを選んで送ったと報告したことのレア度、レア報告度を想像した。
そうした色々を知った時に、
「生きていて良かった」
と本当の本当に思えた。
そして、そのことたちというのは、たとえ1億円を積んでも絶対に手にできない超スペシャルなものだということにも気付いた。
ノムがミッチーにハガキを託す瞬間…1000円
ミッチーが猫ちゃん切手の中でもイチオシの切手をぶっしー宛てに選ぶ…1000円
ミッチーが帰宅後、ノムに「ぶっしーの可愛い切手にしたよ」と報告する…1000円
とかいう風にどこかに売られているわけじゃない。
そもそもノムに「私にも案内状送って」なんて頼むことさえ発想もしなければ、その日何枚のハガキをミッチーが代わりに出したのかはわからないけれども、その中の1枚が私と知って私にイチオシの切手を選んで貼ってくれるなんて、一生に一度しか起こり得ない。
猫ちゃんの切手だって今回特別な記念切手のようで年がら年中あるのとは違うし、その時に「あ!ぶっしーの分も入ってる。ぶっしーには僕のこのお気に入りを貼ろう!」ってミッチーにそのような発想を持たせるなんて、絶対にできない。
私の全く知らないところで、他の誰かが私に想いを込めた何かを用意してくれる。
そういうやさしさや気持ちは、お金を積んだらとか社会的に有名になったらとか、そういうことで手にできるものでは絶対にない。
ニート生活をするとお金の使い方に関して、大きなテーマのように考える機会が一気に増える。
本当に極限までいった時に、ハッと気付く。
生きていくのにそんなにも必要なものはないし、そして私の場合はここが本当に顕著だけれど、お金というものを使ってまで欲しいものがほとんどない。
物欲がほとんど湧かない。
それは我慢してるとか無理してるとか、はたまた清貧を目指してるとかでも一切ない。
そうまでして手に入れたい、と思えるものがない。
私がここ数年で本気で欲しいと思ったのは、ある人との時間だった。
それが自分の人生に与えられないと知って、そこからが本当の人生の出発地点のようになったと思う。
一番欲しいものが手に入らないしそれは他で代用も効かないと知っているから、私が自分のためにできるのは「手にできないものが人生にはある」ということをひたすら受け入れることだった。
自分の生きる時間はどうやらたっぷりあるのに、少なくともその後から今に至るまで大病もせずに日々生き延びるぐらいの生命力を持ち合わせていたけれども、私には何のありがたみも感じられなかった。
共にする時間はどんなに切望しても手に入らず、それ以上に欲しいものなんか何もない私にとって、すべてのものはまやかしとしてしか目に映らなかった。
心の中ではずっと残像のように相手のことを思っても、相手のいない人生に慣れていくしかない。
これが私のこだわりだと言われたら何も言えないけれども、それでもある1人の人が自分の人生に現れてくれるだけで本当に毎日生きていることが嬉しくて喜びで、夜は夜で1日をものすごく丁寧に振り返って朝は朝で「今日も命がある」と本当に喜びで目覚めるなんて、そんな体験を私は人生でするなんて思ってもいなかった。
私はそれを全身全霊で体感していたから、それがある日突然終わりとなっても自分の気持ちをうまく切り替えられなかった。
そしてその後の脱力感も半端なかったけれども、その後何かを欲しいと思って手にしたものなんか何もなかったんじゃないかなと思う。
色々素敵なことや心温まることはあった。
それでも私の中で、いつも一番欲しいものが手にできない現実が横たわっているから、それ以上に欲しいものとか、何かを手にしたいとか、とにかくそういう気持ちが本当に湧かない。
それはお金に制限がかかるようになったニート生活でさらに顕著になった。
お金という手段で交換できるものに興味のない自分がますますドヤ顔で自分の中に出てくるようになった。
私はむしろ、お金を使ってでも手にできるものに興味を持てるなら、そちらの方がある意味健全な人間生活を送れるから、あった方がいいとさえ思っている。
でも「◯◯が欲しい」っていうのは、欲しいと思って勝手に湧いてくるものとは違う。
何かを欲する気持ちは自然と湧くもので、それを私はもう望んでも手に入らないと知って、そこからは何が欲しいなんて考えたこともない。
究極に欲しいものは手にできないその現実をひたすら受け入れることができるように、いつもいつも気持ちの上では葛藤している。
そんな時間の中で、突然届いたノムからのお手紙とミッチーセレクションの切手だった。
ノムとミッチーと会った時間もものすごく貴重だったけれども、それよりも私が「生きていて良かった」と心から思えたのは今回のハガキの方だった。
それは、色んなことが当たり前じゃないことに私が気付いたからかもしれない。
切手をデザインする誰かがいる。
このタイミングでノムがお礼状的な個展の案内状を送ろうと決める。
お礼状を自分でデザインして用意する。
手書きで温かいメッセージをノムが住所と一緒に書く。
ミッチーがノムの代わりにハガキを送る係になる。
ミッチーが猫ちゃんの記念切手を選ぶ。
10枚シートの中に1番のお気に入りをミッチーが見つける。
ぶっしーにその1番のお気に入りを貼ろう!とミッチーが考える。
郵便局内の色んな工程を経て、無事に私の手元にハガキが届く。
これだけのことが寸分の狂いもなく起こっていた。
どれも小さなことたちかもしれない。
でもその小さなことを誰か1人でも怠ったのなら、今私の手元にはノムからのミッチーセレクション切手付きハガキは手にすることができない。
ミッチーが切手を選んだのは、時間にして10秒くらいのことかもしれない。
でもその小さな時間は、これだけたくさんのしあわせを運んでくる。
そして帰ったら帰ったで、私のいないところでミッチーとノムとで私のハガキの切手話をする。
こんな風に誰かの人生に登場できて、私は不在でもおしゃべりの中に自分も登場できる。
おしゃべりは一瞬で終わるし、それは一生に一度きりの一期一会のトークでも、そうやって誰かの人生に自分がちょびっと登場して、温かい話の中に入れる。
超極上のしあわせだと私はカウントしている。
「生きていて良かった」
そう思える瞬間を手にすること
至福の時間を人生で体験した後、その至福の時間は二度と再現されないと知って、早くも2年が過ぎた。
その後も、感動したことも人のやさしさも色んな良きものを手にできたけれども、それでもやっぱり一番大切に思っていたものが失われた部分はどうにもならずに今に至っている。
その欠落は残りの人生で大ドンデン返しでも起こらない限りは手にすることはない。
そのどこまでも悲しい現実を受け入れつつ、残りの人生は生きていくだろうと思っている。
そこはどうにもできなくても、今回のノムとミッチーの共作によるお手紙をもらって、私は大真面目に「生きてて良かった」と心から感じられた。
欠落した人生のデフォルトでも、それでもまだ生きてる中で「生きてて良かった」と思える瞬間に遭遇できるなんて、私にはものすごい大きな希望になった。
深い闇のところに自分はいるみたいな気持ちによくなるけれども、そんなところに「生きてて良かった」瞬間が訪れるなんて、それは想定外の嬉しい出来事だった。
そして、それに気付けた自分を見て、
「小さなしあわせを喜べる自分でいること」
これが大事だとわかった。
ノムのありがとうハガキもミッチーセレクションの可愛い猫ちゃん切手も、いかにも見落としてしまいそうな小さなものだと思う。
だけど、修羅場みたいなところだけは幾つもくぐり抜けてきただけあって、私は小さなしあわせを喜べる体質になれた。
本当によくここまで心が耐えられてきたかと思う。
色んな形で鍛えられた私の心は、小さなしあわせをさっと見つける能力を身につけた。
元々、お金やモノにそんなに興味のない私は、それで手にできるものよりも、どんなにお金を積んでも手にできないものに重きを置く傾向がある。
「世界にひとつだけ」なんて、私にとって何よりもの最高級品だし、この世の中で一番価値ある価値基準だとさえ思っている。
そういう目で世界を眺めると、しあわせはそこいら中に転がっているし、それを喜べるかどうかは私次第だというのもわかる。
随分と心はやさぐれてはいるけれども、それでも今回みたいに「生きてて良かった」と思える心は持ち続けていたいし、そしてその元となる小さなしあわせを見つけられる自分でもあり続けたいと思う。
書きながらずっと思っていたけれども、今回のノムとミッチーの共演は、全くもって小さくなく、ものすごく大きなスーパースペシャルなしあわせだと思う。
2019年12月5日木曜日
仕事開始と心のお守り
今日(12/2)から仕事スタート。
週4で2時間の残業、1日10時間が週4回…(ΦдΦlll)。
月ー金フルタイム+弁当週5。
しかもひたすら入力・入力・入力。
占星術クラスメイトのノムに
「1日10時間の瞑想をしろと言われてもできないけれど、そこに行って1日10時間瞑想すると思ったらいいんじゃない!?しかも(仕事に)集中するから、そこからまた新しい回路が生まれて、ぶっしーの他の人のメッセージをキャッチする、その能力の一助に絶対なると思うよ!」
と言ってもらって、ようやく仕事に対して明るい側面を少し見れるようになってきた。
駐車場に守衛さんがいる会社で、朝の出勤時、他の人たちと同じように入って行ってしばらくすると止められた。
そりゃそうだ。
不審者と変わらない( ̄∀ ̄;)。
事情を説明して、そのまま駐車場に待機させてもらった。
爽やか人懐っこい派遣会社の所長も到着して、手招きされたから車に乗った。
私はもう職場に送り届けてもらっておしまいかと思っていたから、なんで車に乗るんだろう?と思った。
まだ待ち合わせの時間まで少しあるからかな?なんて思った。
車に乗り込むと所長は言った。
「武士俣さん、提案があるのですが…」
うん?提案?
これから仕事に行くのに何の提案!?
もしかして「残業はやっぱり大変かと思うので、無理して受けなくてもいいです」とか。
←心の声( ̄∀ ̄;)。
所長は言った。
「あのですね〜、急なんですが」
(心の声:「急」って何!?)
「武士俣さん、英訳の仕事のお話をいただいたんですが、どうですか?」
「えっ!?どういうことですか?」
「うちも先週の金曜の夕方に話をいただいたばかりなんですが、まぁ今回武士俣さんはそもそもシステムの方のExcelの入力のお仕事としてこれから入ることになっていたんですが、企業さんの方で英訳事務の方が急遽辞められることになって、それで武士俣さんの経歴シートを人事の方が見られて、武士俣さんが英語ができると知ってもし良ければどうですか?と話をいただいたんです。武士俣さんどうでしょう?」
「そちらに変更も可能ってことですか?」
「企業さん側は是非武士俣さんが興味あればそうして欲しいそうです」
「いいんですか?」
「では、そちらを希望するということでいいですか?」
「ぜひ」
そのように言われて、またもや立派な社内に入ると、先日の人事の女性の方と社員食堂の説明の時だけ笑顔を見せてくれたおじさんとが出迎えてくれた。
おじさんもにこやかだった。
育休の代替と聞いていたけれど、実際に今別の人が入っていて、その人が家庭の事情で辞めることになって、それで来年のゴールデンウィークまでの間人が必要とわかった。
しかもそのポジションは、社内でどうやら1人だけで、その人が辞められるとその超重要なポジションが空いて、でもそれはある意味技術職で誰でもいいわけじゃないから、企業側も先週の金曜に慌てて派遣会社数社に問い合わせたようだった。
その時にこれもたまたまの話で。
そもそも私が今回派遣会社に連絡したのは、別の会社の英訳事務に応募したくて連絡した。
そこに申し込むにあたり、英語の実務経験のない私は、友達の大学院レベルの医療の論文の英訳を手伝ったり、東大受験の子の英作文を添削したことを自己アピールのために書き加えてください、とお願いした。
それぐらいしか実務に匹敵するようなものがなかった。
だけどそこの会社は、部署編成があって、最終的に私の申し込んでいた仕事はキャンセルになった。
その直後にこのExcel入力の仕事の話が来たから、その時の経歴書をそっくりそのまま渡されて、それでその書類が企業側に残ったままだった。
最も企業側は私の経歴には全く興味がなくて、4人も臨んだ企業見学という名の面接のような時、私は自分の経歴は何も聞かれず、ひたすら残業できるかだの、土曜勤務は大丈夫かだの、単調な作業だけど大丈夫かだの、そんなことしか聞かれなかった。
まぁ短期の即戦力が欲しくてきた話だったから、そんなものだと思っていた。
ところが先週の終わりになって、いきなり欠員が確定して、しかもその企業の一工場兼営業所には何百人といる中で、そのポジションだけは1人しかいない。
聞いたら製品にまつわる取説的なものを英語に訳すもので、時々突発的に発生すると、既存のものはいいけれど、そうではない新しいものになると、ある程度の英語の知識がないとやれないらしい。
だから企業も慌てて求人を出して、でもそんな都合良く5ヶ月だけの英訳できる人を探すのは至難の業のようで、それがたまたま今回私のあれこれすったもんだによって、私の経歴書にはたまたま英語の記載があって、それで目に留まったとのこと。
それでどうやら同時進行で私にオファーを出しつつも、派遣会社数社にも問い合わせを出していたようだった。
私もそんな展開想像してなくて、本当に驚いた。
入口入ってすぐに小さな面談スペース、と言っても1つあたり6〜8畳は広さのあるものが2つないし3つある会社で、そこにまずは通された。
そして改めて簡単な仕事内容の説明をまずは企業側から受けて、私がするしないを聞かれた。
派遣会社の所長が「是非ともそちらのお話で進めさせていただければ…」と私の代わりに返答した。
人事のお二方は「うちとしても、是非にも引き受けていただけると本当に助かるので、わたくし共を助けると思ってそこをお願いできたらこの上なくありがたいです」と言われた。
ということで、とりあえず所長は退出して、広い社員食堂に移動して人事の女性とおじさんから業務説明を別途受けて、それで何とか英語の部分は知識ないけれどもやれそうだったから、よろしくお願いしますと私の方から言った。
おじさんが退席した時に、人事の笑顔が素敵な女性と2人きりになって、私の経歴書のシートのいきさつを説明した。
元々別会社の英訳の仕事を申し込んだ関係で、英語に関して追記で情報を書いたものだということ。
本来、職歴として経験のない私は、英語に関しては1ミリも書けないこと、だけどその時はその仕事に申し込みたくて、それで派遣会社の担当者の方と相談して、そのことをついでに明記したこと。
だけど、元々申し込んだ企業の仕事はキャンセルになって、それでこちらのExcel入力の仕事を紹介されたこと。
それを言うと、女性は
「これは運命ですね(*^o^*)!!」
と私に返してきた。
私も本当にそのように思った。
何がどうしたら知らぬうちに社内で1人だけのポジションが空いて、しかもよくよく聞けば、育休代替えだからゴールデンウィーク明けには私の雇用は終わる。
私も長期でやる気など全くないから(とはさすがに言わなかった)、最初からその設定なのは願ったり叶ったりだった。
担当部署の女性もやってきて、その方も本当に朗らかで気さくな感じで良かった。
突然降って湧いた話ではあったけれども、印象は最初に来た時とは雲泥の差で、最初に企業見学で「笑っちゃいけない」並みにお通夜のような面談の時はどうなるかと思ったけれども、今度のところは良さそうだった。
そうして、私は出社初日の日に急遽配置替えとなって、英訳事務の仕事の方になった。
まずは社内オリエンテーションということで、人事の女性からあれこれ説明を受けた。
途中からは社内の案内をしてもらった。
これが軽〜く20分はかかるような感じで、本当に広い社内を人事の女性と一緒に歩いた。
ロッカールームも案内してもらえたけれども、駐車場から一番遠く(多分早歩きで2〜3分はかかる)、そこからさらに自分の席までこれまた数分要する。
ロッカーは使わないと決めた。
1階は主に工場で、見たこともない機械、見ても何の機械なのかわからないものが作られていた。
そもそも何t単位のものをクレーンで引き上げる機械が天井から吊るされていて、そんなの吊るすということは、それ相応の大きなものを作るわけで、私は何冊か製品カタログも見たけれども、「で?これは何?」と相変わらず思っている。
未だにそこで作られる機械がどういうところでどんな風に使われるものなのか知らない。
人事の方が説明してくれたことでとても良かったことは、1つは「みなどこも似たり寄ったりですが、この棟のこの部分だけは他と違っていて、この小さな小屋(と言ってもコンビニほどの大きさはある)があるのはこの棟だけですから、これを自分の行く場所がわからなくなったら目印にするといいと思います」ということ。
もう1つは「これは社風なんですが、基本的にすれ違っても挨拶しないのが普通になっています。される方ももちろんいますが、されない方が多いので、そこも気になさらず。シャイな方も多いです」と。
基本、社内の1〜2割しか女性はおらず、そして男性陣も圧倒的に技術職で占めているから、愛想良くニコニコ系の人はほとんどいない、というか今のところ見たことがない。
途中からは3日目終了後に書いているけれど(毎日小さな事件簿あり)、何せ挨拶しないのが普通の職場だから、たまに挨拶してくれる人とすれ違うとそれだけで気持ちが明るくなる。
笑わない職場だと思っていたから、挨拶すること1つがいきなりポイントゲット、小さな幸せゲットという、素晴らしい環境設定になっている。
一通りオリエンテーションが終わった後、いざ私の行く部署に行くこととなった。
前回見学に行った体育館並みに広いオフィスだった。
前回は建物の奥の反省部屋みたいな暗そうな隅っこのスペースを案内されて終わったけれども、今回はそこではなく、入ってすぐのところだった。
そして、男性ばかりかと思ったら、その部署だけAll女性のみ(役職の人はまた別で、ここは典型的な年功序列系のおじさんと若そうな男の子1人)で、とてもアットホームな感じだった。
とかいうことよりも、数人いた女性の1人が声をかけてきた。
「〇〇(名字)だよ!覚えてる!?」
見たことある顔だとは思っていたけれども、なんと中学の時の同級生だった。
本気でビックリした。
未だかつて私は数々の職場で自分の知人友人にバッタリ出くわしたことはない。
大きな会社で数百人いるかとは思うけれども、彼女も彼女でこれまで誰にも知人友人に会ったことないと言っていた。
2人で大盛り上がりして、それは凄い嬉しい時間だった。
その子の中に中学の私がどんな風に記憶に残っているかは知らない。
だけど、毎日死にそうになりながらいじめを受けるために行っていたのと変わらなかった学校生活、そしてその時の私を知る人に会うのは普段なら絶対に嫌だけど、彼女なら全然大丈夫で、心を打ち解けて話せるのは良かった。
しかも、女性のみの部署ゆえに、そこは笑いもあり無駄話もありで、「笑っちゃいけない」現場ではなかったことにホッと胸を撫で下ろした。
しかも、みんな良さそうな人たちばかりで、これまで行ったことのある派遣先での女特有の意地悪い感じとかはなかった。
本気でホッとした。
しかも、そこの場所は資料やらなんやらを置くために1人あたり2畳ほどのスペースに2つの机が与えられていて、ものすごく広々としている。
私が勤務した過去の職場で、一番広いスペースが与えられている。
このゆったりスペース、そしてその分隣りの人たちとも適度に離れていて見えないのもすごく良かった。
初日、2日目、3日目と勤務を終えて、とりあえず、瞑想の時間よりも、本気の「迷走」になっている。
初日は、帰る前に、女性の上司に「迷子にならないように気をつけてね」と言われた。
私は自信満々で「今日きちんと案内してもらえたので大丈夫です」と答えた。
なのに、早速階段降りたら、見知らぬ場所に出て、とりあえず帰りそうな人たちの後について行ったけれども、途中みんなバラバラになって(いくつも出入口があるから、それぞれ駐車場に一番近い出口から出る)、あれ?どこにドアがあるの?状態になって右往左往した。
次の日はもっとすったもんだ事態になった。
朝の8時から仕事なんてその会社ぐらいかと思ったら、世の中はその時間から動いているようで、道がまず混んでた。
ギリギリ到着したのに、今度は指定の駐車場が満車で別の駐車場23番に止めるように言われた。
運転しながら探す至難の技でそこでも時間ロス。
さらには最初からバックして入らないと止められない、運転技術のない私には超難しい場所で、雨の中窓全開にして何とか入れた(窓ガラスが曇って見えなかった)。
ちなみにその日、仕事が終わって車に戻ったら、閉めたとばかり思っていた後ろの後部座席の窓が雨の中全開になっていてビックリしたΣ(꒪◊꒪; )))) 。
そんなこんなで、すたこらと社内に入ると、周りは至るところでラジオ体操をしていた。
その横を早足、小走りで通り過ぎて、そして迷路のような建物の中で、人事の女性が「これが目印」と教えてくれた建物が目に入った。
ここだここ!と思ってドアを開けて、非常階段を高さのある建物の3階まで一気に上って、上ったらまた迷子で、ここはどこ?状態だったけれども、一か八かで賭けて、とりあえず一番近い入り口に入ったら、そこが私の行く部署の部屋だった。
真っ暗い中でラジオ体操をしてるらしい光景は超シュールだったけれども、おかけで私の出遅れも目立たなくて済んだ。
私は最後の深呼吸のひとつ前の動きからラジオ体操に参加した。
ゼーハーゼーハー言いながら体操して、その後朝礼で、部署の人たちに紹介されて、「いやー、間に合って本気で良かった!」となった。
これで遅れたら洒落にならなかった。
相変わらず、色々やらかしそうになるギリギリのところにいるけれども、そこではない、初日に起こったありがたいことについて書きたかったんだった。
初日の夕方、派遣会社の所長から連絡がきた。
初日どうでしたか?の確認電話はどの派遣会社も共通してあるけれども、今回はそれだけじゃなかった。
私の急遽の部署移動によって、そして一応専門知識が必要な仕事でもあるから、所長はきちんと金額交渉を会社としてくれて、私は一気に時給が250円も上がった!
☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆
しかも、残業はないわ、人も良さそうだわ、色々勉強になりそうだわで、本当に恵まれている。
多分だけど、もしこの求人が急ではなく1ヶ月以上前から出ていたものならば、私は多分採用されなかったと思う。
会社はもっときちんとした経歴の人や職歴の人を欲しかったと思う。
今月末で辞められる人は、たしかに工業英語には全く馴染みがなかったと本人も言っていたけれども、最近までアメリカで事務の仕事をしていて、英語のセンスが抜群に良すぎる。
自分でわかるけれども、足元にも及ばないぐらいにめちゃくちゃできるし、仕事も超できる。
私大丈夫か!?って感じで、会社側ももしもっと早くに知っていたのなら、きちんと人選したかったと思うけれども、あまりに急すぎて、雇用期間やマニアックな仕事すぎて、そういう人を、安定志向の片田舎で短期で引き受けてくれる人しかも専門知識のある人となると、もう選んでもいられなかったと思う。
派遣の企業見学の場で4人も誰かが来るなんて未だかつて見たことがないし(←これはExcel入力の仕事の時の話)、そもそもこの会社は何か1つ通すにしても、数人の検印が要る。
当日出たとこ勝負で物事を決定するような社風では絶対にない。
実際に初日も、本来私が行く予定だった部署は10時になっても派遣の人が来ないと言って大騒ぎになっていたようだった。
人事も伝達が間に合わないぐらいに急な話で、契約も伝達もすべて後手後手に回ってしまうぐらいの、その会社からしたらありえない展開だったと思う。
私もそんなことが派遣の現場で、しかも当日に決まるみたいな大変更を体験したのは初めてだった。
よくよく考えたら、派遣会社に企業から連絡がくる前日に、私は諸々の書類の手続きで派遣会社のオフィスに行ってきた。
その時でさえ、そこにいた誰もが私はA社のExcel入力業務に行くものだと思っていた。
それが何かの流れで(私的には「神々の審議会」絡みだと思っているv( ̄∀ ̄)v)、こんな展開になった。
新しい仕事の話はまたいくらでもネタがあるから、それは今度書くとして。
2日目も3日目も遅れそうになって(早く出ても時間がギリギリだから、もっと早く出ないといけないとわかった)、これはもしもの時にどこに電話しないといけないのか確認しないとダメだと思った。
それを隣りの席の女上司の人に聞いたら、番号を教えてくれた後に、社内の各部署の社員一覧表のようなものの存在を教えてくれた。
コピーしたらいいよと言われてコピーした。
それを出力してようやく知った。
何せでかい会社だから、派遣の契約書に出ている名前も誰が誰なのかわからない。
通常社内の担当者は大御所が名を連ねるけれど、今回は人事の女性なんだなぁぐらいしかわからなかった。
その一覧表を開いた時に初めて会社の社長の名前を知ったけれども、そこにあった。
社長の名前はまるっと忘れたけれど、漢字の3文字目がある人と同じだった。
「大丈夫」、そう思った。
部署替えも同級生との再会も時給アップもすべて思わぬ展開でそれぞれありがたいことばかりだったけれども、私はそれよりももう本当にサインさえ送られてこないことの方が静かに長く堪えていた。
ある種の依存症のようだけど、大丈夫のサインが欲しかった。
だけど、初日も2日目も何もないから、あーもう終わりなんだな、いよいよ自分1人でがんばりなさいってことなんだなと思っていた。
だけど、女上司の人が、本来なら番号さえ、しかも内線番号までも教えてくれたからそれで良かったのに、わざわざ一覧表の存在を教えてくれた。
それを見なければ知ることのない社長の名前だった。
ましてや名字ではない、名前側の方だから余計と見ない。
目に触れることすらなかったものを急遽見れることとなった。
Excel入力の仕事であったら、もしかしたら知らずに終わったかもしれない。
そちらは他の派遣の人たちもいると言っていたから、周りに聞いて終わったと思う。
今回はいるにはいるけれど、複数の派遣会社からのスタッフが入っていて、私のところは私しかいないから、それで上の人にきちんと聞いた。
しかも聞いた直後のことだった。
トイレに行こうと席を立って外に出ようとしたら、会社のオリエンテーションをしてくれた人事の女性にバッタリ出くわした。
その女性は別の部屋にいるから、普段はどの部屋にいるのか知らない。
書類を置きにきたようで、バッタリと会った。
声をかけられた。
「武士俣さん、すみません、一言大事なことを言い忘れてました」から始まって、彼女の口から突発的な遅刻や欠席の連絡先について知らされた。
本来はそのように知らされるものだった。
だけど人事の女性も忘れていて、それで口頭で彼女の名刺にある代表番号にかけて内線で所属の部の部長に繋いでもらうように説明を受けた。
もし初日にその説明を受けていたら、その数分前に隣りの席の女上司に確認することはなかったし、それで社長の下の名前を知ることも絶対の絶対になかった。
だから、私が社内の部署連絡一覧表みたいなのを見たのは、偶然と呼ぶにもかなり起こることのない確率で起こっていたことがわかった。
しかも印刷したものの、それを残りの雇用期間で使うことも見ることも一度もないかと思う。
そんなものをたまたま見たことで社長の名前を知り、それがある人との名前と同じだと知った。
その上手くできてる感じに救われながら、色々不安なことはたくさんあるけれども、多分大丈夫だろうと思えた。
人は良い人たちだし待遇も良くなったけれども、実務はかなり責任重大だと知った。
改めて書くにしても、突発的に私が英訳するのは、何百万円とする機械の設計のある部分だったりするわけで、間違いは許されない。
チェックしてくれるのは女上司の人だけれど、私の英語そのものの中身を英文法や表現法という観点から厳密にチェックしてくれる人はいない。
その事実を知った時に顔面蒼白したけれども、しかも宇宙語並みに日本語が全くわからない超ウルトラスーパー難解な日本語だけれど、1月からは私しかできる人がいないからやらざるを得ない。
めちゃくちゃ怖いんですけどー!、無謀すぎですけどー!、と思うけれども仕方ない。
やるしかない。
という仕事において、時給アップや周りの人たちの良さよりも、私にはその名前の漢字1つが何よりもの心のお守りになった。
週4で2時間の残業、1日10時間が週4回…(ΦдΦlll)。
月ー金フルタイム+弁当週5。
しかもひたすら入力・入力・入力。
占星術クラスメイトのノムに
「1日10時間の瞑想をしろと言われてもできないけれど、そこに行って1日10時間瞑想すると思ったらいいんじゃない!?しかも(仕事に)集中するから、そこからまた新しい回路が生まれて、ぶっしーの他の人のメッセージをキャッチする、その能力の一助に絶対なると思うよ!」
と言ってもらって、ようやく仕事に対して明るい側面を少し見れるようになってきた。
駐車場に守衛さんがいる会社で、朝の出勤時、他の人たちと同じように入って行ってしばらくすると止められた。
そりゃそうだ。
不審者と変わらない( ̄∀ ̄;)。
事情を説明して、そのまま駐車場に待機させてもらった。
爽やか人懐っこい派遣会社の所長も到着して、手招きされたから車に乗った。
私はもう職場に送り届けてもらっておしまいかと思っていたから、なんで車に乗るんだろう?と思った。
まだ待ち合わせの時間まで少しあるからかな?なんて思った。
車に乗り込むと所長は言った。
「武士俣さん、提案があるのですが…」
うん?提案?
これから仕事に行くのに何の提案!?
もしかして「残業はやっぱり大変かと思うので、無理して受けなくてもいいです」とか。
←心の声( ̄∀ ̄;)。
所長は言った。
「あのですね〜、急なんですが」
(心の声:「急」って何!?)
「武士俣さん、英訳の仕事のお話をいただいたんですが、どうですか?」
「えっ!?どういうことですか?」
「うちも先週の金曜の夕方に話をいただいたばかりなんですが、まぁ今回武士俣さんはそもそもシステムの方のExcelの入力のお仕事としてこれから入ることになっていたんですが、企業さんの方で英訳事務の方が急遽辞められることになって、それで武士俣さんの経歴シートを人事の方が見られて、武士俣さんが英語ができると知ってもし良ければどうですか?と話をいただいたんです。武士俣さんどうでしょう?」
「そちらに変更も可能ってことですか?」
「企業さん側は是非武士俣さんが興味あればそうして欲しいそうです」
「いいんですか?」
「では、そちらを希望するということでいいですか?」
「ぜひ」
そのように言われて、またもや立派な社内に入ると、先日の人事の女性の方と社員食堂の説明の時だけ笑顔を見せてくれたおじさんとが出迎えてくれた。
おじさんもにこやかだった。
育休の代替と聞いていたけれど、実際に今別の人が入っていて、その人が家庭の事情で辞めることになって、それで来年のゴールデンウィークまでの間人が必要とわかった。
しかもそのポジションは、社内でどうやら1人だけで、その人が辞められるとその超重要なポジションが空いて、でもそれはある意味技術職で誰でもいいわけじゃないから、企業側も先週の金曜に慌てて派遣会社数社に問い合わせたようだった。
その時にこれもたまたまの話で。
そもそも私が今回派遣会社に連絡したのは、別の会社の英訳事務に応募したくて連絡した。
そこに申し込むにあたり、英語の実務経験のない私は、友達の大学院レベルの医療の論文の英訳を手伝ったり、東大受験の子の英作文を添削したことを自己アピールのために書き加えてください、とお願いした。
それぐらいしか実務に匹敵するようなものがなかった。
だけどそこの会社は、部署編成があって、最終的に私の申し込んでいた仕事はキャンセルになった。
その直後にこのExcel入力の仕事の話が来たから、その時の経歴書をそっくりそのまま渡されて、それでその書類が企業側に残ったままだった。
最も企業側は私の経歴には全く興味がなくて、4人も臨んだ企業見学という名の面接のような時、私は自分の経歴は何も聞かれず、ひたすら残業できるかだの、土曜勤務は大丈夫かだの、単調な作業だけど大丈夫かだの、そんなことしか聞かれなかった。
まぁ短期の即戦力が欲しくてきた話だったから、そんなものだと思っていた。
ところが先週の終わりになって、いきなり欠員が確定して、しかもその企業の一工場兼営業所には何百人といる中で、そのポジションだけは1人しかいない。
聞いたら製品にまつわる取説的なものを英語に訳すもので、時々突発的に発生すると、既存のものはいいけれど、そうではない新しいものになると、ある程度の英語の知識がないとやれないらしい。
だから企業も慌てて求人を出して、でもそんな都合良く5ヶ月だけの英訳できる人を探すのは至難の業のようで、それがたまたま今回私のあれこれすったもんだによって、私の経歴書にはたまたま英語の記載があって、それで目に留まったとのこと。
それでどうやら同時進行で私にオファーを出しつつも、派遣会社数社にも問い合わせを出していたようだった。
私もそんな展開想像してなくて、本当に驚いた。
入口入ってすぐに小さな面談スペース、と言っても1つあたり6〜8畳は広さのあるものが2つないし3つある会社で、そこにまずは通された。
そして改めて簡単な仕事内容の説明をまずは企業側から受けて、私がするしないを聞かれた。
派遣会社の所長が「是非ともそちらのお話で進めさせていただければ…」と私の代わりに返答した。
人事のお二方は「うちとしても、是非にも引き受けていただけると本当に助かるので、わたくし共を助けると思ってそこをお願いできたらこの上なくありがたいです」と言われた。
ということで、とりあえず所長は退出して、広い社員食堂に移動して人事の女性とおじさんから業務説明を別途受けて、それで何とか英語の部分は知識ないけれどもやれそうだったから、よろしくお願いしますと私の方から言った。
おじさんが退席した時に、人事の笑顔が素敵な女性と2人きりになって、私の経歴書のシートのいきさつを説明した。
元々別会社の英訳の仕事を申し込んだ関係で、英語に関して追記で情報を書いたものだということ。
本来、職歴として経験のない私は、英語に関しては1ミリも書けないこと、だけどその時はその仕事に申し込みたくて、それで派遣会社の担当者の方と相談して、そのことをついでに明記したこと。
だけど、元々申し込んだ企業の仕事はキャンセルになって、それでこちらのExcel入力の仕事を紹介されたこと。
それを言うと、女性は
「これは運命ですね(*^o^*)!!」
と私に返してきた。
私も本当にそのように思った。
何がどうしたら知らぬうちに社内で1人だけのポジションが空いて、しかもよくよく聞けば、育休代替えだからゴールデンウィーク明けには私の雇用は終わる。
私も長期でやる気など全くないから(とはさすがに言わなかった)、最初からその設定なのは願ったり叶ったりだった。
担当部署の女性もやってきて、その方も本当に朗らかで気さくな感じで良かった。
突然降って湧いた話ではあったけれども、印象は最初に来た時とは雲泥の差で、最初に企業見学で「笑っちゃいけない」並みにお通夜のような面談の時はどうなるかと思ったけれども、今度のところは良さそうだった。
そうして、私は出社初日の日に急遽配置替えとなって、英訳事務の仕事の方になった。
まずは社内オリエンテーションということで、人事の女性からあれこれ説明を受けた。
途中からは社内の案内をしてもらった。
これが軽〜く20分はかかるような感じで、本当に広い社内を人事の女性と一緒に歩いた。
ロッカールームも案内してもらえたけれども、駐車場から一番遠く(多分早歩きで2〜3分はかかる)、そこからさらに自分の席までこれまた数分要する。
ロッカーは使わないと決めた。
1階は主に工場で、見たこともない機械、見ても何の機械なのかわからないものが作られていた。
そもそも何t単位のものをクレーンで引き上げる機械が天井から吊るされていて、そんなの吊るすということは、それ相応の大きなものを作るわけで、私は何冊か製品カタログも見たけれども、「で?これは何?」と相変わらず思っている。
未だにそこで作られる機械がどういうところでどんな風に使われるものなのか知らない。
人事の方が説明してくれたことでとても良かったことは、1つは「みなどこも似たり寄ったりですが、この棟のこの部分だけは他と違っていて、この小さな小屋(と言ってもコンビニほどの大きさはある)があるのはこの棟だけですから、これを自分の行く場所がわからなくなったら目印にするといいと思います」ということ。
もう1つは「これは社風なんですが、基本的にすれ違っても挨拶しないのが普通になっています。される方ももちろんいますが、されない方が多いので、そこも気になさらず。シャイな方も多いです」と。
基本、社内の1〜2割しか女性はおらず、そして男性陣も圧倒的に技術職で占めているから、愛想良くニコニコ系の人はほとんどいない、というか今のところ見たことがない。
途中からは3日目終了後に書いているけれど(毎日小さな事件簿あり)、何せ挨拶しないのが普通の職場だから、たまに挨拶してくれる人とすれ違うとそれだけで気持ちが明るくなる。
笑わない職場だと思っていたから、挨拶すること1つがいきなりポイントゲット、小さな幸せゲットという、素晴らしい環境設定になっている。
一通りオリエンテーションが終わった後、いざ私の行く部署に行くこととなった。
前回見学に行った体育館並みに広いオフィスだった。
前回は建物の奥の反省部屋みたいな暗そうな隅っこのスペースを案内されて終わったけれども、今回はそこではなく、入ってすぐのところだった。
そして、男性ばかりかと思ったら、その部署だけAll女性のみ(役職の人はまた別で、ここは典型的な年功序列系のおじさんと若そうな男の子1人)で、とてもアットホームな感じだった。
とかいうことよりも、数人いた女性の1人が声をかけてきた。
「〇〇(名字)だよ!覚えてる!?」
見たことある顔だとは思っていたけれども、なんと中学の時の同級生だった。
本気でビックリした。
未だかつて私は数々の職場で自分の知人友人にバッタリ出くわしたことはない。
大きな会社で数百人いるかとは思うけれども、彼女も彼女でこれまで誰にも知人友人に会ったことないと言っていた。
2人で大盛り上がりして、それは凄い嬉しい時間だった。
その子の中に中学の私がどんな風に記憶に残っているかは知らない。
だけど、毎日死にそうになりながらいじめを受けるために行っていたのと変わらなかった学校生活、そしてその時の私を知る人に会うのは普段なら絶対に嫌だけど、彼女なら全然大丈夫で、心を打ち解けて話せるのは良かった。
しかも、女性のみの部署ゆえに、そこは笑いもあり無駄話もありで、「笑っちゃいけない」現場ではなかったことにホッと胸を撫で下ろした。
しかも、みんな良さそうな人たちばかりで、これまで行ったことのある派遣先での女特有の意地悪い感じとかはなかった。
本気でホッとした。
しかも、そこの場所は資料やらなんやらを置くために1人あたり2畳ほどのスペースに2つの机が与えられていて、ものすごく広々としている。
私が勤務した過去の職場で、一番広いスペースが与えられている。
このゆったりスペース、そしてその分隣りの人たちとも適度に離れていて見えないのもすごく良かった。
初日、2日目、3日目と勤務を終えて、とりあえず、瞑想の時間よりも、本気の「迷走」になっている。
初日は、帰る前に、女性の上司に「迷子にならないように気をつけてね」と言われた。
私は自信満々で「今日きちんと案内してもらえたので大丈夫です」と答えた。
なのに、早速階段降りたら、見知らぬ場所に出て、とりあえず帰りそうな人たちの後について行ったけれども、途中みんなバラバラになって(いくつも出入口があるから、それぞれ駐車場に一番近い出口から出る)、あれ?どこにドアがあるの?状態になって右往左往した。
次の日はもっとすったもんだ事態になった。
朝の8時から仕事なんてその会社ぐらいかと思ったら、世の中はその時間から動いているようで、道がまず混んでた。
ギリギリ到着したのに、今度は指定の駐車場が満車で別の駐車場23番に止めるように言われた。
運転しながら探す至難の技でそこでも時間ロス。
さらには最初からバックして入らないと止められない、運転技術のない私には超難しい場所で、雨の中窓全開にして何とか入れた(窓ガラスが曇って見えなかった)。
ちなみにその日、仕事が終わって車に戻ったら、閉めたとばかり思っていた後ろの後部座席の窓が雨の中全開になっていてビックリしたΣ(꒪◊꒪; )))) 。
そんなこんなで、すたこらと社内に入ると、周りは至るところでラジオ体操をしていた。
その横を早足、小走りで通り過ぎて、そして迷路のような建物の中で、人事の女性が「これが目印」と教えてくれた建物が目に入った。
ここだここ!と思ってドアを開けて、非常階段を高さのある建物の3階まで一気に上って、上ったらまた迷子で、ここはどこ?状態だったけれども、一か八かで賭けて、とりあえず一番近い入り口に入ったら、そこが私の行く部署の部屋だった。
真っ暗い中でラジオ体操をしてるらしい光景は超シュールだったけれども、おかけで私の出遅れも目立たなくて済んだ。
私は最後の深呼吸のひとつ前の動きからラジオ体操に参加した。
ゼーハーゼーハー言いながら体操して、その後朝礼で、部署の人たちに紹介されて、「いやー、間に合って本気で良かった!」となった。
これで遅れたら洒落にならなかった。
相変わらず、色々やらかしそうになるギリギリのところにいるけれども、そこではない、初日に起こったありがたいことについて書きたかったんだった。
初日の夕方、派遣会社の所長から連絡がきた。
初日どうでしたか?の確認電話はどの派遣会社も共通してあるけれども、今回はそれだけじゃなかった。
私の急遽の部署移動によって、そして一応専門知識が必要な仕事でもあるから、所長はきちんと金額交渉を会社としてくれて、私は一気に時給が250円も上がった!
☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆
しかも、残業はないわ、人も良さそうだわ、色々勉強になりそうだわで、本当に恵まれている。
多分だけど、もしこの求人が急ではなく1ヶ月以上前から出ていたものならば、私は多分採用されなかったと思う。
会社はもっときちんとした経歴の人や職歴の人を欲しかったと思う。
今月末で辞められる人は、たしかに工業英語には全く馴染みがなかったと本人も言っていたけれども、最近までアメリカで事務の仕事をしていて、英語のセンスが抜群に良すぎる。
自分でわかるけれども、足元にも及ばないぐらいにめちゃくちゃできるし、仕事も超できる。
私大丈夫か!?って感じで、会社側ももしもっと早くに知っていたのなら、きちんと人選したかったと思うけれども、あまりに急すぎて、雇用期間やマニアックな仕事すぎて、そういう人を、安定志向の片田舎で短期で引き受けてくれる人しかも専門知識のある人となると、もう選んでもいられなかったと思う。
派遣の企業見学の場で4人も誰かが来るなんて未だかつて見たことがないし(←これはExcel入力の仕事の時の話)、そもそもこの会社は何か1つ通すにしても、数人の検印が要る。
当日出たとこ勝負で物事を決定するような社風では絶対にない。
実際に初日も、本来私が行く予定だった部署は10時になっても派遣の人が来ないと言って大騒ぎになっていたようだった。
人事も伝達が間に合わないぐらいに急な話で、契約も伝達もすべて後手後手に回ってしまうぐらいの、その会社からしたらありえない展開だったと思う。
私もそんなことが派遣の現場で、しかも当日に決まるみたいな大変更を体験したのは初めてだった。
よくよく考えたら、派遣会社に企業から連絡がくる前日に、私は諸々の書類の手続きで派遣会社のオフィスに行ってきた。
その時でさえ、そこにいた誰もが私はA社のExcel入力業務に行くものだと思っていた。
それが何かの流れで(私的には「神々の審議会」絡みだと思っているv( ̄∀ ̄)v)、こんな展開になった。
新しい仕事の話はまたいくらでもネタがあるから、それは今度書くとして。
2日目も3日目も遅れそうになって(早く出ても時間がギリギリだから、もっと早く出ないといけないとわかった)、これはもしもの時にどこに電話しないといけないのか確認しないとダメだと思った。
それを隣りの席の女上司の人に聞いたら、番号を教えてくれた後に、社内の各部署の社員一覧表のようなものの存在を教えてくれた。
コピーしたらいいよと言われてコピーした。
それを出力してようやく知った。
何せでかい会社だから、派遣の契約書に出ている名前も誰が誰なのかわからない。
通常社内の担当者は大御所が名を連ねるけれど、今回は人事の女性なんだなぁぐらいしかわからなかった。
その一覧表を開いた時に初めて会社の社長の名前を知ったけれども、そこにあった。
社長の名前はまるっと忘れたけれど、漢字の3文字目がある人と同じだった。
「大丈夫」、そう思った。
部署替えも同級生との再会も時給アップもすべて思わぬ展開でそれぞれありがたいことばかりだったけれども、私はそれよりももう本当にサインさえ送られてこないことの方が静かに長く堪えていた。
ある種の依存症のようだけど、大丈夫のサインが欲しかった。
だけど、初日も2日目も何もないから、あーもう終わりなんだな、いよいよ自分1人でがんばりなさいってことなんだなと思っていた。
だけど、女上司の人が、本来なら番号さえ、しかも内線番号までも教えてくれたからそれで良かったのに、わざわざ一覧表の存在を教えてくれた。
それを見なければ知ることのない社長の名前だった。
ましてや名字ではない、名前側の方だから余計と見ない。
目に触れることすらなかったものを急遽見れることとなった。
Excel入力の仕事であったら、もしかしたら知らずに終わったかもしれない。
そちらは他の派遣の人たちもいると言っていたから、周りに聞いて終わったと思う。
今回はいるにはいるけれど、複数の派遣会社からのスタッフが入っていて、私のところは私しかいないから、それで上の人にきちんと聞いた。
しかも聞いた直後のことだった。
トイレに行こうと席を立って外に出ようとしたら、会社のオリエンテーションをしてくれた人事の女性にバッタリ出くわした。
その女性は別の部屋にいるから、普段はどの部屋にいるのか知らない。
書類を置きにきたようで、バッタリと会った。
声をかけられた。
「武士俣さん、すみません、一言大事なことを言い忘れてました」から始まって、彼女の口から突発的な遅刻や欠席の連絡先について知らされた。
本来はそのように知らされるものだった。
だけど人事の女性も忘れていて、それで口頭で彼女の名刺にある代表番号にかけて内線で所属の部の部長に繋いでもらうように説明を受けた。
もし初日にその説明を受けていたら、その数分前に隣りの席の女上司に確認することはなかったし、それで社長の下の名前を知ることも絶対の絶対になかった。
だから、私が社内の部署連絡一覧表みたいなのを見たのは、偶然と呼ぶにもかなり起こることのない確率で起こっていたことがわかった。
しかも印刷したものの、それを残りの雇用期間で使うことも見ることも一度もないかと思う。
そんなものをたまたま見たことで社長の名前を知り、それがある人との名前と同じだと知った。
その上手くできてる感じに救われながら、色々不安なことはたくさんあるけれども、多分大丈夫だろうと思えた。
人は良い人たちだし待遇も良くなったけれども、実務はかなり責任重大だと知った。
改めて書くにしても、突発的に私が英訳するのは、何百万円とする機械の設計のある部分だったりするわけで、間違いは許されない。
チェックしてくれるのは女上司の人だけれど、私の英語そのものの中身を英文法や表現法という観点から厳密にチェックしてくれる人はいない。
その事実を知った時に顔面蒼白したけれども、しかも宇宙語並みに日本語が全くわからない超ウルトラスーパー難解な日本語だけれど、1月からは私しかできる人がいないからやらざるを得ない。
めちゃくちゃ怖いんですけどー!、無謀すぎですけどー!、と思うけれども仕方ない。
やるしかない。
という仕事において、時給アップや周りの人たちの良さよりも、私にはその名前の漢字1つが何よりもの心のお守りになった。
2019年12月2日月曜日
霊性開花
この文章を書き始めた日の夕空
2019.11.24
2年前2017年の秋だった。
「霊性の開花」
このフレーズを私は何十回何百回と当時は見た。
調べ物をする度に、だから書き手は毎回違う人に当たっているはずなのに、とにかく「霊性の開花」というフレーズがここかしこに散らばっている。
当時の私は、自分が霊性の開花などするわけもないし、そんなの望んでもいないし、もし仮に開花するのならそれは自分で自分が開花したとわかるんだろうか?、仮にわかったらものすごく痛い人じゃないだろうか、そもそも「霊性の開花」って何?と思っていた。
だから私は冷ややかな目でその何十回何百回と現れるフレーズを華麗にスルーした。
2年経った今、とりあえず私は今の自分を見て「霊性の開花」と呼んでいいかは判断つかないけれど、2年前と今とでは全く違うものを体験したり見聞きしている自分のことはわかる。
自分自身はそんなに変わらないけれども、できることや視野が増えたとでも言えばいいんだろうか。
野球が何かも知らなかった人が、野球というスポーツを知って、道具揃えてキャッチボールしたり素振りしたりするようになった、そのぐらいの変化はこの2年で起きた。
ここから先は、実際の試合に繰り出してみようか…というところ。
この2年の間に、私は38歳から40歳になった。
当たり前と言えば当たり前のことだけど、40歳、そして年が明けて3月になれば41歳になる自分の年齢の変化を見て、この霊性の話と年齢のことと、これまでとは少し違う視点が生まれてきた。
それに伴って、私の捉え方も少しずつ変わってきた。
ここから先は思い浮かんだまま書きたい。
見えない部分の力というか体質に気付いてから1年8ヶ月が経過した。
今となれば、そういう人生設定ゆえに本当のところはわからないけれど、私の中でその体質側にスイッチオンになるきっかけというのが何かというのはものすごくはっきりとしている。
1人のイケメンとの出逢いだった。
何度かこのブログ内でもご登場いただいているけれども、本当に明らかに変化が起きたのは、イケメンご登場以降の話だった。
今、冷静になって客観的に見ても、やっぱりその人というのはイケメンだと思う。
神々の審議会もどうせ私の人生に送り込むなら、イケメンではなくフツメン(普通メン)で良かったのに。
書いてて思ったけれども、もしかしたらイケメンだったからこそ良かったのかもしれない。
私はさすがに最初から最後まで自分が相手にされるとは到底思えなかったから、これがフツメンなら「フツメンなのになぜ相手にされない?」(←傲慢)などとなるところ、イケメンだと「イケメンだから相手にされないのは当たり前」となる。
だからイケメンがあえて送り込まれたのかどうかはわからないけれども、とにかく私の人生に送り込まれてきたのはイケメンだった。
このイケメンが私にとって、「霊性開花」などというフレーズを目にするキーパーソンだった。
異常としか思えない自分の心理や状態とか、神業的なシンクロ率とか、その人もその人で若干挙動不審他いくつか変だったから、それで私はもう調べに調べた。
最初は「男性心理」みたいな枠で調べていたから全然的外れの話ばかりだったけれど、どういうわけか「ソウルメイトの分類」みたいなもののサイトに行き着いて、そこから今度は魂関連の調べ物に一気に変わった。
そこで魂の関係なんちゃらに始まり、霊性の開花とかまぁ色々と出てきた。
私は霊性開花には目もくれなかったけれども、唯一私のモチベーションになってくれたものはある。
霊性開花してそれをきちんと世のため人のために使うようになったら(←ちなみにここは速読並みにマッハで読み飛ばし)、魂的な繋がりがある相手とは再会できる、とあった。
私は冗談抜きで「再会」を願ったし、それのみが全てにおいてのモチベーションだった。
霊性開花には全く興味が湧かなかったけれども、再会には常々24時間体制で興味があった。
その再会への執念のおかげなのか、イケメンパワーのおかげなのか、真相はわからないけれども、たしかに私の目に見えない力はどんどんパワーアップしている。
昨日もノムと話していて、ノムの懸念事項を聞いて出てきた「人に真似されても本物には敵わない」という話を思い出して、それを言った。
ノムに「私この手のヒントならいくらでも喋れる」と言った。
とにかく話を聞けば何かしら思い浮かぶし、思い浮かぶものは自分も超気に入った考え方だったりするから素で何も見なくてもベラベラ喋れるし、そして私が色んな人たちから聞いた話は本当に役に立つ。
ノムはそれはぶっしーだからこその強みだよ、ときちんと言葉にして伝えてくれた。
だからすごいスキルだというのは、ようやく最近自分でも認められるようになってきた。
それはそうと、何にも囚われず、真っ直ぐ情報を引っ張ってきたり、伝えたりというのは、かなりできるようになってきた。
2年前よりも確実にそこは数段上になった。
話はいきなり飛ぶけれども、イケメンはどういうわけか私のブログを読んでいると思われる。
「再会」をモチベーションにしていた私は、ついこの間までそれは「私が気になるから」ではないかとかなりおめでたいことを考えていた。
だけど、それも最近は少し変わってきた。
気になるというのにも、当然種類がある。
異性として気になるのか、大切な人として気になるのか、友達みたいに気になるのか、単に人の方ではなく私が書く文章が気になるのか(長いし面白いものではないと思うけれど)、はたまた読むと癒しが起こるのか(※時々、「癒された」という感想を他の方たちからいただく)。
「私が気になる」のではないんだろうなぁと思うようになったきっかけがある。
単純に「気になったのなら連絡してくるでしょ!してこないというのは、言い方を変えると、連絡はしたくない、だよね…」と。
私だってひっそりと読むブログの1つや2つあるわけで(ちなみに全盛期の1日10ブログはチェックしていた方のほとんどが今ブログを止められてとても残念)、でもそんなのブロガーさんに連絡するなんてしないし。
せいぜいコメント残すぐらい。
それを思うと、ブログを読むことと会いたいと思うことはイコールじゃないな…と突然理解した。
私が達した結論は、イケメンから見て私というのはブログを読むのは嫌じゃない人、の立ち位置かもしれないと思った。
このブログには何度も書いているけれども、私の見えない世界のことというのは、とにかく異常なほどのスピードや濃度でどんどん展開していく。
そちらは努力や計画なんかしなくても、とにかく勝手に必要に応じて動いていく。
ヨシダさんのことがあって、ことさらその部分は強く感じるようになった。
ヨシダさんの資料の件(米でも野菜でもよく育つ方法)はやる必要のあることで、私個人の利ではなく世のため人のためにものすごくなるものだから、そういう動機や意図のものはとにかくすごい速さで結実していく。
一方で、イケメンとの再会とかいうことは、私の人生には必要ないことなんだろう、起こる気配すら無い。
相手に気がないからだと言われたらそれまでだけど、これがブログのことがなければ私もそう思えたけれども、ブログがあることでそうは思えないところがある。
小さな望みを私はずっとずっと持ち続けた。
だけど、さすがの私もここまできて何もなければ、「何もない」ことが起こることであって、そちらは必要だからそうだし、反対に何か起こることは不必要だから起こらない、それを冷静に受け止めるように少しずつなってきた。
悔しいけれども仕方ない。
こういう時、「イケメン(+ハイスペック)」というのは、頭だけでも納得するために役立つ。
そんな人が私を相手にするわけないと思うのに十分な理由だし、そして冷静になって自分のツッコミどころ満載のスペック的なものを見て、そりゃ選ばないよねと思う。
魂の関係には正直顔や容姿、スペックなんて何一つ関係ないけれども、それはあくまでも理論なだけで、現実の日本社会ではスペックだって顔や容姿だって大切になる。
さすがの私も日本社会の風潮を無視して「魂の関係優先だから!」なんて馬鹿なことは思わないし言わない。
そもそも「好み」がある。
異性として好んでくださいではなく、単に会ってお茶するにしてもしたい相手としたくない相手とがいる。
私だけ一方的に希望したところでダメだから、そしてそれだってお茶したい人の好みがあって当たり前で、要はそれにさえもランクインしないということ。
(2019/11/22)
派遣先の企業に見学という名の面接に行った時のこと。
見学に現れた3人の男性と、その後大きなオフィスに案内されて、中を見た時に気付いた。
イケメンと会ったのは、最後に派遣に行っていた職場だった。
今日行ったところは何せ本当にでかい会社で、最初に通された会議室的なところがすでに最後の派遣先のオフィスの半分はある大きさだった。
言うなれば、コンビニの半分くらいの大きさがその会議室ぐらいだった。
見学したオフィスについて言えば、その部署だけでバスケットコート2つ以上は余裕で入る体育館並みの広さだった。
そんなところに入って、滞りなく終わった後に気付かされた。
イケメンに出逢った初めての瞬間のことは私は今でもとてもよく覚えている。
初対面の時の記憶なんてまずは残らないけれども、イケメンはその時はどういう人かなんて何も知らなくても強烈に記憶に残った。
それはその人がイケメンだったからじゃない。
イケメンというのは、異彩な空気を放っていた。
それは私が人生で一度も見たことのない空気感だった。
その時も私は、慣れない事務仕事への不安をとめどなく募らせた状態で職場に行った。
さらに小さな場所で、人数も限られていたから、そこで働く人たちがどうかどうかタチの悪い人ではありませんように…とかも願ったりしたわけで、仕事と人とダブルで心配していた。
そんな私の前に現れたのがイケメンだった。
他にも男性3人と女性3人がいたけれども、他の人たちのことは覚えていない。
だけどイケメンだけは覚えている。
イケメンを見て私は
「この人がいるから大丈夫」
と思った。
私はこれまでずっとそれは、「こんな人が職場にいてくれたら、この職場は大丈夫」という意味だと思っていた。
でも、今ここでこうして
「この人がいるから大丈夫」
と書いてみてわかった。
「この人がいるから大丈夫」というのは、職場のことを指したわけじゃなかった。
実際に大丈夫ではあったけれども、そういうことではなく、全く違う意味だった。
「その人が私の人生にいてくれるから大丈夫」
そういう意味だったんだと今書いてて気付いた。
あの時は無我夢中で、そして私もアホすぎて「イケメンだから」印象に残ったりするのかと思っていた。
よくビビビ婚なんて言うけれど、見た瞬間わかるなんて嘘だと思った。
何で一瞬見ただけで相手のことがわかって、相手のことが他の人とは違うと感じるのか、そんなことあるわけないと思っていた。
イケメンに出逢う前までは、本当にそんなのはみんな適当に言ってるんじゃないかと思っていた。
イケメンを結婚相手と思ったとかいうことはなかった。
そういうことではなく、何だか知らないけれども、最初からズバ抜けて印象に残った人だった。
そんな風に印象に残る人なんかまずはいない中、イケメンだけは本当にすごい印象の残り方だった。
それの本当の意味を知るのは、今だったんだと知る。
私は当時、イケメンのような人がいてくれるからこの仕事、この職場は大丈夫だろうと思った。
でもそうじゃなかった。
あの最初に会った瞬間に、私はその人が自分の人生の中でとても重要な人だということを無意識に、でも強烈に認識したんだと思う。
それが本当に特別だと知ったのは、今日の職場見学に行った時だった。
もうあんな風にイケメンみたいな、「この人がいるから大丈夫」なんて出会いはそうそうないことを悟った。
広い職場はどこか機械的で、余計なことは気にしなくて済むような感じだった。
代わりに人間くさい感じがほとんど感じられなくて、こんなところに自分が行くというのが何とも変な感じがした。
イケメンの笑顔は2回しか見れなかった。
そのうちの1回がその初めて職場に行った日の着いてすぐぐらいの話だった。
笑顔だけじゃなくて、その人がまとっている空気感は本当にきれいで、その後も私はいつも、どうしてイケメンの周りの空気だけがいつもキラキラとしているのかと思って見ていた。
不思議なもので、私はこの2年ほどで本当に素敵な人たちにも引き合わせてもらえたけれども、イケメンが持っているその人特有のあの空気感、キラキラした透明な空気をまとっているのは、今のところ他の誰にも見たことがない。
派遣会社の担当者は電話の頃からとても応対の素敵な人だった。
実際に会ってみて、実は私が世話になっている営業所の所長だというのは、その時名刺をもらって初めて知った。
その人は服装はじめ身につけているものもとてもオシャレで、営業兼所長だけあって話し方も穏和で本当に相手を柔らかくする人だった。
雑誌から飛び出てきたような、本当にオシャレなジャケットとスーツパンツを着こなす風な人だった。
人の服なんかあまり見ない私が思わずジロジロと見てしまうくらいに、本当に正装してるのにオシャレというスタイルだった。
そもそも何の会社なのかを聞いたら「実は僕も1ヶ月前に転勤になったばかりで、何の会社かまでは知らないんですよね」と笑いながらしれっと言える面白い人でもあった。
気さくな人で偉ぶってもなくて、こういう人も派遣会社の所長クラスでもいるんだなと思った。
とかいう気さくで素敵パーソンに会ったからこそ、余計にわかった。
イケメンとはほぼ会話を交わさなかった。
たかが10分程度の所長との会話で、イケメンの個人的な情報より所長の個人的な情報の方を多く手にした。
それくらい私はイケメンのことを何も知らなかった。
人同士を比べるなんてのは行儀悪い感じがするけれど、ここでも私は思った。
全く相手にもされなかったイケメンだけど、イケメンが放つ空気で得ていた安心感は、あれは次元の違うものだったことを知った。
所長が実務的な安心感だとするなら、イケメンはそもそも生きていること、心や魂が感じる安心感という感じだった。
何も知らなかったからこそ、私はただただ目の前に現れた人のことを、その人が放つ空気をボケーっとしながら眺めていた。
あの時はやっぱり何もかもが尋常ではなかったんだなと知った。
イケメンと日々会っていた時の私というのは、本当に生きていることと自分の命が今日もあることを、本気で感謝していた。
それは相手のことも同じ気持ちで見ていた。
同じ時代の同じ時空間に存在しているイケメンの今日ある命が私には特別なものとして映った。
あれは本当の本当に別格過ぎた。
所長と話した時に、以前は〇〇にあるX社に行っていました、と言ったら、赴任1ヶ月の所長はその会社を知らないと言った。
X社が何の会社なのかをざっくりと説明したら、「聞いたことないから、今はそことは契約していないと思います」という衝撃の事実を知った。
私のポジションは元々私が行った時に新規に増設されたもので、そのポジションはないものだった。
どうやらそのポジションはいつの間にか無くなったらしい。
そして私とは別に10数年勤務したSさんのポジションも、Sさんの退職後補充されなかったんだと知った。
Sさんだけが唯一私が今でも当時の職場で連絡を取る人で、そして同時にSさんはイケメンと趣味つながりで今でも仲良くしているようだから、私はこのSさんからイケメンが元気にしていることを又聞き状態で何回か聞かせてもらった。
そのどちらも今はなくて、あの時にしか存在し得なかったポジションだったと知った。
そして、イケメンもその時にちょうど転勤でそこに勤めていて、イケメンはSさんの記憶だと2年半くらいいたみたいだけど、その最後の4ヶ月のところに私がちょうど派遣で行って出逢えた人だった。
色んな事情があって増設されて私はイケメンに出逢えたわけだけど、これも神々の審議会が企てたもののように今となっては見える。
1ミリとしてずれてはいけない過去の出来事や環境的なものが重なって、それで私はイケメンに出逢うための切符を手にした。
イケメンはこれから先もずっと私の中で忘れられない人として君臨したままなのかもしれない。
会えないのにずっと忘れられない…、私はそのことに対して色んな感情が湧く。
自分のことをダサいとも思えば、悔しいと思ったり、奇跡が起きてくれないかと願ったり、相手にされてないんだからいい加減貴女も気持ち切り替えたらと思ったり、もう二度とは会えないんだよと自分に言い聞かせてみたり…。
そんな風に2年以上の時間思ってきた。
話がややこしいから詳細は割愛するけれど、イケメンは間違いなく私のオカルト体質開花、霊性開花の超重要なキーパーソンだったことには違いない。
冗談抜きで、イケメンなくしては今の私のオカルト体質は出現しないまま、そして実際の人生も今とは違うものになっただろうと思う。
オカルト体質は徐々に進化を遂げていて、それに関しても私からすると私1人の力でそうなってると言うよりも周りの人たちのおかげなところがとても大きいし、そしてイケメンはその総括というか全体に対して本人は1ミリも何もしてはいないんだけれど、イケメンが全体に対してのバックアップ、セーフティネット役みたいなところの立ち位置にあるのはわかってる。
そもそも私の体質を、機械や車のモデルチェンジに例えるとするなら。
イケメンが担当してくれた部分は、モデルチェンジをする前もした後も変わらずに残るところ、言うなら骨格を形成する超コアな部分。
それと、変更後そのモデルチェンジが上手くいったかどうかを確かめるテストがあるとするなら、そのテストに合格とわかる合格サインの部分といったところ。
はたからしたら、何のこっちゃ?の話でも、私当人からするとわかる。
むしろ私にしかわからないもの、その部分の影の功労者的、統括的な役割を果たしているのがイケメンという感じ。
多分私に見えているのは、現実のイケメンの方ではなく、イケメンの魂の役割みたいな部分なんだと思う。
2019/11/26
書き始めた当初はもっと色々書きたいことがあったけれども、何を書こうとしていたのか記憶がだいぶ薄れてきた。
1つだけ書こうとしてまだ書いてないことがあるから、それを付け足したい。
いつからか具体的には思い出せないけれど、多分10月以降ではなかったかと思うけれど、イケメンの役割はすでに終わっていて、私だけがいつまでも気持ちの上で執着しているだけかもしれない、そう思うところが出てきた。
例えば、イケメンが私の霊性開花のスイッチを押す係なら、それはもう終わって完了している。
一度入ったスイッチはもう元には戻らないし、私もこの能力は周りに役立てるためにもたらされてると今ではさすがに思うようになった。
自分の能力というか体質に対してもきちんと受け入れるようになって、そこはイケメンがいなくなった2年前の秋からは大きく進歩した。
ある程度の路線にはおかげさまで乗れるようになってきて、抵抗はだいぶ薄まってきた。
そこまでの状況になってみて、イケメンはもう役割を果たしたから、それは実を言えば2年前にすでに終えていて、だからこそ私の人生からはいなくなって、そしてそもそもイケメンからして私が人として付き合いたい人でもなんでもないから、もう全ては終わったこと…、そんな風に思うようになった。
それは仕方ない。
さすがに人の気持ちまでは変えられない。
本当に私が執着しているだけ、それが全てだろうと思う。
いつかは再会できるんじゃないかというのは、私にとって本当に大きな希望だった。
特に私は、自分の能力に対して懐疑的でもあれば、そんなのは無くてもいい、能力とさえ思えなかったり、そんなものはオーダーした覚えはないなど、もういくらでも否定的で受け入れようと最初はしなかった。
だけど途中からは受け入れることを始めたし、そしてそれが再会に一歩また一歩と繋がるんじゃないかと大真面目に真剣に本気で私は信じた。
今の地点にまで着いて、とりあえず周りから必要とされる時はその能力を使って動いていこうと心に決めているし、実際にそのようにはしている。
イケメンと再会できなくても、それは今後もずっと続ける気でいる。
私側の心構え的なものも、ある程度のレベルにまで引き上がってきた。
ここまで来たら、ますますイケメンの役割は終わった感があって、これまでは再会を夢見て頑張っていたものが、今は再会がなくても頑張るに切り替わったから、そういう側面でイケメンが特別な意味を果たさなくてもよくなった。
同時に、役割もないとなれば、何のメリットもない私と会うなんて、イケメンからしたら不要無用もいいところで、その事実を私が本当に受け入れ始めたんだと思う。
ブログは何か別の意味で読んでるだけで、私が好きなブログを読むのや気になる情報を集めるのと似てるんだろうなぁと思った。
ブログを読んでその人と会いたいとならないのと一緒だと思う。
そして、イケメンは私を無視するという一貫した態度はずっと同じなわけで、こんな状態で再会を本気で信じられた私のメンタルの方がある意味すごいわけで、願っていたらいつかは叶うとは思わなくなった。
魂の関係がどうであれ、それだからと言って再会できるわけじゃない。
そういう事実を淡々と整理し始めた。
今でも私はイケメンにめちゃくちゃ感謝しているし、出逢えて本気で良かったと思っている。
冗談抜きで、本来なら一番星周りがキツい時に、イケメンは私の人生に登場して、生きることの喜びをもたらしてくれた。
今でもイケメンがいたあの時間は、それまでの超苦しい人生をがんばってくぐり抜けてきたから、人生のご褒美としてもたらされたものだと思っている。
色んな人たちが人生に立ち現れるけれど、必ずしも繋がりが強いからと言って、一緒に生きるとか近くにいるということにはならないんだと思う。
イケメンにはイケメンの役割があって、それがもう終わったとするならイケメンは私と何ら関わる必要はないわけで、このまま何事もなく二度と人生で交わらなくても、それが元々の計画だとするなら仕方ない。
嘘でも幻想でもいいから、再会できるかもしれないと小さくでも強く希望を持てたことが私には必要だった。
自分の身に起こってくるあれこれは欲しいものとは言い難く、だけど必要が生じれば動くみたいな感じの、心は常にやさぐれまくりな時に、目の前のことには正直心惹かれなくても、もしこうしたことを1つ1つクリアした先には再会できるかも…と思えるだけで、本当にそれだけで私は頑張れた。
生きる源みたいなもので、嘘でも幻想でもそれを1つ心に持っていることは、心のお守りみたいなものだった。
自分の能力に気付いてそろそろ2年になろうとしている今、それは使うものだという認識が自分の中に出てきて受け入れるようになった。
イケメン関係なく、そこに向き合えるようになった。
実は2年前の秋にイケメンの役割はすべて終わったのかもしれない。
なんだけど、私のグダグダ加減と先延ばしと自分の道から目を逸らそうとすることと、そうした諸々が色々こじらせて、それで神々の審議会からイケメンを匂わすシンクロを色々起こして、私のただでさえないモチベーションを何とか少しでも生み出せるように維持継続されてただけなのかもしれない。
相変わらずシンクロは途切れることなく続いているけれど、あまりに出来過ぎだからたまたまとは思わないけれど、それも何か別の意図(神々の審議会の)があって起こっているのであって、私の再会希望などというところを叶えてくれるのとは違うと思う。
色々釈然とはしないけれども、自分の人生の色合いがそもそも理路整然からは程遠い、常に斜め45度から色んなものが投げ込まれるみたいな人生だから、イケメン関連のことも私は釈然としなくても、神々の審議会からしたら「はい!これでOK!」となってるのかもしれない。
「神々の審議会」という言葉、何かと便利(笑)。
説明のつかない色んなことたちは、すべて私は「神々の審議会」案件だと思っている。
人間が計画してできることじゃないものは、すべて「神々の審議会」の仕業と思っている(「仕業」って…( ̄∀ ̄;))。
2019/12/01
あまりに慌ただしく過ぎて気付いたら師走になっていた。
新しい職場に行くこともだし、11月は色々とバタバタしていた。
この文章を書き始めた11月の下旬あたりから思っていたことがある。
イケメンは本当に役割を終えたのかもしれない、ということ。
2018年の4月に始まったニート生活。
「ニートになろう!」と思ってなったのではなくて、ズルズルと何もしないことを大半は無意識に時々は意識的に選び続けた結果がニートだった。
たしかに外で働くことを含め何も役割を持たない時間ではあったけれど、中身はめちゃくちゃ濃密だった。
社会から自分を切り離して自分の内側にこもることが多くても、時々は外に出て働いた。
又はペンジュラムを使って行方不明の人を探して欲しいとかそういう頼まれごとをやっていた。
外に久しぶりに出る時は、いつも緊張した。
内容いかんによっては、緊張どころか一生の覚悟を問われるようなこともごくたまにあった。
とにかく日常にはない何かを体験する時、それは一時的な仕事でもプライベートでも、そこにはいつもイケメンにまつわる何かサインがあった。
そのサインたちはいつも不意に訪れては私を「大丈夫」と落ち着かせてくれ、心を和ませてくれ、緊張を和らげてくれた。
そのサインとイケメンにどのくらいの関連度があるのかは知らない。
もしかしたら、本当に意味なんて何もなくて、単に私の強い意識がそうしたサインに気付きやすくなっているだけかもしれない。
でもそれでもいいから、そのサインたちは私に絶大な安心感と心和むパワーをいつもくれてる。
8月の終わりから9月にかけて行った米の仕事の初日の帰り道、このブログを2年前の秋に再開するきっかけになった、イケメンと同じ名前の入った美味しい洋菓子屋さんの車とすれ違った。
世界に1台しかないその車とすれ違って、幸先大丈夫とすぐに信じることができた。
米の仕事の長は、イケメンと同じ漢字が名前の中に入っていた。
それだけでこの職場は大丈夫だろうなぁと思ったら、素晴らしい体験をたくさんさせてもらえた。
明日から行くところは不安の方が強いけれども、もしかしたらもうイケメンサインは現れないかもしれない…、最近はそんな風に思うことが増えてきた。
いつかはそうしたサインが消えてなくなる日が来そう…、そんな不安が最近は時々よぎる。
私が何の印象にも残らなかったとは思わなくても、私とどこかでもう一度人生が交差しなくても相手は困らない。
困らないし、記憶からも消える。
私の存在は、今日も生きていても「無い」も同然なんだろうと思っている。
そして、ある程度自分の中の人生への覚悟が決まりつつある今、もうイケメンのサインは私の前に現れないかもしれないなぁ…とそちらも覚悟を少しずつし始めた。
しっぽりとした気持ちで、自分の中にある純粋な部分にだけ目を向けて文を書けるのは、しばらくは今日が最後かもしれない。
だから明日からの超社会人生活に入る前にこれだけはアップしてしまいたかった。
どの程度自分の中から余裕がなくなるのか想像できないけれど、余裕がなくなった時に、今みたいに真っ直ぐ書けるかわからない。
イケメンにまつわる話を紡ぐ時は、いつも純度高い自分でありたい。
イケメンの話は、自分の中の最も深いところに潜る。
そういうところから響き渡る。
イケメンの存在は近くにいた時と何も変わっていない。
むしろ、いなくなってからの方が、もっと存在感を強めたかもしれない。
もう二度と会えなくても、私の中では小さな希望をずっと強く持ち続けられるくらいの威力を持つ人だった。
それは今も現在進行形でも、どこかでもう生涯叶わないことなんだろうというあきらめの気持ちもある。
希望に託す想いと同じくらいの大きさで絶望している。
そういう存在なんだと思う。
究極の喜びの後には、それよりも大きな絶望がやってきた。
勝手には終わらないから、流れに身を任せているけれども、本当は切望している。
もう一度会わせてください、って願っているし祈っている。
霊性開花でもなんでもがんばるから、本当に願いを叶えてください、たった1つの願いを叶えてください、いつもそれは思っている。
ずっと延び延びになっている、私のファースト本(←誇張気味( ̄∀ ̄;))のあるページの言葉の原文ままを紹介したい。
占星術講座のクラスメイトのノムに誘ってもらって、ノムと私とは40数日分のメッセージをある手帳に書くことになった。
その中の1つの言葉。
日にちを見ただけで何の日で何があったかを思い出せる。
そのメッセージは、私は他の誰でもない自分自身に贈った。
日にちは出版社の人から指定されたものを2人で手分けした。
私にこの日が来た時、私はこの日だけは自分のためだけに書こうと思った。
イケメンと交わしたとも言えない、とある日の朝の風景が頭に浮かぶ。
頭よりも心かもしれない。
心の情景を生涯大切にしたい。
そしてどんなに思い通りでなくても、その時のことを一生憶えておきたい、そして死ぬ時にはその時イケメンがいた風景や自分の気持ちを少しでも思い出せたらいいなぁと思っている。
9月11日
忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。
忘れられないことがあるのなら、自分の人生の終わりを想像してみましょう。それはどんな形になっていることでしょう。忘れられないものの形が自由自在に変わっていくことを、もしくは変わらないことを、どちらにしても自分の心にフィットする形が見つかるように祈りましょう。そして、少なくとも今まで向き合い続けた自分を心よりねぎらいましょう。
登録:
投稿 (Atom)