2015年10月27日火曜日

満月の夜に振り返る新月の願い事

2015年10月27日:満月

今日は用事があって、仕事帰りに職場の最寄り駅ではなく隣りの駅に立ち寄った。

用事を1つまた1つと済ませて繁華街を歩いていると、大通りの両端のビルとビルの合間に

うっすら満月が顔を出していた。

少し曇り気味でおぼろ月のような容貌だったけれど、満月は満月できれいだった。

都会の真ん中でものすごく見やすい位置に出ていた満月だったけれど、どの位の人がその存在に

気付いたのか定かではない。

皆目の前のことが忙しくて、周りを見ても誰も月なんか眺めていない風だった。

良いものが見れたと満足。


先ほどベランダに出たら、小雨が降り出していた。

当然空は雨の日特有の重い雲が覆っている。

あの時だから見れた満月だったと気付き、さらには今日する必要のあった隣りの駅で済ませる

用事に心から感謝したくなった。

この用事も、今日急きょ浮上した用事で、今日の仕事終わるまでは予定などしていなかった。

今日のタイミングで済ませる必要があると仕事が終わってから届いたメールで知り、それで

いそいそと隣りの駅まで出掛けたのだった。


パソコンで昨日と今日のメールをまとめてチェックした。

満月についてのメルマガも入っていて、今年の5月18日の新月の願い事を振り返ってみることを

メルマガの中で勧められていた。

願い事を書く専用のノートを引っ張り出し、5月18日の願い事を読み返した。

なんと7個中6個叶っていた。

非常に抽象的な書き方ばかりしていたにも関わらず、当たり前だけど抽象的すぎてその願い事が

どんな風に叶うのか予想すら立たなかったけど、それでも今叶っている現実がある。

本気で願ったことは叶うんだと知り、そして多分自分の人生のテーマに沿ったものは叶うように

なっているのだろうと信じている。


なぜかこれを書いている今、インスタントの塩ラーメンを煮たような匂いがする。

私は煮ていないし、基本的に隣近所のキッチンの匂いは伝わってこない。

このどこからやってくるかわからない塩ラーメンに食欲がそそられる。

タイトルを『満月と塩ラーメン』に変更しようか?などと考える自分。

2015年10月25日日曜日

タイミング良くやってくるメッセージたち

昨日2週間ほど取り置きしてもらった靴を受け取りに行った時のこと。

ついでに、大きなショッピングモールの中を4分の3ほど見て回った。

100、200軒はあるだろうショップが1つの大きな建物の中に入っていても、その中で興味惹かれ

自分が中に入るお店というのはものすごく限られている。

ほとんど素通り状態で、入ったお店はその中の両手で数えられる位だったと思う。

その中の1つに書店があった。

ただ私は、そのモールの書店に対し、ものすごくセンスが悪いと思っている。

置く本のセンスもそう、全体の配列もそう、何がどうしたらこんなにもセンス悪く本を扱えるのか

不思議でならないほどの書店だ。

売場規模はそこそこでかいのに、どういうわけかある種統一性が欠けているから、どれもこれも

非常に中途半端な内容で済まされている。

その辺の町の小さな書店と大差ない品揃えという感じだ。

だからそこの書店はふらりと入ることもほとんどない。

「どうせ良い本はないだろう」と決めつけている自分がいる。

ということでその書店は、わたしの中ではワースト3に入るセンスの悪い書店になっている。

だから今回もお店の入口付近の本をさらりと見ただけで終わった。

その入口付近に村上春樹氏の最新エッセイが山積みにされていた。

彼がどんな内容を書くのか興味がありパラリと開いたけれど、文字の量の多さに読む気が失せ、

パッと開かれたページの一番右側の行だけ読んだ。

そこに書かれていたのは、なんと今のわたしに一番必要なメッセージだった。

何が書かれていたのかというと、

「自分の頭の中にあるものは、自分でしか整理できないし、自分でしか言葉に置き換えることは

できない」

おおよそこんな風な内容だった。

本当にその通りで、今わたしの頭の中にあるもの、心の奥底から湧いて出てくるもの、いずれも

これはわたしにしか整理できないことで、そしてそれらを言葉に置き換えるのもこれまたわたし

しかやれる人はこの世の中にいない。

この言葉のおかげで「自分の役割」「今自分がやれること」がより明確になった。

不安になろうが、とことん落ち込もうが、自分の中にあるものを取り出しそしてそれを表現できる

のは自分だけ、それをはっきりと言ってもらえて覚悟みたいなものが生まれた。

いつも思う。

タイミング良くすべてやってくるようになっているなぁと。

2015年10月24日土曜日

靴との出逢い

2週間前の週末、オフィス内で履く履き物を探しに出掛けた。

よくオフィスで履かれているナースシューズというのか、サンダルというのか、わたしはあれだけは

ものすごくダサいと思っている。

自分の美的センスはさておいても、とにかくあの手のものはものすごくダサい。

だからどうしてもそれ以外のものを探すべく出掛けたのだった。

クロックスがオフィスでも履けるタイプのものを出しているけれど、どうもシーズンがずれてるようで

秋になったばかりの頃見かけた値段では買えないということが判明した。

全くないわけではなかったけれど、定価で高いオフィス用のものを新調するような気分には

なれず、ネットで送料出してまで買うのもアホらしく、どうしようかなと思っていた。

色んな店を見て回っても全然ときめくようなものはなく、かと言って別の案もなく、どうしようかなと

思案していた。

大きなショッピングモールの中をひたすら歩いていたら、「~26cm」という文言が目に入った。

女性用の靴屋さんで、気になって中に入った。

わたしの足は、母方の家の強い遺伝のおかげで幅広甲高だ。

スニーカーは24、5cmのサイズで入るけど、靴は通常のお店で置かれているサイズのものは

基本的に入らない。

ベストなのは25、5cm、幅の狭いタイプになると26cmでないと入らない。

そんなわけで、これまで靴と言う靴は、東京の池袋にある大きなサイズ専門の店で買うのが9割

ごくたまに良いものに出逢えたら、たとえそれが旅行中でもその場で買っている。

名古屋にも大きいサイズ専門の店がないわけではないけれど、どうもフィット感がよろしくない。

そこのお店のものは、長さに対しては品揃えが良いけれど幅広にはあまり対応していない。

結婚式用の靴をそのブランドのもので買ったけれど、足が痛くなって10分と歩けない。

値段がかわいくないのも気に入らない。

このような足だから、靴1足当たり諭吉様1枚は確定でプラスもう数枚のお札も必要なのは常

だから、それ位はわたしの中でも許容範囲。

その店は諭吉様2枚は必要になる。

だからあってもないに等しいお店となっている。

さっきの「~26cm」と書かれた靴屋さんの話に戻る。

今年の流行りからベーシックなものまで色々取り揃えている。

しかも、何がまず感動って、店頭に出ているものですでにわたしのサイズがあること。

その日だけでも数足その場で試し履きをしてきた。

デパートでもショッピングモールでも、その場で数足試し履きできることはまずない。

大きなサイズ専門店以外で、一度に数足も試し履きするなんて夢のまた夢状態だった。

そのお店は大きいサイズも小さいサイズも、そして通常のサイズも全て同時展開していた。

この手のお店に行き着いたのも、人生で初めてだった。

わたしは大きくて苦労しているけれど、反対に小さくて苦労している人たちもいるだろう。

そういう人たちが普通サイズの人たちが買うお店と同じお店でデザインを選べるなんて、もう奇跡

に近い。

いくつか試着した中で1足一目惚れしたものがあった。

ヒールのないタイプなのに、つま先が尖っているタイプで、色使いもとてもきれいだった。

さらには素材もスエードのようなもので、これがすごく上品な感じをかもし出している。

つま先が尖っているタイプというのは、わたしの足には一番合わない形でこれまでもその手の

タイプで履いていて楽ちんなものには一度も当たったことがなかった。

形にはものすごく憧れているけれど、自分の足の形に合わずいつも痛くなっていたから、仕方なく

諦めていた。

だけどそれは履いて、「楽」というのがすぐにわかったのと、そして「足が小さく見える」視覚効果も

ばっちりで、さらに嬉しくなった。

そこで、オフィス用の履き物に関して1つ結論を出した。

今現在使っているフラットタイプの楽チンな靴をオフィス用におろし(←だいぶ履き倒したから、

これを普段用ではなくオフィス用にするには全く問題ない)、その靴の代わりとしてこの一目惚れ

の靴を購入してはどうかと。

その場では考えがまとまらず、取り置きをお願いしてきた。

そして今日お迎えに行ってきたのだった。

今わたしのすぐ横にその靴はあるけれど、買って大正解だった。

まず、すごく良いものに見えるのに値段がかわいらしい!

カード払いにしてきたけれど、諭吉1枚で3枚+小銭のおつりがくるなんて夢のようだ。

値段もすごく良かった。

値段は前回の時に確認済みだったから、それはまぁ今さら驚くことでもなかった。

驚いたのは、店員さんの説明だった。

なんとこのお店、靴裏のかかとのすりへる部分、あそこをいつでも無料交換してくれるとのこと。

しかも買った店舗でなくても、同系列の店ならどこに持ち込んでもOKと言われた。

何せ自分の足に合う靴を探すのにものすごく時間のかかるわたしは、一度買ったら靴が傷むまで

は何度も何度もかかと部分のヒール底を修理に出す。

買ってからも維持費が半端なくかかり、それも毎回頭の痛いことだった。

それがなんと今回のお店は、お店負担で直してくれると言う。

神様かと思うような、スーパーありがたいサービスだった。

オフィス内の履き物を探すのは全然楽しい工程ではなかったけれど、そのおかげで思わぬ良い

靴屋さんと出逢えて大満足している。

もちろんそのお店は、これから大贔屓にする予定だ。

2015年10月23日金曜日

粋な朝の秋の時間

これまで毎年秋から冬になると、朝の暗さがとても残念で何ともがっかりな1日の始まりなどと

思っていた。

あの空の暗さに気持ちが呑み込まれてしまいそうで、あまり好きではなかった。

ところが最近、この暗さに惹かれている自分がいる。

最近は5時半~6時過ぎに目覚めることが続いていて、そのままうだうだと布団で過ごし、そして

頭がすっきりし出す少し前にノートを取り出し書きものを始める。

いっぱい書くわけではないし、1行書いてはぼーっとすることも多いけれど、その何とも言えない

暗さに電気スタンドのぽっと灯った感じ、そして体はまだ布団の中というその全部が粋だ。

最中に「粋だ」なんて感じるほどに頭も体も起き上がってはいないけれど、なんとなくそのまったりと

した感じと空の暗さがマッチしていて、こういうのもいいなぁと思う。

もちろん町全体はまだ眠っている雰囲気が漂っているから、外は静かだし、近くのアパートの貯水

タンクと思しき音が時折聞こえるぐらい。

外の明るさが増し出すと、1羽2羽と鳥の鳴き声も耳にする。

春や夏のような元気で軽快な鳥の鳴き声とはいかなくても、少しずつ夜明けになっている感じが

鳥の声を通して伝わってくる。

夜が明けるまでが長いだけあって、そのペースに自分も合わせてゆっくりと起きる。

中にはがばっと起き上がる日もあるけれど、基本はゆっくりだ。

秋の夜長というのは1日の終わりの夜だけじゃなくて、朝を迎える直前の夜も含まれている気が

してならない。

夜が長い分、静かな時間も増える。

静かな時間に目が覚めて、自分だけの世界にどっぷりと浸り、そして少しずつ目覚めていく。

こういうのを粋と思えるようになったのは、なんとなく大人の階段を上った気分だ。

これからますます寒さも増し、布団から体を出すのが億劫になってくるけれど、今年はこれまでに

体験しなかった「暗さ」を満喫したいと思っている。

2015年10月19日月曜日

自分の中にある力

人生の不安やら問題やらなんやらかんやら、今どどっと押し寄せている。

常に不安とか常に問題ということではなくても、多かれ少なかれそういうことを考える時間が1日の

中で存在している。

なかなか精神的にストレスも大きいところではあるけれど、それでも続けていることがある。

「書くこと」だけは、ずっとずっと続けている。

今日はもう書けないかも・・・と思っても、結局は何かしら書いている。

「書く」ことだけに関して言えば、これだけは不思議と力が要らない。

とりあえず浮かんだことを1つまた1つと言葉にすればいい。

例えば「不安」や「問題」さえも、書くことのネタになってくれるんだから、ありがたい。

言うなれば、自転車をこぐ感じだ。

自転車をこぐ時に、右足をペダルに乗せて、左足は地面を蹴って、今度は右足のペダルを前に

出して・・・なんていちいち考えずにこいでいる。

勝手に体が動いてしまう。

わたしにとっての「書く」はそれに近い感じがする。

とりあえず書き出せば何かしらの言葉を紡ぐし、読み返して変だったらそこは直すし、でもその

直す行為もあれこれ考えて直すと言うよりも、感覚的に「変」と思ったら直す、というやり方だ。

ベルトの位置とか、靴下の位置とか、新しい靴をはいた時の違和感とか、言葉では言えない

けれど何かしら「違う」と感じる感覚。

ああいう感覚で文章も直している。

食べていくための仕事と書くこととの二重生活を実際に始めてみて、書くことそのものにどんな

影響が出るだろうかとずっと心配していた。

だけど、実際にその生活が始まって、食べていくための仕事は悪戦苦闘しているけれど、書くこと

そのものはこれまでと何ら変わらなくて、拍子抜けした。

そして少しずつ、「書くこと」を自分に与えられた力、という風に認識するようになった。

気付けば今もその「食べる仕事」で悪戦苦闘しながらも、「文章にまとめる力」を一緒に入った方

から評価をいただいた。

自分で得意とは思っていなくても、周りの人から見てそう見えるものならそうなのかもしれない。

「書くこと」これが今後どんな風に広がっていくのか、自分でも楽しみなことの1つだ。


2015年10月18日日曜日

常備菜作り

これまでも短期間ではあるけれど、月曜から金曜の週5勤務というのをしたことがある。

弁当持参もついでについてくる。

だけど、弁当用の常備菜作りというのをほとんどしたことがなかった。

短期間でしかなかったから、常備菜を作り置きする必要性をあまり感じていなかった。

それにプラスして、大抵前日からの1~2品+玉子焼き程度であれば当日何とかできる。

常備菜を作るなんて、余計にわずらわしくなるだけ、と思っていた。

ところが今回は、わりかし長期での月曜から金曜の勤務が続く。

先々週、ほんのちょびっとだけ日持ちするおかずを作った。

そうしたら朝の弁当が驚くほど楽チンであることに気が付いた。

火の前に立つ時間は5分以内だし、うまくいけば一切火を使わずに弁当を作れる。

今のところ冷凍食品は使っていないから、そのあるものだけでなんとか事が足りている。

そうだ、常備菜だ!と感銘を受け、今日は常備菜を作った。

ピーマンのおかか炒め、かぼちゃの煮つけ、ごま和え用に小松菜茹でて人参とちくわ切って、

あとは当日混ぜるだけのもの、鶏手羽の甘酢煮、そしてゆで卵。

鶏手羽は20分コースだったけど、他は5分くらいでできてあっという間だった。

合計で1時間もかかっていない。

毎週できるかはわからないけれど、週5勤務が続く以上はこうして常備菜を作る方が1週間

余計な弁当作りに悩まされずに過ごせるように思う。

前日のおかずは必ずスライドするとして、そうすればあとは常備菜を適当に詰めたらいい。

まだまだ不慣れな新しい生活だけど、こうして徐々に自分のペースを作っていくそのプロセスは

楽しい。

週5勤務には慣れなくても、その中で少しずつ自分の楽しみを増やしていけたらと思っている。

2015年10月17日土曜日

同じ日でも色んな1日

今日10月17日は、父と母の結婚記念日であり、母方の祖父の命日であり、いとこの一人の

誕生日であり、そしてのんびりした土曜日の1日だった。

それぞれの人が目にする光景は全く違うものだと思う。

わたしはと言うと、昨夜寝た後、食道から腸の至る所に激痛が走り七転八倒し、その疲れで今日

1日のんびり過ごしていた。

意味不明な激痛は1年に1回ないし2回あるかないかで、昨日がたまたまその日だった。

特別食べ過ぎたわけでも飲み過ぎたわけでもなく、おそらく新生活の疲れが溜まったのかなと

思っている。

おかげでなんとか夕方には調子を戻し、とりあえず買物に出掛けた。

本当は夕焼けを見にお気に入りスポットまで行きたかったけれど、いかんせん体の調子に自信が

なく、とりあえずは買物にだけ出掛けることにした。

行く途中、小さな花壇をいつも花いっぱいにしているお宅のおじいさんが花にじょうろで水やりを

していた。

その次に目に入ったのは、そろそろ日が暮れるのに速達なのか普通郵便なのか、郵便配達を

している郵便局の人。

わたしなんか2枚も長袖を着ているのにノースリーブの服を着て赤子を散歩させていたお母さん。

お店に着いた時、「この調子ならもう少し足を伸ばせる」と思い、お気に入りスポットまで行った。

昭和の懐メロをイヤホンから大量に音漏れさせながらランニングをしている初老の男性。

息子に何度も「気を付けて運転して帰れよ」と言い、息子を見送っている父親。

小さな公園できゃっきゃっ言いながら走り回る小さな子どもたち。

そして今日もきれいな夕日を眺めるわたし。

同じ1日の中でも色んな人々の営みがある。

ちなみに結婚記念日を迎えた父と母は、今夜は別々にごはんを食べている模様。

母は友達と焼肉に出掛け、父は家で一人酒を飲んでいる。

わたしはわたしで、体に優しいものを食べようと、今豚汁を仕込みながらこれを書いている。

こういう何気ない1日が、最近心に沁みてしかたない。

2015年10月16日金曜日

思い出のナシゴレン

今日のお弁当は、即席で何かしらの焼き飯+卵でオムライス風にしようと決めた。

昨日の夜パスタを食べたのはいいけれど、そうなると翌日のお弁当のおかずがない。

週末はお弁当が要らないから、何か常備菜を作るのは避けたい。

昨日は厚切りベーコンとエリンギの炊き込みご飯を朝炊いて、茶碗1杯分だけ残っていた。

新たに米を炊くのも面倒で、冷凍庫から白いごはんを1杯分見つけ、その茶碗2杯分で何とか

今日のお弁当を作ることにした。

ベーコンとエリンギの炊き込みご飯には、すでにオリーブオイル+コンソメ+しょうゆで味が付いて

いる。

意外な組み合わせだけど、これがわたしの中で大ヒットし、繰り返し作っている。

当の白いごはんはもちろん何の味もない。

ふたつを合わせて炒めると、どうしても味が薄くなる。

炊き込みご飯は十分堪能したから、できたら別の味に変えたかった。

冷蔵庫を開けて、つい最近仕入れたスイートチリソースと目が合った。

これ入れたらおいしいんじゃなかろうか!?と思い、スイートチリソースを付け足した。

塩っ気が足りなかったから、そこにさらにしょうゆも足した。

おかしなものをたくさん組み合わせてる風だけど、これがものすごく美味しく出来上がった。

そして美味しさよりもわたしの気を引いたのは、これが過去に人が作ってくれたナシゴレンの味と

同じだったことだった。

その人は当時インドネシア人のルームメートを持っていた。

今日の夕方そのインドネシア人のルームメートの名前をようやく思い出した。

「アグース」だった。

いつかアグースが、わたしにナシゴレンを作ってくれた人に作ってくれたのが最初で、アグースは

その人にレシピを教えた。

わたしはそのナシゴレンをたくさん作ってもらい、何度も何度も美味しいと言いながら一度も飽きる

ことなく食べ続けた。

そもそも「ナシゴレン」などというインドネシア料理を食べたのは、その時が初めてだった。

作り方も教えてもらったのに、どの調味料を使っていたかはすっかり忘れてしまった。

そこでもスイートチリソースを使ったのかどうかは、今も思い出せない。

だけど今朝と今日のお昼に食べた焼き飯は、まさにあのナシゴレンの味だった。

当時住んでいた町は、1年の中で夏がものすごく短いのが特徴だった。

その短い夏に、辛いナシゴレンを食べまくり、レシピも教えてもらい、その一つ一つが今となっては

かけがえのない時間だったと気付く。

まさか今日ナシゴレンの味に再会するとは思わず、朝から一人で時間旅行をしてしまった。

ちなみに、10数年前のナシゴレンブーム以降、今日に至るまでわたしは一度もナシゴレンを

作ったことがなかった。

お店で「ナシゴレン」という名のものをみんなでシェアするように注文したこともあったけれど、

わたしが知っているナシゴレンの味とは遥かに違っていた。

全く別物と言っても良かった。

それがまさかこんな風に再会することになるとは。

人生どこで何が起こるかわからない。

だから面白い。

2015年10月15日木曜日

人を選ぶ

アメブロには「読者登録」というシステムがある。

アメブロ内の誰かのブログが気に入ったら、または何か読むメリットがあったり、はたまた何か読者

となることでメリットがあると感じれば、読者申請をする(のだと思う。←わたしは読みたいブログ

以外は読者申請はしない)。

その「読者申請希望者」が時々わたしのブログにも訪れる。

そういう人が申請をすると、アメブロからわたしにも通知がきて「○○さんがあなたのブログの読者

申請をしました」というようなものが届く。

今日もたったさっきある方から読者申請が届いた。

どういう人なのかは、わたしも相手のブログを見ることができる。

中には「読者の人数稼ぎ」のためや、「自分の事業のアピール(→わたし=未来の有料客層)」の

ために申請してくる人がいる。

今回ももれなくその手のタイプの人だった。

そしていつもの流れで、わたしはその読者申請を削除した。

そういう自分だけのメリットを考えただろう読者申請にはすぐ気付く。

わたしには興味がない。

わたしの文章にも興味がない。

もしかしたら将来の有料客層になりうる人物として、もしくはその人にお金を支払う人としての

わたしにしか興味がないのがありありと伺える。

それがせめて「お金の稼ぎ方を教えます」的なブログだったら、又は「あなたの読者数を伸ばし

さらにお客さんを獲得する」的なブログだったら、百歩譲って許せる。

稼ぐことを堂々と謳っているから卑しさがない。

その手の中で一番性質が悪いと思うのは、「あなたの夢を生き方を応援します」的なタイトルを

打ち出しているのにも関わらず、内容が「あなたのお金を僕に・私に払って下さい」のくれくれ

メッセージのもの。

今回の人ももれなくその手のタイプで、良いことを言っている風に見えない。

人を追い込むタイプのメッセージばかり発信していて、そして相手から奪うことばかりを考えている

のが文章から丸わかりなのに、自分は「人から時間を奪ってはいけません」などと言う。

何とも心の乏しさが文章の至る所で発揮されていて(←書いてる本人は多分気付いていない)、

言葉に何の説得力もなかった。

どれだけ自分の中「許せないポイント」を癒しても、この手のタイプはもう「許せない」ままでいいと

思ってる。

そんなこんなのことをしていたら、「わたしって、ものすごい厳格に人を選んでいるなぁ」と思った。

自分のことはさて棚に上げ、やっぱり誰かと関係を持つなら気持ち良く関係を持ちたい。

互いに風通しの良い、変にきばったりすることなく、居心地の好い関係。

そこから外れる人は、たとえブログであってもばっさばっさと切り捨てている自分が可笑しい。

超絶意地悪なことを言うと、多分今日の読者申請をしてきた人は、そういう関係を人と持てない

可哀相な人なのではないかと思ってる。

人の振り見て我が振り直せ、ということで自分も気を付けなければと気を引き締めようかな・・・、

などと緩く考える。

2015年10月14日水曜日

何度も見上げた天井

1年前の8月の終わり。

わたしは人生のお休みの切符を手に入れた。

すぐに失業保険がもらえるとは思っておらず、そのまさかの失業保険がすぐに下りるというのを

仕事の期間が終了する前日に聞いた。

あれから1年1ヶ月、結局ずっと半引きこもりのような生活を送った。

ちょっとは人に会っていたし、週の半分以上は1時間コースの散歩に出ていたし、スーパーの巡回

は楽しく行っていたし、全くの引きこもりというわけではなかったと思う。

ただこんなにも長く人とほとんど会わない生活を送ったのは人生で初めてだった。

そして、社会の中で自分を紹介する時に使う肩書はゼロになった。

何の役割も持たない自分というのを最初は楽しみ、途中からは焦ったり開き直ったりしながらの

日々を過ごしていた。

自分の次の一歩がずっと見えなくて困っていた。

1年1ヶ月の半引きこもりになって見えなくなったのではなく、もうやおらそろそろ10年コースでの

迷走を続けていた。

この1年1ヶ月の間も、何度真っ白い天井を眺めたかわからない。

天井を眺めたって答えなんて降ってこない。

もちろん閃いたりもしない。

ただぼんやりと時が過ぎて、ぼんやりと自分を眺めて、飽きたら他のことを始めて。

ずっとそんな繰り返しだった。

このまま80歳のおばあちゃんになるとは思わなかったけれど(現実の生活が回る保証があれば

そうも考えたかもしれない)、かと言っていつどのタイミングで何かをしたくなって動き始めるのか

皆目見当もつかなかった。

今日も天井は何も答えてくれない、などとあほみたいなことを大真面目に思った日は1日2日じゃ

ない。

もっともっとたくさんある。

嫌なことに向き合いたくない時も床に寝転がって天井を見た。

寝転がっても何にも変わらないってわかっていても、すべて投げ出したい以外の気持ちが湧かず

1人悶々としたことも数え切れない位あった。

今一気に動き出して、天井を見上げる時間はゼロに近くなった。

単純に暇があまりなくなった。

今のやりたいこととやりたくないことの両方+生活を織り成すだけで、1日が目一杯になる。

それ故に天井を見上げなくなっただけで、また見上げるチャンスが生まれたら見上げるだろう。

もちろん今も天井を見上げたって何にも答えなんかないし、閃きも生まれない。

だけど、天井を今こうして書きながら見上げると泣きたくなってしまう。

天井を見上げてばかりいた当時の自分を思い出し、色々彷徨いまくって訳分からなくて、いっぱい

色んなものを見失っていたように感じていた当時の自分がふと出てくる。

自分で「よくがんばったなぁ」と思う。

世間的には何もせず、理解ない人たちからはたくさんの批難も浴び、それでも自分の中で色々と

納得できずにじっとしていて、苦しい気持ちも理解して欲しい気持ちも、たくさんたくさんあった。

なんだかえらい孤独だなぁと思ったことも一度や二度じゃない。

それでもある時、それはものすごく意外な形で天井を見上げる生活にピリオドが打たれた。

天井を見上げていた時には思いもつかなかったものが人生に流れ込んできた。

その流れ込んできたものを動かすためにも、今再び働きだした。

働きたいから働くではない理由だけれど、それでも今のようにやりたいことを支えるために働く、

っていうのも有りだなと思う。

いつか今の場所を去る日がくる。

もちろん真っ白い天井ともお別れする。

それでもそのいつかは、この天井にものすごく愛着が湧き、感謝の念さえ覚えるのではないかと

思っている。

2015年10月13日火曜日

日々の記録

無印良品で500円の分厚いノートを取り扱っている。

1年半前の2014年の春、日々の記録を残すノートが欲しいと思った。

食べたものや天気、その日にあった出来事、感動したこと、怒ったこと、会った人、文章などなど、

とにかくあらゆる生活の記録=生きた記録を残したいと思った。

色んなノートを探し回り、一番「使い勝手が良さそう」だったのがこの無印のノートだった。

さぼったり続けたりしながら100ページ近いノート1冊目を終え、2冊目を買う買わないで迷った。

2週間ほど迷った後、やっぱり引き続き日々の記録を残そうと思って2冊目の無印ノートを買った

のがつい3週間前。

毎日書く習慣がまだないから、一気に2日3日とまとめて書いたりするけれど、本当に1日前、

2日前のことが思い出せない。

記憶をたぐりよせて何とか書いているけれど、これほどに日常の些細なことはあっという間に忘却

の彼方に葬られる。

だからこそ、わたしは日々の記録を残すことに並々ならぬ意欲を持っている。

もう二度とは取り戻せない日々、それであれば今起こったことは、今書いておこうと。

これもいつかの時にこのブログ内で書いたような気がするけれど、わたしは大学時代の生活の

様子の記録がほとんどない。

大まかな記憶とか忘れられないようなインパクト大の出来事は憶えているけれど、日々の何気

ないことがすっぽりと抜け落ちている。

そして当時の日記と言えば、好きな人にまつわることばかりを書いていて、生活のことなど全くと

言っていいほど触れていない。

当時は、その日常が当たり前だったからそこに価値なんて全く感じていなかった。

今はもうそこに戻れない日々だというのが痛いほどわかるから、せめて記録さえ残しておけば…

と思ったりもする。

その時の教訓を生かして、また今のわたしはせっせせっせと今の日常をノートに記している。

別に大きな出来事もなければ、なんだか今日は何していたんだろう自分は?なんていう日も

色々ある。

だけど時が経つと、そのさりげない日々がどれほど貴重で大切だったかに気付かされる。

もう戻れない過去の時間と自分。

せめて記録だけでも残そうと思い、また2代目無印ノートに日々の記録を綴っている。

2015年10月11日日曜日

残念すぎる近所の祭り

昨日と今日、近所の小さなお祭りだった。

何のお祭りなのかはわからない。

だけどわたしはこの祭りが毎年大嫌いだ。

とにかく非常に不快な騒音だけが辺りに響き渡るだけで、どうにかならないものかと思っている。

自分が子どもの頃に出た祭り、色んな場所で見た祭り、どれもこれもそこに傾けるエネルギーと

時間が普通はある。

いきなり祭りの日の当日を迎えて、知らない踊りを踊ったり太鼓を叩いたりはしない。

もちろん見物客の人がそこに混じって踊るとかであればわかる。

そうではなく、主催側の方のグループが練習なしで本番を迎える、そういうことはこの近所の祭り

に出会うまで知らなかったけれど、現にそういうものも存在する。

とにかく、太鼓の叩き方も騒音の他の何でもない。

体育の授業で使うような笛も適当にピーピー吹いている。

そこに子どもたちのどなり声で「元気を出ーしーてー、わっしょい、わっしょい」がずっとエンドレスで

流れる。

とにかく締まりがないし、すべてだらしない雰囲気だけが伝わってくる。

窓を閉めても音が通過する位だ。

昨日の夜、すぐ近くの通りを通ってびっくりした。

100メートル位の道路がどうもメインで、そこの通りだけに笹に提灯をぶら下げたものが5本、

数個連なった提灯を玄関に飾っていた家が3軒。

実際はもっとたくさん家があるし、笹の葉を飾るスペースも十分にある。

なのに、そこだけが祭りの雰囲気を出すために装飾された場所なのだ。

子どもたちは他の場所も練り歩くにしても、なぜそこだけにしか飾らないのかわからない。

そして昨日日中に出掛けた時、その数十人の規模のわっしょいグループを目にしてわかった。

これまでそのグループを直接目にしたことはなく、昨日初めて目にした。

まず男の人が誰もいない。

おじいちゃんを数人警備か何かの係で見たけれど、その練り歩きには子どもと母親しかいない。

そして歩き方もものすごくだらだらしている。

子どもがだらだらするのは百歩譲っても仕方ない。

大人までだらだらしている。

見ていても「何だ、あの変な団体は??」と言いたくなる位に体たらくだった。

はっきり言って騒音だけが数時間響き渡る行事だから、止めて欲しいと本気で願っている。


ふと、自分の子どもの頃の祭りを思い出した。

住んでいたところは、毎年8月の第4土日になると大きな祭りが開催されている。

日曜日は、町内ごとに仮装行列を成し、踊りや音楽を披露するだけではなく賞を競うこともした。

そのために夏休みの平日の夜は、男の子は笛や太鼓の練習、女の子は踊りの練習をするのが

常だった。

全然面白くなかったけれど、そこで町内の友達に会えるのが楽しかった。

もちろん子どもたちだけで練習するはずもなく、日中は働いている子供会の役員に当たっている

お父さんお母さんたちも皆総出で参加する。

仮装行列用の軽トラックよりもう一回り大きい位のトラックの装飾は、毎年職人の大工さんを中心

に夜な夜な作業が繰り返されていた。

当日も、「移動するための場所」と「ここは町内の人にお披露目をする所」だとか、「ここは審査員

がいる所」だとか、大人たちが的確に指示を出してくれたから、力を入れるところと抜くところが

子どもながらにもはっきりとわかった。

だからしっかりと踊らないといけない箇所では、みんな一丸になって真面目に踊った。

もちろん鼓笛部隊も同じように、お披露目する時はものすごく真剣に演奏していた。


そういうのを思い出した時、そういうことを知って大人になれて良かったなぁと思った。

こんな言い方はひどいけど、今住んでいる近所の子どもたちは可哀相だとさえ思う。

もちろん昨今の事情や地域性の差はあるにしても、人に見せるために練習を重ねること、

みんなで一つになって何かを生み出すとそれを見た人が感動すること、そういうことを知らぬまま

大人になってしまうのは残念だと思う。

子どもの頃は、その強制的な参加や練習が面倒だとも思ったし、今日は行きたくないなぁなんて

いう日ももちろんあった。

それでもこの経験があるとなしとじゃ、雲泥の差だと思う。

もしうちの近所が祭りに力を入れていたとしたら、太鼓の音も子どもたちの声も騒音としては

届かなかっただろう。

むしろ「こんなものが聞けてラッキー」とさえ思ったかもしれない。

2015年10月10日土曜日

スーパーの新しい使い方

この1年で11軒のスーパーを試して、どういう使い方ができるかを楽しく研究していた。

それぞれの店舗によって特徴が全く違うから、それぞれの良い部分だけを自分の得になるように

使っていた。

だけど、今週から派遣の仕事が始まり、月~金の9~18時がっつりと拘束されては、そんなことも

やってられない。

日曜の朝の特売だけで賄うには、少しばかり思い通りじゃない。

そしてふと今日気付いたのは、11軒の中の1軒のスーパーの土曜日の夜の売り出し方だった。

その1軒は、1年前仕事で知り合ったSさんから教えてもらったスーパーで、そこの日曜特売が

とにかくお得でいいということだった。

たしかにそこの日曜の朝の特売はとってもお得で、異常なほどの混雑を生み出している。

そこから徒歩3分ほどしか離れていない別のスーパーの、同時間帯のお客さんの少なさと

言ったら雲泥の差だ。

ちなみにお客さんの少ない方のスーパーは、うちの近隣では一番の激安スーパーだから、

曜日関係なく安定してお客さんが入っている。

だから決して少ないわけじゃなくて、激混みスーパーと比べて少ないだけ。

日曜激混みのスーパーは、まず日曜日と言うと全ての商品を一掃している。

生鮮品で前日の売れ残りというのは見当たらない。

ということは、土曜の夜は半額祭りなのではないか?と思って、出掛けたついでにその近くの

バス停でバスを降りて行ってみた。

予想的中で、肉も魚も半額シールのオンパレードだった!

しかも今、国産の豚肉が100円/g以下になることは限りなく0に近いのに、今日は50円台/g

という素晴らしい値段で出されていた。

これが明日日曜日の朝になると、約3倍の値段になって登場している。

土曜日の夕市なんかも同時開催されているから、お得な品たちもある。

今日は、野菜高騰中の今、ピーマン6個で98円も、豆腐1丁18円も手に入れた。

19時までとチラシにはあっても、とりあえず商品があればそのまま特売の値段と同じで販売して

くれることも今日初めて知った。

ということで、これからは土曜の夕方に余裕があれば、そのスーパーに買物に行こうと思う。

2015年10月9日金曜日

銀杏と食わず嫌い

夕方、近所のあるお宅の前を通ったらシチューの匂いがした。

シチュー特有の匂いが体に染み渡る季節になった。

昨日は昨日で、イチョウ並木の大通りを通った時、銀杏特有の臭いがした。

わたしはつい数年前まで、銀杏が大嫌いだった。

子どもの頃、父と母がなぜ銀杏をとてもありがたがって食べているのか理解に苦しんだ。

母なんかは休みの朝の早い時間に、車通りの多い道のイチョウ並木の下の銀杏を採りに行くと

言って、出掛けていた位だった。

市販の茶碗蒸しの中に銀杏が入っていることもあったけれど、それも好きではなかった。

食べれないほどではないにしても、あの味がどうも道に充満している銀杏の臭いとリンクして、

ゆっくりと味わうなんて絶対にしたくない食べ物の一つだった。

それが突然美味しい!と目覚めたのは、数年前友達の家での飲み会の時だった。

あの時、友達は人からもらったと言って、紙袋に銀杏を入れてレンジでチンして出してくれた。

臭いはあの銀杏特有の臭いだ。

出されてもあまり気が進まないものではあったけれども、友達が「美味しい!」を連発。

この友達とは食べ物の好みがものすごく似ている。

その友達が言う位だから、と思って一粒パクリ。

「!」

ほんと、言葉にならない感じだった。

不味いと思い込んでいた銀杏が、ものすごく美味しかった。

友達と競うようにして銀杏を食べたのは言うまでもない。

こんなに銀杏って美味しかったの!?とびっくりした。

これまでの自分の思い込みが大きく覆された瞬間だった。


元々あまり好き嫌いはない方だけれど、大人になってから好きになったものは多い。

銀杏の他にも、もつ煮、たけのこ、ニシン、みょうがなんかがある。

見ての通り、飲兵衛の父親の好きなものが我が家の食卓にはよくのぼった。

だけど、子どもの頃はいまいち好きになれず、それらのメニューがメインにのぼるとものすごく

がっかりしたことも憶えている。

今ではそれらが食卓にのぼると、ものすごく嬉しい。

たけのことニシンの煮物は、母にリクエストする位に好きになった。

苦みとか渋みとか旨みなんかは、大人になってからの方がうんとわかる「味」なのかもしれない。

ちなみに、目下苦手なままなのは、今のところパクチーぐらいだ。

いつかパクチーにも目覚めるんだろうか…。

2015年10月8日木曜日

リズム作り

今、自分のリズムを作っている。

食べる仕事と書くことの両立ができるよう、そのリズムを日々作っている。

書くことに全力を傾けられるよう、毎日家に帰ってから書く時間を設けている。

本当に書く必要のあるものはまだ着手していない。

でも、このブログともう1つのブログをひたすら綴る作業は、今日入れて丸4日続けている。

最初は、2つのことをやるなんて無理だと思っていた。

やれなくはないだろうけれど、すごく心にも体にも負荷がかかるような気がしていた。

無理に書くようになるのだけは絶対に避けたいとも思っていた。

「書かなければいけない」の「~ねばならない病」にだけは絶対にかかりたくないとも。

ところがあたふたと何のリズムもないままに始まった新しい生活の時間割。

「やればできる」ことが少しずつ体験を通じてわかってきた。

そして書くことも嫌になるどころかむしろ楽しく書いている。

もっと自分を追い込むのかと思いきや、そうでもない。

リズムは少しずつ変化しているけれど、今のところとりあえず元気だし毎日仕事も行って、

帰ってから文章書いて、そしてごはんも手抜きであっても作っている。

なんとなく、なんとなく、の小さなリズムを刻み始めている。

文章を毎日書こうと思っているのには理由がある。

以前、その時はどの位、「書くこと」から離れたのか思い出せないけど、離れたことで随分と感覚が

鈍った感じになった。

いつでも書けると思っていたのに、感覚は少し違う。

例えば今この文章を書きながら、わたしはほとんど頭を使っていない。

自分の中から出てきたものをひたすら打ち込んでいるだけ。

前回感覚が鈍ったと感じた時というのは、こういう感覚が薄れていた。

代わりに、1つ1つ言葉をするのに頭を使い、言葉も組み立てて、それで文章を書いていた。

あの感覚は気持ち悪い。

「書いている」というよりも、言うなれば子どもの頃に書かされたような読書感想文みたいな、

無理矢理何か枠に当てはめて文章を書こうとするような、あんな感じだった。

このブログもそうだし他のブログもそうだけど、すべて一発本番で書いている。

下書きもしないし、まぁたま~にするけれど、それは自分の中にあるものがあまりにごちゃごちゃ

し過ぎていて言葉にうまくできない時がほとんど。

言葉にできるのなら、そんなことする必要がないから下書きはしない。

浮かんだら浮かんだものをそのまま、ぴたっとくる言葉に置き換えてあげたらいい。

その感覚を保つために、とにかくこのブログともう1つのブログは書いている。

そしてそれが今のわたしの色んなことに結びつくことだから、そのためのリズムを作ることにも

珍しく積極的に動いている。

普段ならこのリズム作りは大嫌いなことの1つだ。

だけど、今はリズムを作る方が自分にとって心地良いと思っているから、自然とその方法を探り

そしてピンときたものを形にしている。

2015年10月7日水曜日

10歳下の女の子との出会い

月曜日から始まった仕事。

今回の研修担当者は、わたしより10歳年下の女の子だ。

年下の女の子が研修担当になるのは彼女が2人目だ。

1人目は、わたしと3つ?4つ?ほどしか離れておらず、とっても感じの良い人だったけれども、

自分のこれまでの生き方や当時の生き方が本当に良かったんだろうか?とものすごく落ち込む

こともあって、ちょっとしんどいこともあった。

これは自分が年を取ったからそう思うのか、それとも彼女が10歳も下だからそう思うのか、または

もっと複雑な理由が絡まり合ってそう思うのか、そこはわからない。

だけど、今回は彼女が研修担当者で良かったと思った。

向こうもとっても気を遣うだろうことは予想できる。

もう一人一緒に研修を受けている方は、わたしのさらに10歳上だ。

それぞれ年齢差による気遣いはあるものの、あまりにも生き方が違うから、それが程良い距離を

生み、「人それぞれ色んな生き方があるよね」の一言で済まされる。

変に自分の生き方を否定しなくてもいいし、自分を大きく見せる必要もない。

そして10歳年下であっても、今回の仕事は当たり前だけれど彼女の方が大先輩でそして丁寧に

教えてくれ、さらにその仕事の面白さも伝えてくれるから尊敬している。

今回の仕事は全く引き受ける気ゼロでやりたくないと思っていたけれど、「○○なところが面白い」

とそれぞれの観点で面白さを伝えてくれたのは、なんと彼女が3人目だ。

そういうことも聞けるとは思っていなかったから、少しだけいつもとは違う風が吹いてる気がする。


20代の頃のわたしは、自分が30代で働いた場合1つ心配していることがあった。

30代で新しいことを始める場合、自分を指導する相手は自分より年下である可能性がある。

自分はあまり気にせずにやれそうと思っていたけれども、相手は気になるだろうことは予想でき、

さらに自分も年下で生意気な人が相手だったらイライラしてしまうかも…ということ。

30代に入ってした仕事は、2人を除いてあとはみんなわたしより若い指導者だった。

実際にそうなってみてわかったことは、あまり年齢は気にならないということだった。

相手はわからないけど、わたしはそんなには気にならない。

そしてたしかに「イライラさせられる」タイプの年下指導者も存在したけれど、それは年下だから

というよりも元々の人間性だということもわかった。

そういう人は、年上でも同い年でもわたしはイライラしたかと思う。

逆に「この人すごい!」という年下の人たちにも何人か出会った。

自分が年齢的に年上であることが恥ずかしくなる位に、すごい人というのは存在する。

そんなこんなの経験を重ねていくうちに、年齢は気にならなくなった。

そしてすごい年下の人には、手放しに「すごいですね!」と言ってる自分がいる。

「すごいですね!」は上から目線ではなく、年上の人を敬う時と同じような気持ち。

年齢が上がれば上がるほど自分より年上の指導者に恵まれる可能性がどんどん低くなっていく

のも現実だから、良い意味で割り切れるようになったと感じている。

2015年10月6日火曜日

それぞれが見ている世界

ここにきて、これまで出会ったことのないタイプの人たちに出会っている。

どちらかというと、喜ばしい出会いというよりも、自分の価値観をがんがん質問されるような、

その人たちは質問はしてこないけれども、自分自身で自分に問いかける場面が多い、そういう

タイプの出会いだ。

「年金」「働き方」なんかをリアルに語る同年代と思しき人。

たしかに将来のことを見据えることも、働き方も両方大切だとは思う。

だけど、限られた時間の中で、わざわざその話をしなくてもいいだろう、と心の中で毒づくわたし。

今、年金の心配しても、その時まで生きているかどうかもわからないし、仮に生きていたとしても、

必要があれば必要な形で何かはやってくるだろう。

それよりも、その時までいかに楽しめるかの方が大切なんだ、自分は…と気付く。

過去にいた場所と同じ場所にもう一度足を踏み入れたわたし。

それでも、やっぱり人が違えば見ている世界も違う。

ほとんど同じ条件下に生きていても、話の引き出しは人によって全く違う。

気付くと、以前は「年金」の話なんて、誰とも一度もしたことなかったなぁと気付く。

色んなことを面白がって話をふくらませた当時がなつかしい。

そう、何かを楽しむ能力に長けている人たちが多かったことに今気付く。

当時はそれをあまりに当たり前と思っていて、そんなこと特別だとも思わなかった。

見ている世界が違い過ぎて、話もどうしていいものか手探り状態だけれど、とりあえず疲れは

しないことが唯一の救いだと思っている。

そしてまだ再会できていないけれど、タイミングが合えば当時の面白い話をする人たちと再会

できる環境にあるから、それを今からとても楽しみにしている。

そこで色んな愚痴が出たとしても、一緒にぎゃははと笑い飛ばせる位のパワーはある。

そして愚痴だけじゃなくて、他愛もない生産性ゼロの話にお互いくつろぎながら話せる雰囲気、

それも自然と目に浮かぶ。

思い出した。

当時一緒にいた人たちというのは、みんなそれぞれが人生の浮き沈みを体験した人が多かった。

そしてその沈み方がけっこう半端なく大きいものであることが多くて、だから痛みを経験しても

それでも人生まだまだ笑える瞬間があるんだから!というのを素でやってる人たちだった。

どの人の人生の沈んだ部分の話も、仲良くなってからある日突然教えてもらった。

教えてもらうまで何も知らなかった。

だけど、教えてもらったら逆にあの天性の明るさや人生を楽しむ術を持ち合わせている人柄に

大いに納得した。

そういうのって、黙っていても伝わる。

それぞれが見ている世界は違い過ぎるけど、それでも今わたしがいる場所は今何か大切なことに

気付くためにあるんだと思っている。

2015年10月5日月曜日

思い出の共有

今日、大学時代の友達から写真付きでメッセージがきた。

共通の友達が北海道にいて、北海道で2人が再会していた写真だった。

15年ほどあれから経過しているけれど、当時と何ら変わりない2人の顔を見てほっとした。

本当に、当時の顔のまま、今になりました!と言わんばかりだった。

撮影された場所は、とあるカフェの中だったけれど、これは単に場所だけ変わった風だった。

わたしを含めた3人は、大学時代、しょっちゅう夜中に24時間営業のレストランに行った。

チェーン店ではないファミレスというようなお店で、そこでは薄いコーヒーのお替わりを何杯もした。

一応3人とも、各々の宿題を持ち寄り、一緒に勉強するという体ではあったけれど、3人ともまったく

集中できずにいた。

夜も遅いから眠いし、夜中なのにオムレツとかけっこうガッツリメニューを頼んでは満腹になり、

さらなる眠気に襲われたり。

明日テストなのにやばいよ!と言いながら、テキストのページはほとんど進まなかったり。

それでもわたしは、あの夜に3人で自転車に乗って白い息をはあはあ吐き出しながらレストランに

向かった日々を今でもはっきりくっきりと憶えている。

つい昨日のことのように感じることもある。

あの頃は良かったなぁなんて思わないけれど、今思い出すと涙が出そうになる位にきゅんとなる。

本当に好きだったあの日々。

本当に好きだった友達。

もう戻れないからこそ、とてつもない貴重な思い出に変わっている。

当時の自分が30代も半ばになり、友達1人はキャリアウーマンに、1人は2児のワーキングママ

になり、それぞれが別々の場所で別々の道を生きている。

それでも当時分かち合ったものは未来永劫変わらない。

もう取り戻せない過去の時間は、当時から見た未来の今、ものすごく輝いている。

そしてその思いは、決してわたし一人のものではなく、他の2人も似たような思いを抱いていると

思う。

これだけたくさんの人が世の中にいるだけで、あの夜中のレストランと薄いコーヒーのお替わりの

場面を共有できるのは、その2人しかいない。

2015年10月4日日曜日

過去の自分と今の自分

過去の自分にとって、今日は大切な人の誕生日だった。

どんな風にお祝いしたかは大方忘れたけれど、一度は盛大にサプライズも開いたことがあった。

今はもう別々の人生を歩んでいるから、今のわたしはお祝いもしないし、相手も当時とは別の形で

誕生日を迎えているだろう。

今のわたしは昔を懐かしんでいるというよりも、ほっとしている気持ちの方が大きい。

よく芸能人の離婚なんかで「価値観の違い」を離婚理由に挙げているのを見かける。

実に便利な言い回しだと思うし、その相手と決別したのも「価値観の違い」が理由だった。

自分とぴったり同じ価値観を持っている人なんてこの世に一人もいないと思う。

ただ、「大切にしていること」と「されたくないこと」の二つが不一致だと、恋愛関係や夫婦関係のみ

ならず、友人関係でも厳しいかと思う。

その二つが不一致すぎて、わたしは関係を続けていくことが苦痛になった。

この埋まらない不一致感を持ったまま、一緒に年を重ねるのだろうか?誕生日をお祝いするの

だろうか?と考えた時、答えはNOと出た。

もしあのまま関係を続けて今があるとしたら、今日の日をどんな風に迎えただろう。

もう随分前の記憶しかないから、それで想像することも難しいけれども、おそらく今現在の今日の

自分ほど心穏やかには過ごせなかっただろう。

たとえ明日から自分の毎日が大きく変化する局面にあって(←これは本当)、それで不安に感じる

ことが沢山あっても、それでも今の不安の方が受け止めやすい。

今は今で良かった、とさえ思う自分がいる。

毎年は忘れているけれども、今年はなぜか今日という日が何の日か思い出した。

過去の自分にそっと「あの時に決断してくれてありがとう」と言いたい。

2015年10月2日金曜日

会社の品格

ここ数日の派遣の職探しで、新たに登録しようとしていた会社があった。

この数年で何社に登録やら問合せやらしたのかわからないけれども、少なくとも10社は何かしら

こちらから連絡を最初入れたかと思う。

今回1つだけ興味の湧いた仕事があった。

派遣の仕事で、仕事内容を見て「興味を持つ」というのは初めてに等しい。

それは非常にマニアックな職種で、おそらくほとんど求人として上がってこないものだと思う。

そこだけは唯一新規で新たに連絡を入れ、エントリーしたところだった。

ところがそんなこんなしているうちに、過去にお世話になった会社から声がかかり、今は最終的に

そちらに行くことになった。

その新たにエントリーした会社とのやりとりで「あぁこういうところに会社の品格が出るなぁ」という

ものが2点。

最初は、電話対応の時、言葉使いは丁寧だけれどもこちらの質問に対しての回答がものすごく

不親切に感じる内容だった。

こんな言い方してはなんだけど、もしわたしがその派遣会社から仮に派遣されたらころっと態度を

変えそうな雰囲気が漂っていた。

得になる人物であれば丁寧に対応、現時点で得のない人物には適当に対応。

そういう態度が丸わかりだった。

結局、その会社には最終的に自ら「選考辞退」の連絡を含め3回は電話をしたと思う。

最後の辞退の連絡の時に、先方から「では、選考の方はストップさせていただきます」と言われた。

当然ストップがかかっていると思った。

そうしたら1日遅れで、今度はメールの方に「登録会・面談」の案内がきた。

自動返信にしては遅すぎるから、おそらくチェックする担当者が流したものかと思う。

辞退の連絡が社内で共有されていないのだろうか?

どうなっているのかも不明で、とりあえず連絡先にあったメールアドレスにもう一度辞退の意向を

書いて、メールを昨日の夜出した。

少し見物だなと思っていたら、案の定翌日の今日午後9時を過ぎても何もメールがない。

少なくとも、会社側に不手際があったわけで(一連の流れはメールに書いた)、それについては

一言何かあってもいいところ。

登録にもこないわたしには無用なのもよくわかる。

だけど、何か一言言葉を言うことはできないのかな?そこ会社の顔の部分でしょ?と思う。

最終的にご縁のない会社で良かったけど、多分いつかこの体質的なものが大きなものを引き

起こしかねないなぁと思う。

本当にいくつか会社を見たことで、余計とそういう小さなことをどれだけ大事にできるかは、

その会社の直接の利益に繋がっていると思う。

2015年10月1日木曜日

怖い独り言

今日、お気に入りの大型書店に行った時のこと。

まず数人に連絡を入れる用事があり、それをするために書店内のベンチに座った。

その連絡を携帯に打ち込みながら、どこからともなく声がしてきた。

ずっと同じ言葉を繰り返しているようで、最初は自閉症とか何かしらの知的障害を持たれた方が

いるのかなと思った。

その声の主は、何かをぶつぶつと言いながら徘徊していて、そして丁度わたしの近くを通った時、

何を言っているのかはっきりと聞き取れた。

「じさつ、じさつ、じさつ、じさつ、じさつ、じさつ、じさつ……」

多分、「自殺」と言っているのだと思う。

目も少しいっている感じで、言葉と表情がセットになって変な恐怖感に襲われた。

嫌でも聞こえてしまうから場所を移動しようかと思ったけれども、まぁすぐに過ぎ去るだろうと思い、

席は移動せずまたわたしはわたしでメッセージの打ち込みに戻った。

ところが、この声の主はまた近くを通り、相変わらず「じさつ」を繰り返している。

何の根拠もないけれども、声の主は多分自閉症とかではない。

本来は健康な心と体を有しているタイプの人だと思う。

自閉症の人とか、言葉を繰り返すくせのある障害者の方と関わったことがあるからなんとなくは

わかる。

そういう方たちが仮に「じさつ」と繰り返していても、あの変なぞっとする感じはない。

「おはよう」も「ありがとう」も「バス」も「じさつ」も、同じレベルと括るには大雑把過ぎる捉え方では

あるけれど、絶対に不快なエネルギーがのっていないから「あぁ癖なんだな」というのがわかる。

今回の声の主は違う。

何かが確実におかしいと感じるタイプの独り言だった。

ただ他のお客さんに危害を加えてるわけでもないから、店員さんも注意できないのだろう。

そして注意して暴れても困る。

何とも読めない人物すぎて、誰も何も言わない。

わたしももちろん聞こえていても何も言わない。

結局ずっと近くを徘徊していて、わたしの方が耐えられず、ものすごく離れた別のセクションに

移動をした。

不快感や恐怖がとりあえず収まったところで、ふと思ったこと。

声の主は、もしかして誰かの注意を引きたくてあの言葉を言っているのではないかということ。

誰かに注目して欲しかったらもっと他の手段もあるだろうに、そうはできない。

できないのか知らないのかはわからない。

ただ知らないとしたら、寂しい人だなぁとは思う。

生きていて辛いこと、苦しいこと、そんなの誰だってある。

何にも悩みのない人なんていない。

でも、あのやり方では周りも怖くて手が出せないよ、と思う。

話を聞くことも、一緒にげらげら笑うことも、もちろん泣くことも、そういうのって「相手が安心

できる」ってわかるから成り立つこと。

人生でものすごーく大変な思いで生きてきた人、これまでたくさん会ったことある。

それでもそんなことさえも吹き飛ばす位に、魅力的な人間性に富んだ人たちばかりだった。

それこそ「自殺」してもおかしくない位に追い込まれた人も中にはいた。

なのに「怖さ」がないのは、その人が持っている人間性のおかげだと思う。

声の主だってそういう可能性が絶対にあるのに…。

何とも煮え切らない思いを感じた独り言だった。