2021年7月20日火曜日

パラパラロング徒然記

1年前の7月の夏日に撮影した1枚
この花を見ると、いつもドミニカを思い出す。
色がドミニカのあちこちに咲いてる花の色と
似ているから。



 2021/07/14

(水曜日)


しばらくパラパラと徒然記を書こうと思う。


【合掌】と銘打ったブログを書いていた時のこと。


「生きて会えること」の本当の凄さをひしひしと感じた。


普段息をすること、心臓が動くこと、とりあえず元気なこと、そんなことに感動することはほぼほぼない。


4年前も今も、白髪が増えたとか、腹回りがたくましくなったとか、そういう加齢に伴う嬉しくない変化はあるけれども、それでも生きている。


生きて毎日会えるなんて、当時の私にはこの世で最高のエンターテイメントだった。


イケメン上司と挨拶を交わすこともなく、おしゃべりどころか仕事でも絡みがないから話すこともなく、本当に向こうからしてみたらいるのかいないのかわからないような私であっても、私側は毎日超テンションが勝手に上がっていた。


それもちょい上げではなく、爆上げだった。


会えるってすごいな、と毎日毎日思っていた。


次の日も会えることを疑わずにいられた当時は、本当に毎日が「この世の春」状態だった。


今も引き続き、2日前に永眠したMちゃん所属のLINEが時々鳴る。


本人不在でも旦那さんや親しかった色んな人たちが情報を入れる。


旦那さんから葬儀や面会についての諸連絡が入るたびに変な気持ちになる。


そこにもういない、その事実がテレビとか本の中の話みたいで変な感覚になる。


でも、そうした話が出るたびに、そして本人の言葉が一切ないところに、「本当なんだよ」と突きつけられているようにも感じる。







上のは昼休みに書いた。


ここからは夜の布団の中というか上で。


上の続きもまた書く気でいるけれども、今パッと思い立ったことを。


たしか6月だったと思う。


ある時、私はこれまでの自分スタイルからは考えられないくらいの方向転換をした時があった。


その時さっさと書いておけば良かったけれども、色々モタモタ・バタバタ・ダラダラしていたら、そこがすっかり薄れて、今日なんかはもうまたいつものスタイルどころかさらに上に突き抜けた感じになっている。


もしかしたらその時の方向転換具合をまたガッツリ書くかもわからないから、とりあえずざっくり書くと。


私はイケメン上司に何ができるんだろう?って考えた。


「してあげる」という言葉は本当に好きじゃないし極力使いたくないけれども、ここはわかりやすくするために「イケメン上司に何を私はしてあげられるんだろう」って考えた。


それはもうこの4年という時間を、それが会わなくなった時間の間にも本当の本当にたくさん助けてもらって、もちろんそれは私側の視点であって「俺は何もしていない」と言われたのなら元も子もないけれども、そういうことではなくて、とにかく存在そのものに助けられて救われて幾つもの難所を越える時はピッタリと何かしらのサインが天空なのか神々の審議会からなのかもたらされて、そんな風にたくさん私はパワーをもらった。


それで私はそのたくさんしてもらったことに対して何ができるんだろう、とこれまで考えたこともないことを考えた。


その時の私の答えはこんな風だった。


これからはそっとして、陰ながらイケメン上司の無事だとかしあわせだとかを祈ること。


それが私にできる最大のことじゃないかと思った。


さらには「そっとする」の中には、今みたいにブログに赤裸々に色々書いて、相手を動揺させたり負荷をかけるようなことも控えた方がいいかなと思った。


ブログは続けるにしても、もう今後は極力書かないことが本当の意味で相手に寄り添うことかもしれないと考えた。


本気でできることはそれくらいだと大真面目に思って、ブログの書き方も考えなきゃだななんて思っていた。


ところが今はガラリとまた変わって、ブログも書くしなんなら連絡をしてもらえるような何か算段を取ることができないかなとまで考えている( ̄∀ ̄;)




2021/07/15

(木曜日の昼休み)


上に書いたことの続きを書こう。


本当にひっそりとイケメン上司に向けて祈ることに専念しようと大真面目に考えた。


お願いなど何もされていないけれども、自分にできることと言えばそれくらいしかなくて、そしてそれこそが本当に良いのかもしれない、と何日間かはそんな風に考えた。


ところが、今回の私より確実に若いMちゃんの訃報を聞いて、それがまた一気に変わった。


「生きているうちに1回は連絡を取れるようになりたい」


言葉にするとそんな風だけど、ものすごく確固たる願いが自分の中に出てきた。


Mちゃんとやりとりしたシーンが2つほど強く残っていて、深夜の吉牛(吉野家、熊本)でみんなでカウンターに並んで飲んだこと、そしてもう1つはMちゃん・グチオ・私の3人で結婚式の最中か何かに並んでいた時にMちゃんがグチオのことをからかっていたこと。


どちらも何てことないシーンなんだけれど、もうそういう時が二度と訪れないんだなと言いようのない重苦しいものが湧いた。


電報の件で取りまとめをしてくれているリーダーにも個人的にお願いとお礼の連絡をした時に、リーダーから、知ったその日しこたま泣いたと返ってきた。


リーダーたちは1年くらいドミニカで重なっていただろうから、思い出の内容も量も半端じゃない。


自分とリーダーで置き替えたらわかる。


そんなこんなを思う時、私はこのままイケメン上司と何も連絡を取らず、何も交わらず、いつかの寿命の時に何事もなく終わっていくと想像したら、それは絶対に嫌だとわかった。


それだけは避けたい、避ける方法が現状なくてもそれは嫌だと心の底から思った。


本当に執念みたいなもので、このまま死期を迎えることになったのなら、私の中には後悔しかない。


何としてでも連絡を取り合いたい。


色々やる気がない私だけれど、イケメン上司のことだけはひっそりこっそり祈るなんていうそんな奥ゆかしい感じではいられない。


せっかく出逢えたのにね、と思う。


付き合おうとかデートしようとかそんなすごいことを提案してるのではなくて、本当に少しでも時間を分けてもらえないかと思う。




2021/07/16

(金曜の朝5時台)


見事なスイッチの入り方だった。


これまではなんとなく「連絡があったらいいな」みたいな、七夕の短冊に書くような、そういう感じの願い事だった。


この数日で願い事ではなく「実現して欲しいこと」みたいに変わっている。


どうやって?とか、プランとか、そういう具体性はすとんと抜け落ちているけれども、気持ち側は真剣になった。


実現性の乏しさは否定しない。


「そんなの無理でしょ」レベルだというのも重々承知している。


でもそういうことよりも、いつか絶対に終わりがくる人生の中で「本当に何も交わらない」という選択肢が私が本気で望んだことではない、というのはわかった。


これは私の欲目もあるし、そうだったらいいなという願望でもあるけれども、少し踏み込もうと思う。


バロメーターがあって、それは関わり合いになりたい度合いを示すもので、左側が0%、右側が100%だったとする。


イケメン上司が私のブログをチェックし続けてくれる理由の中に、もはや「私を無視し続けたい」というのはないように思う。


そうではなくて、イケメン上司も本当は連絡をしたいんじゃないのかなと何となく思う。


これまでの武士俣測定によると、バロメーターは0%、もしくは針がそこを突き破ってマイナス側に触れてるくらいにも思っていた。


でも今は、限りなく0%側だったとしても、0ではないような気がする。


連絡を取り合うというよりも、やりとりをしておきたいみたいな、そういうのが何なのかはよくわからないけれども、そんなことを感じる。


本当に全てがどうでもいい、無関心一択なら、今ごろ私のブログには見向きもしなかったと思う。


いまいち興味の方向性がわからない記事も読まれてる風ではあるけれども、本人出演の記事が読まれたとわかると、そこは何かこう意思表示みたいなのを感じる。


少なくとも私には、記事の詳細はすぐにはわからなくても内容がイケメン上司にまつわる何かだというのはわかる。


それももうこのブログの中で耳ダコ状態で言い続けているから、バレたくないと思えば見るのを避けると思う。


でもそうじゃない。


じゃあ何だと考えると、そこにはイケメン上司にしか今のところわからないけれども、何かしらの意思がある。


「意志」だと志になっちゃうからあえて「意思」の漢字を選んだけれども、そういうことはどちらでも正直良くて、本当に何も思ってないし感じてないとはもはや思ってはいない。


私も好きなブログは何年でも追っかけをするからイケメン上司が見るのも単に面白いとか興味深いとかなのかもしれない可能性もゼロじゃない。


でも今はそう思うよりも、イケメン上司もイケメン上司で言葉にできなくても何かしら意思の作用が働いて「ブログをチェックする」ことを選んでいるんじゃないのかと思う。


長い文章たちをくまなく読んでいるのかどうかはわからないけれども、とにかく複数回どころかもっと多くの回数を重ねたものについては、もはや単に読みたいとかそういうのとは違うと思う。


そりゃ連絡を取るのはとてつもなくハードルの高いことだと思うけれども、なんかこのままは嫌だなと私は思っている。


供花の連名リストが昨日グチオからグループLINEで入ってきた。


それを見た時に、当たり前だけれど、1ミリもふざけていない、こんな超真面目な社会性発揮しているグチオなんかこの15年近い時間の中で一度も見たことがないから、それがもう冗談でも嘘でもないとわかった。


Mちゃんは、もう本当の本当にいないんだというのがわかった。


それをひしひしと見えないところで感じる時に、自分の今に置き換えて、「私は何を望んでいるんだろう?」と思った。


とりあえずイケメン上司の意思とかは無視して、私のことだけに専念して言うと、私はひっそりと遠くから無事を祈り続けたい、ではなくて、連絡を取れるようになりたい。


緊張のあまり言葉に詰まって沈黙とか、おかしなことを口走りまくって支離滅裂とか、あまりにテンパっておかしな表情とか、ありとあらゆる負の反応はいくらでも想像できるけれども、それでもいいから私は会って話がしたい。


「もう一生会えない」は本当に嫌なんだとわかる。







上の後半、4つくらいの文章は今日の昼休みに書いた。(金曜日の昼休み)


久しぶりにカツカツの納期から解放されて金曜日で残業もなくて、心は週末に向かってウキウキしながら、私は廊下の窓の前を通るたびに「私の望んでいること」を改めて感じ取ってみた。


やっぱり「会いたい」の一択以外になかった。


手段もないし連絡も取れるわけじゃないし、現実的に考えたら絶望的としか言えないけれども、やっぱり生きているうちに会いたい。




2021/07/17

土曜日の午前中


これまで書いたことを一通り読んで、うわ、これ、勢いに任せないとアップ無理!!!、と思ったから、今日か明日にでも勢いに任せてアップしようと思う。


昨日金曜の夜、友達のノムと電話した時にノムが言った言葉が本当に素敵で尚且つ励まされた。


ノムが「自分の感じることに不正解ってない」と言った。


ノムは最近書く方のお仕事がいくつか立て続けに舞い込んでいて、ノムはそのいくつか書く中で「自分が感じること」をそのまま言葉にして起こしている。(作品の紹介をするのが本来の依頼で、ノムの感じたことを書いてください、という依頼ではないものに対して自分の感じたものを挟んでいる。だからノムからしても一か八かの賭けで、ダメと言われたら書き直す覚悟でいつも提出していると言っていた。)


その自分の感じることが世間や他の人から受け入れられるかどうかはまた別の次元の話だけれど、「少なくとも自分が感じてることに不正解はないじゃない?だってそれが自分が感じてることなわけだから、それは嘘もなければ、それこそが自分の純粋な反応なわけで」みたいな話をした。


ノムのその言葉は真っ直ぐに自分のところに届いて、忘れると悪いと思って、とっさに近くにあったノートにそれを書き記した。


ノムの話を聞きながら、この今のブログのことが頭をよぎった。


そうだ、これだって「不正解」は存在しないんだ


私の暴走気味な言葉というか心の中はさておいても、それらどれ1つ取っても不正解はない。


正解かどうかはわからないけれども、不正解では絶対にない。


少なくとも私自身が感じたままなわけだから、それで合ってる。


だからこのままアップしてしまおうと思う。(この後のことを書いたら)







最初のテーマに戻る。


【・◯◯さんがいる、生きてる、と感じる】


ここをもう少し膨らませて書きたいと思って、このブログを書き始めた当初から上のメモをずっと残しておいた。


イケメン上司が生きてると確認することは、当時から毎日の日課だった。


「今日もいる」よりも「今日も生きていて元気に会えてうれしい」というのが毎日の私の感覚だった。


「生きている」ことが全く当たり前ではなくて、命あってこその今日で元気であることが何よりも大事な条件だといつもいつも思っていた。


病気でもないのに、そんな風に毎日思っていた。


本当に不思議な感覚で、今の方が年齢も上がって確実に残り時間も少ないのに、今は全くそんなことを考えない。


でも当時の私には、とにかく生きて会えることの凄さを毎日ひしひしと感じて、これはお互いに命あって元気じゃないと叶わない時間なんだと思っていた。


生きて会えること。


それは全くもって当たり前のことではなく、本当に1つとして狂いなく体調やら何やらが整っていないと実現しない。


そんなことを感じたのは、人生でイケメン上司が初めてだった。


特別な関係どころか同じ職場の人間同士というくくりさえかなり無理めな関係、というか関係と呼べるようなものは皆無に等しかったけれども、そんな間柄とも呼べない人相手に私の方はいつも命の凄さと恩恵を感じ取っていた。


今でも普通の関係じゃないなと思っているけれども、当時はもっとわけがわからず、自分の感覚に毎日ビックリしていた。


スピリチュアル的なことを知ってて良かったなぁなんて普段思わないけれども、イケメン上司のことに関して言えば、魂の関係だの輪廻転生だのある程度知っておいて良かったなと思っている。


スピリチュアルのスの字も知らなさそうなイケメン上司からしたら、私などは本当に意味不明な人間なんじゃないかと思う。


色々書いたものに触れてもらったとは思うけれども、未だに半信半疑かもしれないし、未だに意味不明な人間武士俣さんかもしれない。


出会えて良かったとは全く思ってもらえてない気がするし、何が起こっちゃったんだろ?と事件簿扱いかもしれない。


イケメン上司側の反応が何だったとしても、私の方はいつの時も「今日も生きて会えること」が何よりも尊くて大事だったことには変わりない。


そして相も変わらず、このブログがイケメン上司の命のセンサーの役割を果たしてくれてる。


とりあえず生きてるとわかるとホッとする。


(ここからは7/18日曜日)


「生きて会えること」には色んな条件が含まれる。


人類の歴史がどのくらいなのかはわからないけれども、同じ時代に同じくらいの年齢でそれぞれ生を受けるということが、まずは天文学的な確率だと私は思っている。


さらに、性別も違えば生まれ育った町も遠く離れていて、趣味や興味の方向性などどこにも共通項が見当たらない者同士の場合、普通には出会えない。


その仕事が決まる時まで、私は自分がとある理系分野の企業に行ってそこでコピー取りや書類の整理をするなんて、全く想像していない現実だった。


だって私が出した条件は、

・長期雇用前提ではないもの

・家から通えるところ

・希望する最低限の時給

くらいなもので、それによって提案された仕事がイケメン上司がいるところの職場だった。


まさか求人案内に

「魂繋がりの相手とドッキング」

なんて書いてあるわけがない。

(書いてあったら逆に興味津々で申し込んだけれど())


しかも見て申し込んだわけじゃなくて、派遣会社の人から電話が来て、それで案内された求人だった。


そんな風にして決まった仕事で、当たり前だけど仕事だからそこに何かを期待することもなければ、まさかの自分の人生が激変するほどの出逢いが控えているなんて、全く想像していないことだった。


「今日も生きて会えること」を現実のものにするのに、どれだけ見えないところでの調整が行われていたんだろうと想像すると、さらにすごい確率で全てが成り立っていたことに驚く。


そしてその奇跡が起きたことに、私は今でもとても救われているし心から感謝している。


引き合わせてもらえて本当の本当に良かった。







何日か前にFacebookにいいねが付いたのか、そのような感じのお知らせメールが来た。


なんだか気になって2時間くらい前にさっと見てみた。


いいねとかその辺の機能はイマイチよくわからなかったけれども(色々進化してる風で、全く見てない私にはわからない機能だった)、それよりも驚いたことは別のところにあった。


その新いいねみたいなことをしてくれた人が誰かわからなかった。


で、色々見てみたところ、恐らくだけれど、過去に接触のあった方だと思う。


「だと思う」と書いたのには理由がある。


意図は知らないけれども、その方は名前の一部を改名していた。


もしかしたら、仕事の時にだけ使う名前なのかもしれないけれども、とにかく名前の一部が変わっていた。


それを見て私は初めて気付いたことがあった。


もし私がこのブログを本名以外の別の名前で発信していたとするなら、絶対にイケメン上司とは繋がらなかったということ。


これまでだって考えなかったわけではないけれども、今回そういう人に当たってみて、もし私が彼女のことを検索するとして、当たり前だけれど私はその子の本名で検索するわけで、でもそれはどうやったってヒットしないことになる。


それってどうやっても辿り着けない、繋がれないことになる。


本名でブログを書くことを私はイケメン上司と出逢う何年も前の開設当初からこだわってそうしたけれども、今となるとこだわったことでまさかのイケメン上司との接点を持つ手段になるなんて、全く想像していなかった。


私が本名にこだわったのは、自分自身と書く時の自分とがずれて欲しくなかったから。


どちらの自分も自分なわけで、もちろん本名ゆえのリスクも考えないわけじゃなかったけれども、それよりも私には自分自身が分離してしまうことの方が嫌だった。


だから本名にこだわった。


自分の知ってる人で名前を意図的に変えた人を久しぶりに見て、もし自分も同じことをしていたのなら「今」の現実はなかったんだと思い知った。


想像したら、かなり嬉しくて自分は今ニヤけてるんじゃないかと思うけれども。


イケメン上司が初めて私のブログを見つけてくれた時というのは、もーしーかーしーてー!!!、というより絶対に、私のフルネームを自分の携帯なりパソコンなりに打ち込んでくれたということ(♡´`)♡


今日このことだけで超良い夢見れそう()


やばい、寝る前なのにテンション爆上げ中!


スマホもパソコンも、勝手に記憶して今だと名前なんか打たなくても履歴とかで私のブログに簡単にリンクが繋がるだろうけれども、初回はそうはいかない。


初回はフルネームで入れないといけない。


しかも私は自分の名前だからよーくわかるけれども、「ぶしまた」も「ふみこ」も普通には変換されないから、新しいパソコンやスマホだといちいち打った後に今度は変換で正しいのが出てくるまで探さないといけない。


さらには、「ぶしまた」なんかは「ぶしまた」フルだと変換が全く効かないことも往々にしてあって、そういう時は「ぶし」でまず変換して、その後「また」を「俣」になるまでいくつかの候補を経ないと「武士俣」が完成しなかったりする。


だから略して入れるとか、一発で変換とか無理だから、否が応でも正しく入力されるまで根気よく変換の候補を見ていかないといけない。


イケメン上司もその過程を絶対に経ただろうと想像すると、それだけでその全てが特別に思える。


佐藤花子とか鈴木和子とか、すぐに変換される名前じゃないことに、人生で初めてテンションが上がった。


普段いつも面倒くさいと思っていたけれども、その面倒くさいことをイケメン上司もしてくれたんだと思うととっても嬉しい。


これはご褒美だなぁなんて思う。







ここまで書いてく中で、途中とあるブログを読んで気付かされたことがある。


私側はイケメン上司がどうであろうと変わらない、ということ。


イケメン上司からどのように思われていても、それが距離を置きたいと思われても、ウザいとは思ってないとは思うけれども仮にそう思われていたとしても、ありとあらゆる負の可能性が本当だったとしても、私の方は何も変わらない。


イケメン上司側が私に良くしてくれようとくれなかろうと、それは関係なくて、私は私の中で大切に思う気持ちを大切にしたいんだと気付いた。


だから意思疎通が全く為されていなくても気にならずにいられるのは、自分側はどうであれ変わらない気持ちがあるからで、それは通じる通じないによって左右されるものじゃ絶対にないから、だからこそ私はここまでどんと構えてられるんだとわかった。


取り巻く環境や普段関わる人たちは変わった。


色んなものが変わる中で、唯一イケメン上司の存在だけが変わらなかった。


会える会えないも超越して、もはや次元の違う圧倒的な存在感に私もびっくりするけれども、それはもう一生変わらないんだろうなぁと思ってる。


イケメン上司も私もこれから先どんな人と人生が交じり合うかはわからない。


隣りで生きる誰かがいるようになっても、それは誰か別の人である確率がうんと高い。


だけど、たとえどうであろうとも、私はイケメン上司が自分の人生に現れてくれたことを一生忘れないし、それから今に至るまでの時間のことも忘れない。


自分の命や誰か他の人の命がこんなにも身近にあることなんてなかった。


それを自分が意図して感じてたのとは違う。


何にもしてないのに、イケメン上司の命がいつも身近にあることが常に全てにおいてトップにあって、気付けばそんなだから、私なんかは逆に「何か自分が間違えてるかも」とか「自分の頭がおかしいかも、だってよく知らない人じゃん」とか、とにかく自然な反応に対して全力で否定していたくらいだった。


でも、ガチの魂繋がりの人が人生に登場したのなら、私のその反応こそが正解だと思う。


知らないに等しくても、魂は知っている。


で、三次元的な価値観だと突拍子もなくて超ぶっ飛んでいるから、私なんかは否定したくて仕方なかったけれども、魂はようやく再会できた相手にルンルンなわけだから、とにかく本人が気付くまでありとあらゆる感覚を使って知らせてくる。


そうやって考えると、私の異常なほどの「命があって今日も元気に会えてうれしい」なんていう感覚が、とても真っ当なものだと思う。


そしてそれは魂レベルで感じたものだから、時間が経とうが現実の生活が色々変わろうが、何も変わらない。


イケメン上司の存在が今も私の中で生き続けるその感覚は一生変わらないだろうし、たとえイケメン上司が結婚しようがこの感じたものは同じままだと思う。


外側の何かによって変わるものじゃない。


何があっても変わらないもの、そういうものだと私はこの4年という時間を経て感じている。




2021/07/19

(月曜日の昼休み)


これを書いたら今度こそアップする。


今日も至急の案件を依頼されて、それに没頭している。


その時にとあるやりとりをして気付いたことがある。


至急案件をやりながら、いくつか確認事項が出てきた。


担当者に聞きに行くと、担当者から預かった資料に付箋を貼ったものを見せながら説明しているのに、耳だけ貸してパソコンでメール入力を続けていた。


耳で理解できるものじゃない。


必ず見て確認しないとわからない。


なのにそんなふざけた対応をされて、私は冷静に普段通りの対応に努めたけれども、腹の中は怒りで煮えくり返りそうだった。


その時に気付いた。


イケメン上司からも似たようなことをされたことを。


立ち位置の角度は違えど、イケメン上司も私が仕事の連絡をしているのに、私が近付いただけで猛スピードでキーボードを叩き出して、話しかけてるのに聞こえないフリみたいな、もちろん返事もなし、なんていう時があった。


だけど私はその時、即その場で泣くかと思ったくらいにショックだったけれども、怒りはなかった。


目の前のイケメン上司の在り方に、少なくともそれは私に100%向けられたもので他の誰宛てでもないことはわかりきったことで、私は立っているのもやっとなくらいに大大大ショックだった。


(ここからは真夜中)


今日の相手には本当に腹が立って終わりで、同じような感じの状況になった4年前のとある日は怒りはなくてひたすらにショックだった。


でも全く別物だというのがわかる。


今日の相手はあからさまに私に対しては失礼な態度を取っている。


本当に礼を欠く在り方で(ちなみに人によって態度を変え、自分より格下と思う人たちに対しては無礼千万な残念な男として有名)、こちらは何も言うことがないけれども。


片やイケメン上司は失礼とか無礼なのとは全く違っていた。


イケメン上司というのは、基本的に物腰穏やかで、相手によって対応を変えていたものの、その変える基準は「相手に失礼にならないように」変えていた。


年上の相手、気難しいというか取扱注意なベテラン事務さんたち、協力会社の人たち、部下となる人たち、それぞれ色んな人たちに対して実に自然体で接し方を変えている人だった。


それが本当にスマートで、見ていて清々しいくらいに丁寧で、本人は自分がコミュニケーション下手だと思ってるかもしれないけれども、私から見ると本当にすごく絶妙なさじ加減でそれぞれの人たちに敬意を持って接してるコミュニケーション上手な人だと思う。


立ち位置の違う相手に対して、それぞれの人たちに対して相応しい丁寧さや自分が上にも関わらず上の圧を出すんじゃなくて真逆のフラットさ、人として気品があるというか人柄の良さを感じる在り方・接し方だった。


それは私がひいき目に見ているとかじゃなくて、元々人間観察が趣味みたいな私から見て、そして人の才能や強みを見るのが得意な私から見ての、本当にイケメン上司特有の強みだと思って見ていた。


社内で一番偉いのに、本当にそんな姿は1ミリも醸し出してなくて、私が初日に「長」が付く名刺を3枚ももらって、その3人の上下関係が全くわからなかったのも無理はない。


なんなら年齢差もある後輩くんとの差さえ私はしばらくの間わからなくて、なんとなくのやりとりで後輩くんが敬語を使ってることでイケメン上司の方が上なんだな、とそういう理解の仕方をしていた。


何せ本人が一番上の立場なのに、本当にそんなの全然出さなくて、誰に対しても基本的姿勢が一貫している人だった。


超余談だけれど、今の理系バリバリ体育会系男社会みたいな会社の中にいて、本当に人としてできてる人のタイプとイケメン上司の雰囲気とが似ている。


そういう人たちは、発してるものの中に共通項みたいなのがあって、とにかく人の部分がとてもきれいで擦れてない。


エリート集団で体育会系なんてなると、本当にギスギスした人や野心剥き出し系とか、俺様系とか、この人愛情不足かしら?と思うような人として大切なもの欠如系とか、まぁ色々な人種の人たちがいる。


イケメン上司が所属する企業がどんなかは私は知らないけれども、理系で男社会なら多かれ少なかれその傾向はあるんじゃないかと思う。


そんな中で本当にイケメン上司みたいに真っ直ぐで擦れてない男性というのは、超がつく稀有な奇跡のタイプだと私は思う。


かくいう私に対しても、私がごはんに誘う前までは丁寧だったし、気持ち良いコミュニケーションを取ってくれる人だった。


その超塩対応されたのがごはんに誘った後だったから、それでようやく私は自分がとんでもないことをやらかしたんだと思ったけれども、今思うとそれも違うように感じる。


とことん避けたかったのかもしれないけれども、異常なほどの反応の仕方だった。


「無視を決めこむ」という、普段のイケメン上司を見ていたからこそそれが超絶イレギュラーなことで、でも無視しようとしてる割にそれがあまりにも普段と違い過ぎるから、そしてそれは普段の私ではなくてごはんに誘ってきた私に向けられたもので、だからイケメン上司は失礼でもなんでもなく、その強烈な姿勢こそが私に対する答えなんだと思った。


だから怒りは一切なくて、ひたすらに私はショックを受けていた。


あの時はああいう態度だったものの、今こうして書いてみると、当時は当時でイケメン上司の中には違うものが渦巻いていたのかもしれないなと思う。


普通の恋愛に当てはめれば、最大級のNOを突きつけられたようにしか見えないけれども、本気のNOなら今のイケメン上司と私の摩訶不思議な繋がりなど存在していなかったと思う。


今を起点にして当時を振り返ると、最大級のNOにしか見えなかったものも本当は別の意味合いもあったのかもしれないなと思う。


もちろんそれはイケメン上司が口を開いてくれない限り何一つ真相は知れないけれども、本当にNO一辺倒なのかと言えばそうではない何か別のものがあったのかなとも思う。


その失礼なおバカな男を今日見て、イケメン上司はその時さえも失礼な態度をわざと取ろうとしたのとは違うってはっきりとわかった。


たまにその手のおバカな人たちに当たるからわかるけれど、そういう人たちが発してるものとイケメン上司があの時に発してたものは明らかに違っていた。


失礼や無礼な態度を示したいと言うよりも、明らかに私個人に向けての何かかんばしくないものが示されていた。


それが何かなんてイケメン上司にしかその答えはわからないけれども、それでもなんだろう、とにかく今日みたいな底意地の悪い感じのものではなくて、本当に本人も困ったのかどうしていいのかわからなかったのか、意地悪い感じとか失礼な感じとは全く違うものだったことはわかる。


それをまた体験したいとは思わないけれども(なぜなら心の折れ具合が半端なくて回復するのにとてつもなく大変だから)、もうこんな風に近くにいられないんだなと思ったら強烈に寂しくなった。


最後の方は何でもいいから毎日会えることが続くことばかりを願った。


もちろんそんなのは叶わなくて今に至るわけだけど、本当にそればかりを願って、そしてこうして時々当時と似通ったシーンに遭遇すると色々思い出しては色んな想いにふける。


最後すごいまとめ方だけど(色々書きすぎて、もはやどう終わらせていいのかわからなくなった)、Mちゃんの永眠は今一度限りある命の時間を私が改めて認識することとなった。


そしてやっぱり何度も何度も自分に問いかけても、生きているうちにイケメン上司ともう一度会いたいなと思う。


どういう形でも日本全国どこでもいい、本当に再会できるとするなら、私はそのことだけで残りの人生もしあわせとは何かを知って生きていける、そんな風に思っている。

2021年7月13日火曜日

【合掌】青い空に向けて祈る2021年7月12日


Mちゃんの安らかな今を祈りながら、どうかこの記事を書くことを笑って許してください。

2021/07/12  梅雨明け直前の日







残業前に15分休憩がある。


いつもその時間は携帯をチェックする。


今日もいつも通りチェックすると、なんやらグループLINEがたくさん入っていた。


なぜかグチオからも不在着信で電話が入ってた。


グループLINEを見てもみんなが何の話をしているのかわからなかった。


そうしたら別の超秘密基地的なグループLINEも動いていた。


明らかにおかしい。


超秘密基地側の方はまだ気心知れているし、普通に聞けそうな雰囲気があったから、みんなが何の話をしているのかわからなくて、どうしたのかを聞いた。


「亡くなったそうです。

がんとのこと」


すーさんがそう返してくれた。


Mちゃんのことで電話が来たんだとピンと来て、グチオにもLINEを入れた。


電報を連名で今出そうとしているけれど、ぶっしーはどうする?という質問だった。


グチオにちかにすーさんにあちこちLINEしながら、そのうちモンゴルにいるちかから電話が来た。


残業タイム開始のチャイムが鳴ったけれど、そんなの無視して廊下に出てちかと数分やりとりした。


まさかモンゴルにいるちかと最初に電話するのが訃報の電報に参加するしないだとは、想像さえしていなかった。


Mちゃんは、ちかと私がドミニカから日本に帰国するタイミングと入れ違いで日本からドミニカにやってきたグループの1人だった。

(というのは、あとからグチオに聞いて知った。)


何でMちゃんを知っているかと言えば、共通の友人、リーダーが仲介役となって名古屋で飲んだことがあるのと、あと4年前の春と夏、グチオとリーダーとそれぞれの結婚式に参列した際にMちゃんも参列していて、そして知っていた。


もっと言うと、ドミニカを去る際、私が妹からもらったゾウが大きくプリントされた紺のTシャツを最初はYちゃんに、その後YちゃんがMちゃんに引き継いで、その色んなくだりをグチオやすーさんが直接教えてくれていたから、そしてMちゃんもMちゃんでそれはぶっしーという人が置いていったものだと聞かされて引き継いでいたから、そんなこんなで互いを会う前から知っている仲だった。


嘘みたいだった。


協力隊というのは、合格するための第一兼必須条件に「スーパー健康体」であることが挙げられる。


「健康体」じゃなくて「スーパー健康体」。


数値も厳しくて、通常の健康診断のA判定よりもさらに上のレベルに設定されていて、言うなれば「特A」じゃないとまずは合格できない。


合格後も色々健康診断もあれば、虫歯治療だけじゃなく親知らずも全て抜歯が義務付けられている。


私も合格後に3本抜いた。


とにかくそれくらい厳しい中で、なんなら4年前に会った時もMちゃんは元気にはつらつとしていて、明るさのかたまりみたいな人だった。


グチオやすーさんはMちゃんと私が似ていると言っていたけれども、Mちゃんは生粋の明るさの持ち主で、私みたいに後天的に鍛えられてコミュニケーション力がアップしたタイプとは全く違う。


何はともあれ、Mちゃんは当時小さな子の子育て真っ只中で、そんな中での結婚式参列だったと記憶している。


電報とか、まるで異国の言語の異国の話みたいだった。


目の前にはいつもの職場の風景と終わりの見えない仕事の束が広がっていたけれども、何か別のところに自分はいるみたいだった。


2人子どもがいるようで、そんな幼な子2人を残して死にゆくことを想像したら、ただただ切なくていたたまれなかった。


もっともっと生きていたかっただろうに、というかLINEの中でしかわからない、Mちゃんがもうこの世にいないということが夢の中の出来事みたいだった。


グループLINEに「Mちゃん返事して」と誰かが書いていて、その後は色んな人たちがいくつか何かしらを訴えていた。


いくつかの後、まさかのMちゃんの名前でグループLINELINEが入ってきた。


「冗談だよー!」とでも言うんだろうか?どうしたんだろう?と仕事もせずに携帯の画面を見ていると、それはMちゃんの旦那さんだった。


そこにはMちゃんに託されただろう言葉がいくつか綴られてきた。


Mちゃんは今日の朝、永遠に旅立ったとのこと。


てっきりすでに数日は過ぎたのかと思っていたら、今日の今日で、そんな状態で旦那さんが連絡してきたことに度肝を抜かれた。


Mちゃんはたくさん友達がいた風だけれど(本当に人を寄せつける明るさのある人)、旦那さんいわく1人を除いてはあと全員に闘病中であることは黙っていたようだった。


本人の強い希望でそうしていたようで、お別れについても本人の希望が書かれてあった。


プライバシーがあるから赤裸々には書けないけれども、葬式ではなく別の形を具体的に明記して、会いたい人はぜひ来てくださいとあった。


その提案に私は心底驚いたけれども、それがMちゃんのたっての願いなんだろうなぁと想像できた。


Mちゃんはなんなら私はフルネームも知らなければそもそも協力隊では何を専門分野としていたのかも知らず、なのにMちゃんも私も双方を知っているという実に不思議な出会い方をしていたから、本当に細かいことは何も知らないけれども、そのMちゃんの希望だろうところは本人のにじみ出ている雰囲気を思うと「なんとなくわかる」ように感じた。


今ツラツラと書いてはいるけれども、体は本当に重たいし痛いしで、悲しいのか切ないのかよくわからない感覚の中にいた。







夜の7時にチャイムが鳴ると私はそそくさと席を立って駐車場に向かった。


晴れ間がのぞく夕空で、あぁもうこんな風に空をMちゃんは見れないんだなと想像したら、生きてる今という時間がものすごいリアルに迫ってきた。


駐車場に向かう途中に教会があって、その教会の駐車場の一部に花壇があって、花壇にはビオラが咲き誇っていた。


夕焼け色に染まったビオラを見て、花を見て季節を感じるとか、「綺麗だな」と思うとか、そういうことの全てが絶たれたんだなとボンヤリしながら思った。


毎日日替わりで色んな曲を聴くけれど、今朝はドミニカのCDを私はかけたままだった。


Mちゃんもドミニカで耳に入りまくりだっただろう曲調が車の中に流れた。


弔うのにこれ以上ないピッタリのタイミングで流れたドミニカ音楽だった。







一通りのことを終えて布団でひと息つけるようになった頃、まずはちかとグチオにそれぞれLINEをした。


ちかにはモンゴルからの電話のお礼を、グチオには今日連絡を個人的にくれたことのお礼をそれぞれ書いて出した。


ちかは返事をしている途中に電話をかけてきた。


2人でMちゃんの話をしんみりと一通りした後、独り身の自分たちが最後死ぬ時はどうするのがいいのかを考えたという超ぶっちゃけた話(真面目にある程度準備できる状態なら、終活なるものは避けて通れない)、SNSはじめデジタル化された今はこんな時でも死が一瞬で伝わって、残された側でも対応せざるを得なかったりしてそのことに対して大変だろう気持ちやら何やらを想像しての話、そのうち近況報告や仕事での面白すぎるしょうもない話、色んな話をして気付けば2時間くらい喋っていた。


秘密基地的なグループLINEはちかが立ち上げたもので、当初は2年ほど前の超ビッグな問題、弁護士出てきちゃうよ的なすったもんだ事件に対して策を講じるために同志でというかちかにお願いされた面々が集ってあれこれやりとりするためにできあがった。


それがまさかの今回のことで私なんかは本当に助かった。


Mちゃんの旦那さんが連絡してきた方のグループLINEにうっかり「Mちゃんがどうしたの?」なんて書かなくて良かった。


明らかに深刻なのは雰囲気で伝わってきたけれども、誰も肝心要の「何がどうした」を書いてなくて、私は1人ぽっかーんだった。


あまりに深刻ゆえ、そこまで深刻ではない秘密基地側はまだ聞ける風だったから、それでそっちに問いかけた。


今回という今回は、本当にこの秘密基地グループLINEが存在したことに心底感謝した、とちかに耳にタコができるくらいに言った。


こんな下世話なことを言うのもどうかと思うけれども、なんとなくMちゃんはそれを許してくれそうな気がした。


そう、残業の時のちかとの数分の電話でちかが言った。


「すごいよね。

一瞬でみんなが繋がるんだもん。

こんな悲しいことで繋がるのは悲しいけれども、それでも人と人とが一気に繋がって。

すごい、本当にすごい」


わかんないけれども、Mちゃんは今日1日を通して色んなところで色んな人たちが繋がり合ったことを心から喜んでくれてるように思う。


そういうことを本当に大事にしていた人だろうから、自分の死が人と人とを繋げることができたと知れたのなら、喜ぶんじゃないのかなと思う。


私が逆の立場ならそれの方が嬉しい。


生前に自分と仲良くなった人たちが自分の死をきっかけに繋がることがあれば、それはある種の最高のプレゼントだと思う、残される方も逝かなければならない方も。


そうした諸々をちかと喋り倒した。


なんなら、仕事での可笑しな出来事を2人でゲラゲラと笑った。


Mちゃん、今日という1日をありがとう、そんな気持ちに私はなっていた。







ちかと電話を切った後、LINE画面に戻るとグチオからLINEが来ていた。


私はグチオに個人的に連絡をくれたことを心から感謝していた。


なぜなら、「友達」と呼べるほどの間柄ではない、でも知らないわけでもない。


その中間点のような距離感の関係で、気持ちとは別に電報に連名で名を連ねていいものかどうかわからなかった。


正解はもちろんないし、連名予定の面々がそんなこと気にしないのも知っている。


だけれど、こんな時ばかりひょこっと社会的な顔が出てきて、私もどうしようか迷っていた。


そんな時にグチオがあらかじめ電話をくれていたことで即聞けたし、グチオからもちかの分も含めて素晴らしい答えが返ってきた。


私はちかと相談した上で聞いたそのまま、ちかについては気持ちはあるけれどもどうするがいいのかわからないというようなことを書いた。


というのも、私と違ってちかは多分結婚式の時にはじめましてだったと思う。


そうしたらグチオはこんな風に言ってきた。


「弔う気持ちがあるなら全てOKよ!みんな彼の地で繋がった仲間なんだから。

と個人的に思います。」


そのままちかにも転送して、ちかも私も連名で参加させてもらうことにした。


で、お礼かたがた、何でグチオが連絡をくれたのか真意のほどはわからないけれども、とにかくグチオのおかげで今の流れになれた、ありがとうと伝えたら、グチオは最後こんな風に書いてくれた。


「長いよ!いつもながら!笑


そうだね、ゾウさんのTシャツだったね!笑


ぶっしーはフィーリングが合えば会った回数、時間に関係なく親近感を覚える人だと思って連絡した。

ちかは(Mと)接点がほぼ無いからぶっしーに相談したんよ。


思い付きでした事を感謝されると困っちゃうな

でも良かった!」


Mちゃんのことがなければ、グチオからこんなにも真面目な言葉をもらうことはできなかったと思う。


そしてそれは私にとって額に飾っておきたいくらいの賛辞だった。


こうして、人と人とがMちゃんという1人の人を通して色んな形で繋がった。


早すぎる死、まだいっていても30代半ばではないかと思う。


でも、こんな風に人と人とを繋いでもらって、もしMちゃんにこのメッセージが届くのであれば、全力でありがとうと伝えたい。


Mちゃんありがとう。


たくさんの地上の思い出と共にどうか安らかな次の旅路へと、と書こうと思ったけれども、やっぱり次もめちゃくちゃ面白い旅路を楽しんでください。


小さな接点をその何十倍と大きく膨らませて届けてくれてありがとう。


Con amor♡