2014年12月23日火曜日

活字を読まない1週間 ④メッセージ編

活字を読まない1週間を過ごしていた時に、届けられた主なメッセージ。

1:不本意な生き方

『小さい家』という映画を見た。

それも、見ようと思って見たのではなく、たまたま気ままにぷらぷらと出掛けた先で、

ちょうど宣伝のA4の小さな広告が目に止まって、広告を見たらちょうど当日の1時間後に上映

とわかり、しかもワンコイン(500円)、面白くなくても損はないなぁなんて思いながら

何の予備知識もないままに見た映画だった。

ストーリーは割愛するけれど、第二次世界大戦中を背景にしていて、

そこで兵士として召集された若者が言った言葉が「不本意な生き方」だった。

言論も思想も生き方も、何一つ縛られていない時代に生きてること、

すっかり忘れてたわたしには、良い喝を入れてもらった台詞だった。


2:自分のことやりやぁよ

これは、上の映画もお出掛けも一通り終わって、あとはうちに帰るだけという頃。

乗り換えの電車の駅で夕飯の買い物をしようと外に出て、

スーパーでは結局何も買わずに出てきて、なんだかくたびれただけだったなぁ・・・

なんて思って信号待ちしていたら、突然知らないおじさんに話しかけられた。

おじさんはホームレスでも精神病を患ってる風でもなく、普通にシラフな感じで、

今の時代、国も会社も何も頼るものはない、と前置きした後に、

「だから自分のことやりやぁよ」

と諭してくれた。

1分に満たない会話だった。

会話というより、おじさんが一方的にわたしに話しかけてた。

この話は別のブログでもアップしたけど、それを読んだ友達が

「それ、たぶん神様ですよ。僕はそう思っちゃいますね。」

とコメントしてくれて、その言葉がまたさらに元のメッセージを輝かせてくれた。


3:不具合があれば交換

あまりにも当たり前すぎる話だけど、これが執着している時は、はっきり言って忘れてる。

活字に触れられない暇な時間を、手芸タイムにしようと目論んでいた。

作ってみたい作品の写真と作り方の両方が載っている本を図書館から借りてきた。

材料もすべて揃っていた。

活字を読まない3日目にチャレンジ中の日、毛糸と編み棒と本と出して、さぁ編みましょう!

と意気揚々と始めた。

著者の本は他にも持っていて、実際にその本の中の作品を作ったこともある。

それは今も健在で、普段使いで活躍している。

だから今回もうまくいくはずと頑なに信じていた。

さらに、簡単な編み物に関しては、ほぼ自力で編み図を解読できる自信もあれば、

昔むかし、3体ほどクマのぬいぐるみを編んだこともある。

妙な自信を持って始めたはいいけど、それが編めない。

何かが大きくまちがっている、ということはわかるものの、

一体何をどうまちがっているのかがさっぱりわからない。

他の本2冊も広げて、それぞれヒントになりそうなところを読み解いて、

毛糸ももう一度ひも解いて1からやり直して・・・

それを何回続けたか忘れたけど、ようやく何回目かで

「これは難しすぎる」

ということに気付き、その作品に関しては作ることをやめた。

難易度がわたしには不適応だった。

でも、何かは作りたい。編みたい。

ということで、ここは一気に切り替えて、まずは図書館に行って確実に編めそうな作品の本を

借りてこよう、と決めてそのまますたすたと出掛けた。

2日後、新たに毛糸を購入し、デザインも色も抜群の鍋つかみを一つ完成させた。

あそこで切り替えなければ、今スーパー愛用中の鍋つかみはなかっただろうし、

自分の変な自信をかいかぶって勘違い野郎のまま終わっていたと思う。

今回は編み物のことだったけど、普段の生活でも色々生かせそうな教訓だなぁと思った。


4:何かしないと何も舞い込んではこない

この言葉に最初触れたのは、20代の頃かと思うから、もう数年もしくはそれ以上経ってる。

そして、この言葉を言ったのは、篠原涼子だ。

何かの雑誌でインタビュー記事になっていて、どうしても何もやりたくない時、

気持ちが入らずぐずぐずしてしまう時なんかにどうしてるか、

っていうような質問だったと思うけど、

その時の彼女の答えが上の言葉で、実際に彼女はそういう時わざと動くらしい。

これは時々頭をかする言葉だけど、今回もまたやってきて、

そしてそのおかげで窮地を抜けることができた。

6日目。朝から雨。いつもより1時間以上早く目覚めたはいいけど、

そういう変なリズムで始めた日というのは、だいたいその後ぐだぐだになりやすい。

案の定そうで、その日はお昼までにわたしは3回寝て起きてを繰り返した。

三度寝の後、猛烈な後悔と、自分のぐだぐだっぷりにほとほと嫌になり、

その日1日をぐだぐだ一色にしようかとも思った。

だけど、そこで「何かしないと何も舞い込んではこないよ~」と天使なのか悪魔なのか

わからない囁きが頭をかすめ、

わたしはあれこれと選定した結果、台所の洗いものをすることにした。

最近そうかなぁ・・・?と半信半疑で思っているけれど、

たぶん洗いものは家事の中でも好きな仕事だ。

元々めんどうくさがりのわたしだから、堂々と洗いものが好きだの、家事が好きだのとは

言いきれない。やらない時はひどくても放置する。

まぁだけど、洗いものに関しては、個人的に色々と面白いと思ってる。

きれいになるのはもちろんだけど、

それとは別に毎回違う表情を見せてくれる皿たちの積み重なってる姿を見るのが好きだ。

その日の食べ物に合わせて皿や器をセレクトする。

当然毎回違う組み合わせになる。

そうすると、洗ったあとに積み重ねる姿も全然違う。

それがわたしには非常に面白い。

洗いものをしていたらそのうち元気になってきて、ふと外を見ると晴れ!とは言えなくとも

晴れ間が雲のすきまから見えるくらいになっていた。

洗いものの後、ちゃちゃっと身支度を整えて散歩に出かけたのは言うまでもない。


5:らく~に生きていいんだよ

これは最終日、出掛けた帰りのバスで見たメッセージ。

座席を選択できる時は、決まって選ぶ席がある。

理由は、外の景色がよく見える窓の配置の席だから。

その日もたまたまその席にそういう理由で座っただけだけど、

ふと窓に目をやったら、『らく~に生きていいんだよ』という本の広告のシールが貼ってあった。

1週間とにかくやりきろう!と躍起になっていたけど、

どちらかというと楽しいより疲れたとかしんどい時の方が多かった。

活字を読まない1週間を実際に体験したことは、貴重だったしそれはそれで良かったと思ってる。

でも、実情としては、心和む時間より、ざわざわというか落ち着かなかったり、

何をしたらいいのか迷ってしまって逆に疲れたり、

7日目ともなれば、そういう諸々が蓄積されたピークでもあって、

そのピークの頃に見た「らく~に生きていいんだよ」にどれだけ救われたか。

うまいことできてるなぁと感心しきりだった。


こうやって書き連ねると、どれもこれも当たり前に見えたり、

そんな期待するほど大きなメッセージでもない気もするけど、

あの時はとにかく読まないことに全身全霊で向かっていたから、

上に書いたようなメッセージが届けられたりしたことにいちいち歓喜していた。

活字を読まない1週間を始める前、もっと大量に届くかと勝手に期待していたけど、

思ったほどは来なかったなぁ・・・

書いていて気付いた、自分が欲張りだということに。

ちなみに、上の中でも、「自分のことやりやぁよ」と言ってくれたおじさんだけは、

今思い返してみても非常に摩訶不思議で、ああいうのを神の仕業というのかなと思ってる。

2014年12月20日土曜日

いいね!のふしぎ

わたしは日常的にいくつかのブログを、それもどこの誰かも知らない、だけどたまたま何かの

流れで辿り着いて、読んだら面白くてはまった、という方たちのブログを読んでいる。

大きく分けて、料理のブログと障害や病気を持ってしまった子どものお母さんの子育てブログだ。

それぞれ数名、個人的に好きなブログの著者が存在する。

今時のブログと言うのは、「いいね!」機能がついているものが大半で、

その記事を読んでいいと思ったら、「いいね!」を押すんだろうと思う。

わたしは押したことないからわからないけど(登録手続きが必要らしい)、

まぁ、いいと思ったものに「いいね!」というのは十分に理解できる。

今回、その「いいね!」に違和感を覚えたのは、ブログからまた別のブログへとネットサーフィン

をしていた時。

わたしが日常的に読む方たちの記事は、少なくとも「いいね!」は2桁。

ひとりだけ、レシピ本を出版された方がいて、その方は3桁。

1桁という方もいらっしゃる。

でも、その「いいね!」の数うんぬんではなく、内容はどの方のものもすごく新鮮で面白い。

プロの書き手ではないのに、文章表現がずばぬけている方もおられれば、

障害や病気を持ってしまった子どものお母さんなんかは、もうその細かな気付きや感性が

すごい。すっごい小さな出来事に喜び悲しみ怒り笑い、ひとつひとつを愛でるかのような姿は、

時として涙が出てくるぐらいに心に響く。

料理ブログの方たちも、自分たちがうまくできたレシピを無料でじゃんじゃか公開されてるし、

おいしい食材や調味料を使っての感想や仕入れ先も惜しみなく出されているし、

とにかく、どれもこれも何かしら発見と感動に充ちている。

話は戻して、ブログネットサーフィン中。

単に○○食べましたとか、○○に行きましたとか、○○もらって試してみましたとか、

感想もなければ情報もない、はっきり言ってまったく面白くない

芸能人であれば許されるような内容でも、

一般人が同じことすると非常に痛々しいようにしかわたしには見えないブログ、

そういうブログたちに何百の「いいね!」がついているのを見て、驚いた。

なぜ、そんなものに「いいね!」が何百もつくのか。

それが数人続いて、何か違和感を覚えてしまった。

「いいね!」って何だろう??

話はそれるけど、これは友達が教えてくれたスペイン語の「いいね!」。

スペイン語だと「me gusta(メ グスタ)」で、それは英語に直訳すると「I like」になる。

厳密に言うと、gustaはlikeとは違っていて、likeは「わたしは○○が好きです」という感じだけど、

gustaは、「○○がわたしを好きにさせる」という感じになる。

日本語の「いいね!」よりも、スペイン語のいいね!(me gusta)の方がより親しみがあって、

そして「わたしもそれいいと思ったよ~!」という感じがひしひしと伝わる。

2014年12月15日月曜日

今回の選挙で気になったところ

昨日2014年衆議院選挙があった。

徒歩5分の投票所に行って、選挙うんぬんよりも私が最も気になったところは、

投票用紙を出すための機械が導入されていたこと。

通常、投票用紙は係の人から直接手渡しされていた。

いや、今回もそこはこれまでと全く同じだった。

じゃあその機械、どこで使うのかって。

その係の人が、投票用紙を渡す前に、ぽちっと機械のボタンを押し、

その機械からひゅんと1枚投票用紙が出てくる仕組みになっている。

これは間違えて2枚渡さないようにするための機械なんだろうか!?

さらに気になったのは、投票用紙1枚の発行に対し2人の人員が配置されていたこと。

最初に①小選挙区の用紙、次に②比例区の用紙、最後に③最高裁判所の用紙

とあると思うけど、

その各用紙の発券に対し、それぞれ2人ずつ配置されている。

機械は用紙ごとに1台ずつで、なので1台の機械に対し2人の人員配置。

で、不思議なのは機械もそうだし、人員配置もそう。

これまでそんな機械は選挙の時、使われていなかったと思う。

重複防止のために導入されたとするなら、それはもう仕方ないとしか言い様がない。

だけど、1台しかないから、1人がボタン押して紙出してそしてそのまま有権者に渡す。

もう1人は何もしていない。

監視役なんだろうか?

どうしても2人の人員、合計6人+機械3台が必要なんだろうか??

しかも、その機械、紙を入れる部分の大きさがあの選挙の投票用紙ぴったりで、

それ以外には使えそうにもない代物だった。

たぶん、選挙の時にしか使われない備品だろう。

それも必要なのだろうか???

ちなみに、うちの近所の投票所はいつも投票率が低い。

朝9時で3%台。

前に夕方というより夜に近い時間に行った時は30%台だった。

並ばなくてはいけないほどの混み具合に遭遇したことはない。

だから余計と、あの機械と役割不明の余剰にしか見えない係の人とが目立ってしまう。

政治うんぬんよりも、選挙そのものの在り方というかシステムに対してつっこみどころ満載だ。

2014年12月9日火曜日

活字を読まない1週間 ③感覚編(過去の保存記事に加筆) 

2年ぶりに地球の裏側から日本の新宿の街に降り立った時。

ビルに付いている電光掲示板と看板の多さにくらくらした。

宣伝のつもりなんだろうけれど、あまりの多さに頭は混乱、

そして多すぎて結局はどの看板の文字も胸に残らなかった。

残ったのはあの圧倒された感覚だけだった。


facebookに登録しているが、facebookもあれに近い感じを覚える。

時々開くと情報の氾濫。

数十人、しかもアップする人はごく限られたメンバーでしかないけれど、

ささっと目を通すだけで息苦しくなる。

もちろんほのぼのした気分になるものもある。

だけど、大多数はうぅぅぅ・・・と唸りたくなるくらいの情報。


自分の足元が見えなくなった時、

私はfacebookを見るのをやめた。

もちろんアップされている内容はその人の人生のごく一部の瞬間でも、

自分の生き方に迷いまくっている私には見るだけで毒みたいなところがあった。

私の捉え方の問題だと言われたらそれまでだけど、

色々と笑えない状況下で他人のうまくいっている様を

正面から見るようなエネルギーがなかった。


上に書いたのは、およそ1年前だ。

この文章も合わせてこの1年で16個の記事を保管したままになっている。

順々にアップするなり消去しようと思っているけれど、今読んでも斬新なままだ。

内容が全く古くさくない。

例えば、今すぐに新宿の街にわたしが行っても、恐らく同じ感想を抱くだろうし、

facebookも相変わらず情報の洪水で圧倒される。

先ほど、少し出掛けてこようと思って外に出たけれど、

最初の大きな横断歩道を渡るところで、全然出掛ける気分じゃないと気付いて取り止めた。

散歩にもならない外出を終え、今パソコンの前に座ってこれを書いている。

情報の少ない空間の中で、ほっと息をついている。



2014年12月9日

上の文章は途中で切れてる。

このブログを始めた初期に書いて保存し、

さらにいつだったかアップしようと付け足して書いたのをまた保存し、

そして今回まったく別のアレンジを加えてアップする。

この上に書いてある感覚、

例えば新宿駅の外に立ったときのおびただしい数の電光掲示板とか、

facebookのどこまでも溢れかえっている個人情報や

パソコンの画面の隅々まで隙間がないくらいにびっちりと埋まっている広告の文とか、

あれらを見ての感覚を、今回あの活字を読まない1週間でも同じように感じた。

何せ天気が悪くてきちんと外出できたのは2日だけ(初日と最終日7日目)だったけど、

一歩外に出ると、まず文字を目にしないというのは不可能に近かった。

標識や信号(と一体になってる地名の看板)なんかは仕方ないにしても、

至る所に宣伝やポスターや、とにかく自然ではない人工物、

その人工物に活字、活字、活字・・・これでもか、という位の活字のオンパレード。

それらを目に入れないようにする方がうんと努力がいることだと知った。

例えば電車に乗ったとしよう。

実際に30分ほど乗っていたのだけど、窓を通して外を見ようとする。

窓の全容を見ると、そこにも何かの宣伝シールが窓に貼られている。

もちろん、シールは視界に入れないようにし、風景に集中する。

一事が万事この調子だった。

家の中では、活字を読まなくてもいいように上から布をかぶせたり、

一部のものはクローゼットにしまったりした。

いつも部屋のすみに置いている本たちはそのままにしたけれど、

わたしの視力では相当近くに寄らなければ題名すらうっすらぼんやりだったから、

紙のかたまり同然だった。

今日、雲ひとつない青く澄みきった空の下を歩いた。

と言うとかっこいいけど、実際はトイレットペーパーがなくなって買いに出かけたのだけど。

近くの公園は、落葉樹と針葉樹が混在している。

針葉樹の下を通ると、そのはっぱとはっぱの隙間から青い空、

冬独特の空気が澄んだ青い空がのぞいていた。

寒かったけど、その空とか風とか光の具合にしばし見惚れて立ち止っていた。

活字は相当響くものがないと立ち止って読むことはしないけど、

自然のものはただただ見るだけで癒されたり心の中が洗われたりする。

そういう感覚も、この活字を読まない1週間があったから、余計と強くなったように思う。

いかに活字情報が町の中に溢れているかということもわかったけど、

同時にそうではない自然のものも、自分が見ようとすればきちんとそこにあること、

それが感覚として自分の中に取り入れられるようになったと思う。

ちなみに、冒頭の2年ぶりから始まる新宿の風景は、2009年の6月の晴れた日のことで、

だからもう5年以上も経過しているけれど、わたしはあの時の感覚を今でも覚えたままだ。

活字を読まない1週間 ②実際にやっての感想&変化

11月24日~30日の間、活字を読まない1週間を実施した。

やる前からはりきって準備(おたのしみイベント)をしたり、

元々情報少なめの生活だから、意外といけるんじゃないかと予想したり、

とんでもない悟りが訪れるかもと過度の期待をしたり、

そんなこんなで始めた1週間。

最初に結論を言うと、

楽しみで用意したものたちは、実際にやるのだけど楽しみではなくなり、

活字なくてもいける気がするというのは正しかったけど、

実際には想像をはるかに超えて「NO活字」生活が非常にこたえ、

悟りが訪れるどころか、本当に早くこの日々から脱したいというのが、

渦中の時の、超本音だった。

終わった時は本当にうれしかったし、その直後からまたいつもの日常に戻るのだと思ってた。

たしかに、日常は戻った。それにプラスして、

戻ってすぐには気付かずにいたけど、予定外の恩恵が色々ともたらされていた。

これはわたしの場合だけど、自分の習慣が変わった。

11月はNO活字含め、3つのことを並行していたから、実際にどれが作用を起こしたのか、

それとも3つの合同作用なのか、真相は不明だけど、

ただわかるのは、自分の習慣が変わったこと。

変化を列挙すると(というほどの数もないけれど)、

◎活字に触れる時間が減って、他のことをする時間がその分増えた。

◎中毒のようにはまっていたブログたち。
  今も読むけれど、節操を持って読むようになった。

◎「今日はこのままもうダラダラして終わりそう・・・」という時に、
  これまでは確実にその結果が狂いもなく訪れていたけれど、
  なぜか、やっぱりやろうと切り替わって、実際に何かを始めるようになった。

◎食事中、食事に100%集中するようになった。
  (以前は、携帯で料理ブログの写真見たり、本見たりしてた)

◎自分がその時にする活動をしやすくするために、片付けるようになった。
  (机の上とか、自分周辺とか)

◎これまで後悔していた、大学生の頃の生活の記録を残さなかったこと。
  そうだ!とひらめいて、今記憶にあるものを記録する、という方向転換を始めた。
  (卒業後13年もして、ようやく気付く)

ちなみに、やっていて堪えがたい状況だったのは、大きく2つ。

1つは、これは想定外の頭痛の日。

わたしは年間で指折り数えるくらいしか頭痛に悩まされない。

その日がたまたまやってきて、重症であれば寝るしかないけれど、

痛いけど軽症、普段なら横になって本を読むか携帯で何か読んでいるかのどちらかの時。

どちらも当然できず、かと言って起き上がるほどの元気もなく。

手持無沙汰な時間だけがどんどん過ぎて、その時間が半永久的にすら思えて、

それはそれは頭だけではなく、精神衛生上もよろしくない感じだった。

最後は少し眠った気がする。

そこを抜けた時の安堵感といったらなかった。

もう1つは、用意していた楽しみ(編み物と刺繍)が思いの外楽しくなく、

さらに悪いことにその週は7日中5日は雨が降るという、

1ヶ月分の雨の日がまとめてきたかのように名古屋は天気が悪く、

出掛けるのも面倒で、家にこもった。

適当な気分転換を見つけられず、

そういう時にいかに自分が普段活字にどっぷり漬かっているのかモロ見えで、

変なネガティブループにはまりかけて、ちょっと大変だった。

あちこち話は飛ぶが、自分の中での悟りこそ開かれるようなことはなかったけど、

代わりといっては変だけど、色んなメッセージが方々からやってきた。

これは書くと長いから、また別便でアップの予定だけど、

それらは活字に触れなかったことで、思わぬところから届いたメッセージだったと思う。

全体を通して、やってみて良かったと思う。

多少のもがきみたいなのももれなくついてきたけど、やってわかったことが色々あったから。

多分、やらなければ今見えていることは見えないままだったと思うから。

2014年11月23日日曜日

活字を読まない1週間 ①スタート前

明日11月24日から30日まで、活字を読まない1週間をスタートさせる。

これはわたしの思い付きじゃなくて、今月の頭から開始した毎朝行っていることと連動させて

紹介されていたエクササイズの一環だ。

数日前、その部分を本で読んだ時、「えっ!?まじめに!?活字を読まない!?1週間も!?」

と思った。

冗談かと思ったけど、本は大まじめに提唱している。

(※本の名前と何を毎朝やっているかは、12月に入ったら公表)

頭の中を切り替えて、やること前提としてわたしは何を断つのかを自分の日々の行動と

照らし合わせて考えてみた。

およそ5つ。


①10名近くの方の日々のブログチェック
   →はまっている方たちばかりで、毎日チェックしてる

②携帯ニュース
   →テレビのないわたしにとって唯一のニュース元で、この5年ほど毎日欠かさずチェック

③毎朝1ページだけ読む本
   →365日それぞれの日に贈られるメッセージ本を、基本的に起きてすぐ読む

④小説・エッセイなど、その日の気分で読む本

⑤携帯のメール、LINEのメッセージ


①が一番楽しみにしているものだから、正直すべてを断つのはかなり勇気がいる。

でも、これは1週間後にまとめてチェックできるから良しとすることにした。

②のニュースは、1週間何も知らなくてもそれは大して困らないような気がしている。

まぁこれもOK。

③と④の本に関しては、まぁ読まなければ読まないでも大丈夫かなと思ってる。

代わりに、暇になって手持無沙汰は困るから、わたしはこの数日で暇にならないための

下準備をかなりしっかりと行った。

この準備が思いの外楽しく、と言うより楽しいことしか用意しなかったから、

逆に今からその楽しみを決行出来る日が楽しみでしかたない。

⑤の携帯のメールとLINEのメッセージだけは、自分で特別ルールを作った。

1日1回、朝もしくは夜のどちらかにチェックする時間を設ける。

緊急を問うものが仮にあった場合、1週間放置というのはどう考えてもやばいので、

それだけは避けるべく、そういうルールにした。

当然、何も届かない日だってあるわけで、そういう日はチェックせずに終わる予定。

①~⑤までのそれぞれの対応策が決まったら、何とかなる気がしている。

これが仕事をしていたり、何か責任あるものに関わっている最中であれば難しいものも、

今それらとは無縁の状態だから、逆に行いやすい。

(本当は、抵抗を生み出すような状況であればあるほど、良いようだけど、本によると)

今回、唯一例外ルールを作ることになったのは、

火曜日26日午前11時。

森山直太朗の春先のコンサートの先行予約のために、それは絶対にゆずれないから、

パソコン開いて、活字だらけの説明読んで、応募しようと思ってる。

余談だけど、パソコンメールは元々毎日チェックする習慣がないから、

そしてパソコンそのものも普段はクローゼットに眠っていて使う時だけ出すスタイルだから、

パソコンからの活字問題は、今回全く問題なし。

多分、小学校に入ってから今の今まで、一度も活字を読まない1週間なんて過ごしたことがない。

デング熱でドミニカで入院していた時でさえ、多少具合が安定してれば、

人が差し入れてくれた本を少し読んでいた。

旅に出る時も、基本は何かしらの本を同行させているし、

どこかで本や雑誌があれば見るし、携帯があれば携帯で何かを読んだりする。

だから、今回のこの活字を読まない1週間というのは、史上初であり、

その大変さよりも、そこから一体何を感じ何を思うのか、そして何をして過ごすのかに

興味津々だ。

あと、何を思うのかについては、その都度、そしてその都度が難しくても、少なくとも1日1回は

記録に残そうと思ってる。

2014年11月22日土曜日

初心に返る~私の目指す文章~

11月になり、二日酔いだった朝以外、毎日継続して朝行っていることがある。

それについては、11月が終わったら経過報告としてこのブログに残したいと思っているけれど、

今日はその途中で起こったことについて記したい。

その毎朝行っていること、とりあえず始めたはいいけれど、これと言った効果を感じられず、

これはやっていて意味があるのだろうか・・・と数日前悶々としていた。

そこで私は、

同じことをやっている人が絶対にその効果についてネット上で触れているのではないか、

と思い立ち、実際に携帯で検索してみた。

「○○○(←やっていることの名称) 効果」と入力すると、

たくさんのページがヒットした。

あぁやっぱりやってる人がいるんだとうれしくなって、トップにきたサイトを開いた。

これが怒りの元凶となるのだけど、後にこのサイトのおかげで私は自分が目指す文章の

在り方について自分でもう一度初心に振り返り、結果的には「これこそが効果のひとつ」と

思い至った。

私が今毎朝継続していることは、ある本に書いてあることを実践している。

本はまだ読み途中にしても、とりあえず自分のペースでやろうと決めた朝のことだけは

やり続けている。

先ほどのヒットした某サイト、ここでは混乱を避けるために「Aサイト」と呼ぼう、

まず開いて驚いたのは、

本の引用をたくさんしまくっているのだけど、その引用先がなんと著者名や著書名ではなく、

どこの誰かもわからない「某クリニックの院長」となっていた。

引用の仕方はきちんと「“”」(クオテーションマーク、引用符)が使用されていたから

そこは問題ないにしても、内容はすべてと言っていいほど本の引用。

なのに、その提唱者は、Aサイト内では某クリニックの院長となっている。

完全におかしい。

某クリニックの院長は自分の言葉としてそんな書き方をしたのだろうかと思い、

私はその後その院長のページとやらも見てきた。

いや、院長は、しっかりと著書名と著者名を最初に紹介し、

一部本の引用もあるけれど、あとは自分自身の所感や感想を述べていた。

少なくともこの方は、実際に本を手にして読んで、自分でも実践していた。

その院長の書いたことを引用しまくっていたAサイトの方は、

これは私の勝手な予想だけど、多分サイト管理者はその本を一度も読んでない。

読んでないし、実践もしていない。

でもまるでその本に書いてあることをすると、すごく効果があると強調しまくっている。

世間を騒がせている小保方さんの論文ではないけれど、

この引用の仕方は法的に問題ないのだろうか??

Aサイトの文章は携帯画面にすると3枚分になっていたけれど、

3枚目の最後の最後で、本当の著書名と著者名が紹介されていた。

これは、絶対に最初に提示しなければいけない情報ではないのか!?と思いながら、

もう気分悪すぎる、これ以上調べるのは止めようと、携帯をオフにした。

夜寝る前に調べるんじゃなかった・・・と後悔しながらも、

私はなぜそんなにもそのAサイトの文章に苛立ちを感じていたのか、

どこの誰かもわからない人の文章にイライラするのか、

それの方が異常な気がして、そのイライラの原因を探る作業に移っていった。

もちろん文章を公にする上でのモラルにも引っ掛かったけど、

それ以上に、自分ではやってもいないだろうことをあたかもやった風なにおいを漂わせ、

さらに実証してもない効果をひたすら上から目線的な感じで書いている、

効果と言っても、自分ではその効果を実感してないから、

本に書いてある文章をそのまま期待できる効果として引用していた。

その在り方に私はすごく引っ掛かっていることがわかった。

考えているうちに、私が最初このブログを開設するにあたり、

自分で強く思い、これだけは守ろうと決めたことを思い出した。

1年近くそんなことすっかり忘れていたけれど、これこそが私が目指しているものだと、

はっきりと悟った。

私は自分の体験談を書こうと決めていた。

ワークおたくのように、私は色んなタイプの1人でできる心理的ワークをかなり沢山やっている。

誰と比べてということではなく、私の生きている時間の中でワークの占める量が多い、

という意味でやっている。

大学ノート現在6冊目に突入している(基本的に、自分のやったワークはすべて記録)。

大体1ページに1ワークとすると、60ワーク×5冊で、300ワークはこなしてる計算。

それが人と比べて多いか少ないかはわからないけど、

私はその中で自分がこれは効果があった!というものは積極的に公開していこう!

と1年前の開設時に思った。

思いとは別に、このブログ自体その時々の記録のように変わっていったものの、

今でもその思いは同じだ。

公開していくことは、私の今後のテーマになっていくんだと思うけど、

とにかく、見聞きして終わりではなく、必ず自分でもやってみることを信条にしている。

やってみると、自分の合う合わないがわかる。

合わないものはもうそのまま放置して、合うものは真剣に取り組む。

本に書いてあることは、本を読めばわかる。

でも、例えばそこで何かの方法論が紹介されていたとして、

その方法論が実際の実践において、どんな風に作用があるかはやってみないとわからない。

色んな本を読んで、私が知りたい情報はその作用的な部分だけど、

往々にして方法論だけが紹介されている本が多い。

やってみると個人差があることは十分想像できるし、

そんな個人差のある部分をあれこれ本で紹介することは難しいのかもしれないけど、

私が知りたいのはそこだし、そして必ずと言っていいほど行き詰まる。

行き詰まった時の対処法なんかが書いてあるとさらによろしいけど、

そんなご丁寧な本はそんなにない。

多数の本やネット上での色んな情報、ワークショップ、セミナーでの情報、

それら色んなものに共通して、理論や方法論、一般的な流れの説明は多いけど、

実際に行動しそこでどんな効果や問題が出てきて、

特に問題に対してどんな方法が解決に向けて可能か・・・

そういうものが非常に少ない。

だから、私は逆にその部分を自分の体験したことを通して自分の言葉で語れないだろうか、

とそんな風に考えた。

そんな思いから始めた、このブログだった。

Aサイトには怒りをはじめ色んな負の気持ちを感じたけど、

このAサイトに触れたことによって、自分が大切にしようと決めたことや、

文章を書くにあたって私が盛り込みたい内容の中心軸がはっきりとわかった。

その毎朝やっていることの効果は全然感じられないと思っていた矢先に、

意外な形で効果第1号としてもたらされた。

毎朝やっていること、何を今取り組んでいるのかは12月公開予定。

2014年11月16日日曜日

自分の苦手なものへのヒント(2)

前回書いた、自分の苦手なものへのヒント
http://viva-vivir.blogspot.jp/2014/11/blog-post_16.html

それと並行して、もう一つ思い浮かんだヒントがあった。

わたしは基本的に、何か目標を決めてそれに向かって一つ一つの細かいステップを決める、

そして実行していく、という目標設定することがとても苦手だ。

本当に苦手だ。

ただ、たったひとつ、日常生活で、わたしにしてはカリスマのような力を発揮できる分野がある。

それは、日々の献立を考えるのと、それを料理する手順だ。

わたしは献立にあれこれ頭を悩ます方じゃない。

冷蔵庫にあるものやその他家にある食材を見て、ぱっと献立を決める。

実際に料理する時も、実に手際よく幾つもの細かな手順を無駄なく頭の中で並べ、

さくさくっとこなして料理している。

自分で分析してみたところ。

手順1:料理の時は、わたしの場合、最初に完成形が頭に浮かぶ。

昨日の場合で言えば、①秋鮭とネギとじゃがいものグラタンと②キャベツの味噌胡麻煮だ。

先に言うと、わたしの献立は自分だけが食べるから、

和と洋が組み合わさって若干おかしなものでも、全然気にならない。

手順2:2つの献立の具体的な具材をそれぞれ頭に描いて、最初に取りかかる作業を決める。

ちなみに、昨日の最初の手順は、ゆで卵をゆでながら湯を沸かし、

沸いたらマカロニを茹でるだった。

あとは、茹でている間に、グラタンの他の具となるネギやじゃがいもを切り、

じゃがいもはレンジでチン、

グラタンの土台ができてオーブンに放りこんでから、キャベツの味噌胡麻煮に着手した。




自分の苦手なものへのヒント

昨日、大量の付箋が貼られた本を見て、一気に気分がどんよりとしたところから始まる。

自分では「写経」と勝手に名付け、1年半位前からだろうか、

図書館で借りてきた本を読む時、気に入ったフレーズや心にインパクトのあったもの、

生きる知恵のようなものとかには付箋を貼り、

読み終えたら今度はその文章をそっくりそのままノートや写経専用用紙に書き写している。

自分で買った本にはそれをしない。

なぜなら、いつでも読みたい時にそのページを開いて読めばいいから。

でも、借りた本は手元に置いておけないから、

そして買うまでもないけれどでも大切な部分は何とかして残したい、

じゃあ書き写しておけばいいじゃないか・・・

そんな思いからも始まった写経だ。

で、昨日の本に話は戻る。

某エッセイの本だったけれど、とにかく付箋の量が半端じゃない。

50以上は貼ってあったと思う。

見るだけで大量とわかるし、

これを全部書き写すとなったらどれだけの時間がかかるのだろう・・・

考えただけでぞっとした。

この場合、「写さない」という選択肢はない。

写すのは写す。ただし、この一気にやる気が失せたままやるのはしんどい。

さぁどうしたものかと考えあぐねていた時、はっと思い付いたこと。

わたしが苦手とするものの中に、

1、ゴールや終わりの形が見えているものの、それは果てしなく遠く、
  正直どのように取り組めばいいのかわからない感覚

2、問題なり課題なりがでかすぎて、ゴールすらわからず、
  何をどうしたいいのかわからない感覚

この2つがとてつもなく苦手だ。

1の例を挙げるとするなら、

たまりにたまった書類たちをどんな風に整理していいかわからないとか。

2の例は究極すぎるけど、

自分の生き方そのものに迷いが生じると、もうどうしていいかわからなくなって動けなくなる。

もうその時は人生におけるゴールすら見えてないから、焦るわ、不安に陥るわで

負のスパイラル大発生で余計と苦しくなる(苦笑)。

日常の中で苦手なことは数多くあるにしても、

特に厄介なのは、わたしの場合、上の2つのような感覚だと思う。

またまた話を戻して、昨日の写経の続き。

一気にやる気も失せ、

書き写しても全然進まない感じが始める前からぷんぷんと漂っていたけど、

結局わたしはそれをすべて昨日1日で終わらせるという偉業を成した。

何をしたのか。

とりあえず、あまりに多すぎたから、とりあえず今日は専用用紙の表と裏、合計1枚だけ

終わらせようと決めて取りかかった。

それならそこまで負担じゃない。

1枚目が終わるという頃。

あまりにもキリの悪いところで終わりそうで、それならばじゃあ2枚目も・・・ということで続け、

2枚目が終わる頃には、もうちょっとがんばると次回が楽になると考えが改まり、

3枚目が終わる頃には、あれ?このままやれば終わるんじゃない!?

いつかは終わるんじゃない!?と希望が見え始め、

そのまま延々と続け、最後6枚かかってすべて終わった。

このプロセスを経ていた時、わたしは過去のある成功例を思い出していた。

それは上の1と2の感覚が混同した、実に大きな問題だった。

しつこいけど、もう一度、苦手な感覚の1と2のおさらい。

1、ゴールや終わりの形が見えているものの、それは果てしなく遠く、
  正直どのように取り組めばいいのかわからない感覚

2、問題なり課題なりがでかすぎて、ゴールすらわからず、
  何をどうしたいいのかわからない感覚

問題の概要は、わたしは仕事でゼロからプロジェクトを立ち上げなければいけなかった。

1について言えば、ゴールはプロジェクトを立ち上げて実施すること、

ゴールは見えていたものの、何をどう取り組めばいいのかわからなかった。

ただ、プロジェクトを立ち上げるにしても、実にたくさんの制約が付いていて、

プラス、立ち上げる現場には実際の諸問題がごろごろたくさん転がっていて、

一体何をプロジェクトに掲げたらいいのかすら、それすら見えずに何ヶ月ももがいた。

どうしたかについては割愛するけれど、わたしはその2つを時間をかけながらも、

最終的にすべてクリアし、自分の中では大成功に終わったと思ってる。

そう、何だかんだ言いながらも、最終的にはできた、ということは、

言い換えれば、自分にそれだけの力があるということだと思う。

もちろんもちろん、周りからたくさん助けられたにしても、

助けられて終わりではなく、きちんとプロジェクトを立ち上げて実施してさらに結果まで残った。

昨日の写経を通してそんなことを思い出しながら、気付いたことは。

苦手は苦手でも、やれば何とかできるということ。

そして、やっていくうちに、気持ちというか気分も変わってきて、

苦手一色だったものが、苦手とは別の感情も生まれてくるということ。

2014年11月15日土曜日

発明者へ敬意



上の写真にある金属製の物体は、昨日近所の100均で購入したもので、

『マジックソープ』と呼ばれる。

(発売元:エコー金属株式会社 新潟県燕市)

手に付いた臭いを除去できるというもの。

100円だし、失敗に終わってもいいかと簡単に腹をくくり、その他必要品と共に購入。

早速使ってみての感想。

「良い」


とっても、良い。

本当に臭いが取れる。

とりあえず、魚の臭いと洗濯洗剤の匂いはきれいに取れる。

ひき肉をこねた手を洗ったら、臭いが取れないどころかマジックソープまで油まみれになった。

説明文を読んだら、汚れは取れないとあった。

汚れは仕方ないにしても、臭いは完璧に取れる。

超すぐれものに出会えて、しかも昨日はお客様感謝デーで税抜き価格100円で購入できて、

大満足の一品となった。

このブログを書くにあたり、もしやこれ特許でも取っているのでは!?と思って

パッケージを確認したところ。

とりあえずパッケージにはそんなことは一言も書いておらず、

もし特許を取ってない製品ならすっごくもったいないと思った。

この商品の発明者が誰なのかは知る由もないけれど、

こんなに機能抜群、しかも安価で提供してくれる、ということにひたすら頭が下がる。

本当は、こんなに安価ではないのかもしれない。

なぜなら、うちの近所の100均、

新潟では老舗中の老舗の柿の種6袋パックを100円で売っているから!

新潟県内でも絶対にセールで100円にならない位、

若干、高級路線を走るメーカーの柿の種なのに、

なぜかうちの近所の、多分市内唯一としか思えない小さな100均に普通に陳列している。

だから、かのマジックソープも、本当は100円ではなくて、もう少し高い値段で売り出される

べきものかもしれない。

こういう役立つものを開発した人も、

そしてそれを良心的なお値段で提供する立場の会社も、

わたしはそういう人たちをとっても尊敬している。


話は変わるが、昨日の100均のお客様感謝デーという名の【全品税込100円】での提供、

まじめに消費税が8%に上がったんだなぁと、ものすごい実感した。

普段の個人の買い物単位では感じることは多々あっても、

他の一般の消費者も同じように感じてるんだ…ということを目の当たりにすることはない。

ここに移り住んで5年くらいになるけれど、

レジに20人ほどの行列が出来ているのは初めて見た。

それを見て、夜の遅い時間にわたしはもう一度出直したけど、

とにかく夜でも各棚ごとに誰かしらお客さんがいた。

5%の時には見られなかった光景のような気がする。

2014年11月12日水曜日

断捨離強化月間

今月は、1日ひとつ何かを捨てる、ということを日々の小さな目標にしてみた。

本に感化されやすいわたしは、毎日ちいさなことを1ヶ月毎日積み重ねる、

という内容が紹介されたある本を読んで、

じゃあ今月は1日ひとつ何かを捨てようと決めた。

12日目にあたる今日、ようやく12個ぴったりの数に追いついた。

最初の1週間は好調だったけど、2週目に入った頃、うっかり忘れが3日ほど続き、

今日さきほど明日の月1の不燃ごみ収集日に合わせて幾つか細々としたものと、

2年ほどお世話になったフライパンを捨てた。

フライパンは、もうテフロンが剥がれはじめ、

お好焼きや餃子なんかはフライパンにくっついて剥がれないというストレスが発生していたから、

そんなに頓着せずにさっとごみ袋に入れることができた。

今回、厄介だったのは、数組のピアスたちだった。

数年前のある夏の日を境に金属アレルギーを引き起こしてからというもの、

金属のアクセサリーはほとんどしなくなった。

ちょっと調子こいて1時間くらいピアスをすると、耳がかゆくなって赤く腫れ上がる。

ネックレスは留めるところだけが金具でも、それだけでかゆくなる。

随分アクセサリーたちを目にしていなかったけど、

この間入れ物ごと久しぶりに目にし、あぁもう捨てようと思った。

ところがどっこい、いざ捨てようと思ったらこれが捨てれない。

宝石みたいなデザインのものは、意外かもしれないが、ひょいと捨てられた。

そうではなく、個人の作家さんが作ったものやめずらしい素材のピアスたちが捨てれない。

たとえ安っぽい素材でも、気に入って手に入れただけあって捨てれない。

そこでわたしは発想転換し、気に入った素材たちをピアスの金具からすべて取り除くことにした。

ボタン、貝ボタン、ガラス細工がそれぞれ残り、

どのようにリメイクするかわからないけど、何か手芸でもしてよみがえらせようと予定している。

ちなみに、ピアスが入っていた容れ物は、手塚治虫展で見つけた鉄腕アトムに出てくる

ひげもじゃのおじいさんをモチーフとしたアクセサリー入れだった。

これを一緒に見に行った友達のことも憶えているし、

大学時代、ほんのわずかの期間だけ一緒に時間を過ごした人とのある1ページだから、

ちょっと躊躇したけれど、それこそ近藤麻理恵さんの本に書いてあるように、

それを見てもうときめかないから、あぁ捨てて大丈夫だと思った。

話は変わるが、今日訪ねたおひとり様専用と言わんばかりの小さなカフェの内装を見て、

モノは最小限のそのスペースがすごく心地良かった。

花屋も兼任でしているらしく、ところどころドライフラワーなんかが飾ってあったけど、

あとはこだわりぬいた料理と花と緑関係の大量の本以外は何もない場所だった。

超繁華街の一角にひっそりとあるのに、半端ない居心地の良さで、

他のお客さんもみんな思い思いに時間を過ごしていた。

1組だけカップルがいても、そのカップルすら話をするのがはばかれる位にしーんとしていた。

そこに行って、改めて今月の断捨離強化月間の目標を思い出し、

今日は帰ったらまとめて抜けた日にち分のものを捨てようと決めた。

それが、フライパンであり、ピアスであり、ピアスの容れ物だった。

残りの18個、わたしは何を捨てようと決心するかはわからない。

30個すべて達成した時に、どんな気持ちがするのか、ちょっと楽しみだ。

ちなみに今日までに捨てたもの。

1、ベージュの七分丈カーディガン
2、Sさんからのハワイみやげ
3、プレゼントメッセージ付きノート(←関係の断捨離という意味も込めて)
4、葉部分の人参の茎
5、ポイントカード2枚
6、ドコモの会員プレゼントの保証書
7、あしかがフラワーパークのパンフレット
8、フライパン
9、ピアス5組
10、鉄腕アトムピアス入れ
11、財布屋からもらったキーホルダー
12、借りてたタッパ(←関係の断捨離という意味も込めて)

2014年11月10日月曜日

ばばちゃんの命日にかえて

2007年11月10日、ばばちゃん(祖母)が息を引き取った。

わたしはそれをドミニカ共和国で、妹からかかってきた電話で知った。

ドミニカはカリブ海に浮かぶ中米の国だ。

日本と昼夜逆転している。

あの時のことを思い出すと、やはりありとあらゆる運を授けられたということが浮かぶ。

人が死ぬというのは、人を集めるというけれど、

本当にその通りで今振り返るとわたしがばばちゃんに会うためにきちんと道が用意されていた。

その日は、年に数回関係者全員が首都に集い、何かしらの会が開催された翌日だったと思う。

わたしと同期の他の5人も全員勢揃いしていて、

まずはこの5人なくしてはわたしは日本へ帰れなかった。

わたしの代わりに日本帰国の届をExcelで作成してくれ(わたしがやったら半日以上かかる)、

わたしの代わりに荷物をパッキングしてくれ、

お金が足りないと悪いと心配し、お金をおろしてわたしに貸してくれ、

その合間にたしかわたしが飛行機のチケットの手配をしたと思う。

もしかしたら、チケットの手配もわたしではなかったかもしれない…

それを5人が協力してやってくれた。

それだけでもすごいことだったのに、まだまだ色んな人に助けられた。

何せあまりに急すぎて、高額チケット+数時間滞在のニューヨークホテル代200ドル

なんてすぐに用意できるはずもなく。

旅行会社のご夫妻に事情を話し、日本帰国したらすぐにお金を振り込むから、

小切手の換金を1週間ほど待って欲しいとお願いしたら、

まったくの初対面だったにも関わらず快諾してくれ、

さらにはチケットもわたしがいるところにわざわざ出向いて届けてくれ、

そしてなんと空港までも送ってくれた。

本当に色んな人たちに助けられて、わたしは日本へ帰った。

日本に帰ってからも、わたしは一刻も早くばばちゃんのいる元への一心でひたすら新潟を

目指したはいいけど、最後の最後になって連絡手段がないということに気付いた。

そこでわたしは最後に乗った電車で隣りになった女子高生に携帯電話をお借りした。

お金を渡そうとしたら、彼女はいいですと断固として受け取らず、

最後まで笑顔で大丈夫ですというようなことを言ってくれてたと思う。

そしてようやくわたしはばばちゃんと対面する。

本当に色んな人に助けられ、この時ばかりは本気で何か神がかったような凄みを感じた。

ばばちゃんが守ってくれたんだ、きちんとばばちゃんに会えるように道を用意してくれたんだ、

とわたしは周りの人に感謝しながらそんなことを思っていた。


7年の月日を経て、今年の命日。

下の記事をアップすることは、もう1ヶ月も前から勝手に決めていた。

わたしの名前とばばちゃんを繋いだ、生前のばばちゃんとの最後の思い出のひとつだ。

http://bibluz.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

今日起きた時、携帯に友達からメッセージが入ってた。

youtubeのアドレスだけで何のサイトなのか全く知らずに添付されていたアドレスをクリックした。

まさか、わたしが書こうとしていた記事の内容と、

友達がどういう思い付きでか送ってきたyoutubeに収められてる歌と、

お互いに関連し合ってるだなんて、わたしの寝ぼけていた頭はすっかりシャキーンとなった。

ばばちゃんが、友達を使いとしてわたしに寄越したのかと思った。


9年近くかかって迎えた日記帳の最後の1ページ。

今日のばばちゃんの命日に書いた。

最後のページを書き出す前に、ばばちゃんが死んだ日に書いた日記のページを読んだ。

7年も前のことだけど、7年前と同じ位泣けた。

その中に、ばばちゃんの遺影を前にした時、

「ばばちゃんの写真が飾ってあるにも関わらず、ばばちゃんも私たちと同じ側に座っていそうで、

何もかも現実のこととはとても思えなかった。」

と記してあった。

その感覚、今でもわかるなぁと思った。

あれからわたしは数えるくらいしか母の実家を訪ねてはいないけど、

訪ねる度にそこにばばちゃんがいないことに変な違和感を覚えて帰ってくる。

色んなものが新しくなって、いとこたちも子どもを産んで世代交代の色が強く出ている空間に、

ばばちゃんが不在ということに未だ慣れない。

話は日記に戻って、この長編の日記の最後に結んだ言葉は「ありがとう」だった。

ばばちゃんに大切な思い出をありがとう、と書いて終わった。

どんな風に最後のページを締めくくるのか、今日のこの瞬間まで想像もつかなかったけど、

自分にとって一番良い形で締めくくることができたと思う。

そして、最後はお気に入りの木のつくえの上で書けた。

こうしてゆったりとばばちゃんを思い出し、

ばばちゃんとの数々のやりとりや、それを助けてくれた人たちを多数思い出し、

すごくたくさんのもので心は埋め尽くされている。

普段と変わらない1日ではあるけれど、それが近しい人の命日というだけで、

いつもとは違う神聖な気持ちで、温かいものに包まれて今を迎えている。

命日パワーと勝手に名付けてみる。

2014年11月3日月曜日

家族の時間

名古屋生活5年目。

父と母が初めて新潟から名古屋に来た。

特別用事があったとかではない、本当に来ただけ。

うちは、父も母もどちらかというと出不精だ。

家で何もせずだらだらするのが一番、という価値観がとても根強い。

だから今回もたとえ1日半という滞在期間でも、正直どうしたらいいのかわからなかった。

予定したのは、

近所の精肉屋直営の焼肉食べ放題と、

余裕があれば名古屋城を見てくる、

以上2点だった。

初日、父と母は到着するなり、大型の電気屋は近くにないのかと聞いてきた。

テレビを置いてないわたしのアパートでの過ごし方を危惧したのだろう。

テレビを買って置いて帰ると言う。

わたしはテレビを必要としないから、置いて帰られてもかえって迷惑だからいらないと答え、

父母もしぶしぶ承諾した。

そして3人で最初にしたことは、近所のBOOKOFFでマンガや雑誌を買うことだった。

それ以前にしたことは、父は毎休日の日課、缶ビール1杯。

父のビールが終わってから3人でBOOKOFFへ。

その後は前日から用意しておいた昼ご飯を食べ、そして我が家お決まりの昼寝タイム。

事前に枕がないから枕を持参するように伝えてあった。

ふたりは枕ではなく、我が家で20年30年と使用している座布団だった。

座布団=昼寝用の枕、我が家の定番だ。

各々自分の場所を確保し、狭い部屋で3人でごろごろ昼寝をする。

マンガを読み、うつらうつらし、起きたら父はビール、母とわたしはコーヒー。

場所は名古屋だけど、新潟の家にいる時と何も変わらなかった。

その後に早めの夕食の焼肉食べ放題に出掛けるのだけど、

帰ってからもまずしたのは布団を敷いてごろん。

風呂よりも布団でごろごろ、体を休めること優先。

その辺も普段と何も変わらない。

翌日は若干アクティブに名古屋城まで足を伸ばしたけど、

元々観光に興味関心のない3人だから、

適当に散策し、昼ごはんも名古屋名物を食べよう!なんてことは一切案にものぼらず、

(一応どこか外で食べようかと言ってはいたけど、道中店が全くないことを父母も知る)

帰って家でのんびり適当に食べる方がいいね~となり、

本当に家でのごはんとなる。

母お手製のいくらと前日の残りご飯でいくら丼と豚汁。

あとは持参してくれた漬菜(つけもの)。

いくらは豪華にしても、全体的に品数もなく、質素な感じでAll OKなのがとても楽ちん。

母はBOOKOFFの半額セールの虜となり(近所のBOOKOFF、2週間後に閉店のため)

昼食後、父は家でマンガを読んでゴロゴロ、母を再度BOOKOFFへ連れて行く。

最後もだらだらして、じゃあそろそろ帰ろうかということで先ほど2人は新潟へと帰った。

妹に名古屋城に行った時の写真を送ったら、

「えっ、父ジャージにサンダル!?栃尾かな!?ここは・・・・・・」

と返事がきた。

(栃尾=父と母が住んでいる町の名前)

言われてみればそうだった。

普段はきなれたサンダルの方が靴よりもいいと言って、サンダルで出掛けたのだ。

あまりにもいつも通りすぎて、全く気にも留めていなかった。

家族で顔を揃えた時。

揃える場所が、いつもと違っていても、やることはいつもと一緒。

わざわざ観光とかして疲れるよりも、みんなでのんびりだらだらできる、

それが一番だなぁと思った。

本当に何も特別にはしてなかったし、

BOOKOFFに行くとか焼肉とか名古屋城とかは普段にはない行事ではあっても、

やはり家族同士、そんなに盛り上がるわけでもなく、

いつものメンバーでいつものスタイルを淡々と過ごし満足する、

そういうのって本当にいいなぁと今のこの大人の年になってから思うようになった。

2014年10月28日火曜日

比べる幸せ

1週間の間に2人の人に会った。
太朗さんと花子さんとしよう。

知り合ってからの期間は、若干太朗さんの方が長い。
それぞれ最初の出会いは別々だし、太朗さんと花子さんは知り合いじゃない。
最初に太朗さんと2人でお茶をし、
後日花子さんと2人でお茶をした。

花子さんとの再会は、実に3年半ぶりだった。
花子さんから突然連絡が来て、会うことになったのだ。

それぞれと話すことは、基本的に違う。
仲の深さもだし、話す内容も全然違う。
だけど、太朗さんと花子さんと共通して、
「(ぶっしーは)これからどうするの?」と私に聞いてきた。

関係の深さの違いで答える範囲も違っていたけれど、
共通して私が答えたのは、
「どんな選択をするにしても、新潟から遠くないところ」
というものだった。
新潟は、両親が住む土地であり、私の生まれ故郷だ。

太朗さんはなぜか私のその答えにすごく感嘆し、
「今日一番良かったのは、ぶっしーが『○○という所(国内某所)には住めない、
今後もそこに移住するつもりはない、
なぜなら(両親のいる)新潟から遠いから』と言ったこと。
今日一番その言葉がすーっと心に染み入った」
と帰り際言っていた。

太朗さんは私がぽかんとしてしまう位に、そのことを何度かつぶやいていた。

はじめ、私は太朗さんが言ってくれたことの意味合いが全然わからなかった。
だけど、この太朗さんの発言が本領を発揮したのは、花子さんと会った後だった。

花子さんにも同じことを私は伝えた。
でも、それは私の独り言のように、どこにも行き着かず、
私の答えを聞いているのか聞いていないのかも判別できないまま、
さらに別の質問を花子さんはいくつか重ねていた。
私の1つ1つの答えは、花子さんにとってどうでもいいようだった。

ふと、太朗さんの言葉を思い出す。

ぶっしーがこれからどこで何をするにしても、気になるんだよね、
(どんな生き方をするか)気になるんだよね。

上の言葉は1回だけ太朗さんが口にしたものだった。

人と比べるのは良くないと言われるけど、
比べるからこそ見えてくる幸せもある。

花子さんが求めていたものは、
花子さんの私利私欲を満たす上で私がそれをできる人間かどうかを見極めること。
ビジネスライクと言えばいいだろうか。
だから、利用価値のない私の、私的な発言はどうでも良かったんだろう。
あくまでも、花子さんにプラスとなるもの、
それも「お金」や「人脈」という見える形で私が貢献できるかどうか。

3年半ぶりに会った花子さんは、
当時と何一つ変わっていなかった。
変わっていたとするなら、
さらに私利私欲を自分の不安を消すために必死に満たそうとするその度合いだろう。

花子さんとはもう次はない。
この間会ったことが今生の別れだと私は思ってる。

たった1つだけを見て、そこに心を動かされる。
その体験も素晴らしい。

時には、一度ですぐにわかったらいいのに・・・と欲をかくこともある。

そして、今回のように2つ以上のものがあって、
その中で「これがいい!」と心で感じ取るもの、
その体験も素晴らしい。

私は最初、太朗さんが私に何回も伝えてくれていたことの意味や、
そこに乗っている気持ち的なものはわからなかった。
太朗さんがきちんと見えていたモノが私には見えなかった。

でも花子さんと会って(ちなみにその後悶々とする)、
どんな私であってもそれを気にかけてくれる人がいる、
親でもないのに親のように見守ってくれる人がいる、
それって超幸せなことじゃないか!
と2日以上時間が経過してから気付いた。
花子さんみたいな人も世の中に確実に存在するけど、
太朗さんみたいに損得勘定なしに他人と交わろうとする人も存在する。

太朗さんみたいな人がいる限り、私は自分が救われる。
どんなに真っ暗闇の中さまようことになったとしても、救われる。

2014年10月19日日曜日

魂にやる食べ物

ついさっき読んだ本の中に、肉体ばかりでなく魂にも食べ物を与えよ、

というような表現があった。

大元は、エレクトリックトランペッター(ってトランペットの仲間??)近藤等則さんという方の

言葉らしい。

この魂にやる食べ物というのが、個人的にとてもすとんと入ってきた。

わくわくしよう!とか、楽しいことしよう!とか、体と心に良いものを取り入れよう!とか、

そういう風に表現されるものよりも、遥かにわかりやすかった。

同じことを言っているのかもしれないけど、

言葉が違うだけで、こうも自分への入り方が違うことにも驚いた。

ちょうど本を読んでいた時間、10月の夕暮れ時の時間帯で、

ベランダに干してあった足ふきマットに夕日が照らされて、足ふきマットがきらきらと光っていた。

それを見て、「魂に今ひとつ食べ物をやった」と思った。

色んな条件が重なってたまたま生まれた瞬間に、目と心の両方が奪われた。

ここ1~2年は特にそうだけど、自分で何をしていると楽しかったり、

心身共々全身が満たされるような感じなのかがわからなくなりつつある。

何をしていても違うように感じたりすることさえある。

いきなり大きなものをどんとつかまえようとか意気込むのではなく、

こういう日々の小さな魂への栄養補給を、くりかえし、くりかえししていくことが

大事なのかもしれない。

おなかが空いたら何かを食べるように、

魂が空いたら何かを食べたらいい。

(執筆:2014年10月7日)

2014年10月18日土曜日

野菜が生み出す味

1年の中で時々、むしょうにタイカレーが食べたくなる。

タイカレーの素さえあれば、あとは家にある野菜や肉で適当に作れる、

その気軽さも手伝って自分で作っている。

素もKALDI(輸入食料品店)に行けば、日本のカレールーと変わらない値段で購入できる。

正しいタイカレーの作り方はわからないけど、

いつもは具材を炒めたらすぐに素を入れていたのを、

今日初めて野菜と肉を煮込んでから素を投入するという手順で作った。

肉:野菜の割合は1:5くらいで、ほぼ野菜で埋め尽くされたタイカレー。

煮込んだ時間は10~15分程度だったと思う。

煮込むだけで出来上がりがいつもの何倍も良くなり、

辛さの中に野菜の甘みやうまみが溶け出ていてとてもおいしかった。


話は変わるが、わたしがこれまでの人生の中で一番おいしかった味噌汁は、

Kくんという男の子が作ってくれた味噌汁だった。

たくさん人が集まっていた席で、Kくんは味噌汁をふるまってくれたのだけど、

一体どんなだしを使って作ったのか不思議でならなかった味噌汁だった。

優しい味で、言葉では言い表せない深みのある味だった。

Kくんに直接、だしは何を使ったのか聞いてみた。

Kくんは即答で「だしは使ってない」と言う。

「代わりに、野菜をけっこう長い時間煮込んで、最後味噌を溶いただけ」

と教えてくれた。

野菜から引き出される味は、その組み合わせいかんで幾通りにも広がり、

だしを使わなくても十分おいしくなるとも言っていた。

そんなことすっかり忘れていたけれど、今日タイカレーを煮込んで作った時に、

あぁあの時の味噌汁と一緒だと思った。


これから寒さが増す季節。

また野菜をことこと煮込む料理も楽しみな季節だ。

2014年10月14日火曜日

怒り尽くした、その後の自分

2ヶ月以上前に書いた『腹が異常に立った日の処方箋』
http://viva-vivir.blogspot.jp/2014/08/blog-post_10.html

概要は、仕事でAさんなる人物に腹を立てまくり、その後どうやって4時間も続いた怒りが治まったのか、という話。

今日は、その「怒り尽くした」後に実際に自分の身の上に生じたことを話そうと思う。

最初に断っておくと、あの後わたしは一度もAさんに怒り再発とはならず、

実に平和に過ごせたと思う。

今さらこれを書くのは、ずっと書こう書こうと思っていたけど、

それを行動に移したのが今日というだけのこと。

では、はじまりはじまり~。


4時間通しで怒りまくった翌日。

Aさんも出勤、わたしも出勤、周りの人たちもたしか全員出勤。

4時間続いた怒りは治まったものの、また顔を合わせたらムキー(怒)となるのではないかとか、

平常心で顔を合わせられるものだろうかとか、

昨日のことは水に流して新たな気分でAさんと付き合えるだろうかとか、

まぁ色々考えて仕事に臨んだわけだけど、

2人だけではないことも手伝って、特にあたりさわりない感じで仕事開始となった。

あたりさわりないとわかり、わたしは今度は【Aさん 対 他の人たち】とのやりとりを

ひたすら観察した。

もしうまく交わす方法があれば知りたかったし、

他の人たちが怒らないのであればどうして怒らずに済むのかとか、

淡い期待を抱いて観察していた。

観察していくうちに、わたしはAさんが憐(あわ)れになってきた。

かわいそうとか、気の毒とか、まさに憐れがぴったりの感情として出てきた。

何が憐れだったのかというと。

わたしだけではない、他の人全員がAさんに変な気を遣っている。

Aさんから、わたしの一挙手一投足すべてが注意されたように、

そしてそれは非常に不愉快だと全員暗黙の了解で分かっていて、

そんな不愉快さを少しでも減らすために、皆がAさんに極力巻き込まれないようにしている。

当時、ある一つの仕事のマニュアルにおいて、

大きく改変されるされないの瀬戸際にある事項があった。

Aさんは、詳細に渡ってきちんと把握したいタイプの人。

だけど、それが周りには、いちいち細かい人という風に捉えられ、

であれば、穏便に事を進ませるためにも、

Aさんには極力相談しない、報告しない、という流れに自然になっていた。

内容は、けっこう大切なことであるのに、

Aさんの普段の言動や思考が災いして、みんなAさんに情報共有を避けている。

それをはっきりと認識した時に、わたしはAさんが憐れになった。

いくら、やいのやいのとAさんから怒られはしたわたしでも、

そうした業務上の大切な情報はきちんともたらされたし、

わたしに気を遣って話してる風の人たちも誰もいないようだった。

だから、わたしは業務上のコミュニケーションを取る上で、

変な気遣いとか、無用な先回りとか、そういうものは基本的に必要とせず、

疑問に思えばそのまま質問したし、反対に相手方もそのままわたしに情報提供や

現状確認をスムーズに行っていた。

Aさん本人に悪気はなくても、Aさんの行動や言動により、大切な情報が共有されない。

そんな光景を冷静に観察していたら、

あれだけ怒り狂っていた前日の怒りパワーはどこ吹く風状態で、

もう、憐れ、憐れ、憐れ・・・という感情が湧いて出てきた。


さらに、その後期間終了を迎えるまで(3週間位)、

時々あれ??っと思うことはAさんに対してあっても、

「適当に流す」ことがなんだかできるようになったし、

あんなに4時間も怒り続けるなんてことはもうなかった。


勤務最終日。

その日は、別の方(Bさん)と一緒に仕事をした。

その時に、わたしはBさんから衝撃の事実を聞いた。

なんと、Aさん、わたしが居ないところでBさんに

「武士俣さん、今月で終わりだけど、何かみんなでしてあげないの??」

と聞いていたらしい。

実際に送別会にプレゼントに色々してもらったのだけど、

それを聞いて本当にびっくりした。

そして、初めてAさんとの間に起こった怒りの原因とAさんの人柄そのものは、

全く別物として理解できるようになった。

話を聞いたことで、Aさんとの間のものがきれいにリセットされたし、

最終的にわたしが受けた数々の受難は、

後に笑い話に転換されたし(実際にみんなで笑い飛ばした)、

最高にむかついたけど、まぁ後々もたらされたものも大きかったなぁと。


最後にまとめ。

今回、わたしは「怒り尽くした」ことが本当に良かったと思ってる。

4時間も怒り続ける、しかも自宅に戻って一人になっても怒り続ける、

なんていうのは普通に考えてみると異常なわけで、

でもあの時はもう怒る以外に手段がないかのように一人で噴火していた。

怒り続けたかったわけではないけれど、

怒りを止めることはもはや不可能で、いつか鎮静してくれるのを待つより仕方なかった。

もうこれ以上ないという位に怒って、

怒りのエネルギーを100%放出しきって、

怒り尽くした後に出てきた新たな感情(今回の場合は、憐れみ)。

そして、勤務最終日に知ることになった、Aさんの人柄。

もしかしたら、怒り尽くさなければ、Aさんの最後の話すらも、受け取れなかったかもしれない。

すべてが終わった今、もうAさんとのことは笑いのネタになっても、

怒りのネタにはなれない。

今、当時と同じエネルギーで怒れと言われても、わたしは怒れない。

目の前にAさんもいなければ、

すべては過ぎ去ったこと、なんだか可笑しかったことで片付いているから、

今さら怒れないのだ。

でも、もし、あの時怒るのを途中で止めていたら、その怒りはどこに蓄積されたんだろう・・・

また何かの拍子にひょいと顔を出して、わたしにさらに怒りをもたらしたのではなかろうか。


これは持論だけど、

怒り尽くすと

①怒りとは別の新しい感情が湧いてくる
(湧いてくる感情はその時々で違うだろうから、何が出てくるかはそうなってみないとわからない)

②未来において、そのことで怒りを再現することはない=心の平和

よって、怒りを全開に外に放出することは、とても大切だと思う。

2014年10月13日月曜日

温度差を知る読書

今のアパートに引っ越した後。

よくあるお宅紹介的な、インテリア雑誌を買った。

ある一人の方は、極力少ないもので暮らすことを軸にして、部屋をコーディネートされていた。

今でもその部屋を写した写真は好きで、時折その雑誌を開いて見ている。

唯一今のアパートでの暮らしにおいて、お手本にした人だ。

先日図書館で、その方が書いたエッセーをたまたま見つけて2冊借りてきた。

2冊とも丁寧な暮らしぶりがうかがえる。

そして、その読書を通して知ったことがある。

その方のお宅やそこに流れる空気感みたいなのにはとても憧れる。

ものに対する思いにも共感するところは多い。

でも、その方が思い入れするほど、わたしはものにも器にも思い入れがない。

例えば、「○○焼」というような、陶磁器を見に出掛けるほどの旅行にも行かないし、

器や布の素材にも興味がない。

器も布も見るのは好きだけど、わたしの中にあるバロメーターは、

使いやすいか、自分の好みのデザインか、というその程度のこだわりだとよくわかった。

それ以上のこだわりがないために、エッセーの内容も今一つ面白みに欠けていた。

これが、わたしの興味のつぼにはまる内容であれば、

ものすごく面白かっただろうと思った。

そんなことを感じながら読んでいた時。

ふと、この自分の中に生じた「温度差」に目が向いた。

「これは何が何でも好き!」と言えるほど興味のあるものは、今自分で掴めてないけれど、

「これには興味がない」というのは、はっきりとわかる。

下手すると、読書中他のことを考えて文章だけ目で追っていて、

気付くと何が本に書いてあったのかわからないほどだった。

そうなってしまう位に、わたしには興味のない内容だった。

逆に、わたしにとっては、その温度差を知る自分の中のアンテナの方が面白くて興味深かった。

これはすごいヒントとなって、

しばらくは「興味がありそうな分野の読書」に精を出してみようと思ってる。

読むとわかる。

ぐいぐい惹きつけられる内容と、そうでないものとが。

最終的に「ぐいぐい惹きつけられる内容」が何か、的を絞ることができればしめしめだと思う。

2014年10月5日日曜日

言葉から思い浮かぶ仕草

朝、目を覚ますのにすこしの時間読書をする習慣がある。

時間にして、たいてい5分10分だ。

今日もいつもと同じようにぱらぱらと本を読み進めた。

今日の本は、『台所のニホヘト』というスタイリストの伊藤まさこさんのエッセイだった。

彼女の台所でのこだわりや習慣が紹介されている。

とある一文に辿り着いた時、まさか彼女がわたしの知っている人と全く同じ癖を持っていて、

全く同じ思考回路でその癖を意図的に日常に取り入れてるとは。

わたしは最初その癖を知った時、ある意味衝撃だった。

すごく素敵な考えの素敵な癖だった。

同じ料理をするでも、断然楽しさが違うだろうというものだった。

もう目の前にその人がいなくても、ふと目に浮かぶ光景だ。

四捨五入するともう10年になる。

10年近く前のことでも、たった一行二行の文章で、一気に過去へと遡る。

わたしが憧れたのは、その生き方と人生に対する姿勢だったのかも知れない、

と今さらになって思う。

人生に影響を与えた人、まちがいなく5本の指に入る。

これから先何十年と生き続けたとしても、やはり5本の指のどこかには入ってる気がする。

失ったものの大きさに何年も苦しんだ。

元通りにならないものなのに、奇跡を願った。

だけど今日思い出した時、わたしははっきりと変化を感じた。

すごい素敵な癖は、多分一生忘れない。

でも、もう苦しくもなければ、奇跡も願わなければ、とても良い意味であきらめがつき、

そしてわたしはわたしの人生を生きよう、とはっきりと自分に誓っている自分が今いる。

今、外は台風の影響でまとまった雨が降り続いている。

これを明日書こうかとも思った。

明日ではなく今日書こうと思ったのは、

この雨がすべてきれいに洗い流してくれそうな気がしたから。

2014年10月4日土曜日

プレゼントのお返し

飲み仲間A子から突然メールがきた。

A子から飲み会当日又は前日に飲み会についての連絡はあっても、

飲み会でもない今日連絡がくるのは明らかにイレギュラーだった。

何の用事だろうと思って読んだら、こうあった。

「ぶっしー♡
もったいなくてなかなか使えなかったけど、
今日やっとぶっしーにもらったタオルおろしました。
大切にします!
ありがと(*^^*)」

記憶をたどると、4~5ヶ月前のA子の誕生日飲み会の時に、タオルをプレゼントした。

でも、それは自主的というより、その前にあったわたしの誕生日にA子がプレゼントを

用意してくれて、それのお返しという意味合いの方がうんと強かった。

そして、そんなことはすっかり忘れていて、今日言われるまで一度も思い出すことはなかった。

A子の気遣いがとってもステキだなぁと、心底うれしさ噛みしめながら思った。

そんなに大事にしまってくれて、そして今日おろして、

そしてさらにそれをわざわざ私に報告のメールまでしてくれる。

わたしなんかはプレゼントもらったらもらいっぱなしだけど、

こんな風に後から贈り主にありがとうと伝えるなんて、

自分が言われてみて、すんごくうれしいこと、プレゼント以上のお返しをもらった気分だった。


さて、そのA子からのメールの後、わたしは所用を足しに方々に出掛けたけど、

歩いている間、そもそもA子と仲良くなったきっかけは何だったんだろう・・・と思い返していた。

A子は去年の秋~冬にかけて勤めた職場で出会った。

圧倒的に女性の多い職場で、見ただけで派閥がありそうな、

しかもわたしは妙な時期に入って、気付けば1人で仕事デビューだったこともあって、

周りの人たちと挨拶こそすれど積極的に仲良くすることはなく、常に一匹狼だった。

A子とわたしは、2人並べるとわかるけど、誰がどう見ても仲良くなるタイプじゃない。

ファッションも興味も、なんだったらA子はわたしの10歳下(というのはうんと後から知る)、

とりあえず何もかもが真逆の2人という感じ。

そんなA子とある日、席が隣りになった。

そこの職場は、所定の席というのがなくて、毎日席替えされるところだった。

A子と隣りになった時、A子が積極的に話かけてくれたのが最初。

で、その日、仕事の合間をぬってA子とわたしが真剣に話した内容は、「占い」だった。

占いが本当に当たったりして自分の人生にどんな風に影響を及ぼしたか、

そこにはA子の過去も、わたしの過去も、あるがまま露呈された。

若干どころかとってもマニアックな内容で、その日の夜、

あんなにべらべら話しても良かったものか、後になってから悶々としたこともよく覚えてる。

でも、今振り返ると、結局その時を境にとても仲良くなり、一緒に飲みに行くようになった。


少し話は飛ぶけれど、そのA子と最初に話し込んだ占いの内容。

占い師さんの存在は、5年前に当時とってもお世話になった人(Yさん)から紹介してもらった。

それも、熱帯のドミニカ共和国で、すべてが「神が望めば!」という挨拶で片付けられる、

そんな国にいた頃に紹介された。

ちなみに紹介されたのは、名前と占いスペースのある駅の名前だけで、

日本帰国後、本当にその占い師さんを訪ねて、そこで色々自分にまつわる仰天エピソードを

聞いて驚いた。

生年月日と名前だけで何がそんなにわかるのか!?と思う位に、

色んなことをずばずば言い当てられた。

A子と仲良くなるきっかけの種を、わたしはYさんから5年前に受け取っていて、

それが今日のA子からのタオルありがとうメールにまで繋がると思ったら、

この時の流れ具合と、その時々で出会うちょっとしたやりとりとの連なりに驚きを隠せない。

そもそも占い師さんのことを紹介してくれたYさんも、

同じ日本人であれどそのタイミングでドミニカ共和国で出会い、

当時わたしが色々悩みまくっていたことに対して、話を聞きながら寄り添いながら

心にすっと染み入るアドバイスをしてくれた人で、

しかも占いとかに興味なんかなさそう~と勝手に思い込んでいたから、

そんな人が絶賛する占い師さんとはどんな人か気になって、

それで行ってみよう!という実に単純な理由からだった。

その時々は今ある現在(当時にしてみれば未来)を想定して選択したことではなかったけど、

こんな風に小さな積み重ねが思いもよらない未来を、人間関係を生み出すこともある。

こういうのを奇跡と呼ぶんだよ、とよく言われる通り、本当に奇跡の他の何でもないと思う。

2014年9月30日火曜日

終わってから見えること

1ヶ月前に終了した派遣先の人たちと今日会ってきた。

わたしの他にもう一人この夏の繁忙期対応で派遣の子がいて、

今日その子が仕事最終日だったから、みんなでおつかれさん会をした。

行ってみて感じたのは、良い人たちに恵まれたなぁということだった。

圧倒的に男性の割合が多い会社で、通常1部署に女性1人という配置だけど、

わたしがいた部署だけは別で、わたし含めて女性が4人いた。

年齢も考え方も生き方もまるっきり違う4人。

共通しているのは、同性で同じ部署で働いているということだけ。

もちろん100%すべてがぴったり合っていたかと言えば、そうではない。

表に出して衝突することはなかったけど、う~んそうじゃないんだけどな・・・と思ったことは、

恐らくお互い様だと思う。

当時は、日々の生活費が稼げたら仕事の内容は何でもいいと思っていた。

実際、仕事の内容にはまったく興味が湧かず、最後までどうやって暇な時間暇を潰すかや、

眠気とどうやって戦うかや、ほんとどうでもいいことにばかり神経を注いでいた。

でも、今日4人揃って顔を合わせた時、

この4人だから色んな珍事難事を一緒に笑い飛ばしたり、

作戦を立てて男性陣と交渉(抗議)したり、

おかしなお客さんのことをみんなで絶対に間違ってる!おかしい!と一緒に怒ったり、

そういうことができていたんだなぁと知った。

本当に人に恵まれていたんだと、今さらになって心に染み入った。

しかも、わたしがいた部署というのは、来月10月で合併により消滅することが決定したと

今日正式に聞いた。

(いた時からそういう話は噂になっていた)

そう、本当に今だから出会えた人たちで、少しでもタイミングが遅かったりしたら、

一生出会うことのない人たちだった。

働いていた時は、仕事に興味もなければ、日々の生活を営むことに精一杯だったけど、

振り返ってみると、もう二度とは戻れない、

そしてそのタイミングでしか出会えない人たちがいたんだとしみじみした。

年を重ねるに連れ、人との出会いがとても特別なものだということがわかってくる。

タイミングは一瞬。

4月、泣きながらこの夏の仕事を引き受けると決めた時。

本当に電話の向こうでやりたくなくてやりたくなくてぼろぼろ泣いていたけど、

あの時断る勇気がなくて良かった。

なんだか知らないけど、もう仕方ないと諦めて良かった。

あの時の涙も後悔も、それに勝る出会いが待っているだなんて当時は知る由もなかった。

よくわからない流れに乗ってきたこの1年余りだけど、

後悔ばかりでもなく、

行くところ行くところ、人には恵まれていた。

わたしは、この数年、少なくともこの5年の中でしてきた数々の選択について、

正直なところ良かったと素直に思えないことの方が多い。

後悔しているとか、もう一度過去に戻ってやり直したいとかではなく、

なんだろう、自分の選択が本当に自分にとってベストだったとは言い切れない。

どれもこれも全部自分で決めた。

人に決められてやったことは一つもない。

だけど、自分の辿った道に、自信がない。

色んな人に何をしていたのか、何をしているのか聞かれたけど、

この5年の間の数々の出来事は多く語らない。

言葉が詰まる。

でも、ひとつだけ絶対に誇れるものは、人に恵まれたこと。

自分がどこで何をしていても、人に恵まれた。

何か大切なものを与えてくれる人。

言葉ではなく行動で大切なことを見せてくれた人(多分、本人は教えているつもりはない)。

いざという時に力を貸してくれた人。

一緒に泣いてくれた人。

5年で、努力なしになぜか自然ともたらされた財産は「人」そのものだった。

2014年9月29日月曜日

今年の夏、一番感動したことは?

「今年の夏、一番感動したことは?」

とあるアンケートの一番最後に、上の質問があった。

それまですべての質問は、YES/NOクエスチョンだったのに、

最後だけ記述式で、しかも飛ばすことができないシステムになっていた。


質問を読んで1分後。

何も思い付かなかった。


次に、

「夏=6月・7月・8月」

という当たり前だけど、当たり前のことを確認した。


本気で、6月・7月・8月と自分は何をしていたんだろう??と振り返った。

仕事で忙しいこと以外何も頭をかすめず。

そうだそうだ、人生で初めて梅干しを漬けたんだった、と思い出す。


記述式アンケートに梅干しのことを書くのか・・・とイメージトレーニングすると、

梅干しを漬けたけど、「感動はしていない」ことに気付く。


梅干しはやめて、何か別のことを書きたいと思い始める。

思い始めても、思い付かないから、

家計簿を引っ張り出す。


今年は、年が明ける前後にスケジュール帳を使うのが面倒になって、

結局スケジュール帳はお蔵入り。

ただ、何をしたか何も残らないのは嫌だから、

せめて家計簿の右端3センチくらいの1ヶ月カレンダーに

誰かと会ったことだけは残しておこうと決めた。

だから、わたしは家計簿を出してきた。


6月と7月と8月の3ヶ月分を振り返る。

ちょびっとだけ、人の名前があり、ほっとする。

一応、誰かには会ってたんだとわかる。


6月の中頃。

妹ふたりと、下の妹の旦那(弟)の4人で会った。

多分1年ぶり以上だった、4人で会うのは。

4人で共にした、それぞれが自由気ままというより勝手な感じで、

勝手なのに妙な連帯感があって、

東京にいるのに、まったく別の空間にいるみたいで居心地が良かった。


アンケートには、その時の一番の思い出をそのまま「感動したこと」として記述した。

だけど、本当にわたしが感動した、言葉を失うくらいに「あっ!」となったのは、

3人と別れて、翌朝仕事に向かう通勤途中でのことだった。


何でだろう、あの時とつぜん、わたし含めた4人が頭上に浮かんで、

どういう順番かはわからないけど、この4人でお互いを看取ったり看取られたりするんだな・・・

人生の最期、この4人でそういうことをするんだなぁ・・・

と思ったときに、言葉を失った。


のちのち、人数が増えるかもしれない(増えていただきたい)。

増えても増えなくても、とにかくこの4人は確定している。

わたしが一番年上だけど、人の寿命はどういう順番で終わりを迎えるかはわからない。

ただ、どんな順番でも、4人で、少なくとも最初の一人のことは残りの三人で送り出せる、

そう思ったら、泣きそうになり、ただただひたすら足を前に進めるしかできなかった。


あの瞬間のこと。

通勤風景と自分が歩く感じと、そして回想していたこと。

その3つが合わさった瞬間が、今年の夏、一番感動したことだった。

失業中に嫌だったこと~親との関係

2014年9月29日

これは、いつか自分が堂々と自立した!と周りに宣言できる位に成功したら公開しようと思う。

だから、最初に日付がある。

2014年9月29日というのは、わたしが雇用保険受給の初回手続きを無事に終えた日で、

先ほど父親に年内~1月前半にかけては失業保険を受け取る、

すなわち年内は仕事を一切しないことを告げた。

現在35歳。

あと半年すると36歳になる。

結婚の予定どころか相手もいない。

この先のことは、これから自分で決めていかなければならない。

父親は、本当に困ったような声で、「これからのこと、考えないといけないな」と言った。

わたしも正直には、「考える」とは言っても、もうどうしていくのかおおよそ見当もつかない。

それについてはさておき、今回本当に嫌だったのは、

しばらく仕事をしないということを親に伝える、

さらにはその後親が確実に肩を落とし心配する、

それを間近に感じることだった。


レベルを落とせないもの~日記帳探し(続編)

先日、とうとう1年以上探しに探した、次期日記帳候補と出会った。

うちから電車で10分ほどの雑貨屋にどうやら在庫があるらしいとわかり、

それを見に行った。

表紙は申し分なし。

デザインもとっても気に入った。

中も見れるようになっていて、

100点満点とはいかなくても何とか折り合いをつけれるレベルだった。

さらに、どういうわけか、50%OFFになっていて、

もう買うしかない!と決めて買った。

今、目の前で見ていても、ステキなデザインだと思う。

シンプルで、色がきれいで。

とりあえず、日記帳に出会いました!ということで、1ページ目に日記を書いたのは数時間前。

数時間前から、一気にまた気分が急降下することになる。

今回の日記帳は、最初ネットで見つけた。

30件近いレビューの中で、たった一人だけインクのにじみ具合について残念と言っていた。

嘘か真か、真相は使ってみなきゃわからない!と腹をくくって家に持ち帰ってきた。

きたけど、残念。

そのたった一人の方のレビュー通り、インクが滲むというか、

次のページを開くと、前のページに書いてある事がすべて透けていて、

読めるくらいの感じだった。

一歩間違えたら、確実に滲む。

日記帳として使えるなら、ペンを変えてもいいと思った。

そして、今手元にあるペンを色々と試した。

残念なことに、シャーペン以外はすべて透けて見える。

筆記具を変えても解決しないとわかり、これはやはり日記帳探し続行しかないんだということに

行き着いた。



よく、生活のレベルを落とせない、と巷では言われる。

わたしの場合、色々生活上の制限があっても、とりあえず生きていけることは

実体験を通してわかった。

当然、制限が生まれるということは、生活のレベルも落とすことに繋がってくるけど、

それでもその中で楽しく生きる術はあるとわかったし、

意外にやっていける自分にもびっくりした。


でも。

今回の日記帳は、それこそレベルを落とせないものなんだと、今日よ~くわかった。

実は、この1年くらいの間だと思うけど、

もう一冊候補になった日記帳があって、実際に購入までした。

今回同様、今日出会いました!ということだけ、最初のページに書きこんだけど、

あまりの用紙の質の悪さにわたしはそのノートを結局捨てた。

どう考えても、愛着を持って数年使いこなすことはできそうになかった。

他の用法に変えたとしても、やはり使えないだろうと踏んだ。

わたしにとっての日記帳は、知らぬ間に「絶対にレベルを落とせない品質を求めている」

ということがわかった。

よく考えてみれば、わたしの鞄という鞄は、

すべて日記帳一冊がきれいにおさまることを大前提として購入されている。

どこにでも持ち歩いて書けることが、無意識のうちに大切な条件になっている。

なんだったら、停電で電気がない中、わたしはランプの明かりだけで書いたりもした。

日記を書くために、家では茶菓子や飲み物を用意し、洒落た器に入れたりもする。

それ位日記に対して、自分でもなぜかはわからないけど、熱を注いでいる。

書きたい時にしか書かないし、

回数で表すと月に1~2回位、多くても5回位でしかないけれど、

それでもなぜかとても大切な時間になってる。

書く手段はいくらでもあるけれど、

「日記帳」自体はわたしにとってとても特別な存在なんだと思う。

だからこそ、妥協も嫌だし、日記帳の質によってストレスが生まれることは絶対に避けたい。

自分でもびっくりする位に確固たるレベルがあるんだと、今回びっくりした。

2014年9月24日水曜日

日記帳を探して

1年ほど前から、次代日記帳を探し始めた。

今の日記帳も、約10年前、十数軒の文房具店を見て回ってようやく手にした一冊だった。

当時は、

色は茶色
リング不可
日付は自分で記入できるもの
罫線入り
表紙の素材は合成でもいいので皮素材に近いもの
表紙は無地

という条件をすべてクリアするものをひたすら探していた。

探すとわかるけど、本当にそんな日記帳、無いに等しかった。

新潟住まいだったわたしが、今の日記帳に出逢ったのは、新宿にある東急ハンズだった。

最初見つけた時、それは箱に入っている日記帳で、

さらに透明ケースに収められていて中身まで見れなかった。

近くに店員さんがいないのを確認すると、

悪いとは思ったけど、背に腹は代えられず、

ケースのセロハンをそっと剥がし、箱から日記帳を取り出し、中身を確認した。

上の条件をすべてクリアしていた。

最後の一冊のようで、他に在庫がないようだったから、

もう一度箱に入れて、

透明ケースのセロハンを貼り直し、

そして何事もなかったかのようにレジまで運んだ。

こだわっただけあって、約10年近く使ったこの日記帳、一度も飽きることがないどころか、

使えば使うほど愛着が湧いた。

どこに行くにも一緒で、

ひとりで旅した時も、

友達とどこか面白い土地を訪ねた時も、

その時その時に住んだ場所の家の中、職場の中でも、

どこへでも持ち歩いた。

祖母を亡くした時も、行き帰りの飛行機の中でこの日記帳は広げられた。

そんな日記帳も、今年2014年中に日記帳が終わってしまうのは、

残りのページ数と自分の日記のペースを合わせて計算すれば、100%確実だった。

だからこの1年ほど、思い付いた時に文房具屋をのぞいたり、

楽天やアマゾンなんかの通販サイトで必死に検索したりした。

今回は、色と素材にはそこまでこだわりがなく、

とにかく10年後も飽きずに使えるデザインで罫線入りで日付無し、リング不可とあれば、

ぴんとくるものがあったら即行で購入しようと決めていた。

決めていたけど・・・

無い。無い。無い。

通販含めて、恐らく1000冊以上はチェックした。

店も、前回の十数軒よりもっと足をあちこちに運んでいる。

でも、無い。

びっくりする位に無い。

日記帳自体は売っている。

だけど、ぴんとくるものが、一冊も無い。

あまりにもなさすぎて、ノート専門店やノートを自分でデザインできる店もチェックしたけど、

なぜかこちらの望む形態のものではないノートしかデザインできない現状で、

もしくは50冊以上の注文とか、

もう全然あてにならないとわかった。

ちなみに、今の日記帳は、もう生産停止をしていて在庫がない、とメーカーに直接確認した。

これはわたしが勝手に感じたことだけど、

どの日記帳も、日記帳をデザインした人は、自分で日記を書かない人だと思う。

ブログじゃなくて、紙の日記帳というものに、書かないという意味。

わたしのように、毎日書くのではなくて、書きたい時に書く人にとっては、

日付入りも困るし、何せ1冊終わらせるのに途方もない時間がかかるわけで、

デザインは飽きないものがベストになる。

10年後、このデザイン古くさいとか、ダサい、とかでは困る。



もう残り2ページとなった今日。

またネットで日記帳探しを始めた。

さっき1冊気になるノートはあった。

今回は、日記帳ではなく、厚いノートだったけど、

デザインはOK、でもたった一言が気にかかっている。

レビューが35件もついていたから、わたしはまたこのレビューを全員分読んだ。

たった一人のレビュー。

その方のレビューがとんでもなく気になったのは、

実際に使ってみてのインクの染み具合について、とてもにじむとあったから。

その方は最初万年筆を使われたらしい。

万年筆は全部しみて、全く使い物にならなくて残念、とあった。

ボールペンならOK、でも水性だとどうかな・・・(わたしの日記専用ペンは水性)

この言葉がとてつもなく気になり、今購入するかしないか迷いどころ。



日記帳を探し続けて1年あまりが経った今。

時代は変わったんだなと思う。

この10年で、ブログ含め、色んな発信ツールが個人向けにとても発達した。

手帳も、デジタル化がだいぶ進んでいると思う。

だけれども。

アナログで書く日記帳には、そこにしかない良さがあって、

携帯電話やパソコンを持ってみても

「あぁ時代と共にわたしと歩んできたんだ」

なんて一度も思うことはないけれど、

日記帳を持つと、それは全く反対で、

本当に自分の歩んだ道と一緒に歩いてくれたパートナーなんだなぁと感じる。

ひたすら、次のパートナーに無事出逢えることを願うのみの毎日だ。

2014年9月21日日曜日

継続は力なり

1ヶ月と10日ぶりくらいにブログを書いて、びっくりしたことがある。

「書けない」ということ。

自分の思ったような文章が書けなくなっていて、本当にびっくりした。

運動選手が1日休むと、本来の力が回復するのに2日とか3日かかる・・・

というように、

書くことも書かずにいると、書き方含め脳の動かし方を忘れる。

他の人はわからないけど、わたしの場合、書く時のテンションは他の時と全く異なる。

仕事モードと休息モードが違うように、

そう、それ位の差があるように、わたしの場合は書いている時のテンションは違う。

大袈裟に言うと、瞑想に近い状態だと思う。

洗い物をしている時や、シャワーをしている時の状態を思い浮かべて欲しい。

あれに近い感覚で、わたしはひたすらキーボードを思いのまま叩いている。

文章の構成も考えなければ、何書こうかなんて悩むこともなければ、

本当にひたすらひたすら書いている。

話を戻して、さっきアップしたブログ。

あれを書いていて、とにかく驚いた。

書こうと思っていることはあるのに、文章と文章を繋げられない。

自分の中では時系列になっていても、

いざ文章に起こすと、突然違う話をしている。

自分で読み返すと、非常にわかりにくい。

おかしい。

本気でおかしい。

毎日何かしらを書いていた時は何とも思わなかったけど、

随分と書かないでいると、本当にその感覚を忘れてしまうんだということがわかった。

他人の文章を読んでいるだけではダメ。

写経のごとく、写してもダメ。

とにかく、自分の手を使って、感覚を使って、

「書く」ことそのものをしないと、感覚は忘れ去られる。


「継続は力なり」

ほんとうにそのとおり!

と思った出来事だった。

断捨離=過去との決別

しばらく時間ができたことで、やりたいこと・気になっていたものをリストにした。

その中にいくつか「整理」という言葉が出てきた。

靴箱の整理
服の整理
紙の整理


最近、父親から譲り受けた1~2泊用のキャリーバッグがクローゼットに仲間入りした。

元々スペースがないに等しいクローゼットにそのキャリーバッグを収めることになり、

ということは、キャリーバッグと引き換えに何かを処分する他ないわけで、

ここ数日、のらりくらりと断捨離も兼ね、片付けにいそしんでいる。

まだ、途中経過だけれど、今回思いきり大きなものを処分した。

正しくは、サイズは小さいけど、処分するのにものすごい勇気を要すという意味で、

「大きなもの」たちだ。

いくつかあるけれど、代表的な物は2つ。

自分の名刺。
単価が一番高かったセミナーの資料。



自分の名刺・・・。

過去に100枚単位で作った名刺。

ネットサーフィンして、自分が本当に気に入ったところへ作成をお願いした。

デザインは、今でもすごく好きだし、気に入っている。

申し分ない。

でも、そこに記載されている自分の肩書(職業名)が嫌だ。

自分で付けた肩書(職業名)だったけど、自分でぴんときていなかった。

その肩書(職業名)が自分を表すものだとは到底思えなかった。

でも、何かしら名乗らなければ何をしている人かわからないから、

何かしらは名乗る必要がある、と当時は思い込んでいた。

それは今でも思っているけれど、でもわたし自身が納得できないものを名乗っても仕方ない。

代わりの名も思い付かずに今に至るけど、

もうこの名刺を誰にも渡したくない、とはっきりと思った今回。

捨てることに決めた。

今手元にある名刺は、全部ゴミ袋に入れた。



もう一つの、単価が最も高かったセミナーの資料。

これは、単純に「いらない」と思った。

多分3年ほど手元に置いてあると思うけど、

これまで一度たりとも見直したことがない。

当時の自分のメモがちょこちょこ書いてあるけど、

それを見直そう、という気分にもいまいちならない(よって、見直していない)。

ふと。

自分がいきなり明日ぽっくりいきました、なんてことになったら、

これらぜ~んぶ「ゴミ」になるんだ・・・

どんなに高価だろうが、そこにどんな思い入れがあろうが、

わたし以外の人から見たら「ゴミ」以外の何物でもない。

ぽっくりだとあまりにもスケールがでかすぎるけど、

これが引っ越しだったらどうだろう。

引っ越しだとしても、やはり次の場所へ持ち込むものではないんだ、とはっきり悟った。


もっと安いセミナーの資料の方がむしろ捨てれずにまだ手元にある。

大量の資料は、今回断捨離にかけるべくリストにアップされている。

これからまた気が向いた日に手元に残すもの、残さないものを分別する。

なんで安い資料を残して、高い資料を捨てたのか。

その差を知りたくて、今明後日のゴミ出しにスタンバイしている高い資料を

袋から取り出してめくって見た。

なぜかわかった。

ひとつは、きれいごとを並べている自分が嫌だから。

当時の思いや考えがメモされているけれど、

どうも周りの目を気にした自分や

セミナーそのものの雰囲気にのまれた自分というものになっている。

「本音」「心からの叫び」という感じではなかった。

もうひとつは、単価は高くても、高い=自分にとって有益な情報ではなく、

値段に関係なく、自分にとって有益がどうかというのは、わたしにしかわからない。

その資料について言えば、3年近く見直さない位に有益ではなかったということ。

それが瞬時にわかったから、すぐにゴミ袋へ入れられたんだと納得した。


名刺も、資料も、どちらも共通しているのは、過去のものだということ。

過去の自分を否定するでも打ち消すでもなく、

過去に体験したことは体験したことのまま、

でももう今の自分には必要でないから、不要な「物」は処分する。

そういう割り切りが今できている。

あさってのゴミ出しの日に、多少は後ろ髪引かれる思いが湧き上がるかもしれないけど、

やっぱり手放したい気持ちが大きいから手放す。

2014年8月10日日曜日

腹が異常に立った日の処方箋

ここ何年、下手したら社会人になってから初めて?という位、

今日は仕事で腹が立ちまくった。

そもそも今日は日曜日で、日曜日は「当番」と呼ばれるだけあって人数は最小限。

今日はわたしともう一人Aさんの二人だけ。

Aさんの言動という言動に、行動という行動に、とことん神経が逆撫でされた。

社員のAさんの2倍量の仕事を派遣社員のわたしが執り行うという、

ほんとうに大袈裟でも話を盛ってるわけでもなく、

そんな意味不明な仕事の分担に加え、
(Aさんのペースが遅くて、結果、負担がしわ寄せでやってくる)、

わたしの仕事のひとつひとつにすべからくケチをつけ、

なんだったらAさんの本来する仕事までわたしにやるように言い、

やったらやったでAさんのやり方と少しでも違うとそこをとことん指摘し、
(言うけれど、間違った対応は一切していない)

挙げ句の果て、毎回対応方法がバラエティに富んでいるから、

イレギュラーな依頼が来たら社員に確認しないとわからないのに、

最後の最後、

「もう8月で終わりだけど、きちんとプロセス理解していないと・・・(社員側が)つらいね」

と言われてしまった。

ぶちぶちぶちっ、とMAXに腹が立ったけど、もう何も言い返す気力もなく、

自分のやれるところまでやって退散した。

その場を離れても、怒りは1時間以上尾を引いた。

当然何回も何回も今日は攻撃を受けてる状態だったわけで、

明らか理不尽なことは、最初訂正を申し出たりもしたけど、

訂正しても、「はい」と返事しても、もう何をしていても言われ続けるから、

とにかく、消化不良の怒りで満載だった。



前置きが長くなったけど、そんなこんなで家に到着。

まだその怒りから全然離れられずにいたから、

とりあえず携帯でニュース読んだり、最近はまってる某ブログたちを読み漁ったり・・・

そうこうしているうちに、ふとこれまでの人間関係に意識が飛んだ。

ちょうど2人の友達と昨日今日でやりとりしていたことも重なり、

その2人から受けた心くばりに意識が集中した。



わたしが心から尊敬する料理家の高山なおみさんが、

心が弱った時や緊張している時は、

自分の大事な家族や恋人、友達などを思い浮かべて、

その人たちひとりひとりに応援されてる、

その人たちが自分のことを応援してくれてる姿を、ひとりずつ丁寧に思い浮かべる作業をする、

していくうちに心が軽くなったり、緊張が和らいだりする、

その人たちから力をもらえる、たとえすぐ近くにいなくても、

というようなことを言われていた。



今日、その言われていたことを体感!!!

2人からしてもらったことを通じて、

仕事でさんざんだったけど、

この2人からは良いエネルギーをもらっているんだなぁと気付かされた。

具体的な思い出を振り返っているうちに、

何とも言えない良い心地になってきて、

そのうちす~っと怒りがおさまってきて、

そうだ、この体験を書こう!とパソコンを開いた次第。

書いているうちに、別の友達が

「今やってる『劇的ビフォーアフター』は舞台が新潟だよ!!」

とメッセージが来た。

そんな小さな知らせを知らせるためにわざわざメールしてくれる友達。

非常にありがたい。

いいぞいいぞ、運気上昇中!!!とひとりで舞い上がった。

ビフォーアフターの友達とは、「日々の積み重ねが色んなものを形作る」という話にまで発展し、

色々奥深い話をしていくうちに、あの仕事での怒りはいつの間にか消えていた。

自分の焦点が、友達とのメールやこのブログに移っただけかもしれないけれど、

そもそもは周りの人たちとの小さな思い出ややりとりを思い出すことで

消化不良の怒りたちがやわらぎ、

あの苛立ちから4時間経過、苛立ちきれいに拭い去られた。

今はとっても気分がいい。


最後にまとめ。

「腹が異常に立った日の処方箋」

自分の好きな人たちを一人ずつ具体的に思い浮かべ、

その人(たち)との思い出なり会話なりを振り返る。

そうしているうちに、ふと心の転換がやってくる。

2014年8月9日土曜日

食についてのあれこれ

ここ1年位だろうか、外食しても「おいしい!」と思うことがとっても少なくなった。

基本的に食べることがとても好きだし、好き嫌いもないに等しいし、

どんなものであれ、出されたものはきれいに食べる習慣がついているから、

食べ残すこともないけれど、

「これ、うまい、また食べたい!」というのは少ない。

例外的に、精肉店直営の焼肉食べ放題のところと、ホルモン専門店のところは、

いつ行ってもおいしいし名古屋にきてから何回通ったかわからない。

あとは、近所の毎朝手作りの小さなパンを出してくれるモーニングのお店とか。

でも、基本的に何度も通うということは、ほとんどない。


ついこの間、手作りお惣菜のおいしいお店と呼ばれるところに初めて行った。

結果として、「わたしでも作れる」という感想だった。

もっと言うと、すべてしょっぱくて、しょうゆならしょうゆ、味噌なら味噌、塩なら塩の味が

単体で際立っていて、調味料を口にしているのか、料理されたものを食べているのか

わからない位だった。


自分が料理上手だとも思わないし、料理に異常なこだわりがあるわけでもない。

でも、日々自炊していると、大抵のものは作れるようになってくる。

しかも、材料や調味料も特別高価なものでなくて、スーパーで安価に入手できるもので、

十分おいしいものができあがることも知っている。

そういう風に自分の舌が慣れてくると、

お金を払って食べるお店というものに対して、

中途半端なものを出していることに、損した気持ちと残念な感じと、場合によっては怒りなんかも

ふつふつと湧いてくる。

お金を払ってサービスを受ける、この場合なら食事になるわけだけど、

そういうものに対して、ある程度のレベルでないと満足できない自分に気付いた。

逆に、ファーストフードなんかだと、安い速いが売りで味は二の次と思うと、

ふつうにおいしいと思って食べられる。

わたしが苦手なのは、「食にこだわってます!」風に見せかけて、

人の手を介してすべて調理されていて、

なのにおいしくなかったりまずかったりすることなんだと思う。

2014年8月3日日曜日

海から届いた一期一会

今日、市内のとあるデザインの展示会に行ってきた。

正直、案内のデザインを見ても、そこに添えられている言葉を読んでも、

いったいどんな展示なのか、皆目見当もつかないまま行ってきた。

面白そうという気持ちはもちろんあったけど、

それよりも、妹の旦那のお兄さん夫婦がふたりで創りあげてるもの、

だから見にいってみたい、という気持ちの方が強かった。


行ってみて、驚いた。

「一期一会」とは、本当にこういうことを言うんだと思う。

細かいことを書くと、大切なアイディアがばれてしまうからたくさんは説明できないけど、

お兄さんたちがしていたのは、

海辺に落ちているもの、それもひとつとして同じものがないものを見つけ、

その見つけたものでまた唯一無二のデザインを創り上げていた。

海辺に落ちているものも、特殊なものではない。

言われてみれば、あるある!というもの。

はっきり言って「ゴミ」と言われても、まったくその通りというものなのに、

お兄さんたちふたりの手にかかると、

それはゴミではなく、特別な意味合いを持ったものになり、

そしてそれが新しい命として別のものに生まれ変わる。

目の前に広がるデザインのみなもとはすべて、

人の手から海に流れ、波打たれ、浜に打ち上げられ、

そしてそこに希少性を見出すお兄さんたちに見つけ出してもらったものたちだった。

すごい偶然が幾つも重なり合って、最後は人間がイメージするものとして再生する。


デザインももちろんすごいのだけれど、

ひとつのデザインのうしろに広がっているストーリーを思うと、

果てしない一期一会に気が遠くなりそうになる。

「神業」という言葉があるけれど、本当に神様がいるとしたら、

その作品のすべてに神様が降り立っているような感じだった。

2014年7月24日木曜日

心理検査の落とし穴

「エコグラム」と呼ばれる心理検査がある。

全部で50問(10問×5分野)、YES・NOで答えていく(一応、どちらでもない、も有り)。

わたしがエコグラムを最初受けたのは、今から10年ほど前。

通信制の大学の心理講座の中だった。

実際にキャンパスに行って、対面式の授業を受けたのだけど、

その時のわたしの結果の分析の言われようは、相当ひどいものだった。

大学で教鞭がとれるわけだから、少なくとも博士号なんかを持ってられる、

カウンセラーの先生だったと思う。

先生は、わたしの数字的な結果と、その結果を折れ線グラフのようにした図の両方を見て、

「あなた大変でしょう!?

色々と生きづらかったり、人との関係の中で大変でしょう!?」

そんな類のようなことを言われた。

わたしはいきなりそんなことを言われて、はっきり言ってパニックだった。

わたしがぴんときてなくて、答えないうちに、

「お母さんとの関係で、何か思い当たることない?」

とさらに質問を重ねた。

これが1対1のやりとりではなく、数十人授業を受けている中での出来事だった。

その場では何が何だかわからず、わたしは授業の後にもう一度個人的に先生に質問した。

どんな意味や意図でそういうことを質問されたのか、当時のわたしには理解できなかった。

先生は、とにかく親子カウンセリングの必要性をわたしに説き、

わたしはわたしで、自分の親子関係の悪いところを必死に探そうとし、

何かがまちがっていたんだろうか・・・という不安ばかりが募って、それっきりになってしまった。


その後も、2回程度は、エコグラムを何かの折に受けたと思う。

よく就職試験なんかで使われたりするから、そんな感じで受けた記憶がある。


で、今回、興味が湧いて受けた心理講座の中にまたエコグラムが登場した。

最初のスタートから数えて10年以上は経過したかと思う。

そこで、わたしは、当時なぜあれほどに先生にマイナスにしか取れないようなことばかり

言われたのか、言われたというより、先生がどうしてそういう発言に固執したのか、

その謎がよく解けた。


人によっては、エコグラムの折れ線グラフの形が変わったりするらしいけど、

わたしは、その初回から今回のも含めて、数回分すべて同じ様相の形だった。

だから、わたし自身、基本的な考え方や行動はあまり変わっていない。

で、そのわたしの折れ線グラフの形というのが、

「人間関係に振り回される、典型的な例」

にぴったり一致するものだった。

この、「人間関係に振り回される、典型的な例」

という分析は、実は今回初めて知った。

わたしは、今回講座を担当した先生のところにも、個別に聞きに行った。

でも、今度はちょっと違う質問をした。

わたしが質問したことは、

自分は人にはとっても恵まれていると思っている、

これは今だけじゃなくもうずっと長いことそう思っている、

周りの人にもそう言われたことまである位に本当に恵まれている、

なのになぜ、人間関係に振り回される典型的な例になるのかがわからない、

そう質問した。

先生の答えはいたってシンプルだった。

「貴女、困ってないんだよね?だったらそれでOKよ!」

その後補足して、

一般的にはそう言われてしまう形ではあるけれど、

本人がそう感じてなければ違うってこと。

ついでに最初に受けた時の、当時の先生に言われたことも伝えたら、

「それは、その先生が一般的な理論に当てはめて貴女を見ていただけ。

こういう結果なら、こういう性格の人だと決めつけて話していただろうから、

だから、そんな内容のことを言われたのかな・・・」

あと、人間関係に振り回されるという傾向が強い形ではあっても、

ひとつひとつのパートを見ていけば、

楽しいことが好きで、裏表がなくて、面白い人っていう風にもなるから、

周りにはそう映ってるんじゃない?とまで言ってもらえた(←これはとてもうれしかった)。


長いこと、なんであそこまで強く言われなければいけなかったのかわからなかったことが、

今になってわかった。

最初の先生は、理論が最初にあってその後に目の前のわたし、

要はわたしが二番目だった。

目の前の人よりも、理論が勝り、当然わたしは混乱し、

わたしもわたしで、この人はわたしの何も知らないのに、何を好き勝手に言ってるんだろう・・・

と思えば良かったけど、そう思えるだけの自信がなかった。


わたしは、やっぱり人は、たとえどんな人でも、

数字や傾向だけでは推し測ることのできないものだと思っている。

同じ人でも、昨日のその人と、今日のその人と、明日のその人と、

それぞれ状態が違う。

ある程度の枠組みはあった方が便利だし必要だとも思うけれども、

それによって目の前にいる人が決めつけられてしまうことは本末転倒だと思ってる。


当時は、とっても不愉快な思いをしたし、

必要以上にいろんな不安や葛藤がのちのちにもたらされるようなことにはなったけど、

この心理検査の落とし穴的な体験ができたことは、ある意味とっても貴重だと思ってる。

2014年7月9日水曜日

35歳4ヶ月

この日記の公開は、いつかこういう自分をさらけだしてもいいなぁ~!
こんな時代もありました、私!と堂々と胸を張れる時に公開したいと思う。
(2014.7.9)

私が想像していた35歳の自分は、

結婚して子育てしている私。
もしくは、自分の天職はこれ!と定めてひたすら突き進む私。
もしくは、まだ天職と堂々と言えなくても、なんとなく少しずつ形にしだしている私。

この3つのどれかと思っていた。

まだ30代前半の時の自分の想像だった。

まさか35歳になって、
結婚もせず、
当然子育てもせず、
派遣で仕事をして、
何がしたいのかわからず、
焦りと心配と不安でいっぱいで、
肩で息をしているような日々を送ることになるとは、
もう想像外だった。

こんな風に毎日を過ごしたいなぁ・・・
あんな風に生きたいなぁ・・・
そういうことを想像することが、とっても苦しくなった。

どうせ駄目なんだ自分は・・・とか、
誰誰、○○のせいで自分は・・・とか、
そういうことは思わないけど、
何やってんだろ自分は・・・とは思う。

なんでみんな迷わずに前に進めるの?と不思議でならない。

それぞれ見えないところで悩んだり迷ったりしているんだろう。

でも、そんなの微塵も感じさせない位にバイタリティがあったりする。

私は、迷いまくり、立ち止まりまくり、でも答えを出そうとしない、

どこからどこまでもスパイラルだらけで苦しい。


世の中の梅干しの怪

今年初めて梅干しなるものを漬けてから、

今日ふと気になったことがひとつ。

一般に市販されている、梅干し、の存在。

梅そのものは、1年365日あるうちの、多分1ヶ月にも満たない位しか市場に出回らない。

春や真夏、秋、冬に梅が売られているのは見たことがないし、

実際に収穫不可能なんだろうと思う。

つい2週間くらい前まではぎりぎり売られていた梅も、七夕を過ぎた今は目にしなくなった。

でも、スーパーの漬けものコーナーに行けば、

いつだって梅干しは数種類陳列されている。

春も夏も秋も冬も関係なく、売られている。

手作りをごり押しするつもりもなければ、

添加物反対!とか、自然由来のものしか口にしない!とか、

そういうことも一切言うつもりはない。

だけど、今回梅干しを自分で漬けてみてわかったのは、

梅、特に熟しだした梅というのは、あっという間に傷む。

黄色くなって、いい香りだなぁ~なんて悦にひたった3日後には、

茶色い斑点が!、あぁ白いカビが!とか言う羽目に。

それくらい、梅の旬は一瞬で、すぐに手を打たないと大変なことになる。

通常、(梅干しを漬けてから)食べ頃とされるのは、秋らしい。

まるで、新米の時期に合わせたようだけど、色んな本や梅干し先生(母)いわく、

秋くらいとのこと。

じゃあ、あの市販されている梅干しは、一体いつ収穫されたもので、

一体いつ仕込まれたものとなるんだろう・・・?

単純に考えてみれば、添加物しかあの梅を救済するものはないんじゃないかと思う。

わたしは、今回あの超スピーディーな傷み具合を実況中継並みに観察していたから、

だからあれを防ぐために使用される添加物の量といったら、

そりゃあ半端ないだろう・・・・・・

というのが素人目にもわかる。

これからも多分ふつ~うに添加物満載の食べものを口にするだろうし、

添加物ゼロの食べものを探す方がうんと大変だと思う。

だけど、今回、自分で実験的に始めた梅干しを通して、

まさか添加物の恐るべき強さを目の当たりにするとは・・・

想像外の産物でした。


2014年7月5日土曜日

梅干しを漬ける

本の影響で、ことし人生で初めての梅干しを漬けている。

料理家の高山なおみさんが、

梅干しを漬ける時期に部屋中に充満する梅の香りがとっても楽しみだ、

1年の中でもこの時期にしかない楽しみ・・・

というような内容のことをエッセーで書いていた。

それを読んだのはたしか冬くらいで、

その頃から梅が出回る時期をそれはそれは楽しみにしていた。

梅干しを漬けることより、「部屋中に充満する梅の香り」の体験をしたかった。


母親は、物心つく頃より毎年梅干しを漬けていた。

だけど、興味がないというのは、目の前で梅干し先生がいてもいないも同然で、

今となってはとっても勿体ないことをしたと思う。


梅干し1年生のわたしは、とりあえず、

母の難解な教授(電話)と、
クックパッドと、
スーパーに置いてあった梅干しの漬け方の紙と、

それぞれを組み合わせながらやっている。

母の難解な説明を聞いた後、クックパッドで写真付きの工程を見ると、なるほど納得だ。


話が飛ぶが、「梅干しを漬ける」ことに興味を持ちだしてから、

はじめてスーパーに並ぶ梅を観察するようになった。

梅干し用の梅は、青梅ではなく、黄色い熟した梅が適しているとのことだけど、

青い梅が並んで、次いで黄色い梅が並ぶ、という季節に沿った変化を

今年はスーパーに行くたびにわざわざ立ち寄って見てみた。

本当にその通りだった。

6月の最終週、なんとなくこれが最後の梅のような気がする、

と思って黄色い梅を買った。

買っといて良かった。

なぜなら、本当にその後、梅が店頭に並ぶことがなかったから。


すぐにでも漬けて良い状態だったにも関わらず、

わたしはその買った黄色い梅を数日放置した。

放置したことが吉と出るか凶と出るかわからないけど、

少なくとも高山なおみさんが言われていた

「部屋中に充満する梅の香り」を思う存分堪能した。

わたしの場合、3日ほどしかそれは楽しめなかったけど(梅が傷みだしたから)、

本当にその匂いをかぐためだけに毎年梅仕事をしてもいい!という位の、

この上ない楽しみな香りではあった。


赤紫蘇は、梅が終わる頃、店頭に並ぶことも今年はじめて知った。

母や本の中の説明通りだった。

こういう旬のものというのはすごい。

数日の違いこそあれど、寸分狂わず、毎年同じような時期に出回る。


この1年ほどだろうか、こういう季節の移り変わりや旬のものへの興味が強くなってきた。

小学校のときの、朝顔やひまわりなんていうのは全然興味が湧かないものだったけど、

今の年齢になって、初めてそういう自然の流れや自然の力みたいなもの、

それを楽しみながら観察したり、実験のように何かを体験するようになった。

2014年7月2日水曜日

シンさんの声

うちの父母よりたぶん10歳くらい年下の家族ぐるみでの長いお付き合いの人がいる。

「シンさん」と母と私たち3姉妹は呼び、父は「シンちゃん」と呼ぶ。

いつだったか、シンさんの本当の名前を知った時、

なぜシンさんがシンさんなのか、皆目見当もつかない名前でびっくりした。


用事があって実家に電話をしたら、父が電話に出て、

「今シンちゃんと飲み交わしてる、ちょっと待ってくれ、シンちゃんに代わるから」

と言って、いつぶりかわからない位にシンさんの声を聞いた。

成人してからシンさんと話をすること、まして電話するなんて本当になくてびっくりしたけど、

電話の向こうでは、「ふみちゃん」と私を呼んでかまってくれていた時と同じ声をしていた。

もうあれから、30年近く経過してると思う。

さすがにふみちゃんとは呼ばれなくても、全然年をとらないシンさんの声を聞いて、

ほんの1分にも満たない会話だったけど、電話を切ってから、色んなことを思い出した。


私たち3姉妹をまるで姪っ子のようにかわいがってくれた人だった。

ふざけてシンさんのトイレを妹たちと覗いたこともある。

多分、当時専業主婦の母の外せない用事の時に、

わたしたちのおもりをしてくれたこともあったように記憶している。

シンさんとホットケーキを作った記憶もある。

シンさんの本名を知ったのは、いつかの年賀状だったと思う。

なんとシンさんは、私たち3姉妹にそれぞれ1枚ずつ年賀状を送ってくれたことがあった。

両親宛てとは別に、各自に1枚ずつ。

うらには、「シン」と書いてあって、でも表はちがう名前で、父か母に真相を尋ねたように思う。

たしかに、時代はまだ手書きが大半だったにしても、

血のつながりの全くない、先輩?の子ども3人に年賀状を送るだなんて、

今になって、それってとってもすごいことだと思う。


年々、年老いていく父と母。

その父に今もこうして時々会いに来てくれる、父を慕ってくれる年下の人がいるというのは、

なんとありがたいことかと思う。

母が仕事から戻ってくる時間を見計らって、

シンさんの家で採れた農作物やおいしい食べものを届けに来てくれることもしょっちゅうだ。

数年前、シンさんは地元では出世街道と言われる道を自らの意志で退いた。

その時も、決める前にも後にも父のところに顔を出して、相談なり報告なりしていた。

(わたしは、後から母に聞いた気がする)

人生の節目節目で、そういう関係を持てるというのが、どれだけ貴重か・・・

大人になった今なら自分も理解できる。


シンさんの声。

たった数十秒の会話の声は、

子どもの頃の情景がいっきによみがえり、

そこに登場する、ふみちゃんもゆうちゃん(妹)もよっちゃん(妹)ももれなくプレゼントされる。


子どもが愛されて育つことの大切さは、色んな方面から支持され説かれている。

ほんとうに、その「愛されて育ったんだぁ・・・」と実感できるのは、

そしてそれを体の芯から感じて分かるのは、実は大人になってからじゃないかと思う。

父母を大切にしてくれ、そしてその子どもたちまでもを大切にしてくれる。

そんな存在をわたしたち家族が持てたこと、すっごく誇らしい。

2014年6月30日月曜日

本音を伝えるむずかしさ

長い付き合いの友達から、人生の局面にまつわる、ある情報提供を求められた。

相手を不安にさせてもいけないと思い、1回目は単純にあるがままのわたしから見た情報をそのまま伝えた。

でも、伝えてからも、うそはないにしても、本当の部分をうまくはぐらかして伝えていることが気になった。

うそは言ってない。

でも、本音も言ってない。

なんだか気持ち悪い状態だった。

1日置いて、相手からメールの返事も来て、

それを読んでやっぱり本音を伝えようと決めた。

さっき、思いつくがまま、メールをした。

送ってしまえ~!と送ったけど、あれから1時間2時間と経った今、

読み返すと、う~ん、本当にこれで良かったんだろうか!?と思ってしまった。

本音をストレートに伝え過ぎた内容だった。

もっと読み返して送るべきだったと、後悔先立たず。


関係の浅い人に対しては、言い方や言葉をそこまで深く追求しない。

でも、関係の深い人ほど、わたしは、言ってから、うだうだと本当に良かったのかな~と振り返ってしまう。

本音(この場合、=私の超度級の主観)をありのまま伝えるって、多少なりとも勇気がいる。

自分の発言によって、相手を不快にさせたらそれはもう後の祭り。

それよりも、本当にその本音を伝える必要があるのか、

ストレートに言う必要があるのか、

そもそももって、伝えないという選択でもいいのではないか・・・

そんな部分でもやっとしてしまう。

言った後で、もうどうにもならないのに・・・


本音を伝えるってむずかしい。


2014年5月25日日曜日

いつもと違うことをしてみる

金曜日の夕方。

久しぶりに通院する。

そこのクリニックは、大きな公園の目の前に面していて、

同じビルの1階には、オープンテラスを兼ね備えているカフェがある。

かれこれ4年ほど定期的に通院しているけど、

そのカフェには一度も入ったことがなかった。

その日も、そのまま家に帰るつもりでいたら、『HAPPY HOUR』の看板が目に入った。

1杯の値段で2杯飲めるとのこと。

よく考えたら、これまで一度も平日の夕方に通院したことがなかったから、

HAPPY HOURの存在を知らずにいた。

多分これから先、平日の夕方に通院することなんかないだろうから・・・

と自分のいいように解釈して、そのカフェに入った。



よく、行動のパターンを変えると、何か新しいものと出会うと言われる。



その偶然入ったカフェも、結果的に、ふたつのものをわたしにもたらした。


ひとつは、目の前のサラリーマンのお客さんの仕草を見て、

過去にあった思い出すとうれしくなる出来事を思い出した。

その場でノートを広げて、出てきた言葉たちをそのまま綴った。

ビール飲みながら、回想しながら、つらつらと書くという行為を久しぶりにした。

その時の高揚感を存分に味わい、いいお酒だったなぁとひとりで悦に入った。


もうひとつは、帰りのレジの近くで、フリーマガジンを見つけるのだけど、

そのフリーマガジンの表紙に、最近うだうだと考えていたことのヒントが書かれていた。

考えていたことは、憂うつな要素を含んでいたけど、

表紙の言葉を見て、そのすべてが憂うつでもないんだなぁと気付かされた。

そのフリーマガジンは、初めて目にしたもので、

今回このカフェにこなければ出会うことのないものだったんだということもわかった。


日曜日の今日。

ひとつめもふたつめも、両方文章に起こして、久しぶりにブログに残した。

ずっとブログに向かえなかったから(向かう気分にならなかったから)、

だから久しぶりにパソコンでキーを叩いて言葉にするのは楽しかった。



いつもと違うことをしてみる。

たしかに、おもしろい発見、おもしろい日常が待っている。

2014年4月29日火曜日

料理家 高山なおみさん

人物について日記を書くというのも何だか変な感じだけど、

とにかくここ半年くらい、強烈に惹かれてはまっている人だからここに書き残す。


高山なおみさんの一番有名な著書は、恐らく『日々ごはん』という12冊に渡る日記だろう。

この日記の存在は、名古屋に来た5年くらい前から知っていた。

何人かの著名な方がこの本を紹介している文章も読んだことがある。

本屋さんの料理コーナーのエッセイの棚には、たいがい置かれているのも知っていた。

だけど、当時、ぱらぱらっと斜め読みして、何がそんなに面白いのかわからず、

深く読むことは一度もしなかった。


4年5年越しに、わたしはそれをすべて読破し、

気に入った言葉はそれこそ何十枚と紙に書き写した。

他にもいくつかの彼女の著書を読み漁り、もう虜になった。


元をたどれば、よしもとばななのエッセイで、よしもとばななが『諸国空想料理店』という本が

面白いと言っていたのが気になって、

名古屋で一番でかい図書館に行って、書庫からその本を取り出してもらい、

それを読んだというのが最初のきっかけ。

この『諸国空想料理店』という本が、驚きの面白さと心に訴えかける何かを持ち合わせていて、

それなら他の本もおもしかろう・・・と予想を立てて、読みだしたのが『日々ごはん』だった。

色んな人が日記を書いて書籍化しているけれど、

日記を読んで泣いたり笑ったり自分の子どもの頃や今の気持ちをまざまざと思い出すことは

まずない。

だけど、『日々ごはん』はそういうものを喚起させてくれる本だった。


本の中では、製作中(すでに出版中)の料理本の制作過程についても少し触れられている。

わたしはエッセイから入ったから、実を言えば高山なおみさんの料理本は見たことがなかった。

これも図書館から借りだして、とにかく内容にびっくりした。

日々ごはんで描写されていることがそっくりそのまま料理本になっていた。

そこに携わる人たちがどんな思いで一冊の本を作ったり、

高山なおみさんがどんな思いで料理のレシピを考えたり練り直したり、

文章に書かれていたことが実物のものとして目の前に現れた時、

そこにはウソも変な戦略もなくて、純粋な思いから成り立つもの、

それがどーんと伝わってくる本だった。


その中のひとつに、ナンプラーを使った豚肉の生姜焼きが紹介されているのだけど、

もうそれを何回作っただろう・・・というくらいにリピートしている。

初めて作った時も、その後リピートしている時も、

毎回たまげるおいしさだ。

彼女が紹介する料理は、背伸びしないでも作れる、そしてと~ってもおいしく作れる、

そんなレシピ満載だ。

地に足のついたレシピとでもいうのだろか。


話があちこちに飛ぶけど。

今年の冬に、5年ぶりに料理本を出版された。

料理コーナーで山積みになっているから知ってはいたけど、

どこかに定住するまでは本を極力買わないにしよう!と決めていたから

これもいつか買うリストに入れるにとどめていた。

それが、おととい、出版社の「リトルモア」のHPにたどりついて、

なんとサイン本を定価のまま、そしてなんと一定の金額以上だから送料無料とあるのを見て、

これは買おう!と決めて、即手続きをした。


今朝、ふとんの中でうだうだしていた時。

呼び鈴が間を空けて、2回鳴った。

2回鳴る時は、たいがい郵便物。

まさか今日届くなんて思ってなかったから、戸口に出ると佐川急便の配達の方。

すぐに料理本だとぴんときた。


ふとんの中で中身を空けた。

高山なおみさんのサインがあった。

色鉛筆を使って、彼女の人柄をそのまま表すような素朴な文字があった。

それを見るだけでじ~んときた。

本も変な折れ目がつかないように、細心の注意を払って書いてくれたんだろうというのがわかった。

内容は、料理本+エッセイ風なその料理にまつわる話や、作り方のコツなんかが、

とてもわかりやすい言葉で書かれていた。

最後のページに書かれていた言葉。

「今日は何が食べたいか、

自分の心と相談しながら、

コンビニでじっくりお弁当を選ぶのも

料理だと思う。」

【引用:『料理=高山なおみ』】

スーパーのポテトサラダも、うずらの卵のフライも、ふつうに食卓にのぼらせる料理家の方。

手の込んだ料理を作る日もあれば、インスタントラーメンも作る。

茶碗のごはんの上にカレーをそのままかけて箸で食べたりとか。

なんでもありだよね、人生。

という姿勢がとんと伝わってくる。

2014年4月24日木曜日

無気力の時間

これは、無気力の時間を通り抜けた後に書いている。

自分の「望んだ方向」での決断を先延ばしにし、とりあえずの仕事を始めて2週目に突入。

自分の決断がとことん甘かったと何度も何度も後悔した。

仕事が決まったと連絡が来た時、わたしは泣いた。

断るなら今だ、とわかっていても、「はい」と返事している自分。

心の中は、葛藤だらけで、「NO」ときっぱりと言っているのに、

体の方の口は、「はい、よろしくお願いします」と言う。

猛烈に自分を責めながら返事をしていたあの瞬間。

情けなさやふがいなさ、色んな感情でごった返しになっているのに、

平静を装っている自分。

しばらくどんよりしていたけれど、

とりあえず、仕事に行きながら考えたらいいと、気持ちを切り替えた。

仕事に行き始めて考えるのかと少しは期待してみたけれど、これが真逆で、

葛藤は葛藤のままわたしの未来の時間に引き継がれ、

そのうち考えるのも疲れてきたのに思考は24時間体制で働き、

毎日色々とやばいやばいと頭で繰り返し、

そして気付いたら、何をする気にもならず、何とか日常を過ごすのに目一杯になっていた。

何も手に付かない時間というのが、一人になった途端に押し寄せてくる。

家に帰っても休まらない。

このまま日々が過ぎ、それが1週間、1ヶ月、1年、一生・・・と続いたら・・・、

と悪い進行方向をあれこれ想像して余計に萎えたり、

思考は止まらなくても、「これをしたい」が何もなくなってびっくりした。

読みたかった本も読めず、

書きものも嫌になり、

ゆっくりと飲むコーヒーにも見向きもせず、

散歩も人と会うこともゆったりすることも、

何もかもいやになっていた。

何もしたくなくなってしまう無気力の状態、わたしはこれがとても苦手だ。

何かを変えたかったら、ほんとに小さなことでいい、

小さな風を毎日の生活の中にひとつ送りこまないと、何も変わらない。

だけど、その肝心の風を送りこむだけの「何かしたい」気持ちが湧かない。

これはいつなっても苦しいし、そういう自分からはいつも目を背けたくなる。

ちなみに、今だからすごくよくわかるけど、

そういう時のわたしは、まじめに「休めない」タイプだ。

リラックスしたらいいとか、少し休んだらいいとか、

わたしの場合は、そういうものが余計と自分を圧迫する材料になってしまう。



今回、どのようにその「無気力の時間」を通り過ぎたのか・・・

単純にこの無気力の状態に疲れて、逆に「あぁもう、ちょっと他のことをしたい」

となったのもある。

落ちるだけ落ちていたら、ふっと浮上した感じになぜかなったのもある。

もうひたすら過ぎ去ってくれるのを待つしかなかった感じもある。

そういう小さなことたちが重なってくれて、「よっし!」とちょっと回復できたのが今。



その無気力時間の最中の昨日かおとといの夜中、

眠りから途中で覚めると頭が冴えて眠れなくなり、携帯の心理テストをやった。

誤解を生まないように言うと、

わたしの中で「心理テスト」は、やりたいことじゃない。

どうしても何か気を紛らわせたくてやること。

この心理テストが実に今の状態のわたしをうまく言い当てていて、

これには言葉は強いけど、逆に救われた。


「心は決まっているのに、それを否定したら、混乱するのは当然です。

妥協したら、夢は二度と戻ってはきません。

逃げることを考えずに進みましょう。」


言い訳もできないくらいにその通り過ぎて、どこかすっきりとした。

わたしが自分自身に言えなかったことを代弁してもらったような感じだった。

人に言われたら、そのまま受け取れなかったかもしれない。

自分で質問に答えて出てきた回答が上の言葉だったから、

あぁもうそう言われても仕方ないや、とあきらめられた。



今日、仕事が終わって、バス停までの数百メートルの道のり。

すごい人混みの中にも関わらず、

「あぁ、抜けた、やっと少し抜けれた気がする」

という感覚がやってきた。

そのときに、この1週間くらいの「無気力の時間」を記録に残そうと思った。

とにかく、その時々の気持ちをわたしはノートにひたすら書く習慣がある。

特に、がっつりと落ち込んだりもやもやしている時のことほど、貴重だと思ってる。

今でないと、書けない。

もうちょっと元気になって欲しいけど、元気度がアップすると、この無気力の感覚は忘れる。

どういう風に作用するのか科学的な根拠はさっぱりわからないけど、

この「元気のない自分の記録」は、どういうわけか後々の自分をものすごい元気にしてくれる。

とっても情けない(と思っている)自分の姿が文字となって残るけれど、

他の誰も書けない自分だけの記録は、そのままいつかの自分を救うことになる。

2014年4月20日日曜日

おもいでぽろぽろ 3れんチャン

わたしの記憶の中にしか存在しないもの。

もう生涯そういったものたちと出会うことはないだろうとずっと思い込んでいた。

思い込んでいたというより、もうそんなこと全部忘れていた。

そうしたら、この10日くらいで、わたしの目の前にこつ然と現れて、

わたしを心底驚かせた。

ひとつは、「たいつり草」と呼ばれる小さな花。

ひとつは、「バナップル」という日本名の果物。

ひとつは、ザ・ブルー・ハーツの『情熱の薔薇』の歌詞。

この3つは、わたしの人生のある局面にひょっこり登場し、

その時は若さゆえ?、性格ゆえ?、すーっと通り過ぎてしまった。

まさかこんなに年月を経て、もう一度わたしにその姿を見せて、

当時はわからなかったことが胸に染み入るとは、人生何があるかわからない。



*たいつり草*

10日ほど前の夕方、名古屋城からもじったと思われる「名城公園」へ散歩に出かけた。

名城公園内には、小さなフラワーガーデンがある。

とっても人工的ではあるけれど、四季折々色んな花がある。

その時はチューリップが最盛期と言わんばかりに咲き乱れていた。

「チューリップ」と一口に言っても色んなチューリップがあって、

小さなガーデン内をわたしはぐるぐると練り歩きながら眺めていた。

そのチューリップの合間に、わたしはこれまで一度もお目にかかれなかったその

「たいつり草」を発見した。

足を止めて、しゃがんでその花をまじまじと見た。

色は違えども、あの時とおんなじ花だ、まちがいない、同じ花だと確信し、

花の名前が書かれている小さなプレートを見て、それが「たいつり草」という名前だと知った。



もう13年も前になる、大学の卒業式の日。

全体の式が終わった後に、各部に分かれて卒業証書を渡される授与式があった。

学部長というんだろうか、その年の学部長はわたしが4年いた間で初の女性教授だった。

彼女が卒業証書をひとりひとりに授与する係で、

彼女は卒業証書と一緒に、ピンク色の小さな花をわたしたち全員に渡していた。

直径10センチくらいの透明のガラスの器にその淡いピンク色の小さな花はたくさんあって、

その2センチくらいの小さな変わった形の花を、そっと手のひらにのせてくれた。

「おめでとう」と満面の笑顔と一緒だったと思う。

わたしは花に気をとられていて、細かいことはもう覚えていない。

だけど、その花は卒業証書以上に強烈なインパクトがあって、

わたしはその後同じ花をどこかで見かけないかと、けっこうあちこち見ていた。

ところが、どこにも見当たらない。

特殊な花なんだろうと思った。

時々、似た花は見かけたけど、大きさや形が微妙に違っていた。

その花をもう二度と見ることもないだろうと思って、花の存在も忘れていた。

そうしたら、まさかうちの近所の名城公園に植わっているとは(人工的に)。

実際のたいつり草は、ミニトマトのように、鈴なりになっていた。

それをひとつひとつそっと取って、つぶれないように器に入れるのは、

けっこうな神経を使う作業だったに違いない。

しかも、すぐに駄目にならないように、多分当日の朝その先生は摘み取ってくれたんだろうと思う。

たいつり草という名前を知れたこともうれしかったし、

卒業式のシーンを色々思い出せたのもうれしかったし、

今頃になってわかった先生の気遣いもうれしかった。



*バナップル*

きのう、うちの近所の八百屋で目にした「バナップル」。

2、3ヶ月前から、バナナレモンスムージーにはまり出して、バナナを定期的に買うようになった。

1袋に5本くらい入っていて100円のものであれば、それ以上のこだわりはない。

「100円」と大きく書かれたカードが目に入って、いつものバナナだと思ったけど、

なぜかやたらと丁寧に包装されていて(贈答用のメロン並み)、

さらには「バナップル」と大きく書かれたシールまで貼られている。

聞き慣れない名前に、ひとつ手に取ってよく見ると

「リンゴ風味のフルーティーデザート」とある。

これは、わたしの記憶どころか、この話をしても誰にも信じてもらえなかった、

幻のリンゴ味のバナナだと推測した。

日本では、多分 banana と apple を組み合わせて

「バナナアップル→バナップル」となったんだと思う。

それは、地球の裏側、ドミニカ共和国でわたしは初めて目にした。

当時住んでいた家の人が、親戚からもらったと言って、わたしに2、3本バナナをくれた。

「それね、『ギネオ・マンサーナ』(ギネオ=バナナ、マンサーナ=リンゴ)っていうの」

と教えてくれて、実際に食べてみると、ほんとうにリンゴ味のバナナだった。

衝撃的なおいしさで、ドミニカでマンゴと並ぶわたしの中で大好きな果物だった。

ところが、バナップルことギネオ・マンサーナは、まず店頭にもその辺の市場にも並んでない。

わたしも2年いた間に、3回くらいしかお目にかかれなかった。

それも全部家の人とか仕事の人経由で、一体どこにあるのか皆目見当もつかなかった。

この話を何人かの日本人の人にしたけど、

誰一人食べたことがなく、そんなの本当にあるの!?というレベルの幻の果物だった。

それが、まさかまさかのうちの近所の八百屋でギネオ・マンサーナと思しき果物を目にするとは。

違っていてもいいから・・・と腹をくくり、2袋買った。

ドキドキしながら1本食べた。

まだ熟しきってないからわたしがドミニカで食べたものより味は薄かったけど、

紛れもない、バナップルことギネオ・マンサーナだった!

4年近く八百屋に通っているけど、バナップルを見たのは今回がはじめて。

幻の果物ではなく、ほんとうに実在していたんだ!と感動した。

買ったのは、フィリピン産だったけど、こうして感動の再会を果たし、

思い出の中にしか存在しなかった味を追体験できるなんて・・・

ちなみに、これはもったいなくて、スムージーにはせず、

そのまま素材の味を堪能すると決めた。



*『情熱の薔薇』の歌詞*

本を読んでいたら、その中にザ・ブルー・ハーツにインタビューしたみたいなことが書かれていた。

突然ブルーハーツの音楽を聞きたくなって、youtubeで検索してかけた。

3曲目『情熱の薔薇』がかかって

「答えはずっとおくの方、こころのずっとおくの方」

「花びんに水をやりましょー」

という歌詞が耳に届いて、それをそのまま頭の中で文字に直した時、

はっと思いついて、ある友達からの手紙を夢中で探した。

おととし位に、実家で手紙を整理をした時、

彼女がくれた数通の手紙がとっても良くて名古屋に持ち帰った。

そこに「♪答えはずっーと奥の方 心のずっーと奥の方♪

♪花びんに水をあげましょ 心のずっーと奥の方♪」

と書かれていて、手紙の内容に沿っていたけど、何の詩だろう?とずっと思っていた。

当時の手紙を彼女は、多分『情熱の薔薇』を聞きながら書いてくれてたんだろう。

今日改めて彼女の手紙を読んで、わたしはぼろぼろ今さら泣いてしまった。

「2週間のイギリス滞在の中で、自分が何を見て、何を学ぶかはわからない。

何も見つからないかも。

というよりも、何かを見つけるために行く事が目的でもなく、

何かを学ぶことが目的ではないみたい。

それは、結果としてついてくるんだろうなぁーと。

それより大事だった事は、『私が行きたいから行く!!』と、

自分の心にわがままになれた事。

今自分が何したいかを自分自身に、訪ねた時。

素直に自分の心がそういった事を、実現したかった。

『今が最高』であるために。」

見たら、10年前の春の消印になっていた。

色んなことが重なって

(ブルーハーツインタビューということを本で目にして、ブルーハーツ聞いて、

『情熱の薔薇』の歌詞にたどりついて、友達の手紙を探し出して・・・)

こうして今のわたしにぴったりなメッセージをもたらしてくれることもある。



たいつり草も、バナップルも、『情熱の薔薇』の歌詞と知らずにいた友達の手紙も、

わたしの記憶の中だけにとどまっているものだった。

記憶の外に出ることも、

目に見える形でそれらと再会を果たすことも、

再会することでよみがえる様々な思い出も、

どれも少し前には想像もしていなかったことだ。

特に気にも留めないちいさな出来事たちが、うんと時間が経って何かの拍子に思い出された時、

ものすごい財産として残っている。

そのときどきは、それが後に財産になるだなんて知らずにやり過ごしていたけど、

なんだろう、言葉にできないすごいエネルギーを持ってわたしの前に再び現れる。

そして、底知れぬ元気の素ややさしさみたいなのをプレゼントしてくれる。

2014年3月29日土曜日

終わりの儀式

3日前から手紙書きを始めた。

「まるで終わりの儀式だ・・・」と思って、今日の日記の題名は『終わりの儀式』にした。

明日、6ヶ月勤めた派遣の仕事が終わる。

お世話になった人たちひとりひとりに手紙を書いている。

下書きなしで、相手を思い浮かべて出てきた言葉をひたすら紙に載せる。

相手とわたしの間で起こったとても個人的なエピソードを、

わたしの目線から見えているもの、感じているものを、そのまま言葉という道具を使って紡ぐ。

「ありがとう」以外の文章は、書き出しも内容もてんでばらばらだ。

手紙を書くことは、ふつうに思い付いてやりだしたけど、

お礼の小さなお菓子たちがあまりにも小さくて、

それをフォローする意味でも手紙を付けたいという裏心もまちがいなくあるけれど、

ふと気付くと、わたしは何かの終わりを迎える時、

毎回毎回、その時にお世話になった人たちに手紙を書く習慣がある。

あまりに毎回自然にやっていたから気付かなかったけど、

気付けば、他にもっとやらなきゃいけないことそっちのけで、手紙を書いたりする。

書きたくなるから、書いてしまう。

礼儀で書くなんて気はまるっきりゼロで、

今伝えないと一生伝える機会を失う気がする、

という気持ちで書いている部分が大きいと思う。



いったい、いつからそんな風にわたしは習慣づいたのだろうか・・・

いまいち思い出せないけれど、

ひとつ、もしかしたらこれかな・・・?というのをさっき思い付いた。

大学卒業してアメリカから日本に帰るという時。

わたしは大学最後の1年、10歳年上の社会人の女性と一緒に暮らしていた。

お互いの生活リズムはてんでばらばらで、

1週間に一度、ふたりでキッチンのテーブルを囲んでゆっくり話ができればいい方だったと思う。

すれ違い生活だったけど、だったからこそ(?)

とにかくとても仲良く暮らせた。

なにせ、いつも土壇場になって切羽詰まらないと動かないわたしは、

その当時も超ぎりぎり、その町を出る当日の日中すらも、

最後の荷物整理や片付けに追われていた。

まるっきし周りを見渡す余裕なんかなく、自分のことで手一杯だった。

そして、どのタイミングでかは忘れたけど、

わたしはクリスティン(ルームメート)から、手紙とプレゼントを受け取った。

手紙とプレゼント、すっごくうれしかったけど、

そのうれしさよりも、さんざんお世話になったクリスティンに、

手紙のひとつも書かなかった自分が悔やまれた。

たぶん、最後の日だったのではと思う。

もう、クリスティンに手紙を書く時間すら残されていなかったから。

あの時にわたしは猛烈に後悔したんじゃないかと思う。

そして、それからたしかに、何か終わりを迎える時は、

その時ご縁あって一緒になった人たちにお礼の手紙を書いて渡している気がする。



あと2人分の手紙が残っている。

仕事は最後の最後まで興味も湧かず、好きになることも全くなかったけど、

そこで働いている人たちにわたしは猛烈に興味を覚え、好きになった。

ちなみに、最後に書こうと思っている人は、

職場になじめず、仕事もなじめず、

そして職場の雰囲気や体質に対してものすごく嫌気がさしていた頃、

わたしにその仕事の「こころ」の部分を教えてくれた人だった。

その人はこうわたしに伝えてくれた。

「ほら、困ってわたしたちのところに電話してくるわけでしょ?

せめて、電話が終わった時に、その人が抱えていた問題や困っていたことが

ちょっとでも緩和してくれたらいいなぁと思って(わたしは仕事してるの)」

その人のその言葉を聞かなかったら、わたしは絶対に途中で仕事を投げ出したと思う。

事務的な対応や、言葉はきれいだけど中身のない対応に、

わたしは一体何をここでしているんだろう・・・と思っていた。

でも、それはわたしの見方であって、

見方を変えたら、彼女みたいな気持ちで仕事もできるんだと目の前で教わった。

彼女は事務的な対応も、言葉だけで取り繕うような対応もしてなくて、

どこまでも彼女は彼女の信念に基づいた仕事をしていた。

そういうことは、直接だと照れてとてもお礼なんか言えないけど、

手紙でなら言える。

そして、直接手渡しできるのは、もう明日しかない。

その明日に向かって、わたしは彼女ともう一人に向かって手紙を書く。

いつからか始めた、わたしなりの「終わりの儀式」、

案外自分で気に入っている儀式だ。


2014年3月8日土曜日

30歳の朝から5年+

朝、地下鉄ホームに入り電車を待っていたほんのわずかの時間。

時間にしたら1分か2分。

とつぜん、30歳になったばかりの日の朝の光景を思い出した。

わたしは、その日、朝起きてすぐに鏡の前に立った。

鏡の中の自分を見て、いつか大切な人から教えてもらった

「鏡の中の自分の顔を見てとにかく笑ってごらん。

笑えなくても、笑ってごらん。」

をやろうと思ったら、わたしは笑う代わりに、色んな感情がどどっと押し寄せてきて泣いた。

ほんとうに一瞬だけ泣いた。

だけど、その時のわたしの目は、まるで何十分も泣いたかのように真っ赤に腫れ上がった。

強く出てきた感情の分が、そんな風に目に現れたかのようだった。

すぐ近くでは、ふたりの友達がまだ夢の中にいた。

友達と飲み明かし、楽しい時間を山ほど過ごし、これ以上望んだらばちあたりではないかと

心配する位に、素敵な30歳の幕開けだった。

だけど、その日の朝、わたしはなぜか笑えず、突然泣いた自分に自分で驚いた。


そんなことを今朝の電車を待つわずかな時間に思い出していた。


あの日からもう5年を迎える。

30代に突入する前の時間。

わたしは、どういうわけか30代をとても楽しみにしていた。

「あぁもう30歳になる!」とそれこそ20代後半からそんなことを口にする人たちを

色々見ながらも、わたし一人はなぜか30代という時間がとても楽しみだった。

どんな年代になるんだろう・・・

計画0、夢の貯金使い果たし、まっさらな30代の幕開けだった。

もちろん、不安も心配もあったけど、これから先どんな展開を迎えるのか、

何にも想像がつかず、それが逆に楽しみでもあった。

あれからの5年間で、今のわたしは、楽しみからは程遠い形で、自分の人生が展開している。

もちろん良かった思い出もある。

だけど、苦い思い出、正面から見据えるのに随分と時間が必要となった出来事が、

もうこれでもか、これでもかと押し寄せた5年間だったように思う。

すべて自分が選んだ結果とはいえ、とにかく手痛い思いを繰り返しし、

迷い悩み立ち止まり落ち込み・・・が主軸と言わんばかりだった。


この日記を書き始めた時、もっと別のテーマがあったように思うけど、なんだか思い出せない。

代わりに、この5年間で手に入れたものってなんだろう?って今考えている。

この冬ごもりのような、いろんなものを見失ったかのようなふらふらしたこの5年間で

手に入ったもの。

それを振り返るのは面白い。

あぁ。振り返る行為を楽しめるくらいの余裕が自分に生まれた、これは確実に手に入ったもの。

よくわからない度胸や強かさ(「したたーかさ」と読むとつい最近知った)、

それも手に入った気もする。


何を書こうとしていたか、思い出した。

特に34歳の1年間は、史上最悪な位、毎朝色んな意味で不安だった。

そう、恐らく周りの人たちが「30歳になるのが怖い」という感じのものが、

わたしは今頃、35歳を目前にした34歳にそれが出てきた。

未来を考えると、暗澹たる気持ちに何度もなった。

自分の人生、これでは駄目だ!と駄目出しするそばから、

どんどん自分で自分の気力を奪って、ますますネガネガオーラに包まれた。

そうだった。

今朝、30歳を迎えた最初の朝を思い出した、その直前。

わたしは、この34歳が、もう二度とたどれない34歳が「35歳になる怖さ」のあまりに、

34歳の自分を忘れ、嫌でもやってくる35歳の自分ばかりを意識していた。

あぁなんだかもったいないことをしてしまったなぁ・・・って思ったんだった。

そう、だから、先を思い悩むことは止めようと思ってすぐに止められないものだとしても、

せめて、今しかない34歳なら34歳、35歳なら35歳を楽しもう、

今その年齢に達したから味わえるものを味わおう、って思ったんだった。

残りの34歳2日間、とりあえず「34歳満喫」と心の手帳に記す。

2014年3月4日火曜日

女子グループの克服

今月で6ヶ月目を迎える、そして今月で終了する派遣の職場でのこと。

今、所属している部署は、9割女子。

3つの部署でワンフロアを使っているけど、全員で60人位いてフロアの半数は女子。

そのうちの20数名の女子がわたしが今いる部署の人数。

勤め出してすぐの頃。

THE女子と言わんばかりの雰囲気に圧迫感を感じ、

誰とも仲良くならずに、一匹狼状態でわたしはただただ通った。

個人的に話せば、この人いいなぁと感じる人もいたけれど、

すでに目に見える範囲で女子グループ?派閥?的なものは存在し、

とにかく、極力関わりを持たないように、遠巻きに人々を見ていた。

THE女子的なグループの存在する組織に属するのは、高校卒業以来だ。



お世話になりつつも、会社そのものの体質というか雰囲気は未だに好きではないし、

頭にくることは、それも、帰宅後もずるずると怒りをひきずってしまうようなことは時々起こるけれど、

でも、なんともうあと3週間もすれば辞めますよ~というところにきて、

まさかの女子グループ克服。



今では、隣りの席になればおしゃべりする人もいれば(席は毎日替わる)、

お昼休み一緒になればお弁当を一緒に食べる人もいれば、

このあいだは、一部の人と飲み会に出かけ、

そして今日はまた新たに、なんと休みの日に、ビール工場見学に行って生ビールの試飲に行こう!!と約束する人まで現れた。


年齢も、ファッションスタイルも、生活スタイルも、考え方も、

色んなことがまるっきし違う人たちばかりだけど、

わたしが好きだなぁ~と思う人たちには共通点がある。

それぞれ違った魅力だけど、人間的魅力にみんな溢れている。

そして、みんな「ひとり」で動ける人たちだ。

変な言い方だけど、

気の合わない人たちとお昼が重なれば、それぞれがひとりで食べることができる人たちだと思う。

席が隣り同士でも、合わない者同士は、暗黙の了解で私語なしで終始貫ける。

それが出来る人たちというのは、わたしにとって居心地がいい人たちだ。

ひとりもいいし(と実際に思っているかはわからないけど)、

人と一緒ならそれも楽しいよね♪

という位のスタンスの人たちだと、わたしは女子グループ集団の中でもやっていけるんだとわかった。


20年前の中学生のわたしはそれがまるっきしできなかった。

クラスで、孤立していた。

そこにいじめもあった。

孤立したからいじめにあったのか、

いじめられたから孤立したのか、

順序はわからない。

でも、ただひとつはっきり覚えているのは、

孤立もしていたし、いじめにもあったこと。

毎日学校に行くのがしんどくてたまらなかった。

その頃の自分では、とうてい想像できない今の自分がいる。

こんな風に、うんと時間が経って、

当たり前だけど、もう大人だから、自分の付き合いたい人たちを選べるようになってから、

まして最初は苦手な人たちばかりだ・・・と思っていた集団の中で、

こんな風に女子と仲良くなれるというのは、思ってもみない展開だけに、

単純にわたしはうれしい。


2014年2月14日金曜日

創作欲とつながる 【光の図書館 uno】

新ブログ『光の図書館』を始めてわかったこと。
http://bibluz.blog.fc2.com/

光の図書館に載せる話は、100%実話。

そして、それらはいつ思い出しても、とても心をぽかぽかと温めてくれる、
「宝物」と呼んでもいい、そういう話ばかりだ。

もちろん、話そのものにも心動かされるものもあるし、
そのひとつひとつが起こった時のことを思い出す瞬間に感じるものもある。

感じることが二層になっている。

出来事そのものに対してと、
出来事を思い出す瞬間に湧き上がるものと。

当初、1週間に1話ずつ書いていこう!と2013年の終わりに決めたけど、
書き出して変更したことは、

「いい気分のときに書こう!」

だった。

今でも1週間に1話のペースはなんとか綴りたいという思いはある。

だけど、どうにもこうにも気分の上がらない時。
そんな時は、1週間に1話のペースを守りよりも、
気分よく書けるタイミングを待つことを優先させよう、って決めた。

ひとつひとつが大切な話だ。

大切だから、自分の気分のおもわしくない時に、わざわざ書いて、
ストーリーの中に流れてる空気を汚したくないと思った。

純粋に、それを伝えたい!という思いで書きたい、
多分それがベストだと今は感じてる。

書かない自分を責めるのではなく、
書きたい時に書いたらいいんだ!と思えるようになった、
そう決断できるきっかけを友達からもらった。


第1話を公開してしばらくした後のこと。

新年会はホルモン焼きにしよう!!とその友達と決めて、やっとやっと2月の中旬、
ついこの間その日を迎えた。

前日、「光の図書館面白い!」とひとことメールをもらっていた。

それを見た時は、単に感想を送ってくれたんだろう、くらいに思っていた。

遅い新年会当日。

会ってる時間の半分以上は、『光の図書館』の話だった。

どんなふうに感じたかということを、本当に色んな角度から話して聞かせてくれた。

そして、友達は今年、ひとつ大きなことを決めた。

絵を描く。

元々、そろそろ絵を描いてもいいかな~とはしばらく前から言っていた。

それが、あの光の図書館を読んだことで、「絶対に描く」に変わったらしい。

「描きたいなぁ」という願望から、「描く」という計画に変わった。

何年ぶりに描くのか聞いたら、12年ぶりだという。

今、やっと絵に向き合えそうだ、と話していた。

光の図書館の感想ももちろんうれしかったけど、
それ以上に、友達がそこから何かを感じ取って次のステージに移行することがうれしかった。



友達と会ってから、今日で数日さらに経過している。

なんで、それがこんなにもうれしいのか、しばらく考えていた。

その答えがようやく出てきて、今見えてる答えをここに残そうと思った、今朝ふとんの中で。



わたしは、ひとつずっとずっと憧れているものがある。

それは、わたしは一切意図せず、でも自分がやったことが結果的に
誰かの何かに影響を及ぼしたり、
何かをする原動力になったり、
小さな一歩に結びついたり、
そんな風になれたらどんなにいいだろう・・・
というものがある。


大学を卒業してから11年、12年くらいだろうか。
ずっと人に関わる仕事をしていた。

どんな仕事も人に関わるだろうけど、
その関わり方の濃度でいったら、相当濃い関わり方だった。

職業が変わっても、
関わる人が変わっても、
結局、どんな自分もさらけだして、全身全霊で相手にぶつかるような仕事をずっとしていた。

そういうところから離れて、1年半くらいになるんだろうか・・・

当時、その11年、12年した仕事のとき、わたしはいわゆる「指導者」的立場だった。

わかりやすくするために、「指導者」という言葉を使ったけど、
正直、わたしは何が良くて悪いのか、さっぱりわからずにいつも仕事をしていた。
「指導」なんていう行為すら、おかしいと思っている。

たとえば、虐待やら他の家庭的な事情で親と生活できない子どもと関わっていた時は、
社会でどうやって生きていったらいいか、
それを念頭に支援することが求められていた。

学習塾にいた時は、
子どもたちが望む、正しくは親が望む学業成績を上げることを求められていた。

字の読み書きができない人たちと関わっていた時は、
字が読み書きできるように関わり、

夫婦問題で悩んでいた人と関わっていた時は、
夫婦円満になるように関わり・・・

どれも悪いことではないし、
むしろ社会で生きていく上では大事な部分に関わらせてもらえる、
すごい機会に恵まれていたとすら思う。

たしかに。

学年順位100番台の子が、なんと学年順位9位という、一桁までになる偉業を一緒に見た。

まったく読み書きのできなかった子どもが、なんと全部読み書きができるようになる瞬間も見届けた。

結婚して25年、熟年離婚の危機だった夫婦が、
なんと一転して夫婦円満になったという知らせも受け取った。

どれも一緒に喜んだし、
うれしかったし、
そんな奇跡みたいなことがふつうに起こるんだ!という実体験もした。

だけど、わたしの中で何かが確実にずれていた。

どんなに素晴らしいことが起こっても、
それが社会で家庭で称賛されるようなことになっても、
意図して良い方向に導くみたいなのが、なにかぴんときていなかった。

「指導する」立場もいやだったし、
それは人と関わることはとっても好きだったけれど、
わたしの方が上も下もないといつも思っていた。

わたしの方がむしろ教えてもらったり気付かされたことは山ほどあったし、
色々失敗や過ちもおかしたし、
一緒にいることで共に成長する、もしくは共になにかを分かち合う、
それがわたしが感じていた感じに一番近い表現かもしれない。

いずれにしても、意図して何かを良くしよう!ではなく、
わたしはわたしで好きなことをしながらそれが何かの影響を生み出す、
でもそれは決してわたしの結果ではなく相手の結果、
そんなのがいいなぁといつもうすぼんやり思っていた。

あまりにうすぼんやりすぎて、
うまくそれを言葉に表現できずにいたけれど、
「絵を描く」と宣言した友達を見て、


「これだ!」


というわたしの中の確信に変わった。


当たり前だけど。
『光の図書館』は、わたしが好きで書いているだけで、
それで誰かを変えようとか、変えたいという気持ちは一切ない。

あれを読んで、読んだ人の中にある、何か大切なものを思い出してくれたら、
それはむちゃくちゃうれしい。

だけど、たとえ影響がなくとも、それでいいと思ってる。


「相手を変えよう」
「相手に変わって欲しい」


そう思ってるうちは、すべてわたしは駄目だと思ってる。

そう思わなくなった時、はじめて相手が変わったり、
あたりまえだけど、自分も変わるんだと思う。


そういう意味で、『光の図書館』は純粋に自分だけの世界をありありと表現し、
それを好きなように伝えられる手段として最高だと感じてる。


そして、その「最高だ」というところを、友達が「絵を描く」と宣言してくれたことで、
すべてがやっと繋がった。


『光の図書館』についてまつわる想いは、
このblogに時々綴っていこう。

ちなみに、題名の【uno】はあのカードゲームのウノとおなじ、
数字の「1」という意味。

unoがどこの国のゲームかわからないけど、
せっかく知り得たスペイン語を使ってみるのもいいなぁと。

だから、あえて、「1」でも「one」でもなく「uno」

2014年2月10日月曜日

沈みかげん から 上がりかげん へ

しばらく書くことからもネットからも遠ざかっていた。

『光の図書館』http://bibluz.blog.fc2.com/を公表したものの、
それからも書こうと思うことはすべてメモに残していても、
パソコンを開く気力がまったく湧かない。

まして、パソコンの画面に向かって何かをひたすら打ち込む・・・
その作業をする時間はあっても気持ちがついていかない。

日常を営むことに異様なほどエネルギーを注がないとなんだかやってけない・・・

そんな感じがしばらく続いた。


そういうトーンに入っていく自分をこれまで何度も体験しているし、
必ずそこから抜け出す日がやってくるのも体験でわかってはいても、
その渦中は毎回不安と焦り、余計な心配や気苦労でいっぱいになってる。


そういう時の自分は、何か新しいことを生活に加えることにひどくおびえるし、
たとえば、前から決まっていた楽しい予定すらも億劫に成りかねない。


昨日は多分それのピークに達していたんだと思う。


大好きな森山直太朗のコンサートが夕方からあった。


その前には、これから数日読むための本を借りるために図書館に行くことも予定した。


どちらも絶対に楽しいはずなのに、
気持ちは晴れない。


そんな折。

友達から小包が届いた。

わたしの好きなお菓子と手紙が添えられた、
ほんとうに素敵な小包だった。

直太朗のコンサート前なのに、曲の予習をほとんどしていなかったわたし。

これから返す本に書かれている心に残った文章をひたすら紙に写しながら、
(↑6時間くたびれもせず、ひたすら書いた)
友達が送ってくれたお菓子を口に含みながら、
耳では直太朗の最新アルバムを聴きながら、
という三重奏を一瞬一瞬体感した。


全部がひとつになってた。


書き写す文章から、
好きな味のお菓子から、
直太朗の音楽から、
それら3つが重なった時に初めて広がる世界があった。


なぜか、またわたしの記憶は過去にぽ~んと飛び出した。

当時、適当に聞き流してしまったある子との会話。

その会話を交わした風景とまんまの内容が突然よみがえった。


わたしが聞き流した会話というのは、
その子が「自分のルーツ」について興味を持っていた内容だった。


今考えると、すごい瞬間に立ち合っていたものだと思う。


わたしの頭の中に広がっていた世界は、
『光の図書館』なり他の手段を使って外に出る機会をずっと待ってる。


なにかスイッチがかちりと、はまった気がした。


とりあえず、家を出て図書館を目指す。


急ぎ足で、直太朗のコンサート会場に行く。


毎回思うけど、直太朗のコンサートは客層が本当にすごい。
小学生~お年寄りまで、老若男女揃っている。

車いすで駆けつける、オール白髪の優雅なおばあさんもいたし、
70代とおぼしき夫婦もいたし、
「今日は何のグッズ買おうか!?」と母親と相談している小学生の男の子もいた。

あと、みんな歌を聴きに行くことを目的としているから、
み~んなみんな普段着で来る。

目立った格好の人など、とりあえず1人もいない。


今、気になったから調べたけど。


直太朗は、最後アンコールの時。


マイクなし、ギターもコードを抜いて、
「自分がデビュー前、駅前で、公園で、桟橋で、高架下で・・・歌っていたように歌います」
と言って、本当にマイクなしでギター弾き語りをはじめた。


3000人収容のホールだった。

3百人じゃない、3千人だ。

どの歌の時か忘れたけど、
歌い終わってから、ずっと天井を見上げていたことがあった。

なにかに感謝という祈りをささげてる風に見えた。


直太朗の表現する姿を見て、
数時間前、家の木のテーブルの前で広がった風景を思い出してた。


コンサートも終わって、携帯の電源を入れた。
メールが1通届く。


今日会う友達からで、てっきり今日の時間か何かの連絡かと思って開いた。


ひとこと。


「光の図書館面白い!」


とだけあった。


このメールで何かがすっとふっきれた。


昼間に広がった世界。
外に出ることを待っているストーリー。


とにかく、「書こう!」と思った。


もう2度と書かないんじゃないかと思う位の逃避行ぶりだったけど、
やっぱり書きたい気持ちがあることを再確認し、
そして「面白い!」と言ってもらえたことが大きかった。


1日単位で見ても、
コロコロと自分の感じるものは変わる。


それが、しばらくうだうだ気味、低飛行中の時が続いた後、
ふっと浮き上がる瞬間。


あぁやっと浮き上がってきたなぁと感じる。