2015年7月31日金曜日

贅沢な夕日鑑賞

快晴の今日+満月の今日。

もしかして沈む太陽と昇る満月を同時に見れるんじゃないかと思って、

夕方空のひらけたスポットへ行ってみた。

その場所は近所のごちゃごちゃした様子からは到底想像ができない位に、空がひらけている。

周りには何にもないわけではないけれど、少なくとも180度見渡すことができる。

しかも歩いて行くには辺鄙(へんぴ)な場所で、誰もいない。

今日ももれなくそんな風で、「人間=わたし一人<鳥<とんぼ」の順で人口密度が完成していた。

そこは芝生のような草が敷き詰めてあって、地面に座って夕日を鑑賞するにはもってこいだ。

虫の鳴き声コーラスと目の前を自由に飛ぶたくさんのとんぼ、そして不思議なフォームの低空飛行

をしている鳥たち、あとはわたしだけという絶好のスポット一人占めだった。

残念ながら夕日と満月を同時に見ることは出来なかったけれども、両方ともそれはそれは

きれいなまん丸のものを目にすることができた。

夕日に至っては、とても都会で見ているものとは思えない、きれいなきれいな夕日だった。


そもそも、今日そんなことを思い付いたのは、昔のある体験がもとになっている。

大学1年か3年の時の冬、わたしはこれまでの人生でたった一度だけ沈む真っ赤に燃えた太陽と

これから昇る真っ白くて太陽と同じ大きさの満月を同時に見たことがある。

そこはひらけた土地で、それこそ水平線が見える。

山も建物も何にもない場所で、道と空と水平線、周りは休耕地の畑のみだった。

右手に太陽、左手に満月、という本当に摩訶不思議な光景が繰り広げられていた。

ふとそれが可能なのではないかと思って出掛けてきた。

結局は、たしかに真っ赤に燃えている太陽も真っ白い満月も空には出ていたけれども、

その2つを同時に見るということは叶わなかった。

というよりも、そもそもそんな希少な体験を人生で一度でもできた、ということが奇跡なんだと

今さら悟った。


夕日鑑賞を終え、満月鑑賞に移行しながら家へ戻る道すがら、友達からメールがきた。

おととい共通の友達が赤ちゃんを産んで、会ってきたよ!と写真付きでメールをくれた。

生まれたての赤ちゃんは、本当に神聖で独特の雰囲気をまとっていた。

「幸せのおすそわけ」と言ってメールをくれた友達に感謝しながら、そしてお母さんになった友達

にも感謝しながら、満月を眺めていた。

すべてが奇跡だらけの連続だった。

2015年7月30日木曜日

本のダイエットからの徒然

もう何回目の本の断捨離だろう。

だいぶ少なくなってきたとはいえ、まだまだ手元に残っている。

今回改めて5冊手放す。

今一体何冊あるのか数えてみたら、その5冊を除いて45冊だった。

最終的には30冊を目標にしたいなぁと思ってる。

この2~3年で行った物の断捨離を通して、どうしても手放せないものがあると気付いた。

死ぬ日の瞬間を思えば、本も、断捨離できずに手元にあるものも、何一つ自分と一緒に持って

行けるものはない。

本はなんとなくまだイメージが湧く。

いつかは全て手放すなり欲しい人に譲るなりするだろう。

わたしが手放せないものはそこにストーリーがあって唯一無二のもの、世界にたった1つしか存在

しないものたちだ。

思い出の品の時もあるし、10代の頃に着倒した服の場合もある。

服はもう自分で袖を通すことはなくても、布のデザインが気に入っていて2枚だけ手元にある。

元々60年代70年代の古着で買ったもので、わたしはそれを手にしてから今日に至るまで、

ただの一度も同じデザインの服を見たことがない。

断捨離関係の本を読むと、服にしても思い出の品にしてもそういうものこそ手放しなさいとある。

決して過去に執着しているとかではない。

それらを手放したところで、一瞬は心に隙間風が吹くかもしれないけれど、またいつもの日常に

戻っていくだろう。

書いていて嘘だと思った。

いつもの日常に戻るのは本当。

でも隙間風が吹くでは済まない。

執着しているのとは違って、言うなれば手元に残しているものは日記帳に近い存在だ。

その時その時で書き記した自分は、今の自分がどんなに記憶力を抜群に発揮したとしても、

やはりなれない自分だし戻れない自分だ。

普段はよく忘れるけれど、そしてこのブログを書いている時もそんな風に思うことは一切ない

けれど、日記を書く時だけは「今この瞬間しかない自分」をものすごく近くに感じる。

手放せない唯一無二のものたちにも同じ気持ちを抱いている。

別に過去に戻りたいとか、その時のことを今もずるずる引きずっているとかではない。

でも、もうその時にいた自分はそこにしかいない。

今のわたしではないし、未来のわたしでもない。

多分何かとても大きな変換でもない限り手放さないだろう。

それなら「手元に残す」ことを前向きに決断する方が早いかもしれない。

断捨離の本たちはたしかに色んなことを教えてくれたし、実際にそれであれこれ色んなものも

手放すことができた。

でも、それ以上はできないという自分の中の禁断の域がある。

それは手放すことで解決するものではなくて、残すことが逆に解決になるのかもしれない。

今書いていてそんな風に思った。

2015年7月29日水曜日

綿100%

20代の頃はまった某生活雑誌で、時々「綿100%」の特集が組まれていた。

当時は何がそんなに良いのかさっぱりわからず、そして素材にこだわっている人たちをどこかで

面倒くさい人とか、細かいことにこだわる人、という風に捉えていた。

唯一こだわったことは、手入れが面倒かそうでないか位だった。

洗濯の度にごわごわになったり、毛玉が発生しやすかったり、アイロン掛けが必要なんていうのは

それだけで手間がかかり、そしてそういう手間を面倒だと思うわたしには論外の選択だった。

そして綿100%の服を着ていても、その触感の良さには気付かずにいた。

最初に綿100%の触感の良さに気付いたのは、多分今から3~4年前。

1枚の長袖Tシャツだった。

着た瞬間にその肌触りの良さがわかった。

それまでの綿100%が何だったのかと思ったほどに、全く異次元の触感だった。

それから気をつけて見ているけれども、どうも同じ綿100%でも当たりはずれがあるらしい。

加工の仕方が違うのだろうけれど、毎回毎回当たりというわけではない。

この春、定価1万円台という高級ルームウエア的なズボンを1枚母から譲り受けた。

母は服の修整会社に勤めている。

その会社では、一旦完成したもので不具合のあるものを直すことを主に行っている。

扱う製品が、それこそデパートに並ぶような衣類が大多数で、そして最終的に引き取り手がないと

母たち社員に格安で売られたりする。

デパートで買うのが馬鹿らしくなる位の値段で引き取られ、そのおこぼれをわたしがもらった。

綿100%のズボン、値札には5桁の数字が並んでいた。

はじめはブランド製品だからその値段だと思ったけれども、履いてみてそれは素材も高級品だと

わかった。

去年の夏、泣く泣くそれまで愛用していた5分丈の短パンを手放し、それ以来「これ!」というもの

に出会わずにいた。

今回母からもらったものは、長ズボンだ。

夏だから履かないかなと思ったけれども、とりあえず去年の代用品に出会うまでは履こうか、

ということで履き始めた。

繋ぎで履こうと思って履き始めたものの、これがものすごく良い。

長ズボンなのに、風通しが良いし柔らかい。

今の季節なら、その日に洗濯してその日に乾くから、他のものは履かずにそればかりを繰り返し

家で履いている。

すっかり綿100%に開花したわたしは、この間ユニクロで3枚綿100%のノースリーブを買った。

これも大当たりだった。

触り心地がとっても良い。

最近のユニクロで綿100%の品物を見つけるのはけっこう至難の業だ。

そんな中、たまたま見つけた上にしかも夏物終わりで特価で出ていた。

ものすごく良い買物をした。


こういう素材の良さに気付けるようになるのは、実は大人になってからなのかもしれない。

早い人は子どもの頃から気付くと思うけれども、わたしなんかは10代20代の頃は素材よりも、

デザイン重視だった。

大学生の頃だったと思うけれども、年配の人に「若いうちは色々冒険して着てみたらいいわよ。

年を取ったら着れないものって必ずあるから、何でも今のうちよ。」と言われたことがあった。

誰に言われたかも忘れたけれど、たしかにその通りで、原色のものとか奇抜なデザインとか、

とにかく好き放題に服を選んで着ていた。

当時はもう少し大人になったら違うものを好きになったりする自分が想像すらできなかったけれど、

今の自分は当時とはまた違った落ち着いた色を好むようになった。

そしてデザインも、飽きずに繰り返し着れるもの、色んな服と組み合わせられるものを選ぶように

なってきた。

そこにプラスして今は素材、特に触り心地も選ぶ際の大事なポイントとして入るようになった。

ちなみに、唯一変わらないのは、手入れが簡単であること。

これはやはり年を重ねようが、元来の面倒くさがりな性格はそのまま引き継がれ、衣類管理の

ストレスを極力減らすことには相変わらず余念がない。

2015年7月28日火曜日

理解できない日本語

今日このブログのページをネットで開いたら、何やら重要なお知らせが出てきた。

『欧州連合(EU)諸国におけるCookieに関する通知』というもの。

正味1ページ位の長さで、日本語で書かれている。

だけれども、何が言いたいのか、何を意味しているのか、じゃあわたしは何をすればいいのか、

そういうことがさっぱりわからない。

インターネット用語がばんばん使われていて、まるで知らない外国語の文章を読んでいるようだ。

最初の「Cookie」だけ意味を調べて、あとはもう読むことを止めた。

読んだところでわからない。

インターネットやパソコン関連の用語はいつもそうだけど、あまりにも馴染みがなく、さらにどこかで

学んだこともないので、さっぱりもってわからない。

そういう文章を読む時、いつも思うのが、その文章の作成者は「自分がわかる」レベルで書いて

いるのだろうなぁということ。

新聞がたしか小学校高学年だったか中学生だったかが読めるものを書く、というのが業界の

ならわしなら、インターネット・パソコン業界もそうしてくれないだろうか、と思う。

しかも、発展のスピードがめざましい業界だけあって、出てくる用語もどんどん増えていく。

増えていくけれども、一般人には馴染みがないから、結局今回のようなお知らせがきたところで、

解読不能に近い。

これとは関係ないけれど、パソコンの諸々の操作に関しても似たようなことが言える。

何せ1から独学でパソコン操作を覚えたから、操作そのものはできてもその「操作名」を知らない。

パソコンスキルのテストをこれまで必要に応じて受けたけど、毎回ひどい点数をはじき出す。

そう、問題の「操作名」と「操作」が一致しないから、わからない。

「で、何をしたらいいわけ??」となる。

まぁどちらも困ってはいないから、結局このままで通すだろう。

今は全然困っていないし、わたしのように流して終わりの人も他に多数存在すると思うけれど、

こういうことってある時信じられない位の大規模な問題に発展するのでは・・・と思うのはわたし

だけだろうか。

2015年7月26日日曜日

舌の記憶

事の発端は、冷蔵庫の中にあった使いかけの「シュウマイの皮」。

使い切れなくて、保管していたことをすっかり忘れていた。

おそるおそるサランラップを剥がし、中の様子を伺うと、なんと使った当時のまま!

カビが生えてるんじゃないかと思ったけど、大丈夫だった。

ちなみに保管方法は、袋に入ったままのシュウマイの皮を袋ごとサランラップで包み、それをタッパ

に入れていた。

それで丸2週間きれいに保てた。

ということで、その皮を使い切ろうとアレンジを考えるため、クックパッドを開いた。

シュウマイは作る気になれず、かと言ってスープにしたり何か別のものを巻いて焼く気もなく。

クックパッドはそういう時に大いに役立つ。

そこに「ラザニア」がヒットした。

ラザニアはいいかもしれない。

若干手間はあるものの、そこまで大変じゃないし、スープや焼くよりも全然いい。

その流れでラザニアを作ることになった。

大学時代、ラザニアはわたしの中で定番料理だった。

数え切れないぐらいの回数作った。

ただ当時は、ミートソースのみを使ったラザニアで、ここ最近見かけたラザニアのレシピで、

「ミートソース+ホワイトソース」

という2段仕様もあることを知ってそれを試してみたかった。

両方作るのはあまりにも手間すぎる、ミートソースだけは市販のレトルトを使って楽をしよう、

そう決めて、おそらく人生で初めてレトルトのミートソースを買った。

結果から言えば、このレトルトのミートソースが全ての味を台無しにした。

食べれない味ではないし完食したけれども、とにかく市販のミートソースの不味さにびっくりした。

冷凍食品もレトルトもあれこれ食卓に並ぶ家で育ったけど、気付けばミートソースは母がいつも

手作りしていた。

そしてミートソースは手作りするもの、というのが定着しているから自分でも普段は作っている。

何をどうしたら今日口にしたレトルトのような味になるのかわからないけれど(材料はそんなに

自分が作るのと変わらない)、全く別物だった。

この舌の記憶は実に不思議で、例えばシュウマイなんかはわたしはつい最近まで「自分で作る」

なんていう発想は一切なく、常に出来合いのものを買ってレンチンしていた。

実家も同じで、母なんかはシュウマイを一度だって手作りしたことない人だと思う。

味噌汁のだしは、顆粒だしの代表「ほんだし」だ。

だから何でもかんでも手作りにこだわってもいないし、楽できる物は楽をしている。

ただ、子どもの頃からずっと慣れ親しんだ「レトルト」はOKでも、手作りで通してきたものは今さら

舌の方が受け付けないらしい。

そんなこと考えて食事を日々取っていたわけではないけれど、いつの間にか自分の舌には好み

が生まれていて、「レトルト」でもおいしいものとそうでないものがある。

ちなみにわたしが大いにはまっているコロッケは、スーパーで1個18円で売っているものだ。

値段も魅力的だけど、味がすごく好きだ。

実家ではそんなのは出てこなかったけれど、これももしかしたら冷凍コロッケの名残なのかも

しれない(冷凍コロッケはどんなに少なくても1ヶ月に1回は食卓にのぼった)。

食事は毎日のことになる。

基本的に食べることが大好きだし、好き嫌いもゼロではないけれど限りなくゼロに近い。

ただ、「舌」の方は知らず知らずのうちに「この味は好き」「この味はいまいち」というのを記憶

していて、今日みたいな「レトルト」に当たると、食べ慣れていないせいか不味く感じる。

反対に、食べ慣れたものであれば、レトルトでも美味しいと感じる。

その基準が何なのかはわからないけれど、それは間違いなく母が日々手掛けた食卓が大きな

土台となっている。

2015年7月25日土曜日

土用干し

「土用干し」という響きだけで酔いしれてしまいそうだ。

梅雨が明けたと思ったら一度天気が大崩れ、ようやく毎日太陽マークの晴れを天気予報で確認。

待ちに待った?梅干しの土用干しをした。

この土用の時期に、2、3日梅干しを天日干しする。

条件はとにかくからっからに晴れていること。

去年の記録を見たら、丁度同じぐらいの時期に土用干しをしていた。

去年漬けた梅干しは味はOKだったけど、果肉部分と皮の硬さがどうしても気になる出来だった。

ネットで調べていくうちにどうもこの土用干しが梅干しの硬さ・柔らかさに関係することがわかり、

今年はなんとしても柔らかい梅干しを目指したいと鼻息荒く思っている。

梅干しの漬け方も色んな方法が出回っていて、何が正しく何が違うのか素人にはわからない。

いくつかの信用できそうな情報を掛け合わせて、あとは実験のようにやって結果を見るしかない。

一緒に暮らしている時は何とも思わなかったけれど、母は毎年梅干しを漬けている。

何の興味も湧かなかった当時は、梅の諸々の作業も横目で見ていた。

時々その手伝いを頼まれると、面倒くさいとすら思っていた。

だから細かな作業の手順とか、梅干しの様子だとか、目の前に大先生がいるのに観察すらも

しようと思わなかった。

今になってよく見ておけば良かったと思っても時すでに遅しだ。

だけど、たった1つだけ覚えていることが今回の天日干しで判明した。

天日干しをすると、梅干しとはまた違った特有の匂いが発生する。

独特の匂いだけど、それがまさに実家の梅干しを保管している場所とおんなじ匂いだ。

去年もやったはずなのに、全然その匂いに対して既知感も懐かしさも湧かなかった。

でも今年はどうだろう、その匂いが鼻についただけで、「うちのあの匂いだ」とすぐに思った。

そしてそれは子どもの頃から繰り返し嗅いできた匂いだ。

物置で母の梅干しは保管されているけれど、物置は基本的に年がら年中その匂いがする。

それがイコール梅干しの天日干しの時の匂い、という風にこれまでならなかったけれども、

今回の天日干しですべてが明らかになった。

嗅覚は人間の最古の才覚とどこかで聞いたことがあるけれど、本当に一瞬ですべてが繋がる。

匂いの記憶ほど強く体の中に残るものはないような気がする。

大袈裟かもしれないけれど、これから自分がどこに住もうと梅干しはずっと漬け続けたいと思った。

この匂いの記憶は、多分これから年を重ねれば重ねるほど希少さが増す。

それは自分の子ども時代だとか母の手仕事だとかを思い出す1つのカギだ。

こういう思い出の重ね方もいいなぁと思った、今年の土用干しスタートだった。

2015年7月24日金曜日

夏を彩るおすもうさん

どうも今、相撲の名古屋場所らしい。

徒歩圏内に名古屋場所の会場があるというのも、名古屋在住歴6年目の今日初めて知った。

涼しい風が時折吹く中、おひさまが一番高い位置にある時間に外を練り歩いた。

バスの停留所に2人のおすもうさんがいた。

ピンクの浴衣と水色の浴衣を着ていた。

両方とも、「ここはハワイですか?」と言わんばかりの濃いピンクと水色だった。

ちなみにどちらに行かれるつもり?と聞きたい方向で、一人で勝手に「もしやこれから合コン?」と

想像した。

そのバスの進行先は名古屋市郊外に向かうもので、はっきり言って地元民しか使わない。

ピンクの方のおすもうさんの耳にイヤホンがささっていて、そこはすごく今時なのに、自分の荷物は

浴衣の裾にしまうという昔ながらの作法で、そのギャップに目は釘付けだった。

さらに歩いたところで、平日なのに満車に近い駐車場とやたらと賑わっている人混みと相撲用の

大きなのぼりが見えて、それでようやく今が名古屋場所なんだろうと理解した。

そこにもまた一人派手なピンクの浴衣を着たおすもうさん。

今度のおすもうさんは、スマホをすいすいと操作し、手首にはパワーストーンのブレスレット。

時代は平成27年、「スマホ」という言葉が国民に浸透する位だから別におすもうさんが使って

いても不思議はないけれど、目の当たりにするとびっくりする。

おすもうさんの日常を見るなんてなかなかないから、思わずがん見で観察してしまった。

というか、この3人のおすもうさん達は、こんな風に外で油を売る時間なんてあるのだろうか。

観客と思しき人たちは、これからの観戦に向けて会場目指しているのに・・・。

まったくもって余計なお世話な思考を働かせながらおすもうさんたちを眺めていたけれど、

3人ともとても格好良く浴衣を着こなしていた。

普段から着ているだろう着こなし感と、きゅっと結んだ帯が全体に締まりを生み出していて、

粋だった。

男の人の浴衣姿なんてまず目にすることがないから、それだけで「夏」を感じた。

夏の風物詩を見たようで、暑い中の練り歩きも愉しかった。

2015年7月23日木曜日

慣れとは引き換えに失ったもの

コーチングやNLP(神経言語プログラム)で学んだことを紹介しようと思って始めたアメブロ(blog)。

最初はパソコン操作1つに四苦八苦していたのと、書くスタイルも定まらず右往左往していたのと、

とにかく不慣れなこと満載だった。

それが1つまた1つと操作に慣れ、さらにバージョンアップした操作方法も覚え、スタイルも何となく

こんな感じというのが出てきて、最初の頃に比べたらうんと良くはなった。

「作業的プロセス」の方には慣れた。

これは数をこなせば原理の通りで、やればやった分効率もスピードも上がる。

ただそれと引き換えに、と言うか、引き換えかどうかはわからないけど、最初とは違う自分もいる。

アメブロは書きたい!というものではないのが日に日にわかってきた。

毎日アップしてもネタが途切れることがないのはわかったけれども、かと言って「書きたい!」と、

心底感じるタイプの題材ではない、というのがアメブロだ。

こちらともう1つの『光の図書館』は、たとえ反応がなかろうが、何がどうなることでもなくても、全然

気にならないし、ただただ出てきた通りの言葉を紡ぐだけ。

一方のアメブロは、反応がないことも嫌だし、かと言ってそのために工夫することも気が進まない。

そして言葉を紡ぐと言うよりも、何とか読める程度の文章をひねり出す、という感じだ。

何せ目に見えないものを言葉を使って表現しようとしているわけで、時々その作業にどっと疲れる。

自分でもその日その日のエネルギーの乗り具合のアップダウンの激しさに気付いている。

「書くぞ!」という気持ちの日もあるけれど、どちらかと言えば「気がいまいち乗っていない」日の

方が多い。

継続は力なり、でそこそこ力のようなものはある部分ではついただろうけど、それが自分の

望んだものなのかと言われると即答できない。

ということで、アメブロとの付き合い方や自分が本当に望んでいることが何なのか、もう一度

初心に戻って振り返りたいと思っている今日この頃。

2015年7月22日水曜日

雨と太陽と奇跡と

梅雨明け宣言から一変、今日のどんより重たい雲に大降り小ぶりの雨。

ある年の同じ日はどんな天気だったんだろう・・・。

どんな天気のもと、1つの命は誕生したんだろう。

自分の人生を心底憎んでいる人に人生で初めて出逢った。

当時を思えば、同じぐらいもしくはもっときつい人生を送っている人に何人も出逢っていた。

だけれども、口にしてまで自分の人生や自分の命を憎んでいる人に逢ったことがなかった。


森山直太朗の歌の歌詞「この真っ白いキャンバスにあなたなら何を描きますか」が頭をよぎる。

とりあえず何枚もある直太朗のCDから目星をつけて1枚のCDを手に取った。

直太朗の歌は、「歌詞は知っていても題名は知らない」というのが多い。

この歌ももれなくそのタイプだ。

歌詞カードの文面を目で追い、題名を今知った。

『太陽』。

ぴったりだ。

自分の命を丸ごと憎んでいた人の性格を表すなら『太陽』そのものだ。


この間、ある情報が欲しくて、片っ端からノートを何冊も引っくり返して血眼で探した日があった。

5冊目の小さなノートにその情報はあったのだけど、途中で開いた別のノートのメモが目に入った。

全部は読まなかったけど、そこにはある占い師さんから言われたことをそのままメモしていた。

「救世主」とは書いていなかったけど、救世主現る、位の存在だった。

占い師さんはこんな風に表現してくれた。

「あなたがろうそくなら、その人物はあなたの火が消えないように燃料となったり、風が吹いたら

消えないように楯となったりする人よ。」

DSみたいな電子辞書みたいな機械にピピッとわたしの生年月日か何かを打ち込んで、それを

見ながらある年のある月を突然指し、

「この時にあなた心が粉々になるような出来事があったでしょう?その時に現れたのがその人物」

と言い切った。

その出来事のことなんか1つもその占い師さんに話していない。

ヒントになることすら言っていない。

その不思議な機械は一体何をその占い師さんに伝えたのだろう。

摩訶不思議な気分に包まれながら、的を射た占い師さんの発言にもう言葉も出なかった。


「銀河に浮かぶこの辺鄙(へんぴ)な惑星(ほし)の六十億分の物語

それは終わらない約束

草木も眠るあの聖なる夜に 偶然あなたが生まれ落ちた

輝く奇跡を信じ 生きる」

~『太陽』 森山直太朗より~


出逢いと別れを繰り返しながら人生は続いていく。

雨が降って、太陽が顔出して、その下で人と人とが出逢って別れて。

思い通りにいかないことも、自分が望んでいることと真逆なことが人生で起ころうとも、

人生は淡々と続いていく。

毎日きっかりと朝を迎えて夜が更けていく。

10回目の今日は、「自分の中でひと区切り」という言葉が浮かんだ。

どう完結していいのかもわからずダラダラと時間だけが過ぎ、気付いたら10回もの年を越して、

でも10回目を迎えたらこれまでの9回には決して表れなかった「ひと区切り」が生まれた。


「輝く奇跡を信じ 生きる」

直太朗の言葉の通りに生きているのかもしれない。

「目眩(めくるめ)く些細な悩みは 

とりあえず今は置いておいて

そのうち忘れればいい」

~『太陽』より~

悩みを出したり脇に置いたりを繰り返した10年。

それが臨界点に達して、気付いたら、忘れられるようになったのかもしれない。

だから「自分の中でひと区切り」が生まれたのかもしれない。


小雨の中、蝉の鳴き声があちらこちらから聞こえた。

灰色の空を2羽のカワサギと思しき白い大きな鳥たちが飛んでいた。

雨に混ざった風の中を、わたしの体は通過していった。

2015年7月21日火曜日

問いかけたら答えはやってくる

7月も気付けば3週間が過ぎた。

最近アメブロばかりに傾倒していたら、『光の図書館』が随分とご無沙汰だと昨日の夜気付いた。

気付けば7月に入ってから一度も『光の図書館』は更新していない。

せめて1記事は各月最低でもアップしようと、今年に入ったか入らないかの辺りで決めた。

おそらく今のところ、それは達成できている。

今月もあと10日で1記事はアップできるだろうと思う。

ただ、アップするにあたり、これを書こうというのが定まらなかった。

候補はメモ帳にストックしてあるからそれを開けばわかるけど、そういう気分じゃない。

そこで、何かヒントとなるものがやってきますように、と問いを宙に向かって投げかけた。

個人的にこの自分でもない他の誰かでもない、とりあえず宙に質問を投げかける行為が好きだ。

嘘みたいな本当の話で、宙に投げかけておくと、タイミングは読めないし方法も読めないけれど、

何かしらの方法で答えがやってくる。

これは何回やっても毎回面白い答えがやってくるし、そしてやってくる方法も毎回ユニークだ。

その一連のプロセスが面白くて虜になっている。

これを読んだ人にも是非試して欲しい。

どんなことにも応用できるし、回数を重ねれば重ねるほどこの不思議なプロセスの深遠さに

魅せられるはずだから。


先ほどドライカレーをお昼に作って食べてぼけ~っとしていた。

外は暑いから出たくないし、夜の寝つきが悪くなるから昼寝も避けたいし、本も読みたくない。

さてどうしようかと思っていた。

今さっと手に取れる位置にある本は10冊程度だ。

そのうちの1冊、滅多に手にすることのない童話の本をたまたま手に取った。

この本は、8年前祖母が亡くなったことで日本に帰国し、そのついでに丁度絵の個展を開いていた

友達に会いに行き、個展開催のお祝いに持って行った本だった。

内容がすごく好きで、わたしは友達用と自分用と同じ本を2冊購入した。

本は読む気がしないからぱらぱら開いて終わったけど、ふと二つ折りにしてあるメモ用紙に目が

留まった。

10年前の日付で、08-26-05となっていた。

そこに、ある子どもがつぶやいた言葉をさっとメモしておいたのだ。

そう、これが次回の『光の図書館』のメインテーマになる。

見た瞬間、「これを書こう!」と即決した。

何でこの本にそのメモ用紙を挟んだのか、挟もうと考えたのか、今となっては全く思い出せない

けれど、まさに今このタイミングで目に留まり、さらには宙に投げかけた答えがこんな風にやって

きた。

今回もこの用意周到なプロセスに驚きを隠せない。


10年前の夏に耳にした言葉。

今と同じ字体の自分の字。

漢字を含めてたった8文字の言葉。

その言葉を見て、当時の光景がありありとよみがえる。

たった8文字なのに、その時の風景も、子どもの顔も、全部が全部よみがえる。

「文字に残す」ってすごいことだと毎回感心する。

そこには紙と文字しかないのに、それを見ただけで色んなものを回想できる。

あれもこれも沢山忘れてばかりいる普段の脳みそと同じとは思えない位に細かく憶えている。

2015年7月20日月曜日

最近の美味しいもの

ここ最近はまっている食べ物たち。

①ムフス

中東の料理らしいけど、日本名に直すとしたら「ひよこ豆のディップ」。

そもそもそんな洒落たものを作ろうと思って作ったのが最初じゃない。

今考えたら破格値の乾燥ひよこ豆、1kgはあったと思われるそれが250円で売られていて。

買って食べられるように戻したところまでは良かったけれど、これまで積極的に使ったことのない

ひよこ豆。

カレーとサラダにしてしばらくは食べたけど、食べても食べても減らない。

ちなみに、ひよこ豆は冷凍保存可。

しかも、全く風味も味も食感も落ちない。

それを何とかおいしく食べられないだろうか、と思っていた矢先に「ひよこ豆のディップ」なるムフス

が某ブログで紹介されていた。

オリーブオイル、すりごま、にんにく、しょうが、レモン汁(又は酢)、塩、胡椒、ひよこ豆をミキサーに

入れて回したらあっという間に完成。

コンビニやスーパーで100円で売ってるタコスにつけて食べたらそれはもう絶品!

しかも、パッと見、手が込んでいるように見える。

おもてなしにも使える。

ひよこ豆の缶詰はそんなには出回っていないけれど、カルディのような輸入食材店だと100円台

での購入が可能。

それでも作ったけど、問題なし。

しばらくマイブームが続きそう。


②イタリア産乾燥スパゲッティ

これまでどんな乾燥パスタも、そんなには変わらないと思っていた。

ばか舌なのか、基本的な違いがわからない。

でも、とあるイタリア産乾燥スパゲッティを食べたらあまりの美味しさにびっくらこいた。

これまで食べていたものが何だったのかと思う位。

単にカルディで安く売っていたから買っただけで、全然期待なんかしていなかった。

むしろ、外国産だから「はずれ」ではありませんようにと祈った。

外国産のパスタは、当たりはずれがある。

はずれは、パスタに使ってる小麦粉の種類の問題だと思うけど、変なにおいがついている。

シナモンのような、うっすらだけれども、そのにおいが嫌いなわたしにはすぐにわかる。

それだったら嫌だなぁと思っていたけれど、大丈夫どころかとっても美味しい。

これからは常備しよう!と思っていたにも関わらず、カルディの店舗にはもう姿かたちすらなく、

どうしたことかと思い、念のため写真におさめたパッケージを店員さんに見せて聞いた。

店員さんがご丁寧に色々調べてくれて、そのスパゲッティはもう生産中止のもので日本に入って

くる予定がないとのこと。

これにはショックを受けた。

たまたま別のイタリア産スパゲッティがセールになっていて買ってきたら、これも美味しかった。

しばらくイタリア産のスパゲッティをあれこれ試してみたいと思っている。


③ファミリーマートのドーナツ

コンビニのドーナツが美味しくて安いという記事をどこかで読んだ。

そんなこと忘れて近所のファミリーマートに行ったら、そのドーナツを見つけた。

たしかに税込108円と安い。

半信半疑で試しに食べたら、これがとっても美味しい!

しかも、ボリュームもしっかりあって食べ応えがある。

今日が2回目の購入だったけれど、常時在庫を切らさないようにしているようで、それはそれは

ありがたい。

コンビニスイーツとかよくわからないけれど、今回のドーナツは大当たり。

個人的には、ミスドよりも好き。


④わらびもち

今年の流行は、わらびもち。

これまでも好きだったけれど、こんなにも好きでリピートして買ったことがない。

スーパーで売ってる100円ちょっとのもので十分おいしい。

この間、抹茶わらびもちとバニラアイスとあんこがセットになったパフェを食べたけど、やっぱり

断トツでおいしいのはわらびもち。


⑤ベーコンとエリンギの炊き込みごはん

炊き込みご飯のレシピは、当たりとはずれの差が激しい。

基本的に紹介されている位だから、まずいことはないけれど、自分の好みストライクか、アウトか、

その差がいつも激しい。

ベーコンとエリンギの炊き込みごはんも、やってみたい!と言うより、たまたま全ての材料が

家にあったという理由で炊いた。

これが大ヒット!

味付けは、しょうゆ、オリーブオイル、コンソメ、酒、塩。

しょうゆとオリーブオイルとコンソメ・・・なんとも変な組み合わせと作る前は思ったけど、これが

ものすごくいける。

スパゲッティでも応用したけど、同じく美味しい。

個人的には炊き込みごはんの方が好き。

ただ、あんまりにもストライクで食べ過ぎてしまうから、これはお楽しみで時々炊くことにしている。

2015年7月18日土曜日

思い出したこと

昨日5年来の付き合いになる友達というか、年上の尊敬する人に会っていた。

話をすればするほど癒されていくその過程に目を見張りながら、1つ思い出したことがある。

「自分が人生で大切にしているもの」、それを言語レベルで認識することは普段ほとんどない。

いつも薄ぼんやり頭の中にあったり心で感じたりすることはあっても、それをわざわざ言葉にして、

外に出したりすることはない。

一応ブログを書いているけれども、ブログを書くことと「自分が人生で大切にしているもの」を

言葉にすることは別々のような感じだった。

でも、昨日会った友達を見て二人で話していて、「これこそが大切にしたいこと」というのを、すごく

間近に感じた。

わたしも色々やらかすけれども、それでもやっぱり一番大切にしたいことは「人間関係」で、そして

縁あって一緒に過ごせる人たちとの時間だ。

それだけは、どんなにお金を積んでも成り立つものじゃない。

空気や太陽と同じで買えるものじゃない。

ただその2つと違うのは、いつもそこにあるわけじゃない。

人との関係や人との時間は、勝手に生まれるものじゃない。

それを築くのに、そして続けるのに、何かしらの思いや手を付け加えることが必要になってくる。

そしてその人間関係の中でも自分が大切にしていることがある。


いつもブログを書いている時、とりあえず一言で「○○」と表現できないから、だらだらとプロセスを

書くことがわたしの場合は多い。

表現できないもの(○○の部分)が何かは感覚でわかるから、それをひたすら言葉に置き換える

作業をする。

ただ、日々色んなことを書きながら何をわたしは言おうとしているのか、その共通のテーマが何か

いつもわからずにベールに包まれていた。

そのヒントが昨日、友達の口からもたらされた。

「○○」の部分は、やっぱり一言での表現は難しい。

これだけたくさんの言葉が溢れていても、それでもなお一言では言い表せない。

一言では言えないけれども、それを体や心で感じることはできる。

感覚の世界だから、それを言葉にする方が無理がある、と昨日の友達は言っていた。

だらだらとプロセスを書いてはいるけれど、実はそこの根底に「自分が感じていること」を何とか

表そうとしている。

友達は、「全員には厳しくても、わかる人にはわかること」という風に言っていた。


さっき、ある人のブログを読んでいた。

その人は珍しく、自分の過去の経験を言葉で綴っていた。

そこにはその人のストーリーが広がっている。

ストーリーとそこでその人自身が感じたことが、言葉ではわかりにくいけど、多分これだろうなぁ

というものがあった。

実は、そのストーリー全体が、過去にわたしも体験したことのあるものだった。

目で追っているものはその人のストーリーなんだけど、頭の中に広がっているものは自分自身の

過去の体験だ。

それにより思い出したことは、今思い出しても甘美だし、良い体験をしたと思っている。

その人はあくまで自分の体験をシェアしているだけなんだけど、それを読んでいる読み手の

わたしにはまた別のものをもたらしてくれる。

そこから思い出したことは、わたしだけのストーリーで経験だ。

言葉になんかできない、でも心の中で思い描くことのできるある日のある場面のその時の自分が

今いる。


それでいいんだ、と思った。

きれいな言葉で、わかりやすい表現で、綴る必要はない。

わたしが自分自身のストーリーを外に出すことで、そこから感じるものは十人十色だ。

誰が何を感じてもいい。

その感じる引き出しを1つ、また1つとこれからも綴り続けよう、とそっと自分に誓った。

2015年7月17日金曜日

体内センサー

先日、「4食連続+2回のお茶」を外で取った。

こんなにも外食をしたのは、思い出せない位に前だ。

1食、2食の連続外食はあっても、数回分をほとんど外で食べる機会は限りなくゼロに近い。

食べたお店は基本的にどこも手作りで、1つはチェーン系の定食屋さんだったけれど、

そこも注文を受けてから調理する方式だった。

他は個人経営できちんと作られていることは見えた店もあれば食べればわかる店もあった。

決して不健康な食事ではなかったはず。

よほど普段の食事の方が適当すぎて、栄養が足りないと言うか偏っていると言うか、問題がある。

にも関わらず、体はどうも違う風に反応していた。

まずは、普段出ることのない吹き出物が3つも顔に出た。

そして、何も食べていないのにお腹が張ってちょっと痛みを伴っていた。

便秘とも違うのに、全体的にいつもと違う食事の様子を、体内の方でそれはそれは敏感に反応し、

わたしにも目に見える形で「ちょっと体に負担があるようです」アピールをしてきた。


普段ほとんど全部自炊をしている。

「自炊」なんていうとけっこう大層なことをしてそうだけど、納豆ごはんで終わる日もあるし、

張り切って作りすぎてカロリー過多な油ギッシュな日もあるし、まぁ様々だ。

決して「健康派」ではない食事であることは間違いない。

一汁三菜なんて夢のまた夢だ。

材料や調味料だって、安けりゃいいとか、醤油・塩・砂糖・味噌あたりはちょっとだけ良いもの、

と言っても200円~500円位の間で買えるものだし、かなり適当だ。

かなり適当ごはんだったのに、体の方はそれで日々安心して暮らしていたらしい。

多分外食の方が良いものを使っていたと思う。

だけど、体は食べ慣れたものの方が消化や吸収に良かったようだ。

まさかこんな風に体が反応するとは思わず、今回の異変には心底驚いた。

大した異変ではないし、またいつもの食事に戻ったら吹き出物もお腹の張りも治まったけど、

こんなにも敏感に自分の体内センサーが働いているなんて驚き桃の木山椒の木だ。


「普段食べているもので体は作られている」

よく聞く言葉だけど、本当にその通りなんだと今回ほど思い知ったことはない。

2015年7月16日木曜日

「繋がる」

色んな人間関係がある。

色んな人間関係がある中で、タイミングよく「繋がる」人というのが必ず存在する。

それは「タイミングよく会える・メールや電話をする」とかいう目に見えてのレベルではなく、

今でなくてはならないというどこか良い緊張感と「会うべく人とは必ずそのタイミングで会える」

という交わりの意味での「繋がり」だ。


時間をかけて行った人間関係の断捨離。

「人間関係の断捨離」なんて言うと失礼な感じもするけれど、自分を守るために距離が必要な

人間関係がいくつかあった。

一緒にいると不愉快になったり傷付いたりする関係だ。

それは、色んなことを教えてくれたけれど、わたしは修復するとか我慢するとかではなく、「断つ」

ことを選んだ。

断捨離がある程度の終わりに近付いた今、元々何かしらの関係はあったけれどすごく頻繁に

やりとりしているわけではない、というタイプの人たちからここ数日で一気に連絡がきた。

単純に「これからも繋がっていける人たちなんだ」と思った。

そして、そういう心ある素敵な人たちと繋がれることが本当に嬉しい。


人間関係の断捨離をしていくプロセスの中で、「自分は何を大事にしたいのか」ということが、

言葉で表すのは難しいけれど、自分では「これ!」ってわかる瞬間がある。

反対に、「これは違う・・・」という瞬間もある。

人間関係の断捨離に関して言えば、わたしが「断つ」と決めた人たちとわたしとの間で起こった

ことは非常に些細なことだと思う。

些細だけれど、わたしの中では「アウト!」の判定だった。

起こったことは仕方ない。

それに対して怒りやら悲しみやら色んな感情を感じた自分もそれはそれでありだ。

だけど、その中で妥協点を見つけられなかった。

妥協点を見つけることを放棄した、という方が近い。

仮に妥協点が出てきても、それ以上に「絶対にされたらわたしの中では嫌なこと」の方が

どうしても勝っている。

そしてその「嫌なこと」は姿かたちを変えて繰り返される。

それは自分の心の中を投影しているというよりも、相手の個性の部分だ。

そんなの「変えろ」とは言えないし、それこそ人格を否定するようなもの。

「自分が受け入れたら変わる」ものでも、やはり大元の人の癖なんかは早々変わらない。

その癖により、自分が心ない発言を受けたり理解不能な理不尽な対応をされては疲れる。

そういうことを自分のわがままではなく、自分の大切にしたい価値観そのものなんだと認める

のに時間がかかった。

そんなこんなの人間関係断捨離と自分の価値観の確認作業を繰り返し、

絶賛おひとり様みたいな状態になって、あぁこれからどうなっていくのだろう?と不安にもなり、

そんな折に「繋がる」人たちからの連絡が相次いだ。


人と人とが「繋がる」のは奇跡に近いと思う。

会う人誰とでも繋がるわけじゃない。

大人になればそれぞれ生きる道も異なるわけで、そう頻繁に一緒にいられない時間の方が多い。

その中でも、繋がりがあるというのは本当にすごいことで、これこそ「一期一会」だと思う。

これからもその「言葉では言い表せない」大切だと感じるもの、それを軸にして生きたいと思う。

2015年7月13日月曜日

書く・書く・書く でも書かない

今さっきアメブロの記事を一気に3つ書きあげた。

全然苦じゃない。

まったく別のことをそれぞれの視点から書く。

ただ自分の中にあることを言葉に置き換えるだけだから、排泄に近い感じだ。

排泄の時に、「AとBを組み合わせて、CとDを入れ替えて…」なんてそんな難しいこと考えて排泄

しない。

体の流れに従って、それを行動に移す。

さっきの3つの記事は、それと似ている。


それとは反対に、まったく進む気配を見せない自作ホームページ。

いつ以来か、制作ページを開いてもいない。

ここもする作業は基本的に一緒。

自分の中にあるものを言葉に置き換えていく作業。

今書いていてわかった。

たしかに、ホームページの方は、ただ書くだけじゃなくて色んな構成上の作業も含まれる。

だけど、もしその作業を省けたとしても、書くに至らない。

自分の中の思いを「言葉」にする段階に至ってない感じだ。

それだ。

自分の思いをまっすぐに発すれば済む話だと思うけど、そこに至れてない。

だから手も止まるし、書いては直し、付け足し、もう何が何だかわけがわからなくなっている。

ホームページの方が形になるのは・・・いつだろう?

「書ける」状況に1日も早くなっていただきたい、頼むよ自分、という気持ちでいっぱい(汗)。

2015年7月11日土曜日

天晴れ(あっぱれ)お天道様

「あっぱれ」を漢字に変換すると「天晴れ」。

「おてんとうさま」を漢字に変換すると「お天道様」。

今日ほど「太陽の恵み」ことお天道様に感謝した日はない。

暑けりゃ暑いと普段は文句言い放題のくせして、ないとないで本当に困ると実感した今年の梅雨。

大学時代を除いた27歳までは新潟に住んでいたから、梅雨にはがっつり雨が降るという天気を

もろに体験していた。

梅雨とは毎日のように雨が続いて、じめじめしていて、それが当たり前と思っていた。

名古屋の梅雨は今年が6回目になる。

空梅雨なのか元々そんなに梅雨でも雨が降らないのが普通なのかわからないけれど、名古屋の

例年の梅雨は雨が少ない印象を持っていた。

じめじめはもちろんするけれど、雨の少なさのおかげで、からっとした日も多かったように思う。

だから梅雨は梅雨でも、そんなにも何かに困ったと感じることはほとんどなかった気がする。

ところが今年はそうは問屋が卸さない。

とにかく雨もよく降るし、今にも雨が降りそうなくもりの日が続く。

昨日は実に10日ぶり位に「晴れ」空になったと思う。

それ位日々の天気は不安定で、じめじめも例年よりひどい。

このじめじめをもろに感じたのは、数日前のくもりの日の洗濯だ。

一応くもりだったから外に干したものの、いまいち乾かない。

乾いても、じめじめした空気にさらされた分、洗濯物もなんだかじめじめ、じとじとしている。

触れば乾いたとわかっても、なんだか触り心地が悪い。

部屋の中でクーラーを運転させてしばらく洗濯物を放置しても変わらず。

あきらめて畳んでしまった。

今日はこの晴れ間に布団を干してシーツも洗って洗濯ももちろんした。

この間の洗濯の乾き状況とはまるで違う。

特に綿100%のやわらかめの素材なんか、ふわっふわしていた。

たった1つ、太陽が1日中出ているだけで、こんなにも乾き具合が変わるのかと心底驚いた。

昔の人たちが太陽を「お天道様」と呼んだその気持ちも今日ならよくわかった。

本当に「お天道様」だし、このお天道様の働きと言ったら、「天晴れ」の他のなにものでもない。

洗濯をするのに水も電気も洗剤もすべて有料で自分が買って用意しているものだけど、

唯一太陽だけは年がら年中無償で貸与してもらっている。

なんだったら、今の時代、人間側が単に無償で貸してもらうだけにとどまらず、太陽光発電で

そこからエネルギーとお金を発生させるすごいものにまでなっている。

自然のエネルギーを普段ここまで強く感じ取ることもないけれど、今年のじめじめしとしと梅雨の

おかげで、このお天道様といういつも身近にいながら軽視してしまっていた存在に、敬礼したく

なるほどのパワーをいただいている。

本当に「いただいている」から、太陽よりも「お天道様」と言う方がしっくりくる。

2015年7月10日金曜日

奏でる音色

デパートを徘徊中、聞き覚えのある音楽が耳に入った。

最初は全く知らないクラッシック音楽かと思っていたけれど、集中して聞いたら主旋律の部分を

キャッチできてようやく何の歌か思い出した。

小学校4年生~6年生まで器楽クラブという楽器を演奏するクラブに入っていた。

当時は4年生になったら全員が野球・陸上・水泳・合唱・器楽のどれかに所属しなければいけない

決まりになっていて、全員放課後や土日はその練習に明け暮れる。

私はたしかに楽器を弾くのは好きだったけれど、それよりも消去法で器楽部しかできそうなのが

なくてそれで入ったようなものだった。

器楽部はコンクール曲の練習もあったけれど、その他に運動部の人たちが何かの大会に出る前、

校内で「激励会」なるものを催し、その時の入場行進や退場行進の曲も担当していた。

それがそのデパートで流れていた優雅なクラッシック曲の正体だった。

最初気付かなかったのも無理ない。

デパートで流れていた曲調は言葉にするなら「優雅」。

一方、わたしたちが弾いていた曲調は「元気」とか「活発」。

まさに「行進曲」にふさわしい感じだった。

あまりに気になってyoutubeで色々検索したら、「ワーグナー」の『タンホイザー』だと判明した。

たしかに、『タンホイザーマーチ』と呼んでいたことも思い出した。


同じ曲なのに、演奏方法が違うと全く別の歌のように聞こえる。

同じ旋律、使っている楽器もそんなに大差ないとは思うけど、それでも全く別物だと感じた。

帰り道、ここから「あぁそういうことか」と思ったことがある。

オリジナルは同じ。

同じものでも表現方法は無限にある。

それこそ、ワーグナーが生きた時代は今から120年以上も前になるけれど、当時だってどんな

風な曲調だったのかなんて今は知る由もない。

それでも名曲としてこんにちも受け継がれてあちこちで奏でられている。

表現方法=奏でる音色、は自由でいいんだ、ということがはっと頭をよぎった。

それは音楽に限った話じゃなくて、自分の色んな部分を表現するのに、「○○というやり方」に

こだわるんじゃなくて、どんな風に奏でるのも可能だということ。

同じことを話したり書いたりするのだって、自分の色がある。

それはいつでも自由自在で、自分の好きにいくらでもアレンジができるようになっている。

「音色」という言葉、「音の色」、まさにその通りだなぁと思いながら家に帰ってきた。


追記:youtube流したままにしてたら、『天皇の料理番』で使われているオープニング曲がエルガーの『威風堂々』という曲名だということも判明した。

2015年7月9日木曜日

自分のスタイルを貫く

「自分は他の誰にもなれない。自分にしかなれない。」

本当にそうだと思う。

アメブロの方が今月で6ヶ月目に入った。

「仕事」として打ち出していくには、あまりにも突っ込みどころ満載で、自分でもどうしようかと悩む、

というか考えるというか、とにかく気になっていた。

気にはなっていたし、もちろん「職業用」にアレンジする方法は、今なら探せばいくらでも情報が

溢れている。

自分のスタイルを変えることも考えた。

そんなこんなの時に、ある1人の方からコメントをいただいた。

その方が私のブログを読むと、自分が何かに気付く、ということを教えてくれた。

その一言で、自分が最初に目指したもの、軸として持っていたいと思ったものを思い出した。

自分の心の中の色んな荷物を紐解いたり軽くしていくプロセスには、絶対的に自分で気付く

必要がある。

どんなに優秀なセラピストやカウンセラー、コーチがいても、

どんなに優秀で実用的な本があっても、

どんなに効果が高いと謳われる手法があっても、

すべては本人が気付かなければ何も変わらないし意味がないとすら思っている。

それはわたし自身が色々体験して痛感しているし、他の人たちを見た時にも同じことを思う。

わたしの場合、「他人の体験談」が一番気付くきっかけになることが多かった。

方法論なんかはいくらでも調べたら出てくる。

だけど、それを頭で理解するのと、体ごと体験するのとでは、雲泥の差がある。

体験する方は頭に知識をたくさん詰め込んだところでできるようになるわけじゃない。

自分1人では色々限界もあるけれど、自分以外の誰かが体験したことはとっても参考になる。

参考というよりも、他者の体験談が自分の中の体験と重なり合い、自分の中で閉じていた扉が

ぱかんと開く。

これを何十回何百回と経験して、それで自分も自分の体験談を主に書こうと思った。

それを読んだ人が何に気付いたり感じたりするかは、もちろん読めない。

もしかしたら何も気付かないかもだし感じることもないかもしれない。

それなら「気付かない・感じない」ことが1つの収穫になる。

とにかく自分の体験を綴る、そこから先はすべてお任せ。

そうだった、そういうものを書こうと決めて始めたアメブロだったんだ、と思い出した。

多少は加筆訂正する部分のあるアメブロではあるけれど。

自分のスタイルを貫く、その決断がようやくできたところ。

2015年7月8日水曜日

巡り巡ってやってくる

ずっと探していたわけではなかったけれど、探してはいたことのヒントが今日やってきた。

「悩みはその人特有のもの」ということを、わたしは過去にどこかで聞いたか読んだかした。

自分の1000ページ以上はあるメモやノートを引っくり返せば、それがどこで誰が言っていた言葉

なのかは書いてあるだろう。

でも、そんなの探す方が手間だし、まぁわからなくてもさして困りもしないからそのままにしていた。

そうしたら今日ひょんなことからそのヒントがやってきた。

アメブロには「いいね」の機能がある。

そしてアメブロの「いいね」は、誰がいいねをしたかわかるようになっている。

その1人の人をたどってみたら、その人のブログに本が紹介されていて、そこに探し求めていた

ヒントが書かれていた。

それは講演会に足を運んだことがある人の本で、おそらくその人の言葉に違いないと思う。

それを見てとってもスッキリした。


何でもそうだけど、「こうだったらいいなぁ」と思い描くことがある。

「こうだったらいいなぁ」の願望は、すぐに来ることもあれば時間差で来ることもある。

今回の場合は、数年の月日を経て、情報がやってきた。

すんごい重要かと言えばそうでもなかったけれど、ただ気になっていたことは事実。

自分で調べる気がなかったから、今日みたいな形でもたらされたのはとても嬉しい。

ふと、自分にとって必要なものは、所要時間やその方法は読めないけれど、

いつでも巡り巡ってやってくる、そんな気がしている。

2015年7月7日火曜日

静の時間

人生の中で「静」と「動」の時間、それぞれが交互にやってくるのだと思う。

「静」の部分の時間が自分は性に合ってるとどこかで思っていたけれど、どうも苦手のようだ。

「静」が続くと、さてはてどうしたものかと気持ちだけやきもきしてしまう。

「何かしなきゃ」と焦るばかりで、手も足も動きそうにもない。

こういう時こそ深呼吸と言われるけれど、こういう時の深呼吸も苦手ときたもんだ。

それならまだこうして思ったことを思ったままに文章に綴る方が深呼吸代わりになる。


さっき春雨サラダを仕込んだ。

和からしの粉末を入れ過ぎて、最初味見した時はあまりの刺激の強さにびっくりした。

そこで味が和らぐようマヨネーズと白のすりごまを加えた。

あとは時間が解決してくれることを願って、今は冷蔵庫で寝かせている。

なんとか全てがうまい具合になじめば、味も落ち着くような気がする。


人生の難問や壁にぶち当たった時も、春雨サラダぐらいにちゃちゃっと解決できたらいいのに、

と欲をかく。

味付けの不具合は、なんとなくの感覚で修整して食べれる位にはできる。

でも人生の不具合(と自分で思っている部分)は、ちゃちゃっという感じで対処できない。

ああでもないこうでもない、とぐるぐる頭だけが動いている感じだ。


七夕の願い事の1つに「(今の人生の)ヒントをください」も入れようと決めた。

2015年7月6日月曜日

願えることのしあわせ~2015七夕

今さっきアメブロの方に『雨降り族』の話をアップした。

今朝のしとしと降る雨を耳で感じながら、突如思い出した『雨降り族』の話。



「武士俣さんに『雨降り族』の話しをプレゼントします。

南米のアマゾンの奥地に雨降り族という部族が住んでおります。
雨降り族って変わった名前ですが、その名の由来は、
雨降り族が「雨降りダンス」を踊ると必ず雨が降ると言われているからその名になりました。

ではここでクイズです。


『なぜ雨降り族が雨降りダンスを踊ると雨が降るのでしょうか?』




答えは、


『雨が降るまで踊り続ける』です(笑)



何が言いたいのかと言うと、

武士俣さんの降らしたい雨は何ですか?
もし降らしたい雨が見つかりましたら、降るまで踊り続けてください。

必ず雨は降ります。」



これは30歳の時の就職活動の際、不採用メールと一緒にプレゼントされたお話。

今振り返ってみても、粋な担当者だったと思う。

(その時の細かい経緯とかはアメブロの方に書いたから省略。)


今年はなぜか七夕がすごく楽しみだ。

「何か自分の願い事を願える」という行為がとても特別に感じる。

「願う」じゃなくて「願える」。

「願うことができる」という、自分の中に小さくても希望があるということが本当にうれしい。

ここ何年か前の七夕の日。

何も願えなくて、何を自分が望んでいるのかもわからなくて、泣きたくなったことがある。

その時のわたしは大真面目に、自分が何をどうしたいのかわからなかった。

今だって100%全部何を望んでいるかはっきりしているわけじゃない。

それでも1つでも2つでも自分の望んでいるものが何かというのはわかる。

それを知っている、というのがとても特別だ。

そんなの当たり前と思う人からしたら「何言ってるんだ?」ってなると思う。

でも、わたしからしたら、自分の願望や希望すら何一つわからずにもがいてあがいた日々が

あったから、何かを心から願える、ただそれだけでしあわせだと感じる。

叶う叶わないの結果の部分がどちらに転んだとしても、叶えたいと望むことを持てる、というのは、

それだけで生きている価値がぐ~んと増す。


七夕=7月7日には、個人的に別の意味もある。

過去にさかのぼって何も変えることはできない、と自分で自分に一生懸命言い聞かせなければ

いけないような事情を含んだ日だ。

でも今年は、本当の本当に、心から「まぁ仕方ないか」と思える自分がいる。

多分すべてはそうなるように仕組まれていただろうし、それが自分の人生において予め計画

されていたことだとしたら、なるべくしてなったと捉えてこれから先も生きていく方が楽だという

ことにようやく気付いた。


この数年間の中で一番心が軽く、そして願い事を思い描く愉しみを含んだ明日の七夕。

心が静かに躍っている。

2015年7月5日日曜日

名刺についての雑感

名刺をひんぱんにもらうようになったのは30代に入ってからだ。

20代の頃は名刺を交換するような場に行くこともなかったし、自分が持つこともなかった。

30代に入って一度自分の名刺を作ったけど、それもまたいつだったか処分した。

持っていて害もないだろうけど、持っている意味が自分でもわからなくなりそれで手放した。

申し訳ないが、100枚近くはゆうに超えていた他人様の名刺もごく一部を除いて処分した。

人と人とが2回目3回目と会うのに、名刺ははっきり言って何の役目も持たない。

結局名刺を通して今もお付き合いのある人というのは、本当に一握りだ。

そして記憶も曖昧だけど、そういう人たちから名刺をもらったのは実は初対面ではない時だった

ような気がしている。

ある程度お互い気心も知れた頃に、「今さらだけど・・・」と言ってもらったような流れだったと思う。

今もNO名刺を通しているのだけれど、今回NO名刺の方が面白い行動を自分が取っていることに

気付いた。

ここ最近名刺をもらうことが続いた。

相手には「今名刺を持っていないんです」と伝えて、もらったのは私だけだ。

この後が、名刺を持っていた時とは全く違う行動を取っている。

相手の方に自分から連絡を取ったこと。

名刺があった時は、いつでも連絡が取れる=一生取らない、という流れだった。

でも今は名刺がないから、また何かの機会に会えたらなぁと思う方であれば自分から連絡を

入れている。

これには驚いた。

その場限りのやり取りになる可能性も高いけれど、ただ0回だったものと1回だったものとでは

全く違ってくる。

しばらくNO名刺を続けてもいいなぁと思っているぐらいだ。

余談だけど、過去から現在にかけて付き合いのある人たちとは、誰一人名刺交換をしていない。

名刺を交換するような場所ではないところで出逢っているというのが一番の理由だけど、

本当に縁のある人たちというのはそういう流れの方が自然な気がする。

さらなる余談だけど。

わたしが人生の中で一番かっこいいと思った名刺は、実は父の名刺だ。

30代に入ってから父にお願いして父の名刺を1枚もらったことがある。

父の名刺がかっこいいのは、会社名と会社の連絡先以外は、父の名前だけだからだ。

「ぶしまた」とふりがなは振ってあるけれど、それ以上は何も書かれていない。

肩書はあえて入れない、というのが父の主張だ。

肩書を入れてしまうと、相手は「○○」という役職の父と付き合おうとする。

父は営業の仕事をしているけれど、仕事の場でも「人間対人間」の付き合いが大事だと考える

から、そこに余計な肩書を入れるのは父のポリシーに反する。

もし肩書で仕事をすると、そういう仕事しかできなくなる、と言っていた。

そしてそういう仕事の仕方には限界があるとも。

名前一本、自分の体一本で勝負しようとしているその姿勢は本当にかっこいいと思う。

色んな人の名刺を見て、さらにそういうシンプルな名刺がとても少数派だということに気付いた。

自分の未来の名刺もそうでありたいと思っている。

2015年7月2日木曜日

見えない部分の不具合と復活

1ヶ月ほど前から、突然パソコンのインターネットの接続が切れることが続いた。

最初はたまたまと思ってみていたけれど、これが例えば1時間の中で2回3回と起こる。

一度も切れない日が無い位になってきた。

最初、NTT側から付与されている機械とパソコンを繋ぐケーブルの線の不具合かと思い、

この間それを入れ替えた。

ケーブルの線は、機械にはめこむ部分のツメが折れかかっていたから、それが接触不良を

起こしているのでは?と見た目で判断していた。

ケーブルの線の問題は解消したからさぁいいだろう、と思ったら甘かった。

新品のケーブルの線を入れ替えたところで問題は発生する。

またぷつっと突然のように接続が切れる。

パソコン本体は問題なさそうだったけれど、いかんせん現役7年目のパソコンだ。

ネット接続以外は問題なくても、見えないところでダメになっているのかもしれない。

それは困るなぁと思いつつ、多分問題ないと言われて終わるだろうNTTへ電話をかけた。

症状を伝えて、NTT側で回線を調べてからまた連絡しますということで電話を待った。

10分後ぐらいにNTTの担当者から電話がかかってきた。

どうやらアパート側の回線がいつの間にか変更になっていたようで、そのタイプのものと、今手元

にあるNTTから付与されている機械の相性が悪いようで、それで接続が切れがちだったとのこと。

すぐに機械をお持ちします、ということで、電話から2時間後位に担当者の方が持ってきてくれた。

機械自体は、ぱっと見ても何が以前のものと新しいものが違うのかはわからないけれど、

新しいものになってから接続が切れることはとりあえず今のところなくなった。

そして見えないところだけど、見えないところに存在していた不具合が解決できて良かった。

いきなりパソコンを買い替えるなんてことしなくて良かった、とりあえずNTTに電話して良かった、

と胸をなでおろした。


話は変わるけど、以前記事にした『気付かないうちに変化』に登場した観葉植物。

予定通り2枚の黄色くなった葉っぱは今も順調に枯れているけれど、なんとあの後植物は

持ち直して、今はまた元気になっている。

新しい葉も出始めていて、これからもマイペースに成長してくれそうだ。

黄色くなってから本当に気になって、それこそ毎日植物を見続けた。

1日にして1分か2分の事でしかないけれど、植物が人間好きというのは案外本当かもしれない。

さすがに話しかけるまではしなくても、「注意を向けてもらえてる」というのは植物は感じるのか、

少なくとも毎日見たことも何かしら影響があったと思われる。

こういう見えない部分の成長も衰退も故障も、普段はなかなか気付きにくい。

気付きにくいからと言って、無視すると非常に痛い目にあってしまうし、何かを失うこともある。

反対に、気付きにくくても、自分が日々の生活を丁寧にしたり自分を大切に扱ったりすることで、

見えないところでのバランスが取れるようにも思う。

いつか人が言っていた、「小さな変化が結局は大きな変化に繋がる」という言葉、

今回のインターネットの接続と言い、植物の復活と言い、本当にその通りだと思う。

2015年7月1日水曜日

左足の人差し指が教えてくれたこと

普段の生活の中で左足の人差し指を意識したことなんか一度もないと言っても過言ではない。

そもそも足の指は手の指のようにあれこれ使うという部位でもなければ、とりあえず歩く時や

立つ時に足の裏が地面についていたらいい、ぐらいの認識を持つのがせいぜいだ。

それが2日前の昼間。

横に倒していたお気に入りの大きな木のテーブルを起こそうとした時にテーブルに左足の人差し指

が当たり、それで爪を傷めてしまった。

当たった当初よりも後からじわじわと痛みが増すタイプのもので、立つのも歩くのもその左足の

人差し指に細心の注意を払う必要が出てきた。

普段全く主張しない左足の人差し指が、ものすごい主張を開始した。

そんな風になってから初めて知ったことだけど、この左足の人差し指にはけっこうな力がかかる。

なるべく痛くならないように自分で力の入れ方を工夫していたけれど、例えば階段を降りる時に

かかる体重が、この人差し指に集中している。

おそらく他の4本の指も同様なのだと思うけれど、とにかくなんとなく体重をこれまでかけていた

足が、実は末端の足の指の方にあれこれと体重がかかっていたなんて思ってもみなかった。

いつもと同じように動くと激痛が走るため、なるべく負担がかからない足の使い方を心掛けた。

病気やけがをした人が「健康とはありがたい」とよく言うけれど、ほんとその通りだ。

そして普段全く気にも留めない足の指1本1本が実は色んな動きの時の縁の下の力持ち的な

存在であったとはこんにちまで知らずにいた。

小さな負傷(の割に痛みは大きい)が教えてくれたことは大きい。

例えば普段どんな役割をしているかなんてわからない体の部位でも、そして負傷した今も爪の

役割は知らないままでも、1つとして無駄に作られたものはないということがよくわかった。

それが左足の人差し指が教えてくれたことだ。