2023年1月30日月曜日

舞台裏その5ー9ヶ月後にアップされるB面

2023/01/29
43歳残りの1ヶ月意識すると良いこと、としてカードリーディングした時の様子
下に敷いているのは手作りのカード用のマット
手作りのカードマットはエネルギーがこもっていて良いと言われるけれど、それよりも私なんかは単に自分が作ってそれを使えることにテンションが上げ上げになるそのことがわかった(笑)
それでリーディングの精度が上がるかどうかはわからない…

新しいカード用のメモ帳ノートに
最近取り寄せた妖精のシールを貼ってアレンジ
あまりにも可愛くてツボすぎて、
ノートの中身じゃなくて表紙ばかりを
眺めてしまう( ̄∀ ̄;)

2023/01/27
粉雪が降っていてさらに気温が低くて
そのおかげで雪の結晶がかなりはっきりと見えた日

この写真を拡大して見てみると
雪って本当に「結晶」でできてることがわかる
ちなみに雪の結晶は1つとして同じ形がないと
何かで聞いたことがある

木に雪が積もっている幻想的な風景は
わりと好き
(あくまでも車内とか暖かいところに身を置いて
眺めるのが好き)

最強寒波と言われた後の大雪の日
わかりにくいかもだけど、圧雪の雪道と融雪パイプがあって路面が出ている道
そのちょうど境目はスキーモーグル級のようなコブができていて、車の運転は毎回強烈な凸凹道でものすごく神経と集中力を要する
どんなに科学が発展しても自然の力には勝てないし、こうしたでこぼこの雪道は車の運転を初めてした20年前も今も何も変わらない(꒪ꇴ꒪〣)



2023/01/30

80個近く溜まったブログの未完の下書きをパラパラっと見てみた。


これはほぼ完成していたのに、多分だけれど最後の最後に箇条書きにして書いたところをもう少し書き足したかったのかなと思うけれども、去年の5月の私が何を考えていたのか9ヶ月後の私が覚えているわけもなくずっと下書きに入ったままになっていた。


5月に書いた当時のまま特別何も手を加えずにアップしたいと思う。


ついでだから今わかることを少し書き足しておきたい。


文中に時々「前のブログ」みたいな言い方をしていて、私も何を指しているのかわからなくて当時アップしたブログの下書きを見てきた。


何が驚いたって、今回のシリーズは『舞台裏』と題してすでに4つものブログをアップしていて、これが実質5つ目のブログでこれでシリーズを締めようとしていたこと。


1つくらいは書いたと思っていたらすでに4つも!


とりあえず中身がかぶってないみたいだったからアップしても大丈夫だなとわかった。







当時のことを読んだ今の個人的な感想など。


2023年の1月はまたまた寒波到来で休日は家にこもることが多くて、その家ごもりの時にカードリーディングを先週、今週とやった。


新しいカードデッキ(カード1セット)を迎えたこともあって、そしてそれがとても好きなカードなのと今はこの1年近くで集めたカードリーディング用のグッズもあるからそのグッズを使いたくてウズウズしているのもあって、それで連続して週末にカードリーディングをやった。


ちょっと手法が違うというのももちろんあるにしても、5月の頃に書いた風な「カードを見て瞬時に色々わかる」というのはやっぱり当時はとっても特殊だったんだと思う。


この3ヶ月くらいでカードの選び方や読み解き方をだいぶ変更したからそれで「瞬時に色々わかる」ことは今は少し難しいやり方にしても、やっぱりカードが出しているメッセージを紐解く前にストーリーが一気に浮かび上がるなんて当時も今もとても特異なことだったとわかる。


今のやり方に比べると当時は質問が具体的だったことも手伝って瞬時にカードから言葉が出ていたのかもしれないけれど、それでもやっぱり特殊は特殊すぎたことには変わりない。


読み返していても瞬時に記憶は蘇らなかったけれど、1つ前とされるブログを読んでみて、「カードを見て瞬時に色々わかる」感触をなんとなく思い出した。


ずいぶんと踏み込んだことをガンガン書いている自分にゾッとしながらも、瞬時に思い浮かんだことをそのまま当時は言葉に起こしていたことは読んですぐにわかったし、それだけくっきりはっきりと来たらもう他の言葉で誤魔化したり隠したりもできないから本当に自分がキャッチしたままのものをダイレクトに書いたんだなと思う。


今年はそんなことするかわからないし(頼まれることが万が一にでもあれば喜んでするけれども、そうでない場合はその時の気分というか気持ちの向き方次第)、するしないどちらにしてもうっかり1年過ぎましたとなるのは避けたいから今アップしようと決めた。


「頼みたい!」なんていう嬉しいお願いが飛び込んできたら喜んでします、今年も!


ちなみに当時の文中に友人ノムへのコテコテの手作りのプレゼントの話が少し出てくるけれど、ノムは裏切ることなく本当に大喜びしてくれたし人生の中でこれほどまでに自分だけに向けられたプレゼントを受け取ったのは初めてのことだと教えてくれた。


ノムのプレゼントみたいな明るい要素が思い描けなかった当時のことは、そこだけは9ヶ月経とうが1年近くになろうが何のブレもなくとても鮮明に記憶に残っている。


悲しい記憶や心がキュッとなるような記憶は相変わらず鮮明に残るんだなぁなんて思いつつも、それさえも生きているからこその特権だななんて思ったりもする。


とにもかくにも、当時せっかく書き上げたものだからそのままアップしたいと思う。







2022/5/30


これは舞台裏ではなく私側のストーリーになる。


イケメン上司にしたカードリーディングが、結果的に私のオカルト的な、良く言えばサイキック的な能力をまた上げてくれる1つの大きな転換点になった。


イケメン上司側はそんな気がないのはわかるし、私だってそんなことを期待してやったのとは違う。


だけど、結果としてそうなった。







ゴールデンウィーク少し前からバタバタと仕事+町内会+家族の役割が重なって、とにかく体を休めたり心の休息を強く欲して、タロットカードにペンジュラム、ペンジュラムボードの読み取りをやめた。


興味が失せたというのではなくて、とにかく外側と自分の内側が落ち着かなくて、とりあえず1つまた1つと外していったら、オカルト的なことから離れた生活を始めた。


ちなみに最近の土日は、サスペンスドラマを中心に録画した番組のテレビ視聴をすることが多くて、タロットは無期休止状態に近い。


ペンジュラムは日常生活ではバンバン使っているけれど、特別に何かオカルトじみたことはしていない。


さらなる余談だけれど、今の星回りというのが私の人生の中で多分1番2番の強烈な感じで、そのせいなのかなんなのか心身共々しんどかったり疲れやすかったりして、こんな時に自ら何か爆弾を生活に投入なんかしたくないから(それこそ布団で寝ていても起こることは起こるみたいな星回り)とにかくおとなしくひっそりと日々生活している。


これだけオカルト的なものたちから離れているし、言うなれば今はイケメン上司が新潟にいた時にかなり近い生活スタイル、ペンジュラムを使う以外はごくありきたりな日常、ということを実に5年6年ぶりに送っている。


とまぁ、とにかくどれだけオカルト的なものを抜いた生活をしているのかをアピールしたくてここまで説明したけれど、それには理由(わけ)がある。


これだけ離れていて、さらにはひとつ前のブログにも書いたように2ヶ月前にしたイケメン上司向けのカードリーディングの内容はかなり詳細を忘れたにも関わらず、私は今でもものすごくはっきりとイケメン上司のカードリーディングをした時の感触を覚えている。


今回、2ヶ月も間を空けてからもう一度当時を振り返っていることもあって、より一層その感触の鮮明さや強さがもっともっと伝わってくる。


イケメン上司の誕生日メッセージ向けにペンジュラムで選ばれたタロットカードを一斉に並べた時のこと。


特定の質問に対してカードを並べる方法を取ったけれど、とにかく見た瞬間にバババッとストーリーが浮かんだ。


私は映像が見えることもないし声みたいな感じで何かが聞こえるタイプでもない。


強いて言うならば、言葉で何かを掴む感じだけれど、言葉だってはっきりと輪郭があるわけじゃなくて、英文とかを読む時に何となくの感覚でわかってもそのわかったことを日本語に置き換えろと言われても即座にはできない、そんな感じに似ている。


例えば、「I have a pen. The color is red. I bought it near my high school.」という英文を読むとして、これを読む感じに似ている。


これがもし「私はペンを持っています。色は赤です。それを(卒業した)高校の近くで買いました。」と日本語で書かれていたとするなら、断然日本語の方が意味もわかるし様子も目に浮かぶ。


英語だと日本語ほどくっきりはっきりと見えない掴めない、けれど言わんとすることはわかるみたいな、そんな感じが私が何かをキャッチする時の感覚に近い。


とにかくそんな風に瞬時にストーリーみたいなものがわかった。


さらには、そのスピードも半端なく速くて驚いた。


例えば「昨日、夕飯何食べた?」って聞かれたら、多くの人は「えっと」と昨日の夜を思い出そうとするところから始まって、「で、何食べたんだっけ?」という風になると思う。


即座に記憶は引き出せないし、下手すると数分思い出すのに時間がかかるとか、もっとひどいと覚えてないとか、そういうことになりがちだと思う。


でも質問が「1㎝って何㎜?」だったのなら、迷うことなく「10㎜」ってみんな即答する。


それに近い速さでイケメン上司側のストーリーがカードから読み解けて、その感覚こそが2ヶ月経った今もものすごく強烈に残っている。


何であんな風にわかったのかはわからない。


間違えている可能性も大いにあるかもしれないけれど、間違いかどうかよりも、カードを見て即座にストーリーが浮かび上がる、そのプロセスと速さこそに私は完全に度肝を抜かれた。


で、これはわりと早い段階で気付いたことだけれど、タロットカードにしてもそうした能力的な部分にイケメン上司がすごく強く影響していた。


それ以前にだってタロットカードでもオラクルカードでもカードの読み解きはしてきたし、タロットカードはそこまでではなくても「カード」とくくるなら、10年以上なんだかんだとやっていて、自分以外の誰かのカードもたくさん読んできた。


でも、イケメン上司の時みたいに、瞬時にわかってストーリーがパッと掴めたことは過去に一度もない。


合ってる合ってないはわからないけれども、まるでテレパシーのごとくカードが表しているものが伝わってきたのはその時が初めてだった。







ひとつ前のブログを書いていた時に、何で私はカードリーディングをイケメン上司の誕生日に合わせてやったんだろう?と思った。


カードの絵柄の説明を書きながら、私の場合は喜ばせたいと思ってやったのとは違う。


何かしらの関係があれば、喜ばせたいと思って準備もしただろうけれど、関係もなければ一切頼まれてもいない。


だから「喜んでくれるかな〜」なんて気持ちは1ミリも湧かなかった。


今、友人ノムの誕生日プレゼントを用意している最中だけれど(コテコテの超手作り)、ノムなら絶対に喜んでくれるのがわかっているから、私は途中のプロセスも手紙として書きまくっている。


人生で一番手の込んだプレゼントを作っているんじゃないかと思うくらいのものを作っているけれど、今回と2ヶ月前とは全然違う。


最後の最後まで、こんなことしていいのかなと疑心暗鬼になりまくりなまま、当時の私はメッセージを書いてブログにアップした。


今だって、どう思われてるのかわからないけれど、私がやりたいからやる、と超開き直ってやっている。


で、話を戻して、当時はどういう気持ちでやったのかと言うと。


まずは、何かしらの形でお祝いをしたかった。


そして、形が確実にいるから、それでタロットカードや他のカードを持ち出してきて、自信は常々ないからペンジュラムにも「やっていい?」とか「このカード使う?」とか聞きながらやった。


そしてメッセージが出揃った時には「それを伝えよう」という伝えたかった気持ちが出てきた。


そこでも相変わらず、やっていいのかどうか全くわからないまま、でももうカード選んじゃったしメッセージは瞬息でやってきたし、じゃあ伝えないわけにいかないよね!というけっこう身勝手な感じでやっていた。







・イケメン上司を疑っているわけじゃない。

自分が傷つきたくないから、わざと悪い方だけを想像している


・本当に真っ直ぐで嘘がつけない人


・向かわれ方として私が望む形とは違うけれども、私の方を向いている、それは伝わっている。

本当にそっぽを向いているとするなら、今頃ブログなんて絶対に見ていない。


上の3つのメモ書きは、舞台裏を書く用に私が4月の終わりにさっと携帯のメモに入れておいたもの。


「イケメン上司を疑っているわけじゃない。」というのは、これに限ったことではなく何でもそうなんだけれど、私が迷惑じゃないだろうかとか頼まれていないとか本当は嫌なのかなとか、とにかくそういうことをしょっちゅう言ってしまう理由は、イケメン上司の気持ちを想像しているんじゃなくて、そのように想像して自分側の防御を整えておくことで、本当にそうであっても自分側のショックが小さいように、はたまた自分が傷つかないように、そういうことを意図して言っている(書いている)。


真っ直ぐで嘘がつけない人というのは、もう言葉のまんまになる。


仕事はスマートにそつなくできる人ではあるけれど、個人的な人間関係とか相手が一歩踏み込んでくるような対人にまつわるやりとりは、多分、相当苦手分野だと思う。


ごはんに誘われて断るところまではわかるけれど、その後仕事のやりとりなのにそのやりとりをあからさまに無視みたいな、上手く言えないけれど、そういう態度を取りたくて取っていたのか、取りたくはないけれど上手くはやれなかったのかその辺りはわからないにしても、そういうところが普段の姿からは想像すらできない感じだった。


私のブログをチェックしてくれるようになるのは想定外だったけれども、それも沈黙を貫くあたりが何かしらの意志というか、自分なりの筋みたいなものを通しているのかなと思ったりもする。


都合良くとか適当にとかできないんだと思う。







書きながら、B(武士俣)サイドの話いる!?とかなり思わなくもなかったけれど、せっかくここまで書いたからアップする気でいる。


とりあえず、誕生日のカードリーディングの話はこれにておしまい。

2023年1月24日火曜日

物欲ムクムク


布の真ん中あたりの文字
よーく見てみたら「MONTANA」だった
自分が大学時代に住んでた州の名前!

カードが届いた日の朝
写真右上には三日月
2023/01/19

朝見た三日月と同じデザインが
カードの箱の中にもあって驚いた!
嬉しいシンクロだった♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪

この度お出迎えしたカード
何ヶ月か前に絶版の本を取り寄せていて
その方が出しているカードだった!
ほぼ読んでないけれど、友達絶賛の1冊で
たしかに良さそうな内容だと
少し読んだだけで感じる

カードの絵柄がとても好き♡

タロットカードを久しぶりにした時に
最近我が家に仲間入りした天然石たちを
カードの上に置いてみた。
とっても素敵でそれで写真をパシャリ

今回来たカードの表紙面側のデザイン
私が持っている『妖精のワンド』
という名で売られていた
この世で1つだけの小さなスティックの感じと
カードとがとても似通っている

ワンドはこんな風に
何かをカード上で指したい時に使っている

今回カードを買った時についてきた
おまけのオラクルカード



2023/01/20

金曜の朝、支度を始める前の布団の中で



物欲がムクムクと湧いている。


突然何のスイッチが入ったのか、細々としたものたちがやたらと欲しくなって仕方ない。


とりあえず何でもかんでも買って手元に置いても管理できない・使わないという事態は避けたいから、とりあえず吟味している。


ちなみに欲しいものたちは、今はガラス製のビーズみたいな置き物と天然石2つ。


ビーズも天然石も一点モノだから、売り切れたらおしまい。


もし本当に縁があって私のところに来てくれるものたちならば、私が買えると思っている。


他に未来の持ち主が決まっていたのなら私のところにはやってきたくてもやってこれない。


だから一瞬の熱で買わずに、とりあえず数日眺めて確認して、やっぱり欲しいとなったら買おうと思っている。


ちなみに今回のビーズも天然石も「実用性」はゼロになる。


どちらも「眺める」、石たちはプラスしても「観察する」ことくらいしか使い道がない。


そして一度迎えたのなら消耗品とは訳違うから、やっぱり趣味じゃないと言って安易に手放せるものとは違う。


石は自然に返せても、ガラスビーズは不燃物行きになってしまう。


今思い出したけれど、何年か前に私は石たちを自分の子どもの頃から馴染みのある近所の一級河川の川に流しに行ったことがある。


どうしても好きになれない石たちで、人からもらった石たちだったからそこには思い入れがそれぞれあったけれども、手元に置くという感じがどうしてもしなくて、そこで天然石や天然石アクセサリー(2つはブレスレットだった)の手放し方をネットで調べて、そして川に流して自然に還す方法を知ってそれでやってみた。


ちなみにその中にはダイヤモンドの原石もあったけれども、やっぱり好きなものとは違っていて手放した。


それは大学時代の友達がダイヤモンド発掘のツアーか何かに行ってそこで採掘してきたものを私にも分けてくれたものだった。


別の大学時代の友達からは水晶の原石を同じように採掘したからと言ってお土産でもらったものもその川に流したものの中にあった。


それらは本当に心が痛むというか決して気持ちの良い行動とは違っていて、そういうことも経験しているからだから物を迎えるのに慎重になっている面もある。


ちなみにブレスレットは、1つは20代の頃仙台の友達に会いに行って、彼女が「お寺でパワーストーンを自分で選んでブレスレットが作れるところがあるから行ってみようよ!」と言って連れて行ってくれたところで作ってきたものだったのと、また別のブレスレットは名古屋の時にとてもお世話になった男友達がそういう手作りのものをプロとしてやっていて、それである時プレゼントしてくれたという流れでもらったものだった。


すごくどうでもいいことだけれど、アメリカ、ドミニカ、名古屋と引越した時に私はほとんど物を捨てていないことに今気付いた。


どの地も生活ベースだったから物はたくさんあったけれども、基本的に使えるものたちはみんな誰かしらが引き取ってくれた。


しかも欲しいと言って引き取ってくれたから、本当にありがたく私はものたちを次の使い主の人たちに引き継いで「捨てる」ことを避けることができた。


名古屋の時は、どうしても冷蔵庫と洗濯機だけは何とかしないといけなくて、私は致し方なく処分するものを引き取りますの最安値でやってくれる業者を探して(ペンジュラムにネット画面の向こう側の何十とある、下手したら100超えの業者一覧に対してどこにするか聞いた記憶がある)、そこで1つYESが出た業者にお願いした。


で、実際に来てもらった時に私はどうしても気になっていたから、この洗濯機と冷蔵庫がこの後どうなるのかを聞いた。


聞いたら海外に向けて売ると教えてもらって安堵した。


ドミニカにいた時も日本製の家電なんかがあれば超重宝されるのは知っていたから、その洗濯機と冷蔵庫は異国の地の新たな持ち主の元で寿命が尽きるまで大切に長く使われるだろう、そう最後に知ることができて本当に良かった。







2023/01/22 

日曜の夜、寝る前の布団の中で



上に書いた欲しいものたちの1つ、ビーズは今日新月の日に注文した。


究極に使い道が無い、と思っていて、でも見た目は惹かれていてさぁどうしようかと考えること数日。


パッと閃いた‎  ٩‎()و


金曜日の夜、とっても久しぶりにタロットカードを出してきて、自分を癒すためのメッセージをもらうということをしていた。


仕事中も悶々とするようなことがあって(そういうことは社会人になってほぼなくて、その辺りの切替えは20代の頃から鍛えているおかげで片手で数えられるくらいしか仕事中まで個人的な何かを引きずって悶々とすることはない)、それでさすがに何かしら癒しを施さないといけないと思ってそれでタロットカードを出してきた。


この辺りのこともブログに書けたらいいなとは思うけれど、いかんせんこれだけ遅々としたペースだから書かない気がする(遠い目)。


ちなみに内容は友達が絡むことで友達の希望と私の希望とが真逆ぐらいに違っていてさぁどうしましょう?という感じ。


さらにすでにそのことは過ぎて、私は自分の希望をそっと押し通してしれっとその件からフェイドアウトする結果になった。(さらにどうでもいいことだけれど、角が立たない素晴らしい理由ももれなくついてきて、仮に聞かれてもその素晴らしい理由のおかげで相手を不快にさせたり傷つけたりせずに済むかと思う。)


とまぁそんなこんななイレギュラー案件があって、それでタロットカードを出してきた。


その時にふと、「そうだ!ガラスのビーズはカードリーディングをする時にカードの上に乗せたりもしくは近くに置いて飾り物として使ったら良い!」と思った。


最近お出迎えした天然石たちをカードの近くに置いてみて1人超ご満悦で、カードリーディングよりもその全体の風景にうっとりとしてそれの素晴らしさを体感できた素晴らしい機会だった٩(ˊˋ*)و色々と本末転倒。


さらには、カードリーディング用に自分でお気に入りの布で作ったカード置き用のマットをよくよく見たら、なんと「MONTANA」の文字を発見!!!


腰を抜かすくらいにビックリした。


MONTANAは私が大学時代に住んだ州。


50州あるうちの1つなのはもちろん、何がどうしたら花柄の布の中に「MONTANA」の文字が印字されているのか、今の今まで全く気付かなかった。


しかもアメリカ製の布ではなく、布のデザインは多分イギリスなはず。


それ見たらガラスビーズもお出迎えしようと心が決まった。


本当に縁があるものはそんな風におまけのようなわかりやすい印(しるし)やシンクロを見せてくれたり、どんな風にも繋がったりしてくれる。


しかも物って不思議で、手に入れた時に使い道がわからない物に限って後々とても重大な役割を果たしてくれたりする。


ペンジュラム用の糸がまさにそうで、私の記憶違いでなければ岐阜のとある門前仲町みたいな昔ながらの建物が並ぶ観光地みたいなところに友達が連れて行ってくれて、そこで買ってきたものだったはず。


草木染めの糸で、でも縫い糸や刺繍糸では太すぎて使えず、かと言って毛糸のような柔らかさはないから編み物にも向かず、本当にこれは何に使う気なんだろう?と思った。


とにかく使い道がさっぱりわからないくせして妙に惹かれるから、そして相場はわからないけれど小学生の小遣いみたいな金額だったと思うから簡単に財布の口は開いてとりあえず家に持ち帰ってきた。


裁縫箱にずっと入れていたから名古屋から新潟に帰る時もとりあえず裁縫箱に入ったまま私と一緒に新潟に引っ越した。


そんなことは長いこと忘れていたけれど、ある時ペンジュラムに元々付いていた金属のチェーンがとうとう切れそうになって、何かしらチェーン部分の代わりの紐が必要になった。


他の人のペンジュラムは知らないけれど、私のペンジュラムはぐるんぐるんと勢いよく回るからその遠心力?でチェーンが脆くなって何度も切れては補修して使っていたけれど、ある時「これ以上使うと多分チェーンが切れてペンジュラムが下に落ちて壊れる」と思って、そこでチェーンの代わりをしてくれる紐が必要になった。


金属はそもそもそれを通すためのペンチとかもないからあまり使いたくないと思って裁縫箱を開けたら、今も現役のその糸と再会して、そしてそれ以降ずっとずっと愛用している。


年に1〜2回はひもの交換をしているけれど、時間が経てば経つほどその糸を買ったのは大正解だし、とってもペンジュラムに似合っていてこれ以上ないくらいにお似合いな2人というか2つになっている。


だから、今回購入したガラスビーズも今ははっきりと使い道がわからなくてもいつかの未来にはそれがなくてはならない存在になるかもしれないなと思っている。







2023/01/23 

月曜日の朝、起き上がる前のゴロゴロタイム@布団の中



ビーズを買うと決めた時に再確認したけれど、私は「唯一無二」のものにとてつもなく惹かれる。


「ガラスビーズ」なるものを今回初めて知ったけれど、基本的に「ガラスビーズ」と検索すると同じ形や色のビーズにずらりと並ぶものたちがヒットする。


今回私が見つけたものは、別の調べ物の時に気になるものを見つけて、それで最初はたしか「ガラスナギット」という名を見つけてそれで調べて(ナギットの意味は知らない)、その後は「ガラスビーズ」でも同様にヒットすると知って、それで見つけたものだった。


作り手の人がガラス製のビーズと何か別のものを融合させて唯一無二の色やデザイン、形を生み出している。


それがとっても素敵で一目惚れして何日も眺めてようやく買う決心がついた。


せっかくだから新月の時に買おうと思った(1/21)。


今回の買い物はもう1つ特別な意味がある。


その色使いというのが、これまでの私だったら絶対に手を出さない色合いなこと。


ずっと延び延びになっているけれど、長野に10月の終わりに行った時私の中で1つ大きな転機となったのが、「自分の好きなもの」がわかってその好きなものを自分に与えることができた記念すべきタイミングだった。


これは書くととても長くなるからここでは書かないけれど、その時に自分はこれまで「好き」という気持ちを色んな理由を付けて押し殺したり奥に押しやっていたことに気付いた。


自分には似合わないとかこんなの選んだら周りに何て思われるんだろう?とかそういう気持ちが先立って、好きだからこれを持ちたい・選びたいというのがとことん抜け落ちていた。


それを自分でも意識してやれたのがその長野の旅のタイミングで、それでとても強く印象に残っている。


それは今も少しずつ広がっていて、私の中で「好き」だから買う購買運動を続けている。


ちょうど出迎えたばかりのオラクルカードも、決め手はとある方の感想一言だった。


実際に買った『セイクレッド・ディスティニー・オラクル』というカードの楽天市場に出品されてる方の店のレビューの中にこんな風に書かれていた。


「一枚でも気になるカードがあるなら、それはカードに呼ばれている、縁がある」


今回のオラクルカードは何年も前から存在は知っていたけれど、これまでただの一度も手にしたいとは思わなくて、実際の大型書店なんかで見本で出ていて見れる機会もあったと思うけれど手に取って見ることもなかった。


ある1枚のカードをネットで見て、それが何のカードデッキ(=セット)のものかわからなくて、それでカードに書かれている英単語とそれに「オラクルカード」と付け足して検索したら出てきたものだった。


「孤独」という名のカードではあったけれど、その絵柄が本当に素敵で私は心惹かれまくりだった。


ちなみにこの場合の「孤独」は「solitude」という単語で、私は得意の英英辞典で意味を調べたところ独りぼっちの孤独を指すのではなく、自らが1人になって自己対話や自分のための時間を取るための特別な孤独な状態、意図的に自分のために作る孤独というような意味だった。


絵柄もまさにそんな風で、ちっとも寂しそうに見えないその絵柄の意味合いがよく理解できた。


正直、1枚の絵柄が気に入ったからそのカードたちを買うというのはどうなんだろう?と最初思った。


けれど、楽天のデビューにそのように書かれてあって、ちなみにそのレビューの方もそれが後押しになって買ったと書かれていた。


そしてそのオラクルカードが届いた時にオマケで1枚ランダムに選ばれたオラクルカードが同封されてきた。


そのカードは「意識的な消費者(Conscious consumer)」とあって、生産者や環境を守るものだったりフェアトレードやオーガニックなものを買うこと、そうしたものを手にすると自分が決めること、そうしたことが世界や周りの何かを守ったり癒したりする、その力があなたにもあるのよと伝えていて、今の私の背中をさらに押してくれる(購買運動スイッチがさらに加速する)ものになった。


1000枚なんかとうに超すくらいのオラクルカードをこれまで見てきたかと思うけれど、消費者としての自分だとか買い物について言及されてるカードには今回初めて当たった。


かれこれ10年以上色んなカードに触れてきての今だから、私が個人で買うカードなら絶対に選ばないタイプのもので、さらにメッセージはより自分の普段の意識にすら上らないようなもので、本当に今の自分に必要なメッセージなんだと思った。


さらに後押しされる言葉と巡り合ったのは翌日のこと。


健康診断で3時間ほど健康診断センターみたいなところにいた時に、待ち時間の際は近くの雑誌を読んでいた。


ESSEという生活雑誌があるけれど、その中にとても心惹かれる言葉があった。


「減らすだけがいいことじゃない。

ワクワクするなら、ものが増えたってOK。

大事なのは、自分らしくたし算引き算すること。」

一田憲子


こんなの見たら、ますますものを増やすことにGOサインが出てしまう()


ものがありすぎると私なんかはたしかに整理整頓が苦手すぎてカオスにカオスをさらに足すことになりがちだけど、自分が心惹かれるものを集めてうっとりとする、そういうものを残りの人生に取り入れていくのも有りだなとようやく最近そのように思えるようになった。


整理整頓は苦手でも気に入ったものたちはそこそこきちんと置き場所を作る努力もすれば、とにかく眺めてうっとりタイムも日々の生活の中に取り込んでいる。


ものとの付き合い方は死ぬその時まで学ぶ、試行錯誤することになりそうだけれど、それもそれでありだなと思う。


特技とは違うけれど、私の場合捨てられないものたちは大体においてどうやって来たとかどこで手に入れたとか記憶がかなり残っている。


だから紙1枚捨てられないようなことも多々あれど、とにかく何かしら自分の心に響いてそれで手放せないわけだから、別に悪いことじゃなくむしろそれはそれで面白いことなんじゃないかとこれを書きながら思った。


さて、日常の眺めるの代表選手と言えば天然石たち。


少し前に天然石たちを出迎えたとブログに書いたと記憶しているけれど、その新たな天然石たちが来てからさらに変わったことが起こった。


石たちの相乗効果なのか、石川の能登半島からお持ち帰りした石2つがキラキラ光るところが出てきたり、元々そうした部分を持ち合わせていた石の1つはさらにキラキラ部分が増した!


出迎えた石たちも模様がはっきりしたりツヤツヤ感が増したりしている。


今メルカリで買った1つの石と同じ種類の石を検索して見てみた。


やっぱり私が手にしたのは、他の同類の石たちにはない独特の模様でかわいさが違う()


そして、この石なら模様が色々変わりそうと思って出迎えただけあって、本当に変化している。


模様が日を追うごとにはっきりとしている。


観察するのも楽しいけれど、いつか書いたのかどうかも記憶が曖昧だけれど、私が石たちが変わる様子を見続ける大きな理由は、それを見ることで「どんなこともありうる」ということを教えてもらえる、それを自分が真剣に信じられるからじゃないかと思う。


この1年は現実的にどうやったって無理にしか思えないことに手をつける予定でいる(去年からの続いているテーマ)。


なんとかなるだなんて全く思えないし、もし何かが変わるとすればそれはもう「奇跡」で、そういうレベルのものに自分は向かおうとしている。


私にとっては石が変化することの方がむしろありえるくらい、それくらいありえないことだったりする。


心は常に弱気だしなんとかなるなんて全く思えてないし始める前からすでに戦意喪失と言っても過言ではないし。


そんな風だからこそ、石たちが見せてくれる「どんなこともありうる」姿は私に勇気や可能性を信じる気持ちをプレゼントしてくれる。


それだから私はせっせと観察に励むし、ものたちと交流するんだろうなと思う。


これ書きながら色々組み合わせて作った顔文字。かわええ(o´`)


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