2018年6月30日土曜日

あの夏の日から1年

この1年ものすごく楽しかった。

色々ありすぎて笑えないこともたくさんあったけれど、やっぱり楽しいは楽しかった。

1年前の6月29日はとても暑い日だった。

暑くて暑くて汗が止まらないような日だった。

そんな日にドラマが起こった。

私はある意味とても無防備だった。

今その始まりの瞬間を思い出そうとしたけれど、どうにも思い出せない。

その人は私の名前を1回しか呼んだことがないから、その時は名前さえ呼ばれていない。

しかも私はへんぴな場所にいた。

私には不意打ち過ぎたから、その人が何て言ってきたのか、言葉がさっぱり思い出せない。

名前は呼ばれてないから、本当に物を差し出されて使って下さいとかだったのかな。

楽しさのかけらもなかったその作業が突然光を帯びた。

早く終われ、早く終われと念仏のように心の中で唱えながら作業をしてた私だったけれど、その瞬間から全く別の次元に飛んで行った。☆༄

突然色んなことが恥ずかしくなったのと、ふと私の今の格好ってどんななのかが気になりだしたのと(気になったところで変わらなくても)、そして本人を探してガン見するわけにもいかなかったから、私はチラチラと足元を確認するようになった。

黄色の蛍光のような色のスニーカーはとても目立っていた。

そしてスニーカーの足の向きを見て、今なら見ても大丈夫!と思ったら顔を上げて相手の姿を目で捉えていた。

よく考えたら、私はその人の後ろ姿とか横からの姿とか、そんなんばっかり見てたなと思う。

正面は本気で恥ずかしくて見れなかった。

見たかったけれど、見れなかった。

たまに私の座ってる位置から、とても良い具合に正面の顔が見える時があって、ここぞとばかりに見てた。

相手は他のことをしてるから私の視線なんて気付かないだろうことを利用して、見放題だった。

何がどうしたらそんなにも澄んだ目ができるのか、どうしたらそんなにもキレイで真っ直ぐな目を保てるのか、私には不思議でたまらなかった。

私が色ボケしてるのではなくて、本当の本当にキレイな目をした人だった。

ついこの間、東京でヒーリングを受けた時にしみじみと思ったことがある。

ヒーリングの部屋というのが6畳ぐらいの狭さで、昔の建物だから天井も低かった。

そこに施術用のベッドがあって、書き物用の学習机みたいな机があって、あとは角に一脚の椅子とあとはキャスター付きのローテーブルみたいなのがあった。

スッキリとはしていたけれど、とても狭かった。

30代前半の男性で、いくら相手は既婚者とは言え、いい年した男女が同じ部屋にいるんだ、と思った瞬間があった。

それを思った時に真っ先に思ったことは、全くときめかない自分自身の心の中だった。

そもそもヒーリングメインで行っているし、その日はヒーリング関係のことであまりにも情報が満載過ぎて、そんなことをのん気に考えてる余裕もなかったけれど、一瞬だけそのことが頭をよぎった。

と同時にもし○○さんだったらどうだったんだろう…なんて考えたら、とんでもない方向に思考が飛んでいきそうだったからすぐに止めた。

そして思った。

○○さんというのは、それがたとえ5メートル以上離れていようが、ただその人が同じ空間にいるだけで私はものすごくドギマギしていたこと。

一度なんかは入口のドアを両方向から同じタイミングで開けた時があって、私はものすごく驚いたし、心臓が飛び出るかと思った。

相手も「うわっ」て完全に驚いた声を出していたけれど、私は単に驚いたんじゃなかった。

まさかその人が扉の向こうにいるなんて想像もしてなかったから、いきなり目の前に現れて、それもものすごく近くに現れて一気に緊張した。

コピー機とか仕事のファイルが収まっている場所とか、その人が使うタイミングと私が使いたいタイミングはしょっちゅうぶつかり合ってた。

私の意識の問題かもしれないけれど、他の人たちとはほとんどかち合わなかったけれど、その人とのかち合い率は半端なかった。

しかもその人は私と違って、しょっちゅうそうした周りにいるわけじゃなかった。

にも関わらず、やたらとタイミングが同じで、でも私は本気で恥ずかしかったから、近くに行けるとわかっていてもわざとタイミングを外してた。

恥ずかしかったし、近づくのが怖かった。

近寄ってはいけない、そんな気持ちもあった。

だから、その人がいる時間というのは、ずっとエンドレス私はドキドキしていたし、例えば最初いなくても途中で出先から戻ってくる時なんか、その人が帰ってきた瞬間から一気に心臓がバクバクしだして毎回大変だった。

その人は基本静かにさーっと戻ってくるから、一度は帰ってきたことに全く気付かない時があった。

私はキャビネットの扉で半分隠れていて、でも妙に何かを感じるなぁとは思ってた。

まさか帰ってきてるとか?と思ったけれど、その場所からその人の位置を確認したら明らかに不自然だから、私は確認したかったけれど確認しなかった。

そのキャビネットでの仕事が終わってパッと見たら本当にいて、ビックリした。

いつからいたのかはわからない。

私がまさか帰ってきてるとか?と思った時も、ふと人の気配を感じると思った時だから、帰ってきてすぐのことなのか、それとも大分経ってからなのかは分からなかった。

本当に静かだったし、キーボードも叩いていなかったから余計とシーンと静まり返っていて、だから私は気付かなかった。

一事が万事そんな風だったから、もしその人がその狭いヒーリングスペースにいたら、もうヒーリングどころじゃないなと思った。

当たり前だけれど、異性だからと言ってドキドキするわけじゃない。

現に私はヒーリングの時もその後のガストでのお茶タイムも全くときめかなかった。

仮にそのヒーラーさんが独身でフリーでもときめかなかったと思う。

その彼の服装は私がとても好きなスタイルで、そしてその人にとても似合っていた。

その人の顔や雰囲気も好きだったし、本当に人の良さそうな感じも良かった。

だけど、はっきりとわかる。

私はその人を男性として見ていない。

人として見ている。

だから顔でも服でも好みと言っても、それは単純に私が普段から好きこのむ人種のグループとても言えばいいんだろうか。

だからときめかないし、何とも思わない。

なのにあの人は何なんだろうと思った。

いるだけであんなにドキドキさせるなんて、しかも近寄りがたくていつも遠くにいたけれど、それでもドキドキしてた。

話しかける時なんて、この世のものとは思えないほどに緊張していた。

平常心、平常心…と自分に言い聞かせるようにしてた。

口を開いて声を出す時も、その出す第一声の時に変な力が入ってないか、声が上ずらないか、そんなことを気にしまくっていた。

そうしたことの最初のきっかけが1年前の6月29日だった。

そしてその日から私の生きる世界、目に映る世界が変わった。

ガラリと雰囲気が変わって、色彩がものすごく濃くなった。

そこを流れてる空気も濃密になった。

私の見ている世界が、生きている世界が変わった。

一気に生命力に満ちた時間と風景が広がった。

あっという間にその人は私の世界からいなくなった。

わざと避けるようにしてたコピー機の前とか、その人のゴチャゴチャした机まわりとか、何もかもがなくなった。

1年経った今はもっと何もなくなった。

何もないけれど、その人は私の中にずっといる。

何がなくなっても、ずっとずっといた。

いつどんな時もいて、今も普通にいる。

悲しいことも叶わないこともたくさんというかそれが9割を占めているけれど、それでも私はこの1年と〜っても楽しかった。

こんな風に誰かにドキドキして、その人の毎日の中に一緒にいられるのが嬉しくて(正しくは同じ場所にただいるだけ)、そんな時間がとても大切で大切で仕方なかった。

時間に空間に存在に全てに愛おしいと感じてた。

理屈も何もない、本当にただただ感じてた。

言葉にできない気持ちばかりだった。

それは今も変わらない。

その人とはどうにもならなかったけれど、私の心のお守り的存在には変わりない。

そうやっていつの間にか1年が過ぎていた。

2018年6月29日金曜日

東京ヒーリング②

2018/06/27(水)
Oさんのヒーリングを受け終わった。

慌ただしくレンタルのセラピールームを出て、建物の入り口で施術代を払った。

その時に、また何かあれば、それはどうでもヒーリングの施術でなくてもこうしたこと全般に関する情報の質問でも何でも構いません、連絡をくださいと言われた。

私はその時はまた連絡して、個人のセッションのようにしてもらうことは可能ですか?と聞いた。

そうしたらなんと、「いや、武士俣さん施術希望じゃないんですよね⁉︎それであれば、普通にカフェとかでお茶しながら単に話すで大丈夫です。僕、そんな大仰なことをするつもりはないんで」と言われた。

それはものすごーくありがたい話だった。

そしてこの後1〜2時間なら時間あると言われたから、近くでお茶することにした。

大通りに出る道すがらOさんに私はお願いをした。

相手のエネルギーや意識と関わる際に気をつけなければいけないこと、基本的な姿勢、マナーやルール、してはいけないことなんかを教えて欲しい、と。

1ヶ月前に、自分が相手の人からその人の状況を聞くと、それは対面・電話・メールと手段は問わず、即座に相手のその状況に対しての現実的なヒントがわかるという自分特有の体質がわかって、それに関して実は相手の意識にアクセスしていてそこから直に情報をもらっていたことが判明した、というのはセッション中にOさんに話してた。

(ちなみにOさんいわく、私は相手の魂にダイレクトに繋がってしまうらしい)

それがわかってから、私は相手の意識とかにアクセスしてしまうことに関して、マナーやルールを学ばないといけないと感じた。

例えば、相手の許可なしに相手の情報にアクセスしてはいけないことや、相手の人生だからその人が持つ自分の人生を選ぶ自由意志を尊重することや、そのためにその意志を脅かしたり否定するようなことがあってはいけないこととか、まぁ挙げたらキリがないぐらいに沢山あると思う。

知ってることもあるけれど、どちらかと言えば知らないことの方が多い。

それで信頼できる人に聞いたけれど、その人が知ってることは教えてもらえたけれど、それだけでは私の方が満足できず、さらに自分でもそうしたことを教えてくれる講座を探した。

ところが探せど探せど、そうした講座がない。

私の調べ方の問題もあると思うけれど、とにかくない。

技術を教えます的な講座は山ほどあっても、そうした基本姿勢やその分野のルールだけを教えてくれる講座もなければ、それを特化して教えてる人もいない。

(私の勝手な予想だけど、基礎基本をきっちりしてる人たちは、現場でじゃんじゃん活躍してる人たちだと思う。それも教える側ではなく、一人一人のお客さん相手に)

自分もいざこうなってみてわかったこと。

技術は他の人が教えられるものではないし、そして技術を私が他の誰かに伝授することもできない。

どういうことかと言うと。

メールを作ることを想定して欲しい。

相手は、上司、仕事の取引先、仕事の後輩、気心の知れた友達、何年も会っていない昔の友達、両親、兄弟、恋人、商品について問い合わせしたいネット上の店舗だとする。

それぞれの人にメールを出す、と想定する。

当然、使う言葉も、論調も、絵文字の有無も、内容もそれぞれ異なる。

文章の書き方講座はあっても、それぞれの人がどんな風に文章を組み立ててとかどの言葉を選ぶとかいう感覚やセンスについては誰も教えられない。

そして誰しもが、自分のそうした感覚やセンスを論理的に説明してそれと同じことを他の誰かも全く同じようにできるように伝授する、なんてのは絶対にできない。

だからそうした感覚的な技術を教えることも伝授することも私は基本できないと思っている。

なのに世の中にはその手の講座が溢れ返っていて、でも反対にそうしたエネルギーを扱うことに関しての基礎基本を教える講座がない。

交通ルールのように、赤信号なのに進んでは危ない、止まれの標識があったら止まる、一方通行の道路には進入しない、と一緒で、人の無意識に関わる仕事をする際もそうしたみんなが守るルールがあると思う。

私はそれを知りたかった。

だけど探してもなくて、そういう人がもしいたら直で教えてもらえないかとずっと思ってた。

そうしたら、Oさんが目の前に現れた。

しかもそうしたこと何でも自分が知ってる範囲で教えますと言ってくれる。

Oさんは言った。

「武士俣さん、そういう講座ないと思いますよ。武士俣さんが言うようにすごく大事なことだけれど、それを教える人は本当にいないですね」

「僕も完全に独学だけど、それでも良かったら武士俣さんが知りたいこと、僕の知ってる範囲で構わなければいくらでもお伝えします」
そう言ってもらえた。

Oさんは本当にすごい人だった。

施術中の在り方や技術もさることながら、予約のためのやり取りをした時でさえもきちんとしていた。

何せ私は友達の洗脳騒ぎがあったから、本予約の前にその影響を受けてる可能性もあるけれど、それでもヒーリングセッションを受けさせてもらえるかどうかを聞いた。

その時にOさんは大丈夫であることだけではなく、全力でサポートさせていただきます、と言ってくれた。

Oさんの力は計り知れないものがあった。

これまで会ってきた人たちの中で、Oさんの人や物を見通す・透視する技術は、仙人級の2人を除いては断トツ1番だった。

仙人級の2人は、あまりにも凡人離れしていて、勉強会やセミナーにはそれぞれ2回ないし3回通ったけれど、とてもじゃないけれど真似もできなければそこから何かを学ぼうと思ったら私は一生かかってもその人たちと同じ土俵に立って実践できるようなレベルにはならないんじゃないかと思った。
(ちなみにそういう方たちは、人間的にも素晴らしくて、どんなに小さな凡人の質問にもきちんと答えてくれる、それもとてもわかりやすい言葉で)

そんな特殊な2人を除いたら、Oさんは本当にズバ抜けて凄かった。

しかもそれはどこかで習ったのではなく、本人も独学で300冊以上の本を読んだりしながら自分の知識を深めていった。

さらにそもそもの透視の力と呼べばいいんだろうか、その正確性たるや半端なかった。

そして、実際にサービスを提供する時の姿勢なんて、びっくりするぐらいにきちんとしていた。

たくさんの勉強会やワークショップ、セミナー、個人セッションを受けたおかげで、Oさんが突出してきちんとしてることはすぐにわかった。

だからこの人からそうした姿勢を教えてもらえるなんて、私からしたら棚からぼた餅状態でとってもラッキーなことだった。

そもそもの事の発端は、友達の洗脳騒ぎから始まった。

洗脳かも?と思った時に、私は洗脳について色々調べた。

それでヒットした1つがOさんのブログ&ホームページだった。

だから、洗脳のことやそれによって自分が具合が悪くならなければ、そもそもOさんにたどり着くことは絶対になかった。

そしてその洗脳についての記事を読んだ時に、こうした私みたいな後天的に自分の特質とか力みたいなのに気付いた人向けの記事を同時に見つけた。

それはOさん自身の体験から得た教訓や知恵で、私はそれでますますOさんという人に会ってみたくなった。

だからOさんのヒーリングセッションに申し込んだ、という流れだった。

ガストでOさんと話してる最中、Oさんは何回も「わかってますよね(^^)」と私にニコニコしながらも、絶対に有無を言わせない圧をかけながら私に確認してきた。

Oさんの「わかってますよね(^^)」は「わかってますよね、武士俣さん、自分の道を」という意味だった。

少しさかのぼってホロスコープの講座の後のカフェタイムでのこと。

今回は12星座についての学びだった。

その質問の中で「魚座の何でも受け入れるのと水瓶座の受け入れるのと何が違うのか」みたいなのがあった。

先生はこんな風に説明された。

「魚座の受け入れる、魚座のカオス感は他の11星座には全くないものです。
水瓶座はそれまでの10星座と同じで、現世や現実にあるものを見てそれを全部受け入れようとする。
一方、魚座の『何でも』受け入れるの『何でも』は、現実的なことだけじゃなくて、目に見えないもの、人の心も宇宙も現世も過去も未来も過去世も、時間も空間も軽々しく超えて本当に何でもかんでも受け入れちゃいます。だからすごくカオスな感じになります」

周りの人たちはぽっかーんだった。

魚座の私にはその説明がよくわかった。

友達にも何人か魚座の人がいるから、総体的に見てもみんな多かれ少なかれぶっ飛んでる。

「参考になるかわからないですが、私太陽と火星が魚座で、こんな風な感じだと思います。
私は他の人からその人の状況を聞くと、瞬時にその人がそれに対してどうしたらいいのかがわかってしまう、ということが最近周りの人からの指摘でわかりました。
気付いたのは最近でも、実際にそうしてたのはもうかれこれ10年ぐらいになります。
どうやら相手の無意識にアクセスしてそこから情報をもらっていたみたいなんです。
だから相手からすると、まるですぐ隣りで私が一部始終を見ていてそれで何かそのためにできることを言ってるのかと思った、と言われました。
決して見えたり聞こえたりするわけじゃないですが、情報をそのままキャッチしてしまうところがあります。
そういう意味で、時間も場所も人との境界線もポーンと飛んでしまうことがあります」

みんな聞いてくれたけれど、一瞬シーンと変に静まり返ったのはわかった。

その後もみんな普通に私とも接して話してくれたけれど、その時の感じを見て久しぶりに認識した。

自分の体質的なものが人とは違うことを。

今はそういうのに理解のあるもしくは興味のある人たちとしか会ってなかったから忘れていたけれど、基本的には私はズレてる。

そういう時に、自分の持ってるものにはたと気付かされる。

優越感に浸るような特別感は一切ないけれど、人とは違うという意味での特別感、特別じゃなくて違っている感みたいなのはある。

そして、そんなのを持ってるのは、しかも持ちたくて持ってるのではなく、気付いたらそうだったというのは、多分それが自分の生きる道に必要だからもたらされてるものだと私は思ってる。

そしてそれというのは、自分のためじゃなく、他の人たちに使ってもらうためにあるものだというのも薄々気付いてる。

Oさんはこうも言った。

「ホロスコープが方便、洗脳が方便ってこともわかってますよね(^^)」と。

Google先生によると、方便とは「仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段」とある。

そして、私も東京入りする3、4時間前にブログにこう書いてる。

【私は6回ホロスコープの講座に参加することももちろん大切だと思っているけれど、多分もっと大事なのはそれ以外の部分だと思ってる。】

ホロスコープの講座は、はっきり言って手段でしかないというのは、前回5月に初回の講座を受けて気付いた。

確かに先月はホロスコープにどハマりしていて、それでやっとキャンセル待ちが取れてホロスコープの講座を受けれるようになった時は、とても嬉しかったし舞い上がった。

舞い上がってはいたけれど、いざ受けてみたら、自分の道とは違うとはっきりとわかった。

今回2回目は楽しかったけれど、初回は完全なる勉強型の内容で、理論や理屈なんかが苦手な私からしたら、ホロスコープの難解な理論たちには辟易とした。

だから、正直、私はキャンセルできるなら普通にキャンセルしてた、2回目以降。

ところが私がキャンセルしなかった理由がある。

なんと全6回の講座は、先生と主催者の方の意図で、受講者は変えずにそのまま最後まで通しのメンバーで講座を進めることになっている。
(というのは、前回初めて知った)

私はてっきり1回1回単発で、興味のある回にだけ各自が申し込むのだと勘違いしてた。

万が一受講者が都合つかなくて行けなかった場合、1回あたりの受講料5000円を納めて、音声資料(授業はボイスレコーダーで全て録音)+紙資料をもらうというシステムになっている。

となると、行かない方がある意味損するような感じになるわけで、行かざるを得ない。

もしキャンセルできるなら、残りの受講料25000円もあれば、私は他のところに使いたい。

だけど、講座に出ても出なくてもその金額が発生するなら、もう行かないわけにはいかない。

だから2回目以降の今回も私は出席した。

この時点で、私にはどうにもできない強制力が働いている。

10年近く意味不明な出来事満載の人生を送ってわかってきたことは、自分の意思ではどうにもできない理由や状況が発生した場合、私の場合は何が何でもそこに行くなり参加することで大切な何かを手にするようになっている。

そういう時、私の表立っての意思は全く関係なくなる。

例えば、今回なら「キャンセルしたい」が本心でも、そうすることができない絶対的な条件が生まれている。

そうした時は百発百中、表面的な出来事とは別に、もっと別の出来事や人、体験なんかを得るようになっている。

そんな水面下のことは当然実際になってみないとわからないから、私はこの法則に気付くまでは毎回「何でこんなことしなきゃいけないの?」とか「何でキャンセルできないの?」とかそりゃ文句も出たし、場合によっては徒労に終わるその不満(クレーム)も言ったりもした。

まぁ今回はホロスコープは勉強して損することもないからまぁいいかとは思ったけれど、それでも「何で行くのかな?」と思わないわけでもなかった。

だからOさんが「ホロスコープが方便」と言った意味はよくわかる。

ホロスコープの講座で半ば強制的に東京に行くことになったから、私はOさんのヒーリングセッションも受けようと思ったけれど、そもそも東京に行く用事がなければ私はOさんのセッションの予約なんてしなかった。

すごい人なのはブログの文章でわかっていたし、なぜか安価に提供してくれてるからいつかは受けてみたいとは思ったけれど、特段困ってるほどの状況ではなかったから、そのためだけに東京に行くことは絶対になかった。

今回ホロスコープ講座で東京に行くからこそ、Oさんのヒーリングもついでに予定に組み込める、当初はそんな風だった。

だからそもそもは、ホロスコープ講座がないことには成り立たない今回の東京行きなわけで、そしてそれ故にOさんとも知り合うことになるわけで、私が本来の目的や道から外れないように周りから固められた感はかなりある。

Oさんはさらに言った。

「『隙間がない』って僕が言ったのは、『考える間を与えない』って意味だったんです。
武士俣さん、今日ここに来るまでギリギリじゃなかったですか?」

Oさんの言う通りだった。

私は本当にギリギリだった。

午後ホロスコープ講座を受けて、その後近くのカフェに移動して先生と主催者の方と他の受講者たちとで質問タイム的な感じで時間を過ごした。

ホロスコープの講座自体は約3時間ある。

だけど、あまりにも情報量が多すぎて、質問してる暇さえない。

先生も全力でその日に伝える予定の知識をとても丁寧にそして全部伝えてくれる。

それで時間が来て、今度は場所を移してもう少しゆったりとした感じで、授業の時に聞けなかったことを質問したり、ホロスコープ全般のことで気になることをお互いにシェアしたりする。

それが終わってから、私と同年代の女性2人と駅に向かって歩いて、そのうちの1人の子が「時間あるならちょっとお茶しませんか?」と誘ってくれた。

それで3人で有楽町のふわふわの絨毯が敷かれたカフェに入った。

メイドカフェみたいな制服を着た綺麗なウェイトレスさんが来た時に、注文して飲み物が出て来るまでにどのくらい時間がかかるかを聞いた。

逆算すると、セレブなコーヒーを飲むのに10分程度しかないことが判明した。

それだと2人とのおしゃべりも楽しめないどころか美味しくコーヒーも飲めない。

泣く泣くカフェは断念して、2人とウェイトレスさんには謝って、注文をせずに店を出た。

有楽町では方向音痴力を存分に発揮し(涙)、神楽坂までの移動の最中は、乗換案内には表示されなかった地下鉄一駅分ぐらいの徒歩での移動があって、それで神楽坂に着いたのは開始10分前だった。

レンタルスペースのホームページにはとても丁寧に駅からの行き方が示されていてそこには「徒歩5分」とあったけれど、実際には「早足+小走りで5分以上」私はかかった。

スニーカーを履いてきた自分にものすごく感謝した。

そして何とか瀟洒なレンガ調の建物の中の部屋に着いたのは開始1分前だった。

暑かったのとすごい運動と緊張とで、私は更年期の女の人みたく汗だくになっていた(←単なる体質)。

相手の人が気付かなきゃいいなと思っていたら、もちろん気遣い上手な方、すかさず「暑いですか?温度下げましょうか?」なんて言ってくれて、私は即座に言い訳じゃないけれど自分の体質をさっと説明しながら大丈夫です、なんて話していたから、もう何も考える余裕もなかった。

だから本当にギリギリだった。

それはOさんもそうだったとのことで、その前に勉強会があって、それが思いの外相当延びたとのこと。

それでOさんも急いで駆け付けたようだった。

さらにOさんは続けた。

「今日誰もいないことに気付きましたか?」

「例えばセラピールーム、今日は僕たちが使ったところ以外は空いていました」

その瀟洒な建物は3階か4階建ぐらいのマンションで、私が行った部屋はその中の1つの3LDKみたいな部屋で、玄関のドアを開けるとそこで靴を脱いで、さらにはそれぞれの部屋がセラピールームに改装されてる風だった。

靴を脱いだ時に確かに私以外の靴はなかった。

Oさんの言い方だと、多分普段は他の部屋も使われてることが多いんだと思う。

さらにガストに行ってからもそうだった。

最初からガストだったんじゃなくて、適当なカフェは9時閉店で早すぎて、それでOさんが「もう少し歩いたら何かしらあったと思います。あっ、ガストがありましたね!」と看板を見つけて言って、それでガストになった。

ガストの中は混んでいた。

混んでいたにも関わらず、私とOさんは、5組ほどが座れそうな一画の席に案内されて、そこだけなぜか誰もお客さんがいなかった。

そして話終わる頃、私たちの隣りの席に綺麗なOL風のおひとり様の女性が案内されて座った。

「魂にとって本当に必要なこと、大切なことを聞いたり体験する時は、隙間がなくなるのと同時に、周りには誰もいなくなります。
今日がまさにそうだったので、僕は最初から今日はそういう流れなんだろうなと思って見てました」

本気で驚いた。

隙間がないのはまさに!だったし、人がいないことも本当にその通りだった。

しかも人が近くにいないことは、特に私の場合、重要なことだった。

私は人と話してる時でも周りにもっと気になる人や物があると、平気でそちらを見てしまう癖がある。

ものすごく良く言えば好奇心旺盛だし、悪く言えば注意散漫ということになる。

だけど、今回は他に気を散らす場所は全くなくて、Oさんと話してる間中、ずっと集中できてた。

魂の聴覚ではないけれど、全身全霊をかけて話を聞くことができた。

色んな話の中で、Oさんは物質が存在できる確率について説明してくれた。

読みやすくするために最初にいくつかの数字を紹介。

2の2乗は4。
2の3乗は8。

2分の1=1/2
10分の1=1/10

Oさんいわく、物質が存在できる確率は『10の37乗分の1』らしい。

       1
ーーーーーー
10の37乗
(分母が10の37乗で、分子が1)

天文学的数字過ぎて全く想像もつかなかったけれど、Oさんは続けて説明してくれた。

①アメリカ大陸を10個並べて、そこに一円玉を端から端までびっしりと敷き詰める

②①掛ける(×)ことの月までの距離

③②掛ける(×)ことの3だったか6
(Oさんもどっちか忘れたと言ってた)

④その中に1個だけ赤い一円玉を置いておいて、それを目隠しして一発で引き当てる

ことが『10の37乗分の1』という確率らしく、そしてそれが物質が存在できる確率らしい。

万が一、今目の前でOさんがテーブルを指で押して、もしそのテーブルが凹んでしまったら、それはすなわち核融合が起こることになって、その瞬間全てのものが存在できなくなる、存在できる確率に歪みが生じて全てが消えて無くなると言っていた。

だから、今私がいることも、目の前にOさんがいることも、テーブルも椅子もメニューも、それぞれのものがそれぞれの形をしてそこに存在しているのがどれだけあり得ないことの連続なのか、そしてそれはすなわち生きていることも生きている毎日もそうなわけで、本当に存在するというだけでどれだけの確率の上に成り立っているのかその凄さを改めて思い知った。

私はその話をすぐに丸っと飲み込めた。

というのも、何年か前に、筑波大学の名誉教授で遺伝子学を研究している村上和男先生の講演会に行ったことがあった。

村上和男先生いわく、どれだけ科学や技術が発展しても、今もって私たち人間の遺伝子がどんな分子から成り立っているのか解明できないらしい。

例えば人間は、血と水と皮膚と筋肉と内臓と骨でできてるのはわかる。

そしてそれらを形作るDNAというものが存在してるのもわかる。

だけど、1つ1つを解体して、1つ1つを最小分子にまでした時、じゃあその最小分子が何からできているのか?と言うと、今も全くわからないとのこと。

だから、そうしたものを誰が何が作っているのかはわからないけれど、それがあって初めて私たち人間が存在できること。

そしてその解明できない最小分子については、到底言葉やデータ、数字では説明できないもの。

それらの事実を踏まえると、人間を作った創造主にあたるものは、もう先生の中では「サムシング・グレート」としか言えない、表現できないと言っていた。

村上和男先生の言葉の意図と私の説明とにギャップがある可能性もあるけれど、おおよそそんなことを言っていた。

だから、村上和男先生の話とOさんの話とは共通してるものがあった。

そしてどちらも伝えてくれていた。

存在してるそのものがもう奇跡であること。

だからどういう因果か、こうしてOさんと出逢うこと、話をすること、そもそも私がこんな風に精神世界の方に入っていくこと、自分の少し変わった体質のこと、それら全てがそのように起こっていることがもうあり得ないことだらけで、そんな中に今この瞬間に自分がいるんだと思ったらすごい確率だった。

それってさっきの一円玉のアメリカ大陸を100個並べてもまだ足りないぐらいの確率で起こっていると言っても過言じゃない。

ヒーリングのセッションの後、Oさんが説明してくれたことの補足説明ももっと詳しくしてくれた。

最初に言われたのが、私は良くも悪くもドMな人間であること。

それは性的嗜好ということではなく、人間としての性質として。

Oさんが私をドM呼ばわりしたのはこういう理由だった。

「自分のことが許せない」「もっと痛みが欲しい」「もっと自分を罰して欲しい」というのが根底にとてつもなく強くあるとのこと。

それを聞いてガックシきた。

自己否定とかの傾向があるのは30代になってから気付いて、私はその辺りは相当自分では気をつけるようになったし、そのための心理的なワークも相当やってる。

自分のことも極力労ろうと思ったし、自分を大切にすることは意図的にやっている(無意識だと自分を辛い方に持っていきがちだから)。

なのに今もまだそこが根強いと聞いて、愕然とした。

私もっと痛みが欲しいと思っているんですか?そんなのあり得ないです、と言った。

本気でこれまで散々だったから、もう痛いのとか苦しいのは嫌だった。

でもOさんは私は今もまだ痛みを欲しがってると言われた。

じゃあ何で欲しいのか、欲しくなければどうしたらいいのかを教えてくれた。

「武士俣さん、痛みの中に入って下さい。
それはもっと傷付くという意味でもないし、他の人から傷付けてもらうという意味でもありません。
『痛みの中に入る』というのは、すなわち『今逃げてることから向き合う』ということです。
痛みは、逃げてる自分が許せないことで生まれます。
でもその逃げてることっていうのは、魂レベルでは『逃げたくない・向き合いたい・携わりたい』ことなんです。
魂はそれを本気で望んでいます。
それに向き合いたいんです。
だから向き合わないと、痛みが生じてしまうんです。
痛みの中に入って下さい、というのはそういう意味です。
そして入ってしまえば、痛みは消えます」

Oさんはさらに言った。

これからしばらく大変になります、と。

過去世から来ている膿出しをするから、しばらく苦しいことが色々出てくると思います、と。

これにもガックシきた。

先月ホロスコープの先生から「今、武士俣さんはカルマ的な膿出しの時期です」と言われた。

ホロスコープの先生と裏で結託してるのかと思ったぐらいにOさんの口からも同じ言葉が出てきてビックリした。

Oさんはもっと説明してくれた。

「武士俣さんの過去世、色々あって濃いです。
ヒーラーさんとかに多いのですが、大量虐殺とかもしてます。
死刑囚の看守だった過去世も持っています」

私はその辺りはみんな多かれ少なかれ殺すなり殺されるなりしてると習ってきたから抵抗はなかった。

何かしら事情があってそうしたんだと思うし、実際にそんなこと言われても今の私がその時代に戻ってできることなんか何もないんだから、とかなりドライに割り切ってる。

異国の戦争並みに遠い話でしかなかった。

だけど、それらからくる膿出しとなると話は違う。

感情的にリンクするものが今の人生のどこかと重なり合っているんだと思う。

それを癒すことが恐らく今の人生の課題の1つで、「癒し」となれば当然その前に「傷」があるわけで、またそんな傷を触るようなことをしなきゃいけないのかと思うと、そこに対して気が重い。

でも2人の全く別の人たちからそう言われるということは、今本当に取り組まないといけないことなんだと思う。

わからないけれども、それを体験するための出来事が起こるなりして、それを体験して癒して終わらせる、又は新しい価値観に生まれ変わらせる、そんな風じゃないかと思ってる。

私は自分の過去世を人から聞くのは2回目だけれど、1回目に聞いた過去世がとても良い意味で生かされてることを知った。

1回目は今年の2月のホロスコープ鑑定の時だった。

その時に教えてもらったことは、とても私を励ましてくれたし、今を生きるための勇気や希望を与えてくれるものだった。

そしてその過去世の時に関係があったと思われる人と今世でどうやら再会できたと知って、私はとても嬉しかった。

ましてや10歳前後までしか生きられなかった時に人生で逢えた大切な1人に再会できた、今世でもう一度逢えたとするなら、それはとても甘美で私の心をものすごく引き上げてくれた。

そうしたファースト過去世の話があったからこそ、私は今回の話もすんなりと抵抗せずに聞けた。

抵抗が出たのはあくまでも「膿出し」のところ。

もし、今回の大量虐殺の過去世がファースト過去世だったら、受け入れられなかっただろうし、それ違うと思うとか何とか言って勝手に否定してたと思う。

でも、ファースト過去世からの情報は私に勇気や希望、温かいものをもたらしてくれたから、今回の過去世も冷静に聞いて、そしてそれ故に何かしら私が越える必要があるものが存在しているんだろう、そう思えた。

Oさんは他にもこんな風に言ってくれた。

「『この道の感覚』と『現実的なこと』その両方を楽しんでください。
自分の力的なことに関して、そんなはずないと思いたい気持ちもわかります。
だけどそこは『その可能性もある』ぐらいにしておいたらいいんじゃないかと。
もちろん、その道に進む進まないは武士俣さんの好きだし、進まないからダメということではないんで」

Oさんは言ってた。

自分も何でこの能力なんだろうと思ったとのこと。

世の中にはたくさんの能力や才能があって、何も今のものじゃなくていい、むしろ違う方がいいのに、と思うとのこと。

今でもサラリーマンができるならサラリーマンをしたいですと言っていた。

冒頭に書いた仙人級のうちの1人も同じことを言っていられた。

霊能者なんてのは世の中で一番信用されない職業だし怪しいもので、社会的信用なんて丸っとない。

だけどこういう体質である以上は、そしてどう抗ってもその流れにしかならないから、そこは腹を括って今はお務めをさせていただくという気持ちでいる。

でも今でもその世界から不要、やる資格なしと言われて辞めれるのであれば、いつでも喜んで辞めるし、本来好きでやっていた仕事に舞い戻ります、と。

その仙人級の人いわく、スピリチュアルなことを仕事にしてる人の9割は偽物で、残りの1割の人が本当にする必要があってしてるし、そういう人たちは生まれからしてその土俵に上がるべく色んなことが起こるし、色んな体験もする。

やりたくてその世界に入ると言うよりも、やらざるを得なくて入るとしか言いようがない。

だから趣味でやってる人たちなんかを見ると「やめときなさい」と老婆心ながらに思うと言ってた。

それは憧れてなる職業でもなんでもなく、本当に役目として生まれてくることを選んでいる魂はそれ相応のことを持って生まれてくるし、体験もそれに相応しい(=きつい)ものになる、と。

ちなみにOさんもその色んなことがわかり過ぎる体質になって、逃げても逃げても逃げられなくて、結局最後できることと言えば今してることだけしかないから、それでやってるに過ぎないという言い方をしていた。

だから中途半端なスピチュアルなブームに乗ってたり足を突っ込んでる人たちが苦手だし嫌いだというようなことを言ってた。

それは私も同感だった。

Oさんに間違いないだろうと思って聞いた。

「Oさん同業種の友達、いないですよね?」

Oさんは即答でにこやかに「いません」と答えてた。

そしてそれらの話の最中にも何度も何度もOさんは私に
「わかってますよね(^^)」
と言ってきた。

武士俣さん、自分の道、わかってますよねと。

Oさんみたいな透視の力があって、さらには自分も逃げきれずに今の道に立っていて、そして実際に実践している、そんな人から言われる言葉の重みや響き方と言ったらなかった。

その人から何度も何度も「武士俣さん、わかってますよね(^^)」と言われて、さすがの私も否定したい気持ちはものすごくあるけれど、正面きって否定もできなかった。

Oさんが言ってくれた。

「武士俣さん、家庭的な人ですよね」と。

気の利いたことなんか1つもしてないし、初めて会ったわけだから、私の日常や趣味なんてのはOさんは何も知らない。

Oさん的な透視の方法で感じたままに、他の私の特徴をズバズバ言い当てるのと同じで、家庭的と言ってくれたんだと思う。

私はOさんに言った。

「私は本気で今でも専業主婦したいと思っています。
元々結婚したかったし、キャリアとかお金稼ぐとかも本当に興味がないです。
好きな人と添い遂げて、家にいてご飯作ったり掃除したり、そういうのもすごく好きだし、そういうのに憧れます。
むしろそうさせて欲しいと思うくらいに」

「でも、わかってますよね(^^)」とすかさず言われた。

わかりたくないし逃げたいけれど、それは今も変わらないけれど、多分そのわかりたくなくて逃げたいことが私が人生でやっていくことなんだろうと思う。

そして魂が望んでいることなんだと思う。

でなければ、こんなにもピンポイントで、しかも発端は友達の洗脳騒ぎで、その道の実力者に紹介もなく一発でポーンと繋がるわけがない。

そして、今回のやり取りを通じて、この全ての話を聞くために私の準備が整ったこともわかった。

私は自分が楽にさえなれれば、手法とかにこだわりは一切なかったから、とにかく色んなことを試したし調べた。

本もたくさん読んだ。

スピ系だけで300冊は超えてると思う。

アメリカ大陸のような話(量子力学と呼ばれる学問)や過去世についても、ガッツリと学ぶことはしてないけれど、周りのスピの先輩たちがそれはそれは丁寧にわかりやすく私に教えてくれた。

他にも、一般的にはマイナスなことを言われてもそこに相手の真意を汲み取ったり、事の真意を理解するだけの術も持っている。

「もっと痛みが欲しい」なんて言われたら、普通は「はぁー(怒)⁉︎」だと思う。

私も最初はそのぐらい純粋で可愛らしい反応ができてた。

でも色々鍛えられたおかげで、言われた事の意味を聞く癖もついたし、それに対して自分自身を照らし合わせて見つめ直す癖もついたし、そして自分に寄り添うこともどんどんするようになった。

そしてOさんが教えてくれたマニアックな情報たちの話に普通についていけるほどの知力も手にした。

それは、自分が全て受け取る準備ができたこと、そしてそれらと向き合う覚悟ができ始めたんだと思ってる。

頭ではまだまだ理解できなかったり、いやいや私普通に結婚したいからと往生際悪く今でも思うし、まぁしばらくは煩悩の自分と魂の自分とのバトルは避けて通れない気がする。

バトルというか折り合いをつけるというか。

それでももうこの色んなことたちが自分には必要で起こっているとも思っているし、どこかで少しずつ覚悟しなきゃいけないだろうことも覚悟している。

そして私もOさん同様、逃げられない人の1人なんだと思う。

Oさんは最後の方に言った。

「僕は今自分の仕事が好きです。ようやく好きになれました」

私がそんな風に言えるのはいつかわからないけれど、そもそもまだスタートもしてないわけでスタートはいつ?というもっと最初の方から始めないといけないんだけど、自分もいつかそんな風に言えたらいい。

もしくは「やらない・関わらない」と決めて人生を歩むとしても、その人生を心から楽しめる自分になりたいと思っている。

《追記》
ここまで通しで読み返した時、最後の「やらない・関わらない」なんて選択肢が私には本当にあるんだろうか?と思った。

何なら来月もOさんに会って個人レッスンを受けてくる。

そんな人が関わらない、なんてあるんだろうか…(汗)。

私はまだしも、Oさん忙しいのに、その中で時間作ってもらって会うのに、なのにやらないなんてあるのだろうか…。

ましてや今回のホロスコープ講座のカフェタイムで言われた。

2020年年末、天体がすごい重なりを生み出す。

木星と土星と冥王星が重なる。
(『グレートコンジャンクション 2020』とでも入力して検索するとたくさんヒットします)

そこに私の場合は、個人的なものまで一緒に重なって四重奏になる。

周りのクラスメートたちからも主催者のホロスコープの鑑定の先生からも、お墨付きで何かが大きく変わる時だね、と言われた。

そんな人が「やらない」とか「関わらない」なんていう選択肢が本当にあるんだろうか…。

今調べてみた。

その3天体が重なるのは一般的に250年に一度らしいけれど、本気で調べた人の記事に行き着いたら、前回は1681年とのこと。

約340年前にあった天体の重なりが今回また生まれる。

そこに自分の個人的な天体(私の場合はMCと呼ばれる感受点→社会で到達するポイントや役割、キャリアを表す点)が関われば、何もない方がおかしい。

そういうことを考えても仕方ないから、私は目先のことに目を向けることに気を配ろうと思う。

今回Oさんから指摘されたことの1つに、地に足がついてなくてフワフワする傾向があるから、そこも調整しました、と言われたばかりだった(-_-;)༄

下書きが飛んで撃沈

あまりにもショック過ぎる出来事。

一瞬何が起こったのかと思った。

ガストでヒーラーのOさんと話したこと、そのことをもう後はブログにアップすればいいというところまで来た超大作。

iPhone誤操作によって、一瞬で消えた。

呆然とした。

昨日から一体何時間かけて書いてたのか知らない。

今のうちに書かないと詳細を忘れると思って書いた。

本気でひたすら書き続けた。

泣くに泣けないぐらいにショックで、もう呆然とした。

書いたことは珍しく全部覚えているから、おおよそのことはその通りに書ける。

書けるけれど、そういうことじゃない。

しかもどうでもいいことはどうでもいいけれど、リアルな言葉とかはもう頭で記憶する必要ないと思って、書いたそばから記憶から抜けていった。

過去にも一度あるけれど、このiPhoneのメモの消去機能、もう少し何とかならないのかと思う。

パソコンなら絶対にあり得ない。

どこかしらにデータが残る。

でもiPhoneは基本飛んだら飛んで終わる。

一応iCloudでのバックアップを午後から試みる予定ではいるけれど、上手くいくかは不明。

もうメモがない。

相当長いから「全選択」のボタンも押して全選択してない限り、普通なら一瞬で文章の全てが飛ぶはずもない。

なのに、超一瞬で飛んで、ひらがな1文字だけが画面に表示されて、何かと思った。

もう一度書くにしても、そんなに容易じゃない。

自分で読んでても、何て上手く書けたんだろう、その文章を読んだら何度でも何度でもその時のことが思い出せる、と読みながら感動してたくらいなのに。

ショック過ぎる。

撃沈。

書けるか知らないけれど、もう一度書いてみる。

本気で凄かった。

自分の記憶に強烈に残るぐらいのものをもらって来たから忘れはしないけれど、私にとって大事なのはその詳細も含めての全部。

その詳細を克明に記録した。

なのに、iPhone…。

一瞬アップしてはいけない内容なのかと思ったけれど、やっぱり私は残したいから書く。

だって忘れるから。

さぁこれから二度目の挑戦…orz

書いてみよう。

2018年6月28日木曜日

東京ヒーリング

昨日のホロスコープ講座の後、ヒーリングを受けてきた。

ヒーリングの人は、ブログ以上に本物の人だった。

こうなってみると、友達の洗脳騒ぎでさえ、その人の元に行くのが目的だったのでは…と思ったほどだった。

ヒーリングの前にちょっとした聞き取り(←多分単なるパフォーマンス)をして、そしてその人は「2、3分静かにしますが、武士俣様はそのまま普通にしててもらって大丈夫です、武士俣様のエネルギーを読み取るだけですから」と説明された。

私は立って下さいとか、診療台に横になって下さいとか、言われるのかと思ったら、今の椅子に腰かけたままでいいと言われた。

そしてその人は私の方は一切見ずに自分の書いたメモを見始めた(ように見えた)。

そうやって私を見ないでエネルギーを見る人がこれまでいなかったから、あのメモにそんなに意味があるのかとか、私が名前を直筆で書いたから筆跡鑑定でもしてるのかと思った。

2、3分後、その人は向きを変えて、私の方を向いた。

「今、読み取ったことをお話してから今日のヒーリングを始めますね」

ドキドキしながら待った。

その人の口から最初に出てきたのは「まず『星読み』と出てきました」だった。

度肝を抜かれた。

なぜなら私はその1時間前まで現実的にホロスコープ(星読み)の講座を受けていたから。

しかも私は新潟から行くことは言ってあったけれど、ホロスコープの講座に出るとは一切言っていなかった。

星読みだけじゃなくて、その後に出てきた言葉は、どれもこれも私のことばかりだった。

しかも普段人には見せない部分の私のオンパレードだった。

何個か私のこれまでの人生の特徴をスパスパスパッと言い並べて、私はそれに対して「はい、そうです」以外の返事の選択肢はなかった。

「これまでの人生色々ありましたよね、それは総じて大変でしたよね」というものもあった。

これどこかの売れない占い師が言ってるみたいなセリフだけど、それとは明らかに違ってた。

その前のいくつかの人生の特徴はもっと具体的で、しかも私はほとんどの人にそのことを言ったことがない。

このブログでも明け透けに何でも言うみたいだけど、それでも口を閉じてるものもある。

それをその人はズバリ一発で言い当てた。

しかもそれが何だ?と言わんばかりに。

その人は「武士俣様は新潟出身の方でお間違いないですよね?」と同じトーンで話した。

だからその人の「これまでの人生色々ありましたよね、それは総じて大変でしたよね」は、その色んなことを言い当てた後の言葉だったから、言葉の重みが丸っと違ってた。

この人には嘘を言っても仕方ないし、そこで変な謙遜や否定なんかしたらもう何を言われるかわかったもんじゃないと思って、私は一切の否定をせずに全てに「はい」とはっきりと即答した。

私の感覚についてはこんな風に言われた。

「武士俣様のその感覚、それは秀才と言うんじゃなくて、天才肌レベルです。自分でもわかっているでしょう?色んなことを理由に認めなかったり、自信がないことでそんなもんじゃないと思ったり、もしくはそうした力そのものを否定したり。
でも武士俣様のそれは天才タイプのものです」

「肌で感じてる、そんな風じゃないですか?理屈とか考えてとかではなく、わかる、わかってしまう、そういう状態だと思います」

肌で感じてるかは自分でもわからないけれど、とにかく考えたりとかせずにわかってしまうのは本当だったから、それはそうですと答えた。

私の力のレベルは自分ではわからないけれど、そう言ってもらうのは光栄だったし、ましてやそれだけできる人から言われるのは本当に嬉しかったから、それには素直にありがとうございますと言った。

私はその人からどうしてヒーリングを受けようと今回思ったのかを最初に聞かれたから、それはヒーリングそのものよりもその人に興味があったと伝えた。

そうした能力を否定してたところ、結局そこに進むしかなくなり、そして今の状態になった、というその人の生き方に興味があった、と補足説明した。

全部終わってヒーリングのレンタルスペースを出た時に、その人は言った。

色んな人たちがお客さんとして来てくれるようになったけれど、一番来て欲しいお客さん、一番自分が対象にしたいお客さんは武士俣さんみたいな人たちだと言ってた。

要はその人自身も今の方向に向かうまでに相当葛藤したから、だから同じような感じの人たちに伝えられることや自分だからできると言ってはおこがましいけれどそういうことを提供したいと話してた。

ヒーリング中は、その人は私の体は最後に肩と背中をさっと触った以外は触らず、あとはずっと何かしらの形で私の中の停滞してる部分や必要な生体エネルギーを流すみたいなことをしてた。

始める前の聞き取りの時に気になることはあるかを聞かれたから、私は左の脇腹から左の背中にかけて数日痛みが続いていたこと、今日は今良くなっているけれども、ということを一言付け加えていた。

その左側の時だけその人は施術中に「抜けました」と言った。

何だろうなと一瞬思ったけれど気にもならず忘れてた。

終わってから、ヒーリングの時の補足説明の時にそれが何だったのかを教えてもらった。

なんと左側には少しではあったけれど、洗脳騒ぎの人(=友達の師匠の方)のエネルギーが入ってしまっていたとのこと。

だいぶ弱くなってましたけれど、カスみたいなのが残ってました、それを抜きましたと説明された。

またしてもその日何度目かの度肝を抜かれた。

洗脳云々は、実は本予約をする前に伝えていた。

その人に変に影響を与えても絶対にそれは良くないから、だから予約を確定する前に正直にこの1ヶ月ぐらいにあった洗脳騒ぎの顛末を伝えた。

相手の邪気だとは言い切れないしそんなの私の妄想かもしれないけれど、現実的に5日寝込んで完治するに3週間ほど、その3週間後に友達に洗脳のことを話して、それから1週間ほどは多少体にはちょっとした症状が出たけれど今は元気と言えると思う旨説明して、でも絶対に何もなかったとは言えないからそれでも施術してもらえるのかを聞いた。

その人は大丈夫とだけではなく、全力でサポートさせていただきます、と言ってくれた。

私は脇腹に関しては、そっちの可能性もあるとは思ったけれど、それよりも自分の中の何かしらが悪い影響を作ってるのかな…と考えていた。

だからまさかのその師匠的な人のエネルギーと言われて、本気で度肝を抜かれてしまった。

実際に会ったことがあるのかを聞かれて、一度もないし友達の話の中にしか出てこないと説明した。

相手の人は性格的にネチネチしている、とその人は分析していた(除去する時にその不要なエネルギーがどんなタイプのものなのか、その人にはわかるんだと思う)。

ヒーリング中、一度だけ私の中ではっきりと出てきた言葉があった。

出てきたというのは、声に出したとかじゃなくて、心の奥底からスッと真っ直ぐに出てきた、そんな風だった。

「生きる世界が違う」

これが出てきた時、私はすーっと涙が両目から一筋ずつ出た。

私にとって決定打の言葉だった。

どうしても認めたくなくて、ずっとずっと知らないフリを通してた。

だけどもう知らないフリはできなかった。

色んな意味で、もうどうにもならないことを認めざるを得ない、そういう言葉だった。

しかもヒーリング中、エネルギーを整えてもらって出てきた唯一の言葉だった。

それ以外の時はポーッとしてたから、そうした言葉は出てこなかった。

ヒーリングが終わると、やっていた最中に気付いたことをお伝えします、と言われて1つ1つ話してもらった。

その言葉たちは、聞いていてもう絶句するしかなかった。

色んなことがその通り過ぎて、この人は私の何を見たのだろう?と思うぐらい、色んなことをズバズバと言い当ててきた。

そしてそれらに対して私が自分のためにできることも教えてくれた。

私は自分がその人の前で服を脱いで裸になるよりも(服は着たまま施術)、その色んなことが隠せなくて全部その人にはお見通しなことの方が何十倍も恥ずかしかった。

誤解を与えると悪いから言うと、私がこれまで受けたマッサージでもヒーリングでも、裸で受けたのは1つもない。

本当に丁寧だったところは、施術前に着替えて下さいと綿素材のユニクロとかに売ってそうなリラックス着を渡されたけれど、そこも含めて全て着衣のまま。

とにかく、仮に裸になって全身を見られるよりも、その何も言ってないし伝えてもないのに私の心の中や思考、これまでの人生が丸見えの方が何十倍も恥ずかしかった。

その人に「視えてるんですか?」と聞いた。

「視えはしないです。だけど感覚的にわかっちゃいます。前よりも全然わからなくなりましたけどね〜」

その人いわく、あまりにもわかりすぎて自分も困ったから、そういうのを抜ける人のところに通って抜いてもらってた時期があったとのこと。

ただ、抜いても抜いても抜ききれず、ある時に自分のそうした力に対してあきらめたとのこと。

あきらめたというのは、もうそこから逃げることをあきらめた、という意味。

そしてこれを仕事にしようと思ってからはもう通ってないようだった。

「前よりも全然わからないって言ったじゃないですか。前を100とするなら今はどれぐらいなんですか?」

「今は40ぐらいですね」

40でそれなら100の時なんか想像を絶する世界だなと思った。

どのぐらいわかってしまうのかと言うと、その方は今は結婚されているけれど、結婚される前、付き合ってた彼女の浮気がわかったとのこと。

要は視えたのと同じような感じで、そういうのがわかってしまったとのこと。

距離が離れていようが何しようが、色んなことがわかってしまうし、相手が何かを言わなくても相手の思っていることがわかってしまう、そういう体質とのことだった。

レンタルのセラピールームだったから、時間になったらとにかく場所を出ないといけなくて、なんと会計もまだのままとりあえず建物の入口のところまで出た。

その人はオーナーさんに電話で使用終了の連絡をして、そして入口でお金を支払った。

その時にまた何かあれば、それはどうでもヒーリングの施術でなくてもこうしたこと全般に関する情報の質問でも何でも構いません、と言われた。

私はその時はまた連絡して、個人のセッションのようにしてもらうことは可能ですか?と聞いた。

そうしたらなんと、「いや、そんなんじゃなくて、普通にカフェとかでお茶しながら単に話すで大丈夫です。僕、そんな大仰なことをするつもりはないんで」と言われた。

驚いた。

普通はそれでもうセッションやレッスンとしてカウントされて、有料になる。

なのにその人は、そこに関してはお金をいただくつもりがないと言った。

私は聞いた。

来月に東京に来るからその時でもいいけれど、もしこの後時間があるなら近くのところでお茶しませんか?と。

その人も1〜2時間であれば大丈夫とのことだったから、私たちは場所を移動して近くのガストに行った。

長くなったから、ガストでの話は次の記事にて。

2018年6月27日水曜日

新潟 to 東京

2018/06/26 新潟の空より

明日の今頃は、銀座に向かって移動しているか、はたまた銀座でランチをしている。

うぐいすの鳴き声や、虫の鳴き声、スクーターの音、よその家の家庭音、そんなので溢れ返っている今のこの場所から、喧騒だらけの東京に24時間もすれば移動している。

明日もホロスコープの講座とは別に用事を入れた。

明日入れて残り5回。

私はまだ行ってもいないのに、残りの5回の東京行きが早くも憂うつになって来た。

ホロスコープはためになる。

他のちょこまかとした用事も楽しい。

毎回ランチを考える時間は東京行きの楽しみの1つに数えられる。

99%楽しいことやためになることで埋め尽くしたとしても、残りの1%は叶わないものだとわかると憂うつになる。

なぜなら私は残りの99%が叶わなくても1%の望みが叶うなら、それが一番自分にとっての望みであることを知っているから。

それが叶わないと知りながら、東京に毎回行くのは決して楽しいことではない。

私はどんな状況でも楽しみを見出せる力があるし、楽しむこともできる。

でもそういうことじゃない。

叶わないものは叶わない。

あきらめるしかない。

私はペンジュラムに何回尋ねたかわからない。

これ本当に持ち主のところに行く?って。

物の上にペンジュラムをかざして物に直接聞いてる。

最低でも1日2回としてカウント、掛けることの4ヶ月で240回。

その質問がペンジュラムのスーパーYESのサインを最初に出した質問だった。

5月だったかな?

とにかくペンジュラムだけはその質問に対して、YES以外を出さない。

240回以上も聞いて、それでも絶対的なYESしか出さない。

「私は武士俣史子です」と同じぐらいに毎回毎回YESが出る。

質問を変えて、「持ち主の元へは行きません」と聞くとスーパーNOが出てくる。

私には渡す術がない。

ないにも関わらず、ペンジュラムは私の元を離れて持ち主の元へ行くことを徹底的に伝えてくる。

この先、偶然なんてあり得ない。

選択肢というかペンジュラムが言うことが本当ならば、ある手段はただ1つ。

持ち主本人が私に連絡してくる。

それ以外にない。

私からは連絡の取りようもないから、本当にできることは何もない。

これまでは東京に行くのが嬉しかった。

単純に地理的距離が縮まるのが嬉しかった。

だけど、今は地理的距離だけが縮まっても現実は何も変わらない、という事実を突きつけられて帰ってくる。

今回ももれなくそんな風なわけで、行く前から早くも意気消沈している。

書いていて思い出した。

あと1つだけ私にできることがあった。

というかする必要のあること。

これからそれをする。
15:03

6時前に完了。

今の私ができることはやりきった。

物の声を聞き取った。

そして聞き取った声をそのまま文章にして紙にメモした。

この聞き取り調査は何回目だろう。

物はたとえ同じ物でも、扱われ方の希望がそれぞれの物によって違う。

聞いてあげないとそれはわからない。

これまでは4ヶ月ほど私の方で保管してたわけで、その物はある時から具体的にどう保管されたいのかをペンジュラムを通して伝えてくるようになった。

これまでの保管の仕方と持ち主の元へ実際に行ってからでは全く違う持たれ方を希望してた。

物自身は私が持ち主ではないことを知っている。

持ち主の元に旅立つまでの間、預かる人という認識でいるんだと思う。

持ち主と物とが私が今してるみたいに対話するのは難しいから、私が代わりに物の声を聴く。

物はいつでも教えてくれる。

物は当たり前だけれど、喋るわけではないから、ひたすら私がペンジュラムを使って質問するしかない。

で、ペンジュラムを通じてならYESNOをはっきりと示してくる。

お手入れの方法も違ってた。

持ち主のことをわかっているんだと思う。

私がしてるような若干手間暇のかかるやり方ではなく、簡単にすぐできる方法で尚且つ本人の気が向いた時でOKと出た。

準備は整ったから、いつでも旅立つことができる。

人に渡るものだから、書いた紙は封筒に入れた後、三重に保護した。

自分のものでさえそんなに厳重に保管したことがない。

でもリュックに入れて持ち歩いたらぐちゃぐちゃになりそうだから、できる範囲できっちりと保護した。

渡らなければまた持ち帰ってくるけれど、できれば物だけでも先に本人に渡らないかなと思う。

この世の中でたった1人しか持ち主はいないから、そして持ち主のためにしか働かないものだから、持ち主の元に早く行くのが物としても本望だと思う。

物自身に聞いたらそうだと言った。

私のところにいるのではなく、持ち主の元に行きたい、と。



2018/06/27 高速バスの中より

あと5時間後は池袋着。

今回はおにぎりのモーニングにしようと前回から企んでた。

1つの店舗の中にバーガー系とおにぎり系が入っていて(というのは注文してから知った)、次回は絶対におにぎりがいい!と思った。

前回夜中に運転していた時、野うさぎを見かけた。

たぬきやキツネは何回か見たけれど、野うさぎは人生で初めてだった。

気になって調べたら、「野うさぎ=耳が長い=情報を集める」というメッセージらしい。

私は6回ホロスコープの講座に参加することももちろん大切だと思っているけれど、多分もっと大事なのはそれ以外の部分だと思ってる。

今回はヒーリングの予約を入れた。

友達の洗脳騒ぎのおかげであれこれ調べていくうちに行き着いたサイトだった。

洗脳がなければ絶対に行き着かないのがわかって、これも何かの縁なんだろうなぁと感じた。

もし予約が取れたら行こうと数日前連絡したら予約が取れた。

私は今回の人に会おうと思った理由は色々あるけれど、その1つにその人が私の辿ってる道と少し似ていたから。

その人はそもそもヒーリングの道に進む気なんて全くなかった。

だけど、その人自身の体質がそうだった。

どんなに避けようとしてもそうするしかないぐらいに色んなことがあったらしい。

そしてようやく腹を決めて始めたのが去年かおととしだった。

洗脳だけじゃなくいくつか他の記事も読んだけど、読んでみての感想は「この人きちんと知ってる人だ」というもの。

知ってる人じゃなきゃわからない類いの話がたくさんその人自身の言葉で語られていた。

そんな人に今回会ってくる。

来月はすでに1つホロスコープ鑑定の予約を入れた。

その方なら絶対に私の意味不明な人生の設定をありのまま読んでくれそうというのがわかったから。

本当は1日で全部入れてしまいたかったけれど相手の空きのスケジュール上無理で、だから来月は泊まりがけで行く。

相変わらず自分の行き着く先がわからないけれど、何かしら必要があってホロスコープの講座もその他のことも同時進行的に起こるんだろうなぁと思ってる。


バスで出発する時、順番を待つためにみんな一列に並んだ。

そのうちの1人の男の子が、同じ形のリュックを持っていた。

物の持ち主と同じリュックで色も多分同じ。

今回の東京行きも大丈夫だなとそれ見て思った。

1人で勝手に連想ゲームをした。

前回がうさぎで今回がリュック。

情報を集めて、リュックに詰める。

ちなみに情報は、取捨選択するとあった。

何でもかんでも手にするのではなく、うさきが耳を立てて情報を集める時は、必要なものを分別して取り込む。

その取り込んだものを今度はリュックに入れる。

2018年6月26日火曜日

シニアの色恋

昨日のコーヒーショップでの出来事。

窓側には横一列にカウンター調のような1人席になっていて、私はその一番奥にいた。

基本的に座る人はみんなおひとり様で、それぞれ何か調べ物や書き物をして、ある程度終わると席を立っていなくなるという風だった。

私は期限付きのホロスコープ動画とアメリカでは有名らしきヒーラー(ヒーリングをする人)の動画を見てひたすらメモを取っていた。

途中で自分の親ぐらいの男女がやってきた。

若くて還暦、もしかしたら70前後かな…という感じ。

どう見ても孫がいる、そんな年齢の人たち。

私は最初その人たちは夫婦なのかと思った。

ても男性側がヨーロッパに旅行に行ってその時のコインを女性に見せた時、夫婦じゃなかったことが判明した。

夫婦なら「ヨーロッパに行ってきて」なんて会話は家で済むし、外に出てまでコインを見せるなんてそんな面倒なことしなくてもいい。

家で話して家で見せれば事足りるようなことをわざわざ外でしてたから、夫婦じゃなかったんだな…と気付いた。

私はまた動画に戻って真剣に聞いてた。

だけど、何か一瞬、違うものを感知したのだろう。

ふと横を見ると、その夫婦ではない男性側が突然女性の髪の毛を触っていた。

ゴミが付いていたらしいけれど、その仕草を見て、この人この女の人に恋してるんだと思った。

触り方が妙な色気というか下心が見える触り方で、私は度肝を抜かれてガン見してしまった。

気になってよくよく2人を観察してみると、女性もデートとしてそこにいるような気がしてならなかった。

戒めなのか普段からなのかは知らないけれど、両方の薬指に指輪をしていた。

左手薬指の結婚指輪はわかる、でも右手の薬指の指輪は何だろうと思った。

あの世代の人の指輪の付け方はよく知らないけれど、私の世代では結婚してる女性で右手薬指にも指輪をはめてる人はほとんどいない。

同世代の既婚女性たちが右手薬指にも指輪をはめる時は、結婚式なんかのお呼ばれの時にダイヤモンドなんかがついてる婚約指輪をしてる。

その時ぐらいしか見たことがない。

私はアホすぎて、一度結婚してる友達が共通の友達の結婚式で指輪をしてなくて、忘れたの?と聞いたことがある。

「違うの。うち、今それどころじゃなくて、嫌だから指輪してないの」と返ってきた。

そんなこと聞く予定でも告白させる予定でもなかったから、私の失礼な質問を謝った。

友達は全く気にしてなくて、その後旦那とのあれこれを私に教えてくれた。

くだんの女性の右手薬指の指輪の意味は知らない。

だけど、そんな細かな事情を知らなくても、男の人ならそれ見て「結婚してる」ことだけはよくわかると思う。

ちなみに男性側は指輪はしてなくて、左手首に水晶みたいな透明色に近いパワーストーンのブレスレットを付けていた。

女性の様子を観察した。

よく見ると、ピンクとオレンジの間のようなマニキュアを付けている。

女の私から見ても可愛い色だなと思う。

爪は短くしていたから、普段からお母さん業なり妻業をしてると思う。

普段なら家事をする手なんだと思う。

服装のスカートをよく見ると、これおしゃれ着なんだろうなと思った。

黒のカットソー的なものに白の薄手のカーディガン、スカートは紺色だけどそこに小さな模様が入っていて、形もふわっとしたもので、清楚な出で立ちだった。

普段着ではなく、今日はおしゃれしてきましたみたいな格好だった。

また動画に戻るも、あの2人の動向の方が面白すぎて、私は何度もそちらを見た。

2人は完全に2人の世界に陶酔してるから、私が数個離れた席からキョロキョロ見渡していても目に入らない様子だった。

女の人がパンを食べ終えた頃、これまたすごい場面に遭遇した。

男の人がナプキンを手に取って、女の人の唇を拭いてあげてた。

エロいとしか言いようのないシーンだった。

それを見て、その男の人がいかにその女の人に触れたいと思っているのか、ものすごく伝わってきた。

そもそも髪の毛とか唇とか、普通には触らない場所ばかりを触っていて、見てる私の方がドギマギした 笑。

2人の距離も微妙だった。

触れそうで触れないみたいな距離感を保っていて、の割にはやたらと近くて、相手の顔を見て話す時なんか、体の向きをわざわざ変える関係ですごく近くなっていた。

2人はずっと色んな話をしていて、その時話題に出た何かを急遽見に行くことになって店を出た。

話の感じから、多分趣味とか何かの会で一緒になった人たちかなと思われる。

私の席から2人が並んで歩いている姿が見えたけれど、手は繋いでいなかった。

だけれど、多分男の方はものすごくその女の人が好きなんだろうなぁと思った。

元からなのかはわからないけれど、あの世代にしては珍しくレディーファーストを実践してる人だった。

食べ終わった食器は彼がさっと持って片付けて(団塊の世代辺り+超保守的な田舎町ではものすごく珍しいタイプ)、相手の女性に気遣いながら歩いてる様子もわかった。

その2人の関係は最後までわからなかったけれど、見ていてなんか良かった。

そんなの見てたら2つほど福祉の仕事をしてた時のことを思い出した。

社会福祉の国家資格の受験資格を取るために、私は20代の頃、通信の大学に通った。

ある程度の単位が取れたから、現場実習に行くことになった。

その時私は、社会福祉協議会と呼ばれる地域福祉の窓口みたいな機関に世話になっていた。

10日程の実習の中で、1日は介護予防的なデイケアに行くことになった。

関係ないけれど、アメリカの実習の時は8ヶ月450時間以上が単位取得のための必須時間で、だから単純に1日あたり6時間とかだと週に10日以上、私は最初は子どもたちの帰宅時間に合わせての実習で夏休みになるまでは1日3時間しか行けなくて、ほぼほぼ毎日通わなきゃ単位が取れなくて、本気で嫌だった。

だから日本の実習時間の短さに度肝を抜かれた。

こんなの見学と何が違うのかさっぱりわからなかった。

それはそうと、そのデイケアでのこと。

40代ぐらいの明るい女性が担当で、会場の施設に行くまでの車中、簡単に今日の1日の流れを説明してくれた。

その時にその女性は何度も「武士俣さん、びっくりするかもしれませんが、いらっしゃる利用者の女性たち、おばあちゃんたちですね、とにかく最初から最後まで下ネタオンパレードなので、そういうものだと心に留めておいて下さいね。本当に驚きますよ」と言っていた。

私はちょっと大袈裟に言ってるのかと思っていた。

だって、あれこれボケ予防的な活動があるから、そんなに喋る時間があるんだろうか?と思ったし、そんなにもばあさんたちが下ネタばかり話すというのが想像できなかった。

私はその前にももっと大規模な特養(特別養護老人ホーム)のデイケアも実習で行って、その時はそんなことなかったから、そうなんだ〜ぐらいに思ってた。

9時〜3時とか9時〜4時ぐらいの時間だったと思う。

その担当者の女性の方が言っていた通り、ばあさんたちは昼寝の時以外、本当にずっとずっと下ネタばかりを話してた。

お茶飲みの時間が午前と午後各1回、あとパッチワークでポーチを作る手芸の時間、他にもう1つちょっとした作業か訓練の時間、仕出し弁当でのお昼の時間、最後紙芝居の時間、というけっこう活動そのものは盛り沢山で忙しかったのに、ばあさんたちは活動の内容に関係なくずっと下ネタばかりを楽しそうに話してた。

8人もいなかったと思うけれど、先導者がいるわけでもなんでもなく、みんながみんな話してた。

ばあさんたちの若かりし頃なんてまだ車の時代ではなかったから、救急車もないような時代だった。

ちなみに当時で80歳から上の世代だったと記憶している。

私は忘れもしないけれど、その下ネタの中で、市内の書店のじいさんと相手がその人の奥さんなのか不倫相手だったのかは忘れたけれど(多分後者)、なんと事の最中に膣痙攣を起こしたらしい。

医院に運ぶことになったけれど、それこそ互いに裸で抱き合ったまま田舎の野菜売りのばあさんが使うような荷台車に乗せて運んだという話をしてた。

そういう下世話な話を80も過ぎたばあさんたちがガハガハ笑いながらずっと話してた。

お茶飲みしてようが手芸の作業をしてようが、ばあさんたちは口も手も動かしていて、私より余程器用だった。

最後の紙芝居がまたすごかった。

この担当者の女性も心得ていて、ばあさんたちが喜ぶ内容の話を選んでいた。

その時の内容は、惚れ薬的な水があって、それを飲むとたちまち目の前の人を好きになるという話だった。

紙芝居の主人公はばあさんなんだけど、ばあさんがその水を若者に渡して、若い男はそのばあさんに惚れてしまう、というハチャメチャなストーリーだった。

そこからばあさんたちの妄想は大炸裂して、その後帰るまでずっとずっとその紙芝居の色恋話と自分たちとを重ね合わせてあれこれ話をしていた。

私が人生で見たばあさんで一番元気なばあさんたちだった。

ばあさんたちが送迎車に乗って帰った後、担当者の女性から「凄かったでしょ?」と聞かれた。

私は想像以上に凄かったと答えた。

「武士俣さん、色んな考え方があると思うけれど、私はあれでいいと思ってるの。ここに来てる利用者さんたち、みんなこの日を楽しみにしているの。本当に楽しいからね。そしてゲラゲラ笑って楽しい時間を過ごして、少しでもボケ予防とか寝たきり予防ができるなら、それが一番だと思ってるから、だから下ネタばかりでも私はそれでみんなが元気になるならそれでいいと思っていてね」
と教えてくれた。

確かにそうだった。

そのばあさんたちは、下ネタトークに忙しくて、ボケたり寝たきりになってる場合ではなさそうだった。

もう1つの話。

これも社会福祉の通信教育の時。

ある時のスクーリングの授業の中で、施設とかに勤めてる人たちは、そのグループ内でその施設特有のプログラムがあったらお互いに紹介しましょうみたいな時間だったと思う。

数人のグループで、その時の話も凄いインパクトがあった。

30歳前後の男性の話で、彼は特別養護老人ホームの職員さんだった。

特別養護老人ホームというのは、介護度の高い高齢者が生活する介護施設。

軽い人たちは基本的に後回しで、寝たきりかそれに近い介護の必要な人たちが優先的に入所する(施設に入るまで2年待ちとか3年待ちなんてよく言われるのがこの特養)。

で、その男性での施設での取り組みのこと。

ある時、試験的に寝たきりの男性数名を対象に別室に集めて、そこでアダルトビデオ鑑賞会をしたらしい。

それで本人の生活レベルが戻ったりするという研究結果があるらしく、物は試しとその施設でもやったらしい。

嘘みたいな本当の話で、そのアダルトビデオ鑑賞会を重ねた結果、なんとその寝たきりの男性たちが自力で歩くまでに回復したとのこと。

人間の三大欲求とは本当にすごくて、性欲を刺激したことで人間らしい生活が取り戻されて、それ以来その施設では定例のプログラムとして普通に導入してるらしい。

性欲って凄いんだな、人間の生きる力そのものなんだと感想を言われてた気がする。

冒頭のコーヒーショップの男女のやり取りもそうだったけれど、それだけで生きる時間に彩りがある。

ばあさんたちも下ネタガンガン、マシンガントークのように延々と話していたけれど、みんなそれではつらつとしてた。

最後のアダルトビデオ鑑賞会だって、世間的には眉をひそめるようなものでも、それで元気になってその人が余生を楽しめるだけの体力や気力が回復されたら、それほど良いことはない。

何歳になっても恋する力とか、性的な意欲とか、そういうのって生きることそのものに繋がっていくんだなと思った。

2018年6月25日月曜日

体重の歴史

「何をどうしたら25㎏も体重が変動するの?あり得ないよね」

3月まで働いていた職場で事務員さん同士が話していたことがあった。

私はそれを聞いて、まさか私がそうですなんて告白するわけもなく、告白したところでその人たちの気まずさも十分に想像できたから、黙っていた。

昨日のブログで、25㎏の体重変動について触れた時、これ記事にしようと思った。

書きながら、これ世間一般では摂食障害の人と思われるんじゃないかと思ったから。

摂食障害に対して偏見はない。

ないけれど、そうではない私からしてそうだと勘違いされるのは嫌だった。

摂食障害で25㎏体重が変動したならそう言うけれど、私の場合そうじゃない。

私は摂食障害とかでは一切なく、なのにこれだけの体重が行ったり来たりするという、ある種すごい特殊な体験をしていると思う。

私は体重が25㎏行ったり来たりする体験そのものは、多分私の場合、自分の人生の流れそのものに直結してると思ってる。

とにかく人生全般において、両極端の世界を見る。

両方の世界を知ることが何かしら意味があってそうなってると思う。

だから極端に少ない体重も極端に多い体重も両方体験してみる、みたいな。

でもまだヒントとなるピースがいくつかあるだけで、何でそんな人生の流れなのかは具体的にはわからない。

ホロスコープの調べ物をしてる時にもそのような人生の特色が書かれていた。

ある時、ホロスコープを調べていたら出てきたこと。

何の調べ物の時でホロスコープのどの部分を指すのか忘れたけれど(重要視してなくてメモしなかった)、何かと何かが重なるなり角度を取ると摂食障害になったり大きな体重の変動を経験したりする、みたいなことが書かれていた。

私はもれなく自分もその指摘されてたものを持っていたから、あぁそうだったんだ、と妙に納得した。

私の体重は、思春期の中学生から高校生にかけても多分5㎏前後増える方にも減る方にも移動したと思う。

私が適正体重がわからないと言ったのは、私は1つの体重のところに多分1年としてほぼほぼ毎日同じという体験をしたことがないから、どの体重が本当に自分にとってのベストかがわからない。

今は太りすぎだとさすがに思うけれど、私は痩せてる時も太っている時も体の可動域の変化や自分が感じる重みがわからない。

人は太ると体が重いと言い、痩せると体が軽くなったと言うけれど、私はどちらの時もそれを感じない。

元々の運動神経の鈍さも手伝って、余計とわからないのかもしれない。

ちなみに今思うと中高の私は全く太っていなかった。

だけど、私は太ってると言われ、ダイエットもした。

そして中高の時にありがちな「○○㎏もあるなんて太り過ぎ」というメディア的な言葉を受けての会話も普通にあった。

あれは私はものすごく毒だと思う。

何故なら、そうした体重はみんなそれぞれに体型や体質があって、一概に何㎏だから良い悪いではないから。

たとえ同じ身長でもそれは個人によって違う。

何でそういう教えを広めないのかな…と思う。

本当に健康に直結してしまうことだから、そこをきちんとした正しい情報をなぜ外に出さないのか、わからない。

25㎏も変動したおかげでわかったことは、下位5㎏は私の場合、もう適正ではないとわかる。

その域にくると、一般的には少ないとは絶対に言われない値でも、私の場合、本気で骨と皮になる。

普通に立ってる状態であばら骨が出てしまう状態だった。

周りの人たちからきちんと食べてる?と心配されるぐらいだから、本当によろしくない。

ちなみに下位5㎏の時は、1回は掃除のバイト+精神的なストレスで食べても食べても痩せ細る一方だった大学2年の夏休みと、もう2回はドミニカ共和国にいた2年間で2回もデング熱にかかって、それでその時に記録した。

デング熱で痩せる理由は、基本的に食べられなくなるから。

デング熱の初期症状でわかりやすいのは、突然の食欲減退。

2回目は特にわかりやすかったけれど、私はその日発症直前に1週間分の食料をスーパーに買いに行ってた。

ビールももちろん買って、美味しいイタリアンサラミも買って、他にも色んなものを買って、帰ったら飲む気満々でいた。

私は首都に住んでいたから、基本的な買物はほぼほぼスーパーで行なっていた。

そして家に帰ってきて、さぁつまみを作って飲もう!とした時に、突然何も食べたくなくなった。

直前まで飲みのメニューを意気揚々と考えていたのに、とにかく立ってるのもしんどくなってきてベッドに横になりたかった。

私は何も食べず、食べ物を冷蔵庫に入れるとすぐに横になった。

基本的に発熱しても私は食欲が一切衰えないタイプだから、私が食べれない時は身体的に相当悪い。

まさか2回目のデング熱を発症してるなんてその時は夢にも思ってなくて、その3日後に念のため検査をしようとなったら、デング熱にかかってた。

すごい余談だけど、2回目の決め手は、目の裏側の痛みだった。

目の裏側なんて痛くなったことないから、それで「まさかデング熱2回目なんてあり得ない」と思ったけれど、そのまさかだと悪いから念のため通院して血液検査をした。

そしたら何とまさかのデング熱だった。

通院せずに放置したら、真面目に危なかったと思う。

通常デング熱は解熱剤を飲んでも熱は下がらない。

1回目は定説通りで、多分10回近く飲んでも一切下がらなかったのと、ものすごく具合が悪くなったのとでおかしいと思い、それで医者にかかって血液検査をして判明。

2回目はそれが中途半端に1〜2時間だけ下がってまたすぐに上がるということを薬を服用する度に3日繰り返したから、ちょっとわかりにくかった。

しつこいけれど、わかったのは眼球の裏の痛みのおかげ。

こんなのも本当に要らぬ情報だけれど、超大切だから言うと。

デング熱の時は、解熱剤としてバファリンは使えない。

どのメーカーだったらOKか忘れたけれど、とにかくバファリンは絶対にダメ。

バファリンの中の成分が血液の流れを良くするんだか何かで、体内の出血を促進して非常に危なくなるから、場合によってはそれで死に至るからと説明された。

ちなみにデング熱は血小板が異常なほど減少することで発覚する。

白血球も減少する。

私は1回目の時に、「白血球が3桁で危ないからもう一度検査します」と言われた日があった。

意味がわからなかったけれど、後から看護師の友達に聞いたら「その値って、ガンとか白血病の人たちが出す値で本気で命の危険があるレベルだから」と説明された。

こういう時、無知ってある意味ありがたいなと思った。

無知だったから、全くそのことを言われても意味がわからなかったから、重大なこととして受け止めずに済んだ。

まぁだから、デング熱になると食欲が一気になくなって、私は水さえ飲むのがしんどいぐらいだったから、体重はおかげでどんどん減る。

通常の食欲に戻るのに、2回とも1ヶ月かかっていたから、1ヶ月ほとんど飲み食いしなけりゃそれは痩せる。

誰でも痩せる。

私も各回5〜7㎏痩せた。


自分の記憶にある体重の変遷。

高校卒業後、アメリカに行った1年目で10㎏程太る。

アメリカのご飯は本気で不味い。

私はある時から確実に美味しく食べれるハンバーガーとフライドポテトをほぼ毎日1食は食べるという生活を始めた。

当たり前だけど太る。

2年目の冬、私は風邪をかなりこじらせてそれで3〜4㎏減量。

2年目が終わり、夏休みに大学内の掃除のバイト、1日8時間×週5を3ヶ月する。

元々運動などしない人が1日8時間も動き続けるから、スルスルと体重は落ちた。

そしてその夏の終わり、私は痛い恋愛を体験してストレスでさらに体重が減った。

この時が人生で1番痩せてたけれど、本気で骨と皮みたいになっていて、周りから本気で大丈夫かと心配された。

私としても、今じゃあ羨ましくて仕方ないけれど、食べても食べても太らないどころかどんどん痩せるから、そんなことにも悩んでた。

その後5㎏ぐらいは戻ったと思う。

日本に帰国してからドミニカに行くまでの数年間は、もうプラスして5㎏程を行ったり来たり。

当時夜勤があった関係で年に2回健康診断があったけれど、一度として同じ体重を記録したことがなかったから、当時もすでに自分の適正体重が不明だった。

その後ドミニカ共和国での2年間で、毎年数キロずつ増えたり減ったりをデング熱によって繰り返す。

痩せてた当時、私は女友達に頼んで、ビキニを着て写真を撮ってもらった。

今じゃなきゃ撮れない、と思った私のあの時の勘は素晴らしく、今同じことしたら犯罪級の罪に問われる。

日本に帰国して名古屋生活開始。

自分では全く気付かなかったけれど、ブラック企業での激務のおかげでなんと2年目の健康診断で前年比5㎏減と知る。

スーツも緩くなった気がしなくもなかったけれど、あまりの忙しさに気付かず。

健康診断の結果を見て初めて気付くという。

その後またその分は戻って、その後から1年に2キロ前後太っていったように思う(←常に変動してるから自分でもよく覚えていない)。

決定的に7㎏も太ったのは、新潟に戻ってから。

これは完全にストレス太り。

多分最初の3ヶ月で3㎏前後。

その後事務の仕事を始めたら、最初はそれも合わなくておやつをよく食べてた。

仕事中もおやつOKなところだった上、おやつがよく回ってきてた。

仕事後も小腹が空いたらちょっと何かをつまんでた。

大量に食べることはしなくても、塵も積もれば山となる状態で、2017年を迎える頃には人生で見たことのないMAXの体重を記録した。

その時も3〜4㎏程度の増量でも、恐れおののくぐらいの数値を目にして、さすがにヤバイと思った。

その時が、大学2年の終わりに激ヤセしたところからプラス25㎏となった。

そんな時に、長い付き合いの友達から結婚式の招待を受ける。

最後会った時の体重がいくつかわからなかったけれど、15㎏前後はプラスと思われる。

ズケズケと言ってくる男友達数名が目に浮かび青ざめそうだった。

だけどそんなにすぐに痩せれるわけもなく、2キロ減量が精一杯だった。

5月の結婚式は泣きたいほどにあれこれ言われた。

そしてほぼ同じメンバーで次は8月に結婚式があった。

結局話は流れたけれど、なんと5月の時に1番仲良くしてた男友達から「ぶっしー本気で九州まで嫁に来てもいいなら、僕1人すごく良い人を紹介できるよ!」と言われた。

写真も見せてもらって、誠実そうな好青年且つ安定した職業の方だった。

「って言うか、ぶっしーの話を実はしてて写真も見せたんだよね!」
と友達は言い出した。

私は即座に「どの写真を見せたの?今の体型により近くてできれば変な写りのものだといいんだけど」と付け加えた。

私の写真写りは恐ろしく悪いけれど、たまにうっかりきれいな感じに写る時がある(対自分比)。

中途半端にきれいに写ったものよりも変な風に写ってるものを見てそれでもいいと言ってくれる、スーパー心の広いもしくはちょっと趣味がおかしい男性でなければ無理だから、私はそこを確認した。

ちなみにこの友達は過去にも紹介してくれたことがあったけれど、その時々も私は良いこと以上に最初にそうではないところを相手の人にしっかりと伝えて欲しいとお願いしてた。

友達がどれだったかな〜と言いながら、多分これだ!と言って出してきたのは決してきれいには写っていないものだった。

私的には良かったけれど、逆に友達に「その男の人大丈夫?この写真を見て会ってもいいと言う人の好みがわからない。おかしいとさえ思う」と言った。

友達は大丈夫だよと言ったけれど、私は本当に紹介してくれるなら、友達の記憶にあるこれまでの私の数々の変なエピソードを伝えてもらうのと、あと変わってる人だけど大丈夫かも聞いてね、と念押しした。

私は私が結婚できない理由は自分でも重々承知してるけれど、相手の人がなぜ結婚してないのか、しかも性格も良いとのこと、顔もスタイルも良さそうであれば仕事も安定、結婚相手として申し分なさそうなのに、何で⁇と思った。
(友達いわく、出会いの場が極端に少ないとのこと)

とりあえず会えるのであれば、私はダイエットを頑張ろうと思った。

でもこの話だけでは私はダイエットを全く頑張らなかった。

全然やる気にならず、このまま8月末の結婚式&紹介なのかと思ってた。

ところが私は7月から本格的にダイエットを始めた。

理由は紹介じゃない。

イケメン&スタイル抜群な男性に惹かれて、私はせめてもの自助努力で、自分ができることはやろうと思った。

私はその人から相手にされるとは全く思っていなかった。

淡い期待も一切抱かなかった。

男版高嶺の花とはこういう人を指すのだろうと思ってた。

それは最後までそうだった。

だけど、本気で身だしなみを整えようとそれはそれはとても自然にそんな気持ちが湧いた。

私は本気でダイエットを始めた。

食事に気をつけ、そして夜1時間程、週に4〜5日ウォーキングをした。

それは結婚式が終わってからもその人がいる限り続いた。

これだけ体重の変動を繰り返した私の人生で、1番真面目にダイエットに取り組んだ時だった。

4㎏程その2ヶ月弱で落とした。

残念ながらそのうちの2キロほどはこの1年でカムバックしてきたけれど、人生で1番熱いダイエットで、そして何よりもモチベーションの理由がものすごく良かった。

その人に逢えたことの効果は、ダイエットだけじゃなかった。

8月の結婚式の時に、毒舌男友達数名が、痩せたことを珍しくきちんと言葉にしてまで言ってくれた。

何ならどうやってその人を誘うかの作戦まで一緒に考えてくれた、結婚式の最中に。

紹介の話は何事もなく立ち消えになった。

でも男友達は、そんなことよりも私が真剣にどうしたらいいかと相談した内容の方を本気で喜んでくれた。

長い付き合いの中で私がその手の話をするなんて初めてだったから、そういう意味で純粋に喜んでくれた。

お盆の時に、当時三重に住んでいた妹家族を訪ねたついでに、名古屋にいた頃お世話になったSさんに名古屋で2年ぶりに再会した。

Sさんは私を見るなり
「ぶっしーちゃん、何かあったでしょ?(^^)」
と言ってきた。

Sさんもそれはそれは私のことを手放しに喜んでくれた。

そういう人に出逢えたっていうのが素晴らしいねと言ってくれた。

去年の夏は久しぶりに再会する人たちのほとんどから「何かあった?」と聞かれるぐらいに私は普段とは違っていたんだと思う。

そういう力ってすごいなと思う。

ちなみに私が当時痩せていてきれいな体型だったとしても、はたまた顔そのものがもっと美人な造りだったとしても、多分その人とは私が望むような関係にはなれなかったように思う。

自分でも無謀過ぎると思った。

私はその手の外見の人にはまず絶対に近寄らない。

友達として知り合うならありでも、手が届きそうにもない人を、憧れるならまだしも本気で想ったりすることはそれまで一度もなかった。

そういう意味では対象外の人だった。

だから意識上では私はその人のことを当初全く見ていなかった。

私が色々気付くのはずっと後の話で、そして気付いてからもしばらくはそんな筈ないと全力で否定していた。

気付いてからも、その整った外見はずい分と私の勇気を砕いていった。

外見だけじゃなく、対外的に知っているその人の持っているものは、完全に私の中ではマイナスにしかならなかった。

その人の持っているものがマイナスなんじゃなくて、それに対してどうやっても見劣りするものしかない私側の色んなものがマイナスでしかなかった。

私は普段自分の社会的なものなんか何1つ気にならないタチだけど、その時だけは本気で気になった。

自分の生き方や社会的なものがダメだなんて思わないけれど、理解されないだろうことは容易に想像できた。

明らかに生きる世界が違いすぎていたし、知り合い方が知り合い方だったゆえ、色んな意味で遠い世界の人だった。

結果、手など一度も届かなかったけれど、本当に手が届くなんて全く思えなかった相手だった。

だけど、私はダイエットを本気で頑張った。

他のどうにもならないことはどうにもならないから、せめて自分の努力次第で何とかなるものは何とかしようとした。

何なら私は人生で初めてのネイルもした。

ネイルをしたところで相手が見てくれるなんていう可能性は限りなくゼロではあったけれど、私はした。

男友達が私のネイルを見てビックリするぐらい、私はそういうことをしない人だけれど、その時はした。

したかったからした。

頑張ったところでどうにもならないものはどうにもならなかったけれど、そうした1つ1つの積み重ねを本気でしたかった。

だから去年の夏のダイエットは、ある意味とても特別なものだった。



話は戻って体重。

またいつ何時変動するかもわからない私の体重。

できればまた去年の夏のような良い感じのモチベーションでダイエットできたらいいな〜と思ってる。

2018年6月24日日曜日

池袋の朝

池袋駅前の朝6時は猛烈に楽しい場所だった。

老若男女問わず、色んな人たちが行き交っていた。

私は朝早くから開いているカフェでモーニングをしてた。

予定では、そこで日記を書いたりホロスコープの動画を見たりするつもりだったけれど、それらの手は止まって気付くと人間観察にいそしんでた。

学者のような雰囲気を携えていた紳士のグループ。

朝からパソコンで資料を作っているスーツのサラリーマン。

とても綺麗で高価そうな宝石や衣服を身にまとっている上品なマダム。

英語圏の白人ボーイと日本人の男女の若者の3人組。

2つのテーブルをくっつけて競馬新聞を広げて鉛筆持ってるおじさん。

日本に旅行に来たと思われる大きなスーツケースをゴロゴロ動かしてやって来たアジア人女性2人組。

窓の外を見れば、これまた池袋はカオスだった。

学生か社会人になりたてのカップルが駅前で別れる。

大きなリュックを背負った欧米系の背が高くて恰幅の良い外国人数人の団体が通り過ぎる。

子どもを自転車の後ろに乗せて出勤前に保育園に預けに行くだろうサラリーマンのパパ。

スーツ姿のベビーカーをものすごい速さで押しているママ。

蛍光の派手な制服を着た町の美化のごみ拾いをしているおじさん。

ぱっと見何が入っているのかわからない大きな荷物を抱えた学生風の子。

仕事が終わってこれから帰路に向かう風のホスト。

私は飽きることなく駅前を行き交う人たちを見ていた。

ふと、その人たちの生まれたての姿を想像した。

今でこそみんな十人十色で外見も身にまとっている服も髪型も化粧もカバンも全く違っている。

でも生まれた時は、だいたい身長は50㎝ほどで体重は3000gほど。

そして裸んぼで何も手にせずにこの世に誕生する。

本当に身1つでこの世界にやってくる。

そしてどんな外見や背格好になるのか、それは努力とかせずとも決まった形になる。

体重は色々変動しても、背の高さや目の色、肌の色、髪の毛なんかはそれぞれが生まれ持ったDNAの通りになる。
(体重差、下から上まで25㎏の幅を体験した私は、体重というのは安定しないものだと思ってる。私は自分の適正体重がよくわからないけれど、多分今からあと10㎏ほど少ないとベストに程近いのかなと思う。ちなみに今はMAXの頃より5〜6㎏少ないぐらいでまだまだ太ってる)

本当にそれぞれの人がそれぞれの人生を生きるのに相応しい外見に生まれついているのだろうなと思った。

ホロスコープ鑑定を初めて受けた時、私と同じ配置の星の位置で生まれるには26000年の時を経ないと同じにならない、ということを教えてもらった。

それはすなわに私たち1人1人が唯一無二であることを示している。

双子でさえ、時間差で生まれるから、たとえ一卵性双生児でもそれぞれ違うものを持って生まれてくる。

塾の仕事の時、一卵性双生児の男の子2人を見た。

最初はどっちがどっちかわからなかったけれど、やっぱり長く付き合うとそれぞれが違うとわかる。

性格も似てるところもあるけれど、違うところもある。

同じ話をしても、2人のリアクションは異なる。

すごい当たり前のことだけれど、それぞれが別の人格を持った人間だとわかる。

ホロスコープの講座が終わった後、念願の銀座三越に行ってきた。

池袋のカオスっぷりを知ったがゆえ、銀座三越の画一的な雰囲気は全く面白みがなかった。

店員や客の表情や立ち居振る舞いを見ていたけれど、みんな仮面をかぶってるみたいだった。

先に個性という枠を作って、そこに自分を当てはめてるみたいな、そんな感じを感じてしまった。

銀座三越のブランドに相応しい自分を作る、そんな不一致感みたいなのが見え隠れしていた。

朝の池袋は、時間が早いこともあって、みんな日常の一部の中にいた。

旅行者もいたけれど、それは非日常に身を置いてるその人自身みたいな感じで、無理して自分を作ってる風ではなかった。

その日の朝、ホロスコープの動画を見ていた時、1つとして一瞬として同じものがないことに気付いた。

私はずっと同じ場所に3時間半ほどいたけれど、お客さんは常に入れ替わっていたし、道行く人はいつも一瞬のうちにどこかに消えていった。

1分として同じものはなかった。

私だってそこにずっといても、朝バーガーなるものを食べてた時もあれば、店内の人間観察をしてた時もあれば、ホロスコープの動画を見てた時もあった。

ふと、こんな風に自分が普段の生活域を離れて違う土地にいる時、人と人とが出逢うってすごいことだなと思った。

池袋駅前の人の数と言ったらなかったけれども、そんなにもたくさんの人が行き交っていても誰も知ってる人がいない。

たとえ単に職場で挨拶する程度の仲でさえ、こんなにもたくさんの人たちがいる世の中で互いに知り合える貴重な機会なんだと知る。

さらに本当に友達とか恋人とか配偶者とか、そうした特別な仲になれる人となるともっと限られてくる。

ご縁の世界の話になる。

私が人生で知り合った人たちは、あの日何千人と行き来のあった人の中にはいない。

みんなそれぞれの土地にそれぞれ住んでいる。

不思議な気分だった。

出逢う人たちと「じゃあ○年○月○日に、△△という場所で待ち合わせてお互いに会いましょう」としてるわけでは一切ないのに、きちんと出逢うべくして出逢う。

約束してなくても、その日その時その場にお互いにどういう因果か居合わせて知り合う。

だから出逢いってすごいと思う。

これからますますロボットが身近に参入して、技術が発展して、もっと色んなことを数値化できたとしても、出逢いについての計算は絶対にできない。

その中でさらに縁を紡ぐ人となったら、それどんな奇跡ですか?と思う。

だって縁は自分1人では紡げない。

相手も私と紡ぎたいと意志を持ってくれないと、縁を結べない。

私は20代の頃、周りの大人たちが「ご縁があったんだね」と言う言葉がいちいち大袈裟に聞こえていて、何でみんなそうやって言うのか不思議でならなかった。

今はその言葉の意味がものすごくよくわかる。

本当に縁がないと、繋がれないから。

どんなに自分が望んでどんなに努力してもそんなの関係なくて、繋がれないものは繋がれない、以上。

多分私が人生で一番自分でもどうにもできないと感じるのはこのことだと思う。

繋がりたくても繋がれない。

2018年6月23日土曜日

一大仕事

数日後の銀座ホロスコープ教室に行く際、それとは別にとっても大きな仕事がある。

やることは、単に予約した書籍を書店に取りに行くだけだけど、その予約した本のタイトルを言うのがものすごく恥ずかしい。

この間、電話越しにそのタイトルを言うだけでも恥ずかしかった。

しかも1回目ではヒットせず、2回も言う羽目になって、顔が見えないとは言え顔から火が出そうだった。

そもそも本を予約した理由は、その特典が欲しいから。

私は特典が欲しくて本を予約したのは人生で初めてだった。

今回の特典は、しおり。

そのしおりの見本をネット上で初めて見た時、ものすごく惹かれた。

たかがしおり、されどしおりで、私はそのしおりの使い方だけじゃなく、それを持った時の自分とか、それを持つことでの自分への影響とか、色んな明るい日常をありありと思い描くことができた。

しかもそのしおりは人の手を介している。

全国限定2000本で、その1本1本にリボンを手作業でつけて、アロマオイル振りかけて、さらには神社に奉納されたもの。

その限定品を置いているのは首都圏の書店ばかりで、たまたま発売日の1週間後に東京行きがあったから、実現可能な夢になった。

発表があって、即予約したのは言うまでもない。

話は戻って、その一大仕事。

一瞬だし、店員さんには二度と会わないだろうし、一度きりのことだし…と思うけれど、ものすごく恥ずかしい。

電話で予約した際、受け取り方についても確認した。

サービスカウンターで自分の名前と本のタイトルを言うとのことだった。

それを聞いただけで私はものすごく緊張した。

ちなみに私はその本を買う気は全くなかった。

内容はパートナーシップについて。

パートナーシップに関しての心理ワーク的なものは記憶にある限り過去に2回しか取り扱わなかった。

その2回も強烈過ぎたから、もう自分の中では十分からは程遠くてもやった感があってそれ以降触れてもない。

有料での個人セッションは多分40回、多くても50回、後は生徒同士の練習やモニターとしてやってもらうこと、それはゆうに50回超えるし、もしかしたら100近くの回数いくのかもしれない。

その中で2回しか扱わなかったぐらいに私は向き合うことから避けまくった。

本も何百冊と読んだけれども、パートナーシップに関しては1冊だけ買ってすぐに手放して、あとは本の中にそういう内容が含まれていると私は読み飛ばしてた。

読むと嫌なことが色々思い出されて、私としては触りたくもなかったから。

だからパートナーシップの本を買うなんてこと自体、もう私の中では大快挙だったりする。

読んでみないとわからないけれど、もしかしたら今回は読めるかもしれないと密かに期待している。

著者自身が一度結婚に失敗していて、そこから今のとても良好なパートナーシップに至るまでのプロセスを経てる人だから、読めるかなと思う。

アマゾンのレビューではボロクソに書かれる人だけれど、私がこの人の言葉を好むのは、この人の場合は自分の体験談を語るから。

誰かの言葉じゃなくて、もしくは上から目線で何かを教え諭すのとも違っていて、自分が体験したことでそこから得た人生訓や自分なりのポリシーだったりする。

その人の元旦那さんとの結婚生活は、ブログで読む限り「独身で良かった」と私が大真面目に思うほどのもので、その人が最初の結婚で相当な傷を抱えたことは容易に想像できる。

今の旦那さんとのことはものすごくのろけているけれども、これが全く読んでいて嫌じゃない。

これは私の中では、すごいこと。

他の人たちのブログでは絶対に起こらないことだから(恋愛系のアドバイスやのろけをたまに文章で読むと、私の場合、大抵イラっとする)、のろけに対して羨ましいとさえ思うのが珍しい。

だからそこから今のパートナーシップに至るまでのあれこれが書かれてるとするなら、すごく興味深いし、私もそこから何かを感じ取れる可能性もある。

しかもホロスコープと絡めて書いているから、そういう意味でもとても興味深い。

気になる方はどうぞ調べてみて下さい。

「海部舞 新刊」と入力したらヒットします。

言い訳がましいけれど、私が惹かれたのはあくまでも特典のしおりの方。

しおりは使い道がすでに決まっているぐらいに欲しくて、珍しく物欲発動。

話ついでに、私はこの1年ほどで大きく変化したことが1つある。

相変わらず、恋愛系のエッセイは苦手だけれど、なんとなんと私はその手のエッセイを手に取るようになった。

買わないけれど、立ち読み程度は一時してた。

ハウツー本ではなくて、心情を謳っている本たちに惹かれた。

心のさまをとても情緒豊かな表現で綴られていて、それらを私は好んで読んだ。

たった1人の人に出逢っただけで、セラピーでは絶対に癒されなかった部分がとても自然な形で癒された。

その人は何もしていない。

私に何か声をかけたわけでも、2人で親密な時間を持てたわけでもない。

ただ存在してた、私の世界にある日突然存在するようになった。

それでものすごい変化が起きたわけだから、私はその人を見て「ただいるだけであなたには価値がある」というスピ系の教えや本によく出てくるフレーズの意味が本当にわかった。

その人は本当にいるだけでどれだけの影響を私の人生に与えたか計り知れない。

本当にいてくれるだけでいい、そういう人だった。

私は自分がセラピーを受ける方も提供する方も両方したからわかる。

一番効果的なセラピーは、日常の中で自然に起こる変化だということ。

私は自分の体験したことが無駄だとは一切思わないし、どれも体験できて良かったと思うけれど、意図もせず何だか勝手に変化が起きたというのが一番強いことは知っている。

心理療法で小難しいことするよりも、例えば一瞬だけ誰かにそっと手を握ってもらう、そちらの方が何十倍と効果があることを私は知っている。

だから、その何もせずただ存在してたその人に出逢ったことで、私はある日10年以上ご無沙汰だった恋愛系のエッセイ本を手にするなんて、ものすごい変化だった。

変容と言ってもいい。

もう一生ご縁のない本のジャンルかと思ってたぐらいに近寄らなかったのに、なんと私は自ら近付いていった。

私が恋愛系のエッセイに手を出すなんてのはもう10年以上なかった行為だった。

とてもキレイな言葉たちが私にとっては凶器だった。

読むと過去の痛い瞬間をすぐに思い出したり、もうこのまま一生闇に葬るのかと思うような感覚や気持ちが湧いてきてた。

それがわかっていたから私は避けてた。

だから私がその手の本を自然に手に取った時、自分で自分に驚いた。

凶器でしかなかった本たちが、私の心の声の代弁者に変わってた。

そしてどれもこれも私が自分じゃ説明できない感覚を、言葉にして私にもわかるようにしてくれてた。

私は夢中で読んだ。

少しでも自分の心に自分の気持ちに輪郭を持たせたかった。

気持ちを言葉にできなくて、そうだと認めるのも全力で避けてて、だけどもういいかな…とちょっと肩の力が抜けた時に出逢った言葉たちだった。

今2017年の9月のカレンダーを見た。

そのタイミングでなければ私は読めなかった本たちだった。

もう少し早ければ、私の準備がなされていなかった。

私の準備というのは、その言葉たちを心のひしゃくですくう受け皿がなかった。

もう少し後なら、心がボキボキに折れまくった時だから絶対に読まなかった。

その手の本たちに出合ったのは、その中間地点にあった。

その人の笑顔を最後に見た、その次の日と次の次の日に手に取った本たちだった。

本人は自分の顔が見えないから気付かなかっただろうけれど、その時その人は本当に素敵な表情をしていた。

しかも私がとてつもなく変なことを朝からわざわざ聞いて、なのに嫌な顔1つせずに答えてくれた時だった。

嫌な顔どころかニコニコ穏やかな笑みまで浮かべていた。
ように少なくとも私には見えた。

それがもしその人が長い人生の中で身につけた自然なスタイルで、イケメンだからそんなことがさらりとできたことでも、それでも私にはものすごく嬉しい瞬間だった。

私に向けてなくて単にその人の普段のクセでそんな表情になっていたとしても、それでも見れた私には最高の癒しをもたらした。

(その人が自分をイケメンと思ってるかどうかは知らないけれど、少なくともその人を知る女性全員が「イケメン」認定する人だった。私も初対面でもれなくそう思い、そしてすぐに「イケメン=私はこの人とは縁のない人」と勝手に決めつけた。モテたかどうかは知らないけれど、モテ男な人生を歩んでいても何ら不思議のない人。)

多分、私は最初に出逢った日とその日しかその人の笑顔を見ていない。

私以外の人たちには時々見せてはいたけれど(元々そんなに気持ちを顔に出さないタイプの人)、私にだけ見せたのはその2回だけ。

こうやって言葉にするとわかる。

その人がいかに私と接点がなくて、特に何かしてたわけではなかったこと。

だから私は自分自身にものすごく混乱していた。

何も絡みがないのに気になってしまう自分が理解できなかった。

だけど、あれから数ヶ月を経て、今はまたもっと違う意味でわかる。

私が出逢ったのは、その人がそこにいるだけで良い、という人だった。

そんな人に出逢える、そんなこと人生で何度も起こらない。

そりゃ私だって色々言いたいことはあった。

せめて何かしら言葉を発してくれても良かったのにとか、もう少し何か言ってくれれば私もそこまで踏み込まなかった=不快にもさせなかったのにとか。

だけど、その人がどうであっても、私にはとても特別な人だったんだと思う。

色んなことをあきらめて、過去の痛みも闇に葬って、癒すこともあきらめて、そんな時に出逢えた人だった。

私はもう十分過ぎるほどもらったんだと思う。

その人が存在してるところから、私はたくさんの癒しとたくさんの奇跡を見せてもらった。

私が見つけた本たちからもらった言葉たち。

私の気持ちのままだった。

私が自分では説明できなかった自分自身の一部だった。

まだこの頃は魂的な繋がり云々なんて全く頭になかった時期で、本当にただただ自分の思いを言葉にしてくれてるこの本たちに感動した。

かなり恥ずかしいものがあるけれど、癒しもくれる言葉たちだから、お裾分け。


>2017年9月2日 (土)
19:32

会いたいな!と思って会う、ということもありますが
その人に会うまで、
会いたかったのだということに気づかない
ということもあるわけです。
顔を見て声を聴いてそこではじめて
ああ、私はずっと、この人に会いたかったんだなあ
と感じることも、あるんだと思うのです。
11

会いたい人の方から
声をかけてくれる可能性もありますし、
待っていてもしかたないから
自分から会いに行こう!
という人もいると思います。
どちらからいこうが、大した違いはないのです。
会ってしまえばそこには
お互いの共有できる時空があるだけです。
54

たしかに自分自身の心なのに、
自分の意識や意志とは関係なく、
勝手に動いてしまいます。
65

愛や恋に「一般的なもの」などないのです。
全ては個別具体的で、ユニークです。
誰も経験したことがない恋を、
だれもがするのです。
253

「きれいに説明ができなくても、
どうもそうしたほうがいいと思える」というときのほうが、
むしろ、信用できるのかもしれません。
283

『薔薇色の鳥』石井ゆかり



>2017年9月3日 (土)
15:56

いるはずもない君の姿を
いつも探している。
見つからなくてガッカリして、
見つからなくてホッとする。
8

好きな人の鼻歌を
こっそり聴きたい。
17

『好きになっちゃいけない』って
思ったときにはだいたい手遅れ。
29

大人になってからますます
手書きの文字を見る場面が減っているのだけど、
好きな人が書いた字を見るのが好きだ。
ああ、こんな字を書くんだなって。
色々知っているようでたくさん知らないことがあるんだなぁって思う。
好きな人のことをひとつひとつ知ってゆくのは
楽しくて、とっても嬉しい。
29

誰かを想い続けることは、時にとても疲れることだ。
でも、「疲れたからやめる」のができるのは一瞬で、
少しでも元気が戻ったら好きという気持ちも
一緒に復活してしまう。
51

わたしは人に弱みを見せるのが怖くて、
いつもひとりでパンクしていた。
56

今を大切にしなくては、
過去のわたしが報われないよね。
59

伝えてくれた言葉だけが、
起こしてくれた行動だけが、
やさしさなんじゃなくて、
その人が自分のために
何を伝えなかったのか、
何をしなかったのかを想像すると、
また違った形のやさしさが
見えるような気がする。
65

恋の終わりは別れの涙を
流しているときじゃないな。
ああ、終わったんだなぁって
静かに思いながら、
笑えるようになったときだな。
97

前に進みたい、忘れたい、
なんて口では言いながら、
本当はそばにいることを許してほしかったし、
忘れなくていいような記憶になれば
いいのになっていつも思ってた。
進めなかったのは、
忘れられなかったのは、
誰かのせいじゃない。
わたし自身が選んでいたんだ。
103

どうしても忘れられない人なんて
どうせ一生忘れられないのだから、
いっそ憶えておけばいいんじゃないのかな。
108

考えないにしよう、と思う時点で
すでに考えていて、気にしないようにしよう、
と思う時点で気にしている。
116

背中を押してくれる人がいる。
支えてくれる人がいる。
共に歩いてくれる人がいる。
けれど踏み出す足は自分にしかない。
162

今までは価値観が合うかどうかが
いちばん大切だったけれど、
違う価値観を許せるかどうかの方が
大切なのではないかと思うようになった。
価値観は経験によって変わり続けるから、
根っこの部分さえ合っていればそのほかの違いは
その人らしさとして尊重できたらいいな。
167

偶然といえば偶然だし、
奇跡といえば奇跡だし、
運命といえば運命だし、
何でもいいし、
どれでもいい。
結果的にあなたに出会えたから。
178

限られた時間の中で限られた数の
出逢いしかないのだから。
188

たとえば十年前に知り合った人と、
その頃出会わずに今出会ったとしたら
同じように親しかっただろうか。
逆に今親しい人と十年前に知り合っていたら。
そう思うと出会うタイミングって
大事なんだろうなぁって改めて思う。
出会うべくして出会ったのかもしれない。
194

運命だと思えるほどの偶然に、
この先あと何度、
出逢うことができるのだろう。
196

『今』を残しておくことは
未来へのプレゼントだ。
201

傷ついたからこそ、痛みを知ることができたのだと。叶わなかったからこそ、前に進む方法を模索することができたのだと。
205

誰かを心から愛した日々は、結果とは別に、大事なものを自分に与えてくれたと信じています。
207

『好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。』
sleep


>2017年9月3日(日)

会いたいと思っている人に会えることは
簡単なようでいて簡単じゃない。
自分も相手も会いたいと思っていて、
会える距離にいて、会える状況下にある。
そのどれかが欠けてしまつたら
簡単に会うことは出来ない。
だから待ち合わせ場所に大切な人がいるのは
小さな奇跡なんだ。
11

あの日あの選択をしなければ
辿り着けなかった場所がある。
巡り会えなかった人がいる。
41

過去の失敗も悲しみも
全て抱擁してくれるような、
たとえ正しくなかったとしても
間違いではなかったと思わせてくれるような、
そういう存在に出会えることが
人生には稀にある。
この道を辿らなければ
出会えなかったと思える人に出会った時、
これまでの全てが報われるような気持ちになる。
それはひとりでは絶対に得ることの出来ない
幸せの形。
146

後悔がひとつもないなんて、そんなこと言えない。
何年経っても後悔していることがある。
人を傷つけてしまったこと。泣かせてしまったこと。
どうすることも出来ないこと。もう会えない人たち。
一生消えないシミのように、ずっと残ると思う。
でも、それをも抱えて生きていくと決めた。
傷も痛みも後悔も、全部持って生きていくと決めた。
181

あの人のいない日常が想像つかなかったけれど
意外とうまくやれていると我ながら思う。
平気なわけじゃない。でも、ちゃんと
生きていけるんだって思えるようになった。
過去には戻れない。それは諦めじゃなくて覚悟だ。
明日が来る。夜は明ける。私は生きていく。
195

運命の出会いって
結ばれたとか結ばれなかったとか
今そばにいるとかいないとか
そういうのは本当の意味では関係ないと思う。
自分が運命だと思えた出会いだったなら
それは間違いなく運命だったんだ。
204

『運命みたいな偶然に、あと何度めぐり逢えるだろう。』

手紙と死ぬ間際

昨日海に行った際、手紙を持って行った。

海で振り返りなんて粋だと思った。

晴天のさなか、日焼けは絶対に避けたかったから、日陰+誰もいないところを探した。

あっさりと見つかって、海と川の境い目の上にかかる陸橋の下があった。

そんなところ誰もいないし、海も見えるし、座るところ(コンクリート)もあるし、日陰。

言うことなしだった。

ところが予想に反して寒かった。

潮風は冷たすぎて、途中から寒さが気になりだして、色々集中できなくなった。

とりあえず手紙を封筒から出して読んだ。

4枚目で嫌になり、やめた。

渡された人はこの手紙をどうしたんだろう…と思った。

最後まであの勢いに任せて書かれた起承転結のない、だから何だ?とツッコミどころ満載の手紙をどうしたんだろう。

最後まで読んでくれたとしたら、 それだけで神対応だなと思った。

そこには去年の夏の記録が記されている。

もう永遠にやって来ない瞬間たちが詰められている。

私の文字の向こう側でどんな顔して何を感じたんだろうか。

迷惑極まりないことも重々承知してた私は、最後に邪魔なものならシュレッターにかけて欲しいとお願いした。

私なりの気遣いだった。

けれど、その最後にまで行き着いたんだろうか。

久しぶりに読めば、新鮮な気持ちで読めるのかと思ったら大間違いだったことに気付いた。

これはある種の嫌がらせにとられてもおかしくないなと思った。

私の扱い方の問題もあって、封筒はかなりボロボロになっている。

手紙本体は、余計な空気が抜けてペタンとなっている。

数日前から私は突然スイッチが入って、昔の手紙を処分し始めた。

もちろん全部は処分しない。

その手紙たちは、周りからおばあちゃんと呼ばれるような年齢になった時、読み返す楽しみ用に取っておいてある。

たまに手紙を渡しそびれたり下書きしたと思われるものも出てくる。

それは基本的に処分。

高校生の私が書いたものの大半はくだらない。

読みもせず処分用の大きな封筒にどんどん入れている。

それに比べたら、昨日海に持って行った下書きの手紙はまだ新しい。

でもそれもいつか私は自分のこの手で処分するんだと思う。

最近時々考えてることだけど、自分が独り身で死ぬとしたら、遺品の処分の仕方を考えないといけないんだなと。

1人で死なないのであれば、相手にやってもらうということではなく、相手の意向も聞くのかな…なんて想像しなくもないけれど、まぁ基本は1人で死ぬと想定した方が今は想像しやすい。

そういう意味ではこの下書きの手紙は絶対に自らの手で処分するから、ただ時期が早いか遅いかの違いだと思ってる。

ちなみに私は、自分がある日突然死んだとしたら、特に今なんか物の管理がなってないから、お手数ですが何でもかんでも処分してください、という気持ちでいる。

死の話題を出したついでに、私が忘れられない夢の1つを話したい。

多分見たのは今から5年か6年前。

夢の中の私は、それが私だということはわかったけれど、それが今の私なのか、未来のこの人生の終わりを迎えている私なのか、それとももう命がすでに終わっているある時に生きていた過去世の私なのか、その区別はさっぱりつかなかった。

だけど、それが自分自身であることだけはわかった。

私は知らない空間、病院みたいなところなのか、殺風景で壁も布団も白くて、ベッドの上に仰向けに寝ていた。

目も閉じていた。

私自身ははっきりと自分がこれから死ぬのはわかっていた。

これから死ぬの死ぬは、長くてもその日のうちに、早ければ数分後みたいな、死の迫り方だった。

私の右手は布団から出ていて、ダランと下に垂れそうなそんな風だった。

その手を誰かは知らないけれど、誰かが握ってくれていて、そしてそれを見て私は「良い人生だったな」と喋りはしないけれど静かにでもはっきりと思っていた。

自分の命が絶えようとしているその瞬間に誰かがそばにいてくれて、肉体は弱りきっているから力がないんだけれど、それでも握ってもらっている手には力を感じていた。

私は自分が完全に死ぬ前に目覚めたから、夢の中ではその手をずっと握ってもらってるところで終わっていた。

たったの一度しか見たことのない夢ではあるけれど、ものすごく強くて強烈な印象を残したものだった。

夢から覚めた後も、私は本気でそんな風にして最後を迎えたいと思った。

もし1人でも私の死の瞬間に一緒にいて、そして手を握ってくれるような誰かがいたら、私の人生、本気で御の字だと思ったし、今でも思ってる。

今スイッチが入っていて処分してる手紙とは別に残す手紙に関しては、単純に老後の楽しみを想像できる。

でも昨日海に持って行った下書きの手紙の方は、イメージ的にそのいつか見た夢の中の死ぬ間際のシーンと重なる。

老後の楽しみではなく、自分が生きた軌跡で、そして命が終わったら本当に終わりになる、それをものすごく意識させられるものだったりする。

2018年6月22日金曜日

ホロスコープの近況

ホロスコープの講座が来週27日に予定されている。

今回も張り切って銀座へと繰り出す。

ホロスコープよりもランチ何にしようかな♪の方が楽しみも大きいけど…。

その後がホロスコープじゃなかったら、ビールかグラスワイン飲むのに‼︎と思う(←捨てきれない野望)。

最近はホロスコープの調べ物が落ち着いて、というか熱が下火で(←熱しやすく冷めやすい)、4月5月のような異常なほどの執着は一旦落ち着いた。

ただ相変わらず興味はありまくりだから、引き続き調べているし調べ続けると思う。

とりあえず、目下のホロスコープの課題は、その初級講座の宿題と次のテストに向けた勉強。

そんな中、21日に夏至を迎えた関係で、夏至の流れを調べていた。

私は読めないから、あくまでも星の動きや意味を読める人たちのブログを読み漁る。

そのうちの1人の方がとても素敵な言葉を言っていた。

【成功法を試すよりも、自分を信じて自分だけの方法で進んでいく方が良い】

話があちこちに飛ぶけれど、私はこの間県立図書館に本を返した。

蔵書豊富な新潟市立図書館から4冊のホロスコープの本を、図書館の相互貸与システムを利用して借りた。

全て読めなかったけれど、最後慌ててヘリオセントリックの本を斜め読みした。

占星術には主に2つの主要な読み方があって、地球中心=天動説の「ジオセントリック」と呼ばれるものと、太陽中心=地動説の「ヘリオセントリック」というものがある。

通常は、地球から見た星座を見ていく。

ヘリオは太陽から見た時の星座を見る。

太陽の方から見ることで「地球星座」なんてのも生まれて、ちなみに地球星座は通常の星座と180度異なるもの。

牡羊座ー天秤座
牡牛座ー蠍座
双子座ー射手座
蟹座ー山羊座
獅子座ー水瓶座
乙女座ー魚座

私なら魚座だったところ、地球星座は反対の乙女座になる。

反対に乙女座だった人は、地球星座は魚座になる。

通常のホロスコープ、ジオセントリックの方は、社会への適応力や個人の性格なんかを見るのに使う。

一方のヘリオセントリックの方は、自分の資質・魂の目的・人生のテーマなんかが浮かびやすいとされている。

で、本によると、ジオセントリックとヘリオセントリックで真逆の星座になることで、基本的には全く違う目的をそれぞれの人が見出すことになるとあった。

私はちょっぴり期待した。

これまで読んだ自分のホロスコープにはないものがあるのかな、と。

ちなみにこれまで読んでわかったことは、私のものは激しめで自分の中でがんばりたくないものが多く含まれていた。

人の輪の中にガンガン入っていくみたいな、私が最も苦手とすることが至る所に書かれている。

今回もわかったけれど、基本的に私は引きこもることも家にずっといることもとても好きなタイプ。

全く苦にならない。

だけれど、ホロスコープには全く反対のテーマが書かれている。

だから、ヘリオセントリックで読むとそれが逆転するのかも‼︎とものすごーい期待を持って、それで本を読んだ。

私は他の人のものを読んでないからわからないけれど、少なくとも私のは地球中心に見ようが、太陽中心に見ようが、テーマがほとんど一緒だったことがわかった。

何がどう変わったか?何も変わらないぐらいに、例えば魚座から乙女座にひっくり返って確かに違う要素が増えたけれど、そもそも私の場合、通常のジオセントリックのホロスコープでも乙女座に土星とドラゴンヘッドと呼ばれるものがあって、それらのテーマととても似通ったテーマが地球星座にも書かれていたorz

orz、オーアールゼットじゃなくて、膝をついて頭をうなだれてがっくしきてる図だから。
(私はこの絵文字の意味がわからなくて、何年か前に初めて意味を知った)

他も、天体の星座に変更があっても、それは他のところでテーマがカバーされていて、パズルの完成図は一緒で、ピースだけ変更した、みたいな感じだったorz

結局のところ、人の中に入っていくことも、自分を表現することも、自分の価値観を全面に押し出すことも、自分と似た価値観の人たちと出逢っていくことも、とにかく何も変わらなかった。

もっと言えば、既成概念をひっくり返す、要は時代の反逆児みたいな要素はさらに強化してる有様だったorz

2歳の姪っ子が困った時や否定したい時に、人差し指を立てて、「ノンノンノンノンノン(NO NO NO NO NO)‼︎」と言うんだけれど、まさにその気分だった。

とにかくそんなことが判明して、より一層感じたのは、百聞は一見にしかずで、まさかの定説から外れた私の地動説のホロスコープ。

天動説で見ても、地動説で見ても、他の人は知らないけれど、少なくとも私の場合はほとんど意味が変わらない。

最終的な結論としては、自分自身を生きるしかない、ということ。

その自分自身を生きるにあたり、当たり前だけれど、そのマニュアルなんか存在しない。

それは私だけじゃなく、誰でもそうだと思う。

31歳の夏から37歳の春ぐらいまで約6年間、様々なことを学びまくった。

色んなことも試した。

だけど、最終的に人生は大崩れした。

そこからの私は、要は新潟に戻った2016年の6月から、私は色んな学びから一気に離れた。

書くこともやめた。

心理ワークもやめた。

ブログは少しだけ下書きだけをした記憶がある。

だけど、本当に離れた。

全部から離れてやるー‼︎なんていう強い意志でそうしたのではなく、なんとなく全てから離れた。

今思うとそんな元気もなかったと思う。

そこから2017年の秋になるまで私は完全にリセットしてた。

リセットというのも今振り返ったら「リセット」だったとわかった感じ。

リセットが完了したかどうかはわからないけれど、去年の秋辺りから一気に色んなことが起こり出したから、私はまたスピ系の調べ物を再開した。

調べたいというよりも、調べないと意味のわからないことばかりだったから調べた。

書くこともある人をきっかけに再開した。

そこから今10ヶ月ぐらい経とうとして、リセットしたことで手に入ったなと思うことがある。

色んなことを経て、私は前にも増して情報を鵜呑みにしなくなった。

必ず自分の心で確認する。

だから違和感のあるものははじくし、ピンときたら取り入れる。

例えば、前回書いた体の痛みの感覚。

私はあそこで相当おかしなことを自分でも書いてる、という自覚はある。

だって、他人の痛みが自分のところにも来て、自分も痛くなる(のか自分だけが痛いのかはわからないけれど)、なんてどんなオカルトな世界ですか?と思う。

私の勘違いという可能性もものすごく高い。

本当に測定器とかがあって「違います」と出たら、私はあっさりと「そうでしたか、わかりました」と引き下がる。

でもここまでの領域に来た時、私は情報よりも自分の感覚の方がある意味確実で(だって現実的に痛いし、起こる回数は頻繁すぎるし、そして起こるのは大抵今回はこのことかな?と想像がつくようなブログがアップされた後早くて1時間以内遅くても半日以内)、自分の感覚を否定してまで世の一般論を取り入れても仕方ない、となった。

そして内容がマニアックになればなるほど、体験談や情報も少なくなってくるから、最後は自分頼りみたいな感じになってくる。

私は散々自分を否定してきたから、これからはその自分でいいよ!と自分に寄り添いながら生きていたいと思ってる。

だから今日夏至の情報を調べてた時に、成功法よりも自分の感覚で突き進んでいくのがいいみたいな文章を見つけてとても嬉しくなった。



せっかく夏至についてあれこれと調べたから、印象に残った内容を紹介。


〜2018年の夏至ポイント〜

・次のステージに移るための自分自身のメンテナンス
(古い価値観や自分を枠にはめて苦しくさせてしまっている価値観から自分を解き放つイメージ)

・これからの時代、ますます「個」が重視されるから、唯一無二である自分自身を育んでいく

・本音の自分に気付いていく

・自分の感覚で自分の言葉で自分の価値観で自分を表現していく

・人間関係において、自分が大事にしたいポイントを見極めていく

・人生において、自分が守りたいものを知る

・自分の使い方、社会での自分の使い方の戦略を立てる時期(試行錯誤の繰り返し)


ちなみにその裏側も伝えると、上のことたちが表に出てくるというのは、すなわちこれまで抑え込んできた自分自身が外に出てくるわけで、それゆえに感情はかなり揺れるはず。

本音と建前が一致してるような人はいいけれど、そうではない人たち、私含めて、感情を表に出す時は大なり小なり抵抗が生まれるし、しんどかったりするのが普通。

しんどくなった時、すぐにできる自分の心のケアを1つ紹介。

しんどくなったら、深呼吸して、ちょっとだけしんどいところから離れてすること。
(「深呼吸」と書いたけれど、私はしてません)

過去3ヶ月くらいを目安に、その3ヶ月で自分ができたことを見つける。

私だったら、
・ホロスコープの勉強を始めた
・気になってた傷の癒し方を試した
・自分のために、蛍光ペン6色も大人買い(物は少ない方がいいと思っていて、普段なら使う頻度が低ければ買わない)
・やりたくない飯(めし)係をほぼ毎日する
・言いたくないことを友達に言ってみる
・このブログで色んなことを打ち明け始める
・気が向いた時だけ、足の甲のケアをする

でかいことじゃなくて良くて、小さな一歩をできるだけたくさん見つけてみる方が効果的。

余裕があれば、紙に書き出すとさらに効果的。

特に、普段から自分にきつく当たりがちな人、自分に厳しい人には効果的!

心のクセはすごく強くてなかなかすぐには楽にはならなくても、積み重ねると確実にクセが弱まってくるから、あとは自分の心がけ次第で良くなれる。

ちなみに自分ができたことを振り返ることの良さは、自分の心がキュッと硬く閉じてる時に、そこから離れることで心の向きが変わること。

する前が例えば自己否定エネルギーが100とするなら、90、80…と下がる。

99であっても、1でも下がったらOK!



関係ないけれど、社会情勢を読む占星術家もいて、これから国際社会での関係性に大きな変化が生まれるとあったから、個人的にそこも注目している。

そんなの全く興味がないけれど、星の動きと現実的な動きと照らし合わせて見ると面白い。

例えば、5月の日大アメフト部のことや、森友・加計学園のことはもう悪いことは隠し通せませんの天体のエネルギーの特徴が強く出たものだと思って見てる。

今後どんな風に刷新されるのか、そこも知りたいなぁと思う。

悪いことをあぶり出して終わりじゃなくて、それを撤去して新しい土壌には何が入るのかなと思う。

例として相応しいかわからないけれど、5月あたりから誰でもいいから無差別に殺すみたいなそういう事件が増えている。

心の闇の部分がクローズアップされやすいと思う。

その流れはしばらく続くから、いかに自分の本音に気付けるか、そしてまずはそれを自分がいかにケアできるかだと思う。

これも例にしていいかわからないけれど、東海道新幹線の事件の容疑者のことをニュースで見た時に、私が一番気になったのはその人自身の中に「ルーツ」となる根っこの部分があったのかな…ということだった。

確かに親族はいたけれど、本人との見えない部分での繋がり具合がさっぱりわからなかった。

親族のインタビューや話を見ていても、その部分が大きく欠けている風に見えた。

子どものいる施設で働いていた時、尊敬する上司に言われた、子どもたちとの関係で目指すこと。

家庭で暮らせない時点で、そのルーツがとても弱い。

だから悪いことを引き起こしやすいし、そういうところに流れやすいのも本当。

だけど大事なのは、そうした時に一瞬でもいいから本人が「この人がいるからこんなことやれない」という感覚や気持ち、そうしたものを持てるようにすること。

この人がいるから悪いことできない、この人が悲しむから死ねない、究極の状態の時に止められるのはもうそれしかないから、そこをいかに育めるかだと教えられた。

話がだいぶそれた。

夏至のポイント(少なくとも次の秋分までの流れ)をもっと詳しく知りたい人は、「ホロスコープ 夏至 2018」とでも入力すればかなりたくさんのサイトや記事がヒットします。

で、本当は今日おとなしくホロスコープの宿題をしようと思っていたけれど、天気がめちゃくちゃ良くなったから、ハローワークの用事が終わったら海へと直行!

海では読書や日記書き、ぼーっと過ごすのがメイン。

そんなところで勉強はしない。

ホロスコープの宿題&テスト勉強、いつするんだろう、私…。

2018年6月21日木曜日

場の空気を読み解く

大阪に「あいりん地区」と呼ばれる場所がある。

日雇いの人や路上生活者、生活保護を受ける人たちが大勢集まる地区と言われている。

何年か前、友達が案内してくれて、「ぶっしー危ないからあまりジロジロ見ないようにね」と行く前に念を押された。

実際に行くと、ぱっと見民宿のような宿泊施設がたくさんあって、どこも大抵「1泊○○円」と宿泊料金の表示が掲げられていた。

そこが他の観光地やビジネスホテル街とは大きく違うなと思った。

高くはなくても安くもなかった気がする。

ちょっとした公園みたいなところでは炊き出しの配給があって、みんな手には器を持って律儀に一列に並んでいた。

まるで戦時中のような配給風景だった。

友達いわく、NPOやNGO団体が入って、色々とサービスを日常的に提供してるらしかった。

昼間から営業している居酒屋もあちらこちらにあって、すでに中にはお客さんがいた。

結構な人数が入っているお店もあった。

私はこのことを過去にブログで書いた気もするし、書いてない気もする。

案内してくれたのが大阪で地震のあった日に電話をくれたKちゃんだったから、それで思い出してた。

私はぶっちゃけあいりん地区の方が健全な気がしたぐらいに、名古屋でもっとやばい場所を見てきた。

その時のことがやたらと鮮明に記憶によみがえってきた。

今も流行りなのかはわからないけれど、大人が集えるコミュニティスペースに行ったことがある。

名古屋にいた頃、当時仲良くしていた女の子がこの場所ぶっしーもしかしたら興味があるかもだから連れて行ってあげると言われ、連れて行ってもらった場所だった。

名古屋の中でも一等地のオフィス街の一画にあって、建物はキレイだったし、中もとても整っていた。

外見や清潔感だけ取れば、あいりん地区の100倍綺麗だった。

中ももちろん綺麗にしてあって、自由に会員は出入りできるシステムになってた。

ショッピングモールとかにありそうな占いブースのような席が端っこの方に2つか3つ、あとは10人程度の人が入れそうなミーティングスペース
あとは談話できるようにソファーとローテーブルのセットが数セット配置されてた。

私が行った時は、その占いベース風のところに1組の女性たち(多分何かしらの個人セッション)、あと数人のグループでワークショップか打ち合わせをしていた。

友達と私は、その日の管理者の人からそのスペースの使い方の説明を受けてた。

会員になって月会費なり年会費を払って自由に出入りするか、又は1回いくらという形でお金を払って行きたい時だけ利用する、又は色々イベントをしてるからそのイベントの時にだけ利用するのパターンがあったと思う。

イベントは、ビジネス系のものからスピリチュアル系のものまで幅広くあったような気がする。

スターバックスではないけれど、家でも職場でもない第3の個人のスペースとして確立されてる場所だった。

自由に出入りする人たち同士で仲良くなったりもします、とか言ってた気がする。

説明をしてくれたのは30代ぐらいの男性だった。

当時の私と年が近かったと思う。

私がその説明の時に一番気になったことは、その男の人が何回も何回もことある毎に
「ここ居心地いいでしょう〜(ニコニコ)」
と言ってくることだった。

朝活やら読書会、スピリチュアル系のワークショップ、本の勉強会、コーチング系のセミナー、ビジネス系のセミナー、自宅サロンでの小規模の会、あらゆるタイプのものに出まくっていた当時の私は、そこが人生の中でワースト3に入る居心地の悪さだった。

実際に2位かな。
(思い出しても断トツ1位の所とそこの2つしか思い出せなかった)

それとは別に、当時は月1ないし2ぐらいのペースで色んな繋がりの友達が私の狭いアパートに泊まりに来てくれてたから、私は人を受け入れることに関しては慣れみたいなのがあった。

大学4年の時に住んだ家とドミニカで住んだ家は、色んな意味で集まりやすい家だったから(立地+広さ+ルームメートの性格)、ある種のパーティーハウスと化していた。

私は提案しない(そういうのとても苦手)。

周りの誰かが提案して、じゃあフミコの家で!みたいな流れで決まってた。

だから、人を家に入れることもある意味私は慣れてた。

そんな私は、そこにいた小一時間の間、ずっと落ち着かなかった。

はじめソファーの座り心地の問題なのかと思っていたけれど、そうではなかった。

すごく綺麗にしてあるし、窓から光も入ってくる。

なんだけど、何かが大きく違っていた。

居心地いいでしょう〜と言われる度に、私は寒気がしそうなぐらいだった。

当時も感じたし、今も感じてることだけれど、そこは居場所のない大人たちが集う場所という感じだった。

大人になると、なかなか人と繋がるのが難しいのはわかる。

ましてや本音で繋がろうとしたら、相当難しい。

家にも居場所がない。

職場にも居場所がない。

本音で話せる友達のような存在もいない。

そういう人たちがやって来る、そんな感じを私は感じた。

そしてこれも言い過ぎかもしれないけれど、そこに来る人たちは何となくどんな場でもどんな人とも繋がれない人なのかもしれない、と思った。

ごくたまに、この人何かが大きくズレてる、ズレが個性ではなく周りからすると不協和音だから逃げたくなる、という人を見かける。

その手のタイプの人が来そうな感じを私は印象として受けた。

これは私の持論だけれど、大人になってから知り合って友達になれた人たちに共通していることがある。

どの人も自分なりのやり方で孤独と向き合っていること、イコール孤独から逃げないこと。

そしてもう1つは、1人の時間も楽しめること。

この2つができてるんだと思う。

そういう人たちと集まるとわかる。

一緒にいる時間を大切にする。

話したいことを話したいペースで話す。

相手が言わないことは無理に聞き出さない。

沈黙も共有する。

自分のペースがあるから、人にその人のペースを押し付けることもしなければ、かと言って周りに合わせて自分のペースを変えることもしない。

その辺りが絶妙で、すごく居心地がいい。

そして私はただの一度も自分の家に人が来た時に「うち居心地いいでしょう?」なんて聞いたことも言ったこともない。

名古屋の狭いアパートの時は「狭くてごめんね」ぐらいは言ったけれど、それ以上は言わない。

居心地いいでしょう?なんて、逆に怖くて聞けない。

居心地悪くても、「いいでしょう?」なんて聞かれたら「うん」って相手は言わざるを得ないじゃんと思う。

私も色んな家や公のスペースにお邪魔させてもらったけれど、そこ以外で「居心地いいでしょう?」なんて聞かれたことはない。

場の浄化方法を紹介されたことはあっても(←勉強会の会場の匂いがあまりにも気に入って質問した人)、だからと言っていいでしょう?なんて言われなかった。

そこまでして何かを言葉で言わないと伝わらないとでも思っているんだろうか?

そこまでしないとこの人不安なんだろうか?

それとも取り繕ったものを良いと言って欲しいんだろうか?

私からして「造られたもの」だった。

人と人とが集う時の空気感は、基本的に自然と作られる。

ビジネスの場とかでは難しくても、個人的なスペースにおいては自然と空気感が織りなされる。

もちろんインテリアとかも大切だけれど、最終的に人と人との間に居心地の良さが作られたら、場所なんかどこでもいい。

どこでもそれは生み出せる。

そういう意味で、冒頭のあいりん地区は、取り繕うことなくありのまま、そこにいる人たちがその場に佇んでいたから、雰囲気は独特でも、あの名古屋のスペースみたいな居心地の悪さはなかった。

むしろ健全さを比べたら、あいりん地区の方が私にははるか上に見えた。

あの名古屋のスペースは、見た目がきれいで、いる人たちも基本は人が良さそうだったから、余計とタチが悪い感じがした。

きれいで良いものの裏側に、多分相当歪み(ひずみ)があるのと、それを否定しようとするエネルギーが出ていたんじゃないかと思う。

人間、そんな綺麗事ばかりではやってられないから、と思う。

居心地悪いねここ、と言えないような雰囲気の方がよほど不健康だわと私は心の中で毒づいてた。

社交辞令のように私もニコニコと嘘笑いを浮かべていたけれど、一刻も早く帰りたくて仕方なかった。

出てから友達には、あの場所が私的には合わないことを伝えた。

そして始終居心地が悪かったことも告白した。

友達は全く気にしてなくて、じゃあもう行かないから大丈夫だね、と言ってくれて助かった。

友達は友達で、面白いことをやってるスペースではあるけれど、私も特段そこまで興味がないからもう行かないかな…と言ってた。

家に着いてからもらった資料の中の今月の予定表みたいなのを見た。

それ見て、あそこで感じた雰囲気とその予定表が示す内容の一致具合がわかった。

予定表の中に知ってる人がいて、その人がイベントをすることを知った。

その人というのが、自分の名前を変えた人だった。

名前は忘れたけれど(本名もビジネスネームも)、有名になる前に名前を変えた方が良いと自分のビジネスの師匠だかメンターだかに言われて、自分もそうしてるとのことだった。

その頃すでに色んなタイプの人たちに会っていたから、私にはその人がその手の出世タイプには見えなかった。

私はその人とマンツーマンで会った記憶があるけれど、何を話したのかまたはその人が何を言ったのか、さっぱり覚えていない。

私から見て「この人すごい!」と思う人たちは、皆それぞれ抜きん出た何かを持っていた。

言葉で出てくる人もいれば立ち居振る舞いで出てくる人、グループをまとめてる時に発揮する人、まぁ色々だけれど、その人はとにかく物から入っていくようなタイプで、中身が全く伴っていない、と大変失礼なことを感じたことは覚えている。

その人が自分の講座をする時に選ぶスペースなんだと知って、そしてあの案内の「ここ居心地いいでしょう?」を連発した男性を思い出して、なるほどと思った。

2人とも何か大切なものが抜け落ちてる。

それはどんなに良く見せても、絶対に隠せない何かで、その隠せない何かが多分あのコミュニティスペースに出ていたんだと思う。

大阪のあいりん地区にはないものだった。

あそこは確かにマスコミに取り上げられるような話題を持った地域かもしれないけれど、誰もそこにある雰囲気を隠そうとはしていなかった。

他に良い表現が思いつかず、それを例にするのはどうかと思ったけれど、わかりやすいのは「スケベ」か「むっつりスケベ」か。

スケベの方が健全な感じがするし、むっつりも単に表に出さないぐらいならいいけれど、それが小児性愛とか暴力性を含んだものとか、犯罪と絡まってるようなものは本気で怖い。

あの名古屋のコミュニティスペースで見たものは、そのむっつり系のけっこう危ないにおいを醸し出してる感じのものだった。

人と初めて会う時(=出会いの時)、「この人苦手」というのがある。

単に苦手と感じた人とはその後仲良くなったりすることもある。

だけど苦手の理由が「なんかこの人危ない」と感じる人は、私は離れる。

そして危ない人たちはやっぱりその時はわからなくても後々に何かしらやらかしてて、そのやらかし具合が噂で耳に入ってくる。


すごく無茶なまとめ方だけど。

最近は、過去の色んなことが思い出される。

思い出そうと思って思い出すんじゃなくて、ふとしたきっかけで思い出す。

あいりん地区のことも名古屋のコミュニティスペースのことも、はたまた友達の洗脳騒ぎや自分の体の感覚、色んなことが今は点でしかないけれど、もう少しで1本の線に繋がる気がしている。

頭で考えると、もっと生産性の高いことをしたいと思うけれど、来るものがそうではないから、もうあきらめて来たものを思い出したり振り返ったりする。

あいりん地区にはなくてあの名古屋の小綺麗なコミュニティスペースにあったもの、あの差がとても大切なことを私に教えてくれようとしてるんだと思う。

2018年6月20日水曜日

私の体質④相手の気持ちをキャッチする

私の体質の続き『④』。

※書いているうちに、やたらとスピリチュアル全開な話になりました。
抵抗のある方、ご自身の判断で読む読まないを決めて下さい。


【相手の感情が飛んでくる】

これよくよく考えたら、対面の場合、「悲しみ」限定だと思う。

さすがに全ての感情ではないし、起こる時は条件がある。

条件と言っても、私側ではなく相手側。

20歳そこそこの頃から人生の色んな話を聞くようになった私。

約20年のキャリアと考えて、総勢何百人、その中で相手側の感情が飛んできたと認識できてるのは3回。

他にも相手の強い感情をもろに感じて具合が悪くなること3回。

話の流れは6回全て覚えているけれど、内容は大したことない。

大したことないと言ったら怒られそうだけど、親子関係や男女関係のもつれが大半。

残りも、まぁ本人にとっては重いものでも、内容はそこまでのヘビーなものじゃない。

総じて言えるのは、内容の重さはあまり関係なくて、それに対して当事者がどう感じてどこまでそれを自分の中で消化できたかだと思ってる。

だからスーパーヘビー級の体験者の話の方が意外に平気だったりするから、平気と言うのは私の具合が影響されないという意味で、だから全ては本人次第だと思う。

ちなみにその中で一番具合が悪くなった時は、私は怒りすら湧いた。

私も無防備で、それは単に友達とその友達の友達と3人で会うことになった。

だから単に話すだけかと、そんな風に思ってた。

その友達の友達は1人だけ色々話ができてスッキリしてたけれど、その最中友達はずっと怒ってたし、私は無防備に聞いていたけれど途中からだるくなってきて、帰る頃にはマックス私の具合が悪くて、でも部屋の空気がものすごく気持ち悪すぎたから2人が帰ってから部屋中を徹底的に掃除して、雑巾がけもいつも以上に念入りに、そしてその後塩風呂に入って体中の気持ち悪さを取り払うようにした。

いい年した大人の男が何してんだー‼︎(怒)と思った。

そういうことは滅多に起こらない。

というか、それ1回しか体験していない。

残りの2回は、心理療法をしてる最中に出てきたものだから、これはある意味仕方ない。

それは相手が悪いわけでも私が悪いわけでもなく、それだけ本人にとって未消化の感情がたくさんあったということ。

しかも2人が帰った後、多少具合悪くても部屋中掃除とか塩風呂に入るレベルではなかった。

ここまでは『相手の強い感情をもろに感じて具合が悪くなること』の話。

ここからは『相手の感情が飛んで来る』ことの話。

読んでる人からして何が違うのかわからなくても、私の中で「相手の強い感情をもろに感じる」のと「相手の感情が飛んでくる」というのは全く別物。

『相手の感情が飛んでくる』というのは、こんな風になる。

私は普通に話を聞いてる。

聞いてる時に「あぁこの人、このことをとても悲しんでるんだな」とわかる。

だけど平気なフリをしてるんだろうなぁというのもわかる。

そんなこんなのうちに、私の涙腺が刺激されて、眼球に涙が盛り上がる感じが出てくる。

自分が泣く時ももちろん体としては同じ現象を引き起こすけど、明らかに違うところがあって、他人の時は私は書いた通り分析できるぐらいに心が淡々としてる。

なぜなら私は悲しくもなければ、相手には絶対に言わないけれど「ふーん、そうなんだ」ぐらいの非常に平坦な感じで話を聞いてる。

どこまでもある意味自分が冷めきってるから、自分が涙流す時とは全然違う。

自分の時は、もっと感情がバンバンと出てくるし、仮に涙が先で感情が後の時も、涙が出た後にじわじわとやってくるからわかる。

それがない。

ないけれど、涙は出てくる。

あぁ、その人が泣けない代わりに私が泣いてるんだなと思う。

その3回の時は、本人たちにそれぞれそのまま伝えた。

まず、私が確かに泣いてはいるけれど、実際には私の感情は全く涙が流れるような感じでは動いていないこと。

その人が泣けない代わりに私が映し鏡のように泣いてるだけであること。

そして、私が予想するに、本当はとてもとても深いところで本人が悲しんでいるだろうから、もしかして自分が悲しいのかな?と自分に気付いてあげることが大切だと私は思うこと。

私はこの現象に関しては全く特別視をしていないし、起こっても私に影響のあることでもないから、あぁ代わりに泣いてるんだなで終わり。


【この話のポイント】
相手の気持ちをキャッチするとかはさほど重要じゃない。

「相手の強い感情をもろに感じる」とか「相手の感情が飛んでくる」ことの説明をわざわざしたのは、この後の話に繋げるため。

私が本当に言いたかったのはこちら。

何百キロと離れた人の心の痛みが私の元に届いてるんじゃないか、という方が私には大事。

ある時から私は、時々左胸からみぞおちにかけて急激に痛くなることが増えた。

私はそれを自分の痛みではなく、そこにはいない別の人の痛みではないかと考えるようになった。

先に書いたように、目の前誰かがいる時はわかりやすい。

相手の代わりに私が涙を流すから。

でもそうじゃなくて、胸からみぞおちにくる痛み。

それはものすごくわかりにくい。

私自身も年に数回元々なっていたから、それとの区別が自分ではつかない。

じゃあどうやって区別をつけているかと言うと、ここは私のドラえもん「ペンジュラム」に聞く。

最初痛みが出た時だと思う。

何せ私は本気で元気で何か大きく悩んで抱え込むような事態はなかった。

なのに強烈に痛い。

最初は自分のここ最近をあれこれ振り返ってみた。

でもやっぱり痛くなる原因が思い浮かばない。

それでもしかして…と思って、ペンジュラムに「これは私自身の痛みですか?」と聞いた。

ペンジュラムは何回聞いてもNOを出してきた。

しかもスーパーNOを。

その後は想像に任せるけれども、私は質問を変えた。

それで、私ではないことがわかった。

もちろんペンジュラムが伝えたことも合ってるかどうかなんてわからない。

わからないけれど、少なくとも自分のことや状況を全て並べてみると、自分の痛みではないと結論付ける方が納得できる。

ちなみにこの現象についても私は得意のネットサーフィンでかなり調べまくった。

嘘か本当かはわからないけれど、症例としては実際にあった。

詳しくは書かないけれど、体でキャッチするものは、胸の痛みだけじゃなく他のバージョンもある。

他のバージョンこそ本当にとても変わっているから、そしてそれは私が通常生活していて絶対に感じることがないものだから、それでわかった。

多分私自身のものじゃないだろうと。

誰しもが隠したい痛みや傷がある。

隠し続けてるうちに、傷があったことさえ忘れることもある。

だけど何かの拍子に浮上してくる場合もある。

その何かの拍子がこのブログで、そして浮上してくるのが別の人の隠している痛みで、そしてそれが何らかのプロセスで私に飛んでくる…としたら。

バカみたいな話だけど、気が狂ってるみたいな話だけど、私は自分のこのちょっと変わった体質ならそれが起こってもおかしくないと思っている。

それに付け加えて、私は2月と3月に遠隔で潜在意識に刻まれている心の傷を合計で6個取ってもらった。

潜在意識だから見えないし、相手は500キロ以上離れた土地に住んでいる。

だけど、距離なんか関係なく本気で取り除いてもらったことがわかった。

あの尋常じゃない眠気+その後のスピ的な力がまた一気に上がる+数々のシンクロの起こり具合、それら全部を合わせて、抜けるところまで抜けたんだと思った。

潜在意識に刻まれていた傷を取ってもらうことで、そこに今度はスペースができる。

傷のエネルギーというのは相当なもので、そんなの日々感じまくってたら死にそうになるからみんなとりあえず隠しておく。

なくなるわけじゃなくて隠す。

隠す時、隠すためのエネルギーが必要になる。

嘘をつく時なんかに似てる。

嘘を1つついたら、それを完璧にするためにまた次また次と嘘を隠すために何かしらのフォローが必要になる。

嘘をつかずに本音を言える状況の総エネルギーを100とする。

嘘をついて隠すためにはそのためのエネルギーが要るから、総エネルギーは90とか80に下がる。

それが傷にも言えると思う。

傷を隠すのにもエネルギーは必要になる。

って考えた時、傷を取り除いてもらったことで隠さなくて良くなる。

イコール使えるエネルギー量も増えるし、エネルギーの通り道もスムーズになる。

それを私は自分が体感したことで、500キロも離れてる人が私の傷を取ってくれたことに何の疑問も抱かないし、それが本当に起こったとわかる。

先の話に戻して、私が何かしらの痛みを自分の体でキャッチしたらしいこと。

毎回私がぴんしゃんしてて心も元気な時にくるから、私の痛みとしてではなく、他の誰かの痛みを代わりに感じてるのかな…と思う方が自然な感じがする。

このブログと、私が日々の生活で目にするサインと、私の中では繋がりがある。

ブログの軸の1つに1人の人の存在がある。

日々目にする色んなサインたちは、私にその人の存在を何かしらの形で示す。

まだ今これを書いてる時点では『88888』の記事を書いていないけれど、その一連の流れを見て私は確信した。

本当に大事な場面の時、その人とわかるサイン、それも特大のサインがやってくること。

その人を示すサインは、もちろんその人を意識的に思い出すきっかけにももちろんなるけれど、それ以上に私に伝えてくれるメッセージがある。

「それで大丈夫だよ!」

「それで大丈夫だよ!」と私に伝える、その役割が大きいと思う。

現実のその人は、バリバリのビジネスマンだし、こんな私のようなぶっ飛んだ世界ではなく地に足をつけた世界に生きている。

その人が私のこと思い浮かべて私がする墓参りのごとく私の無事を祈ってるなんて想像つかないけれど、究極のレベルではそういうことになってるのかもしれないと思う。

そうじゃなきゃあり得ないぐらいのサインが、そんなに毎回毎回タイミング良くやってくるとは思えない。

実は2人の人が私にその人に関しての情報を伝えてくれてる。

変な意味ではなくて、例えば1人はホロスコープの鑑定士さんで、その人がキャッチした過去世の情報を私に教えてくれた。

私が過去世でペンジュラムを使っていたこと、その時は短命で幼くして亡くなっていること。

その短命で亡くなるまで両親とは暮らさず祖父母と思しき人たちの家で過ごしていること、そこにはもう1人私と年の近い子どもがいて、恐らくはその子が今世で知り合ったその男性ではないかということ。

その時に鑑定士さんは言った。

その内容に関わる人たちの同意があって、さらにはそれを伝える必要があって、初めて私(鑑定士さん)に情報が来ます。
今回の場合で言えば、関係者は史子さんとその方となるわけですが、どうも史子さん側の依頼ではないですね、相手の側からそれを伝えて欲しいということで来てる情報かと思われます、と。

すごくおかしな話ではあるけれど、そんなおかしな話を鑑定士さんが私に伝えたところで鑑定士さんには何のメリットもない。

私にしても知ったところでそんなの確認のしようもないし、証明なんてましてできない。

だけど、聞く必要があって聞いたんだと思う。

そしてそのメッセージの主も伝える必要があって、鑑定士さんを通じて私に伝えてきたんだと思う。

その話がもし本当だとしたら、その人本人と言うよりも、その人の魂の部分が運んできた話なのかな…なんて私は思った。

本人は間違ってもそんなこと言うとはとても思えないから、せめてこういう形で伝えようと魂は考えたのかもしれない。

幸いにして、私は数年前からスピの世界について学び始めていたから、この手の話も抵抗がない。

だから私よりも相手の方から伝えたくて伝えられたのかと…と鑑定士さんが言うのはなんとなく納得できた。

この辺りにいくと、スピ全開の話になるけれど、1つだけ言えるのは、情報には順番があるということ。

しかもその順番は、とてもじゃないけれど、人間の頭ではとても計算できないぐらいの完璧なタイミングになっている。

私は元々スピ的な知識を自分に入れ始めた頃から、シンクロニシティについては並々ならぬ興味があって、時々でかいシンクロが起こる時、そこに至るまでの日常の小さな選択を全部拾い上げて検証する癖がある(←今も好きでよくしてる)。

1番大きなものに至るまで、びっくりするぐらいに色んなことが順番で起こっている。

それは情報についても同じことが言えて、特に私なんかは元々精神世界反対!アンチスピリチュアリズム!みたいな人だったゆえ、スピの情報も完全に1から全部自分の中に入れていった。

そのプロセスを経てるからよくわかる。

情報にも順番があって、初期の頃にホロスコープだとか過去世だとか遠隔ヒーリングとかやったとしても、自分に受け入れられる土壌がなかったから、全く響かなかったと思う。

ちなみに初期の頃、最初の1年目の頃、私は過去世と遠隔ヒーリングについては、他の人たちが私にそれを教えてくれた。

だけど当時の私は、他人様の過去世の話を聞いても「で、それが何?」とは絶対に言わなかったけれど、心の中では「この話が何なんだろう?」とは思った。

遠隔ヒーリングは時々お世話になってた東京のマッサージ屋さんから「遠隔でも可能です」と案内されて、でも当時は「遠隔なんてそんな馬鹿な!」と思っていたから、当然頼むこともしなかった。

それが色んな経験を経て、色んな知識を得て、今は遠隔で何かが繋がってお互いに伝わってもおかしくないと思ってる。

しかも今は私自身が、近くにいない人の状態に合わせてそこからその人に必要と思われるメッセージと言うよりも日々の生活でその人自身のためにしてあげられる具体的なヒントを書いて伝えることをして、それで実際にその人たちが良くなったと報告を受けてるから、本当に見えないところで繋がっているんだと思う。

話が飛ぶけれど、そうした見えない部分での繋がりがこうして体に現れたり、何かを感知しても何ら不思議はない、と今は思える。

そう思えるこのタイミングでの胸の痛みやら他の体に伝わる感覚、そしてあまりにも毎回タイミング良すぎなサインたちにシンクロニシティ。

その全ては1人の人に繋がっている、そう考える方が自然なぐらいに色んなことが起こっている。

単に私がその人と繋がっていると思いたいだけかもしれないけれど。

2018年6月19日火曜日

繋がり続けるもの

地震だけを切り取って見ると良いことにはならないけれど、こういう時、人と人とを繋ぐ。

昨日(6月18日)大阪に住んでるかもしれない友達にも大丈夫?と連絡した。

かもしれないと言うのは、いつもどこにいるのかわからない友達で、でも自分のホームベースは大阪だから、それでいるのかな?と思いつつ連絡した。

確実なのはFacebookだったから、久しぶりにFacebook開いて、彼女を友達リストから探してメッセンジャー通じて連絡した。

見たら誕生日で、安否確認と誕生日おめでとうと送った。

返事は一ミリも期待していなかったけれど、なんと返事がきて今はその2回か3回遊びに行かせてもらった大阪の家にいるとのこと。

来年また海外に出ることを考えてると言ってたから、今たまたま日本にいるんだなとわかった。

この友達はシングルマザーをしてる。

ちなみにこんなにパワフルなシングルマザーは見たことがない。

子どものこともとても大切にしているけれど、彼女は常に自分の人生を見ている。

生きることに絶対に妥協しないし、自分のしたいことに対して貪欲に追い求める。

「自分の好きなことしかできない」と言い切る子で、それは昔も今も変わらない。

母親もキャリアウーマンもしてるけど、その前に自分自身であることをまずは軸にしている。

その自分の中に母の自分も、三姉妹長女の自分も、今の研究職の自分も、大阪在住の自分もいる、そんな風になってる。

関係ないけれど、今日曜の夜の9時からしているドラマ『ブラックペアン』の話、あれは架空でもあそこに描かれている世界は今も普通にあることらしい。

彼女は論文を書いたりもするけれど、自分も盗作されたし、彼女いわく論文や研究に関しての盗作について、去年初めて日本でもハーバード大学の何とか(←聞き慣れない専門用語)という基準が採用されてようやく盗作についての職業倫理みたいなのが導入されたらしい。(導入の前段階かも)

海外ではあり得ないし盗作についてとても恥ずかしいことだという価値観が浸透してるけれど、日本はそうじゃなくて、何かいいものを見つけたらそれをまるで自分の手柄のごとくアイディアを盗んだり論文を盗作したりなんてのは日常茶飯事らしい。

欧米では「自分がどう考えるか」に重きがあって、他の人のアイディアをベースにしても仕方ないという文化が根付いている。

反対に日本では、自分を押し出すために人のものを盗ってまで自分をアピールしたり、あたかも自分のアイディアのように言って平然としてたりして、中国の何でも真似する文化とそう大差ないとまで言っていた。

これにはすごく驚いた。

来年元号変わるんだよ⁉︎何その明治時代みたいな体質⁉︎と私が言ったら、ぶっしー、それが日本だよ、と返ってきた。

彼女とは色んな話をしたけれど、何が面白かったって、知らぬうちに彼女はスピリチュアルなものにも興味を示すようになってた。

だから私が今興味あることにも興味を持ってくれたし、彼女自身の体験や経験も色々話してくれた。

その中ですごく印象に残ったのは、そういうことにも興味があるけれどやっぱり生きているのは今の現実だから、それをいかに生きれるか、そこにしか私は興味がない、と彼女は言い切ってた。

私はその子がシングルになった時の経緯とか、その直後にそれこそ大阪で会ってもいたから、感慨深いものを感じた。

私は今でも覚えている。

あれがどの駅前のマクド(←関西人は本当に「マック」と言わず「マクド」と言う)か全く土地勘がないからわからないけれど、もう1人の友達と3人で別れる前に話そうということで、その時確実に遅くまで開いてたそのマクドに立ち寄った。

その子の子どもはまだ生後数ヶ月でベビーカーの中でスヤスヤと眠ってた。

その子が今の状況になるまでのことを淡々と話し始めた。

何百人の人の話を聞いても、それがどんなに悲しくて恐ろしいものでも、私の場合、話を聞いててもほとんど感情が動かない。

話は真剣に聞くし、相手の心情も想像することはできる。

でも本当に不思議と自分の気持ちはさほど動かない。

だけどその時は違った。

目をうるっとさせながら、震えそうになりながら、声を喉の奥の方から絞り出すようにしてその子に言った。

「Kちゃんが生きていて良かった」

とんでもない修羅場をくぐって、子どもと彼女は生き延びた。

本気のサバイバーだった。

その夜マクドで小さな子どもがベビーカーの中でスヤスヤと眠る横で、その子が語った全ては、もう生きてることが本気で奇跡だとしか言いようのないものだった。

スヤスヤと眠る赤ん坊を見て、この平和に満ちた時間がとてつもない奇跡の上に成り立っていることがものすごくよくわかった。

細かな言葉とかは忘れたけれど、あの時に感じたことは今でもはっきりと覚えている。

最初に知り合った日のこともよく覚えているし(とても強烈で私は絶対に仲良くなれないタイプだと思ったから)、その後も色んな時間を共有したこともところどころ覚えている。

その子が言ってくれた。

「ねぇ、ぶっしーにはみんなこういう話をするでしょう?MもCもみんな自分のことも話すでしょう?」

言われてみたら、確かに私はその3人のどの人とも「人生」について「仕事」について「自分」について「恋愛・結婚」についてあれこれ話をする。

逆に言えば、そこしか共通の話題がないから、だからいつ会う時もそんな話になる。

周りはみんなすごい雲の上の人みたく、とんでもないキャリアの持ち主だから、今なら絶対に知り合えない、住む世界が違いすぎて 笑。

私と長く友達でいてくれる人たちは、本当に素晴らしい人たちだと思う。

私がその人たちに提供できることはキャリアの面で言ったら何もない。

出逢った頃はみんなそんなすごいキャリアを積むもっと前だったから、まさかそんな大化けするとは全く予想だにしていなかった(してもおかしくないすごい能力を個々に秘めていたけれど、想像以上の大化けだった)。

しかも私の30代は「混沌」がテーマのごとく、とりあえず食べるために派遣とか、引きこもりとか、もう皆の輝かしい道からは真逆のところにいたから、そんな風でも私と変わらずに友達でいてくれた貴重な人たちだ。

それはそうと、別に今会っても、その混沌として社会から脱落してた時も、出逢った頃や近くにいた時と何ら変わらない。

人間同士の会話をするだけ。

でもKちゃんが言ってくれた。

「それ、ぶっしーだからみんな話すんだよ、自分のこと。
ぶっしーは何を言っても変わらないし、ずっと同じスタンスなんだよ。
いつも真っ直ぐで、そして変な世間の価値観に合わせて物を見てなくて、ぶっしー独自の感覚で話を聞いたりしたりするでしょ?
今だって、2、3年ぶりって感じが全くしないもん。
ぶっしーはそれができる人で、みんなそれを肌で感じてるから話すんだよ、色々と。
人に言えないようなことも話すんだよ」

Kちゃんにお礼を言った。

すごく嬉しい言葉で最高の褒め言葉だった。

「そしてぶっしーの話すことは、すごい現実的でありながら見る視点が全然違うんだよ。
スピリチュアルなことを知ってても、言うことは自分自身のこれまでの経験や会ってきた人たちを見て感じたこと聞いたことをベースにしてるから、だからすごい伝わってくる。
スピリチュアル特有のふわふわした感じはなくて、本当に自分の感じたままの経験から話を組み立てているよね」

そしてKちゃんは何回か私に言った。

「ぶっしーの魂は、ぶっしー自身は、すごくピュアなんだよ!
それって今の日本では本当にレアだよ!」

どの言葉も嬉しかった。

「ねぇところでぶっしー、最近誰か好きになった?」

Kちゃんは私に聞いてきた。

「そういう人に出逢えたよ、何もなかったけれど」
と答えた。

「どんな?どんな?」

少し私の心の内を言うと、こういう質問の時、私は少しだけ困る。

「好きな人」という言葉は、コミュニケーションを図る上で「共通言語」としてお互いにわかりやすくするために使うのは全然ありだし、それでいいと思ってる。

だけど、私はその人のことが「好きか」と問われると、正直どう答えていいかわからない。

まさか質問の時に「好きかどうかはわからなくて、正直どう答えていいかわからない人いる?」なんて聞く人、絶対にいないから。

だから「誰か好きになった?」は至極真っ当な質問だと思う。

だけど、私は素直にその人を好きと言えない。

未だに何を言ってるのかと自分でも思うけれど、わからなかった。

異性として好きと言えばその気持ちもないわけじゃなかった。

だけど、それは全部では決してなくて、色んな気持ちがある中の一部で、そしてそれ以外の部分がとんでもなく大きかったし、そのそれ以外の部分は私には言葉では説明のできない感覚だった。

「去年の今頃出逢った人だったよ。近くにいられたのは本当に少しの間で、何もなく終わってしまった。
『何も話したことがない』と言ってもいいぐらいに個人的な話なんかしたことない人だったけれど、それでもどうしようもなく惹かれた人だった」
と説明した。
(他にも説明したけれど、もう何を言ったかは忘れた)

Kちゃんはどの部分がツボだったのかわからないけれど、電話の向こうで「ぶっしー面白すぎる‼︎」と言って大笑いしてた。

「この話が最高の誕生日プレゼントだよ!ぶっしーありがとう!」
とまで言われた。

「私も変だと思ってる。ちょっと変じゃなくて、すごく変だと思ってる。だって話したこともない人を、それもじゃあ外見とか仕事とかその人の持ってるものとか、そんなのも全く興味がなくて、なのに気になって気になって仕方ないって何なの?と思ってた。今でも思ってる」

「今でもその人のこと好きなの?」

「これもおかしな話だけど、その人のことを気になってから今日に至るまで、本人が近くにいるいないに関係なく、ずっといる、そういう感じ」

「それってすごいことだよね」

「私は今でも自分の気持ちや思ってることをどう表現していいのかわからない。
だけど、その人がいなくなるとわかった時、私は死ぬんじゃないかと思うぐらいのすごい気持ちが動いたし、そんなのこれまで誰にも感じたことはなかったし、そして話したことないのに『伝えなきゃ!この人に伝えなきゃ!』って思って、何を伝えなきゃなのかもわからないのに私は10数枚もの長い手紙を書いたんだよ。
もう常軌を逸してるでしょ?」

「ぶっしーわかるよ。それぐらい気持ちが動いたってことでしょ?
ちょっと違うけれど、私が○○くんに出逢った時、『この人の子どもが欲しい』ってそれはすぐに思った。
それって本能的なもので、もう頭とかで考えて出せる答えじゃないんだよ。
本当にそうしたい、ただそれだけだった」

「それに近いと思う。
私の場合、子どもが欲しいとかではなくて、なんかもうどうにもならないぐらい惹きつけられて、自分じゃそういう気持ちになる予定もなければ、そんなのコントロールもできなかった。
もう気付いたらそうで、自分でも本気でどうしていいかわからんかった。
唯一わかったことは、自分の気持ちだけだった。
自分でそうしようと思ってそうなってるんじゃなくて、そういう人が目の前に現れた、そしてそれは自分でもコントロールできないものが外から勝手にもたらされた、そして気付いたら私の中でそういうものが勝手に湧いてた、そんな風だった」

Kちゃんには電話の最初の方でペンジュラムの話をしてたから、2月にホロスコープを受けたら、その人は魂的なご縁の人でペンジュラムを使ってた時の過去世の時に近くにいた人じゃないかと言われた話もした。

その上で付け加えた。

「でも、ぶっちゃっけそんなのわからないし、もしそうじゃなかったとしても、私の中ではとにかくすごく惹かれてとてつもなく気になった人には変わりない。
そして、私をそんな気持ちにさせる人に出逢えるのって、どれぐらいの確率なのかなと思う。
だってそういう人、探したら出逢えるわけじゃないし、出逢おうと思って出逢えるわけじゃない。
Kちゃんがその人の子どもが欲しいと感じたように、誰でも良かったわけじゃないのと一緒だと思う。
だって、誰でも良ければ、『男』の人を見たらそれでいいわけじゃん」

「そうだよね〜。
そもそもそんな人ってなかなか出逢えないんだよ!
この人いいな〜なんて感じる人もあんまりいないけれど、それに加えて『この人の子どもを産みたい』なんて本当にないからね!
あんなの本当に本能だよ。
もう言葉じゃ絶対に言い表せない!」

他にも私たちは、自分の居場所だとか、孤独だとか、内にこもって自分の内面を見つめるとか、まぁ色々延々と話してた。

そう言えば今何時なんだろう?と気になって時計を見たら1時を指そうとしてた。

「ねぇ、1時になるって知ってた?」

「寝よう寝よう!私さっき布団の中に入ったから。
じゃあまた今度ね!
今年は同窓会しようよ!
しなきゃね!」

お互いにありがとうとおやすみを言って、そしてKちゃんにはもう一度おめでとうを言って電話を切った。

昨日の大阪を中心とした地震は、私と人とを繋いでくれた。

そしてKちゃんから、大切な時間をプレゼントしてもらった。

2018年6月18日月曜日

心のふた

絶賛解毒&浄化中の中、書いている今。

今日(6月17日)会ってきた友達は、私から見てそのヒーリングの師匠から洗脳されてる子だった。

その師匠は私からして絶対に許せなくて、本当にこの人は何やらかしてくれてんだ?という人。

人間的に完全にアウトで、私は友達がどんなに慕っていようと絶対に受け入れられなかった。

そのことで、何せ2週間+完治までもう1週間、合計3週間も体に不具合が出てそのうち5日間は寝込むという前代未聞の体調不良を経験して、もうこれは本気でその子から離れるしかないとなった。

さんざん毎月のように会って、2人でお喋りを楽しんで、情報交換もし合って、でも明らかに彼女が習っているヒーリングと私がこれまで習ってきた数々のことがあまりにも相反していて、もうどうにもならない事態にまでなっていた。

時間を置いたことで私は自分の中の気持ちが随分と整理された。

何日も前から伝えることを頭の中に思い浮かべた。

声にも出して練習した。

そもそも今日の会合は急遽決まったモーニングだった。

他の人の提案で、最初その子と私も含めて4人でモーニングした。

私は何を勘違いしてたのか、待ち合わせ時間を間違えていて、家を出ようとした時に「奥の席にいます」と一番乗りの子が連絡くれて、それで自分がすでに遅刻してることに気付いた。

朝から悠長にブログアップしてる場合じゃなかったし、お墓参りという名の願掛けに立ち寄ってる場合じゃなくなって、仏壇の前で手を合わせて今度は仏壇越しに願掛けをした。

モーニングは楽しかった。

この楽しい時間を私は自ら壊そうとしてるんだなとわかったら、悩ましかった。

1人また1人と帰って、その子と私だけになった。

もう逃げられない。

話すんだなと覚悟を決めた。

決めたけれど、私は呆然としてた。

これが今生で彼女に会える最後の瞬間なのかと思ったら、私は泣けてきた。

彼女がドリンクバーに行ってる間、私は涙を拭いて、もう一度覚悟を決めた。

私が今一番守らないといけないのは、私自身だった。

だから情に流されてる場合じゃないと、それはそれは自分をきつく律さないと自分が崩れてしまいそうだった。

なんだろう、この別れ話的な流れ…と思いながらも私は口を開いた。

私は本題に入る前にものすごい長い前置きをした。

その子を傷付ける意図は一切ないけれど、これから話すことはその可能性が大いにあること。

その子の人生を否定するつもりももちろんないけれど、これまで積み重ねてきたことを私はこれからとことん否定する言葉を発すること。

だけど私はその子のことが今でも人として好きだし、それとこれから話すことは別物であること。

とても勝手な話だけれど、人としてその子を好きなことは私の本心だから、それだけはせめてわかって欲しいこと。

そして私は彼女の旦那さんをはじめ、ご両親、きょうだい、姪っ子と、1人として会ったことないけれど、とても素敵な人たちだとこれまで話を聞いていていつも感じていたし、その中にいるその子というのは本当にとても温かい優しいエネルギーの中で生きていると感じていて、それは今も変わらないこと。

それとは全く関係なしに、今回は私側の一方的な都合でこれから伝えることがあること。

それは嫌いになったとかではなく、私が自分を守るために選んでいること。

そんなこんなの前置きを一通りした上で、まずはこれから先彼女とは一対一で会えないことを単刀直入に言った。

理由はその体調不良で、私の場合、その子の師匠のエネルギーを少しでも感じたら明らかに具合が悪くなるから、自分を守るには会わない以外の選択肢がないこと。

1、具合悪くなるの覚悟で彼女と会う
2、具合が悪くなるのを防ぐために会わない
3、彼女が師匠及びその関係者から完全に離れる

この3つの選択肢しかなく、消去法でいくと「会わない」しかないと説明した。

その後も私は「洗脳」という言葉を直接使って、とにかくおかしいと思った色んなことをいくつか具体的に出して説明した。

途中から、その師匠が製作に携わっているブレスレットとその人からもらったネックレスを彼女は外した。

さらに私がトイレに行っている間、彼女はその全てを自分のカバンの中にしまってくれた。

彼女の判断で、私に被害が出ないよう最大限の配慮をしてくれた。

本当に嬉しかったし、それはすぐに言葉にして伝えた。

「ぶっしーごめんね。そんな風になってるなんて全然知らなくて、本当にごめんね」

私は何回謝られたかわからない。

私はもう彼女には全く怒っていなかったし、謝らなくて大丈夫だからと伝えた。

そしてそれらが本気で洗脳だと確信した瞬間でもあった。

ここ何回か本当に話が通じなかった。

通じずにそれでも毎回色んな形でおかしいと思ったことは伝えていた。

伝えても伝えても暖簾に腕押し状態で、何なのかと思っていた。

昨日は「洗脳」という言葉も直接使いながら、もう何も隠す必要はないと思った私は、ありのまま感じたことを話した。

もう遠回しに言う必要もなければ、何かに遠慮する必要もなかった。

とてもおかしな言い方だけど、なんとその会話の最中に洗脳が解かれたんだと思う。

なぜそう思ったのかわかった。

話が通じただけではなく、彼女本来の状態に戻ったから。

そしてその戻った状態を見た時に「あ!○○ちゃんが戻ってきた!」と確信した。

私が彼女とプライベートでも会うようになったのは、この感じが好きで楽しかったことをものすごく久しぶりに思い出した。

しかも彼女は本当に周りの人たちに愛されていて、その愛されるだけのとても良い家族関係を持っている。

もちろん周りから愛されて大切にされるだけの人徳が彼女にはたくさんある。

彼女の口から語られる家族は本当にみんな温かくて優しくて曲がったことが嫌いな人たちだというのはよくわかる。

彼女と仕事してた頃も思い出した。

そう、彼女は周りに目を配りながら、周りととてもうまく協調して仕事ができて、そして元来の正義感や責任感で仕事をきちんと全うする人だった。

接客が好きで目の前の人をいつもとても大切にしていた。

接客のプロだと思って見ていた。

自分の至らなさは素直に反省して、そしてそれをうまく次に活かせる人だった。

私は彼女の人柄に本気で惹かれていたし、とにかくあの天真爛漫な感じが大好きだった。

それがこの洗脳的なものが本格的に始まった頃からおかしくなって、とにかく話が噛み合わないだけではなく、そうした部分が薄れたというか掻き消されたことにも今気付いた。

だって私ははっきりと覚えている。

「何でこんな子と友達になんかなったんだろう?何でこんなに気分悪くなるのにプライベートで会うなんてことを選んだんだろう?」
とこの何回か思ったことがあった。

私もまさか洗脳だなんて思わず、とにかく何かが変で、これは何だ?と思ってた。

何せ「変」とか「おかしい」と感じるところがどんどん増幅されてたから、ますます本来の良さが失われていった。

それが話してるうちに彼女本来の輝きが戻ってきて、あの最初の頃、大好きだなぁこの感じ!という彼女が戻ってきた。

そして人思いで自分よりも相手を大切にする、その優しい部分がどんどん戻ってきていた。

そしてあれほど通じなかった数々の話が、一気に通じるようになった。

何回かの会合で伝わらなかった同じ話が今度は通った。

そして彼女自身も最後まで払拭できなかった違和感が私の口から出る言葉の数々で何かわかって、自分もそこから離れないと危ないと自分で認識してた。

「これ進めちゃいけないってわかる。これだけたくさんのストップがかかるということは、もう絶対的に進んではいけないし、ましてやぶっしーの具合が悪くなった話やその他指摘してくれたことを聞いた後で、私もとてもじゃないけれど気持ち良くそこに通って教えを受けるなんてできないよね」
友達ははっきりとそう言った。

彼女が感じてたいくつかの師匠に対する違和感は、やっぱり彼女本来の良さが最大限に生きていたことだった。

私は思い出したことの1つに、彼女の五感の感性の良さがあった。

彼女が紹介してくれた食べ物屋さんはどこも驚くぐらいに美味しかった。

そのうちの1つは私が新潟県内で1番美味しいと感じたお店だった。

私よりうんと舌が肥えてる元パン職人の妹も絶賛、2歳の野菜嫌いな姪っ子も野菜のポタージュを大人の半量をペロリと平らげた、そういうお店だった。

何なら私はいつか新潟県内で誰かとデートするなら絶対にこの店!と惚れ込んだほどのお店だった。

だから味覚がとても発達している。

私は一度彼女の手料理もいただいたことがある。

素材の味を最大限に引き出していて、野菜中心なのにとてもお腹が優しく満たされるすごい素敵なご飯だった。

彼女の手作りパウンドケーキも絶品だった。

私は健康派のレストランやカフェで美味しいと感じた店は過去に1軒しかない。

他は何かが間違えているのか不味い。

好みの味じゃないというのではなく、不味い。

だからそうした料理は美味しく作るには実はとても難しいものだと思っている。

そんな中、彼女の料理は素材の味は生きているし、そして野菜中心なのにお腹が満たされるというすごい技術を持った料理だった。

また、その自宅というのが本当に居心地が良くてとても風通しの良いそしてセンスの良いおうちだった。

植物も大好きで、家の至る所に小さな花や気に入った絵を飾っていて、本当に素敵な空間に仕上げている。

彼女の師匠は、なんとその家の自宅サロンに関してもとてもおかしな制約を伝えていて、それは彼女も当初からすごく引っかかっていた。

だから、さらに上のコースをその師匠から受けるがいいのか悩んでいた。

その家に足を踏み入れたらわかる。

そこから何かを取り上げたり撤去したらその空間の最大限の良さが失われてしまうこと。

私は色んなお宅にお邪魔させてもらったけれど、彼女の家は私の中で1番2番を争うぐらいにすごく素敵なおうちで、そしてとても整っている。

2回お邪魔した記憶がある。

1回は雨の日だった。

憂鬱になりそうな雨なのに、彼女の家は雨の日でも落ち着いた雰囲気を持っていて、窓から入ってくる強めの風がカーテンを揺らす様やウッドデッキに落ちる雨がとても映えていた。

彼女の家は、大工さんのお父さんと当時家業を継いだ弟さんによって建てられたおうちだった。

お父さんの引退と共に家業は閉めて、弟さんは今は全く違う仕事をしているから、その親子で共同で造った思い出の家になっている。

そして内装の一部は、旦那さんの仕事の関係で全部取り揃えたもので統一されてた。

本当に愛情いっぱいの土台に愛情いっぱいの人たちの手で作られた最高のおうちだった。

それを見てもないのに、その師匠とやらの人の感性や考えで全く違うものに変えられようとしてたんだな、と思ったらゾッとした。

そして彼女にとっても、色々見比べてわかったことがあった。

師匠が言うことはその都度変わっていて、彼女もそれにより混乱することがあったと話してた。

でも私は一貫してずっとずっと同じことを言っていて、そして私の言ってることは彼女もすごく納得できて何の疑いも抱かなかった、そこがはっきり違うとわかったと言ってた。

洗脳の怖さはそれだけじゃなかった。

私は話してる途中から、自分の口の中の左半分が麻痺ではないけれどとにかくすごく変な感じなのは気付いてた。

それもきれいに左半分だけ。

友達にも言ったけれど、左半分は師匠がいる町の方を向いていて、右半分はそうではないこと、そしてそのブレスレットとかが左半分の側にあったこと。

普段人と話しててそんなわけのわからない症状は出たことがないからわかった。

彼女にも伝えて、彼女は即座にわかってくれた。

そう、だから洗脳が解け始めてた。

しかも恐ろしいことに、その師匠は彼女の微細な変化にも気付いていた。

霊視のできる人らしく、視えるらしい。

先々月のこと。

友達のブレスレットを見て「違うエネルギーが乗っている。それエネルギーが変わっているから、ブレスレットを変えた方がいい。その違うエネルギーは、付き合う人が変わったから。それが違うから、今のものは良くない状態だよ」と言ってきたらしい。

友達は付き合う人が変わったと言われても思い付くのは私しかいなくて、それってどういう意味なんだろう?と不思議に感じたと言ってた。

でも本人も私に変な気持ちは抱いてないから意味がわからなくてスルーして変えなかったとのこと。

私は本気でゾッとして、彼女が師匠といつ会ったのか具体的な日にちを聞いた。

なんとその4日前に私と少しだけ会っていて、私はその時も師匠ではなく彼女の知り合いの他の人が提供するサービスであり得ないこと(実被害が出た)、そしてそれは他人を不本意に傷付ける、下手したら他人の人生を狂わすぐらいに危ないことだから、そこは彼女が矢面に立ってでも阻止しないと誰かが大変なことに巻き込まれかねないと私がかなり厳しく言った日だった。

彼女と顔を見合わせて、そんなことまでわかるんだね(゚д゚lll)と言って2人で絶句した。

そこまで気付く力のある人が、私が気付いていることに何1つ気付かないのが変だと伝えたら、彼女もハッとしてた。

私が気付いたことは、本当に基本的なことばかりで特別なものは1つとしてない。

全て当たり前のことばかりで、それを全部これまでと同じように説明したら今回は一発で全てが伝わった。

この数ヶ月は完全に変なバリアが張られてたんだと思う。

だから、どんな素敵な話も伝わらなければ、ヒーリング系の超本質に迫る話はことごとく拒絶されてた。

彼女は本来すごく人を気遣える人なのに、ものすごく配慮の欠けた言葉を発してたことも合点がいった。

そして私みたいなその師匠のやり方に真っ向から対立するものは、跳ね除けられるようになってたんじゃないかと思う。

真面目にビックリした。

そしてビックリしたのはそれだけじゃない。

なんと彼女が今の仕事に就いてから、職場でのアクセサリー着用禁止で、ブレスレットを付けられなくなったと言う。

当初はそれがすごく不満で、何でだろう⁇と思ってたらしい。

片やオルゴナイトはポケットに入れられるから、オルゴナイトだけは仕事中も持ち歩けたと話してた。

2人で驚いた。

私が何か言う言わないの前に、すでに彼女の身を守るためかのように、物事がうまく進んでいたんだね、と。

しかも本当に良いものは身につけられるようになっていて、危ないものは身につけられない、それをものすごくわかりやすい形で示されたね、と2人で話した。

最終的に、彼女は全てを知って、自分にとって最善の道を選んでいた。

彼女の方でもこの何回か私と話してて、私の反応がイマイチなのは何でだろうと思っていたらしい。

そして魚の小骨が引っかかるように、師匠たちとのやり取りもどこかしっくりといかない部分を感じてた。

私が色々指摘したことで彼女も自分の思っていたことや感じていたことを全部言葉にして、自分で気が付いた。

とても小さなことではあったけれどとても大切で、そして彼女自身の心の奥の方でずっとずっと自分自身に向けてNOを伝えてくれていた。

そして私と話すまでその部分が表面化しなかったけれど、私の発言により彼女も「ねぇ、ぶっしー、実はね…」という具合にして自分が本当に感じてたことを次々と口にしてた。

口にしたことは、紛れもなく彼女自身が感じてたことだった。

そしてこうも言っていた。

彼女の周りで私だけが唯一全く違うことを言う人で、他はみんなその師匠の息がかかっていて良いと思っているから誰も否定する人はいなかった。

だけど、彼女からすると、なぜか私や私の周りの人たちからもたらされた情報が自分にはすごく深く響いていて、そのギャップもずっと自分では説明がつかなかったこと。

だけど、一連の流れを全て見たら、自分が感じてるものは師匠寄りではなくぶっしー寄りだとわかったこと。

全てうまくできているんだなと感じた。

結局彼女とは、師匠はじめそこの関係者から完全に離れられたら再会しようと約束した。

そして今朝のように他の人たちも交えて会ってごはんを食べる分にはその師匠の息も届かないだろうから(実際に今朝のモーニングはそうだった)、それは大丈夫だと思うから会えるだろうことも伝えた。

朝のモーニング最初の1人が帰って3人になった時、もう1人の子が私にその子自身のことを聞いてきた。

私は目の前でペンジュラムと自分自身を使って出てきたことやわかったことは伝えた。

時間にして10分もなかったと思う。

彼女はそのやり取りも見て、最後の方に言ってくれた。

「ぶっしーの力がすごく伸びたのはあれ見てすぐにわかった。感度が高くなったというか。そして情報をキャッチする速さが速くなった。あれ見て、ぶっしーが自分を守るために会えない、具合が悪くなるエネルギーに触れられないってのはすごくよくわかった」と言ってくれた。

友達はこれからそことの別離に向けて相当な修羅場を迎えることになるとは思うけれど(本人もすごい困ったことになったと言ってた)、必ず良い方向に行くのは間違いないし、具体的に今の私でわかることはペンジュラム使いながら全部伝えた。

私がわかることというのは未来予測ではなく、と言うかそんなことはできないから、今彼女が彼女自身のためにできること、日々の生活でできることを伝えた。

最後の方は、私も迷いが一切なかった。

彼女が絶対に大丈夫なこと、そしてそれは彼女自身の力で必ず解決できること、そこには他の人間関係も含まれていて大変なのは想像できるけれど、真実を真っ直ぐ伝える時は今日の彼女と私のように誰も傷付かないこと、1つの扉が閉じればまた新しいそしてその時の自分に相応しい扉が開くから大丈夫なこと、そしていざとなれば彼女には旦那さんはじめ家族というとても素敵で心強い味方がいること、だから絶対に大丈夫と言い切れた。

「鬱になりたくてもメンタル強すぎると鬱になれねえんだよ!」と名言を残すスーパー強力なそして曲がったことが大嫌いな旦那さんがいるから、絶対にそこから守ってもらったらいい、そここそ最大のエネルギー供給源だからそこからパワーをいつでももらえるよと伝えた。

2人で大笑いした、そのメンタル強い旦那さんを思い出して。

彼女が目の前で変わっていく姿も見てたし、そしてそこに行くまでの私側のタイミングが全て寸分の狂いもなく動いていた。

私は一ミリも疑うことなく、その友達が絶対に大丈夫なことを確信した。

その確信に至るまで、裏側では色んなことが信じられないぐらいの確率でピタリピタリと重なっていて、私は目の前で壮大な奇跡の物語を目にしてた。

そして今回私はさすがに色々ビビって、彼女と会う前から友達2人に相談してた。

私は普段ほとんど人には相談もしなければ、1人で何でも抱えて1人で解決するパターンが多い。

でも事が事だったから、私も洗脳とか邪気に対して知識もなかったから、それで私が心から信頼している人2人に相談してた。

洗脳と伝えても良いものかどうか最後まで判断がつかなかった。

それを伝えて返ってきた返事がこちら。

【ぶっしーちゃんが、
その時、伝えたければ伝える!

で良いかと❣️

この世界に起きる事は、全部必要で起きているとしたら。

それはそれで良い
と、いつも私はそう思っていますし、
私の場合は、そっと離れます

大切な事は、
これからの彼女の未来よりも
自分自身を護る事
自分を優先されてはいかがでしょう

答えになっているかなー】

どこまでも優しい言葉で、私は救われた。

もう1人の友達には、前の週、目の前で彼女のペンジュラムを使って色々聞いてもらってた。

私はいつも番号だけを先に伝えて「1番の質問がYESかNOか聞いて!」とお願いしている。

後から内容も伝えるけれど、とりあえず変な先入観なしでいくためには何も伝えない方がいいだろうと思って。

実はその時に彼女のペンジュラムがとても変な動きをしただけじゃなく、なんか「気持ち悪い!胸がザワザワするし、足先から逆毛立つみたいにゾワゾワする!」って言い出した。

「ぶっしー、何質問してるの?すごいゾワゾワして怖いんだけど」と言っていた。

その場でごめんと謝りながら、一通りペンジュラムに聞いてもらった後、何を聞いていたか説明した。

友達が「それ聞いて、あのザワザワ感やペンジュラムの気持ち悪い動きに超納得した。ただ聞いてるだけなのに、その師匠が何かをキャッチして邪気でも送ってきてるのかね〜⁉︎」なんて2人で半分ふざけながら言っていた。

そしたらその翌日、その時にザワザワした、猫が逆毛を立たせるようなゾッとした足の感触が「足裏、足首からふくらはぎあたりまでパンパンになって、筋肉痛の一番ひどい状態のように、触ると超痛い!みたいな! 感じになった」と、私が心配すると悪いからと1週間近く経過してから教えてくれた。

まさかそんな関係のないところにまで変な悪い影響が出てるなんて思わず、本気でビックリした。

その友達に平謝りし、それをその洗脳されてる友達に伝えても大丈夫かを聞いた。

すごい説得力があるだろうと踏んだから。

そうしたらこんな風に返事が返ってきた。

【私も、ぶっしーがその場で感じたとおり、その気持ちを信じて最優先にして話してくれたら、あとはたぶん「これで良かった」な結果になると思う!

万が一、私の足のことがちらっと浮かんでも、そこは絶対に心配いらないから、必要なことはそのまま話してね! ペンジュラムがOK出しているし、浄化グッズもついてるし、私自身の感覚でも、「あの邪気がよってくることはもうない」という確信があるので。

あと、ぶっしーは気にするかもだけど、足の症状、体感できて私は良かった!
「邪気って触るとこんな感じ」とゆうのが、私の感覚に記憶されたので、今度もし似たものが近づいてきたら、すぐに身体のセンサーが反応するはずだし、そしたらすぐに逃げるなり防御ができるし!
だから、いちど触れておいて良かったよ。体験のおすそわけしてもらったんだよ。それにすぐ治ってるんだから、本当に心配せず、今日は自由に話してきてね💓】

朝出かける直前にもらったメールだった。

私はこれを読んだだけで泣きそうだったし、そして色んな人たちに守られてるから大丈夫!と気をしっかり持てた。

その洗脳について説明する時に、その子のメールをそのまま読み上げた。

どこまでも優しさに溢れたもので、そしてその友達も気付いた。

私の周りの人たちは、誰1人他の誰かを傷付けたり悪い方にしようなんていうのは一切ないこと。

ましてや嫌な体験でさえも、それを信じられないぐらいにとても良い風に解釈してくれてること。

片や自分のところの師匠は、変なエネルギーが付いてると言ってブレスレットの交換を促してきたこと。

もうどっちがいいかなんて一目瞭然だった。

彼女は彼女本来の強さと自分の軸を取り戻してた。



ちなみに余談だけど。

私がまたはたから見たら超怪しげな浄化に励んでるのは(翌月曜日も続行中)、一連のことが終わった後、喉に違和感を覚えたから。

風邪のひき始め前の痛くなりそうな様相の違和感が出た。

前回もそれが最初で具合が一気に悪くなったから、今回はとにかくやれるだけのことはやって防ごうと攻防している。

さすがの私も怖くなって、それで最後力が抜けた時涙さえ出た、怖さのあまり。

しばらくザワザワしてたけれど、私はふと得意の「祈り」をしようと考えた。

多分怖いとか恐ろしいものだと考えたら前回のようにやられる気がした。

そして自分から被害者になります!ってしちゃいけないと思った。

でも私も師匠含めて他の人たちもみんなにとって良い風になることを祈れば、何か悪い風にはならない気がした。

その師匠とやらもトチ狂ってるけれど、ちょっとだけその人の生き様を聞いたらその人もある意味被害者であることがわかった。

だからと言って今のことは許されるべきことではないけれど、この人ももしもっと別の人たちと知り合っていたら今は違っていたかもしれないと思った。

まぁとにかく、私も攻撃的なエネルギーを出すのではなく、自分の身を守るためにも優しいエネルギーを心掛けようと決めた。