2014年1月31日金曜日

『光の図書館』開設&エッセイストとして始動

「エッセイスト」と名乗って、新しいエッセイブログ

『光の図書館~“世界”がわたしにくれた一期一会の優しい物語』

http://bibluz.blog.fc2.com/

を開設しました!!

そこでは、台本も脚本もない、わたしがどこかでたまたま居合わせた、
ある人のある人生のストーリーの1ページを綴っています。

未来永劫、ずっと人の心にのこるもの、
それを軸としています。

良かったらのぞいてみてください。
これから週1のペースでアップの予定です。


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ここに至るまで、実に長かった。

時系列に並べると。


>2013年1月
無職が決定的となり、仕事、人間関係で人生で5本の指に入るだろう
大変な時を迎える。


>2013年2月
手相家の方から「書くこと」「文章力を伸ばすこと」を示唆される。
同時に、文章でお金を生み出す具体的な手法も教えてもらったけど、
それというのがどうにもこうにも興味が湧かず、
参考書だけ買って放置。


>2013年3月
友達から誕生日プレゼントに「万年筆」をもらう。
「ぶっしーをイメージすると、『書く』なんだよ」と言われながら。

2013年のことか2012年のことか忘れたけど、
別の友達からもモレスキンの高級ノートを誕生日プレゼントで頂く。
その人も同じようなことを言っていた、
「ぶっしー、よく色々書いてるからさ」と。


>2013年4月
2年位前に知り合った方と久しぶりに連絡をとる。
その方から『公募ガイド』という文芸や美術系の全国的な公募の一覧雑誌を紹介される。

カード占いみたいなこともできる人で、
「『ライティング(書く)』ってカードが出てるよ~、
何か書くことが人生のヒントになるんじゃない?」
と言われる。

たしかその日かその前の日。

発泡酒の金麦1ダースが当たる。
それというのが、「桜にまつわるエピソード」を添えて応募したもので、
たまたま当たったのか、
文章を添えたから当たったのかは不明。


>2013年6月
4月に購入した『公募ガイド』に投稿した文章が採用されて、実際に掲載される。

4月5月と、何かしらの仕事探しをしていた合間。
探すのが嫌で、懸賞に色々応募していた。

かなりな数の応募をした結果、
なぜかキャラクターデザインの大学ノートだけが当たる。
(↑このノートは、このブログのアイディアや下書き専用ノートにあててる)


>2013年8月
ある仕事の日の昼休み。
外で食べ物にまつわる物語の読書をしていたら、
これまでの自分の軌跡、食卓を通して体に刻みこまれたものたちを思い出し、
号泣する。
そして、その時なぜかとても強く
「心を伝える」
という言葉が自分の中から出てきた。


その前後で、例の『公募ガイド』を紹介してくれた方から連絡がくる。

おおもとの用事は、「書くこと」からは全くかけ離れたことだったけど、
どうしても気になったからと言われて彼女からきた追記のメールの中に
「光の図書館という本がヒントになってる」
と言われる。

アマゾンやネットで「光の図書館」を探すけど、該当するものが何もなくて、
そう彼女に伝えたら、
「多分、史子さんが書いて行かれるというメッセージだよ。
キラキラした感じがしたから、何か前にすすめそうですね。」
と言われる。

このときは、まだ色んなことがぴんときていなかった。


>2013年9月
このブログ『vivir空間』を始める。

今となれば、このvivir空間を始めたことは、2013年の一番の功績と称しても過言ではない。


今書いていて突然思い出した場面がある。

友達の結婚式で新潟に戻った時のこと。

喫茶店で日記を書いて、友達を待っていた時のこと。
全く見知らぬ、となりの席に座られたご婦人から、
「貴女、とても楽しそうに書いているのね~」
と話しかけられたことがあった。

その後そのご婦人としばし歓談するのだけど、
わたしが楽しそうに何かを書いていることを伝えるために話しかけてくれたことを思うと
とてもうれしくなる。

>2013年12月
何の意図もなく、友達とお茶をする。

『光の図書館』の話は、正直、どうしていいのかよくわからず、
ずっと宙に浮いたままだったけど、
その話をちょっとだけ、ほんと、1~2分だけ話す。

そこで、
「ぶっしー、『エッセイスト』と名乗って、『光の図書館』を発表しよう」
と言ってもらい、
あの宙ぶらりんの光の図書館が一気に形となる段階に移行していく。


>2014年1月
正月早々、「『光の図書館』の原型ができたよ~」と友達から連絡をもらう。

それからもう一度友達に会って気になっていたことを詰めて、
加筆訂正し(してもらい)、
自分の心の準備が整うまで4週間かかって、
今日1月31日ようやく発表。

何かを始める日、わたしはよく今日がどんな日に当たるのかをチェックする。
今日は水瓶座の新月の日となっていて、
適当にネットサーフィンして見つけた情報に
「2013年8月に計画したことが形になる時期」
という言葉を見つける。

まさに今日のことだ!と思って、ひとりうれしくなる。

2014年1月22日水曜日

プロフィール作り

12月から取り組んでいる個人プロジェクトがある。

これから公表するにあたり、プロフィールを作った。

このプロフィールが、わたしにはとんでもなく厄介だ。

まず、自分のことをまるで第三者のようにして表現する、
それも読んだ人が「この人、こういう人なんだ」とわかるように書くというのは、
とても大変だと実感。

このブログのように、
自分が感じたことや頭に思い浮かんだことをそのまま言葉にして出すのは
わたしには何の負担もないけれど、
「プロフィール」という枠や型にはめようとすると途端に手が止まる。

何を発想していいのかわからなくなり、
何を軸にして考えたらいいのかもわからなくなり、
頭の中は「わからない。わからない。」でいっぱいになる。

とりあえず、第一稿をこさえて、
信頼してる人にお願いして読んで感想を聞くことにした。

最悪、プロフィールはこれから少しずつ形にしていけばいいなぁ、
と得意の開き直りでとりあえず乗り切る。

世の中のプロフィールを作った人たちは、
本当にすごいなぁと尊敬のまなざしでいっぱいだ。


実は、2年位前にも、自分のプロフィールを作ったことがある。
正しくは、作ってもらった、だ。

そのプロフィールは、あまり良い印象を自分で持てなかった。

作ってくれた人には心底感謝しているし、
自分では書けない細かいところも書いてもらって
それだけ見たらすごいものが出来上がった。

良い印象を持てなかったのは、
たしかに書かれたことはわたしのそれまでの軌跡そのものだったけど、
言葉だけが前に前に出て、
実際のわたしは、なんだか全く別のところにある、みたいな感じだった。

政治家の人たちが選挙に立候補する時の略歴や、
本の著者の人たちの略歴みたいな感じのものに近いプロフィールだった。

プロフィールは立派だけど、
なんだか誇大広告みたいで嫌だった。

賢い(?)部分だけの自分だけを、
良い部分だけの自分だけを露呈するのではなくて、
そうではない部分の自分も出したかったのかもしれない。


いずれにしても、プロフィールというのは本当に難しい、というのがわたしの感想。


2014年1月16日木曜日

落ち込んだ日に思い出した女の子のこと

私は時々泣くなり落ち込むなりして、心の中にたまったものを吐き出さないと、
自分のバランスが取れないって、
ようやく35歳になる目前に気付いた。


今日(1月15日)はそんな日だった。


別に何があったわけでもない。
何もなくても、今日は朝から寝不足のせいか、
いまいちすっきりしない。
心がすっとしてないと、3回も洗濯機を回して、
3回も洗濯干ししても、それが面倒にすらならない。
何かしてる方が気が紛れて楽だから。


外に出たらスッキリするかと思ったけど、
これも大きな変化なく。


そんな中、次に始める新しいブログの1つに加える
女の子のことが何度も頭をよぎった。


もう10年も前のこと。
当時、私の半分も生きていない女の子が伝えてくれたメッセージが、
今になって強烈に響く。


話のネタ(メッセージ)は新ブログにいつか書くにしても、
今振り返って彼女の人生に起こったことは
たとえばこれまでの人生で1000人位の人の生き様に触れたとして、
そのトップ5にまちがいなくランクインする
壮絶なものだったと今さらに気付いた。


人と人の人生の大変さなんて比べる必要なんかないけど、
それ位の中をくぐり抜けても「生きる楽しさ」を知ってる、
楽しんで生きる術を知ってる、そんな子だった。


日々目の前のことに目一杯だった当時の私が気付かなかった
すんごいメッセージに今気付く。


彼女は両手で年を数えてもまだ指が余ってしまうような時。
一生分の大変なことを背負い込んだと言っても過言ではない。
細かいことはもう本当に大部分忘れてしまったけど、
彼女はその大変さの中にも
「こんな風に良かった時も(きちんと)あったんだよ」
って私に教えてくれたことが何回かあった。
今さらながら「なんだ!?その強さ!?」って超感心するくらいの
素晴らしい感性の持ち主だった。


正月に実家に帰省した時。
(嫁にもいってない成人女性の生家を「実家」と呼ぶんだろうか…)
2004年のスケジュール帳にその女の子からもらった小さなプレゼントが
きれいに残されてるのを見つけた。


彼女ももう成人したけど、
今もあの人生を楽しむ名人のままだと思う。
(ひょんなことから、彼女が今も元気もりもりだということがこの間わかった)


追記。
彼女からもらったプレゼント。
ふつうなら、「ゴミ」になるもの。
彼女は、彼女のマジックを使って、
「ゴミ」を「ラッキーなもの」に変えて私にプレゼントしてくれた。

2014年1月11日土曜日

最近のあれこれ~正月明けの日常

今朝目覚める直前、もしくは直後に、子どもの頃毎年春に家族5人で山菜採りに出かけた場面を思い出した。
夢の中で歩いたことのない山道を練り歩くところから思い出したのかもしれない。

当時は華やかさに欠けるお昼ご飯だと思っていたおにぎり。
よく考えたら、家族5人分、ひとり2こずつ食べるとしたら最低10こは必要になる。
母親は毎回それを作り続けていたかと思うと、今になってそのすごさがわかる。
ちなみに、最初思い出した場面は、青っぽいチェック柄のシャツを着た若かりし頃の父親の立ち姿だった。
背景の山にぴったりとなじんでいた。



9連休も終わり、名古屋での生活に戻って1週間になる。
この1週間で、どういうわけかやたらと子どもの頃の記憶がよみがえる。
ずっと忘れていたことが突然何の前触れもなしに、ふわっと出てくる。
それはそれでおもしろいから、思い出したことをノートに書いて残そうと思ってる。


9日間、仕事から離れて、9日ぶりに仕事をするとどんな風に反応するのか、
自分の反応が楽しみだった。


まず初日。
とにかく、3ヶ月くらいで無理やり詰めこんだ仕事の段取りを覚えているのかが不安で、すごく緊張した。
色々ぼけていることもあったけど、なんとか思い出せたのはよかった。


何日か仕事に行って、これは思いの外大きな収穫だったのは…
どういうわけか、苦手だった人たちが、苦手というより嫌悪に近い感情を抱いていた人たちが平気になったこと。
相手が変わったのかわたしが変わったのかはわからないけど、
とにかくできるなら関わり合いになりたくない!という人たち数名が平気になるのだから、これは本当に良かった。
相変わらず、気になることもないわけではないけど、
正月前に比べて、気にならなくなったから、自分がその分楽になれた。


昨日仕事の月1のミーティングがあって、
そこでわたしは前から気になっていたことを直接聞いた。
その答えを直接上の立場の人から聞いて、わたしは合点がいった。
その答えは、わたしの中で完全に「それ、まずいでしょ!?」って感じるものではあったけど、
その「まずいでしょ」の答えがこの職場ではOKになるとわかって、
それで合点がいった。
職場ではOKとなるもの、わたしはおかしいと思うもの、双方平行線で、
そういうものなんだとわかったら、おかしいとは今も思いながらも自分の中で折り合いをつけれるようになった。



話は変わって2日前の休みの日。
たまりにたまった用事の時間も確保しつつ、
空いた時間、自分の気の赴くままに過ごした。


気付けば、その日5~6時間、「写経」とわたしが勝手に名付けた
気に入った本の文章写しに精を出していた。
自分の家でも、図書館の近くのカフェでも、ひたすら文を紙に書いた。


書きながら、これから自分が追究するだろうテーマも少しずつ輪郭が見えてきたように思う。



最後に。
正月、妹から教えてもらった肩こり解消の体操がある。
肩こりと言うほどではないけど、時々、肩付近が痛くなる。
その体操を、朝起きた時と、夜寝る前にそれぞれ3回ずつ行ってる。
簡単だし、3回なら苦痛にならない。
かれこれ1週間、毎日朝夜と欠かさずにやっている。
肩の調子がいいのももちろんうれしいけど、
それ以上にこの新しい習慣が自分の中に定着したことの方がもっとうれしい。