2014年12月9日火曜日

活字を読まない1週間 ③感覚編(過去の保存記事に加筆) 

2年ぶりに地球の裏側から日本の新宿の街に降り立った時。

ビルに付いている電光掲示板と看板の多さにくらくらした。

宣伝のつもりなんだろうけれど、あまりの多さに頭は混乱、

そして多すぎて結局はどの看板の文字も胸に残らなかった。

残ったのはあの圧倒された感覚だけだった。


facebookに登録しているが、facebookもあれに近い感じを覚える。

時々開くと情報の氾濫。

数十人、しかもアップする人はごく限られたメンバーでしかないけれど、

ささっと目を通すだけで息苦しくなる。

もちろんほのぼのした気分になるものもある。

だけど、大多数はうぅぅぅ・・・と唸りたくなるくらいの情報。


自分の足元が見えなくなった時、

私はfacebookを見るのをやめた。

もちろんアップされている内容はその人の人生のごく一部の瞬間でも、

自分の生き方に迷いまくっている私には見るだけで毒みたいなところがあった。

私の捉え方の問題だと言われたらそれまでだけど、

色々と笑えない状況下で他人のうまくいっている様を

正面から見るようなエネルギーがなかった。


上に書いたのは、およそ1年前だ。

この文章も合わせてこの1年で16個の記事を保管したままになっている。

順々にアップするなり消去しようと思っているけれど、今読んでも斬新なままだ。

内容が全く古くさくない。

例えば、今すぐに新宿の街にわたしが行っても、恐らく同じ感想を抱くだろうし、

facebookも相変わらず情報の洪水で圧倒される。

先ほど、少し出掛けてこようと思って外に出たけれど、

最初の大きな横断歩道を渡るところで、全然出掛ける気分じゃないと気付いて取り止めた。

散歩にもならない外出を終え、今パソコンの前に座ってこれを書いている。

情報の少ない空間の中で、ほっと息をついている。



2014年12月9日

上の文章は途中で切れてる。

このブログを始めた初期に書いて保存し、

さらにいつだったかアップしようと付け足して書いたのをまた保存し、

そして今回まったく別のアレンジを加えてアップする。

この上に書いてある感覚、

例えば新宿駅の外に立ったときのおびただしい数の電光掲示板とか、

facebookのどこまでも溢れかえっている個人情報や

パソコンの画面の隅々まで隙間がないくらいにびっちりと埋まっている広告の文とか、

あれらを見ての感覚を、今回あの活字を読まない1週間でも同じように感じた。

何せ天気が悪くてきちんと外出できたのは2日だけ(初日と最終日7日目)だったけど、

一歩外に出ると、まず文字を目にしないというのは不可能に近かった。

標識や信号(と一体になってる地名の看板)なんかは仕方ないにしても、

至る所に宣伝やポスターや、とにかく自然ではない人工物、

その人工物に活字、活字、活字・・・これでもか、という位の活字のオンパレード。

それらを目に入れないようにする方がうんと努力がいることだと知った。

例えば電車に乗ったとしよう。

実際に30分ほど乗っていたのだけど、窓を通して外を見ようとする。

窓の全容を見ると、そこにも何かの宣伝シールが窓に貼られている。

もちろん、シールは視界に入れないようにし、風景に集中する。

一事が万事この調子だった。

家の中では、活字を読まなくてもいいように上から布をかぶせたり、

一部のものはクローゼットにしまったりした。

いつも部屋のすみに置いている本たちはそのままにしたけれど、

わたしの視力では相当近くに寄らなければ題名すらうっすらぼんやりだったから、

紙のかたまり同然だった。

今日、雲ひとつない青く澄みきった空の下を歩いた。

と言うとかっこいいけど、実際はトイレットペーパーがなくなって買いに出かけたのだけど。

近くの公園は、落葉樹と針葉樹が混在している。

針葉樹の下を通ると、そのはっぱとはっぱの隙間から青い空、

冬独特の空気が澄んだ青い空がのぞいていた。

寒かったけど、その空とか風とか光の具合にしばし見惚れて立ち止っていた。

活字は相当響くものがないと立ち止って読むことはしないけど、

自然のものはただただ見るだけで癒されたり心の中が洗われたりする。

そういう感覚も、この活字を読まない1週間があったから、余計と強くなったように思う。

いかに活字情報が町の中に溢れているかということもわかったけど、

同時にそうではない自然のものも、自分が見ようとすればきちんとそこにあること、

それが感覚として自分の中に取り入れられるようになったと思う。

ちなみに、冒頭の2年ぶりから始まる新宿の風景は、2009年の6月の晴れた日のことで、

だからもう5年以上も経過しているけれど、わたしはあの時の感覚を今でも覚えたままだ。

2 件のコメント:

  1. 「NO活字」の1週間、お疲れさま!
    「活字を読まない」なんて、ぶっしーにとってかなり大胆なチャレンジ!
    と思ったので、一体どんな結果になるんだろう?と楽しみにしていました。
    新しいメッセージがやって来たり、感覚がより冴えてきたり、
    面白い経験になったみたいね。 また詳しく聞きたいです♪
    仕事しながらだと、1週間の「NO活字」はなかなか難しいけれど、
    わたしもいつか一度は試してみたい!って思った。
    でもなぁ~、2・3日でギブアップしそうな予感が・・・(笑)。

    私はというと、この1ヶ月で職場の状況がめまぐるしく変化し、
    緊張なのか興奮なのか常に神経が高ぶっていて、
    疲れてはいるけど、エネルギー的にはむしろレベルアップ?
    しているような気もします。 
    新しい人間関係のなかで、自分が、目の前の人に対して
    「先入観なくその人自身を見る」ということが全然できておらず、
    その人を通して自分自身のある一面を見ているのだ、って
    感じる出来事が毎日あって、なんか気持ちがわるい・・・(笑)。

    こちらはかなり雪深くなってきました。
    お正月、帰省できそうなら会えたら嬉しいです(^^)

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  2. さんごさんへ

    コメントありがとう^^
    NO活字、活字に普段ばんばん触れているさんごさんもやってみたらとっても面白い結果が出てくると思う!!
    2~3日でギブアップしたくなった瞬間は多数あれど、
    4日目位になると、ここまでやり通したのに挫折する方がもったいないという気持ちが湧き、
    それで何とか最後までもちこたえる、みたいな(笑)。
    忘れないように、あれこれメモを残したのは良かったけど、
    それをブログにもアップしよう!という意気込み足らず(笑)、
    またちんたらと気が向いた時に書こうと思います。

    職場の新しい空気、緊張や興奮や色んなものがない交ぜになってやってきてるんだね。
    細かくはわからないけど、先入観なしで相手を見るというのは、仙人のような域だと私は思ってる(笑)。
    特に仕事がからむと、私情や価値観含め色んなものが浮き彫りになるというか。
    きれいに言えば成長のためだろうし、でも渦中は笑えないことも色々あると思うから、
    無理したり追い込んだりせず、体だいじに~!

    正月栃尾に帰るのは楽しみだけど、さらに寒いのは勘弁という感じです。
    またみんなが連絡するあたりに私も連絡します!

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