2021年3月29日月曜日

春祝う満月


梅の花言葉
「高潔」「忍耐」「忠実」「気品」
「約束を守る」




これを書き始めた今も、うんと迷いながら書いている。


欲しいとも言われていない。


必要だとも言われていない。


私が考えて出した結論は、今日の満月の星読みをすることだった。


あくまでも「満月の星読み」だから、それならいいかなと思った。


もちろん私の自己判断。


これを書いているのは、月曜日の仕事が終わってとりあえずシャワーだけささっと浴びて、小腹が空いたからおやつ食べて、それで今日は集中力がいるのはわかるからテレビのある茶の間じゃなくて自分の部屋で、18時過ぎたあたりから始めた。


満月の星読みを思いついたのは日曜日になろうという土曜日の終わり頃だった。


占星術クラスメイトのノムが「月曜日は満月だよ」と教えてくれて、今回ほど満月だと教えてもらえたことのありがたさと言ったらなかった。


2週間近くになるのではと思うけれども、星読みをお願いされたいとそれとなくこのブログに書いた。


どうせ何も言われないだろうとわかっていても、ゼロではない可能性に賭けてとりあえず呼びかけてみた。


本気でお願いされたのなら、本気で私は星読みをしたし、土日飲んだくれていたけれども、アルコールフリーにして超真剣に星読みをしたと思う。


まぁ予想通り来なかったし、今年は冗談抜きで何も言われなかったら星読みは絶対にしないと決めていた。


そもそも頼まれてもいない人の星読みをするのは、土足で相手のお家に入るようなものだから、そういうことはしたくない。


そしていつかのブログにも書いたけれども、私の星読みは相手の人生の何か深いものを読み解くみたいだから、余計と本人の了解も得ずに好き放題に読むのは絶対に避けたかった。


だから、何も読まず書かず、今日という日をスルーする予定でいた。


それが一番失礼にならないし、無難イコール難が無いと判断した。


気になったのは、相手も気になっているのか何とかしたいのか、そういう気持ちがあるんだろうなぁとは思った。


年度末だし月末だし色々多忙だと思うけれども、気になってるか気にしてるんだろうなぁとブログの訪問記録的なページを見て思った。


何が読まれているとか、どのくらいの回数ブログが訪問されたかがわかる。


それを見ていて、気にはなってるだろうなぁと思った。


私じゃなくて星読みの方が。


でも、何も言われなかったら私は読まないし読めない。


うーむ、うーむ、うーむ……と色々考えた。


考えたところでどうしようもないのは知ってるけれど、それでも考えた。


で、もう何もないから読まないつもりでいたのなら、まさかの満月情報。


自分の生まれた時の太陽の位置に今日の空の太陽が戻ってくる、すなわちその年の誕生日に合わせて1年の個人の星読みをする手法がある。


それをしようかと思っていたけれど、まぁ頼まれてもなければ欲しいとも言われていない。


そんなのは読めない。


けれど、同じ日にまさかの満月となれば、満月の星読みはできる。


個人の今年1年の星周りを見るのとかなり似ている点がある。


全く違う点もたくさんあるけれども、とりあえず基本的な星の配置は変わらないからある程度読める。


だから、私は急遽満月の星読みをすることにした。


昨日日曜日の午後にも、「今やろう」と思っていきなりスイッチが入って読み始めた。


だけれど、上手くメッセージを紐解けなかった。


自分でも迷いながら、こんなことしていいんだろうかとか、迷惑や負担じゃないだろうかとか、そもそもお願いされてないものを星から読み解くなんて本当に人としてやっていいことなんだろうかとか、まぁああでもないこうでもないと行きつ戻りつしていた。


そういう邪念や思考迷路に迷い込んだら、当然星からのメッセージの受信率は低くなる。


だから昨日はキャッチできるところまででやめて、あとは今日になってから考えようと思った。


朝も30分くらいの通勤の車の中で、さぁどうしようかと考えた。


パッと思い浮かんだことを車の運転席のすぐ隣りにいつも常備しているメモ帳とペンを手に取って、赤信号の時にさっと書き出した。


今日に限ってやたらと青信号でメモもあまりできなかったけれども、1つだけ決めたことがあった。


きちんとした星読みをするというよりも、私のこの今の頭の中と心の中をそのまま書き出したらいいんじゃないかと。


どっちみち邪念だらけできちんとはメッセージをキャッチできそうにないから、それなら逆にこのああでもないこうでもないの頭の中と心の中をそのまま綴ったらどうかと思った。


一応理由はある。


満月のホロスコープ(星配置)を出してみて初めてわかったけれど、今日の満月というのは1つとてもレアな星の配置がある。


私は初めて見たし、おそらくだけれどそんなの一生のうちに何回も見れるものじゃないと思う。


何かというと、

【太陽+金星+キロン】

が全く同じ位置に重なっている。


太陽と金星は珍しくはないけれども、そこにキロンも重なるなんてまずない。


それぞれの公転周期は

・太陽1年

・金星225日

・キロン約51年

になっている。


3つが重なる確率はよくわからないけれど、そんな超レアケースな3天体合体みたいなこと基本的にない。


そしてそんな超レアケースが個人の生まれた時の何かしらの天体の上で起こるなんて、もっとない。


だってそれって普通に考えて、まずはキロンが今ある位置に戻ってくるのは約50年後で、当然その時だって誕生日は来るけれども、だから太陽とキロンは50年後のいつかも重なるにしても、そこに金星もピッタリと重なり合うかは知らない。


今調べてきたらそれはなかった。

(代わりに、50年後の今くらいは、もっと強烈な星の配置だった。キロン+冥王星)


だから、言ってしまえば、一生に一度しか無い。


そもそも誕生日の日に満月で、その満月の時に金星もキロンも太陽と横並びなんて、そんなの普通にありえない。


太陽も金星もキロンも色んな意味があるけれど、そんなの説明していたらいつまでもこのブログが終わらないから、ここでは一言でざっくりと説明すると。


【太陽+金星+キロン】

【人生の使命+愛+魂の傷と癒し】


魂が幾世もの人生を通過する中で重ねてきた傷、深い心の傷としてもいいと思う。


そこと使命、すなわち命を使う場所と、そして愛、そうしたものが全部組み合わさってのテーマがこの満月近辺で浮上している、と読める。


さらには、これが個人の誕生日(占星術では「太陽回帰」と呼ぶ)で起こっているなら、それはその誕生日の人の今日からの1年のテーマにも通ずる。


それがわかったから、星読みをしようと思った。


邪念だらけでも知識がないわけじゃないから、自分の感覚で読む。


そして、きちんと読むことよりも今回はこの邪念だらけの私の頭の中や心の中を書き綴る方がよりメッセージ?何かしら伝わるんじゃないかと思った。


邪念だらけでも人生なんとかなるもんだなぁでも、なんだか変なことばっかり書いているけれども普通に生きていけるんだなぁでも、色々バカなことばかりしてても今日一日が回ってるでも、なんでもいいから感じてもらったらいいんだと思った。


太陽はさておいても、金星キロンコンビは愛に傷つきまくりですみたいな感じで私としても決して積極的に読み解きたいテーマとは違うけれども(むしろ避けたい)、でもそれが何かに昇華してもらえるのなら喜んでネタは提供したいと思う。


誰かとの恋や愛に悩んでいるのかもしれないし、悩んでいなくてもモヤモヤするのかもしれないし、そうでなくても今仕事や私生活で大きく色んなことが変わろうとしていてそれがしんどいのかもしれない。


全く状況はわからないし、具体的事象は想像すらできないけれども、それでも私の中で「もし今が超絶しんどいなら、がんばれメッセージよりもクスッと笑えたりなんか心に絆創膏貼るみたいなのだったりが欲しいかな」と思って、それで最終的に今のスタイルで書き進めている。


最後に昨日今日で出てきたメッセージは一通り箇条書きにはするけれども、とにかくそんな意図を持って今日のこのブログは書いている。


もはや星読みでもなんでもない風だけれど、かしこまった風よりもいつものように話があちらこちらに飛びまくってそれで「何それ?」みたいな感じでもいいかなと思っている。


そうだ。


参考になるかわからないけれど、私の太陽の上に空のキロンが重なった時、どうなっていたかというと(さっき時期を調べてきた)。


職場内でめちゃくちゃ嫌がらせを受けて(業務に支障が出るレベル)、それでその仕事を契約更新せずに辞めようと決めて辞めるそのくらいの時期だった。


その時は本気で悩んだし仕事中あまりのイジメ具合に泣きそうになった時もあったけれど(実際にそっと涙をハンカチかティッシュで拭いた)、それが結局のところ私を今のこの場所にまで連れてきてくれる大事なターニングポイントになった。


それがあったから新潟に戻ることになったし、そして出逢いに恵まれた。


生きてることを全身全霊で感謝するくらいの出逢いに巡り合わせてもらった。


ということに繋がる前触れとしての事件が起こっていたのが、私の太陽と空のキロンがピッタリと重なっていた時だった。


次にその時を迎えるのは、80代後半から90歳くらいの時になる。


私はその時は(も?)しんどかったから、だからがんばれメッセージよりも寄り添うメッセージの方が心に沁みるように感じる。


もう十分すぎるくらい頑張っていて、それ以上頑張ることが良いかと言えばちょっと違う時もあるわけで、その時は私にしたら頑張るのとは違う方向に自分の目を向けられたのなら良かっただろうなぁと今だから思う。


色んなことがあって、「今絶好調だぜー!」だったのならば、多分私のブログなど見向きもされないと思う。


仕事でも愛でも人生でも自分のことでも、何か言葉にならないようなものがあったり、自分一人で抱え込むような状況だったりがあるとするならと想定しながらこれを書いている。


見当違いならすみませんだけれど、もし何かしら当たりなら、1つでもいい、何かこの中にヒントやホッカイロみたいな役割をしてくれるものがあるといい。


今寒いからホッカイロとかホットコーヒーとかあったら嬉しいよね!みたいなレベルのぬくもりを差し出せるような文を書きたいと思っている。(もうそんな風に意気込んでいる時点で何かずれてる気もする(苦笑)


とりあえず、ここから先は出てきたままのメッセージを出てきた順に書こうと思う。


そうだ。


この間、星読みのメリットを書く予定でいたにも関わらず、一番大事なメッセージが抜けていて、それを先に書いてしまおうと思う。


【占星術は自分の人生を肯定するためにあるんだなと思った。】


私は、星読みというのは、自分の人生を肯定するためにある、素敵で素晴らしいツールだと心底思っている。


私の色々世間的にははみ出しまくりで上手くない生き方も、自分の生まれた時のホロスコープを読み解くと、本当にそこに刻まれた通りの生き方をしている。


ホロスコープ的には100点満点と言ってもいいくらい、まんまの人生を生きている。


それは社会の中で歓迎されるような称賛されるような生き方では決してなくても、ホロスコープだけを見たのなら、いやぁその人生で大正解ですね!!!ってなる。


正直今でも自分の人生が果たしてこんな風でいいのかと問われると答えに窮するけれども、それでも星の配置とそこから読み解ける自分の人生の傾向を知って、これで良かったんだな、正解なんだなと思える。


自分の人生を肯定できる。


不具合だらけの人生に「それで正解だったんだよ、がんばったね自分!」と言ってあげられる。


星読みはそのためにあると思う。


自分の人生を肯定する。


星と自分の人生とを重ね合わせて答え合わせができる。


そこには一人一人ユニークな生き方や生きる方向性、性格なんかが刻まれている。


それで大丈夫!ってなる。


今回の星読みは、何一つ本には頼らず、100%私オリジナルの読み方をしている。


当たりハズレよりも、ひとつでもピンと来るものがあって心にそっと届いたのなら御の字だなと思っている。




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すべての出発点は自分自身だということ。


自分の心の中をのぞいて見る。

自分の心の中には何が映っていて、その映っているものが自分にとってどんな意味があるのか、そこに着目する。

世間とズレてるとか周りがどう思うだろうとかそんなのは今回は脇に追いやって、とにかく自分の目で見て自分の心で感じるものに命を吹きこむ。


心の傷、心のトラウマにスポットライトが当たりやすい。

ずっと奥深くにしまいこんでいた、もしくは沈みこんでいたものが浮上してくる可能性。

それは自分を苦しませるために浮上してきたのではなく、準備ができていつ浮上してきても大丈夫だから、そこに向き合う強さや心の受け皿が整ったから、ようやく浮上できるようになったもの。


それというのは、長年抱え込んできたものを昇華させるチャンス。

新しい土壌に新しい花が咲く、または新しい花の種を手に入れる。


奥に秘められているものへの扉が開く。それは自分の願いに通じているもので、普段は気付かなくても今は気付きやすい流れになっている。


自分を支えている自分の本心に気付いていくこと。


キーワード「自己対話」


恋愛、愛、自分の生きていく上での美意識、好きな人、そういうところと繋がっている感覚に対する傷が浮上しやすい。

過去に傷ついたこと、傷となってずっと残っていること、はたまた自分が傷つける側となって自責の念になっているもの、などなど、そういうものがふとしたキッカケで出てきやすい。

でもそれはさっきの話と同じで、より一層苦しむためではなくて、ここからはそれをバネにして生き直し、やり直し、再スタート、そういうものに向かうためのプロセスとして起こってくる。

そこに十分すぎるほどのエネルギーを使ってきたから、今度は自分の生きる力を自分の本心に沿ったものに添わせていく。


上昇すること、良くなることばかりが人生じゃない。


一気にやろうとしなくていい。

時間をかけて自分のペースで進むことが大事。


機が熟したから仕切り直し。


真っ白い紙にどんどんメモしていくように、良し悪しや要不要とか考えず、どんどん出していく。

選別するのは出してから。


自分が心で選んだものは、自分の喜びや生きる力に繋がっていく。

自分がしたことは、きちんと自分のところに返ってくる。



*¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆*・゚



最後に。


今回ブログをアップするしないについて私がアップすると決めた基準。


それは、私が星読みしたいかどうか、そして私がブログアップしたいかどうか。


こんなのまたアップして相手の目にはどう映るのかと考えたら恐ろしすぎて何度もやめようと思った。


だけど、最後はシンプルに

「私が書きたい、私がしたい」

それだけを軸にして決めた。


もうあと何回人生の中でこんな風にできるのかわからないから、今書きたいなら今書こう、今年はこうしたいからこうしよう、そうやって人生が終わる時を思って今のこの瞬間を選んでみた。




*¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆*・゚



誕生日おめでとう♡\(*ˊˋ*)/♡


良き1年となりますように*¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆*・゚

2021年3月27日土曜日

財布を新調




この度、財布を新調することにした。

それは1月くらいから思っていたかと思うけれども、新調したい割に探すのが本当に面倒くさくてやっと探した状態だった。


本当は誕生日から使い始めの予定でいたけれど、今朝(3/6)注文したら届くのは最短で誕生日当日で、まぁ仕方ないかとあきらめた。


逆に長い付き合いになるわけだから、これから長いこと財布を育てるつもりで、少しずつ使い始めるでもいいかなと思った。


あまりにもネットで探すのが面倒で、今回私が苦肉の策でしたのは、昼休みの15分くらいを使って仕事のマイパソコンから探すというもの。


それを週2から3くらいのペースを多分1ヶ月くらいして、そしてもうこれにしよう!と決めたにも関わらず、最後は別のものでさらには色も別の色を頼んだ。


楽天の購入履歴を見たら、なんと今の財布はあれよあれよと7年使い続けた模様。


職人さんが作ったもので、本当に丈夫で長持ちしてくれた。


別に次の1年も全然使えるけれど、この何ヶ月かで財布を新調したいなぁと思っていた。


革の色味とデザインがどうしても最後までピンとこず、実用性は抜群だったけれども、そろそろ替えてもいいかなと思ってようやく重い腰を上げた。


で、ネットサーフィン的に探してみての感想だけど、私という人はとにかくファッションとか小物とか、身に付けるもの全般に興味がなさすぎる。


服や靴なんかは、本当に使い古したなぁと思わないと又は必要に迫られないと買う習慣がない。


アクセサリーもピアスを付けていた頃はよく集めたけれども、金属アレルギーを20代の終わりに発症してからはとんと買わなくなった。


唯一、靴とサンダルだけは足のサイズの問題で、履き心地の良いものを見つけると即買いすることはあるけれども、そんなの2、3年に1回の話。


占星術の本とか食器・器類とかはずっと飽きずに見ていられるけれども、ファッション関係は壊滅的に興味がなさすぎる。


財布も一番のこだわりは、小銭入れがL型ファスナー又はラウンドファスナーかどうかで、そこがクリアできないものはすべて却下した。


関係ないけれど、『東京カレンダー』というサイトがあって、私はその物語や実話を読むのがツボでほぼ毎日ドコモのニュースサイト経由でチェックしているけれども(ちなみにドロドロした男女物語や色んな人間の価値観的な話が面白い)、とにかく不思議なのがブランドの名前がボンボン出てくること。


あまりに気になる時は、その聞いたこともない名前をコピペしてググるけれど、画像を見てもふ〜ん、って感じで終わる。


物でも人でも地域でも「ブランド」というのは大切なようで、それを大事に思うことは個人の価値観だけれど、だから何だろう?なんて私は思って終わっている。


だから、ファッションでもコスメでも興味ありありの人たちというのは、それだけで1つの立派な趣味なんだとこの年になって本当によくわかった。


私なんかは財布1つ探すのも苦痛だったわけで、しかも自分のフリーな時間に財布探しの時間を入れるのも嫌で、それで仕事の昼休みという時間も環境も限られた中でだったらようやく探せるという有り様。


別の人にしたら、こういう時間が楽しいんだろうなぁと思ったけれども、私はそういう感じには一度としてならなかった。


全12回の占星術講座の第2回目の時、どういう分野にお金を使うかというテーマを扱った。


私なんかは本当にその通りだけれど、目に見えないもの、それこそ占星術講座だのスピリチュアル的なワークショップだの、とにかくそうしたものにお金を使う。


学ぶというのとも違っていて、それをするのが自分にとって自然なこと、という感じ。


ホロスコープ通りのお金の使い方、購買意欲を備えてるわけで、反対に服やコスメ、ジュエリーなんかに全く見向きもしないのも頷ける。


さすがにジップロックにお金を入れて持ち歩く趣味はないから(この間料理家の平野レミさんがそうしてると関係者から暴露されてて本人も認めてた!)、財布は自分が気に入るものを持ちたいと思う。


思うものの探すのは面倒みたいな。


占星術のマニアックな絶版本は1冊の本に対して何百とサイトをチェックしたり、なんなら管理者に連絡を入れてまだ在庫があれば書いたいと申し出るくらいに動くけれども、そうではない興味のない分野のものは、日常を送るために動きはするけれど、やらずに済むならやらない。


だから財布を7年も使い続けていたことも今いま知ったわけだし、その間一度としてどのくらい使ったとか気にならなかったんだなぁと思った。

2021/03/08  誕生日3日前





財布は本当に新調した。


これにしよう!と9割心に決めていたものがあったけれども、直前になって楽天セールがあって割引適用という文字を見て変えた。


これにしよう!と決めていた方は1つだけどうしても気に入らないところがあった。


小さなロゴが入っているけれども、そのロゴがなんだか幼い感じで(幼いわけではなく、私の個人的感想)、それ以外はパーフェクトなのに実に残念だった。


でもそれ以外は申し分なくて、それと同じスタイルとクオリティを探すのは、気持ち的にもう無理だと思って、それでそのものにしようとしていた。


ところが楽天セールの広告を見て、そして他に一度は候補に上がっていたものが割引となると知って迷いだした。


候補に上がった方は、これもまた1つどうしても気に入らない部分があった。


外側に1つSuicaとかを挟むような小さなポケットが付いていること。


それがなければ、あとは小銭入れの部分が2つに分かれていなくて1つなのがちょっとなぁだった。(これまでのは2つあって使い勝手が良かった。)


セールと言えどもこちらの方が数千円上乗せで、もし買って気に入らなかった場合なんだか嫌だなぁというのも思った。


あるネットショップではコメントを付けることの特典があるのか、実際に買った人たちの声がけっこうな数で付いていた。


何人かのものを読んでみたら、なんだかその方が良いような気がした。


写真も同じ財布のものを色んなショップでの掲載写真をくまなくチェックして、それにしようとそれこそ誕生日当日に着くギリギリに注文した。


最後は、もし気に入らなければ1年後にもう一度財布を新調しようと決めた。


そもそも当初の「ここまでなら出そう」と決めていた金額に対して半額くらいの値段で買えたこともあって、ダメならダメで来年にその予算を回したらいいと思った。


そうやってようやく決まった財布。


誕生日当日、自分のために花束やビールやつまみやケーキを買った後、家で少しひと息ついたところに宅急便の人がやってきた。


財布が届いた。


包装やらなんやらをほどいて開けた。


見た瞬間、一目惚れだった。


写真で見るよりも実物は遥かに良かった。


コメントの中に、ずっとブランドものの財布しか使ってこなかった人が今回の有名でもなんでもないブランドのものにして、ハイブランドのものと遜色ないみたいなことを書いていたけれど、本当に納得した。


個人的にもう少しこうだといいなぁとかはあるものの、次もこのブランド?メーカー?のものにしてもいいなぁと思うくらいに良かった。


これなら気に入って外観が崩れなければまたもや7年とかそれ以上使う可能性があるなぁと思った。


誕生日以後もしばらくは前の財布を使って、春分の日に新しい財布をおろした。


平日の昼休みを使って銀行で諭吉様と千円札とを新札に替えてもらって、そのピカピカの新札を入れた。


前の財布からも財布に入れていた小さなお守りや思い出の何かを移した。


そんな風にして初めて買ったのが冒頭の写真の雑誌とノート。


何か欲しいものを最初の買い物でしたいと思った。


特段何が欲しいというのもないから、何だったらいいかな〜というのはずっと考えていた。


色々考えた結果、占星術系の本なら確実に買うと思って、それ系の本が充実している大型書店に出かけた。


あと、色んなことが起こるから、1週間のまとめを書けるノートも欲しいと思った。


その書店なら文具も色々揃っているからいいだろうと思った。


本よりもノートの方が欲しくて、気に入るものがあるといいなぁと思って探した。


なかなかピンと来るものがなくて、あきらめようとしていたけれど、そうだ!ここはペンジュラムに聞こう!と思って、ペンジュラムを出して「ここの店の中にある?」と聞くとYESと出る。


何せ1つの長いコーナー全部にノートを置いてるから(コンビニのレジ前から奥の飲み物冷蔵庫コーナーまでのあの長さくらい)、分けてどの辺りなのかを聞いた。


ペンジュラムは一番左側のコーナーを指してそこだと言う。


そこはさっき見てもなかったよ、と悪態つきながら、まぁペンジュラムが言うってことは何かあるのかもと思って見た。


そうしたら、絶対に手に取らなかったものも1冊ずつ確認したら、冒頭のノートがドンピシャで当たった。


自分で自由に書けるスタイルが良かった。


そうやってノートとちょうど発売されたばかりの石井ゆかりさんの占星術雑誌とを買った。


自分らしい買い物で大満足した。


そんな風にして、財布は新しくなった。


最初からどストライクだったけれども、使いながらますます愛着が湧きまくっている。


長い付き合いになりそうな予感がしている。

2021/03/27  財布を使い始めて1週間

2021年3月26日金曜日

111111ゾロ目






111111のメーターになった木曜日の夕方。

朝、出勤する車の中で今日のどこかでゾロ目になることは十分に予想できた。


絶対に今の職場の真ん前とかでゾロ目になるのは嫌で(基本的に社風が好きじゃない)、それさえ避けられたらいいかなと思った。


本当にあと1キロ違ったらまさにドンピシャだったけれど、そこはなんとか免れた。


代わりに、ここでなれたらいいなぁというところでピッタリとは言わないけれど、100メートルくらい手前でそうなったから良かったかなと思った(思うようにした)。


私がなって欲しかったのは、とある交差点だった。


その交差点は、私が社会人最初の仕事の時も通った交差点で、実は当時の通勤路と今の通勤路はその交差点で分かれる。


そこは私にとって原点のような場所で、その過去と今とが交差する交差点でゾロ目だといいなぁと思ったら本当にそうなった。


そして、職場に背を向ける形でゾロ目になれたこと、そしてゾロ目の間に着いた某スーパーというのが私を初めて海外に連れて行ってくれたスポンサー企業で、そういう過去から今に繋がる道のところで私は今回のゾロ目を迎えた。







友達のチカから連絡がきた。


無事大学院博士課程を卒業できたことと初夏あたりからモンゴルに某プロジェクトで行くことになったことが書かれていた。


どちらもとてもめでたい話で、もちろん即返信したし、本当に良かったね〜と祝杯を共にあげたいくらいだけれど、それとは別に胸が少しだけチクリとして重たくなった。


自分の中で点だったものが繋がった。







今日の仕事中のことだった。


私は今いくつか並行して取り組む中で、1つ長期でずっと関わり続けているものがある。


3つの違う機械の取扱説明書を色々直しているけれども、1つ前から気になっていたところがあった。


図と説明文を見ても全然一致していなくて、前にも一度質問に行ったところだった。


とりあえず意味の通じる英訳に直したけれども、やっぱりもう一度日本語を読むと、言わんとしていることはわかるけれども、図と全く一致していなくて混乱する。


日本語で混乱するから英語以下他の言語はもっとボロボロになる。


どっちみちそれ以外にも何十という直しがあるから、それも違うのであれば一緒に直した方が事務手続きが1回で済むし実際にお客さんにとっても良いわけで、だから担当者の元へその確認に行った。


担当者の人は基本的に人は良いし穏やかな人で真面目だけれど、今日のやりとりは小骨が引っかかったみたいになってズシンときた。


最終的に直す方向で動いてもらえることにはなったけれども、そのやりとりの時に「武士俣さんが気になるなら直します」みたいな、そんなところはどっちでもいいけれど何でやるのかみたいな、とにかく言葉は忘れたけれども、本人はやる気がないのはわかった。


私がつっこむことは、本当に小さな事で些末なことなのもわかる。


重箱の隅をつつくようなことを言っているのもわかる。


だけど、ユーザー目線からすれば、本来正しいのが当たり前で、そこに誤情報や理解不能な説明が混ざってるのは普通に考えておかしい。


だってスイッチを押したらオンになるのに、そのスイッチの名前がもしレバーになっていたのならお客さんはオンにするためにスイッチじゃなくてレバーを探す。


そういうことを私は確認しているわけで、決しておかしなことを指摘したり嫌がらせを言っているのとは違う。


っていうか、どう考えてもそれって会社の利益になるわけで、直さない方が他のトラブルを生む原因になるよね?と思う。


そんな当たり前のことが通じない。


通じないだけじゃなく、私がこだわっていることになっている。


私がおかしい人みたく話はなされた。


全然納得なんかいかなかったし、釈然としなかった。


最終的に動いてもらえるにしても、なんかスッキリしない。


モヤっとする。


そんなことがあった。







チカの近況報告を聞いて、少しチクリとしたのは、自分の身の置き所の不満に気付いたからだった。


嫉妬とかいうのではなく(むしろ超すごいことを二足のわらじ状態で何年もやり続けていたのは知っているから、尊敬と共に自分はその苦行は絶対にしたくないから、だから羨ましいとは一度も思わず今日に至っている)、チカの向かおうとしている世界に憧れるというか、自分が生きていたい世界のエネルギーを見て、そことのギャップに失望したようなものだった。


チカは次のプロジェクトもだし大学院に行っている間もだけれど、とにかく人が持つ可能性とか生きる希望みたいなところに焦点が当たっている。


前を向くこと、あきらめないこと、そういうことにきちんと目が向いている。


理不尽なことや思い通りではないこともたくさんたくさん知った上で、それでも前を向き続けている。


そういう世界に自分の身を置きたいんだとわかった。







私は今の仕事に愛着もなければ愛社精神みたいなのもない。


自分が本来やるべきことから逃げようとすると体の具合が悪くなるから、それが嫌でやるのが一番の理由で、でも実際には会社にとっては超プラスなわけで、少なくとも私は自分がしていることは小さなことでも必要なこと、誰かにとって大切な情報を運んでいるんだくらいに思ってはやっている。


だから、自分ができる限りのことをして必要なものを届けることができるなら、それは喜んでとまではいかなくてもやること自体は違和感なくやれる。


必要なものを必要な人に届ける。


それはやれることからやろうと思う。


なんだけれど、今の職場みたいに、間違えててもそのまま、おかしくても適当、何でもかんでもとりあえず形だけやっておけばいいみたいなことを本気で常態化しているところは、私がいたい世界とは違う。


お互いに切磋琢磨ではないけれども、せっかく縁あって人や何かの物事、仕事と繋がったのならば、それは良い方にいきたいよね!と私は思う。


本当に小さな手間を省かなければ、それだけで1つの信用に繋がったり、色んな人たちがそれで生きやすさや現世的な利益を得たり、はたまたお互いの気持ちを通い合わせたりすることも可能になる。


「どうせ」みたいな後ろ向きな感じじゃなくて、どうせ同じ時間を使うなら明るい結果になるようなことに時間も自分の体力気力も使いたい。


ただそれだけのことなんだと気付いた。







今の職場に背を向けたところでゾロ目、そして写真を撮ったスーパーでは西日がちょうどよく見える良い場所で、こことはいつか訣別するんだと思った。


自分の原点となる交差点を思うと、社会人すぐの私も今の私もそう変わらない。


そこに立って自分の心の中の風向きを感じてみると、やっぱり私は明るいものに憧れるし、生きてる間は希望を感じて生きていたい。


いつか死ぬのはみんな一緒だから、死ぬその時まで私は希望の灯りを自分の中にともしていたい。


そういうことを再確認した今日というゾロ目の日だった。