2014年10月28日火曜日

比べる幸せ

1週間の間に2人の人に会った。
太朗さんと花子さんとしよう。

知り合ってからの期間は、若干太朗さんの方が長い。
それぞれ最初の出会いは別々だし、太朗さんと花子さんは知り合いじゃない。
最初に太朗さんと2人でお茶をし、
後日花子さんと2人でお茶をした。

花子さんとの再会は、実に3年半ぶりだった。
花子さんから突然連絡が来て、会うことになったのだ。

それぞれと話すことは、基本的に違う。
仲の深さもだし、話す内容も全然違う。
だけど、太朗さんと花子さんと共通して、
「(ぶっしーは)これからどうするの?」と私に聞いてきた。

関係の深さの違いで答える範囲も違っていたけれど、
共通して私が答えたのは、
「どんな選択をするにしても、新潟から遠くないところ」
というものだった。
新潟は、両親が住む土地であり、私の生まれ故郷だ。

太朗さんはなぜか私のその答えにすごく感嘆し、
「今日一番良かったのは、ぶっしーが『○○という所(国内某所)には住めない、
今後もそこに移住するつもりはない、
なぜなら(両親のいる)新潟から遠いから』と言ったこと。
今日一番その言葉がすーっと心に染み入った」
と帰り際言っていた。

太朗さんは私がぽかんとしてしまう位に、そのことを何度かつぶやいていた。

はじめ、私は太朗さんが言ってくれたことの意味合いが全然わからなかった。
だけど、この太朗さんの発言が本領を発揮したのは、花子さんと会った後だった。

花子さんにも同じことを私は伝えた。
でも、それは私の独り言のように、どこにも行き着かず、
私の答えを聞いているのか聞いていないのかも判別できないまま、
さらに別の質問を花子さんはいくつか重ねていた。
私の1つ1つの答えは、花子さんにとってどうでもいいようだった。

ふと、太朗さんの言葉を思い出す。

ぶっしーがこれからどこで何をするにしても、気になるんだよね、
(どんな生き方をするか)気になるんだよね。

上の言葉は1回だけ太朗さんが口にしたものだった。

人と比べるのは良くないと言われるけど、
比べるからこそ見えてくる幸せもある。

花子さんが求めていたものは、
花子さんの私利私欲を満たす上で私がそれをできる人間かどうかを見極めること。
ビジネスライクと言えばいいだろうか。
だから、利用価値のない私の、私的な発言はどうでも良かったんだろう。
あくまでも、花子さんにプラスとなるもの、
それも「お金」や「人脈」という見える形で私が貢献できるかどうか。

3年半ぶりに会った花子さんは、
当時と何一つ変わっていなかった。
変わっていたとするなら、
さらに私利私欲を自分の不安を消すために必死に満たそうとするその度合いだろう。

花子さんとはもう次はない。
この間会ったことが今生の別れだと私は思ってる。

たった1つだけを見て、そこに心を動かされる。
その体験も素晴らしい。

時には、一度ですぐにわかったらいいのに・・・と欲をかくこともある。

そして、今回のように2つ以上のものがあって、
その中で「これがいい!」と心で感じ取るもの、
その体験も素晴らしい。

私は最初、太朗さんが私に何回も伝えてくれていたことの意味や、
そこに乗っている気持ち的なものはわからなかった。
太朗さんがきちんと見えていたモノが私には見えなかった。

でも花子さんと会って(ちなみにその後悶々とする)、
どんな私であってもそれを気にかけてくれる人がいる、
親でもないのに親のように見守ってくれる人がいる、
それって超幸せなことじゃないか!
と2日以上時間が経過してから気付いた。
花子さんみたいな人も世の中に確実に存在するけど、
太朗さんみたいに損得勘定なしに他人と交わろうとする人も存在する。

太朗さんみたいな人がいる限り、私は自分が救われる。
どんなに真っ暗闇の中さまようことになったとしても、救われる。

2014年10月19日日曜日

魂にやる食べ物

ついさっき読んだ本の中に、肉体ばかりでなく魂にも食べ物を与えよ、

というような表現があった。

大元は、エレクトリックトランペッター(ってトランペットの仲間??)近藤等則さんという方の

言葉らしい。

この魂にやる食べ物というのが、個人的にとてもすとんと入ってきた。

わくわくしよう!とか、楽しいことしよう!とか、体と心に良いものを取り入れよう!とか、

そういう風に表現されるものよりも、遥かにわかりやすかった。

同じことを言っているのかもしれないけど、

言葉が違うだけで、こうも自分への入り方が違うことにも驚いた。

ちょうど本を読んでいた時間、10月の夕暮れ時の時間帯で、

ベランダに干してあった足ふきマットに夕日が照らされて、足ふきマットがきらきらと光っていた。

それを見て、「魂に今ひとつ食べ物をやった」と思った。

色んな条件が重なってたまたま生まれた瞬間に、目と心の両方が奪われた。

ここ1~2年は特にそうだけど、自分で何をしていると楽しかったり、

心身共々全身が満たされるような感じなのかがわからなくなりつつある。

何をしていても違うように感じたりすることさえある。

いきなり大きなものをどんとつかまえようとか意気込むのではなく、

こういう日々の小さな魂への栄養補給を、くりかえし、くりかえししていくことが

大事なのかもしれない。

おなかが空いたら何かを食べるように、

魂が空いたら何かを食べたらいい。

(執筆:2014年10月7日)

2014年10月18日土曜日

野菜が生み出す味

1年の中で時々、むしょうにタイカレーが食べたくなる。

タイカレーの素さえあれば、あとは家にある野菜や肉で適当に作れる、

その気軽さも手伝って自分で作っている。

素もKALDI(輸入食料品店)に行けば、日本のカレールーと変わらない値段で購入できる。

正しいタイカレーの作り方はわからないけど、

いつもは具材を炒めたらすぐに素を入れていたのを、

今日初めて野菜と肉を煮込んでから素を投入するという手順で作った。

肉:野菜の割合は1:5くらいで、ほぼ野菜で埋め尽くされたタイカレー。

煮込んだ時間は10~15分程度だったと思う。

煮込むだけで出来上がりがいつもの何倍も良くなり、

辛さの中に野菜の甘みやうまみが溶け出ていてとてもおいしかった。


話は変わるが、わたしがこれまでの人生の中で一番おいしかった味噌汁は、

Kくんという男の子が作ってくれた味噌汁だった。

たくさん人が集まっていた席で、Kくんは味噌汁をふるまってくれたのだけど、

一体どんなだしを使って作ったのか不思議でならなかった味噌汁だった。

優しい味で、言葉では言い表せない深みのある味だった。

Kくんに直接、だしは何を使ったのか聞いてみた。

Kくんは即答で「だしは使ってない」と言う。

「代わりに、野菜をけっこう長い時間煮込んで、最後味噌を溶いただけ」

と教えてくれた。

野菜から引き出される味は、その組み合わせいかんで幾通りにも広がり、

だしを使わなくても十分おいしくなるとも言っていた。

そんなことすっかり忘れていたけれど、今日タイカレーを煮込んで作った時に、

あぁあの時の味噌汁と一緒だと思った。


これから寒さが増す季節。

また野菜をことこと煮込む料理も楽しみな季節だ。

2014年10月14日火曜日

怒り尽くした、その後の自分

2ヶ月以上前に書いた『腹が異常に立った日の処方箋』
http://viva-vivir.blogspot.jp/2014/08/blog-post_10.html

概要は、仕事でAさんなる人物に腹を立てまくり、その後どうやって4時間も続いた怒りが治まったのか、という話。

今日は、その「怒り尽くした」後に実際に自分の身の上に生じたことを話そうと思う。

最初に断っておくと、あの後わたしは一度もAさんに怒り再発とはならず、

実に平和に過ごせたと思う。

今さらこれを書くのは、ずっと書こう書こうと思っていたけど、

それを行動に移したのが今日というだけのこと。

では、はじまりはじまり~。


4時間通しで怒りまくった翌日。

Aさんも出勤、わたしも出勤、周りの人たちもたしか全員出勤。

4時間続いた怒りは治まったものの、また顔を合わせたらムキー(怒)となるのではないかとか、

平常心で顔を合わせられるものだろうかとか、

昨日のことは水に流して新たな気分でAさんと付き合えるだろうかとか、

まぁ色々考えて仕事に臨んだわけだけど、

2人だけではないことも手伝って、特にあたりさわりない感じで仕事開始となった。

あたりさわりないとわかり、わたしは今度は【Aさん 対 他の人たち】とのやりとりを

ひたすら観察した。

もしうまく交わす方法があれば知りたかったし、

他の人たちが怒らないのであればどうして怒らずに済むのかとか、

淡い期待を抱いて観察していた。

観察していくうちに、わたしはAさんが憐(あわ)れになってきた。

かわいそうとか、気の毒とか、まさに憐れがぴったりの感情として出てきた。

何が憐れだったのかというと。

わたしだけではない、他の人全員がAさんに変な気を遣っている。

Aさんから、わたしの一挙手一投足すべてが注意されたように、

そしてそれは非常に不愉快だと全員暗黙の了解で分かっていて、

そんな不愉快さを少しでも減らすために、皆がAさんに極力巻き込まれないようにしている。

当時、ある一つの仕事のマニュアルにおいて、

大きく改変されるされないの瀬戸際にある事項があった。

Aさんは、詳細に渡ってきちんと把握したいタイプの人。

だけど、それが周りには、いちいち細かい人という風に捉えられ、

であれば、穏便に事を進ませるためにも、

Aさんには極力相談しない、報告しない、という流れに自然になっていた。

内容は、けっこう大切なことであるのに、

Aさんの普段の言動や思考が災いして、みんなAさんに情報共有を避けている。

それをはっきりと認識した時に、わたしはAさんが憐れになった。

いくら、やいのやいのとAさんから怒られはしたわたしでも、

そうした業務上の大切な情報はきちんともたらされたし、

わたしに気を遣って話してる風の人たちも誰もいないようだった。

だから、わたしは業務上のコミュニケーションを取る上で、

変な気遣いとか、無用な先回りとか、そういうものは基本的に必要とせず、

疑問に思えばそのまま質問したし、反対に相手方もそのままわたしに情報提供や

現状確認をスムーズに行っていた。

Aさん本人に悪気はなくても、Aさんの行動や言動により、大切な情報が共有されない。

そんな光景を冷静に観察していたら、

あれだけ怒り狂っていた前日の怒りパワーはどこ吹く風状態で、

もう、憐れ、憐れ、憐れ・・・という感情が湧いて出てきた。


さらに、その後期間終了を迎えるまで(3週間位)、

時々あれ??っと思うことはAさんに対してあっても、

「適当に流す」ことがなんだかできるようになったし、

あんなに4時間も怒り続けるなんてことはもうなかった。


勤務最終日。

その日は、別の方(Bさん)と一緒に仕事をした。

その時に、わたしはBさんから衝撃の事実を聞いた。

なんと、Aさん、わたしが居ないところでBさんに

「武士俣さん、今月で終わりだけど、何かみんなでしてあげないの??」

と聞いていたらしい。

実際に送別会にプレゼントに色々してもらったのだけど、

それを聞いて本当にびっくりした。

そして、初めてAさんとの間に起こった怒りの原因とAさんの人柄そのものは、

全く別物として理解できるようになった。

話を聞いたことで、Aさんとの間のものがきれいにリセットされたし、

最終的にわたしが受けた数々の受難は、

後に笑い話に転換されたし(実際にみんなで笑い飛ばした)、

最高にむかついたけど、まぁ後々もたらされたものも大きかったなぁと。


最後にまとめ。

今回、わたしは「怒り尽くした」ことが本当に良かったと思ってる。

4時間も怒り続ける、しかも自宅に戻って一人になっても怒り続ける、

なんていうのは普通に考えてみると異常なわけで、

でもあの時はもう怒る以外に手段がないかのように一人で噴火していた。

怒り続けたかったわけではないけれど、

怒りを止めることはもはや不可能で、いつか鎮静してくれるのを待つより仕方なかった。

もうこれ以上ないという位に怒って、

怒りのエネルギーを100%放出しきって、

怒り尽くした後に出てきた新たな感情(今回の場合は、憐れみ)。

そして、勤務最終日に知ることになった、Aさんの人柄。

もしかしたら、怒り尽くさなければ、Aさんの最後の話すらも、受け取れなかったかもしれない。

すべてが終わった今、もうAさんとのことは笑いのネタになっても、

怒りのネタにはなれない。

今、当時と同じエネルギーで怒れと言われても、わたしは怒れない。

目の前にAさんもいなければ、

すべては過ぎ去ったこと、なんだか可笑しかったことで片付いているから、

今さら怒れないのだ。

でも、もし、あの時怒るのを途中で止めていたら、その怒りはどこに蓄積されたんだろう・・・

また何かの拍子にひょいと顔を出して、わたしにさらに怒りをもたらしたのではなかろうか。


これは持論だけど、

怒り尽くすと

①怒りとは別の新しい感情が湧いてくる
(湧いてくる感情はその時々で違うだろうから、何が出てくるかはそうなってみないとわからない)

②未来において、そのことで怒りを再現することはない=心の平和

よって、怒りを全開に外に放出することは、とても大切だと思う。

2014年10月13日月曜日

温度差を知る読書

今のアパートに引っ越した後。

よくあるお宅紹介的な、インテリア雑誌を買った。

ある一人の方は、極力少ないもので暮らすことを軸にして、部屋をコーディネートされていた。

今でもその部屋を写した写真は好きで、時折その雑誌を開いて見ている。

唯一今のアパートでの暮らしにおいて、お手本にした人だ。

先日図書館で、その方が書いたエッセーをたまたま見つけて2冊借りてきた。

2冊とも丁寧な暮らしぶりがうかがえる。

そして、その読書を通して知ったことがある。

その方のお宅やそこに流れる空気感みたいなのにはとても憧れる。

ものに対する思いにも共感するところは多い。

でも、その方が思い入れするほど、わたしはものにも器にも思い入れがない。

例えば、「○○焼」というような、陶磁器を見に出掛けるほどの旅行にも行かないし、

器や布の素材にも興味がない。

器も布も見るのは好きだけど、わたしの中にあるバロメーターは、

使いやすいか、自分の好みのデザインか、というその程度のこだわりだとよくわかった。

それ以上のこだわりがないために、エッセーの内容も今一つ面白みに欠けていた。

これが、わたしの興味のつぼにはまる内容であれば、

ものすごく面白かっただろうと思った。

そんなことを感じながら読んでいた時。

ふと、この自分の中に生じた「温度差」に目が向いた。

「これは何が何でも好き!」と言えるほど興味のあるものは、今自分で掴めてないけれど、

「これには興味がない」というのは、はっきりとわかる。

下手すると、読書中他のことを考えて文章だけ目で追っていて、

気付くと何が本に書いてあったのかわからないほどだった。

そうなってしまう位に、わたしには興味のない内容だった。

逆に、わたしにとっては、その温度差を知る自分の中のアンテナの方が面白くて興味深かった。

これはすごいヒントとなって、

しばらくは「興味がありそうな分野の読書」に精を出してみようと思ってる。

読むとわかる。

ぐいぐい惹きつけられる内容と、そうでないものとが。

最終的に「ぐいぐい惹きつけられる内容」が何か、的を絞ることができればしめしめだと思う。

2014年10月5日日曜日

言葉から思い浮かぶ仕草

朝、目を覚ますのにすこしの時間読書をする習慣がある。

時間にして、たいてい5分10分だ。

今日もいつもと同じようにぱらぱらと本を読み進めた。

今日の本は、『台所のニホヘト』というスタイリストの伊藤まさこさんのエッセイだった。

彼女の台所でのこだわりや習慣が紹介されている。

とある一文に辿り着いた時、まさか彼女がわたしの知っている人と全く同じ癖を持っていて、

全く同じ思考回路でその癖を意図的に日常に取り入れてるとは。

わたしは最初その癖を知った時、ある意味衝撃だった。

すごく素敵な考えの素敵な癖だった。

同じ料理をするでも、断然楽しさが違うだろうというものだった。

もう目の前にその人がいなくても、ふと目に浮かぶ光景だ。

四捨五入するともう10年になる。

10年近く前のことでも、たった一行二行の文章で、一気に過去へと遡る。

わたしが憧れたのは、その生き方と人生に対する姿勢だったのかも知れない、

と今さらになって思う。

人生に影響を与えた人、まちがいなく5本の指に入る。

これから先何十年と生き続けたとしても、やはり5本の指のどこかには入ってる気がする。

失ったものの大きさに何年も苦しんだ。

元通りにならないものなのに、奇跡を願った。

だけど今日思い出した時、わたしははっきりと変化を感じた。

すごい素敵な癖は、多分一生忘れない。

でも、もう苦しくもなければ、奇跡も願わなければ、とても良い意味であきらめがつき、

そしてわたしはわたしの人生を生きよう、とはっきりと自分に誓っている自分が今いる。

今、外は台風の影響でまとまった雨が降り続いている。

これを明日書こうかとも思った。

明日ではなく今日書こうと思ったのは、

この雨がすべてきれいに洗い流してくれそうな気がしたから。

2014年10月4日土曜日

プレゼントのお返し

飲み仲間A子から突然メールがきた。

A子から飲み会当日又は前日に飲み会についての連絡はあっても、

飲み会でもない今日連絡がくるのは明らかにイレギュラーだった。

何の用事だろうと思って読んだら、こうあった。

「ぶっしー♡
もったいなくてなかなか使えなかったけど、
今日やっとぶっしーにもらったタオルおろしました。
大切にします!
ありがと(*^^*)」

記憶をたどると、4~5ヶ月前のA子の誕生日飲み会の時に、タオルをプレゼントした。

でも、それは自主的というより、その前にあったわたしの誕生日にA子がプレゼントを

用意してくれて、それのお返しという意味合いの方がうんと強かった。

そして、そんなことはすっかり忘れていて、今日言われるまで一度も思い出すことはなかった。

A子の気遣いがとってもステキだなぁと、心底うれしさ噛みしめながら思った。

そんなに大事にしまってくれて、そして今日おろして、

そしてさらにそれをわざわざ私に報告のメールまでしてくれる。

わたしなんかはプレゼントもらったらもらいっぱなしだけど、

こんな風に後から贈り主にありがとうと伝えるなんて、

自分が言われてみて、すんごくうれしいこと、プレゼント以上のお返しをもらった気分だった。


さて、そのA子からのメールの後、わたしは所用を足しに方々に出掛けたけど、

歩いている間、そもそもA子と仲良くなったきっかけは何だったんだろう・・・と思い返していた。

A子は去年の秋~冬にかけて勤めた職場で出会った。

圧倒的に女性の多い職場で、見ただけで派閥がありそうな、

しかもわたしは妙な時期に入って、気付けば1人で仕事デビューだったこともあって、

周りの人たちと挨拶こそすれど積極的に仲良くすることはなく、常に一匹狼だった。

A子とわたしは、2人並べるとわかるけど、誰がどう見ても仲良くなるタイプじゃない。

ファッションも興味も、なんだったらA子はわたしの10歳下(というのはうんと後から知る)、

とりあえず何もかもが真逆の2人という感じ。

そんなA子とある日、席が隣りになった。

そこの職場は、所定の席というのがなくて、毎日席替えされるところだった。

A子と隣りになった時、A子が積極的に話かけてくれたのが最初。

で、その日、仕事の合間をぬってA子とわたしが真剣に話した内容は、「占い」だった。

占いが本当に当たったりして自分の人生にどんな風に影響を及ぼしたか、

そこにはA子の過去も、わたしの過去も、あるがまま露呈された。

若干どころかとってもマニアックな内容で、その日の夜、

あんなにべらべら話しても良かったものか、後になってから悶々としたこともよく覚えてる。

でも、今振り返ると、結局その時を境にとても仲良くなり、一緒に飲みに行くようになった。


少し話は飛ぶけれど、そのA子と最初に話し込んだ占いの内容。

占い師さんの存在は、5年前に当時とってもお世話になった人(Yさん)から紹介してもらった。

それも、熱帯のドミニカ共和国で、すべてが「神が望めば!」という挨拶で片付けられる、

そんな国にいた頃に紹介された。

ちなみに紹介されたのは、名前と占いスペースのある駅の名前だけで、

日本帰国後、本当にその占い師さんを訪ねて、そこで色々自分にまつわる仰天エピソードを

聞いて驚いた。

生年月日と名前だけで何がそんなにわかるのか!?と思う位に、

色んなことをずばずば言い当てられた。

A子と仲良くなるきっかけの種を、わたしはYさんから5年前に受け取っていて、

それが今日のA子からのタオルありがとうメールにまで繋がると思ったら、

この時の流れ具合と、その時々で出会うちょっとしたやりとりとの連なりに驚きを隠せない。

そもそも占い師さんのことを紹介してくれたYさんも、

同じ日本人であれどそのタイミングでドミニカ共和国で出会い、

当時わたしが色々悩みまくっていたことに対して、話を聞きながら寄り添いながら

心にすっと染み入るアドバイスをしてくれた人で、

しかも占いとかに興味なんかなさそう~と勝手に思い込んでいたから、

そんな人が絶賛する占い師さんとはどんな人か気になって、

それで行ってみよう!という実に単純な理由からだった。

その時々は今ある現在(当時にしてみれば未来)を想定して選択したことではなかったけど、

こんな風に小さな積み重ねが思いもよらない未来を、人間関係を生み出すこともある。

こういうのを奇跡と呼ぶんだよ、とよく言われる通り、本当に奇跡の他の何でもないと思う。