2020年2月29日土曜日

⑽【おいせさん手帳】「無いこと」の無敵さ






おいせさん手帳10回目。
担当:私。


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‪2月29日 ‬

‪自分に時間をプレゼントしましょう。‬
‪うるう年‬

今年は1日=24時間分、例年より多くの時間が与えられています。1日多く与えられた分、何かを自分の為に調整することができます。あなたは何にこの1日という時間を使いますか?カフェタイムでも休息日でも、何かを頑張る日でも、又は何もしない空白の日でも、今のあなたにピッタリとくる時間を自分にプレゼントしましょう。


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時間の話とは少し違うけれど、これが今思っていることだから書く。




私はこれまで「無いこと」は悪いことのように捉えていた。

時間でもお金でもあった方がいい、ずっとずっとその価値観が根強くあった。

ところが今回、お金のことでハッとさせられたことがあって、無いことでしか得られない体験だったことに気付かされたことがあった。





明日、友達と40歳を振り返る会をする。

彼女の方が先に41歳になって、その何日か後に私も41歳になる。

なんとなく誕生日後よりも誕生日前に振り返りを兼ねてのやりとりをしたいなと思った。

それで、誕生日プレゼントを用意しようかなと思ったのがこの2日3日だった。

元々長い付き合いだから誕生日プレゼントを贈ったりは普段しないし、お互いに何かをプレゼントするとかも余程のことがなければしない。

私が彼女にプレゼントしたのは、2年前にオルゴナイトを渡したのが最後だったと思う。

それも誕生日プレゼントとしたというよりも、そのタイミングでオルゴナイトを手にしたから、そして誕生日がたまたま近かったからプレゼントしたのが本当だった。

話は変わるけれど、今指折り数えてみて、思い出せるものだけで2月は15本の英訳をしている。

昨日(2/28)その中でも5本の指に入る大掛かりな2本合計で19枚の英訳を出した。

それは外注に出された後私が内容チェックしたものだったけれども、結局私も全文を確認して違うものはすべて書き換えて、さらに内容が怪しいものは技術者に確認を取ってその意味となるように作り直して…、で、ほぼほぼ自分もやらなきゃいけないようになっていた。

しかも過去の中で内容的に1番2番争える難しさで、私なんかは日本語読んでもさっぱりわからなかったけれども、英語で読んだらやっと内容が多少は理解できたという有り様だった。

そんなことを1ヶ月近くずっとやって、多少腹の立つこともあったけれども、とにかくやっとやっと終わった。
(担当者から無視されたとか。こちらが問いかけても本気で音沙汰なくて、別の人を頼らざるを得なくなって、結果その別の方が英訳用の素晴らしい資料をプレゼントしてくれたから、事はトントンで良かったけれども、ただ了解しましたとかそういう言葉はないのかと思った。だって自分が依頼主じゃん、それはどうなの?って思う。忙しいのはわかるから別に他の人に振ってもらって良くて、だけど一言でいいからわかったとか何だとか言えないの?と思った。)

脳内で色んなことが処理できないのか、実はほぼ毎日夢の中でも英訳をしていた有り様で、自分が感じている以上に心身に負荷がかかっていたかと思う。

平日は気が張っているのか、とにかく眠りが浅くて、まともに4時間眠れたことがない。

細切れに1時間〜2、3時間おきに目覚めて、全部足しても5時間眠れてないままその状態で仕事に毎日行ってて、自分でも色々変なのはわかってた。

そんな風だったことも手伝って、そしてそもそもが時間も作れないような状況下で、友達への誕生日プレゼントはギリギリになった。

そして、先に言うと、私は今回用意することを見送った。

日曜に会うから、土曜で休みの今日、買いに行く時間もお金もある。

なんだけど、多分このまま行かない。

自分なりに思うことが色々あって、それで今のままならやめようと思った。

形だけ揃えても仕方ない。

心がそこについて行ってないなら、何か違うから、今慌てて何もしなくていいと思った。




これは昨日金曜の仕事の途中にふと一息ついた時に思ったことだった。

昨日は会社の規約で定時に上がらないといけなくて(そしてもちろん手持ちの英訳を全部定時内に提出しないといけないのもあって、そもそも残業の予定はなかった)、それなら誕生日プレゼントを探しに行けると思った。

その時に思った。

今は金銭的なことを言えば余裕がある。

余裕があるけれど、大きく違うところを感じた。

この2年近く、少なくとも2年前にしていた派遣の仕事を辞めた後から、特にお金の使い方に関して相当シビアなものがあった。

秋に米の仕事をしていた時もそうだった。

けっこうな人数がいたから、最後仕事が終わった時にどうしたらいいのかを考えながら、お菓子を用意した。

それ以外にも、カツカツのお金の中で、いかに少しでも相手に喜んでもらえるか、そのことをものすごく考えさせられた時間だった。

お金にものを言わせての豪華さは演出したくてもできない懐事情だったから(苦笑)、頭をフルで使う他なかった。

その時はお金がないってなんだか切ないとか、選択肢が限られてくるとか、お金を稼ごうとしない自分はなんなんだ?とか色々思ったけれども、そういうことじゃなかったなと今になって気付いた。

たしかに色々な制限があった。

本当にあとちょびっとだけプラスのお金が欲しいと思ったことはものすごくたくさんあった。

そのちょびっとだって、1万円とかじゃなく、千円とかそういうレベルだった。

その時は「無いこと」に目が向いていたけれども、今思うとその極限状態はもっと違う回路を私にプラスしてくれてた。

お金に限りがあるからこそ、じゃあその中で何を相手に渡せるか、何だったら相手も喜ぶものを贈れるか、それをものすごく真剣に考えていた。

そしてお金で解決できない部分は、手紙を添えるとかして、ちょっとしたメッセージをプラスすることで許してもらおうじゃないけれど、それで気持ちが伝わるといいな…と計算も働かせた( ̄∀ ̄;)。

どういうものが良いかは知らないけれども、とにかく1つ何かを用意するにも自分をフル回転させてそのことに向き合っていた。

物理的な事情はさておき、無いことでしか得られないことを私はたくさん経験していたんだなと思った。

これは時間にも言えることで、朝7時に家を出て、夜はその日のうちに帰ってこられたら良いという超ブラッキーな仕事をしていた頃、とにかく時間がなかった。

それを選んでいるのは自分だと周りから言われた時、本気で泣きそうだった。

当時退職願を毎週又は隔週のごとく提出していて、それでも辞めさせてもらえず、そして人相手の仕事でバックレるわけにもいかず、四方八方塞がりでしかなかった。

その極限状態の時、私は自分の流れを変えるのと心にちょっとした楽しみを与えるのとを意図して、小さなお楽しみ時間を日々の生活に取り入れることを始めた。

それは移動中に地下鉄からバスに乗り換える時、本屋さんに立ち寄ってそこで5分程度本を適当に手に取って眺めてくることだった。

それなら無理なくしかも楽しんでやれることだった。

それをやるしかなかった。

ものすごく限られた時間ではあったけれども、ただボーッとバスを待つよりも5分でも本を見ていることの方が楽しかったし、気持ちも少しだけザワザワしたものから離れることができた。

そうやって、「無い」とか「制限がかなり強めにある」とかいう状況を経て、私はその中で自分のためにできることや心をネガティブな方から少しでも明るい方に向かわせるやり方や方法をものすごくたくさん身につけた。

これは「有る」や「持っている」時にはなかなかやらないこと。

お金でも時間でも、あればあった対応をするし、何もそんな苦行みたいなことはしなくてもいい。

無い時こそ、本当の意味での真価が問われるようにも思う。

最初の方に書いた、仕事の担当者から何も言われなかった話。

今社内で大きなプロジェクトが動いていて、担当者がその中枢メンバーの1人だというのはなんとなくわかる。

だから異常な忙しさなのも想像できる。

置き手紙をしたその日か次の日に、私の席のものすごく近くまで別件で来ていた。

私のところにもついでに何かを言ってくるか見ていたけれども、それをしなかった。

正直ガッカリだった。

無理なことを言う気はない。

時間的に作れないのであれば、部下に押しつけてもらったって構わない。

やり方は1つじゃないから、自分ができないのなら誰かに振って、そしてそれをただ「今対応できないからこうしたからよろしく」で良いと思う。

別の人がヘルプで入ってくれて何とかなったこと、そちらが終了次第私も提出できることをこれまた私は本人不在で置き手紙をした。

それは嫌味というよりも、その人もその人で気に揉んでいたら悪いから、せめてもの報告だった。

何とかなったよと知れば本人だって知らないよりはるかに良いと思った。

言葉1つだと思った。

その人からしたらたくさん抱えている仕事の1つにしか過ぎなくて、私のものはその中でも優先順位が低いのはわかる。(正直なところ、一般常識的にこれ優先順位を低くしたらダメでしょ!!!的なものだけど。社内の一大プロジェクトこそ、概要さえも知らない私からするとそんなのはどうでもいいでしょ!?って思う。いい加減にすることで迷惑が社外的にかかるのは、普通に考えて私のやってる方じゃないの?って思う。社内プロジェクトは、それが上手く回らないならこれまでのやり方で最悪対応できないわけじゃないから、それは社外に迷惑にはならんでしょ?って思う。迷惑がかかると大御所たちはみんな思っているようだけど、そもそも準備不足過ぎるものを発動させてることを「今日が開始日だから始めます」なんてやるからおかしくなるわけで、「まだ準備が整わないからそれは準備でき次第始めます」が、本当に対外的なものを考えるなら一番迷惑がかからないということに気付かないのか言わないのか、真面目に馬鹿すぎると思って見ている)

今回の担当者からして、たとえ優先順位が低くて完全に無視するというすごいことをやらかしてくれてるけれど(依頼してるのはその人で、私は依頼されたことをしてる立場)、一言でいい、何でもいいから言葉があればそれで和らぐ。

相手は無視してるつもりはなくても、もしかしたら気にしてるかもだし、私に一言話しかけたらそのまま捕まるかもと思って話しかけるのをためらっているのかもしれないけれど、私から見たら「無視」の他の何物でもないわけで、残念すぎることになっている。





途中から仕事の愚痴に変わったけれども( ̄∀ ̄;)。

とりあえず形だけ整えるプレゼントは絶対に違うと思った。

もちろん何であっても選ぶ行為がプレゼントの裏にはあるけれども、それを心を込めて行うのか、とりあえず体裁整えるためにやるのか、それは全く別物になる。

そうした色々を思った時に、何が良いか考えようと思った。

適当にするのではなく、本当に相手の喜びそうなものを後れてもいいから用意することの方がうんと良いのかな…なんて思った。

田舎ゆえ買える店も限られていて、時間があれば行こうとしていたところは彼女お気に入りの足しげく通っている店なのは話を聞いてて知っているから、そこは避けようと思った。
ーお昼前ー




ー夜ー
あの後私は考えて、プレゼントが決まった。

とても久しぶりに星読みをしてそこからメッセージを引き出すことにした。

ホロスコープは見ずに、太陽の位置からわかるものを頼りに、そこからメッセージをまずは英語(レニーさんのサビアンシンボル)から、わからないものはさらに英語のサイトをいくつか辿って、そして後は日本語で私が感じたものを書くことにした。

たった1つの太陽のことから、色んなメッセージを受け取る。

どうしてそうしようかと思ったかと言えば、今年1年は間違いなく誰にとっても激動の1年で、その時に自分の芯みたいな場所に帰ってくることはものすごく大事になる。

その芯となるものは変わらなくても、自分を取り巻く環境や起こってくる出来事はその時その時で変化する。

そして、その変化する中で星読みは1つのメッセージやヒントをもらうのにこの上ない力を貸してくれる。

誕生日以後の1年のメッセージだから、今日だけのものとは違う、ずっと寄り添ってくれるものになってくれると思う。

太陽からメッセージを、しかも英語のサイトを読んで、さらにそこから私が感じたものは私にしか引き出せない。

それを読み解いて書いたものをプレゼントしようと思った。

そしてそこにあとは美味しい洋菓子屋さんの小さなお菓子を添えて、それで完成する。

ちなみにホロスコープを見ない理由は、ホロスコープというのはその人その人に刻まれている魂からのメッセージで、私からするとパンドラの箱のようなものだと思っている。

良くも悪くも学びが途上の私には、ホロスコープを見た時にその中でも何が目を引くか瞬時にわかってしまうことがある。

私はそれをその人本人から本人に向けてのメッセージだと思っているから、それを大事に扱うのが大事だと思っている。

そんなものがわかってしまう以上、あまりたやすく他人のホロスコープを見るのは私が好まない。

だから差し障りのない「太陽」の位置なら大体を出すための一覧表を持っているから、それで調べて、あとはそこから年齢分足した状態で今現在の位置を知ることができる。

そしてその位置を「サビアンシンボル」と呼ばれるものから色々調べれば、必要なメッセージがやってくる。

久しぶりにレニーさんや英語の星読みをしたけれど、そこからまた色んな回路が自分の中で繋がって、メッセージが来てくれるのは変わらなかった。

それも知ることができて嬉しかった。

きちんと必要なメッセージなら、たとえブランクが空いても必ずやってきてくれる。

色々感じながら最終的に星からのメッセージをプレゼントのメインにしようと考えたこともそう決められたことも私は嬉しかった。

お金があってもなくても、心をそこに送り込む、それだけは忘れたくないなと思った。




オマケ。
先日、長年の友達たちと交わしたグループライン。
あまりにもくだらないけれど、こんなことで盛り上がれる誕生日プレゼントもいいなぁと思う!







2020年2月27日木曜日

社窓の窓から〜新たなモヤモヤ

引っかかった話。

今の仕事は、基本的に朝出勤して以降残業がわかった時点で申請を出す。

早い日だと朝すぐに出す。

今回抱えている英訳は本当に終わりが見えなくて、さらにこれで別の至急の英訳依頼が来たら完全に期日を守れなくなると知って、それでとにかくメドを付けるためにも残業をして時間を確保するしかなかった。

いつも同じ部長に言いにいく。

今日は「もうちょっと早く終わるようにがんばろう」と言われた。

悪気がないのも、部長は私の仕事の中身を知らないのもわかる。

だけど、そのさりげない一言は私の中に残った。

私が遅いのかどうかは知らない。

だけど、あの異常なほどの量は、天才級にさばける人じゃなきゃ無理だと思う。

これまで見たことのない英訳依頼の量が来ているとわかるのは女上司だけだから、周りは私が遅いと思っているようだけど、本気でどんだけの量をこなしているのか言ってやりたい。

しかも、本気で少しでも怪しいところは全部調べての今のペースで上げてるけど(だいぶ慣れてきたけれども、怪しくないものがなかった試しがない)、それで遅いと目に映るなら同じことやってみろと意地悪も言いたくなる。

さらに、これ同じ量を春以降戻ってくる正社員の人は絶対にやれない。

誰でも定時だけやれば終わる量じゃないところに時短勤務で戻ってくるとのことだから、そうなら尚のこと終わらない。

これ調べるの止めてもいいけれど、もしくは時間だから上がりますと言って放って帰ってきてもいいけれど、本気の責任問題になるよーと思いつつ、まぁ知らない人たちをかまっても仕方ないから、自分がそういうことを気にしなくても良くなるようにしたいなと思った。

今回だけは思った。

私ほどの英語力ある人でも本気のお手上げ状態の量で、自分がどれだけすごいかなんて言うつもりもないし思ってもないけれど、これ英語力が私並みになければもっと時間かかるよと言いたい。





もう1つ引っかかったのは、私が周りの人に質問することが、マイナスとなって映る可能性があると指摘されたこと。

これも本当に驚いた。

隣りの隣りの席の正統派イケメンの硬派さんから、技術的なことでわからないことがあれば聞いてくださいと言ってもらって、私は早速聞きに行ってる。

硬派さんとのやりとりはまた別記事で書きたいところだけど、硬派さんと3回やりとりしてわかったのは、ものすごく教え方が上手で、そしてこれまで全く意味がわからなかった機械的なことやマニアックな技術たちが、硬派さんの説明によって、初めてきちんと理解できるものが出てきた。

しかも私はピンポイントで質問するけれども、どの技術者たちも前後の内容を必ず読んでいる。

そして読みながら「多分…」とか言うのを聞くと、そもそも私の関わっている内容ってかなり難易度の高いものなんじゃないかと思った。

技術者たちが「多分」と口にして、そしてわからないとその部門専門の技術者に確認してくれるぐらい、それぐらいマニアックなものを私は日々英訳している。

わからないことを周りに聞くことが目を付けられる、というその会社の体質に驚きしかない。

ちなみに今は大きな会社のプロジェクトに硬派さんは大きく関与していて、それが色々ある中で私の面倒なんか見ている場合じゃないでしょ!?という周りの見方になりうるらしい。

だから目を付けられないように気をつけてね、というのはある意味教えてもらって良かったことだった。

私はどうでもいいけれども、硬派さんがそれでいづらいのは良くない。

そういう迷惑はかけられないから、色々そっと聞くしかない。←基本やめるつもりはない。なんなら事情をそのまま話して、硬派さんに私がどう対応するがいいかを聞いてもいいと思った。

私が何十分と拘束するのならわかる。

たかが5分ないし長くても10分程度なわけで、これは私のものすごく勝手な考え方だけど、この5分なり10分なり全く違う風を送り込むことで、私にはもちろん、硬派さんにも良いものをもたらすと思う。

今の職場は教育関連ではないし、基本的に見た感じ、社員教育には力を入れていない。

能率や効率を重視する割には、本当にそれらを良くするためにどうしたらいいかというのが大きな視点で全く為されていない。

私は3回分の質問を通して、それだけでものすごく勉強になっただけじゃなく、その聞いたことが英訳に直で反映されることになった。

直で反映されることは今回限りじゃなくて、今後ずっと反映されるものすごく基本的なことだったし、そしてそれくらいは英訳担当や取説の事務方の担当は知っておいた方が良いだろうって内容だった。

硬派さんとやりとりして気付いたのは、会社も超無謀なことを私のポジションに当たる担当者にさせているんだなということだった。

英語の師匠トムさんに聞いてることもこれまたオフレコで、頼っていることは未だに内密にされている。

何か頼む時は平気で部署をまたいででもやってくるのに、じゃあそれを今度内容確認、内容理解のために近くの技術者や英語ができる技術者に聞くのは暗黙の了解で良くないってなんだそれ!?って思う。

例えばトムさんを見ていたらわかるけれども、トムさんに聞く超マニアックな英語にまつわる技術の内容は、今いるところではトムさん以外絶対に答えられない。

本当にこれは技術と英語ができる人じゃなきゃわからない。

その両方ができて初めて答えられるものを、会社がトムさんは他部署の他業務に従事する人だから私のヘルプに入るのは良くないって、なんか根本的な考え方がおかしくない!?って思う。

これが私1人の個人的利益のためだけに為されるなら、そんなの禁止されてもおかしく思われてもそりゃ当然だよねと思う。

だけど、トムさんが助けてくれる内容は、会社の顔や責任に直結するもので、私がなんとなくの感覚でいい加減なものを出すより、本当にきちんと確認してそれを出す方が会社としては絶対的に助かる。

その部分を助けられるのはトムさんしかいないのに、それをオフレコにするとか、そもそもそんな風に頼るのがおかしいっておかしくない!?と思う。

硬派さんとやりとりしたことは、それをもっと如実に表すものだった。

例えば、日本語で言う「パソコン」はあれは完全に和製英語になる。

英語で「パソコン」ってそのまま言っても絶対に通じない。

「コンピューター」と言わないと伝わらない。

例えば「イタリアン」って言ったら、日本だったらイタリア料理屋が誰しも思い浮かぶと思うけれど、もし英語で「イタリアン」と言ったら、イタリア人とかイタリア語になる。

硬派さんが教えてくれた内容はまさにそういうものだった。

要は、私みたいに知らない人が「イタリアン」と言ったらパスタとかピザを思い浮かべて、そして本当に日本でまかり通っている言葉「Italian」と本当に書いちゃうみたいなことだった。

だけど、その現場からすると「Italian」は人や言語を指すわけで、全く別のものを指す。

そして末恐ろしいことに、それこそさっきのパソコンなら、「computer」と書かず「pasocon」と書いてしまっていることまでもが発覚した。

それはきちんと確認しない担当者の問題でもあると思うけれども、そのチェック体制や教育の機会を整備していない会社の問題でもあるなと思う。

せめてチェック体制や教育の機会をすぐのすぐに作れないのなら、技術者たちにちょっとずつ知恵を分けてもらうことなんて、本当にそれで目くじらを立てるようなことじゃないと思う。

会社だって「pasocon」って英訳されちゃう方が困るわけで、それを防ぐ絶好のチャンスが硬派さんが今回してくれたミニミニ講座の内容だった。

それを中身も知らずに、ただただ関係ない人に聞く行為が目をつけられるって、馬鹿じゃないの!?って思う。

それが私には瞬時にわかってしまったから、だからこそすごく違和感を覚えた。

しかも、私は会社のそのバリバリの和製英語をそのまま入力してネット検索をかけてみた。

想像した通りで、英語のページはヒットしなかった。

「computer」と入力したら言葉が正しいからサイトがヒットしても「pasocon」と入力しても何もヒットしないのと同じこと。

どう考えても、外に向けて出すものなら「computer」じゃないと困る。

それをものすごくわかりやすい言葉で教えてくれた初めての人が硬派さんだった。

むしろそういうことを何も知らずに英訳していたこの2ヶ月は、怖いもの知らず故にできていたとしか言いようがない(本当にできてるかは知らない)。

今さらだけど、先週の飲み会で硬派さんと席が隣りになれたのはものすごく幸運なことだった。

硬派さんと色々やりとりしなければ、私はこの3回のミニミニ講座の情報を手にすることは絶対にできなかったわけで、しかも硬派さんの講座は私だけじゃない、取説の事務方担当者たちにも早速大きな貢献をした。

そんな素晴らしいことが、会社のしょうもない慣習で淘汰されようとしてるなんて、馬鹿にも程がある。

私はそれなら上手に立ち回る方法を考えて聞くのはやめるつもりないけれど、やめるとするならそれは本当に硬派さん個人に迷惑がかかる場合で、それ以外のよくわからない理由ではやめない。

良いことが良いこととしてまかり通らない。

アホみたいだなと思う。





モヤモヤしまくりな感じで、そのうちテンションも仕事中下がって、うつになった時みたいな感覚が来て、その時だけはゾッとした。

自分の身を守ろうと思った。

それとは別に嬉しいこともあった。

嬉しいって変な言い方だけど、硬派さんとやりとりして気付いた。

硬派さんは私が思っていた以上に超律儀できちんとしていて、そして仕事というものに対して本当に真面目に誠実に向き合っている人だということがわかった。

私の予想を遥かに超えたものを硬派さんは持っていて、それを知って私は私で自分の目をさらに信じることができる。

これは色んな職場を渡り歩いたからなのか、どこでも人に恵まれたからなのかは知らないけれども、少なくとも私が「この人すごい!」という人たちは、みんな大物で本当に仕事もできて人柄もものすごく良い人たちばかりだったりする。

その辺りの感覚を私はまずまず間違うことはない。

硬派さんも先週までは全く喋ったこともなければ仕事の絡みもゼロで、情報はものすごく限られていたわけだけど、それでもそういうことをどこかで感じていた。

そういうのって何基準なのか自分でもわからないけれども、感じるものは感じる。

その感じたものに間違いはなかったわけで、それは私にさらなる自信をもたらした。

硬派さんとやりとりする時、過去の職場のイケメンがどんな風だったのかな…となんとなく姿が重なる。

硬派さんも基本的に余計なことは喋らないし、物静かなところも、責任感強いところも似ている。

当時の私が今みたいな役割があったなら、イケメンにバンバン質問できたのに、当時は本気の「コピーを取る人」だったり「書類整理する人」だったわけで、全然絡めなかった。

色んな人たちとやりとりして、どうしてイケメンがいた時はこういう状態がもたらされなかったんだろう…と思う。

しかも今みたいな状況なら、イケメンにそれとなく頼ってもどうとでも理由はつけられたし、それを使っていくらでもやりとりできただろうなぁと思う。

こういうところの運はイマイチなようで、そういうおいしい状況は当時どんなにがんばっても手に入らなかった。

それはそうとして、硬派さんの人となりを話したことない時からある程度予想していてそれが想像以上に当たっていたのを目の当たりにして、イケメンのことも同じように私の感じてた本人の人となりはその通りだったんじゃないかな…と予想している。

今となっては、それを本人に伝わるように文字に起こしたのは良かったなと思った。

どう受け取ったかはわからないけれども、伝えるだけ伝えたのは良かった。

さぁ寝よう。

この真夜中に目覚めるのを何とかしたい今日この頃…( ̄∀ ̄;)。

2020年2月26日水曜日

⑼【おいせさん手帳】「生きようとしている」感覚







おいせさん手帳第9回目。
担当:ノム


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2月26日 
これまで自分を支えてくれた存在への感謝を意識しましょう。
母倉日と神吉日

何事にも吉日とされる縁起の良いとされる母倉日。
本日は、母倉日であり、参拝に良いとされる神吉日でもあります。
今の自分がどのような状態であったとしても、
これを読めているということは「生きている」ということ。
今日まで自分を生かしてくれた目に見えない存在や周囲の人に感謝を伝えて。


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【これを読めているということは「生きている」ということ。】

ノムはこの一文をどんな気持ちで読んでいるんだろう?と想像する。

直近で話したこととこのメッセージとがとてもリンクしている。

何かよろしくないことが起こる時、又は自らがそうした状況を作っているというかその中に自分の身を置かざるを得ない時、生きていることそのものに苦しさや辛さ、しんどさを覚えることはたくさんある。

ニートの時に私は何度も何度も働かない自分を責めて、健康であることすら後ろめたくて、社会に出ようとしない自分は人間失格のように思えて。

そんな時、「生きているって素晴らしい」なんて思ったことはほぼほぼなかった。

何か嬉しいことがあっても即、日常のリズムに戻ると一気に気分が急降下してドンと落ち込むなんてことも、1年の9割はそんな風だったと思う。

もしかしたら、ひねくれマックスな私の時なら、読めている、すなわち生きていることに対して、感謝どころか「生きたいなんて思ってない」と悪態をついたかもわからない(十分にありうる)。

それくらいに心が落ちていた時もたくさんたくさんあった。

この話とは関係ないけれども、今しきりに頭の中に当時のことが蘇るから、それを書こうと思う。

名古屋にいたいつかの時。

現金が底をついて家賃払えないどころか生活もできないとなったいつかの時。

そういうのも、本来なら1回で懲りたら良いものの、私は懲りないというよりも、それ以上に「生きたい」気持ちが上回らなくて、その都度やばい状況というのを何回か経験した。

そうした時のある1回の時。

その日の午後、私は何を思ったか家から歩いて行ける距離にあるショッピングモールに出かけた。

お金はないから何かを買いに行くわけじゃない。

ウインドーショッピングでもない。

現実逃避の為の散歩みたいな感じでもあれば、いても立ってもいられずに外に出ただけだったかもしれない。

細かいことは何にも覚えていないけれども、大好きなスーパーの近くのこれまた好きな雰囲気の大きな公園を抜けて、一般道の歩道に出た時だった。

「どうにかしなきゃ」

突然ものすごい強さでそう思った。

そしてそう思ったすぐ次に、
「私、生きようとしている」
って思った。

そう思ったら本気で涙が出た。

生きようとしている。

死のうとはしていない。

どんな手段使ってでもいいから生きよう、生きようとする自分を見て、希望を感じた。

絶望真っ只中でいつ死んでもいいと思っていたはずなのに、「なんとかしなきゃ」と思った私は生きることを考えていた。

死にたいというのはなくなったけれども、私は長いこと「生きたい」がなくて、この「生きたい」と思えないことは本当に恐ろしいことだった。

自分を支えるものが何もなくて、そんな中、何でもいいから「生きたい」理由があるって、私からしたらとっても難しいことで、そのことで悩んだ日々は数知れない。

そういうことで悩めるってすごい贅沢なのかもしれないけれども、私にはその悩みはいつも重たくて、悩みと言うよりも何でもいいから「生きたい」気持ちになれる何かが欲しかった。

アイドルの追っかけでも二次元の世界のキャラにハマルでも、何でもいいからそういうものに浸かれる人たちが心底羨ましかった。

私の心の枯渇具合は自分でももうどうにもできないぐらいに酷い有り様で、生きる希望がまるっとなかった。

そういう日常が常態化していて、そしてある時本当にお金が底をついてどうにもならないぐらいヤバくなった時、「何とかしなきゃ」と真剣にものすごく強くそう思った自分を見て、「生きようとしている」そう思って、その自分、絶望の中でこれ以上ない希望を見出している自分になんだかものすごく感動して涙が出た。

今でもあの時のことははっきりと感覚として覚えている。

「何とかしなきゃ」と思うことが自分の中の生きる希望になるなんて、想像さえしたことがなかった。

生きてることに感動はしなかった。

だけど、「何とかしなきゃ」と思っている自分には感動した。

生きようとしている。

どんな風でも生きようと決めてる。

そういう自分を見て、自分で自分に感動するっておかしな話なんだけど、本当にそんな風だった。




ノムの今日のメッセージを読んでそんなことを思った。

今日は自分がどんな時に「生きたい」って思うのか、「生きてる」って感じるのか、そんなことをあれこれ考えてみようと思う、12時間勤務のかたわらで( ̄∀ ̄;)。

今日朝起きたらの1日は、「生きたい」よりも「早く終わらせたい」だろうなぁと思う…( ̄∀ ̄;)。

読まずにこのままアップ。

(これを書いた)所要時間:30分ほど。

2020年2月24日月曜日

社窓の窓から〜バレンタイン効果♡

朝ごはんを食べながらテレビの占いカウントダウンをたまたま見た。

今の仕事に行き始めて、初めて占いカウントダウンのタイミングに当たった。

今日の魚座は4位。

これまで研究していたことに成果や実りが出ると言っていた。

英訳の何かが実を結んでくれるんだろうか?と勝手に都合の良いように想像した。

そして、本当に何かが起きたら面白いだろうとも思った。




昨日の夜とその前と、もしかしたらすでに3回以上は言ってもらったことかもしれない。

ゲイである友人ノムから、ノムでなければ思いつくことのできない、今の職場対応のヒントをもらった。

「母性のような気持ちで仕事をする」

私の仕事の多くは英訳だけれど、その英訳のためにすることの大きな仕事の1つに、技術の人たちに質問に行って日本語の意味を確認することがある。

質問する相手はオール男性、部長から入社してまだ片手で数えるくらいだろう平社員の人までとにかく男性、男性、男性。

窮状は割愛するけれど、それを聞いたノムが私に提案したのが、毛布をふわっとかけるようにじゃないけれど、母性を持って接することだった。

戦いモードじゃないけれど、決して私が女だからと言って柔らかい空気になることはなくって、それこそ痛いところを突きまくりな私は男性陣からして毎回「痛いところを突いてくる人」的な感じなんだろうなぁと思っている。

一応私の所属部署は影では「怖いババアの集まり」と呼ばれているらしいから( ̄∀ ̄;)。




それを早速試してみたい相手がいた。

反応を見てみたいという方がより近かったかもしれない。

先日スーパーツンデレが判明した部長がその最初の母性テストのターゲットだった。

ツンデレ部長はとにかく最初の印象がめちゃくちゃ悪かった。

ツンデレ部長が悪かったわけではないけれども、最初からいきなりデッドボール並みの超危ない質問を私から持ち込まれて、私の方こそ最低最悪な印象だったかと思う。

その時、悲劇は起こった。

まだこの会社の「たらい回し制度」を知らなかった当時の私に、いきなり超クレームが手渡されて今日中の英訳を命じられた。

翌日に海外のお客さんたちが来る時の会議用資料で、その資料の英訳だった。

色々わからないことだらけだったけれども、いきなり超ビッグクレームをその中で見つけて、日本語の対応文はあるものの、それがまたしょうもないくらい適当すぎて、どう訳していいのかさっぱりわからなかった。

本来ツンデレ部長はほぼ関係のない立場にあった。

だけど、その資料の責任者が出張で不在、それで私の部の部長に相談したらツンデレ部長を紹介されて、それでツンデレ部長の元にその超デッドボール案件が持ち込まれた。

私1人で行って、何のフォローもないままいきなりの持ち込みで、今思えばツンデレ部長もすごく嫌だったと思う。

そんなスタートだったゆえ、それ以降も事あるごとに私はけっこう雑な扱いを受けて、でも担当がツンデレ部長の時は聞くしかないから、毎回心を鬼にしてとにかく聞きに行くことを続けた。

真面目に、せめて外見的な目の保養となる美貌をください、と何度思ったか知らない。

すごい余談だけど、その辺りがあからさまな男性社員もいれば、そんなこと気にせずたとえ目の保養とか心の保養に1ミリも貢献しない私に対して超親切丁寧に対応してくれる神的な対応が標準装備されているスーパー素敵男子たちもいる。

ちなみに今回はそのスーパー素敵男子たちの物語。

ツンデレ部長の話に戻る。

今回の英訳依頼の途中のやりとりの時に、渋々時間を作ったなどと言われて、私もまたもや「この人はなんなんだ!?(怒)」と思ったけれども、とにかく仕事は仕上げなきゃいけないから、そんなことはスルーして「時間いただきありがとうございます」と言いながら質問を続けた。

自分で言うのもなんだけど、私のこのありがとうととにかく言える性格はあっぱれだと思うv( ̄∀ ̄)v。

一通り終わった後に、ツンデレ部長が最後立ち去る時、「またわからなかったらいつでも聞いて」と笑顔で言って去って行った。

その時に初めてツンデレ部長がものすごく不器用な人だとわかった。

お言葉に甘えたわけではなく、本気でその後に追加の質問が出てきたから、またもやツンデレ部長の元へと訪ねた。

2回とも不在でとうとうまたメモ用紙対応かと思ったら、ちょうど近くのミニ会議席に1人で何やら図面的な紙に印を押しているのを見つけた。

近くに寄って、今少しだけ時間いいですか?と聞いて、若干またか!?という表情をしたのを私は見逃さなかったけれども、それでもそれさえ聞けば私の方は終わるから、何食わぬ顔して1つだけの最初で最後の質問をした。

終わった時にポケットからチロルチョコを3つ出して渡した。

「そんなことしなくていいよ!」と嬉し笑いなのか苦笑いなのかよくわからない笑顔で言われたけれども、もう持ってきちゃったんで!と言ってそのまま本人の前に置いた。

ありがとうと言われながら、なんとなく最後が良くて私も気分が良かった。

また何かの時はよろしくお願いしますとも言い添えて後にした。

チロルチョコは私の苦肉の策だった。

何度も言うけれども、私は聞き過ぎなくらい技術者に質問の嵐を浴びさせているらしいけれども、私からしてこれまでの人たちはどうやってその難解な文章を訳せたのかわからない。

私の前任の人はよくよく聞いたら、アメリカ育ちゆえに本物のバイリンガルで英語ネイティブに当たる。

だから彼女のズバ抜けた英語力はそれゆえだと知って納得した。

私は基本的に彼女が作った英語なら大丈夫という確信があるから、過去のデータを参考にするなら彼女が作っただろう日付で保管されてるものを中心に見る。

だけどそんなのはごく一部で、残りは本当に発狂レベルのすごい英訳が毎回毎回当たるから、あまり参考にしない。

ってなるとおのずと原稿を書いた技術者に根掘り葉掘り聞いて、英訳できるレベルの日本語にまでまずは落とさないといけない。

私ができるのは、英語に直訳できるレベルにして初めて英語に変換できるから、そこは付き合ってもらうしかない。

ちなみにツンデレ部長に最後聞いたのは
「空に注意」
だった。

「空にしておく」と最初説明されたけれども、それでも英訳の時にわからなくて、何かが違うと思った。

それで前後の文章を見て、多分…と予想したのが「配線しないことで空にする」という意味だと思った。

それを確認したらそうだと言われた。

「空に注意」と「配線しない」は全く違う。

後者の正しい意味になるまで日本語をとことん掘り下げてあげないといけない。

だからみんな嫌がるし、面倒に思われるのは仕方ない。

だけど、面倒でも嫌がられても誤った英訳を出すわけにはいかないから、私はしつこく食い下がる。

こういう骨の折れる作業に毎回各担当者に付き合ってもらわないといけなくて、それで私が考えたのが「おやつ作戦」だった。

別に毎回は要らないけれども、ある程度大物(1時間超えコース)になる時は相手が振ってきた仕事とは言え、私側の理解力の大幅な欠落によって相手の時間を多大にもらうわけで、それに対してありがとうを示すためにチロルチョコお得パック的なものを購入して机に忍ばせている。

おやつ作戦が良いのかどうかは知らないけれども、とにかく色んな方法を試して、少しでも円滑に、そして相手を労い敬うみたいな方法で相手の協力を気持ち良く引き出すみたいにしたい。

今いるところは、何事もやって当たり前みたいな空気がものすごく強いから、せめてそれに対してありがとうを伝えることはしていきたいと思う(お礼すら言わない人も普通にいるから、余計と試す価値があると思う)。




ツンデレ部長からの依頼分が終わってまもなくの頃だった。

他にも大型の仕事が控えていて、ようやくそちらに着手と思ったら、至急の英訳依頼が来た。

終業2時間半前にやってきて、今日中の提出と言われた。

持ってきた担当者は違うけれども、大元の指揮統括は別の大御所で、この大御所は人の労働力をなんだと思っているのか、いつも急過ぎる依頼を部下を使って、はたまた色んな人たちを使って伝えてくる。

そしてお礼の1つを未だかつて言ったこともない大バカ男で、冗談抜きであまりにも対応がずさんで馬鹿すぎるから、次回同じことをしたら本気の大クレームを本人宛てに直で言いに行こうと思っている。

私をナメるとか対応がダメなら、こちらはさらに上に訴えて上からの大クレームを入れるくらいのつもりでいる。

なぜにそんなにもバカな人が役職に就くのか、日本の人事あるあるで、不思議でならない。

それはそうと、その超やらかし系の英訳依頼は、思わぬ方向に発展することになった。

「発展」は悪い方じゃなくて、本当に良い方向に。

点と線でしかない図面と、その図面上を説明する用語集が渡されて、その用語を英訳して欲しいということだった。

用語集を見た瞬間、「取り付ける」という言葉が数ヶ所あった。

これはもうジャニーズ系美男子を頼るしかないことが確定した。

「取り付ける」は、日本語こそ「取り付ける」1本だけど、英語は最低でも3パターンある。

機械の取り付け方なんて私にわかるわけもなく、一度ジャニーズ系美男子と60枚越えの資料2本分を一緒にやった時、「取り付ける」に関してはど素人の私がわからないのは当然だから、全て私に聞いてくださいと言ってきたのが最初だった。

しかもジャニーズ系美男子は私の英語の師匠トムさん含めて何人かの先輩や上司と「取り付ける」の英訳について話し合ってくれて、明確な基準を持って対応してくれてる。

だからそれ以降も私は「取り付ける」が来ると50メートルは離れていると思しきジャニーズ系美男子の席まで行って、聞きに行ってる。

ジャニーズ系美男子は、自分の仕事じゃなくてもきちんと丁寧に毎回対応してくれる。

日頃の感謝(と懺悔)の気持ちを込めて、3つで千円のチョコのうちの1袋をジャニーズ系美男子にあげた。

で、緊急ゆえに今回も頼ろうと席に行ったらいなくて、でもどうでも聞かなきゃいけなくて、私はジャニーズ系美男子の向かい側にいる態度超イケメンくんを頼った。

誰からもそんなこと聞かれないと思うけれども、社内で一番カッコいい人が誰かと聞かれたら、私は即答で態度超イケメンくんの名前を出す!

本人の耳に入ったっていいから、むしろウェルカムだから、それくらいとにかくカッコいい。

今回ももれなく優しくて(♡´艸`)、まずはジャニーズ系美男子の行方を聞いたら「さっきまでいたんすけどね〜、(私が質問に)来ると感知して逃げたんですかね(笑)」とか言ってくれた。

こういう冗談も言ってくれるところが、本当にものすごくポイントが高い。

態度超イケメンくんだって自分の仕事を抱えているわけで、そんな時に私の超ぶっ込み型の依頼とか、マジ勘弁して!状態だと思うけれども、そういうことを一切表に出さないどころかとても友好的に対応してくれる。

態度超イケメンくんはすごい若いと思うけれども、本当に人間としての器が大きい人だと思う。

例の取り付けるのことがあって、今日の今日の依頼でジャニーズ系美男子に聞かないとわからないとかいうことを説明したら、態度超イケメンくんが代わりにそれを見てくれた。

態度超イケメンくんにジャニーズ系美男子が説明していた「取り付ける」の見分け方を説明した。

それを踏まえてもどうやら難解な図面?部品?らしく、少し待ってくださいと言って、態度超イケメンくんは隣りの技術者に相談して確認してくれた。

2人で話してもわからなかったようで、私の方に向き直ると、まずは隣りの席の人に私のことを「俺らより詳しいから!」と紹介してくれた。

私が詳しいわけもなく、すべては言われるがままにやってるだけだということは付け足して言った。

そうやってきちんと私のことを見て一言何か言うことがこの態度超イケメンくんは普通にやれる。

「美男子の基準が何なのか俺らもわからないんで、帰ってきたら言っておきます」と言って、図面と資料ごと預かってくれた。

ここで適当に答えずにきちんとしてくれるのも好感度増し増しだった。

私は女上司の内線をどこかに書いて、終わったら取りにくるんで電話くださいと言って、お願いして自分の席に戻った。

女上司には事の顛末を伝えて、とりあえず今は先にできることを進めますと言って他のできる部分の英訳を始めた。

しばらくすると、なんと態度超イケメンくんが預けた資料と共にやってきた。

ジャニーズ系美男子が席に戻ってきて確認してくれたらしい。

そうじゃなくても2人の仕事では全くないから私は50メートルは離れてるだろう2人の島に取りに行く気でいたけれども、なんと態度超イケメンくんはわざわざ私のところまでやってきてくれた。

その行為に驚きながら、「美男子に確認したら、〇〇という単語の方でした」と教えてくれた。

ありがとうとは言ったけれども、あまりにも慌ててしまって、もう一度背中に向かって「〇〇さん、本当にありがとうございました」と言うと、振り返ってくれた。

態度超イケメンくん、相変わらず態度が超イケメン。

それを見て女上司が「なんかすごいね!本当にあんな風に(自分の仕事じゃないのに)動いてくれるんだね!」と言っていた。

3つで千円のチョコの1つは態度超イケメンくんに渡っていて、バレンタインの時に「超頼りにしてます」って直接言っておいて良かったなと思ったv( ̄∀ ̄)v。





態度超イケメンくんが去って5分もしないうちに、女上司の内線が鳴った。

しばらくは女上司が話していたけれども、武士俣さん替わるねと言われて電話を取ると、ジャニーズ系美男子だった。

さっきの態度超イケメンくんが伝言してくれたことの訂正部分があって、そのために電話をくれた。

ジャニーズ系美男子は、「図面をよく見たら、〇〇が☆☆で、そうなると〇〇☆☆になるので、単語はAじゃなくてBです。そして、過去のものを見たら⬜︎⬜︎と付く時はB側で統一されていたので、今回はBでいきましょう」と説明してくれた。

ジャニーズ系美男子のすごいところは、図面をきちんと見たり過去の資料をきちんと確認すること。

絶対に適当に言わずに確認する。

ありがとうございましたとお礼を言って電話を切った。




電話を切ると、女上司がビックリした顔して私に言ってきた。

上「これ美男子さんの姿!?」

私「はい、そうです」

上「えー!!!なんか見方が変わった!!!
これまでは全然こういうイメージがなくて、むしろマイナスだったんだけど、今のやりとりを見て、全く違う感じで本当に驚いたし、すごいやってくれる子なんだね!」

私「そうです、そうです!
あの大型のものを2本やったじゃないですか?あの時に全部の『取り付ける』を確認してくれて、これはこっち、これはあっちとか全部指示出してくれて。それ以降もわかんない時に聞きに行くと教えてくれます、自分の仕事じゃないのに。
めちゃくちゃやってくれます!!!」

上「すごいね!!!
全然見方が変わったー!」

私「しかも、色んな人たちに聞きに行ってる中で、美男子さん、3本の指に入る説明上手な人です。しかも、ただ説明するんじゃなくて、『取り付ける』の時もそうだったんですけど、周りの人たちに確認して、それを自分の言葉でまずは理解して、その後私にもわかるように説明してくれます。本当にめちゃくちゃできる人です」

上「武士俣さん良かったね!!!美男子さんといい態度超イケメンさんといい、そうやって協力してくれる人たちが出てきて!」

私「ほんと、助かってます!本当に困った時は私はあの2人の元に飛んで行きます(笑)。トム先生に聞くには忍びない内容の時もあるじゃないですか?難解なのはトム先生だけど、そうじゃないことで色々わからないことは、基本的にあの2人を頼ろうと思ってます」

担当者の協力加減は毎回かなり差があって、すごくやってくれる人たちなんかは一気に女上司の評価も周りの評価も上がる。

協力どころか丸投げ、はたまた約束破りな人は、わかりやすいぐらいにマイナス評価に転落する。

このやりとりを通じてわかった。

私が今のポジションだからこそできること。

これまでは自分の理解力のなさ(+原稿作成者たちの意味不明な日本語)で、相手の時間を多大に使うことや、本当にいやらしいぐらいに細かく聞くことにものすごく気後れする気持ちがあった。

毎回申し訳なさと、それこそどこかに書いたように美貌の1つでも提供できて男性たちに癒しでももたらされるならまだしも、そういうこともなければ、そうした要素皆無でひたすら相手はげっそりみたいなことも無きにしもあらずだった。

容姿コンプレックスというよりも、本気で「天よ、美を与えたまえ!」と願いたくなるぐらいに、ましてや今の会社、多くの男性が異性に対して外見スーパー重視と知って、外見では何一つ提供できるものがない私は色々終わってる状況にあった。

だから、私も私で相手にプラスとなるものを少しでも渡せないと私自身もやりにくかったし、何でもいいからプラスになるものを、せめてマイナスじゃなくてプラマイ0になるぐらいにはしたかったから、それとなる方法みたいなのが1つ欲しかった。

で、今回のやりとりを通じてはっきりとわかった。

私は相手を怒らせない程度にわからないままでいいと思った。

私がわからないことで、他の誰かがそこをフォローして、そしてそのフォローしてくれた人の株が上がればそれはものすごく良い事だと思った。

私をいくら踏み台にしてもらってもいいから、そこで誰かの良さや普段なら表に出てこない超頼れるポイントとか、そういうものが私以外の人たちにも見える形になれば、スーパー御の字だと思った。

だから、ある意味私はできないわからないままでいいわけで、それが今回のジャニーズ系美男子や態度超イケメンくんの株が上がったようにプラスに働いていく。

その2人の瞬発力がプラスされたヘルプは、女上司がビックリしたところを見ると、過去にそこまで誰もやってくれなかったことなんだと思う。

しかもその2人は私を助けることで直接のメリットは何もない。

むしろ仕事増やされて終わるだけ。

その何のメリットにもならないことを丁寧に迅速にやってくれたものだから、一気に株が上がってた。

こういうことって誰でもできることじゃないから(しかも全体的にみんな仕事の締切を超ギリギリまで延ばすから、「即対応」というだけで大絶賛される)、そういうその人その人の良さを私の「わからない」をきっかけにして引き出したらいいんだなと思った。

その後ジャニーズ系美男子には廊下ですれ違った時に呼び止めて、その株が上がった話をした。

反応はイマイチだったけれども(多忙すぎて頭が回ってなさそうだった)、こうやって良いことは本人にもメッセンジャー的に伝えようと思った。

この会社、仕事をバンバン振られてもそれをやって当たり前で褒められることはまずない。

いかにも体育会系男社会の典型的な、人が一番伸びないやり方を平然とやっている。

だからそんなことを私がいちいち本人に伝えることがどこまで効果があるかなんてわからないけれども、やってみる価値ありだなと思う。

得にはならなくても無駄やマイナスにはならないと思うから。

しかも今の仕事内容は私からして人生初の分野だから、自分が下に見られるとか力がないとか全く気にならない。(むしろ、無茶な英訳依頼を受けそうな人たちには、「英訳担当が新人で仕事がすっごい遅いって言ってください!だから締切間に合わないかもしれないですって掛け合ってください!」と自らお願いしているくらい( ̄∀ ̄;))

自分を下にすることで相手の活躍の場が広かったり、周りからの評価が上がるなら私はいくらでも私のことを良い風に使ってください!って思う。





そんな風に自分の在り方や役割みたいなのが少し見えたところで、年明け辺りから異動してきた本気のイケメン「硬派さん」と私の歓迎会が金曜の夜にあった。

硬派さんは同じ部署だし席は隣りの隣りだけど、全く仕事の絡みがなくて、話したことさえない人だった。

しかも、硬派さんも私も基本的に自ら話しかけるタイプじゃないから、硬派さんほどじゃなくても私も人見知りするから、まず自分から積極的に話しかけることはない。

そんな「関係」とも言えない感じだったのが、たまたまなのか、今思えばこれは神々の審議会的なところからの配慮というか設定だった気がするけれど、本会、二次会、そして三次会と全て隣りないし真向かいに互いが座った。

しかも本会については、私は隅の席だったから、硬派さんと話せないと誰も話する人がいないというある種究極の設定だったわけで、二次会もそれに近い隅の席で、だから自ずと硬派さんは好む好まないに関係なく私と話さなきゃいけないような感じになっていた。

その時にいきなり超ディープな話をすることになった。

どうやら硬派さんは一時期仕事から離れて休んでいたらしい(メンタル的なものと言っていた)。

それについては、周りが話を振っていたのを聞いて私がその後続けてちょっと話を振ってみたら、本人から「話したくない」と言われたからそっとした。

代わりに私が思ったことをいきなり言った( ̄∀ ̄;)。

話さなくていいし私も聞かないけれども…と前置きした上で、私が感じる硬派さんの仕事のやり方を言ってみた。

基本的に硬派さんはきっちりと仕事をする。

曲がったことも嫌だろうし、周りが困っていると知るとすぐにフォローに入ることも、他の一緒に仕事をしている人から聞いたことも本人に言った。

そして隣りの席だったから気付いたことも言い添えた。

いつも周りの様子を見て、醤油がいると知ればみんなの分の小皿に醤油をさしたり(隣りの女性は自分の分だけさして、すぐに硬派さんに渡すという、女子力低すぎな人←私)、取り分けるのも私はしなくても硬派さんはしていた。

とにかくよく気付くし、そしてしょうゆとかお皿の渡し方が、見た瞬間育ちの良さがわかる渡し方で、私も真似したいとは思ったけれどもああいうのは無意識に出るものだから、私の場合すぐに忘れてガサツな一面がクローズアップされて終わりだろうとも思った( ̄∀ ̄;)。

それはそうと、仕事に関しても曲がったことや手を抜いちゃいけないものを適当にするとかは絶対にできないだろうと思った。

会社のやり方に対して自分もそれに沿った価値観ならいいけれども、私は少なくとも色んなものを見て全然良くないことに対して色々葛藤することも硬派さんに言った。

会社のやり方と自分が信じるものが、違えば違うほどしんどい思いをするのは想像できると言った。

だから理由はわからないけれども、硬派さんもそういうところに違和感を感じる人、私からしたらものすごく真っ当な感覚の人なんじゃないかと思っていることを言った。

硬派さんはいくつか仕事の中の具体的なエピソードを話した。

話を聞けば聞くほどわかった。

硬派さんは会社や周りの人たちのことは一切責めなかった。

代わりに自分の不甲斐なさや責任を持って行動する立場なのにそれができないと言って(本人がそう思ってる)、そういうことにすごく悩んでいる感じだった。

しかもこれは私が聞いたわけじゃなく周りが聞いたことで発覚したことだけれど、硬派さんはじめ周りの男性社員は超エリートだと知った。

地元の有名どころの学校を出ていて、そこがいかに難しい学校かは誰しもが知っている。

息子を持つ親なら、みんなそこに自分の息子が入ったのなら安心するだろう、そういう学校で、だから今周りにいる男性陣は皆スーパーエリートたちなんだとわかった。

硬派さんは本当にできる人だとわかったし、だからこそできる人が見える視点のところに会社のあり方がないものだから、それとの葛藤も半端ないことも想像がついた。

私はどの時点かは忘れたけれども、そもそも勤務初日に社内に入る5分前に今の仕事の部署変更の打診があったことをはじめ、人があまりしないことに当たること、山で行方不明になったおじいちゃんを探して欲しいという依頼が来てみたり、今も表面の仕事は英訳だけど本当は、例えばこれまで適当に為されていたことを正したりとか、表とは違う見えない部分の調整みたいなことだったり、そういうことをするために呼ばれた仕事だと思っているというようなことも言った。

ここに来るまで長いこと引きこもっていたことも言ったし、だから硬派さんがメンタル的に何かあったとしても別に私も自分が色々不具合があるから不思議に思わないとも言った。

自分の体験をこんな風に使えるのは大きかった。

そんなこんなの話をしている中で硬派さんから言ってくれた。

「英訳する時に技術的な内容でわからないことがあれば、俺で良かったらそこは説明します」

来たーーー☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆

新たな協力者現る!!!

しかも今回は私はお願いしていない。←えっ?

私はいつからか硬派さんを見ていて、硬派さんに聞けないものかと思ってはいた。

いつかはある道具の動きについてはわかったけれども、いかんせんじゃあそれって英語で何て言うわけ?の部分がさっぱりわからなかった。←最後は師匠のトムさんを頼った。

同級生の同子ちゃんにそれって何?とか聞いてた(同子ちゃんはこの手の業界に長くいて、色々知識を持っている)。

ちなみにその時の私の質問がどうしようもないくらいにレベルの低い話で、おそらくだけどそれを真向かいにいて嫌でも聞こえてしまった硬派さんからしたらもどかしかったと思う。

私はひたすら「入れるの?打つの?はめるの?挿入するの?置くの?留めるの?」とありとあらゆる動詞を言っていた。←こんなことばかり聞くから、中には嫌がる人がいても不思議じゃない。もちろんもっと丁寧に聞いている( ̄∀ ̄;)。

どう考えても硬派さんなら一発で「〇〇です」って正解を教えてくれる。

だけど、会社の中は謎のルールだらけで、部署が同じだからという理由で聞いてもいいのかどうかもわからなければ、基本的に硬派さんは休日出勤するくらいに今は超絶忙しいし、どこまで何をやっても差し障りないかわからない。

変な話、遠くのジャニーズ系美男子や態度超イケメンくんに頼ることの方が大御所の目に入らないから、聞きに行きやすいくらい。

硬派さんは言った。

技術者たちは本当に色んな業務に追われていてとにかく時間がないから、もし自分が武士俣さんの質問に答えることで1つ手間が省けるとするなら、技術者にとってもプラスになる、それが自分が今できる最大の手助けだから、そのためならいくらでもいつでも質問してください。

何て潔い人なんだろうと思った。

そして、私は自分の助けという印籠を大きくかざしながら、それが硬派さんにとって硬派さんの仕事の役割や在り方にも少しは貢献できる気がしたから、喜んでそれをしようと思った。

硬派さんは今の部署に来て、自分のできることを一生懸命模索している風に感じた。

できることはもちろんたくさんあるけれども、それをどういう立ち位置でやって、周りとの兼ね合いも見計らって、相手を立てつつ自分も特定の何かをきちんと役割としてやる、そんなベストなものを今試行錯誤でやっているんだろうなぁという印象だった。

もっとぶっちゃけて言えば(本人には言わなかった)、硬派さんの場合、自尊心がものすごく折れてしまっていて、もちろんそれは私の見立てだけれど、そこを私が助けを求めることで何かしらプラスになるならいいなぁという感じだった。

自分が救えるとか癒せるとかそんなことは一切思わないけれども、私の立ち位置だからこそやれることはあると思う。

やってマイナスにはならないと思うから、試すのはありかなと思う。

硬派さんも多くの男性たちに共通していて(女性も)、自信がない。

さらには自分のできることじゃなくて、できなかったこと、上手くやれないことに目が向いている。

私はたかが数時間のやり取りを通じて硬派さんの良いところを10個は言葉にできるくらい、硬派さんは素晴らしいものを持っている。

いくつかはその場で本人にも言ってきた。

お世辞だと勘違いしそうだから、私がよいしょしてるんじゃなくて、何百人の人たちを見てきているから、その中で硬派さんが他の人とは違っている部分を伝えていることもきちんと説明した。

周りもみんなエリートなら、ますます自分の存在意義がわからなくなりそう…って思った。

そうだ。

伝わったかはわからないけれども、そういう中で自分が前に出ずに相手にきちんと花を持たせる、相手のペースを尊重できるって超すごいことだと思うというようなことも言ったはず。

謙虚で誠実な人柄はよく伝わってきた。

硬派さんとやりとりした時も思った。

私はできなくてもいいこと。

でも代わりに「人を頼る力」を私もつけること(今のところじゃ付け過ぎなくらい、すでに( ̄∀ ̄;))。

人を頼ることで相手の何かを引き出す。

何が引き出されるかはわからないけれども、ものすごく大事な役目な気がする。

そしてあまり期待しないように気を付けたいけれども、それは良い方向に向かってくれる気がしている。

繊細な内容だから気をつけないといけないけれども、とにかく相手を頼ることは、相手の中の何か大切なものを満たす可能性がある。

そう信じて、私もますます周りを頼ろう作戦に精を出すことにした(笑)。





タイトルの『バレンタイン効果』。

真面目に、バレンタインのチョコ渡して良かったーーーv( ̄∀ ̄)v!!!

賄賂と言われようが、やり方が姑息と言われようが、ここはやったもん勝ちだから、私はめげずに気持ち良くやれる方法を極めようと思っている。

今後もとにかくイケメンたちを頼りまくって、私は自分の難を越える気満々でいる。

2020年2月23日日曜日

妄想劇場

どうしても引っかかっていることがあるから、それを吐き出そうと思う。

(今日も色んな意味で妄想全開( ̄∀ ̄;))

金曜の夜、硬派さんと私の歓迎会が開かれた。

大御所はいなくて、私は年齢トップかその次を狙える年配者で、以下はみんな私より年下の同じ部署と近しい部署の内輪での会だった。

若いグループに混ぜてもらえるという美味しい体験をした。←若手よりも大御所の方が年齢的に近い( ̄∀ ̄;)

硬派さんは私がまたもや勝手に名前を付けたわけだけど、硬派さんは技術者だけど他部署から私が今いる部署に年明け前後に異動してきた人だった。

「硬派」とした理由は、こちらもまた冗談抜きでのイケメンで、物静かで落ち着いた雰囲気だから。

「硬派」という言葉が本当に似合っている。

同じ部署に、この会社で一番と言ってもいいくらいに可愛い女の子がいて(私もメロメロ(♡´艸`)♡)、彼女も既婚者だし硬派さんも既婚者だけど、その彼女が「超かっこいい!!!」と性格(+顔や雰囲気)を大絶賛するくらいかっこいい。

物静かだけど、さっとその場の空気を読んで、すぐにフォローに入ったり、テキパキと仕事をしていて、その可愛い子ちゃんいわく「仕事する姿も超かっこいい!!!」との前情報をもらっていた。

可愛い子ちゃんの方は男性陣が放っておくわけもなく、既婚者で2児のママなのに、やたらめったらと可愛い子ちゃんのところに色んな男性陣が行って、何か聞くフリや確認する姿を私もよく見かける。

ちなみにごく一部の男性以外は、可愛い子ちゃんと仕事の絡みがない。

ないにも関わらず、大人気の可愛い子ちゃん。

みんな心の中でガッツポーズしてるような感じがよくわかる(私も同じ気持ちになる(笑))。

可愛い子ちゃんとこの間1時間くらい外で立ち話をする日があって、その時にある人から人との距離感が近いと指摘されたことを気にしている話が出てきたけれども、私はそれに対して、他の女の子なら「気をつけた方がいいよ」と言うけれども、彼女には言わなかったし、本当に変な下心もなければそれが彼女の男女問わず自然な接し方で卑しさが全くないから、むしろあの距離で来られる嬉しさを私も男か!?並みに享受して堪能しているから、私は気にならないと言った。

とにかく、そんなことをやきもち妬いて言ってくる男性がいるくらい可愛い子ちゃんのところには男の人たちが寄ってくる。

その可愛い子ちゃんが絶賛するイケメンが硬派さんになる。

硬派さんは私の席の隣りの隣りで近いけれども、仕事上全く絡みがないから単に挨拶するだけの関係でしかなかった。

週明けからは硬派さん直々に快諾してくれたことで、英訳の際の技術面の説明を買って出てもらえることになったから、関わりが生まれてくる予定。

この硬派さんとの英訳関連の仕事のやりとりは色んな意図が後ろにあるから、それはまた別記事で今書いている。(誤解のないように言うと、色んな意図というのは「魂的な部分の意図」。男女関係の意図とかは一切なくて←当たり前、多分だけど、硬派さんのヘルプはもちろん私にとっても超プラスになるけれども、硬派さんにとってもプラスになると思う。)

とにかくその硬派さんと私の歓迎会の時に見た風景から私のどこまでも広がる妄想の話に移りたいと思う。




途中から私の前任だった女の子も合流して会に参加した。

その時に彼女Aさんと硬派さんと私という3人で話していた時のことだった。

Aさんから「今度既婚者の会をしましょう!」と硬派さんに提案していた。

可愛い子ちゃんとAさんと硬派さんともう1人硬派さんと同級生と判明した仕事ができるB男さんと4人で集まろうと言われていた。

硬派さんは言われるままにLINEの連絡先をAさんがパパッと操作して交換して(硬派さんは携帯を机に置いたまま)、今度また連絡しますみたいに言われていた。

ちなみにAさんもめちゃくちゃ可愛い。

明るくて朗らかで可愛いときて、今はすっかり慣れたけれども、最初の頃はAさんの後釜であることに気後れしていた。

英訳含めた仕事も超できて、技術の人たちも嬉しそうに対応していた姿を見ていて、私はいつも心の中で「ごめんねー、来月からはババアになるよー!しかも英語力も理解力も色々やばいよ!」とよく思っていた。

そのやりとりとは別に、他の若い男の子が職場の誰がかわいいとかいう話をしていた時があった。

私はその話を聞いて、いかに自分が色んな意味で立ち位置不利で、かなりがんばらないといけないのかもよくわかった。

そのかわいいと言われた子と私は、一度だけやりとりせざるを得なくなってやりとりしたことがあった。

忘れもしない瞬間で、私はその短いやりとり、それは時間にして5分程度だったけれども、それだけでいかにその女が馬鹿すぎて話が通じなくて、二度とやりとりしたくないと思ったかよく覚えている。

しかもやり方も超汚くて、その女がいるグループの新人の派遣の人に、これまた新人の派遣の私に派遣側と会社側がやりとりする書類の管理について聞くということがあった。

事情をよく知らない新人同士に対応させようと、その時点でやり方がえげつない。

聞いてきた人は言われるがままに動かされていたし、私も私でわからないまま色々しょうもないことの確認と説明に手間取って、仕事中断して20分くらい時間を取られた。

取られたよりも盗られたの方が近い。

後になってから、そういうことも想像できないのか、自分のことしか考えない大馬鹿者だと思った。

色々困って、私は自分のいる部署の他の派遣の人に聞いて、それでどう考えてもおかしな慣習ゆえに、その問題を解消するための案を提案しに行った。(過去にも提案して、女狐グループが納得せずに流れた模様)

私が提案したのは、それぞれが一番管理しやすい方法で、そして紛失とかの心配もないやり方だったけれども(紛失してないけれども、紛失したと女狐グループが騒いでその事態になった)、その女狐グループに私がそのことを言いに行くと、女狐は食ってかかってきた。

女狐たちが勝手にやり方を変えて混乱をそもそももたらしたもので、それに対して混乱を減らすためのベストな方策だったのに、私1人(新人)に対して女狐はじめ他の長老系の2人も参戦して、もう事はおかしな話になっていた。

あまりにも話が通じなくて辟易として、私はその場ではわかりました、また周りにも伝えますと言って去ったけれども、全く釈然としなかった。

自分のところに戻ってから事の顛末を告げた時に、他の派遣の人もそのおかしなやり方に何回か同じ案を提示しても却下され続けていて、ずっとずっとすったもんだしていたことを知った。

それで今後はそっと私たちの方で、提案した方法でこっそりと管理することになった。

ちなみにそのことは当日か翌日に事が一気に動いて、私が提案しに行った方法が正式に採用されてそれで一気にこれまでのゴタゴタが解決された。

会社としてもその方がやりやすかったのもあって、何の問題もなく良くなっていった。

とかいうことを私は目の当たりにしていたから、あんなバカな女が普通に評価されることが私には「外見重視」と映って、ますます外見で勝負などできない私には、とにかく人として相手が不快にならない対応やきちんとありがとうやお願いしますとかいう言葉を言って仕事をするしかないなと決意を新たにした。

とかいうことを思い出しつつ、女狐はかわいくもなんともないけれども、Aさんは本当にかわいい。

そのAさんから飲みに誘われたら、しかもみんな既婚者というグループ分けしての飲み会なら、楽しく飲めるだろうことも想像がついたし、Aさんに誘われて嫌だと思う男の人なんかいるんだろうか?と思った。

硬派さんは基本的にあまり外に表情を出さないから硬派さんの気持ちはわからなかったけれども、嫌なら連絡先の交換にそもそも応じないだろうから、嫌ではないだろうなぁと思った。




実際の目にした景色はここまでで、この後は私のスーパー妄想が大暴走した話になる。

硬派さんは本当にイケメンだし、女の人たちから仲良くなりたいと思わせるようなものを元々持っている。

私とてひょんなことから硬派さんに今後頼れることになったけれども、本当に素敵な人だなと思う。

自分のパートナー運は、こうした職場とか実用社会の中で大発揮されて終わっているんじゃないかと思う。

今回硬派さんという新たな協力してくれる人を得てつくづく思ったけれども、私は今の会社の中でもイケメンと呼ばれる人たちからの絶大な協力を得ている。

9割を占める男性社員の中でもトップ1割に入るイケメンたちがみんな私の協力者になってくれていて、私なんかは相当おいしいポジションにいるんだと思う。

こういうところで私は異性運的なものを使い果たしているんじゃないかと改めて思った( ̄∀ ̄;)。

それはそうと、硬派さんが誘われているところを見て思ったこと。

もし私が「イケメン」と結婚できたとしても、こういう心配を絶えずしなくちゃいけなかったのかもしれない…、と思った。

私がごはんに誘った過去の職場の長は、本当にイケメンだった。

正真正銘のイケメン(+性格良し+ハイスペック)で、本来なら私が手を伸ばせる相手ではなかった。

私がその人に向けて差し出せるものが思い浮かばないぐらい、これが来週からの硬派さんと私みたいに仕事を通じてお互いが持ちつ持たれつみたいなところがあるならまだしも、そのイケメンには私と関わることでそんなメリットもなく、何もないという感じだった。

そんな私がもしイケメンと付き合えてとか結婚できてとかだったとするなら、私は私の知らないところで日々仕事をするイケメンがいつ誰から誘われるかもしれない…って心配しないといけなかったのかと思うと、縁がない方が私も楽に呼吸できていたのかもしれないなぁと思った。

イケメンが可愛いと呼ばれる子に誘われたり持ち上げられたりしたら、イケメンも気持ちは舞い上がるだろうと思う(←実際にそういう発言をするイケメンのことも又聞き状態で聞いたこともあった)。

これもまた余計な妄想ネタだけど、硬派さんと飲み会中話していた時にふと気になることがあった。

硬派さんは何の卑しさや下心もない感じで普通にタッチするタイプの人だった。

タッチすると言っても、隣りに座った時にねぇねぇと呼ぶ感じで手首とひじの間の部分をタッチして呼んでみたり、そうだよね!という意味合いの合いの手的な感じでのタッチで、イケメンゆえ全くいやらしさがない(笑)。

イケメンって得だなと思ったくらいに。

これは私の個人的な感覚だけど、多分硬派さん、異性だからタッチするタイプじゃなくて、そういうタッチは普段からそこそこ核心に迫るような話をする仲になれば、老若男女問わず普通に友達感覚でタッチするタイプじゃないかと思う。

下心ありきのタッチとは違う。

でもそうしたやりとりをしてみて、ふとイケメンってフラットな関係の時ってどんな風に振る舞う人なんだろう?と思った。

個人的な想像でしかないけれども、イケメンももしタッチするタイプだとするなら、硬派さんみたいに不快感を与えず「イケメンにタッチされてお得!」なんて思ってもらえるタイプじゃないかと思った。

イケメンと一緒になったのなら、そんな心配も私は常々しないといけないのかな…とありもしない想像をしていたら、ますますイケメンと付き合うとかは心が持たなかったかもしれない…、と何のためにもならない想像だけが膨らんだ。

単純に、イケメンと付き合うって、私側も相当な覚悟がいるんだなと思った。

Aさんみたいな可愛い子から誘われて「僕には大切な彼女がいるからLINE交換とか控えてます( ̄^ ̄)ゞキリッ」みたいなことになればいいけれど、硬派さん見ていてもそういうのって難しそうだなと感じた。

ちなみに硬派さんは奥さんのことを本当に大事にしてるんだなと感じるエピソードをいくつか話していた。

硬派さんはお酒がとても強い。

硬派さんと全く同じペースで飲める私もどうかと思うけれども( ̄∀ ̄;)、とにかく普通にたくさん飲める。

しかも顔色ひとつ変えないし、話が怪しくなるとか千鳥足になるとかも一切なかった。

だから家でも普段からよく飲むんだろうなぁと思ったら、家では一滴も飲まないと言う。

理由は、奥さんがアルコールに対してアレルギーがあって、だから飲まないとのこと。

それだけで奥さんがどれだけ大事なのかがわかった。

本当に飲める人だから、本当なら普段も飲みたいと思う。

だけど家で一滴も飲まないことを徹底するのは奥さんがいるからで、それって飲む人からしたらけっこう死活問題くらいに大きな影響のあることだと思うけれど、それをしてでも奥さんといる生き方を優先したんだと思った。

硬派さんはそういう筋を通すことをする人だから、余計とイケメン具合も右肩上がりに上がる。

イケメンはどう考えても私のことをそんな風には大切にしたいと思わなかったのは明白で、その事実にも改めてへこんだりもした。

イケメンが大事にしたい誰かは絶対に私ではない、その事実が爆弾のように降ってきた。

硬派さんとイケメンは全く別の人だけれど、どことなく似ているところがある。

物静かなところや仕事に対して真面目なところなんかは似ている。

人に対してもいい加減にできないところも似ているように思う。

飲み会でどういうわけか本会と二次会で硬派さんとは隣りになって、三次会までもが向かいの席という、とにかくずっと近くにいた。

わかんないけれども、硬派さんはベラベラと話すタイプの人間じゃないとは思う。

聞かれたことは話しても余計なことは話さない、そんな風に感じる。

なんだけど、私とは仕事の絡みゼロゆえほぼほぼ初対面に近いのに、席が隣り同士というだけで相当ディープな話をした。

多分だけど、硬派さんはその話を他の誰にもしないだろうと思った。

硬派さんの話は、自分の葛藤や周りとやりとりする時の自分の在り方についてがほとんどで、これは私のこれまでの経験値からの感覚でしかないけれど、男の人たちがそういう話をするというのは相当な覚悟がその裏側にはあると思う。

相手がマウントするとか、説教するとか、はたまた自分の話をかぶせてきて話を聞いてくれないとか、弱みを見せたくないとか、とにかく色々な要素が絡むから、そういうことを心配しなくてもいいってならないと話に出せないものだと思う。

だからどうして硬派さんがそんな話を私にしようと思ったのかは知らないけれども、硬派さんさえも無意識に話していた可能性も高いけれども、そういう深い話をしながらまたもや変なことを思ったりもした。

イケメンは誰にそういう話をするんだろう…って。

そして全くもって相手にされなかった私は、当然そんな話を聞ける人になることもなければ、そもそも時間さえ作りたくない相手だったわけで、イケメンとはこういうことは起こらないんだなと思った。

今の職場の1割に入るイケメンたちとやりとりすればするほど、そうしたやりとりさえ許されなかったイケメンと自分の出会い方を思う。

ご縁がなかった。

そのことがずっとずっと受け入れられなくてここまでズルズルと来たけれども、もういい加減受け入れていかなきゃいけないところにいるんだろうなぁ…と思っている。

相変わらず私が何を発信しても何も言われない、そのことが全てだと思う。

もし本当に私に対して何かしらの気持ちがあれば、動くだろうと思うけれども、どうやら私はそういう対象じゃない。

やっぱりブログ要員、どこまでもブログ要員なんだと知る。




これを書いている時に友達からLINEが来た。


「新型コロナウイルス気をつけて!
いきなりで申し訳ないが、驚くことが分かったのでメッセージをと思いました!
なんと…
今回の新型コロナウイルスの致死率は2.3%。
我らがお世話になったデング熱の致死率は20%以上とのこと。ちなみに、妊婦さんや幼い子供、年配の方ではもっと高いようです。
そう考えたら…
意外と我々の環境は劣悪どころの騒ぎではなかったのだなと。
慌てることもできず、騒ぐこともできなかったあの頃(笑)
そして、ぶっしーは2度も。
夜分に失礼しました‼︎
お互い気をつけよう‼︎」


致死率20%なんてものに二度もかかっていた中で生き延びた凄さを感じた。

そしてこんな風に返した。


「◯◯わざわざ連絡ありがとう!!!
デングの致死率ってすごい高さだったんだね。
そんな中で生き延びたのかと思ったら、いやはやすごいね、私たち!!!(笑)

12月から私、精密機械の会社の英訳の派遣に行っててね。
そこの歓迎会が昨日あったんだけど。
男の人が9割みたいなところで(昨日の飲み会は女性が多かったけれども)。
男の人たちの話を聞いていたら、いくら飲み会とは言え、男たるものみんな下半身で職場の女性たちを見ていると知って、けっこうドン引きというかリアルに「なんだかなぁ…」なんて感想を抱くと同時に。
◯◯や協力隊時代の男性陣たちと飲んで語った日々はとてつもなく恵まれていたんだなぁと感じた。下ネタやふざけた話がないわけじゃなかったけれども、それ以上のもっと人と人として、お互い出会えた奇跡の中で今しかないという感覚でいつも一期一会を大事にする考え方で飲み交わすことができてたんだなぁとしみじみと思った。
今と比べてあの頃は良かったとかそんな風に思ったりはしないけれども、少なくともあの時を共有できたことの凄さは色んな人たちと出会えば出会うほど感じる。
がんこちゃん(お気に入りのホルモン屋)然り、◯◯宅での家飲み然り、またいつかの時、ゆっくり飲み交わそう!」


「分かる。非常に。
なんかねー、ふざけながらも、真の通ったものを会話の所々に感じてたよね。
帰国して、どこで働いていても、あのメンバーの凄さは今も変わらず感じるよ。
そう来たか!とか、そんなこと考えてたの?とか。
想像もつかない視点の多さ。そして専門性の深さ。んで、考えの深さ。
みーんな深すぎてよくぶつかってたけど、極限状態だったのか、なんだかんだ許し合えてたね。
距離も時間も離れたけど、集えば一気に埋められる不思議なメンツですな。
そういう人たちがいると思えるから、しょーもない人たちを相手しても世の中捨てたもんじゃないと思えるし。
ありがたい。本当ありがたい。
ってか、ウイルス本当気をつけて!」


友達とこのやりとりをして、私はまたもう少しがんばれそうな気がした。

2020年2月22日土曜日

社窓の窓から〜ひとり言

仕事について思うこと。

ここにいても「何をしていた」というアピールポイントがない、と本人が言ったのか周りが言ったのかは知らないけれど、そんな風に言って過去に辞めた人がいたという話を聞いた。

これは価値観の違いの部分かもしれないけれど、私からするとやることがたくさんあるし、やらなきゃいけないこともたくさんあると感じる。

つい2日前も至急の英訳依頼が来た。

午後2時15分にきて(定時は16時45分)、今日中の仕上げを希望された。

最終的に仕上がったのは19時前だった。

仕様書の詳細の訳で、こういうものは既存の情報があればいいけれど、その既存のものさえも変な英訳になっている場合が往々にしてある。

今回ももれなくそうで、最初見た瞬間に「うわっ( ̄ཀ ̄;;)、これヤバイ」という感想を思わず抱かずにはいられなかった。

日本語だとよくある
【0〜100】
という表現。

英語はそのまま書けない。

こういうものも、英語だと前置詞使っての表現になる。

今回はさらにそのタイプのものがもっと複雑になったバージョンの数値があった。

その英訳が本気で終わっていて、私はそれをどう解釈していいのか、日本語もだけど英語も全くわからなかった。

これで意味が通じるのかさえも超怪しい英訳になっていた。

例えば上の「0〜100」なら「0から100まで」と言い直して、それを英訳する。

こういう単純なものならいいけれども、そもそも精密機械の数値たちはそんな単純じゃないものが多数存在しているから、都度都度の確認が必ずいる。

素人判断で数字を読むと大変なことになるから、私は数値系は新種のものや普段と少しでも言い回しが違うものは、毎回確認している。

で、今回したものの中に取扱説明書に全く同じ数値が掲載されていたけれども、見た瞬間にそれを英訳した人が当時の担当者に確認していないことが見て一発でわかった。

そのそれを今回の担当者に確認した。

ちなみに担当者は、日本語側を見た瞬間「この表現すごく気持ち悪い」と言った。

なんと、日本語のそもそもの表現が変であることが判明した。

それで本当の数値の意味を確認して、日本語側は少なくとも変は変でもまだ技術者レベルなら通じるらしくそのままになったけれども、英語側はそれじゃ通じないから正しい読み方を教えてもらって、それを英訳した。

英語は冗談抜きで意味が通じないし、なんなら前置詞と記号とを織り混ぜてさらに意味不明な英訳に仕立てていたから、そこは確認して正す他なかった。

とかいうことが毎度毎度のようにあるわけで、とにかく「やる必要のあること」は山のようにある。

英訳1つ取っても技術担当への確認が確実に必要だし、それは単なる英訳だけじゃなくてコミュニケーション然り、日本語の読解力然り、訂正作業然り、英訳の際の正確性の追求や言葉選び然り、やることは多岐に渡る。

周りに言わせると私は確認しすぎる傾向にあるらしいけれども、私からするとそれをせずに素人の自己判断による英訳をする方がよほどおかしなわけで、ましてや私しか英語を書いて確認する人がいないとなれば、余計ときちんと対応しないとまずい。

私は毎回真面目に思う。

そのすごい特殊な数値の書き方を見て、確認しようと思わなかったのかな、とか。

この日本語を見てそのままストレートに理解するとか恐らく普通にはできないと思うけれども、それの時どうしていたのかな、とか。

日本語よりも私は英語を見た時に毎回発狂しそうなくらいの衝撃を受けている。

百歩譲って文章がおかしいのはまだ仕方ない。

私だっていくらでも誤訳の可能性があるから、人のことは言えない。

誤訳というよりも、実際には確認しなかったのがあからさまだから、確認取らなかっただろうことが伺い知れる。

だけど、訳の分からない記号を入れないといけない、例えば「/」とか「・」なんて、基本的に英語の文章ではほぼほぼ使わない。

使うとするなら、よほど明瞭な使用に限られるし、それが入ることで意味が通じないなんてことは普通はない。

だからこそ、それが本当にとてもいい加減に英訳されたものだというのは、すぐにわかってしまう。

こういうものをたくさん見ているから、細かな当時の事情は知らなくても、何をしていたというアピールポイントがないなんてことはまずない。

過去に辞めた私の知らないその人は、自分もそのヘンテコな英訳はしなかったかもしれない。

でも違和感はなかったのかな?とは思う。

そう言えばいつか上司に言われたことがあった。

「これまでの人たちはそういう違和感を言わなかったけれども、どう感じていたのかな」と。

ちなみに私の前任だった子は、アメリカ育ちだと知って、超できる英語に納得した。

その子はおかしなところは、そっと静かに変更していたらしい。

何を自分の職歴として語れるか、それは各自の判断やセンスによるけれども、今のスーパーカオスな状況を日々見ている中で、やれることがないなんてことは絶対にない。

良くしようと思えば、どんなものも良くする方向に努めることができる。

私の見ている景色が特別だとは思わない。

面倒でも煙たがられても、ただただ自分のできることをしようとすればどんなことだってできたんじゃないのかな…なんて思ってしまう。

2020年2月21日金曜日

⑻【おいせさん手帳】目に見えない大切なもの




おいせさん手帳第8回目。
担当:私

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2月21日

形のないものを大切に育む。
太陽が魚座へ

目に見えない「ご縁」や「愛」は、形はないのに心惹かれます。
そうしたものに共通しているのは、「心で感じる」ということです。
正解も不正解もなければ、計画的に手にできるものでもありません。
ですが、そうしたものに出逢うと、心を通じてわかります。
心を通じて感じたものを大切に育む、それがご縁や愛となっていくでしょう。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




この文章を書いた時の感覚をとてもよく憶えている。

ノムと分担して星にまつわる話をそれぞれ書いたけれど(ノムにわざと多く振ったけれども( ̄∀ ̄;))、この魚座のエピソードは自分の中で何も難しく考えることなく、スラスラと言葉が出てきた星の話だった。

「魚座」と聞いてまず連想されたのは「目に見えないもの」だった。

目に見えないものの領域を司るのが魚座と言われている。

目に見えないもの
目に見えないもの
目に見えないもの…

「ご縁」と「愛」がポンと浮かんだ。

そして残りはスルスルと出てきた。

魚座のこの文章は、担当者の方Aさんから、星座の話が全種類ないのは構成上違和感があるから、全種類揃うように第1稿になかった星座は追加で書いて欲しいと言われたものの1つだった。

その連絡をAさんに入れる時、ノムがちょうど2人展の開催中で、在廊アンド最終日で連絡を入れられなくて、代わりに私がAさんに初めて連絡を取れる機会をもらえたり、そして依頼された分に関しても私がノムと私とでどこを分担するか決めることができた。

7つの星座が追加となって、私の決め方は今思い出すと粋なのかシュールなのか面白いと思うけれど、ペンジュラムでノムが私がどちらがどれをするのか決めたんだった。

まさか手帳を手に取る人たちも、どの日に誰が書くかをペンジュラムを使って選んだとは思わないだろうと思う(笑)。

だから追加分として書いたこの日は、字数制限があることも全部知っていたけれども、とにかく魚座のこの文章はスラスラと書けた。

言葉の神さまが降り立ったみたく、本当にスラスラと何のためらいもなく書けた。




全部で20ちょっとの文章を書いたかと思う。

文章を書く時に特定の風景や人が思い浮かんだものも中にはある。

これもそうだった。

私がこの文章を書いた時に、「ご縁」と「愛」、そしてそれらが【「心で感じる」ということです。正解も不正解もなければ、計画的に手にできるものでもありません。ですが、そうしたものに出逢うと、心を通じてわかります。】というところまで書いた時、私の中にははっきりと1人の人物を思い浮かべて書いていた。

最後の【心を通じて感じたものを大切に育む、それがご縁や愛となっていくでしょう。】は、残念ながら現実にはそうならなかったから自分の願望も含まれていたけれども、少なくとも【「心で感じる」ということです。正解も不正解もなければ、計画的に手にできるものでもありません。ですが、そうしたものに出逢うと、心を通じてわかります。】の部分は、明確に1人の人が私の中にあった。

心で感じたこと。

自分でもどうにも止まらない、だけど心はそのようにものすごい勢いで感じていたこと。

正解も不正解もなくて、だけど心は正解だからご縁や愛を感じるものじゃなくて、誰かこの人が自分にとって大切であれば、そうだとわかるように心が全力で自分に知らせてくる。

正解だから縁となって愛となるんじゃない。

そうしたものを飛び越えて、縁や愛となっていく。

そして、そういうものはある日突然もたらされる。

「素敵な出会いが欲しい」と言って、出てくるものじゃない。

計画なんか全くしてないところに、突然自分の人生に相手は現れてくる。

そして、その人がその出会いがそうだとわかるのは「心」を通じて。

心が、心臓が勝手に動くのと一緒で、心も勝手に動く。

「この人のことを良いと思いたい」とか「この人のことを愛したい」とか「この人のことを大切にしたい」とか、そういうのって考えて又は計画してそうなるものじゃない。

本当にそうなる時は、自分でも止められないし、その止められない何かにものすごく抵抗や違和感を覚えてもそれでも止まらない。

心臓が勝手に止まらないのと一緒で、心で感じているものも止められない。

そのようなことを私はずっと1人のことだけを思い浮かべて書いていた。

相手の人は、何もない時は私の気持ちは何も知らなくて涼しい顔をしていて、いつも私1人だけが心臓をバクバクさせてた。

私が近づこうとごはんに誘ってみたら、突然冷たく、なんていうかわいいものじゃなく、徹底して嫌そうな感じになってしまって私の心はボキボキと折れまくったけれども、それでも私の中にあるものは何ひとつ変わらなかった。

その人がいた色んな風景を逡巡しながら、そしてもう二度とは巡ってこない日々に自分の気持ちのやりどころのなさを感じながら、それでも最初から最後まで書きながら頭の中にあったのは、その人のことだけだった。

私がこんなことを書いたところで、おいせさん手帳を本人が手にして、そのページをめくってその部分を読むことなんか絶対になくても、私が新潟のこの地で自分の小さな部屋の中で書き下ろしたそれは、その人のことが自動で出てきて書き上げたものだった。

育む機会も手にできなければ、愛と呼べるものを手渡すことも何もできなくても、だから実際に書いたことと現実とがずいぶんと乖離している部分もあっても、それでもその文章はその人の存在やその人がいた風景に直結するものだった。

本人に伝えられるような状態にあれば、私は本人に「見て見て!」と冗談のように何かを言ったかもしれないし、何かしらのエピソードを自分の口から語ったかもしれない。

そのどれも叶わないから、今の現実になっているわけだけれど、それでもこの文章はある1人の人と結びついている。

今世界の人口が何人なのかわからないけれども、最後に世界の人口を調べた時は70億人前後だったと記憶している。

そんなにたくさんの人がこの世界のどこかで生きている中で、たった1人の人だけが思い浮かんでその文章を紡いで発信する、それも公共の電波じゃないけれども、公の印刷物を通じて発信する、そんな機会、もう他にないだろうなぁと思っている。

その人に向けて書いたものではないけれども、その人のことが文章の中にずっと入り込んでいて、その風景やその人自身も一緒に織り込まれて言葉となったものだった。

もしかすると、その人に出逢っていなければ、私は今日のこの文章は全く違ったものになったかもしれない。

ご縁だの愛だのではなく、自分の心の奥深いところに潜るだの、境界線を越えて人と繋がるだの、そんな内容になったかもしれない。

少なくとも、その人を思い浮かべて文章を書くことは絶対になかった。

この短い言葉の中に、この世に今生きている誰かを想って書くというのは、ものすごく特別なことだと思う。

今の仕事の関係で知った何かの単位(←何かは早速忘れた)は、1ミリのさらに1000分の1だと説明されたものがあった。

ミクロの世界のもので、そこに一発である道具を命中させるなんてことはできない、その難しさを教えてもらったことがあった。

その人が私の人生に現れて、そして本人はとっくのとうに私の人生からいなくなってもそれでもこんな風に文章という形で現れるなんて、まさにミクロの確率のものに一発でそこに命中させるぐらいのありえないことだとわかる。

その人と私とがこんな風にどこかで交差して出逢う、すれ違っても今度は言葉の中に現れる、それがどれだけすごいことなのか、その重みや凄みはその人が日々私の生きている世界にいた頃よりもいなくなった今の方がもっともっと強く感じている。

そんなこんなの気持ちや想いがのった文章が今日の分だった。

一期一会。

もう二度とはないもの。

悲しみよりも、そんなすごい一期一会に出会えたことのすごさを今これを書きながら感じている。

2020年2月18日火曜日

サビアンシンボル(星)のつれづれ

2019年10月29日付けのブログ下書きよりーーー



2年前の吉祥寺にあるスープカレー屋さんでのやりとりを思い出す。

スープカレーを注文した後、自分の席のすぐ近くにあった本を手に取った。

よくある何月何日生まれの人の性格を366日分収録したものかと思った。

そう思って中を見ると、どうも様子が違った。

私が誕生日辞典と思った分厚い本が、実は誕生日辞典ではなく、何か予言めいたことを言う本だということに気付いた。

夢中で過去数年分を振り返ったら、本当にその通りのテーマが人生にやって来ていた。

只者(ただもの)ではないその本に私は見入って、携帯で写真を何枚か撮った。

そんなことしているうちに、女店主さんがスープカレーを運んできた。

その本面白いですよね、と店主さんも言った。

そうしたら店主さんは続けて、
「もし気に入ったなら、近くのコンビニでコピーしてきてもいいですよ。まぁ携帯で写真も撮られたようなのでそれでもいいんですが、本当に良かったらコピーを取りに行かれても大丈夫ですから」
と私に言った。

私は驚いた。

これまでだって、色んなお店で本を食い入るように見たり、適当な紙にメモしたりしたことはあったけれど、本のコピーを勧められたのは初めてだった。

ますます只者ではないその展開に私は驚きを隠せなかった。

食べ終わった後、自分の手荷物をお店に置いて、本当に私はすぐ近くのコンビニにコピーを取りに行った。

今もそのコピーした紙はある。

それが私が人生で初めてサビアンシンボルに出会った瞬間だった。




その2ヶ月後の2018年の節分の翌日、私はサビアンシンボルと再会することとなった。

その時私は人生で初めてのホロスコープ鑑定を受けた。

鑑定書の中にどこかで聞いたフレーズが出てきた。

色々記憶をたどる中、スープカレー屋で見つけた本のコピーが頭をさえぎった。

コピーを出して見てみると、全く同じような内容が鑑定書に書かれている。

それは「サビアンシンボル」というものらしい。

点と点が繋がった。

鑑定の後、今は絶版となった『未来事典』を注文した。

スープカレー屋さんで見た本と同じ本を私はそれから2週間ほどすると手にした。




2019年の9月の終わりのこと。

サビアンシンボルは使い勝手が良くて、星読みの時にも使うけれども、そこまで根詰めて調べることはなかった。

未来事典も時々見たり、占星術のクラスメイトだったノムとはよく話題に出して話したりはするけれど、いわばその程度のものだった。(多分十分マニアック( ̄∀ ̄;))

サビアンシンボルはとても使えるけれど、それに対して疑いの目など持ったこともなかった。

サビアンシンボルに初めて疑いの目を向けたのは、この間の9月の終わりの満月の時だった。

満月の星読みの記事をいくつか読んだ。

わりと多くの占星術家の人たちは、サビアンシンボルも使って星読みをする。

例えばこの間の「牡羊座の満月」なら、サビアンシンボルは「リングにあがる拳闘士」というもので、自分で勝負するみたいな意味にとることができる。

通常星読みは、人それぞれ読み方の好みやスタイルがあるにしても、満月や新月なら月だけではなく、その他の天体とも重ねて読み合わせる。

その牡羊座満月の日の星読みが「仲間と協力して夢を叶えよう」みたいなものが何人か続いて、私は単純に違和感を感じた。

その意味を導く要素がないわけではないけれど、やっぱり変。

そこで私は日本語のサビアンではなく、英語のサビアン原文を読んで確かめたくなった。

英語原文でもその解釈なら仕方ない、それを受け入れよう、でも違うなら私はその違いを自分の中で採用しよう、そう心に決めてサビアン調べを英語でした。

未だによくわかってないのだけれど、サビアンシンボル自体は、1925年に霊視(チャネリング)ができる女性(以後、職業名の「チャネラー」)と占星術家の男性とでやったのが最初だった。

12星座それぞれの記号と1〜30の数字を書いた全部で360枚のカードを無作為に手に取って、チャネラーの女性がそこから見える映像なのか言葉なのかを言って、占星術家の男性がそれをメモするというものだった。

そこから色んな流派ができたのか何なのか、英語だと5つはどうやらサビアンシンボル流派みたいなのがある。

何がなんだかよくわからずに調べていると、あるサイトに行き着いた。

それがレニーさんという人が解釈したサビアンシンボルとの出会いだった。

いくつか前のブログでも少し触れたけれど、レニーさんの解釈は魂に届くようなメッセージになっている。

私はレニーサビアンに一目惚れのような状態でハートを鷲掴みにされて、そしてそれ以降私はせっせせっせとサビアンシンボルとレニーさんの解釈とを英語で書かれたものを日本語に訳して、さらに自分が感じたものも一緒にメモしている。

360個もあるものに手を出したわけで、本当に全部やるのか定かではないけれど、とりあえず40個目に突入した(о´∀`о)。

さらに、ノムが教えてくれたある占星術の理論とレニーさんの解釈とを組み合わせることを思いついて、それにもやる気が勝手に出まくって張り切ってやっている。

そしてもれなく本物のヒラメキだったようで、翌日朝から鈍いくせにすごい強い痛みの頭痛で、ほぼ1日寝て過ごした。
(大事なことに気付いたり、レベルアップすると、どうもその後体調が一時的におかしくなる)

書き忘れたけれど、日本語の満月の日のサビアンの解釈はやっぱり原文とは大きくかけ離れていて、それが本筋ではないことがわかった。

さらに言うと、日本語に訳された時に、色々落ちていたり抜けていたり誤訳されてたりして、それが今の日本語版で出されているサビアンシンボルだということもわかって、ますます私は原文に触れることの大切さを感じた。

ニュアンスや訳が違うまま、そしてそこから個人が個人の感じたものを発信するとなると、もはや本当のメッセージは届かなくなる。

私は原文とそして原文をいくつも読んでそこから感じたことをまとめてくれたレニーさんの文章を訳したいと思った。

本当にエネルギーが通っているものなら、絶対にわかる。

その感覚を大事にしたい、そう思って訳している。




色々前置きが長くなったけれど、ここから先が本当に今回書きたいこと。

今、英語に触れて英語で翻訳している時、私はその行為も好きだし、それをしている自分の自己肯定感も半端なく高いし、人生で一番前向きな気持ちで英語と付き合えているように感じている。

「自己肯定感高い」なんて、初めて言ったかも(笑)。

私は大学を卒業してから今のサビアンシンボルの和訳をするまで、ずっとずっと英語コンプレックスがあった。

この私の英語コンプレックスは、「英語力があるのに使っていないことへの罪悪感」だった。

もったいない、と言われ続けた私の英語力。

これは今でも言われる。

たしかに、アメリカに4年もいて、大学も出て、TOEIC 925点(世界共通英語テストで、その時は世界中のその時の全受験者のトップ3%に入る成績だった)なんていう高得点を叩き出した人が、ただの一度も英語を使わない。

でも、私は私でやらない理由があった。

そもそも、私は英語には興味がない。

これは今もだけど、基本的に英語に興味がない。

そして、たしかにすごい英語力は身に付けたけれど、元々赤点ギリギリみたいな英語力の人がそんなところまで上がったわけで、そんなの一朝一夕に完成したものではなく、ものすごい努力が裏側にはある。

必要だったからしたけれど、私は全く英語のことが好きにはならなかった。

今でも思うのは、英語(外国語)を楽しく学べる人というのは、それだけで1つの才能だと私は本気で思っている。

私は自分の英語力を上げた実践だけはあるから、上げ方は知っている。

だけど、それは全く楽しくないプロセスで、それを楽しめる人は神とか天とかから楽しむ才が与えられてるとしか思えない。

そんなの個人の感じ方次第という人もいると思う。

だけど、私は基本的に英語を学ぶプロセスは楽しいと思えない人だった。

isとdoesの違いがわからないところからのスタートの人だったから、色んなことは常に難航しまくりだった。

今ここに至るまで、私が2語ないし3語ずつに分けて英語を訳していたなんて、それぐらいやらなきゃ本当に全く訳せなかったなんて思いもしないと思う。

そうしたことをしてきたから、決して私は英語を学ぶことが楽しいからやったのではなく、必要があってそうしていただけだった。

そもそも英語力を身につけたくてアメリカに行ったわけではなかったから、私は社会人になってからも英語を使った仕事をするなんて考えたこともなかった。

最終的に児童養護施設の仕事が決まったけれど、受ける途中の頃に1件英語の事務の仕事を受けたことがあった。

イマイチよくわかってないまま行くと、そこは服飾の会社で、それとは別に社長が趣味で錦鯉を飼っていて、それの売買を英語でするための英語事務員の募集だということがわかった。

今でも覚えているけれど、なんだかすごく嫌だった。

当時は何が嫌なのかわからなかったけれど、多分その場の空気が馴染んでいなかったんだと思う。

そして、どんなに想像しても英語を使って仕事をする自分や、錦鯉に関わる自分は想像できなかった。

最終的に縁のあった児童養護施設に決まったけれど(これもものすごい不思議な流れに運ばれてそうなった)、それ以降今に至るまで仕事で英語を使ったのは、塾勤めの時に子どもたちに少し教えたぐらい。

あとは友達の娘の英語専属の家庭教師と東大受験の子の英作文を見るだけだった。

「東大受験の子の英作文」って言うだけで、なんだか自分がものすごくできる人みたいな気分になれるから、そして頭が良くて賢いみたいなスーパー勘違いだけど、こんな時でもないと勘違いできないから、思わず言っちゃうv( ̄∀ ̄)v。

ぶっちゃけると、東大作文の中には、英語でことわざが書かれていて、それの意味の説明とそれについて自分の経験や意見を述べよというのがあって(過去問)、
・まずことわざを訳せず
・訳せたところで日本語の意味がわからず
・日本語の意味や用例を調べて
・それから添削
という、地頭の色々足りないことで困ったことは多々あった。

よほど英語だけ見ている方が色々わかって、東大レベルの日本語は、日本語でさえも東大レベルという恐ろしい状態だった。





2020年1月9日

上に書いた下書きを見つけた。

それを書いていた当時、まさかまさかのその1ヶ月後くらいに自分が英語関連の仕事をするなんて、思いもしなかった。

占星術関連の英語はストップしているけれども、ある程度仕事の生活リズムが掴めるようになったら再開したいと思っている。





2020年2月13日

占星術の英語はずっとストップしたままになっている。

今はひたすら工業用語の英語を学んで、さらには英語を使って他言語を読み解く作業までしている( ̄∀ ̄;)。

もれなく他言語も問題勃発で、触るもの触るもの大型地雷が毎回もれなく一緒に付いてくる感じが止まらない∑(ΦдΦlll。

それこそ占星術というかサビアンシンボルに絡めて言えば、36歳から45歳くらいまでの私の指針は
「全身で飛び込む」

言葉の通り、全身全霊で飛び込むことを私の魂はどうやら設定している。

だから最近の状況なんかはまさに「全身全霊で飛び込む」ことの最たる例だと思う。

そんなの目指してるつもりはなくても、そうした状況が毎回プレゼントされている(苦笑)。

もはや魂の修行にしか見えない今日この頃。

だけど、1つだけ言えることは、占星術を知っておいて良かったこと。

占星術を通して私は自分の人生の流れやパターン、特徴をかなりよく知ることができた。

今みたいに触るもの触るもの、超地雷級の問題が隠れていることも、星たちの情報を紐解くとなるほど納得だし、自分のそもそもの人生の設定からもそうした事が起こりやすいのは知っていて良かった。

知らなけりゃ、何で毎回毎回私の人生はこんな風なの!?と余計な悩みを抱えたかもしれない。

いずれにしても、また落ち着いたらサビアンシンボル英語版の読み解きを進めたいと思っている。

2020年2月17日月曜日

1週間が始まる前の朝

最近の週末。

用事がなければ基本引きこもる。

久しぶり、それこそ社会人最初の仕事以来だけど、休みの日はほぼ布団の中で1日過ごして寝る。

ほぼほぼ寝て過ごす。

自分でもわかるけれども、そもそも1年8ヶ月ぶりに社会人復帰しているから、まずは慣れない。

さらに、仕事の重責具合が半端ない。

もっと適当にすればいいのかもしれないけれども、私が作る英語の文章がその後の現場の使用者の人たちに渡る説明書になるかと思うと、手を抜けない。

ものすごく集中して仕事をするせいか、週末はぐったりして何もしたくなくなる。

とにかく眠る。

体力と気力の回復を図って、そして週明けに備える。

今週もヘビーな予定は先週の時点で決まっていた。

だからこれから月から木曜日まで毎日10時間は働くことになると思う。

でも進捗によっては11時間の日も出ないとは言い切れない。

お願いだから、これ以上急な英訳依頼が今日お願いしますみたいなのが来ませんように!と真面目に祈っている。

2週間ほど前、私1人じゃ抱えきれない英訳の一部は、外注に出された。

外注に出されたものは結局私が内容を確認しないといけなくて、楽かと思えばそんなことはまずなくて、言葉は社内の英単語と合致しているかを見ないといけないし、文章に至っては社内の規定の言い回しになってないものはすべて書き換えしないとだから、外注に出して本当に良かったのかはわからない。

Google翻訳にかけて見たりもするんだけれど、Google翻訳通りの英訳にしている箇所をいくつか見て、「これなら私だってできるんだけど!」と真面目に思った。

お金出してまで頼んだものがまさかのGoogle翻訳で訳された疑惑に関しては、私の中で閉口した。→上司に速攻報告した。

何この適当感!?みたいな。

とにかく神経とがらせて言葉と言葉のマッチングをしているから、そのペースに慣れるまでは仕方ないから土日は寝て曜日でもいいかなと思っている。

これが永遠に続かないと知っているからできるけれど、これずっと続くってなったら本当に好きとかやりがいがあるとかでないとキツイなと思っている。




変な心配事だけど、自分の中にあるからそのまま書いてみようと思う。

自分の中からやさしい気持ちがなくならないかと心配している。

毎日どこか戦闘モードみたいな自分がいて、気をきゅっと締めてないとやれないこともあるからそれはそれで必要だとも思ってはいるものの、やさしい気持ちもだしやわらかい部分の自分もだけど、どこか遠くに置いてきてしまう感じがする。

昨日の夜、風呂の中で吉本ばななさんのエッセイなのか小説なのかどちらとも言い難い文章を読んでいた。

仲間数人でイタリアに行って、その中の1人の男性がそこでとてもお気に入りの香水を見つけて、2つのうち1つ選びたいんだけれど、選びきれなくてどうしたのかという話だった。

店主のマダムも素敵で、今選べないならまた明日出直してきたらいいじゃない、と言って最初の日は買わずに帰ってきた。

次の日の昼間、またもやみんなでその店を訪ねて、だけどその男の人はまた選びきれなくて、そうするとマダムは散歩してくることを勧めた。

散歩をして外の空気に触れて時間が少し経つと、それぞれの香水の匂いが変わるから、それを見るためにも散歩してきたらどうかしら?みたいなことを言う。

それでみんなで近くをぐるっと散歩して、それで最終的にどちらかを選んだ。

その当時の様子をばななさんは、「とても幸せなワンシーン」だというような言葉で締めていた。

『体は全部知っている』という中の『花と嵐と』という短編の中に入っている話。

それを読んだ時に私は、「そういう気持ちになりたい!」ではなく「そういう気持ちや心の動きを書ける自分でありたい…」と思った。

友人ノムが最近よく言う言葉。

「言葉っていうのは、自分の中にあるものを表現するための手段。
だから反対のことを言えば、自分の中にあるものしか、言葉にできない」

おおよそそんな内容のことを言う。

自分でもわかる。

本当の本当に仕事のことがあまりにもウェイトが大きくて、そしてまたネタが全く尽きないから、とにかく最近の書き物はそこからなかなか離れられない。

まずは自分の中にあるドロドロしたものや落ち着かない原因となっているものを吐き出さないことには、自分の中がスッキリしない。

そもそもこんなにも仕事のことを赤裸々に書いていいのかも知らない。

バレたら絶対に引っ込めないといけないだろうし、場合によっては首が飛ぶかな…とも思う。

固有名詞は全て避けてはいても、読む人が読んだらわかってしまうと思う。

それはそうと、こんなことを書きたいのではなく、やさしい気持ちを抽出してそれを文章にしたい。

そういう自分の中にあるものを取り出して書きたい。

そういう気持ちが自分の中にあるんだと、ばななさんの本を少しだけ読んで知った。

唯一今の自分にとって救いだと思うのは、この忙しなくて余裕のない自分も「これも自分だし、今の状況なら仕方ないよね」と思えることと、そのように自分を見守れることだと思っている。

前の自分なら絶対に自分にもっと冷たくしていたけれども、今はそれをしなくなったと思う。

自分に冷たくしても、百害あって一利なしと本当の本当に骨の髄まで染みてわかったから、それはしないように気をつけるようになった。

また今日からヘビーな1週間が始まる。

頑張ろうと思う。

少しだけ嬉しいこと。

次のおいせさん手帳は21日金曜の予定だけど、その日の文章が私が言う「やさしい気持ち」をそのまま抽出した文章を書いていて、それを書けるのが嬉しい。

2020年2月16日日曜日

社窓の窓から〜記録更新中と正しさ

毎回個人記録樹立。

記録更新中。

とにかく仕事で来るもの来るもの、危険付きなのが止まらない。

これは個人でどうこうできるレベルを遥かに超えたものがやってきている。

そんな中、自分の心の立ち位置を改めて確認することが出てきた。

それに関して、またもや所信表明しようかと。




私は新人ゆえに社内ルールがほとんどわからない。

わからない中で自分の当たり前と信じるものをする他ない。

「自分の当たり前」は、とにかく忠実に日本語を英語に翻訳すること。

意味が変わらないように、とにかくわからないことは技術者に聞きに行って、そこをクリアにして、その聞いた内容で英訳している。

それがまさかの違うやり方を採用しなくてはいけないことになるとは、仕方ないと思う気持ちと本当にそれでいいの?とにわか信じがたい気持ちと、色々ある。

事の顛末はこうだった。

すでに発行されている取扱説明書の改訂バージョンが出されることになって、それの英訳を頼まれた。

ただ、それは基本的にほぼ同じ内容で9割は既存のものからの引用で、残りの1割だけ私が訳すようになっていた。

一応抜けがないかは毎回必ず見ることになっているから、引用部分は英語と日本語とを並べて見る。

本当に意地悪ババアみたいだけど、最初の数行目でいきなり訳が抜けているところを見つけてしまった。

そこは1つ単語を足せばいいだけだったから、単語を1つさっと足した。

次は、文章が1文まるっと抜けていて、そこを足した。

そこでまさかの事態となった。

上にある文章をそのまま使えるものだったからそれを抜き出したけれど、そもそものその文章の構造がとても変で、「/」というこの記号が入ることでより一層複雑なものがさらに複雑になって、しかも日本語を忠実に訳そうとしたのはわかるけれども、そもそもの日本語が新しい言葉を使っての説明に変えていて、それもさらなる混乱を生んだものになっていた。

速さの話をしているのに、そこだけ「回数」と言い方が変わっていた。

そして厄介なことに、「回数」という言葉が他のところには出てこないから、そこだけいきなり意味が通じなくなっていた。

これが単なる説明文ならいいものの、そこは表があって、その表の説明の文章になっている。

表内の言葉が本来説明されないといけないものだと、一般的な感覚ならそう思う。

その表の中は「速さ」になっていて、なのに説明になると「回数」に言い方が変わっている。

想像するに速さが変化することで回数も変化することは想像がつくけれども、ただ説明するならそのように説明するか、さもなければ表の言葉のまま説明しないと、これは何を言ってるの?状態になる。

さらに新しい単語が出ることで、その文章の中が本来なら2つのものを説明すればいいものを4つのものを同時に言及する言い方になっていて、それで並べきれなくなって「/」という記号が使われたんだと思う。

上司にも見てもらって、私にだけ単に意味が通じてないのか、そうではなく他の人の目からしても通じないのかを確認した。

上司から見ても変で、そこは確認することになった。

それはまだ2枚目くらいの序盤の話で、ものは15枚ものだったから、この後も怖いなぁと思いながら確認を進めた。

最初の3分の1くらいのところだったと思う。

異常を確信する単語が出てきた。

それはその英訳の1つ前に終わらせたばかりの他の英訳に出てきた言葉だった。

その1つ前の依頼の英訳をした際、名詞だけがポンと書かれていて、それが何を指すのかわからなくて技術部の部長に聞いてきたものだった。

部長がわかりやすく説明してくれて、その名詞が何を指すのかを知った。

言葉は違うけれど、「基本」という言葉なら、通常は機械本体の「基本部分」を指すことが多い。

ただ私が今回訳してわからなかったのは、私が見たものが機械本体ではなく、機械に付随する別部分についての話だったから、その時も「基本=基本部分」なのかはわからなかった。

前後の文脈からすると、その「基本」は多分機械本体の基本部分の話ではないと思った。

どっちにしても意味がわからないから確認したもので、その確認は超大事なものだった。

部長に聞きに行ったら、「基本」というのは今回は機械本体とは全く関係ない、それこそその時の前後の文に出てくる内容にまつわる「基本」の方だった。

説明された内容を元に、取扱説明書を開いて、その言葉を使ってないかを調べて、取扱説明書にあった別タイプの「基本」という言葉を射止めた。

冗談抜きで確認して良かったと思った。

そうでなければ機械本体側の「基本」という、全く意味の違う英単語を書いてしまうところだった。

とかいうやりとりをそれこそ前日にしたばかりだったから、しかもその部分がその前日にやったものとほぼ同じ部分の説明だったから、それが機械本体の話ではないことはすぐにわかった。

既存の英訳は、機械本体の「基本」を書いていた。

それを見た瞬間に確信した。

この英訳者が技術の人にきちんと確認せずに英訳したことを。

2つ目の速さと回数の時点で、私は怪しいと思っていた。

なぜなら、技術者でなければあの難解な日本語は読み解けないような代物で、もし確認をしていたとするなら、あのような英訳にはならないだろうというものだったから。

ちなみに私がその後担当者に確認した時は、想像した通り速さを回数と言い替えていて、それは速さのことを指すことが判明した。

そして本来2つの言葉の説明が4つに増えて「/」とかいう記号まで使われていたところも、きちんと整理するとやっぱり2つの説明で、増えた残り2つの部分は、言うならば「【増えた残りの2つの部分における】既存の2つの内容」の説明であることがわかった。

そうなると「/」なんか当然要らなくて、普通の前置詞だけで十分説明できる内容になった。

「基本」についても、その前の日に部長に確認したこととやっぱり全く同じで、機械本体ではなくそれに付随する部分の「基本部分」と知って、当然英訳もその付随する側の基本部分となれば言い方が変わる。

誰が英訳したのかは知らないし、もしかしたら過去の社内事情では技術者にあまり聞けない体制だったとかなのかもしれない。

だけど、本当にややこしい日本語になればなるほど、全くと言っていいほど確認がなされてなくて、私はギョッとしながら、そしてかなりイライラしながら確認を先に進めた。

本当に確認しなきゃ訳せないところは、多分だけど確認せずに訳したんだろうなぁという印象だった。

その後決定的だったのは、完全に英語側が文章として成り立っていないものに当たった時だった。

英語が何を言っているのかもわからなければ、日本語も日本語でどう解釈していいのかわからない内容だった。

「前」という言葉が入っていた。

英語はその「前」をbeforeにしていた。

「〜する前に」、要は「時」を表す前にしていた。

だけど日本語を見るとそういう意味なのかがわからなくて、しかもたとえ時を表す「前」だったとしても、英語はもうありえない文章になっていて、全く意味が通じないものとなっていた。

これも確認したら、「前」というのは「時を表す」前ではなく「場所・位置を表す」前のことを指していた。

言うなら、「駅前」「ハチ公前」みたいな、そういう意味の「前」で、だからbeforeだと意味が通じなくて当たり前だった。

たかが2ヶ月程度でしかない私でさえも、前置詞こそ超要注意なのはわかる。

先日、現場の人に説明を聞きに行った時、それこそ位置が多用されていて、その位置については一緒に指で方向を指しながら確認した。

例えば「上」というのがその時あった。

上だけでも英語は、top, up, upper, aboveとあって、他にもon, overhead, over, upwardと数限りなくある。

何に対して「上」なのか、それは細かく聞かないと英語側の前置詞は特定できない。

前だって、〜する前もあれば、バス停前もあれば、前方もあれば、以前もあって、とにかく全て意味が前後の文脈で変わるから、前置詞系は特に確認をしないとわからないものだと私は思っている。

ましてや私みたいに、工業知識がなくて、単語を見てもそれが機械の部位の名前なのか、機械のシステムの名前なのか、はたまた機械の動作を表す言葉なのか、そういうことさえわからない人は、それを技術者に確認する他ないと思う。

だから、難解な日本語になればなるほど、はたまた1つの言葉でいくらでも英単語が出てきてしまうものは、相手から面倒くさがられても聞かなきゃ絶対にわからないから、そこは確認をしないといけない。

思うに、その英訳した人はそれをせずに訳したんだと思う。

でなければ、こんなにもピンポイントで間違いや誤りが連発するわけがない。




そんなこんなを経て、2つほどギョッとすることが起こった。

若い男の子が今回の担当者で、私がその「前」について質問した時だった。

その子から「すでに発行されたもので、それだって誰かが確認してますよね?OK出てますよね?それを変えたくないです」と言われた。

とりあえずその時は、日本語は変えないけれども、英語は本当に意味が通じないから正しい内容に変えたいことと、それは私の上司に確認を取ることも伝えて、一応了解は得た。

私はそれについて、後日タイミングを見てその子には内情を伝えようと思っている。

英語に関しては、英訳する本人が英語を見る最初で最後の人となるパターンが多いこと、少なくとも今回の依頼は私が最初で最後の人なこと、だから間違いがあると英語はもちろんのこと、英語を基準にして訳される10か国語も誤訳されてしまうこと、だからこそしつこく聞くのはそういう背景があるからだということを伝えようと思う。

その男の子から見て私が乱しているみたいに見えなくもないけれども、その内情故にそこまですることは、少なくともわかって欲しいと思っている。

私だって過去の出来上がっているものを変えたいなんて思わない。

だけど、誤訳されてると知っていて見過ごすのも嫌だなと思う。





その後のことだった。

最終的に出来上がって、女上司からスペルミスや言葉の言い違いなんかがないかを確認してもらった時のことだった。

女上司から1つ確認された言葉があった。

それは担当者の男の子に私が確認して、その意味となる言葉に変えたものだった。

それに関しては、担当者も明らかに英語の意味が変だということに気付いて、その意味じゃないと言ったものだった。

私も見るからに日本語の意味になっていない英訳を見て(英単語1つ)、これ絶対に変と思ったものだった。

その正しい意味を確認して、その意味となる英単語に変えたことを女上司に伝えた。

そうしたら女上司からまずは謝られた。

武士俣さんがしてくれたこと、そして正しい意味となる言葉を採用してくれたこと、そのことへの感謝を伝えられて、それが本来ならそうするべきものだということも知っていると断りを言われた。

だけど、これまでの取扱説明書はその本来の意味とは違う言葉で訳されてきてしまっていて、そこを変えると全てを大幅に変更しなければいけなくなるから(他言語も同様)、そしてこれまでもそういうことが度々あったけれども基本はそのままにするやり方で来てしまっているから、これまでの言葉に合わせてそこは英訳を元に戻します、本当にすみませんと謝られた。

それに関しては色々思ったけれども、会社のやり方をどうこう言ったり決めたりできる立場にないし、正してもまた元に戻すやり方が会社のやり方だと言われたら、私はそれ以上何も言えない。

女上司の立場もこれまでの慣習を知って私のやったこともわかっての話だと知って、女上司には訂正をお願いします、一番良い方法で直してくださいとお願いした。

怒りとかはなくて、仕方ないと思った。

けれども、後になればなるほど胸中は複雑だった。

女上司の言っていることはよくわかる。

たしかに手直しをするというのは、それは今回は数ヶ所でも、それの掛けることの同じタイプの機械全種類×全対応言語になるわけで、それは途方もなく膨大な量の直しになってしまう。

それで人を新たに雇ってもいいくらいのものがやってくる。

だからこれまでのままで行きたい気持ちはよくわかる。

だけど、内容は誤訳されたままで、中身的には全くよろしくない。

これは私が勝手に思っていることだけれど、年明けからずっと一貫して、不具合や問題に関しての英訳依頼が来ている。

1つ1つは別物の内容でも、中身はそういうことを謳っている。

中身がおかしいと英訳の時点でわかるというのは、すなわち最初の担当者が適当にしたことがわかる。

1人の人が「まぁいっか」で済ませたことは、その後に引き継ぐ人たちはまさか「まぁいっか」で作られたとは知らず、正しいんだろうと何も疑わずに受け取る。

その積み重ねは、いつか「機械の不具合」とか「説明の不具合ゆえの詳細の問合せ」とかいう形で実際のお客さんたちから問い合わせが来て、その対応策がまた作られて私のところにその英訳が来てたりするのかな…なんて想像している。

私が今回1割だけの英訳を本来すれば良いものを見た時に、元原稿が見事に内容をきちんと確認して作られていなかっただろう事実を目の当たりにして、この積み重ねは怖いことだと感じた。

塾やコールセンターで、目の前ではたまた電話でクレームを受ける体験をしてきたからこそ本当によくわかる。

何が来たとしても、まずは基本ができているかできていないかで、クレームの在り方は変わる。

自分がやらかしてそれに対して悪いと言われるのは、いくらでも謝罪できるし、本当に間違えていたわけだったりするからそれはとにかく謝る、もしくは実際のものとお客さんの理解とがかけ離れていたら、そこをひたすら丁寧に説明するしかないわけで、そういうのは事実に基づいて動けるからやりやすい。

クレームでキツイのは、元々会社側が誤った対応をしていて、それに対してお客さん側がクレームを入れてきた場合、素直に会社側が間違えたと言って対処すればいいものを、うちは間違えていません、お客さんが間違えていますと嘘の対応をしなきゃいけない時。

私はそういう対応を平気でさせる人たちは本気で馬鹿だと心から軽蔑しているけれども、そういう人たちは事がとんでもなく大きなことにならない限り気づかない馬鹿人種だから、私はそういう時は言うことはストレートに会社側には伝えて、それでも自分たちは悪くないという対応をしろと言われたら、仕方ないからそうするけれども、「見とけよ!」と思う。

そういうおかしな対応は上手くできていて、ほぼほぼ大問題となって相手方から返ってきて、特大クレームに発展する。

お客さんは何も悪くないのに被害が出ているわけだから、お客さん側も黙っちゃいない。

そういうのを見てきているから、今の英訳を通じて見えてくる会社の非常にまずい体制は、今後どうなるんだろう…と思う。

「まぁいっか」は1つ2つではわからなくても、これだけいくつも連続して来てしまうと、そしてそれに比例するかのごとく、不具合対策ばかりの文書が回ってくると、それぞれ別の仕事を請け負っているはずなのに、水面下ではものすごく繋がったものに見えて仕方ない。

そして、この体制が、ある時会社の存続を脅かすレベルの大問題に発展しなきゃいいけれど…ということまで思い始めている。

私から見て、あまりにギリギリの綱渡り状態で物事が動いているから、それがいつどこから話に火が着いて一気に大問題となるかわからないなぁ…と思って見ている。





すごい余談だけれど。

私は自分が本来行く予定だったポジションのところに、私が部署変更になったもんだから後から再度求人がかかって入ることになった人と顔を合わせたら話をする関係になった。

これもすごいひょんなことがきっかけでその方いち子さんとやりとりするようになったけれども、いち子さんと話せば話すほど、冗談抜きで今の仕事は呼ばれて行ったことがよくわかる。

いち子さんのポジションは、名もなきポジションみたいなところにあって、年度末には契約終了することがほぼほぼ確定しているとのこと。

しかもそのポジションは決まった内容を入力することが仕事だから、今の私みたいに部長行脚はじめ、本当に色んな人たちのところを渡り歩いて話を聞きに行く、しつこく聞くみたいなことは絶対にしない。

ましてや「英訳」というだけで、私の場合、部署もあちこち超えてやってくるから、普通は自分の部署のことしか知らない縦割り体制でも、私は他部署のこともじゃんじゃん見える位置の仕事が来るから、全体の流れみたいなのももれなく見えてしまうところがある。

いち子さんの話を聞くと、もし私が部署変更はせずにいち子さんの仕事のところにそのまま入ったとするなら、今やっていることは1つとして知ることのないものばかりだったということがはっきりとわかる。

書いてて思ったけれども、明日こっそりメモ的な資料を作ろうと思った。

どこかのタイミング、もしかしたらそれは辞める時かもしれないけれども、とにかく来ているものたちに不具合要素が盛り込まれていたり、はたまた文章はそうでなかったけれどもその中身を確認した先の資料が不具合があったり、そういうことがわかる一覧表を作って提出しようと思う。

これはもう賭けでしかなくて、それを見て上が「今のままでは本当にまずい」と気付いて本気の組織改革を視野に入れての動きを考えるようになるか、また反対に適当に流すかは、それはもう運命に頼るしかない。

私が大袈裟なのかもしれない。

だけど、部署をまたいででも来るもの来るものに毎回の確率でおかしな事が含まれているというのは、普通のことじゃない。

会社のやり方云々の批判ではなく、あったことを淡々と箇条書きして、とにかく事実だけを列挙しようと思う。

それらを見た人たちがどうそれを捉えるかはもうその人たちのセンスにかかっているから、そこは神のみぞ知るのゾーンだと思っている。

もはやどう悪く思われたり変だと思われてもいいとかなり開き直ってきたから、私はこれまで通り不具合があればそれは報告するスタイルを続けようと思っている。

2020年2月15日土曜日

バレンタイン2020

今年は過去最高のバレンタインデーになった!

まさか自分が5人もの人に何かあげる日が来るなんて想像したことさえなかった。

内訳はこう。

大本命ートムさん
若手スーパーリーダー
ジャニーズ系美男子
態度超イケメンくん
ヨシダさん

トムさんがなぜ大本命かと言うと、チョコの1つや2つ渡したところでとても帳消しになんかできないぐらいに助けてもらっているから。

トムさん側から見たら、本当に私は事故としか言いようのないものだと思う。

ただでさえ忙しいのに、そこに加えて私が英語がわからないと次から次へと予告なしに質問してきて、その対応に追われる。

しかもそもそもは女上司からの依頼で私の面倒も見ることになって、断るに断れないから今みたいになってしまっている。

トムさんには百害あって一利なし状態がずっと続いている。

おそらく6月くらいまでの期間限定ものだから、それまで千円のバレンタイン菓子1つで何とかしてもらうしかない。←鬼( ̄∀ ̄;)

真ん中の3人は、ごめんなさい、3つで千円のチョコ買った。

しかも若手スーパーリーダーはバッタリとは会えないし、普段どこに生息しているのかも知らないから、お世話になった時に早々と渡した。

ヨシダさんはこれを書いている今はまだ用意してなくて、バレンタインの翌日に飲みに連れて行ってもらうから、それまでに日本酒か何かを用意する予定。





ー2月14日(金)バレンタイン当日

職場でチョコを渡すという、ちょっとドキドキな体験をした(笑)。

よくよく考えたら、私は職場でチョコを個人的に渡したことがない。

そもそも付き合ってもない男の人にチョコを渡すこと自体、初めての体験だと思う。

私は一度実体験を通じて、「茶封筒」こそ職場内で何かを男の人に渡すのに一番良いとわかって、それで今回も味も素っ気もないA4の書類が入る茶封筒を家から持参して、そこにトムさんとジャニーズ系美男子と態度超イケメンくんのそれぞれのチョコを入れた。

何せみんな忙しいから、私が小さな布製のバッグを持ち歩いていても、資料か何か入れてるんだろうって感じで誰にも目をつけられないし、みんなそれぞれ忙しそうにしているから、人目にもつかず、私はまずジャニーズ系美男子と態度超イケメンくん用にチョコを運んだ。

ジャニーズ系美男子は不在で、態度超イケメンくんだけ席にいた。

そもそもの依頼されていた英訳が超延びていて、それの報告と謝罪もしないといけなかった。(残業管理担当の部長から、通常は2時間のみの残業なのに、必要なら3時間でも4時間でも残っていいから、その代わり週1は必ずNO残業デーにしないとだから、私は今日は残業ダメと言われた。というか、時間延長が認められるくらいに、仕事抱えているのはわかってもらえた模様。そして至急依頼ばかりが続いていて、緊急度の低い態度超イケメンくんの依頼はずっと延び続けている。)

まずはその報告と謝罪をして、チョコを渡した。

相変わらず婚活ブログを読みまくっているから(リアルに色んなことを知れて面白すぎる)、チョコの選び方まで私は婚活ブログから学んだ。

婚活している男性目線と結婚相談所のカウンセラーの人たちのアドバイスを総合すると。

・質より量
(ひと粒千円みたいな超高級チョコよりも見た目が多くて美味しそうな方が男性ウケする、とあった)

・あまりに高級過ぎるとお返しの負担が増えるから、見た目が高くなさそうなもので、でも少なくともわざわざ時間を作って買いに行ってくれたとわかるもの

・気持ちが大事

・手書きのメッセージが添えてあったら合格

という条件を私は全部クリアするものを選んで、そしてトムさんとジャニーズ系美男子と態度超イケメンくんの3人には、それぞれはがきサイズの付箋にツラツラとお礼やその人独自の強みを書いた。

男ばっかりの職場(そして「怖いババアの集まり」と言われる職場)ゆえに、手書きの手紙みたいなのをもらうことはないだろうと思って、私は自分の株を上げるべく、残業で疲れていた体にムチ打って、昨日の夜せっせとメッセージを書いた。

超頼りにしていることを三人三様に書いて、それぞれの人の感動ポイントや素敵ポイントも書いて、とにかくゴリゴリに押した小さなメッセージを付けた。

お返しは困った時に助けてくれることを自ら指定して書いた←図々しい。

態度超イケメンくんには、「超頼りにしています!!!」と言ってきた。

態度超イケメンくんは今日がバレンタインとは気づかなかった模様で、私がチョコという名の今後ともよろしくの賄賂を渡すと、パソコンの日にち画面に目をやって「今日そうですね〜」と言いながら、ニコニコして受け取ってくれた。

本当に頼れる人に「超頼りにしてます!」って言えることや、実際にやりとりしたことを一緒に振り返って思い出話ができるのってすごく良いなぁと、心がホクホクしながら帰ってきた。




しばらくすると、トムさんが珍しく私のいる席側の方に向かってきた。

こんなこと滅多にない。

私の後ろ側には特殊なコピー機たちがいくつかある。

棚やら何やらで仕切られているから真後ろでありながら別空間みたいな風だけど、トムさんはそこに来たらしい。

トムさんが英語を手伝ってくれているのはとりあえずオフレコで、外には出せない。

だからチョコというかトムさんのは個包装されているクッキーの詰め合わせにしたものも、直接席には持って行けないから、本人をメールで呼び寄せるかどうしようかと思っていた。

そんな折に突然やってきて、今がチャンス!と棚の反対側からトムさんに声をかけた。

トムさんに茶封筒を差し出すと「何ですか?これ」と聞かれて、封を閉めてないから隙間を見せると、ニカっとしてくれた。

「これはもしかして、今後もよろしくって意味ですか?」と笑いながら聞かれたから、「その通りです!本当によろしくお願いします!」と返した。

トムさんも喜んでくれた。





ジャニーズ系美男子にはいつのタイミングで渡そうかと思っていたら、「そうだ!」と思いついて、ジャニーズ系美男子の上司のところに用事があるついでに寄ることにした。

今度は席にいて、渡した。

ジャニーズ系美男子はモテそうなのに、素直にチョコを喜んでくれてとても新鮮だった。

しかも笑顔がめちゃくちゃ可愛い人で、この子笑うだけで同世代の女子だったらコロッといっちゃうと思って、可愛い笑顔を眺めた。

芸能人よりも断然美男子だから、本当にきれいな顔立ちってそれだけで1つの与えられた天賦の才だと思う。

ジャニーズ系美男子には今取り組んでる英訳の中で絶対に頼らなきゃわからないところがあるから、予め近々聞きにきますと宣告した。

「それって〇〇の件ですか?(〇〇はジャニーズ系美男子担当の資料)」

「違います。全く関係ない英訳です。でもわからないから、聞きにきます。AAAという言葉がきたら、どんな時もジャニーズ系美男子さんを頼るので、直のお仕事でない時も聞きにきます!よろしくお願いします」

笑われたけれども、引き受けてくれるのが嬉しかった。

ジャニーズ系美男子は基本真面目であまり冗談とかも言わないタイプだと思うけれども、そういうノリものってくれるタイプとわかって安心した。

今回書き忘れたから、いつかジャニーズ系美男子に伝えよう。

ジャニーズ系美男子は、本当にきっちりとしていて、情報についても頭の中できれいに整理して、その整理されたものを丁寧に自分の言葉で他の人に説明できる。

頭の回転が速くて、そしてそれをわかりやすく説明できる力のあるタイプ。

だから私も安心してジャニーズ系美男子に聞ける。

適当に答えることはしないし、わからなければ確認もしてくれる。

ジャニーズ系美男子は顔だけじゃなく、性格も良い。

天は二物を与えずどころか、二物も三物も与えてズルイことになっている。





とりあえず、三人三様にそれぞれ頼るものが違っていて、私はその素晴らしい力を持った人たちにこれからも頼れるから、チョコのおかげで今後はますます聞きやすい状況が整った。

若手スーパーリーダーも同じ事務所内なら超頼りまくったのに、同じところにいないのがとても残念。

今年はとりあえず4人の同世代から少し若い世代のイケメン4人に配れて、こんな体験、二度としないだろうなぁと思った。

そして、チョコを配る文化のない会社ゆえ、4人ともから喜んでもらえてとっても素敵な笑顔×4人分もらえたから、これは私の本当の意味での「役得」なポジションだなぁと思った。

可愛い子や綺麗なお姉さんからもらえるならまだしも、負担半端なくかけられて毎回面倒なお願いばかりする生物学的に女の人からもらっても、正直いかがなものかと思ったりもしたけれども、4人とも、それも社内の中でも飛び抜けてカッコいい人たちがみんなニコニコして受け取ってくれたのは、とっても嬉しかった。

こんなことするの、一生に一度だなと思う。

良き記念になったバレンタインだった。

明日、ヨシダさんの分のバレンタインギフト(お酒の予定)を用意する予定。

ヨシダさんも喜んでくれるだろうし、こういうのいいなって思う。





2年前のバレンタインから私はバレンタインになる度に様々な想像を巡らすようになった。

2年前にいた職場で、バレンタインなるものがどんな風なのかを見た。

義理チョコと言えども事務さんの1人がみんなにチョコを配っていた。

当時の職場で一番お世話になったSさんには「今年はやらないですけれど、これまでは渡してました」ということも聞いた。

そうやって過去には、その職場の長だったイケメンももらっていたと思う。

今日1日態度超イケメンくん、トムさん、ジャニーズ系美男子とやりとりして、3人とも素敵な笑顔を向けてくれたのを見て、イケメンもイケメンの今の職場でチョコなんか渡されて、あの素敵な笑顔でありがとうございますとか言ってるのかと思ったら、寂しくなった。

イケメンから微笑み付きでありがとうなんて言われたら、それだけで胸キュンキュンしたり、ホロっとしたり、お得な気分になれたり…、そんなことを味わえる女の人たちがいるかと思うとずるい。

イケメンは私が大袈裟に話を盛っているのではなく、本当にイケメンで、それは私も初日に会った時にイケメンだとごく普通に思ったし、周りの女性陣も皆口を揃えてそう言っていた。

さらにキャリアの長い事務さんたちは、イケメンがやらかしてる風でも最後はいつもその笑顔にホロッとなっていたと仲良くしていたSさんが言っていたくらいだから、本当にそういうタイプのイケメンなんだと思う。

イケメンが転勤でいなくなる時に、何かちょっとしたもの、栄養ドリンクでもお菓子でも本当にちょこっとしたものを用意しようかと店に見に行った時があった。

突き返されるのが怖くてそんなの用意できなかったけれども、こういうことすらもう叶わないんだなぁと思った。

後から職場の人たちが送別会の時に贈った品物を聞いて、中途半端なものなんかやらなくて本当に良かったと思った。

そういうのは気持ちの問題だったとしても、もはやその気持ちさえ負担とか嫌がらせにしかならない状況で、職場の送別品を聞いたら余計と何もしなくて本当に良かったと思った。

そして、何もできない何もしないことに悲しくなった。

当たり前だけど、「頼りにしてます」と言ったりとか、図々しく何かをお願いしたり、近い未来の約束をしたり、一緒に取り組んだことの思い出話をしたり…。

それは夢どころか想像さえできないぐらいになっていた。

今の職場で4人のカッコいい男性たちとやりとりして、こういうことをイケメンともできたら良かったのにな、したかったなと思った。

4人の人たちは私の窮状も知って、とにかくありったけの力を貸してくれる。

みんな優しいし、何の得もないのに分け隔てなく誠意を持って対応してくれる。

イケメンからはどんな風に見えているのか知らないけれども、イケメンは私が職場内で男の人たちと仲良くしても何ともない模様。

本気のブログ要員なんだな自分は…と思う。

英訳がなくならない限り私が男の人たちに聞きに行くことはなくならない。

そして、当たりはずれじゃないけれども、キッチリと対応してくれる人とそうでない人とがいて、キッチリではない人の時はどうしても英訳できないから、そうなると一番の先生トムさんを筆頭に誰かに頼ってでも完成させなきゃいけない。

そんな状況、イケメンには「だからどうした?」状態だろうし、そもそもがブログ要員以上のことは何も私に求めたいものじゃないんだと思う。

チョコ渡そうと職場のイケメンズたちと私がやりとりしてようと、どこ吹く風状態で、本気でどうでもいいんだと思う。

チョコをそれぞれの人たちに直接渡しながら、イケメンも今頃誰かからチョコをもらっているのかな…なんて考えた。

チョコがあるだけで場の空気が和らいで楽しい空気が一瞬にして生まれるところを4人分見て、イケメンもこういうことを誰かとしてるんだろうなぁと想像したら、その土俵には立てない自分のことやそこに立っている誰かには笑顔が贈られるのかと思うとやるせなかった。

2年前も去年も同じことを考えた。

今年はもれなく自分も贈る側になれるという貴重な体験をすることになって、より一層リアルな状況が想像できて、自分の心の中は静かにザワザワしていた。

他の人は知らないけれども、私は別々の日にチョコを3回は確実に見に行った。

楽しかったこともあって3回以上見たのもあるけれども、本当に何なら負担にならずだけどプレゼント感が出るかを色々見て回った。

もしイケメンのことが気に入っている人なら、もっと真剣に見るだろうし探しに行くだろうと思った。

そういうことの体験が叶わない私は、もう生涯で一度も、たとえそれが同じ職場の単なる一顔見知り程度の立場でも叶わないと思ったら、その現実を受け入れる他ないんだなと思う。

イケメンが残りの人生で誰からどんな風にチョコをもらったりバレンタインの思い出が増えても、その風景の中に私はいることもできなければ同じものを共有することもできない。

職場のイケメンズ4人の笑顔をもらって、同じことがイケメンにも起こっているのだろうなぁと思ったら、胸中とても複雑だった。

2020年2月12日水曜日

⑺【おいせさん手帳】名もなき1日





おいせさん手帳第7回目。
担当:私


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2月12日
不安な気持ちにも居場所を作ってあげる。
名もなき1日

夜寝る前に「今すぐ1つだけあなたの不安を減らす薬」が手渡されたとします。何が思い浮かびましたか?その不安な気持ちを心の中でそっとタッチしてみてください。不安もあなたの中で居場所を探しています。やさしい目や手を差し出すと、不安も安心感を覚えて少し力がゆるむでしょう。


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自分の心を見つめる具体的手法を知るまでは、私は不安や心配なんかはない方が良いと思っていた。

だから少なくとも30代に入るまでの私は、不安がムクムクと湧き上がると、それを掻き消そうとしたり無いものにしようとしたりしていた。

不安は不安で一生懸命私に何かを伝えようとしてくれているのに、それを無視することばかりを私はしていた。

しかも当時の私はビジネス書や自己開発の本をよく読んでいて、そうしたところにも「不安は打ち消せ」とか「不安になったら動け」とか、そんな対処法を当たり前のように書かれていたのを見ていたから、不安な気持ちに寄り添うことなんか考えたこともなかった。

それがある時から自分の不安な気持ちに寄り添うことの大事さとその効果を実感して、それ以降はいかに自分に寄り添うかや、いかにそうした負の気持ちと呼ばれるようなものを大切に扱うかにシフトした。

そうするようになってから、今は人生の中で一番生きやすさを感じている。

決して不安も心配もなくならないし、元々が不安症というかすぐに悪い方に考える癖や過剰に心配するパターンが自動的に発動しやすいけれども、それもまた自分だから、その自分との付き合い方を工夫するようにしている。

言うなれば、自分は変えずに自分との付き合い方、向き合い方を変えるようになった。

わかりやすい例を1つ挙げようと思う。

私は不安や心配なことがあると、それが睡眠にてきめんに出てくる。

寝付けないとか、寝ても夜中に何度も目覚めるとか、夜ストンと眠れても真夜中に目が覚めてそれ以降眠れないとか、とにかく20代の頃から眠りだけは波があって、心の状態がそっくりそのまま眠りに表れる。

眠れない時は睡眠薬を使う人がけっこう多いと知ったのは20代の終わりの頃だった。

だけど私はこれまで薬に一度も手を出したことがない。

怖いというのがあるのと、自然な状態を知ることの方が私は大事だと思っているからそのままにしている。

怖いというのは、一度使い始めたら自然に眠れなくなるんじゃないか、薬無しでは良質な睡眠が手に入らないんじゃないかという心配から。

自然な状態を知るというのは、反対によく眠れる時もあるわけで、もし薬を飲んで眠りに安定感を出すと、良い時とそうでない時の差がわからなくなるのも困る。

今は眠れなくてもそれこそが自分の中のバロメーターだから、眠れないとわかる方が良いとさえ思っている。

原因がはっきりしている時はいいけれども、原因がはっきりしないのに眠れないとか眠りが浅い時が続くと、自分じゃ気付かない何かを体は感じているんだなと思う。

そうなって初めて自分の状態に目を向けるから、私みたいに自分に対して鈍感な部分がある人には、わかりやすい体からのサインだから、それはそれで大切なものだと今は思っている。

手帳にちなんで、この「眠れない」ことに対して私はある時からその不安を大幅に改善できるようになった。

眠れるようになったわけではないし、ストンと眠りに落ちるような秘策を見つけたのでもない。

眠れない時は相変わらず眠れないし、3時間くらいの睡眠で翌日11時間勤務よろしくなんてことも未だにある←これは最近の話。

だけど、眠れない時の不安がずいぶんと減った。

私にとっては世紀の大発見だった!!!!!

私がしたのは1つだけ。

「『寝なきゃダメ』という考えをやめたこと」

本当にこれだけだった。

「寝なきゃいけない、寝ないと明日が辛い、なんとかして寝なきゃ…」
とかいうことをずっと自分の中で思っている時、不安は眠らないことと比例してどんどん増大していく。

お金もそれくらいのペースで増えないかと思うくらいに、どんどんどんどん不安はとめどなく増えていく。

それは20代の終わりのある時だった。

不安になることに疲れた私は
「もう眠れなくてもいいや!」
と本気で開き直った夜があった。

その時もたしかずっと寝不足状態で、眠れないことに対してどんどん追い詰められて、自分で自分をどんどん苦しくしていった。

そうした全てに疲れて、もう眠れなくてもいいや!となったら、本当にストンと肩の力が抜けて、ものすごく楽になれた。

本当に「あれ?」と拍子抜けしたくらいに一気に気持ちが楽になれて、それで眠れなくてもいいやと思えたし、それでどうなってもいいかと思った。

不思議なもので寝なくてもいいと思えたら、逆に少しずつ睡魔がやってきてそのうち眠れたように記憶している。その時から10年以上経過して、その間も何回も眠れないとか眠りが浅い夜は体験しているけれども、その辺りは回数を増すごとに付き合い方が上手くなってきた。

今は眠れない時、「今日は何して過ごそうかな〜♪」とやれることをあれこれ頭の中で1人会議したり、夜中にそのまま起きてアルコール類を手にしてプチ酒盛りをしたこともあったし、ネットサーフィンしたり、はたまたこうしてブログを書いたり、とにかく色々とやるバリエーションも増えた。

無理して寝ようと努力しなくなって、反対にそれが一番の薬となって眠れる夜も増えた。

あと例えば今なら6時頃起きないと間に合わないという時に、朝の5時くらいまで目がギラギラなんてこともある。

そして5時頃になって猛烈な睡魔に襲われるけれども、あと1時間後には起きなきゃという時。

朝起きてからのことを考え出すと、余計にしんどくなってくるし、これからの1日がずっと眠いままかとも予想すると気持ちもドンヨリする。

だけどもうそこは割り切って寝てしまう。

眠いんだから寝る。

その後寝坊しようと遅刻しようと、その時は適当に言い訳して仕事に行ったらいいと開き直る。

たしかに起きた時は眠いけれども、気持ちはそこまで重たくならない。

先々のことを予測した時に、「まぁ仕方ないか」と覚悟を決めているのもあると思う。

そして、究極の時、これは眠れない時だけじゃなくてありとあらゆる不安なシーンで私が毎回使う技。

「明日生きてるとは限らないし、死んでるかもだから、そうしたらこの心配してることはもはや関係なくなる」

本気でそう考えて、超開き直る。

明日生きてないかも…という想像は、私の場合、それで全てを帳消しにするマジックワードで、そう思うと眠れないとか強烈に困ってるとかいうことも、「明日はないかも」ならもはや何でも良くなる。

「不安は自分で作っている」というのは、こういう体験をたくさん重ねて、自分でもわかるようになってきた。

「寝なきゃダメ」(寝ないと明日が辛いから)と思ってばかりいた頃は、眠れない夜が本当に不安で辛かった。

眠れないことそのものよりも、自分の中で不安ゆえに生まれる心配事が絶えなくて、その心配事に気を揉んで余計としんどくなっていた。

眠れない夜に眠れないことを逆手にとってそれを活用したり楽しむようになってから、眠れなくても気にならなくなった。

もちろん今の状況にいきなりなれたわけではなくて、何年も何年もかけて、ようやく今ぐらいにまでなれた。

何でもそうなのかもしれないけれど、発想の転換をすることでいくらでも自分の中の不安を減らしてあげることが自分の手でできると思う。

そして自分で減らせる経験を重ねれば重ねるほど、自信に繋がっていく。

自分のことが信じられるようになるし、自分と二人三脚するつもりで自分にキツく当たるんじゃなくて優しく接するように心掛けるようにもなる。

不安は不安で自分自身の居場所を探している。

以前の私は、不安を追い払うことに躍起になっていたけれども、はっきり言ってそれは私の場合逆効果だった。

反対に、不安な気持ちにも自分の中で居場所を作る、要は不安な気持ちに蓋をせずに不安なことを自分の中で「不安なんだ」と思うこと、不安でもいいんだと自分に許すことで、ずいぶんと自分自身が救われるようになった。

不安を追い払おうとすると自分が追い詰められていたけれども、不安だっていいんだと思えるようになったら、気持ちがユルユルと緩んできて、自分で自分に緊張しなくて良くなって、「まぁいっか…」となって…、そんな風にして自分を不安から解放する術をどんどん開発して身につけている。

それは自分の中の安心感や安全であることにも繋がってくれる。




もうひとつ。

「名もなき1日」

これは最初から絶対に入れたい名前だった。

何かの日にちなんでメッセージを書くことを編集の方から最初の依頼の時にお願いされていたけれども、私はどこかで「何もない日」というのを入れたいなぁとその時から思っていた。

なぜなら日々生きていたら、毎日何かしら特別なことがあるわけじゃないし、昨日とは違う今日よりも昨日とあまり代わり映えしない今日の方が圧倒的に多い。

そんな中、毎日「何かの日」という名前が並んだら、ちょっと息苦しいと私は思った。

毎日高級お肉や高級お寿司を食べれないのと一緒で(ちなみにそんな体験したことないけれど(笑))、毎日何か意味のある日や奇跡の日ばかりでは心が休まらない気がした。

だから「何もない日」が欲しかったのと、その何もない時にこそ「不安」とか「心配」とかムクムク出てきそうな気がしたから、そういう自分の気持ちに寄り添える言葉を紡ぎたかった。

それが今日という日のメッセージに隠されていた舞台裏。

2020年2月11日火曜日

車窓の窓から〜カオスな節分週間

ーーー月曜日

緊急の短い英訳依頼がきた。

頼んだ人は、頼みに来た時には女上司にも私にもにこやかな表情でお願いしていた。

ちなみにこの人は先月、クレームの内容についてどう英訳をしたらいいか確認しに行ったら、自分は担当じゃないからわからないと言って逃げた人だった。

今回はにこやかだったし、その時に後でお伺いしますと私も言って頭を下げて挨拶して、普通に感じ良く頷いていたから、普通に対応してもらえるものかと思った。

実際に伺ったら、さっきのにこやかな雰囲気とはうって変わって、冷たく面倒くさそうに対応された。

その中に専門用語があって、それは調べても英語名はわからなかったと言ったら、じゃあそこはカットしようと言われた。

さらには一文、そもそもの意味がわからなくてそれも聞いたら、自分もわからないと言う。

そこは濁されたまま、だけど私からすると毎回意味不明な日本語がくるから、それがどうわからないのかは私は素人だからわからないんだろうと思って、まぁ聞いた内容で訳そうと思った。

その際、「確認」という単語が文章内に連発していたから、私はその確認がどの程度の確認が必要なのかを聞いた。

機械のスイッチが入っている確認から、機械内部の具体的な動きがプログラム通りに動いているかテストして確認することまで色々あるから、程度によって言葉が変わる。

なのにそれを聞いたら「確認って何が違うの?」と面倒くさそうに返され、程度によって英語は言い方が変わること、少しの確認なのか強制的に絶対的にやってねの確認なのか、どちらなのかを聞いて選んでもらった。

その人は私の英語の師匠トムさんの上司で、トムさんに英訳に関して1つ聞きたいことがあるからトムさんに質問したいと申し出ると、それに関しては二つ返事で快諾してくれて、トムさんに自席から「英語の件で今から質問いくからよろしく」と言ってくれた。

ホッとして、トムさんに質問に行った。

ちなみに私が聞きたかったのは「目視」についてだったけれども、ついでに「確認」もしょっちゅう出てきては困る言葉の1つだから、一緒に質問した。

関係ないけれども、確認とかも英語にすると言い方が多岐に渡る上、それぞれの言葉の使い方が英語の場合違うから、それもけっこう毎回迷いどころになりやすい。

で、「確認」の時に、口頭説明よりも実際の文章を見てもらった方が早いと思って、さっき質問していた資料を直接トムさんに見せた。

トムさんが「武士俣さん、これどういう意味ですか?」と、例の上司が意味がわからないと言った文章について私に聞いてきた。

私は聞いた内容のメモをそのまま読み上げて、トムさんにはこんな風に説明を受けたと言った。

するとトムさんはその紙を持って「ちょっと聞いてきます」と言って、上司のところに行った。

トムさんも同じように「これ、日本語の意味がわからない」と言った。

そう、これは私みたいに知識がないからわからないだけじゃなく、知識ある人からしても日本語が変で意味が通じていなかった。

なんなら写真まであるのに、それでも意味が通じない凄技を持つ文章だった。

トムさんが確認すると、やっぱり技術者2人が揃っても意味が通じなくて、それで最終的にトムさんが原稿作成者に電話を入れて、文章の意味を確認してくれて、それでようやく意味がわかるようになった。

なんと、一番大事なポイントの言葉そのものが抜けていて、その言葉が入ることで初めて意味が通じるようになっていた。

さらに上司の方が「これはじゃあ消そう」と言った言葉も、トムさんが「これは〇〇で、こっちは⬜︎⬜︎」と英語名を書いて教えてくれた。

トムさんのナイスアシストで事無きを得て、トムさんにお礼を言って席に戻った。

日本語の原稿も変更して、そしてそれから英訳をした。

英訳を終えてから、依頼メールに返信しようとよくよくメールのやりとりを見た。

いつもメールはすごく長いから(数人なり数回のやりとりの添付がついている)、よほどのことがなければ最後にまとめてサラリと読む程度にしている。

私はてっきり機械の手順書かと思っていたら、たしかに手順書は手順書だったけれども、私の想像していた手順書とは全く違っていた。

長いメールを読んだら、なんと「機械停止」とあった((((;゚Д゚)))))))。

何これ?手順書じゃなくて、機械が止まってその機械の復旧方法ってこと!?

やたらと確認、確認とほぼ全ての文章に確認とあった意味もようやくわかったし、意味がわからないけれども写真が短い割にやたらと添付されていたのも納得した。

何よりも驚いたのは、それだけ非常事態なのにも関わらず、担当者のお偉い方は超適当な対応で、なんなら英語名知らないものはカット、「確認」も何が違うのかと言い出し、さらにこの文章の要のところはわからないまま放置した。

文章の要となるその手順は、復旧できたと確認する一番大事なステップにも関わらず、何だそれ?状態だった。

しかもこれはメールを読んでいて思ったけれども、メールのタイトルと私の訳したものとが全く合致しない。

ということは、恐らくだけれど、機械停止の状態だけでは、私の英訳部分は本当の専門職なり設計者でなければ導き出せない解決策なのではないかと思う。

そんな超大事なものなのに、原稿作成者もだしお偉い方もだけれど、スーパー適当過ぎて私には絶句並みの酷さを目の当たりにした。

もしトムさんがいなければ、しかもあの時別にトムさんにその今回の依頼内容を質問したんじゃなくて、大元は「目視」の言い方を知りたかったのと、そうだ!ついでに「確認」の言い方も聞いておこう!と思って確認したに過ぎなかった。

それが結局のところ、今回の超大局の部分の英訳そのものを救うことになるなんて、誰が想像できただろうと思う。

こんな綱渡りみたいなことしていて、真面目に大丈夫なのか?と思う。

私じゃなくて会社が。





ーーー火曜日

月曜のそんなワタワタしていた午後に、別件の長編英訳の依頼がきた。(図や写真含めて15枚もの)

これもまたおかしな話で、火曜日だったのか水曜日だったのかに、この英訳を誰がどう使うものなのかの確認を部長経由でしてもらった。

部長経由になったのは、私みたいな下々の人間では依頼メールにあった内容しかわからず、そして相当色々と厄介なものが中に含まれていたから、私の上司の判断で部長経由での確認が必要となって、それで確認してもらった。

元々本社に行くものとは聞いていたけれども、それは機械のメインテナンスや保守点検的な時に現地に出向くエンジニアの人が使う資料とのこと。

日本人の人が使うらしいけれども、私は違和感を覚えた。

現地に出向くぐらいだから、少なくともその本人は英語を使える。

これは私だけかもしれないけれど、基本的に自分で書いた英文じゃないと、私は自分が説明する側なら読んで口頭説明することが相当難しい。

英文は日本語の作文と一緒で、それぞれの人の書き方のクセや言葉のチョイスがある。

私の英訳師匠のトムさんは「自分が書くとit isで始まる文章がどうしても多くなってしまう」と言っていたけれども、反対に私はそうは書かない。

固有名詞や動詞を名詞の形にした動名詞を主語にするから、itはほとんど使わない。

それぐらい人によって差があるから、だから一番いいのはその資料を使う本人が訳すこと。

しかも点検とかで口頭説明するなら余計と自分の言葉じゃないときついよ!?と思ったけれども、なぜか私のところに来ていて、私が訳すこととなった。

ちなみにこれは後々にわかることだけれど、この英訳こそが色んなことを水面下で調整する超秘密兵器的なものに発展することになる。

そう、普通に考えて本社対応に最初からすればいいものをなぜか新潟の工場に資料はやってきて、そして回り回って私に英訳が来た。

何かと言えば、私から見ると今回の長編英訳は「神々の審議会」的な回し者で、そしてそこから先は今の天体エネルギーの山羊座の冥王星(破壊と再生担当)と土星(成熟した社会の在り方に合うように徹底的な調整・介入担当)に大きく反映したものだと思う。




火曜日の時点で担当者と女上司とそして私の個人の3人で話した時に、まずは1枚訳して時間がどの程度必要かを算出することになった。

これもまたおかしな話なんだけれど、なぜか私のパソコンで見るとデータが壊れていて、本来15枚のものが25枚に変わるという珍現象が起こった。

まずはその直しを他の人たちにお願いすることになって、私は私で英訳を始めることになった。

女上司からの助言で、1枚目を訳した後はまず日本語を全て見てそれでその意味のわからないことを先に質問した方がいいかも!ということで、私はまず15枚分の日本語の不明点を全部抜き出した。

担当者Aさんにもその旨伝えて、Aさんの方で原稿作成者の現場の人に連絡を取ってもらって時間を作ってもらえるようにお願いをした。

Aさんにも残業でいるなら、夕方に質問の時間をもらえるようにお願いをした。

夕方になってAさんとやりとりした時のこと。

Aさんは3つほど確認が終わったところで
「これ明日もあるからここまでにしましょう」
と私に言った。

Aさんは自分がこの文章の取り扱いの責任者なのに、何て適当なのかと私は心の中で違和感を覚えていた。

まぁでも明日は現場で聞くからいいかと思ってそのままにした。





ーーー水曜日

担当者Aさんに言われた通り、お昼前に1階の現場に行った。

超できる人だとAさんは説明していたけれど、本当に噂以上に超できる人が紹介された。

若手スーパーリーダーと名前を付けたい。

若手スーパーリーダーは本当に仕事がめちゃくちゃできる人で、これまで20人近く当たったエンジニアの中で英訳師匠のトムさんと雰囲気は違うものの、トムさんと同じタイプのめちゃくちゃできる人且つ人柄も素晴らしい人だった。

15枚ある資料は現場用語満載で、私の質問も本当に細かくて多かったけれども、若手スーパーリーダーは嫌な顔1つせず全部付き合ってくれた。

「確認」じゃないけれども、言葉の意味がはっきりしないものは一緒に考えてくれたし、話してもらったものを聞いて私がその場で文を作り直したら、それも見てもらって全部これで大丈夫!とか、ここ意味が変わってしまったのでこうして下さいとか、本当の本当に超丁寧に見てくれた。

トムさんの英語サポートを除いて、これまでのエンジニアの人たちの中で断トツで一番丁寧に見てもらえた。

途中、何人かの人が若手スーパーリーダーのところに質問にやってきた。

質問にも的確に全部答えているし、部品があれば部品の裏に刻まれた最低でも10桁はあるだろう部品番号を見て「これで合ってる」と言ったり。

はたまた不具合が起きた機械の図面を持ってきた人がいて、その図面もその場で何がいけないのか全部チェック入れて、この部分だけ合ってるけど残りは全部間違えてる、後で自分ももう1回よく見てみると言っていた。

とにかくテキパキしているし、まるで頭の中にコンピュータがあって、そのソフトのごとく即答して質問に答えていた。

リーダーより一回り以上年上のおじさんたちも2人か3人来て、リーダーに確認していた。

本気の実力で上がったリーダーなんだとわかった。




最後に私は若手スーパーリーダーにお願いをした。

もし可能なら火災探知機を見せて欲しいと。

1月の終わりに火災探知機の内容を含むチェックリストの英訳をした時に、そのスイッチにまつわる英訳と日本語の説明が全く違うことに気付いて、大騒ぎした時があった。

他社製のもので、取扱説明書も他社から来たものをそのまま使う仕様になっていた。

まさか取扱説明書が間違えているなんて思わないから、私は自分が間違えてるのかと思った。

それがどの機械の取扱説明書を見てもみんなそうで、そこでようやく取扱説明書自体が問題あると知った。

取扱説明書は去年の秋の終わりに改訂されていて(というのを私が騒いで確認したことで初めて判明した)、それで本来なら取扱説明書の入れ替えをしないといけないんだけれど、それもずっと滞ったままになっている。

さらにはその火災探知機のスイッチオンにすることを忘れないためのチェックリストの英訳だったのに、なんならそここそが一番重要なチェック項目なのに、そちらも随分とあっさりとした扱いでそれにも驚いた。

だから私はそれというのは、おそらく間違うことなんかないし、見てすぐにわかるものだからみんなそんな適当な対応なんだと思い込もうとした。

そうだと自分も知れば安心すると思って、それで若手スーパーリーダーに頼んで見たいとお願いした。

リーダーは機械の近くに行くと、その近くのエンジニアに声をかけて、工具をいくつか借りてきた。

私は何してるのかと思ったけれども、まぁ何か必要なのかな…と思ったら、全然違っていた。

なんと工具なしでは、火災探知機は取り外すことさえできない外付けの小さな装置だった。

普通に大学ノートを横にしたくらいかそれより小さな大きさで、まずは取り外すだけでも普通のネジ回しではなく特殊な形のネジ回し風なホックみたいなものを使って数ヶ所開けていた。

それで取り外すと、今度は火災探知機本体を開けるためにまた別の工具を使って数ヶ所のネジを外した。

外した後も箱は開けにくくて、多少ガタガタと左右に動かすとようやく開く代物だった。

そこまでで3分は確実にかかったし、私の感覚では数分かかっていた感じがした。

しかもリーダーは手慣れた手つきでやってその時間だから、不慣れな人がやったらもっとかかる。

中を見てさらに驚いた。

なぜか英語版も日本語表記のみ施されているスイッチで、超不親切と取説を見ていつも思っていた。

まさか中身は携帯やパソコンの中身みたいな電子盤になっていて、スイッチは私の小指の爪の縦半分ほど、1センチ程度の長さで、スイッチオンなのかオフなのかの表記部分はものすごく近くまで寄らないと見えないくらいに小さな文字だった。

リーダーに事の顛末を話して、これが実際の出荷の時はどういう状態で出されるものかを聞いた。

やっぱり間違えて作動するといけないから、スイッチオフにして出されるとのこと。

そして、あんなチェックリストが作られるぐらいだから、当然何か不都合があって(要はスイッチの入れ忘れ)作られてるのがわかるのに、その事の顛末を伝えたら担当者は「適当で大丈夫」と答えていて私からして驚きだったことも言った。

リーダーもそれ聞いて「はっ( ̄^ ̄)!」ってなっていて、誰が言ったのかまで言い当てていた。

リーダーも普段からそうしたやりとりが起こりそうなことをよく知っているのだと思う。

そのやりとりに対して明らかに蔑視していて、そういうまともな感覚を持っているリーダーを見て心底ホッとした。

この件に関して、初めてきちんと反応する人に出会えた。

リーダーは1つ落ちてしまったネジも探しつつ、火災探知機を元に戻すべく手を動かしていた。

私はリーダーにお礼を言って、そして事の顛末は今の英訳が終わったら上に掛け合ってみようと思いますと言って帰ってきた。




この時点で私は何で今回現場に行ってまで質問に行くことになったのかわかった。

前任の人は現場に行ってまで質問をしたことは一度もなかった。

女上司いわく、過去に1人、機械の動きとかを見たいから見せてもらうために行った英訳担当者はいたらしいけれども、私みたいに現場の人が作った資料という理由で現場の方に出向いて質問に行ったのは初めてのようだった。

少なくともその部署に20年近くいると思うけれども、それくらい見慣れないことがなぜか今回起こって、それで質問に行くぐらいになった。

毎日機械の横を通っては、火災探知機のスイッチはどこなんだろう?と常々思っていたけれども、今回のことがなければ永遠に知る事のないスイッチだった。

そして、その難解な状態を見て、他の人たちの温度差というか適当さに驚いた。

ちなみに当たり前だけど、スイッチオフのままだと火災探知機は作動しない。

万が一火事が起こっても作動しない。

とかいうことが発覚した。

さらに言うと「スイッチオン」「スイッチオフ」みたいな単純な表記ではなく、「運転中」並みに漢字のみで表記されていて、英語バージョンの機械を入れる海外の現場では、確実に搬入時にスイッチを入れ直さないと大変なことになる。

完全に闇側の本当にいけない状況を知ることとなってしまった。




水曜日は本来NO残業デーで帰る日なんだけれども、終わらないから残業申請出して3時間使ってとにかく聞いてきた日本語の内容を書き直した。

文字のフォントや大きさ、見た目とかは直す暇もなく、これは翌日に他の人にお願いする他ないと思った。

私はいい加減英訳を始めないと終わらないから、とにかく一刻も早く英訳に着手しないとやばかった。

だから、日本語の直しのところまでをやり切った。

やっている途中で、どうしても日本語側で変なところがあって、それについて担当者のAさんの指示がなければ私の方で勝手には直せないから、それを質問しに行った。

最初は隣りの人と話していて、時間かかりそうな雰囲気だったから退散して、また30分くらいしたら出直すことにした。

Aさんは日中は現場に行ったりして席にあまりいないから、逆に定時後の方がつかまえやすい。

その時もまだ隣りの男の子と話してはいたけれども、それでも私が近くに行けば何かしら声をかけてくれるだろうと思って席のところの近く、Aさんには目にガッツリ入る位置の、隣りの席の男の子のななめ横くらいに立った。

Aさんは間違いなく私に気付いた。

だけど隣りの子との話をやめない。

変なところで区切れないのだろうと思ってしばらくは私も待った。

2分ないし3分は待った。

それでもAさんは一切私に何も言ってこないし、目も合わせようとしなかった。

さすがに私の方がしびれを切らして、お話中すみませんと割り入った。

すぐに質問は終わるけれども、出直した方が良ければ出直す、もし今1分とかもらえるならこの場で聞かせて欲しいと二択を提示した。

Aさんではなく隣りの男の子が「どうぞ」と言った。

Aさんは感じ悪そうな雰囲気で嫌な顔というか、「何で邪魔すんだよ!」みたいな顔になっていた。

私は言葉の通りさっと質問をして、Aさんのはっきりしない答えにも半分イライラしながら、だから私は全て「YES NO」で答えられる質問の形に変えて、それで質問してその場を後にした。

私が立ち去った後、2人は話すのかと思いきやそんなことはなく、別に私を待たせてまでしなきゃいけない仕事の話でもなかったんだというのもわかった。

誰がこの仕事の責任者で、誰が英訳を依頼しているんだろう?と思った。

これが部長とか役職の人が行っても同じ対応をしたんだろうか?とか、あんなに急いでやらないといけないって言っていた言葉はただただ言葉の綾なのかと思った。

若手スーパーリーダーの対応がピカイチ過ぎたのもあって、Aさんの対応はものすごく残念で怒りと失望しかなかった。





ーーー木曜日

女上司に進捗状況を報告して、そして日本語側の文章を文字や見た目を統一して整える作業を同級生の子にお願いした。

私は私で英訳をひたすら進めることとなった。

女上司も前日の夕方のAさんの対応には心底がっかりしていた。

それ酷すぎるね、誰の仕事なんだろうね?と全く同じことを女上司も口にした。





悲劇はその後起こった。

同級生の女の子、同子ちゃんとしよう。

同子ちゃんから日本語側の資料の体裁的な部分を直してもらうことになった。

その部分を実際に直してる同子ちゃんからあれこれ質問されて、質問されたことに関しては答えられるものは答えたし、内容になると私にはわからないから「わからない」と答えた。

実際に「参照」することが多くて、その参照の言い方に関して聞かれた。

参照するものは同じでも、その全部を参照する時と一部の手順のみを参照する時とまちまちで、そこは実際にリーダーから説明された時にこれは1だけ、これは全部、これは1と2というような説明を私は受けた。

その言い方がまちまちなのがわかりにくいからこの言い方に統一したいと同子ちゃんは言った。

同子ちゃんの言い分はごもっともで私もそれに異論はなかったけれども、ただいかんせん内容は技術的なもので、その番号を指定することの重要度がどの程度重要で、それを追加説明的に言っていいのか、それとも確実に指定された手順を遂行して欲しいのか、その差がわからなかった。

だからそこは確認すると言うと、そんなことしなくていいから、1つのやり方を示して「これでいいですか」と聞けばいいと言われた。

今書いていると私もどうしてそこまでこだわったのかわからないけれども、少なくとも私は素人の自分の判断で中身を変えることだけは絶対にしたくなかった。

同子ちゃんは、そんなのはきちんと原稿を作成しないエンジニアたちが悪いと言った。

だから私がそこまで丁寧にする必要もないと。

だけど私からすると、私のところが基本的に最後で、多くのものは確認なしで一気にお客さんに直で渡るか、はたまた他言語に翻訳されるために翻訳会社に回るかする。

いくらエンジニアの人の国語力や作文能力が問題であっても、そこで質問して本当の日本語の意味を知って、それでその日本語に書き直さないことには英語だけいきなり新しい話になっていて、日本語と英語が全く違うことになってしまう。

それは私にはできない。

同子ちゃんは私に「そんなの、こちら側の責任じゃないんだから、直訳してそれで相手が困って、それによってエンジニアの人たちが恥をかけばいい。もしこっちで請け負ってしまったのなら、みんな適当に出してきて、誰かがやってくれるからいいだろうってなって、まじめにやらない人が後を絶たなくなる。そこまでやる必要はない」と言った。

私は今回の現状については言った。

「今回は現場の人たちが細かな指示を一切もらわずに作っている。現場の人たちは機械をいじるのが仕事であって、今回みたいに手順書を書くことが仕事じゃない。今回は依頼があって初めてやっていることで、その人たちにその本来のクオリティを求めること自体が私は違うと思う。向こうは機械のプロでも説明文を書くプロじゃないからね。
だから本来は担当者のAさんがもっとやらなきゃいけないと思うけれども、Aさんは基本的に丸投げでノータッチ。
私はそのままじゃ訳せないからどうしても聞かなきゃ英訳はできない。
聞いたら今度は新しい説明が追加されたり言葉が変わったりする。そこは日本語も直さないと、日本語と英語で違うことになってしまう。だからそのままにはできない。手間ではあるけれども、私の方で勝手に違う言葉にはできないし、日本語を勝手にも変えられない。私は言われたものをそのまま訳すしかできない」

そのような話の後に同子ちゃんから言われた。

「余計なことをして、それで仕事が遅くなっている」

その通りではあるけれども、果たしておかしな日本語を直すのが「余計なこと」で、それはやらなくていいのか私にはわからなかった。

ちなみにどのくらい内容が変わるかと言えば、
「私が話す」
「私に話す」
ぐらいに意味が変わる。

私「が」話す時は私が話し手になるけれど、私「に」話す時は他の誰かが話し手で私は聞き手になる。

月曜の英訳にもそういうのがあって(というより、確認不要なパーフェクトな日本語説明文にまだ一度も当たったことがない)、それも確認した。

「Aが、ホースの端から排出されてB方向に向かって上昇する」
「ホースの端から排出されるAが、B方向に向かって上昇する」

上と下とでは、主語も変われば、実際の内部の動きも変わる。

こういうレベルの英訳をしているわけで、本当に1つ間違えるとその文章全体が意味が通じなくなったり、はたまた意味が変わったりしてしまう。

私が確認するのは、そういうことも含めての確認で、だから適当な直訳は危険極まりなくてできない。

そういうのも含めて遅いなどと言われると、正直なところ、私はどうしていいのかわからなかった。

私が本当に頼まれもしないことをしているならわかるけれども、実際の英訳をするとなれば、そして多くのものは私が最後の英訳文章を作成・校閲する係なら(これもまたどうかとは常々思ってはいるけれども)、やり切って間違えたらすみませんだけど、やることをやらずに適当に出すのはやっぱり違うと思う。

で、はたから見てどう見えているのか知らないけれども、12月とは比べものにならない英訳量がやってきていて、女上司も過去最高の仕事量と言うほどだから、本当に異常は異常なんだと思う。

不慣れ且つ工業知識ゼロの素人な私+意味のわからない日本語+質問して日本語直し+英訳、掛けることの大量の文章、となればもう遅くて当たり前だし、これまでみたいに「日本語→英訳」だけとならない私みたいなのがやっているから、どうしても手間はかかる。

余計なことして遅いと言われて、まじめにやってそんな言葉で私は泣きそうになった。

グサっと心に引っかかった。

そして、きちんと対応してくれた若手スーパーリーダーが悪く言われるのも嫌だったし、他の誠意ある対応をしてくれた他のエンジニアの人たちのことも思い浮かんで、それは違うんだけどなぁというのを思った。

同子ちゃんとこれ以上話をしてもラチがあかないと思って、とりあえず今言ってもらったように言って確認するからと言って終わらせた。

自分の席に戻って英訳を再開したけれども、私には余計なことをしている、遅いと言われたことがものすごく引っかかったままだった。

言葉もそうだし、そして果たして直訳して出すことがこの流れの解決策になるとはとても思えなかった。

ただ同子ちゃんが言うように、仕事が遅いのは本当だし、日本語を直す作業が追加であるから余計なことをしていると言えばしている。

それで英訳が遅くなるのもその通り。

個人的に10数人とやりとりして思ったことは、エンジニアの人たちに日本語力や作文能力を求めてもこれはかなり難しい。

本来なら社を上げて国語力強化に出ないといけないとは思うけれども、現実的にその時間も取れなければ、その人たちにそれを求めて今日言って明日直ったり改善したりするのは見込めない。

言うならば彼らも機械のプロであって、言葉のプロじゃないから、そこを求めても仕方ない。

もっと言うと、現場には現場にしか通じないスラングみたいな言葉があって、現場ではそのスラングで通常困らない。

そしてみんな常用しているからおかしいとも思っていない。

なんだけど、私みたいなど素人からすると、「えっ?」みたいに毎回なる。

今週やった英訳に
「テーパーリーマーをかけ直す」
というのがあった。

そもそもテーパーリーマーとはなんぞや?みたいなところからスタートして、そして説明されて意味はわかったけれども、それに該当する英語の動詞が今度はわからない。

なんなら私はアメリカ人のエンジニアサイトに飛んで、そこで検索までした。

私のパソコンのお気に入りに入っているお助けサイト( ̄∀ ̄;)。

現場の人たちが緊急トラブルの際に互いに知恵を交換する超イケてるサイトをたまたま発見して、それ以降私の超お気に入りサイトとなって、言葉がわからない時はいつもそこを見ている。

私は内容はどうでもいいから、例えば今回の「テーパーリーマー」ならその単語に対しての動詞がわかればそれで良かった。

色々見たけれども「これだ!」ってのがなくて、他にもネット検索したけれども出てこなくて、最後はトム師匠にメールした。

私が作った例文も書いて、だけど本来ならどう言うのがいいのかを聞いたら、想定外の言葉で説明された。

トムさんの英訳は
「穴を(リーマーで)広げる・整える」
だった。

おぉー!!!となった。

そう、テーパーリーマーをかけ直すというのは、そのリーマーという道具を使って、金属なんかの塊に穴を開けて、そこに留めネジやらを入れられるようにする行為を指す。

今回はすでに空いてる穴に対して再度テーパーリーマーをかけるから、「かけ直す」になっていた。

一事が万事こんな調子なわけで、これは聞かなきゃ絶対にわからない。

これは手間だけど省くわけにもいかない。

ただ同子ちゃんの言ったことも本当で、私のしていることは確かに余計な日本語版の加筆訂正が相当数生じるから、それに乗じて仕事も増える。

そして本来の英訳はさらに後回しになる。

だから二択になる。

・効率やスピード重視で中身は適当に作る
・中身重視で、仕事増えるのとスピードが落ちるのは覚悟してもらう

もちろん、中身も良くてスピードも速いのが一番だけど、現状の私では難しすぎる。

だから、これはもう私の判断では無理だと思った。

今回みたいに日本語側の仕事も増えると、そしてさらに構成がぐちゃぐちゃになっていてそれもあると、構成の修正まで出てきてさらなる手間が増える。

パソコン操作の修正を私にさせたら丸一日がかりになるから、当然他の人に振られる。

色々仕事が増えて、今回みたいに同子ちゃんや他の人のところに行くことも出てくる。

そうした実情をどうするがいいのかは私にはわからない。

そんなの私は決められないし、会社がスピード重視と言えばそうするし、中身重視と言えばそうする。

だから、もうそれはまずは女上司に相談して、それでもどうにも答えが出なければ、派遣会社通じてそこを確認してもらおうと思った。

女上司も決定権を持っているところではないし、それは会社のやり方の話だから、話がややこしくなりそうなら私が引っ掻き回すよりも、派遣会社入れた方が早いと感じた。




夕方、女上司の席の電話が鳴った。

電話に出ると若手スーパーリーダーからだった。

日中、日本語を直した資料を届けに行った。

その時も即座に対応してくれて、きちんと見て、それで違う点があれば連絡くださいとお願いしたものだった。

実は1つだけ、リーダーではなく体裁を直した同子ちゃんから、リーダーの指摘の通りに作るとわかりにくいから省いた方が良いとなって、あえて省いたところがあった。

リーダーはその点について問い合わせをしてきた。

それを省く代わりに別の図で言葉を足したことを説明して、リーダーはモヤッとしていた風だったけれども、一応納得はしてくれた。

そのやりとりをした後、自分の中ではっきりと決めたことがあった。

現場の人たちに話を聞いたら、もうそれが間違えていようとそのまま私は作ることにしようと。

リーダーの言ってきたことは、実はお客さん目線の話で、私もそれがあった方がわかりやすいだろうと思った。

同子ちゃんの方は正確性を重視したもので間違いではないけれども、現場の人間からするとおそらくリーダーの指摘した内容の方がわかりがいいんだと思う。

リーダーの人間性や仕事の仕方をほんの短い時間でも見てきたことで、私はリーダーがとても信頼のおける素晴らしい人だというのはわかった。(同子ちゃんももちろんきちんとしている)

で、最後その人たちの声を届けられるのは自分なんだとわかった。

なぜなら私しかその話を聞いてないから、私しか発信が最後はできない。

現場に渡る資料なんだから、現場の声を第一にすること。

そういう変な迷いに対して、私自身もきちんと自分の方向性を出さないといけないと思った。

リーダーに申し訳なく思いつつも、本当の本当にたくさん勉強になった今回の一連の英訳だったなと思った。





ーーー金曜日

午前の早い時間に女上司から呼ばれた。

またドカドカっと英訳依頼が来ていることのお知らせだった。

本当に英訳依頼が止まらない( ̄ཀ ̄;;)。

しかも次から次へといくらでもやってくる。

そんなことを話している間にも別件の英訳の仕事が入ってきたほどだった。

その時に女上司の方から言ってくれた。

「武士俣さんが取り組む時、また今回みたいに先に日本語を見てもらって、わからないところは聞きに行ってもらって、それで英訳する流れにしましょう」

これはチャンス!と思って重ねて聞いた。

「じゃあ今回やこれまで同様に、日本語が大幅に変更する時は日本語側の資料も訂正して、それで英訳するのでいいですか?」

「そうしましょう。手間かけてしまうけれども、それでいきましょう!」

「手間は全然いいんです。そうして良いなら、私の方も英語と日本語が食い違わないので、そちらの方がやりやすいです。日本語がかなり変わる時は、日本語の原稿を聞いたまま直します。それで大丈夫ですか?」

「そうしてください。大変だけど、よろしくお願いします」

だから、大袈裟な話し合いとかはしなくても、日本語訂正することも含めての英訳にOKが出たから、そのやり方で今後もやれることになった。

これなら同子ちゃんにも上の判断でそれをすることになったと言えるし、それで仕事(日本語の訂正)増えて遅くなるのは仕方ない( ̄∀ ̄;)。

これは私が思っていることだけれど、これまでもこの日本語と英語の違いに関しては大きな問題だったと思う。

女上司も間違いなく毎回そうだから慣れてはいても頭を抱える問題になっていたと思う。

これまでは、適当な解決方法もなく、とりあえず英訳のみを出すやり方でやっていた。

ところが全く事情を知らない私みたいなのが来て、とにかく私は頼れるものがないから基本的に質問をあれこれ技術者にする。

そうすると、日本語は大幅に変更になったり、言葉が追加されたりする。

そうなると、元原稿からは想像もできない英訳に仕上がる。

私がそれが非常にまずいと感じたのは、例の火災探知機の英訳と日本語とを見たからだった。

他社の取扱説明書であったけれども、日本語と英語で誰がどう見ても違う

手順さえも日本語と英語で違っていたのなら、それは内情を知らない第三者からすると混乱の他の何物でもない。

それを避けるためにも、極力日本語と英語に差がない方がいい。

女上司もそれを一緒に見て実際に本気で頭を抱えていたから、だからそこはものすごくよくわかってくれていた。

で、私の英訳は少なくとも最後女上司が最低限のチェックはしてくれるから、女上司も私の直した日本語を見て英訳をチェックする。

だから女上司としても、意味不明な現場用語よりも誰が見てもわかる日本語の方が読みやすいし、他言語に翻訳するための原稿を出すにも極力一般的な言葉での英語文の方が絶対に助かる。

これまではスルーされていたところが、私のわからないレベルによってテコ入れされることになり、そしてそのやり方こそが組織にとって本来なら適切な方法なんだと思う。

とにかく、手間暇は余計にかかってもより相応しい方法に落ち着いてくれて良かった。

そして長編英訳にもようやく終わりが見えてきた。





ーーー週明け月曜日

清々しい気持ちで月曜日を迎えた。

例の若手スーパーリーダーから指摘された図の部分は、私の方で再度リーダーの言った通りに書き換えた。

そうこうしているうちに、若手スーパーリーダーから電話がかかってきた。

なんとわざわざ原稿について「内容に問題ありませんでした」とそれを言うためだけに電話をくれた。

その後追加で質問があった際も、快く時間を作ってくれた。

その時に直した図に関しても確認してもらって、リーダーの満足した表情を見て、直して良かったと思った。

リーダーには、今しか伝えるチャンスはないと思って伝えた。

これまで20人くらいのエンジニアの人とやりとりしてきたけれども、リーダーが一番丁寧に説明してくれたこと、おかけでとっても助かったことをお礼と共に伝えた。

その時にリーダーはこんな風に返してきた。

「いやいや、これを英訳する方が大変なので、大したことはしてないですよ」

この人はさすがだと思った。

本当によくしてもらったし、どんだけでも私が必要なだけ時間も割いてくれた。

そして素人の私がわかるように説明してくれて、言葉も私に丸投げせずに最後まで一言一句と言ってもいいくらいに確認もしてもらった。

すごい労力を割いてもらったのに、大したことないとサラリと言って、そして初めてだった、英訳する方が大変だと言ってもらえたのは。

別に大変だと思って欲しいとかいうのはないけれども、その労力をきちんとわかってもらえたのは初めてで、それはとっても嬉しいことだった。

これは私個人の統計だけど、自分の専門分野をきっちりやる人は、他の専門職の人にも敬意を表す傾向が強い。

自分の得意分野を知るようにその人たちは自分の不得意分野も知っている。

そして自分はその不得意分野ができないとか苦手だと知っているからこそ、それをする人たちに敬意を素直に表している。

リーダーはまさにそのタイプだった。





月曜日にはまた追加で英訳依頼が来た。

整理すると、

・英訳資料が7本ないし8本(1本あたり3〜5ページ)
・難解技術書が英訳されたものの和訳の確認が2本(各8ページ。ちなみに日本語は平仮名しか読めないぐらいにわからなかったけれども、英語はちょっとだけ見たら英語の方が簡単に書かれていて読めたから、とりあえずホッとした←日本語が弱すぎる(苦笑))
・スペイン語の怪しい訳の確認が1本(Google翻訳に頼る予定だけど、すでにマニアックな固有名詞が間違えて訳されていることが判明)
・あと少しで完成の10数枚ものの英訳が1本

はっきり言って私のキャパなどとうに超えた量の英語関連の仕事が目白押しで、何なのかと思う。

上に書いたものだけで、すでに12月の時に2人でやった英語のすべての量の10倍近い量がある。

明らかにおかしい( ̄∀ ̄;)。

連日残業しても終わりが見えないくらいに何かやってきている。

なんとなく、英訳は入口で、実際はその中の闇に葬られては困るものをきちんと救出するために来ているんじゃないかとさえ思っている。

そうだ。

月曜日、リーダーに超助けてもらった資料の中に、機械の最終確認なのか途中の機能確認なのかのチェックリストからそのまま抜き出す言葉があって、なんと、そのチェックリストの英語バージョンの中の英訳なのか日本語なのかが間違えているのを発見Σ(꒪◊꒪; )))) 。

それかなり意味変わるけれど大丈夫!?っていうぐらいのもの。

言うなら、1つは静止でもう1つは作動、くらいに意味が違う。

女上司に報告して、とりあえずトム先生に確認、そして真相がわかったら最後は担当者に報告。

するけれども、一事が万事こんな風に何かを引き当てるから、本来の仕事から少しずつかけ離れた仕事も追加でくる( ̄◇ ̄;)。

ちなみにスペイン語だって、再度翻訳依頼になるだろうけれども、それに当たっての追加の小さな資料作りは避けて通れないと思う。

絶対におかしな訳になりそうだから、予め翻訳に出される前にきちんと資料を作ったのに、それ読んでくれたのかくれなかったのか…。

なんならそれに近いだろうスペイン語の言葉まで探した私…( ̄∀ ̄;)。←他の言語に訳される時は、もう賭けみたいなものだと思う。

本気でカオス過ぎる。

とかいうカオスな渦の中に入っている今日この頃。

あといいところ3ヶ月ないし4ヶ月の仕事だと思うから、あとは自分の体と心が壊れないようにやれるだけやろうと思う(←どういうわけか、体は絶対に動くように調整が為されていて、神々の審議会から何かしら調整するものが送られて来ているとしか思えない( ̄∀ ̄;))。