2015年9月30日水曜日

退職を引き止められた理由

これまでも色んな理由で退職をしてきた。

「終身雇用」なんていう言葉がもう死語と化しているような今の時代、周りの人たちも多数、転職

経験者イコール退職経験者になっている。

退職時に引き止められることももちろんあったし、周りの人たちの話を聞いても結構な確率である。

ただ自分含めどの人の場合も、変な理由で引き止められることはほとんどない。

せいぜい人員不足だから、が今まで聞いた理由で会社側の都合だなぁと思った位。

今日、過去に一緒に仕事をしたことがある女の子に、急用があって電話を入れた。

というのは、派遣の仕事を探している最中に、その子が正社員で勤めている会社で急募の枠が

出てきて、派遣会社から「条件がマッチしている上に、過去にその会社でのお勤めの実績も

あるのでいかがですか?」と連絡がきた。

その会社だけはどうにもこうにも苦手で、派遣はなんとか勤め上げたけど、もう一度たとえ違う

部署でも行きたくないと思っている。

その関係でちょっと聞きたいことがあって、彼女に電話を入れた。

そうしたら先月退職したとのこと。

彼女はとっても出来る人で人間味あふれる人物だったから、わたしは素直に「辞められて、

良かったね!おめでとう!」と伝えた。

出来る人だから引き止められたでしょう?と思ったまま質問したら、

「辞めるのも大変だった」

と返ってきた。

彼女は上司に「自分の評価が下がるから留まって欲しい」というようなことを言われたらしい。

上司のことも知っているから、あぁいかにも言いそうだなぁと思って全くそれを不思議には

感じなかったけれども、そんな理由で部下を引き止める上司って最低だなと思った。

体裁とか保身とか昇格とか、そういうことがとても大切な会社のようにわたしには見えていた。

仕事の内容で勝負するというよりも、派閥争いで勝ち上がる風な感じだった。

創立がそんなに大昔ではなく、むしろ昭和か平成の境目あたりに生まれた会社だと思ったけれど

とにかく考え方が異常なほど古い。

古き良きものではなく、古き悪しきものを脈々と引き継いでいる感じ。

条件だけ見たら本当に申し分ない今回のオファーではあったけれども、これを1年限定でするに

してもあまりにも精神的ストレスがでかすぎて無理だなぁと感じた。

ということでこちらもお断りの電話を入れた。

ひょんなことから知った新種の「退職理由」。

最低だなぁと思ったけれども、これを知り得たことで条件だけではやはり働けないものだと

再認識するに至った。

今回はたまたまこうして具体的な言葉で会社の側面を見ることになったけれども、そういうものは

言葉にしなくてもどうしても雰囲気にのって表れてしまうもの、隠しても隠しきれないものだと

改めて思った。

2015年9月29日火曜日

条件は申し分なし…

昨日以前お世話になった派遣会社に電話して、こちらの希望を伝えて仕事を探してもらった。

けっこう好き放題に条件を伝えて、マッチするものはないだろうなぁと思ったら2件あると言われ、

それぞれの内容も教えてもらった。

とりあえず一晩考えます、と伝えて電話を切り、今日再度電話した。

2つのうちの1つは条件は申し分なかったけれども、そもそも月~金の通し勤務で毎日同じ人と

顔を合わせる、という形態の仕事を一度もしたことがないから、職場の雰囲気が気になった。

もし合わなければ、ある程度の長期はかなり厳しい。

そこで雰囲気と実際の仕事の時のフォロー体制について問い合わせた。

担当者不在で、数時間後に連絡がきた。

わたしもありのままの不安を口にし、この担当者もとても素敵で本当のところを教えてくれた。

なんとそのポジション、1年として人が続かないポジションとのこと。

仕事内容はさして大変ではない。

の割に時給が高くて何でだろうとは思っていた。

その続かない理由というのが、1人の女性が言うなれば性格に難あり、その人と合わず皆退職、

会社の採用者にとっても採用者泣かせの部署らしい。

ひぃー!と思って、そちらはとてもわたしも勤まるとは思えないと伝えて、残念ながら見送り。

会社も辞めさせるに辞めさせられない事情があるのだろう…と思った。

関係ないけれど、派遣に行っていた当時学んだことの1つに、本当にコネ入社なるものが存在

するということ。

そして大抵のコネ入社の人というのが、おそろしく仕事ができず、本来なら辞めさせたいだろう

人物でも会社もコネの関係でやめさせられない、という感じだった。

中には、わたしでも知っているような社名のぼんぼんとされる人もいた。

そんなこんなで仕事は断り、また振り出しに戻って探している。

探しながらも、本当は違うんだろうなぁと思っている。

2015年9月27日日曜日

素敵なご夫婦

マイブームの夕焼け観察が止まらない。

今日はスーパームーン満月の前日で、月もとってもきれいなまんまるお月さまを観察できた。

観察地点から我が家へ戻る道中、1軒のスーパーがある。

そのスーパーの魅力は、①種類豊富で新鮮な魚の赤札、②鮮度良い状態での野菜赤札、

③たまに肉、④調味料や日持ちする食品の特売があり、とりあえずチェックで立ち寄る。

今日ももれなく立ち寄ったわけだけど、そこでとても素敵なご夫婦に遭遇した。

年の頃は、40代、いっても50代かな?と思う。

パッと見、夫婦二人で子どもはいなそうな感じ。

旦那様はとりあえず服は着れたらOK、髪は邪魔にならなければOKという格好。

奥様は特別美人とかいうわけではないけれど、良識ある大人の女性という感じだった。

日曜日で単なるスーパーの買い出しでも、部屋着ではなく外に出掛ける肩のこらない服をきれい

に着ていた。

なぜそのご夫婦が目に入ったのかというと、私は完全なる特売品&赤札狙いで行っているところ、

わたしが回るルートにほぼそのご夫婦が必ずいる、という状態だったから。

こんなにも自分と見るものが似ている人に遭遇するのも珍しい。

最初は野菜コーナー。

旦那様が「この玉ねぎ安いから買いだね!」と奥様に言っていられた。

そのご夫婦が立ち去った後わたしも見てみると、なんと北海道産玉ねぎ1kg100円!

何この安さ!と思い、玉ねぎの在庫はたっぷりあったけれども自分も買うことに決定。

かごは持たずに入店したけれど、かごを取りに一度入口へ戻った。

この時すでに時間差があってもいいものの、次の魚コーナーでまたご夫妻に遭遇。

夕方の半額シールオンパレードの場所。

奥様が半額の何かの切り身のパックを指しながら旦那様に

「これ、明日のお弁当にしようと思うけど、どう思う?」と聞く。

旦那様の返事は聞かなかったけれども、多分OKが出たはず。

その後、干物系の魚のコーナーでまたもや居合わせ、そこでも半額シールの干物の購入の相談

をしていた。

次は惣菜コーナーだけれど、この店惣菜だけはなぜか強気で絶対に赤札を貼らない。

わたしもぱっと見るだけで終わりだけど、どうもその夫婦も同じようにすたこらさっさと通り過ぎた。

次が肉と、豆腐系&牛乳や飲み物系のワゴンが隣り合わせになっている。

わたしが肉を見ていたらまたそのご夫婦が登場。

一目散にワゴンの赤札コーナーに二人で行っていた。

何か買ったのかどうかは知らないけれど、その場に二人で一目散に行くのが素敵だった。

その後わたしは特売の日持ち系食料がないか店内を点検していた。

つい先日はソースが切れて、たまたまソースが500ml128円!という安さで出ていた。

そういう特売は意外なところにぽっとあるから、それで店内を回る。

今度は旦那様だけに遭遇。

どうも考えていることは同じらしい。

特に何かを買おうとはしていないけれども、丁度タイミングよく安ければ!みたいな雰囲気だ。

レジのタイミングも一緒、その後の袋詰めのタイミングも一緒、わたしは徒歩だけれど、ご夫婦は

車できていた。

どちらにしても駐車場を横切らないと歩道にはたどりつけないから、ご夫婦のあとを追うように

わたしも歩いた。

ここまで徹底した赤札教(?)の二人が、どんな車に乗るのか興味津々だった。

悪いと思いつつも、そのご夫婦が自分たちの車を見つけるところまで見届けたかった。

運よく道中にご夫婦の車があって、わたしの想像以上に素敵な車に乗られていた。

多分二人ともが好きな外国製のメーカーで色で形なんだと思う。

高級車ではないけれど、こだわって買ったのだろうと思える一台だった。


この夫婦がとても素敵に見えた理由。

まずはお金の価値観がとても似通っていてそれを共有できること。

雰囲気からして二人ともしっかりお金を稼いでいるかと思う。

お弁当の会話からしてもそうだった。

だけれど、使うところと節約するところをきちんと分けていて、そして安ければ何でもいいではなく

きちんと品定めしながら二人で選ぶところも良かった。

鮮度もそうだし好き嫌いももちろん含めてずっと二人で会話しながら選ばれていた。

少なくともわたしは初めて、夫婦そろって赤札を狙うようにして一緒に見て回る人たちを見た。

夫婦揃って赤札を見ていることはほとんどないはず。

旦那さんは適当にすぐ隣りにいるだけか、又は夫婦一緒に見て回っているようで会話ないとか、

又は夫婦揃っての価値観ではなさそうだけれどとりあえず赤札コーナーは一切寄らず、しかも

定価で買うとか。

それが普通なのかもしれないけれど、実はそういう小さなところだけれど日常にぴったりと

くっついている価値観を共有できるってすごく大きいことだと思う。

奥さん一人での買物なら、多分この肉は魚は選ばない気がする…という光景はなんとなく伝わる。

わたしが今日見たご夫婦は、何にお金を使いたいか、また安いものを買うならどれだったら自分

たちも美味しく食べられるのか、その辺りを実に事細かに話しながら買物されていた。

街中でこのカップル・夫婦素敵だなぁという人たちは出くわす確率が高いけれど、スーパーでこの

ご夫婦素敵!と思う人たちに出会えたのは、よく考えたら今回が初めてだった。

2015年9月25日金曜日

菜箸の便利さ、なくなって初めて知る

今のアパートに引っ越してきた当初菜箸は1セットのみだった。

それで困っていなかったし、不便にも感じていなかった。

今から3~4年前、友達2人が名古屋まで遊びに来てくれた。

その時に立ち寄ったお店で見た菜箸がシンプルでおしゃれな感じがして、しかも値段も100円

以下と申し分なく、お持ち帰りすることにした。

それ以来2セットの菜箸を使っていた。

後釜の方は、箸先が細すぎて当初はその細さが気になった。

菜箸なんて何でもいいかと思いきや、使いやすい細さというものが存在することを初めて知った。

かと言って使い勝手が悪いわけでもないから、そのまま使い続けた。

そのうち細さも以前ほどには気にならなくなっていた。

ところが先日、わたしの使い方が悪かったのだろう、その後釜の片割れの先っぽが折れた。

最初先っぽが変だなと思ってそのまま使い、やっぱり何か変と思ってよく見たら折れていた。

さすがにそんな状態では使えないから、後釜菜箸とはサヨナラした。

しばらく、ここ2~3週間は引っ越してきた当初と同じように初代の菜箸だけで乗り切っていた。

元々1セットしかなかったのだからそれで良いだろうと予想していたことと反して、いつの間にか

わたしは2セットの菜箸に慣れていた。

1セットしかないと至る所で不便が生じた。

これだけ断捨離だなんだと色んなものを手放している中で、初めて手放してから「不便」と感じた。

これも断捨離開始してから初めてのことだと思う、新しい菜箸を迎え入れることに決めた。

今日買ってきたものがこちら。


いつだったか別の100均で見かけた時以来、使ってみたいなぁと思っていた。

シリコン製の菜箸も初めてだけれど、上の方に計量スプーンと煮えたかどうかを確認するための

フォーク的なものも付いている、この初めて見たタイプのものが気になって仕方なかった。

自分のものぐさ度を告白すると、ここ数ヶ月でわたしは菜箸の両端を使うことを覚えた。

本来使う下の方はすでに何かしらの味が付いている。

インスタントコーヒーをお湯で溶かすのに、スプーン出すの面倒だなぁ…なんて思うと、菜箸の

頭のきれいな方を使って混ぜたりしていた。

料理の時も、毎回ではないにしても時々は上も下も使うという荒業を駆使していた。

実際、少しの調味料を足すのにスプーンを出すのは面倒!という時はたくさんある。

得意の目分量で気を付けて足していたけれども、これからはこの菜箸のスプーンを使える。

本当に使い勝手がいいのかどうかは、これから使い始めるから正直わからない。

ただ、ちょっとした冒険で今回の菜箸を試しに使うのもありだなぁと思っている。

関係ないけれど、初代菜箸の丈夫なことと言ったらこの上ない。

多少歪んでいるものの、使い勝手は常に抜群。

いい具合に使いこまれた色になっていて、それも見ていてほっこりする。

初代菜箸に負けない位に、このニュー菜箸が活躍してくれるといいなぁと思っている。

2015年9月24日木曜日

電子書籍デビュー

ひょんなことから電子書籍デビューをすることになった。

これまで「電子書籍」イコールそのための道具をまずは購入し、そしてその後電子書籍を購入する

という流れのものかと思っていた。

電子書籍のためにわざわざ道具を購入するのは面倒くさい。

iphoneで対応できるかもしれないけれども(←ちなみに今回調べたらできるらしい)、そもそも

iphoneでの日常使いで毎月容量いっぱいに使ってしまい、さらなるプラスは足すつもりなし。

それに電子書籍を購入してまで読みたい本などなく、何のメリットもないと思って無視していた。

ところがどうして電子書籍デビューをしたのかというと。

「honto」という、大手書店とアマゾン的なインターネット注文の両方を兼ね備えたサービスの会員

になっている。

時々クーポンが来たりして、丁度使う時期と重なると非常にありがたい。

そして今回来たクーポンで、電子書籍が先着●●名様まで無料で読めますとあり、その書籍の

選択肢の中に1ヶ月前に大型書店でたまたま出会った、いつかは全部読みたいなぁと思う本が

含まれていた。

これだけ世の中に大量の本が出回っている中で、たまたまその読みたいと思った1冊が含まれて

いたなんて、なんてラッキーだろう♪と心の中で小躍りした。

だから、その本欲しさで、ネットで「電子書籍」の構造を検索した。

どうやらパソコンでもいけるらしい。

とわかり、恐る恐るhontoのホームページから電子書籍用のプログラムをダウンロードした。

どうやらそれも無料らしい、でなければダウンロードするつもりもなかった。

無事ダウンロードも終え、お目当ての書籍も「無料購入」し、さぁどうなるだろうと開いてびっくり。

本当に電子書籍として、紙の書籍と同じようになっていた。

ただそれが紙媒体かパソコン画面かの違いだけだった。

いやはやびっくり仰天。

ちなみに無料で配布されていたのは全体の4分の1ほどで、残りはやはり有料とのこと。

全部読めないのは残念だけれども、とりあえずパソコンでも電子書籍を導入できると知れたのは

とても大きい。


話は変わるけど、多分こういうことでもなければ、わたしはあくまで紙媒体の書籍を買うだろう。

これは昔からの癖で、辞書も海外生活6年の間ずっと紙の辞書を使った。

電子辞書がどんなに便利なものでも、わたしには紙の辞書の方が何倍も良かったから。

紙の辞書の最大のメリットは、「単語の位置」を視覚的に覚えることだった。

一度で覚える単語はまだしも、何回も引かないとすぐに忘れてしまう単語というのがある。

そういう単語というのは、何回も引くうちに全体のページの右下にあったとか、左ページ側の中央

だとか、そういう位置を覚える。

これと語学力向上の関係性をわたしは説明できないけれども、これは電子辞書には絶対にない

大切な機能の1つ。

あとすごく役立ったのは、調べた単語の前後だけでなく何十もの単語が見開きのページにあり、

それらももれなく視界に入ることだった。

たまに興味深い単語があると、関係ないのに読んだりもしていた。

他にも、例えば補足で何か自分の言葉で足したい時、紙媒体の辞書には直接書き込める。

これもすっごく大事なことだったから、わたしは未だかつて一度も電子辞書を使ったことがない。

さらに言えば、使い方の用法なんかは、紙媒体の方が一目瞭然で見やすい。

電子辞書も年々バージョンアップしていて使いやすくなっているけれども、やはり紙で慣れた

せいか紙で用法をパッと見て必要なところをしっかり読む方が使い勝手がいい。

実はこれ、本にも同じことが言える。

本全体の真ん中あたりでさらには右のページとか左のページに書いてあったような・・・という具合

に時々本から情報を拾う時にそうやって使うことがある。

電子書籍は所詮1枚の画面でしかないから、そういう視覚とそして手に持った時の厚さというか

体感覚は絶対に再現できない。


そんなこんなで、今回はお試し的な感じでの電子書籍デビューとなったけれども、本当にお試し

一度限りで終わりそうな予感がしている。

2015年9月23日水曜日

人生の一期一会

3日前に友達から、友達の友達の死の報告がきた。

友達を介して一度だけお会いしたことのある方だった。

そのたった一度の機会だったのに、その時に彼女の作る彼女の祖国の料理をいただいた。

サバを煮たものとチキン、あととうもろこしか何かの粉を焚いてもちのように丸めたものを食べた。

それらを彼女は一生懸命周りの人に手伝ってもらいながら作っていた。

まさかそれから1年ほどして、こんな風に悲報を聞くことになるとは想像すらしていなかった。


昨日気分転換も兼ねて、市街地へ出た。

秋晴れの昨日は暑くて、額に何度も汗が滲んではつたった。

「生きる」ってこういうことなんだと思った。

今日は暑いなぁとか、足を右左交互に動かして歩くとか、そろそろ葉っぱが枯れてきたなぁとか、

そういうことを感じる日々の生活なんだと思った。

あまりに当たり前すぎるけれども、それが死んだらどれ一つもできなくなることなんだと、

自分の汗をタオルで拭きながら考えた。

歩いている途中、大きな公園の脇を通ったら、遠くから太鼓を演奏する音楽が聞こえた。

太鼓と金属を叩く音のミックスで、それが彼女を弔う音楽のようだった。

アフリカの音楽を友達から聞かせてもらったことがあって、それに雰囲気が似ていた。

これまで100回以上は通った公園なのに、そこで音楽の演奏を聞くのは初めてだった。

何で昨日のあのタイミングであの太鼓演奏を耳にすることになったのだろう。

太鼓の音が胸に響いて、何度も涙がこぼれた。


友達がメールの中で、

「生きてるうちに出会うってのもすごいね」

と書いていた。

本当にその通りなのに、何でそんな大事なことを自分は忘れちゃうんだろうと思いながら、

そんな大切なことを思い出させてくれた友達と友達の友達に感謝した。


誰かの死が訪れても、誰かが病気と闘っていても、わたしの今の人生はわたしのペースで

続いていく。

続いていくことに何の疑問も普段は抱かず、満足も後悔もすべてが薄っぺらい感じで過ぎてく。

そうそんな風だったのに、この数日で真面目に自分の命だとか生き方を考えさせられる場面が

いくつも続いた。

答えを出さなければいけないことも、一歩を踏み出していくことも、気持ちがついていかなくても

そういうものが出てきた。


誰かの死とかお別れは絶対に喜べるものじゃない。

だけどそれらが伝えてくるメッセージというのは、どれほどの影響力があるのだろう。

友達が友達の友達の死と対峙して伝えてくれたこと、昨日は何度も何度もそのメッセージを

読み返した。

2015年9月21日月曜日

切干大根を煮て気分転換

決める必要があることは、今も決断できず宙ぶらりん。

母親に電話で相談するも、思い出したよ我が母、基本は自分のペースで話をする人。

相談どころか余計な言葉が出てきて、電話は終了。

友達からは悲報が届く。

わたしの直接の知り合いの人ではないけれども、友達を介して一度だけお会いしたことのある人。

返答を考えられるような頭の働きも期待できず、とりあえずまだ返事はしていない。

昨日の怒りは収まり落ち着いたけど、自分のことが落ち着かず気持ちも沈む。

今日食べたものがひどい。

おととい大量に作ったカレーピラフ→ポテトチップス→小さなクロワッサン。

クロワッサンにはコーヒーが合うなぁと思いつつも、お湯を沸かすことすら面倒くさくて断念。

またカレーピラフ→ポテトチップス→小さなクロワッサン。

同じものを2回も繰り返す。

出たな過食星人!と思うも、このうまく発散できない色んなものを前にどっと疲れる。

寝て忘れよう作戦を決行。

余計と頭が重たくなるばかりで、解決どころか悪化する。

夕方それはそれはきれいな夕焼けだったけれども、こういう時は感動も薄い。

ここ最近見た夕焼けの中では一番きれいだったけれども、それに響いていない自分。

そんなこんなだったのに、突然「切干大根を煮よう!」と思い立った。

起きてから12時間は経過しただろう。

切干大根は、10年以上も前、友達のお姉ちゃんが作ってくれた切干大根サラダがあまりにも

美味しくて、それ以来ずっと切干大根はサラダしか作ったことがなかった。

今回サラダにはせず煮ようと思ったのは、おそらく1年は経過したと思われる母お手製の

正真正銘の切干大根を使おうと思ったから。

通常スーパーに売られている切干大根は白い。

母お手製のものは、どうしたらこんなに茶色くなる!?と言いたくなる位の茶色だ。

まるで最初から煮込まれたような茶色で、これが果たしてサラダに合うのか疑問だった。

色もそうだけど味がどうなのかわからず、とりあえず煮たら誤魔化せると思って作ってみた。

水で戻したら、それはそれは濃い茶色に水が染まった。

ぎょっとするような色だった。

先ほど煮たら、普通に美味しくできていた。

一緒にさつま揚げも煮たけれども、さつま揚げは今は亡き義理のおじさんの母が勤めていた

加工食品の会社のものだった。

何がどうしたら新潟の加工食品の会社のものが名古屋のスーパーに並ぶのかわからないけど、

昨日買物に出たら「半額」で出ていて2パック買ってきた。

普段見かけないパッケージ+実に立派なさつま揚げでどこのものだろうと見たら、その馴染みの

ある会社名が目に入った。

毎年正月になると、義理のおじさんと母の妹にあたるおばさん夫婦は、その加工食品のカニカマ

をお歳暮で母たちの実家に持ってきていた。

わたしたち子どもはおなかが空くと、仏間の前に置かれたそのカニカマが大量に入っている

段ボールから勝手にカニカマを拝借し、おやつ代わりに食べていた。

あの会社だ、と懐かしくなった。

そんなこんなで切干大根煮ながら過去の記憶巡りなんかをしていたら、ふっと気分が変わった。

相変わらず決められないし、友達から届いた悲報の返信も思いつかないし、食べ過ぎたせいで

おなかも重たいし。

それでも明らかに1時間前よりも気分は楽になって、そして今気付けばこうして書いている。

2015年9月20日日曜日

怒らずにはいられない

怒って頭が痛くなるなんてあるだろうか。

久しぶりにカチンときて、怒り心頭となった。

事の発端は、ちょっとした尋ね事をされた。

尋ね事は一言だけれども、それを返答するわたしはそれに答えるのに1時間弱の時間かかった。

変なことは書けないし、少なくとも自分が招いた事態だったから真面目に答えようと思った。

「時間を返してくれ!」と言いたくなる位に、相手はさらりと受け取って終わった。

しかも尋ね事は、ものすごく専門的な内容だ。

はっきりと「本来なら有料です」とも伝えた。

ただわたしの最初の伝え方がまずくて起こったとも解釈できることだったから、できるだけ丁寧に

返事をしようとは思った。

なのに、なぜそんなにさらりと終われるのか。

ものすごい感謝して欲しいとかではない。

でも少なくとも、1時間コースの力作回答に関して、何かしら言葉があってもいいだろう。

思い付きで聞いてきたのかはわからないけれども、本気でむかついた。

聞かれたことに対して、それはそれは丁寧に返答した。

ありとあらゆる可能性の答えを並べた。

これ参考になる、というものも紹介した。

そこまでして何もないというのは、もう相手の人間性を疑いたくなる。

というか、もう金輪際関わりません、と速攻で決めた。

「裏切るのも人なら、救ってくれるのもまた人」という友達の名セリフがある。

友達も誰か年輩の人から教えてもらったらしい。

わたしも今はその言葉を念仏のように心の中で唱えて、怒りを鎮めようとしている。

2015年9月19日土曜日

雑巾交代

3日前、とうとう台所専用の雑巾の一部が破けた。

そろそろ次の雑巾をおろさないといけないかなぁと思ってからそんなに経たずにその時を迎えた。

今のアパートには掃除機がない。

当初から物を増やしたくなかったのと、掃除機は場所も取るから余計と手を伸ばさなかった。

結局この6年、ほうきと雑巾だけでほぼ全ての掃除をまかなっている。

トイレや風呂場のような水回り系だけは、それ専用の別のブラシやスポンジがある位。


台所に関しては、最初から雑巾を使っていたわけではなかったと思う。

キッチンタオルを使った時もあったような気がするし、掃除用のスポンジで拭いていたこともあった

ような気がする。

今となっては記憶が定かじゃない。

台所にも雑巾をデビューさせたのは、ある年配のお友達に母特製の雑巾を譲ったことがきっかけ

だった。

うちの母は戦後生まれの人によくある「物を大切にする」精神の強い人だ。

物がない時代を生きた人だから、とにかく物を捨てれない。

顔や手を洗った後に拭くタオルもすぐには捨てず、それを雑巾にする。

母の雑巾作りの手伝いをした(させられた)ことがあるけれども、ただそのまま縫うのではなく、

タオルの縁の三つ折りに縫われている部分を最初ほどく。

数えられない位の回数を洗濯機でごいごい洗われたものだから、簡単にほどける。

その後はミシンや手縫いで雑巾にしている。

何せ雑巾を毎回大量に作るから、私にも数枚単位で母は渡してくれる。

でも、そんなにたくさん雑巾を使うわけではないから、ある時その年上のお友達に譲ったのだ。

話の途中でその雑巾の話になり、相手から「余っているなら欲しい!」と言われたのが最初。

その方は雑巾を見るなり、「これ絶対に良い雑巾よ!」と言われた。

それからしばらくして相手のおうちに遊びに行った時、至る場所で雑巾を使ってくれているのが

よくわかった。

もちろんキッチンでも使ってくれていた。

その時に

「この雑巾ね、使いこまれたタオルだからすごく柔らかくていいのよ。

新品のタオルで雑巾を作っても、雑巾としての柔らかさはないからかえって使いにくいのよ。

でもこれは柔らかくて握力のない私でも十分に雑巾を絞れるし、本当に重宝しているのよ。」

と言われた。

今まで雑巾なぞどれも同じと思っていたからびっくりした。

言われてみてから再度家でも使ってみると、たしかに柔らかいし、どこを拭くときも拭きやすい。

雑巾があまりにも普通に有能に働いていてくれてたから気付かなかったけれども、

言われてみれば本当にその通りだった。


それからはわたしも大量にある雑巾の1枚を台所でも使うようになった。

使ってみて、本当にあちこち遠慮なく拭き取れるし、汚くなっても気にならないし、床だけではなく

台所全般にも使い勝手が良いとわかった。

そして何代目かわからない雑巾がこの度限界に達して、雑巾交代の時を迎えた。

捨てる前日の夜、それは丁寧にガスコンロ周りを中心に掃除した。

最後のお役目となるだろう雑巾を最後の最後まで使いこんだ。

多分雑巾にとってもそれが本望だろうと思えたから。

昨日の朝、まだ乾ききっていない雑巾ではあったけれどもナイロン袋に入れて心で「ありがとう」と

唱えゴミに出した。


余談だけれども、わたしの中で「雑巾=臭い」だとずっと思っていた。

それは子どもの頃、学校で使う雑巾はいつも臭かったから。

牛乳をこぼして拭こうものなら、ものすごい悪臭が何日も続いて嫌だった。

でも、この雑巾生活にしてから、それはたった1つの手間で解決されるとわかった。

要は、使い終わったら石けんや食器用洗剤をつけて軽くごしごし洗う、そして干す、それだけで

臭いが全くなくなった。

再度雑巾を使う時、雑巾を濡らしても臭いは出ない。

こうして丁寧に使えば雑巾も長持ちするし、気持ち良く使い続けることができる。

2015年9月17日木曜日

繕いもの

「繕(つくろ)う」という漢字がとても好きだ。

分けて考えると、「糸で善くする」で「繕う」になる。

繕いものをする度に、まさに字の如くだなぁと思う。

今回も久しぶりに繕いものをした。

今回の主人公は、A4書類も楽々入る大きな布製のトートバッグ。


写真の通り、服とこすれ合う部分に穴が開いてしまった。

反対側はきれいなまま、いつも体と接触する内側の部分だけがとほほな状態になった。

最初布をあてようかと思ったけれども、手持ちの布で合うものがない。

ということで今回は、こんな風に繕ってみた。


繕う前


さらなるほころびを防ぐために周りを糸でくくる


モチーフ編みしたものを糸で固定する


完成


全体図で見るとモチーフが浮いた感じになるけれども、とりあえず穴を塞いだから満足。

今回も思ったけれども、毛糸はいかようにも誤魔化せるから、多少の失敗もわからなくていい。

図書館からモチーフ編みの本を借りてきて、2時間位で完成させたと思う。

毛糸の図案とか、根性で読解している。

普段の生活では見られない集中力を発揮する。

モチーフをバッグに糸でくくり付ける時も、適当にやって適当になるから助かる。

素人ゆえ、きちんとした方法なんかわからない。

だけどとりあえず思い付いた方法でやれば何とかはなる。


「繕いもの」の作業、好きだなぁと思う。

針と糸持って、縫ったり補強したり、あの無心になれる感じも好きだ。

今回のバッグは、1泊程度の泊まりにも使えるし、大きな荷物を運ぶ時も活躍するし、ちなみに

明日ノート数冊を持ち運ぶ予定があってそれでようやく繕った。


繕いものが増えるのは困るけれども、次の繕いものが楽しみ。

2015年9月16日水曜日

書ける喜び

今月に入った辺りから、アメブロの方に停滞期がやってきた。

書く気にならないのと、ネタはたくさんあってもどれも言葉にする作業を面倒に感じたのと、そんな

こんなの気持ちがしばらく続いた。

今も100%抜けたわけではないけれども、ここ数日のひどい状態からは抜け出せたと思っている。

多分停滞期の一番の理由は「なぜ書くのか?」がわからなくなったこと。

何かしらの動機がないと、途端にやる気がなくなる。

そしてアメブロはやらなくてもいいものだから、余計とやる意味がわからない。

もう止めてしまおうかと思ったこともあった。

ここに来て、少しだけ変化した。

とりあえず、その日思いついたことをそのまま言葉にすることにした。

言葉使いも、書く内容も、てんでばらばらだけれど、それでいいことにした。

若干、本来の方向性やスタイルとずれてると思ったりもしたけど、まぁいっかと開き直った。

そんなこんなを繰り返すうちに、また書くようになった。

無理矢理奮い立たせるのではなく、とりあえず淡々と綴っている。

しばらくは「今日は書かなくていいことにしよう!」を合言葉に奮い立たせてた。

それをしなくても、昨日や今日は書いていた。

自分でもどこでスイッチが入れ替わって、今の状態になれたのかはわからない。

だけど書けている。

久しぶりに「書ける」ことに喜びを感じている。

2015年9月15日火曜日

予言ノート

過去に書いた色んな備忘録を読んでいて驚いた。

「●年後、こんな風になっていたらいいなぁ」という妄想とも言うべき色んな夢を書いていた。

どれもこれも実現度は非常に低い感じが否めなく、まぁ誰も見ないからいいだろうと開き直って

書いただろう自分が容易に想像できる。

その中の1つが、今本当に叶いそうな状況になりつつある。

まじめに、冗談かと思った。


わたしは基本的に「目標設定」することがすっごく苦手だ。

自己啓発なんかによく「1年後、3年後、5年後の目標を書いてみましょう」なんていうのがある。

コーチングを習っていた時もしたし、何かのセミナーやワークショップでもしたし、本を読んで自分

で試したこともある。

ただいつの時も毎回手が止まり、空想というか妄想というか、そんな感じで書くしかなかった。

現実味も帯びてなければ、何とも言えない違和感を毎回味わって終わるのが常だった。

当時書いたものもそうだ。

さらにそういう先々の目標設定の時にたいがいセットになっている、

「そのために今からできることは何でしょう?」

というものにも、わたしは各目標につき1個だけ書いていた。

これもまた適当加減満載だったけれども、なんとその今からできることをわたしはやっていた。

書いてすぐにはしなかったけれども、数ヶ月後、突然エンジンがかかってやり出していた。

そしてそれを延々ダラダラとやり続けていた。

すべてが点と点でしかなかったことだったけれども、突然「線」らしきものが出てきた。

そして今過去に書いたことが本当に起こりそうになっている。

それは行動したからでしょう!と言えばそれまでだけれど、夏休みの宿題にはじまりこれまでの

色んな仕事をぎりぎりでやっていたわたしからしたら、何か1つのことを継続したこともすごいし、

それが形になりだしていることも前代未聞に近い。

これ予言ノートじゃん!と一人で勝手に思ってしまった。


もちろんその書いたことが本当に実現するかどうかはわからない。

一応わたしが返事をすれば実現するところまでは来ている。

書いた瞬間に色んなことをすぐに忘れてしまうけれども、本当に大切なことだと自分の中にいつも

ひっそりこっそり残っているのかもしれない。

意識に上ってこなくても、無意識の中でその方向に動いているのかもしれない。

2015年9月13日日曜日

流行りものこそ難しい

もう何ヶ月も前から書こうと思っていた「器使い」について。

毎日数記事は必ずチェックする料理ブログがある。

その先の広がりで、さらに新しい料理ブログを覗くことも日常茶飯事だ。

かれこれ1年位になるこの習慣、数ヶ月前からやたらと気になっていたのは食器。

料理ブログだけで言ったら、おそらく100以上のブログは見たかと思う。

たくさん見てわかったことは、そうした料理好きの人たちに人気のある食器というのがある。

特にここ最近は北欧系の食器がどうも流行りらしい。

たしかに、数年前、某スタイリストの方と某収納アドバイザーの方のそれぞれの普段使いの食器

の紹介で、まったく同じものが紹介されていたことは覚えている。

全然別の雑誌か本を見たのに、まったく同じものを使っているのは偶然だと思っていた。

それがこの1年ぐらいの日々の愉しみと化している料理ブログを見たことにより、数年前に見た

食器というのがとても人気のあるシリーズものだと最近知った。

百貨店などに行けば扱いのある食器で、例えばパスタとかを盛るような平たい皿1枚あたり、

五千円札を出しておつりがくる位の値段はする。

ブログを書いている人たちは、それらのシリーズものを家族の人数分揃えていたりする。

力の入れ方が半端ではないのはわかる。

ただ、いつも見ていて思うのは、その食器というのが実に難易度の高い食器だと思う。

形はシンプルだから使い勝手はそこそこいいとは思う。

ただ、形とは別に全てにおいて難しいのは、ものすごい奇抜なデザインか、もしくは原色に近い

カラフルな単色のどちらかを採用していて、ただ使えばいいという感じでは絶対にない。

そのデザイン又は色使いが独特すぎて、非常に使いにくそうに見える。

実際に、デザインの方で言えば、そのお皿をものすごくセンスよく使いこなせているのは1人2人

しかこれまでに見たことがない。

まずは、皿にのせる料理は相当限られる。

フライなんかの揚げ物はギリギリOKで、それ以外の和食は基本的に変。

使うとしたら洋食、しかもその洋食をセンス良く盛り付けないと、おそろしく変な構図になる。

わたしの勝手な予想だけど、原産国では多分、食卓にはどんと大皿料理がいくつか並び、

それらを銘々が自分の好きな量を取り分けるための取り皿として使うのかなと思う。

肉、サラダ、パンあたりなんかを適当によそうのが本国での使い方のような気がする。

実際にそういう盛り付け方だとその奇抜なデザインや色も変に浮いたりしない。

ちなみにわたしがもし仮にそのお皿を購入したとしたら、次はそれとセットで使う皿の購入も必要。

さらには、センスの良い人が作った献立そのままを模倣し、盛り付けも模倣しなければとてもじゃ

ないけど、使いこなせない。

わたしにはそれ位難しいお皿に見える。

あえて言えば、わたしはあの北欧食器特有の重さが苦手で、その時点で使い勝手は悪いから

まず手を出さない。

それは値段が安くても、やっぱり普段使いするには重すぎるから選ばない。


話があちこちに飛んでしまったけれど・・・、何が言いたかったのかと言うと。

そういう流行りだからと言って買っただろう人とそのデザインやお皿が好きで買っただろう人との

差がものすごくはっきりしている、と思っていつも見ている。

流行りの人は、まちがいなく「流行っている」という理由もどこかにあって買っていると思う。

ただそういう人たちの使い方は、「お皿泣いてるよ」って言いたくなる位にひどい。

センスの問題よりも、「好きで使ってます」という部分が欠落しているような気がする。

要は見た目が良いからという感じだろうか。

本人の雰囲気に合わないブランド物のバッグやアクセサリーを身につけているような感じだ。

もっとぼろくそに言うと、お皿だけが妙な存在感を強調し、料理がすたれて見える。

そしてそのお皿は全体のコーディネート力をものすごく要求するタイプで且つ日本特有のちまちま

おかずを盛るための小皿や小鉢と組み合わせるとなると至難の業。

だから北欧食器の皿だけがやたらと目立ち、他のものがちぐはぐしている。

他のものも流行りものに手を出したのが丸見えな人もいるから、そうなるとさらに奇妙だ。

料理そのものよりも、全体の変な組合せが最初に目に入ってしまう。

ブランドに喩えるなら、ヴィトンとシャネルとグッチを同時に身につけました、という感じ。

反対にその皿が好きで使っている人は、そのお皿が好きだというのがよく表れている。

そして普段の食事からそういう皿を生かせる料理のレシピを知っているし、それも無理なく普段

使いで色んな料理をのせている。

これを書くにあたり、ものすごいセンスが良いと感じる人の器使いを写真で何枚も確認した。

実はその人、和食の野菜炒めなんかも奇抜デザインの皿の上に盛っていた。

ただ、今回まじまじと見るまで全然気が付かずにいた。

それで何が違うんだろう?と思って観察した時に、その方はそれ以外のお皿の使い方も実に

上手で、そのお皿だけが浮かないような「調和力」みたいなのを毎日の食卓で発揮している。

そしてお皿を目で見て愉しめるような工夫もしている。

流行りではなく自分が好きなものたちを好きなように集めて、そしてそれらの器が互いに高め合う

ようなチョイスを自然としている感じだ。

ちなみにその方は普通のOLと兼業主婦をしている。

スタイリストとかそういう感じの仕事は一切していない。

本当に好きだと、こういう力も発揮できるんだ・・・と思った。


服でも食器でもそうだけど、「流行りもの」に手を出すのはけっこう難易度が高いと思う。

みんなが持てば持つ程、個人のセンスが問われる気がする。

物は「流行りだから」ではなくて、「好きだから」で選ぶ方が意外に無難だったりすると思っている。

2015年9月12日土曜日

本とわたしを繋ぐもの

今日気になって手にした1冊の本。

普段はクローゼットの奥にしまいこまれているけれども、突然読みたくなって出してきた。

ヒーリングをされる方の著書だけど、これがいつ読んでも今の自分を正したり、新たな発見が

あったりして、「先生」のような1冊だ。

気付かぬうちに表紙の白い部分が薄汚れていたけれども、これからも死ぬまで手元に置くだろう

1冊なのは間違いない。

この本は、自分で買ったものではなかった。

その本の中に出てくる「先生」と呼ばれる人物が講師として話すセミナーに申し込んだ際、事務局

から「当日までに読んでおいて下さい」ということで郵送されてきた本だった。

ヒーリングをするしないは別にしても、生きていく上でとても大切なエッセンスを伝えられている本。

これほどわかりやすい本をこれまでに見たことがない。

そしてどんなに技術やヒーリング界においてもさらなる発展が今後あっても、全てにおける本質を

ずばりついた内容になっているから、100年先も生き続けるだろう内容だと個人的に思っている。


先週ぐらいに図書館から借りた本の中に、料理家の小林カツ代さんのエッセイが1冊ある。

いつか本屋で立ち読みしたもので、図書館で見かけた時はうれしくなってさっと手に取った。

今見たら2014年の終わりに近い頃発行されているけれど、その頃カツ代さんがまだ生きていた

のか、すでに他界されていたのかは定かではない。

読んでいる途中だけれども、その中で明治生まれのカツ代さんのお父さんの話や、事故に遭う

うんと前の息子のケンタロウのことも出てくる。

ケンタロウとカツ代さんで神戸の震災直後(1995年)、二人一緒にボランティアで炊き出しをする

話が出てくる。

その時に葱とゴマを使った焼き飯を作り、そのレシピが本の中では紹介されている。

本屋で立ち読みした何ヶ月も前にそのレシピを知り、これまでに何度もリピートしている。

20年も前に、食糧が限られた中で生み出されたレシピ。

ただの通りすがりの一読者のわたしの目にも留まり、そのレシピが再現される。

時空を超えて、カツ代さんとケンタロウの共同作業が「活字」を通じてわたしの元へ届けられる。

そういう偶然による偶然を数えると、人生そのものの深遠さをいつも思わずにはいられない。


もう1冊、手持ちの本がかれこれ10日ほど手の届く位置に置いてある。

これも普段はクローゼットの中にしまわれている。

最初のヒーリングの先生のセミナーを紹介してくれた方ご推薦の1冊だ。

そしてわたしがコーチングのセッションを受けていた時のコーチも推薦してくれた1冊だ。

内容は対談集のような感じになっている。

対談は、1987年のもの、およそ今から30年前の話。

この本も最初のヒーリングの本とカツ代さんの本と同じで、内容は一切古くさくない。

むしろ、今読もうがあと100年後に読もうが、同じように不変的な真理を伝えてくれる1冊だろう。


本が溢れ返っている今の時代。

一瞬で消え去る本の方が圧倒的多数だと思う。

その中で、繰り返し読まれる本、ずっとこれから先も受け継がれていく本というのは、稀少だ。

そしてそういう本に1冊でも出逢えるというのは、とってもラッキーなことだ。


書いていてタイトルの『本とわたしを繋ぐもの』という言葉とここに書いた内容がちょっとずれてる、

そんな風に感じた。

タイトルを変えようかとも思ったけれども、今回はこのまま最初に浮かんだ言葉で通す。

例えば、「受け継がれる本」なんていう候補が今ふと出てきたけれど、やはり最初の言葉の方が、

なぜかとってもしっくりとくる。

2015年9月11日金曜日

80円のメインディッシュ

昨日の夜、ぱっと思いついて作った秋鮭とマッシュルームを使ったメインディッシュ。

食べながら原価計算をしたら、なんと80円!

「あら」と表示された北海道産秋鮭は50円の3割引で20円。

ブラウンマッシュルームとホワイトマッシュルームは、それぞれ1パック50円でおつとめ品コーナー

に出されていた。

それぞれ1パックずつ買い、昨日は半パックずつ使ったから50円。

あとは前に買った5玉で100円の玉ねぎを1/2玉使用=10円。

合計で80円!

最初にオリーブオイルで玉ねぎとマッシュルームを炒めて、玉ねぎがしんなりしてから酒に漬けて

おいた秋鮭を投入、最後は塩と黒コショウで味付け。

そうだ、中途半端に残っていたライムがあったことを思い出し、最後にライムを絞った。

ちなみに秋鮭の「あら」と言っても、通常「一切れ」で店頭に出すためにその形にならない部分の

寄せ集めという感じで、形は様々だったけれども、あの「一切れ」と同じ身厚の部分ばかりで、

とても20円で買ってきたとは思えない豪華さだった。

名前のない一期一会の創作料理だけど、もし名前を付けるとしたら、

「秋鮭とマッシュルームのソテー ライム添え」

とでもなるのだろうか。

そもそもそんな組合せのものたちがすべて家にあること自体初めてで、味付けもすべて思い付き、

ライムに至っては「このまま放置すると次気付いたら腐りそう」と思って入れただけ。

妄想で味を組み立てて、多分大きく失敗することはないだろうと思っていたけれども、出来は

それ以上だった。

ものすごく美味しい一品に仕上がった。

素材1つ1つの味も際立ち、さらに最後のライムが何とも言えぬ爽快感を足し、それが秋の季節

でも十分通用するさわやかな味わいだった。


だいたい思い付きでその場にあったものでぱぱっと作ると美味しいものが出来上がる。

代わりに、同じ組み合わせで再現できる確率は非常に低い。

普段マッシュルームを買うことはないし、というか今回手に入れたマッシュルームもなぜおつとめ

認定されたのかその理由も定かじゃない。

色んなスーパーの野菜コーナーや肉、魚のコーナーを見ていると、定価で十分いけそうなのに

早々とおつとめ品に出す店と、定価で売っていいの??と思うものを平気でいつまでも定価で

売っている店と、様々だ。

今回のマッシュルームは、なぜおつとめ品だったのか、しかも1パック50円!、お店の鮮度意識

が高いということにしておこう。

とにかく一事が万事こんな買物具合だから、手持ちの食材も毎回バラエティ豊か。

あとは手持ちのカードを見て何を作るのかは、その日の感覚で決める。

だから毎回名も無き料理が食卓に並ぶ。

ちなみに去年かおととし、そろそろ冬になる…という頃。

たまたま近所の八百屋で季節外れのゴーヤが売られていて、そしてちょうど柚子も持っていて、

ゴーヤと柚子のサラダを作った。

この夏と冬の食材を組み合わせたサラダはものすごく美味しくて、またチャンスがあれば作りたい

と思ってる。

2015年9月9日水曜日

ラザニアの思い出

自分でも気付いているけれど、食べ物の話題が最近多い。

当初このブログでは、食べ物の話は書かないつもりでいた。

このブログの主旨からずれているような気がしたから。

ただ、食べ物に関する自分の中の思い出や気持ちなんかはたくさんあるし、そしてそのために

新たなブログを開設するのはなんとなく馬鹿げていると思った。

それでいつだったか、「このブログの中では食べ物の話もOKにしよう!」と決めてからは、気付くと

食べ物話題が2~3回に1回は登場するようになった。

今回ももれなく「食べ物の話」。


昨日の夜、お気に入りの料理ブログの中で「ラザニア」が出てきた。

わたしは自分が一体いつラザニアを人生で初めて食べたのか記憶がない。

少なくとも大学生の頃だったのは間違いない。

ラザニアという洒落た食べ物は家で出てくることはなかったし、そして今ほど色んな種類のパスタ

が田舎町に流通していたわけではなかったから、母がラザニアを買って調理するなどということ

は絶対になかった。

わたしがラザニアを自分で初めて手作りしたのは19歳の頃だから、おそらくそれよりも前にどこか

で食べたのだろう。

ラザニアとは実に便利なパーティー料理だった。

まず見た目が豪華であること、なのに材料はシンプルでお手頃価格、多少の手間はあるにしても

作り方は簡単だった。

だから大学時代、ポットラックパーティーという名の持ち寄りパーティーでは、わたしはほぼ毎度

ラザニアを作った。

自分の家でも、誰か他の人の家で開催されても、基本はラザニアだった。

しかもラザニアの素晴らしいところは、ベジタリアンの人にも対応できるところだった。

要は、ミートソースをミート抜きの野菜だけで作ればいいから、たまに当たるNo Meatの会の時は

野菜ソースのラザニアを作っていた。

当時は、ベジタリアンの人も普通に周りにいたから、そこは少し気をつければなんとでもなる、

ということも学んだ。

映画『魔女の宅急便』で、「手作りのニシンパイ」のシーンが出てくるけれども、たしかにアメリカ

ではあの手のでかいオーブンが普通にどの家庭にも設置されている。

短期長期含め5軒はどこかのアパートや一軒家に住んだけど、どこもあのオーブンがあった。

だから当時はオーブン料理を数多く作っていた。

厚切り肉の丸焼きはもちろん、チョコレートケーキもあほみたいに沢山作っていた。

誕生日会のケーキなんかはオール手作りする位、料理にいそしんだ学生時代だった。


そのラザニアだけど、昨日の夜読んだブログを見て驚いた。

ラザニアというのは、本来ラザニア(パスタ)+ミートソース+ホワイトソースの3層が普通らしい。

そう、「ホワイトソース」も入っているのが普通と知り、それが衝撃の事実だった。

言われてみれば、わたしは「ラザニア」を、自分が作ったもの以外はおそらく一度食べたかどうか

でしかない。

しかも母は絶対に作らないから、家でも食べたことがない。

それでわたしは、自分の想像でずっとラザニアを作り続けていた。

まさか「ホワイトソース」もラザニアに必要とは。

もしかしたら一度だけどこかで食べただろうラザニアにも入っていたのかもしれない。

だけどミートソースの方が圧倒的に味が濃いから、ぼけてわからなくなった可能性も十分ある。

数ヶ月前のいつか、一度だけ余った餃子の皮を何とかするために、ホワイトソースも作っての

ラザニアもどきを作ったことがあった。

だけど、その時もミートソースの味が濃すぎてわからなかった。


実は、いつかイオンでフランスフェスタをしていて、たまたまラザニアが安く売られていて買った。

いつかは作ろうと今もまだ食管庫の中にしまわれたままになっている。

その時はミートソースもホワイトソースも手作りしてみてもいいかもしれない。

唯一「やろう!」という気分になれないのは、オーブンのせい。

あのアメリカ式のでかいオーブンが本気で欲しいと思っている。

電子レンジ機能もついたオーブンでももちろん作れるけれども、いまいち乗り気にならない。

将来の夢は、でかいオーブンが付いたキッチンを持つこと(笑)。

2015年9月8日火曜日

明日は社会勉強の日

明日はちょっとした社会勉強をしてくる。

どこの誰とも知らないある会社の方から連絡をいただいのは先週。

最初は良い感触を受けたけれども、メールでやりとりすること2回3回。

どうもわたしが当初抱いた印象とはだいぶ違う方向になっている。

だけど約束したのと、そしてこれまで関わったことのないある業界の裏側なんてなかなか見れない

から、興味本位で出掛けてくる。


連絡をちょうだいしてから最初返信するまでの間。

とにかくその会社と関わった一般の方の情報が欲しかった。

会社は当然良いことしか言わないはずで、その見えない部分を少しでも知りたくて調べた。

入口はそんなだったけれども、検索して最初のページに出てきた方がとっても良かった。

その方もブログをしていて、そのブログが何とも気持ちの良い文章で幾つも読んだ。

思い切ってメッセージを出し、ブログ上で繋がることができた。

そして、その方の返信メッセージがそれはそれは素敵で、久しぶりに「素敵な女性」と陶酔する位

だった。

言葉の使い方から表現方法まで、とても同じ人間とは思えない位の気品と気遣いに溢れていた。

その方はベールに包んだ言い方をされていたけれども、おそらく明日の社会勉強の先生は、

こちらが期待するような感じではなさそうだった。


どう転ぶかはわからないことだけれども、少なくとも今回のことがきっかけで素敵な女性の

ブログに行き着けたのはとっても幸運だったし、そしてなかなか見えないある業界の裏側を

のぞいてくるのは単純に楽しみだ。

すべては自分が発信したことで繋がり出したこと。

どんなことになっても、それはそれで1つの結果として真摯に受け止めたいと思っている。

2015年9月6日日曜日

味噌汁のおいしい季節

普段ほとんど味噌汁を作らない。

これは季節を問わず、たとえ秋や冬でも作らない。

全く作らないわけではないけれど、月に1~2回も作ればいい方だと思う。

理由は単純で、面倒なのと、一口コンロである以上味噌汁にコンロを占領されると他のものを

同時進行で作れないから。

それでも秋、冬になると豚汁やいも汁など汁ものをメインにする日もある。


今年の夏と秋はすごくわかりやすい形でやってきた。

7月の梅雨明けから8月の立秋に至るまでのほんの2週間強、強烈な日差しと気温上昇で、

ここ数年感じたことのない猛暑だった。

当時は残暑もすごかろうと個人的に予想していたのに、立秋を過ぎた辺りから暑さは和らぎ、

そして9月に入ったら突然の涼しさと秋雨前線が一気に押し寄せた。

9月に入ってもいつもの年ならまだ暑い暑いという日の方が多かったけれども、今年は暦通りに

天候が移り変わっている。

そのおかげか、今朝むしょうに味噌汁を作って飲みたくなった。

昨日たまたま出先で見つけた「山形のだし」。

きゅうりやなす、しそなど夏野菜を5ミリ単位で細かくしたものに「納豆昆布」と呼ばれる昆布と

あとは適当な調味料で味付けしたもの。

自分でも材料を揃えて作ったりしたけれども、各家庭によって違うと言われる味付け。

どれが正しいのかもわからず、ましてや本場の山形県のものなど食べる機会もなく、毎回適当に

作っていた。

自分で作ったものも美味しく食べたけど、昨日買ってきた「山形のだし」はレベルの違うおいしさ

だった。

市販品は何でも当たりはずれがあるから普段であれば買わないけれども、半額になっていて

お値段がとってもお手頃となり、失敗してもいいかと思って連れ帰ってきた。

もっとお連れすれば良かったと思う位に美味しかった。

昨日買ったお店が我が家からはとてつもなく遠いのがうらめしい。

今朝はそのだしと納豆を合わせたものに味噌汁を付けようと、起きてすぐの頭ですぐに決めた。

具は、キャベツ、かぼちゃ、車麩、ねぎ。

かぼちゃは両親の友達が畑で作ったもので、盆の帰省時に新潟から持ち帰ったもの。

母いわく、すごく美味しいかぼちゃと絶賛していた。

キャベツは、史上最高にまずいキャベツにあたり、それを消費するための苦肉の策。

旬のキャベツ以外はどれも大して味に差を感じたことはないけれど、今回は何がどうしたのか、

びっくりする位にキャベツがまずい。

キャベツは、玉ねぎ・人参に次いで1年を通してストックする野菜だから、買う回数も多い。

これまでキャベツを食べてまずいと思ったことは一度もない。

自分が味覚障害でも起こしたかと思うようなまずさで、まずいキャベツなるものがこの世に存在

すること自体に驚きを隠せなかった。

人生で一番美味しかった味噌汁は、ある男の子が海外でみんなにふるまってくれたものだ。

味噌はあってもだしはない、そんな中で最高に甘くておいしい味噌汁でものすごく感動した。

本人に作り方を聞いたら、とにかく野菜を煮込むこと、そうすると野菜からだしが出て甘くて

おいしくなるとのことだった。

それにならって、今日のキャベツと美味しいかぼちゃに期待をした。

残念ながら、キャベツは煮てもまずいままで全く期待には応えてくれなかった。

それでも、野菜がことことと煮込まれる音、野菜から出る特有のおいしそうな匂い、そして味噌を

加えた後の味噌汁特有の匂い、それだけでも十分朝から贅沢な感じを味わった。

一気に季節は秋めいて、気付いたら味噌汁が似合う季節になったんだと悟った。

かぼちゃはおいしかったけれども、味噌汁に使うにはもったいなさ過ぎて、残りは煮つけにしよう

と決めた。

車麩はおいしいけれども、味噌汁の中では変に主張が強すぎて、やっぱり車麩には車麩に合う

料理があるんだろうなぁと思った。

期待大だった山形のだし入り納豆は、これまたもったいないことをしてしまった。

納豆がだしの繊細な味を消してしまう。

だしはだしだけで、そして白ごはんと共に食べるのがベストだとわかった。

まだ山形のだしがあるうちに、今度はおいしい味噌汁をこしらえて食卓にのぼらせようと思ってる。

2015年9月2日水曜日

危険察知能力

知人のAさんから昨日の夜、突然メッセージがきた。

どうしたんだろう?と思って読んでみると、Aさんの友人Bさんが洗脳ではないけれども、それに

近い被害状況にあり(←Bさんは認識できていない)、その相談的な内容だった。

Bさんを洗脳?しているCさんという人物の名前も一緒にメッセージの中にあり、ネット検索した。

話がややこしいけれども、パソコン音痴のわたしが毎度お世話になっているサイトがあり、Aさんと

お茶した時にAさんも似たようなことで困っていて、役立つよ~と言ってあるサイトを紹介した。

そのサイト運営者をDさんとしよう。

Aさんのメッセージの内容からすると、AさんもDさんのサイトをよく活用していたようだ。

詳細は省くけれども、なんと見知らぬCさんとDさんが繋がっていたということをAさんがたまたま

サイトの中で見かけたそうで、もうその意味不明な繋がりに心底驚いた。


この記事の登場人物をおさらいすると。

・わたし
・Aさん・・・わたしの知人
・Bさん・・・Aさんの友人
・Cさん・・・Bさんを洗脳?している人
・Dさん・・・わたしがパソコン操作困った!際にお世話になるサイト運営者


CさんとDさんが一体どこで繋がったのかは定かではない。

ただ、それを聞いて「まさかあの時の!」と思った出来事が1つある。

さかのぼることゴールデンウィーク前。

Dさんは他県の方で、普段は自分の本拠地で活動をされている。

そのDさんが名古屋にきてパソコンやその周辺のことに関してのワークショップを開くということを

知り、参加しようと考えていた。

ところが、その開催日と同じ日に別の用事も浮上してきた。

時間もお金も丸かぶり状態で、その時は必要性が高いと感じたもう1つの用事の方を選んだ。

結果、Dさんのワークショップ参加は見送った。

もしかしたらそこでCさんとDさんが出会ったのかもしれない。

そこは憶測だからよくはわからないけれど、可能性もゼロじゃない。


そのCさんという人物。

今は「インターネット」という便利な道具があるおかげで、検索することができる。

Cさんの書いたブログをいくつか読み、「この人苦手」というのはあった。

ただ、驚くべき事実は、他人を洗脳するほどの負の力が強いということ。

もちろん洗脳される方にも原因はあると思う。

だけど、その洗脳する位のおかしな方向のおかしな力を持っている人とは、個人的に絶対に

関わり合いたくない。

その手のタイプの人は、往々にして、例えばわたしがターゲットならわたしが個人的に関係のある

人たちにまで手を出したりする。

実際にAさんがその一歩手前にあって、非常に困っている様子だった。

Aさんはかわしているけれども、実被害が出ているBさんの変貌ぶりはびっくり仰天レベルだ。

ぶっちゃけ、精神科入院レベルではないかと思う。


というような困った出会いも、少なからず可能性として含まれていたDさんのワークショップ。

いやぁ~、行けなくて本当に良かった!と心底思った。

そういうCさんタイプの人、数年に1人の割合で出くわす。

毎度はっきりと断るけれども、実にしつこい。

そして、脳内お花畑的なそういうタイプの困ったさん、社会の中での普通の感覚が大きく欠落

されているようで、まず話が通じない。

最後は電話やメールなどは「拒否」の設定をしなければいけないほどだ。


過去の例を出すと。

変な名字のけっこう年配の女性、母より少し年下かな?という人。

友達がこのイベント面白いから一緒に行こうよ!と誘ってくれて行ったところで出会った女性。

友達とその女性は全くの無関係で、多くの人が出入りしていたからわたしだけがたまたま話した

女性だった。

その時は全然悪い感じはなく、連絡先も交換した。

これがその後とんでもないしつこい電話攻撃を受けることになった。

その女性はある心理療法系の協会のようなものに属していた。

それも後で調べてわかったことだったけれども、その協会は実にやばい運営を行っている。

ねずみ講と一緒のシステムのようで、新規の会員を獲得するとその紹介者にお金が配当される

仕組みになっているらしい。

そうとは知らず、最初は単にしつこい人だと思ってた。

最後決定的に「拒否」を設定したのは、こんなことがあったから。

ある年のゴールデンウィーク、当初実家に帰省する予定はなかった。

ところが急用で新潟に帰省することになった。

そんな折、その女性から連絡がきて、こう言う。

「マスターレベルの人たちが集うセラピー体験会が神奈川県の○○市で5月4日にあるの。

あなたも一緒に行きましょうよ!」

と誘ってくる。

私は説明した。

急用で、急きょ(名古屋から)新潟に帰省することになった。

だからゴールデンウィークはずっと新潟にいるから行けません、と。

なのに彼女は引き下がらず、

「1日位いいでしょう?新潟からなら神奈川も新幹線で行ける距離よね?」

私は耳を疑った。

まず、「急用で実家に帰省する=家族の何かしらの事情がある」、と普通は解釈できる。

ましてや車で10分20分のところに帰るのじゃない。

いくつもの県を超えて、時間もお金もかけて帰るような距離だ。

それなのに、なぜその家族の事情を差し置いて、自分のことなどできようか。

しかも彼女、この会話を一度で終わらせず、もう何度も何度も繰り返した。

最後は渋々納得したのか、それともわたしが「今行かないといけない」とか適当なこと言って

電話を切ったのかは忘れた。

これがねずみ講だったらまだ許せたかもしれない。

何がたちが悪いって、この女性、心理療法を取り扱っているところが最高に悪かった。

こんなにも人の話を聞けない人が心理療法するってどういうこと?と思った。

ある種彼女もその協会とやらに洗脳された被害者の1人かもしれないけれど、いやいやその

社会的な常識を見失うほどの団体ってやばい!となぜ感じない??

この一件で、この女性が本当にやばい人だと悟り、それで絶対に連絡が取れないようにした。


これと似たようなにおいが今回のAさんからの話で出てきたCさんにも感じた。

5ヶ月前、まさかそんな展開が未来に起こるとは知らずに、ただ目の前の2つの選択の前でより

必要に感じたことを選んだだけだったけれども、それがこんな風に展開するとは!

Aさんから昨日メッセージを受け取るまで、わたしはDさんのワークショップを見送ったことなんか

すっかり忘れていた。

あの時のわたしは、もしかして何かの危険を察知していのだろうか(笑)?