2013年9月17日火曜日

動いたらわかる

動いたらわかる・・・
それを体で感じるために今まで止まっていたのかと思った。

動いてやってきた答えは、

「どれもこれもはずれ」だとか

「ぴんとくるものがない」だとか

要は、

結果そのものは、
欲しい答えも欲しい方向性も
ないままには変わりない、
けど、
そのはずれだのぴんとこないだのがわかった。

そう、それがわかった。


当たり前だと言われたら、そうです・・・とか細い声で返事するしかない内容だけど、

これ、私にとっては大大大進歩!!!

「祝★おめでとう」並みの結果だ。


本当に自分が動けなくなってしまった数か月前。


自分が今
食べたいのか
食べるとしたら何を食べたいのか
眠たいのか
トイレに行きたいのか
お風呂に入ってさっぱりしたいのか
誰かに会いたいのか
ひとりでずっとこのまま放心したいのか

とにかくそういうことが何にもわからなくなってしまった。

外に出ても心は晴れない。

人に会っても余計と混乱することもあった。

まじめにこの先どうするつもりなんだろう・・・なんて考える余裕すらなかった。

「助けて」だの「話を聞いて」だのそういうことを言えないのは相変わらずだった。

その状態からどうやって今日のように動くまでに至ったのかはまた別の機会に書こうと思う。

次の瞬間のことが何ひとつ決められずにもがきまくっていた時。

周りのアドバイスはひとつとして気持ちは楽にもならなければ、
簡単に「○○あるよ~」なんて言われても
「働かないでどうやって食べるの?」と親が激怒しようが、
やばい、動けない、つぎ?次なんてわからない、
そんな感じだった。

だから、今日色んなはずれを目の前で見ながら
そのはずれた感覚とか、なんか違うんだよねと自然に納得してる自分とか、
ものすっごく新鮮だった。

そうしたら、
言葉の通り
「天空から贈り物」(笑)がやってきた。

名古屋の観光名所?テレビ塔(東京タワーのような形)の塔の頂上にどういうわけか

生きる喜び

と点灯されていた。

4年ほど名古屋に住んでいて
「生きる喜び」とライトアップされたテレビ塔は初めて見た。

相変わらず色々決まらないままでも、
「『答えが出ない』のが今の答えなんだ」とすとんと受け取れるようになったら
それもありだな~なんて思えるようになった。

ずいぶん楽になったものだと思う。

2013年9月12日木曜日

自分と付き合っていく

人生の大半を悩むだのうじうじするだのということにたくさん費やしていた私。

コーチングとNLPに出逢って、
かなりな数の過去の苦(にが)くて痛くて苦しいものが解放されたのと、
「観念」と呼ばれるものを見つけたりそれを自分の好ましい内容に書き換えたりと、
まぁ色々とやった。

色んな変化は起きたし、
自分の中で軽くなったものも増えてはきているように感じるけど、
それでもまだ心の具合が悪く本当に寝込むというかひたすら布団にもぐって現実逃避する日もあれば、
日長1日ネットゲームをして現実逃避をする日もあれば、
もう未来のことなんか何も考えたくない、決めれない、どうしていいかわからない・・・
なんてことは相変わらずある。

ひとつ何かに打ち込むと、それが終わった時に燃え尽き症候群になりやすい自分のパターンもだいたいわかってきた。

見たくない自分も、
できたら今のことはなかったことにしようと思う自分も、
弱い自分も他人をうらやむばかりで行動しない自分も、
方向性を見失うと突然動けなくなる自分も、
まぁとにかく色んな自分をこの4年ほどひたすら見ているように思う。

これまでも当然24時間365日自分と一緒にいるわけだから見てないわけはなかったけど、
こんな自分は自分であって欲しくないとか、
いやいやこんなんじゃだめでしょうと得意の自分討ちや、
見えても見えてないふりを通すとか、
まぁあれこれもがいていた。

さぁ観念書き替えました!
潜在意識も大きく変化したと感じるくらいの変化も自分の中に湧きおこりました!
あぁこれからは明るい未来へまた一歩近付くのか!?
と期待がむくむくと湧き出て、
一瞬夢を見るけれども、
あぁはかないこの夢。

また、最初に書いたようなよく見ている「自分」に遭遇。

今日からやるぞ~!となったのではなかったのか!?

あれだけワクワクしていたのに、あのワクワクはどこへ消えたのか!?

書き出すといくらでも書き続けられそうだからここで一度やめる。

そんな自分に何度も裏切られた気分にさせられながら、
ある時から私の目標とする自分像を変更した。

寝込む自分が時々登場しても
もうすべて投げ出したい気分になる自分になっても
動けなくて焦ってばかりいる自分でも
そんな自分と共存しながらとにかく進んでいくというのがいいなぁと。

アメリカの有名な誰かが(名前は忘れた)、
人前で話すことをとても苦手としていて、彼はある日スピーチのレッスンを取る。
彼が目指したのは、
スピーチが上手になることでも、
緊張せずに壇上に立つことでもなかった。

彼が目指したのは、
足が震えながらも人前で話せるようになりたい、
というものだった。

とっても有名な方(名前は度忘れしたけど)の言葉で、
えぇ~!!あんなすごい人でもそんな風だったのかと思って妙に親近感を覚えたエピソードだった。

だから、私も、
寝込む私も、
ぐずぐずで何でも先延ばしにする私も、
焦ったりぶれたりする私も、
自分の中でなかったことにしたいと思うありとあらゆる自分をもってでも
「あぁ私前に進んでるじゃん♪」
と思えることを目指したいと思ってる。

ちなみに、自己啓発だの精神世界だの読むと、
「○○になりたい」という言い方は実現性に乏しく、
「自分は○○だ」と言い切りの言い方がそういうセルフイメージを育ていつかそういう自分になる、
と言う風によく書かれている。

一時期はそれにかなり気を遣った。

1年近くそんなことをノートに書き連ねて望ましいセルフイメージ育てに励んだ。

それはとても効果的な方法だから、色んな書籍でもメンタルトレーナー系の人が紹介しているのだと思う。

だけど、私にはどうも合っていないようだった。

言い切りの形にして文章を書いても書いても、
現実は真逆にいって、
何がどうしたら私の人生こんなことになるんだ!?と何度も嘆いた。

やっても報われないようで、なんなんだこれは!?と怒りすらも感じた。

じゃなくて、
「私は○○になりたい」
と書く方が、私にはしっくりとくる。

今の現状、そうなっていない自分をきちんとわかった上での
「○○になりたい」だから
かえってその表現の方が自分に寄り添ったように感じる。

これは個人の感覚の問題だから、
もしかしたら「言い切りの形」推奨派の人たちからは「そんなではだめだよ!」とお叱りを受けるかもだけど、
ある時だけ関わる個人にどう思われるかより、
今この瞬間自分といて居心地がいいかどうかの方が私には重要だから、
あぁ自分の感覚を優先して大丈夫だとやっと最近そう感じられるようになってきた。
たとえ、それが多くの成功者と呼ばれる人たちが推奨する方法とは反対でも。

ついでに言うと、結果はいまいちでも色々試してみたのは良かった。

何が合ってる合わないというのがだんだんとわかってくる。
いきなりはわからないけど、やっていくうちにあぁこれはいいなぁと感じたり、
効果的と色んな人が絶賛する割には私にはいつまで経ってもぴんとこない、
自分がおかしいのか!?と変に落ち込んだりしながらも
合う合わないがわかるようになっていた。

靴に似ているかもしれない。

靴を買ってしばらくは自分の足に馴染むかどうかわからない。
はいていくうちに馴染むものもあれば、
はいてもはいても靴ずれを起こすものもある。

自分に合うか合わないかは、
その靴が自分の足に合うか合わないかを知るように、
それだけは自分にしかわからない。

100人いて99人が絶賛する方法でも
たった一人の私がぴんときていなければ違うということ。

やっとそれをそういうこともあるんだ・・・と受け入れ出した私。

『時間が解決します』の新しい解釈

色んな書籍や著名人なんかが
「時間が解決します」
と悩みに対して回答しているところをよく見る。

いつだったか、あるお坊さんが
「1年前の今日の悩みが何だったかなんて誰も憶えていないでしょう・・・」
と言っていたことに、それもそうだ!と合点がいったこともある。

なので、「時が解決する」という意味は、
なんとなく時間や日常を重ねていくうちに悩みが薄れていく
という風にずっと解釈していた。


その解釈もありだと今も思っているけれど、
それとは全く別の解釈がふとこの間私の元におとずれた。



数年経ってもいまだに傷のような存在で残っているもの。
先日、歩いている途中にふとそのことを思い出した。

もっと言うと、銀行の窓口で用を足すために、
馴染みのない町をうろうろとさまよいながら銀行をひたすら探していた。

そんな時、突然、過去から今へと延々私の中で何度も繰り返されているものが思考の中ににょきっと出てきた。


「忘れる」という素晴らしい機能が人間に備わっていても、
忘れたくても忘れられない光景や瞬間がある。

その時もまたそれを思い出したわけだけど、
いつもと違ったのは、過去の自分が今の自分を癒したことに気づいたことだった。

2年3年と経過した出来事ではあるけれど、
いつもどこか消化不良で、
だいぶ痛みや傷なんかは薄らいだようには感じるけど、
あぁもう多分一生付き合っていくものなのかな・・・とあきらめに似た気持ちもあった。


これまではそんな風にしか思えないことだった。


ところが、その銀行探しに奔走していた時、
なぜかその2年3年と辛い時期を通り過ぎてきた自分に対して
「あぁ~本当によくがんばったなぁ~」
という気持ちが初めて沸いた。


渦中にいる時は、ちっとも進まない感じの自分に
うんざりしたり憤慨したり虚無感のようなものを覚えたり脱力したりと
何度も何度もいやになった。


時間がどんどん過ぎても、全く進んだ感じのしないあの日々は、
楽しいことがあっても根底がしんどいような感じは決して消えてくれなかった。


そう、ずっとそんなことを繰り返していた自分が、
今になって本当にがんばっていたんだなぁと初めて思えた。


あんな辛かった日々をよくぞここまで通り過ぎてきたなぁと振り返ったら
時の中で私が積み重ねたものがようやく見えた。



大元の出来事は変えられない。
もう起きてしまったことだからどうにもできない。


自分の感情や思いを変えるというのも、この場合に限っては困難極まりなくあきらめた。
もう無理に変えたりするのではなくなるようにしかならないといつからか開き直った。


開き直ったり落ち込んだりしながら2年3年と過ごした。


未だに癒えきれない傷は傷のままだ。
自分でもそっとしておくかふたをするしかないと感じることもある。
それでもたしかに、その事が私の身に起こってからも、
私はこれまで毎日を生きてきたわけで、
大きなことはやっていないかもしれないけれど、
ただただその傷を抱えながらも生き続けたということがすごい勲章のようになってた。




「時が解決する」

というのは、単純に時が経過して悩みや心配や不安が薄れるという意味だけではなく、
ある瞬間から抱えてしまったそれらと共に自分が歩んだ軌跡を見て
「あぁ~自分がんばったなぁ~」
という過去の自分の積み重ねがある日とても大きなものになっていたと気づくことも含まれるように今は感じる。

2013年9月10日火曜日

負のスパイラルから抜け出す方法その1『5分自由時間』

「1日五分でも、好きなこと、楽しいことをやってみましょう。
そこから人生は飛躍的に変わっていきます。」
~本田 健~


私という人は、一度負のスパイラルに陥ると、どんどん深みにはまっていくタイプだと思う。
自己啓発系のポジティブシンキング系は毒のようにしか私には映らないし、
落ち込んでいる時ははっきり言って何もしたくない。
布団に入って目を閉じてひたすら耐える、
なんていうことをこの人生の中で何度繰り返したかわからない。

あと、根っからの面倒くさがりと熱しやすく冷めやすいのと
基本的に「目標」なんていう言葉も内容も大嫌いな私。

自分が納得できないことは、頑として動かない。
頑固で融通が効かないことも付け加えたい。



そんな私が、実際に納得できて、納得できた分行動できて、そして本当にその通りになった経過をここでお話したい。



上に書いた本田健さんの文章。


その本を読んだ当時の私の生活は今思い出しても恐ろしい。
通勤・帰宅含めて、朝の7時過ぎから夜の12時までずっと仕事をしていた。

その当時、盆正月ゴールデンウィーク含めて年間52日しか休みがなかった。
1年と言うのは52週。
盆は約1週間、正月は3日、ゴールデンウイークは4日、の休み。
合計14日。
52-14は38。
そう、52週に対して38日の休みということは、
すなわち数週間休みなしでぶっ通しで働く時ももちろんあった。

なぜ仕事を辞めないのか、周りから当然不思議に思われた。

私は何回退職届を提出したのかわからない。
10回までいかなくても、それに近い数で出していた。

受理されないどころか相手にもされなかった。

逃げ出したら・・・と言われたこともたくさんあった。

だけど、人相手の商売、会社には迷惑をかけてもいいと思っていたけれど、
私が目の前で見ている子どもとその保護者にだけは迷惑はかけられないと思って
それだけは踏ん張った。

冗談でも、「ぶっしー(私)、自分から大変な道選んでるじゃん!」
と笑って言われても私は傷つくばかりで笑えなかった当時。


そんな時に出逢った言葉だった。


1日5分すらもどうやって捻出するのか・・・と当時の私は思ったけど、
それと同時にその5分すらも捻出できない自分の人生はなんなんだ・・・
とも虚しくなった。


とりあえず。

毎日はできなくても、ちょっと余裕のある時だけがんばってみようか・・・

ということで、私はその「5分自由時間」を決行した。

具体的には何をしたかというと。

大嫌いな会議の後、自分の勤務地へ移動する時。
電車からバスに乗り継ぐ地点があった。

乗り継ぎのところの近くにある中規模の書店に5分だけ立ち寄るというものだった。

元々本屋さんに行くのは好きで、
なんてことはない、
ちょっとのぞいて気になった本があったら1ページ2ページと眺めてすぐにバス乗り場に行く。

私がやったことはそれだけだった。


はっきり言って、それをしたからと言って、
行きたくない仕事に行きたくなることもなかったし、
好きなことの後にすぐ現実に引き戻されて余計と落ち込んだ日もあったし、
その時すぐに何か劇的な効果があったかと言えばそうではなかった。


だけど、今振り返ると、確実にその5分自由時間が私にもたらしたものは
その後今に続く人生の転機となっている。


今の私が振り返って思うことは。

この5分自由時間を自分に与えることは
私の中の小さな成功体験になった。

5分だけでも負のスパイラルから抜けられた自分。

好きなことをすることを自分に許せた自分。

そんな感じだろうか。

ちなみに、それを初めてから1年くらいだろうか。

年間52日の休みから

「平日1日休み+土曜日午後から日曜日休み」

という勤務体系がなんと会社からオファーがきた。

上司からは退職届を一切受け取ってもらえず、
なんだったら、辞めさせるわけにはいかないと親にまで連絡すると脅されていた当時。

社内における前例は恐らくなかったのではないかと思う。
なぜなら、私がそうなってから、
数名の社員の方から個人的に連絡がきて
「どうやってそのやり方を採用してもらえたのか」
と具体的戦略を問われた位だったから。


話がそれた。

本田健さんの伝えてくれた

「1日5分でも、好きなこと、楽しいことをやってみましょう」

これ、絶大な効果を発揮することが実体験を通じてわかった。

そして、長い目で見ると、負のスパイラルを抜け出す素敵な方法に変わっていたりもする。

負担が少ない上に、5分間は楽しいという保証あり。

個人的に超おすすめ★★★★★

2013年9月9日月曜日

気持ちのいい対応



PILOT社のペンで10年以上愛用しているものがある。
持ちやすさと書きやすさを気に入っていて、何度もインクを取り換えてはせっせと使っている。

ところがここ最近、3本ほど連続でインクの具合が悪い。
出たり出なかったりしている。
こんなことこの10年で初めてで、私はとうとうお客様相談室にメールを投稿した。

クレームというよりも、とにかくこれからも長く使いたいペンだから、
インクの出が悪いことが毎回のごとくストレスでは困ると思って問い合わせすることにした。

なんと翌営業日に返事がきて、そして商品を一度送って欲しい旨書かれてあった。
送料やその他の対応もきちんと明記してあってとっても感動した。


クレーマーではないけれど、
自分の日常使いするものでストレスとなるような不具合が出る時は
私は基本的に問い合わせる。


今朝は、総務省の某国民調査の対象になったけれど辞退したいと申し出た。
膨大な調査用紙の記入があり、それを毎月1回1年間通しでやることになっていた。

調査自体は多少わずらわしさもあるけれど、
やってみたら面白いかもしれないというものだった。

だけど、私が気に入らなかったのは、
合計12回の調査に対し、ボールペン1本で全てを済ませようというところだった。

お金が欲しいと言っているのではない。

調査を委託された会社には必ず委託料が総務省から支払われているはずだ。
なのに、そこからさらに依頼する個人宅には無償でお願いするというやり方。
そのやり方に私は違和感を抱いた。

辞退を申し出た際理由を聞かれたから、そのまま理由を伝えた。

ちなみに、最初オペレーターの人はマニュアル的な対応をされていた。
ところが、私がなぜ納得できていないのかを説明したら、
ボールペン1本の事実は知らなかったようで、
私も依頼される側であればそれに納得できないだろう・・・
と非常に個人的な感想を言われて、それはそれで感動した。

主旨の違う2つのものではあるけれど、
ちいさなことでも丁寧にかつ誠実に対応されるととても気持ちがいい。


2013年9月8日日曜日

修復のチャンス

数日前、ほんの小さなことで母親に対してキレた。

母親はまた新たな地元の自殺者を話題にし、
要は私に「そんな風にはならないように」とか
「がんばってね」ということを言いたくての話だったと思う。

しかし、私にはそんな風には映らず、
いつまでも定職に就かない私を責めているのかと思って、
「そんなことを言われても私のヤル気にスイッチが入るわけじゃない!!」
と言って、お互い後味悪く電話を切った。


土曜日の昼、母親からメールがきた。
一言「食べているかい」

夕刻前
「今日はホットケーキと昨日の余りのカレーを食べた。
仕事は引き続き探し中」
と返答した。

その直後
「了解:)」
とメールがすぐにきた。

(注・:)はスマイルマーク)

土曜日は2冊本を読んだ。
1冊は死にゆくことが若くして決まった人と共にする旅の話。
もう1冊は短編集だけど、2話に1話の割合で誰かが死んでいく。

それらのおかげもあってか、
生きているからこうして修復のチャンスがあるんだと思った。
なんてことはないやりとり。
でも、それが生きていることが第一条件で初めて成り立つことなんだと、
当たり前だけどよくいつもは忘れている当たり前を思い出した。

2013年9月2日月曜日

『自分の記録をのこそう』


数ヶ月に渡ってブログの内容をあれこれ考えていた。
実際にブログを起こして2~3個アップしたものもあった。

元々文章を書くのは好きだけど、ことブログになると全く続かなくなる。
もしこれで将来的に自分の仕事の集客になったら…なんて考えたら余計と書けなくなってしまった。

色んな本も読んだし、セミナーやワークショップもたくさん受けたし、
でも依然として何にも決められないまま漠然と時は過ぎて行く。

当初、これまで自分がやってみて効果のあったものをブログに残そうかと思っていた。
あともう一つは日々の中で気付いたことや心に残ったこととか。

でもどれも釈然とせず、結局途中で放り投げてしまう。


2013年もあと4ヶ月で終わるよという9月。

色々固いことは考えず、今の自分を記録に残そうと決めた。

これなら書きやすい。

これだけたくさんのhow to的な書籍とかブログとかある中で、
実はなかなかないものが0から1にするまでの記録が書かれているもの。

ざっくりととか、ある程度軌道に乗ってからの過去史の概要なんかあってもその時々何をどんな風に感じてそれをどうしたのかというのがあまりない。

私自身がけっこう血眼になって探してみたけどなかなかぴんとくるものがなかった。

だったら逆に自分の記録を残してみてはどうだろう。

がんばらない生き方とか、
あなたもこれでうまくいくとか、
幸運になるための方法とか、
まぁありとあらゆるジャンルの本が出ているけど、
本当にみっちもさっちもいかないときは、
1ミリにも満たないような小さな一歩が必要になる。
その小さな一歩を私はどうしたのかということを残そうというのがこのブログのテーマ。

また気が変わって別のテーマにしたくなったら別のテーマにしてみる。

やっとこんな風に意識にもってきて


そして今日がその記念すべき第1回。