2023年10月13日金曜日

夏の最後のお出かけ

途中で寄った野菜直売所で見つけたカエル
今見ると夏っぽいなと思う
2023/8/26

お昼に食べたラーメン
20代の頃からずっと気になっていたラーメン屋
今もずっと営業しているくらい、
すごくおいしかった!

見に行った展示

夏の美術館

絵画撮影OKだった٩(ˊᗜˋ*)و

同じ風景をたくさん描く人で
心にある孤独とかをすごく持っていて
それらを感じさせる絵たちでとても惹きこまれた

美術館を出てわりとすぐのところにある
ジェラート屋さん
すごくおいしくてここもいつも激混みなの納得

帰りの夕日

これはまた別の日の仕事帰り
農道をわざと通って帰った
夏っぽい風景だなと思ってパチリ


2023/8/30

夏の最後のおでかけ


今週末が8月最後、季節「夏」の最後の週末になるとわかって、体力と天気がOKなら用事も兼ねて少し遠出をしようと思い立った。


朝から夏らしく青空が広がって、布の整理やら突然エンジンがかかってメルカリで一体いくらこの1ヶ月ほど使ったのか具体的にノートに書き出したりした後、ゆっくりごはんを食べて身支度をいつもより時間かけてそれから出かけた。


おおよそ予定通りに動いたのとあとはプラスアルファの行き当たりばったりな買い物をして帰ってきた。


2023/08/26()にやったこと


・セブンイレブンでアイスカフェラテ買ってからドライブ開始

・靴下屋(3人の人へのプレゼントやお礼)

・20代の頃から気になっていたラーメン屋さんでランチ

・孤独で寂しい風景画を描く外国人画家の展示を見に美術館

・ジェラート屋でおやつ(同じくずっと20代の頃から気になっていた店)

・ここ最近できたと思しき道の駅

・その近くのホームセンター

・その隣りのスーパー


とまぁ本当にてんこ盛りな予定を目一杯詰め込んだわけだけど、そしてそれだけで本当なら1つ長々とブログを書けるくらいに見どころ満載だったわけだけど、1日経ってみて一番印象に残っているのは最初の家の近所のセブンイレブンでのことだった。


全部書こうとすると、間違いなく平気でまた1ヶ月先とかになりそうだから、今回はそのセブンイレブンでのことだけを書こうと思う。


ちなみに、他の用事や食べ物は全部当たりで、食べ物もお店もまたリピートしたいなと思うくらい良かった。







普段なら私は家でアイスコーヒーと牛乳を混ぜてアイスカフェラテを作ってそれを小さな水筒に入れて持って行ってる。


これだけ書くとオシャレな感じだけど、アイスコーヒーはペットボトルのやつで特売の時にまとめ買いしたものだし、水筒に至っては蓋が一部壊れたものの普通に使えるからそのまま使い続けているすごい年季の入ったものになる。


普段仕事に行く時に毎日持って行っているから、「今日は特別感を出したいからセブンでコーヒーを買おう!それも100円のアイスコーヒーじゃなくてアイスカフェラテの方を!」と心に決めて、それでまずは歩くのと車で行くのと時間的に変わらなそうな家の近くのセブンイレブンに寄ってアイスカフェラテを買うことにした。


もう1つついでに63円切手を2枚買う用事があった。


母が集めた山崎パンの点数を応募ハガキに貼ってあとは出すだけになったものを持っていた。


今週から両親は妹のところに行ってパン屋の手伝いと家事手伝いと孫守りに行っているから、その台紙に貼って応募することを任された。


取るに足らないくだらないことばかりを書いているけれど、こういうことが重なったからこそ立ち寄ることになったセブンイレブンだった。


さらにはその数時間前に楽天マラソンで生地の買い物をしたけれど、うっかり間違えてセブンイレブン前払いにせずにカード払いで買ってしまって、だからカード払いゆえにセブンイレブンでの対応は不要になったけれど、これも不要だったことが正解なんだと思う。


もしここで前払いのひと手間があったのなら、その後の小さな重なりは起こることができなかったから。


レジを終えた私は、アイスカフェラテを作りにコーヒーマシーンのところに行った。


どちらが先かは覚えてないけれど、隣り合う機械の右側を私が、左側を同年代風な男の人が使った。


なんとなく狭くなるからお互いに使い勝手が良いとは言えず、早々と退散してしまいたい、そんな気持ちになる小さな空間だった。


その後、店舗外のすみにある小さなポストに例の懸賞ハガキを出そうと向かった。


ちょうど郵便物回収の郵便局の方がいて「ありがとうございます」と言われて気分が良く、私も「ありがとうございます、よろしくお願いします」と返して、ポストを見ると1日1回の回収しかしないようで、そんな激レアなタイミングでかち合ったポストに出せて、それにあやかって懸賞も当たるといいなぁなんて考えた。


気分良く出し終えてくるりと向きを変えて自分の車に戻ろうとすると、先ほどのコーヒーマシーンのところで隣り合わせた男の人が今度はタバコを吸うために来ていて、これまた私が若干邪魔な位置に立っているような感じだったから、一応頭を小さく下げてからその場を立ち去った。







コンビニでの出来事はそれでおしまいで、その後の美術館やラーメン、ジェラートなんかの方がよほど内容的には充実している。


もしくはホームセンターでIKEAで買ってきた収納バスケットに酷似した収納バスケットが特売で出ていて、それは職場近くの同列店で見つけた時も買う買わないで迷ったけれど最後はやめて(ちょっと気になるところがあった)、でもたった1日変わって別の店舗になったら4割引な値段になっていて、その値段且つ底面のなぜあるのかよくわからない段差も無地の生地たちをしまうためなら問題ないと判断して色違いで2つ買ってきたとか。


職場近くのところは腕時計の電池交換を出しに行ってきて、だからたまたま2日連続でホームセンターを見ることになった。


とかまぁなかなか良きこともあったけれども、それよりもセブンイレブンでの1分、2分の出来事の方が私にはインパクトが強かった。


セブンで例の同世代の男の人と2回もかち合った時にふと思った。


ものすごいタイミングでそれぞれ小さな空間で隣り合ったりかち合ったりしたけれど、私がその人の名前だとか職場がどこだとか何の食べ物が好きとかどんな人間関係を持っているかとかそういうものは一切知らないしこれから先も知ることもないんだなと思った。


興味がある人じゃないからどうでもいいけれども、こんなにタイミングがバッチリと合って隣り合わせても相手のことは何も知らないって、当たり前だけれどその当たり前に改めて納得してさらには「知ってる」ってすごいなと思った。


お互いに名前を知ってるとか顔を見たら誰さんとわかるとか、そういうのって全然普通じゃなくてとても特別なことなんだとセブンイレブンの店舗から暑い外に出て思った。


例えばこんな風にコンビニで隣り合わせても知らない人の方が圧倒的多数になる。


今の職場の100人はいるフロアの中でも知っている人よりも知らない人の方が多いし、顔や名前を知っているだけで話したことない人もたくさんいる。


私は仕事でどうしても関わらないといけないから都度都度担当になった人の元へ行って話したりするけれど、私より長く働いている人たちから「◯◯さん(私がその時関わる人)、関わったことないから知らない」というのはよく言われる。


そんなこんなを思いながらまたさらに違うことを思った。







誰かと新しく出会う時、「この人とは長い付き合いになりそう」というのは私の場合過去に一度も思ったことがない。


2023/10/10


ここからは10月に書いている。


冒頭に予感した通り、すぐにアップできず、なんなら1ヶ月以上放置したら季節はもう秋もけっこう深まって寒くなってる。(꒪ꇴ꒪)


夏のお出かけもこの後に書こうとしたことも、あの日のセブンイレブンでのこともとてもよく覚えている。


もう外は一気に夏の気配が消えたし、気付けば10月で日常やこれからやってくる非日常な予定の中に生きているし、ある意味普段通りな感じではあるけれど、あの時のセブンイレブンのことは今でもとても印象に残っているし、上の「誰かと〜思ったことがない」で書き始めた文章の続きもその通りではなくても何を続きに書こうとしていたのかも覚えている。


時計の針が進んでしまったけれども、残りの部分を書き進めたい。







誰かと新しく出会う時、「この人とは長い付き合いになりそう」というのは私の場合過去に一度も思ったことがない、というのはイケメン上司の時もそうだった。


出会ったかどうかということを深く掘り下げてしまうと話が進まないから、セブンイレブンでの人と比べて「お互いに名前を知っている」「顔を見たら誰さんかわかる」というところはクリアしているから、なんなら「ブログを知られている」なんていう超パーソナルなところまで知られているから( ̄∀ ̄;)、物理的に「出会った」もしくは「知り合った」というのは間違いじゃない。


(こういう言い訳を私はいつになったらしなくなるんだろうとしょっちゅう思う)


潜在意識はさておき自分の頭にのぼってきて自分でも感知できる顕在意識の方は、イケメン上司に初めて会った瞬間、「この人は職場の人」くらいな認識、もしくは「イケメンがいた」という仕事に関係ない認識くらいしかなくて、まさかこんな風に長く繋がっていくだなんて想定外の中でも最高潮の想定外だった。


イケメン上司側は「本当に『武士俣』なんだ」くらいでしかなかったかもだけど、私側も私側でそこに何か未来を予感させるものとか、まさかその人についてブログ書いてその書かれた本人がそれを読むなんていうすごい不思議な関係に発展するだなんて、当時の私が想像できるわけもなく、本当に普通の派遣での初日くらいでしかなかった。


便宜上「長い付き合い」とこの場では言うけれど(本当にこの言葉に当てはまらない現状を一言で表せる言葉があるなら是非とも知りたい)、そういう未来は1ミリも想像していなかった。


ましてや職場だったわけで、ますますその流れは想像なんてできるはずもなかった。


職場の人とごはんや飲みに行く関係になる人たちはいるけれども、それは社会的な人間関係の延長なところがあるし、「仕事」の枠がなくなるとそのまま関係も消滅するのが常だから繋がる人というのは老若男女問わずほぼほぼいない。


だからイケメン上司と私とが何か繋がれるとは1ミリも思わなかったし、ましてや相手はイケメンなわけで、そして後にイケメン上司は当時の職場の長だと知るわけで、私はそことは別会社に所属しているところに派遣された派遣で基本的に仕事の絡みはゼロで、物理的に繋がる要素は皆無だった。


イケメン上司は指輪こそしてなかったけれども、彼女がいても何ら不思議ではなかったし、指輪をしていないだけで実は奥さんがいても「そうなんだ」と普通に思うそんな感じだったから、まさか自分がこんな超個人的な何かを共有することになるだなんて全く思わなかった。


これはイケメン上司のことを言っているわけじゃないけれど、私が30歳の時から何度かお世話になっている占いのおばちゃん(御年90歳くらい)に異性関係のことでほぼ毎回言われること、特に前回は念に念を押されて言われたこととして「あなたを好きになる人、あなたと一緒になる人は、あなたの顔とか容姿じゃなくてあなたの性格とか心意気がすごく好きな人よ」というのがあったけれど、いや真面目に顔や容姿で勝負できるような私じゃないからイケメン上司に限らず相手が誰であっても私の外見的なところじゃなくて内面的なところが良いと思わない限り一緒になどいられないだろうと思う。


イケメン上司は私をそういう対象で見ているのとは違うけれど、武士俣という苗字にこそ何かしら強く印象なのかインパクトなのかは受けても私の外見どころか内面的なことなんか当時置き物のように喋らなかった私に何かを感じるのは無理だっただろうと思う。


さらに言えば、ごはんに誘われたり謎の長い手紙を押し付けられたりしなければブログも見なかったかもしれないなと思う。


私には有利な状況とか条件なんか何もなかったから、百害あって一利なしな感じはあっても自分にとってプラスな何かをもたらす人では到底なかっただろうと思う。


とにもかくにも、最初に出会った日に「この人とは何かしら繋がっていくだろう」なんて私でさえ思わなかったわけでイケメン上司はもっとそんな未来を想像できなかったんじゃないかと思う。


そしてそんな状況は絶対的にないけれど、もし誰かにこの言葉で表せない謎のブログ繋がりの私のことや私との人間関係をイケメン上司が説明する時があるとするなら何て説明するんだろう?と思う。


普通な人間関係にないこともわかったけれども、特別な感情というのも抱かない相手が私に対するものだろうという理解というか納得も時間を追うごとに増してきた。


そんな人のこと説明なんてできないだろうし今後も誰かに説明する機会なんてないだろうから全くもって無用な想像だけれども、私にだけそっと何か説明してくれないかなと思う()


好きな人的な立ち位置に私がなれてたら今頃とっくに何かしらの関係性がスタートしていてなんなら関係が終わっていた可能性だってあったと思うけれども、そういう立ち位置にいないわ、なんだか不思議な感じだわで、イケメン上司も言葉にできないのにプラスして関係もどうにもできなかったのかもしれない。


(ここからは次の日10/1113の朝、夜明け前)


関係をどうにもできなかったことはちょっと脇に置いて、人と人とが本当の意味で出会う、出会えるなんていうのは、ミクロンの確率の中で起こる。


「奇跡」だとも思うし、偶然のようで必然だとも思う。


イケメン上司のことは全然知り得る機会に恵まれず今の今に至るけれど、唯一この6年の中で知り得たこととして、ずっとずっととりあえず私にとって良い解釈をすれば「気にかけてくれてた」と言える。


冷たい感じはしなかったけれども情に厚い感じも当時の第一印象としてはなかったし、人間関係は相当に厳選してそうなイメージは当時からあったけれど、厳選というのも自分の好き嫌いということや損得とかではなくて、言うなれば自分が心を開ける人とそうでない人というラインの中で他の人よりも「心を開く」レベルが相当に限られている感じと言えばいいだろうか、誰でも彼でもウェルカムみたいな人では絶対にないのは話さなくてもなんとなくの雰囲気や空気で伝わるというか。


そんな印象だったからこそ、私に開く印象など皆無だったし、色んな意味で危険人物認定されてたようにも感じるし(それは今も)、そんな風に感じていたからこそたとえブログという実在していても距離のあるものを何だかんだと見続けてもらえるだなんて想定外のことだった。


そしてそれは「望外の喜び」という言葉がピッタリな喜びでもあった。


こういう人間関係の中でしか生まれない化学反応みたいなものは、起こそうと思って起こせるものじゃないし、ましてや相手の行動や心を自分側がコントロールできるなんてことは絶対にない。


イケメン上司の意図はわからなくても、少なくともイケメン上司側が何かしら意思を持ってブログのチェックをしてくれてたわけで、それは私がどうこうできることじゃない。


イケメン上司自ら選んだ行動だというのがとても嬉しい。


「出会い」とさえ呼べないようなこの在り方でも、時間をかけられた分の積み重ねられたものが今は存在しているということが本当に嬉しい。


私のこのなんだかよくわからない独り言ブログに何かしら興味を持ってもらえたのはとても良かったし、正直面白くもなければ支離滅裂状態だけれど、それでも気にかけてもらえてとても嬉しい。


あの夏の最後の週末にセブンイレブンで二度もかち合った男性のことは、顔も覚えてないし、まとってた空気も忘れたし、もしまたもう一度知り合っても「あの時の方ですね」とは絶対にならない。


どんなにタイミングが合っても互いを知り合うことなく終わった。


でもイケメン上司は違う。


色々とあべこべなんだけれど、知り合えた人、出会えた人で、何にもシェアできていなくてもれっきとした「知っている人」で、それも双方向に知っているということが実現できた出会いになってくれた。


イケメン上司からすると、私じゃちょっとどころか色々と踏み込みたい相手ではないんだろうけれど、それでも知り合えたことはすごいことだと今でもずっとずっと思っているし、そしてこれは逆に年数を重ねれば重ねるほどもっとすごいと思うようになった。


知り合わせていただき誠に有難うございます、と正座して手を前に揃えて置いて頭を地に付けるくらい下げてお礼を申し上げたいくらい。


とまぁそんなこんなを思った夏の終わりの週末の話を秋の半ばの今頃書き終える、というますますマイペース絶好調!なこのブログ…( ̄∀ ̄;)

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