うちの父母よりたぶん10歳くらい年下の家族ぐるみでの長いお付き合いの人がいる。
「シンさん」と母と私たち3姉妹は呼び、父は「シンちゃん」と呼ぶ。
いつだったか、シンさんの本当の名前を知った時、
なぜシンさんがシンさんなのか、皆目見当もつかない名前でびっくりした。
用事があって実家に電話をしたら、父が電話に出て、
「今シンちゃんと飲み交わしてる、ちょっと待ってくれ、シンちゃんに代わるから」
と言って、いつぶりかわからない位にシンさんの声を聞いた。
成人してからシンさんと話をすること、まして電話するなんて本当になくてびっくりしたけど、
電話の向こうでは、「ふみちゃん」と私を呼んでかまってくれていた時と同じ声をしていた。
もうあれから、30年近く経過してると思う。
さすがにふみちゃんとは呼ばれなくても、全然年をとらないシンさんの声を聞いて、
ほんの1分にも満たない会話だったけど、電話を切ってから、色んなことを思い出した。
私たち3姉妹をまるで姪っ子のようにかわいがってくれた人だった。
ふざけてシンさんのトイレを妹たちと覗いたこともある。
多分、当時専業主婦の母の外せない用事の時に、
わたしたちのおもりをしてくれたこともあったように記憶している。
シンさんとホットケーキを作った記憶もある。
シンさんの本名を知ったのは、いつかの年賀状だったと思う。
なんとシンさんは、私たち3姉妹にそれぞれ1枚ずつ年賀状を送ってくれたことがあった。
両親宛てとは別に、各自に1枚ずつ。
うらには、「シン」と書いてあって、でも表はちがう名前で、父か母に真相を尋ねたように思う。
たしかに、時代はまだ手書きが大半だったにしても、
血のつながりの全くない、先輩?の子ども3人に年賀状を送るだなんて、
今になって、それってとってもすごいことだと思う。
年々、年老いていく父と母。
その父に今もこうして時々会いに来てくれる、父を慕ってくれる年下の人がいるというのは、
なんとありがたいことかと思う。
母が仕事から戻ってくる時間を見計らって、
シンさんの家で採れた農作物やおいしい食べものを届けに来てくれることもしょっちゅうだ。
数年前、シンさんは地元では出世街道と言われる道を自らの意志で退いた。
その時も、決める前にも後にも父のところに顔を出して、相談なり報告なりしていた。
(わたしは、後から母に聞いた気がする)
人生の節目節目で、そういう関係を持てるというのが、どれだけ貴重か・・・
大人になった今なら自分も理解できる。
シンさんの声。
たった数十秒の会話の声は、
子どもの頃の情景がいっきによみがえり、
そこに登場する、ふみちゃんもゆうちゃん(妹)もよっちゃん(妹)ももれなくプレゼントされる。
子どもが愛されて育つことの大切さは、色んな方面から支持され説かれている。
ほんとうに、その「愛されて育ったんだぁ・・・」と実感できるのは、
そしてそれを体の芯から感じて分かるのは、実は大人になってからじゃないかと思う。
父母を大切にしてくれ、そしてその子どもたちまでもを大切にしてくれる。
そんな存在をわたしたち家族が持てたこと、すっごく誇らしい。
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