2015年2月28日土曜日

替え時期ですサイン

今日は台所の電球が切れた。

それは突然だった。

朝の白湯を沸かした時は普通に点いていた。

午前中、掃除をした時も普通に点いていた。

さて昨日の余りご飯でお昼ご飯でも作ろうかと電気を点けたつもりが点かない。

二度三度パチパチとスイッチを入れてみるも点かない。

このアパートで、初めて台所の電気が切れた。

先週は2年ほど履きつぶしたGパンに穴が開いた。

いつの間にか使い捨てコンタクトが残り1日分となっていた。

先週両親にプレゼントを送ろうとパッキングしたら、ガムテープが丁度切れた。

それは郵便局で借りられたから事無きを得たけれど、とにかく物の方が持ち主より先に

春に向けてなのか、何に向けてなのか、終わりを告げて次へと向かっている。

いつまでもしがみついていても、過去のものたちとはもうサヨナラですよ、と言われてるみたいだ。

台所の電球が切れた時は、本当にそう思った。

物の寿命に対し、「何で今何だろう?」なんて思っても仕方ないけど、

とにかく重なる重なる。

今の人生の流れと、物たちが告げる終わりの時期とが妙にマッチしていて、

あぁもう本当に変わるところなんだろうなぁ・・・と、

心の中でものすごいジタバタして色々先延ばしにしたり結論出すのを渋ったりしていても、

もうすぐそこまで色んなものたちが、要は次のものたちがやってきてるんだろうなぁと思う。

明日から3月。

暦上は春だ。

数日前、今年初の梅を近所のスキーショップで見かけ(雪降らないのに本格的なスキーショップが

近所にひっそりとある)、今日は菜の花を近くの人工的な花壇で見かけた。

もう春が来ている。

春という季節は、「替え時期」としてもしっくりくる。

わたしの心の中でのしっくり感は別にしても、季節とはしっくりかみ合っている。

替え時期ですサイン、どこまで受け入れられるだろう・・・。

素敵マダムのお店

ひょんなことから知ったお店だった。

1ヶ月位前にお酒を飲まない友達と夜ごはんを食べようと約束した。

お酒は飲まずにおいしいごはんを食べれるお店をネットで検索した。

検索している時に、たまたま見つけたカフェだった。

実際に行った人がブログにアップしていたのだけど、とにかく坂道の途中にあって、

住宅街の中に「え!?これがカフェ!?」という感じで入るのもためらわれる、

でも入ってみるとオーナーさんが素敵で飲み物スイーツ両方おいしいとあった。

メニューは、飲み物単品(3種)か、もしくは手作りのケーキセット(3種)のみだけど、

これがすっごくおいしいと書いてあった。

しかも週に3日、13~17時しかオープンしないお店らしい。

場所も、同じ地下鉄沿線上のうちから数駅先のところだった。

友達との夜ごはんには使えないにしても、いつかは行こうと思っていて、

それがようやく昨日実現となった。

駅の名前は知っていたけれど、一度も降りたことのない駅だった。

地上に出て、すぐに坂のアップダウンが激しい町だというのはわかった。

なぜなら、駅そのものも坂の途中にあって、下るか上るかの選択肢しかない。

とにかく平らな道がない。

しばらく歩いていくうちに、既知感を覚えた、この場所知ってるって。

なぜだろう、初めて歩く道のはずなのに、知っている感覚。

途中、何百はあろうかという大型霊園の脇を通り過ぎ、小さなお寺兼住宅を見た時に

ようやくそこがどこなのかわかった。

駅から歩いてきた道はたしかに初めての道ではあったけど、途中でここ知ってるかも、

と思ったところは、過去に仕事で来たことのある場所だった。

当時は別の方向から来たから全然一致しなかったけど、確実に来た場所だった。

場所は雰囲気のある街並みで好きだけど、当時仕事で来た時は心身共に余裕がなく、

何もかも楽しめずにいた。

ましてや、平日の午後にのんびり電車に乗ってお茶に出掛ける、なんて夢に抱くことすら

できない位の状況下にあった。

いつからオープンしていたお店なのかはわからないけど、わたしはそこも確実に歩いた道で、

あぁ今このタイミングだから出逢えるお店なんだとしみじみ思った。

そして、過去の色んな苦い思い出が、今新しい思い出に変わろうとしている、

そのことにもやたらとときめいた。

入口のドアを開けると、さらに2つドアがあって、どこを開けていいのかわからなかった。

とりあえずopenって手書きの木の札が出ていたから、声のするドアの方を開けた。

先客2人かと思いきや、1人はマダムのお友達で、もう1人はオーナーのマダムその人だった。

「めったにお客さん来ないから、ふふふ」と笑いながらわたしを出迎えてくれた。

後からふたりの話を盗み聞きして、マダムが60代後半とわかった。

最初に印象に残ったのは、マダムが着ていた白い麻のワンピースだった。

冬に白い麻のワンピースというのが、全然寒そうではなく、むしろ温かみを感じた。

白髪交じりの髪の毛はおだんごにして頭のてっぺんにのせられていた。

背は低めでぽっちゃりしているけど、上品だ。

ここ最近のトレンドのナチュラルな服を上手に着こなしながらも、気品がある。

気品がありながらもマダムの友達と話す時は、ばりばりの名古屋弁丸出しだ。

その色んなギャップがとにかく可愛らしくて、マダムを見るためだけに来ても損はない位の

素敵なマダムだった。

フルーツタルトと紅茶をいただいたのだけど、タルトは素朴なタルト生地にフレッシュな果物が

わんさか載っている。

紅茶はスープボウルかと思うようなでかい器に入ってやってきた。

こちらもとても丁寧に淹れられた紅茶だというのは飲んですぐにわかった。

両方たっぷりの量があるのにそれで500円という、もっと取ってもいいんじゃないかと心配に

なるようなお値段だった。

部屋の明かりとこだわりの窓の作りのおかげで、木漏れ日が入るごとに部屋の雰囲気が

がらりと変わる様も見ていて飽きなかった。

同じ場所にいて、異空間に旅したみたいだった。

お金を払ってさぁ帰ろうと思ったら、マダムが奥にアトリエのような小さな小屋があるから

良かったら見て行ってね、と言ってくれ奥の方にも行ってみた。

そこは「アトリエ」に相応しい、マダムこだわりの場所になっていた。

裁縫をする人で、その裁縫もものすごくセンスが良い。

麻のワンピースを着こなすだけあって、裁縫の作品もシンプルな色と布の素材を上手に

組み合わせていた。

細かい小物も至る所にセンス良く飾られ、これまたセンスの良い暮らしの雑誌や小冊子が

数か所に分散されて置かれていた。

あぁこれわたしも雑誌で見て真似したい!と思った日用品の置き方も目に入った。

どこからどこまでも素敵な場所で、それを生み出しているマダムそのものもとっても素敵で、

こういう年の重ね方をしたいと心底思った。

先日も、もっと年上のおばあさんマダムがやっている小さな珈琲屋に行ったのだけど、

このおばあさんマダムもとても素敵だった。

マダムもおばあさんマダムも、白髪が増えしわが増えても、それを大きくカバーする素敵な笑顔、

それも作られた笑顔ではなくて何十年の積み重ねで出来上がったきれいな笑顔の持ち主だ。

どんな風に年を重ねたらあんな風になれるのか、聞いてみたい衝動に駆られる、

そんなお二方だ。

素敵マダムたちとの出逢いのおかげで、過去の思い出は新しい思い出に書き換えられ、

そして目標にしたい大人の女性像も一緒に手に入れた。

2015年2月27日金曜日

【継続は力なり】を実感!(ニヤリ)

気付いたら明日で2月も終わり。

今日のこの記事と明日の何かまだわからないけど何かの記事を書いたら、

とりあえず「1ヶ月ブログを毎日継続する」は達成できたことになる。

最初の1週間が過ぎた頃、「こんなことして何になるんだろう?」と正直思った。

絶対に誰かが読んでくれるとも限らないし、書いたからと言って何かが生まれるわけでもないと

本気で思っていたし。

今1ヶ月完了のところまできて、今月だけで約60記事アップしたことになる。

厳密に言うと58記事で、60にするにはもう2記事必要で、それは下書きで書こうかなと思ってる。

もう1つのブログの方もせっせせっせと書いた。

このブログもそうだったし、もう1つはもっとそうだったけど、

まず自分がどこを目指して書いているのかさっぱりわからなかった。

いくつか前の記事(書きたい文章)で、どんな文章を書きたいのかより明確になったことを

書いたけど、書きたいものが定まっても自分がそれを表現するスタイルの確立は、

また別物だということを思い知った。

色んな表現方法があるし、その方法は自分で選べる。

どういう方法・スタイルがわたしは好きなのか、目指したいのか、

考えてもわからなくて、とりあえず書いて書いて書きまくったのがこの1ヶ月。

書いていくうちに、自分の表現したいスタイルというのが、少なくとも1ヶ月前よりも明確になった。

今も手探り状態で書いてはいるけれど、とにかくありのまま等身大の自分で情報を発信しよう、

ということだけは定まった。

自分を大きく見せても仕方ないし、知ったかぶりになっているのはもっと格好悪い。

色々足りない部分はあってもそれが今の自分だから、その今の自分からあるがままを

発信したらいいと開き直ったのもあって、今は思い付くままに書いている。

話は変わるけど、この2年ほど色んな本やブログを読みまくったことはとても参考になっている。

目指したいスタイル然り、反対に絶対に真似したくないスタイル然り、

そういうものを読書から自然と感知していたんだなと思う。

感知することを目指して読んだわけではないけれど、結果としてそういうものが付いてきた感じだ。

真っ只中にいる時は、一体自分が何をしていて何のためにこんなにも夢中になるのか

さっぱりわからなことだらけだけど、例えばあの異常なほどの読書熱がこんな風に未来のブログに

貢献してくれるとはゆめゆめ思わなかった。

また話は変わるけど、「継続」の力を今回ほど実感できたことはない。

そもそももって、何かひとつのことをお金や何か特別なものをもらうわけではないのに

続けるというのは、わたしにとって、これまでにない体験だ。

仕事だからやる、という継続はあっても、仕事でもないし他の何でもない、

やってもお金も派生しない、だけどやり続ける、それも毎日毎日とりあえずその時間を作る、

これは夏休みの宿題をまともに終わらせたことのないわたしにとっては、

すんごい優越感と自信?自己肯定?みたいなのに繋がってる(笑)。

しかも、飽きずにやっている。

しかもしかも、気分がいまいち乗らない日でも、必ず書く時間は作る。

自分で自分がすごいと思ってる(笑)。

3月はどうするのか決めてないけど、とりあえず飽きるまで書いてみようとは思ってる。

強迫観念にならない程度にやり続けたいという気持ちが今はある。

こんな気持ちになるだなんて、1ヶ月前には想像もつかないことだった。

やってみないとわからないことだらけだなぁというのが、今の感想。

そして、やってみて良かった、というのも今の感想。

2015年2月26日木曜日

日常に転がっているヒント

昨日は色んなもやもや解消と頭の中の整理とそして肉の特売を期待して、

少し遠いスーパーまで行ってきた。

歩いて30分弱。往復すると買い物も含めて1時間オーバーぐらいで、丁度いい気分転換になる。

肉の特売は思ったよりも安くなかったけど、レジで当たったおばちゃんがとっても親切で、

それだけでもラッキーだなぁと思っていた。

スーパーのレジの人というのはお店によっても大きく異なるし、また同じお店の人でも

細かい対応は人によって違う。

いくつかのお店でわたしには好きなレジの人がいて、その人に当たるとそれだけでもお得だなぁ

なんて思ってしまう。

そしてレジの良いお店は、足繁く通いたくなる。

昨日行ったところは、遠いこともあってこれまで数えるほどしか行ったことがない。

レジの人の印象も可も不可もなく、という感じでしか残っていなかったから、

はなから期待は持たずにレジにかごを運んだ。

レジの一連の作業は他の店と変わらない。

さてお金を払おうという時。

千円札と小銭数枚を払うところだった。

元来の鈍くささは、こういう場面でここぞと言わんばかりに発揮される。

お札はいいとして、細かい小銭を値段を言われた瞬間にさっと取り出す、

しかも財布の小銭入れを見て、小銭を出せるのか出せないのか瞬時に判断しながら、

というのをわたしはスムーズにできない。

周りをイライラさせるほどの遅さではないにしても、決して早くはない。

そこでレジのおばちゃんは、わたしに一言、笑いながら、

「ゆっくりでいいよ」

と言ってくれる。

これまでどのお店でも、一度も言われたことのない「ゆっくりでいいよ」には心底感動した。

言葉に甘えて、小銭をじっくり見ながら1枚1枚取り出した。

お金を払っておつりももらって、そしておばちゃんが今度は

「ゆっくり詰めてってね」

と声をかけて、その後はマニュアルで決まってるであろう「ありがとうございました」をこれまた

心を込めて言ってくれて、レジでのやりとりは終わった。

「ゆっくり」を肯定してくれる言葉にわたしはしびれた。

鈍くさい人にとって、この「ゆっくりでいいよ」なんてことをさらりと言ってくれる人は、

天使か神みたいなもんだ。

世の中のスピード社会と自分のスピードがあれこれずれていて、特に世の中のスピードが

早すぎて普段ついていけないようなことが日常にあれこれ転がっているわたしにとって、

「ゆっくり」肯定派に出会えるなんて、しかもスーパーで出会うなんて、めちゃくちゃ嬉しい。

この話はまだ先があって、その10時間後位だろうか。

時々スケジュール帳に今日の印象に残った出来事を一言日記のようにして書くことがある。

レジでのやりとりが本当にうれしくて、それをさらさらっと文字にしていった。

眠たさも手伝って、「ゆっくりつめてってね」とすべて平仮名で書いた。

平仮名で書いたものを見て驚いた。

元々昨日は、色んなことが頭の中をぐるぐるしていて、

やらなければいけないことは山積みなのにどれもやる気になれない。

先延ばしにばかりもしていられない。

あぁもう嫌だ!と半ばすべてを投げ出したい気分で出かけた買い物でもあった。

そこでそのレジのおばちゃんとのやりとりがあるんだけど、

「ゆっくりつめてってね」は「今ある色んなことを自分のペースでゆっくり詰めていったらいいよ」

と言われてるみたいで、それに夜寝る前に気付いた。

色んなヒントが生活のあちこちに転がっているんだなぁ・・・なんて感心しながら、

気付いたら雨が降っている朝を迎えていた。

2015年2月25日水曜日

望んだ解決にはならなかったけれども・・・

2月の初めに撃沈した出来事の直後に書いた不安リストを今日見返した。

不安があまりにでかい時は、わたしはありとあらゆる不安をとりあえず箇条書きにする。

目的は、自分の中だけに留めておくと余計と不安が増幅されるから、

それを避けるために、まずは不安の材料となっているものを思い付く限り書き出す。

2週間以上前に書いたリストは、ただ書きっぱなしになっていて、

久しぶりにそのリストを開いて見た。

大学ノート1ページの3分の2ぐらいの量に匹敵するリストのうち、5個すでに終わっていた。

その後でぽんと解決したものもあるし、何かしらのとっかかりを得て次に進めたものもある。

5個のうち、1つだけ行動に移したものの、結果が非常におもわしくないものがある。

リストに書いた当時は具体的行動の手段すら思い付かずにいて、

でもいつまでもずるずるしていいことでもなく、さぁどうしようかというところだった。

ところがある日。

本当にあれは突然スイッチが入ったとしか言いようがない。

これをやってしまおう、やらなければ何も変わらない、ということでわたしは動いた。

動いて、結果としては、一番受け取りたくないタイプの結果がきてしまった。

異性への告白とは違うけど、告白をして相手は無反応だった、という状況にとても近い。

相手は無反応、という選択肢を頭に入れていなかったわたしは、

まず結果を受け入れる受け入れないという前に状況を理解できずにいた。

ようやく状況をのみこめ、そして「相手は無反応」ということにひどくショックを受けた。

ただ、2月の最初の撃沈を経験したおかげで、ショックの程度としては前回よりうんとましだった。

そしてそこからさらに3日経過した今。

そもそも、2週間以上前は、解決策すら思い付かず不安でいっぱいだった。

そしてその途中、スイッチが入って自分ができることをした。

結果、相手は無反応だったにしても、今はもうそれを受け入れようと思っている。

というのも、自分は変えられても他人は変えられない。

相手を変えるような魔法の杖をわたしが持っているわけではないのだから、

変わるか変わらないかもわからない相手に対して色々思っていても仕方ない。

この場合の仕方ないは、良い意味合いで諦めてる。

何でもそうだけど、自分以外の人の選択をわたしが決めることはできない。

今回のことも然りで、わたしが相手の選択や反応の在り方を決定するなんてことは不可能だ。

であれば、もう自分がやった、というそのことだけで十分だ。

そう思えるようになって、まぁいっか、という具合に達してる。

とりあえず「無反応」という形になってるけど、多分相手は無反応じゃない。

ものすごく反応しているはずだけど、それに対してどのように表現していいのかわからないか、

もしくはどうしていいかもわからないから、とりあえず放置なのかなと思う。

細かいところは想像でしかないけれど、いつまでも気に病んでいても仕方ないから、

それは新たな進展があるまではわたしも放っておこうと決めた。

気にする時間がもったいなくも思い、代わりにわたしは今できることをしようと、

気持ちが切り替わった。

望んだ解決や結果にはならなかったけれども、そのことにはショックを受けていない自分。

むしろ、もうやれることはやったから一旦は解決、とまで思えた自分、あっぱれと思う。

2015年2月24日火曜日

【ドミニカ式】掃除のお供

週末に家の掃除をした時のこと。

何か音楽をかけようと思ってかけたのが、ドミニカ共和国から持ち帰ったラテン系の音楽。

これまでも時々掃除の時にかけていたけれど、何でそのチョイスなのか考えたこともなかった。

少し考えてから、はたと気付いた。

わたしが1年半近く住んだドミニカの家というのが、掃除の時は必ず大音量で音楽を流す

というのがお決まりだった。

掃除をするのは、家主が雇ったラケールという名の多分わたしと同じぐらいの年の女の人で、

暗黙の了解で、家人がいようがいまいがラケール自らラジオのスイッチをオンにしていた。

毎回歌う度にものすごい音程が外れていても本人は気持ち良さそうに歌っていたし、

音楽に合わせてモップを持ちながら踊ったりしている時もあった。

その名残なのか・・・と妙に納得した。


そもそも実に不思議な家族構成だった。

家主の大家さんは近くの高級別宅に住んでいて、

①家主の独身のお兄さんティート、

②バツ一の職業医師ってほんと!?と疑いたくなる妹グリス、

③家主家族と昔から親交のあった30代と思しき女性パトリーン、この方は本物の女医、

④そして彼女のいとこ?甥?に当たる大学生の男の子ピコリート。

ちなみに、血縁関係にあるといえども、パトリーンとピコリートはベッドをいつもシェアしていて、

当然着替えもそのまま自分たちの部屋で済ませるわけで、摩訶不思議な光景だった。

という、わたしの他に4人の大人が住んでいる家だった。

何せ大人しか住んでいない家、色んな意味で遠慮のない家だった。

わたしが移り住んでからまず最初にぶちぎれたのは、

グリスが朝の6時から音量MAXでラジオを流すことだった。

心臓発作でも起こしかねない位の大音量で、自分の部屋のドアを閉めていても

一言一句聞き取れる位のとてつもない音量だった。

さすがにこれは嫌だったから、グリスにお願いだから音量小さくしてくれと頼んだ。

何時位からならいい?みたいに聞かれたんだと思うけど、

6時台は聞こえない位小さな音量で、そして時間の守れないドミ人グリスは

なぜか毎朝7時になると律儀に音量をMAXに上げていた。

自分のためなら、どこまでも律儀に時間を守れるんだ、と感心した位。

掃除に来ていたラケールも、音楽は大きな音でガンガン流していた。

そういえば、たまにラケール一人しか家にいない時にわたしもたまたま居合わせて、

その時は音楽がない時もけっこうあったなぁということも思い出した。

家人に遠慮するようなラケールじゃない。

回想していて思い出したけど、そう、毎日不定期に停電があったから、

音楽がない=停電中だったことも思い出した。


話は変わるけど、女医パトリーンは背が低い方に分類される。

150cm台前半ではないのかなと思う。

皆パトリーンを「ちび!」と呼んでいた。ラケールも「ちび!」と普通に呼んでいた。

医師とお手伝いさんが同じ口調で話すなど普通には考えられなかったけど、

あの家ではそれはそれで問題のないうちだった。

むしろ、「ちび!」はパトリーンの愛称だったんだと、今さらながらに気付く。

そうだそうだ、あの国では「でぶ」も「ちび」も「黒んぼ」も諸々の身体的特徴がそのまま

あだ名になる国だった。

日本でそんな呼び方したら、大問題になりかねないけど、あの国ではOK。

わたしの同僚の男性も、わたしより年上だったけど、「少年」というあだ名だった。

今となっては本名を思い出せず、とにかくみんなに「少年」と呼ばれていた。

カルチャーショックというようなレベルを通り越して、何もかもが変にしか見えない生活だったけど、

今となっては、とっても貴重な体験だったと心から思う。

当時、一人暮らしをしている日本人の人たちがとっても羨ましかった。

一人なら、グリスの朝一番の大音量のラジオも、

はちゃめちゃな家族構成の中で遠慮しながら洗濯や炊事をしなくてもいい、

ガスがなくなると誰かがガスボンベを持って買いに行かないといけなかったけど、

車のないわたしは、ひたすら暇人グリスがすぐにでも買いに行ってくれることを祈るしか術が

なかったけど、

もうある意味毎日がサバイバルのような感じで気も休まらない日々ではあったけど、

あんな経験、もうあの時しかできなかったんだと思うと、今となってはあの変てこな家で

変てこなカルチャーの上で日々生活したのは貴重だと思う。

もしあの家に行かなければ、わたしは今掃除をする時、何の音楽を流していたんだろう。

他の音楽ももちろん流したことはあるけれど、ドミニカの音楽ほど掃除にしっくりくる音楽はない。

2015年2月23日月曜日

書きたい文章

次の記事でこのブログも100記事到達となる。

下書きも含めたらとうに100は超えていたけど、きちんと公開したものは次で100。

なので今回は99記事目のアップとなる。

この1ヶ月毎日ブログを書こうと決めるよりもうんと前に、自分の中で4種類の書きたい文章がある

ことにある日気付いた。

①日々の自分の記録
②これまでに習った使える知識や技術
③感動ストーリー
④コラム的な自分の興味関心が向いたもの

①はこのブログになる。

②はまだ公表はしてないものの、こつこつと別のブログでアップしている。

③は『光の図書館』の方でアップしている。

④だけど、意外にこれは自分の中で書きたいものなんだと認識したのは、

多分ここ半年1年の話だと思う。

色んな人のエッセイを好んでよく読む。

そういうものを読んでいると、自分の中にも特段役立つわけではないけれど、

何だか表現したい、言葉にして形にしたい、そういうものがあることに気付いた。

ただ、色々思うことはあるけれど、どんな形でアップするのがいいのかわからなかった。

投稿数にかなりばらつきはあるものの、すでに3つのブログを動かしている今、

新たにブログを立ち上げることは気が進まず、ずっと宙ぶらりんのままだった。

そんな流れの中で、今月毎日このブログをアップするにあたって、

そんなに毎日毎日自分のことばかりも書いていられないので、

それでふと雑感的なものをここで書き始めた。

書いてみたら、自分の中でそんなに違和感がなかったから、もうこのままこのスタイルで、

要はこのブログでは、自分のことと雑感と両方を綴っていこうと決めた。


これはすごくうれしい発見だったひとつだけど、

このブログを始めてから、わたしは自分が何を書きたいのかがものすごく明確になった。

これを始動する前は、要は上の4つが頭の中にすべてあって、

どれも書きたいのだけど、いかんせん内容もそうだし雰囲気も全く違う4つだ。

その4つを1つのブログの中で全て詰めこんで公表というのは、気が進まなかった。

そして、今ほどにその4つがどんな風に違うのか、自分の中で説明できずにいた。

だから、とりあえずこの『vivir空間』を始動させて、その上でまた考えようと思った。

多分やっていくうちに色々わかってくるだろう、と勝手に予想して。

予想した通りで、書いていくうちに『光の図書館』が発動し、さらにもう1つ別のものも加わった。

②に該当する、これまでに習った使える知識や技術に関しては、

始める当初、かなり勇気が要るものだった。

なぜ勇気が必要だったのかというと、悪用される心配のあるものだったから。

過去にそういう類いのことを書いた時、2人の人から変な風に真似をされて、

それがたまらなく嫌な経験だった。

2人ともわたしと同じところで同じ学びをした人たちだった。

同じ学びをしても、気付くものは人それぞれ違う。

わたしは自分自身を通して発見したことをありのまま書いたのだけど、

それを真似された時は、本当に腹が立った。

自分の力で勝負せず、他人の力を無断で利用するその根性がとっても気にくわなかった。

それが怖くもあったけど、今その人たちとは縁が切れて、

さらにいくら真似されても大元のわたしの中から出てくるものは、それはわたし自身しか

表現できる者がいないということに気付いてから、その部分は気にならなくなった。

代わりに、自分が知り得たことを色んな人に公開して、もしそれでヒントを得る人がいたら

それは本当にうれしいことだと、自分の中だけに留めておくのではなく、自分以外の人にも

伝わったらいいなぁ、という気持ちが湧いてきた。

その気持ちが十分になった時に、別のブログが動きだした。

まだ動きだして1ヶ月位だけど・・・。


ひとつひとつを形にしていくのに、どれもこれも時間がかかっているし、

この進み方がのんびりなところは、自分の責任なのにちょっと不満だったりもする。

でもこうして振り返ってみると、動き出したことで色んなことが形になってきたし、

そして思わぬ協力を得たりもした。

『光の図書館』に関しては2人の人が多大な協力をしてくれたし、

このブログに関しても、操作方法全般を友達が無料でちゃちゃっと講義してくれた。

つたないブログを読んでくれる人たちもいるし、本当に色んなものを得られた貴重な体験を

今している。

これからどんな風に発展していくのか未知ではあるけど、これからも綴り続けたいと思ってる。

思いがある限り、続けていきたいと思ってる。

2015年2月22日日曜日

日本語の文法って簡単?

電車のつり革広告に、日本語の学習についてのコラムがあった。

その広告は、この辺りでは名の知れた団体が発行しているものだ。

今回のコラムは、外国人が日本語を習得する上での諸々が書かれてあった。

そのコラム、毎回けっこう面白いことが書いてあるから、字は細かいのだけど真剣に読んでしまう。

知っていて損はないような雑学も添えてあったりする。

ただ、今回のコラム、一箇所だけどうしても引っ掛かってしまった。

コラムには、「日本語の文法は、他の言語に比べて簡単」というような表現があった。

そのコラムの良さのひとつは、物事を客観的に書いてあるところ。

きちんと統計がとられたデータの情報を元にしていたり、

時事問題で最近ホットになっているものを例にしていたり、

歴史上のある出来事とその背景を説明していたりする。

それにプラスして目新しい情報なんかを加筆しているけど、

プラスの情報もかなり裏付けを取っているだろうということが、毎回読んでいてうかがえる。

でも、今回だけどうしたことだろう、「日本語の文法は、他の言語に比べて簡単」

と言い切りの形で、全然しっくりこなかった。

これはわたしの主観だけど、日本語の文法は色んな言語の中でもかなり難しいと思う。

ひらがなとカタカナと漢字がある、ということではなくて、

単純に文法そのものがつかみにくい言葉だ。

例えば、日本語は主語がよく省略される。

英語とスペイン語しか文法は知らないけど、どちらも主語がわからないことはほぼない。

英語は必ず主語が必要だし、スペイン語は主語を省略しても動詞の形で誰が又は何が

主語かはわかるようになっている。

他にも色んなものが省略されるし、あと少し言い方が変わるだけで意味ががらりと変わったり、

同音異義語が多いのも日本語の特徴だと思う。

日本人でも間違うことは多々あるのに、外国人が日本語をマスターするとなったら、

相当の研鑽が必要だろうと思ってしまう。

過去に一度だけ、日本語を超本気で勉強している外国人の人から、

日本語検定なるものの1級の問題集を見せてもらったことがある。

その子から「絶対に日本人の人は、解けないと思うよ」と言われ、

そして1ページだけ開いて解いたら、本当に難しすぎて何もわからなかった。

すべて日本語で書いてあるのに、そこにあった文法の問題はマニアックすぎて、

問題の意味もわからなければ、たしか選択問題だったけど、その回答すらも見当がつかず、

それを日本語が母国語ではない外国人の人が一生懸命解いていると思ったら、

ただただ尊敬するばかりだった。

コラムの話に戻るけど、そのコラムも最終的には日本語の文法の難しさを指摘している。

それであれば、最初から「文法が簡単」なんて、取って付けたようなことを言わなくても良いのに、

と思ってしまった。

個人の人が好き勝手に何かを言うのとは違って、

一応電車という公共の空間の中で、多数の人の目に触れる可能性のある情報なのだから、

整合性のとれたものであって欲しい、と自分勝手なことを思いながらそのコラムを読んでいた。

もっと言うと(←卑しさ満点)、団体というのは、この辺で名の知れた大学。

教育を提供する団体だからこそ、大真面目に整合性のある記事を期待してしまう。

2015年2月21日土曜日

残念な都会マルシェ

名古屋市内にも色んなお店が出ている市場とかないんだろうか?とふと思い立って調べた。

それがちょうど今日市内某所であるとわかり行ってみた。

ホームページによれば、新鮮野菜とか、お豆腐、漬物、パン、調味料なんかの食べ物系と、

雑貨や犬のケア商品?とかの物系と、屋台の軽食系と色々ある風だった。

写真見てさらに良さそうな雰囲気で、ひとりであれこれ想像して行く前から楽しみにしていた。

行ってみて、がっかりだった。

食べ物は、これはわたしのものすごい主観だけど、おいしそうに見えなかった。

こだわり野菜のようだったけど、高級路線とおしゃれディスプレイに傾倒している風で、

野菜独自の新鮮さが伝わってこなかった。

わたしは普段野菜をうちの近所の卸しの八百屋で8割近く購入していて、

そこの野菜がとにかく新鮮でみずみずしくて、そして安い!

それに見慣れているせいか、今日のマルシェの野菜たちは「おほほほほ」と笑いそうな感じでは

あったけど、「わたくし、みずみずしくってよ」みたいな雰囲気は微塵もなかった。

値段も、「マルシェ」というカタカナに相応しい、人参なら1本100円~という具合だった。

雑貨もいまいち気になるものがなく素通り。

ひとつだけ、肉屋さんのソーセージの列に並んだ。

軽食はどこも基本は行列で、ソーセージ屋さんも例外ではなかった。

そのソーセージは友達から教えてもらって高速のサービスエリアで食べたのが最初で、

それ以降も見かけたら買ってしまう、絶品ソーセージだ。

並ぶと言っても10人もいないから、すぐに番が回ってくるだろうと思い並んだ。

そのソーセージも残念なことになっていた。

味はおいしい。あの食べ慣れた味だ。

でも、火の通し方がうまくない。

もし、サービスエリアで食べたことがなければ、普通においしいで終わったけど、

熱々のやけどしそうな位のおいしいものをこれまで食べてきたから、

中が全然熱くないそのソーセージに違和感を覚えた。

周りを見渡せば、犬がたくさんいたけれど、よくよく見るとまるで犬のファッションショー状態で、

ダウンやセーターは当たり前、中にはリュックサックを背負っている犬もいたし、

今時の多機能で大きなベビーカーと思ったら犬専用のドッグカート?だった。

見た目を着飾るのが悪いとは言わない。

これは犬の話だけじゃなくて、マルシェ全体のこと。

だけど、中身がいまいち伴っていないような感じをひしひしと感じたのはわたしだけだろうか。

おしゃれなマルシェ、がテーマならありだろう。

う~ん、でも何か物足りなくて大切な部分が抜け落ちてるみたいな感じは否めなかった。

「都会マルシェ」という言葉を使ったけど、何年も前に行った東京のどこか大きな公園で

開かれたマルシェのようなイベントは、すごく活気に満ちていてとても楽しかった。

2015年2月20日金曜日

すべて空回りだったけど後悔のない日

明後日、父の誕生日だ。

昨日誕生日プレゼントを探しに行ったけど、ぴんとくるものがなく。

とりあえず、最悪なければこれにしよう、というものを頭の片隅に置いて、

今日今度は別の場所へ探しに出かけた。

さっき、日曜日の午前指定でゆうパックで発送したけど、

今(金曜日の夜)からでは日曜日の午前は無理で、午後2時以降の時間帯しか

確約できないと言われた。

仕方ないので、それでお願いしてきた。

わざわざ遠くの24時間営業郵便局まで出向いて、結果は希望通りとはならず、

でも、まぁいっか、とすぐに納得して帰ってきた。

正直、行くこと自体も迷った。

行く前にいくつかのことをした。

まずはネットで、金曜の夜に発送すると、最短いつ到着なのかを調べた。

情報はまちまちで、拠点によっては夜中の便で配送され、

わたしが希望するような翌々日の早い時間に到着することもあるようだ。

あくまでお客さんの話だから、真偽のほどは不明。

郵便局に電話するも、営業時間外のアナウンスが流れて問合せできず。

24時間?フリーダイヤルは携帯からはかからないとアナウンス流れ。

ちなみに、窓口で聞いてきて判明したことだけど、日曜日午前指定で送りたい場合、

名古屋→新潟間だと、遅くても金曜日の通常営業時間内に発送要とのことだった。

ということは、わたしがそのプレゼントに決めた時にはすでに時遅しで、

さらにその後送るための適当な段ボールを2個探し、

さらには同じショッピングセンター内の別階に行ってメジャーで箱の長さを測り(×2往復)、

結局箱の長さが長すぎて使えずまた段ボール置き場に戻し(×2往復)。

実に無駄だらけの動きと、それらすべてが空回りし、結果も希望通りではなく。

でも、ひとつも後悔がなかった。

まず、郵便局に向かう前に、もしかしたら希望が通らないかもしれない、

単なる無駄足を運ぶことになるかもしれない、

それでも行くかどうかを考えた。

そこで、反対に考えて、ダメ元で行ってみて、それで万が一日曜の午前指定が通ったら

ラッキーと考えよう、と心の中で決めた。

ダメでもいい、でももしかしたらどこかの誰かの情報みたいに、夜行便に間に合うかもしれない。

小さな望みに期待しつつも、ある程度覚悟をして出向いただけあって、

あらそうですか、という感じで余計な感情も湧かず、またすたすたと来た道を戻ってこれた。

小さなことだったけど、これから自分がやることのヒントにもなってくれた出来事だった。

これから先、無駄になるだけで終わるかもしれないことをやる。

でも、やるだけやってみると、本当に無駄になっても後悔はしないような気がしている。

2015年2月19日木曜日

1月の予定を旧正月に実行する

年末に実家で川端誠さんの絵本を見てから、決めていたこと。

2015年年明けに投稿する『光の図書館』の記事は、川端誠さんの記事にしようと決めていた。
(←リンク先)

年始めは、気持ちに強く響くものがいいなぁと思っていて、

その時にたまたま川端さんの絵本を開いて、これいいね、これ使おうとなった。

なったまでは良かったけど、どういうわけかわたしはすぐには書かなかった。

頭の中に言葉はもう準備されてる。

いつでも書ける。

なのに、何だかんだと理由をつけてやろうとしない。

2月に入って、まず最初の「やってしまった」の得意の後悔が始まり、

気付けばもう2月も半分終わった・・・となり、

そして今日2月19日が旧正月に該当する日だということを知った。

だから、旧暦では今日が元旦になる。

色々こじつけて、今日は何が何でもアップしようと昨日の夜から決めていた。

とりあえず、旧正月までに実行すれば良しかな?と自分にものすごく甘くして良いように解釈した。

身支度整った後の今日の最初の作業となった。

ものの15分20分で終わった。

実にあっという間だった。

数えると、西暦ではすでに50日経過。

50日×24時間が一体どの位で、それを分に直すとさらに何分になるのかなんて

怖くて計算できない。

書いて自己満足だけど、時々どうしてもう少し自分は早く取り組むことができなかったんだろう・・・

と思う自分もいる。

子どもの頃、毎年夏休み最後の日も宿題が終わらずひいひい言っていたわたし。

大人になればもう少しまともになるかと思ったけど、大人になってからも相変わらず。

じゃあ好きなことならすぐやるかと言ったら、そうでもない。

自分のこの癖を直す方が早いのか、それともこういう自分だと割り切って受け入れる方が

早いのか・・・何の生産性もないようなことを考えてしまった。

2015年2月18日水曜日

自分のできないことが財産になる

先日からパソコンでちょいちょい作業をしているのだけど、どうしても解決できない作業があった。

機能ボタンをぽちっと押せども、無反応。

色んなやり方を試すも、何も状況は変わらず。

でも、その作業はできるようになりたいし、ある意味必要な技術。

最初、ネットサーフィン中にそれを教えてくれそうな人のブログを見つけた。

具体的な住所はわからないにしても、出てくる地名から同区内の人らしいこともわかった。

だけど、その人の情報というのが非常に不親切で、

まずはわたしがつまずいている作業のヒントは一つも書かれていなかった。

代わりに、そういうことをまとめて個人レッスンしますと謳い、1時間五千円というサービスの

説明ばかりが陳述されていた。

細かくは覚えていないけれど、その人の本業はパソコンインストラクターとかそれ関連ではなく、

整体だったか美容だったか、とにかく全く無関係の仕事だったことは覚えている。

わたしが欲している技術は、高度なものではなく、超初心者の技術だ。

なのに、それで「¥お金をください¥」と言わんばかりの宣伝文にうんざりしながら、

とりあえず技術習得への調べ物は一旦止めた。

調べないままにしてるから出来ないことには変わりないわけで、また同じことで昨日もつまずいた。

パソコンとか機器全般に弱そうな人たちが普通にこなしていることなのに、解決できない自分。

あぁもう!と自己嫌悪に陥りながらも、再度もう一度調べた。

そこで出会ったのが、素晴らしいものだった。

本当に、初心者でもわかりやすい細かな説明&なんとその作業を動画でも解説、

という懇切丁寧な情報提供。しかも、無料!!

興味を持って、さらに幾つかのその方の記事を読んだら、まさに欲しい情報が満載!

ありがたいことこの上なかった。

ちなみに、先ほどようやくその作業に取り掛かったけど、もうびっくり。

あれほど大苦戦した作業が1分で完了★★★★★(←5つ星)。

情報も本当にありがたいけど、それ以上にわたしはその方の仕事への姿勢というものに、

ものすごく感銘を受けた。

とにかく相手目線で、多分これまで受け付けた数々の「わからないコール」を1つ1つ

丁寧にすくい上げ、それで誰にでもわかるような説明をしている。

はっきり言って、手間だろうなぁと思う。

しかもその手間をかなりな広範囲で、その方は無料で提供されている。

わたしが見た動画について言えば、常に進化し続けているパソコンワールド、

それぞれの進化バージョン(この時は3つ)について、それぞれきちんと説明されていた。

微妙に操作方法が違うから、それぞれをきちんと説明している。

わたしのような初心者は、少しでもバージョンが違うとパニックになる。

というようなところまで、抜け目なくカバーされている。

もちろん、有料でのサービスも提供されているけど、無料の提供量が半端ない。

無料有料云々ではなく、その人が根底で信じているもの、大切にしているものが

そこに表れている。

自分が持っているもので、読者又はお客さんが問題解決できて、

本業に専念できるようになったらいい、そんな思いがひしひしと伝わってくる。

本当に、今の時代のビジネスの在り方を感じた、良い見本のような方だった。

振り返ってみると、そもそもは「自分ができない」ということが出発点になっている。

できなくて困って、それで情報を探してその方のページに辿り着いた。

もし、わたしがパソコンをすらすら難なく使えていたら、その方には辿り着けなかっただろう。

なぜなら、不要な情報だから。

できないことでその方の生き様みたいなものにまで繋がる、というのはなんという幸運だろう。

情報だけじゃない、その先にある個人の生き方まで学べるなんて、

一石二鳥どころか三鳥四鳥だ。

苦手なパソコン操作だけど、そのできない自分のおかげで別の良いものに出会えるというのは、

ある意味財産だと思ってる。

2015年2月17日火曜日

ケンタロウのレシピ

2週間ほど前だったかと思う。

本屋さんで小林カツ代さんの『小林カツ代のおいしいがいちばん!』という、エッセイ寄りの

レシピ本を立ち読みした。

その中に、「葱ゴマ焼きめし」というレシピが出てくるのだけど、

そのレシピというのは、カツ代さんではなくて息子のケンタロウさんのレシピだと紹介されていた。

阪神淡路大震災の時、2人は動物保護団体の人たちへご飯を作りに行くということを

2年ほど続けたらしい。

人間よりも動物を優先するだなんて・・・という非難もあったらしいけど、

とにかく自分たちができることをやろうということで、周りの批判は脇に置いて、

自分たちの意志を優先させたようだった。

その団体の人たちの多くは菜食主義者で、それこそ震災直後は食べ物の流通も止まって、

あるもので調理をせざるを得なくて、そちらには何がありますか?とケンタロウさんが聞いて、

その中で生まれたのが、ごはん・長葱・ゴマ油・塩・しょうゆ・白ゴマ・胡椒で作る焼きめしだった。

材料・手順をささっと携帯のメモに打ち込んで、家でも実際に作ってみた。

初めて食べた時、あまりのおいしさにびっくりした。

材料はとてもシンプルだけど、本当にとってもおいしい。

香りも、ゴマ油と長葱と白ゴマのコラボレーションで、食欲をそそるものだった。

しかも、調理時間5分もかからないような簡単スピーディーな一品で、

ガスをたくさん使わなくても良い点も、当時はとても助かったのではないかと思う。

カツ代さんは亡くなってしまったし、ケンタロウさんはあのバイク事故の後、今もリハビリ中なのか

テレビには一切出ていない。

本当かはわからないけど、最後携帯で見たニュースによると、胃ろうと呼ばれるものを

取り付けたらしい。もしそうなら、経口摂取が難しいが故の選択だろう。

料理家として、口から物が食べられないのであれば、絶体絶命のような状態なのではないかと

勝手に想像している。

今亡きカツ代さんと、今表には出てこないケンタロウさん親子が紡いだ1つのレシピは、

全然関係のないわたしの元へ届いた。

そして身も心もそのレシピで満たされる。

あまりにおいしくて、わたしはこの1週間足らずで2回作っている。

初回も2回目も、ふと、たくさんの不幸と呼ぶ出来事の前でも、人が人に与える力の強さは

必ず存在する、そしてそれはいつかの未来、全く関係のない人にまで伝播する、

そんなことを感じながら、熱々の葱ゴマ焼きめしを口に運んだ。

2015年2月16日月曜日

パワーストーンの行方

この半年ほどちょこまかと取り組んだ断捨離の中で、どうしていいのか迷ったと言うより困った

もののひとつに、パワーストーンがある。

ブレスレットもあれば、携帯のストラップもあれば、幾つかを所有している。

自分も気に入って買い求めたものは、これからも残す予定だからいい。

人からのいただきものは、2つに分かれた。

1つは、残したいもの。もう1つは、手放してしまいたいもの。

残したいものの中には、今もしっかり働いてくれてるパワーストーンがある。

それはあるボディセラピストさんから、当時のわたしの状態に合ったものとして

プレゼントされたものだ。

毎日持ち歩いているうちに、わたしの不注意で落として割ってしまった。

びっくりして、電話して対応を聞いたら、割れたものをそのまま持ち歩いてもいいと教えてもらい、

その後もしばらく持ち歩いた。

ところが、どんどん粉々になってきて、持ち歩くのも大変だなぁという頃。

いつか妹から、妹が働いている店の観葉植物に他のスタッフの人の水晶を置いたら、

そればかりメキメキと大きく成長した、という話を聞いたことを思い出した。

それで、わたしもまねをして、部屋の観葉植物のひとつに、その粉々になったパワーストーンを

土に還した。

そのおかげか、その観葉植物、それ以降も何年にも渡ってたくさん葉をつけている。

上のパワーストーンとは対照的に、過去にどうしても手放したいパワーストーンが1つあった。

それもいただきものだったけど、その経由がとても嫌で、自分の元に来てから全然愛着が

湧かずにとても困っていた。

で、ある日友達がうちに来てくれた時、真夜中の公園に付き合ってもらい、

ある大きな木の下にシャベルで穴を掘って埋めてきた。

この方法が良い悪いはわからなかったけど、とにかく手放したい一心のものだったから、

自分がやったことに後悔はない。

あれからもう一度今度は別の経由で、パワーストーンがやってきた。

半分付き合いの部分もあって、パワーストーン教室で自分で作ってきた携帯ストラップだった。

今もまだ手元にある。

ただもうそれは使わないのと、それにまつわる諸々の過程をきれいに終わらせたいこともあって、

今回の断捨離リストのトップ10に入るものだ。

真夜中の公園に行くというのも悪くないけど、ただ一人では行きたくない。

一人でも行けて、且つもう少し別の方法で手放せないだろうか・・・ということで、

だいぶ前になるけれど、パワーストーンの手放し方をネットで検索した。

幾つか方法があった中で、わたしが一番心惹かれたのは、「川に流す」だった。

一番しっくりきて、パワーストーンにとっても良いような感じがしたから。

随分そんなことを忘れていたけど、この間またふと思い出した。

今日は小春日和並みに天気も良く、これなら川の近くも安全に行けるなぁということで、

歩いて30分弱の大きな川へと行ってきた。

行ってみてわかったことは、パワーストーンを流すのに、その川は適していないことだった。

川のけっこう近くまで行けたけれども、近付けるところは水たまりのようになっていて

水が流れていなかったのと、本流は遠すぎてとても自力では近付けない場所になっていた。

これは仕方ないとすぱっとあきらめて、パワーストーン共々家に戻ってきた。

本来の目的は果たせなかったけど、とりあえず行ってみたからわかったことに満足した。

そして、どういう川をイメージしているのかも自分の中でより明確になった。

今回はパワーストーンにまつわる出来事だったけど、なんとなく人生の選択そのものに

似ているなぁと思っている。

2015年2月15日日曜日

卵ストーリー

徒歩圏内のスーパーで日曜の朝市が熱いところがある。

卵1パック200円位する昨今、そのスーパーは日曜の朝市の時だけ98円で売り出す。

しかも白卵じゃなくて、赤卵を98円で売り出す。

というのを、夏働いていたところで知り合ったSさんに教えてもらった。

(Sさんの話:http://viva-vivir.blogspot.jp/2015/01/blog-post_21.html

いつだったかの金曜日、Sさんは自分の家からそのスーパーのチラシを、

わたしに見せるためにわざわざ持ってきてくれた。

Sさんの住んでいる区とわたしの住んでいる区はすごく離れているけれど、

同じ系列のスーパーだから、チラシはどこも一緒よ~と言って、

これが安いとか、あら今回はこれがお買い得ね、なんて仕事中に2人で油を売っていた。

Sさんなくしては知り得ない情報で、それ以降都合のつく日曜日の朝はそのスーパーに行ってる。

今日も事前に買物リストを作成して、朝の開店に合わせて行ってきた。

店側がいくつ位用意しているのかわからないけど、開店40分後には売り切れるということを

いつだったかの日曜日に知った。

だから、なるべく早めに行くようにしている。

今日は開店3分後位には到着したけど、本当にびっくりした。

98円の赤卵の周りには、人・人・人の嵐だった。

あのテレビなんかの激安スーパーの特集のような繁盛ぶりで、これまでこんなに早く到着したこと

なかったから、その光景に感心を通り越して唖然としてしまった。

そして、すでに用意されていた分の半分以上ははけていただろう。

卵の周りの人たちは、ちょっと腰をかがめて卵を取っていた。

自分の順番が来るまで待とうと少し離れたところに突っ立っていると、

すぐ近くの愛想の良さそうなおばちゃんが、

「この卵、Lサイズなのよ!Lサイズ!

あの中にはMサイズとLサイズのパックが混ざっていて、わたしはいつもLサイズを探すのよ。

ほら、『L』ってあるでしょ?」

と話しかけてきた。

たしかに、よーく見ると、透明パックの端っこの方に、うっすらと「L」と浮き彫りになっている。

「これ、あげるわよ!」

とわたしに突然手渡してきた。

「ほら、わたしはもう自分の分は取ってあるから、もし良かったらこれあげるわよ」

と言う。

たしかに、おばちゃんのカートにはすでに卵が2パック入っていた。

わたしはお礼を言って、その卵を受け取った。

すごく小さなやりとりだったけど、そのやりとりがわたしはとっても嬉しかった。

とにかく、みんな我先にと卵やら他の特売に目を光らせていて、

ある種、戦場のような形相の朝市だ。

下手するとカートや人に当たるような、けっこう気をつけていないといけない場所だ。

その中で、見ず知らずの人に声をかけ、そして特売品を回してくれる、

そんなおばちゃんはあっぱれだ。

Sさんに教えてもらった卵が、こんな風にまた新しい風をもたらしてくれて、

たったひとつの卵なのに、ストーリーが出来上がって。

すえひろがりな卵だ、1パック98円の赤卵。

2015年2月14日土曜日

後になってわかる答え

夏のことだったと思う。

ある人」からとって、その人の名をRさんとしよう
(↑Rさんという名付け方、ひそかなマイブーム)。

Rさんから頼まれごとをされたのだけど、わたしはそれを断った。

とても進んで引き受けられるものではなく、引き受けるリスクが高そうだったのと、

とにかく気乗りがしなかった。

そして伝えられる範囲で、断りのメールを入れた。

嘘を言っても仕方ないから、自分が感じたことをここまでだったら言っても大丈夫かな?という

ところに収めて、Rさんには送った。

Rさんはそれを理解してくれ、それはそれで一件落着した。


少し話は脇道にそれるけど、わたしは時々どうしてものをはっきりと言えるのか?

具体的には断ったり拒否したりできるのか?と聞かれることがある。

例えば、上の件で言えば。

①引き受ける
②断る
③無視する

という3つの選択肢が考えられると思う。

引き受けた場合、それは自分にとって苦痛や危険が伴うのは目に見えていた。

これは何としてでも避けたい。

無視できないわけでもなかったけど、これは後々の関係を考えたら不誠実で且つ関係性に

ひびが入るのでは?という危惧があったから、これも避けたかった。

という消去法でいったら、②の断るが残るわけで、決してはっきりと言おう!という強い意志で

そうしたというよりも、他の選択肢は嫌だから、②も嫌だけどまだその中では一番まし、

という気持ちで成り立っている。


話は戻してRさんの頼みごとの続き。

このことはすっかり忘れていた、昨日共通の友達に会うまでは。

話の中で、たまたまその頼まれごとが話題に浮上した。

その友達も、わたしと同じことをRさんから頼まれていた(で、断っていた)。

わたしは深く追求もしなかったけど、友達はRさんに直接頼まれごとの意図を聞いていた。

友達の口から語られたRさん本人の言葉を聞いて、わたしはものすごく納得した。

なぜ気が進まなかったのか、なぜ危ないと感じ取ったのか。

頼まれごとの言葉だけを取ったら、決して悪いものでもないし、危ないものでもない。

だけど、わたしがあの当時感じたのはそんなことではなく、その言葉を通して発信されている

Rさん本人の意思みたいなもので、そこに対して変な違和感がぷんぷん漂っていた。

何かがずれていて、何かが変なのだ。

それは個性と呼ばれるようなものではなくて、明らかに身の危険を覚えるようなタイプの

ずれとか変な違和感だった。

そんな細かいこといちいち気にしても仕方ないし、とりあえず断って無事を得たわたしは

もう終わったこととして忘れていた。

それが昨日になって、半年ぐらい時間を経てから真相が明るみに出た。

言葉が伝えるものよりも、それ以外の部分が伝えるものの方がはるかに大きな割合だ、

というのは心理学の実験でも立証されていると聞いてはいたけど、

あの夏の頼まれごとを思い出すと、本当にそうだったんだと腑に落ちる。

似たような頼まれごとはRさんに限らず他の人たちからもお願いされたことはある。

頼まれごとの内容はほぼ一緒。

伝え方は人それぞれだけど、丁寧だから引き受けるとか乱暴だから断るという基準はない。

今回のRさんの場合は、むしろ丁寧に属する。

引き受ける・断るは、内容云々でも伝え方でもなく、頼んできた人それぞれが、

どんな意図でそれを頼んでいるのかということが、どうしてもそこに出てくるのではないかと思う。

なぜなら、何の躊躇もなく引き受けていることも、というよりもそちらの方が回数としては多い。

今回のように断る方が少ない気がする。

意図をはっきりと言葉で伝えてくる人は少ない。

でも、話を聞いていれば、なんとなくどんな意図だとか、それを陰で支えている思いなんかは

見え隠れしている。

教訓ではないけれど、誤魔化そうとしたり嘘をついたりしてもダメなんだなぁと、

そういうことはなぜかばれることになっていると、昨日の友達との会話の中でふたりで、

そうだそうだと首を縦に振りながら妙に納得していた。

2015年2月13日金曜日

2代目はさみ

今朝ずっと気になっていた資料の整理をするのに、はさみを使った。

このはさみは日常使い用として、2代目はさみとして任命されたものだ。

任命もなにも、わたしが勝手にこれを使おうと決めただけだけど。

初代はさみは、小学校入学と同時に学校から配られたサクラのはさみだ。

あの、文具メーカーのサクラだ。

特段丁寧に使ったわけではなかったけれど、とにかく丈夫が取り柄と言わんばかりに、

実に長い年月、わたしの「切る」パートナーとして大活躍してくれた。

それが数年前、ぽっくりとご臨終を迎えることになった。

本当にぽっくりで、ある日突然、持ち手の部分のプラスチックがぱきっと割れてしまった。

プラスチックだから経年劣化によるものだろうけど、

一瞬でもう修理不可能の状態になってしまった。

泣きたくなるぐらいにショックだったけど、そこはぐっとこらえた。

2代目はさみをどうしようかしばらく考えていた。

ただ、はさみというのは、何かと日常で必要になってくる。

そんなにおちおちと時間をかけて、丁寧に選んでいる場合でもなかった。

だけど、25年近く使った初代はさみを思うと、2代目にもおのずとそれ位長く働いて欲しいと

自分勝手に思い、けど店で何種類ものはさみを見てもどれもぴんとこず、はさみ探しは難航した。

良いものを買おうか、そもそもどんな形を買って良いのかすら見当がつかなかった。

ほんと、はさみ1つとっても、種類が多くて驚いた。

で、それはどうしてそんな風にひょっこり姿を現したのか忘れたけど、

わたしは家の中にあったはさみをそのまま2代目はさみに決めた。

そのはさみは、亡くなった祖母の裁縫用の糸切りばさみとして使われていたものだ。

糸切りばさみと言っても、通常の紙を切るものと同じような形をしている。

なぜわたしがそれを引き取れたのかも忘れたけど、とにかく形見としてもらった。

ただし、わたしはそのずっと前から裁縫に凝り出していたから、はさみも自前で買ったもの、

織物系の仕事に就いてる父と母からもらったもの、わたしが手芸好きと知ってこれ良かったら

もらってと言われて手芸の先生のようなお手前のご婦人からいただいたもの、

すでに数種類を所持していた。

だからばばちゃん(祖母)のはさみは、全く出番がなかった。

少しつぶれている鈴もついていて、良い音色のするはさみ。

これを使わない手はないと思った。

ただ形見として持っているよりも、物として使って愛着を深める方がはるかに良いと感じた。

そうして誕生した2代目はさみだった。

今日、何枚もの紙をちょきちょきと切りながら、ばばちゃんはこれで何を切っていたんだろう・・・

と考えた。

昔の人だから、とにかく大切に物を使っていた。

今のはさみだって、一体いつからばばちゃんが使っていたものかはわからない。

こんな風にして、故人のものを引き継いで、さらに日常使いできるって、

ものすごく贅沢なことだと思ってる。

日常使いのはさみとしても2代目だけど、ばばちゃんから引き継いで今わたしが使ってる、

という意味でも2代目のはさみとして、今毎日のように大活躍している。

2015年2月12日木曜日

熟成期間3年

自分の思いを熟成させるのに3年必要らしい、どうもわたしの場合。

それも、一度ダメというか失敗したところから3年だから、実際は何年かかってるんだろう。

3年以上というのは間違いない。

過去の中で一番大きな決断を要した時。

一度失敗してから次に臨むまでまるっと3年かかった。

今ならわかる、一度目の失敗がなぜ失敗したのか。

ただ単に、自分の思いが十二分に熟成されていなかったから。

だから、第三者から自分の思いを問われた時、わたしはとてもしどろもどろになり、

自分でも自分が何を喋っているのかわからなくて、ただ覚えているのは支離滅裂な発言に

自分で自分に驚くみたいな、そんな状況だけだった。

それから3年して再度その場に立つのだけど、その時は今でも覚えている位に、

とても堂々と自分の思いをありったけのパワーでぶつけていた。

そして、思いが扉を開く結果となった。

今回、上に書いたこととは違うけど、今日になって思いが熟した感がやってきた。

熟しただけで、まだスタートラインにも立ってない感じだから、本番はこれからにしても、

思いだけに関して言えば、熟したと言ってもいい感じになった。

で、ふと数えてみたら3年ぐらいだと思う、一度目の失敗をしてから。

今回も同じだ。

一度目の失敗は、色んなことが折り重なった結果と言えども、

明らかに自分の思いがぐらぐらしていた。

表面上はそこそこの思いがあるけれど、根がしっかりと張った感じの思いの強さではなかった。

どちらかというと、「なんとなく」という感じだった。

そして、そのなんとなくの感じは、なんとなくどころでは済まされず、

自分でも色んなことが嫌でたまらないぐらいの結果を招いてしまった。

結果を嘆いたり、その後の根なし草状態の自分の生き方に超絶うんざりしたけれど、

ここに来てようやく自分の中にある思いが何かという答え(?)に行き着いた。

自分がどうしたいのか、何を目指したいのか、どんな生き方をしたいのか。

言うなれば、志望動機のようなもの。

そこの根幹が、今ようやく何かをわたし自身が言葉にして受け取り始めた。

これまで受け取り拒否をしていたのかというと、そうでもない。

だけど、一番大事な部分が欠けているのはわかっていた。

だから、ここ一番という局面で踏ん張りが利かない。

周りからは、単なるふらふらしてる人みたいに見えてもおかしくなく、

心ない言葉を言われたことなんかもかなり回数としてあったし、人数としてもそこそこあった。

でも、それはわたし自身が自分に対して言えない言葉を代弁してもらってる風でもあって、

言い返せない悔しさや言い様のない不安や焦りは半端なかった。

今、ようやくスタート地点に立った感じだ。

これからのことも全て暗中模索だし、でかく考えると何からしていいかわからなくなったり、

怖くなったりもする。

だから、とりあえずは目の前のこと一つ一つを積み重ねることと、

あとは自分の方にやってくる知恵や知識を吸収していくこと、そこから形にすること。

自分から求めていくことももちろん大事。

だけど、本当に必要なものは、意外にもたらされる仕組みになってる気がする。

それを証明するかごとく、今日そんな出会い(?)があった。

今回は、自分のペースでその思いの部分を温めて形にしていこうと思う。

ゆっくりの時もあるだろうし、やたらと速い時もあると思う。

ただ、少しずつその過程を楽しみながら進めたらいいなぁと願ってる。

2015年2月11日水曜日

いざという時の備忘録パワー発揮

久しぶりにmixi(SNS)に書いた過去の日記を紐解いた。

日記を読み返したかったわけではなく、どうしても調べたいことがあって、

それは間違いなくmixiの日記上に書いたことと関係していることだけは覚えていた。

色々調べたら、欲しい情報の手がかりが出てきた。

出てきてすっきり。

数年前の日記だけど、書いといて良かった。

まさか数年後、その情報が必要になってくるだなんて思ってもみなかった。

欲しい情報は、今の自分の身を守るためのものだから、決して心躍るものではなかったけど、

何も情報がないよりもあったことで安心できた。

今こうして色々とこのブログに書き綴っているけど、これもまた思ってもみない方向で

将来活躍したりするんだろうか・・・。

記憶なんていい加減なものだから、昨日今日あったことだって間違いなく数年後は忘れてる。

ちなみに今回調べたのは名前だったのだけど、少ししか関わらなかった人の名前は

すぐに忘れる。

ニックネームなんてさらに厄介で、全員「名字または名前+さん」で統一して読んだ方が

良いのではないかとすら思えてくる。

反対に、わたしの名字の「武士俣」なんてインパクトがありすぎて、大勢の人に一度で

覚えてもらえ、ありがたいけど・・・

わたしは忘れてるケースが多すぎて、自分の失礼が目立ちまくりでそれも困る。

どちらにせよ、色々書いておくと、今回みたいなどうしても思い出せないものを無理やりにでも

思い出す必要がある時にはとっても役立つ、備忘録。

2015年2月10日火曜日

手袋リレーin山手線

先月東京に行った日の午後のこと。

帰省ラッシュ前のまだ車内に余裕のある時間に、新宿・池袋方面へ向かう山手線に乗っていた。

どこの駅だったのか忘れたけど、隣りに座っていた若い女の子が降りた。

彼女が一歩二歩と進む度に、ひとつ、またひとつと黒い手袋が床に落ちた。

当の本人は気付かず、すたすたと出口へ向かって歩いて行く。

手袋を拾ったのは良かったけど、彼女はすでに視界に入らない距離にいた。

わたしとは反対に座っていたおじさんも、「手袋落ちたよ」となかなか大きな声を掛けていたけど、

彼女は気付かずに行ってしまった。

下りる駅ではないけれど、下りるしかないかなぁ・・・と一瞬考えたら、

ちょうどその駅で下りる別の若い女の子が一部始終を見ていて、

「わたし、届けてきます!」と言って、手袋をもらってくれた。

その女の子は、小走りで手袋の持ち主めがけて駆けて行った。

どうなったか見届けないうちに、電車は次の駅へ向かって走り出した。

手袋は多分、無事持ち主の女の子の手に渡っただろう。

何が感動したかって、これが日本一の乗車率を誇る山手線という場所で起こったこと。

無視しても良さそうなのに、あの手袋リレーを買ってくれた女の子のさりげない気遣い。

おじさんもなかなか大きな声で手袋の主に声を掛けていたこと。

拾ったわたしは・・・

わたしが拾うのには理由がある。

良い人に思われたいとかではなく、あれは自分自身への貯金と言うか、罪滅ぼしと言うか。

わたしも、よく何かを落とす、それも気付かぬうちに。

月に1回はそういう場面がある気がしてならない。

9割がた気付かない。

でも、けっこうな高確率で、周りの人に拾ってもらったり声を掛けてもらって救われてる。

なんだったら、かなり後方から相手の方が走って届けてくださったこともある。

ちなみに、その数日後もまんまと名古屋で人からのプレゼントのタオルを落として、

声を掛けてもらって事なきを得た。

こんな風に何度も何度も助かった経験をしているから、

そしてこれからも見知らぬ誰かのお世話になりそうだから、

自分が反対の立場に立った時くらいは、積極的に拾う役を買いたいと思ってる。

2015年2月9日月曜日

夢の中の同級生

目が覚めた瞬間、わたしは本当に自分が今どこにいて何時なのか全然わからなかった。

窓の外は明るいから朝か昼なのはわかった。

しばらくぼ~っとしているうちに、いつもの部屋のいつもの布団の中だとようやく気付いた。

二度寝をむさぼっている1時間少しの間、そこに中学の同級生が現れた。

○○ちゃんと呼ばれた同級生もわたしも2人とも大人になっていた。

全然知らない建物の中で○○ちゃんにばったり再会するのだけど、

仲良くはなかったから何となく夢の中でも気まずいままで、その感じがやたらとリアルで、

だけど○○ちゃんは多分遠くからその場所へ何かの目的を持って出てきていて、

泊まる場所がないということで、なぜかわたしはうちで良かったらどうぞと声を掛けていた。

○○ちゃんの知り合いの、全然知らない男がいて、○○ちゃんを誘っていたけど、

その男の誘いには乗らず、うちに泊まらせてもらうことにしたからと言ってうちに向かった。

2人とも大人だから、適度に会話はしていた。

言葉少なな会話ではあったけど、多少緊張しながらも会話をしていた。

夢の途中でわたしは目覚めるんだけど、ちょうど夢の中でもこれから寝ようという場面だったから、

だから起きた時に色々わからなくなったのではと思う。

それだけじゃない。

○○ちゃんはもうこの世にはいない。

24歳の時に自殺した。

噂を聞いたのが先だったのか、地元の小さな新聞のおくやみ欄に○○ちゃんの名前と24という

数字を見たのが先だったのかはもう憶えていない。

その少し前に、わたしは赤ちゃんと○○ちゃんの夫になった中学の同級生の男と

3人で一緒にいる姿を家の近くの店で見かけたのが最後だった。

自殺の理由は、わからない。

小さな町だから、いくつかの理由を小耳に挟んだりはした。

だけど、本当の理由は、本人にしかわからない。

少なくとも、3人で一緒にいる姿からは、まさかそのもう少し後で自ら命を断つとは、

想像すらできなかった。

二度寝から目覚めて、自分の居場所も確認できた時。

今、わたしは○○ちゃんが生きれなかった人生を生きてるんだなぁと最初に思った。

そんなことを思っていたら、年末高校の同級生で集った時に思ったことも思い出した。

今でも高校の友達と盆正月、集まれる範囲で集まっている。

みんなそれぞれ全く別のところに住んでいるし、生き方も様々だ。

知り合ってからかれこれ20年近い時間が経過している。

この年末に会った時、それぞれの話を聞いていて強く強く思ったことが一つあった。

今わたしが向かい合っていることは、わたしに与えられた課題なんだということ。

生き方が様々であれば、そこにおいて自分が直面しているテーマも違う。

わたしは自分の考えて結論を出さなければいけないテーマがものすごく嫌だとずっと思っていた。

正直、逃げたい方がいっぱいだ。

だけど、そのことは、今のわたしに来ているテーマなんだと、

なぜなら他の人たちのテーマはやっぱりその人自身のテーマで、

わたしには無関係のところに存在していた。

それをすごくありありと感じて、その時は「自分もがんばろ」なんて思った。

今朝の二度寝に、何で○○ちゃんが現れたのかはわからない。

今日の今日まで、頭の中をかすめることもないような人物だった。

何かを言われたわけではないけれど、今ある自分の人生というものを、

もう命がない○○ちゃんから教えてもらったような、そんな気持ちになった。

2015年2月8日日曜日

毎日ブログを綴ること

人生で一度はやってみようと常々思っていた、毎日ブログを綴ること。

4人の有名人の方がやっているのを見て、しかもそこから多大なる影響を受けたわたしは、

もしわたしも4人のように毎日ブログ(日記)を書いたらどうなるだろう、

どんな気分を味わうのだろう、と興味が湧いて、そしてなんだかんだと理由をつけて先延ばしに

していたけれど、今回ようやく「やる」と決めてやり出した。

ちなみに、わたしの場合は1ヶ月限定、しかも1年の中で一番月の日数が少ない2月だけ。

その感触が良ければ、ずっと続けても良かったけど、やり出して1週間、早くも音を上げている。

今のところ、毎日書いていても話題が尽きることはない。

万が一書くことがなくなったら、これまで書こうと思ってメモだけしておいたテーマについて

書けばいいわけだから、そこは全く心配していない。

何が思ったよりも大変だったかというと、「気が乗らない時に書くこと」。

これが思いの外しんどいし、気付けばこれまで気が乗らない時に書いたことがなかったから、

だから余計と苦行のように感じるのかもしれない。

書く時の気持ちって、言うなればおなか空いたから何か作ろうとか、気になるから掃除しようとか、

考える前に動きだして家事をこなす感じに似ていて、

よくよく考えてみれば今までそういう風にしか書いてこなかった。

例えば、気になりはしても掃除をする気分でなければわたしは掃除をしない。

書くことも同じで、書く気分でなければ書かなかった。

性に合わないことはわかったけど、もう1週間も続けたからここで止めるのは悔しい。

今月だけは意地でも毎日書こうと思っている。

こんな体験をしたおかげで、わたしはどんな風に書きたいのかというのもわかってきた。

やっぱり、書きたい時に書く。

きちんと心をこめて文章を綴りたいと思う。

そうやって考えると、先述の4人の方は、本当にすごい。

そのうちの3人は何年と同じことを続けていて、

間違っていなければそのうちの1人は今もずっと書かれていると思う。

新刊を読んだことはないけれど、今も続けて発行されているということは、すなわち書いている。

偉業だ。

2015年2月7日土曜日

答えのない問題集

これはいつかの秋口に行った図書館での感想。

持参したノートにいくつか図書館の本の内容をメモするために、学習室を利用した。

そこの図書館は、社会人用と学生用の学習室が分かれてなくて、

その日はどうも定期テスト直前だったらしく、9割がた中高生で満席になっていた。

前から3列目くらいの席に腰をかけたけど、

そこの席からでも10人以上の子どもの姿が視界に入ってきた。

教科はそれぞれ違っているようだったけど、やっている作業は皆同じ。

問題集やらワークやらを開いて、解いて、解答見て丸付けして。

その作業をどの子も延々と繰り返している。

作業を眺めていてとても不思議な気分だった。

もちろん自分も同じような道をたどって、小中高とテスト勉強をした。

大学で初めて、自分の意見を言うことがテストで求められるようになった。

今となってはその機会に感謝しているけれど、

もし、自分で意見を言う=自分で考える、自分で答えを出すことをしないまま

大人になっていたら・・・、と思うと怖くなった。

私自身もそうだし、そこにいた子どもたちもそうだけど、

もうあらかじめ答えは決まっていて、その正解に辿り着けるように問題を解く。

でも、大人になるにつれ、1+1=2というような、わかりやすい答え、決まり切った答えではない

答えを出す場面が圧倒的に増えてくる。

ある程度の年齢になったら、もう答えなんか一切載っていない問題集を手にすることになる。

教育論を論じるつもりはないけれど、その答えのない問題集を手にした時に、

どれだけ自分で自分だけの答えを導きだせるか、

そしてそこに至るまでのプロセスを組み立てられるか、

そしていくら答えやプロセスの枠組みを作っても、その通りに事が運ばない場合もあるわけで、

そういう時にどれだけ臨機応変に知恵を働かせて自分が動けるか・・・

そういう力がものすごく必要になるということを、大人になってから初めて理解した。

基礎学力を養うという意味で必要な学習だとは思うけど、

それとは別に、生きてく力というんだろうか、そういうのはもっともっと大事だなぁ・・・

なんて近くの勉強に励む子どもたちを見ていて思った。

2015年2月6日金曜日

歩みを記録する

いつの頃からか、色んなことを記録するようになった。

日々生きていたら色んなことがある。

人と会っても会わなくても、何か特別なことがなくても、何かしらはある。

その何かしらをあれこれと記録する。

昨日食べたごはんが何か思い出せない位、すぐに色んなことを忘れる。

ビッグな出来事は印象に強く残っても、日々の小さな出来事はさらりと抜け落ちる。

だけど、ある時気付いた。

その小さな出来事で毎日が成り立っていて、

そしてその小さな出来事に自分が笑いや涙をもらったり、喜んだり悲しんだりしている。

でも小さいからすぐに忘れてしまう。

一度忘れたら、相当何かとリンクしない限りなかなか思い出すこともない。

そうした小さなことを自分がいつか振り返った時に思い出せるように残したい、

そんな思いからはじまった記録だ。


まさか、その記録が将来自分を助けてくれるとは思ってもみなかった。

なつかしい気持ちになるだろうことは十分に予想できた。

そうではなくて、自分自身を助けるとか慰めるとか、そんな風には想像せずに書いていた。

久しぶりに気持ちが大きく沈んだ。

きゅっと口を結んでいないと、涙が出そうな、実際に歩いている途中にじわっと涙が滲んで、

トイレに行ったりもした。

今家にいて、少し前まで何をしていても気持ちがざわざわしていた。

ニキビが腫れて破裂寸前の時、すごい痛みを伴う。

一回破裂してしまえば少しは和らぐのに、その直前の猛烈に痛い時。

心の状態が、あんな時の痛みに似ていた。

それで、ふとこれまで自分が書いたものを読み返した。

それだったら読める気がした。

自分が書いた文なら自分を攻撃する心配もないし、別に読んでも読まなくてもいいものだ。

それでいくつか読んだ。

読んでいくうちに、その当時のことを思い出した。

書いている内容もそうだし、それを書いた時のこともそうだし、

色んなことを思い出すうちに、ざわざわがいつの間にか落ち着いてきた。

起こってしまったことはもう戻せない。

ざわざわがなくなるわけでもない。

問題と思ってることが今すぐ解決するわけでもない。

でも、自分の文を読んでいたら、なんだかすっと楽になった。

そんなつもりで過去の自分は書いたつもりではまったくないのに、

今ここにいる、当時から見たら未来の自分は救われてる。

そして、今こうして文を打ち込んでいる時も、

打ち込みながら楽に呼吸できるようになった自分がいる。

記録することの効果を実感する。

2015 節分

2015年2月5日木曜日

ひでのリンゴジャム

ひで(下の妹の旦那さん)は、パン職人だ。

先月、妹たちとひでと会った時に、ひでが手作りのリンゴジャムをお土産として持ってきてくれた。

家に戻ってからそのリンゴジャムを初めて食した時、あまりのうまさにびっくらこいた。

リンゴジャムはこれまでにもたくさんの種類を食べてきたし、

何かの頂き物系の高級リンゴジャムだって中にはあったはず。

身内びいきとかでは一切なく、とにかくおいしくておいしくて、

これまで食べたことのあるリンゴジャムとは全く次元の違うおいしさだった。

リンゴジャムの形態といい、味といい、食感といい、

そういうジャムにはこれまで一度もお目にかかったことがなく、おそらく世界中のリンゴジャムを

集めても、ひでジャムほどおいしいリンゴジャムには早々出会えないだろうと思う。

半端なくレベルの高いリンゴジャムだった。

あまりにおいしかったのと、気になることもあって、

ひでにお願いをして、ジャムについて話を聞かせてもらった。

ひでジャムの企業秘密?はばらせないから、わたしが聞いた視点で印象に残った話。

以前、いちごジャムももらったことがあって、もちろんこちらも絶品、

ひでがどういう風に八百屋さんで原材料となる果物を見ているか、

この見方が非常に面白かった。ジャムなんか決して手作りしないわたしからしたら、

えっ!?そんな風に見てるの!?と思う。

例えば、果物個体の表面積とか。

この方がおいしそうかな~とか、(量が)たくさんかな~という視点で果物を見ることはあっても、

個体そのものの表面積の大きさなんて見ない。

でも、そういうものも、ジャム作りの上ではとても重要らしい。

しかも、いちごなりリンゴなりを見て、「ジャム作ろう♪」となるらしい。

それも仕事中に試作品を作るのではなく、貴重な休みの日に家で作ると聞いて、

好きでなければやれない、というレベルで作っていることはとてもよくわかった。

ちなみに、リンゴジャムもいちごジャムも、現段階ではいつかの本番に備えての練習で、

実際に店頭販売はしてないとのこと。

あんなに完成度が高いのに、非売品とはもったいないと思ったけど、

ジャムを製造販売するのに、それ専用の許可証が必要とのことで、

今働いている店にはないから出せず、あくまで今は個人の趣味の範囲と言うか、

実際に自分で店を出す時には出す予定の商品と話していた。

食感とか味とか、とにかく全てにおいてこれまでの最高峰のリンゴジャムだったけど、

そうなるための影なる準備も半端ないことがわかった。

瓶詰でもらったけど、その煮沸方法や詰め方なんかが、完全にプロ。

素人ジャムはそこまでしてないし、市販されているものも恐らくそこまでしていない。

薬なんかでもろもろ解決というか、手間を省いているというか。

とにかく、ものすごく手間暇のかかってるジャムだというのはよくわかった。

次に作りたいジャムの構想もいくつか教えてくれたけど、

ジャムひとつで、そんなにも可能性があるとは信じられない位、斬新なアイディア満載だった。

おそらく、そのジャムが具現化したら、日本で第1号のジャムになれると思う。

ひでとはもうかれこれ10年近い付き合いになると思うけど、

これまでのひでの中で一番雄弁で多弁なひでだった。

ジャムに込める思いや気持ちが半端なく強いことはびしびしと伝わってきた。

本当に好きなんだろうことは、そうは言わなくてもすごくよくわかった。

最後に、ジャム作り楽しい?って聞いたら、

「楽しいよ。もちろん♪♪」と返ってきた。

2015年2月4日水曜日

感情を学んで良かったこと

元々人間の心理というものに興味があった。

小学校の時も、中学校の時もいじめられた。

今のテレビ報道されるいじめとそう変わらない内容だった。

恐喝されなかったくらいではないかなと思う。

どちらの時もそうだったけど、わたしは誰にも相談できずにいた。

中学の時は担任の先生が気付いてくれていてよく声をかけてもらっていたけれど、

わたしは大丈夫じゃないくせに「大丈夫です」の一点張りだった。

誰かに話したいのに、聞いてくれる人には話さない。

でも、自分から切り出すほどの勇気もない。

なんだかうまくない自分が嫌だったけど、自分でもどうしていいのかわからなかった。

その経験がわたしを心理への興味に突き動かすのだけど、

大学の時に心理学をちょっとだけ勉強したら(専攻は福祉だったから、その兼ね合いで心理学も

いくつか必修科目として取った)、随分と思っていたのとは違っていた。

まず、大まかに分けて理系文系とした時に、わたしは心理学は文系とばかり思っていたのに、

理系に区分されると聞いて驚いた。

実際に勉強してみて、たしかに興味深かったけど、理論とか方法論とか興味のない私には

もっと深めて勉強しよう!という気持ちにはならなかった。

社会人になってから、最初の仕事は子どもの心理も関係してくるものだった。

その時も再度具体的な療法の講座を受講したりしたけど、これもまたしっくりくるものがなかった。

わたしが心理ではなく、感情や自分の内面を本格的に勉強し出したのは、31歳の時だと思う。

このまま今の人生を続けたらやばい、お先真っ暗だ、なんとか自分の人生を立て直さねば・・・

といういわば強迫めいた感じで、そしてコーチングという言葉も知らないまま、

わたしはたまたま見かけたホームページの内容に惹かれ、それで無料説明会に行ったのが

最初だった。

ほんの1時間くらいの時間だったかと思う。

だけど、そこで「何か変わりそう」という予感がして、その場で個人セッションを申し込んできた。

個人セッションを重ねるうちに、本格的にコーチングというものを学びたくなり、

コーチングを学んでいる最中、NLP(神経言語プログラミング)にも出会いそちらも学び、

それらを2年ほどがっつり学んでからは、そういう学びからは離れている。

離れてはいるけれど、感情や自分の内面を見つめる勉強をしといて本当に良かったと

思っている。


ここ数日、がっつり撃沈するようなことがあった。

初日は胸が苦しいまま眠り、2日目は思い出せば涙が頬を伝い、そして今日3日目にして

ようやく少し楽になったなぁというところ。

感情を学んでも、わたしはどちらかというと引きずりやすい方かと思う。

すぐに気持ちを切り替えられる人のうらやましいことと言ったらない。

ただ、切り替えにはなかなか時間を要するけど、自分の気持ちに居場所を作ってあげたり、

それらを無視せずにその時自分の内面に宿った感情に向き合えるようにはなってきたと思う。

そうしても安全だというのが自分ではわかるし、そういう見たくないものに蓋をする方が

後々に色んな負の影響をまき散らすから、その都度自分の中にあるものを見た方が健全だと

いうことがここ数年でようやくわかってきた。

今回もまだ100%すっきり!ということには達してはいない。

でも、次から次へと溢れていた色んな感情は、とりあえずちょろちょろという感じになってきたし、

あの大打撃の直後を思えば、随分と楽にはなってきた。

実際に起こったことは簡単に忘れられるものではないし、完全に癒すにはもう少し時間が必要だ。

もし、わたしがそういう感情の学びをせずに今回のような出来事に直面していたら・・・

それはもっともっと大変なことになっていただろうし、

誰かを責めて終わりにしたか、自分の感情はなかったことにしたか・・・

そんな風にしたのではと思う。

芋づる式に過去の色んなことも出てきてしまったけど、それらも含めて今だから向き合えるの

かもしれない、とちょっとだけプラスに考えるようにして今自分を見つめている。


長い長い年月の中で、わたしが本当の興味があるのは、そういう自身の内面や感情と向き合う、

そのことのような気がする。

難しい理論や手法は、勉強したところで、自分以外の誰かには使えても、

自分自身には使えない。弱ってる時に、そんな小難しいものを使ってる余裕などない。

わたしはおしゃべりが好きだし、人と話すことも好きだけど、自分に起こったことや感じていることを

誰かに話すのは相変わらず苦手だ。

自分の中で消化するパターンが多い。

だからこそ、自分の内面や感情を見ることに興味と言うか必要性を感じているし、

それで救われてきた自分もいるから、それって大事なことだと思っている。

2015年2月3日火曜日

世界は繋がっている~シュウマイの包み方より

好きなメニューのひとつ、シューマイ。

餃子は自分で種作って包むけど、シュウマイはどうも難しそうでずっと敬遠していた。

なので、自分で初めて作ったのはほんの数ヶ月前だ。

あれから数回作ったけど、どうにもこうにも包み方がわからず下手くそのままだ。

クックパッドで検索しても、いまいちしっくりくる包み方がなくて、もうこれは練習あるのみとばかり

思っていた。

今日のメニューもシュウマイの予定で、とにかくもう少し簡単かつ上手に包みたいと思い、

動画を見た方が参考になりそうな気もして、youtubeで検索。

一番最初に出てきた人のものを見ていた。

これが本当に簡単そうで、多分今までの中で一番簡単かつキレイに包めそうだった。

ふと、投稿者の名前に目をやると、見たことある名前だった。

見たことあるというか、ある日の夜中眠れずに延々とネットサーフィンならぬ

アメーバブログサーフィンをしていた時に、読んで号泣した記事の作者と韻が同じだった。

文字はどんなか忘れたけど、韻が同じなのは偶然かと思っていた。

この方、シュウマイの包み方を紹介しながら、自分と旦那さんの話を始めた。

その話を聞いて、すぐにあの号泣記事の作者と同じだとわかった。

その方のブログに辿り着いたのも、何がどうなってかは忘れたけど、

とにかく文章力云々よりも、その中に込める想いが半端な強さではなく、

自分の言葉で思いの丈を紡ぎ、そして内容が命懸けの選択の末今あるというのが

ひしひしと伝わってきた文章だった。

しかも、とにかくたくさん投稿されている方だったので、その号泣記事をたまたま読んだのは

奇跡に近い確率だった。

余談だけど、こんな風に料理の手順をyoutubeで検索するのは今日が初めてだった。

まさかシュウマイの動画といつかの日に読んだ号泣記事の作者とが同一人物だったなんて。

なんて世界は狭いのだろうと思った。

そしてこんな繋がり方は、なんとなく甘美な感じがして、ちょいと凹んだことがあった1日の

ご褒美みたいでうれしかった。

2015.2.2 北風の強い日の夕方

2015年2月2日月曜日

新しい日記帳に出逢う

それはそれは不思議な出逢いだった。

次期日記帳を探して早1年半くらいになろうかという頃。

途中で1冊候補のノートを見つけ、実際に購入したけれど、紙の厚さが薄いのか、

水性ペンの黒は後ろのページに全て透けて、下手するとインクが滲んだ。

デザインが良かっただけに残念な結果で、また気を取り直して探しだした。

新しい年を迎える頃、スケジュール帳が文房具売り場の最前線を占めるようになると、

おのずと日記帳コーナーも例年充実する仕組みになっている。

期待したけれど、2015年もあっさりとその期待を裏切られた。

気長にまた探そうと思っていたけれど、これだけ探してもないということは、

もう自分の中の日記帳自体のスタイルを変更するしかないのかとすら思っていた。

日記帳として使えそうなノート、ゆうに千冊以上はチェックした。

店舗はもちろん、ネットでも延々とパソコンに張り付いて探し続けた。

オリジナルノートが作れる店なんかもチェックしたし、紙を扱う専門店なんかも見てみた。

外国製のノートも見たけど、これ!と思うような一冊がない。

かなりがっくりしながらも、とにかく探さないことには見つからないと思い、探し続けてはいた。


話は変わって、1月の下旬、東京へ弾丸日帰りツアーのように行ってきた。

お目当ては、東京ドームで開かれた東京キルトフェスティバル。

たったひとつの作品をどうしても見たくて行った。

当初行くつもりは全くなかったけど、家の近所に買い物に出ている途中、その見たい作品の

ことが頭をよぎって、家に帰って日程確認して電卓叩いて旅費を計算して、何とか自分の中の

予算内と予定内で動けると判断して行ってきた。

そう、わたしはキルトを見に行くのが目的で東京へ行った。

わたしが行った日は開催初日で、開場が午前11時だった。

それまで時間を持て余すのももったいなく、何か他の催し物がないかと色々チェックした結果、

「渋谷」にある陶磁器の美術館がヒットした。

渋谷自体、ごちゃごちゃしていて全く好きではないから、その美術館がなければ行こうとも

思わない場所だ。

だけど、東京ドームからそれほど遠くなく、適度に時間を費やせるところとなると、

その美術館はベストに思え(実際に良かった)、それで向かった渋谷だった。

まさかその渋谷で日記帳に出逢うとはつゆとも知らずに。

渋谷の駅に着いて、その徒歩15分という美術館への道を確かめるべく、駅が入っている

何ビルなんだろう?大きなビルの中を行き来していた。

その途中で、「文房具 伊東屋」の大きなポスターを目にした。

まぁどうせ日記帳はないだろうと思ったけど、来たはついで、美術館の帰りに寄ろうと決めた。

美術館を回った後、傘なしのわたしは雨の中また渋谷駅へ戻り、その伊東屋という店を探した。

そんなに大きな文房具屋ではない。

まったく期待せず日記帳コーナーに行った。

わたしはそこで今自分の手元にある日記帳に出逢うのだけど、一人で声をあげそうなぐらい

びっくりしていた。

まず、デザインが良い。

中身もシンプルで、横罫8mm(←これが一番自分の中でしっくりくる幅。店の売り物の定規で

測らせてもらった)、「 月  日」だけの日付入り、大きさも申し分ない。

4色あって、赤・紺・緑で迷ったけど、赤が一番しっくりして、それを買った。

多分これから10年ぐらい使うことを考えた時。

40代になった自分が、赤い持ち物を日常使いしていたら素敵だなぁと思ったから。

伊東屋は夕方妹たちと待ち合わせていた池袋にもある。

これからキルトを見に行くのに、手荷物は増やしたくなかった。

できれば池袋で購入できないものかと、店員さんに池袋に在庫があるか調べてもらった。

池袋にはございません、とのこと。

仕方ない、手荷物として日記帳は持ち歩くことにした。

ちなみに、間違ってあったら嫌だなぁと思い、あまのじゃく精神を発揮したわたしは、

夕方到着した池袋の伊東屋も見てきた。本当になかった。

そう、伊東屋の渋谷店でなければ置いていない日記帳だったことがわかった。


もう一度言うと、わたしが東京に行った目的は、キルトを見に行くこと。

さらに、時間を有意義に使うために選んだもう一つのイベントは、陶磁器を見に行くこと。

どちらも入口は日記帳とは無縁の場所だ。

そして今回は日帰りという、個人的には選択したくなかったけど、他の予定をずらせず

致し方なしに日帰りになり、はなから日記帳を探すなんて目的は組み込まなかった。

多忙すぎてどれも中途半端になると思ったから、日記帳も探したかったけどカットした。

自分の好きなことを追い続けていると必要なものがやってくる、とよく言われる教え、

それをものすごく実感した、新しい日記帳との出逢いだった。



写真上:左の茶色の日記帳が2005年~2014年使用の前代

2015年2月1日日曜日

断捨離熱ふたたび*スクラップブックの活用

年明けから、また断捨離熱がふたたび火を点けた。

11月に1日ひとつ何かを手放すことをほぼ毎日続け、

12月は毎日やるのはやめて、気が向いた時だけ…と気分に任せてやり。

1月に入って、ふと部屋の中を眺めた時、物が溜まりやすい場所に意識が向いた。

ずっとずっと知っていた、その物が山となる場所のこと。

要は、行き先の定まらないものたちだ。

ひとつふたつの時は、そんなに気にならなくても、ある程度の数に達し山となると目障りだ。

目障りになると、わたしは自分の視界に入れないことで、応急処置をする。

だけど、年も明けて気分が少し新しくなった時に見ると、非常に気分が悪い。

もう応急処置でごまかすのは無理だと理解する。

その山を片付けようということが、今回の断捨離熱ふたたびのいきさつだ。

今回とこれまでの断捨離と大きく違ったのは、思い入れの強い品をいくつか手放したことだ。

人によって、どんなものが手放すのに勇気や決断がたくさんいるかは違うかと思う。

わたしの場合、思い入れのある物が断トツで手放し難いものだ。

今回うまく手放せたものを手放すに至るまでの心境について少し触れたい。

わかりやすいものが2つあるから、それを例にしてみよう。


ひとつは、選別したセミナー資料のファイルだった。

たしか秋口に、きちんと整理しようと思って山となる場所に置いといたものの一つだった。

ただ、これはそれよりも以前に一度整理をしていて、言うなれば自分にとって重要とか

必要とか今後も見返したいとか、何かしら強い意思の元で寄り集めた資料ファイルだった。

当初、ファイルごと丸ごと捨てることにかなり抵抗した。

だから、ひとつひとつ目を通して、必要なら残しどうでも良くなっていたのなら捨てようと思った。

結果として、本当に大好きな人の講演会の資料と、昔関わった子どもが描いた絵のカラーコピー

以外はファイルごと捨てた。

時間の経過と共に、資料の価値が下がっていた。

内容は変わらないのだけれど、わたしの中で「不要」となっていた。

あと、資料の中には、嫌な思い出がよみがえる特定の個人の名前が出てきたりして

(わたしがメモしたもの)、それも手放すために大きく背中を押してくれた。

手元に置いておくより、手放した方がすっきりする。

その感覚がイメージとしてかなりはっきり自分の中に描けたから、今回はすぱっと捨てれた。


もう一つは、書を飾る掛け軸だ。

社会人1年目~3年目くらいまでとってもお世話になった先生がいた。

その先生のご主人が書道家で、小さな詩をはがきサイズに書いたものを幾つかいただいた。

その先生のお宅に伺った時、書を飾る掛け軸を目にし、自分も同じ物を購入させてもらった。

かれこれ十年近い歳月に達した掛け軸だった。

わたしの普段の手入れ不足が掛け軸にもろに表れたし、そして書の方にも及んでしまった。

自分でも掛け軸が傷んでしまったなぁとわかった。

書は気に入っているから残して、掛け軸はもう「物」としての寿命を迎えたように思えたから、

それで手放した。

お役目が終わったんだという厳かな気持ちと、最後は「ありがとう」という気持ちで手放せた。


「書」の方の行き先は、スクラップブックになった。

掛け軸がないまま普通にその辺に置いたんではますます傷む。

これ以上傷まないよう、そしてその書にまつわる様々な思い出をこれからも思い出せるよう、

スクラップブックは最高の置き場所となった。

社会人になってすぐ位から始めた習慣のひとつだ。

とにかく、思い入れのあるものを捨てられないわたしは、例えばどこかに出掛けた時の入場券や

ちょっとしたお手紙なんかも捨てられない。

捨てられないけれど、どんどん溜まっていく一方だ。

そこで考えたのが、スクラップブックだった。

紙でできたもので残しておきたいものたちは、すべてスクラップブック行き。

大した量ではないから、かさばりもしない。

すごく便利な上、思い出も残せるし、時々振り返っては面白いものに遭遇したりして、

毎回色んな発見があって楽しい。

ちなみにこれを見た人が同じようにスクラップブックを真似してくれて、

人生で一番追い詰められて夜が明けることも怖ければ、前にも後ろにも進めないほどに

色んなことが行き詰まった時、そのスクラップブックを抱いて眠り、それがお守りのようになって

自分の身を守ってくれたと後日教えてくれた。

その人のスクラップブックには、家族の思い出の写真や手紙がびっしりと貼られたものだった。


断捨離関係の本によく書かれているけれど、物と向き合うことは自分と向き合うこと、

これをすごく強く感じる。

本当に必要なものだけが残っていくような気がする(今はまだ途中)。

わたしが最後まで残すものが何なのか、自分でもすごく興味がある。