2014年4月29日火曜日

料理家 高山なおみさん

人物について日記を書くというのも何だか変な感じだけど、

とにかくここ半年くらい、強烈に惹かれてはまっている人だからここに書き残す。


高山なおみさんの一番有名な著書は、恐らく『日々ごはん』という12冊に渡る日記だろう。

この日記の存在は、名古屋に来た5年くらい前から知っていた。

何人かの著名な方がこの本を紹介している文章も読んだことがある。

本屋さんの料理コーナーのエッセイの棚には、たいがい置かれているのも知っていた。

だけど、当時、ぱらぱらっと斜め読みして、何がそんなに面白いのかわからず、

深く読むことは一度もしなかった。


4年5年越しに、わたしはそれをすべて読破し、

気に入った言葉はそれこそ何十枚と紙に書き写した。

他にもいくつかの彼女の著書を読み漁り、もう虜になった。


元をたどれば、よしもとばななのエッセイで、よしもとばななが『諸国空想料理店』という本が

面白いと言っていたのが気になって、

名古屋で一番でかい図書館に行って、書庫からその本を取り出してもらい、

それを読んだというのが最初のきっかけ。

この『諸国空想料理店』という本が、驚きの面白さと心に訴えかける何かを持ち合わせていて、

それなら他の本もおもしかろう・・・と予想を立てて、読みだしたのが『日々ごはん』だった。

色んな人が日記を書いて書籍化しているけれど、

日記を読んで泣いたり笑ったり自分の子どもの頃や今の気持ちをまざまざと思い出すことは

まずない。

だけど、『日々ごはん』はそういうものを喚起させてくれる本だった。


本の中では、製作中(すでに出版中)の料理本の制作過程についても少し触れられている。

わたしはエッセイから入ったから、実を言えば高山なおみさんの料理本は見たことがなかった。

これも図書館から借りだして、とにかく内容にびっくりした。

日々ごはんで描写されていることがそっくりそのまま料理本になっていた。

そこに携わる人たちがどんな思いで一冊の本を作ったり、

高山なおみさんがどんな思いで料理のレシピを考えたり練り直したり、

文章に書かれていたことが実物のものとして目の前に現れた時、

そこにはウソも変な戦略もなくて、純粋な思いから成り立つもの、

それがどーんと伝わってくる本だった。


その中のひとつに、ナンプラーを使った豚肉の生姜焼きが紹介されているのだけど、

もうそれを何回作っただろう・・・というくらいにリピートしている。

初めて作った時も、その後リピートしている時も、

毎回たまげるおいしさだ。

彼女が紹介する料理は、背伸びしないでも作れる、そしてと~ってもおいしく作れる、

そんなレシピ満載だ。

地に足のついたレシピとでもいうのだろか。


話があちこちに飛ぶけど。

今年の冬に、5年ぶりに料理本を出版された。

料理コーナーで山積みになっているから知ってはいたけど、

どこかに定住するまでは本を極力買わないにしよう!と決めていたから

これもいつか買うリストに入れるにとどめていた。

それが、おととい、出版社の「リトルモア」のHPにたどりついて、

なんとサイン本を定価のまま、そしてなんと一定の金額以上だから送料無料とあるのを見て、

これは買おう!と決めて、即手続きをした。


今朝、ふとんの中でうだうだしていた時。

呼び鈴が間を空けて、2回鳴った。

2回鳴る時は、たいがい郵便物。

まさか今日届くなんて思ってなかったから、戸口に出ると佐川急便の配達の方。

すぐに料理本だとぴんときた。


ふとんの中で中身を空けた。

高山なおみさんのサインがあった。

色鉛筆を使って、彼女の人柄をそのまま表すような素朴な文字があった。

それを見るだけでじ~んときた。

本も変な折れ目がつかないように、細心の注意を払って書いてくれたんだろうというのがわかった。

内容は、料理本+エッセイ風なその料理にまつわる話や、作り方のコツなんかが、

とてもわかりやすい言葉で書かれていた。

最後のページに書かれていた言葉。

「今日は何が食べたいか、

自分の心と相談しながら、

コンビニでじっくりお弁当を選ぶのも

料理だと思う。」

【引用:『料理=高山なおみ』】

スーパーのポテトサラダも、うずらの卵のフライも、ふつうに食卓にのぼらせる料理家の方。

手の込んだ料理を作る日もあれば、インスタントラーメンも作る。

茶碗のごはんの上にカレーをそのままかけて箸で食べたりとか。

なんでもありだよね、人生。

という姿勢がとんと伝わってくる。

2014年4月24日木曜日

無気力の時間

これは、無気力の時間を通り抜けた後に書いている。

自分の「望んだ方向」での決断を先延ばしにし、とりあえずの仕事を始めて2週目に突入。

自分の決断がとことん甘かったと何度も何度も後悔した。

仕事が決まったと連絡が来た時、わたしは泣いた。

断るなら今だ、とわかっていても、「はい」と返事している自分。

心の中は、葛藤だらけで、「NO」ときっぱりと言っているのに、

体の方の口は、「はい、よろしくお願いします」と言う。

猛烈に自分を責めながら返事をしていたあの瞬間。

情けなさやふがいなさ、色んな感情でごった返しになっているのに、

平静を装っている自分。

しばらくどんよりしていたけれど、

とりあえず、仕事に行きながら考えたらいいと、気持ちを切り替えた。

仕事に行き始めて考えるのかと少しは期待してみたけれど、これが真逆で、

葛藤は葛藤のままわたしの未来の時間に引き継がれ、

そのうち考えるのも疲れてきたのに思考は24時間体制で働き、

毎日色々とやばいやばいと頭で繰り返し、

そして気付いたら、何をする気にもならず、何とか日常を過ごすのに目一杯になっていた。

何も手に付かない時間というのが、一人になった途端に押し寄せてくる。

家に帰っても休まらない。

このまま日々が過ぎ、それが1週間、1ヶ月、1年、一生・・・と続いたら・・・、

と悪い進行方向をあれこれ想像して余計に萎えたり、

思考は止まらなくても、「これをしたい」が何もなくなってびっくりした。

読みたかった本も読めず、

書きものも嫌になり、

ゆっくりと飲むコーヒーにも見向きもせず、

散歩も人と会うこともゆったりすることも、

何もかもいやになっていた。

何もしたくなくなってしまう無気力の状態、わたしはこれがとても苦手だ。

何かを変えたかったら、ほんとに小さなことでいい、

小さな風を毎日の生活の中にひとつ送りこまないと、何も変わらない。

だけど、その肝心の風を送りこむだけの「何かしたい」気持ちが湧かない。

これはいつなっても苦しいし、そういう自分からはいつも目を背けたくなる。

ちなみに、今だからすごくよくわかるけど、

そういう時のわたしは、まじめに「休めない」タイプだ。

リラックスしたらいいとか、少し休んだらいいとか、

わたしの場合は、そういうものが余計と自分を圧迫する材料になってしまう。



今回、どのようにその「無気力の時間」を通り過ぎたのか・・・

単純にこの無気力の状態に疲れて、逆に「あぁもう、ちょっと他のことをしたい」

となったのもある。

落ちるだけ落ちていたら、ふっと浮上した感じになぜかなったのもある。

もうひたすら過ぎ去ってくれるのを待つしかなかった感じもある。

そういう小さなことたちが重なってくれて、「よっし!」とちょっと回復できたのが今。



その無気力時間の最中の昨日かおとといの夜中、

眠りから途中で覚めると頭が冴えて眠れなくなり、携帯の心理テストをやった。

誤解を生まないように言うと、

わたしの中で「心理テスト」は、やりたいことじゃない。

どうしても何か気を紛らわせたくてやること。

この心理テストが実に今の状態のわたしをうまく言い当てていて、

これには言葉は強いけど、逆に救われた。


「心は決まっているのに、それを否定したら、混乱するのは当然です。

妥協したら、夢は二度と戻ってはきません。

逃げることを考えずに進みましょう。」


言い訳もできないくらいにその通り過ぎて、どこかすっきりとした。

わたしが自分自身に言えなかったことを代弁してもらったような感じだった。

人に言われたら、そのまま受け取れなかったかもしれない。

自分で質問に答えて出てきた回答が上の言葉だったから、

あぁもうそう言われても仕方ないや、とあきらめられた。



今日、仕事が終わって、バス停までの数百メートルの道のり。

すごい人混みの中にも関わらず、

「あぁ、抜けた、やっと少し抜けれた気がする」

という感覚がやってきた。

そのときに、この1週間くらいの「無気力の時間」を記録に残そうと思った。

とにかく、その時々の気持ちをわたしはノートにひたすら書く習慣がある。

特に、がっつりと落ち込んだりもやもやしている時のことほど、貴重だと思ってる。

今でないと、書けない。

もうちょっと元気になって欲しいけど、元気度がアップすると、この無気力の感覚は忘れる。

どういう風に作用するのか科学的な根拠はさっぱりわからないけど、

この「元気のない自分の記録」は、どういうわけか後々の自分をものすごい元気にしてくれる。

とっても情けない(と思っている)自分の姿が文字となって残るけれど、

他の誰も書けない自分だけの記録は、そのままいつかの自分を救うことになる。

2014年4月20日日曜日

おもいでぽろぽろ 3れんチャン

わたしの記憶の中にしか存在しないもの。

もう生涯そういったものたちと出会うことはないだろうとずっと思い込んでいた。

思い込んでいたというより、もうそんなこと全部忘れていた。

そうしたら、この10日くらいで、わたしの目の前にこつ然と現れて、

わたしを心底驚かせた。

ひとつは、「たいつり草」と呼ばれる小さな花。

ひとつは、「バナップル」という日本名の果物。

ひとつは、ザ・ブルー・ハーツの『情熱の薔薇』の歌詞。

この3つは、わたしの人生のある局面にひょっこり登場し、

その時は若さゆえ?、性格ゆえ?、すーっと通り過ぎてしまった。

まさかこんなに年月を経て、もう一度わたしにその姿を見せて、

当時はわからなかったことが胸に染み入るとは、人生何があるかわからない。



*たいつり草*

10日ほど前の夕方、名古屋城からもじったと思われる「名城公園」へ散歩に出かけた。

名城公園内には、小さなフラワーガーデンがある。

とっても人工的ではあるけれど、四季折々色んな花がある。

その時はチューリップが最盛期と言わんばかりに咲き乱れていた。

「チューリップ」と一口に言っても色んなチューリップがあって、

小さなガーデン内をわたしはぐるぐると練り歩きながら眺めていた。

そのチューリップの合間に、わたしはこれまで一度もお目にかかれなかったその

「たいつり草」を発見した。

足を止めて、しゃがんでその花をまじまじと見た。

色は違えども、あの時とおんなじ花だ、まちがいない、同じ花だと確信し、

花の名前が書かれている小さなプレートを見て、それが「たいつり草」という名前だと知った。



もう13年も前になる、大学の卒業式の日。

全体の式が終わった後に、各部に分かれて卒業証書を渡される授与式があった。

学部長というんだろうか、その年の学部長はわたしが4年いた間で初の女性教授だった。

彼女が卒業証書をひとりひとりに授与する係で、

彼女は卒業証書と一緒に、ピンク色の小さな花をわたしたち全員に渡していた。

直径10センチくらいの透明のガラスの器にその淡いピンク色の小さな花はたくさんあって、

その2センチくらいの小さな変わった形の花を、そっと手のひらにのせてくれた。

「おめでとう」と満面の笑顔と一緒だったと思う。

わたしは花に気をとられていて、細かいことはもう覚えていない。

だけど、その花は卒業証書以上に強烈なインパクトがあって、

わたしはその後同じ花をどこかで見かけないかと、けっこうあちこち見ていた。

ところが、どこにも見当たらない。

特殊な花なんだろうと思った。

時々、似た花は見かけたけど、大きさや形が微妙に違っていた。

その花をもう二度と見ることもないだろうと思って、花の存在も忘れていた。

そうしたら、まさかうちの近所の名城公園に植わっているとは(人工的に)。

実際のたいつり草は、ミニトマトのように、鈴なりになっていた。

それをひとつひとつそっと取って、つぶれないように器に入れるのは、

けっこうな神経を使う作業だったに違いない。

しかも、すぐに駄目にならないように、多分当日の朝その先生は摘み取ってくれたんだろうと思う。

たいつり草という名前を知れたこともうれしかったし、

卒業式のシーンを色々思い出せたのもうれしかったし、

今頃になってわかった先生の気遣いもうれしかった。



*バナップル*

きのう、うちの近所の八百屋で目にした「バナップル」。

2、3ヶ月前から、バナナレモンスムージーにはまり出して、バナナを定期的に買うようになった。

1袋に5本くらい入っていて100円のものであれば、それ以上のこだわりはない。

「100円」と大きく書かれたカードが目に入って、いつものバナナだと思ったけど、

なぜかやたらと丁寧に包装されていて(贈答用のメロン並み)、

さらには「バナップル」と大きく書かれたシールまで貼られている。

聞き慣れない名前に、ひとつ手に取ってよく見ると

「リンゴ風味のフルーティーデザート」とある。

これは、わたしの記憶どころか、この話をしても誰にも信じてもらえなかった、

幻のリンゴ味のバナナだと推測した。

日本では、多分 banana と apple を組み合わせて

「バナナアップル→バナップル」となったんだと思う。

それは、地球の裏側、ドミニカ共和国でわたしは初めて目にした。

当時住んでいた家の人が、親戚からもらったと言って、わたしに2、3本バナナをくれた。

「それね、『ギネオ・マンサーナ』(ギネオ=バナナ、マンサーナ=リンゴ)っていうの」

と教えてくれて、実際に食べてみると、ほんとうにリンゴ味のバナナだった。

衝撃的なおいしさで、ドミニカでマンゴと並ぶわたしの中で大好きな果物だった。

ところが、バナップルことギネオ・マンサーナは、まず店頭にもその辺の市場にも並んでない。

わたしも2年いた間に、3回くらいしかお目にかかれなかった。

それも全部家の人とか仕事の人経由で、一体どこにあるのか皆目見当もつかなかった。

この話を何人かの日本人の人にしたけど、

誰一人食べたことがなく、そんなの本当にあるの!?というレベルの幻の果物だった。

それが、まさかまさかのうちの近所の八百屋でギネオ・マンサーナと思しき果物を目にするとは。

違っていてもいいから・・・と腹をくくり、2袋買った。

ドキドキしながら1本食べた。

まだ熟しきってないからわたしがドミニカで食べたものより味は薄かったけど、

紛れもない、バナップルことギネオ・マンサーナだった!

4年近く八百屋に通っているけど、バナップルを見たのは今回がはじめて。

幻の果物ではなく、ほんとうに実在していたんだ!と感動した。

買ったのは、フィリピン産だったけど、こうして感動の再会を果たし、

思い出の中にしか存在しなかった味を追体験できるなんて・・・

ちなみに、これはもったいなくて、スムージーにはせず、

そのまま素材の味を堪能すると決めた。



*『情熱の薔薇』の歌詞*

本を読んでいたら、その中にザ・ブルー・ハーツにインタビューしたみたいなことが書かれていた。

突然ブルーハーツの音楽を聞きたくなって、youtubeで検索してかけた。

3曲目『情熱の薔薇』がかかって

「答えはずっとおくの方、こころのずっとおくの方」

「花びんに水をやりましょー」

という歌詞が耳に届いて、それをそのまま頭の中で文字に直した時、

はっと思いついて、ある友達からの手紙を夢中で探した。

おととし位に、実家で手紙を整理をした時、

彼女がくれた数通の手紙がとっても良くて名古屋に持ち帰った。

そこに「♪答えはずっーと奥の方 心のずっーと奥の方♪

♪花びんに水をあげましょ 心のずっーと奥の方♪」

と書かれていて、手紙の内容に沿っていたけど、何の詩だろう?とずっと思っていた。

当時の手紙を彼女は、多分『情熱の薔薇』を聞きながら書いてくれてたんだろう。

今日改めて彼女の手紙を読んで、わたしはぼろぼろ今さら泣いてしまった。

「2週間のイギリス滞在の中で、自分が何を見て、何を学ぶかはわからない。

何も見つからないかも。

というよりも、何かを見つけるために行く事が目的でもなく、

何かを学ぶことが目的ではないみたい。

それは、結果としてついてくるんだろうなぁーと。

それより大事だった事は、『私が行きたいから行く!!』と、

自分の心にわがままになれた事。

今自分が何したいかを自分自身に、訪ねた時。

素直に自分の心がそういった事を、実現したかった。

『今が最高』であるために。」

見たら、10年前の春の消印になっていた。

色んなことが重なって

(ブルーハーツインタビューということを本で目にして、ブルーハーツ聞いて、

『情熱の薔薇』の歌詞にたどりついて、友達の手紙を探し出して・・・)

こうして今のわたしにぴったりなメッセージをもたらしてくれることもある。



たいつり草も、バナップルも、『情熱の薔薇』の歌詞と知らずにいた友達の手紙も、

わたしの記憶の中だけにとどまっているものだった。

記憶の外に出ることも、

目に見える形でそれらと再会を果たすことも、

再会することでよみがえる様々な思い出も、

どれも少し前には想像もしていなかったことだ。

特に気にも留めないちいさな出来事たちが、うんと時間が経って何かの拍子に思い出された時、

ものすごい財産として残っている。

そのときどきは、それが後に財産になるだなんて知らずにやり過ごしていたけど、

なんだろう、言葉にできないすごいエネルギーを持ってわたしの前に再び現れる。

そして、底知れぬ元気の素ややさしさみたいなのをプレゼントしてくれる。