2022年7月26日火曜日

仕事コミュニケーション

これはアップできるのか(要は最後まで書き切れるのか)どうかわからないけれど、自分側の備忘録として残しておきたい。

久しぶりに仕事でとても腹が立つことがあった。


最近は私がいつも必要以上にお世話になっているMr.ダンディ(会長の次の立ち位置まで上がった人)が間に入って色々調整をしてくれるから、入った当初とは比べ物にならないくらいに仕事を進めるのにスムーズな流れの中で動けるようになった。


ある平日の残業時間のこと。


その日残業してでも終わらせないといけない仕事がようやく終わって提出して、あとは諸々の締切はあるけれど少し先のものたちに手をつけようとしていたら、1通のメールが入ってきた。


大至急の英訳だった。


夕方に来て翌日に英訳をくれという、どうしてこういつも急なのかと思ったけれど、そんなのは本当にかなり慣れっ子になってしまって、部長にも相談して私が即座に取りかかることになった。


そもそも依頼の仕方が色々おかしくて、担当者、若いから若田さんに確認に行って、そのおかしいことを本来のスタイルに合わせて変更することの了解も取って、それでスタートした。


翌朝は朝イチでMr.ダンディのところに行って、英訳の資料を持って行って、日本語がおかしくないか、内容がおかしくないか確認をお願いしますと言ってお願いした。


ほどなくしてMr.ダンディから電話がかかってきて、英訳はストップ、電話越しでそもそものタイトルが気に食わないなどと言っていて、それだけで十分に嫌な予感がしたけれど、とりあえずMr.ダンディの指示を待つことにした。


1時間くらいしてMr.ダンディが私のところに来て度肝を抜かれる説明が為された。


タイトルは全然違っていた。


聞き慣れないタイプのタイトルで、当初私は「現状でも十分機能しているけれど、それをさらに高めるための推奨機能」みたいに捉えていた。


そうとしか捉えられない、誰が見てもそうだと思うタイトルだった。


ところがMr.ダンディから手渡された修正資料は、「現状大問題のため、それを解決するための改善策」という感じで、なんとクレーム案件のものだった。


その後の内容もだし資料の組み立ても全て変更になって、とにかく1からの作り直し、それも英訳以前の日本語資料からの作り直しだった。


私はその時に初めて知らされて、「若田さんが今日本語の方直しているんですか?」と聞いた。


Mr.ダンディと若田さんでやりとりして、きちんと打ち合わせたと聞いたからそのように聞いたけれど、Mr.ダンディもその後どうしたのかは聞いてないと言ったから私が聞きに行った。


若田さんの席に行くと別の仕事をしていて、明らかに今日提出の資料は何にもやっていなかった。


今日本当に提出するのかを聞いたら、「今日だと思うんですけど明日かもしれません」とか「まだやってないです」と平気な顔して言う。


その時点でも私はかなり呆れて物も言えなかったけれども、こいつのサボりのツケは私のところに回ってくるというのだけははっきりとわかっていたから、日本語の作り直しから私がやってもいいならやります、やった後そのまま英訳に入りますと伝えて、本人もお願いしますと言ったから私が1から作り直しを始めた。


そして作り終えた後、英訳も付けていってあと1文で終わるという頃に、1つだけ本人が他の資料を見て数値を調べてもらわないといけない箇所があって、そこが何も言われないからそれをまた聞きに行った。


それについてはMr.ダンディからも最初に指摘されて、さらに私が日本語の直しをどうするかを聞きに行った時にも再度確認していたもので、その頃すでに数値の確認がいるとMr.ダンディから若田さんに言われて2時間から3時間は経過していたから調べてるだろうと思った。


ところがそれをまだ調べていないという。


しかもすぐにはやれないと。


どの口が今日提出と言ってるのかと思いながら、こいつに任せていても何も進まないとわかって、私はとりあえずそれ以外を全て終わらせて、後から自分で数値を入れてもらっていいですか?と聞いた。


こいつのせいで全部が後手後手に回って間に合うものも間に合わないのは本気で勘弁してと思った。


本人も了承したから、英訳が終わったらMr.ダンディに添削をお願いして、そして予想通り本人からは何の音沙汰もなく、私が完了&事務引継ぎ事項を書いたメールを送った後、本人に即電話を入れて、気をつけることを伝えて数値の件もお願いします、と私がお願いするのとは絶対的に違うけれどもとにかくお願いして終わった。


その時も軽く「ありがとうございます」と取ってつけたように言われて、真面目にこの人は人として何か大きく間違えているけれどもと思ったけれど、とりあえず終わったは終わったからそのまま私は手を引いた。


で、通常なら、そこまでの業務負担+引継ぎもあり+上の大御所たち数名もメールに入れられていたら、ありがとうございます、確認しますくらいの返信がくる。


だけど若田さんはそれもスルーして、さらに私の怒りは爆発して、こいつの頼みは二度と受けたくない、そう思ったくらいの惨事になった。


この人、相手が自分の上司ならこんな態度ではないだろうと思うと、あまりにも酷すぎて言葉にならない。


私を下に見たりぞんざいにするのは百歩譲ってわかるとしても、扱う資料たちは重要度がかなり高いわけで(というか今回はクレーム)、それをぞんざいにして対応するとは何事かと思う。


私の立ち位置だと本当によく見える。


クレームだとか会社の外部向け重要資料だとかいうものが私のところにはくる。


変な話、その辺の正社員の人たちなんかと比べものにならないくらい重たい業務が派遣である私のところに来ている。


で、これもまた不思議な話だけれど、上の立場の人たちで本当に人ができた人たちは、私のしていることがどれだけ重要かわかっているから、私や提出する資料をぞんざいに扱うことはしない。


なぜなら私の作るものが客先に最後行くものだから、そこがコケたら本気で大変なことになる。


だからお礼なんかもメールだけにとどまらず直接言われたりもする。


お礼を言われたいとかではないけれども、同じ仕事をするならありがとうと言ってもらえる方が気持ちが良いし、こちらもまたいつどこで世話になるかわからないからできることは次もきちんと自分もしようと思える。


本当にそれだけのこと。


若い子たちでも最初は色々おや!?ってなる子たちでも、途中からは私が何をしていてそれが会社としてどれだけ重大かわかるようになると、きちんとしてくる。


自分がいい加減にしたらまずいことも、さらに色々後手後手にすると自分の首が絞まる結果になることもわかるから、どんどん仕事の進め方が上手にそして丁寧になる。


私はどの時も何にも変わらないけれども(個人的に超イライラすることが前回あっても、グッと飲み込んで目の前の職務を粛々とするあたりは自分でも超偉いと思う自分で言っちゃうあたり)、相手は変わる。


そして良くも悪くも正社員たちが手抜きというか頼まれたことしかしない中、私はとにかく全体を見ないとわからないから全体を見て他にも何か有ればテコ入れするから(もちろん聞いてからする)、そうしたこともプラスに働いてくれてるんじゃないかと思うけれども、とにかく最大限にできることをするという意見が一致するタイプの人たちとは本当に良い感じで仕事ができる。


手抜きをする人たちや全体が見通せない人たち、または見通す力があってもそれをしない人たちは、私からするとどうしてその手抜きが命取りになると理解できないのか理解できない。


例えば不具合が起きた時、家電製品でもみんな真剣に隅から隅まで取扱説明書のトラブルのページなんかを見て該当するところを探して、さらにそこで「Aー1の項目も確認してください」とあったのならAー1だって当然見る。


それでも解決しなくて電話したり問い合わせをすると思う。(会社の実情はよくわからないけれど、少なくとも私が関わるものを見ていると、いきなり何も見ずに問い合わせはされなくて、客先もあれこれ手を打っても万事休すでそれで問い合わせされるケースがほぼ100%)


だから、頼まれた英訳が一次該当部分でもそこにAー1的な指示があればそれも見るし、資料と英訳資料が別の紙という時も往々にしてあって、そんな時は必ず突き合わせて資料側と英訳資料側の内容が合致しているかを確認する。


とかいうことをやらない人たちもけっこういて、だからそういう手抜きがさらなるクレームになるという意識のある人たちとは年配者でも若人でも話がスムーズだし、自分はやる気はないけれど言われたからやってるみたいな無責任な態度の人とはとりあえず私が気付いた範囲のことは確認してでもやる。


でももう手を出せないところはどうなっているのかわからない。(そしてうんと後で手抜きされたと思う資料たちなのか担当なのかが火付け役となって新たなクレームや問題が持ち込まれることもけっこうある


色々書いたけれども、若田さんとのやりとりは本当にイライラしたし、真面目に人として私はどうかと思っているくらいにダメだと感じている。


同情は全くしないけれど、人によって態度を変えたり相手が下とわかると大きく出るタイプの人は、自分もそれをされていてそれの鬱憤晴らしだったり、しても良いというおかしな解釈になってしたりするらしい。(どこぞの心理学者みたいな人がコラムに書いていた。)


仮にそうだったとしても、私はとてつもなくくだらないと思う。


色んな人たちがいる中で本当にできる人や本質がわかる人たちは、相手が上とか下とか関係なく人としての配慮や気遣いはしている。


それは1つの仕事を取っても自分1人で完結するものではないとわかっているから、末端の人たちの仕事にも配慮があるし、責任の大きい小さいはあっても小さいからそれが為されていて当たり前みたいな態度じゃなく自然とありがとうやお願いしますを言われている。


Mr.ダンディなんかは本当に上なのに、私に対しても他の人たちに対しても一律に個々にお礼やお願いしますを常々言っている。


とにかくとてつもなく残念でダサいことをしでかした若田さんの一件は、後味の悪いものになって終わった。







話は変わって、もう1つのストーリー。


名前を色々考えたけれど、背が高いから高井さん。


気付いたら高井さんの席は空席になっていた。


Mr.ダンディの席に行く度に、その少し先にいる高井さんの席も自ずと目に入った。


そしてある日気付いたら高井さんはいなかった。


時々駐車場でも見かけていて(何百台分とある中の同じ区域の駐車場)、最近見ないなと思っていたらいつの間にか本社勤務の東京に戻ったとのこと。


高井さんは仕事で一切の関わりがなく、挨拶をする仲でもなければ本当に何でもない間柄の人。


ある時、滅多に人のことなど褒めないMr.ダンディが手ばなしに高井さんのことを褒めた。


これ私が聞いても何ら意味がないというか私にとってのプラスになる話じゃないから、どこかタイミングを見て本人にさらりと知らせようと考えていた。


なんとなく機会を伺っているうちに東京に戻ったと聞いて、さぁどうしようかと思った。


社内メールがあるから伝える手段はある。


けれど、本当にするのがベストなのか判断がつかずにいた。


した方がいいだろうと思ったけれども、そこまでする必要があるのかなと、ごちゃごちゃと迷い出した。


そうだ!と思い付いて、ノムに連絡をした。


私の質問に対してノムのペンジュラムでYESNOかを見て欲しいとお願いした。(ノムには後から説明するけれど、最初にお願いする時は精度を上げるために内容は一切伝えずYES NOだけを見てもらう。)


前も似たような質問を別の人の件でした時があって、その時はうんともすんとも言わずに「何も反応がなかったよ」と教えてもらって、そしてその時は色々タイミングが合わずに何も伝えずに終わった。


今回も違うから違うと出たりはたまた反応がなかったりするだろうと思った。


そうしたらノムからは

「ペンデュラムのこと、尋ねたらYesだった(念のため聞いたNoですか? の問いにはNoが出た)

どちらもしっかりと動きを示してくれたよー。」

と早々と返ってきた。


ノムは絵の展示開始直前で多忙なのに即返してくれてとてもありがたかった。


ノムに事情やお礼やらを伝えて、そしてとりあえず近いうちに高井さんに何かしら書いてメールを送ろうと決めた。


その日は早々ときた。


上に書いた若田さんの件でプンスカプンスカとしていた後、「そうだ!気持ちの仕切り直しをしよう!」と思って高井さんにメールを書くことにした。


挨拶とかはしないものの、通路とかですれ違ってお互い真っ直ぐに歩いたらぶつかるよという時に、互いに少し脇に逸れてすれ違う時にペコペコと会釈をした時があって、少なくとも高井さんは常識のある好青年だろうと思った。


最初に軽く自己紹介をしてMr.ダンディの言葉をなるべく忠実に書いてさらには私の感想などまで書き添えた。


感想というかMr.ダンディの評価を私がさらに分析して感じた強みを書いた。(そういうのはとても得意だから、他の人たちよりもけっこう感覚的にバババッとわかるところがあると自分では思っている。)


書いていて、多少の緊張感はあるもののとても気持ちが良く、こういう気持ちで日々過ごせたら御の字だなと思った。


内容的に何か大切なもの、それも一生に一度聞けるか聞けないかみたいな内容を伝えていると思うと、勝手にやっていることだとは言えどもそれをさせてもらえることがなんだか誇らしかった。


若田さんの後だったから余計と高井さんのメールは気持ちが穏やかでやさしくなれるものだった。


金曜日の終業間際に送って、私はそのまま速攻で帰ったけれど、その後高井さんからメールの返信が来ているのを月曜日の超絶やる気ナッシングな朝に知った。


丁寧なお礼と少し気恥ずかしいけれども素直に嬉しいという感想が付いていた。


「気恥ずかしい」という言葉がなんだか高井さんの雰囲気と重なって、その言葉の使い方と本人とがマッチしていてなんだかすごく良かった。







高井さんの裏話を少し。


個人的に高井さんと直接話してみたかった。


結果的にメールになって一番良かったと思うけれど(直接伝えるにはあまりにもいきなりすぎてハードルが高すぎるとはずっと思っていた)、全く別の理由で高井さんと話したかった。


高井さんはほんの少しだけイケメン上司と似ているところがあった。


それは高井さんもイケメンなところではなくて(高井さんの部署は顔面接があるんじゃないかとまことしやかに噂されていて、たしかに現メンバーも異動した前メンバーもみんな揃いも揃ってイケメン。個々の能力は高いのは当たり前、プラスイケメン。さらに高井さんは背も高くて細いからモデルみたいな体型)、言葉数は少なそうだけれど意志がしっかりしてそうなところとか、穏やかそうなところとか、全くの別人だけれどどことなく似ている。


もし高井さんとイケメン上司とが同じクラスにいたのなら、2人は仲良しになっててもおかしくない、そうなるのが自然と感じる、そういう言葉にするのが少し難しいところの共通項みたいなのがある。


だから高井さんがどんな風なのか少し興味があった。


ちなみに気恥ずかしいだの素直に嬉しいだのと書いてあったのを見て、イケメン上司もこんなこと言うかな?と想像してみると、高井さんのような言葉のチョイスはしなさそうだと勝手に思った。


恥ずかしいも嬉しいも感情に基づく言葉で、そういうことをイケメン上司がさらりと言えたり書けたりする気がしない失礼な物言いになってないと良い( ̄∀ ̄;)


あぁでも、丁寧な感じはイケメン上司が書くメールの感じに似ている気もする。


一度書庫のようになっているファイル置き場のたくさんのファイルの中から特定のファイルを探さないとで、その時に偶然イケメン上司が外部の方に諸々事務連絡をしているメールが印刷されたものが挟まれていて、私は一人歓喜して最初から最後まで読んだし、そこに行く度に読めるようわかりやすい場所にそのファイルをこっそり移動させた記憶もある。


過去のどこかのブログに書いたような気もするけれど、イケメン上司の書くメールはとてもわかりやすくて端的に伝えているのに丁寧さも伝わる、若干クレーム的な内容を相手に伝えないといけない時も怒りとか納得のいかなさとかそういうのは伏せて、具体的にどう困っていて自分たちとしてはこうしたい、でも相手には相手の事情があるだろうからそこも配慮して確認する、そういうことたちが短い中に全て含まれていて、クレーム対応の仕方の見本メールみたいだった。


個人的に、仕事ができる男の人たちは超かっこいいと思っているけれど、イケメン上司もそのメールを見ただけで私が感じていた以上に仕事が超できる人だと伝わってきた。(見つけたのはイケメン上司が転勤した後)


一緒の職場でイケメン上司の働きぶりを間近で見ていた時も仕事ができる人だというのは色んな場面で伝わってきたけれど、そのメールを見てさらにすごい人だとわかった。


仕事の仕方は本人の努力や性格がかなり影響していると思うけれど、どうして天は二物も三物も1人の人に持たせるのかと思うくらいにイケメン上司に与えすぎでしょ?と思う( ̄∀ ̄;)


顔良し仕事力良しなんてズルすぎる。仕事は本人の努力や積み重ねなのに、ズルいと言う言い方はいかがなものか


話がどんどん逸れたけれど、高井さんのメールの文面の雰囲気はイケメン上司のそのたった1案件に関わる数回のメールしか見てないからそれしか比べる材料がないけれど、少し似ている気がする。


高井さんはそれ読んで仕事がんばれそうだというようなことも書いてくれていたけれど、それ読みながらイケメン上司の場合はどうだったんだろう?と想像してみた。


このブログの中でも手紙の中でも、私は自分が知っているイケメン上司の強みや良いところ、資質なんかは言葉にして伝えてきた。


それらを読んで「よしっ!明日からの仕事もがんばろー!」なんてなるんだろうか?


想像するのも色々恐ろしいものがあるけれど、ほんの少しでもそのような貢献ができたのならいいなぁとひっそりと願っている。


期待はしていない。


だけど無駄にダラダラと長いんじゃなくて、ごくたまにでもいいこと言うんだな、なんて思ってもらえたらものすごくうれしい。







日にちをまたいでブログを書くと、思わぬ方向に話が毎回飛ぶ。


今回も若田さんバーサス高井さんの話の予定だったけれども、私の意識の強いところが言語化されたら結局はこんな風になった。


高井さんみたいに少しでもイケメン上司の何かと重なる場合は、意識はあらぬ方向に向かって気付いたらこんな風になっている。


もっと書こうと思えばいくらでも回想シーンやら自分の脳内回路やらを書けるけれど、それをやりだすとまたいつアップできるかわからないから、今回はこのくらいにしておこう。


タイトルもまさかイケメン上司の話も書くとは当初思っていなかったから、2人の違う人物とのやりとりにまつわるものを思いついていたけれど忘れてしまった。


イケメン上司の仕事ぶりも加わったから、今一番良いなと思っているのは『仕事コミュニケーション』。


残念ながらイケメン上司のコミュニケーション相手は私ではなかったけれど、イケメン上司が仕事をする時は必ずその先に誰かいるわけだから、『仕事コミュニケーション』で良い気がする。


すごいまとめ方だけれど、私もせめて職場では猫でもかぶって良い人のフリしてコミュニケーションを取ろう。

2022年7月24日日曜日

不安の吐露

このブログを書こうと思い立った時のホロスコープ
後から少しだけホロスコープ用語が出てくる
横の太い線が地平線軸
斜めの縦の太い線が子午線軸
ホロスコープではそれぞれ重要な意味を持っている


2022/07/20

今度の今度こそ愛想を尽かされて、ブログなどどうでもよくなったのかもしれない。


イケメン上司がブログを見てないことが続いている。


単に忙しいのかもだし、流行りのコロナで療養なのかもだし、または彼女とか彼女候補がいて忙しいのかもしれない。


いずれにしてもブログは見ていない様子。


それに伴って私の心の中もグラグラ、色んな思考が飛び交い、感情もユラユラ不安定、そういうものと一体化したりちょっと離れて見て傍観したりなんかを繰り返している。


ここ最近、ずっとずっとイケメン上司にまつわる話ばかりをしていて、重たいとか飽きたとかウザいという言葉がいいかわからないけれどウザい感じとか、そうなってもおかしくないと思った。


ブログも他にも色々過去の下書きがあるわけだから、イケメン上司のことからは離れてそちらをアップすることもできないわけでもないけれど、そちらは気が進まず、気付けばイケメン上司のことばかりおんなじようなことを繰り返し繰り返し書いている。


本当に伝えたいものだけに的を絞って書かないようにすることも考えたけれど、それは私の自由だから私がやりたいようにやればいいんじゃないかと得意の開き直りもした。


私としては、今の状態がかなり怖いことになっている。


今現在の星回りは、人生の中でおそらく一番強烈で本当に字のごとく強くて激しいエネルギー渦の中にいる。


自分自身そのものと社会での自分自身とが否応なしに変化することを求められている。


変化するというそんな自発的な感じというよりも、「変化させられる」とか「変化せざるを得ない」とかいう外部からの影響が強く働いている、そんな感じ。


そういうことに変化が出てくるということは、一般的に考えて人間関係の方にもじわじわと影響が出てくると私は思っている。


なんだか知らないけれど、奇跡的にこれまでイケメン上司とブログというツールで接点が出るという嬉しい想定外の出来事に見舞われたけれど、もしかしたらもうイケメン上司側の意図とか私側のこの混沌とした変遷期みたいな先には、どうやっても繋がらない、接点も全て無しになるという流れが出てきてもおかしくない。


これまでが恵まれすぎていただけで、常々何が良くてイケメン上司がこのブログを見てくれていたのかもわからなければ、他にもっと興味や関心が向くもの、重要なもの、それは人と言ってもいい、そういうことがイケメン上司の人生に出てきたのなら、いつだって私というかこのブログの優先順位などガクリと下がり、さらには生活パターンの中にさえいられなくなるだろうというのはこれまでも今も思っている。


重要度がどうにも低そうなこのブログは、唯一小さな接点と呼べるもので、それさえも私は今なのかこれからなのか失おうとしている。


気のせいであって欲しいけれど、そんな簡単に片付けられそうにもない。


離れるイケメン上司と切り替えのできない私という図が今も目の前にある気さえする。







話は少し逸れるけれど、夏の終わりにスピリチュアル的なことを盛り込んだ合宿というかお泊まり会みたいなものを計画していた。


ノムとその友達が発案してくれて、私に合わせて新潟で開催しよう!と途中まで話が進んでいた。


そうしたら、色々変更に変更が重なって、開催の意志は今もみんながあるけれども、結局夏の終わりの開催は断念せざるを得なくなって事実上無期延期に今現在なっている。


それは話すととても長くなるから書かないけれど、それについてノムとあれこれ話していた時にノムの言葉でものすごくしっくりきたものがあった。


「アングルにトラサタの今、自分の側で好き勝手やれることはほとんどないのかもね。笑   必要しか起こらないというか」


少しだけ解説すると、「アングル」と「トラサタ」というのはホロスコープの用語。


アングルは、地平線軸と子午線軸を指す。


冒頭のホロスコープの例で言うと、円の横の太い線が地平線軸になって、斜めの太い線が子午線軸になる。


「トラサタ」というのは正式名称「トランスサタニアン」で、天王星・海王星・冥王星を指す。


公転周期は、天王星が84年、海王星が165年、冥王星が249年で、例のホロスコープで言えばそれぞれが円を1周するのに84年、165年、249年かかる。


だから生きている間に必ずしも自分の生まれた時のホロスコープの地平線軸や子午線軸に対して、トラサタトリオたちが通過するとは限らず、通過せずに終わる人たちももちろんいる。


ちなみに地平線軸と子午線軸は、生まれた時の町の緯度経度と生まれた時刻によって千差万別だから、組み合わせの種類は無限大にある。


特に時刻側は4分に1度ずつずれていくから、双子でさえも別の軸を持つことになる。


余談だけど、占星術講座を受けていた時に私と同い年で1日違いの誕生日の人がいて、トラサタのような遅い天体たちもそうだし、太陽と月以外はほぼ同じ位置に天体たちを持っている同士でも、地平線軸と子午線軸が全然違うからまるっと別のホロスコープにそれぞれなっている。


そんな中、今現在の私は、生まれた時の地平線軸にピッタリと天王星(84年)が、そして生まれた時の子午線軸にピッタリと冥王星(249年)が0〜1度で重なっていて、そんなすごいことは一生のうちで今回だけだし、そもそもそんな風に2つの公転周期の遅い天体が同時に軸に重なる人なんてあまり聞いたことがないから、とにかく強烈、それも自分じゃどうにもならない感じの強烈さをひしひしと感じている。


ちなみに地平線軸も子午線軸も「宇宙との接点」と呼ばれる地点で、人間個人の力でどうこうなるようなそんな影響ではなく、本当にぶっ飛んだことが起こるし、その後の人生をガラリと変えるぐらいの影響力がある。


地平線軸側が「私」に、子午線軸側が「社会の私」にそれぞれ影響する。


ノムが言った「自分の側で好き勝手やれることはほとんどないのかもね。笑   必要しか起こらないというか」の話に戻る。


それはスピ合宿だけじゃなくてありとあらゆることも当てはまると思うし、その中でも人間関係なんかはもっと自分の意志でどうこうできるものじゃないと思う。


*****


上のことの続きを書きたいと思うけれど、発狂しそうな感じだった数時間前(幾つもの暗い想像をして、本気でイケメン上司と私とはthe end、この先一切の関わりが無くなることの覚悟をし始めた)、イケメン上司がブログを見てくれただろうことがわかった。


それがわかったらなんだか張り詰めた気持ちや空気にも穴が空いて、気持ちが楽になって、そうなると緊張感と悲壮感漂いまくりの話もまた変わってきて、だからそれらが緩和して変わった状態だけれども基本的にいつの時もある不安には変わりないから、それをそのまま書きたいと思う。


*****


この5年という時間で、自分の状況は年単位で色々変化したわけで、オカルト体質も時間を追うごとに顕在化してきて(見て見ぬフリもできなくなって)、人間関係も色々変化して、そんな中でどういうわけかイケメン上司がブログを見てくれるという有り難い状況だけは続いてくれた。


だけれど、そんな宇宙の接点と呼ばれるアングルの片方のみならず両方の地平線軸と子午線軸にトラサタの天王星と冥王星が重なっている今、自分の意志だけではどうにもならないことも色々出てきているし、止まらない止められないものもこの後も色々出てくるだろうと思っている。


そんな中で、「不要」と判断されるものたちは、全部リセットされていくんだろうなと思っている。


その中でもイケメン上司とのこのよくわからないマニアックな感じも、私はいいなと思っていても、そして私側はものすごく必要性を感じていても、そもそも必要か不要かと問われたのなら「不要」と判断されてバッサリと切られるというか無くなる可能性はとても高い。


いつの時も「いつかは無くなってしまう」という言葉では表せないくらいの不安や恐怖は私の中にずっとある。


自分がイケメン上司にとって何者でもないということは常々わかっているから、そもそもこの状態の方が恵まれただけであって、いつ無くなっても何ら不思議じゃない。


これまでは色々ぶっ飛んだことがあってもイケメン上司側が私のブログを見ることに変化はなかったけれども、最近は色々と怪しい。


そちら側も自分じゃどうにもならないくらいに望んでもいない変化が出てくる可能性がある。


ノムが言うように、必要なことしか起こらないのがトラサタだし、そして必要・不要の判断も人間の頭で考えて選ばれた通りになんかいかない。


例えばイケメン上司の意思で私のブログを見ないと決断するのだって、そんなのは私がどうこう自分の努力で変えられるものじゃない。


とにかくアングルにトラサタが重なっていて何が起きてもおかしくないという今、ある日突然イケメン上司がブログ卒業なんていうイベントが起こってもおかしくない。


その不安は常に自分の中にあって、自分としては不安にもそうだし、本当に最悪な状況を想定した未来の状態にもだし、どちらにも自分が上手い具合に消化したり適応したりする力を付けていくしかないなと思っている。

2022年7月18日月曜日

『未公開・準備中』より

私のiPhoneの「メモ」の中のフォルダたち



2022/07/17

『未公開・準備中・イケメン上司』と題したフォルダがiPhoneのメモの中にある。


今日7/17現在、1910個の色んなメモが入っていて、その多くはこのブログの下書きになっている。


『未公開』と銘打ったフォルダ各種は、基本的にブログにはアップしていない、まだ下書きの状態を示す。


で、『未公開・準備中・イケメン上司』の中の6個の記事のうち、2つほどけっこうガッツリと書いたものがある。


その2つを見直して、手入れはしないけれど(するとするなら、もしイケメン上司の名前がまんま入ってる覚書のための箇条書きがあればイケメン上司の名前を消す程度)、今回アップしようかと思った。


自分のこれからの身の振り方について今色々迷走しているから、そのことを書くことも考えたけれど、それは気分が全く乗らず書く手が進まないからやめた。


それは書かない可能性が高いけれど、1つだけ自分の中ではっきりとしたものが出てきたからそれだけは書き残そう。


「自分の在り方に対して、自分が納得できる形を選ぶ」


オカルト体質を今後どうするかと思っている最中だけれども、それを積極的に使いたいという気持ちはないけれど、使わずに死ぬとそれはものすごく後悔が生じるだろうから、それでその自分の持っているものを使うことを考えよう、それを使う在り方を模索しよう、今はそんな心情。





2022/07/18


この下にある未公開のものは、もしかしたらどこかでアップしたかもしれない。


同じようなことを繰り返し書きすぎたから、実はもうアップしていて、アップしたフォルダに移し忘れただけかもしれない。


一応検索してみたら、どうやらアップはしてないみたいだけれど、単に上手く検索に引っかからなかっただけかもしれない。


アップしてない方の可能性を信じて今回アップしたいと思う。


きちんと数えていないけれど、iPhoneでブログの下書きを書くようになってから、少なくともこの数年で100以上の未公開分の下書きがある。


どれもこれも書き途中でやめてそのままになっているものたち。


他のテーマの書き途中のものはどうでもいいけれど、イケメン上司にまつわる下書きだけはアップしてしまいたいと思っている。


その理由はただ1つ。


イケメン上司に届けたいから。


私の自己満でしかないけれど、届くのなら何でもいい。


伝わらなくていい、理解されなくていい、でも形だけでも届けることを確実なものにしたい。







この次の*より下が当時の下書き。


本当に下書きのままにしている。


本文と途中で「オマケ」としている間にかなりな空白があって(これでもそこはけっこう狭めた)、多分もっと書こうとしていたんだろうなと思うけれど、そこはあえて書き足さない。


その後にさらに2つほど「・」となって箇条書きされていて、それを多分本文として書こうとしていたんだと思う。


最後に「2021/11/13」の日付で短い文章があって、それはこの内容とは別に下書きに入っていたものだけど、おそらく合体させて書こうとしていたんだろうなと思う。


これはまだ短い方だけど、もうひとつの方がガッツリ書いていて長いから、もうこれはこのままブツ切れ状態でアップしようと決めた。


こういう感じで普段から書いている。


「これ書こう!」と思うと、とりあえずすぐには書けないと下の方に後から書き足せるように簡単な内容を箇条書きしておくし、なんなら順番が自分の中にあると、先に思いついた方を書くから、そうなると本来なら最後にくるものを先に書いて(今回なら「オマケ」の部分)、真ん中の本文を後から書くなんてしょっちゅうある。


ブログにアップする時はきれいにそこそこ整えているけれど、書き途中はまさに下のような感じになることが多い。


そんなこと公開して何になるのかわからないけれど、とりあえずそんなことより中身が大事だからこのままアップしようと思う。







つい最近、とある人にメッセージをキャッチして、キャッチしたものを書いて送った。


その時は特には何も思ってはいなかったけれども、今頃になってはたと気付いたことがある。


「書きたい」衝動というのは、いつでもどこでも湧いてくるものではないということ。


むしろ、「書きたい」という意志で書く手紙やメールというのは、私の場合極端に少なくて、もっと言うと過去の自分の体験の中で「書きたい」と思って書いた手紙はとてつもなく数が少ないことに気付いた。


2021/12/19()







もし、もう一度あの手紙を書けと言われたのなら、絶対に書けないとわかる。


あんな風に突き動かされて、ひたすら手を動かして言葉を出てくるがままに綴って、本当に我を忘れて目の前の紙にひたすら自分というものを落とし込んでいった、そんなことはもう二度とできない。


冒頭に「書きたいから書く」と書いたけれど、あの時は書きたいとか思う前に体が勝手に動いていた。


自分でも自分が何をしようとしているのかわからなかったくらいに、とにかく考える隙も与えないくらいに体が先に動いていた。


何を書くと言うんだろう?


自分は正気なんだろうか?


そんな事たちを思った記憶はあるけれども、全てはなるようになれ!と半分以上は投げやりな感じで始めた。


あの時は無我夢中だったからよくはわかってなかったけれども、あの時から4年以上が経って、時間が経てば経つほど当時のことがいつまでも深く自分の中に残ることに気付いた。


「記憶は感情で残る」


人づてにもらった書き起こしの文章の中にあった言葉。


言葉の通りで、当時の手紙を書いたことやその前後のことは、感情よりも感覚として強く残っている。


あんな感覚、人生の中で他に体験したことがないから、今となっては本当にその時というのがとても特異だとわかる。


今やらなきゃ後悔する、そんな風に思って動いたのでもない。


本当に何かとてつもなく強い力に急き立てられて、それで手紙を書いていた。


頭ではとてつもなく変な事をしている自覚はもちろんあった。


自分は正気じゃないどころか狂気の沙汰だと思った。


本気の嫌がらせとしか捉えてもらえなくても仕方ない、そんなぐらいにすごいというか酷いことかもしれない、そんなことをしていた。


なんだけれど、まるで動物みたいに、本能みたいな感じで考えるより感じたまま、ひたすら書き続けた。


最近のどこかのブログに書いたけれど、もし戦争がある時代に生きていたとするなら、戦地に赴くかもしくは戦地に赴く人を見送るかどちらかの立ち位置の人みたいな感覚に近いものがあるんじゃないかと思う。


戦地から書いて送る人は、もう自分が生きて帰れない、二度と会えないことを覚悟して書いたものだって絶対にあったと思うけれど、本当にそんな風だった。


もう二度と会えない、それを覚悟して書いた、今振り返るとそう思う。







オマケ:前回のオカルト日記4の写真の中には、実はタイトルだけじゃなくって本物のお守りも一緒に写り込んでいる(o´`)

右上の白い四角のものは、上手い具合にボケてくれたから、自分でも超拡大して見てみて何にも読めないとわかってそのままアップした。

だからタイトルの中に『お守り』と書いたけれど、実際には写真の中にもこっそり一緒に本物の世界で1つだけしかないお守りも写っていた。





・何にも繋がってない

と思うよりも、なんか繋がってるよね、と思ってる方が自分が安定する


・手紙は大切に保管されてる気がする

実は最初からそう思わなくもなかった。

だけどそうだと思うことがあまりにも怖かった。


2021/12/23







2021/11/13


手紙だと届けられるのです

普段言えない心の内


(引用元失念)