2018年11月30日金曜日

師走の書き物リスト

今日これから他のことをするために、とりあえず明日(師走)以降気が向いた時に書こうと思っていることリスト。

あくまで「思っている」で、本当に書くかどうかはわからない(←えっ?)。

ついでに。

師走と言えば、世は年賀状の季節。

当たり前のように、今年も(!)華麗にスルーする予定・:*+.٩(( °ω° ))و .+.:*
(最近、顔文字&顔文字作りにハマってる)

だから、私の師走の書き物リストの中に「年賀状」はない。



*師走の書き物リスト*

・『「やりたいこと」の言葉の裏』
「それ、やりたいことなんでしょ?」と言われて違和感を感じた自分の心の声の話。


・『熱量の違い』
これは途中まで書いてあって、何が何でも書き上げる気があるから、近いうちにアップされる予定。
これだけが唯一、特定の読者を想定して書くもの(正しくは、書き途中のもの)。


・『ホロスコープ講座の振り返り』
これは5月から始まってつい一昨日(11/28)までの全7回を通して、色々感じたことや振り返りについて、ゆっくり書きたいなぁと思っている。


・『意外な1枚』
66枚あるカードのうち、私が番号を選んでそして電話の向こう側で引いてもらった1枚のカードの話。
ちなみに出たのは「寂しさ」だった。


・『人生を変えるために私が最初にしたこと』
名古屋シリーズの1つ。
今日色々思い出していたら、あぁあの時のことが今に繋がっているんだなぁとしみじみとしたから、当時何をしていて何を思っていて、そして今振り返って見えることなんかを綴る予定。


・『徳を積む人』
今回も、ホロスコープ講座参加のために夜行バスのバス停に向かう道中で見たものとそこからのメッセージ。
ちなみに今回見たのは、タイトルの通り、「徳を積む人」。
それと絡めて(?)、ペンジュラムを使う力なり自分の中にある力をもっと伸ばしたい!と超純粋に思った話もする予定。
(「超純粋」と自ら言ってる時点で、すでに不純な気がする…苦笑)


・『思い描いていた自分〜20代から見た30代の自分』
20代の時に想像していたと言うよりむしろ計画していた30代と、実際の30代の違い。
思い描いていた姿とはかなり違う路線に乗ったけれど、ただ一貫として変わらないものも改めて思い出して、そんなこんなの話。



リストにしたら7個…。

本当に書くのかはわからないけれど、今日11/30現在は書きたい!と思っている。

ちなみに、やりたいことは、ホロスコープ講座の音声を聞くこと!

聞きながら、他の書き物も並行してしたいなぁと思っている。

2018年11月28日水曜日

ホロスコープ初級講座最終回11月

いつもいつもギリギリのホロスコープの課題。

先生からやらなくてもいいですよ、とメールが全体に来ていたから、本気でやらないつもりだった。

どうやっても終わらない。

半年学んだ全ての知識を総動員しての課題で、1ヶ月ありますからゆっくり取り組んでくださいと言われて、放置すること1ヶ月。

胃腸風邪になって、「これはもう絶対にやらない!」と心に頑なに誓った。
(4週間のうち元気だった日=27日、具合悪かった日=1日)

ところがどうしたことだろう…。

文字数の制限もあったから、最低限しか情報は書けない。

私はウルトラCのステキなアイディアを思いついた!

もう細かく見たところで細かな情報は書けない。

なら、大雑把に、もっと言うと目に付く情報だけ拾って、それを合わせたらいい!と。

で、2時間半ほどで、下書き清書合わせてやり終えた(今回提出が必要だった)。

全然ホロスコープを読み解いた気はしなかったけれど、とりあえず終わった。

その後は、念願の大丸でキッチンコーナーを覗いて(←毎回宿題が終わらなかったせいで時間がなかった)、大きな本屋さんも2軒寄って、晴天の下を歩いて東京駅周辺から銀座へ向かった。

東京は町を歩くだけで楽しい。

ランチに出ていた丸の内OLさんたちの小綺麗な格好とは雲泥の差で、場違い感はかなりあったけれど、それでも楽しかった。

ランチの看板を見るだけでも楽しいし、クリスマスの飾りを見るのも楽しかった。

講座も迷ったけれど、最後本当に行って良かった。

今日教えてもらったテーマは、この1ヶ月私がちょっと調べたホロスコープのテーマだった。

そして、その基礎と意味がはっきりとわかったから、またそれで1つ私は自分を知る材料を得た。

自分を知りたいのは、自分の人生に納得したかったり、色々受け入れ難いことを少しでも受け入れられるようになりたいから。

話は少し逸れるけれど、私が今回ペンジュラムを使っての人探しの手伝いをお願いされた件、それははっきりとホロスコープに出ていた。

今また日にちを入れて調べたら、本当にピッタリと重なっていた(360度分の1度の確率)。

魂の課題を表すとされるもの(=ドラゴンヘッド)それが子午線軸と呼ばれるところに重なっている。

先生からそれがどんな意味合いをもたらすのか、説明してもらった。

納得した。

その辺りはまた別の記事で書きたいけれど、とにかくその話を聞けて良かった。

そして、そりゃペンジュラムも東京行くにずっとYES、行かないにスーパーNOを出すなと思った。

発表は我先に!と一番にやりたいと手を挙げた。

もちろん理由は1つ。

他の人たちの発表を聞いたら、とてもじゃないけれど自分の発表なんてできなくなるから、それで先に発表をした方が楽になれると思ったから。

本当に正解で、他の人たちの素晴らしく良く調べられた発表は、私のものとはテイストも違っていた。

先生はどちらのスタイルでもいいですよ、と言ってくれたけれど、明らかに調べた量や取り組んだ時間が違う。

ただ、私はトップバッターだという理由だけで、盛大な拍手をいただいた!

ありがたい限りだった。

終わった後、クラスメートの人たちとごはんとお茶をしに行った。

今日は講座が最後で、いつもクラスメートの人たちとごはんに行けなかったから、それでヒーリングの勉強会は前回を最後にしてもらって、今回はごはんに出かけた。

ホロスコープについて盛り上がれる人が周りに誰もいないから、それはとても斬新でとても楽しかった。

趣味で繋がる人たちというのもとても良くて、当初誰とも仲良くなれないかと思ったけれど、最後は仲良くなれてそしてごはんやお茶ができるぐらいになれたのは嬉しかった。

来年の春以降、先生の方で今回の講座に出た人向けに単発の講座(中級編)を開いてくれるみたいだから、それは行きたいなと思う。



講座後、カフェタイムということで近くのカフェに移動して質問タイムが行われた。

その際、隣りを歩いた人(Aさん)と新潟の寒さについて話をした。

どうしてそんな展開になったのか。

そもそもどうして私はAさんの隣りを歩くことになったのか。

Aさんの口から、東京のとある地域の話が出た。

Aさんが今住んでいる町。

その町は、去年の秋に異動でいなくなった後だったと思うけれど、その異動した人の出身地だと聞いた町だった。

話を聞いているうちに、はたと昔の記憶が蘇って来た。

2010〜2011年、私は実は東京に引っ越すことを考えていた。

2009年に就活をした際、そもそも私は東京又はその近郊での就職を希望していた。

行きたい心理の学校があって、そこに通いたかったから。

だけど内定1社は名古屋で、その件は一旦保留にした。

名古屋校もあると聞いて、私は名古屋校でも体験授業に行ってきた。

行ってわかった。

私はその授業が取りたいのではなく、その東京校の先生から学びたいことを。

で、私は仕事を辞めたいのもあったから、東京校に通うために東京で住む場所をネットで探した。

私の中で住みたい風景があって、それにヒットしたいくつかの駅の辺りをひたすら探していた。

私は住所は見てなくて、駅の名前しか見ていなかった。

住所も見なかったし、駅の名前も今は忘れたけれど、私の好きな風景の中にあった某所がなんとその町にあった、と今日話を聞いて初めて知った。

仕事のことを考えると現実的ではなかったのと、当時仕事を辞めれず、そのうちに名古屋のコーチングのスクールに通うことにしたから、その話はすっかり頓挫したけれど、ただ驚いたのは私はピンポイントでその町の近くに住もうとしていたこと。

しかもそこが良くてそこを狙っていたこと。

東京の無数の町の中で、しかも学校自体は神田とかやたらと都心部にあったから、正直通うなら毎日ではないからどこでも良かった。

だけど、私はあえて住む町を限定した。

自分が好きな風景のある町が良かった。

まさかそことその町とが同じだなんて、今日の今日まで知らなかった。

だから何だ?という話だけれど、まさか過去のそんなことまでもが重なっていたなんて、今日Aさんが私の隣りでAさんの町紹介でもしてくれなきゃ知らないことだった。

ちなみに、大丸のキッチンコーナーで期間限定的な展示があったけれど、そこで気に入ったお皿があって陶芸家の名前を見たら、その人と同じ漢字の同じ名前だった。

相変わらず、サインだけやってくる。

何のサインだ?と思うけれど、サインは止まらない。

いつか買いたいお皿候補でもあったから、皿と名前の紹介カードとを写真に納めてきた。

2018年11月27日火曜日

夢の国へ〜ラスト〜

さんざん迷って、明日の本当の最後のホロスコープ講座at銀座に参加を決めた。

5月に急遽見つけて、1時間おきにキャンセル待ちを確認して、それで行けることになったホロスコープ講座。

当初全6回の講座だったけれど、最後に演習がくっついた。

明日はその演習の日。

あと最後に少しだけ授業があって、そこはずっと知りたいテーマでもあったから、それを習えるのは嬉しい。

課題が終わらず、終わらなければ終わらないでいいかと腹をくくりつつある。

それよりも心配なのは体調。

姪っ子の胃腸風邪的な菌をもらい、昨日から体がおかしなことになっている。

今日は明け方5時前から、数回トイレと仲良しになっている。

せっかくの東京なのに、明日はランチはおろかモーニングも怪しい。

さっき24時間ぶりにおかゆを食べたけれど、5分後にはトイレへGOだった。

下す時特有のおなかの痛さはなくて(←これは超救い)、おなかが張った感じと全身だるい感じで今日1日布団の中にいた。

姪っ子がやたらとすぐ横になっていた気持ちがわかる。

どうか無事に東京に到着できますように、そして1日の日程を無事にこなせますようにとそればかりを祈っている。



さっきお風呂に入っている時にNLP(神経言語プログラミング)を取っていた時のことを思い出した。

1ヶ月に2日間、朝から晩までみっちりと心の仕組みの勉強と心のワークをした。

それを約1年続けた(2011〜2012年)。

毎回宿題があって、基本的には自分が気付いたことを書くという自由スタイルのもので、私はこの宿題だけは唯一自主的にせっせせっせと取り組んだ。

先延ばしもしなかったし、ギリギリに書いた記憶もない。

ホロスコープは常にギリギリで、そしてやっていくうちに自分が好きではない類いの勉強だとわかった。

どんなに時間があっても取り組まない、いまいち気が乗らない、そういうものだった。

習ったことは一生使えるものだし、後悔はしていない。

でも興味の方向性は違っていた。

私がホロスコープに興味を持った一番の理由は、自分を知るためだった。

だから、ホロスコープの細かな情報や基礎を習っても、実はあまり萌えないことがわかった。



色々書いたけれど、これ以上の初級講座なんてないんじゃないかと思うほどの講座の内容だった。

先生いわく、講座に何を組み込むかは各講師の裁量で決められるから、何を講座で伝えるかは先生が全て決めていたとのこと。

今回習ったことで、一番の基礎の部分を徹底的に教えてもらえたから、本当にありがたかった。

私が独学で毎回読み飛ばしていた部分を網羅してもらえて、本当に良かった。

実現するかはわからないけれど、1年後に今後の1年がどうなったかを語る会が企画として挙げられている。

ホロスコープを習って、自分の特性なんかも知って、それで1年がどんな風に展開するのか、それを振り返る会は楽しそうだということになった。

それには参加したいなぁと思っている。



5月に東京に行った日。

それは半年ぶりの東京だった。

当初は10月までの予定ではあったけれど、その10月までの間に一度でも会えないものかと本気で思った。

途中からは、オルゴナイトの説明文を手書きで書いたものも持ち歩くようになった。

講座用に透明の厚いケースを買って、その中にその説明文は二重三重に包装して入ったままになっている。

今回もどう考えても無用の長物とわかっていても、一応持って行く。

会えないとわかっているなら持って行かなければいいけれど、いざという時にないのは困るからやっぱり持ち歩く。

今日こんなに具合が悪くなければ、その辺りの心の変遷も書こうと途中まで書いたものがあったけれど、あまりの具合の悪さにそれはそのままになっている。

いつかは書くのかな…と思う。

平日の昼間に銀座でバッタリ会うわけないし、じゃあ夜に池袋でバッタリ会うかと言えばそんなこともない。

今だから言えるけれど、夜に関しては何かあればすぐに動けるようにはしていた。

結果、多分人生で必要と思われるヒーリングの勉強会が敢行されたけれど(明日は勉強会なし)、私の中では本当に会いたい人に会える方が優先順位が高いわけで、そこは失礼を承知の上で当日ドタキャン覚悟で毎回東京に行っていた。

色んな意味で私の心の中はツッコミどころ満載だったけれど、それが紛れもない本心だった。

明日を最後に本当に東京に行く用事は今のところないし、仮に1年後にそのホロスコープ講座の会に参加したとしても、もう私は何も知らないところで生きているんだなぁと思っている。

何も知らないというのは、その人の個人的なことはもちろん、1年後も同じ会社にいるのかもわからないし、知ったところで交わらない人生はどうやったって交わらない。

今はなんとなくまだ同じところにいるんじゃないかと勝手に思っているけれど、仮にそうでももう結婚してるかもわからないし、何かがあってもおかしくない。

自分でも葛藤しながらの半年、特にこの2ヶ月は相当葛藤した。

毎日のようにやってくるサインだけじゃなく、他のことも実はずっとずっとあった。

もう私の中でどう解釈していいのかもわからなければ、それも偶然と思うことにした。

色んなことが重なり過ぎたことで、実は何もないんだと思おうと努力ばかりをした。

そうした時間だった。

そして、今回東京行きが終わることを機に、また色んなことが私の中で変わるような気がしている。

多分、もう交わらない人生をとことん受け入れることを始めていくと思う。

忘れることなんか絶対にないけれど、交わらないことを受け入れるのはまた別の次元の話になる。

明日は少しだけ1人の時間が夜あると思う。

その時に私が何を思うのかは知らないけれど、なるべく自分の気持ちや心の声を素直に聞いてみたい。

私は今でも本気で会いたいと思っている。

別にそれが明日じゃなくてもいい。

いつか会えるなら、本当にもう一度会いたい。



『夢の国』とタイトルを付けたことは、単なる非日常の旅となる東京行きだけを意味したわけではなかった。

自分の本気の夢を詰め込んで、その意味も含めての『夢の国』だった。

少しでも近くに行けることが本当に嬉しかった。

同じ天気、それは空模様だったり温度だったり、そうしたものを同じ空の下で味わえるだけで私は胸をワクワクさせてた。

そんな小さなことに私は喜んでいた。

私にとっての一番の夢は再会だったから、そういう願いも込めてのタイトル『夢の国』だった。

2018年11月26日月曜日

ママ友体験

たかが1時間程度のママ友体験で、猛烈に疲れた。

そして、本当に心から世のお母さんたちを尊敬した。

あれは、私が人生で経験した数々の体験の中で一番気を使い、一番フル回転で察知センサーを発動し、さらには小難しい人間模様に対する臨機応変な対応を瞬時に余儀なくされる場になっていた。

大真面目に子育てや専業主婦を下に見る男の人たちやキャリアウーマンたちに言いたい。

子育てや子育てにもれなく自動でくっついてくる他の保護者とのやりとりの方が大変だから!

仕事の方が何十倍も楽だと実感した。

仕事でこれまで、PTAのバザーのお手伝いとか、体験保育とか、保護者懇談とか、万引き発覚で店に謝罪とか、あれこれやったけれど、今日の1時間程度の集いの方が私には本気できつかった。

最近のブログで、動物の交尾シーンがテレビに映って、子どもに「あれ何やってんの?」と聞かれたことを書いたけれど、そちらの方が楽。

事の発端は、姪っ子(来月で3歳)が「メイとしょかんにいきたい!」と言ったところに始まる。

前の日、母がメイに「図書館に行こうか!」などと提案していた。

だけど、本人新潟に来る前からの体調不良で、昨日も夕方ぐらいまではいまいち調子が出なかった。
(その後、みんなに菌を移して、1人だけ超元気になったけれど)

今日になって、「メイとしょかんにいきたい」と、あと3時間で金沢に帰るのに、そんなことをぼやき始めた。

月曜日だから図書館は休みだと言うとションボリしながら「メイとしょかんにいきたかった…」と言い(迫真の演技と涙声)、今度は「じどうかんにいきたい!」と始まった。

消去法で、体も空いていて元気なのは私しかいなかった。

それで徒歩1分の児童館へとメイと行くことになった。

平日、連休明けの月曜、絶対に空いてる!と何の根拠もなしに思った私は、今日も前回同様メイとままごとなんかをしながら過ごすものだと思っていた。

玄関入ると、やたらと声がする。

遠目に2人ほどは見えた。

入ってびっくり、うじゃうじゃとちびっ子がいて、その数だけお母さんかおばあちゃんがいる。

入った瞬間から卒倒しそうだった。

まず何がびっくりって、受付に行くと見慣れた顔があって、名簿の苗字を見て、数年前まで20年近くに渡りうちのお隣りだったお母さんがいた。

お孫さんを連れて来ていた。

そういえば母もそんなこと言ってたなと思い出した、児童館で元お隣さんと会ったと。

挨拶や多少の世間話はできるけれど、いかんせんそれ以上の会話なんてしたことなかったから、非常に辛いものがあった。

そんなのまだ序の口で、その後さらにヒートアップする。

なんと今日は、クリスマスリースを作ろう!というイベント日で、それでどうやらたくさん人が来ていた模様。

最初「クリスマスリース作るなんて、それで時間潰れてラッキー!」と思った。

そのリース作りまでメイと時間を適当に過ごすことになるけれど、メイと私は今日来館した中で最後に来たから、すでにお母さんグループや、談話グループが出来上がっていて、その広いスペースの中で(コンビニ2〜3軒分はある)おもちゃが集中している棚の前を占領されていて、それ見て「げっ“( ̄ω ̄;;)੭ꠥ⁾⁾」となった。

メイは究極の引っ込み思案を発揮して、私にだけ聞こえる声で「メイ、あれしたい」とか指差しながら言う。

「ふみこ、やぁーーーーだぁーーーーっ!」とものすごくでかい声で遠吠えする家での姿とは天と地の差だった。

私は他の方たちの邪魔にならないよう間を縫って、メイが希望するおもちゃを取りに行き、そして隅っこの空いているところに座ってメイとその遊びを始めた。

周りを観察しながら、「公園デビュー」するしないのお母さんたちのお悩み相談を思い出した。

これ、ハードル高いわ!と思った。

私もメイに負けじと人見知りを発揮して、観察はするもののどこのグループにも混ざらず、ひたすらメイとだけ遊ぶふりをした。

クリスマスリース作りまでは、メイもひたすらひとり遊び系のおもちゃ(上から球を転がすと下の仕掛けのレールの上をぐるぐる回るものとか)をしていて、時々他の子たちが興味深そうにやってくると、メイには「貸して!って言われたら貸してあげてね!」と言いながら様子を見ていた。

お母さんやおばあちゃん、世代ごちゃ混ぜのグループのトークを盗み聞きしてわかったこと。

この手のグループの会話は、ものすごい配慮が必要な会話だとわかった。

子どもを通じて自己紹介はすると思うけれど、変に家族事情や地域事情に絡む話は基本的にご法度(仲良くなれば多分別)、子どもの成長についても相手の子どもの成長や健康は目には見えない何か事情があることもあるから詮索になりそうなことはもちろんご法度、という具合にあれこれ細かな制約が至るところにありすぎて、超神経使うわこれ!と思った。

ましてや私は姪っ子だからもっと話が面倒だから、そこはもうそっと黙っておくしかない。

そんなこんなのうちに、待望のクリスマスリース作りの時間が始まった。

あれは親子共同作業だし、適当にやれば時間が過ぎるというありがたいやり取りかと思った。

それが勘違いだというのは、参加してからわかった。

まず、席を聞くということから開始。

実は私、今回わかったけれど、どこに座ってもいいですよ形式である程度埋まった中から適当な席に座るのがとても苦手。

これが単なる免許更新なんかで講習を聞くぐらいのものならいいけれど、仕事の飲み会とか今回みたいな作業とか、とにかく一度そこに座ったら否が応でも近くの人たちとコミュニケーションを取らないといけない、そういう場における席が本当に苦手。

私は今でこそ相当話せるようにはなったけれど、本来そうした時にそのままでいていいなら人見知りをしまくりだから、けっこうハードル高いものになる。

メイなんかははなから自分で聞くなんてしないから、当然大人の私が先導しないといけない。

とりあえず案内された席に着いて、先生の指示があるまでひたすら黙って座っていた。

実際にスタート。

工作苦手女は、たとえ未満児(3歳以下)向けのものでもきちんと説明を聞いておかないとやらかす。

かなり耳をかっぽじって聞いていた。

手順はそんなに難しくはなかったけれど、何せメイと工作なんかしたことがないからメイのレベルがわからない。

メイを見て、メイができそうにもないところは手を出すことにした。

メイは誰に似たのか知らないけれど、やたらと几帳面なところがある。
(両親ではない)

3歳になる前とは言え、すごくきれいにハサミを使っていた。

線の通りにまっすぐ切るという腕を披露していた。

そして切ったものや他の装飾品をリースに貼り付けていく作業も、丁寧にしていた。

ものすごい分厚い猫の皮をかぶったメイは、多分家なら「ふみこ、それダメ!」「じぶんでする!」とか言ってギャーギャーなりそうなところも、とても静かに従順にしていた。

何この空気の読み方?( ゚д゚)と思いながら、とりあえず作業を進めた。

「うわぁ、上手ですね!」
と前に座ってたお母さんから突然声を掛けられた。

確かに上手ではあったけれど、こういう時、ただ「ありがとうございます」と言うのがいいのか、それとも「工作は好きみたいで」とか「保育園に通っているから色々できるようになってきました」みたいなことを言うのがいいのか、さらには相手の作品も褒めた方がいいのか、その諸々が本当にわからなかった。

幸い、そのお母さんの子どもはまだハイハイしているぐらいの小さな子で、工作はお母さんがひたすらしていた。

だから今回は、相手の作品を褒めることはあえてしなくて良かった。

でも、返答は何がいいのか…。

とりあえず、ありがとうございますと保育園に通っていて色々してるみたいだということだけを伝えた。

今書いていて気付いたけれど、そのお母さんから保育園のことは何も突っ込まれなかった。

そもそも保育園に行っているなら今日なんて保育園に行ってる時間なのに児童館に来るなんて、そもそもおかしい。

そういうことも突っ込まないのがママさんたちの会話だと思う。

次に、テーブルの一番端にいた超きれいで若いお母さんが、先に材料を少しもらっていいですか?と言いながら、共通で使う材料を自分たちの分だけさっと取り分けていた。

当たり前のことみたいだけど、私は上の会話でテンパっていたから、材料が遠い近いなんてわからなかった。

そうしたさりげない気遣いも、要は周りに迷惑とならないようにさっと動くことも求められる。

妹に帰ってからその話をしたら、多分そのお母さん、どんなに年がいっていても私より一回り以上下、もしかしたら25歳ぐらいかもとのことだった。

本当にきちんとしていて(他の場面でもすごく素敵な対応をしていた)、私はすごい感動した。

最後仕上げを先生からしてもらうようになっていて(なんと短時間に、子どもの写真を撮って、それで子どもの顔でサンタクロースの飾りを作っていた!保育のプロたちのスゴ技!)、その順番待ちをした。

それさえも、先生に声をかけていいのかためらわれて(なぜならなかなか大変な作業だったから)、そこも難しい判断だった。

先生の方が気付いて声をかけてくれたから良かったものの、正直私にはどうこちらから声掛けをするのかNOアイデアだった。

今度完成したはいいけれど、その後自由時間なのかそれとも何かみんなで記念撮影的なことをするのか、それとも別の工程がイベントに組み込まれているのか、皆無だった。

メイは借りてきた猫だから、じっとしている。

私から先生に、他の遊びをしても大丈夫か?を聞いて、メイと私はいの一番にそこを去った。

今度は大きな広間に移って、三輪車とボールプールで遊んだ。

私としては、完全貸切の今、ボールプールとあとトランポリン的な遊具とでメイに遊んで欲しかった。

ところがメイは1人の時に三輪車に乗って、他の子が来たら他の子と同じことをやりたがった。

ボールプールで1人で遊んでいた時、メイの写真を携帯で撮ったら、後から来たメイより1つ下の女の子とおばあちゃんが来て、「写真終わるまで待とうね」とおばあちゃんが女の子に言っていた。

ぎゃー、やらかした!と思って、慌てて「どうぞどうぞ入ってください」と声をかけた。

そうした気遣い(写真の邪魔になってはいけない、そして反対に周りを遮ってまで写真撮影をすることは控える)も必要なんだと学んだ。

さらにおばあちゃんは私に聞いてきた。

近くから来てるのかと。

まさか徒歩1分とは言えず、近くですと言った。

おばあちゃんは、ある固有名詞を出してそこのすぐ隣りだと言った。

私は瞬時に色んなことがわかった。

多分うちから100メートルほどの距離で、多分ここ数年ぐらいで土地を買って家を建てたおうちだとわかった。

イコール、私の1つ下2つ下のきょうだいのお母さんだとわかった、間違えていなければ。

これもひょんな話で、私は前の仕事で個人情報を取り扱っていたから、その家のことも詳しく知ることにたまたまなった。
(無作為だから、そうした知り合いの家に当たることも度々あった)

私が苗字を出したら一発でバレるから、うっかり名前とか何か場所を特定できることを言わなくて良かった!と思った。

その後は、近くていいことや色々遊べて助かることなんかを、とにかく当たり障りのない話をすることに努めた。

ここまででも私はもう疲労のピークに達していたけれど、この後さらに追い討ちをかけてすごいことが起こった。

「メイ、おままごとをしたい!」

ガラス戸の向こうの部屋を見ると、来た時にすでに数人の人たちで占領されていたおもちゃの棚の前が空いていた。

これはいい!と思って、メイを連れ立ってままごとをしに行った。

家でもエンドレスお店やさんごっこ(修行その1)とおうちごっこ(修行その2)をしていたのに、ここでもままごと…。

何の刑かと思った(汗)。

これは後からわかったことだけれど、多分今日来ていた子どもの中でメイが最年長だったと思う。

だから、メイが始める遊びは、年齢の近い子たちからするととても魅力的な遊びに見えるようで、メイが何かを始めると他の子たちも付いてくるという感じになっていた。

しかもメイはこの手の遊びを1年以上飽きずにほぼ毎日やっている。

しかも、家でパパである義弟とメイとで見るタブレットは、毎回シルバニアファミリーとかアンパンマン系の小さな人形、又はりかちゃん人形を使ったおうちごっこの動画で、そこからもものすごくたくさんアイデアを日々得ている。

ちなみにその動画、私も一緒に見たことがあるけれど、シュール過ぎる。

大人のユーチューバー的な人がひたすら1人で人形たちを動かして、声を変えて、ごっこ遊びをする。
(↑冷静にその状況を想像すると、シュールな感じが伝わると思う)

私にはその面白さは全くわからなかったけれど、メイは大好きで今もずっと見ているらしい。

だから、メイのままごとは実によくできていて、他の子たちの羨望の眼差しになるのはある意味仕方ない。

事件は起こった。

メイより何ヶ月か年下の女の子で、とにかくメイが何かを始めるとすぐに真似をして同じことをする子がいた。

小さい子特有のもので、メイの持っているものを横取りする。

理不尽なのはわかっていたけれど、それをまた取り返そうとするメイには「『貸して!』って言うんだよ」と2回か3回言った。

ちなみにもう1人女の子が来て(←きれいなお母さんの子ども)、私は完全にこの3人のかしまし娘たちのごっこ遊びの相手で、常に三人三様に求められることをエンドレスでやっていた。

いただきますだの、おいしいお茶ですねだの、その手の会話をあの短い時間で何十回したかわからない。

そんな最中、起こった。

「ねぇみて!チーズだよ!」とメイが私に鍋に入ったチーズを見せてきた。

そうしたら、隣りの真似する女の子がすかさずそのチーズを取ろうとして、それでメイはメイで今度その子がチーズを取らないように、鍋と鍋ふたでその子の手を全力で挟み出した。

ギャーーー((((;゚Д゚)))))))!!!!!!!!

すぐにやめさせて、その子には欲しかったら貸して!って言うんだよと伝え、メイにはおもちゃで人の手をそんな風に挟んじゃいけないこと、ケガするから危ないことを伝えた。

私1人で顔面蒼白だった。

別に大けがになるようなことではないにしても、ダメなものはダメだし、そしてここで何がこの状況の難しいことなのかがすぐにわかった。

メイにはきつく言えても、他人の子どもにはものすごく言いにくい。

しかもお母さんがずっと近くにいなくて、私はこの子のお母さんが誰かもわからなくて、余計とやりにくかった。

施設で働いていた時、幼児を最大で10人一斉に見ていた時期があったけれど、そちらの方が実はすごいやりやすかったというのがわかった。

その中では子どもはみんな対等で、私も何にも気にすることなく、完全に対等に関われたから楽だった。

子どもと子どもの間に差がなかったから、今メイに注意するように注意できたし、悪い時は年齢とか関係なく悪い方をそのまま指摘できた。

両方が悪ければ両方を同じように叱ったし、片方だけがふっかけていたならそのふっかけた側を叱った。

でもよその子はそういうわけにいかない。

どこまで注意していいのかも、親の考え方もわからないから、もう最低限しか関わることはしなかった。

最後にお母さんが来て「一緒に遊んでいただきありがとうございます」とお礼を言われた。

まだ小さな赤ちゃんがいて、それでお母さんが相手にできなかったことがわかった。

今回みたいに、双方に非があっても、これが他人の子どもとなると色々言いづらい。

そんなことをすぐに判断して対応する世の中のお母さんお父さんには尊敬の念しかない。

絶対の正解もなければ、子どもの事件は常に内容が変わって一発本番みたいなところが圧倒的に多いから、本当に難しい。

修羅場を超えて、その後も若干目を光らせないといけない場面はいくつかあったものの、ようやく帰れる時間になって私も安堵した。

最後、どう片付けていいのかわからなくて、片付けができる範囲でメイとやって、最後は先生の方から「あと大丈夫ですよ!」と声をかけてもらって、お願いしますと言って帰ってきた。

メイは「たのしかったね(*^o^*)」と超ニコニコして大満足して言っていたけれど、私は超ぐったりとした。

滞在時間1時間半、実際には2人きりの時もあってそこを30分としても、1時間はそこで色んな人たちと関わってきた。

まだまだ小さな子ゆえ、みんなどの子も動きの予測がつかない。

それは子どもだから仕方ないにしても、メイの鍋ふた事件のようなことがあった時に、単にメイやその子どもだけじゃなく、その先の親のことも踏まえて何かをしないといけないというのが私には本当にストレスだった。

これが、「自分対わが子」だけではなく、そこに「よその子ども」「その子どもの親」と付いて回るから、たった1つのことでもやたらと難しくなることがわかった。

全てのことは二重三重構造で、私ははっきりと「ママ友」は超難しいと思った。

本当に、そういう意味では仕事の方が単純明快な構造でやりやすいと心底思った。

ままごとの時に周りを見渡して、何人いるのかを数えた。

子ども10人、大人が関係者含めて11人。

そこにいられた大人の方たちは皆さん穏やかで良い人だと感じたけれど、それでも私にはもうこの1時間だけでスーパーぐったりだった。

これが面倒な親や人としてあまりにも配慮なんかが欠けている人相手なら、こんな程度では済まされない。

職場や個人的な付き合いで私が仲良くなる子どものいるお母さんは、実はほぼみんなママ友がいない、と本人談。

多分今日私が体験したようなことがものすごくよくわかっているから、適度に距離を置きながら付き合っているとみんな言っていた。

あと職場で転勤妻たちに何人か会ったけれど、この転勤妻たちもすごい。

適応力やコミュニケーション能力がすごい高い。

多分今日のような場面を山ほど各地で体験して、そしてあのすごい力を鍛錬したんだろうなぁと思う。

とにかく、メイのおかげでママ友体験版・公園デビュー体験版を体験して、本当に色々気付かせてもらった。

2018年11月25日日曜日

とても嬉しかった話

世の中のシュールな婚活ブログを読むようになって多分1週間か2週間。

他人様の人生を覗いて悪趣味もいいところだけど、色々面白すぎてやめられない。

真剣に婚活をしている人たちを前にひどいけれど、色んな人たちの超個人的な好みや考え方を知るのは、自分を知るのにもってこいの材料だと思う。

それはそうと、婚活ブログを読んでとにかく感じるのは、「結婚」することはおろか、その前に出会って付き合うことのハードルの高さ。

私みたいにそうした努力もしてない人はさらに難しい気がしてならない。

そんな風に思っていたところ、思ってもいなかった方向から紹介の話が来た。

話は来て終わりだけど、私が感動したのは色々難有りの私のいわゆる「スペック」のいくつかを既に知っている人からの話だったこと。

私が普段表に出さない、聞かれなければ言うこともないこと、例えば年齢とかスピオタクなところ(スピオタク=スピリチュアルオタク)とか、それらを踏まえて私がそうした話に挙げてもらえたことが私はとても嬉しかった。

その話をした人の口から出てくる私の人の良さと言ったらなかった(本人比10倍は盛られてる)。

それでも私は嬉しかった。

もし私がガチの婚活をしたなら、婚活市場での私はものすごく価値の低い部類に入る。

紹介さえも結びつかないんじゃないかと思うぐらい。

今や私の中で、自分がこれからの人生の中で可能性のあることないことを並べたなら、私が結婚することが私の残りの人生で一番可能性がないように思っている。

稼いだことないけれど、自分が年収1000万プレーヤーになることよりも結婚は可能性が低いと思う。

そんな風だから、私には難しいことにしか見えない結婚&パートナーシップ。

ちょっと視点を変える。

もし私が、私と全く同じスペックの人を誰かに紹介するとするなら、最初に全出ししてそれでも「会いたい!」なんて人は高望みしないから「会ってもいいよ!」という人がいたら御の字だと思う。

自分を卑下してるのではなく現実だから、その現実が全く気にならない、もしくはそれはその人の人生だと割り切って付き合える人は、相当徳の高い人だと思う。

そんな風だから、まさかの紹介話の前振りが来て、本気で驚いた。

しかも私の中で言いにくいスピリチュアル的な部分を先に知ってくれている上での話。

私はその気持ちだけで本当に嬉しかった。

私は今少しずつ自分を慣らしているけれど、いつかの自分が何のわだかまりもなく、スピリチュアルな部分や自分のできることを誰彼問わず言えるようになるなんて、今はまだ想像できない。

一生、2つの顔を持ちながら生活するんだろうか…ぐらいな気持ちでいる。

必要がなければ、あえて自分を外に向けて発信する必要がない。

色々言いにくいと感じるトップ3の1つがスピリチュアル的なこと。

それが全く気にならない日が生きているうちに来たら御の字だと思っている。

私自身でさえそんな風だから、それを普通に振り切って紹介の話をさらりとしてくれる人がどれだけ希少かと思う。

しかも私を知っての紹介で、それが勲章のように誰かに言いふらしたいぐらい、そういう気持ちにさせてもらえるものだった。

だから、今回そんな風に話が来ただけでもものすごいことで、私にとってはとても嬉しいことだった。

それを本気で言って来た人の気持ちが、本当の本当に嬉しかった。

2回目を前に

「メイもお月さま見たい!」

外でタバコを吸い終わった父が、今日は月がきれいだと言ったのを聞いて、もうすぐ3歳になるメイが自分も見たいと言う。

コートを着せて私が抱っこして外に出た。

出てすぐ、東の空に満月みたいな月が出ていた。

本人もすぐ満足して、そして部屋に入った。



明日というか今日、もう一度ペンジュラムを持って人探しの手伝いをしに行ってくる。

来てもらえるなら来てもらった方がいい、ということになって再度伺うことになった。

今回は現地に直接連れて行ってもらう。

迷いながら連絡した結果が今になる。

自分でも迷いに迷って、そして今に至る。



私は自分が何をしに行くのか、さっきふと出てきたものがあった。

もちろんペンジュラムで特定できることを特定する、そこが本来の目的ではあるけれど、これでも外すなら私はもはや目的は別のことかもしれない…と考えている。

今回の件に関して、私の中では超異常なほどのシンクロというより合致率を引き起こしている。

それもその件に関してだけ、異常なまでの合致率を引き起こしている。

しかもそれは私個人のことだけではなく、他の人たちのタイミングさえも合っていて、これには正直驚いている。

自分のことはどうとでもできても、他人様のスケジュールや動きなんて私がどうこうできる範疇になく、そういうことさえもぴったりのタイミングだったりする。

私は、私が見たことたちをそっくりそのまま伝えてくる、そのことが目的なのかもしれない…。

ふとそう思った。

私は自分が何に繋がってこうした出来事に関与しているのかは知らないけれど、この異常なほどの合致率を誇るそのものたちを前に、この一連のことはかなりな異常事態だとようやく認識できるように至った。

内容云々ではなく、幾つものことが重なり合う感じが異常事態だった。

通常のシンクロが1なら、今回はシンクロがその10倍の多さで起こっている。

そんなこと、私の人生でも片手で数えるぐらいしか起こらないから、それが普通ではないとようやく自分の中の認識も深まった。

そしてもう一つ。

「2回目行けることになった」こと。

たしかに、2回目は私が申し出たけれど、何はともあれ「行ける」方にGOサインが出ている。

内容が内容なだけに、もうこれは行く行かないは私が決められないことは知っていた。

必要があれば行く、必要がなければ行かない。

その必要は、相手に必要とされるされないではなく、そこに関わっている人たちとそして私にとって、そこで起こる何かを体験することが必要でなければ行けない。

自分の人生のパターンを見ていたらわかる。

人知を超えたレベルのものは、言葉の通り人知を超えているから、私個人がやりたいやりたくないとかいうレベルだけでは決められない。

もし関わってはいけないことなら、100%行けないようになってしまう。

例えば、相手から断られるとか、天気が災害レベルで崩れるとか、私の体調が動けないぐらいにダメとか、絶対に外せない別の用事があるとか…。

行ってはいけない時、私の場合、明らかにおかしなことが起こるから、それで「これ以上進んじゃダメなんだ」とわかる。

今回はそうなっていない、むしろきちんと何だかんだありながらも行けることになっている。

だから関わってはダメということでは少なくともない。

私はそう判断した。

じゃあ行くなら行くで、何をするのか、何のために行くのか…を突き詰めると、ペンジュラムの活動+私が知っている話を全て伝えてくること、その2つなんじゃないかとようやく思うようになった。

私が伝える話も、それをどう相手が感じるかなんて私にはわからない。

だけど、少なくとも、自分が見たものだけは伝えてこよう、そう思っている。

できることをする。

それが全てだと思っている。

やっとそこまでの気持ちが固まったから、そこは後悔のないようにしようと思う。

そこは私個人のセンスで決めてしまおうと思っている。

自分が正しいと信じること、そうした方が良いと信じること、それをやることが全てだと今は思う。

もうそれで私が何かをやらかしたとしたら仕方ない。

やっと覚悟が1週間かけて決まった。

25日午前11時〜午後14時ぐらいまで、祈り受付中。

私も自分のペンジュラムと自分自身がとにかくベストを尽くせるよう、それを祈るばかり。

2018年11月22日木曜日

物理と化学

中学生と社会勉強しにツタヤへ。

珍しく事前に見に行った。

初めて立ち寄る高校参考書コーナー。

数学と英語は大量にあったけれど、探している物理と化学がない。

大真面目に、日本の大人人口のうち、どのくらいの人が「物理」と「化学」がどう違うのか説明できるのかな?と思う。
(ちなみに私はできない。今日参考書を10冊は開いたけれど、その2つの違いが何かは全くわからなかった)

水溶液の中に電流を流したら、あれは何になるの?と思う。
(↑既に言葉の説明がおかしいかもしれない)

とりあえず、下見の時は教科書ガイドなるものを見た。

化学、必修で取ったはずなのに、何一つ頭をかすめることなく、それよりもそんな難しい教科を前によくぞ高校卒業できたなと思う。

よくわからない図と説明は、「で、これは何?」としかならない私の頭の中では全てが一緒だった。

電流?導体?磁界?、もはや何の何の説明なのかも皆目見当がつかず、っていうかこれは実生活で言うところの何?みたいな感じでしかなかった。

教科書ガイドはやめて、「わかるようになる!」とか、「基礎からわかる!」とか、「やさしい!」と謳っている参考書を見た。

「マンガで読む!」みたいなのも見た。

もうこの世の物とは思えない単語のオンパレードで、わかるようにもならなければ、基礎という前に用語すらわからない、やさしいって誰レベル?なんて思い、マンガに至っては私は瞬時に1つだけ理解した。

さっきの教科書ガイドの中にあった図を、単にカラーにして、その近くにキャラクターがいて、吹き出しのように説明しているだけ。

それらが本当にわからない人からすると同じにしか見えない、キャラクターが喋ろうが、カラーになろうが皆同じ。

ちなみに、物理に至っては私は人生で初めて「物理」と書かれた本を開いた!

中学生の頃やったかも?という記憶が少しだけ出てきたけれど、もはや何が何かもわからない。

日本語なのに、ハングル文字とかアラビア文字を見ている時と全く同じ感覚だった。

とりあえず売場だけ抑えて、それでその少し後、今度は中学生を連れ出して一緒に見た。

その子も私と同じ反応をしていた。

調べ物の1つに「有機化学」と「無機化学」というのがあった。

背表紙見たところで言葉の意味すらわからないから、私はとりあえずグーグル先生を呼び出した。

グーグル先生も何言ってんのか、全然わからなかった。

とりあえず、有機物の化学と無機物の化学の違いだということはわかった。

でも、私は有機物と無機物の違いはわからないから、何が有機物?何が無機物?、無機物と無機質って何が違うの?有機物って有機野菜の有機と同じ?っていうか有機野菜って何?……、というどこまでも終わりのない質問ばかりが頭を駆け巡った。

2人で共通の感想。

カタカナ表記のものが、法則の名前なのか、人の名前なのか、単位の名前なのか、物質の名前なのか、それさえもわかんないね!と。

ちなみによく聞くオームの法則のオームって何?状態。

開いている途中、「ハロゲン」という言葉を見つけた。

「ハロゲンってハロゲンヒーターのこと?」と2人で口を揃えた。

17種族?帰属?単語も忘れた、その17何とかという分類?単位?もわからなくて、これは何を意味するんだろうね〜、と2人呑気な感想を言い合った。

その子が「これ、隣りの超頭のいい男子に教えてもらった!」と言って、分子?みたいなやつの模型図のようなものを指差した。

真ん中に丸があって、その周りを何周もの線が描かれていて、線の途中に小さな丸が乗っかっていた。

子どもいわく、何かが起こると数が変わるらしい。

「何で数が変わんの?物は同じなんでしょ?」

「なんかね、数が変わるんだって〜!」

その数が変わるとかいう意味さえわからない。

重量と質量の意味の違いもわからない。
(もしや同じもの?)

そんなこともどこかに書いてあった気がする。

一事が万事その調子で、最初から最後までファンタジーの世界にいるようだった。

参考書はわかったから、その後そうした勉強が大人の世界ではどういうものに変わるのかを教えたくて、そのジャンルの本を探した。

まずは、「ジャンル名」でつまずいた。

そうした勉強は何のコーナーに行けば置いてあるのか、さっぱりわからなかった。

2人で本コーナーをウロウロし、ようやく子どもの方が「理工って書いてある、あそこじゃない?」と言った。

それっぽいと思って行ったら当たってた。

ただし、置いてある本たちのマニアックさと言ったらなかった。

唯一タイトル見てわかったのは、「人工知能」だけだった。

他は、タイトルの中の言葉で最初からつまずいた。

2人とも早々と戦意消失して、その子も私も気付けば天体の写真集を手に取っていた。

そのコーナーで唯一興味を持てたのが月や星の写真集で、他は一生縁のない話ばかりだった。

適当な本を1冊手に取って開いて見たけれど、こういう話がとても面白くてスラスラ読める人もいるんだろうなぁと思った(「こういう話」とか言っているけれど、中身は全くわかっていない)。

私にはわからない面白さが他の誰かにはわかる、そういうものなんだろうなぁと感じた。

子どもの方も参考書に始まり、専門書を見て気付いた。

それが自分の進みたい道でも興味のある分野でもないことを。



ふざけたことばかり書いたみたいだけど違っていて、実はこの社会見学はとても大切だった。

私の中でこれは一か八かの賭けだった。

私から見て明らかに適性のない方向に進もうとしていた。

適性がないだけじゃなく、本人も多分好きじゃない。

ただ、そうだと明確に自分で気付けるかと言えば、そうでもなく、私も英語以外は見てないから何とも言い難かった。

でも、私の中で「多分違う」と感じる数少ない過去の会話があった。

色んな話をするけれど、そこについては本人がポロッとこぼす言葉が「点数取れてるけど多分苦手なんだろうなぁ」と感じるものだった。

タチが悪いことに、点数は取れてたからますますわかりにくい感じになっていた。

だから、物理と化学の参考書を見て、あとは本人が何を感じるかが全てだった。

それでも本人がやりたいならGOだし、気付けば自分で進路を変える。

ちょっと話をしてから(変えろとかは一切言わず)、各教科の本人の得意不得意の感覚を聞いて(←これは私が見立てた通りだった)、それでいざツタヤへと社会見学に行った。

それが上の話で、そして本人の口から「これはできない」という言葉が出てきた。

この「できない」はあきらめのできないじゃなくて、自分のことを見つめたことで出てきた自分を知った人の言葉だった。

物理と化学の本を開いて、それが自分の興味関心にないことや、もしそれをこれから3年学ぶとしたら相当キツイ学校生活になることは本人も自分でよくわかって、ありありと想像していた。

家に帰って、進路を変えると本人の口からお母さんに言っていた。



そもそも何でこんなことになったかと言えば、事の発端は今回の日を相談するところから始まった。

子どもと私とで、テストも返ってくる頃だろうし、受験に向けて具体的に対策していかないとだからこの日にしよう!と1ヶ月ぐらい前に日にちを決めていた。

だけど、直前になって、テスト返ってきてないから来週の別の日にしたいと友達から連絡が入った。

ただ今回は私も次いつ行けるのか明言できないし、1ヶ月とか空いたらまた受験対策に差し支えるだろうから、とりあえずテストはいいから明日にしよう!ということになった。

その時はまさかツタヤに行くことになるなんて思ってもいなかったし、そんな展開が裏側にあるなんて想像さえしていなかった。

そのやり取りの時に、子どもの方がすでに進路希望用紙を出して、申込の段階にすでに入っていたことを初めて知った。

それが青天の霹靂の選択で、寝耳に水とはこのことだった。
(四字熟語を使うと頭が良くなった気がする←ザ・勘違い)

まさかの展開で、ビックリした。

真っ先に子どもがボソッと呟いた言葉が頭をよぎった。

その言葉がなければ私もそうなんだで済ませたけれど、その言葉がとても気になった。

それが最近というより数ヶ月も前、もしかしたら去年とかの話かもしれないけれど、あれから才覚が芽生えて大幅に得意になったとは思えなかった。

数学は天才的にできる。

英語は2年かけて叩き上げただけあって、確実に基礎を身につけ相当なレベルまでできるようになった。

理科はそのどちらでもなく、点数は取れるけれど…という感じで、本人も多分苦手意識がある、私の目にはそう映っていた。

ただ、私のそもそもの理科分野の知能が著しく低いその視点で見ていることと、私の苦手とは違ってやればできるところが判断に迷うものだった。

それで友達からびっくり仰天な進路の話を聞いた後、私は初めて学校の募集要項をネットで調べて見たら、驚愕のカリキュラム+過去最高に厳しい受験資格+合格基準を知って、それで友達に本当にそこ受けるの?と聞いたところが始まりだった。

不合格の心配ではなく、うっかり合格した時の心配だった。

よその家のことに口出しするのもおかしかったし、ましてや本人が希望している、しかも申込に入った…というのを知ったから、余計と言いづらかった。

願書受付は先だけど、本当にそれでいいの?と聞いた←余計なお世話なのは百も承知で聞いた。

友達と色々話して、もちろん決めるのは本人だし止めることはしないけれども、ただ情報だけは正しく見て判断した方がいいということになり、それで友達からもOKをもらって話すことになった。

実は友達もかなり色々言ったみたいだけど聞く耳持たずで、だからぶっしーの話を聞いても本人が尚まだ行きたいって頑なに言うんだったらもう何も言わない、とまで言い出した(汗)。

だからしたことは、
・募集要項を一緒に見て、私が気になった部分とその確認
・本人の各教科に対する自分の得意不得意の感覚の確認
・ツタヤに社会見学
(ツタヤは友達に連れて行っていいかどうかを前もって聞いておいた)
この3つだけで、だからツタヤは最後の賭けだった。

気付かなきゃ、もうそのコースに少なくとも3年は行くわけで、それは本人の人生だから止めようもないし、あとは本人が自分で知っていくしかないと思った。

ツタヤに行ったのは、本人が少しでもイメージを持てるようにするのと、それでも自分は行きたいかどうかを見極めてもらうためだった。



もし今回は中止にして、来月のどこか適当なところで子どもに会っていたのなら、もう間に合わなかった。

正直な気持ち、こういう人の人生が大きく左右されることに口を出すのは好きじゃない。

そもそも口出しができる立場に自分はないと思っている。

だけど、今回はかなりヤバイと感じた。

小さな呟きだったし、それを重要とも当時は全く思わなかったけれど、そう言えばぼやいてた!とそこだけが記憶に残っていた。

具体的な言葉も忘れたけれど、とにかく「実は苦手なんだろうなぁ」と思ったことは覚えている。

それがまたやればできると思えるぐらいの点数を取ってくるし、下手したら5教科で1番の高得点だった時もあったと思う。

しかも数学がめちゃくちゃできるから、自動的に理科も…と思っても不思議ではなかった。

さらに私は先に書いた通り、理科は天才的に何もわからないから、全くノータッチだった。

だから、現実的にどの程度本人が理解しているのか私は知らなくて、知ってるのは唯一本人がいつかぼやいた言葉とそこから連想されることだけだった。

だから、超ハイリスクだった。

本当は得意かもだし、実は大好きな科目かもだし、色んなことが私の勘違いかもしれなかった。

だけど、もし私の感じたことの方が真実だった場合、その後大変になるのは一目瞭然で、そんな見極めはもはや私にはできなかった。

親子や学校の先生と話した時も、もちろんそういう角度での話にはならない。

「どこに行きたい?」「どこを受けたい?」とはなっても、この教科苦手だからその選択止めようよなんて話には絶対にならない。

私の勘違いの可能性もとてつもなく大きいわけで、だからこちらでできるのは情報提供だけ。

そして社会見学という名の物理と化学の本を見る機会を作るだけ。

だから一か八かの賭けだった。

本人にもはっきりと言った。

私はその学校もとても良い学校だと思っているし、ぶっちゃけ本人が行きたい学校ならどこでもいいと思っていること。
(カリキュラムはこの辺りじゃ特A、五つ星だと思う)

ただ、もしそのカリキュラムが実はすごく苦手で好きじゃない場合、入ってからの学校生活がものすごく苦痛になること、入るよりも入ってからが大事だから、それを何となく想像するために行くのがツタヤの目的だと伝えた。

好きならそのまま頑張ればいいわけで、何の問題もない。

本人もツタヤに行くまでは、そこまでの危機感もなければ、まぁ見てみるのもいいかなぐらいでしかなかったと思う。

だって行く前に「行っても行かなくてもどっちでもいいけど、どうする?」と聞いたら、「じゃあ行く」と言っていて、「絶対に行きたい!」わけでは決してなかった。

最初に書いたように、本人は本を見て絶句した。

学校で習ったようなことも時々出ていたけれど、どう考えても自分がそうした勉強をする、それも3年もするイメージは湧かないと言った。

代わりに、毎日復習しないと付いていけそうにもないことや、付いていけても確実にクラスの中で落ちこぼれるのは自分でわかったようだった。

だから本人が自分でそこは受けないとはっきりと決めた。



7月に受けたホロスコープ鑑定の時に言われた言葉を思い出した。


【「人間交差点」的な役割をする。生まれてすぐに皆既月食があったため、その影響が大きい。
誰かの重要なタイミングや、人と人とが出逢うタイミングに居合わせることが多い。】


今回も狙ったわけではないし、こんな展開は全く予想できなかったけれど、それでもそういうタイミングに居合わせることになった。

あの鑑定の後から、少しずつ言われた意味を体験を通じて分かり始めている。

そして、多分だけど、私としてはかなり嫌だしましてや人の人生がかかっているようなことは絶対に避けたいけれど、それでも気付いて言わなきゃいけないことや伝えないといけないことがあるんだろうなぁ…と思い始めてる。

やりたいやりたくないではなく、とりあえずそうしたタイミングに勝手に入っていくというかやってきちゃうし、ある意味避けようがない。

避けるとするなら、「私は何もしない」と決めるだけ。

でもそういう時ってわかる。

なぜかタイミングが無茶苦茶なのに合ってしまうから。

合わせようとしなくても勝手に合ってくる。

だから、状況は避けられない、基本的に。

避けるなら私が「見ざる・言わざる・聞かざる」に徹するしかない。

毎回批難覚悟、怖さもたっぷりと味わいながら、そうしたことに関わるってどういうことだろう…と思う。

あの時鑑定のS先生に言われたみたいに、自分の人生に慣れていくしかないし、そうしたことが予見される自分自身の星(ホロスコープ)を好きになるしかない。



余談だけど、物理や化学に通じる回路を持っていて、そしてそれを仕事にしている人たちって本当にすごいと思う!!!!

実際に、電気関係の仕事に関わる事務をしてみて、毎回思ってた。

あの暗号のようなものたちが何を意味してるんだろう?と思っていた。

私には単なる線と数字とアルファベットにしか見えなくて(←もちろんそんなわけない)、それを正しく解読して絶対にエラーが無いように100%の内容に毎回仕上げるって本気ですごいと常々感じていた。

今回の物理と化学の参考書を見て、その気持ちは益々高まった。

ああいうことがわかる人たちは本気の天才だと私は思っている。

ハロゲンってハロゲンヒーター?とか、無機質と有機質って何が違うの?とか、そもそも物理と化学って何が違うの?とかいう私が残りの人生で全力で立ち向かっても絶対に到達できない域だとはっきりとわかる。

物理と化学の方向の仕事をしてる人たちは学者から技術者まで全員天才!!!!、それがあの10冊以上の本を見て私が唯一理解できたことだった。



【追記】
別件で友達に連絡した。

友達の返信の中に、「実は理科がわからないという気持ちをぶっしーに分かってもらえて嬉しかったみたい」とあった。

その言葉も嬉しかったし、そして「わかるなぁ」と思った。

自分の気持ちを知ってもらえること、それも否定せずにそのまま知ってもらえることってすごく嬉しい。

最近どハマりしているブログ『旦那観察日記〜AV男優との新婚生活〜』はあちゅうさんという人が書いているものがある。

「はあちゅう」で検索したら出てくる。

AV男優はしみけんという人。

2人ともとっても素敵で私は密かに毎日読みまくっているけれど、その中の11月10日にアップされた『言いたかったけど言えなかったこと』というのがある。

パーティーに一緒に参加して、はあちゅうさんが本心は帰りたかったけれど、なかなか旦那(しみけん)に言えなかった時。

「帰りたいことも、
でも帰りたいって言えないことも
わかってくれたの、
すごい嬉しかった」
(ブログより引用)

こんな気遣いできる男性、めちゃくちゃモテる!

気になる方は、どんな風にして男側が女側の気持ちを汲んだのか、ぜひ読んでみて下さい!(回し者じゃない)

私なら、そんなことされた日には胸キュンどころか恋に落ちる!

すごい素敵なやり取りで、多分それされて嫌!となる女の人、ほとんどいないと思う。

今回の件、大事だったのは自分の気持ちが分かってもらえた!と感じることだったんだと知った。
(もちろん、当人の私はそんなつもりで話を振ったわけじゃなかった…)

明日からはスーパー2歳児とのコミュニケーションという名の格闘が始まる。

さらに小生意気になっているだろう2歳児を前にいかに平穏に本人の気持ちをわかってあげられるか、もはや修行の域だと思う。

2歳児の謎の要望とか謎のごっこ遊びルールとかは、物理や化学と同じぐらい難解に仕上がっている。

2018年11月21日水曜日

シュールな会話

私、過去に何回か結婚式の予行練習、それもキスの練習をしたことがある。




と書くと、何て経験豊富だろうかと思うけれど、言葉も間違っていないけれど、詳細はかなり違う。

当時その子は年長ぐらいだったのかな?

その男の子と私とで、結婚式ごっこなるものを時々してた。

やるのはあの誓いのキスのところだけで、私はベール代わりに風呂敷を頭にかぶり、その子がベールならぬ風呂敷をめくって私のほっぺにキスをする、本当にそれだけをやった。

(ほっぺに)キスしてあげようか?と言うと、それはいい、と毎回のごとく断られた(涙)。

いつだったか、その子に大きくなったら私と結婚しようよ!と言ってみた。

「ぶしまたさんとは結婚できないよ!」

「なんで?」

「だって、ケイタが大人になったら、その時ぶしまたさんはおばあちゃんだもん!」

子どものそのシュール過ぎる現実的理由が凄すぎた!

ちなみにこの子は、テレビに映る松嶋菜々子よりぶしまたさんの方が可愛い♡と言ってくれた、素晴らしいイケメンだった!
(無理矢理言わせていない)



たしか番組はアンパンマンだったと思う。

食パンマンが好きなドキンちゃんと他の女の子のキャラクターが、食パンマンを巡って女同士の熾烈な戦いをしていた。

それを見ていた幼児のマコトがボソッと私の方を向いて言った。

「女の人って怖いねー!」

マコトはめちゃくちゃ頭の良い子だった。

テレビの見方も独特で、普通の子どもが気付かないことをさらりと気付いていた。

あんなに小さいのに、アニメ越しに女の怖さを悟るんだから、凄すぎ!と思っていた。

そして他に感想があるだろうに、そのシュールな感想しか述べないのもマコトらしかった。



日曜の夜7時半、NHKで『ダーウィンが来た』という、動物の生態をレポートした番組がある。

大人も子どもも見ていて楽しめる番組で、重宝していた。

ある時のこと。

馬とかライオンみたいな感じのアフリカの大地にいそうな野生の動物が特集されていた。

途中で交尾のシーンが映った。

しかも何の解説もなく、ひたすら無音で交尾のシーンだけが流れるという、そういう時間がしばらく続いた。

子どもの1人がすかさず聞いてきた。

「ねぇあれ何してんの?」

「……」

「何やってんの、あれ?」

「仲良くしてるんだよ」

「何で?」

「子どもができるように仲良くしてるんだよ」

「ふーん」

場面が変わって子どもとの会話も終わったけれど、何ていう鋭さだろう…(汗)。

子どもの質問は、ストレート過ぎる。



「武士俣さん、この答え知ってる?」

小学2年生か3年生の男の子が、クイズ付きのアメの袋を見せてきた。

あのなぞなぞとかが書いてあって、袋の部分をペラっとめくると答えが書いてある、あの手のタイプ。

その子がわざわざゴミを取っておくはずもなく、そしてわざわざ「これわかる?」と聞いてくるから、絶対に良からぬものだというのは見る前からわかった。

質問はうろ覚えだけど、たしかこんな風だった。

「ABCのCは何でしょう?」

だから私は反対に聞いた。

「ねぇ、答え知ってんでしょ?」

「知ってるよ!」

「私わかんないから、答え言って!」

「えっ(〃ω〃)?」

「知ってんでしょ?言って!」

「やだよー!」

子どもは私のまさかの返しにたじろいで、可愛らしい反応をしていた。

っていうか、そんななぞなぞのアメ、どこに売ってんだろう…。

あれ以来見たことがない。



記憶に上ったシュールな会話たち。

栄養を使い切った心にとても染み入る。

今日も今日で、人生の中のかなり大事な選択肢の話をする。

一生を左右するぐらいの結構大きな選択肢の話。

私じゃなくて相手の人の。

今日することは、本人の本音を引き出すこと。

時々そういう役割みたいなのが回ってくるけれど、そうした大きなエネルギーが必要な時、こうしてくだらないこと思い出して心がホッとするのはいいなぁといつも思う。

作家の吉本ばななさんが何かの本で、死ぬ時に持っていけるのは思い出だけみたいなことを言っていた。

思い出だけだから、それを人生の中でたくさん持てる人生でありたい、みたいなことを言っていた。

当時は超くだらないと思っていた会話が心に今響く。

思い出はどんなに時間が経っても温かい。

最後に。

私を松嶋菜々子より可愛いと言ってくれたケイタの名言を紹介。

また例のごとく、『ダーウィンが来た』を見ていた。

アイアイ(猿)の特集だった。

夜暗い中、木の枝に1匹でいて木の実を食べているアイアイを見て言った。

「アイアイかわいそう」

「どうして?」

「だってアイアイひとりでさみしいもん」

「ケイタはかわいそう?」

「うんうん」

「どうして?」

「ケイタはおとうさんとおばあちゃんがいるからさみしくないもん」



※文中の名前は全て仮名

2018年11月20日火曜日

決断

決めた。

自分の気持ちを正直にそのまま伝えることにした。

現地に直接行ってペンジュラムを使って確かめたいという気持ち。

反対に、そんなことはやり過ぎじゃないかとか、ご家族に混乱や戸惑いを与えるだけじゃないかとか、もうそっと遠くから祈るのがいいのではという気持ち。

どちらも取れず、身動きが取れなかった。

そうしたら、愛知のSさんに相談したら、
「ぶっしーちゃん、それどっちも取れないなら、そのまま伝えたら?
そしてあとどうするかはご本人たちに決めてもらえばいいんだからさ!」
と返ってきた。

この一言で心が決まった。

私の中ではどちらでも良くて、相手が望んでいないのにガツガツと行くのもどうかと思うし、でも反対に相手からは言えなくて…というようなことだとそれも言わないのはどうかなと思った。

だから、伝えるだけ伝えて、その上で来てくれと言われたら行くし、そうでなければ遠くから祈るに徹する、それでいい。

やっとそこがはっきりしたから、私も気持ちがとっても楽になった。

言ってみて正解で、結果どうなるかはわからないけれども、相手の方に声かけて良かった!と思った。



今回学んだ。

どっちも選べない、
自分のすることが必要かどうかもわからない、
でも自分の中でもう少しやれることがあるんじゃないかという気持ちもある、
余計なことだとも思う、
……、
そんな風に相反する気持ちだらけで何も選べず気持ちが引っ張り合って動けなかった時。

あえて、両方を選ぶ。

どっちの気持ちも私の気持ちで、どちらも選べない。

なら、その両方を伝える。

この不器用加減もブレブレ具合も私そのもので、でもあえてその両方の自分をそのまま出すというのは、秘策中の秘策だった。

その自分を隠して良いことだけ言おうなんて無理がかなりあって、でもそのままの自分を伝えたら良いんだと思ったらめちゃくちゃ楽になった。

週末・今現在

【土曜日】
Aちゃんに今回の依頼事の話をした。

「ぶっしー、それってぶっしーがそれを引き受けれるレベルになった!ってことだね」
と言われた。

「だって、もしこれが1年前のぶっしーに依頼が来てたら、ぶっしー引き受けなかったんじゃない?」

言われてみればそうだった。

1年前、2017年の11月、少なくとも私はまだペンジュラムはおろか、自分がスピリチュアルなことに興味があることも全部伏せていた。

このブログの中でも書いてなかったし、友達も知っている人は本当に片手で数えるほどしかいなかった。

しかももっと言えば、Aちゃん以外、私は自分が興味があると自ら言った人は1人としていなかった。

名古屋の時に知り合った人たちや長い付き合いの友達1人は、すでにそうしたことが互いに好き!と知った仲だったから、カミングアウトとかはなかった。

だから、実質本当に一か八かでさらりと自分も実はね…と言ったのは、Aちゃんが人生初の人だった。

当時はそうしたことも全部隠していたし、ペンジュラムなんか当然もっと隠していた。

しかもペンジュラムもまだ今の3分の1程度の用途にしか使えてなかった。

だから、もし1年前に頼まれてたとしても、荷が重すぎるわ、自分でも確信がないわで、断った可能性が高いだろうなぁと思った。

さらに遠隔でのペンジュラム使いもカーナビ的な使い方もまだ全くしたことがなかったから、今回みたいに地図を広げてそこから読み取るなんてそんな高度なことをいきなりはできなかったと思う。

もっと言うと、今回依頼に繋がった間に入っている人とも出逢っていなかったから(出逢ったのは年明けしばらく後)、そもそもの依頼さえ来なかった。

Aちゃんに言われた通りだった。

この1年ぐらいをかけて、ペンジュラムを通じて色んな体験をして、その中には全く知らない人の情報の読み取りなんかもしたわけで、それら全部が揃っての今なんだとわかった。

その日もAちゃんに言われた。

「本当に今の私があるのは、ぶっしーのおかげだからね!」

1年前の今ぐらい、私はAちゃんから仕事の相談を受けていた。

受ける受けないというようなことを、数ヶ月に渡り合計何回かペンジュラムに聞いてた。

Aちゃんに聞かれるたびにペンジュラムに聞いて、ペンジュラムは毎回「NO」しか出てこなくて、それは何を聞いてもNOでどうしようかと思っていた。

目の前で聞いたこともあれば、連絡きて私1人で家で聞いたこともある。

私はAちゃんの選択だから、私のペンジュラムからの答えは参考程度にしてねということも毎回言い続けた。

時々あれ?と引っかかることがあれば、それは言った。

で、色々あった中、最終的にAちゃんはいつの間にか今の仕事を受けて仕事を始めたのが春先のことだった。

その後Aちゃんから即連絡がきて、「あの時ぶっしーがずっとずっとNOが出てると教えてくれて、しかも私の意思とは違っていてもNOが出てると言い続けてくれて、それで安易にその時のものに飛びつかず待ち続けていたら、今の仕事を見つけたんだよね。その時は、自分ですぐに『これやりたい!』ってなったから受けて、すごい倍率だったらしいんだけど受かったんだよね!」と教えてもらった。

私のおかげなんかじゃなくて、Aちゃんはあくまでも自分で最後は全部選んで、選んだその結果が今に繋がっている。



【日曜日】
25年の付き合いの友達に会った。

この友達が今回の相談に最初に乗ってくれた子だったから、とりあえず事の顛末だけ伝えようと思った。

朝一で連絡して、もし今日時間があるなら会って欲しいと言ってみた。

日曜はいつも昼過ぎまで寝ている。

あまり期待もせずにいたら、なんとなぜか今日は朝目覚めたと言って、今から1時間後に待ち合わせしよう!と言ってくれた。

友達にいきなり急展開した話を順を追って話して、朝見た夢の話をした。

私はなぜ森三中の大島が出てきたのか、さっぱりわからなかった。

ところが一通り私の朝の夢の話を聞いた友達は、
「それ、『森の山中(さんちゅう)から発見!』っていうメッセージじゃない?」
と言った。

私はそれを聞くまでそんなこと思いもしなくて驚いたと共に、どうして3人いる中の大島だったのか、それも意味があるとは断言できないけれど、他の2人ではなく大島だったことに「うわぁー(驚)」となることがあった。

そして、実際の喫茶店で地図の上をペンジュラムで読み解いている時に、最後上から糸がツーっと垂れて小さな蜘蛛が落ちてきたという話をした。

「蜘蛛の糸ってさ、」

【一旦休止。
今現在11/20...1:00am
上の文を書いた途中、トイレに行った。
階段の壁のところに、なんと黄緑の蜘蛛がいた!
未だかつてこの階段で、というか家の中で黄緑の蜘蛛なんか見たことがない。
良い知らせという意味らしいから、ここは一つまた願掛け。
というか、毎回どんなタイミングですか?と思う】

「蜘蛛の糸ってさ、張り巡らせるわけじゃん。要はみんなで協力して捜索の枠を張り巡らせて、そこにポンと蜘蛛が引っかかる、本人が見つかるって意味みたいだね」

そう言ってくれた。

この友達の感性に驚くと共にさらに驚いた。

「今行った時、画像がバッと出てきたから。まさにその画像が出てきた!」

この友達は過去にも似たようなことが一度あって、それでそのパッと出てきた画像が本当になったことがある。

友達も目の前で何回も祈ってくれ、本当に見つかるといいよねと何度も何度も言ってくれた。



友達と別れた後、諸々寄りたいところに寄って、さぁ帰ろうと思った。

念のため、ペンジュラムに帰ると聞くと、NOが出た。

数回聞いてもNO。

私の中で寄るところはなかった。

携帯でマップを開いて、画面上の地図にペンジュラムをかざした。

大型店が乱立しているところではあったけれど、私の中で寄るところはない。

ペンジュラムは地図の一方向にYESを出した。

その辺りを拡大した。

店はことごとくNOが出た。

公園とか屋外?と思って、その近くを探すと、ある1つの公園でYESが出た。

そこには全く用事もなかったけれど、とりあえずそこに移動した。

移動してわかった。

案の定、日曜日の天気の良い昼下がり、家族連れか小学生の友達グループしかおらず、私は完全に場違いな人だった。

公園の脇に駐車場兼歩道があって、そこに車を止めて本を読んだりした。

明け方3時に寝て、8時前には起きたから眠くて仕方なかった。

腕時計であと10分ほどで4時になるから、4時になったら帰ろうと思った。

ペンジュラムもそれはYESで、余計と私はここに何しに来たんだろう?と思った。

4時を過ぎた。

さぁ帰ろうと思って、助手席側の窓の方に目をやった。

「えっ?」となった。

虹が見える。

車の外に出てみると、人生で見た中で一番大きな彩雲を見た。

しかも、これまでみたいな水色とかピンクとか単色ではなく、虹色の彩雲だった。

少なくとも、青・黄色・ピンクのグラデーションはわかるほどの彩雲だった。

しかもとてつもなく大きい。

それに気付いた小さな女の子のお母さんが「ほら、虹だよ!」と子どもに教えていた。

私も写真を撮った。

少し離れた同じ方向に太陽があって、それが反射して綺麗には撮れなかったけれど、紛れもなく彩雲だった。

もう少し綺麗に撮れる場所はないかと、公園の中をグルグル回った。

数枚撮っているうちに彩雲は消えた。

私はそれを見て、見つかっているといいな、そのサインだといいなと心から思った。

どうしてその公園だったのかわかった。

店内だと当然そんなのは見えない。

移動前の駐車場だと、そこも空は開けているけれど、私の車の向きが違うから気付けなかったと思う。

あくまでもその公園で、そしてそこだと多少は空が開けているのと、遊具としてある人工の小高い山があって、そこに上るとまたさらによく見えるようになっていた。

すごいタイミングだった。

ペンジュラムはもう1つ行く店をその後指したけれど、それもタイミング合わせで、そのところを去った直後に見つからなかったと連絡が来た。



今回協力もらった人たちに、それぞれ連絡を入れた。

愛知のSさんの返しにビックリした。

『見つからないには見つからなくて良い理由が其々にあると私は思います』

その後電話した時に、ベストなタイミングで見つかると思う、とも言われた。

Aちゃんからは、「ぶっしーのペンジュラムが見当違いなことを言っていないと思う」と返ってきた。

私は自分の読み解きも、本気で色々やらかしたんじゃないかと思い始めていたから、Aちゃんに言われて、一呼吸置くことができた。

たしかに、これまでも大幅に見当違いなことはあんまりなかったし、さらにはNOを出す時はNOを出す理由があとからわかる。

わざと違う答えを見せて、それによって私が勘違いし、そしてその勘違いのおかげでもっと大切な出来事や物、人に繋がることもある。

朝会った友達も、その子が感じたままのことを再度言葉にして返してくれた。

ものすごく救われると同時に、「何で?」と思った。

彩雲や他のタイミングはあんなに外さないのに、どうして一番大事なことが外れる?と、自分でも納得がいかなかった。

Aちゃんとの再会のタイミングさえも、まるでこれを見越したかのようになっていた。

だって、Aちゃんは仕事の繁忙期でそもそも余裕がないと言っていたし、もっと言えば思いの外Aちゃん側の状況が一気に変化して、私と数ヶ月ぶりに再会できる状況がこのタイミングで整って、そしてAちゃんこそ目の前でずっと私のペンジュラムを見ていた人だったから、それを事実として伝えてくれた。

余談だけど、去年の秋、私がまだ全く自分のことを隠し通していた頃、Aちゃんと週末に遠出したことがあった。

私から誘ったくせして何も調べてなく、なんとその日の細かなことを私は全部ペンジュラムでその都度決めた。

最初Aちゃんも驚いていたけれど、私はピッタリの場所に連れて行ってくれると思うと言って、本当にそうした。

夕方近くになってどこかカフェでケーキ食べたいねとなった。

ほとんど行ったことのない町で、2人とも店を知らなかった。

運転しながらペンジュラムに聞いて(道も聞いた)、国道沿いのカフェがヒットした、運転中に。

行き過ぎてしまったからUターンできるところで引き返してそのカフェに行った。

なんとそこは2人ですごく感動した雰囲気と内容のお店で、Aちゃんはあまりに気に入って、実家のお母さんを連れて行きたいと言ったぐらいだった。

そんなこんなのことがたくさんあったのをAちゃんこそ誰よりも目の前で目撃している人だから、それで見当違いなのは考えられない、そう言ってくれた。



【火曜日の午前中】
申し訳ない気持ちやガッカリな気持ち、何で?という気持ちやペンジュラムと自分への不信感は、一旦落ち着いた。

私は自分がもう何もしないのか、それとも何か声を上げるのか、今その間で気持ちが行ったり来たりしている。

本当に他のことはこの数日でもタイミングを合わせまくりなのに、どうして一番肝心なことがこういう結果なのか、自分の中の腑の落ちなさと言ったらない。

絶対に何とかしよう!なんてことではなく、他の合っても合わなくてもいいことが合って、肝心のことが合わない。

そんなこと考えても仕方ないから、自分はどうしたくて、本当にできることは何もないのか(現実的にある、けれど決めきれてないだけ)、まだああでもないこうでもないと考えているから、今日もう1日このことに向き合ってみようと思う。
9:30

2018年11月19日月曜日

再会

今月の頭に、Aちゃんと数ヶ月ぶりに連絡を取った。

私がホロスコープの講座に行き始めた5月頃、Aちゃんと会うと話が噛み合わないどころか、Aちゃんのヒーリングの師匠の話をすると私が具合が悪くなる、そして本当に1週間寝込み、さらにその後も1ヶ月近く具合が悪くなった。

体調が悪くなるということを理由に、Aちゃんと距離を置くことになった。

本気で具合が悪くなるから、Aちゃんが師匠との関係がなくなったらまた会おう!と約束した。

・Aちゃん…私の友達
・Bさん…Aちゃんの長年の友達でありCさんのところで働いている
・Cさん…Aちゃんにヒーリング系の技術を教える師匠

こういう人間模様があったから、師匠はさておいても、Bさんとの関係は長いものでとても大切にしていることは知っていたから、Bさんと会わずにAちゃんが離れるのは難しいだろうなぁと思った。

だから、Aちゃんと再会できるとしたら、お互い生きているうちに再会できたら御の字だと思っていた。

早くて数年後かな…と。

私が別件で連絡を取ったら、Bさんが仕事を辞めたことでAちゃんも何もしなくても離れられることになり、いつのタイミングでぶっしーに連絡しようかと思って考えていたところ、と返ってきた。

仕事が繁忙期で落ち着いたら連絡しようとしたら、私から連絡がきてビックリしたとあった。

あれからまた日が経ち、つい先週の金曜日に、「ぶっしー明日(土曜日)空いてる?」と聞かれて、それで土曜日会うことになった。




数ヶ月ぶりに会ったAちゃんは、元々仲良くなった最初の頃と何ら変わらない感じに戻っていた。

そして、この数ヶ月を経て、Aちゃんの中で自分が向き合うテーマがはっきりして、そこに向き合った分の強さや潔さを感じた。

スピリチュアル系の話になるとずっと話が噛み合わなくて、噛み合わないのはまだしも、ものすごくおかしな視点になっていて(←こうしたことが続いたから洗脳を私が疑い始めた)、どうしたんだろう?となっていた。

最後に会った辺りの数ヶ月がマックスに酷くて、毎回会うと疲れてイライラして、私は自分もどうしたものかと思った。

ところが、私がそれを指摘して、もちろんそれはあくまでも私の考え方だし、私がおかしい可能性も大だけれど、訳の分からない体調不良に見舞われた私はそのままにすることができなくなって、言わざるを得なくなった。

その部分がきれいさっぱり無くなって、Aちゃん本来の心のきれいなところがまたすっかりと戻って、さらには数ヶ月自分や自分のこれまでのことを見つめた分の凛とした強さが出ていた。

Aちゃんも私の指摘が相当しんどかったようだけれど、実際に私からも師匠たちからも離れて、色々見えてきたことがあったようだった。

そして、Aちゃんは完全に自分の言葉で、自分の感覚で、離れる決断をしていた。

Aちゃんいわく、Aちゃんだけではなく、他の人たちも離れていったようで(Aちゃんも人づてに聞いた)、それぞれの細かい理由は知らなくても何となくわかる気がすると言っていた。

数ヶ月前、私がこれは変、その在り方がおかしい、とか色々言っても「えっ、そうなの?」みたいな感じで全く考えられなくなっていたAちゃん。

数ヶ月経て、Aちゃん自らそうした違和感を全部自分の言葉で説明していた。

Aちゃんは、本当に私が最初の頃「この子と仲良くなりたい!」と感じたあの雰囲気を復活させ、さらには数ヶ月の色んな体験を通じてAちゃんそのものの魅力が強くなっていた。



Aちゃんに近況報告をした時に1つ指摘された。

東京のホロスコープ講座の後にヒーラーのOさんからヒーリング関係を中心に勉強していること、その時にOさんからAちゃんがどうしているか、という話が出たこと…。

で、Aちゃんには「基本的にOさんから誰か他の人の話は出ないんだけどね…」と前置きしてから、「Aちゃんの話が出てそれが唯一…」と言いかけたところで、唯一じゃなかったことに気付いた。

そうだ、Oさんがどういうことができるかを説明するのにももってこいの話だと思って、もう1人そういう人がいたことを説明した。

でも、Aちゃんと違って、Aちゃんのことは私の方からそもそもOさんのヒーリングセッションを最初申し込む時に少し話を出した(要は友達のヒーリングの師匠から霊障的なものを受けたかもしれない、それでもセッションを受け付けてもらえるかを聞くために)。

(※心身の不具合はOKでも霊障的なものを受け付けないヒーラーさんや施術師さんもたくさんいる)

だから、間接的にではあるけれど、Aちゃんのことは話に出した。

でも、もう1人〇〇さんのことは会話の中に出したことがなかった。

全く関係のない個人的なことだから、私は話に出すつもりさえなかった。

なかったのに、突然Oさんは言っていいですか?と私に言って、一度も話題にさえ出したことがない〇〇さんの特徴をいくつも言い当てて驚いた、という話をした。

AちゃんはOさんすごいねとも言ったし驚いていたけれど、それ以上に驚いていたのが、
「ねぇぶっしー、Oさんに何で〇〇さんのことを突然ぶっしーに言ってきたのか聞いた?」
と聞かれて
「聞いてない」
と答えたら、その聞いてない私に驚いていた。

「ぶっしーさぁ、『何でペンジュラムが自分のところに来たのか?』って疑問に思ったりとか、『何で仕事が5月末で終わり、切られたのか?』を辞めて時間が経ってからわざわざ派遣先の上司に聞きに行くぐらいの人が、どうしてOさんにOさんの口から〇〇さんの話が出たのか聞かなかったの?」

「あまりにも驚きすぎて、そんなこと疑問にさえ思わなかった」

「私から聞いてて、それすんごい変だよ!!」

「えー、そう?」

「そうだよー!だって、私のことみたいに話したわけでもないし、さらに私のことは『どうしてますか?』ぐらいだったんでしょう?」

言われてみればそうだった。

話に間接的に出たAちゃんのことは「友達どうしてますか?」としか言われなかった。

片や〇〇さんのことは、1つとして言ったこともないのに、いくつも本人の特徴をいきなり言われて、泡食ったみたいな状態になった、あまりにも驚き過ぎて。

「ねぇ、ぶっしー何でその話が出てきたのか気になんなかったの?
今からでも聞いたらいいじゃん(^-^)!」

「そんなの怖くて聞けないわ」

「えー、面白いから聞いてよ!」

「無理!他のことは何でも聞けるけれど、それだけは聞けない!」

「何で何で?」

「何を言われても怖いから、そんなところに自ら首を突っ込みたくない」

「でも、それ、本当に変だから!」

「私からして、1年以上毎日のようにサインみたいなのが飛んできて、もうちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなって、もう何が普通で何がおかしいのかわかんない」

「いや、それは、本当に変だからね!
聞いて欲しい(^-^)
何でそんな風に話にも出てこない人のことがわかって、しかもそんなに詳細にわかるのか、ぶっしーに伝えるどんな意味があるのかとか」

「いや、何度も言うけれど、それだけは絶対に聞かないよ」

こんな話をAちゃんとした。

Aちゃんと話すまでそのこともすっかり遠い記憶になっていたけれど、それって変だったのか…と今頃になってわかった。

〇〇さんに関しては、色んなことがぶっ飛んでいて、もはや「普通は…」なんていう概念にことごとく当てはまらないから、私の中では「そういうもの」という位置付けに自然となった。

だけど、Aちゃんのように細かい事情を知らない人が数ヶ月ぶりに会ってその話を聞くと、とてつもなく変わっているんだと初めて知った。

しかもこういうこともいつも巧妙で、私は別にこうした展開を意図したり計画したわけでは一切なかった。

Oさんからの伝言もあったから、Aちゃんにその話をしたに過ぎなかった。

私の中で話す予定だったことは、Oさんが突然誰かのことを気にかけるなんてないのに、その中でAちゃんの話が出てきたその奇妙だけれど多分すごく大事な流れを伝えるに過ぎなかった。

突然誰かのことを口にするなんて他になかったよ、って言おうとして、突然〇〇さんの話も思い出した。

そうした流れに運ばれて出てきたことだった。

Oさんとは今後も何かの折りに連絡するとは思うけれど、絶対にそのことについては触れない。

今さらだけど、確かにとても変は変だったし、何をどうしたらそんなに会ったことも見たこともない、何なら私の口からも言ったことのない人をものすごく詳細にわかるのか、どんな世界ですか?と思う。

夏ぐらいの話だったと思うけれど、改めて振り返って、そう言えば変、と今さら私は気付いた。



「ラストオーダーの時間です、他にご注文はありますか?」

Aちゃんと私はびっくりした。

なんと、いつの間にか1時半になっていた。

私たちは14時半待ち合わせにお互いが遅れて、なんと11時間もお店の中にいた。

2人で顔を見合わせて、まだ12時前だと思ってたねぇなんて言いながら、解散した。

この日Aちゃんと会うこともこれ以上ないタイミングだった。

当日もだったし、次の日も私はAちゃんから元気をもらうことになった。

撃沈していた10数時間前に、真夜中に食べたのはAちゃんがくれた美味しい洋菓子だった。

Aちゃんは会った時に今の私の状況を的確に分析してくれて、そして私がAちゃんとした過去の会話を引き出して、それが自分にとってどれだけ大切でそしてそれなしでは今の自分の人生の流れは有り得ないことを教えてくれた。

昨日も昨日で、Aちゃんが見ていた私の姿をそのまま伝えてくれた。

本当にどれだけ心の中を救ってもらったかわからない。

全ては絶妙なタイミングで動いていて、まさかのAちゃんとの年内再会と楽しい時間になった。

ちなみにAちゃんの旦那からは、うちら2人、店にとって迷惑行為だと言われた!と教えてもらった。
(怒られるのではなく、ネタにされて笑われるらしい)

ちなみに旦那は、年間52回もある週末のうち、1回だけ「ご奉仕旅行」なるものにAちゃんを連れて行くことで「自分は妻を大事にする夫」だと自負する、超ポジティブな人(笑)←こちらも毎回ネタ。

ファミレスで11時間滞在…たしかに困った客…。

たしかに困った客でも、私たちはまたこの弾丸トーク会を止めないと思う。

本当に再会できたことがとても嬉しい。

そしてこれからは気兼ねなく何も心配することなく繋がっていけることが嬉しい。

夜中のおやつ

友達がくれた美味しいお菓子を食べた。

フワフワのケーキのスポンジのような生地にあんこと生クリームが入った洋菓子。

真夜中に食べたけれど、一応12時間ぶりに口に何かを入れた。



見つからなかったと暗くなった頃に連絡を受けて、しばらく呆然とした。

こういう時、何て言葉を返すのがいいのかわからなくて、適当な店の駐車場に車を止めて、言葉を考えた。

すみませんと言うのも変だし、言うと反対に相手も変に気を使うような気もして、残念に思うことを伝えるにとどめた。

何か私にできることがあればまた連絡をくださいというのが精一杯だった。

相手の方は最後まで本当に温かい方で、それが余計と申し訳ない気持ちになった。



色んなことがぐるぐると駆け回り、自分でも気持ちを湧いてくるままにした。

モヤモヤ、ザワザワ、やり切れなさ、重苦しい感じ、色々なものが出てきた。

力になれなかったことの申し訳なさもあったし、ペンジュラムや私が間違えたのかという疑念もわんさか湧いた。



一度少し眠って、目を覚ました後、今回協力してもらった人たちに連絡だけ入れた。

本当に周りの人たちはものすごく優しくて、それぞれの人たちから色んな言葉や気持ちをプレゼントしてもらった。

1人の人とは電話で話した。

話しながら、1つだけはっきりと気付いたことがある。

私は今回自分がしたことは、全く後悔していない。

あの時に、私はどう考えても自分が断ることは考えられなかった。

ペンジュラムの力とそれを使う私の双方が必要とされていた。

たとえ今日のような結果になっても、あそこで断るのは違う気がした。

そして、本当に力にならなかったけれども、それでもあの時の選択に後悔はしていない。



まだモヤモヤもするし、色々思うことも感じることもある。

もう少し落ち着いたぐらいに、再度自分の中を整理したいと思う。

2018年11月18日日曜日

奇跡のファンファーレ⑧最終章

>>>奇跡のファンファーレのまとめ

9月に携帯の画面が派手に割れた日、まさかそれが未来の大切なポイントに繋がっているなんて思ってもいなかった。

冷静に考えて、今の日本の中で、ボーッとして家に引きこもって何もしていない人の元へ、行方不明になった人がいるからその人を探す手がかりを石(ペンジュラム)を使って探して欲しい、とオーダーが入ってくる確率なんてほとんどないと思う。

あっても0.数%の確率だと思う。

その事実に気がついた時、それが私の人生なんだと思った。

しかも今回も宣伝もしてない、看板なんか掲げてない、事務所も職業名もない、その道で生きる覚悟もない、相変わらず夢は専業主婦♡とか夢見る夢子で(40を前にそんなこと思う自分に驚く)、そんな風なのに何の流れなのかそんなことが起こる。

第1号の依頼事がいきなりすっごいハードルが高くてそれにも驚いたけれど、私は今回のことは私と何の接点もなかった人が命懸けで、本当の命を懸けて繋いでくれた縁だと感じている。

そして、そこまでの事情がわかってそれでも私は「逃げる」とは言えなくなった。

数日前、私はどういうわけか今回の依頼についてこのブログに書いた。

もちろん、一番は自分の戒めのために。

気付けば私はこのブログを使って、自分を開示する練習を去年の今ぐらい、正確には12月から始めた。

その頃の私は、もちろんペンジュラムを日常使いしていても一切そういうことは言わなかったし、スピリチュアルとかも超ガチな王道?みたいなところを勉強したような格好だったけれど、それも黙っていた。

何かをするにも、スピリチュアルなことは隠していくつもりでいた。

私は自分が元々苦手だったから、というか断固じて近寄らない避けるを徹底していたから、世間でのウケの悪さも人並みに知っている。

どうしていいかわからない時期も長いことあった。

だけど、年齢を重ねるごとに自分の人生の体験が若干特殊だと気付く機会が増えた。

多くの人が体験している結婚とか子育てとかは体験せず、代わりに「何ですか、その体験?」みたいなのがやたらと多い。

しかも体験したからと言ってそれが次に活かされるようなものじゃなくて、体験は本番1回きりであとはありませんみたいな。

そしてやってきたホロスコープ。

ホロスコープの最初の目的は、どんどん怪しくなる私の人生の雲行き具合(雲と言うより、暴風雨に雷に竜巻巻いてますぐらいな訳の分からない具合にずっと入ったままみたいな)、それに対して何かしら対策しないとまずいと思ったからだった。

中年の危機に向けてのアドバイスみたいな。

お一人様でもいいから、もう心穏やかに過ごせる日常を下さい!と思った。

そしてホロスコープはそのヒントをくれるみたいなキャッチコピーを見て、これにとりあえず申し込んでみよう、そういう感じでしかなかった。

ところが、私の場合はそうじゃなかった。

軽い気持ちでヒントをもらうつもりが、知れば知るほど、ヒントではなく人生の設定そのものをどんどん知っていく感じになった。

ホロスコープで自分の人生の特徴を知るほどに逃げ道ないなぁと思った。

この間、その辺りを解説してくれてるブログに行き着いて読んだら、宿命的なものを持っている人なんてほとんどいなくて、大抵の人は自由意志で生きてるとあった。

でも読み進めると、ご丁寧に「例外的な人」が表記されていた。

例外的な人の例とそういう人たちのホロスコープの特徴が書かれていた。

例外的な人の特徴…私もあるとわかった。

夏に鑑定を受けた時の言葉が響く。

自分が星を使っていくというよりも、星たちにどうぞ自分をお使いください、という人生だということ。

3月で仕事を辞めた時点で、私は1つだけはっきりとわかっていた。

私がしていた大量のコピー取りとか資料の整理とかファイル作成とか、それが自分がする仕事じゃないこと。
(それはそれで大事な仕事で、やらなくていいなんて全く思っていない)

他にやることがあるだろうことは、「これ!」と言えなくても心の中では他にあることはわかっていた。

そしてこの7ヶ月ほどの時間をかけて、どうもそれはやりたいやりたくないと言うよりも多分逃げられないことなのも徐々にわかってきた。

やるとしたら、新たに技術習得してからとかではなく、今の自分でできることだというのも気付いてた。

それでも私は逃げた。

色んな理由で気が進まなかったのが一番だし、そもそもそういう自分の人生を受け入れられなかった。

ましてや私が関わるだろうことは、世の中において「カッコいい!」なんていう類いのものではなく、「怪しい…」と嫌煙されるようなもの。

ますます気は進まなかった。

そして色々起こっても、私は「気のせい…」と思い込もうとしてた。

だけど今回ボーッとしているところに、まぁ正しくは逃げてばかりいるところに、いきなり隕石落下のごとく想定外過ぎることが起こった。

だって、「結婚に繋がる出逢いはないかな?」とは思っても「人探しのお手伝いを頼まれないかな?」なんてただの一度も考えたことがない。

想定外も何も予測不能の域のことが起こって、そしてそれがましてや人の命に関わるものだったから、逃げようと考える余地がなくなった。

これが仕事を辞める辞めないとか、引越しをするしないの見極めとか、その程度の依頼であれば、私はまた逃げたし、そもそも今回色々体験をして感じたことや考えたことなんて1つも体験することなく終わっていたと思う。

だけど今回の話がやって来て、最初はするしないから、どこまでどうタッチするとかも皆目見当がつかない中、話はどんどん進んでいった。

1週間前のことを思い出した。

ペンジュラムは、私が積極的にやること・声をかけることはNOを出していたし、友達のペンジュラムでもそこは一緒だった。

でも、相手方から要請があった時は引き受けるにYES、友達のペンジュラムでもYESが出た。

私はその時は、単に積極的に関わってはいけないと解釈したけれど、そういう意味ではなかったと今は思う。

相手方からの要請ベースで動くというのは、もはや人知を超えたレベルのことで、することはするけれど、少し引いたところから見て自分なりに自分の人生の流れを見つめることの大切さを教えられてたような気がする。

1人の人の命に関わる色んな人たちの想いを見ることになった。

さらに、私がこの一連のことに関わるために、私に頼まれたという理由だけで3人もの人たちが惜しみなく色んなことを協力してくれた。

何をすることになるのかはこれからも未知数だけれど、少なくとも私は私を使うこと、そういうことがこれからの人生でやっていくことなんだと思う。



依頼主のAさんに会った日の夜、去年何回も通いつめた星がきれいに見えるスポットに立ち寄った。

理科がわからないからその原理は理解できないけれど、目の前の半月は22時23時と時計の針が真夜中に向かうごとにどんどん下に下がっていった。

普段月はその時間帯ならどんどん天空に上がっていくのに、不思議だなぁと思ってずっと眺めてた。

そして下がれば下がるほど、月の色は白っぽい感じから黄金色みたくなっていくのも不思議だった。

そしてなんとその月のすぐ横を2回も流れ星が流れた。

それもものすごいはっきりと見えるぐらいに。

朝からあり得ないことが山ほど起こった日の最後は流れ星が流れた。

これ以上ないものを見せてもらえた。



Aさんと会った翌日、雲ひとつない晴天に恵まれた。

そうだ!と思い立ち、Aさんから預かってきたご家族の直筆サインの紙のコピーとペンジュラムとを重ねて、陽当たり抜群の窓の前に置いた。

基本的に私は最後は何でも神頼み仏頼み色んなもの頼みだから、そうすることで本当に無事に見つかりますようにと祈りながら置いた。

置いてしばらくした時、薄いカーテンに蝶々の形の影が映った。

いくら晴天でも外は冬を迎える前の寒さになっている。

蝶々が飛んでいるなんてありえない。

でもそれを見て私は一目散に窓辺に寄って、カーテンと窓を一気に開けて、蝶々が飛んで行った方向に目をやった。

数メートル先の隣りの家の屋根の辺りに白い蝶々が舞っているのが見えた。

本気で驚いた。

しかも蝶々は、その紙とペンジュラムを置いた辺りのちょうど上辺りの窓際に来た。

まるで何かを知らせるように窓の近くに姿を表して、そしてまた違う方へ飛び立って行った。

私はAさんに報告を入れた。

まったく余計なことでだから何だ?ということだけれど…と前置きして、今の今現れた蝶々の話をした。

蜘蛛と言い、蝶々と言い、Aさんはこれが虫の知らせで無事に見つかるといい、そんな気もしている、家族ともそのまま私が連絡したことを伝えてそう話したとあった。

こういうことを伝えるのも正直迷ったけれど、私は本当に驚いたし、少なくともこの目で見たし、そして本当に紙の1メートルほど真上に飛んできたから、それは伝えてもいい気がした。

私はそれを見て明るい気持ちになれたから、そのままを伝えることでAさんにも何か伝わるかもしれないと思った。

Aさんからの返事を見て、伝えて良かったと思った。

本当に些細なことでも、何も伝えなければゼロ、反対にそれが小さな可能性でも伝えられて一瞬でも相手の心にも温かいものが広がるなら、伝えることも大切なのかなと思った。



今日も晴天に恵まれた。

これから雨降り雪降り大国新潟は、ひたすら天気の悪い日が続く。

私は今回ほど毎日天気予報を真剣にチェックしたことがない。

今日だけは晴れてください、と日々祈る気持ちでいた。

週間予報で、今日だけが唯一太陽のマークのある日だった。

そして、晴れた。

雲ひとつない青空。

私は今朝起きる寸前、夢の中で携帯ニュースを見た。

すごく変な設定で、私は学校みたいな建物の中にいた。

帰ろうとした時に、自分が使った下駄箱(一番下で、本当に小学校の頃の下駄箱そっくりだった)の方に身を屈めて靴を出そうとしたら、A4より一回り小さな数センチの厚みのある小包が置かれていた。

それはなぜか森三中の大島美幸さんが置いたもので、小包の上にメモ書きがされていた。

Aさん一家より預かった・携帯のニュースを見てください、とあった。

私はその場で自分の携帯を出して、いつも見ているニュース画面のページに行った。

ニュースのトップページに、「行方不明の人発見」というような見出しが出ていた。

「行方不明の人」というところがもしかしたら違う言い方だったかもしれないけれど、「発見」だけははっきりと読み取った。

というところで、少しすると目が覚めた。

私の願望がこのまま願望ではなく現実となって欲しい、必ず家族の元へ帰れますように、今日こそ家族と再会できますように、と起きて朝一番にそれを祈った。

そしてまた紙とペンジュラムを窓の陽の当たる場所に置いた。

最後は祈りしかない。

そしてたとえそれが届かなくても、今日は一日祈り続けたい、ふと頭に浮かぶたびに祈りを送ろう、そう思っている。

2018年11月17日土曜日

奇跡のファンファーレ⑦流れ星

>>>2018年11月15日(木)喫茶店をあとにして

【カードからのメッセージ】
『The Enchanted Map 』というColette Baron-Reidという方が書いたカードを書店で見た。

どんなメッセージを発信しているカードなのか興味があって見た時に出てきた言葉たち。


>ちょうど開いたページ(=1枚目)
One-Ring Circus
独り舞台

『あなたはとても有能な人です。

今日、魂の旅を始めるあなたには、独立心が重要な鍵となります。あなたは、洞察力に優れ、何よりこれまでの経験から得た知恵があります。有能なあなたは、自信を持って歩んでください。自分を信頼することが大事です。
もうひとつ、心に留めておくべきことは、自分と他人の間に境界線を引き、それを守ることです。あなたの人間関係をよく見極めてください。自分を知り、健全な境界線を引くことができれば、あなたの完全性を映し出すような人々を引き寄せ、理想的な関係を築くことができます。そのような関係は相互に支え合い、刺激し合い、変化していきます。今のあなたならどんなことも達成できるでしょう。』


>カードの束の一番下にあったカード
Bone Collector
ボーンコレクター

『あなたは完全な存在です。
必要なものはすべてあなたの内側にあります。

あなたの現状をよく見てください。あなたは現在に生きていますか。過去の体験によって条件づけされた行動をしたり、無意識に何かを期待して生きていませんか。

私たちが心に傷を負ったとき、特にそれが若い頃であればなおさら、自分の本質的な部分が奪われたように感じるものです。つらい経験を克服して生きていくために、私たちは自分なりの答えを見つけ順応しようとするのでしょう。後になって、過去の傷を呼び起こすような状況に遭遇すると、ある決まった態度を取るようになっていきます。このようにして、私たちは自分という存在を狭い枠にはめて認識するようになるのです。

あなたは自分のことを、臆病で、欠点だらけで、愛される価値がないと思っていませんか?他人に批判されるに違いないと思っていませんか?本当のあなたには、強さと無限の可能性があるのだと、ボーンコレクターは伝えています。あなたが傷ついたときに奪われたものを、彼女はずっと大事に預かっていました。今あなたが望みさえすれば、それは再びあなたのものです。あなたには欠けているものなどありません。ボーンコレクターはあなたの内なる源泉です。あなたは、必要なものをすべて持っているかのようにふるまってください。すぐに、それが本当であることが分かるでしょう。どんなことでも可能です。過去の傷によって自分にレッテルを貼ったりしないでください。』


>1枚目のごく近くにあったカード(ちょうど目に留まった)
Magic Stream
魔法の小川

『すべては、意識という宇宙の流れを通じてつながっています。

あなたの経験する出来事はそれぞれが独立した物語で、始まりと終わりがあるように見えるかもしれません。けれども、一つひとつの出来事を切り離して考えることは危険です。実はすべてが、連続する大きな進化の一部だからです。

絶えず流れる魔法の小川のように、あなたの経験したことが、徐々に世界全体に染み渡っていきます。ひとつの経験がもうひとつの経験へつながり、情報を伝え、影響を及ぼしています。ひらめきや啓示といったものは、一人の人間だけに訪れるのではありません。集合的意識が、可能性という宝を分かち合っているのです。自分が人生の流れの一部だということを思い出せば、あなたもひらめきの流れる水路となります。あなたの中を魔法が流れていきます。どうぞ、あなたの夢を運んで現実にしてください。きっとあなたは成功し、世の中の役に立つでしょう。』
(以上、カード解説書より引用)


どれも今の私にピッタリの言葉だった。

有能かどうかはさておいて、これまでの経験を持っていること、そして自分を信じることの大切さは本当によくわかる。

ボーンコレクターの話は、数年前の自分のことを思い出して、その時と今とで違うことに気付かせてもらえた。

数年前、まだ2012年かもしかしたらその前、私は自分がその当時付けた自分の肩書きもその在り方も私の能力も批判を受けた。

それが唯一作った過去の名刺の思い出だった。

当時は今ほどにできなかったのも本当だから、あれこれ批判されるのは仕方なかった。

でも散々その人の墓場に持って行くような話を聞いた後に痛烈に批判されて、私は本当に落ち込んだ。

私が何をしたと言うんだろう。

しかも私はそれを完全に無料で提供して(お茶代は出してもらった)、それでも批判を受けた。

私がしたのは、本当に話を聞いただけだった。

今はそれが相手の問題であって、私が批判を受ける必要なんか一切ないことも知っているけれど、当時は強烈な体験だった。

自分の自信のなさや自己否定も手伝って、私は自分をアピールするのが嫌になった。

だけど、もうそこに私はいないし、今回のことで私が外部に向けて伝える仕事の名前とかサービスの名前なんていうのは、何でもいい気がした。

色々吹っ切れた自分を感じた。

最後の魔法の小川は、まさに今回の出来事を象徴する話だった。

私の体験することは、1つ1つがコマ切れなんじゃなくて、実は色んなことが重なり合っているし、そして色んな人たちの人生とも重なり合っている。

魔法の小川が流れるかのごとく、色んなことが重なり合って繋がっている。

たまたま手に取ったカードだったけれど、本当に今の私にピッタリのメッセージばかりだった。



ブックオフに立ち寄った。

今また新たに着手しようかと思っている分野があって、その適当な本がないかと探しに行った。

そちらはなかったけれど、代わりに「どうしてこれが100円のコーナーに?」という本があった。

体と心の関係をあれこれ研究している外国人女性で、精神世界コーナーのところには必ずあるような超大御所の本(リズ・ブルボーという人)。

多分元の持ち主はほぼ読まずにブックオフに売りに来たんだろうなぁというほど超きれいな新品同様の状態で、なぜか100円。

ホロスコープの本探しで各地のブックオフにこの半年ほど相当通ったけれど、その人の本が100円コーナーにあったのは初めて見た。

パッと開いたページに、私がこの数年で過去最高値を更新した体重=太る心理的理由が書かれてあって、たかが2、3行の説明でものすごく納得した。

もう1冊もどこを読んだかは忘れたけれど、それも数行の話ですぐに入った。

必要な本、そう思った。

だけど、思考は「本当に読むの?また買うだけで満足して手放すかもよ?」と言う。

ペンジュラムを出して聞いた。

2冊ともYES。

また何かに繋がっていく情報たちなんだろうなぁと思って、家に連れて帰ってきた。



星を見に行こうと、中学校の近くの農道に行った。

そこは私が去年しょっちゅう通い詰めた場所でもあった。

星がきれいに見えそうな気がして、本当にそれだけの理由で行った。

前日に私に色々親身になって話を聞いたりペンジュラムを作動させてくれたSさんから「今なら時間あるよ」とラインがきていて、それで電話をした。

私が車を止めたいつもの位置からは、上弦の月がとてもよく見えた。

Sさんが言ってくれた
「今回のことが、絶対に物事を動かす突破口になるから。絶対に何か動くよ!」
の言葉以上の展開になって、その実際の話をした。

あと、前日にSさんのペンジュラムが変な動きをした理由が私なりにわかったことも伝えた。

Sさんには、写真や直筆サインを使うことに対して変に震えてどちらかに関してはYESもNOも出なかったその理由は、私の気持ちそのものが定まっていなかったからだと思うと話した。

その時は、ペンジュラムを使うことも含めて、本来ならそういう使い方がよろしくないとわかりながらもやることに関して、私の中で全く腹が据わっていなかった、そして自分のやり方がいいかも悪いかもわからなくて、色んな迷いや不安があったことを伝えた。

ヒーラーのOさんとのやり取りもとても大切で、それについても付け足して、自分がその中で最終的に出した結論を話した。

Sさんに、やっと腹を決めて自分のできることからやっていこうと思うと話した時、Sさんは最後まで聞いてからこんな風に言ってくれた。

「今回のことが、絶対に物事を動かす突破口になるから。絶対に何か動くよ!」と前日に言った時点で、絶対に物事が動くと確信していた、しかも私にとってベストなやり方で、というのもわかっていた。

そして、私が自分の人生の歩みをスタートさせたことが本当に嬉しい、ずっと隣りで見てきたから本当に嬉しいと何度も言ってくれた。

私が喫茶店に到着する直前に311のナンバープレートを見たと言った時に、さらに確信したと言われた。

自分の誕生日の数字を見たというのは、「スタート・出発」という意味だからね、と。

それを見た後から実際に人に会って物事が展開したわけだから、「あぁやっぱりと思った」と説明を交えながらSさんから見えていた私のことを教えてくれた。

そして、Sさんがもう1つの嬉しいこととしてこんな風に言ってくれた。

「ぶっしーちゃんに伴走できたことが本当に嬉しい」

Sさんというのは、私のこうした諸々の体質や性格的なものを一早く気付いていた人で、Sさんが発掘してくれなければ私はまだ何も動いていなかったかもしれない。

7年ぐらい前、今よりももっと何もなかった当時の私に一早く気付いて、Sさんはぶっしーちゃんがやりたいやり方で何かコーチング的なことをして欲しいと言って声をかけてくれたのが最初だった。

しばらく一緒にやらせてもらって、そしてグループを解体しようとなった後から今に至るまでも、だから足がけ6年以上になるけれど、その間もずっとずっと隣りで見守ってくれた人だった。

年は一回り以上違うけれども、Sさんも私も人生のタイプというか流れが似ている。

訳の分からないこともたくさん起こるし、自分の気持ちが色々付いて行かず悶々としたり悩んだりも、自分のダメだと思うところも、もう色々ずっと話してきた。

2016年新潟に帰るとなった時も、Sさんだけだった、私に唯一「新潟に戻ってまで出会う人がいるんだね、だから帰るんだね」と言ったのは。

Sさんは私が派遣の仕事をしていた時も、ヤマザキのクリスマスケーキの短期のバイトに行っていた時も、1年以上引きこもっていた時も、どんな時もずっと変わらずに近くにいてくれた。

ヤマザキのバイトは、夜行っていて、そして朝は始発で帰るようなことをしていた。

短い期間ではあったけれど、いつかの朝はいつもと反対方向に電車に乗って、まだ真っ暗な中最寄駅に迎えに来てもらって、そのまま朝マックしてからSさんの家に泊まらせてもらったことがある(それまでも何回か泊まらせてもらってた)。

ヤマザキのバイトは本当にしんどかったけれど(←私はあれをお仕事としてされてる方を心の底から凄いと思っている)、全く笑えないことばかりだったけれど、そのおかしな話を一緒に大笑いしてくれるSさんに本当に救われた。

引きこもっていた時も、本当にお金がなくて、ありったけの小銭握りしめてうちの近所のスーパーにおやつを一緒に買いに行ったことも「これ、すごい楽しい♪」と大喜びしてくれた。

社会的に色々有り得なかった時もSさんはずっと隣りにいて、さらにはその時でさえも「ぶっしーちゃんが何をこれからしていくのか、私本当に楽しみなのよ!」と言い続けてくれてた。

そして私でさえももう自分にギブアップのような時でも、私の中にある可能性を誰よりも信じて見守ってくれてた人だった。

こうした方がいいとかも全く言わず、ぶっしーちゃんがいいと思うものが絶対にぶっしーちゃんの一番だから!と。

私の人生がおかしな方向に行っていて、周りは当然私をヤバイと感じてる時も、私自身もヤバイと思っていても、「ぶっしーちゃん、絶対に大丈夫!今がどんなに大変でも、予定通りだと私は思って見ているし、本当に大丈夫だからね!」と言い続けてくれてた。

ちなみにこのSさんがオルゴナイトを愛知で色々周りの人たちに紹介して私に追加で買ってきて!と依頼してくれてた人だけれど、その選び方に関しても私に完全に一任してくれてた。

Sさんに欲しいと言ってくる人たち全員に「新潟の子がピッタリのものを選んでくるからそれに任せてたら大丈夫!」と説明してくれてた。

恥ずかしいから「新潟の子」と書いたけれど、Sさんは時には私をヒーラーと呼んだり、時には石の魔術師とかストーンマジシャンと呼んだりして、実際に「新潟の子」とは言ってないはず、話を聞いていると。

しかもSさんは、それを自慢の友達と言わんばかりに大げさなぐらい強調して言ってくれてる。

そんな風にしてくれてた人だったから、本当にいつもいつもどこで何をしていても(していなくても)見守ってくれてた人だった。

だから、私の伴走をここまでできて、させてもらえて、本当に嬉しいと言ってくれた。

私の方こそ、本当の本当に嬉しかった。

Sさんの言葉もSさんの愛たっぷりの気持ちも全部嬉しかった。

私は車の中で月を見ながらSさんと喋り続けたけれど、その時にものすごくきれいに2回、月の横を縦に流れ星が流れた。

本当に神秘的で、人生で見た流れ星の中で一番きれいだった。

Sさんにも電話越しに実況中継した。

月もなぜか時間と共に下に下がってきて色も濃くなって来たから見てください!と言った。

何百キロと離れたところで、2人で同じ月を見るというとてもロマンチックなことをしていた(笑)。

それも良かったけれど、私はSさんとそんなことしても萌えないから、好きな人とそういうことできたらいいなぁと思った(笑)。

(続く…多分次が最後、まだ書いてないけれど)

奇跡のファンファーレ⑥私の心の中

>>>2018年11月15日(木)私の心の中

Aさんからのお金や名刺や紹介の話を色々いただいたり、私の方から紹介をお願いしたりと、ペンジュラムのお仕事以外にも盛り盛りだった喫茶店でのやり取り。

順不同だけど、その時に思ったことを列挙したい。



【ペンジュラムを使う理由】
Aさんと実際に会ってみて、私が必要とされた理由、ペンジュラムが必要とされた理由がはっきりとわかった。

詳細は避けるけれども、その理由は、もちろん行方不明のままの家族を見つけたいという想いもだけど、それとは別に周りの人たちを想ってのことでもあって、私ははっきりと「これは使わなきゃいけないこと」だと認識した。

私の当たってるか当たってないかもわからない情報でも、そこに関わる人たちにしてみたらそれ1つさえも大切で、私だってそれがどこまでできているかなんてわからないけれども、0より1ある方が良い、その1だけでもそれでそこに関わる人たちがちょっとでも気持ちが楽になれるものなんだとわかった。

私が怪しいと思われるんじゃないかとか、そんなの違う可能性だって高いんだよとか、私は全部自分視点でしか見ていなかったことに気付かされた。

そこがそもそも間違えているというか、論点を履き違えていることもわかった。

膨大な面積の山を闇雲に探すよりも、しかももう行けるところは全部探していてそれでも見つからない、そんな時は当たりでもハズレでもいいからある程度ここかもしれないという場所がわかるなら、それに賭けたいみんなの気持ちがわかった。

しかも雪が降る前になんとか見つけてあげたい気持ちもよくわかった。

私が私含め3人のペンジュラムで、本人が家に家族の元に帰りたがっている、という情報でさえ家族にとっては嬉しいものであることを目の前で教えてもらった。

ヒーラーのOさんが言うところの、道具を使って答えを導き出すことが実際に良くないということはわかっている。

私もその教えには基本賛成だし、それでおかしな商売したりおかしな人間関係を作ったりする人がいることもわかっているから、余計とそう思う。

さらには、Oさんのような人が本当に「本物」と呼ばれる人たちで、私は間違いなく邪道を行っている(苦笑)。

でも、今回はそういうことじゃないということがはっきりとわかった。

正しい・間違っているよりも、目の前の人たちが何を望んでいて、それに対して私は単に自分ができることをするだけなんだとわかった。

はっきり言って、ペンジュラムを持たない私は無能になる。

自己卑下ではなく、有能か無能かという二択で私は無能になる。

実際に手書きのすごく細かく書かれていた地図を見ても、私は何にも感じなかったし、そして4枚ある地図のうち1枚を指して「普段ならこの辺りに行く」と言われた日には、「あれ?ペンジュラム間違えてるかも」と思ったし、というか私自体が間違えてるかも!とも即座に思った。
(私は自分の思考がこんな風だから、こうした時の自分の思考は全く信用できない。その点、ペンジュラムは私の思考に左右されないのが良い)

気になって何度も聞くけれど、ペンジュラムはその地図は全くYESを指さない。

当然、直筆サインを見ても何にも感じないし、写真見ても「人の良さそうな人!」という感想のみ。

そう、ペンジュラムなしの私には、当たってるハズレてる以前に、何1つまともに答えを導き出せないし、何も感じられない。

今目の前の人は家族代表で来られて、それで何でもいいから手がかりを探してる。

ペンジュラムがスピリチュアル的にやり方が間違ってようが、私の在り方が間違ってようが、何でもいいと思った。

そんなことではなく、とにかく私がペンジュラムと地図に集中して、そこから少しでもヒントを引っ張ってくること、それが全てだった。

終わってからヒーラーのOさんにありがとうを伝えると共に書いたメールより。


前日にOさんに言われたことはこれ↓
【スピリチュアル的な観点からいうと、ペンデュラムによって答えを導き出すというのは否定的です。】


それに対して、私なりに答えが初めてきちんと出せた↓
【Oさんから言われたことが私が私自身に対して自分の生き方や覚悟を問うものだと今すべてが一旦は終わってわかります。
Oさんに教えてもらった時点で、私には「それでも使う」と「スピリチュアル的な理由に沿って使わない」の二択の選択がありました。どちらを選んでも間違いではないし、どちらでも良かったと思います。
(中略)
ペンジュラムをただ持つだけにもできる、でも他の人が必要とするならそれを使うこともできる、それを選ぶのは最後は自分なんだとわかりました。
そして、たとえ私の選択が邪道で間違っていたとしても、私はそれでもその選択をしたい自分がいて、少なくともそれによってどんなに本筋から離れて間違ってそして魂的に罰則を受けるようなことになったとしても、私はもうそれでいい!とはっきりと今回思いました。
(Oさんには、詳しい事情も書いて、それ故に私が今回「使う」と判断した経緯や心の変化を書いた)
以前紹介したワークと同じで、私ははっきり言って良くなったり相手の人にとってのプラスになることなら、正直手段は何でもいいと思っています。そのスタンスは多分これからも変わらないと思います。】


私が見据えるのは、方法の種類ではなく、目の前の人が何を求めているのかと、それに対して私は何ができるか、その2点に究極は尽きるんだと今回学んだ。


Oさんは返信に
・私の芯がしっかりと出ていたこと
・スピリチュアルで何より大事なのは「動機」で、「スピリチュアル的に良くないと分かっていても、人助けの動機として使う。それが武士俣さんの芯になるのは結構なことじゃないですか!」
と書いてくれた。

そして、Oさんの方も私がそこに至るまでのお手伝いが出来たのは光栄だったと言ってくれた。

本当にたくさん考えさせられることがあったけれど、結果的にとても優しい形で私に考える機会を与えてくれたと感じている。

今回の依頼はもちろん、そこに関わっている色んな人たちから私は沢山のことを学んでいる。



【名刺】
名刺についても目からウロコだった。

私は今まで名刺が何のために必要なのかがさっぱりわかっていなかった。

初対面の時に使うのは知っている。

でも私は人からもらった名刺を、ある時片っ端から処分したから、その時に名刺って要らないと思った。

しかも私が仲良くなった人たちは、名刺を介入させずに仲良くなっていた。

私の中で「名刺交換する人=名刺無くしては繋がれない人=繋がらない人」という図式が根強くあって、ますます名刺の意義がわからなくなった。

そして意義がわからなくて困ってもいなければ、持っていなくて困ったこともなかった。

一度だけ作ったけれど、それを断捨離で手放して以降、一度も名刺を求められたこともなかった。

今回、Aさんから数回求められ、しまいにはAさんの名刺に自分の情報を書くというおかしなことになって、初めて「名刺がいる!」と思った。

さらに、私を紹介して欲しいなどとAさんに言ったから、何が何でも必要になった。

じゃないと、もし依頼したい人がいても、その都度Aさんが間に入って私とその人のやり取りをしなきゃいけなくなる!とわかって、そんなことはさせられないから、とりあえず名刺!というのがわかった。

初めて「必要に迫られて」名刺を用意する。

(11/16現在、名刺作成作業を停止したまま、このブログを書きまくってる…えっ?(@ ̄ρ ̄@))

(さらにこれ書いてたら、ホロスコープ講座、本当の最後の演習に向けての先生からの長いメールが来た((((;゚Д゚)))))))。みんな高度な質問をしてる中、私まだ超最初の20分の1ぐらいしかやっていない…。今月末の講座、出れるんだろうか…?←出席自体を迷い中)

(途中まで作った名刺のデータが飛んだ(T_T))



【宣伝】
これまで私が何よりも逃げまくっていたのは、自分を宣伝することだった。

例えばペンジュラム。

例えば個人セッション。

自分を他人にアピールするなんて、人生の中でも一番二番にやりたくないこと。

だけど、今回ひょんなことからAさんに出逢うことになって、しかも私は一切宣伝もしていないどころか、看板すら立ち上げていない、そんな状態でいきなり頼まれた。

唯一、宣伝とも思わずにやったことは、マッサージ師のMさんの前でペンジュラムを使ったことぐらい。

私が宣伝としてやるわけもなく、本当に単に普段の私のお買得情報をキャッチしたりカーナビ代わりに使う感じと同じように使い(もちろん人相手だから気は普段よりは確実に使う)、でもそんなことがなんと宣伝になっていて、それで私のできることを必要とする人が現に目の前に現れた。

宣伝にも色んな種類があると今回気付かされた。

そして、そもそも私のやることはマニアックというかかなり少数派のものだから、本当に必要な人しかどう考えても繋がらないし、生理的に無理な人は絶対に無理なわけだから、「宣伝」そのものもちょっと違うやり方があるのかな…と思った。

そして、私の口から初めて「私のすることを必要としそうな人がいたら、紹介して下さい!」と言った時、そしてAさんも「いいよ、いいよ!周りにそういう人がいたら紹介するから、そのためにも名刺を用意してね」と返ってきた。

Aさんとやり取りしてみて、今回は内容がいきなりすごいものがきたけれども、基本的に必要な人としか繋がらない、と静かにでもはっきりと思った。

そして、これまで自分を紹介するのは卑しいことや恥ずかしいことみたいに思ったけれども、これ逆に必要な人たちと繋がるためにはある程度アピールすることも大切で、言うのはタダだし、ネットとかを駆使してやるよりも私は口頭の方がやりやすいというのもわかったから、言えそうと思った人にだけしばらくは宣伝していったらいいんだと思った。



【内容】
上の宣伝に付随して苦手だったこと。

メニューを考えたり、時間設定、金額設定、もうどれもこれも考えるのもそれを文として起こすのも嫌だった。

メニューを考えたくない最大の理由は、私は完全に相手に合わせて個人セッションを組むから、人によって全然することが違う。

統一性なし。

メニューの総称…どうする?みたいな。

時間も苦手で、あのきっちり時間通りにできる人たちはすごい!

金額も、心の中に最終的な野望はあるけれど、それは適正価格ではなく、自分がその金額だとお金と時間の両方に余裕があっていいなぁというもの。

とか色々考えていたら、そりゃもうやりたくない理由や避けて通りたい理由はわんさか出てくるから、逃げる。

猛烈に逃げまくってた、色んな理由をつけて。

でも今回口コミでやっていこうとするなら…と考えた時に。
(口コミでやるとか、その発想がすでにビジネスモデルの正道から外れているという声は今回とりあえず外して考える。それすると、私はまた1つ逃げ道を作ってやらない理由を山ほど考え出して本当に逃げてやらなくなるから、とりあえず自分にとってあまり抵抗のないところから考えないと一向に先に進まない)

「オープンセール価格:(一律)1回5千円」とか、そんな風でいいんじゃないかなと思った。

期限はいついつまでとか書いといて、都度都度色々修正かけていけばいいかなと。

名刺は裏が無地だから、そこに直接手書きで書けるし。
(せっかくだから、裏面使ってちょっとやりたいことがある)

そもそもやることが間違っていれば、道すら進めないようになっているはずだし。

だけど、そんなごちゃごちゃ考えていないで何でも「とりあえず」わかる言葉とわかる簡単な説明だけでいいんじゃないかと思った。

そして、もっとぶっちゃけたことを言うと、どんな言葉を使って内容を丁寧に説明しても、言葉や内容で来ていると言うよりお互いに必要だから出会うんだろうなぁと思っている。



【怪しいかどうかは関係ない】
本当に今回のことで、怪しいかどうかはどうでもいいと思った。

怪しいものは怪しいままだし、そこをあえて「怪しくないですから!」なんて周りに説明することもない。

私がそれについてどう思うかなんてのははっきり言ってどうでもいいし、周りからそう思われるのも仕方ない。

そんな小さなことはどちらでもいいけれど、それよりも確実に必要とする人たちに必要なものを届ける・伝える、それだけのことだと気付かされた。

そして、全然知らない人から見て、私がしてることのあれこれが気にならない人もいるんだと知って、余計と怪しいとかそうした世間一般のものさしはどうでも良くなった。



【必要とされるもの】
Aさんと話した中でもう一つ気付かされたことがある。

今回のような不測の事態が起こった時、家族間なのかAさん個人なのかまでは聞き漏らしたけれども、とにかく何を今自分たちが必要としているのかを考えたという話を教えてもらった。

一気にダウジング!となったのではなく、一応他にも候補があったようで、1つはお寺さんかそんな感じのところで話を聞いてもらうことだったらしい。

あと、カード占いかそれ系の占いも候補に挙がったらしい。

でも話を聞いたところで現実的に何も解決しないし、カードも場所の特定とかはできる感じではなかったらしく、解決に繋がりそうな方法としてダウジング系→ペンジュラム使う人となったようだった。

必要かどうかは相手が決めることだし、それでやってみて違えば「違う」という結果を得るわけだし、その諸々に関しては私がコントロールできるものではないとわかった。

だから私は私のままで、それでも必要な人がいたら出逢うようになっているだろう…ということも本当にもっと感覚的にわかるようになってきた。

だって、私に電気系統の技術求められてもできないし、パン職人とかももちろんできない。

同系列として言うと、透視は全くできないし、守護霊とコンタクト取るとかもできない。

やり方すらわからない。

多分やり方わかってもできない。

だから、私はそのままで背伸びしたり大きく見せたりせず、ただ本当にそのままでいてそれを必要とする人がいたらやれることをやる、それに尽きると思った。

(続く…)

2018年11月16日金曜日

奇跡のファンファーレ⑤喫茶店でのやり取り

>>>2018年11月15日(水)喫茶店にて③

私は当初から今回は完全にボランティアの気で行っていたし、そもそもの事の重大さの方に気を取られていたから、何にも用意せずに出かけた。

用意したのは、ペンジュラムと定規と私自身のコンディションだけだった。

ただ、何も受け取らないのも相手も逆に負担だろうことは想像がつくから、お茶代は遠慮せずありがとうございますと言ってご馳走になろうと思った。

Aさんからまず「今回おいくらお支払いしていいですか?」と聞かれた。

えっ?と思った。

正直に、今回は内容が内容だから私の方はもらう気がなかったことを伝えた。

Aさんは続けた。

「武士俣さん、これは受け取らなきゃダメですよ。
主人とも相談していて、武士俣さんが希望する形で渡したいと話したんです。
だから遠慮せずに言ってください。
そして、見つかる見つからないは、本当に気にしないでください。仮に見つからなくても、それで武士俣さんが悪く思う必要は全くないし、見つからないからと言って何も渡さないというのは違うので。
きちんと今こうして色々していただいている、そのことが私たちにとって大切なことなので、それに対してきちんとお返ししたいんです」

驚いた。

どうしよう?どうしよう?と思った。

ちなみにこの手のことは本当にピンキリで、無料から千円…、数千円…、一万円…、十万円…、百万円…、法外価格…とある。

でもとにかくこの場で何かしらの金額は提示しないといけない。

そこで私は、今自分が確実に抵抗なく受け取れる金額を言った。

「今回は五千円でお願いします」

私はペンジュラムに関しては自分がセッションを受けたことがないから、相場なんかさっぱりわからなかった。

それはいいとしても、千円ではちょっと違うこともわかった。

反対に一万円は、私の方が受け取るのにめちゃくちゃ抵抗が出ることがはっきりとしていた。

だから間を取って五千円にした。

そして商品券よりも現金がありがたいと伝えて、現金で次回いただくことになった。

Aさんは続けて言った。

「また続けてお願いする時は都度都度お支払いするんで」

私は言い足した。

「とりあえず、次の捜索の日までを一区切りにして、そこまでを今回の件にしましょう!
だから当日含めて、私携帯でいつでも出れるように待機するので、何かあればまた連絡ください。

もしその後も再度ペンジュラムで読み取るとなった時に、その時はまた1回五千円という形でやる、というのでどうでしょう?」

Aさんはそれを快諾してくれた。



続けてAさんに3回ほど聞かれたのが「武士俣さん名刺無いんですか?」だった。

何かあった時に名刺があった方が紹介しやすいという理由で、昨日のたかが3時間ぐらいの中で3回も言われた。

というか、紹介してくれるの?と思った。

Aさんは続けた。

「こういうことって、口コミだと思います。現に今回だって、Mさんから紹介されて私来てるので。
武士俣さんのされることは、基本そういうベースだと思いますよ〜」

Aさんに家族に伝えるためにも無いのは困るというので、なんとAさんの名刺の余白に自分の名前と住所、連絡先を書いた←こんなこと初めてした。

ふと、夏に受けたホロスコープ鑑定の時にS先生から言われた言葉を思い出した。

「武士俣さんがすることは、周りからやってくれと言われることだから。
自分がやりたいやりたくないとか言うよりも、周りからやってくれ!と言われてやるようなことだから」

ちなみにもう1つよぎったのは、ホロスコープ講座のU先生の言葉だった。

「武士俣さんの6ハウス天秤座冥王星(+バーテックス)は、人の命に関わるお仕事、それを徹底的にやるという意味だと思います」



私はAさんに、こんなことお願いしてなんですが…と前置きして、自分の今の現状について伝えて、その上で私をもし紹介してもいいなという人がいたら紹介してもらってもいいですか?とお願いしてみた。

Aさんは二つ返事で
「もちろんですよ!だから、名刺作ってくださいね!(^^)」
って返された。

そんなことを、ちょっと勇気が必要ではあったけれども、それでも自分から言えたのは本当に初めてだった。
(この辺りはまた別記事で書く予定)

色んな理由と色んな言い訳を引っさげて、絶対に人に自分を紹介してくれとは言えなかった私が初めて言えて、それも信じられないぐらいハードル低めに。

そしてもう1つ、個人的に常々気になっていたことを聞いた。

「Aさん、こうしたスピリチュアル的なことは何か知識とか習ったとかそういうのはあるんですか?」

「ないない、私無いのよ!
Mさんと知り合ってからそういう世界もあるってわかるようにはなったけれど、基本本当に知らないから!」
と晴れやかに返ってきた。

「私のしてることって怪しくないですか?」

「えっ?何で?」

「ほら、石とか使って、はたから見たら『それ何ですか?』だし、『自分で動かしてるの?』と思う人もいるだろうし、『何と繋がっているの?』とか、何でもいいですけど、見慣れない光景だし、実際に怪しいものもたくさん出回っているので…」

「私は多少そういう世界もあると知ったからというのもあるかもしれないけれど、武士俣さんが怪しいとは全く思わない。
むしろ、家族としては、本当に1つでも手がかりが欲しいから、それを1つでももらえるだけで本当にありがたいの!
目の前で見ていても、どうなってるとかはわからなくても怪しいとは思わなかったよ」

それを聞いて本当にハッと気付かされた。

(続く…)

奇跡のファンファーレ④周りの人たちの協力

>>>2018年11月14日(水)16:45

今回の依頼主のAさんから連絡が来た。

その前に、前日の火曜日、マッサージ師のMさんから連絡が来た。

日曜日にMさんとイベントで会った時に、もし必要があれば声を掛けて下さいとは言ってあった。

Aさんの方からまだ引き続き捜索が続いているから、私を紹介して欲しいということだった。

Mさんが間に入った方がいいのか、直で私とやり取りした方がいいのかわからないから、私の連絡先もMさんに全部渡して、あとはMさんたちの話でどちらにしてもらっても構わないのでと伝えて終わっていた。

で、Mさんではなく、Aさんから翌水曜日、直で連絡が来た。

すぐに日程調整をして、翌日木曜日の10時半から会うことになった。



>>>2018年11月14日(水)夕方18時

ヒーラーのOさんに連絡をした。

ふと、Oさんが私のことを読み取る時に、私の手書きの名前と生年月日を見ることを思い出した。

これ、私も明日使えるんじゃない?と思った。

Oさんにその旨聞こうと思って連絡したらこのように回答が返ってきた。


「そうですね。
でも、武士俣さんはそこから相手の云々は読めますか?

いや、バカにしてるとかじゃなくて、僕は僕がああいうやり方してるけど、武士俣さんには武士俣さんのやり方があるんじゃないですか?」


確かにその通りで、私は全くそこから何かを読み取ることはできない。

ただ、今回は少しでも情報が多い方がいいのかなと思ってそれで使おうと思っていると返信した。

何かお手伝いすることがあればやりますなんて言ってもらって調子づいた私は、ペンジュラムの浄化をお願いした。

実際にペンジュラムを遠隔で浄化してもらって、その終わった報告に付け足しでOさんからこんな風に返ってきた。


「それでね、大きなお世話かもしれませんが、以前お伝えした通り、スピリチュアル的な観点からいうと、ペンデュラムによって答えを導き出すというのは否定的です。

勿論、最終的には武士俣さんが決める事なので、もうこれ以上は言いません。

いずれにせよ明日、上手く行く事を祈ってます。応援してます!」


この話は、この後当日を迎え実際にペンジュラムを使い終わるまで、ものすごく大切なことに気付かせてもらうメッセージになった。

思いつきで連絡したけれども、むしろ質問や浄化よりも、Oさんからその言葉を伝えてもらうこととそこから私が色んなことを感じて自分で答えを出すことが大事だったんじゃないかと思った。
(気付いたことはまた別記事で)



>>>2018年11月14日(水)夜21


愛知にいるSさんと電話で話した。

随分と滞っている名古屋シリーズの話だけれど、私はSさんに出逢うために名古屋に行ったんじゃないかと思っている。

このSさんこそ、私にペンジュラムを最初に紹介した人(一度目の前で見せてもらったきり)で、そしてコーチングカウンセリング関係の事業を展開するということでSさんが立ち上げた時、私は声をかけてもらって数ヶ月一緒にやっていた人でもあった(2012年ぐらい)。

元々その日の午前中に夜電話しようと約束はしていた。

まさかその間にAさんとの話(行方不明の家族を探すお手伝い)がここまで動くとは思っていなくて、夜話した頃には一気に急展開していた。

話が少し飛ぶけれども、私は前の週にSさんにペンジュラムで見て欲しいことがあるとお願いしていた。

今回の件で、私1人の判断では色々怪しかったから、それでSさんにも知恵を拝借できないかと思った。

ところがその週はSさんもバタバタしていて私の相手をしている場合ではなく(返信は来たけれど、ちょっと待っててねみたいな感じだった)、何せ事はどんどん動くから私も自分で決めていくしかなく、それでAさんの家族を地図から探す手伝いをするために会う日時まで決まってから、Sさんとは連絡がついた。

「ぶっしーちゃん、私今日はペンジュラム、今すぐ近くに持ってきましたからね〜!」

私は事の顛末を伝えたら
「あぁ、あの時連絡がつかなくて良かったんだね!
私が間に入って余計なことをしたらもっと遅れたり変な風になってたかもしれないね。
それがなかったから物事がスムーズに行ったんだよ!
もしあそこで私とどうしよう?とか話してたら、こうはなってなかったと思うよ。
だから、何にもしなかったのがあの時は正解だったんだね」
と返ってきた。

なるほど納得!と思った。

でも折角ペンジュラムを用意してもらったから、私は自分が気になっていた道具について聞こうと思った。

いくつか質問を私が思い浮かべてYES NOだけ見てもらった(後から何を聞いていたかは伝えた)。

こっちにいる友達と私のペンジュラム同様、行方不明のご本人が家に家族の元に帰りたがっている、というのはSさんのペンジュラムでもきれいにYESが出たと聞いてホッとした。

写真と直筆のサインのある紙の持参もお願いしたから、それを使う使わないを見てもらったら、どちらかは震えながら微妙なYESで、どちらかは震えるばかりでYESにもNOにもならないと教えられた。

ちなみにこういう変な動き方の時は、それはそれで今はわからなくても必ず意味があるから、と説明された。

Sさんに動画に撮って見せてあげたいぐらい!とまで言われたから、本当に変な動きだったんだと思う。

Sさんに
「どういう意味なんだろうね?今はわからなくても、行ったらその意味が絶対に分かると思うよ。
あと、ぶっしーちゃん、どんなやり方でもぶっしーちゃんのやり方で絶対に大丈夫だからね!
ぶっしーちゃんのやり方でいいんだからね!」
と言ってもらえた。

めちゃくちゃ心強かった。

そして最後に「今回のことが、絶対に物事を動かす突破口になるから。絶対に何か動くよ!」と言われた。

Sさんは時々不思議なことを言うから、ほんと何かきっかけになればいいなぁぐらいに思っていた。

(続く…)

奇跡のファンファーレ③紹介の経由

>>>2018年11月15日(水)喫茶店にて②

Aさんに、今回そもそもどうして私になったのかや、私を紹介したマッサージ師のMさんがどんな風に私を説明したのかを聞いた。

白衣の矢が立ったのは光栄ではあったけれど、何で私が⁇というのは思った。

Mさんにはそういう知り合いも多いだろうし、変な話、私でなくても良かったと思ったし、むしろもっと他に適任者がいるんじゃ?とも思った。

私もMさんのマッサージを2月に受けていて、そして足裏から私の性格や考え方や行動パターンや体からのメッセージをあれこれ伝えてもらって、おー!と驚いた、あまりに的確すぎて。

Mさんはオルゴナイトを売っているお店の方で、Mさんはお店の奥の方で普段はマッサージをしている。

私はほぼ毎週のようにオルゴナイトを買いに出かけていたから、それでMさんとも時々お店で顔を合わせることもあった。

MさんとAさんももうそこそこ長い年月の付き合いで、AさんはMさんのことをお姉さんのように慕っていて、何か相談事があるとよく相談に乗ってもらっていると言っていた。

家族が行方不明になって、捜索も難航してすぐの頃にMさんにAさんが相談したようだった。

何でもいいから手がかりを何かしらの方法で教えてくれるような人はいないかと尋ねたのが最初だったらしい。

それでMさんがパッと私のことを思いついて、それで9月の末に連絡をしたのがそもそもの流れだったらしい。

だけど私が機種変でメッセージに気付かず、11月に入って、Mさん主催のイベントに行くのに聞きたいことがあって連絡しようとしたら、初めて私もそのメッセージに気付いたこと、そこは本当に申し訳なく、Aさんが気にしてないのはわかっていたけれども改めて謝った。

しかも、家族の男性陣たちもどこの誰かも知らない上に何をするのかわからない怪しいものによくぞ納得してくれましたね、と本当に思ったままの感想を言ったら、それはね…と言って理由を教えてもらった。

男性陣たちとAさんとでMさんを訪ねてマッサージを一緒に受けてきたとのこと。

男性陣たちは最初「そんなので何かわかるのか?」ぐらいな感じで行ったけれども、行ってみたら私のようにMさんの技術に驚いて、それで一気にAさんから家族の所在を知る手がかりを得るためにMさんのところに行こう!と言われた気持ちがわかってもらえたとのこと。

そして、そのMさんが推薦するのが私だったから、だからそれなら!ということで私に話が来た。

ちなみにこれもいきなりそうなっていたわけじゃなくて、少しずつ色んなことが重なってのことだった。

少し時間をさかのぼると、まずは今年の年初めに妹の紹介でMさんの店へオルゴナイトを買いに行ったのが最初だった。

合計で40個近いオルゴナイトを代理で買いに行ったり一緒に付き添ったりして、それで私はとうとうオルゴナイト作家さんに会いたい!と思って、Mさんにお願いしてオルゴナイト作家さんに繋いでもらった。

作家さんにお会いできたのは4月。

その時に、9月にフラメンコの発表会があってそれに出ることや、スペインから巨匠も呼んでの大きな舞台になると聞いて、見に行きたいと思った。

ただフラメンコや観劇系は基本的に料金が高い。

諭吉コースぐらいならそこまでの興味もなかったけれども、聞いたら「うそ?」みたいな値段で、行きたいです!また連絡ください!とお願いして、それで行ったのが9月。

友達と私は自由席でいいか!となり自由席分のお金を振り込んだところ、作家さんよりなんと指定席のチケットが送られてきた。

オルゴナイトをたくさん宣伝してもらったお礼だとあった。

たしかにすごい数の人に行き渡ることにはなったけれど、私としては宣伝というよりも良いものがある!と興味ありそうな人たちに言いふらしてたに過ぎなかった。

しかもそのうちの半分は愛知県の方に渡っているから、私はそこまで広めてはいない。

とにかくそんなこんなでフラメンコ鑑賞に出かけたら、その指定席の隣りにMさんとMさんのお母さんがおられた。

よくよく考えたら、席も作家さんのおかげでそのような配置になっていたんだった。

友達と私はどちらも不慣れな都会を運転するのは嫌だったから、高速バスで会場まで行った。

Mさん親子は車で来ていて、なんと帰り良かったら一緒に帰りましょう!なんて言ってくれて、それで言葉に甘えて車に乗せてもらった。

その車中でMさんの知り合いが九州から講師を呼んで10月にホロスコープ含めた開運講座があって…みたいな話になった。

すごい興味深い話で、だけどMさんは自分は出生時間がわからなくて、行きたいけれども詳しく情報を引き出せないから行ってもあまり意味がないからどうしようか迷ってると言っていた。

それで私の方から、合ってるかどうかはわからないけれども良かったらペンジュラムを今持っているから調べますよと言った。

Mさんの場合、何時の部分は二択で、分は全くわからないということだった。

それで調べて、Mさんが頭に思い浮かんだ数字と私が言った数字が合致して、Mさんもビックリしながら、「それな気がします、それで私申し込みます」と言っていた。

Mさんは他にも、まだ私にMさんのお店で会って間もない頃、私がペンジュラムを誰に習ったわけでもなく使えて、それでどこの誰かも知らない人たちのオルゴナイトを選んでいると言ったら、即「過去で使ってましたね(^^)」と言ってきた人でもあった。

要は過去世で使ってたということがMさんにはすぐにピンときたようだった。

Mさんには確かにペンジュラムの話もしたし、実際に目の前で実演もしたけれども、本当にそれだけしかしてなかった。

でも、その情報だけでMさんの脳裏に私が浮かんでAさんに私を紹介するに至ったことが今回判明した。

そんな風でとても光栄だった。

私から見て、本当にすごい能力を持っていると感じるMさんが私をすぐに紹介しようと思ったその気持ちがめちゃくちゃ嬉しかった。

この話はまだまだ続きがあるけれど、これで経過の部分は一旦終了。

(続く…)

奇跡のファンファーレ②喫茶店

>>>2018年11月15日(木)喫茶店にて

待ち合わせの喫茶店に着いた。

Aさんは先に着いて一番奥の席にいるとのことだった。

私よりいくつか年上の女性がいた。

互いに自己紹介して、モーニングセットも頼んだ。

どんな人が来るのか想像もつかなかったけれど、サバサバとした付き合いやすい感じの女性で、初めて会ったとは思えないぐらいにスムーズに話ができる方だった。

モーニングの中にオムレツもついてきて、「家じゃオムレツ難しくて作らないから、オムレツ食べれて嬉しいです!」と言われた。

私もわかります、ぐちゃぐちゃか固くなるかで、本当に加減が難しいから作らないと言うと「そうそう、わかるー!卵焼きになるんだよね!」と言われて、一気にリラックスした。

事が事だし、家族の人がどんな風か全く想像ができなかったけれど、AさんはAさんで自分の日常を送っていることが話からも雰囲気からもわかった。

モーニングセットが来るまでに、少しずつ話を伺いながら、ペンジュラムの紹介もした。

知らない人たちに毎回最初言われるけれど、そういうのって精神統一とか瞑想をして静かな空間で手をかざして行うのかと思ってました!とAさんにも言われた。

私は店でもどこでも使っていて、ザワザワしてようが、人が近くにいようが、基本どこでも普通に使っている、スーパーとかでも普通に使うから周りから見たら怪しい人ですよ〜、などと紹介した。

やってる最中も意識飛んだりとか、儀式めいたことしたりとか、もちろん瞑想や精神統一もせず、ごく普通にやって意識も普段の時と何ら変わらないのでと言った。

「どうしていいかわからなくて、今日資料持ってきて、それで武士俣さんにお渡しして武士俣さんがお家に持ち帰って後日返信いただけるのかなとか、そんな風に考えてたんですけど」
と言われたから、
「いや、もうこれから食べて落ち着いたらこの場でして、もし他に何かあればまた連絡くださればいいので」
と説明した。

オムレツ食べながら、状況を伺った。

個人情報が関係しているから詳細は割愛するけれど、家族としては何でもいいから出がかりが欲しくて、それで私に今こうして繋がったとのことだった。

美味しい手作りのモーニングプレートを食べた後、早速地図を見せてもらった。

本当に地図見ただけで感動した。

捜索に関わっている家族の手書きの地図がテーブルに広げられた。

画用紙3枚と自宅の場所がわかるグーグルマップ的な印刷された1枚の紙とがセロハンテープで貼られていて、そして探した場所には全て赤でチェックが入っていた。

チェックが入っていない場所はないほどだった。

ここまで用意してもらえたのは私としても本当に助かります、と言いながら早速ペンジュラムをかざした。

大まかな説明を受けながら、最初にどの紙かを特定した。

何回か確認したけれど、その中の1枚しかYESにならなかった。

その中でどんどん範囲を特定して、最終的に4センチ四方ぐらいの四角を蛍光ペンで囲んだ。

話を聞いていると、普段そこで動くなら…という動き方とは全く別の地点だったけれども(なんなら、地図の紙さえ違う紙だった)、意識の上では「うっそー!これ違うの?」とも思ったし、実際にそう言われると私もかなり戸惑いもあることも正直に伝えたけれども、ただペンジュラムが指すのはそれだし、そこしか反応しないからと、何度もやって何度も目の前で見てもらって、それでその部分をマーカーした。

話を聞いていくうちにまず驚いたのは、その方が行方不明になった日にちと時間帯だった。

行方不明になった日の日にちをAさんは言われた。

何か聞いたことある日だと思って、一通り落ち着いた後に携帯でその日が何曜日なのかを見た。

ビンゴだった。

Aさんは言う。

午前中に出て、お昼には家に帰ってくる予定でいたことを。

だから恐らく行方不明になってしまったのはその日の午前中ではないかということ。

ここに繋がっていたんだ、と携帯を見てすぐにわかった。

その方が行方不明になった日と大体の時間というのが、私が9月にホロスコープの講座とヒーリング勉強会で東京に行った日で、そして時間は私が携帯をデパートの化粧室の床に椅子ぐらいの高さから落として画面をバリバリに割ってしまったそのぐらいだった。

まさかのまさかだった。

実は私は、あの携帯の画面がバリバリに割れてしまったことで機種変することになったことが、ずっとずっと引っかかっていた。

携帯が逝ってしまう時というのは、人間関係の整理だったり、情報の整理だったりするとよく言われる。

私の場合、元々電話帳登録している人たちが少ないのと(家族や親族、お店なんかの登録を外したら40件、さらにその中で密に連絡を取るのは両手で数えても指が余る)、別に困った人間関係もなかったから切りたい人もおらず。

情報は、きれいに新しいiPhoneにも引き継がれてきたから、大して困りもしなかった。

無職で分割を組ませてもらえるのかも心配していたけれど、それも滞りなく済んだ(←ちなみにこの辺りの契約やお金関係が一番の懸念事項だった)。

こんなこと滅多に起こらないのに、私なんか4年半ぶりの機種変で、なのにこの程度というのが拍子抜けすると同時に、「何で今割れた?」と思った。

ブログに書いたかも忘れたけれど、同じ日、その後に道ですれ違った男性が胸ぐらいの高さから携帯をアスファルトに落としたにも関わらず、その人の携帯は何と無傷だったのを目撃した。

それ見てさらに私は「あーん(ToT)、何で私の携帯だけこんな風?」と思ったこともよーく覚えている。

私は昨日Aさんに会って話を聞いて、とにかく色んなことが重なっての今で、そして私が本当に決断するためにそして人生で抵抗しまくって避けていたこともものすごくスムーズに進むようになっていて…。

そのきっかけがあの携帯が割れた時にあったと思っている。

あれがサインとして送られてきた、正しくは贈られてきたと思っている。

これは終末医療に携わっている人から聞いた話。

人は最期の瞬間、25mプールの水を一瞬で沸騰させるぐらいのエネルギーを出して、必要な人たちにメッセージを届けるらしい。

全く面識のない私にそれが飛んでくるというのは考えられないけれど、だけど、昨日1日、そしてそこに至るまでの数年分の色んなことが全部1つに繋がっていたとわかって、私は後から1人になった時おいおいと泣いた。

そして、私が感じたことが本当だとするなら、9月のあのタイミングで携帯が壊れた意味もよくわかる。

私の場合、画面が割れて見づらい以外は、中身は全部無事だった。

打ちにくい見にくいはあっても連絡も普通に取れてた。

なんならマックス打ちにくかったけれども、このブログさえその状態で書いてアップしたほど。

だから、その携帯が割れただけで壊れてはいない、これが何なんだろう?と引っかかっていた。

だけど、それは昨日全部繋がった。

そして、Aさんから話を聞きながら色んなことが自分の中でも腹が座った。

そのための携帯画面事件だったと確信に近いものを持った。

この話は長くなるからまた後で。



実際に特定する時に嬉しいサインが2つ来た。

私たちの通路挟んで隣りには、4人組の還暦間近ぐらいの女性がいた。

どうやら仕事の仲間らしく、色々愚痴を言い、これはみんなで訴えていこう!みたいな、おばちゃんたちの愚痴&決起集会のようだった。

詳しくはわからなかったけれど、子どもがどうのこうの言っていたから、保育関係とか福祉関係なのかな?と思われた。

その時に、窮状を訴えていく相手として、その職場の長の役職名を2回か3回耳にした。

私は地図の上にペンジュラムをかざしながら、その言葉が耳に入った瞬間、度肝を抜かた←集中しろ!。

その役職名は、私が祈って欲しいなどとお願いした人の当時の役職名だった。

聞いたこともないような珍しい役職名ではないけれど、かと言って私は自分の人生の中で今回がもしかしたら2回目、あっても3回目ぐらいにしか直接聞いたことない役職名なのには違いない。

一度目は「うっそー!?」と思った。

次も出てきたから、「本当に聞き間違いじゃなかった」と確信した。

しかも、本当にペンジュラムを使っていたその時に飛び込んできた役職名で心底ビックリした。

おばちゃんたちの方が先に帰って、その後も周りを見たら何組かお客さんがいたけれど、その名前は後にも先にもおばちゃんたちしか言わなかった。

だからその人たちが隣りにいない限り、そしてその人たちの上司の役職名がその役職名でない限り、絶対に耳にしないもので、何という偶然だろうと思った、ペンジュラムで場所を特定している時に…。

さらに。

地図の上での特定作業が終わった後は、もう少し掘り下げて、色んなことを見ていった。

例えば、迷子になったのか、それともどこかで滑ってしまったのかなど。

Aさんが「そうだ!」と言って1つ当日のエピソードを私に教えてきた。

その時も「〇〇〇の人たちがいてすれ違わなかったみたいなんだけど、どうかな?」と。

私は一瞬「うん?」と思って、聞き間違いじゃなければともう一度「〇〇〇の人たちがいたんですか?」と聞き返した。

そうです、〇〇〇の人たちがその日はいて、それですれ違わなかったともう一度説明してもらった。

これまたビックリ。

〇〇〇にはその人の名前が入る。

まさかそのタイミングで名前を聞くなんて思っていなくて、またもや度肝を抜かれた。

だから、頭の中がひどいぐらいにスーパーポジティブでお花畑過ぎるけれど、私は来る道中のシンクロと言い、役職名と言い、名前と言い、もうどこまでもその人を表すものがやってきたから、「大丈夫!見守ってもらえてる!」と思った。

これは私が短い期間で見て感じていたことだけれど、とても静かで余計なことは基本的に喋らない人ではあったけれど、いざという時はいつでもみんなが頼れる人で、そして本人も黙々と自分の役目を果たしている人だった。

いざという時は、絶対に頼りになるしそばにいてくれるタイプの人なんだろうなぁと思っていた。
(普段も頼れる人だけれど、いざという時はさらに!という意味)

この話は、私のウルトラスーパー勘違いの可能性ももちろんかなりな確率であるけれど、今回だけは事が事だっただけに、仮に偶然のたまたまの産物だったとしても、私がそれでめちゃくちゃ勇気や元気をもらったのは本当だったから、その人からも祈ってもらえた!と結論付けた。

しかも、本当に大切な日で、人生の中でもベスト10に絶対に入るような重要なこと満載のそのタイミングでやってきたサインたちだった。

だから祈ってもらえたんだろうなぁと、いざという時に本当に助けてくれるんだと感じた。



色んな話をする中で、Aさんはその日しか都合がつかなかったというのもわかった。

他の日では仕事の予約が入っていて都合がつかず、そうすると私に会えないまま次の捜索日に当たることになっていて、本当に上手い具合に物事が起こっていて、行方不明になっている家族の人が引き合わせてくれたのかもしれない、と2人で話をした。

私は朝昼晩問わずしばらくはいつでも空いていると言ったけれど、AさんにはAさんの日常があって、そしてよくよく考えたら私が今も何もしないでじっとしているのも、最近はそれが日常でも、人生全体から見たらそんな時の方が珍しいわけで、本当に上手く組み込まれているなぁと思った。

最後諸々の確認をお互いにして、そしてさぁあとは荷物を片付けて帰ろうか、という頃。

突然上から、まるで紅白でド派手な演出で頭上から登場する小林幸子のごとく、ツーと一本の糸が垂れてきて、そして蟻ぐらいの小さな蜘蛛が私たち2人の間に落ちてきた。

食べ物も飲み物も全部終わってきれいになって、さらに地図とかもしまって、とにかく帰り支度を始めるその段階で蜘蛛(クモ)が突然登場してきた。

2人で顔を見合わせて、これもしかして…と言いながら、蜘蛛を追い払わずそのままにした。

明るい時間の蜘蛛だったし、全く悪い感じがしないどころか何かのメッセージのようにも見えて、これが良い報せのサインだといいですね、と2人で言い合った。

(続く…)

奇跡のファンファーレ①幕開け

>>>2018年11月15日(木)朝〜到着前

気持ちよく晴れた空を見ながら、家を出発する前に必要な情報をペンジュラムを使って集めた。

今日どうやってペンジュラムで場所を特定するのか、その手順を考えた。

普段はそんなことしないけれど、今回は1ヶ月以上前に行方不明になってしまった方の所在を地図から探すのが目的だから、ちょっとメモを取りながら手順を思い浮かべた。

「そうだ!」と気付いた。

定規が必要。

どんな地図が来るかはわからなくても、とりあえず線を引いて地図を分割しながら見るから定規がいる。

地図は予め用意をお願いした。

手元にある定規を何本か出した。

A4の紙には短い定規かあとは2年生の時に教材として使った竹の30センチものさししかない。

実は春先、ホロスコープの独学を始めた時に長い30センチの定規が必要で、透明でマス目も付いた使いやすいものを1つ購入した。

ところが私はある夜、部屋が暗い中ウロウロした時にその定規を足に引っかけて、なんと真っ二つに折ってしまった。

痛いとかより、まさか定規が折れるなんて思ってもいなかったから心底驚いた。

そして正直何で?と思った。

よりによって、何をどうしたらそんなことになるのか、すごい不思議で仕方なかった。

まさかこれが数ヶ月後の日の話に繋がるなんて思ってもいなかった。

なぜなら、その後私はやっぱりいるなぁと思って何回か買い直そうとしていたことがある。

それでも毎回なぜかペンジュラムは買うにYESが出なかったから、私はてっきりもっと良い定規が現れるからNOなのかと勘違いしていた。

そんなこと思い出しつつ、まさかこんな時に必要になるなんて…と思いながら、自分の持ってる4本の定規を出した。

どれも使い勝手が悪い。

ペンジュラムもそのどれでもないと言う。

家にある?と聞くとYESだから、私は隣りの物置部屋と化したところをさっと見たけれどない。

でもあると言うから、茶の間に行って1ヶ月間放置されてる10段ほどのA4が入るぐらいの収納ボックスを見に行った。

あるとしたらそこにありそうだと思った。

ちなみにうちの母は何でも取っておく人で且つ整理整頓ができない人だから、長い透明の定規の1本が出てきてもおかしくない。

そう思ってガサゴソしながらボックスの中を見た。

2段目を開けて、大きなお菓子の箱をずらして見たら、何とそこに1本の透明の30センチ定規が出てきた。

私はそれを見て心底驚いた。

なぜならその定規はただの定規じゃなく、私がもう一生会うことのないと思っていたお気に入りの定規だったから。

話はさかのぼって2016年の年明け後だったと思う。

仕事の超重要書類が隠された、他にも陰湿な訳の分からないいじめのようなことがあった職場に派遣に行っていた時のこと。

長い定規が仕事で必要で、私はそのお気に入りの定規を職場に持って行った。

その定規は、中学生の頃の美術の絵具道具の中に付属で入っていた製図用のもので、学校教材だけあって物はものすごく良かった。

悲しいかな、その定規はその職場で紛失した。

それも深くは考えなかったけれど、紛失したのか隠されたのかはわからない。

だけど、色んな場所を探しまくったけれど、そのお気に入りの定規は最後まで出てこなかった。

百均で買って持っていけば良かったとものすごく後悔した。

去年、家の建て替えで古い荷物を片付けた時、妹たちの中学校の美術道具も出てきたけれど、その中に定規はなかった。

だから、幻の定規で、私はもう二度とその定規にお目にかかることはないと思っていた。

という定規が出てきたから、だから驚いた。

しかも、今回のこのタイミングで出てきて、さらにはペンジュラムが持っている定規たちにNOを出してくれなかったら絶対にあるもので代用してたところを、あえて探したらそういう結果に結び付いた。

さらには、その収納ボックスも、先月ずっと放置されていた車庫の荷物整理を父と母と3人でした時に持ってきたもので、元々整理整頓が苦手な人たちは持ってくるだけ持ってきてずっとそのままになっていた。

という普段なら決して褒められたものじゃない性格が転じてこの結果を生み出してくれた。

大したものが入っていないのに、なぜかずっとそのボックスは1ヶ月近く茶の間にデンと置きっ放しにされていたという。
(基本、両親の荷物は私には訳がわからないからノータッチでいる)

私はこれだけで猛烈にテンションを上げてた。

すっかり気を良くした私は、支度して家を出た。

場所はうちから一番近い喫茶店にしてもらえた。

20分少しで行ける。

天気も良く、定規も見つかり、これは大丈夫!と1人で幸先良いスタートにうっとりとしていた。

途中2キロほどあるトンネルを通る。

奥の方がやたらと明るい。

何?何があるの?と思った。

トンネルの終わりの方に来て、トンネル工事をしていて片道交互通行になっているのがわかった。

先週の金曜日に通った時は、トンネル工事はしていなかった。

しかも普段なら入口近くにたくさん看板が出ているのに、私は見落としたのか1つも見なかった(←多分見落とし)。

驚きながらも、トンネル工事をしていた、ということに私の中で1つ新たに意味が加わった。

まさかの工事で、私はそれを見て大丈夫だと思った。

工事=良い方に向かっている、そういうサインだった。

交互通行だったから、私が通った時は反対車線にたくさんの車が並んでいたけれど、1つだけ気になったことがあった。

こういう特別な日は、私は異常な数のゾロ目ナンバーを見る。

1台2台じゃなく、数台見る。

すごい日だと同じナンバーのゾロ目を5台6台と見る。

ゾロ目ないなぁと思った。

あんなに見るのが常なのに、何で今日はない?と思った。

まぁでも、定規とトンネル工事のセットで私の中はウホウホだったから、もうゾロ目はなくていいやと思った。

信号を超えてもう待ち合わせの喫茶店も見えた頃、やって来た。

対向車が「3ー11」、私の誕生日のナンバーだった。

それ見て息が止まるかと思うほど驚いた。

これは私が勝手に思っていることだけれど、東日本大震災があったからか3ー11のナンバープレートの車は本当に見ない。

年間通じても片手で数えるぐらい。

そしてその番号は希望しないとおそらく来ないから、自粛の意味なのか本当にいない。

それぐらい見ないナンバーを、もう着くという直前に見て私は度肝を抜かれた。

定規とトンネル工事と3ー11のナンバープレート、これが揃ったことで、今日は絶対に大丈夫だと思った。

もう一生会えないと思っていた定規と再会し、先週はしていなかったトンネル工事がなぜか昨日はしていて、そして自分の誕生日のナンバープレートの車とすれ違う、それも到着直前の絶好のタイミングで。

間違いなく色んなものが味方している、そう思った。

ちなみに、帰りはもうトンネル工事はしていなかった。

そのトンネルの工事はいつもイレギュラーで、昼夜通してしていることもあれば昼間だけの時、又は夜間だけということもある。
(1年のうちの4分の1から3分の1の期間、不定期に為されてると思う)

今回は昼間だけのようだった。

そう、夜間ではなく昼間だったおかげで行く時に見れた。

最後の不安のかけらを取り除いてくれるかのように、トンネル工事はされていた。

(続く…)

2018年11月15日木曜日

新潟の空よりありがとう

・オルゴナイトとの出逢い
・足ツボマッサージ
・辞職
・ホロスコープ講座
・ヒーリング勉強会

という流れが今年の前半。

9月以降から現在
・フラメンコ鑑賞
・携帯画面割れて機種変
・今回の人命に関わるペンジュラムの要請

もう今日は驚きっぱなしの1日だった。

そして全てが全部全部繋がっていて、そして今になった。

今日は詳しいことは書かないけれど、私は今日のことは一生忘れない。

明日以降まとめてアップしようと思ってる。

今日の〆は、濃い金色の上弦の半月となんと2回も流れ星を見た。

嘘みたいな本当の話。

明日以降書く話のタイトルはすぐに決まった。

『奇跡のファンファーレ』

ファンファーレは、トランペットなんかでする華やかな演奏のことを指すらしい。

本当に奇跡だらけで、1年分の奇跡を集めまくったかと思った。

それぐらいにすごかった。

そして全てが寸分の狂いもなく、起こっていたとわかった。



昨日の夜、願い事をつぶやいてみて良かった。

願い事は本気だったけれど、仮に願い事が叶った場合、私は叶っていることに気付けるんだろうか?という疑問はかなりあった。

相変わらず、願い事大好きでも、毎回どうやって叶うのかも想像できずに今日を迎えた。

そもそものペンジュラムの仕事の方が想定外のことばかりではあったけれど(良い風に想定外)、その中で私が昨日願った事が叶ったとわかる合図が3回もあった。

もちろんそれが合図だなんて保証はなく、ある意味また私のスーパーポジティブな頭の中お花畑的な解釈がそうさせてるのかもしれないけれど、それでも私も自分の目と耳で確認できるものが今日の家を出た後から実際のペンジュラムの仕事が終わるまでの間、その間にだけ突如出てきた。

願いが届いて、そして願った事が返されてきた、そう思った。

祈ってもらえたんだと思った。

しかも、本当に今日の出来事はものすごく大事なことで、私は一生忘れない、そういうすごく色濃い1日だった。

人生においてそんな大切な時に祈りが届けられたと思っている。

他の日じゃない。

本当に私がこれから先の人生を歩くのに絶対に忘れられないことを山ほど体験させてもらえた日、その日に祈りが届けられた、そう思っている。

そして私が気付けるように、あり得ないサインが3つも届いた。

本当に嬉しかった。

そして思いつきもかなりいいとこだったけれど、思いつきを呟いてみて良かった。

冗談抜きで私は今日のことが怖かった。

引き受けたくせして、お馴染みの怖がりを発動していた。

そして今回は単なるペンジュラムじゃなくて、人の命に関わることだったから余計にそうだった。

その人が家族の元へ帰れるようにその人の所在をペンジュラムで見ていくのは、やっぱりやる前は色んな怖さがあった。

そして心細かった。

周りの人たちの協力も仰ぎつつ、それも素晴らしい話に繋がっていったけれど、とにかく怖いものは怖いし、自分のすることが良いのか悪いのかもわからなかった。

ちなみに今日ほど色んな人たちとのご縁を感じたことはない。

それぐらいに色んな人たちの人生が交じり合って1つのストーリーを作り上げていた。

そうした大切な時に届いた祈りだった。

本当の本当に嬉しかった。

ありがとうございました。

無事に届きました。

そして、全てが事無きを得たどころか、私にとって全てがうまくいきました。

本当の本当にありがとうございました。

武士俣史子

2018年11月14日水曜日

道具は使われても文句を言わない

これまでに考えたこともなかった発想。

「道具は私に使われても文句は言わない」

事の成り行きはこうだった。

ネット上のカード占いの監修者の方のブログに行き着いて、ネットでやっても本人の潜在意識から何かが出てくる、当たると言うより必要なことが伝えられる、みたいな記述を見つけた。

興味を持った私は速攻そのページに飛んでカードを引いた。

その中で出てきたのが
「道具は私に使われても文句は言わない」
だった。

それを読んで、真っ先に思い浮かんだのは、この春から自分でも認識しだした、自分自身のことだった。

今私の中で、「体質」と呼ぶのが一番抵抗なく受け入れられるから、体質と呼ぶようにしている。

「能力」とか「力」と呼ぶのは、私が嫌でそう呼びたくない。

私が体質だと良くて、能力や力だとダメなのはこんな理由だと思っている。

体質は、あくまでも自分の延長線上にあって、特別なことではない。

金属アレルギーで金属のアクセサリーを身に付けないのと一緒。

反対に、能力や力と呼ぶと、やたらと特別感が増してしまって、私にはそれが重荷でもあるし、何かを勘違いしている自分を感じてしまう。

どういう時に発動して、反対にどうなると発動しないのか、自分でも実験段階にあるし、あまり表沙汰にはしたくない。

だけど、少なくとも使える時は必要があって出てくるから、そしてそれは最早私のタイミングじゃなくて相手のタイミングだから、そうなった時はそうなることが必要なんだと捉えている。

私の体を介してその人自身からその人に向けて発するメッセージがあるだけ、と捉えている。

だから、私の場合、誰でも彼でものメッセージはキャッチしないし、普段の会話なら何も起こらない。

相手の人が何か大切な話をする時や今の状況を何とかしたいという時にしか、そして本人側からくるから本人が意識の深いところで発してるとは思うから、そうした状況にならない限りは私の方は何もキャッチしない。

ちなみに、そんなことできるなら、私自身のためにこれできないの⁉︎と真面目に思う。

自分のことは自分で答えを出しなさい、という意味なのか、自分のことはさっぱりわからない。

そっちこそ教えてくれ!と思う。

その体質に気付いてから、もう何かを学ぶのはしばらくストップだとわかった。

ホロスコープとヒーリングの理論を今学んではいるけれど、その2つはちょっと立ち位置が違う。

ホロスコープはひたすら自分を紐解くためだし、ヒーリングはその体質に対して気をつけることを学ぶためだから、これまでに習ったタイプの諸々とは大きく異なる。

今後は興味のあることが出てきたら何か習い事をするのはいいけれど、とりあえず心理関係は手を出す予定がない。

私が心理系の手法とかを本格的に学び始めたのは、多分31歳の頃。

35歳の前にはそうした学びから離れた。

37歳でペンジュラムが手元にやってきて、そして39歳になった今年、その体質的なものに気付いた。

私が心理系なものに手を出さない、と決めていることには理由がある。

の割に、心理系の読み物はかなりあれこれ読んではいるけれど…。

1つは、自分にダメ出しをしないようにするため。

もう1つは、今の自分のままで生きていく覚悟を決めるため。

長い心理の学びの中で、本当にたくさんのことに気付かせてもらったけれど、その中でもひときわ大きかったのは「『今の自分では足りない、今の自分ではダメだ』と思っている自分」だった。

これは、目標を立ててそれを確実に形にすることを繰り返した時に気付いた。

31歳までの私は、為せば成る、の考えの持ち主だった。

確かに為せば成るんだけれど、その動機が私の場合はまずかった。

私が何かを成したり学ぶのは、自分が自分のままではダメだと思っていて、それを隠すために何かを足しまくっていた。

例えば、外見に自信がないからと言って、一流のサロンで髪の毛を整えてもらい、一流のブランド服とバッグ、靴で自分を固めるようなものだった。

最初に違和感を覚えたのは、塾の仕事で表彰された時だった。

会社が望む数字は残せても、私には何も残らなかった。

むしろ、その数字のためにこれからも嫌な業務をこなし、そして数字が下がらない努力をする、と思ったらお先真っ暗だった。

数字とは真逆に私の心の中はどんどん荒んだ。

そんな時に出合えたコーチングで、そこからスピリチュアルな学びも始まった。

本当にたくさんのことを学んで実践して楽にさせてもらえた。

あるところまで行った時に、おなかいっぱいとなったのと、あとは自分次第なんだとわかって、それでそうしたところから離れた。

その時はそういうつもりではなかったけれど、今振り返るとそこで誰かから学び続けなくて良かった、と今にして思う。

今、ホロスコープやヒーリングの勉強でも思う。

とにかく私の学びの先生たちは、その分野でも一流の力の方ばかり。

本質からズレた人のところへは、基本私は学びに行かない。

力だけじゃなく、人としても素晴らしい。

で、そんな人たちばかりのところに当たると、今はすっごいマシになったけれども、かつては自分の不足しているところが目立って、自分の力の無さに泣きそうだった。

「私はまだまだ」という自己否定と、自己否定ゆえの頑張り(行動)がセットで起こるなんて、日常茶飯事だった。

特に私は、自分が「人よりもできない」という、間違った自己認識が長いこと、長いことというのは30年近く自分を支配してたから、余計とタチの悪い自己否定ループに入っていった、とても自然に。

あまりに自然すぎて違和感もなかったから、私はそもそも自分が自己否定をしていることにさえ気付かなかった。

だから、そういう人たちを前に「自分には足りないことがたくさんあって、その足りないことをある程度は人並みに埋めないといけない」と思うことが毎度のことだった。

具体的な分岐点があったわけではないけれど、そのままでは私はどこまでも頑張り続けないといけないし、いつまで経っても自分が楽にならないと気付いた。

で、最初は自己否定したり自分を責めたりすることに気付くことから始めて、そしてその後もあれやこれやと自分を癒すことに費やし、そして今は「もうこのままの自分で生きていこう」みたいなところに来ている。

この話止まらないからもう少し続行(どうした?カードの話…と思いつつ)。

「このままの自分で生きていこう」ってさらりと書いたけれど、これ私にはバンジージャンプ並みに怖い。

多分ある程度は好き勝手にやっているし、私の数々のやらかし具合を見ても付き合ってくれた人たちも友達も家族もいるわけで、「何を今さら?」と言われるかもしれない。

でも普段の私は、少なくとも人前に出る時は、人前用の自分がいる。

しかも長年の訓練という名の実体験のおかげで、私は人によって自分を変える技にも長けている。

良いのか悪いのかわからないけれど、空気を読んで相手の欲しそうな反応や言葉、行動を提供するのはかなり得意。

変な人と思われたくないから、ある程度世の中の枠の中に自分を当てはめることも、キャリアとしては長い。

仕事をする時はかなり別人だし、そこでの人間関係の調整役は大抵勝手に回ってくる。

自分で言うのもどうかと思うけれど、私みたいな人がいると便利だろうなぁと思う。

基本否定しないし、話聞いてくれるし、でもかと言って板ばさみ的な感じならどちらに寄ることもなく、他言しない。

色々愚痴るにはかなり良い。

だけど、そういうんじゃなくて、地で生きる自分は変わってくる。

元々協調性がないけれど、さらになくなる。

たとえ仲の良い人でも、ぐっと踏み込んでこられると私は自分のメンタルがもたないから逃げる(←これはすでにやってる)。
9月11日
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上の話は9月に書いたもの。

一部わかりにくい表現もあるけれど、このままアップ。

道具の話から入っているのに、最後は職場とか複数の人間で構成される場での人間関係やその中での自分の役割の話になっている。

いくつか補足(順不同)。



【人間関係の中の役割】
自分のホロスコープの説明を受けた時に、そんなことまで出てるの?と思ったけれど。

基本的に複数の人が関わる場所、それが職場でもプライベートでも、とにかく場を問わず調整役みたいな役回りが回ってくる。

しかも表立っての調整役じゃなくて、完全裏方の、そして多分大抵の人たちは私のところに情報が集まってるとか、色んなところが結びついてるとかいうのは気付かない。

良いことは伝えても(例えばその人が良い風に評価されてたことや、その人がしたことで周りが助かったこと)、それ以外の部分は完全に私のところでストップさせる。

そうした役割を担うことがホロスコープに出ていて、そしてそれは冥王星とセットだから、否が応でも押し付けられると夏に鑑定を受けた時と今のホロスコープ講座の先生とから説明を受けた。
(ホロスコープで冥王星と組むものがあると、異常な状態を生み出しやすい)

不幸中の幸いは、そうした役割が嫌ではないこと。



【自己否定】
これ昨日たまたま読んだ発達障害児の育児をしているお母さんのブログでわかったこと。

多分、私これだ!というもの。

・ADHD
(不注意型優勢、のび太みたいな感じ)
・発達性協調運動障害
(スーパー運動音痴・不器用)

ADHDは注意欠陥多動性障害と呼ばれるもので、多分私は注意欠陥の方がより強いと思う。

人が話していてもボーッとしてしまうことや、途中で違うことを考えてハッと我に帰ると目の前の人の話が全く気付かぬうちに違う話になってたとかかなり日常茶飯事。

思い付いたことを衝動的にしたり、はちゃめちゃな順番で物事を行うのも毎度のこと。

整理整頓や時間管理が下手。

ちなみに私はどんなに時間があっても、なぜかいつも家を出る前は超ギリギリ。

途中で家事とか仕事を投げ出す(仕事はやりきるけれど、順番がめちゃくちゃだから、後から「うわっ、あれ忘れた!」とかしょっちゅう起こる)。

人の話の間に入ったり、説明が終わらないうちに質問したりもよくある。

これは状態を生み出さないために意識的にコントロールできる時と、そんなこと忘れて無意識でなる時とがある。

ちなみに仕事中は、そういう自分の特性(これまでは性格だと思ってた)がわかっているから、相当気をつけているし、そうしたことがあまり起こらないように並々ならぬ労力をいつも必要とする。

気になって調べたらそれだけじゃなかったけれど、色々症状を読むと自分とかなり重なる。

だけど大したもので、自分でもかなり気をつけるクセがついたから、私の場合は軽症で済んでいて(多分…)、自分ではそんなに困ったと感じていない。
(周りの人たちが私に対して困っているかどうかは知らない)

発達性協調運動障害の方はかなり顕著だったと思う。

言葉は不明瞭でそれは子どもの頃相当親や先生に注意を受けた。

基本的に外国語の発音、rの舌を巻くとかは口の中の動きがわからないから、正しい発音は不得手というのもそれに繋がると思う。
(ちなみにスペイン語はrr2つのもっとすごいバージョンの舌巻き発音があるけれど、当然できない)

なわとびは夏休み猛特訓してようやく飛べるようになった(要は、縄を回す・縄が来たら飛ぶ・飛んだらまた回すという一連の動作の流れと自分の身体機能を一致させられない)。

自転車も乗れるようになるまで訓練。

大人になってから友達の前で自転車に乗ったら「ぶっしー、自転車乗れるの⁉︎」と驚かれたことがある。

ちなみに逆上がりは一度もできたことがない。

逆上がりに至っては、未だにどこの力を使ってあのような動きができるのかわからない。

前回りについてもやっとできたし、鉄棒はそれしかできなかった。

跳び箱も猛特訓して飛べたけれど、中学高校のサイズアップしたものは無理だったし、高校の体育のハードル(テスト)は飛べなくてわざと避けて走ったら先生にめちゃくちゃ注意された。
(飛べないのに飛んだらまともに怪我するから私なりの苦肉の策だった。もしくは手で倒してからハードルを跨げば良かったのか…←えっ?)

走高跳とかあれ何の競技ですか?って感じだった。

忘れもしない、エスカレーターに乗ること。

あのタイミングも本当に掴めなくて、1人で乗るにはエスカレーターの前で立ち往生しなければいけない子だった。

それが小学校1年生の修学旅行で新幹線の駅の見学の際、エスカレーターに乗らないとで、本当に怖くて隣りの子の腕を思わずガッと掴んでしまって、向こうも驚いたし私も半分死にそうになりながら何とか乗れたということで胸がバクバクしたのは今でも覚えている。

決して記憶力がいいんじゃなくて、それぐらい体に残るぐらいに、衝撃が大きかった。

なんなら今も困るのが、遠くから「渡すよ」と言われて物を投げて来られる時。

これがすごい確率で落とす。

まともにキャッチできない。

時々キャッチできると「あれ?うまくキャッチできた!!」ぐらいな感じになる。

私そこまで取りに行きます、と言いたいぐらいに下手くそ。

ダンスとかもそうだったけれど、まず言われた指示通りに動けない。

周りを見て真似ようとしてもその動きの体の動かし方がわからない。

これコーチングを数年前に習った時にもわかって、相手のポーズを真似してそこから気持ちを読み取るみたいなワークの時、私はそのポーズが真似できなくて、本来観察者に徹する人たちが総出で私のところにきて私の体の位置を直してくれた。

ちなみに感想は、正しい形で真似できていたのかもしれないけれど、私には間違えてた時も正された時も何が違うのかわからず、そしてそのポーズを維持するのに全力を尽くしていたから、相手の気持ちを読み取る余裕なんてなかった(苦笑)。

証明写真撮る時も顎引いてくださいとか、もう少し右側を下にしてとか、そういうこと言われてもわからなくて、そして自分では直したつもりでもおかしいままだから、撮影者が私のところまで来て直すことも多々ある。

一事が万事この調子だから、できない自分というのが子どもの頃にものすごく強く意識に刻まれたから、当然のように自己否定強めな大人になった。

でも、そうした心理面のケアも色々習って、かなり自己否定を緩和することに成功したと思う。

ちなみに調べた時に、そうした子どもへの不適切な関わり方が箇条書きで説明されていたけれど、私はその不適切な関わり方を制覇したような幼少期・学童期だったとわかった。

そして、そこに書かれていて納得したのが、この手のタイプはとにかく普通にみんなができることができないから、自信を失いやすく自己否定に陥る傾向が強いから、本人の自己肯定感を高めるようなやり取りや取り組みが必要とあった。

私はたしかに子どもの頃がかなり悲惨な感じの体験が山盛りだったりするけれど、そうしたことに大人になってから気付けて対応できたことは大きかった。

それが結局のところ、心のケアに繋がるわけだから、色々上手くできてるなぁと思う。

今、変なこと思い出した。

塾に勤めていた時、保護者からうちの子ADHDの判断が下りました、と話が出た子がいた。

その子は2年強見たけれど(診断はわりかし早い時期に伝えられてた)、私は最後までその子がそうだと感じたことがなくて、一応苦手なやり方は避けて本人が取り組めるやり方は工夫したけれど、私は全く気にならなかった。

その子もそのタイプだったんだと今わかった。

私には何でその子がその診断になるのか全然わからなくて(一応資料には目を通したし、保護者の希望するものにはその通りにした)、でも今わかった。

その子はまさに私みたいな感じで、私自身がそれを性格の一部と捉えていたから、あれ?似てるね?私たち!という感じで、私は全く問題にさえ思わなかった。

そしてまさかそれが障害だなんて、思ってもいなかった(笑)。

もっと言うと、医師の誤診断かとさえ思っていた。

似た者同士、のんびりな子だなぐらいで、言われてみたら私は急かすこともしなければ基本的に本人のペースのまま何でもさせてた。



【道具】
上のことを踏まえて私個人で感じたこと。

子どもの頃はオール1で、読み書きそろばん全滅で、字は読めないわ数字の概念は理解できないわで、自分でも人並みどころか周りよりもものすごく劣っている自分には気付いていた(←こういう察知能力だけは当時からあったし、自分をそういう風に客観視するのも自然とできていた)。

そこにスーパー運動音痴に先生の指示が理解できないという二重三重に負の要素が付け足されて、とにかく何をするにも人よりも遅くて要領を得るにも人の倍どころか何倍も努力しないとできないことばかりだった。

そんな私が、ペンジュラムだけは本当にどういうわけかすぐに使いこなせて、自分でも若干驚いた。

後天的に鍛えられてできることは増えたけれど、最初から何の説明も練習もなくできたのはペンジュラムが人生初だった。

あと、目に映るものや周りで起こっていることなんかからメッセージをキャッチするのも、これまたやり出したら自分が好きなのはもちろん、そこから何かを感じて言葉にするのも多分得意な分野だと思う。

道具について、私がこの程度で済んで良かったというのは、ヒーラーの方と会った時に思った。

その方は一番ひどかった頃、街行く人たちの心の声が丸聞こえで、本当に大変だったと言っていた。

そうしたものをコントロールすることも習いに行ったようで、普通はそうした力を引き出すために習いに行くのに、その方の場合は逆でそれを減らすために習いに行った模様。

私はそういうことはなくて、誰でも彼でもというわけではなかったから良かった。

なんとなくだけど、本人からの希望がないと私の元へは何かしらのメッセージは来ないと思う。

あくまでも本人の希望ベースで飛んでくるみたいな。

過去に1人だけ、頼まれてもいないのに癒しのレシピをその人に向けて書いたことがあった。

その時こそ本当に本人から来ているという確証もなければその後も音沙汰なしだから実際のところわからないけれど、とにかく本人に届けるためのメッセージがバンバンやってきたから、それで急遽癒しのレシピとして作った。

私が勝手にやってしまったけれど、しかもやって良かったのかどうかは今も謎のままだけど、それでも来るものは来るからやってしまった。

さっき久しぶりにその癒しのレシピを読んだけれど、内容がやさしいなぁと思った。

そしてこれまでやった人たちの中で、一番愛に溢れていた。



【ペンジュラムのその後】
「道具は私に使われても文句は言わない」

明日11/15の午前中、行方不明になった人の件でペンジュラムを使うことになっている。

私が積極的にアピールしてやることになったのではなく、色んなことが重なってこのこと自体が私の方にやってきた流れで物事が動いている。

この件に関しては事が事だから、そういうことに精通している人2人に連絡してヒントをもらった。

そのうちの1人が「ぶっしーちゃんが思った通りにやったらいい!それで絶対に大丈夫だから!」と言ってもらえた。

本当にありがたかった。

ペンジュラムと自分が思いつくままにペンジュラムに質問していくのとでやろうと思っている。

ちょっぴり願い事をぼやいてみると、私がそのご家族のために必要な情報をペンジュラムと力を合わせてキャッチできるように祈ってもらえないかな…と思っている。

その人から祈ってもらえると、力が増す気がする。

私の仮説が間違っていなければ増すはず。

その人のおかげでペンジュラムの能力が大きく分けてこの1年の中で過去3回グレードアップしたから、その人が祈ってくれると本当に良い風になる気がする。

ひっそりこっそりで構いませんので、どうぞよろしくお願いします。
11月14日