2016年8月29日月曜日

夏の終わり

夏の終わり

昨日の夜、地元の花火大会を数年振りに見た。

今、朝の強烈な太陽の光と鈴虫の鳴き声とのコラボの下書いている。

太陽は夏の太陽だけど、もう蝉は姿を消し鈴虫が台頭している。

体感温度は夏でも、そうした自然の変化を見て、季節の移り変わりを肌で感じる。

月初めは全国的に有名と謳われる花火大会も同じく数年振りに見た。

月初めの花火がこの数年で大きく発展していたのを見て、もしかしたら地元の花火も発展したかと思いきや、地元の花火は昔子供の頃に見てるのと何ら変わりはなかった。

最後のスターマインだけが気持ち豪華さを増したように思う。

スターマインを見て、夏が終わることの合図みたいに感じた。


その前の夜、母方の実家に叔母と行ってきた。

別の遠方に住む叔母といとことその小さな2人の娘も来るということで、誘われて行ってきた。

祖母がまだ生きていた頃には存在すらしていなかった小さな2人の命と共に、お墓参りをした。

いとこの教育の賜物で、3歳と1歳の2人は、ナムナムナムと言いながら墓の前で手を合わせていた。

夜は一緒に訪ねた叔母と布団を並べて寝た。

眠たかったはずなのに、友達とのお泊まり会のように会話は絶えなかった。

大した話じゃない。

でも気付けば、生まれてこの方叔母と布団を並べて寝たことがない。

何がどうということもなかったけれど、子供の頃に母の実家を訪ねていた頃のような楽しさがあった。

世代も交代し、そしてまた新たな世代も誕生してさらなる世代交代を目前にしている。

昔の大家族のような面影は失われている。

田舎の大きな屋敷は近代的にリフォームされ、随分と便利な家に生まれ変わった。

だけど、叔母達やいとこといると、どこか昔の空気を携えたまま、体も心もすっかり大人になった私も昔のどこかにタイムスリップしたような気持ちになる。

その大きな屋敷には、他にも何人かの大人がいた。

でも大人になった今も子供の時みたいに話のできる、または沈黙してることさえも忘れられる間柄は、やっぱり子供の頃に積み重ねたものが土台になっている。


今年の夏も終わる。

大人になり自分の生き方そのものが言葉では説明しにくいものになってからというもの、昔気質の大人に会うことに心の中で強く抵抗を覚えるようになった。

色々聞かれたりしても、相手の期待するような返事などまずできない。

適当に誤魔化すけれど、いつも後味が悪い。

でも、叔母達もいとこもそうではなかった。

本当に久しぶりに、私が私であることだけで関係が成立するという場に居合わせた。

背伸びも言い訳も取り繕いも不要で、聞かれたら聞かれたまま答えれば良かった。

それにストレートに突っ込まれても不快感はゼロで、むしろ居心地の良ささえあった。

叔母達といとことの時間は、夏の終わりにやってきた飛びっきりのプレゼントみたいだった。

また今日からそれぞれの日常に戻るけれど、大切な何かを満たしてもらったような感覚だけが週末前とは異なっている。

2016年5月30日月曜日

いつかの終わり

日常がマンネリ化すると、それが昨日も今日も明日も同じように続くと信じて疑わない。

1ヶ月前まではその日常がずっと続くと信じていた。

続いてもらわなきゃ困るとさえ思っていた。

でも流れはそちらの方ではなく、別の決断を下すに至った。

今もこうしてこれまでと同じ部屋でブログをアップしている。

部屋の様相がだいぶ様変わりしているけれど、それでもこれまでと同じは同じ。

でも明日の朝を迎えたら、もうこれまでと同じではなくなる。

明日からは進路変更をする。

思ってもいなかった変更で、正直戸惑っている。

この1ヶ月何度もこれで良かったのかと自問自答した。

やっと今、もうこのように決断する方向に向いている以上は仕方ないと思っている。

またどこか新しいところから始めたらいい、何かが始まって行くのだろうと。


昨日は夕方から雨が降り出した。

もっと早くから動けばいいものを、夕方になって所用を足しに近所に出かけた。

小さな雨傘をさして行った。

小雨だったのが幸いだった。

ふとこれがいつまでも続く「雨日和」ではないと思い知った。

雨傘さしていつも見慣れた道を歩くのは、多分昨日が最後。

今日はもう止んでいるし、明日は天気予報を見たら晴れになっていた。

日常に飽きることもないわけではなかったけれど、こうしてこれまでの日常が破られると日常が

とてつもなく特別になる。

当たり前の日常たちが当たり前ではなくなる。

今は頭の中があれやこれやと忙しくて、しんみりと日常を振り返っている場合じゃない。

だけどこの2週間位は、日々の何てことないことたちが特別で、迫りくるカウントダウンに寂しさを

覚えていた。

今という時をまた思い出すだろう。

もう二度とは自分の場所にはならないこの場所を思い出し、そしてそこであったことをまた色々と

心の中で再生するだろう。

日々の小さなこと、それが日常に埋もれたことでも、それはいつだって一期一会の一瞬だったと

今ならわかる。

2016年5月25日水曜日

夕暮れと珈琲とレーズンケーキ

1週間前の水曜日の夕暮れに「夕暮れと珈琲とレーズンケーキ」の3つが揃った。

2人のうちの1人の妹が名古屋に遊びに来て、妹を名古屋駅で送り届け、適当に駅をうろついた

後は家に帰ってきた。

2日間ともあちこちを歩き回ったから体は程良く疲れ、家でのんびりしていた。

前の晩、近所のスーパーで食後に2人で食べようということでレーズンケーキを妹が買ってくれた。

だけど夕食だけでおなかがいっぱいになり、夜のおやつは結局やめた。

また1人になった部屋の中には、夕暮れを知らせるオレンジ色が差し込んでいた。

向かい側のクリーム色のアパートもオレンジ色に染まっていた。

いつかの誕生日に友達が贈ってくれた素敵なマグカップを出し、そこにインスタントコーヒーを淹れ

そして例のレーズンケーキを適当な器に盛り付けた。

窓の向こうに見える夕暮れの色と白い磁器でできたコーヒーカップとレーズンケーキを見比べて、

何とも言えない幸せ感が広がった。

何てことないものたちの集合なのに、そのどれもが欠けてもいけない位にきれいに調和していて、

そしてそれらのものたちと居合わせる瞬間がとてつもなく幸せだった。

レーズンケーキはほのかにレモンの味がして、わたしの好きなタイプの味だった。

夕暮れもそのコーヒーカップもレーズンケーキも、わたしが自分で用意したものは1つもない。

夕暮れは勝手に太陽が沈んでいくものだし、コーヒーカップもレーズンケーキも運んできたのは

わたしじゃない。

友達も妹も、それぞれが用意したものがこんな場所でシンフォニーを奏でるとは思ってないだろう。

夕暮れは毎日同じじゃない。

そもそもその時間帯に家にいられることの方がうんと少ないし、仮にいたとしても毎回晴れて毎回

きれいな夕陽が差すとは限らない。

友達が贈ってくれたカップには、ストーリーがある。

贈ってくれた時に、それで一服してまたさらなる創作活動へのひらめきへと繋がる一小道具として

活躍してくれたらいいという願いを込めてくれている。

そんなストーリーを付けてプレゼントをもらうこと自体すごく少なかったから、それを聞いてわたしは

うんと感動した。

今回妹とわたしは、夜のおやつにありつけなかったけれど、気付けば2人で過ごす夜はいつも

おやつがセットで付いてくる。

わたしが足繁く妹のアパートを訪ねていた頃は、必ず夜のおやつをどこかで購入してきた。

適当にごはんを作って食べて、その後テレビを見ながらまたおやつを分けて食べるのが暗黙の

了解となっていた。

だから今回もそんな流れだけは自然とできていた。

こういうことってどれだけの確率ですべてがきれいにぴったり重なるのだろう、と思う。

夕暮れも、コーヒーカップの贈り物も、レーズンケーキも、本当にたまたま同時多発した。

その時わたしは1人だったけれど、ちっとも寂しくなかったし、むしろこのいくつものことが重なった

ものたちを前に感動さえ覚えていた。

こういう小さな幸せって買えないんだなってわかる。

どれも値段のつけようがない。

そしてどこにも売っていない。

「夕暮れと珈琲とレーズンケーキセット 1000円」とかあるわけがない。

1週間前のことだし、あの時の幸せ感は当然感覚としてはすっかり立ち消えたけど、それでもあの

特別な感じの記憶だけはこの1週間消えることがなかった。

どこにも売っていない夕暮れと珈琲とレーズンケーキのセット、この言葉を頭の中で何度も何度も

繰り返した。

2016年5月15日日曜日

ありそうでないもの

お世話になった人へのプレゼントを探している。

相手の負担にならず普段使いできるもの…と考えて、よく本を読むその人にはしおりにしようと

決めた。

思い出せる限りこれまで5人の人からしおりをプレゼントされたことがある。

1つは若干行方不明中ではあるけれど、残りはすべて現在も活躍中だ。

長いものはプレゼントされてから20年近くが経っている。

ちなみにその20年選手になろうとしているものは、しおり風の誕生日会の招待状だった。

それがとても素敵な紙と手書きの文字とで作られていて、プラスラミネート加工されているから、

しおりとしてぴったりの代物だった(実家に置き去りにしているような気がする行方不明のもの)。

他にももう1人から手作りしおりをもらったことがあって、それはまた別の風合いがあって好きだ。

残りの3つについては、1つはメキシコから、1つはアメリカから、1つは日本の名古屋からと実に

国際色豊かだ。

名古屋からきたしおりは、贈り主からそこに込められたストーリーも聞いているから、さらに素敵さ

が増している。

それぞれのしおりにストーリーがあり、わたしはそれらを思い出す度に甘美な気持ちになる。

使う時はどっぷりと思い出に浸ることはなくても、ふと思い出に浸る時はそれだけで楽しい。

自分がそういう使い方をしているから、本を読むその人にしおりを思い付いたのだった。

我ながらセンスのいい思い付きだと自画自賛したけれど、今日実際に数軒しおりを置いてそうな店

に行ったらものの見事にない。

しおりを置いていないわけじゃない。

置いていない店もあったけれど(しかも大きな文房具売り場を誇るショッピングセンター!)、

置いていたとしてもデザインはマックスで3種類。

しかもそのしおりがどちらかと言えば女性向け。

今回のお世話になってる人というのは年上の男性。

どれもこれもいまいちだった。

中には3000円もするようには見えないしおりもあった。

また個人的に感じたことの1つに、今回見たしおりは全体的に奇抜な形のしおりが多かったけれど

これ絶対に普段しおりを使ってない人がデザインや監修をしているんだろうなぁと思った。

絶対に使いにくそうだし、下手すると持ち運びの途中でしおりが下に落ちそうだ。

しおりがなぜ四角なのか使ってみたらわかる。

四角だと1辺が必ず本の間に上から下まですっぽりと収まるから安定する。

ずるっとしおりが抜け落ちることはまずない。

すごく当たり前のことだけど、これは使ってないと多分わからない。

これまで一度も自分でしおりを買ったことがなかったから気付かなかったけれど、しおりというのは

どこにでも売っているものではないことがわかった。

さらにそれでデザインに優れているもの…となるとさらにハードルは高い。

わたしの手持ちのしおりたちは1つ1つ全く違っていてとても個性的で、さらにはデザインがとても

素敵だ。

どのしおりも、同じものをどこでも見たことがない。

たまたまわたしの元へ運ばれてきたものとは言え、今後もどこかで目にすることはないと思う。

できれば大量生産系よりも、同じものないよねという類いのデザインの方がいい。

明日もう一度探してみるけれど、果たしてお目当てのしおりに出逢えるだろうか…。

2016年5月14日土曜日

甦(よみがえ)るもの

昨日3~4年ぶりに、前職でとってもお世話になった先輩に会ってきた。

まだ当時の職場にいるかわからず、昼下がり先輩が最後担当していた所へ行ってみた。

駐車場には見慣れた車。

歓迎ムードで招き入れてくれ、仕事前の時間を少しいただきおしゃべりし、夜ごはんを食べる約束

を取りつけて一旦は別れた。

絶対にやりたいだろうなぁと思い、夜はオラクルカードと呼ばれるものを持参した。

「オラクル」とは英語でいうところの「予言」に当たるらしい。

基本的な使い方は、その時にしたい質問をしてそのヒントをカードからもらう。

それを持参するにあたり、久しぶりにカード入れのベルベットのような生地の真紅の巾着を出した。

そもそもそのオラクルカードも、自分で購入したのではなく、友達から譲り受けたものだった。

友達はいくつも持っていても自分では使わないから、ぶっしーちゃんの好きなものをあげると

持っている全てのカードのセットを目の前に出し、その中で一番好きなものをいただいてきた。

一番好きなものと言っても中身はどんなか全然知らないために、一番ぴんときたものを選んだ。

そしてカードを保管する用の巾着も一緒にプレゼントしてもらった。

ここ最近は最後いつ使ったのかも思い出せない位に使っていなかったために、巾着にたくさん埃が

付いていた。

ガムテープを適当な長さに切り、巾着についた埃を取り除いた。

ほんの1~2分の作業で巾着はあっという間にきれいになり、ピカピカと光沢を放ち始めた。

ベルベット特有の光沢を取り戻した生地は、本来の持ち味を存分に発揮していた。

一瞬で甦った。

一通りの食事を終えた後、先輩は喜んでカードを引いた。

カードも久々に人に触ってもらってさぞかし嬉しかったことだろうと思う。

しかも、その先輩がどれだけ丁寧にカードを取り扱ってくれるのかを知っているから余計とそう

思えた。

基本的にわたしは、わたしは引かず質問者自身からカードを引いてもらう。

そちらの方がなんとなくより本人の今の状況を反映したカードが引かれるように思うから。

ちなみにカード占いを生業にしている友達いわく、質問者でも占い師でもどちらが引いても基本は

OKと言っていた。

たしかに、その友達からわたしのために引いてもらったカードはこれまで一度も外れたことのない

どんぴしゃのヒントがやってくる。

多分わたしは、質問者自身で引いた方が納得する=わたしが引くことで余計な誤解や異議を

招きたくなくて、それで本人に引いてもらうスタイルを取っているのもある。

昨日の夜も、先輩は実に楽しそうに興味深そうにカードを引いた。

カードの引き方は1つじゃないから、引き方も提案し、そのすべてを試した。

1時間以上カードを引いていたと思う。

カードが伝えてくるメッセージは本当にすごいと思う。

10数文字で書かれた1行の文章で、先輩は「何を言われているのかすぐにわかった」と言って、

その言葉の奥から導いた自分の話を聞かせてくれた。

先輩は興味深そうに話を聞いてくれるもので、わたしが並んだカードから感じたこともそっくりその

まま伝えた。

たった1つのツールが、実にたくさんの会話を生み出し(先輩は、ツールなくても延々とおしゃべり

できる相手ではあるけれど)、そこからさらに深い話に突入していく。

ガムテープで巾着をきれいにした時間を思い返す。

ただぺたぺたとガムテープを巾着に付けては離しを繰り返しただけだった。

見栄えが良くなり、それを好きな人と共有した。

好きな人と共有されたものは、さらにさらに嬉しい気分でいるのじゃないかと思った。

部屋の隅っこで埃をかぶったまま持ち主に放置されているよりも、きれいにされそして本来の使い

方で存分に使われ、そっちの方がものそのものも喜びに包まれるのじゃないかと思う。

2016年5月13日金曜日

赤ちゃんの生態

何年か前に、よしもとばななさんのエッセイでばななさんご自身の子育ての中で気付いたことを

こんな風に紹介されているのを読んだことがある。

赤ちゃんを見て驚いたことの1つに、朝起きた時赤ちゃんと目が合うと赤ちゃんが笑うのだそうだ。

それがほぼほぼ毎日のように笑うらしく、とにかくその赤ちゃんの笑顔に驚いたとあった。

どういうわけかその一文だけすごく印象に残り、わたしもいつかその赤ちゃんの寝起きの笑顔を

見てみたいと思っていた。

それが今回数年ぶりに実現した。

妹が去年の12月に初めての子どもを産み、実家に帰省してきた。

わたしも居合わせ、同じ部屋で妹と姪っ子とわたしの3人で寝た。

夜中の授乳タイムは大抵泣き声を出して起きる。

日中のお目覚めも基本的にあまりよろしくない。

大体は泣くことがセットになっている。

だけど、朝1番のお目覚めだけは違っていた。

本当にエッセイの中で紹介された通り、姪っ子はほぼほぼ毎日起きて妹やわたしの顔を見ると、

それはそれはかわいい笑顔で返してくれるのだった。

目が覚めて1~2分少しぼーっとしながらようやく目を本格的に開ける。

目が開けば、視界に妹とわたしが入る。

それぞれににこっと笑顔を向ける。

姪っ子とほぼ24時間体制で数日過ごす中で、本当に目が合うだけで笑うのはこの朝のお目覚め

の時間だけだった。

他のもっと覚醒した時間だと、大人側が何かしら働きかけないと笑わない。

赤ちゃんを1日中観察してわかったのは、とにかく自由だということ。

自分の存在そのものもまだわかってないような段階だから、とにかく自分の本能のまますべての

動きは決定される。

妹と「宇宙と交信してる」と呼んだ時間があって、それは姪っ子がひとりで宙のある1点をじっと

見つめ、うぅうぅーなどとよくわからない音声を発することもあれば、静かに見つめて終わりのことも

あった。

それを数分単位で行うことが1日の中で何回もあった。

大人が顔を近付けてもその時だけはどういうわけか宙を見つめたまま、自分の世界に完全に

陶酔している。

大人にはさっぱり理解できない不思議な行動でしかなかったけれど、姪っ子には姪っ子にしか

わからない思わずしてしまう行動なのだろう。

5ヶ月にそろそろなるという姪っ子。

早くも嘘泣きというか大人の注意を引くための手段を身につけていた。

本気で泣く時と明らかに違うからすぐにわかる。

妹いわく、今の成長段階で姪っ子が自分の感情を訴えられる唯一の手段は「泣く」だけだから、

だから嘘泣きであっても姪っ子なりの何かの訴えなんだと言っていた。

言われてみればそうだなぁと思う。

姪っ子の場合は、人肌が恋しくて泣く時もあったけれど、反対に自分ひとり床に転がされるのを

好んで泣くこともあった。

抱っこしても嘘泣きみたいなことをしている時は、畳の上の毛布で作った即席布団に転がすと

喜んで、例の宇宙との交信時間やひとり発声時間を楽しんでいた。

気付けば、大人になってから24時間体制で赤ちゃんをじっと見ていられる体験は今回が初めてで

何もかもが新鮮だった。

前回妹の家で姪っ子に会った時は、姪っ子は別室で寝ていたから今回ほど一緒ではなかった。

姪っ子が言葉を発する前に、もっともっとこの赤ちゃん特有の生態系をまた観察したい。

この不思議な感じは、言葉を言葉として理解できない今の時だからこそ見られるもののような気が

する。

大人になった自分や周りを見て、みんなそんな時を通過して今に至るなんてとても思えない位に

赤ちゃんって面白い。

「生きているだけで価値がある」という言葉、姪っ子を見て本当にその通りだと何度も思った。

なぜなら姪っ子は、本当にただただそこにいるだけで、周りをうんとしあわせな気持ちにしてくれる

そんな存在だったから。

2016年5月1日日曜日

再生の時

過去にあきらめたことがあった。

そのあきらめたことは、人生の中で一番の痛みで後悔で絶望に近いものがあった。

なかったことにはもうできなくて、ひたすら前を進むしかなくて、それでもいつも宙ぶらりんになった

ままの自分の気持ちみたいなのだけが残っていた。

とりあえず前を進めるようになったというのがわかり、その残っている気持ちみたいなものは

いつか気にならなくなるまでそのままでいいと思った。

そう思えるようになるだけ楽になれた。

無理になかったことにしたり、色々納得のいかないものを否定したり、そういうことは止めようと、

自分に優しくできるようにもなった。

そうしたらその置き去りにされていた過去から、もう一度チャンスが与えられた。

すでにあるものだから、誕生とは違う。

やり直すのとも違う。

生まれ変わるのとも違う。

「再生」再び生きる、がなんとなく一番しっくりくる、今日時点で。

この年になってみると、癒せない過去の1つや2つはあって当たり前と思うようになってきた。

何も痛みもなく順風満帆な人生を送っている人なんて多分この世に誰もいない。

自分が過去に望んだような再生の形とは違うけれど、まさかそんな機会が巡り巡ってくるとは

一度も考えたことがなかったから、正直おどろいた。

一度も考えたことがなかったというのはちょっと嘘だ。

考えれば考えるほど絶望的になるから、考えないようにしてた。

そう、考えなかったんじゃなくてわざと考えないようにしてた。

そしていつか考えないようにしていることさえ日常に溶け込み、そんなことさえ忘れていた。

そんなことさえ忘れていたら、再生のチャンスが巡ってきた。

もう何も目指さなくていいのが楽かもしれない。

前は目指すものがあった。

今はそれがない。

何もないところにまた1から出発しているようなものだ。

ゴールの形が決まってないから、とりあえずその時その時の感じで自分を出したらいい。

または自分を出さない選択もあり。

直太朗の歌の中に、「真っ白いキャンバスにあなたなら何を描きますか?」という歌詞がある。

本当に真っ白いものを与えられ、描いたり描かなかったり、消したり足したり、自由な感じで

絵を描けるような感じがしている。

直太朗はいつかのライブで、「自分だったら何も描きませんけどね、テヘ」と言っていた。

再生って不思議な言葉だなぁと思う。

これまでの過去、死んでいたわけじゃない。

だけど止まっていた。

ある地点からずっと沈黙を保ったまま止まっていた。

それが今開かずの扉みたいなのがパンと突然開いて(本当に勝手に開いた感じ)、そして止まって

いたものに命が吹きかえされた。

自分ががんばったわけでも、自分から扉を探したわけでもない。

扉が開く直前まで、わたしはそんなこと1つとして意図していなかった。

そして意図していないところに勝手に開いた。

必要があって開いたんだと思う。

じゃなきゃ開くわけがない。

2016年5月1日備忘録として

スーツケースロックの悲劇

多分6年ぶりにスーツケースをクローゼットから出した。

使う用事ができて出し、そして久しぶりに出すから日光浴をさせようと思った。

そのスーツケース自体は、TSAロックと呼ばれる世界統一のロックが導入されて間もない頃に

購入したものだった。

3桁のロックの数字、多分これだろうと思われるもので最初試した。

チャックが2つ付いていて、なぜか1つだけ外れた。

でももう1つはぴくりとも動かず、ということは自分が思っていた数字がロック解除の数字ではない

ということが判明した。

ぎょっとした。

最悪鍵で開けるということも考えたけれど、いかんせんこの6年の中で一度も鍵を見ていない。

そもそも鍵がどこにあるのかもわからない。

実家にあるという可能性も高い。

いくつか見当をつけて探してみたけれど、どこにもなかった。

それで手間はかかるものの1つ1つ000~999まで1000通りの数字を入れて合致するまで

ひたすら数字を当てはめる方式を試すことにした。

もうテンションダダ下がりで、ため息しか出てこなかった。

1つ1つ確かめる前に、この数字なら使いそうという数字をいくつか試した。

どれも開かない。

その使いそうな候補の数字を選ばないとしたら、もうわたしは自分が選んだ数字など想像も

つかない代物になってしまった。

キャッシュカードなんかをはじめ4桁の数字はよくある。

だけど3桁は日常で使うことがほとんどない。

これから990通り近くを試すのは、考えただけで頭がくらくらした。

そこでスマホで、「スーツケース ロック 解除」と検索し、何か他に良い方法がないか調べた。

最初の方にきたページが大ヒットし、本当にその通りのことが起こって今は解決した。

その著者の方も、同じように1000通りを1つずつ試すようにということを書いていた。

ただ1つだけ違ったのは、「10分以内に大体開きます」という文言を入れてくれてたことだった。

わたしは当初日長一日その作業をするのかと勝手に想像していたがためにやる気を失せていた

ものの、10分程度なら平気、できる!となりやり出した。

本当に10分もかからずにヒットした。

ヒットした数字を見て「えぇ、これ!?」とびっくりした。

本当に縁もゆかりもない番号を設定していた。

よくよく考えたら、あぁもしかしたらあそこから取ったものかも・・・と思うものが後から出てきたけど

多分それを頭に置いた上で設定したものではないと思う。

よくぞそんな番号を設定したものだと、自分でしたことなのに狐に包まれた感じだった。

このスーツケースロックの解除に奔走したおかげでスイッチが入り、気の進まない作業も少しずつ

着手し始めた。

最初のロック解除不可の時は悲劇だったけれど、一件落着したら喜劇に変わっていた。

相変わらず単純な自分に笑ってしまう。

2016年4月28日木曜日

思い出の中だけで生きる場所

これまで一度も訪れたことのない場所を訪れた。

手続きのために向かって、帰りは思い出のある場所をひたすら歩き、当時仕事で使っていたバス

停からバスに乗った。

思い出のある場所の1つは大きな公園だった。

仕事の途中、ちょっとさぼって公園の中で休憩した。

平日の午前中に、中学生か高校生と思しき女の子がいて、どうしたんだろうと不思議に思っていた

あの場所だった。

今日は雨で、散歩のおばあさんと習い事に向かう小学生の小さな女の子2人とだけすれ違い、

あとは誰にも会わなかった。

ここかしこと木々が植えられていて、トトロのトンネルみたいだった。

当時の職場の近所で見慣れていたところは、ところどころ様変わりしていた。

中国人が経営していると思われる中華料理屋や大きな駐車場を備えたコンビニができていた。

中華料理屋が当時もあれば絶対に行ったのに、と残念に思いつつ、徐々に当時の職場に近付き

よく見慣れた建物が目に入った。

なんだか暗いなぁと思いながらも、まぁ元々暗い感じの建物ではあったから、そしてちょうど前の

歩道に植えられた樹木が邪魔していて見えないだけだと思っていた。

なんと前の職場は閉鎖していた。

会社自体はまだあるから会社は存続しているけれど、わたしの職場は閉鎖していた。

「テナント募集」の看板が窓に貼り付けられているのが目に入った。

まさかそんなことになってるとは思わず、直接3階建てのビルの中に入って行った。

下の駐輪場には当時の但し書きが残されたままになっていた。

2階に上がり、扉に貼ってあった事業所のシールはなくなっていた。

電気メーターも止まっていた。

そしてまたすぐに元の道を引き返した。

2階の踊り場で、ぽっかりと空いたスペースから雨空を眺めた。

いつかここでFと下弦の三日月を一緒に眺めて、それは時間にしたらほんの1~2分、ふたりで

感動した。

こんな風に夜に月を見ることもなければ、それがたまたま下を向いている三日月ですごくラッキー

と話していたFの姿は今でも目に焼き付いている。

最後の日、Iを外まで見送った。

外まで見送ってくれるなんて嬉しいと言いながら。

Yはいつも下に設置されていた自動販売機のジュースについて談義していた。

一時期撤去されて、その中のコーンスープが好きだったのに悔しいと真剣に訴えていた。

今日手続きした場所は、当時のお客さんが住んでいる町だった。

実際に歩いてみてとても遠いことがわかり、あんなに遠くからいつも通ってくれていたんだと

思ったら、ものすごく感動してしまった。

まだまだ思い出そうと思えばいくらでも思い出せる。

とにかくたくさんの思い出をたくさんの人たちと作った場所だった。

仕事の内容は全然好きではなかったけれど、そうした個人個人との関わりが大好きで、それだけ

を理由に続けられたと言っても過言ではなかった。

あの場所があったから出逢えた人たちで、作られた思い出だった。

今回4年ぶりの訪問で、この4年で色んなことが変わったんだと知った。

不思議と切なさはなくて、もう空虚となったそのテナントを見て、そこで一緒に思い出を作られた

その事実だけがなんだかものすごく特別に感じた。

当然そこに通ってきた人たちは今も9割がたはその地域に住んだままだろうと思う。

そこを見てどんな風に何かを思い出すんだろう。

時と共にどんどん色んなものを忘れるだろうし、もしかしたら一瞬たりとも思い出すこともないの

かもしれない。

別にそれでもいいなぁと思った。

多分もう自分の人生でそこには二度と訪れない。

ついでに行ける場所じゃないから。

二度と訪れることはなくても、わたしの思い出の中ではずっと永遠に残る場所、そして数々の

思い出たちも時々は人生の中で現れてくれるだろうもの。

そういうものっていいなぁと思う。

そういうものを持てたこともとても光栄だと感じてる。

当時はただただ辛かっただけの仕事が、今は素敵な思い出のワンシーンになっている。

行きつ戻りつそして今

「行きつ戻りつそして今」そんな言葉がふと出てきた。

何が行きつで何が戻りつなのかわからないけれど、今の自分の心情を表すとそんな感じ。

この3日程、日常なのに非日常のような時間を過ごした。

過ごしたと言うより、勝手にありえもしないことが山ほど起こってきてびっくりした。

例えばその一端を担った1冊の本がある。

図書館で借りた本で、さっき調べたらなんと名古屋市内で1冊しか在庫のない本だった。

なんとなく惹かれて借りてきて、そしてその本にあったある実験を行って。

実験は「まさか」を体験する実験だった。

有り得ないということが起きるかどうかを見る実験。

実験って言っても特に何をするわけでもなく、日常を送る。

そうしたら、本当に色んなことが、そう決して日常で起こらないことがいくつもやってきた。

あまりにも非日常のことがいくつも重なって、頭の理解なんか追いつくはずもなく、どうしてこんな

ことが起こり得たのだろう?なんて考えても仕方のないことをぼんやり思う。

本には臨時収入や思いもがけないヒントがきたり・・・と紹介されていた。

それが本当にやってくるなんて、誰が予測できただろう。

しかも臨時収入は、実はずっと家の中に何年も前からあったお金だった。

そして臨時収入というかその現金を手にするのに、それを引火させた人物が2人いる。

1人は10年来の友人のような関係の人で、その人からSNSにメッセージが来た。

1年に1~2回ふらりと連絡をくれる人で、そこはまぁ最初の入り口にしか過ぎなかった。

そのメッセージをネットで確認するにあたり、わたしはある衝撃の事実(2人目)を知る。

あまりにも衝撃がでかすぎて、それでわたしは急遽本格的な断捨離をしたくなり、それで断捨離を

始めたら、なんと意外な場所から現金が出てきた。

そう、だからそのお金は数年前からそこにずっとあったのに、わたしは一度でも気付くことがなく、

ずっとずっとその場所でただ息をひそめていた。

そして最初の本の話に戻ると、すごくいい内容の本でその人ブログやってないんだろうか?と思い

それもチェックした。

その方のブログがいいのはもちろんだったけれど、そこに過去に読んだことのある本の作者との

対談会のような案内があった。

会自体は終わっていたけれど、そのもう1人の方の情報が気になり、それを開いた。

なんと昨日名古屋にその人は来ていて、講演会をするという情報をキャッチした。

情報は先にキャッチしていたけれど、いかんせん先立つものがない。

本当に行けるなら思いがけない方法でお金がくるだろうと(どうせこないだろうと)たかをくくって

いたら、まさかの断捨離の行く末の臨時収入。

めでたく行ってくることができたのが昨日の夜。

さらにその前にも、近所の大学で公開講座があり、なんと無料で一般市民も参加できるタイプの

ものでそこにも足を運んだ。

そこでも思いがけないたくさんのヒントと、そして何よりもわたしがこれまで名古屋市内で見た一番

景色の良い場所に遭遇した。

これまで大学は外からしか建物を見たことがなく、一度も中に足を踏み入れたことがなかった。

だから全くの初めての場所に行くことになったのだけれど、もう半端じゃないきれいな景色で、

そんな素敵な土地が名古屋にあったとは、しかも普段よく通る場所がそんなにもきれいな景色に

なるとは、想定外の出来事だった。

とりあえず、何だかよくわからないけれど、何だかよくわからないことがたくさん起こっている。

そのありえないことが起こる実験を始めた24時間後ぐらいに、72歳とおっしゃった婦人に会った。

向こうから話しかけてくれ1時間弱、互いにベンチに座りながら話をしていた。

その方の飼い犬の名前は、わたしの友達の飼い犬と同じ名前だった。

さらには、なんとその息子さんが数年間勤めたという会社がわたしが派遣で行ったことのある会社

だった。

不思議なこともあるもんだなぁとその時は思って終わった。

そう、断捨離の時も不思議なことがあった。

結局は捨てるのをやめたのだけれど、今回これだけは捨てようと思った1冊の絵本があった。

そこについているわたしのストーリーを断ち切りたくて捨てようと思った。

そうしたら、他のものも見ていたらなつかしくなり、1冊の雑誌を手にした。

3~4年前の今頃、とある雑誌に文章を投稿したことがあった。

それがまさか採用されて実際に掲載されたのがその1冊の雑誌の正体だったのだけれど。

今回も久しぶりに自分の文章を読んだ。

もう何回も読んだし、その時のことはよく覚えているから、その辺りはこれまで通りだった。

これまで通りではなかったのは、自分の文章が載っているページの上の部分だった。

なんとそこに、よく雑誌なんかにある「おすすめの本」コーナーみたいなのがあって、そこに例の

捨てようと思った絵本が紹介されていた。

今まで一度も気付かなかったと思う、そのコーナーの存在に。

だけど今回はそこに初めて目が行き、まさか自分がこれから捨てようとした絵本がそこに載って

いるなんて、想像すらできなかった。

それ見たらあまりの偶然に腰を抜かし、とりあえず捨てることはやめた。

だってこんなにたくさん世の中には本が溢れているのに、何がどうしたら自分が捨てようと思った

本とそのたまたま自分の文章が掲載された雑誌の中で第三者が推薦している本が一致して

いて、さらには自分の文章とその本の紹介とが同じページにある。

もうどんな確率ですか?という話で、捨てるに捨てられなくなった(笑)。

ちなみに絵本は9~10年前に購入したもの。

という、過去も未来もはちゃめちゃなことが山ほど起こって(ここには書いてないこともまだある)、

とにかく行きつ戻りつの今になっている。

これまた余談だけど、今日とある契約に関する連絡をある会社にした。

これももう何回も契約しているから、いつもと同じ流れで契約をするのだろうと思っていた。

ところがいつまで経っても契約書がこないからどうなってるのかと思い、ようやく連絡した。

なんと、契約の方法が今回から変更になることが判明した。

これも全くの想定外のことで、もしこれを早くに知っていたとするならまた違った選択を自分はした

のかもしれないと思った。

とにかく、これまで「○○だろう」と思っていたことが次から次へとひっくり返され、もう何が当たり前

で何がそうではないのかの線引きが薄れてきている。

ありえないことだらけなわけだから、どう解釈していいのか自分でも戸惑っている。

さてこの後もいくつか、普段には有り得ないことがいくつか予定されている。

何が出てくるのかはわからない。

だけど確実に水面下で何かが進行しているような感じがある。

何が進行しているのか、当の本人のわたしでさえわからない。

2016年4月25日月曜日

心地良い音色

夜中布団の中で小説を読んでいたら、外から聞こえる音が一段と大きくなった。

いつから聞こえていたのかはわからなかったけれど、よく耳を澄ますとカエルの鳴き声に似ている。

包囲5キロは完全なるコンクリートで構成されている街に住んでいたら、カエルとは無縁だ。

もちろん田んぼも畑もない。

あったとしても、とっても人工的な家庭菜園がある位だ。

そもそも庭の面積が狭すぎて、畑などやれる程の土地持ちの人は近所にいない。

だからその何だかよく知らない音がカエルの鳴き声に、しかもおたまじゃくしがカエルになった位の

一番うるさくなるカエルの大合唱のような音に聞こえるのがたまらなく不思議で仕方なかった。

近所は住宅が密集していて、夜中はほとんど音がしない。

たまに酔っ払ったグループの人が通りかかると、会話が聞きとれそうな位に静まり返っている。

そのカエルの鳴き声のような音がどこから来ていて、そしてどうしてそんな風に音がわたしの頭の

中では書き換えられているのかわからなかったけれど、聞いていて安心する音だった。

新潟の実家のすぐ隣りには田んぼがある。

だからカエルの鳴き声は、毎年時期が来れば嫌でも耳にする。

そのよく見知った音をただただ聞くだけで、気持ちがおだやかにそして何とも言えない安心感の

ようなものを感じて感動した。

ただ小説があまりに面白すぎてベランダに出て音を確認するほどの余裕はなかった。

キリのいいところで確認しようと思いそのまま読書を続けていたら、「さぁちょっと出てみようか」と

思った時には丁度その音が消えてしまった。

そしてその後には一切そのカエルの鳴き声らしい音は、外から聞こえなくなった。

何だったのだろう?と思う。


今朝は今朝でまた面白い音を耳がキャッチした。

今近所では3つの大きな工事が同時進行している。

1つは水道管の入れ替えのための道路工事。

これが音としては一番家から近いもの。

2つ目は、距離で言えばコンビニ1軒分位先のところのアパートの外壁補修工事。

多分だけど、そのアパートの外壁補修工事は予定になかったものだと思う。

数日前、暗くなってからそのアパートの脇を通ったら何人もの作業員が応急処置的な機材を持ち

込んで、とりあえず最低限の安全を確保するためにライトアップさせて作業していた。

昼前までは普通だったのに。

そんなこんなでその夜以降、毎日外壁工事が行われている。

3つ目は、50m程先にある某会社の本社建替工事。

「本社社屋」と看板にあったけれど、多分東海地区ではそこそこ大きい会社だと思われる中、

名古屋の繁華街やオフィス街からは離れたこの地にそんな本社を建設するのが不思議。

その3つが稼働しているから、とにかく方々から色んな音が耳に届く。

今朝の音は、何か重機を使っている音には間違いなかった。

だけどその重機が醸し出す音というのが、夏祭りなんかで演奏される日本古来のたて笛の音色に

そっくりで、そしてたまたまなんだろうけれど旋律までも生み出し、聞いていて心地良かった。

当たり前だけど、工事であっても祭りではないわけで、だけど音だけを切り取ったら完全に祭りの

笛の音色で、そのあべこべな感じも寝ぼけた頭には面白おかしく映っていた。

しゃきっと目覚めると、もうそのたて笛のような音色はなくなっていて、多分使用する重機が

変わったのだろう、単なるうるさい工事の音だけが残った。

2016年4月22日金曜日

250円弁当

手抜き料理の話を書いていたら、昔時々買っていた250円弁当の存在を思い出した。

当時はブラック企業での勤務をしていて、1日最低1食は外食という日々だった。

あんなにも外食が耐えられないと思ったことは、人生の中で他になかった時期だ。

毎日食べるものが変わっても、とにかく毎日毎日外で食べるということにほとほと疲れていた。

しかも、同僚や上司と食べることが多く、それもストレスの1つだった。

そんな中、ある日わたしは会社の本社の近くに250円弁当を出す弁当屋を見つけた。

揚げ物を中心に数種類の弁当があって、わたしは2~3回を除いて毎回唐揚げ弁当だった。

弁当を買ったら、近くのお気に入りの神社に行き、そこで1人でゆっくりと食べていた。

残念ながらこのお店はもう今はなく、今でももう一度食べたいなぁと思うお弁当だ。

この250円弁当の唐揚げのレベルが、ものすごく高いレベルだった。

昭和のような古い建物の1階部分がその弁当屋で、いつも2人の店員さんがいた。

1人は奥でひたすら唐揚げを揚げている人、もう1人は店頭で接客というか金の受け渡しをする人

という、実によくできたシステムだった。

唐揚げをきちんと揚げているのは見ればわかる。

しかも1つ1つ大きさが不揃いゆえ、産地不明の鶏肉でもきちんと手作りの唐揚げになっている。

味付けもシンプルだけど美味しいし飽きない。

大きな唐揚げが4~5個入っていたと思う。

ごはんも炊き立てを入れてくれてるらしく、いつもごはんはほんのり温かかった。

ピンクの漬物と小梅1つ、あとは業務用と思しきポテトサラダが少し。

野菜ゼロで不健康な感じの弁当ではあったけれど、中身は美味しかった。

当時のお昼ごはんの中で一番印象に残っているのは、その250円弁当だった。

あとは食べた店も覚えているけれど、この250円弁当ほど印象に残るものは1つもない。

手抜き料理バンザイ

料理熱がどんなに冷めようと、何もかも面倒くさくご飯の用意をしたくなかろうと、お腹は減る。

放置しておけばそのうち収まるなんていう欲に食欲はならないから、最終的に台所に立つ。

最初に少しだけ余談をはさむと、「1人暮らしなら買って食べた方が安い」と世間でよく言われる

あの言葉、わたしは丸っきしの嘘だと思っている。

嘘と言うより、わたしの経済感覚だったら嘘と断定している。

ウニだの大トロだの牛のステーキだのと言うのであれば、外で食べた方が値段はさておき良い質

のものを食べれると思う。

だけど名もつかないような家庭料理を外で食べるのと家で作って食べるのとでは、たとえ1人

暮らしでも絶対に作って食べる方が安い。

唯一頻繁に外で買うものは、揚げ物くらい。

これは経費の問題ではなく、揚げ物専用鍋がないのと油の後始末の問題があるから。

家にある深鍋のフライパンは26cmもあるから揚げ物したら500mlは油を使うことになり、最終的

に油の始末に困るのは目に見えている。

しかも揚げ物は、回数を重ねてないだけあって下手くそだ。

準備と揚げ物の完成具合を頭に入れたら、絶対に買う方がお得でおいしい。

そんなこんなで、基本は自炊でごはんをまかなう。

ただ、ここ数日の料理熱のなさにはほとほと困っているし、かと言って外で食べたいとも思わない。

それで昨日今日とで試した簡単手抜き料理。

料理とも呼べない代物かもしれないけれど、ざっくりとレシピなぞ紹介。

昨日は、「鮭と梅の炊き込みごはん」。

あら、言葉にするとえらい美味しそうな、そして手の込んだ料理のような名前。

そんなわけなく。

1.5合の白米に同量の水を入れた後、鮭の切り身1人分としょっぱい系の梅干し2つ。

それを入れてあとは普通に炊くだけ。

わたしがしたことは、米を研いだのと、それぞれの具材をそのまま(切り身なら切り身のまま)

炊飯器にちゃぽんと入れただけ。

あとはスイッチオン。

炊き上がったら、しゃもじで鮭と梅を刻むようにごはんと混ぜ込むだけ。

味が足りなければ、炊きあがってから塩でもゴマ油でも適当に足せばいい。

ちなみに食べ飽きたわたしは、最後天かすを入れたら思いの外おいしかった。

今日は、「カレースパゲティ」。

今日はもっと手抜き。

これはいつかの弁当に使おうと思っていたレトルトのカレーを使用。

少し前まで、週5回の弁当生活を送っていた。

月~金の週5勤務もさることながら、この毎日弁当持参というのも非常に荷が重かった。

いかに手抜き弁当を作るかが勝負で、それである時レトルトのカレーを持参してはどうかと思い

ついたのだった。

カレーも自分で作る方が安くおいしくできるから、あの高級系のレトルトは極力避けたい。

ある時イオンに行ったら、イオンブランドのレトルトカレーが50円?60円?70円?その辺りの

値段で売られていて物は試しと思って買い置きしておいた。

だけどいつまでも使うことなく、弁当生活は終わった。

このカレーの存在すら忘れていたけれど、つい1~2週間前、他の乾物を出した時に目に入り、

そうだそうだこれもいつか使おうと思っていたのだった。

スパゲティを茹でて、同じ鍋でレトルトカレーも温めた。

そういうことを一緒の鍋ですることに抵抗のある人には勧められないけれど、平気な人はそれで

洗い物少なく済んでいいと思う。

味は可も不可もなく。

とりあえずまずくなくて良かったと思った。

鮭と梅干しの炊き込みご飯もカレースパゲティも材料費だけなら100円を切る。

買って食べるとしても、100円で一食が賄えるものなんて今どきそうそうない。

カップラーメン位じゃないかと思う。

おにぎり1つ、パン1つでは、お腹が満たされない。

鮭と梅干しごはんなんかは、大きめのおにぎり5個分に相当するのに。

いずれにしても、調理時間10分以下で簡単にできるこの手抜き料理のすごさよ。

洗い物というおまけはついても、洗い物だってたくさんはない。

3分もあれば終わるような洗い物の量だ。

個人的に、この究極の手抜き料理をもっと究めたいと思っている。

もちろんそれは、今回のような料理熱が著しく低下し、台所に立つのも面倒な位の時のために。

2016年4月20日水曜日

自己分析とシェアする理由

いつからか忘れたけれど、「あれ?どうしてこんな風に考える?」「どうしてこういう風に感じる?」と

自分に問い掛けることがとても多い。

ほぼ毎日と言っていい位にそういう思考が勝手に働く。

今日は保育園時代の自分の記憶があれこれ出てきて、そこからもっと色んなものが複雑に絡まり

あって今に至っていることに目をつけた。

何をどうやって言葉に起こしていいのかわからなかったけれど、保育園時代の記憶から出てきた

言葉は、出てくる度に携帯をオンにして携帯のメモに綴った。

そうした言葉は、5分とか時間を置いて他のことをすると絶対と言っていい程忘れる。

だからなるべくすぐにメモする癖までついてる。

何でそんなことするかって、それが自分を知るヒントになるから。

自分を知る作業が楽しいからしていると言うよりも、それが自分を少しでも生きやすく楽しくする

ための手掛かりになるだろうと思っているからしている(と思う)。

去年くらいからそうした分析やプロセスをアメブロにアップするようになった。

みんなわたしの話を聞いて!という体では書いていない。

多分多かれ少なかれ「生きづらいなぁ」とか「苦しいなぁ」とかいう部分の根幹に迫るもの、そして

それがわたし1人だけが世の中で体験していることではなく他にもいるだろう人たちにも、こんな

ことしたら楽になれた、わかるようになった、というのを伝えたいという感じで書いてる。

このブログは完全に日々の徒然記で好き放題書いているけれど、アメブロは違う。

せっかく良いことを知り得たから他の人にも言ったらどうなるか?みたいな半ば実験的な感じで

書いてる。

実は今日、このブログもアメブロも書く前に発泡酒350mlと共に夕飯を食べた。

夕飯を食べたら、しかもアルコールを体内に入れたら、基本的にはもう何もしたくなくなる。

ただただゆっくりしたい、という感じ。

今日もそのつもり満々でいた。

だけど、今日の午前中に気付いたことは、どうも今のうちに言葉にしておかないと明日にはまた

言葉に紡げないのではないか?と不安みたいな気持ちと、今だからこそ書けるというわけの

わからない自負とがあって、パソコンを開いた。

うまく言葉にできなくても、とりあえず出てきた通りにキーボードを叩いた。

今も頭の中がごちゃごちゃしているけれど、何も吐き出さずにいた頃よりは幾分かすっきりして

いる。

何だろうこの感覚って思う。

答えは見つからなくてもいいから、この今の感覚を言葉に乗せれるのは今しかないからとりあえず

書いたという感じ。

2016年4月19日火曜日

すごくラッキーだなぁと思うこと

ここ何年かの読書は、基本的に図書館に頼っている。

特に小説は、よほど欲しいとならない限りは図書館から借りて読む。

そもそも、あまり本を繰り返し読む習慣がない。

95%以上の本は、人生で一度きりの読書でそれっきりになることが多い。

だから余程これはまた読むだろう!とひどく惹かれるものでないと、まずは買わない。

だけど、書店に行けば「これ読んでみたい!」と思わせる小説がある。

手に取ってほんの少し読んだだけで、または帯を見ただけで、これは何か面白そうと感じるもの。

そんなにたくさんはないけれど、たまにそういう手の小説に出くわす。

話題の新刊ともなると、図書館も揃って手に入れるのが名古屋市の場合はならわしのようだけど、

まぁとにかくすごい予約数だ。

ちなみに今一番気になっている小説は、全館合わせて予約数300を超えている。

当たり前だけど、そんなの予約することもない。

わたしが予約するのは、少なくとも誰も借りない手のものすごーく存在感が薄いもので、下手すると

書庫とかにしまわれているタイプで、だけど徒歩圏内の3つの図書館には在庫がないというもの。

そういうものは予約する。

わざわざ借りに行くのも面倒だし、ましてやその手のタイプは大型書店にも在庫がない。

むしろ図書館の方が確実に在庫を持っている。

そういうタイプの本は予約する。

だけど、予約数が0や1ではなく、何十・何百の単位になるような話題本は予約したことすら忘れ

そうだから手を出さない。

で、今日ふらふらと3つの図書館のうちの1つに行ってきた。

今日行った図書館は多少遠いため、そんなに頻繁には行かない。

せいぜい年間で片手で数える程度。

何が借りたいとかあったわけではなかったけれど、とりあえずふらふらと館内を探索。

今さらだけど最近覚えたことの1つに、例えば「赤川次郎」「あさのあつこ」のように著者単体で

看板が完成するタイプの人たちではなく、「その他 あ」に分類されるようなところこそ穴場だと

いうこと。

「その他」に入る小説家・著述家は、1冊又は数冊程度の出版実績の方たちが多い。

個人的には、そういうところからよくも知らずに借りてきた本の方が、うんとヒットが多い。

去年の暮れか今年の頭ぐらいにこの妙技を覚えて以来、ひそかにはまっている。

そして今日もそれでいくつかの「その他」を見て回った。

お目当てのものたちは残念ながらなかった。

だけど、まさか2冊もいつかは読んでみたいと過去に思っていた本に出逢うとは思ってもなかった。

それぞれ3年前、3年半前にどの書店でも山積みになっていた話題の小説だった。

1冊については、また最近人気が出てきたようで、2つか3つの書店で最近見かけた。

絶対に予約が入っていてもおかしくない(事実、20弱予約が入っていたことをさっき確認した)、

そんな本なのに普通に棚にぽんと並んでいた。

そう、予約もせずなぜかいとも簡単に借りることができた。

こういう時、すごくラッキーだなぁと思う。

そして、過去に「いつか読みたいなぁ」と書店に行く度に思っていた本たちとこうして図書館で再会

できる時も、これまたものすごくラッキーだなぁと思う。

2016年4月18日月曜日

高級紙と苦い思い出

どうしてこんなことを突然思い出したのか知らないけれど、ふと30歳の時に買った高級コピー用紙

の存在を思い出した。

あまりにももったいなくて、実家から今の名古屋まで自分で持ってきたけれど、さっき確認したら

残り4枚になっていた。

50枚入りだったのか100枚入りだったのか、はたまたもっと少ない枚数入りだったのかは忘れた

けれど、通常の1パック500枚のパソコン専用のコピー用紙より遥かに高い値段だった気がする。

なぜそんなものを購入したのか、その経緯を突然思い出したのだった。

30歳のわたしは、人生で初めての就職活動をしていた。

大学卒業後もしたけれど、それはとても特殊な活動すぎて、世間一般で言うところの就職活動

ではなかった。

だから全くの未経験者として、世間一般で言う就職活動を当時はしていた。

その途中で権威ある方なのか単なる天下りのOBなのかはわからないけれど、某就職相談室なる

ところに足を運んだことがあった。

予約して履歴書や職務経歴書も持参して挑んだ相談だった。

そこで60歳は超えているだろう大御所の男性よりまず注意されたことのひとつは、書類の用紙の

質だった。

それまでわたしは一度も500枚入り以外のコピー用紙は買ったこともなければ、その存在すらも

知らずにいた。

大御所いわく、就職・転職活動の際に企業に提出する用紙はすべて高級紙を用意するように、

まずはそこから面接が始まっていると言っても過言ではない、位のことを言っていた。

わたしは、「ぽかーん」だった。

誰もが知っている名だたる企業に応募するならともかく、わたしが応募した40社以上の会社は

そんな名だたる企業はひとつもなかった。

ましてや、紙質で採用不採用が決まるのであれば、不採用にしてもらう方がありがたい。

紙専門店に就職するならともかく、紙とは全く関係のない企業でさらにはそういう重箱の隅をつつく

ような体質の会社であれば、採用されてからの方が大変だろうことは十二分にわかった。

まぁでも就職活動のいろはのいも知らないわたしは、とりあえず高級紙を購入した。

そして残りは別の使い方となり、今手元に4枚だけ残っている状態になったんだと知った。

ちなみにその大御所は言葉の使い方も、丁寧にというよりわたしの気力を蹴落としたいとしか

思えない言い方で指摘をしてくれた。

未だに正しい言葉の使い方は知らないままだけど、大御所が指摘したのは「『経験を培う』とは

言わない、間違った言葉の使い方」ということだった。

経験は培われるが正しいのか、経験を積むが正しいのか、それとももっと別の言い方が正しい

のか、未だもって知らないままだ。

その場で質問したような気もするけれど、さっぱり要点がわからず、結局「どうやら使い方が違う

らしい」という程度の知識で今に至る。

本当に今となっては貴重な経験となったけれど、高級紙がどうだとか言葉の使い方がどうだとか、

「生きる」ことを考えたらどれだけ重要なのかなぁと毒を持った物の見方しか今もできない。

最低限、相手に差し出すにあたりきれいなもの、言葉も不自由なく読めるもの、それでいいのでは

ないかと今でも思う。

逆に自分が1000人近い人たちを面接する立場になったとしても、紙の質具合にどれだけ目を

向けるかと言えば、気付かないんじゃないかなと思ってしまう。

経歴詐称する心理

少し前、テレビのコメンテーターなのか何なのか、誰かの経歴詐称がニュースになった。

テレビを見ないからその人物がどんな人なのかはわからないけれど、本人もさぞかし心苦しいまま

その時を迎えたのではないかと想像している。

実はわたしも二度ほど経歴詐称をしたことがある。

自分の名誉のために言うと、自ら詐称したのではない。

最初は、第三者によって詐称され、そこで面倒がなくその方がスムーズとわかって二度目は担当

の人に最初の時のようにしてもらえるとありがたいと自らお願いしたのだった。

ちなみに詐称したのはどの部分かと言うと、期間を詐称した。

どうしてこんなことになったのかと言えば、こうだった。

派遣の企業見学という名の面接に出向いた時、その直前に派遣会社の人と打ち合わせをする。

その打ち合わせの時に、相手企業に見せるわたしの職務経歴書も渡される。

そこでその期間詐称が発覚したのだった。

ちなみに、その職務経歴書は派遣会社側が作成する。

当たり前だけど、わたしは自分の経歴についてはそのまま申告する。

それを偽っても仕方ないし、偽るなんていう発想自体がない。

期間詐称になったのは、おそらく派遣会社側の判断で、経歴の見た目を良くするためにと思って、

そのようになったのだと思う。

正直に、「実際と期間が違っていて、わたしとしてはありがたい限りですがいいんですか?」と、

担当者に聞いた。

担当者の女性は大丈夫よ位な感じで応えていた。

期間について補足すると、もうどこに行っても大体わたしの経歴書は期間の部分を指摘される。

そういう公の場でなければ個人的に大真面目に質問したいといつも思うけれど、そういうことを

指摘してくる人たちに

「人生の中で、ぽかんと空白の時間があるのはおかしなことですか?」

と聞いてみたい。

本当に細かい人だと、少しでも空白があるとそこを容赦なく突っ込んでくる。

やましいことなどないので、当たり障りないことを応える。

当然当たり障りないことしか言わないから、それを聞いて相手もほっとする。

なんじゃそりゃ!?と思う。

とまぁそんな具合だから、その空白の期間がなかったことにしてくれた派遣会社の配慮は、ある

意味ものすごくありがたかった。

嘘は嘘になる。

だけど、そんな細かなことを気にする頭のとんちんかんな人たちを相手にするには、その位の策が

必要なのかもしれない。

だからその後もう1社行くことになった時、わたしは前回のようにしてもらえたらありがたいと自ら

言ったのだった。

嘘つくことよりもあの余計な詮索とそれに応えて辟易する自分よりましかと思った。

もちろん面談中の違和感は拭い去れなかった。

変なのと思った。

それでも詐称しなければわからない感覚でもあった。


ちなみに。

わたしはその程度で済んでるけれど、これが本当に公の場に出るものとなれば本人が一番辛い

だろうなぁと思う。

かばう気持ちはないけれど、いつかはばれてしまう。

そんなの抱えて生き続けることの方がずっと負担が大きくないだろうか。

なのでわたしはまた聞かれることがあれば、そこはいつもと同じようにあるがままを申告する。

そんなよくわからない理由で体裁だけ整えてもどうするの?と思っている。

その期間詐称の部分だけでも詐称する側になってみて、嘘をつき通すとか要はでたらめなことを

自分の口から言うというのは、非常に大変なことがわかった。

事実と違うわけだから、わたしなんかはひたすら細かく突っ込まれませんようにと祈りながら説明

していた。

わたしの場合は、実際の勤務期間より長く設定されたわけで、その長さゆえのとんでも質問は

どうにかして避けたいと思っていた(→聞かれずに済んだ)。

ありがたい策ではあったけれど、なんだかどっと疲れたのも本当だった。

それをニュースになった人は365日×何年も貫いたということなら、相当なダメージがどこかに

あってもおかしくないだろう。

人の信用云々よりも、自分で自分を追い詰めるという意味でのダメージ。

そういう意味で、清廉潔白であること、見た目の良し悪しはさておいても、ありのままの自分をその

まま表現できるというのは、すんごく自由な感じがしてならない。

2016年4月15日金曜日

消えるものと続くもの

思い立って、家から1時間ほどかかるところにある図書館に向けて出発した。

いつも同じルートでは飽きて、ちょっと違うルートで行ってみたくなった。

思い出した。

本当は別のところに行こうとしていたけれどそれを取り止め、代替案での図書館だった。

でももう頭の中ではその最初の目的地のルートが描かれている。

それでその近くを通る感じで行けるルートはないのかと、iphoneのマップ機能を使って検索したん

だった。

それで別のルートでもそう距離数変わらずに行けるとわかり、そちらを採用した。

歩いている途中で気付いたのは、そこは以前の仕事の関係で何回か歩いたことある通りだった。

何年も前だし、そんなに何回も何回も通い詰めたわけではなかったから、記憶もおぼろげだった。

おぼろげではありつつも、大体この辺りのはず…というのは思い出せた。

思い出せたけど、当時の建物がない。

建物らしきものの前を通った時に、どうももうその事業所は閉めただろうことが判明した。

今は整体かマッサージの店舗に代わっていた。

いつ閉まったのかは知らない。

だけどあっという間(4年前?)に新設したと思ったら、あっという間になくなったようだ。

そのままさらに歩き続けたら、なんとまたなつかしい場所の近くだということがわかった。

そちらもついでに立ち寄ってみた。

場所は2階だったから絶対にばったり会うこともないし、すでに勤務時間で当時の関係者と顔を

合わせることもないだろうとわかり、その建物の前まで行った。

結果、そこも多分そこだったと思うとしか言えなかった。

窓に貼られていたものは当然撤去され、何もなくなっていた。

記憶があいまいで、たしかこのすぐ隣りがお菓子屋さんで…という具合にしか確認できなかった。

何の目印もない建物の空白状態を見ても、そういう状態で記憶にとどめているわけではないから、

本当にそれで合っているのかどうかは、周りの残っている建物を見て判断する他なかった。

とりあえず、おいしいと評判のラーメン屋さんとわたしが1人暮らしのわりかし初期の頃に購入した

白い湯呑みを売っているせともの屋さんは健在とわかりホッとした。

両方、小さな商店街、すたれたと言ってもいい商店街の中にあるにも関わらず、やっぱりきちんと

したことを積み重ねているから残るのだろうと思った。

まさかこの4年程の間で2つもの事業所が撤退したなどとは思わず唖然としたけれど、本来の

目的地へとさらに足を進めた。

まさかそこで5年前に出逢った個展と同じ作家さんの個展に今日偶然にも遭遇するとは。

しかも5年前とほぼほぼ同じような状況で再会した。

5年前も今日も、たった1枚の小さな官製はがき大の広告を見て知った個展だった。

畳1畳分を横長にした位の大きな掲示板のところにその広告は貼ってある。

掲示板の位置は5年前と今日とでは違っていたけれど、ハガキ大の大きさの広告は同じだった。

ただ最初まさか同じ作家さんの個展とは思わずに見ていて、そうしたらよく目をこらしたら同じ作家

さんで、しかも今週いっぱい開催していると知った。

閉館20分前に急いで中に入り、ざざっと駆け足ですべての展示を見て読んだ。

一番最初を飾っていた作家さんの直筆のメッセージですでに泣きそうになった。

わたしが今欲しいヒントがそこにぽんと描かれていた。

そしてその後の作品にもたくさんたくさんヒントが描かれていた。

どうしてもすべての作品をもう一度見たくてたまらなかった。

なんだったらすべての作品を手元に置きたい程。

そうしたらそれらすべてが一体となった絵本が販売されていた。

何の迷いもなく即決でその本を購入した。

こんなにも数秒で買い物をしたのは久しぶりだった。

個展をあとにし、本来の目的地の図書館へ行ったらなんと閉館日だった。

あぁ今日は図書館ではなく、本当の目的はこの個展だったんだ、個展に呼ばれたんだと悟った。


わたしが今日最初に目にした2つの消えた事業所。

あれはやはり消えるべき運命にあったと思う。

当時から無理に無理を重ねたものだというのは、中にいたからよく知っていた。

がんばってもがんばっても追いつかなくて、でも会社はもっともっとと求めてくる。

中で働いている人たちは、わたし含め大半の人が疲弊していた。

当然その疲弊は営業成績にも表れる。

嘘みたいな本当の話だけど、わたしは途中から会社から許可を得て営業スタイルを変えて、

そして変えて楽をするようになったら営業成績が伸びて安定した。

多分これは本当に体験した人にしか通じない話だと思うけど、がんばったらがんばった分成績に

表れるのではないとはっきりとわかった。

成績を上げたければ、がんばらないことの方が大事だった。

がんばらず、気負わず、嫌なことを全て省いたら、ちなみに嫌なことの中には営業行為そのものも

含まれていたけれど、それすらもしなくなったら売上も契約率も上がった。

しかも表彰される位に上がった。

だけどわたしはがんばらないことが大事だと気付かされたけど、そんなのたまたまという程度に

しか会社や周りからは見られていなかったと思う。

わたしみたいなのははっきり言って特例で、他はすべて無理を強いられていたままだった。

変な話だけど、当時はわたしのところに何人かの人が、どうしたらそのわたしが手にした働き方を

手にできるか、要はどうやって会社と交渉するのかを聞いてきたりした。

それ位、一部の人たちも喉から手が出る程に欲しいものだったんだと思う。

ちなみにわたしは交渉したのではなく、ある日上の人からその働き方を提案された。

そりゃそうだろう、10回近くも退職届を出されては(苦笑)。

でもそんな現場の裏の声など聞き入れてもらえるような体制ではなく、気付けば現状は当時よりも

性質悪く、閉鎖となっていた。

しかも1か所じゃない、2か所も。

無理は続かないということの証拠を目の前で教えられているような気分だった。


そしてまさかの5年ぶりの再会の作家さんの個展。

基本のスタイルは変わらないにしても、メッセージはますます引き立っていた。

作家さんの魂から発せられるメッセージなんだと思う。

だから惹きつけられる。

そのメッセージ、絵にも詩にも嘘は一切含まれない。

その方の中から生まれたものをそのまま表現しているだけ。

ただただ表現しているだけだけど、それが生きることすべての真実に繋がるようなものだから、

心の奥深くで自分も納得し、その絵や詩が染み渡る。

今回の個展の絵本の後ろに、作家さんの略歴が載っていた。

初めてその方がどういう方なのか、薄ぼんやりと知った。

素敵だなぁと思ったのは、世間的な賞賛部分を省いていたこと。

唯一知っている賞賛部分というのが、その作家さんの活動がNHKでドキュメンタリーとして取り

上げられたこと。

でもそこには一言も触れていなかった。

自分のしている活動のみを淡々と箇条書きにしていた。

しかも絵本も通常の絵本というよりかは、冊子のような形式に近い。

でもでも立派な絵本だ。

そしてわたしはどんな時も死ぬまで持ち歩く1冊になることはすぐにわかった。

それ位、どんなに年を重ねて経験を重ねたとしても、ずっとずっと残る、何か大切なことを伝えて

くれるものだと直観でわかったから。

結局のところ、続くものってそういうものなんだと思う。

がんばり続けることは決して悪くはない。

だけど、自分に無理があるがんばりは絶対に続かない。

反対に、無理が一切なく自然に湧き上がるものは、放っておいても勝手に動く。

勝手に動くから、意図的に止めない限り止まらない=続く。


消えるものと続くものをこうも間近にしかもたかが1時間位の時間の中で次々に見るとは思わず、

何とも言えない気持ちの今に至る。

ちなみにその個展会場をあとにした直後、目に飛び込んできたドラゴンズの大きなポスター。

「前進、あるのみ。」

人生はいくら立ち止まってみても前進するしか手立てはなく、なんだったら立ち止まっている間も

時は進み続ける。

今自分に問われている。

どうやって進みたいのか。

もうがんばり続けること、要は自分に負荷をかけて無理ながんばりを続けることは無理だと、

認めたくないけれどそれが本当の現実になってしまった以上受け入れる他ない。

意図的に止まらない限り止まれない位、何か自分の中にあるもの、それを少しずつ汲み上げて

要は自分の心の奥からひっそりと聞こえる声に傾けて前に進む時期に来ているのだろう。

色んな意味で混沌としているけれど、ヒントはこうやってもたらされる。

色々怖すぎて決断できずズルズルしているけれど、いつかは決断することになるし、動くことに

なる。

今はその直前で、はっきり言って「怖い」の一言に尽きる。

2016年4月8日金曜日

植物のペース

久しぶりに、今住んでいるアパート入居後すぐに手に入れた植物を観察した。

ダイソーで買ってきた観葉植物で、少しでも長持ちしたらいいかなぁとごく軽い気持ちで買った。

それがまさか幾つもの冬を越えて、今年もまたさらに葉の数を増やすだなんて当時は全く予想

だにしていなかった。

久しぶりに見たら、ものすごい数の葉っぱが増殖していて驚いた。

植物好きの友人が、うちに遊びに来るたびにその植物の近くにぴったりと寄って、しばらく無言で

じっと観察したくなるその気持ちが、今日初めてわかった気がする。

しかもこの植物、びっくりする位に強い。

いつだったかは友達が泊まりに来て、朝一番に謝られた。

「ぶっしーごめん、本当にごめん」

「どうしたの?」

「朝起きたらなぜか植物が手にあって、どうも寝ている最中に引っこ抜いたらしい!」

と手に植物を持ったまま言われたことがあった。

もうそうなってしまったのは仕方ない。

ダメ元で植物を土の中に植え返し、様子を見ることにした。

まさか普通に復活するとは思わなかった。

そしてつい先日も、わたしが誤って植物をなぎ倒した。

近くの何かを取ろうとした時、足に植物が当たった気がした。

気がしたのではなく、本当に当たっていた。

そして植物はものすごく変な角度で倒れかかっていた。

ぎょっとしてとりあえず元の位置に戻し、また祈るように数日間は様子を見ていた。

ということをさっき植物を見て思い出し、気付いたらまたこうして復活を遂げていた。

たしか土の中には割れてしまったパワーストーンも入れたと思う、何年か前に。

でもそれだけでこんなに大きくなるとは思えない。

わたしには想像もつかないスピードで植物は成長している。

いつだったか、福祉団体が発行する機関誌のようなものにあった記事を今でもよく覚えている。

とある大学教授か何かが、植物を育てる実験をした。

最良の土、最良の種、最良の日光の当たり方、最良の水、最良の肥料・・・という具合に100%の

条件を揃えての栽培。

片や、それらの条件の一部を悪くしたというか、100%ではなく80%位にした状態での栽培。

それぞれ同じ種類の植物を栽培してわかったことというのが、その記事の中で紹介されていた。

普通に考えたら、100%整った環境の植物の方がさぞかし育ちも良かろうというもの。

でも実際には、ちょっと条件を悪くした方が植物が良く育ったという研究結果になったとのこと。

ちなみに機関誌には、それは人間とて同じで、至れり尽くせり万全の体制の下よりも、多少は

あちらこちらにデコボコがあってその方が人間として大きく成長できるのではないか、というような

感じで締めくくられていた。

ふと家にある植物を見て、このよくわからない人間による数々の試練が一方的に与えられたから

こそ、決して最良とは言えないこの状況下で生き続けてくれたのではないかと思っている。

そしていつも突然やってくる人災に備えて植物は土の中で力強く根を張っているのかもしれない。

ちなみに、おととしの春くらいに一度きちんと植え替えした時に植物の根っこも初めて見たけれど、

これが何とも細々としていて、よくこんな細さでここまで成長できたなぁと感心する位だった。

2016年4月7日木曜日

下書きを消さない理由

このブログにアップしようとして途中まで書いたもの、下書きが13個保存されている。

一番古いものは2013年10月となっていた。

今間違えて3013年と打ったけれど、1000年後の3013年なんてどんな風だろう、地球。

13個保存された記事たちは、これからもアップする気がしない。

だけど消去することもおそらくしないだろう。

例えばそのうちの1つは、『朝から卵を3つ割った日』なんて書かれていた。

ちなみにもったいなくて、そのまま朝から卵3つ使ったオムレツを食べた模様。

自分が実際に取った行動は憶えていなくても、そうするだろう自分のことは想像できる。

そしてその日のことも、その日あった出来事も感情も今となってはきれいさっぱり忘れている。

今読み返しても、ぴんとこない。

天気やそれに伴った外の様子(5月の新緑の時期)まで詳細に書いていたけれど、それさえももう

想像すらできず現実にあったこと見たことは忘れている。

だから消しづらい。

もう過去の過ぎ去ったある日のある場面、そしてそれを文章に起こそうとしたわたしは、もう今

どんな手を尽くしても取り戻せないと知っているから、そこに妙な希少価値が生まれて消しづらい。

1000年後の3013年になったらそういうことも可能だったりするんだろうか。

過去のことって、よほどインパクトがない限り強烈に鮮明には記憶に残らない。

朝から卵3つ割った日なんて、ある意味強烈でも鮮明でもないからさらりと忘れている。

今ぱっと強烈に思い返せるものとして、ある時当時の恋人からすごい宣告をされた日を思い出す。

それはそれはもう、世の中のありとあらゆる色彩が一気に失われて、茫然自失となったことが

今でもくっきりと当時のことを思い出せる。

だけど歳月とはすごいもので、今も決して思い出して気持ちの良い感情は浮かび上がらないし、

極力記憶にのぼらせたくないシーンであることには間違いないけれど、それでも当時のような衝撃

はもうわたしの中にはない。

あの衝撃以上の衝撃は、人生でそうそう経験しないような気がしている。

それを思えば、例えば今ああでもないこうでもないと悩んでいることも、朝から卵3つを割った日

程度の衝撃で、気付けば全然違うところにいるのかもしれない。

そして今からある程度の歳月が経過した時には、朝から卵を3つ割った日程度の記憶にしか

ならないのかもしれない。

今日の生きていた時間も、ある日の生きていた時間も、時が過ぎるとすべて一緒になる。

一緒になるというのは、記憶に残らないという意味で一緒になる。

だからこそ、13個途中まで書いてそのままになっている下書きを消せないんだと思う。

消したって痛くないし、何かが失われるわけではない。

だけど、今となっては、過去のある特定の日の1日の出来事または考えたことは、その文章の中

にしか存在していない。

当の本人ですらつるりと忘れているんだから。

だからなんとなく取っておきたい。

何の役にも立たないし、持っていてお得感もないけれど、なんとなく「消去」より「保存」の方がより

ぴんときている。

2016年4月5日火曜日

百発百中図書館

迷った時のお助けマンスポット、図書館。

相当迷い込んだ時は、自己啓発やスピリチュアルや心理なんかの難しい本は手に取らず、あえて

小説をその時の感覚で選ぶ。

基本的に、本は買うものではなく借りるものと思っている。

膨大な数の本を手放してからは、買う時は「一生かけて何十回も読み返しそうなもの」のイメージ

ができたら買うことにしている。

1回きりの読み切りなら、買っても手放す手間が出てくるから、それが面倒で買わない。

ということで、最近また数ヶ月ぶりに読書熱復活に伴い図書館通いも再開した。

昨日までに6冊の小説を読んだけど、もう今の自分に必要なメッセージがじゃんじゃか小説の中に

溢れている。

6冊ともどこかで泣き、どこかで一旦本を脇に置いて考え込み、そして登場人物たちの様々な思い

と自分の今の姿を重ね合わせて、何かしらを心で感じ取っている。

作者も全然違う人たちだし、出てくる登場人物の生き様も様々だけど、それでもそれぞれの物語の

中で訴えてくる何かは絶対にある。

今のところ6冊全部の唯一の共通点と言えば、みんなどこにでもいそうな普通に生きてる日常が

物語に詰まっているところだろうか。

だからこそ他人事ではなく自分のこととしてもそれらの物語がすっと入ってくる。


大型書店ほどではないにしても、図書館の蔵書数もかなりある。

そして書店と違うところは、最新作やベストセラーよりも昔からずっとあるような本たちが並んで

置かれているところじゃないかと思う。

無名の作家さんの本も読んでいる。

手に取る時は、最初のページを少し読むか、表紙の帯とかに書かれているものを読むかの程度

で、あとは自分の勘を頼りに選んでいる。

今回もそんな勘頼りなのに、ものすごく良書が当たっている。

あんなにたくさんある本の中で、数冊をその時の感覚で選び取っているだけなのに、百発百中。

1冊としてハズレがない。

今のわたしの状況への偉大なるヒントとして選ばれた本たちは、元々読むことに出逢うことに

なっていたんじゃないかと勘違いするほど。

あともう2冊ある。

残りもどんなヒントやメッセージが潜んでいるのか楽しみでならない。

ここ最近の感覚

この1年、ものすごく激動の1年だった。

周りから見たら静止している風でも、わたしの中では怒涛の日々と表現しても決して言い過ぎた感

はない位に色んなことがあった。

1年前に発見した桜のトンネルを、今年もその下を何回も往来した。

あともう1回できたら2回はそのトンネルの下の散歩を楽しみたいと思っている。

1年前と今とを比べて、色んな気持ちが錯綜する。


2016年4月3日日曜日

情報操作と真実と自由

今回のタイトル硬いなぁと思いながらも、とってもはっとさせられたから、思うままに書いてみようと

思う。

昨日の夜、いつものように携帯のドコモのサイトからニュースをななめ読みした。

わたしの世の中のニュースの情報源は、この携帯のニュースサイトだけと言ってもいいぐらいで、

それゆえに毎日ほぼ欠かさずチェックしている。

さすがに、テレビも持ってないわ、ラジオも聞く習慣がないわ、新聞も取ってないわで、ないない

尽しの生活は普段問題ないけれど、世間に出た時に不具合が多少はあるから、最低限の情報と

しての携帯ニュースチェックをしている。

話はタイトルに戻って、「情報操作」の話。

昨日もさらさらっとタイトルだけななめ読みして、そこから気になったニュースだけはさらにページを

追加で開いて読んだ。

その追加で読んだニュースのひとつを読んで、度肝を抜かれた。

本当にたまたまのたまたまとしか言いようがないけれど、わたしはそのニュースの裏側というか

一部というかに過去に携わったことがある。

直接ではなく間接的に。

そしてその間接的に携わったことは、当たり前だけど自分の目で見て聞いている。

現場を知っている。

そのニュースの何に驚いたかと言えば、事実が伏せられているだけではなく、なんと事実がねじ

曲げられ別の作り上げられたストーリーが展開されていたことだった。

ニュースなのに、「物語」に仕上がっていた。

報道した側に問題があったのではなく、そのニュースの大元の出先が発表した内容に事実とは

違うものが含まれていた。

本当に、あのわたしが見ていた聞いていたものは一体何だったのだろう?と思う。

何だったらそこで同じように見聞きしていた人たちが他にもいたわけで、その人たちにしてみても

そのニュースがどんな風に映っているのだろうかと思う。

大元は大元で、真実を告知できない事情があるのだろうと思われる。

でなければ、事実があんなにもねじ曲げられているというのはいかがなものか。

いわゆる「情報操作」がされているモロの現場を、何百字という小さな活字の世界で見てしまった。

ちなみに、これ絶対に問い合わせる人が出てくるだろうから、そのうちとんでもないニュースに発展

するのではないかなぁと個人的には予想している。

ニュースの行方はどちらでも良いけれど、それよりもわたしがもっと注目したのは「情報操作」と

いう非常に現代的でありつつも、そこからわたしが感じた内容の方だった。

これまで活字になったニュースは、何の疑問も抱かずに普通に読んでいた。

あぁ今世の中ではこんなことが起こっているんだ・・・という最低限の認識しかなかった。

それ以上深追いすることもなければ、ニュースは毎日毎日あるわけだから、いちいち細かく読み

砕くなどということはしていない。

週刊誌になると、尾ひれがついているのだろうと思うけれど、単純にニュースとなると事実だけが

そのまま公開されているもの、という認識だった。

ところが昨日読んだニュースは、すでに事実とは違う物語が「ニュース」として記されていた。

それは逆に言うと、日々自分が目にしているもの・耳にしているものが全て真実ではないかも

しれないという可能性を示唆するものでもあった。

自分が見ている世界が、いかにまやかしや道化に溢れているかもわからなければ、自分自身の

認知自体もわたし独特の癖によって本来の姿とは違う風に解釈していることだっていくらでも

あると思われる。

何もそれはニュースに限ったことじゃなく、自分の日々の生活や見ている世界にも言えることだと

思う。

「これが絶対だ!」なんて言えるものはとんと少なく、色んな事が色んなプロセスを経て認識される

間にどんどん事実から遠ざかっている可能性もものすごく高い。

うわさ話と一緒だと思う。

事実は人の数だけ存在すると言ってもいいのかもしれない。

そうなった時に、改めて自分の好きなように物事を解釈してもいいんじゃないかと思った。

だって事実じゃないことが「事実」として報道されてしまうような世の中。

その倫理を問うとわたしは「最低だな」と思う。

だけど逆手にとれば、自分の人生の中の混沌としたことだって好きに解釈してもいいのかなぁ

なんて思った。

それは決して自分に嘘をつくとかそういうことではなく、自分が生きていくのに自分にとって都合の

良い解釈をしてみるのもありなんじゃないかと。

ふとそんな風に思った。

たかが数百字の活字ニュース。

情報操作されていることはさておいても、そこに何とも言えない自由な部分を感じた昨日だった。

2016年3月31日木曜日

空腹は最高のヒント

今、クリームシチューを仕込みながらこれを書いている。

今日のお昼は、昨日の夜から「野菜サンド」と決めていた。

夕方寄ったスーパーで「パオ」という名のサンチェみたいなレタスが格安だったから、それで友達

から教えてもらった野菜サンドを作ろうと思っていた。

友達が教えてくれたサンドイッチは、マヨネーズを塗ったパンに、レタス、きゅうり、玉ねぎだけを

挟んで、そしてクレージーソルトを振るというもの。

昨日、レタス抜きで作ったらおいしくて、そうしたら夕方格安レタス見つけて、「これは明日のお昼

にぴったり♪」と思って買ってきたのだった。

今日のお昼前コーヒーを飲みながら、図書館で借りてきた、よしもとばななの『サーカスナイト』の

気に入った言葉たちをひたすらルーズリーフに写していた。

途中で小腹が空いて、友達からもらったドミニカ共和国産のチョコレートを食べた。

硬めのチョコで、最初歯で割って、あとは舐めるようにして食べるのが好きな食べ方だ。

左側の奥歯で最初割り、もうトロントロンに近い状態の時、右側にチョコを移して一噛みした。

そのたった一噛みで、なんと昨日歯医者で詰め物をした詰め物が取れた。

たしかに歯科衛生士の方から注意があった。

今している仮の詰め物は柔らかい素材を使っているから、ガムやキャラメルは取れてしまう可能性

があるから控えて下さい、と。

何だったら、食べる時もなるべくなら右側では噛まないようにと。

チョコはものすごく柔らかくなっていたし、左側だけを意識的に使うのも疲れていて油断した。

まさかその一噛みで詰め物が取れるとは。

さらに最悪なことに、今日はその歯医者さん休診日。

明日9時半の開業に合わせて行くにしても、これからおよそ24時間は何も食べられない。

歯の型を取ったから、もしこれでまた歯が欠けたりすると型を取り直すことになると、昨日一緒に

説明を受けていた。

詰め物は表面だけ取れて、鏡で見たら歯の奥の方は別の硬い詰め物で覆われていた。

それでも、歯が露出していることには変わらず、これで他の部分も欠けると大変なことになる。

「絶食」確定した。

先に野菜サンドを作って食べておけば良かった、というのは後の祭り。

最初は、コーヒー飲んだり、抹茶ラテ飲んだりしていた。

途中用事で外出し、しばらくは絶食を貫き通すつもりでいた。

だけど、歯の詰め物が取れた以外、体の方は健康そのもの。

当たり前だけど、腹が減る。

しかも一度考えだしたら、もう何としてでも何かを食べたくなり、「何だったら食べても大丈夫か?」

の思考が止まらない。

1人でああでもないこうでもないと考えた末、「汁物」が挙がってきた。

最初は、具なしの味噌汁を思い付いた。

だけど、絶対に空腹が満たされないのはすぐに想像がついた。

スープをあれこれ思い浮かべた末、「シチュー」にたどりついた。

最初野菜を入れて水から煮込んで、最後は具とスープを分けて(具は後日使用)、スープにだけ

シチューの素を足したらいいとなった。

カレーも候補に一瞬上ったけど、カレーだとごはんも食べたくなってしまうから、絶対にごはんが

なくても平気なシチューに落ち着いた。

そのために、シチューの素も買いに行った。

買いに行ったスーパーでは、無駄にうろうろと店内を徘徊した。

シチュー以外にも歯を使わずにつるっと食べれる物を探しながら、くまなくスーパーの中をうろうろ

した。

ちなみにかごの中に足したのは、ヨーグルトと炭酸飲料、あとは半額の国内産生ひじき。

ひじきは単にお買い得だったから入れただけ。

ということで、今、玉ねぎ、人参、マッシュルーム入れてスープを作っている。

具なしのシチューでも、飲み物だけで一日を終えるよりはずっとましだと思っている。

歯の詰め物が取れてすったもんだしていても空腹に勝るものはなく、ここ最近では一番頭を使った

ような気がしている。

2016年3月29日火曜日

久しぶりの断捨離と過去の完了

少し思い立って、断捨離をした。

「○○したい」と考える前に動ける感覚に感動を覚えた。

最近は、「さて次どうしようか?何しようか?」と考えてから動くことが多いから、そんな手順を

吹っ飛ばして、「この部分を整理したい」と体が勝手に進めるのが妙に新鮮だった。

そもそも今日の断捨離は少しイレギュラーな断捨離だった。

これまでは「断捨離をしよう!」と思ってから何か手を付けて始めるところ、今日はそういうつもりは

なかったけれど、ふとクローゼットの奥にしまってあった透明の袋を見つけてしまった。

もっと言うと、ティッシュボックスの在庫があるかないかを確認したくて、手探りで探してみた。

ティッシュボックスはなかった。

その辺りには他にも、電化製品の説明書とアパート全般に関する契約関連の書類がひとまとめに

なって置いてある。

日常的には一切必要ないものたちだから、奥の隅っこの場所が丁度良かった。

ところがその例の透明の袋まで置いてあるのが目に入った。

何だ何だ?と思い袋をクローゼットの奥から取り出し、実際に中身を見てみると。

おおよそ4年前+それ以前の思い出の品や大切な情報だけを残しておいたファイルや紙だった。

多分この1~2年で大規模断捨離をして、最後まで捨てられずに取っておいたものたちをまとめて

入れておいたのだろう。

透明の袋は、母親が会社からもらってきたちょっと小洒落た袋だ。

この冬一度も袖を通すことのなかったもらいもののコートを持っていた。

これからも絶対に着ないとわかり、その小洒落た袋の中身を取り出し、代わりにそのコートを入れ

さらにはシンク下より先日引っ越した友達からもらった45Lの名古屋市の可燃ごみ袋に袋ごと

入れた。

さぁ、またこの45Lがいっぱいになるまで少しずつ断捨離をしようとその場で決めた。

袋から取り出した紙やファイルをささっと、時々はじっくりと目を通した。

いくつかはもう「手放して大丈夫」と思い、さっと手放した。

まだ増えそうだったから、先日仕事の人からもらった大きなビニールの袋にその紙たちを入れた。

この後も、また紙関係のゴミが出るような、今だったらさっとゴミとして区分できるような気がした。

4年前、自分が企画した心理系のワーク用のコピーもたくさん出てきた。

原本はハードディスクに保管してあるから、またいつでも印刷できる。

しばらく使わないコピーの紙を見て、メモ用紙にすることを決めた。

気付かないうちにもう4年も経過したことに驚いた。

4年もあればもっと他のこともできただろうという思いもないわけではなかったけれど、それよりも

この4年という月日、本当に自分ががんばったなぁと思った。

何をやっても長続きせず、そんな自分に落ち込み、自分を責めて、どうするつもりなの?と自分に

喝を入れ…。

何もないようで色んなことがあり、さらには否応なしに自分の内面を見る羽目になったけれど、ここ

まで何だかんだとやってきたんだなぁと思ったら、「がんばった、がんばった」とそれが最初に自分

の中に出てきた。

透明の袋の中には、2009年の初めに1人でメキシコに旅した時のチケットやレシートがそのまま

になっているものも入っていた。

小さなノートに自分の軌跡を貼ろうと、ずっとそのままにしていたものだった。

ノートもそれ専用と言わんばかりにメキシコでメキシコ的なデザインのノートを買っておいた。

これまでも何度かやろうと思い、途中まで手を付けてあった。

ふと今やらずまたさらに先延ばしにしてどうするつもりだろう?と思い、30分もあれば終わるかな

と予測して、とりあえずのりを出してきてペタペタとチケットをノートに貼り付けた。

本当にその通り終わって、今とてもきれいな状態に落ち着いている。

そんな昔のものたちを、今も引き継ぎ残しておくことにどんな意味があるのかさっぱりわからない。

だけど、メキシコの軌跡については「捨てる」タイミングではないというのだけはわかった。

そしてもしかすると、一生捨てずに残しておくかもしれないということも。

関係ないけれど、その中の1つに「Gracias」と手書きで書かれたものがあった。

現地の人の文字で、「ありがとう」。

言葉を知ってるっていいなぁと久しぶりに感じた。

ファイルの中に、2005.6.19の日付で配られた資料があった。

この資料だけは、絶対に手放さない資料なんだということがわかった。

それまでの人生の中で、精神的に一番病んだ時に参加した福祉の勉強会でもらった資料だった。

資料そのものを読み返したのは、実は今日が初めてだった。

この資料を手放さない理由がある。

資料の余白にものすごくたくさんの書き込みがしてあるけれど、その書き込みがすごく良い。

落ち込みまくりだった当時、希望や闇の中に光る小さな光を見せてもらえた勉強会だった。

しかも、そのたった一度しか当たらなかった先生だったけれど、初めて福祉の現場で問題解決を

問題点ではなく本人の持ってる強みから解決しようという、当時のわたしにしたら奇想天外な方法

を教えてくれた初めての先生だった。

そしてその先生が実践を通して伝えてくれる言葉は、生き方そのものの大きなヒントがたくさん

詰まっていて、わたしは泣きながらその勉強会に参加したこともよく覚えている。

役目を終える過去、これから先にも続いていく過去、色んな過去と向き合いながら今回の断捨離

をすることになった。

良いものは良いし、いつか廃れるものは廃れる。

それぞれを区別しながら、今日という今をまた過去にする作業を続ける。

2016年3月28日月曜日

猫と対峙

近所の大きな公園にはたくさんの野良猫が住んでいる。

捨て猫の名所なのか、野良たち同士が繁殖した結果、数が増えたのかは知らない。

とにかく至る所で猫を見かける。

本を読むのに景色も良く音も無音に近いベンチを探した。

菜の花と青い花がたくさん咲いている花壇を見渡せるベンチに腰を下ろした。

そのベンチは、大きな木の周りをぐるっと一周するような丸い形をしていて、詰めて座ったら20人

くらい座れるんじゃないかと思う。

花壇のさらに向こう芝生の辺り、距離にして5~6メートルは離れているところに野良猫が1匹いる

のが目に入った。

読書をしていると、もそもそと動く物体が目のはじっこに入ってきた。

本から目を離し、そのもそもその正体を確かめようと目をやると、先ほどの野良猫だった。

猫もベンチの上にひょいっと乗り、ひなたぼっこを始めた。

視線を感じて目をやると、わたしの方を向いている。

わたしも花壇ではなく体を90度右側に向き直し、猫と対峙できるような格好をした。

猫1匹とわたしはひたすら無言でお互いの動向を見守った。

ある程度時間が経過し、わたしが危害を加えるわけではないとわかると、猫はうたた寝するかの

ように目を閉じ、頭そのものもわたしと正面で対峙する感じから自分の楽な角度に少し変えた。

途中からわたしの方は、猫の耳に注目していた。

猫の耳は、音のする方向にぴくぴくと反応し向きを変えていた。

頭上からヘリコプターの音がすれば耳は直角に立ち上空の音を拾おうとしていたし、自分の背後

の方から自転車が通り過ぎる音がすれば耳も後ろから前へとぴくぴく忙しく動かし、音のなりゆき

を見守っているようだった。

その猫の耳の特性を観察しているうちに、人間の耳が固定であることにひどく感謝した。

小さいころからの癖で、わたしはたとえ目の前の人と真剣な話をしている最中でも、すぐ隣りや

後ろで他の人たちの会話が聞こえ、さらにその会話が面白かったりすると、話を聞くふりをしつつ

耳はしっかり他人の会話を拾い上げている。

人間の耳は音の方向に合わせて動いたりしないから、多分相手には気付かれない。

だけどもし猫の耳のように、音の方向に合わせて耳が動くなんてなったら、わたしは即座に「話を

聞かない人」の烙印を押されてしまう。

猫は猫が生きていくための、人間は人間が生きていくための、それぞれにとって都合の良い機能

をそれぞれが体の中に持っているんだなぁと感心した。

もしそれぞれが反対なら・・・。

人間は四六時中相手を怒らせることになりかねないし、猫は今度必要な音を拾えず生命の危険

まで出てくるかもしれない。

適材適所ではないけれど、やっぱりそれぞれ一番良いように体の形や機能というのは成り立って

いるんだなぁと1人で結論を出して、もう寒いから読書終了!とその場を去った。

2016年3月24日木曜日

カーテンの洗濯

2枚あるうちの1枚のメインカーテンを洗濯した。

カーテンを洗濯するだけで部屋の状態が良くなるとまたどこかで読み、早速やってみた。

今日は春一番と言わんばかりの突風の日で、元々乾きやすい素材のカーテンだったけれど、外に

干してわりかしすぐに乾いたと思う。

これまでも片手で数えられる位はカーテンを洗濯したことがあったけれど、一度も気付かなかった

「防炎」と赤字で書かれたマーク。

それがわたしのカーテンにも付いていたとは、今日の今日まで知らなかった。

学校のカーテンや大きな公共関係の建物のカーペットなんかにもよく付いているマークだ。

多分見たら、「あぁあれのことか!」と誰でも一度は目にしたことがあると思う。

わたしもよくは知らないマークだけど、なんとよく知っている方のお父様がその「防炎」の素材の

開発なのか何かに関わって、天皇陛下から表彰される○○勲章的なものをもらったそうだ。

最近ではなく、その導入された当時。

そんなすごいものだとは、わたしも、なんならその方もつい最近まで知らずにいた。

それがわたしの家のカーテンにも付いていて驚いた。

もう1つの薄い半透明のニトリで買ったカーテンには付いていない。

多分きちんとした素材だと付いてくる類いのマークなんだと思う。

たった1つのマークだけど、そこにこんな風に物語が生まれるのは素敵だ。

ちなみにその方もなぜ知ったかと言えば、お父様にしたらお孫さんにあたるその方の息子にその

話を家族の集いの席でしていて、初耳だったわそんなことと言っていられた。


今のアパートに移ってからずっと同じカーテンだけど、一度も飽きたことがない。

メインカーテンは探しに探して、なんと買う予定地にも入っていなかった東京の渋谷のロフトで

買ってきたことは記憶にある。

妹の結婚式のついでにふらふらと立ち寄った記憶がある。

最初ニトリで別のカーテンを買ったけど、取り付けたら気に入らずすぐに返品した。

薄い方のカーテンはとても気に入り、今もずっと使い続けている。

メインカーテンは気に入るまで妥協せずに探すことにしていたから、少しでもカーテンの取り扱い

があれば見て回っていた。

探し回っただけあり、今もずっとお気に入りのままだ。


今日洗濯をしてみて、改めて好きなカーテンだなぁと思った。

友達が紹介してくれた不動産の担当者の人が、遮光1級カーテンだと昼間でも本当によく眠れる

位に光を遮断してくれるからお薦めだよと教えてくれて、本当にその通りなことも何度も体験した。

どうしても昼間に熟睡する必要がある程の睡眠が必要な時は、カーテンを閉め切る。

言葉の通り、本当によく眠れた。

デザインだけではなく機能も抜群の、長年の相棒カーテンだ。


洗濯をしてカーテンを元に戻して気付いたことがある。

本当にただ洗濯をしただけでも、なんとなく部屋の空気が違う。

「清浄」という雰囲気をカーテンがまとってる感じ。

そう思って部屋を見渡した時、おおよそ自分の好きなもので満たした空間だなぁと気付いた。

部分部分、気に入らないところもあるけれど、8割は合格ラインだ。

自分が気に入って大切にしていると、それに物も応えてくれる気がする。

逆にいい加減な扱いをしていると、それまたそっくりそのままそういう表情が物に出てる気がする。

あとどの位お世話になるのか予測も立たないけれど、わたしの手元にある限りは愛でたいと

思っている。

2016年3月23日水曜日

他人のフリをする

昨日の夜、見知らぬ番号から電話がかかってきた。

その少し前まで、とても仲良くしている年上の方とその方が2日以内に決定しなければいけない

決断についての話をライン上でしていた。

わたしはその方からされた質問に対し、自分が思ったことと突拍子もない提案とをして終わった。

その方というのが、友人知人の付き合いで携帯を借りている。

事業の経費になるとかなんとかでその方が個人で使用するものとして貸与されているみたいで、

けっこう頻繁に番号が変わる。

毎回後から、「そうそう番号変わったの!」なんていう事後報告が何回もあるから慣れたもので、

決して相手もわたしに教えるのを避けたとかではなく、頻繁すぎて毎回忘れていたということが

これまでにも何回もあった。

丁度話し終わった後ということもあって、もしかしてその人からの電話かなと思って出てみた。

わたしは単に「はい」とだけ言って電話に出た。

その方なら「あー、ぶっしーちゃん!?わたし○○だけど…」と話し始める。

でも電話の向こうはそうは言わず、「Aですけれど、ぶしまたさんですか?」と聞かれた。

Aという名字を聞いて、すぐに誰かわかった。

そしてそのAさんは、わたしがいつだったか「もう生涯連絡を取らない人」認定をして携帯の電話帳

から削除した人だった。

わたしはとっさに「違います」とだけ答えた。

Aさんは続けて「以前この番号は、ぶしまたさんという方の電話だったのですが、違うんですね」

と言われた。

わたしはまたもや「違います」と答え、「すみません、失礼しました」とAさんに言われた。

わたしも失礼しますと言って電話を切った。

こんな風に自分の名字まで言い当てられてるのに、それでも「違います」と他人のフリをしたのは

初めてだった。

すごく変な感じだったけれど、Aさんとは本気でもう関わり合いたくなくて、咄嗟にそうした。

Aさんが困ったさんなのは、自分の扱っているサービスを押し売りしてくるところ。

何度も何度も断って、理路整然となぜ断るのかも全部説明しているのに、病気かと思う位に全く

話が通じない。

よく営業してるなぁと思う位。


とりあえずAさんとはそれっきりだからいいけれど、後から気付いたことがある。

わたしは自分の軸がぶれだすと、必ずと言っていい程こういう手の変な連絡がくる。

それも2年3年ぶりとかに。

Aさんに限っては4~5年ぶりかと思う。

Aさんの電話はわたしにとって、「自分の軸足を見てね」というメッセージだったと思ってる。

他人のフリすることが目的じゃなくて、「どうしたいの?」という問いかけの電話だったように、今

振り返るとそう思う。


今日になって先述の年上の方から別件でラインが来た。

その方が足繁く通っている勉強会なるものがある(わたしも話を聞いている)。

今度それを名古屋でもする流れになっているから、ごく近しい人だけ集めてやろうと思ってる、

そしてぶっしーちゃんを誘いたいという内容だった。

わたしは二つ返事で行くと言った。

つまるところ、普段の人間関係がどういう風かで、相手が紹介するサービスなり会なりにわたしも

参加するかどうかを決める。

例えばAさんともとっても良い関係を普段から築けているのであれば違ったと思う。

でもAさんはわたしをカモとしてしか見ていない。

話を少しするだけでそれはよくわかる。

Aさんのサービスに関しては、それを全く別の人からも話を聞いたことがあるし、なんならわたしは

そのサービスの軸となる書籍まで読んだことがAさんに知り合ううんと前にあったから、決して悪い

ものとは捉えていない。

だけどそうした行き違いから、もう連絡を取ることさえ嫌になってしまう。

1本の電話から色んな事を学んだ2日間だった。

2016年3月22日火曜日

春分の日と体

2015年の春分の日前後は、大きく体調を崩し、さらにどんどん広がる全身の湿疹をどうすること

もできず、最終的に皮膚科に通院した。

春分の日あたりは、とりあえず体調を崩しやすいということがわかり、今年はかなり気をつけて

自分の体調を見守っていた。

今年はパソコントラブルに見舞われたものの、とりあえず体はいつもと変わらない感じだったから、

安心していた。

とにかく無事に春分の日を通過!と思って、昨日の夜、ご飯を食べていた。

ベーコンとエリンギの洋風炊き込みご飯を食べていたら、突然「ゴリっ」とした物体に行き着いた。

農家から直接譲ってもらうお米を両親が送ってくれるため、時々石は入っている。

最初石かと思った。

出してみて、それが石ではないというのがすぐにわかった。

もしや!と思って鏡を見たら、右下の奥歯の歯が半分ほど欠けていた。

昨日は振替休日で、歯科医院は当然休み。

夜も9時近く。

まだ3口程しか食べていなかったけれど、こんな状態で食べて良いものかどうかもわからず、食事

は中断、すぐに歯磨きを開始した。

素人が見ても、虫歯とわかる。

痛みは一切なかったけれど、この数年、時々ストレスや疲れが溜まると痛む歯のところだった。

ずっと痛ければ歯医者に行くものの、すぐに痛みが消失するからずっと放置。

まさかこんなに悪化してるとはゆめゆめ思わなかった。

ネットで調べたら、歯は牛乳につけると良いとあり、本当にたまたま牛乳を持っていたから(普段

常備はしていない)、タッパに歯を入れて牛乳に浸けた。

あとは歯医者を探した。

うちの近所にはいくつか歯医者がある。

ネット検索して知ったことだけれど、コンビニと同じ位、歯医者もあるのだそう。

言われてみれば、うちの近所に、知ってるだけで6軒は確実に場所を知っている。

ネットで調べたら、徒歩圏内だけで20軒以上はヒットしたと思う。

歯医者の口コミなどほとんどなかったけれど、一番近いところの口コミが良かったから、今朝開始

時間に合わせて行ってきた。

待つのかと思いきや、すぐに見てもらえた。

さらに受付の女性、歯科衛生士の女性、男性の歯科医、全員がすごく良い方たちばかりで、本当

にそこにして良かった。

技術の程度とかはわからなかったけれど、こちらが安心できるように話してくれるから良かった。

銀歯になることはほぼ確定だけれど、歯が残せるのは良かった。

神経に達していたら神経を抜くことも言われたけれど、幸いそこは無事だったらしい。

自分のこの丈夫な体、そして丈夫な体を授けてくれた両親に心底感謝した。

自分で言うのもなんだけど、わたしは基本的に体が丈夫だと思う。

1年前の湿疹も困ったけれど、あれ以降は落ち着いている。

高校生の時に発症した椎間板ヘルニアも、今は魔法の腹巻ならぬコルセットのおかげで、本当に

腰痛から解放されている(痛くなったら着用すると、数日の間で治る)。

歯も、今日の歯科衛生士さんから「虫歯になりにくい体質ね。歯強いわね」とお誉めの言葉を

いただいてきた。

頭痛は年に数回しかならないし、おなかは弱めだけど日常生活に支障が出ることはない。

もう何年と発熱もしてなければ風邪も引いていない。

目はメガネやコンタクトがあるから大丈夫。

本当に恵まれている体だなぁと思う。

歯が欠けたことも色々調べていくうちに、とても良い意味付けがあることを知った。

ターニングポイントだとか、古い殻が外れ新しい流れが始まるとか。

不具合は不具合ではあったけれど、それ以上に得るものも大きかった歯の事件だった。


人によって体の状態は様々だと思う。

わたしの場合は、季節の変わり目というなら、春分の日が一番大きく体が反応しているように

思う。

これまで自分の体をきちんと見てこなかっただけに、そういうことを気をつけられるようになった

のは嬉しい。

2016年3月21日月曜日

再生する力

昨日書いた記事の続き(『永遠に失われた文字、そして残ったもの』

ものすごくうまく書けたと思った文章が、何かの誤作動でパソコンから全て消えてしまった件。

今日書けるかどうか最初は自信がなかったけれど、とりあえず再挑戦してみた。

書けたら嬉しいけれど、書けなくても仕方ないと割り切れる位に今日は気持ちも回復していた。

書き出して気付いたのは、昨日とは違う仕上がりに、昨日とは違う言葉のチョイスに、そして昨日

とはまた違う感情が湧きながらの文章ではあったけれど、自分には忠実に書けていた。

同じものは二度と書けなくても、書いている自分の中に湧きあがるものは一緒だった。

それは絶対になくならないもので、私自身でさえも自分からは奪えないものだった。


最近、心の底辺に居座っている心配事というか懸念事項がある。

かなりしぶとい。

自分でもお手上げに近い状態が続いている。

ところが今、その心の底辺にあるものはそのままで、昨日の文章を再生させた。

自分の書いたこと・書く行為は、心の底辺に居座っているものと何ら関係ない。

むしろそんな状態でも書けることに驚いている。

自分という一人の人間の中にふたつの別の回路が存在しているかのよう。

1つの回路は心の底辺の方で沸々としている。

もう1つの回路は、そんなのおかまいなしに、ひたすら指を使ってパソコンのキーを叩いている。

自分はそんなに器用なはずじゃないのに、器用にこなしている。

そして、最初とはところどころ違った文章が最後完成品となって現れた時、自分の中の再生する

力に目を見張った。

自分が書く文章とも当然一期一会だから、昨日のような全てのデータがぶっ飛んだ時は、もう

どうすることもできない。

それでももう一度わたしは書き直し、半分は新しい気持ちで、残りの半分は昨日の余韻で、ただ

ひたすら出てきたものを綴り続けた。

「再生」これが1つの大きなテーマなんだろう、今書いていてそんな風に思った。

2016年3月20日日曜日

永遠に失われた文字、そして残ったもの

心を落ち着けて書きたいと思う。

さっき、1つの文章を完成させた。

ものすごくうまく書けた。

うまくというのは、文章がするすると自分の指を通して勝手に出てくる感じだった。

しかも初めての表現方法だった。

その文章は、いつもなら会話を必ずどこかに入れる。

会話があるということは、当然文章の中では自分以外の第三者が存在する。

その第三者の存在を書きながら、自分の心が震えた瞬間を記す。

そういうスタイルの文章。

今回初めてそうではない文章を書いた。

文章の中には自分しか出てこない。

会話はない。

だけど自分しかいないのに人も存在しているとわかる、自分でこれまで書いた文章では異質の

タイプのものだった。

初めて書いたタイプであるものの、何の違和感もない。

どうしたかと思う位にすらすらと書けた。

あとはアップするだけで良かった。


アップしようと思った少し前から、パソコンの調子がいつもと違うことに気付いた。

実は今日このブログでは、別の記事をアップしようと思っていた。

そのために過去記事をさかのぼろうとしたら、ブログが表示されなかった。

何度やっても出てこない。

これまでの経験で、まずいとわかった。

ネットが接続されているのに、何を検索してもクルクルと検索マークが回るだけ。

表示が一切変わらない。

本当にまずいとわかって、とりあえずアップ予定だった文章を保存することにした。

もう一度立ち上げ直したらいいと判断したから。

そうしたら、パソコンが完全にフリーズした。

WORDは開かない、そのうちキーを触ってもマウスを触っても、何も動かなくなった。

保存すらできず、さらには記事を書いたページを開くこともできなくなった。

いちかばちかで、強制終了して、もう一度パソコンを立ち上げることにした。

強制終了した時は、インターネット上のものであれば「ページの復元」が可能だから。

それに賭けることにした。

というか、もう完全に動かなくなったパソコンの前ではそれ以外に選択肢がなかった。


立ち上げ直し、ページの復元までは予定通りだった。

ページの復元で、さっき書き上げた文章がそっくりそのまま出てきた時は感動した。

ところが、そのページは一瞬で消えた。

そして画面には、真っ白い記事を書く前の状態のページだけが残された。

履歴検索しても、どういうわけかその時のものだけ出てこない。

そして色々とフリーズした時も、数分間の空白が履歴には残っている。

そう、「残っていません」という履歴が示されていた。


わたしはその一度は書いて消えてしまった文章をなんとか取り戻したくて、自分の記憶を頼りに

先ほどWORDに打ち込んでみた。

ある程度は書けた。

でも細かいニュアンスは、指から勝手に出ていたような感覚だけあって、思い出せなかった。

言葉は断片的にしか出てこない。

同じものを再現することはほぼ無理とわかり、あきらめて今これを書いている。


今書いていてわかった。

あの時、春分の日にちなんだ磁場みたいなのが働いたと思う。

ちなみにパソコンの調子がおかしくなったのは13:30より少し前から13:40過ぎ位の10分程の

時間。

時間にしたら短い。

昨日の夜だったかに、その時間が天体的に何かが一番強く作用する時間みたいなことが書いて

ある記事を読んだ。

まさにどんぴしゃの時間にわたしは書き物を完成させてアップを試みたら、それが永遠に失われる

結果となった。

本当に悲しかった。

だけど、それが作用する位にその完成させた文章の完成度も高かった。

自分の中では、かなり好きな文章だった。


そして今、自分の中に残ったもの。

やっぱり今日書いた文章は、どこかでもう一度それに近いものを完成させたいと思っている。

その時は気持ちを改めて、再度挑みたい。

それはそうと、あのかなり好きな完成品の文章は二度と戻ってはこないけれど、それを書いた

のは他の誰でもない自分自身だから、あとはまた自分を信じて紡ぐしかない。

それを書けたということは、また言葉の使い方は変わっても、二度三度書くことはできる。

「失われても尚残るもの」、これが春分の日がもたらしたわたしへのメッセージなのかもしれない。


去年の春分の日の前後、わたしは大きく体調を崩していた。

「浄化」と言えば聞こえがいいものの、本当にもう何年も突発的なことで医者にかかっていなかった

わたしが医者にかからなければ完治が見込めない位に日に日に状態は悪化した。

通院して事無きを得たけれど、春分の日というのはそんなにも目に見えないけれど何かとてつも

ない威力に満ちているのかと心底驚いた。

今年は体にこなかったから安心していた。

そうしたらパソコンに思いっきりパンチが飛んできた。

しかもどんぴしゃのタイミングで。

今年のパンチの方が辛い。

久しぶりに心を揺さぶられた。

ただ、後ろをいくら振り返ってももう戻れない、取り戻せないとわかったら、仕方ない。

あきらめることももちろん必要。

だけどそんな手痛いことはただ痛みだけを伝えるもののはずがない。

その痛みの先にもっと大切なことが含まれている。

失ったものはもう失ったものでしかない、それでも残るものもある。

外からは見えないし、わたしも自分で持っていながらも見えない。

それでもたしかにある。


書いているうちに心が落ち着いてきた。

何とかならなくても、何とかする自分がいる。

まさにこのブログのテーマにぴったりな「生きる」に沿った体験だった。

自分のために花を買う

2016年3月19日土曜日

おなかを満たす和のご飯

今日のお昼の献立。

白米
「松山あげ」と呼ばれる揚げと葱の味噌汁
れんこんのきんぴら
めかぶ葱納豆
めかぶと塩ウニの佃煮


昨日、おとといと名古屋を去ってしまう2人の人の送別会がそれぞれあった。

ホルモン焼き、チーズの盛り合わせがおととい、昨日は宴会コースのごはん。

そしてその前の晩あたり、1尾25円のブラックタイガーと1パック98円のホワイトマッシュルーム、

そしてそのもっと前に買ってあったしらすでアヒージョを作った。

自分が食べるものだから適当な作り方でも気にならない。

アヒージョ用の小さな鍋に、にんにくのみじん切り、その上に適当な具材、そして最後にたっぷりの

オリーブオイルを注いで、電子レンジで2分チン。

私の持ってるレンジは800W。

わたしは鍋があるけれど、深みのあるレンジ対応の器であれば何でもいいと思う。

あっという間にアヒージョの完成。

しらすから塩分が出るから、調味料もいらなかった。

アヒージョの余ったオイルで次の日はオイルパスタを作った。

どれもこれもおいしかったし、満足したし、満腹にもなった。

けれど、今日のお昼に食べたごはんは、それらとは全く別次元のおなかの満たし方をする食べ物

だということを初めて知った。


消化するのにヘビーな献立が続いていたこともあって、今日はとにかく白米が食べたかった。

白米の厄介なところは、何かしらのおかずが必要になること。

おかずなしで白米と海苔、白米と納豆、卵かけご飯で終了なんてこともあるけれど、今日は味噌汁

含め何かしらを白米と共におなかに入れたくなった。

ただ、面倒はしたくない。

できるだけ手軽に、手間は最小限で。

米を研いで20分も浸水したかしないかのうちに、炊飯器で倍速炊飯をした。

おなかが空いて、1時間弱も待てないと思ったから。

おもむろに冷蔵庫を開けて、すぐにできそうなものを考える。

今はわりかしたくさん食料が入っている。

まずは、最近のマイブームのめかぶと納豆を混ぜると決めた。

今日はそこに刻み葱も足したら、これまた絶品な味となった。

次回からも葱は必須にしようと決めた。

めかぶかぶりだけど、先日「めかぶとウニ」の佃煮と思しき大瓶が友達の家の近所のスーパーで

198円で売り出されていた。

その安さに最初不安を覚えて、ラベルをじっくりと見た。

中国産かと思いきや、島根県で作られている。

さらにそんなにおかしなものは入っていない。

酒のつまみにも良さそうだったから、物は試しで持ち帰ってきたものだった。

ちなみに食べての感想は、ごはんのお伴の方が相応しい感じだった。

リピートはないけれど、今回買った分は最後までおいしく食べれそうだ。

おかずはさておいて、味噌汁を作ろうと思った。

この「松山あげ」という薄揚げを乾燥させたような代物、名古屋市内のスーパーでよく見かける。

ただし、これが結構な高額商品(200円を少し切る程度)で、気にはなっていたけれど、そもそも

揚げにそんなにお金を出したくないのと、それでもしまずかったら残念すぎるという理由で、ずっと

手を出さずにいた。

ちなみに、あちらこちらで山積みになっているものの、買っている人を実はこれまで一度も見たこと

がなかったのもためらう大きな理由だった。

おいしいのであれば、色んな人が買っても良さそうなのに、誰しもが買っていない。

そんな松山あげを買ったのは、ある時、近所のドラッグストアでなんと138円の大特価で出ていた

から。

138円なら仮に失敗してもいいかなと思えるぎりぎりの値段で、さらに賞味期限が長いからすぐに

使わなくても大丈夫とわかり、1袋買って帰ってきた。

そうだそうだと思い出し、味噌汁の具はその松山あげとめかぶ納豆でも使う刻み葱にした。

食べて驚いた。

揚げとは思えないふわふわ食感で、ものすごく美味しかった。

あの揚げにしては通常の1.5~2倍もする値段もなるほど納得だった。

こちらは、また大特価の時にリピートしたいと思う。

れんこんのきんぴらは、もう2週間は経ったと思われるれんこんがそろそろやばいのではないかと

思って作ることにした。

ちなみにれんこんは、土を水(わたしは冷たいのは無理だったからお湯使用)で落として、あとは

タッパにれんこんがしっかり被るぐらいの水を入れて冷蔵庫保存すると驚くほど持つ。

今回2週間は問題なかったし、過去にも3週間程経過した時もあったと思う。

裏ワザではないけれど、この方法を採用してからは安い時にれんこんを買えるようになった。

この方法にしてからは、れんこんの皮すら剥かなくなった。

イコール手間が大幅にカットされて、大好きなれんこんのきんぴらの登場回数も増えた。

とまぁ、そんなありふれた今日のお昼の献立。

食べている最中から、おなかに徐々に熱と共に食べ物が吸収されていくような感覚があった。

全てたいらげた後、もういつぶりかわからない「おなかの満腹感」を感じた。

最初に書いたような、飲み会の席の食事もアヒージョもその余ったオイルで作ったパスタも、全て

おなかは満たされる。

だけど、それらの場合、「量を食べることによる満腹感」であって、今日のお昼に感じたタイプの

満腹感とは全く別物になってくる。

さらに気付いたことがもう1つ。

例えば同じような和のご飯を外で食べたとする。

どういうわけだろう、外食の和のご飯は「量を食べることによる満腹感」しか、わたしの場合は

得られない。

本当に不思議な感覚だったけれど、おなかが程良く満たされ、食べ物によっておなかも心も

包まれる、そんな風だった。

「手作り」という括りでいけば、アヒージョの余ったオイルで作ったパスタだって自分で作った。

だけど、今日のお昼のようなおなかの満たされ感は皆無だった。

だから自分で作ったものなら何でもいいというわけでもない。

むしろ「和のご飯」に限定されてくると思う。

体そのものが本当に欲している食べ物のような気がする。

そして献立を見ての通り、肉も魚も一切ないけれど、それでもものすごい満腹になった。

本当にどんな隠しパワーが潜んでいるのかと思うほど、今日の自分で作った適当な和のご飯は

体の奥深くまで大切なものを満たしてくれるものだった。

2016年3月17日木曜日

夜中の掃除 朝の掃除

昨日の夜のこと。

少しでも自分がその時抱えている悩みや問題を軽くするために、わたしは開運行動を調べる。

いくつかお気に入りのサイトがあって、主に占星術の人なんかが今の星や月の動きはこうだから、

こんなことするといいですよ、なんてアドバイスしていると藁にもすがる想いでそれをする。

昨日ももれなくそんな気分で始めたのが最初。

そもそもこの1週間こんなことするといいというのを1日毎に指南していて(←普段こんなに情報が

出ていることはない)、月曜日からのものですでに昨日は水曜日に突入していたけれども、なんと

火曜日の開運行動をわたしは全く見知らぬところで遂行していた!

それで一気に気を良くしたわたしは、本来月曜日にすると良いとされていたいくつかの箇所の掃除

を夜遅くなって始めた。

昨日の夜中は、台所のランプの傘をきれいにした。

そこも指定されていたから。

今朝は、窓を磨いた。

あとはハンガーラックの一番埃がたまるところを念入りに掃除した。

実は、台所のランプの傘も、窓も、ハンガーラックも、今の家に入ってから一度も磨いたことがなく、

ここ最近ずっと汚れが気になっていた。

3つ共に共通するのは、普段の生活に一切の支障をきたさないこと。

支障をきたすような水回りや床とかは絶対に掃除する。

だけど台所のランプの傘に油汚れと思しき水玉模様がついていたところで、窓の外側の部分に

風で運ばれるほこりや塵が積もったところで、またはハンガーラックのごく限られたところに埃が

たまっていたって何も困らない。

それをいいことに放置していた。

だけどたま~に暇を持て余してぼーっとそれらを眺めると汚れているのはわかる。

ただどれも数分で終わる掃除でも気合が必要。

やるぞ!と思ってやらないと絶対にやらない場所。

まして台所のランプの傘は、普通には手が届かないから何かしらの台をこしらえてする必要が

あった。

それが面倒で先延ばしにしたけれど、なんと昨日一気に思い付いて片付いた。

ハンガーラックは別にきれいにするようになんて指示はなかったけれど、ついでのついでに今朝

念入りに掃除した。

買った時のような白さが顔を出して感動した。


掃除して開運するしないとか、今の悩みが掃除と共に消えてくれるくれないとか、そういうのは

どちらでもいいんだと思った。

もちろんそれで開運してくれりゃお安いものだと思う。

そういうことよりも、気持ちの良い空間や物に自分が囲まれている、自分をもてなすことの方が

うんと大事だと思っている。

本当に気分がいい。

つい数日前に大がかりな掃除をしたばかりだからそんなに目立っての汚さはなくても、それでも

部屋中を掃除すると空気が入れ替わる。

そして思わぬ産物は、いくつかの物を捨てられたことだった。

その中に毛糸1玉が含まれている。

手芸道具を捨てられないわたしにとって、「これは今もこれからも使わないから捨てる」選択が

できるというのはものすごいこと。

すっかり気分を良くしたあたりで、一本の電話が入った。

どう転ぶかわからないけれど、少しだけ前進したよという報せの電話だった。

2016年3月15日火曜日

春の冷たい風と散歩

昨日は1日中雨で、その雨に合わせるかのように気持ちもダウン。

1日中家の中にこもっていた。

昨日に関しては何をしていたのかさえも思い出せない。

友達の心こもったメールへの返信はしたけれど、他は何をしていたのだろう・・・と思う。

今朝は雲ひとつない快晴と思われる日の入り方だった。

今のアパートにこれだけ長く住むと、朝日の入り具合でその日の天気がだいたいわかる。

本当にきれいな日の入りだったけれど、体も心も重たい。

絶対に気持ちの良い朝日が部屋に入り込んでいるのはわかったけれど、起きたくなかった。

二度寝三度寝をして、突如スイッチが入ってごはんを作り始めた。

先日、初卵と呼ばれる鳥の生涯で初めて産んだ卵だけを集めた卵1パックを人からいただいた。

それで卵かけごはんをするべく、なめこと大根の味噌汁も仕込んだ。

今日の味噌汁は特上のだしを使って作った。

おいしい卵かけごはんと味噌汁だった。

夕方近くになり、今のうちにやることはやろうと思い、区役所へ保険証を受け取りに行った。

その足であと1ヶ月もしないうちに満開となる桜並木の下を通って少し遠くのスーパー目指した。

まだ全く桜の気配はなかった。

枝のはしばしにつぼみとなるだろう部分はにょきっと出ていたけれど、まだまだかかる風だった。

もう何回歩いたかわからないこの桜並木の下を、頭の中は悩み事でぐるんぐるんとしながらも、

とりあえず前へ前へと歩を進めた。

今日は快晴だったけれど、風がものすごく冷たくて、風よ一緒にこの悩み事も持って行っておくれ

というような気分だった。

当たり前だけど、散歩したからと言って何も解決はしてなくても、歩いた分少し楽にはなれた。

帰り道は図書館経由で帰った。

借りるとしたら2冊まで、と図書館の中に入るまで思っていたくせして6冊しっかり借りた。

図書館の中でそのうちの1冊のまえがきだけ、適当な椅子に腰をおろして読んできた。

6冊借りても期限までに読み切れる気がしないと思って、戻すことも考えた1冊だった。

だけど、まえがきだけ読んだら気が変わった。

日本のコーヒー好きな大人なら誰でも知っているだろう某有名会社のトップまで上った人物で、

その後、失職、被災、手術の3つを一気に体験した後に書かれたものだった。

何か惹きつけるものがあった。

ヒントがあってもなくてもいいから、とりあえず読んでみたいという衝動に駆られた。

たかが数ページでも、「この本を読みたい!」という気持ちになれたのは良かった。

気付けば本さえも受け付けられない位に、自分の思考の沼にどっぷりとはまっていた。

少しだけ水面に顔を出して、忘れていた呼吸やちょっとした地上の楽しみを享受するところまで

とりあえず戻れたらしい。

そのままさらにドラッグストアと別のスーパーにも立ち寄って戻ってきた。

うちの近くの公園から名古屋駅を一望できるスポットがある。

いつの間にか、そのスポットから確認できる駅前のビルの数がこれまでの倍くらいになっていた。

少しずつ何かが変わっているんだなぁと、ビル群を見て思った。

自分も立ち止まっている風だけど実は動いているんだろうか。

すぐ隣りでは子どものサッカー教室が行われていた。

主催している会社は、多分前に勤めた会社だ。

雇用条件を知っているし、猛烈に大変な働き方を課されることも知っている。

それでも今日のコーチの人は、子どもを思いっきり褒めていた。

できたことをそれはそれは大袈裟に褒めていた。

きちんと自分の役割を果たしているその大人の姿に感動みたいなのを覚えた。

給与福利厚生が劣悪でも、それでもそんなことは関係なく子どもと接する姿、というかわたしに

届いたのは声だけだったけれど、そこには冷たい風を束の間忘れさせる位のパワーがあった。

今日はこれから、卵をくれた人一押しの『しくじり先生』をyoutubeで見る。

オリエンタルラジオの回の分が特にいいと言っていた。

オリエンタルラジオのあっちゃんがその中で言うらしい。

「人生、一度もしくじらない人なんていないでしょ?」と。

迷いつつ止まりつつな今どんな風に見るのだろうと思う。

2016年3月10日木曜日

できなかったことより何とかなったことを数える

明日37歳になる。

昨日、「36歳の軌跡」と題して、36歳の1年間で起こったことをノートに列挙してみた。

大学ノート1ページにすっぽりと収まり、思っていた以上にあっけなく終了した。

大小様々なことがあっても、とりあえず大きな出来事だけを抜粋してみた。

いつもの悪い癖で「何だかなぁ、まだまだだなぁ」と当初は思った。

プラスして、自分の頭の中ではものすごい過去のことになっていたものが実はこの1年の中での

出来事だと気付かされたのも昨日だった。

深くは考えず、次の何かを始めたことだけは憶えている。


今日。

個人情報の一部をネットから抽出する作業をした。

予定時間は5分だったものが、30分コースまではいかなくても大幅に増えてしまった。

理由は簡単、パスワードを忘れたから。

最初iphoneで全部の作業をちゃちゃっとこなす予定でいた。

ところが自分のメモ通りのパスワードが違っていると画面には表示される。

最新と思っているパスワードはとにかく違っている。

仕方なく仮パスワードの発行を申請し、それに伴ってパソコンを出してきた。

パソコンでさくさくっと情報を取得し、ついでにずっと放っておいた銀行の手続きもした。

ある時からインターネットバンキングを使うようになった。

理由はわからないけれど、同じ銀行でも振込手数料はATMでは毎度徴収され、ネットバンキング

だと0円になる。

毎月の家賃振込料も1回当たりは低額でも塵も積もれば・・・で、0円の方がありがたい。

それでいつからかネットでの振込を始めたのだけれど、今度その振込用のパスワードも毎回変更

するシステムが取られるとのこと。

そのための手続きを数ヶ月放置していて、それをやっとさっきやり遂げた。

手続きは簡単で5分もせずに終わった。


昨日の36歳の棚卸しと今日の銀行や個人情報のネット上の手続きは、まるで別物のようだけど、

どちらも自分に関わることと言えば共通している。

棚卸しは決してする必要のあるものではないにしても、やりたいという自分の気持ちを優先させて

とりあえずやってみた。

ずっと放っておいた銀行の手続き。

今日はどういうわけか、ついでにやってしまおう!と思ってささっと着手した。


できなかったとかやらなかったことに対して、わたしは自分を責める傾向がものすごく強い。

昨日の夜、3月に入ってから何もしていないことに気付いて、さらにわたしは自分を責めていた。

年を重ねたからなのか、それとも自分の傾向に限界を感じているのか、それとも別の理由かは

わからないけれど、このできなかったこと・やらなかったことに注目する癖をいい加減どうにかして

しまいたいと思うようになってきた。

もう少し自分に優しくしようよと思う。

当たり前だけれど、責めると疲弊する。

それももう長年の癖だから、これまでは疲弊している自分にすら気付かなかった。

もっと言うと、自分を責めていることにすら全く気付いていなかった。

あまりに当たり前になると、それらがとても自然な流れで違和感すらない。

ところがここにきて、責めても仕方ないよと思うようになってきた。

そして、色々あっても「何とかなった」というこの事実を根こそぎ無視していたことにも気付いた。

できない・やらないことを並べるよりも、「何とかなった」その事実の方がすごいことだと今さらの

ように感じ始めている。

2016年3月7日月曜日

自分の感覚を取り戻す本

1週間以上前になると思う、久しぶりに本を買った。

当初本を買う予定はなかったけれど、3人の人に贈る本を買うのに5000円分の商品券を使う

都合上、何か自分のためにも1冊買える位の金額的余裕が生じたからだった。

3人の人に贈る本はそれぞれ決まっていたから、最低限その3冊が揃っていることが条件だった。

3軒目の書店でようやく3冊きれいに揃い、あとは自分用の1冊を広い店舗の中をうろうろしながら

探し回った。

この数年で本を100冊以上の単位で断捨離してからというもの、本もめっきり買わなくなった。

そして本も他のものたち同様、それを末長く読むかどうか、繰り返し読むかどうかをしっかりと吟味

してから買うようになった。

この2年程は、1年に3冊も買えばいい方だと思う。

最初は心理系の本を見て回ったけど、どれも惹かれるものがなかった。

続いては料理本のコーナーに立ち寄った。

レシピ系統なら時々は手にとってページをめくる可能性が高いと考えたから。

でもこれまた「末長く愛用する」ことを基準にすると、やっぱりぴんとはこなかった。

余談だけど、そもそもの商品券5000円分というのも、細く長くご縁のあった方を通じていただいた

ものだったから、自分なりにこだわって使いたかった。

せっかくいただいたもの、同じ使うなら思い出に残る使い方をしたかった。

料理本のコーナーを少し外れて、料理関係のエッセイの本を集めた小さな一角に立った。

わたしが2~3年前どはまりした、高山なおみさんの『日々ごはん』がでーんと並んでいた。

これはいつものことだから、別に驚きはしない。

位置的にわたしの膝ぐらいの高さに並んでいたのだけれど、よく見ると見慣れない背表紙があり、

何だろうと思って屈んでみた。

『帰ってきた日々ごはん①』とある。

透明セロファンで本は包まれていて、中身は見えなかった。

背表紙にある帯に書かれている文章(本文より)しか読めなかったけれど、その短い文章を読んで

それにしようと即決した。

その短い文章を読んだだけで、自分の中の感覚がはっきりと何か大切なものをキャッチしたのは

すぐにわかった。

そしてこのエッセイ本こそ、わたしの色んな意味での原点であり、目指したいものが詰まっている。

ちょうど再スタートを切る時期に差し掛かっている。

絶対にこの本がヒントになるというのが直感でわかった。

理由なんかないけれど、多分何か絶対に思い出すはずと思った。

自分のための1冊も決まり4冊をレジに持っていくと、会計は5,079円だった。

あぁこの商品券の使い道は予め決められていたのだろうなぁと思った。

3冊はそれぞれ包装してもらうのは決めていたけれど、ついでのついでに自分用のものも包装を

お願いした。

数年前から時々、自分へのとっておきの品を買う時は、包装をお願いしている。

そうすると家に帰ってから、中身を知っていても開ける楽しみが待っているし、ものによっては

翌日以降に持ち越して、適度なタイミングで開けるという楽しみもある。


今回は、何だかんだとバタバタしていたせいもあって、包装された本は毎日枕もとのすぐ横に

置いて出番を待機することとなった。

「今日こそは!」というタイミングの時に開こうと思っていたからだった。

1週間も毎日毎日出番を待つものの、どの日もぴんとこなくて通過してしまった。

今朝もまた違う日にしようかと考えていたところ、ふと逆の発想をしてみた。

今朝ももれなく気持ちが上がるような日ではなく、それに比例するかのように窓の外の空も暗い

様子だった。

雨こそ降ってないけれどくもりなんだろうというのは、部屋の暗さ加減でわかった。

こんなテンションの低い日にわざわざ開けなくても・・・と思った。

実際にこの1週間も、そういう理由で開けなかった日もある。

だけど、この本は逆じゃないかなと思った。

天気も良くて、気持ちもとっても上向きで、朝からエネルギッシュな感じの1日・・・、そういう日よりも

今日みたいに天気も自分の気持ちも何もかも全体的に停滞気味な時にいいんじゃないかなって。

そういう意味では、今日なんか絶好のプレゼントオープンに相応しい日で、起きずに布団の中で

ゴロゴロ、当然パジャマ、電気も点けず薄暗い中・・・そんな中で開けるプレゼントも思い出に残る

ような気がした。

布団の上で体をむっくりと起こし、プレゼントを開けた。

また布団の中に戻り、1ページ1ページと開いた。

背表紙ももう一度読んだ。

2回目の今日読んでもまた良い。

少しだけ読書をしようとそのまま読み進めた。

たかが数ページでしかないのに色んなことを思い出した。

そしてそのたかが数ページ目のところで、わたしは泣いた。

何てことない日常の中に、人生でそうは経験しないだろうシーンが描かれてあった。

わたしは自分が何で泣いているのかもわからなかったけれど、そこを読むだけで泣けた。

心の琴線に鋭くでも柔らかく触れるものがあったから。

そして何か大切なものを思い出した。

いつぶりかわからない。

今しかないと思い、久しぶりにアイデア帳のノートを開いた。

今出てきた言葉を綴った。

また時間が経つとすぐに忘れるから、とりあえず出てきたものを綴った。

こういう一連の感覚をわたしは忘れてなんかいなかった。

忘れてなんかいなかったけれど、それを自然に出せるような余裕が日々になかったのも本当

だった。

そしてそういう感覚から遠ざかれば遠ざかるほど、自分の中の軸みたいなのがぐらぐらしだして、

ものすごく不安定だった。

不安や心配にばかり目が向いた。

うまくいっていることさえも、たくさん見逃した。

色んな事を前に圧倒されっぱなしだった。

そうこうしているうちに、アイデア帳はすっかり遠のいた。

いつも手を伸ばせばすぐにあるのに、数ヶ月ほとんど開くことがなかった。

最後に開いたのだって、何かしらのサイトのパスワードの確認のため、その部分だけ開いてさっと

確認しただけだった。

もうずっと開けなかった。

気持ちはどこか別の場所へ行ってしまったみたいで、それが余計と怖かった。

今日のそのだだ書きのメモの最後に「調子のいい時だけでなく悪い時にも書く」と書いた。

あぁようやくその領域にこれたんだと思った。

そのアイデア帳にはわたしの未来と直結するものが含まれている。

未来に直結する部分は、絶対に良い状態で自分を表現したいと思っていた。

そしてどういうわけか、そうするべきだろうとも思っていた。

でもそうじゃない。

至上志向の高いわたしにとって、良くないものをそこに含めるのはどこか抵抗が強かった。

だけど、良い状態だけではなく悪い状態でも書く、それが本来の自分ならそれが正解のように

見えた。


高山なおみさんの『日々ごはん』の話に戻ると。

実はわたしは当初この本を書評か何かで知ったのが最初だった。

それも1人2人じゃない、数名の著名の方たちが推薦していて、何がそんなにすごい本なのか、

正直タイトルだけでは想像もつかなかった。

ある時、うちから1時間ほど徒歩でかかる図書館へ行ったことがあった。

そこで『日々ごはん』を見つけ借りたのが最初だった。

単に興味があって借りてみた、そういう軽い気持ちで借りたのに、読んだらどんどん吸い込まれた。

本当に彼女の日記帳+時々料理のレシピが主な構成だけれど、その日々の営みがとてつもなく

魅力的だった。

彼女も気分の上がらない日は、畳の上にごろ寝したり布団の中にうずくまりながら、本を読んだり

空を眺めたりぼーっとして過ごしたりする。

それを彼女は、とっても嬉しいことがあった日と同じ文体で表現している。

何も特別な毎日じゃなく、人間であれば当たり前の負の感情に流される日々も普通に書いている。

そしてそういう表現の中で、わたしはわたしの何かを思い出していく。

彼女の話なのに、いつの間にか自分の中の何かと入れ替わって頭の中では別のストーリーが

展開していくなんていうのはしょっちゅうだった。

そういうことを12冊+別の出版社からも続けてもう1冊の合計13冊読んで、さらには気に入った

言葉たちをひたすら紙に写して書き取った経緯もあり、色んなことを『帰ってきた日々ごはん』で

思い出せるだろうと思っていた。

予想はビンゴ、読んでたかが数分で一気にノックアウト。

朝から布団の中で泣いていた自分がいた。


自分の感覚を取り戻す本。

世の中にこれだけたくさんの本があり、さらには感動したり何度読んでも面白い本がある中で、

自分の感覚をすぐに取り戻せる本なんていうのは、ものすごく限られてくる。

高山なおみさんの本は五感を使って読む本だというのは知っている。

頭で読むタイプの本ではなく、体の感覚を使って読むという方が近い。

だから、言葉から伝わる感覚を自分の体で思い出す。

今朝の布団の中での短い読書時間だけで、一気に体の奥底からどんと出てきたものがあった。

ずっと体の中にはあったけれど、忘れていた感覚。

それが一瞬で取り戻せて、そしてよくわからない涙が出ていた。

なぜかその本を見つけた時、「再スタートを切るのに相応しい本」と思ったのは、実際に手にして

読んだらその通りの展開となった。

本から呼ばれたのかもしれない。

「ここにヒントあるからね」と、本の方からアピールしてくれたようなものだった。

わたしの次の展開は、この本と共にあるような気がしている。

2016年3月5日土曜日

面談時間20分

名古屋市の市報の必要な情報のページだけビリっと破いて今自分のすぐ隣りにある。

ふと目に飛び込んできたのが、各種相談の案内の箇所。

法律相談、行政相談、人権相談と3つ並んでいる。

よく見ると、法律相談に関して言えば、無料は無料だけど面談時間20分となっている。

ちょっと待った!と言いたくなる。

無料で懇切丁寧に1から10まで対応しろなどとは決して言わない。

市の予算の関係も絶対にあると思う。

だけど面談時間20分はないだろうと思ってしまう。

法律関係は全く知らないから何とも言えないけれど、法律を絡めての相談だから絶対に内容は

そんなに簡単には解決できないものが多いのだと予想する。

周りの人たちで本当に弁護士に相談して何かしらの訴訟に挑んだ人たちを数名知っている。

詳しくは聞いていないからわからないけれど、どの人も一度たかが20分で話して何とかなった

とは一言も聞いていない。

どの人も何度も足しげく通い、お金と時間を相当にかけながらそれぞれの問題解決に全力を投資

したことだけは話を聞いていてなんとなくわかった。

この法律相談は何なのだろう?

さわりの部分を話すだけで20分などあっという間に過ぎ去っていくと思う。

賛否両論色々あると思うけれど、有料にしてもいいからもう少し時間を延長できないのかなと

思ってしまう。

それとも単に弁護士を紹介するための顔合わせ的な面談の場なんだろうか?

いずれにせよ、これまでで見たことのない面談時間でびっくりした。

さらに付け加えると、名古屋市の場合は月に2回、平日の午後3時間しかこの相談の枠を設けて

いない(予約制とある)。

本当に必要な人たちは自らの力で弁護士事務所の門戸を開くのだろう。

だからある意味その相談を必要とする人たちはある程度条件が限られてくる。

それにしてもひどいサービスに思えてならない。

独断と偏見に満ち溢れているけれど、これまでしてきた相談業務を振り返ればわかる。

20分なんてあっという間、そしてその中で「相談」となると絶対的に時間が足りない。

法律の絡まない相談でもそうなのだから、法律が絡むとなれば余計と難しいはず。

何を基準に「20分」としているのだろう。

せっかくのサービスがあるのであれば、質を見直しても良さそうなのにと活字を見て思った。

2016年3月4日金曜日

鍋との付き合い

昨日の夜、麦茶を煮だす用のお湯を沸かしていたにも関わらず、そんなことすっかり忘れていて

別のことをしていた。

途中、ゴムを燃やした時のような独特のにおいが鼻をつき、最初は電気ストーブに埃でも入って

焦げたのだろうと思ったけれど、においのするのはストーブとは別方向だった。

それではたと気付いてガスコンロのところに行ったら、なんと大量のお湯を沸かしたはずの鍋には

水など一滴も残っておらず、代わりに底面が濃い茶色になっていた。

本来は白い鍋だから、それはもうすごい変わりようで、それを見て一人ショックを受けていた。

まずは軽くスポンジで洗ったけれど、何も変化せず。

そしていつもするように、キッチンハイターを垂らして1~2時間様子見たけど、さして変わらず。

その後は、重曹の注意書きを読んだら鍋の焦げ落としに効くとあったから、重層撒いて水を張って

コンロにかけた。

一度目である程度は薄くなったけれど、それでもまだはっきりと茶色い底面。

もう一度祈るような気持ちで、重層水を作り直して沸かした。

最初に比べたら7割はきれいになった。

それでもまだ白いとは言えない状況で、今朝家を出る時に鍋に水を張り、そしてそこに最後の頼み

の綱でもう一度キッチンハイターをかなり多めに垂らした。

夕方家に戻り鍋をのぞくと、いつもの白い底面が現れた。

ようやく自分でも納得できる白さになって、ほっと胸をなでおろした。


そもそもこの鍋との付き合いは、今の家に引っ越してからわりかしすぐに手に入れたから、もう

かれこれ6年以上の付き合いになる。

野田琺瑯の月兎シリーズと呼ばれるホーロー鍋で、一応名前は「ミルクパン」となっている。

わたしは外が茶色いシリーズのものを1つ持っている。

当時誰に影響されたのかは忘れたけれど、引っ越したばかりの頃はインテリア雑誌やキッチン

周りの調度品系の雑誌をよく読んでいた。

多分そこで見て一目惚れして、自分で雑貨屋を歩き回って探し出したような気がする。

今となっては記憶も曖昧で、店舗で買ったのかネットで注文したのかも定かじゃない。

だけど、とにかくその鍋が欲しくて買ったことだけは憶えている。

当時も今も変わらないけれど、基本的にわたしはフライパン1つで全ての料理をする。

26cmの深鍋タイプのフライパンは、もう何代買い換えたのか忘れた。

最初のフライパンは、そのホーロー鍋と共に色を揃えて茶色のちょっとお洒落なブランドのものを

手にしたけれど、テフロンは剥げるとわかってからは、もうブランドにはこだわらなくなった。

代わりに軽くて使い勝手が良さそうなものをホームセンターで調達してくる。

大体2年もたない。

だから何でも良くなった。

料理全般はそれで事足りるから良いけれど、ちょっとお湯を沸かしたいとかいうのにフライパン

だと大袈裟すぎるし使い勝手が悪い。

やかんも考えたけれど、やかんになるとお湯を沸かす以外に用途がなく、そのくせ場所を取るから

候補から一瞬で消えた。

そこで考えたのが、このミルクパンと呼ばれる小さな鍋だった。

わたしの当時の読みは大当たりで、たしかにメインはお湯を沸かすことになっているけれど、その

他にも野菜やマカロニも茹でるし、味噌汁も作る。

丁度良い大きさで、本当に重宝している。

手入れも適当だけれど、その適当な感じでも長持ちしてくれるところもものすごく好感度が高い。

ズボラさんには、「手入れが面倒ではない」というのはものすごく重要ポイントだ。

だから気付いたら6年以上ずっと変わらずに使い続けている。

今後も壊れない限りは使い続ける予定で、おそらく20年30年選手になってくれるだろうと思って

いる。

そんな風に日々自然と考えていたから、昨日の鍋焦げ事件にはものすごく焦った。

これからも使い続ける予定だったのに、こんな風になられては!とものすごく必死だった。

その焦げを取る作業の最中に、この鍋との出逢いを思い出していた。


いつの頃からか、良いものを長く使い続けることに憧れるようになった。

今さっき鍋の値段を見たら3000円になっていて、たかが3000円程度のものがこんなにも長く

愛用品になるとは思いもよらなかった。

洋服以上に日々使っているのに、洋服の3000円はたかが知れているしそんなにも長持ちは

期待できないけれど、これが鍋になった途端、こんなにも長く日々の生活で大活躍してくれる。

しかも末長く使えような感じだ。

一体いつ傷付いたのか全く憶えていないけれど、1箇所だけホーローが剥げたところがある。

とても小さいし、鍋の淵の部分だし、全然気にならない。

むしろそれが、わたし独自の鍋のトレードマークのようになっていて気に入ってさえいる。

味があるというか、長年使っていますのアピールのようで好きだ。

今回色々思い出したことで、鍋への思いも新たにした。

そして最低限、鍋焦がしだけはやらかさないように気をつけようと自分に誓ってみた。

2016年3月3日木曜日

つまらない大人になった自分

久しぶりに職務経歴書なるものを作った。

もちろん自主的にやるはずもなく、必要に迫られて作ったというのが流れ。

作り終わった後、私はそれを保存した。

保存する理由は単純で、もう一度作る必要性が将来あるとした時用の備忘録。

珍しく将来の備えのようなことをした。

普段ならそんなことまずしない。

さて、その職務経歴書を作るにあたり、普段ひとまとめにしている書類袋を引っ張り出した。

ここ数年の職務経歴に関しては、当時の雇用通知書やらそうした関連の書類がないと書けない。

勤務先の住所がわからないとかならまだわかるけれど、前株か後株か、下手すると派遣で行った

会社の社名も曖昧だったりする。

いくつもの会社の名前を入力した後、最後に社会人最初の勤務先を記入した。

単純な作業だから、チャゲアスの『太陽と埃の中で』をyoutubeで流しながら書いていた。

うっと胸に迫るものがあった。

これまでの職歴の中で一番長く勤めたこともあったけれど、どうしてもどうしても就きたくてやっと

採用してもらえたところだけあって、最後の日は今でも忘れない。

失恋でもないのにあんなに人生の中で号泣したことは他にはそうそうない。

あの場所を去るということが、それまで細く長く続いた人間関係が、いきなり終わりになることに

ものすごく胸を締め付けられた。

わたしが担当した男の子はわたし以上に号泣していた。

「生きる」ことがその仕事といつも直結していた。

一切ごまかしの効かない場所で、とにかく毎日ががちんこ勝負だった。

その後もそういう仕事に携わったものの、そこまでのがちんこではなかったと感じる。

そうして今、自分の向かう先がどこかもわからず、とりあえずの道標とその道を支えるための仕事

を選んでいる。

はっきり言って、仕事にはとんと興味がない。

でも食べないわけにもいかないから、とりあえず何かしらはその都度で選ぶ。

そういう生き方を選んでいるのは自分だし、今どうしても優先させることを考えたらそれも仕方ない

と一生懸命割り切ろうとしている自分がいる。

でも本当は、1日の大半を費やす仕事を条件で選ぶことにものすごく抵抗しているし、できるなら

そういう選び方をしたくない気持ちもある。

もちろん半永久的にするわけではないから、その辺りは自分で頭では理解しているけれど気持ち

はまた別のところにある。

そんなこんなの作業をしながら、自分がいつの間にかつまらない大人になったなぁと感じた。

割り切りとか条件とかじゃなく、もっと熱く何かを選ぶ自分でありたいと真剣に思った。

2016年3月2日水曜日

3日ぶりの洗い物

日曜日のどこかの時点で台所の洗い物をしたのが最後、昨日火曜日の午後まで放置した。

月曜日にどうでも仕上げないとまずい手紙を懸命に書き、それで力尽きた火曜日は布団からむく

っと起き上がるまで台所に一切立たなかった。

手紙は若干短めにはなったものの完成し、とりあえず街角でばったり会うことがなければ今生では

もう会えないだろうお世話になった方たちに無事手渡せた。

実は月曜日に少しだけ台所に立った時間があった。

慌てて立つとろくなことがない。

流しのすぐ上に洗った物を置くスペースがあるけれど、なんとそこからちょっとした角度の違いで

ステンレス製のフォークが流し場に落下し、こともあろうかお気に入りの皿の上に落ちた。

そうしたらそのちょっとした打撃だけでその皿は割れてしまった。

時間のない時に余計なことをすると、このような悲劇に見舞われることはこれまでの経験からも

十二分に学んだというのにまた同じことを繰り返していた。

ただそこで悲しんでいる場合ではない程手紙の方が急を要していたから、流し場の片付けは

止め、また手紙の作業に戻り一文字また一文字と綴り続けた。

3日も洗い物を放置したのはいつぶりだろう。

気付けば、洗い物を放置しない自分にいつの間にかなっていたことに気付いた。


さかのぼること20代の頃。

職場にいらっしゃったのは、自分の母親ぐらいの人たちが8割を占めていた。

皆、重要な職務+夜勤を繰り返しながら、主婦業も母親業もこなしていた。

いつだったかある大先輩が、夜寝る前にきちんと洗い場をきれいにしないと気持ち悪いと言って

いたことがあった。

当時のわたしは両親と同居こそしておれど、家事なんかは最低限しかしていなかったし、さらに

翌日に何かしらの家事を持ち越すことにも全く抵抗がなかった。

汚くても平気だったし、何かが翌日に持ち越されても困ってもいなかった。

だからその言葉を聞いて、そんな何かを持ち越すのが気持ち悪いなんていう感覚にいつかの自分

がなれるとは想像すらつかなかった。

今のわたしは、そこまでいなかくても、持ち越すよりもその日のうちに完了させた方が気持ち良い

というのはわかるようになってきた。

だけど元来なんでも後回しにしたところであまり気にならない性分だから、今回のように優先順位

をつける際、洗い物が後回しになっても気にならない。

気にならない自分は、やっぱり10代20代の自分とそう変わらない感じで、自分でもものすごく

慣れ親しんだ感がある。

忘れもしない大学最後の50枚の論文書きの時のこと。

シャワーも何日浴びなかったのか覚えていない。

とにかく色んなことを後回しにした。

当時毎日確実にしていたことは、大慌てで論文を書き上げることと、本来の提出日を1日1日と

また延長していたが故、毎日提出先の教授の部屋を訪ねることだった。

提出先の教授の部屋を訪ねた理由はただ1つ。

「まだ終わってないの。もう1日延長して下さい」と言うために通った。

大概は不在で、いつも簡単なメモを残して教授の部屋を立ち去っていた。

こういう後延ばしの癖というのは本当に厄介で、「次からは気をつけよう」より「何とかなった」という

とんでもない勘違いが、自分の心の奥底に刻まれてしまうこと。

だから早めに取り掛かるように次からなるのかと言えばそんなことはなく、気付けばあれから15年

近く経過した今も「ぎりぎり症候群」は健在だったりする。


なんていうどうでもいいことを思い出しながら、昨日は3日ぶりの洗い物に手をつけた。

洗い物はやっぱり余裕がある時にしたいと思ったし、まぁいつかは後延ばしが少しでも嫌に感じる

自分になれたらどんなに素敵だろうかと思いながら洗い物を終えた。

2016年2月28日日曜日

ひと手間の味

昨日の夜は、半額で買ったものたちを食卓に並べての晩酌になった。


半額の16種のスパイスで味付けしたと言われるチキン、半額のカツオの刺身、人生初の半額で

購入した宮城県産ほや、大阪の鶴橋にあるコリアンタウンのキムチと銘打ったこれまた1パック

128円に値引きされたもの、そして発泡酒。

左下のれんこんと人参のきんぴらは自分でさっと切ってさっと炒めて作った。

何よりもきんぴらが一番おいしかった。

そして体の奥底に染み渡る感じがあったのも、このきんぴらだけだった。

刺身もチキンもお店の人のひと手間がかかっている。

だけど、自分で作ったきんぴらのような体に訴えるようなものは何もなかった。

そしてこちらが今日のお昼ごはん。


久しぶりにきちんとした和定食のようなごはんが食べたくなった。

魚は、昨日の半額たち同様に半額で手にしたかますの開きと鮭のネギ味噌漬。

普通においしかったけど、一通り食べて思ったのは、その主菜が一番のごちそうではなく、他の

3品、白いごはんに友達からもらったはちみつ漬の梅干し、豚汁、マロニーで作った中華サラダの

方がうんとうんとごちそうだった。

温かさももちろん関係していたと思う。

湯気が立つ程の豚汁に白いごはん、それだけですごいごちそうだったりする。

ごはんは米を研いであとは炊飯器任せにしても、中華サラダも豚汁もそこそこ手間がかかる。

手間と言っても、野菜や肉を切って、マロニーは茹でて、いり卵作って、あとは豚汁はすべてを

鍋にぶちこんで煮ただけ。

味付けなんかは1分で終わる。

一番手間だったのは、こんにゃくを手でちぎることだった。

実際には15分も台所には立っていない。

あとは炊飯器がガスがおいしくしてくれる。

炊飯器とガスが働いている間、わたしは自分のことをして過ごした。

たったひと手間だけど、そのひと手間をしたごはんは確実においしい。

本当に適当な感じでしか料理をしないわたしだけど、適当は適当なりに体はそのひと手間かけた

ごはんに慣れている。

そしてその慣れ親しんだものがなくなると、途端に体も心も元気を失う。

びっくりする程にわかる。

さらに言うと、その手のものを食べないと、わたしの場合は食べすぎる傾向がある。

昨日の夜の晩酌は、決して栄養価は高くないのにカロリーは高い。

そういうものは食べても食べてもおなかになぜか溜まらない。

食べてるのに空腹感がちょびっと残る。

そしてその空腹感を満たすために新たな食べ物を摂取するという悪循環が始まる。

片や今日のお昼ごはんは、上の量で充分だった。

豚汁はもう少しだけ足したけど、それはあまりにおいしくてもう少し食べたい!という欲から盛った

ものだった。

健全な食べ方だなぁと自画自賛した。

豚汁に至っては、大根は1ヶ月ほど冷蔵庫の中に放置したもの、肉と薄揚げは冷凍庫で長らく

待機していたもの、えのきはそろそろご臨終しそうな状態のもの、最後に乗せたゆずは冷凍して

ずいぶん経っている。

そういう材料でできていて、決して高級食材などない。

だけど、体に大切な何かが染み渡る感触がある。

素材で言えば、昨日のカツオやほやの方が上だし、栄養価も高い気がする。

でもそういうことではなくて、もっと根本的なところ、自分の手で自分のために何かを作るという

手間が、大したことない料理を一気に体や心を元気にさせる威力のある一品に仕上げる。

これは絶対にどんなに良い素材であっても、このひと手間料理には勝てないような気がする。

もちろん良い素材にプラスひと手間があれば、もっとおいしいものができるとも思う。

ジャンクフードもお菓子も相変わらず好きだけど、こと最近はこういう体の奥から元気にさせて

くれる手料理特有の良さにものすごく敏感になってきた気がする。

2016年2月26日金曜日

朝の書き物

最近ようやく体の調子が戻りつつある。

寝る時間は相変わらず9時台10時台に集中しているけれど、早く寝た分早く起きれるようになって

きた。

正月明け辺りからずっと早く寝ても起きる時間はいつも遅め、ギリギリまで寝てしまうことが多く

自分の時間が全然取れずにいた。

それがこの1週間位で、徐々に朝型のペースが作れるようになった。

今日は大きなものを運搬する関係で、満員電車になる時間を避けて朝早く家を出る予定だ。

それゆえに早起きしようと昨日の夜に決めていたけれど、まさか5時に目覚めるとは。

暗い時間からパソコンを立ち上げて、久しぶりに文章を書いた。

この文章が3つ目の文章だったりする。

単純に楽しい。

何せ生活のリズムが大きく崩れていたがゆえ、書き物すらままならない状況だった。

それが今、また少しずつ書き物のペースが戻ってきている。

書きたいもの、自分の中であれこれ整理がつかないもの、とにかく何でもいいから書きたい衝動に

駆られる。

そして朝の暗い時間から始める書き物は、近所も静かで物音ひとつしない。

時々聞こえる鳥の鳴き声と、あとは何かの物音ぐらいなもので、ほとんどの時間は静寂に包まれ

ていた。

しかも起きてすぐだから、余計な雑念や心配事などもなく、ただただ自分の内面と対峙して言葉を

紡ぎ出すことに没頭できる。

すごく気持ちの良い行為だ。


ペースが戻ってきた理由の1つは、今月末でいったん今の仕事から退くことが挙げられる。

多分自分が思っていた以上に重圧だったのだろうと思う。

それが消化できずに悶々とし、決して時間的な拘束がきつかったわけではないのに、いつまでも

わたしは仕事でのことをずるずると引きずっていた。

今年は父から素敵な手帳(父ももらいもの)をもらったのに、白紙の週がいくつも続いた。

別に何もしていなかったわけじゃない。

そこに何かを書き留める余力さえ残らなかった。

だから今純粋にまた書き物を再開できることに、嬉しい気持ちがふわ~っと内側から湧いてくる。

定番物が少ない日本

先日買物に出かけた時のこと。

友達のお祝いの品を見に行ったところ、ついでにとても気に入ったタオルを見つけた。

本当はその場ですぐに買えば良かったものの、友達のお祝いの品が定まらず、とりあえず翌週に

持ち越すことに決めた。

タオルも残っているだろうと予想して。

そしてあれこれ見て回った結果、その最初の店にもう一度、日を置いて出向いた。

友達のお祝いの品は無事手にしたけれど、その気に入ったタオルがもうない。

店の人に聞いたら、今年の秋冬モデルのタオルだったとのこと。

なので在庫限りで売り切れ、秋冬モデルということは来年も出るのかと尋ねたら毎年同じ素材が

採用されるわけではないから来年はどういうモデルになるかわからないという回答だった。

ちなみにそのタオルというのは、台所の水仕事用の手拭きとして使っているもので、友達の結婚

式の引き出物に入っていたものだった。

今のアパートに入ってからずっと使い続けているからもう6年選手だったりする。

そのタオルが実に優秀なタオルで、裏は通常のタオル地だけど表はガーゼ地、そして色も紺が

ベースでその上に模様が描かれているから、とにかく汚れが全く目立たない。

そしてガーゼというのは不思議な素材で、どんなにガラガラと洗濯機で回しても傷まない。

そして洗う度にふんわりした感触が再現される。

柔軟剤などどう扱っていいのか未だに知らないわたしは、やっすい粉石鹸を使っている。

ちなみにニュービーズのピンクの方を長年愛用している。

特別な洗い方やお手入れなんか一切しなくても、ものすごい耐久性を持っているタオルで本当に

重宝している。

そんなタオルもそろそろにおいが取れにくくなってきたから(一度強いにおいがつくと取れない)、

次のタオルを探そうかと思い始めて早1年。

2~3年前にトイレのタオルをリニューアルした。

その時1枚だけ適当なタオルを買ったのだけど、それが全然良くない代物だった。

気付けば今普段使いしているタオルの8割は引き出物でいただいたりプレゼントされたもので、

非常に良い品質のものだったりする。

タオルというのは、良いものであれば長持ちすることもわかった。

じゃあそのタオルを定価で買えばいいのだろうけれど、さすが引き出物タオルたち、タオルを買う

には値が張る。

別に使う回数を考えたら定価で買ってもいいものかもしれないけれど、その前にもっと大きな問題

が立ちはだかっている。

今愛用しているものと同じものは、どうやらもう売られていない模様。

今回のタオルに関して言えば、実はそのメーカーのホームページまで見たことがある。

そして数軒のデパートのタオル売り場をはじめ、そういう高級タオルを取り扱う店も見てきた。

ところが同じものというのがない。

特に台所用は、一度今のタオルを使ったらものすごいこだわりを持つようになった。

表がガーゼ地で裏がタオル地なんでいうのは今けっこう世の中に出回っている。

だけど、その中で色も地味目で落ち着いたものとなると数がいきなりぐんと減る。

日本というのは、「定番」というものが定着しない国だと思う。

食器なんかは特にそうだし、今回のタオル騒動もそうだし、服もそうだけど、ものすごく気に入って

また同じものが欲しいと思ってももう次は手に入らない場合が多い。

2週ほど連続で同じ店たちをぐるぐる回ったせいもあるけれど、たかが1週間と少し間が空いた

だけでも商品が入れ替わっている。

もちろん世の中には流行というものがあるから、流行を取り入れることも大切だろう。

だけど、コロコロと商品が入れ替わるよりも、末長くロングセラーで残ってくれるものの方がこの頃

は良いなぁと思うようになってきた。

2016年2月20日土曜日

いつの間にか300突破

方向性が何なのかよくわからなくなりつつあるこのブログ、先日気付いたら300記事を突破した。

記事をいくつ書いて、公開がいくつで、下書き保存がいくつとご丁寧に数を教えてくれる。

このブログ含め、書くことだけは「継続は力なり」と大真面目に思う。

自分の何かを吐き出す意味合いが強い書く行為。

動機はかなり不純だし、テーマは日によってころころ変わるし、書きたい時にしか書かない。

全体がとってもマイペースな行為だけど、それでも塵も積もれば何とかで、気付いたら300もの

何かしらを書いていた。

当たり前だけど、最初から300記事を目指したわけじゃない。

むしろ数なんかまったく気にならずにいて、とりあえず自分の何かを書いて残す場所、自分のその

時々の生きた軌跡を残す、そんな感じで始めたから数はあってないようなものだった。

何かを目指したわけじゃないのに、気付いたらある程度まとまった数に到達していたとか、大きな

1つのものが完成したとか、そういうのっていいなぁと今回のことで思った。

がんばることは悪いことじゃないと思う。

だけど20代後半あたりからそして30代になってからは、ますます「がんばる」の意味を自分で

見つめ直すようになった。

自分の内側から勝手にやりだしてしまうこと、そういうことは


2016年2月14日日曜日

弱った時に食べたいもの

昨日の土曜日は、ほぼ1日中布団の中で過ごした。

寝る、食べる、携帯を触る、その3つを延々と繰り返していた。

最初に食べたのは、いつか手作りした冷凍餃子を焼いたもの。

12個程食べたけど満腹感は得られず、布団の中で何だったら面倒がなくすぐに食べられるかを

思案した。

次に登場したのは、実家の名産の大きな油揚げ。

大きさで言えば、B5サイズの紙を縦半分ぐらいにしたもので、厚さは3cm程ある。

ボリュームたっぷりのもの。

それも冷凍庫から1枚出し、レンジで軽くチンをしてからフライパンで焼いた。

ネギと生姜を刻み、かつおぶしもかけて醤油をたらした。

またしばらくするとおなかが空きだしていることに気付いた。

そうだ、柿の種があったはずと思い、菓子袋をのぞくと柿の種が6パックの1袋だけ残っていた。

そのまま布団の近くにまで持ってきて、ぼりぼりとむさぼった。

またしばらくするとおなかが空いて、頭の中で冷蔵庫冷凍庫乾物たちを思い描いた。

次に思い付いたのは、トースト。

山型の食パンに、今はまっているイオンで半額で出ていたフランス産の発酵バター、そして義理の

弟が手作りしたりんごジャムがある。

ちなみに弟手作りのりんごジャムは、わたしは自分が今まで食べたジャムの中で1番おいしい

ジャムだと思っている。

パンを2つに手で割って、バターと最後のりんごジャムを楽しんだ。

またしばらくするとおなかが空き、また冷蔵庫冷凍庫乾物を頭の中で想像する。

こうも寝てばかりだというのに、何がどうしておなかが空きまくるのだろう。

もうストレス最高潮としか言いようがなかった。

すぐにできるものということで、干し芋が冷蔵庫にあるのを思い出した。

これは義理の弟の茨城の実家より我が家へ毎年贈られてくるもので、父と母は好んで食べず、

わたしは毎年ありがたくいただいて帰ってくる。

そして最近のブームは、干し芋にチーズをのせてレンジで温める食べ方だ。

そうやって干し芋をおなかに収めた。

それでもまた少し経つとおなかが空くのだった。

次はいい加減何かしら買いに外に出るか、もしくは家にあるものでちょっと手を加えて食べるもの

ということになった。

しばし一人でああでもないこうでもないと考えた。

1日食べ物以外のことで生産的な考え事は1つもなかったことに気付いた。

それでもおなかが空くのは変わらない。

ふとそこで、「白米が食べたい。炊きたてのご飯に梅干し、味噌汁がいい」と思った。

そこでよいこらしょと起き上がり、ごはんの準備をした。

簡単に米を研いで、あとはスイッチを入れるだけ。

梅干しは、今回は料理上手な友達からもらった紀州のはちみつ漬けの梅干し。

味噌汁も1から作るのは面倒で、お湯だけ沸かし、お椀に顆粒だしと小さな泡立て器に味噌を

からめたものを入れておいて、お湯を注いで味噌を溶かし、そこに先ほどの友達が一緒にくれた

伊勢湾産の乾燥のあおさのりを浮かべることにした。

食べすぎな感は否めなかったけれど、一口ごはんを食べて味噌汁を啜っただけで感動した。

体に熱と力が行き渡るような感覚で、これを体は求めていたんだなと思った。

食べている途中、先月母が米と一緒に送ってくれた母手作りのたくわんも切った。

しばらく食べずにいた間に、良い漬かり加減になっていた。

本物のご馳走たちが木のテーブルの上にようやく並んだ。

餃子も油揚げもトーストもどれもご馳走だけれど、体と心が弱っている時はもっと根本的な何かを

体は求めている。

基本的にわたしはおなかを悪くしない限り、そして精神的ダメージ100%位のことが起きない限り

普通に食欲がある。

熱が出ても平気でごはんを食べる。

わたしにとって食欲がなくなったら、大真面目に体は赤信号を出している。

だけど昨日のような黄信号の時はわからないことが多い。

食欲はある。なんだったら、昨日のように食べても食べてもおなかが満たされないことだってある。

自分でもストレスの方が自分の抵抗力を上回っていることは重々承知していた。

だけどそういう時は、思考力も体感覚も低下していて、本当に食べたいものが何かすぐには

わからないようになっている。

昨日も延々と回り道した結果、白いご飯と味噌汁が一番体が欲していたことがわかった。

こういうものって特別じゃなくていいんだと思う。

子どもの頃から繰り返し繰り返し食べ慣れたもので、そして一番大事なのは、食べた瞬間、

「ほっとする」

そのことだった。

ごはんを味噌汁を口に入れた瞬間の「ほっとする」感覚は、体と心が弱っている時こそてきめんに

表れる。

普段の味覚とは全く別次元で、心が本当に生き返る感じだった。

ふと振り返れば、正月明けから昨日に至るまで、白いごはんをまともに食べていなかった。

まともに食べていなかったというのは、物理的に食べなかったのとは違う。

基本的に毎日弁当を持参しているから、1日2回、週10食近くは白米を食べている。

だけど、全然食べていなかったのも同然な毎日だった。

朝はあわただしく5分ほどでかきこむ。

昼は昼で、喧噪の集団から身をはがし、食べることよりもとにかく色んなことから離れることに

神経を集中させていた。

だから昼間は食べているのにも関わらず、食べている感覚がない。

夜は飲むことが多く、白米を食べない日の方が圧倒的に多い。

昨日1日布団の中で過ごしてわかったのは、もうそこまでしないと自分の体力も精神力も回復

できないところまでになっていることだった。

色々状況は改善の方向にある。

12月に比べたら1月2月は随分と仕事もペースダウンした。

それでも色んなことを敏感に感じ取っているのだろう、どっと疲れが出る。

なんとなく誤魔化していても誤魔化しきれなくなり、そしてとうとう昨日は寝込んだ。

1日経った今日は、すっごく元気とはいかなくても、年末からため込んだ書類の整理やお金の計算

その他家のことで気になったことを諸々片付けた。

たった1杯の白米と味噌汁がここまでのエネルギーチャージに変わる。

今日の1食目も、昨日多めに炊いた白米にネギと母のたくわんを刻んだものと納豆を混ぜたもの

を乗せて食べた。

あおさの味噌汁も昨日と同じ要領で作った。

1日の始まりに対して、とても良いスタートを切れた。

良いスタートにぴったりなごはんだった。

「食(べる)」という字は、「人を良くする」と書く。

それを教えてくれたのは、社会人最初の職場のパートのおばさんだった。

パートなんてもったいない位の機転が利きとても聡明で誠実な方だった。

その方が何度となくそれをわたしに教えてくれた。

その時はそこまでぴんと来ていなかったけれど、昨日の食事で一気に納得した。

たった1つのごはんが人を良くする。

そして「ほっとする」作用までもたらしてくれる。

一気に良くしなくても、少しずつでいいから良い方向に自分の状態を持っていきたいと思う。

その中で一番手っ取り早いのは、白米と味噌汁のような気がしてならない。