2022/07/17
『未公開・準備中・イケメン上司』と題したフォルダがiPhoneのメモの中にある。
今日7/17現在、1910個の色んなメモが入っていて、その多くはこのブログの下書きになっている。
『未公開』と銘打ったフォルダ各種は、基本的にブログにはアップしていない、まだ下書きの状態を示す。
で、『未公開・準備中・イケメン上司』の中の6個の記事のうち、2つほどけっこうガッツリと書いたものがある。
その2つを見直して、手入れはしないけれど(するとするなら、もしイケメン上司の名前がまんま入ってる覚書のための箇条書きがあればイケメン上司の名前を消す程度)、今回アップしようかと思った。
自分のこれからの身の振り方について今色々迷走しているから、そのことを書くことも考えたけれど、それは気分が全く乗らず書く手が進まないからやめた。
それは書かない可能性が高いけれど、1つだけ自分の中ではっきりとしたものが出てきたからそれだけは書き残そう。
「自分の在り方に対して、自分が納得できる形を選ぶ」
オカルト体質を今後どうするかと思っている最中だけれども、それを積極的に使いたいという気持ちはないけれど、使わずに死ぬとそれはものすごく後悔が生じるだろうから、それでその自分の持っているものを使うことを考えよう、それを使う在り方を模索しよう、今はそんな心情。
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2022/07/18
この下にある未公開のものは、もしかしたらどこかでアップしたかもしれない。
同じようなことを繰り返し書きすぎたから、実はもうアップしていて、アップしたフォルダに移し忘れただけかもしれない。
一応検索してみたら、どうやらアップはしてないみたいだけれど、単に上手く検索に引っかからなかっただけかもしれない。
アップしてない方の可能性を信じて今回アップしたいと思う。
きちんと数えていないけれど、iPhoneでブログの下書きを書くようになってから、少なくともこの数年で100以上の未公開分の下書きがある。
どれもこれも書き途中でやめてそのままになっているものたち。
他のテーマの書き途中のものはどうでもいいけれど、イケメン上司にまつわる下書きだけはアップしてしまいたいと思っている。
その理由はただ1つ。
イケメン上司に届けたいから。
私の自己満でしかないけれど、届くのなら何でもいい。
伝わらなくていい、理解されなくていい、でも形だけでも届けることを確実なものにしたい。
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この次の*より下が当時の下書き。
本当に下書きのままにしている。
本文と途中で「オマケ」としている間にかなりな空白があって(これでもそこはけっこう狭めた)、多分もっと書こうとしていたんだろうなと思うけれど、そこはあえて書き足さない。
その後にさらに2つほど「・」となって箇条書きされていて、それを多分本文として書こうとしていたんだと思う。
最後に「2021/11/13」の日付で短い文章があって、それはこの内容とは別に下書きに入っていたものだけど、おそらく合体させて書こうとしていたんだろうなと思う。
これはまだ短い方だけど、もうひとつの方がガッツリ書いていて長いから、もうこれはこのままブツ切れ状態でアップしようと決めた。
こういう感じで普段から書いている。
「これ書こう!」と思うと、とりあえずすぐには書けないと下の方に後から書き足せるように簡単な内容を箇条書きしておくし、なんなら順番が自分の中にあると、先に思いついた方を書くから、そうなると本来なら最後にくるものを先に書いて(今回なら「オマケ」の部分)、真ん中の本文を後から書くなんてしょっちゅうある。
ブログにアップする時はきれいにそこそこ整えているけれど、書き途中はまさに下のような感じになることが多い。
そんなこと公開して何になるのかわからないけれど、とりあえずそんなことより中身が大事だからこのままアップしようと思う。
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つい最近、とある人にメッセージをキャッチして、キャッチしたものを書いて送った。
その時は特には何も思ってはいなかったけれども、今頃になってはたと気付いたことがある。
「書きたい」衝動というのは、いつでもどこでも湧いてくるものではないということ。
むしろ、「書きたい」という意志で書く手紙やメールというのは、私の場合極端に少なくて、もっと言うと過去の自分の体験の中で「書きたい」と思って書いた手紙はとてつもなく数が少ないことに気付いた。
2021/12/19(日)
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もし、もう一度あの手紙を書けと言われたのなら、絶対に書けないとわかる。
あんな風に突き動かされて、ひたすら手を動かして言葉を出てくるがままに綴って、本当に我を忘れて目の前の紙にひたすら自分というものを落とし込んでいった、そんなことはもう二度とできない。
冒頭に「書きたいから書く」と書いたけれど、あの時は書きたいとか思う前に体が勝手に動いていた。
自分でも自分が何をしようとしているのかわからなかったくらいに、とにかく考える隙も与えないくらいに体が先に動いていた。
何を書くと言うんだろう?
自分は正気なんだろうか?
そんな事たちを思った記憶はあるけれども、全てはなるようになれ!と半分以上は投げやりな感じで始めた。
あの時は無我夢中だったからよくはわかってなかったけれども、あの時から4年以上が経って、時間が経てば経つほど当時のことがいつまでも深く自分の中に残ることに気付いた。
「記憶は感情で残る」
人づてにもらった書き起こしの文章の中にあった言葉。
言葉の通りで、当時の手紙を書いたことやその前後のことは、感情よりも感覚として強く残っている。
あんな感覚、人生の中で他に体験したことがないから、今となっては本当にその時というのがとても特異だとわかる。
今やらなきゃ後悔する、そんな風に思って動いたのでもない。
本当に何かとてつもなく強い力に急き立てられて、それで手紙を書いていた。
頭ではとてつもなく変な事をしている自覚はもちろんあった。
自分は正気じゃないどころか狂気の沙汰だと思った。
本気の嫌がらせとしか捉えてもらえなくても仕方ない、そんなぐらいにすごいというか酷いことかもしれない、そんなことをしていた。
なんだけれど、まるで動物みたいに、本能みたいな感じで考えるより感じたまま、ひたすら書き続けた。
最近のどこかのブログに書いたけれど、もし戦争がある時代に生きていたとするなら、戦地に赴くかもしくは戦地に赴く人を見送るかどちらかの立ち位置の人みたいな感覚に近いものがあるんじゃないかと思う。
戦地から書いて送る人は、もう自分が生きて帰れない、二度と会えないことを覚悟して書いたものだって絶対にあったと思うけれど、本当にそんな風だった。
もう二度と会えない、それを覚悟して書いた、今振り返るとそう思う。
オマケ:前回のオカルト日記4の写真の中には、実はタイトルだけじゃなくって本物のお守りも一緒に写り込んでいる(o´艸`)
右上の白い四角のものは、上手い具合にボケてくれたから、自分でも超拡大して見てみて何にも読めないとわかってそのままアップした。
だからタイトルの中に『お守り』と書いたけれど、実際には写真の中にもこっそり一緒に本物の世界で1つだけしかないお守りも写っていた。
・何にも繋がってない
と思うよりも、なんか繋がってるよね、と思ってる方が自分が安定する
・手紙は大切に保管されてる気がする
実は最初からそう思わなくもなかった。
だけどそうだと思うことがあまりにも怖かった。
2021/12/23
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2021/11/13
手紙だと届けられるのです
普段言えない心の内
(引用元失念)
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