2023年2月9日木曜日

物欲ラッシュ

立春の前にお出迎えしたオラクルカード

同じく立春の前にお出迎えした水晶
なんとお顔を持ってる風でそこが何とも言えず
かわいい(o´艸`)

オラクルカードの開封式
2023/02/04 立春

話の中に出てくる、
ガイドブックのないカードたち

次の日も気に入ってカードを使った

ストーンサークルのようにしているのは
一点ものの手作りビーズ
単にビーズを眺めたくて置いただけで
スピリチュアルやオカルト的な意味はない

ちょうど出たカードのデザインと水晶の顔とが
そっくり、瓜二つ(笑)

どハマり中のリバティの本の1冊
表紙の一部が破けていた

それをリバティの布シールで補強
中身よりシールを貼った表紙を眺めてうっとり
(♡´艸`)♡




物欲が止まらない。

だけど、いただきものは大切に使いたい。


ということで、新たにオラクルカードを迎えることになった。


数日前、町内会経由で町内会業務の御礼ということで市の商品券1000円分をいただいて、それは父と母から私にどうぞということで私がもらえることになった。


よその市は知らないけれど、ここでは特定の店舗でしか使えないようになっていて、使える店一覧を隅々まで確認したところ、大型の書店でも使えるとわかった。


それを見て「オラクルカードを買おう」と決めた。


その商品券とは別に、母が去年せっせと応募したプレゼント企画の1つが当たって、そちらは1000円分のギフトカードだった。


それはどこでも使える金券なのに母は私に譲ってくれた。


その大型書店だとギフトカードも使えることは知っている。


そこで「オラクルカードを買おう!」となった。


どちらもスーパーイレギュラー、なんなら生涯を通じて最初で最後の2枚の異なった商品券がほぼ同時期にやってくるというレアな感じだから一生使える何かにしたいと思った。


私の中の変なこだわりで、お祝いのお返しとか何か特別にイレギュラーで入ってきた商品券は基本的に長く使えるものや生涯使えるものに替えている。


今思い出せるだけでも、占星術の5000円くらいした本、ドライヤー、高級な靴的なスリッポン(名古屋にいた間履き倒した)、別のオラクルカードとそんな風にそれぞれ思い出やストーリーがその後も続くものに替えてきた。


本だと読まない可能性があるけれど、オラクルカードなら必ず使うだろうと思ってそのように決まった。







2月1日、2月最初の水曜日は残業せずに済んでさっさと帰ろうと思った。


ふと、2日に来るという次なる寒波のことを思い浮かべた時に「今日これからオラクルカードを買いに行こう!」と決めて、家に帰るための方向に向かっていたけれど、大きな交差点で道を変えて家とは反対方向にある大型書店に向かった。


大型書店側はとにかく雪が降ると道がものすごく悪くなるのと、それこそ12月の記録的な大雪の時に国道の立ち往生が発生したところでもあるから、雪がこの後多く見込まれるならまたしばらく買い物にもわざわざ行く必要がないから、それなら道の状態が良い今日の方が良いと思って、それで急遽買物に出ることにした。


ここ数ヶ月の間でその書店は店舗を近くの空き店舗に移転していて、移転後に今回初めて立ち寄った。


オラクルカード置き場がわからなくてウロウロしたけれど、今度の店舗ではオラクルカード専用のラックが置かれていてそこに見本のカードだけが置かれていて見れるようになっていた。


数えたら全部で30種類あった。


すごい余談だけれど、そこの書店はそもそも「書店」だからメジャーなオラクルカードを取り扱っているのと、メジャーなだけに私が心惹かれるカードがあるかないかは微妙なところだというのは行く前からわかっていた。


オラクルカード専門店ではないし、片田舎の品揃えとしては素晴らしいと思うけれども、好みのカードがあるかないかはかなりな賭けだなと思って足を運んだ。


実際にカードたちを見て、中には私が持っているものもあったし、おおよそ知らないカードはないくらいにメジャーなところが揃えられていた。


中身を見てみたかったものもあって実際に手に取って見たけれど、ピンとくるものがなかったのと「ピンとこない」とわかって良かったなと感想としては少しピントが違う気もするけれどもそんなことを思いつつ1つ、また1つと手に取って箱を開けて見てみた。


最後2つ気になるものがあって、どちらも「とっても惹かれてる」かと言えばそんなことはなく、でもその中でどれかと言われたらその2つのどちらかだなと思った。


東京に行った時にノムやノムが最近親しくしている人が使っていた魅力的なカードもあったけれども、どちらも「買おう!」とはならなくてラックに戻した。


木のベンチが本を読む用に置かれていて、そこに腰をかけて箱を開けてみた。


1つはけっこう気になったけれども、絵もそしてガイドブックもどう見ても自分が使いこなすことは無理だと思ってやめた。


絵はわかりやすいものもあったけれども、絵と言葉の繋がりがさっぱりわからなかったのと(絵と言葉がちぐはぐなカードは珍しい)、じゃあガイドブックを見たらわかるのかと言えばこれがまた過去最高に超短文での説明しかなくて、私はそのカードを使って何かを読み解くのは多分無理だと思った。


ヒントが無さすぎるというか。


おかしな話だけれど、絵だとか言葉だとかから不思議なほどあれこれヒントやメッセージが来るしその感覚がわかるだけに、絵も言葉もピンと来てないということは私に合わないということだろうと思った。


となると、残るは1つ。


たしかに第一印象でラック全体を見た時に「これだな!」という直感みたいなのはあった。


たくさん人がいる中で「あの人カッコいい、かわいい」とか、たくさんあるメニューの中で「今日はこの気分かも」となるメニューだとか、そのくらいの感覚で「これだな!」で、決して「絶対にこれがいい!」という強い感触ではなかった。


ガイドブックはそこそこ良い感じがした。


絵はカードがセロファンで留められていて見れなくて、代わりにネットで探してみるもののたくさんはなくて、絵は好きになれるかどうかかなり不安があった。


しかも今回は動物がメインでモチーフになっていて、動物の知識もない私でいけるのかそれも大きな懸念事項だった。


でもこれしか買おうという気持ちになるものはないし、じゃあピンと来るものが発売されるのを待つとか他の何かを買うとかも考えられなくて、なんとなくこれなのかなと思ってガイドブックを読み進めた。


読んでいくうちに作者の意図や考え方がけっこう好きだなと感じられて「これでいいのかな」と思い始めて、もう一度ラックに戻って1つ1つ見渡した後ペンジュラムを出してそのカードかどうかを聞いてYESを取って、もう一度ベンチに戻ってガイドブックを読み始めた。


突然暗くなった。


うんっ!?


最初すぐに「停電」だとは思わなくて、いや、でもこれって停電だよね?と思い始めるのが先か店員さんがザワザワするのが先かで本当に停電だとわかった。


私は携帯を開いていたから携帯の画面の明かりがあって、そして入口側を見て外を見るとどうやらこの店舗のみが停電している風だとわかった。


店員さんが1人1人のお客さんにもう少しで電気が復旧しますからそのままで少しお待ちくださいと謝りながら説明に回っていて、私のところにも女性の落ち着いたトーンの声の店員さんが同じ説明をしてくれた。


停電の店内にいて、ドミニカでスーパーにいた時に停電になった時のことを思い出した。


毎日数時間単位で停電していたから電気がないのもずいぶんと慣れたけれど、最初にスーパーにいた時にそれを経験した時はさすがに驚いて、さらにはその暗い中でドミニカ人たちは実に慣れた手つきで買物を続けていてそちらの方がさらに驚いた。


ちなみにスーパーは少しでも万引きできそうな大きさの荷物を持って中に入ることは許されなかったから(入る前に荷物預かり所みたいな日本で言う守衛室的な大きさのところがあってそこに預ける)、停電中に万引きを働く人は基本皆無だった。


そんなことを思い出しつつ、停電を体験したカードだなんて思い出に強く残りそうだから、これは買いなさいのサインだろうか?と考えたりしているうちに電気は復活した。


少しだけガイドブックの続きを読んだ後もう一度ラックのところに戻って、他にもっと惹かれるカードがないかの確認とペンジュラムを使っての本当に買うかの確認をして、やっぱりそれだとわかってレジに持って行った。


そんな風にして突如やってきたカードだった。







カードを開封する前に思ったことを書き残しておきたい。


正直な気持ち、私はカードが好きになれるかどうかを心配して少し不安にもなっていた。


動物のカードというのも、自分には馴染みがなく、そもそも動物全般が苦手だからより一層大丈夫かな?と思った。


唯一動物のデザインで欲しいカードというのが何年も前からあって、もしそのカードが大型書店に置かれていたのなら私はそれを買っただろうなと思った。

(ちなみにそのカードは、今実際に今回のものを開けた後の気持ちとしてお出迎えしないと思う。)


ガイドブックを見た時も、メッセージはいいけれど何にとかどんな風に使うとかいうのがいまいち思い付かなくて、私のことだから色々アレンジを加えるだろうとしてもそれもやっぱり不安要素としてあった。


その時に思ったのは、その時その時のテーマとなる自分の内面的な性質に対するメッセージをもらうのかなという風に思った。(心を開くとか自分を最優先にするとか、そういう類いのこと)


ペンジュラムに「私ってこのカードのこととても好きになる?」と聞いたら、ものすごく勢いよくぐるんぐるんと回ってYESが出ていたけれど、私はそれを見ても半信半疑で「本当に!?」と相変わらずペンジュラムに対して若干失礼なことを心の中で返していたくらいだった。


ただそういう自分の不安な気持ちとは別に、異なる商品券2枚が同時に使えることを前提として生涯使えるものを買いたい!という条件がなければ絶対に買うことのなかった、なんなら手にすることさえもなかったカードだったわけで、そのある種の強制力や条件付きの状況下でしか手にすることのないもの、すなわち私の思考や個人的な感情なんかをすっ飛ばしても私の元へ来る必要があったカードなのではないかというのも思った。


自分じゃ絶対に選ばないタイプのカードだから、これはここまでの強制力を持ってまで手にする必要があったのかななんて思った。(オカルトグッズたちは、自分が欲しいものを基本は購入しているけれど、時々自分の選択肢から逸れたものが来る、ある種独特の強制力が働く時もあって、今回のカードは強制力の働き方が強かったなと個人的感想。

関係ないけれど、私のファーストオラクルカードは名古屋でお世話になった方から譲り受けたもので、その時までオラクルカードを自分が持つことになるなんて思っていなかったし、その少し前まで、少なくとも30歳くらいまでオラクルカードなるものがこの世にあることさえ知らなかった。そしてそれから数年後、10数年後に自分でオラクルカード買うなんてもっと考えてもいない人生の選択肢だった。)


「オラクルカードがそのような流れでやってくるって面白いね〜。

とても有意義な金券?の使い方だと思った!

本は手放すかもしれないけど、オラクルカードって間違っても燃えるゴミとか資源ごみに出さないもんね。笑

手放すとしたら、次の人に贈るという感じかな、と思うとき、それはもうやっぱり一生物なのかもと思った。」


友人ノムにオラクルカードを商品券使って出迎えたということを連絡したら(本当の用事は別件でちょうど買ったタイミングだから言った)、上の言葉が返ってきた。


ノムの言葉に感動しながら、本当そうだね、オラクルカードは絶対に手放さないしゴミに出したりとかしないから、一生モノだなと思った。







週末を迎えてようやく開封式を行った。


初めてカードたちとご対面して、カードの絵柄を見ただけですぐ好きになった。


そしてカードを出迎える時いつも最初にやるカードインタビューをしてますます好きになった。


心配が一瞬で吹き飛んだだけじゃなくて、カードそのものに込められているエネルギーやメッセージがすごく良くて、色々使えるのは間違いないけれどそれ以上にすごく良いメッセージやヒントが来るとわかって、このカードが私のところに来てくれて本当に良かったなと思った。


私との相性が良いとか私が使いこなせるとかいうんじゃなくて、カードそのものが本当に良いから私が合わせる必要もないし使いこなせるかどうか心配する必要がないくらいにとても良く作られているカードだった。


自分が思考したり頭で考えて選んだりしなくて本当に良かったなと思った。


頭で考えたら絶対に選ばないカードで、大型書店で見た時はカードのデザインもパッキングされて見れなくて、さらには唯一見れる最初のカードがバッファローでそれもなんだかイマイチだったから買いたい衝動にはならなかった。


リアルバッファローを国立公園で群れで何回か見たことがあって(大学時代)、あまりにもたくさんの群れとすれ違ってバッファローのありがたみもあまりなく、だから余計とそんな風だったから5000円近くお金を出してまで買いたいとは絶対にならなかったと断言できる。


でも1枚1枚見ていくと、全部デザインが違っていて、バッファローも含めてそれぞれが素敵な絵柄で、しかも自分的にツボなデザインだとわかった。


とにかく来るべくして来てくれたカードなんだとわかった。







今回のカードを出迎えてみて1つ気付いたことがある。


今回のものを含め10月の東京で買ってきたOsho禅タロット、最近一目惚れして買ったSacred Destinyオラクルカード、そして今回のアニマル・キン・オラクルカードと3つ立て続けに日本語のガイドブックが充実しているものたちがやってきた。


カードの変遷で言うと、最初にオラクルカードを手にしたのは2012年だったと思う。


名古屋でとてもお世話になったSさんから「カードも断捨離しようと思って、好きなのを1つ良かったらもらって」と言われてもらったものが私の初代オラクルカードだった。


次にやってきたのがこれまたSさんからプレゼントされたルノルマンカードと呼ばれるカードだったか山で行方不明になったおじいちゃんをペンジュラムで探したお礼金で買ったオラクルカードだったのか記憶は曖昧だけど、そうなると2019年ということになる。


ルノルマン カードによって絵柄でメッセージを受け取ることを覚えた。


その後今度は占星術関係のカード2つはガイドブック無しのものを、それこそ本当にガチで占星術の知識と一言英語のメッセージから読み解くことを開拓しだした。


その後今度は1年位前の2022年前後でタロットカードに目が向いて、タロットこそ完全に絵柄やある程度決められた世界的な意味付けに基づいた読み解きをして、その辺りからますます自分の感覚でカードを読むことが鍛えられた。


そしてカードを読むだけじゃなくペンジュラムやペンジュラム用のボードを使ってメッセージをキャッチする、多分世の中で他には誰もしていなさそうなやり方でカードを選んでカードたちを組み合わせてさらにはカードからメッセージをキャッチする私独自のやり方がある程度確立されてから、立て続けに3つ日本語のガイドブックが充実したカードを出迎えることになった。


話が飛躍すると悪いからあまり深くは言及しないけれど、最近仕事でやっていることもこれまで誰もしていなかったけれど確実にやる必要があることが私のところに回ってきて、私も試行錯誤でやらざるを得なくて周りの超できる人たちから助けてもらいながら1つ新しいやり方を確立させて、なんならマニュアルまですでに作成して、今後それが新しい試みではなくて絶対的にやらないといけない業務として徹底されるだろうところにきた。


0から何か新しいやり方を自分で試行錯誤しながら生み出すというのは、私の生きる中でのテーマの1つなんだと思う。


カードはまだ私的な個人の趣味みたいなものでも、仕事は完全に社会的な公のもので、普通に考えて一派遣でしかない私が上場企業のとある業務の円滑化のために新しいやり方を確立させてマニュアル作ってこの後他の人たちが続いてやるなんて普通に考えておかしい。


ちなみに最初私のしていることは、はたから見ると掴みどころがなく余計な仕事を増やしているくらいの感覚で見られている風でもあったけれど(ちなみに勝手にやったのではなく周りからどのレベルのことをして欲しいか予め説明されてはいて、それに向かってやったこと)、現物を私が足した資料と一緒に部長に見せたら(見せて欲しいと言われた)、それはやらないとまずいことだと部長も速攻でわかって、部長の方からマニュアルを作って欲しいと私の方ですでに作った後につい最近言われた。


これだけ読むとすごいできる人みたいな話に盛りすぎてる感が半端ない( ̄∀ ̄;)


マニュアルを作ったのは周りの人たちのためでは一切なく、本来なら私がするような業務ではないのに社員の人たちがやろうともしなくて丸投げ状態であまりにも頭にきたから、それで誰でもできるようにするために、なんなら私が業務からフェイドアウトしても大丈夫なようにそれを見越して作っただけで、崇高な使命感に燃えてとかでは一切ない。


それはそうと、何かしら新しいやり方を作って自分がやりやすいようにすることは、私の場合自分の中にあるものや回路を引き出すには欠かせない1つのプロセスなんだろうと思っている。


そして新しいやり方を自分の中で確立させた後はもう何を使っても良いから、例えば日本語のガイドブックが充実したカードたちを持つこともOKになるんだと思う。


ガイドブックのない又はあっても英語のガイドブックしかないカードを手にしたことで、自分なりのやり方やカードの読み解き方を得ていった。


そしてタロットカードを手にしたことで英語圏でのタロットカードの使い方を知って、自分への癒しやメッセージの引き出し方を学んだ。


これは英語に苦手意識がない今だからこそできたことで、これがisdoesの区別もつかない頃なら到底無理な話だった。


しかも心理的な癒しの起こし方に元々興味が相当あって(自分癒しをしなきゃ人生が立ち行かないところまで来ていたから)、それに興味がありすぎるくらいにあったおかげで英語圏でのタロットカードの使い方は目から鱗で、日本のような占い的に使うよりも癒しや人生の指針、自分との付き合い方に重きを置いたタロットカードの使い方は私には魅力的に見えて仕方なかった。


そうした諸々を経てからやってきたのがここ3〜4ヶ月で手にしたカードたちで、日本語の説明が充実しているだけあってガイドブック見てメッセージを得るという、普通に当たり前のやり方に久しぶりに戻ってきて、でもそのやり方も他の色んなことと掛け合わせてするからさらに深いものに繋がっていてとても面白いなと思っている。







物欲ラッシュは今違うところに飛び火している。


今度は20年以上ぶりの布や手芸用品に目がいき、これらが良くも悪くもカードやそれに付随する本なんかに比べると格安で子どものワンコインお小遣いみたいな値段で買えたりするから、暴走しないように気をつけている(けれども物欲は止まらない)。


もうたくさんは要らないからこれにておしまいだと思う(思いたい)けれど、イギリス発祥の「リバティ」と呼ばれるデザインの布があってそれに今どハマりして、とうとうこの2日ほどで絶版のリバティの本を3冊メルカリで買ってしまった( ̄∀ ̄;)


3冊で送料込みで900円なら(正しくは400円と2冊で500円のものをそれぞれ別の出品者の人から買った)手出しちゃうよねー、などと謎の言い訳を自分にしながら本の到着を待っている。


ちなみにリバティの(物欲にブレーキをかけてくれる)良いところは、値段がとにかく高くてたくさんは買えないし、買う時ももう色々見て回って、まずは「欲しい」かどうかの確認、財布とのご相談、そうした諸々を経ないと買おうとはならないところ。


とにかくむやみやたらと何でもかんでも買わないように、本当に使い道とかを考えて最近はひたすらリバティ検索に励んでいる。


写真にあるように、とにかく自分の手で縫ったカード用のマットがえらく気に入って、そこから布を見たり小物を見たりしているうちに高級リバティ布から作られたシールをメルカリで見つけて買って、それ見てさらに物欲スイッチがオンになって今に至る。


ちなみに物が欲しいというよりも、リバティにせよ布にせよ私が見ているのは、それらを手にした時や目にした時の自分の中に湧き起こる高揚感とか平和で落ち着いた雰囲気の愉しみな気持ちとか、そういうものをかなり見ている。


世界的に片付けで有名なコンマリさんじゃないけれど、「ときめき」なるものを自分の中に持つことのすごさを物たちから得ている。


物たちから教えてもらっていると言ってもいい。


そんな風だから、しばらくはこの謎の物欲に付き合える範囲で付き合って、お財布が緩みすぎないように気をつけて、そして手にした物たちからまた色々なパワーをもらおうと思っている。

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