2020年10月30日金曜日

㊴【おいせさん手帳】満月と星と自分




おいせさん手帳第39回目

担当:ノム


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1028日 

月の光を浴びながら、心身をゆるめましょう。

牡牛座の満月を前に

 

3日後の1031日、牡牛座の満月がやってきます。

満月はその名の通り満ちる時。今月に限らず、満月の前は「充電」を意識して。

とくに今年は、年末に向け、星々から強烈なエネルギーがもたらされるので、

心身ともに努めてゆるめることをお勧めします。

今日はゆっくり湯船につかり、感謝を伝えながら全身をもみほぐしてみては?


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これから書くことが有益な情報かどうかはわからないけれど、もしかしたら私みたいな人もいるかもだから、1つ紹介。


月の満ち欠けと体調の関係。


満月と新月は約2週間ほどで交互にくる。


ネットで調べれば、簡単に新月満月カレンダーなり日程なりが手に入る。


何年か前から、とにかく新月と満月、又はその前後になると具合が悪くなったり、体調が優れなかったりするようになった。


具合の悪さの程度や内容はその時々で違うけれども、とにかく月の満ち欠けに沿って私の体はやたらと反応するようになった。


自分では「解毒」や「浄化」と思っていて、具合が悪いのは決して良くはないけれど、それによって不要なものが外に出てくれると思えば、逆に自然とそうなってくれるのがありがたいくらいだった。


月と自分の体の関係がわからなければ、常々月に2回ほどやたらと具合が悪くなることしか自分では感知できないから、その情報だけだったらしんどかっただろうなぁと思う。


だから具合がある程度定期的に悪くなるとかイマイチな人がいるのなら、月の満ち欠けをチェックするといいかもしれない。


私は新月満月でも、人によってはその前とかその後とか、はたまた上弦の月や下弦の月に反応する人もいるかもしれない。


ちなみに、一番反応していた時期は、新月上弦満月下弦もフルコンプで、毎週毎週何かしらの体調不良や心の落ち不良でしんどかった。




ノムのメッセージにある

「とくに今年は、年末に向け、星々から強烈なエネルギーがもたらされる」

ことについて、最近の月と自分の感覚を書いてみたい。


9月くらいからだったと思う。


ここ半年くらいはそんなに新月満月をチェックするようなことはしていなかったけれど、また暑さが去ったあたりからチェックを始めた。


ピークに向かって具合が悪くなる感じに気付いて、それでチェックしたらやっぱり新月満月だということ。


ただこれまでと少し違うのは、体調だけではなく周りの様子も新月満月に合わせて1つのサイクルが始まって終わるように、何か大きく変化していること。


渦中は強烈だったりするかもしれないけれど、基本的には良い方向に向かっている。


2日前?3日前?、私は今の仕事で一番腹が立つ事態に見舞われた。


自分に非があるならそれは自分の責任だから自分で何とかするしかないけれど、今回は個人的な嫌がらせに近い形で非常に不愉快極まりないものがやってきた。


ところが怒るだけ怒った後(1人の時に)、必要な情報はきちんともたらされて、しかも他の人たちよりも先に情報をもらえることになって、あとはなるようにしかならないなぁなんて思っていたら、一気に物事が動き出した。


周りの理解ある人たちがどんどん動いて(私のためじゃなく、一大プロジェクトのために)、そして現時点でやり方が大きく変わることが決定した。


多分だけど、会社始まって以来のやり方ではないのかなと思う。


結局のところ、理不尽な対応を私は先に受けたけれども、それがもはや個人の範疇ではなく会社全体として考えても大きな問題と周りが認識して、いかに問題を最小限に食い止めて効率良く動くかということに何人かの人たちが目を向けたことで、事態が一気に変わった。


何もしていないと言うと語弊があるけれど、今回は特に何かしらやったのとは違う。


私がしたのは、少しのおしゃべりと愚痴ることぐらいで、あとは何も交渉も訴えもしなかった。


今時点で見えている流れとして、根本的に問題となる部分はやっぱりメスが入る。


いい加減にしていても、ダメなものはダメだから、周りがそのままにしない。


そして、必要なものがきちんと残るようになっているし、おかしいものに対しては容赦なく何か介入が入るかダメにされて終わる。


すごくシンプルだなと思う。


この激動の今を日々生き抜く1番の方法は、自分が信じる正しさや良さ、美しさ、そういったものをとことん追求することのような気がしている。


失敗や問題が生まれるのは仕方ないし、それは避けて通れない。


だけど、必要なことなら必ず救いの手が差し伸べられるし、挽回ややり直しのチャンスもくる。


反対に、不誠実だったりテキトーだったりすると、そのしっぺ返しは大きく自分のところに跳ね返ってくる。


そういうことが、今年2020年というのはものすごくはっきりと出ているように感じる。




最後になったけれど、ノムが書いたメッセージの

「心身ともに努めてゆるめることをお勧めします。

今日はゆっくり湯船につかり、感謝を伝えながら全身をもみほぐしてみては?」

の部分がとっても大事になる。


この激動すぎる今年も当然1日1日という単位で構成されている。


何かしていても、反対に何かしていなくても、どちらもやっぱり気を張ることになる。


コロナがわかりやすいから例にとると、コロナでも仕事に出る必要がある人も、反対に家で待機しないといけない人も、そのどちらも緊張を強いられるのは変わらない。


緊張をもたらす根本の種類が違うだけだと私は思っている。


どういう状況であれ、気を張っていたり自分を奮い立たせたりしているわけで、そういう自分を労わることがとっても大切だなぁなんて、最近は特にそう思う。


お風呂じゃなくても、自分の心身が緩むものならなんでもいい。


とにかく過剰なくらいに自分を労って、色々自分のためにしてあげることがとっても大事なプロセスになっていくだろう、って思ってる。


メッセージ当日にアップできなかったけれど、ノムのメッセージを読んで、満月まで日があるなら今無理して書いてアップするよりも今日は休んでまた元気な時に書いたらいい、そう思って今日になった。


それにこれを読んでくれる人がどのタイミングで読むかはわからないけれど、31日まで時間があるから、そこを目がけて何か1つでも自分を労われたら御の字だと思った。


お茶を丁寧に淹れて飲むでも、布団を干してフカフカの布団で眠るでも、丁寧に顔を洗うでもなんでもいい。


とにかく自分の心や体が喜ぶことを自分のためにプレゼントできたら、それ最高❣️って思ってる。

2020年10月27日火曜日

怒りとの対話

今の仕事で史上最高に腹わたが煮えくり返った気がする。

とにかくブチ切れた。


事の次第はこうだった。


大がかりな英訳依頼が近日中に来ることになった。


担当者のブルート(brute…英語で「野蛮人」とか「馬鹿者」、「知性、感受性、または思いやりが不足している人」を指す。ちなみにブルートは全て不足欠落している)がその依頼を係長的立場の人と時短勤務の英訳担当者にだけ連絡してそのまま放置していた。


係長がすぐに納期と量を見てまずいと判断して、私とMr.ダンディに、私は一緒に分担すること、そしてMr.ダンディには全体の添削を主とした手伝いを依頼して、それで事が発覚した。


ちなみにブルートはいつからか私に英訳依頼するのをキッパリと止めて(私も最後ブチ切れたくらいに酷い仕打ちを受けたから、このまま外してもらえたのは良かった)、だからブルートの態度には腹立たしい他の何物でもなかったけれど、関わらなくていいのだけが救いだった。


ちなみに最後ブチ切れしたのは、都合の悪いことは全て私の名前を出して報告して、良く出来たことは私の名前は消して全て自分の手柄のように完了報告をあげて、挙げ句の果て私にはお礼の1つどころか最後確認したという報告も常々なく、ところが時短勤務の育子さんの時だけはきちんとそういうことをしていて、それでもう本気で嫌になりすぎてブチッとなった。


ブルートは、私の細々とした指摘が多分気に食わなかったんだと思うけれど、少なくとも私の指摘に関しては英語を知ってる人たち全員は私の言い分は筋が通ってるどころか、そうでもしないと会社の恥を晒すようなもので、みんな周りは支持してくれて、ブルート1人だけが面倒くさがってそれを適当に流した。


派遣のくせして小生意気なのも腹が立ったのかもしれないけれど、ごめんなさい、真面目に死ぬほど恥ずかしい間違いを外部に出して会社全体の評判を落とすよりも、正しいものを示すことで会社の株や評判、はたまたあなたの評判が上がる方がいいでしょう?と思うけれど、ブルートは馬鹿すぎてそれがわからないらしい。


育子さんはそういう指摘は基本しないから、穏やかに事は進むと思うけれど、違うことは頼まれない限りはそのままだから、だからブルートがやらかそうがなんだろうがそのままになる。


ブルートは良くなることよりも目先の面倒さをいかに避けれるかばかりに注力しているようで、だから私と関わらないのはいいけれど、今回も私情で動いているだろうことは容易に想像できた。


ちなみに大御所たちは全然違っていて、何だかんだと言っても最後に私が英訳をすると見通しの立つものは、早々と私もメールの一員に入れて連絡を早い段階で取ってくれる。


ブルートは下っ端の何の肩書きもないくせして、本当にアホな段取りをしていて、周りを色々怒らせたり不快にさせている。


私だけが被害者ではなく、色んな人たちがブルートの仕事の在り方に対して、おかしいと思っているし、陰でヒソヒソと言われたりしている。


話を戻して、とにかく今回は育子さんだけでするにはあまりにも無謀どころか不可能だし、絶対的に複数で担当しないとまずいことがわかっているのに、なぜかブルートは係長と育子さんにだけ連絡するという非常におかしな連絡をしていた。


さらには、ただでさえ納期が短いのに、日本語の原稿もギリギリか期日を過ぎることもあると普通に悪びれず当たり前かのように書いてあった。


もう完全に舐め腐った仕事の仕方をしていた。


私は頼まれ方も腹立たしかったし、そしてどう考えても面倒だし、それで間に合わないとなれば残業できるのは私だけだから私に間違いなく大変な英訳が回ってくるのもわかったけれど、そんなのブルートだって絶対にわかっているけれど、係長と育子さんにだけ話して終わらせようとしている。


この一連のことで

係長:中身を見ずに相談もなしに勝手に納期を決めたこと

Mr.ダンディ:大型案件なのにブルートが部長に相談しない姿勢

をそれぞれ指摘していた、私との会話で。


Mr.ダンディがすかさず部長に、今回の大型案件は普段の英訳とは全く違って、本当に難解且ついくつもの配慮が必要であること、よって原稿が遅れるなんてのは論外で、できたものから順次原稿を回して英訳を開始しないとまずいことをメールでも口頭でも伝えていた。


私もどのように使われるのかを実際に自分の目で確認して、「超絶やばい」ことはわかった。


今回は全国兼世界規模の某イベントに必要な英訳で、いつもとわけ違うのは私だってすぐに見てわかった。


2年に1度の開催らしいけれど、今回はコロナということで会場開催はないのかあっても小規模で、あとは世の流れに倣ってオンライン開催となるらしい。


だからいつも以上に神経を研ぎ澄ましてやらないといけない状況だと思うけれど、ブルートは単なる仕事の1つとしてしか見てないようだった。


ましてやMr.ダンディがそこまでやり方に対して部長に口を出してくるなんてまずなくて、それだけでも異例だったし、そしてその後社長が青い顔をして部長のところに飛んできたらしい。(社長はしょっちゅうMr.ダンディにあれこれ相談している。)


Mr.ダンディの鶴の一声でだいぶ事の重大さが発覚したんじゃないのかと思う。


とかいうことを、なんとブルートは、意図的なのか偶然なのか、Mr.ダンディが加わってからのメールの中には入ってなくて、さすがに私はそれはまずいだろうし、本人が担当なのに事の重大さを知らないって絶対に良くないと思って、係長にメールを転送した方が良くないですか?と言ったけれど、本人の性格がややこしくて角が立つだろうから転送しないと言われて終わった。


えっ!?って思ったけれども、もう何を言ってもダメだと思って私も下がった。


私はせめてブルートに事の重大さを知って欲しいし、それを知ってもその仕事のやり方を通すのか本人に考えて欲しいとかなり思ったけれども(期待しても無駄とは知っても、本当にあまりにも英訳の仕事を軽んじているから、だからさすがにMr.ダンディがそこまで口出ししてると知れば少しは背筋が伸びるだろうと思った。ちなみに長い物には巻かれろ体質)、それも叶わず。


代わりに、係長から部長に、こういう大型案件で責任重大なものは部長を必ず経由してブルートに仕事の割り振りをするように部長から話して欲しいと頼んだら、普段ならわかったとなるような人がなぜか今回はそもそも依頼してきた本社の事務方の人のやり方がまずい、ブルートも今回は振られて可哀想なんだという話に変わって終わってしまったとのこと。


ということで、ブルートはこのまま誰からも仕事のやり方を本人も聞かないし周りも注意しないしで、終わっていく模様。


私的感情で私を毛嫌いするのは構わないけれど、仕事そのものはやらざるを得ないところは割り切ってやれよ!と思う。


本気で超超超腹が立ったけれど、色々整理していくうちに1つすごいことに気付いた。


自分の怒りが収まらず、風呂にノートを持ち込んで色々と書いて吐き出した。


・大事なことを教えてもらえない

・仕事の段取りがおかしいのに、それを誰も指摘できる人がいない

・いざという時の味方がいない

・ぐちる相手もいない

・「あいつも押し付けられて可哀想」で上からも終わらせられて、確実に本人にできることがあるのにそれも気付かないまま

・成長するチャンスを自らつぶしている


逆に考えてみた。


私の場合、本当に強烈な案件ばかりが雪崩のようにやってきているけれど、


・大事なことを教えてもらえてる

・仕事の段取りがおかしい時は、周りが丁寧に教えてくれる

・いざという時は必ず強い味方が誰かしらいる

・ぐちる相手がいる(今日も昼休み愚痴ってきた)

・何せやらないといけない状況が常だから、やらざるを得ないのもあって、できることには目をつむりたくても気付く

・成長するチャンスはお願いしなくてもじゃんじゃんやってくる


腹立たしいこともあるけれど、結局のところ、本当に恵まれているし、なんだかんだで助けてもらいまくっている。


ブルートは、本人の卑屈さやヤラシさ、さもしさ(心がいやらしい、あさましい、自分だけ得をすればいいという気持ちが見えすいていることなんかを指す、って辞書にあった)なんかが際立っていて、そこに気付いている人たちはみんな関わることを避けている。


表面的には滞りないように見せて、実際はみんな避けて関わらないようにしている。


そこまで気付いたら、腹立たしいは腹立たしいけれども、どちらか選べと言われたら私は間違いなく自分の状況を選ぶ。


ブルートからの仕打ち的なものは酷いけれど、それ以外は本当に恵まれているし、事情を話せばよほどバカな人でない限り協力してくれたり力を貸してくれる。


反対にブルートの状況は、本当に寂しくて虚しくて、さらには仕事がやりづらい。


しかもよくよく考えたら、今回は千載一遇の実はチャンスで、Mr.ダンディが目の前にいる状況で色々フォローしてもらえるどころか、全体の流れを多少なりとも把握できるなんて、今年が最初で最後かもしれない。


私は今日、Mr.ダンディと係長と会社の動向を知る社員の方、それぞれに愚痴った。


3人の話を総合すると、今回のイベントは会社の売上に直結するもので、それをまず適当にするなんてこと自体がおかしいことがわかった。


ブルートも担当するのは初めてでも、ブルートが今の場所にいる限り毎回担当するのは避けて通れないだろうから、今年は「初めて」を盾にして、堂々と周りにヘルプを求めることもできれば、やっていて上手くないことを上に相談することもできる。


なんなら「武士俣が使いにくくて仕方ない」と愚痴たって構わない、大真面目に。


そう言ってもいいから、少しでもやりやすいように周りを巻き込んで段取りを組むことなんかいくらでもできる。


ましてやMr.ダンディは若手には絶対に無理な交渉事はさせないから、立場で物を言える場面の時は若手の代わりに上と交渉して、全体の流れを整えることまでしてくれる。


だから本当は今年はかなり恵まれた状況にあるにも関わらず、ブルートはとりあえず目先の楽さを取って、せっかくのチャンスを自ら潰している。


今回だけなのにな、「初めてなんでわからないので教えてください」って言えるの。


次からは「前回やっただろう。自分で資料確認して段取り組め」と言われる。


もしくは1回やったという理由で完全に1人作業になるかもしれない、かなりな高確率で。


さらにMr.ダンディという本当に全体の流れも英語も技術も営業もオールマイティにわかる人がすぐ隣りにいるなんて、今回が特例中の超特例なのに、何でそこに相談なりお伺いなりに行かないのか意味がわからない。


私なんて、やるだけのことをやったらあとは全部Mr.ダンディに見てもらおうと今から思っているのに。


そんな会社の売上に直結するようなものを、状況を全く知らされていない私みたいなのが担当して終わりなんて危なさ過ぎる。


ちなみに育子さんだけで終わるのもそれは同じで、そもそもそんな会社の一大事な案件を状況を知らない係長と育子さんだけに知らせて依頼してること自体がおかし過ぎるし、それこそ私は省いても部長やMr.ダンディ、社長を入れての段取りの組み方をしないのはおかしい。(対外的なものは、社長も積極的どころか毎回キッチリと関わるし、普通にそういう内容なら相談もしやすいだろうに、私でさえもその対外レベルなら直接聞きに行くのに。)


本当に納得もいかなければ、ものすごくイライラしたけれども、色々並べて見てみると私よりもブルートの方がめちゃくちゃやりにくいのかもしれない。


私は自分の状況も嫌だけどまだ耐えられるし、最悪逃げれば(仕事を辞めれば)いいと常々思っているから、別にそこはどうとでもなる。


そして、少なくとも助けてくれる人や話をうんうんと聞いてくれる人がいるから、ブルートのことに目をつむれば(他も不具合は時々あるけれど)、おかげさまでそこは何とかなっている。


でも、ブルートの状況は超やりにくい。


「孤独」だとも感じる。


自業自得だけど、とにかく周りは仕事として大事かどうかを基準にブルートと情報共有をせず、本人の気を逆撫でせずに穏便に進められるかどうかを見て判断されたり、絶対に面倒になりそうだからと言って変に気遣いされたり、はたまたおかしいことでも本人の面倒な性格ゆえに周りも何も教えなかったり


そんなの仕事のクオリティが下がるだけだし、本当の意味で困るのは自分なのになって思う。


そんなこんなを思ったら、私は何にも自分が危ういとは感じなくなってきた。


ブルート1人の精神的破壊力は凄まじいものがあるけれど、それ以上に私は確実に恵まれている。


そしてこんな風にブツブツ文句を言いながらも、状況を整理したり、自分の心の安定を図ったりする、そういうことができる自分で良かったなと思っている。


本当に今日の日中は、怒りが爆発してとうとうブルートや部長に食ってかかるんじゃないかと思ったくらいに怒りが充満していたけれども、こうやって少しずつ良い方に向かえるようになってきて安心したしスッキリしてきた。


ブルート案件はしばらく付き合うことになりそうだけど、そこはもう私の方がうんと恵まれていることを何百回と思い出して、そしてこれさえ終わればまた関わらなくて良くなるから、その時のお祝いを自分に用意しながらなんとかやり過ごそうと思う。

2020年10月25日日曜日

自己分析ートピック:婚活

私が婚活をしない理由。


この間占星術講座のクラスメイト、ノムと話した時にそんな話になった。


ノムの女友達の1人が最近婚活をしてデートをしているらしい。


それが実に本人に似合っていなくて(ノムはそのことをストレートに本人に伝えた模様)、その話をしてぶっしーはそういうことをしない、もちろんぶっしーの本心は知らないけれど、自分1人でいることの強さがあるみたいなことを言ってもらった。


ノムと電話が終わった後から、私は初めて「何で婚活をしないのか」ということを考えてみた。


結婚したいなどと言う割に、私は婚活なるものを全くと言っていいほどしない。


なんなら最近も相手がどこまで本気かわからなかったけれど、紹介の話を断った。


色々と条件が厳しすぎるから断ったけれど、これがもし自分に抵抗のない条件だったのなら私は受けたんだろうか?と思うと、それもないと思う。


最近じゃいよいよもう生涯独身をいくんじゃないのかなと思い始めてる。


前は「そうかも」くらいだったのが、今は「そうなるだろう」となってきた。


言うなら前はifだったのが、今はprobablyという感じ。


ちなみに「おそらくだろう」はmaybeが50%の確率で、probablyは80%の確率の時にそれぞれ使うという、厳密にはそういう差があるらしい。


そうと知っても私は婚活をして何とかしようなんてちっとも考えていない。


こんなことダラダラと私の自己分析を書いたところで何それ状態だけれど、とりあえず思いつくままに書いてみようと思う。




(i)自分を変えたくない


多分これが一番大きいと思う。(婚活をしない理由として)


今の日本で一番手っ取り早く結婚に結びつきそうな手段は、結婚相談所だと思う。


実際の成婚率はさておき、「結婚したい意思のある異性と確実に出会える」という意味では、もう結婚相談所以上のものはないと思う。


30代の私は、お金を払ってまで出会うことに意味を見出せないどころか、理解さえできなくて、何で出会いにお金を払わなきゃいけないんだろ?と思っていた。


それがここ2年か3年、婚活ブログを読みあさって、それもありだと思うようにはなった。


なったけれども、そういうものを読むようになってから、ますます結婚相談所スタイルは自分に合わないと知った。


結婚相談所経由で結婚する素敵なカップルたちもいるし、実際に結婚に至った男性女性双方のブログもかなりな人数で読んだ。


本気ですごいと思うし、成婚に至った人たちのリアルな話を読んで、結婚相談所もありなんだなと見方は大きく変わったけれども、それはあくまでも結婚相談所の見方が変わっただけで、自分が登録してそこで活動したいとは相変わらず全く思わない。


むしろ、リアルな流れを知って、本気で無理だとわかった。


結婚相談所というのは、まず外見的なものを整えることをほぼほぼ絶対としている。


そりゃ当たり前でしょ!というところなんだろうけれど、慣れないヒール靴履いて、普段履かない清楚なスカート履いて、化粧も綺麗にして……


そういうことに違和感のある私は、まずそこから自分の調整をしないといけない。


もちろんTPOに合わせてそういう格好が必要ならするけれど、相手に好印象を持ってもらうためにそれを予め毎回のごとく用意するなんて、もうそれだけで相当なストレスになる。


「やりたくない」の一言に尽きる。


そして、結婚相談所の体験談的なものを会員視点からも仲人視点からも色々読み漁ってみて、本当に就活以上に大変なのがわかる。


30歳の時に人生で初めて「就活」と呼ばれるものをリアルにやってみて、応募したのは40社以上にのぼったと思うけれど、その書類1つ作るだけで私は毎回ヒーヒーだった。


あんなの二度としたくないし、本気で苦痛だった。


自分の思ってもないことを相手(受ける会社)に合わせて何とか書くことや、それを実際の面接の時にアピールすること、本気で超グッタリだった。


しかもそうまでして入った会社も辞めたわけで、ますます自分を変えてまで何かをすることに私はものすごく抵抗がある。


結婚は仮に一緒に住んで一緒に生活するとなれば、絶対に歩み寄りやすり合わせは必要で、そういうことに対して自分を変えるのは必要だと思っているからいいけれど、なぜに最初の時に普段着ない服着て靴履いていつ汗で落ちるかも知らない化粧をきちんとして、ってハードル高すぎる。


男の人もスーツなりジャケット着用なりを言われているようだけれど、これは私みたいなズレた人が思うのは、普段の格好よりちょい増しくらいな格好で行くのが本当は一番いいんじゃないかと勝手に思っている。


婚活パーティーなんかに着ていくようなレベルと言えばいいんだろうか。


それの方がその人の普段の感じや価値観、雰囲気が伝わるように思う。


今の会社の男性社員たちはみんないわゆるエリートコースで来た人たちばかりだけれど、何せ毎日工場勤務にありがちな制服を着ているから、スーツなんて着ていない。


たまに出張でスーツを着て出社されてる人がいるけれど、みんなどんなに良い人でどんなに仕事ができる人でも、何せスーツを着慣れてないから「着慣れてない感」が出まくっている。


男性もそんな風なんだから、日本古来のその超かっちりなスタイルは何とかならないのかななんて思う。


ちなみに正装を推す声として

・逆に決まっている方が服を考えなくていいから楽

・きちんとすることで、相手に「きちんとしたい」意志を外見から伝えられる

・きちんとすることで、相手も事前準備をしてくれている、という好印象になる(しないと逆にそれだけで一気にアウトになる模様)

とかいうことが書かれてあった。


もし婚活を本当にするにしても、私の場合は結婚相談所ではなくて、少人数制の婚活パーティーだなと思う。


ちなみに婚活パーティーも苦手で、外見や容姿がものをいうようなところでは、私は底辺側にいるだけあって、きちんとしている男の人は誰彼かまわず話をしてくれるけれども、あからさまに「おまえに興味なし」みたいな人もたくさんいて、そういうことも私は苦手で仕方ない。


何も言われてなくても、相手の態度やふるまいに自分が傷つくのがわかる。


そういうのは本当に嫌だから、だから自分から参加したいと思わないんだろうなぁと自分では思っている。





()出会いは必然と思っている


こればかりは本当にそう思っている。


これはパートナー的な異性ばかりじゃなくて友達やとても近い関係になる人みんなを見てそう思う。


出会いそのものは作るものではないし、作って何とかしようとして上手くいったことは一度もない。


操作するようなものでももちろんない。


長く付き合いのある人たちを見て、長く続いている関係の人たちは基本的に出会いを求めてそうなっていない。


これまで好きになった人たちもそうで、「好きな人が欲しい」と血眼に探して出会ったのではなく、ひょんなことから出会っている人たちばかりだから、そもそも「出会いを探す」ことに違和感を覚える。


もちろんボケッとしていたら出会いが突然舞い込むなんて思ってはないけれど、かと言って探して何とかするものでもないと思っている。





()自分の中の感覚


これは理屈じゃなくて感覚だからどこまで言葉にできるかわからないけれど、できる限り言葉にしてみようと思う。


今回このブログを書くにあたって、私は過去をとにかく振り返ってみた。


私が婚活はもとより、誰かと付き合うということに全くと言っていいほど努力やらがんばりやらをしないのは、自分の中の感覚が圧倒的強さであるからだと思う。


3年前の夏に私の人生に突如現れたイケメン上司は、本当の意味で魂が転生してももう一度出逢えた人だと思う。


魂の感覚、魂同士が再会する感覚ってこんな風なんだろうなぁと今はだいぶ冷静に見れるようになってきた。


魂の再会は決して今の人生におけるパートナーシップとは関係ないと自分を見て思うけれども、そしてイケメン上司と私とがどうこうなるなんてのも限りなくゼロに近いくらい「ない」と思っているけれども、そういうことではなくて、その感覚を一度でも知ったのならそれを上回る異性に出会ってそして双方が相思相愛になるなんて、宝くじで一等を当てるよりも真面目に難しい。


もしイケメン上司に出会わなければ、もう少し私も一般的な結婚の可能性を意識できたかもしれないけれど、今の「知っている」状態なら難しいだろうと思う。


イケメン上司を見ていて感じた感覚というのは、他の誰にも感じたことのないもので、それは今生の中でももう二度は他の人で体験するなんてできないだろうなぁなんて思っている。


もうそれは起こってしまったことだし、時間も過去も取り戻せないから、イケメン上司にまつわる諸々はもう残りの人生の時間で自分が受け取りやすいように消化する他ない、そのように最近なんかは思っている。


それはいいけれど、イケメン上司に感じたような感覚やそれに似た感覚を持てずに誰かと一緒になるなんて想像できない。


要はイケメン上司に出逢ったことで、私の中のありとあらゆる感覚が開いて、それもとても自然な形で湧き出るものだったから、それを上回るとなるともはやどんな感覚だろう?って思う。


世の中にはかっこいい人も生き方が素敵な人もたくさんいる。


仮にそういう人たちから言い寄られるような超おいしい出来事があったとしても(あくまでも仮定の話)、私はイケメン上司の時みたいな感覚にはならないんじゃないかと思っている。


その感覚を知らなければ、私はもう少し誰とでもやっていけたんじゃないかと思う。


だけど、それを一度でも知ったのならもう後戻りはできないし、そして悲しいくらいに一緒に生きることのない相手であっても、だからと言って感覚が消えるわけでもなければ、思い出せないくらいな状態にも全くなってくれない。


最近じゃ、イケメン上司が私の日常にいるいないなんて関係ないんじゃないかとさえ思っている。


感覚だけがいつまでも残って、それは究極本人が生きていようがそうでなかろうが、その感覚だけが未来永劫続いていく、それも深い意識の部分でずっと存在していく、そんな風に思っている。


思っているというよりも、今がそうだしこの3年も自分じゃもう少しどうにかなるものかと期待したけれども、そこは恐ろしいぐらいに期待がことごとく裏切られ打ち砕かれて今に至る。


この感覚や存在感がある限り、それをうんと超える誰かに出会うなんて、本当どんな確率かと思うし、さらにはそういう人に出会えたとして、その人が私と一緒にいたいと思ってくれるなんて、もはや宝くじ一等を2回連続で当てる確率以上に低い。


そのくらいに思っているから、自分が感じたような気持ちや感覚になる人と出会うなんて、本当の本当に難しいことだとわかる。


悲観したりネガティブになっているのとも違う。


今の私ができる最大の力で客観的に見て分析してそのように感じている。


この世にはたくさんの男の人たちがいるけれども、そしてイケメン上司よりも素敵な男性だって確実にいるけれども、そういうことじゃない。


「この人魂友(たまとも)だから!」


(友達じゃないけれど、わかりやすい感じで出てきた言葉がそれだった(苦笑))とわかるようになっているんだと思う。


イケメン上司は、自分が人生で出会った誰よりも違っていた。


そして、イケメン上司に感じていたような感覚は他の誰にも感じたことのないもので、今になってみれば、あれこそが魂の繋がりを示すものだったと思っている。


私も特に何もしていないし、イケメン上司だって何せ仕事中だから普段通りだったと思う。


それが突然何か色々間違えたかのようにスイッチが入って、そこからは何が何だかわからないまま色んなことが激変した。


向こう側は知らないけれど、私側は何が何だかわからないくらいに凄かった。


「すごい」よりも「すさまじい」の方が言葉としてピッタリな感じなくらいに、強烈だった。


付き合って互いに化学反応が起こるならわかるけれど、付き合ってもいなければ個人的やりとりも皆無で、よくぞそんな状態でそこまでのことになったなぁと思う。


だからこそ余計と魂の関係由縁の色が濃いように私は感じている。


むしろこれはたられば妄想だけれど、イケメン上司が文字通りイケメンな上に、イケメン行動+スマートなコミュニケーション+面白話わんさか、みたいな感じだったら私はその表面的なところだけ見て、他の男友達同様に性差を超えた関係なり「職場の男性の1人」なりに落ち着いたんじゃないかと思う。


イケメンで仕事ができておしゃべり好きで紳士的なふるまい、と非の打ち所がなければ、もはや私の中では高嶺の花どころか「友達になれたら超ラッキー!」くらいな感覚にしかならなかったんじゃないかと思う。


コミュニケーション皆無に等しかったからこそ、自分の心の動きや全身全霊で感じる感覚なんかに集中したくなくてもじゃんじゃんと出てくるからそれに目を瞑り続けるなんかできなくて、それでわかった。


そして今も当時とそんなに変わらないままこんな風になっている。


変わったのは、イケメン上司が目で見えるところにはいない、そのことだけと言ってもいいくらい。


今なんて色々妄想が重なってそしてあまりにも毎日のこと過ぎて勝手に脳がイケメン上司の存在を自動刷り込みしてるだけじゃないかとさえ思わなくもないけれど、だってよくも知らない人のことが会えなくなってから延々と3年も自分の中に居続けるなんて相当おかしなわけで、私はそういうことを望んだのとは違う。


もっとごく普通のパートナーシップなり結婚なりの形の方がわかりやすくていい。


そしてそういうものの方が人間としての幸せ度も高い。


こんな魂の修行やら自己鍛錬みたいなのは私からして苦行でしかなくて、もっと普通の幸せが欲しいんだけれどなぁと相変わらず婚活する気もないくせして、そういうことだけは一丁前に思う。





()未来の自分予想&自分への希望


書きながら思ったけれども、こういうことさえも全て通り過ぎて、そして本当にいつか宝くじ一等が2回連続で当たるよりも確率の低いまさかの確率で、誰かと相思相愛になって一緒に残りの人生生きましょ、そうしましょ!みたいなことになったら

(想像するのはタダな上自由!)


私は絶対に相手の人を大切にするだろうなぁと思った。


自信がある。


これだけ色々あっても、尚私みたいな人と一緒にいたいなんて言ってくれる人は、本当に神仏級だと感じるし、よくぞそんなすごい決断をしてくれました!!!、って本気で思う。


そういう風に相手を大切にしてるだろう自分がすぐに思い浮かべられたことで、自分に安心できる。


少しだけ明るい希望が未来の自分に抱ける。


もし、残りの人生で誰かに出会えたのなら、その時の私はその時の私でなんとかなるんじゃないかと思う。




未来の自分への希望はかなりシンプルになつてきて。


イケメン上司との心の距離感とでも言えばいいのか、それともイケメン上司にまつわる色んな自分の心の中のこととでも言えばいいのか、その辺りはよく自分でもわからないけれど、いずれにしてもその自分と上手く付き合えるように、可も不可もない距離感を掴めるようになりたいな、と思っている。


イケメン上司の登場は、本当に人生のご褒美みたいなもので、これから先、イケメン上司も私も普通に何十年とそこそこ生きるのではないかと勝手に思っているけれど、仮にあと何十年と生きたとしても私の生きる世界にイケメン上司が再登場してくれるとか、反対に私がイケメン上司の生きる世界に入れてもらえるとか、そんなことは宝くじ一等を10回連続で当てるよりもないと思い始めている。


今はまだ正直どう自分を保てばいいのかわからないし、どうこのこと全てに向き合うと自分が楽になれるのかもわからない。


だからこそ、程良い距離感とか心の中で自分が楽に呼吸できる感じとかを見出したい。


例えば、イケメン上司が結婚した、と聞いても私の心の中はそんなに大きくいきなりは変化しないと思う。


相手側の状態や気持ちはもはや関係なくて、私が私の中にある色んなものとどう向き合うか、それに尽きる。


だからそのことで自分がこんな風にああでもないこうでもないと言い続けるような感じじゃなく、これでいいんだと思える心の状態を獲得したい。


それは宝くじ一等と違って、現実的に手に入りそうだから、私はそのための労力は全く惜しまないし、今よりも楽になれる在り方には超絶興味がある。


多分イケメン上司のことは生涯忘れることはないと思う。


その忘れることのない存在と自分の心との微調整をして、そして今よりも健やかに穏やかに過ごせるようになれたのならいいし、そしてもう会えなくてもそれが何か?と言わんばかりに気にならないくらい生きることに集中できたのならスーパー御の字だと思っている。





(番外編)


このことを書く少し前に、社内のイケダン(イケてる男性、略してイケダン)さんがとある女性に夫婦間の悩みを聞いてもらっていたことが判明した。


女性側当人から聞いたから噂ではなく、本当のこと。


私は素知らぬフリを通しているけれど、正直な気持ち、それを聞いてとても残念だったし、夫婦間のことを赤の他人に話されて、さらにはその相手というのが美人だったり可愛い子だったりすると、さらに心がキュッとなりそうだった。


自分のことではないし、全く関係のない立ち位置に私はいるけれど、それでもなんだか心がささくれ立つみたいな感じになった。


顔良し性格良しなイケダンが自分の夫なり彼氏なりになると、そういう心配もしなきゃいけないのかと思うと顔や容姿は非モテ系の方が自分が安心できていいなぁなんて思ってしまった。


そんな心配は全くもって不要だけれど、もしイケメン上司が私と付き合うとなったとしても、そういう心配も常に付き纏ったのかと想像すると、心の平穏のためには今の状態で大正解だったんだな、なんてアホなことを考えた。

2020年10月21日水曜日

㊳【おいせさん手帳】太陽の光入りコーヒー




上の絵葉書の詩に合わせて選ばれていた切手
もらった時、ものすごくテンションが上がった。




おいせさん手帳第38回目

担当:私


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



10月21日 


開運ごはんで英気を養おう。

一粒万倍日


あなただけの「開運ごはん」を用意してみませんか。丁寧に淹れた一杯の珈琲、いつもより丁寧に研いだ炊きたてごはん、ちょっぴり贅沢な食材や調味料を使ったひと品など、身近な食べ物で作ることができます。自分の中に良い気がみなぎることをイメージして、あなただけの開運ごはんを一粒万倍日や他の吉日に用意するのも開運に繋がります。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



コーヒーにまつわる素敵レシピがある。


飲むのはインスタントコーヒーだったけれど、とっておきの下準備が当時の私は大好きだった。


一人暮らしを始めた時に買ったホーロー鍋がある。


本当にありとあらゆるシーンで使いまくった鍋で、今も私のいつか使う楽しみにずっと取ってある。


たった1つのホーロー鍋を買うにもいくつも店を回って、ネット検索もして、本当にとっておきのお気に入り鍋だった。


その鍋は主にやかん代わりにお湯を沸かすのが一番多い使い道だった。


ある時、お気に入りの絵描きの方の食べ物にまつわる絵本を買って、その中のレシピにコーヒーの話が出てくる。


そのレシピでは、鍋に水を張ったらその水をおひさまの光を浴びさせてからそれから火にかけようというようなものだった。


これがもっと素敵な文章で描かれていて、私はそのレシピを気に入って、早速その時からホーロー鍋にコーヒー1杯分にあたる水を張るとベランダに出て、陽の光を水にしばらく当ててそれから火にかけていた。


それをしたから味が変わるかどうかなんてさっぱりわからなかったけれど、その一連の行為が大好きで私はしょっちゅうやっていた。


開運に繋がったかどうかはわからないけれど、自分の心が豊かになるのはいつも決まっていた。


そう、自分が満たされるその感覚が好きで私は飽きずにしょっちゅうやっていたんだと思う。





ちなみにその絵描きさんのことを初めて知ったその日のことも憶えている。


私の当時の住まいは、名古屋ドームから何駅も行かないところだった。


名古屋ドーム前には大きなショッピングセンターがあって、そこというのが色んな用事を足すのにとっても便利で月1くらいの頻度で通っていた気がする。


その名古屋ドーム前の駅からショッピングセンターに通じる通路の途中に図書館や市の文化センター的なものがあった。


そしてその建物の前には色んなイベントのお知らせの色んな大きさのポスターやA4の紙やらが所狭しと貼られていた。


名古屋ドーム前のショッピングセンターの最後は、中のスーパーであれこれ買うのがいつものスタイルで、その時も手がちぎれるかと思うほどの荷物を持っていた。


一刻も早く帰りたい一心で歩いていたらその掲示板の前を通り過ぎた。


通り過ぎたのになんだかとっても気になって私は重たい荷物と共に戻ってきた。


なんだか気になったその小さな小さなポスターはハガキ大の大きさで、いわゆるダイレクトメール、DMと呼ばれるものだった。


中の案内はさらに小さな文字になる。


なんだけどとっても気になって、私はその展示を後日見に行った。


展示が良くてさらには本人にも会える近隣の町のカフェにいつかの週末行ってきた。


その時簡単に話を聞いて、その場で真っ白なハガキに小さな詩を添えて絵を描いてもらえるサービスがあった。


有料だったそのサービスのお金は全額東日本大震災に寄付されるとあって、本人の儲けゼロなのにそのことを楽しくやっているその絵描きさんは本当に素敵だった。


その時話を聞きながら口にしていた話も忘れられない。


そうやって話を聞いてハガキに絵や詩を描くことをずいぶんと長い時間やっているとのことで、それをこんな風に話されていた。


目の前の人と会うのは本当に人生の中の一瞬でしかないけれども、その人が生きてきたそしてこれからも生きていく人生のある1ページを話を通じて共有してもらえる、それがたまらなく好きだみたいなことを言っていた。


その時間を本当に大切にしていたし、生き方や考え方も本当の本当に素敵な人だった。


仕事も面白くて、1年先の仕事が決まっていても来月の仕事は何も決まってない、そんな感じでいつも物事は進んでいく、そんな風にして生きていると言っていた。


その場で描いてもらった絵は後日展示に使われた後、私の元に郵送で送られてきた。


その展示も見に行った。


自分のために描かれた1枚が他の人たちのために描かれた絵葉書と一緒に並べられていた。


1枚1枚全部違っていて、全部違っているけれど同じ空気の中に存在していて、その違っているけれどひとつにまとまっている感じが素人の私にさえもすぐに伝わる、そういう空気を放っていた。


ちなみにその人の活動はNHKでも特集で取り上げられて特番が組まれたとあった。


NHKからは一番遠いタイプの人種という感じの人だったけれど、やっていることはそれこそ国の放送を使ってでも紹介する価値のある、ものすごく素晴らしい活動だった。


最初のコーヒーの話に戻ると、その数年後私はまた同じ掲示板でその人の新たな展示を知って、その時にも足を運んだ。


相変わらずハガキ大のお知らせにも関わらず、すごい強いエネルギーを放っていて、他のものには見向きもしない私だったけれど、それは隅から隅まで読んで開催日を確認してそして後日実際に足を運んだ。


その時は今度食がテーマで、その場で売られていた自費出版の絵本を私は買った。


その中の一節にコーヒーのレシピは出てくる。


本当に素敵な話満載で、今も手元にある。


名古屋から新潟に持ち帰ってきた数少ない荷物の1つだった。


その本を一生手放さない、というのは買ったその瞬間、なんなら初めて手に取った瞬間から私の中で決まっていた。


それくらいに私には心に響きまくりな絵本だった。


関係ないけれど、その紙ポスター専用の掲示板は、私が名古屋を離れるくらいの時には電子掲示板に変わった。


電子掲示板の味気なさと言ったらなく、もし当時がすでに電子掲示板なら私はその絵描きさんの存在には気付けなかっただろうなぁと思う。


絵やポスターの類いは、やっぱり紙ベースの方が味があるし、確実に伝わるものがある、って思うのは私だけなんだろうか。


それこそメールと手書きの手紙が違うのと一緒で、絵も画面越しに見るのと実際の絵とでは全く違う。


なんならお知らせの紙に印刷された絵と、その元となった実物の絵とが全く別物だと、何度そういう絵たちに遭遇したかわからない。


原画は、全く異次元の創作物だし、絵心や美術なんかちっともわからない私でも絵そのものの力強さや表情はすぐにわかる。


そういうことがいくつも重なって初めて出会えたコーヒーのレシピだった。


今そんなことしたら、親の目と近所の目でおかしな人に映るのは間違いないからそんな風にコーヒーを楽しむことは控えているけれども、いつの日かそれを再開するのをとても楽しみにしている。


そしてこれを書きながら思った。


もっと欲を言えば、そういうことをわかってくれるパートナーの人に出会えたらいいなと思う。


そういう人と人生共にできるなら、私の人生は飛躍的に幸福度が増す()


夢は夢のまま人生の終わりを迎える可能性も多大にあるけれど、夢を見るのはタダだからそういう楽しみを自分にプレゼントするのもいいなぁと思っている。





これを書きながらもう1つ思い出したエピソードがある。


私の小さなベランダでやることはもう1つあった。


天気の良い朝に耳に太陽の光を当てるというもの。


これはある時友達が教えてくれたことだった。


教えてくれたというよりも、本当の本当に私を心配して言ってくれたことだった。


名古屋にいた時も私は何回かニートだった時間がある。


それも数ヶ月単位で。


積極的にニートをしたかったのとは違って、気付くとそんな風だったり、そして生きづらさや社会不適応具合が半端なかったから、そういう自分と社会との折り合いの付け方がわからなかった。


私の場合、社会への適応能力は相当高いと思う。


だけれど、それは自分の中の色んなことを押し殺したり、抑え込んだり、はたまた余計なゴダゴダを引き込まないために自分を偽って社会のやり方に自分を合わせるみたいな風だった。


だからそこそこ適応はできるけれども、自分の中はボロボロだし、当然そんなのはしんどいから社会に出たくなくなる。


そして今はそこを超えられたから本当に楽チンになれたけれど、30代の私は「何もしてなくても自分の価値は変わらない」ことや「何もしてない自分でも十分に価値がある」ことが本当にわからなくて、マックス悩みまくっていた。


そういうことも相まって、私は時々社会生活からドロップアウトして、ほとんど人には会わないようになっていた。


そんな中不定期にずっと会えていた1人がリーダーだった。


リーダーとは地球の裏側ドミニカで出会って、その後お互いに同じ時期に名古屋を発つまで本当にたくさんの回数会った。


ちなみにリーダーというのはブログの中でのみ私はそう呼ぶけれど、実際は普通に個人のあだ名で呼んでいる。


今は九州と新潟で離れているけれども、何かの折にお互いに連絡を取り合っている。


リーダーは私が何回か社会からドロップアウトしている時を知っているし、そしてそういう時も変わらずに会ってくれてた人だった。


いつかの時、リーダーは私に言った。


「ぶっしー、太陽の光あるでしょ。耳の穴に太陽の光を当てるといいんだって!

ぶっしーも時々うんと思いつめる時があるでしょ。うちの母親がぶっしーとは違うけれど、やっぱり思いつめるところがあって、そこがちょっと似てるからさ。で、その太陽の光を知って、うちの母親にも同じこと伝えたんだよ。

ぶっしーも良かったらやってみて」


そう教えられて始めたのが最初だった。


このリーダーのやさしさのこもったエピソードは本当に素晴らしいと今だからこそ余計に感じる。


とても言いにくいことだったり言い方を間違えれば傷ついたり憤慨したりするようなものなのに、リーダーの話はそういうものが一切含まれてなかった。


言いにくいことも本当に気持ちをこめて、そして心配していることもそれが負担にならないどころか「気にかけてるからね」というメッセージが真っ直ぐに伝わる、そういうやりとりができる貴重な1人だった。


私に説教じみたことを言う人たちはたくさんいたけれども、リーダーみたいな感じで何かを伝えてくれる人は本当に一握りだった。


本当に落ちるところまで落ちていたけれども、そういう時でも会えていたのは間違いなくリーダーの人柄のおかげだった。


ちなみに耳の穴に太陽の光を当てるのはすごく気持ちいいのと、たしかに元気になれる気がするから、今でも思いつくと時々している。


鍋の水を太陽の光に当てるのとは違って、はたから見てただボーッと突っ立っていても何らおかしくはないから、こちらは長いこと思いついたタイミングで続けている。





おいせさん手帳の仕事を依頼された時、編集者のAさんからいくつかお願いがあって、その1つがこうした日本古来の開運日をメッセージに織り交ぜることだった。


私は開運とかあまり興味がないけれども、そういう私でも日常の中でそっとやっていることをそのまま書いたのが今日のメッセージだった。


そして、こんなことを後日紹介エピソードで書くなんてのは1年前の自分には想像さえできなかった。


良い機会を与えてもらえたなと感じる。


今になって、絵描きさんのこともリーダーのこともコーヒーレシピも耳の穴太陽の光健康法も、色々と思い出して言葉にできた。


そして、私はこういうことにものすごく価値を自分が置いていることにも新たに再認識した。


ここに書いたことは私だけが知ることで、それをこんな風に紹介できるのも嬉しいし楽しい。


みんながわからなくても、1人でも「それ面白いね!」って言ってくれる人がいたら嬉しいし、仮にいなくても十分に自己満足している。


これ真夜中の2時くらいから4時半前くらいの間に一気に書いた。


最近の眠りのリズムのイレギュラーっぷりにはけっこう手を焼いているけれども、こういう時間の使い方ならなんだか得した気分になれる。


朝スムーズに起きられたら、当時のハガキの写真を撮って一緒にアップしたいと思う。






L(; L)‼︎(°°)!! L(; L)‼︎(°°)!!


朝、のんきにコーヒーレシピの本を開いたら、衝撃の事実が発覚L(; )L


なんと、レシピの中に、お日様のエキスを入れましょう的なことは1つとして書いてなかった。


私は何をどう読み違えたのか、勝手に脳内変換がなされて、太陽の光を鍋に注ぐことを当たり前のこととしてやっていた。


すごい勘違いしたまま今まで来ていたことに衝撃を受けた。


買った日付が書いてあるはず!と思って見たら、2016 04 15 の日付スタンプが押してあった。


かれこれ4年半前になる。


ってことは、名古屋生活も残り1ヶ月半だったわけで、そんな短い期間だけやっていたとは思えない。


もっと長期にやっていた記憶が強いから、もしかしたら別の展示で見てきたものだったのかもしれない


の割に、この絵本の記憶が色濃く残っているけれど


今回のことでよくわかったことがある。


「開運ごはん」なるものは、本人さえその気になれば何でもいいということ。


私の青空コーヒーみたいに勘違いしたままとっておきのインスタントコーヒーを楽しんでいたとしても、その時その時はいつもハッピーで自分はその瞬間ものすごく満たされていた。


だから本当の運気上昇なんていうのがあるとするなら、それは自分の気の持ちようというのがかなり大きいのかもしれない。


それにしても、こんな風に勘違いしてハッピーになれる私というのは、相当お得なタイプの人間に思えてならない。


実際の味は保証できないけれど、気持ちの満足感は高いって言い切れる。




やっぱりおかしいと思ってよくよく見たら、あった!
鍋に水と朝の光を入れるレシピが٩(ˊᗜˋ*)و