2016年1月31日日曜日

ロボットとコミュニケーション

昼間、昼寝から目覚めてまたしばらくうたた寝していた時だった。

それが夢なのか思考なのかそれともその混合したものなのかわからないけれど、非常に面白い

展開が夢の中で繰り広げられていた。

アニモ?だったか何だったか名前は忘れたけれど、おそらく今現在最先端にいるロボットがいて、

そのロボットが今の職場に導入されていた。

ロボットは、何とつい何日か前にわたしが頼まれた仕事を頼まれようとしていた。

その時に頼まれた仕事というのは、複雑でイレギュラーな事象に対してどのように対応するのか

同じ部署内の他部門の担当者へ聞きに行くことだった。

わたしが頼まれた時もそうだったけれど、起こった事象は理解できたけれど、その事象に対しての

対応策なんていうのはわたしは全く知恵もなければ初めての事象でその対応に関するヒントすら

持ち合わせていなかった。

今の仕事ではそういうことが多大にある。

わたしと同じ部門にいる社員の人にまずは指示を仰ぐ。

そこから先が毎回おかしいと今のわたしは気付いているけれど、社員が答えられない場合、

なんと社員ではなくわたしが代わりに他部門の担当者に指示を仰ぎに行く。

他部門の担当者たちはどれだけイレギュラーか理解した上で、回答をする時はわたしに直接では

なく、わたしを質問に行かせた社員に回答をしている。

きちんと筋を通していると思う。

難解だからこそ、きちんとわかる人にきちんと正しい指示を出していると思っていつも見ている。

夢の話に戻るけれど、ロボットも同じことを頼まれていた。

ところがロボットは人間のわたしと違って、その頼まれ事を「わかりません」と言って突き返した。

ロボットはすでにプログラミングされたことは正確に処理するけれど、そうしたイレギュラーで

これまでに一度も対応したことのないものには対応できないという意味で拒否反応を示していた。

実にロボットらしい反応だなぁと眠たい頭の中で考えていた。

少しずつ夢から目覚めて現実に戻った頃、そのロボットの対応を見て気付いたことがある。

絶対に人を介してでないと答えが得られないタイプの仕事やコミュニケーションがある。

今わたしがしていることはまさにそういうタイプの仕事が大半だ。

とりあえずわたしはわからないものはすぐに聞くし、他に聞けと言われたら他の担当者のところに

行って質問している。

わたしを毎回別の部門の人たちのところへ回す社員の人たちは、先を見通しているのだろうか。

その人たちは、個人的感情で相手が苦手とかだったりすると、聞きに行くのを避ける。

代わりに、そのタイミングで質問したわたしや他の人を質問に行かせる。

結局はその時は良くても、長期的な目で見た時に自分で自分の首を絞めているに過ぎない。

今はたまたま質問する人とその質問そのものを思い付く人がいるから何とか回っているだけ。

これがそういう人たちがいなくなれば結局自分で質問に行かざるを得ないわけで、それを避けても

どうにもならないとわたしは思う。

わたしはロボットではないけれど、ロボット的な役割の人物が「できません」「わかりません」と

なった時は、もう自ら動くしかない。

当たり前だけど、その時は自分で他の誰かとコミュニケーションをとる必要が出てくる。

逃げもごまかしも効かない。

自分で勝負するしかない。

人を使うのは構わないけれど、それが結局は自分の能力衰退に繋がるだけ。

本来自分ができること/やることを他人やロボットに任せるというのは、その時は良くても必ず

どこかでデメリットも同時に生じている。

要は使い方だと思うけれども、自分でもやれるしできるけれど今どうしても時間が取れないとか、

他にもっと大きな仕事をすぐに対応しないといけなくて物理的に聞きに行けないとか、そういう事情

であればわかる。

ちなみにそのように判断する人は、他の人に質問に行かせるなんてことは大概しない。

どこかのタイミングでやっぱり自分で責任を持って聞きに行っている。

でも、他の人に任せる理由が面倒くさいだからとか、○○さんが苦手で話したくないからだとか、

そういう非常に個人的なレベルでお願いしていたら、それってまずいと思う。

何事もそうだけど、楽しようとか適当にしようとかって、結局は遠回りになるんだと思う。

ロボットも出てきて何とも近代的な夢の仕上がりになっていたけれど、とても大切なことを伝える

ロボットの存在だった。

2016年1月30日土曜日

心のダメージと回復

年が明けてすぐに数年ぶりの風邪を引いた。

最初は体調が優れずに体が睡眠を欲しているのだろうと思っていた。

風邪は1週間もすれば回復して、徐々に生活のペースを自分が思い描くように戻す予定だった。

なのに体はいつまで経っても意味不明な眠気と疲れを訴えてきた。

ペースを戻すどころか、風邪を引いた時と同じような感じで、時間さえあれば極力早く寝るように

なった。

今日は休みだったから昨日の夜は遅くまで起きていたって構わなかったけれど、22時過ぎには

眠くなり23時前にはすとんと眠りに落ちた。

たくさん寝ればすっきり爽やかという感じでもなく、なんとなく気持ち的にけだるい。

他にも顕著だったのは、このブログも他のブログも日々の手書きの記録も、ほとんど書くことを

やめたこと。

書きたくないとかいう感じとは違っていて、疲れた体を労わることが最優先となった。

料理や部屋のちょっとした整理整頓も面倒になり、なんとなくすべてが重たい感じ。

それで今さらだけど、心の方がすっかり疲弊してダメージ受けまくりであることをようやく理解した。

仕事の人間模様に無駄にエネルギーが使われてしまっている。

特に今週はひどかった。

わたしは他の人たちがいい加減な状態で手をつけてそのままにしている仕事を、たまたまその

仕事の対象になっているお客さんからの1本の電話でその中途半端な仕事をすることになった。

そういうのはいつかは誰かがしないといけないことだし、そして最大の救いはお客さん自体は

クレーマーでもなんでもなく、単に自分に関わることに関してどうなっているのかを連絡もらって

いないからそれについて問い合わせただけの人だった。

だけど、複数の人が実にいい加減な状態で放置していて、もう事態は大変な方向に動いていた。

当然いい加減な回答をお客さんにするわけにもいかず、わたしは回答はするけれどその肝心の

回答がどういう風なのかを確認した。

そこから悪夢のようなことが次から次へと起こりだした。

まず対応していた人たちは、「知らない、今どうなっているか知らないから、○○さんに聞いて」と

さじを投げる。

さじを投げられるたびにわたしは次の人次の人と聞いて回る。

3人目に当たった時、わたしはその人からこっぴどく怒られた。

なぜわからないものを対応しようとしているのか、なんできちんと確認しないのか、どうして勝手な

判断をするのか、と到底理解できない言葉が返ってきた。

わたしの知っている範囲での状況は全部説明した。

でも1つ1つ返しても、わたしの言葉は相手の耳に全く届いている風ではなかった。

怒った人はそれでも事態を責任ある立場の者として確認し、最終的にお客さんへの回答を

知らせてくれたけれど、何だかもうどっと疲れた。

実際にお客さんと電話で話したけれど、お客さんは怒ってもいないし、少なくとも知りたいことは

全部伝えて、そして伝えきれない分についてはまたわかった時点で連絡しますということで、

ものすごくあっさりと納得してくれた。

何も難しいことなんか1つもなかった。

難しいことにしているのは、社内の関わる人たちの無責任な対応だということに誰が気付いて

いるんだろう?と思う。

そして尻拭い的なことをしているわたしが何ゆえに怒られたのか今でも理解できない。

救いだったのは、その日のお昼休み、仲良くしている人2人と一緒に初めて3人でランチをしたの

だけど、真っ先に2人ともが

「あの午前中のやりとり、何だったの?全然悪くない人がめちゃくちゃな言われようで、あれは

何だったの?」と心配してくれ、そして細かな事情を伝えたら2人とも口を揃えて

「ありえない!!!!」

とわたし以上に怒ってくれたことだった。

わたしは渦中の人物で周りの状況なんか一切見えていなかったけれど、2人いわく、仕事が手に

つかない位のヒートアップぶりと怒った人の意味不明な発言で、思わずそちらをがん見してしまう

そんな状況だったらしいことも教えてくれた。

ヒートアップしていたのは、わたしではなく怒った人一人だけ。

さらに最後、社内のわたしのフォロー役の人がわたしのところに来て、事の顛末を確認していた

時に出た言葉で、「わたしが悪いことになっていること」が判明した。

わたしは自分が本当にできなくてとか失敗したことは責められても仕方ないと思っている。

だけど今回わたしは、たまたま誰しもが放置していてそしてもう手をつけられない位にひどくなった

事態の状態で、急遽お客さん対応を依頼されてやっただけに過ぎない。

自ら引き受けたわけでも自ら放置したわけでもない。

なのに総合的に自分が悪いことになっている、というのはものすごく納得がいかなかった。

納得はいかないけれど、自分はやれるだけのことはやったし、おかしくなっていた事態をある程度

軌道修正できたと思っているから、自分のやったことは良かったとさえ思っている。

これに限らず、こういうよくわからないことがものすごく沢山日常的に起こる職場だ。

心が疲弊しないわけない。

そういうことの積み重ねが、あの異常な眠気と疲れに繋がっているのだろうと思う。


本当に一連のおかしなことは日々沢山起こる。

だけど、真面目にやっていること、道理を通してやっていることは必ず伝わるということを身を

もって体験している。

直接に関わる人たちのいい加減な仕事ぶりとそれ故に回ってくる意味不明なフォロー的な仕事

には日々嫌気がさす。

だけどそうした私的な感情と実際のわたしの仕事には何の関係もないから、回ってきたものは

できる限りの誠意を持って対応するし完結に努めている。

つい数日前、フロアの責任者の人と面談する機会があった。

この方はつい3週間ほど前に着任されたばかりで、今全員と面談している。

わたしみたいに辞めることが決まっている派遣社員とさえも面談をする。

何せ日々直接話す機会がないから、どんな考え方や価値観の人物かというのは話す時まで

知らずにいた。

それでも遠目に時々姿を見かけてはすごく真摯に仕事をするし、小さなことも大切にする姿勢

というのは言葉はなくても伝わってくる。

人柄はそれだけでも良いというのが十分わかっていた。

実際の面談の時のこと。

その人のデスクとわたしの席は、一応顔が多少は見えて声も多少は聞こえる位の距離だ。

そうしたら責任者の方は、わたしの仕事ぶりをものすごく評価してくれていた。

例のフォロー役の人からは、わたしは毎回ぼろくそに言われものすごい低い評価ばかりを数々

受けていたから、その責任者の方の発言にはものすごく救われた。

自分のやっていることが正当に評価されたのももちろん嬉しかったし、その責任者の方は何せ

今30分×60~70名の面談をしているから、席にいる時間はかなり限られてくる。

かなり限られてくるのに、驚く位に内部事情をよく見ていた。

問題点となることも、強みとなる人物も、そして自分の手持ちの情報でどこから改善に向けて

実際に動いていけるかも、本当の本当によく見ていて、惚れ惚れする位のセンスだった。

情に厚いタイプの人だと感じたけれど、組織を動かす時は私情を挟まずきちんとビジネスとしての

審美眼を持っている。

現場ではなぜか意味不明な評価とぼろくそに言われたり責任を押しつけられたりと腑に落ちない

こと満載だけれど、責任者の方はそんな第三者からの意見ではなくその人が見たまま感じたまま

をわたしに伝えてくれた。

こんなことは言うべきではないし今さら言ってもとっても遅いのはわかっているけれど・・・と前置き

した上で、「残って一緒にやって欲しかったです」と3回ほど言われた。

それは人が減って困るという意味ではなく、わたしという人物を評価してそこはあくまで一個人と

して思っていることを思っているままに伝えてくれた。

それがあったから救われた。

変な評価を山ほど浴びていたからこそ、その責任者の方の言葉はまっすぐに届いた。

きちんと見てくれる人がいるというのは、それだけで自分のこれまでのすべてが無駄ではなく、

自分の信じていることがいつか実を結ぶこともあるということを教えてくれたりもする。

心のダメージは、それに取って代わる回復薬も必ずどこかのタイミングで届けられるんだと思う。

2016年1月24日日曜日

物価上昇を実感した買物

日曜特売で1パック98円の卵を狙って買物に出た。

お昼を食べに友達が来てくれるから、その足りない材料もついでに買う予定で行った。

9時開店のその店は9:45はギリギリ卵があって、10:15はない、10:00丁度ならどうだろうと

今日はその辺りをめがけたわけではなかったけれど、結局その位に到着した。

残念。98円卵はなく、167円卵になっていた。

それでも多店舗に比べたら、うんと安い。

まずはこの卵についても物価上昇の波が押し寄せていると言わざるを得ない。

ちなみにそのスーパーは、丁寧に卵の価格の大きな札の隣りに同じ大きさの注意書を貼っていて

「卵の価格高騰に伴い…」

という何かのお知らせがある。

卵の価格高騰の理由は、わたし的には1つしか思い当たらない。

にわとりのえさ代の価格高騰なんだと思う。

いきなり卵を産めるにわとりの数が減ったとは考えにくい。

では鶏卵工場が減ったのかと言えば、それもわからないけれど、揃いも揃ってすべてのスーパーで

価格高騰になるわけもない。

友達で飛騨牛を育てている農家の人がいる。

友達いわく、バターや肉の高騰は、基本的にえさ代の価格高騰に伴うとのこと。

もちろん他の原因も色々あるのだろうけれど、えさが高くなれば当然出荷する製品自体も価格を

上げないと倒産、廃業になってしまうと言っていた。

それはもう持ちつ持たれつだから仕方ないと思う。

卵はそうなのかなぁなどと頭の中で一人雑談をしながら、自分の買物を進めていった。

さて最後レジのところにきた。

ひき肉2パック、牛乳、お徳用かつおぶし、クリープも購入しているから1000円は超えるだろう

ことは、はなから予想していた。

わたしはレジで千円札はさっとすぐに出し、残りは小銭で支払う頭でいた。

ところがレジの会計で「にせんひゃく・・・えん」と言われる。

一瞬耳を疑った。

二千円台になるとは思っていなかった。

何がそんなに高いのかわからず、そして量もたくさん買ったわけではない。

とりあえず支払い、袋詰めの台に着いたらまずはじっくりとレシートを眺めた。

何も間違いはなかった。

たしかにすべて買ったものはそのままの値段だった。

釈然としないまま袋詰めをし、真っ青な空の下をひたすら家に向かって歩いた。

何がこんなにも高い値段を打ち出しているのだろう?とずっと思っていた。

ちなみに何も余計なものなど買ってなく、欠品中のもの、今日のもてなしに使う材料の一部、あと

安くて使い勝手の良い日常的によく食べるものだけだ。

政府に対して何だかんだとここで文句を垂れたところで何も変わらないとわかっていても、この

物価上昇具合は何なのだろう?

要は、消費税8%になったことに伴い給料もその分上がったとかならわかる。

だけどそうではなく、給料は据え置きのまま、消費税は上がり、さらにその8%に便乗して全体的

にどさくさに紛れて全体の価格も微妙に上げてきたのは間違いない。

何せずっと同じ地域で暮らしているから、買う店も数軒あってもそこは基本変わらない。

店側に安く売れよなどと言うつもりも毛頭ない。

そこで働く人たち、さらにはそれぞれの食品の生産者の方や運搬者など、色んな人たちの生活も

関わっているから、それらに文句など言うつもりも当然ない。

だけど、政府の方針には全く共感も同情も湧かない。

政治とか経済とかよくわからないけれど、一般の人たちの給料はそのままで物価だけ上昇しても

または消費税だけ上げても、それはいつか多くの人たちにマイナスの影響を与えるだけではない

のかなぁと思う。


憧れのオニオングラタンスープの結末

昨日の朝ごはん、ふと思い付いて「オニオングラタンスープ」なるものを作った。

人生で初めて作ったオニオングラタンスープ。

実はこのオニオングラタンスープにものすごく憧れていた。

「オニオングラタンスープ」なるものを最初に知ったのは、大学生の頃、とあるアメリカの田舎町で

日本人の友達と交わした会話の中だった。

彼女とは最後の1年、もう一人の日本人の友達と3人でよく色んなものを作って試していた。

その彼女が「玉ねぎを2時間くらいかけて弱火で炒めて作るオニオングラタンスープがものすごく

絶品で私大好きなの」と言ったことがあった。

わたしはなぜその会話を克明に頭の中にインプットしたのかその理由は知る由もないけれど、

とにかくずっとずっとその言葉を頭の中で何度も反芻していた。

ただいかんせん、食べたことがない。

今も和食中心の我が実家において、そんな洒落た洋食など出てくることは一度もなかった。

そしてオニオングラタンスープを外で食べることもない。

まず置いている店も限られてくるのと、外で食事をする場合、わたしは「ごはん系」をがっつりと

いくか又は飲みのつまみをつまむかのどちらかになる。

このオニオングラタンスープというのは、そのどちらにも当てはまるものではないゆえ、外で試す

機会もなく今の年齢になった。

昨日の朝思い付いたのには理由がある。

相変わらず料理ブログが好きで色んな料理ブログを読み漁っているけれど、「オニオングラタン

スープ」なるものは一般家庭でも十分に作れることがブログを通じてわかったこと。

もう1つは、半額で購入したカンパーニュと呼ばれる昔で言う「フランスパン」が残っていたこと、

イタリア産の生粉チーズも半額で持っていたこと、そしてとろけるチーズもあること、とこれだけ

材料が揃っていたから、「作ってみよう」となった。

とりあえずネットでレシピを検索。

料理家の土井善晴さんのレシピがヒットした。

個人的に土井さんという方のレシピはすごく好きだ。

シンプルでわかりやすく、さらに素材の味を最大限に生かす方法を包み隠さず教えてくれる。

彼のレシピなら間違いないと思い、チキンスープはコンソメ顆粒で代用、本格的なチーズはない

から例のイタリア産生粉チーズととろけるチーズで代用し、作り始めた。

味は申し分なかった。

普通においしいと思う。

「思う」と書いたのには理由がある。

最初の期待値が大きすぎて、別に対して美味しいと絶賛するほどではなかったこと。

そして、作ってわかったのは、「自分が嫌いな食べ物」の存在を思い出したこと。

嫌いな方が勝り、おいしいかどうかは二の次になってしまった。

嫌いな食べ物というのは、パン全般において「パンがゆ」はじめ液体にパンが浸されて、パンが

ぬめぬめしているのが好きじゃない。

子どもの頃、妹ふたりはパンがゆが大好きで、母はよく作っていた。

わたしは牛乳が嫌いだからパンがゆは手をつけなかった。

これまでも、牛乳が嫌いゆえパンがゆを食べないものだ、とずっと思っていた。

だけど昨日はっきりと自覚した。

とにかくパンが液体にさらされてぬめぬめしているのが好きじゃないと。

カンパーニュもといわたし流に言えばフランスパンは、予めトーストしていた。

だからさらに硬さが増したパンとなった。

でも10分近く液体に浸かれば、いくら硬さが増しても形態はどろんどろんに近くなる。

そのどろんどろんとしたパンの食感が好きではなく、それを口に運ぶのに必死だった。

オニオングラタンスープの味を堪能する余裕など、振り返ればみじんもなかった。

食べ終わってみて、もう二度と作らなくて良いと思ったのと、例えば今後もし誰かに

「おいしいオニオングラタンスープがあるから食べに行こう」

と誘われたとしても、断るか一口もらって終わるかのどちらかだろう。

ちなみに、これがスープに浮かべてあるクルトンとなると話は別で、それは普通に好きだ。

さらに、同じ小麦粉同士でも、天ぷらうどんやそばにして、汁の中で天ぷらの衣がふにゃふにゃに

なったものは、大好物だったりする。

ひそかに、どのタイミングで天ぷらを汁の中にインすると、かりっとした食感とふにゃふにゃの食感

との両方を味わえるだろうか?と真剣に悩んだことさえある位に好きだ。

自分の舌さながら、同じ素材なのに調理法によって好きなものと嫌いなものに分かれる不思議に

人間の自由であり勝手さを覚える。

ということで、15年も恋い焦がれたオニオングラタンスープは呆気なく終わり、もう生涯を通じて

二度と口にすることはないだろう代物へと変貌を遂げた。

2016年1月17日日曜日

弁当作りはむずかしい

毎日の弁当作りも4ヶ月目を迎えた。

これまでも弁当を作ったことはあっても週5日連続で作ることを3ヶ月以上も続けたことがない。

平日出勤土日祝という休みスタイルでの働き方自体が初めてで、最初はそれすら慣れなかった。

ちなみに週5勤務も未だ慣れない。

普段の家で食べるごはんの献立を考えるのは全く苦にならない。

自分で言うのもなんだけど、献立を決めるのは冷蔵庫を見て1~2分か、バスや地下鉄を降りて

家までの帰り道数分でささっと決めてしまう。

すぐにメインと副菜が決まる。

組合せがおかしくても気にさえならない。

休日や仕事をしていなかった頃のお昼ごはんも然りで、基本はささっと決める。

今日のお昼は昨日余ったカレーを焼きカレーに変身させるだけ。

何も面倒はいらない。

なのに弁当となると途端に難しくなる。

まず最大の難点は、汁物系がすべて除外されること。

うどん、そば、スープスパゲティ、ラーメンはない。

さらに煮汁が容器からもれるおそれのある煮物も積極的には詰めない。

弁当の人気おかずのトップ3に入るだろう鳥のからあげは、揚げ物故作らない。

基本的に揚げ物は「買うもの」になっている。

ウインナーは弁当を作るようになってから「高級品」であることがよくわかった。

1袋5~6本くらいしか入っていないのに相場は安くて200円切るぐらい、通常300円程する。

300円出したら鳥の胸肉が3パック買えてしまう。

あとこれはわたしの勝手な好みだけど、ウインナーはビール・発泡酒なんかとぐいっといきたい

食べ物で、家飲みを日常に取り入れるようになってからウインナーはつまみに分類されるように

なった。

弁当に入れるのはどうももったいない感じがしてしまう。

じゃあ冷凍食品を使えばいいとなるかもだけど、冷凍食品は苦手意識が強い。

この間もマツコの番組で紹介されていた絶品ハンバーグと謳われた冷凍のハンバーグを買った。

たまたま特売で通常の半額以下で買えたから、物は試しと買ってみた。

わたしは食の安全性や添加物フリーなど謳う気はさらさらないけれど、どうしても気になったのが

あの冷凍食品特有のにおい。

すべての冷凍食品にあるわけではないけれど、ハンバーグ系は必ずあのにおいとそしてその味が

する。

どんなに加工しても、どういうわけかわたしはそれを感知してしまう。

こんな敏感さ要らないのに、無駄に発揮してしまう。

ということで冷凍食品も最初から選択肢に含まれない。

難しいのが野菜で、わたしは彩りよりも野菜が本来の味で楽しめない方が気になってしまう。

煮物の味が移った野菜は変な味だなと思う。

ミニトマトやブロッコリーは弁当の彩り係の代表格だけど、どちらも基本使わない。

ブロッコリーを使うとしたら、何かしら味をつけて入れる。

というような条件を抜くと、実に弁当のおかずとして残れるものが少なくなる。


弁当の記録として写真を撮ったら面白いだろうと思い以前撮ったものをいくつか紹介。




上の2つは連続した2日間の写真。

最初同じ弁当を撮ったのかと思ったら、よく見たらごはんが違っていた。

カオス地帯となっているおかず部門は、間違っていなければ3品詰めているはず。

1れんこんのきんぴら、2糸こんにゃくのピリ辛炒め、3がんもと京芋の煮物。

ちなみにこの京芋と呼ばれるさといものようなもの、うちの近所で1本100円で売っていて、試しに

買ったもの。

あまり好きではなかったからもう買うこともないけれど、新潟に帰省した際スーパーに立ち寄ったら

なんと1本600円もする高級芋!

正月価格だったとしても高すぎる。



この日はひじきかぶり。

カオスのおかずの中にもひじき、混ぜご飯にもひじきというひじきの2種使い。

おかずはよく見ると4品。

ひじき入りの卯の花とれんこんのきんぴらの合間に焼き鮭が斜めに入っている。



毎日色味がない。

多分上の弁当たちと同じ週に作った弁当で、毎日卯の花入り。

卯の花、週5で食べると非常に飽きるということがわかった。

ちなみにれんこんのきんぴらは大好きで毎日食べても飽きない。

あと、卯の花と同化しているけれど、下の方はハンバーグかつくねのはず。


最高の手抜きを覚えたのり弁。

スーパーでちくわの天ぷらが半額の時の翌日は大抵のり弁。

この日は立派な鮭もINしているけれど、最近はちくわの天ぷらのみというのが多い。

ちなみにのりは二重に敷いてあって、のりの下のごはんはしょうゆとおかかで合えていて個人的に

とてもおいしいと思ってはまっている。

見ての通り野菜ゼロでも、体の具合が悪くならないし、毎日ではないから「ま、いっか!」と得意の

開き直りで野菜ゼロ弁当を持って行ってる。


この日も茶色。

炊き込みご飯にしたのか、チャーハンにしたのかは不明。


弁当の写真の中で、唯一「緑」が入っていた、わたし的には色使いのきれいな弁当。

子どもの頃はあまり好きではなかった三つ葉も、今食べるとおいしい。

これもよく見ると3品。

1三つ葉と卵炒め、2人参と糸コンと麩?の煮物、3焼き鮭。

梅干しさえも4品目とカウントしたいところ。


弁当作りのストレスを減らすために今わたしが気をつけていること。

それは、「野菜を入れる」「彩りを良くする」という2つの条件をきれいさっぱり外したこと。

さらに面倒なら、のり弁のような出来合いの総菜を半額で買ってきてただご飯に乗せるだけという

新技術も絶賛導入中。

レシピ本に載るような弁当を毎日作られている方、本気で尊敬。

ちなみに弁当作りは、盛り付けにもセンスが求められるということを身をもって知ったけれど、

それこそハードル高すぎてどうにもならない(汗)。

もう1つ今気付いたこと。

生野菜に煮物や他のおかずの味が移るのは好きじゃないけれど、写真のようにおかず同士が

くっついてお互いの味が混ざるのは全然平気。

今回書いていて、自分では食べ物の好き嫌いないと思っていたけれど、基本ほとんどないに

等しいけれど、弁当に限って言うと色々と変なこだわりや好き嫌いがたくさんあるんだと気付いた。

2016年1月16日土曜日

物の選び方

30代に入って大きく変わったことの1つに物の選び方がある。

消耗品と身につけるものとで分けると、消耗品は相変わらずで身につけるものの選び方が大きく

変わった。

消耗品に関して言えば、食料やシャンプー、洗剤なんかの日用品は食べられたら使えたらそして

安ければ基本的に何でもいいと思っている。

それらの中で唯一こだわっているとしたら調味料位だけど、調味料だって人からいただけば、

たとえそれが添加物入りでも気にせずにありがたく使わせてもらう。

所詮こだわっていると言っても、年に何回でもない調味料購入の時に少しこだわる程度。

身につけるものは、20代の投資が30代にもそのまま続けて使えると知ってから、物の選び方が

変わった。

10代や20代の頃は流行が大事で、いくらファッションなんかにあまり興味のないわたしでも、

季節に合わせた服を毎年何かしらは新調していた。

また当時は、まだ母の勤めている服飾関係の会社からくるもので自分好みのものが少なかったと

いうのもある。

かばんについても然りで、とりあえず色んなかばんを買っていた。

当時は種類を多く持つことが大切だと考えていたから。

そして実家暮らしだった故、収納スペースは今の10倍以上あったから、物を増やしても自分の

生活スペースを圧迫するような問題は一切なかった。

30代に入って一番大きな最初の転機は、収納スペースの問題だった。

一畳分ほどの底面積に天井までの高さの収納スペースしか今の住まいにはない。

そこに布団2組(敷布団+掛布団)と大小各1のスーツケース、暖房器具、シーズン物の靴、

そして服を収納する。

この中で唯一大きさ・数を調整して収納できるのは衣類だけとなるから、衣類とかばんに関しては

選りすぐったものだけを残している。

それ故に毎年の流行を追いかけていたらえらいことになるわけで、定番で長く使えるものを自然と

選ぶようになったのが最初。

何も流行を追うのをやめようと思ったのではなく、物理的な問題でそうせざるを得なかったから

単にそうなったというだけのこと。

最初はそんな理由で始まった物の選び方だったけれど、ここ1、2年で新たなことにも気付いた。

本当に良いものは、末長く使えるということ。

例えば20代の頃、大枚をはたいてバーバリーの鞄を1つ買った。

大枚と言っても3枚~5枚の範疇だったと思われる。

5万円も出したとは思えないから、3万円前後だったような気がする。

滅多に使わないけれど、結婚式にも持って行けるし、前の仕事は卒業式や入学式なんかも行く

ことがあったからそういう時にも活躍していた。

今バーバリーのサイトを見たら当時と同じデザインのものはもう扱っていないみたいだけど、

似たようなものが20万越えでびっくらこいた。

噂かねがね聞いてはいたけれど、まさか買った当時、バーバリーの経営方針が変わって驚く位の

値上がりをするなんて想像だにしていなかった。

バーバリーは活躍の機会が少ないけれど、日常使いしている革のかばんたちはもうどれも10年

選手になっている。

そろそろ傷んできたけれども、先日わたしのその愛用鞄を見た年配の方が、

「それ捨てるのもったいないわよ。修理してでも使い続けた方がいいわよ。

もうそういうのってなかなか手に入らないから」

と言ってくださった。

それを聞いて余計とこれからも長く使おうと思っている。

先日は、妹の結婚祝いのお返しでもらった腕時計のベルト交換をした。

自分で買ったわけではないけれど、大層良い時計だと思う。

時計の裏面にMADE IN FRANCEの刻印があり、どこぞのフランスの職人が作りそして日本に

運び込まれ妹夫婦が見つけ今わたしの手元にあると思うたびに今も感動を覚える。

電池交換はもう2度ほどしているし、ベルト交換は今回初ではあったけれど、これもまた生まれ

変わったように輝きを増している。

28歳の時に金属アレルギーを発症してからピアスもネックレスも金属製の腕時計も全部駄目に

なってしまったけれど、妹夫婦から贈られたベルト部分は革製、時計部分と金具の部分は

何かしらの金属である時計では、一度もアレルギーを起こしていない。

時計が壊れない限り、生涯現役で使い続けようと思っている。

こうして気付くと、良いものはとにかく長持ちで頑丈だ。

デザインも落ち着いているから、流行り廃りもなくそしてどんなシーンにも合う。

服はヒートテックとか綿シャツ以外はほとんど買うことがないけれど、母の会社経由でやってきた

衣類たちは実に長持ちしている。

中でも冬用のコート3枚と春秋用の薄いコート1枚は、すでに30代ずっと通しで使っている。

10代20代の頃には決してわからなかった物の良さが30代まで使い続けてようやく知ることと

なり、そして今はいかに長く飽きずに使えるかということを主眼において身につけるものは選ぶ

ことがうんと増えた。

今は多くなくていいから、良いものを末長くと思っている。

2016年1月11日月曜日

しあわせ寝正月

この年末年始は、子どもを産んだばかりの妹の家(東京)経由で新潟に帰った。

今回は正味5日間だけの年末年始の休暇で、実家に戻ってからは買い物以外ひたすら家にいた。

実家にいたのは大みそか~3日の昼過ぎまでで、本当に慌ただしい正月だった。

今実家には父と母の2人しかいないから、父と母の生活スペースの茶の間にしか暖房器具を

置いていない。

わたしの寝る部屋には当然何もなく、極寒の地だ。

息を吐くだけで白い煙がむくむくと立ち上がる。

たかが数日の滞在しかも夜寝る少し前の時間のためだけに、自分で寒い物置からストーブを

持ち運び、さらには給油するとなるのはものすごく面倒だった。

しかも今回はわたししか帰省せず、妹2人もいない。

そこでわたしは、夜寝る以外は茶の間で過ごすという手段を採ることにした。

我が家の茶の間は和室の6畳だ。

「リビング」ではなく「茶の間」という言葉がぴったりな雰囲気だ。

今時の家事情を考えたら、とっても狭い。

狭いけど落ち着く。

当然、父も母も1日をそこで過ごす。

母とわたしがごはんを作ったり、買い物に出たり、または風呂やトイレ以外は3人ともがその

茶の間に居座る。

年季の入った座布団を枕にして、3人が思い思いにゴロゴロする。

箱根駅伝を見ながらうたた寝をしたり、相棒を見ているはずがいつの間にか眠りに落ちたり。

おなかが空けば、茶の間の掛け時計の下にあるスーパーの袋を探ればお菓子がある。

父も母もお菓子好きで、しょっぱいものも甘いものも両方完備している。

ストーブには常にやかんがかかっているから、お湯はいつでもある。

1日に何杯もコーヒーを飲んだ。

新聞も雑誌もある。

すぐ隣りの部屋には漫画がたくさんある。

まさに寝正月に相応しい環境だった。


帰りのバスに乗ってすぐ、あの寝正月の日々がとてつもなくすごいものだと気付いた。

1日のうち15~16時間、父と母と一緒にいた計算になる。

大の大人が、しかもそれぞれ趣味も嗜好も違う3人が同じ屋根の下どころか同じ部屋の中に、

しかもものすごく狭いスペースにずっと一緒にいたのだ。

でも全然ストレスになることもなく、お互い気ままに過ごしていた。

互いが空気のようで、でも話したい時は誰かが突然口を開き話し始める。

そしてまた話が終わったりテレビが見どころに突入すると、3人が3人とも一斉に黙る。

すごく楽チンだったし、滞在中の正月の夜は、わたし一人で3人分の夕飯をこしらえたけど、それ

さえも全然気にならなかった。

24時間体制に近い位の時間一緒にいても、お互いがお互いのペースで動けて休めるって、しかも

それにストレスを感じないって、本当にすごいことだと思った。

帰ってきた日から1週間以上も経過してしまったけれど、父と母の姿がバスの窓の向こう側から

見えなくなってすぐに思い浮かんだ言葉だった、「しあわせ寝正月」。

一般的に「寝正月」という言葉は、なんだかだらしない雰囲気で、あまり良い意味で使われている

感じが全くしない。

でも、今回の帰省でわかったことは、寝正月こそ相手を選ぶものだし、そして本気の寝正月を

しようと思ったらそれは相手との関係性が寝正月の質そのものにもろに表れる。

本気の寝正月を共有できる家族で良かったなぁと心底思った今年の正月だった。