2022年10月28日金曜日

御徒町南口パンダ前ー東京DAY 1

池袋で食べたスープカレー
東京での初めての食事
そして唯一のひとりごはん

北海道ではなぜか唐揚げのことを
「ザンギ」と呼ぶ
ザンギのスープカレー

この近く30メートルくらいの道を
ウロウロしてようやく見つけた
タロット美術館

サイゼリヤ@東京某所
デカンタ(1500ml)1本目
奥の山吹色かばんから顔を出してる白いものは、
私の東京初の買物、
携帯型の携帯の充電器。
みんなと連絡を取るのに携帯の充電がすぐに
無くなる自分のiPhoneではとても困ると
東京着いてすぐに気付いて、
それでスープカレーを食べた後近くの家電量販店に行って携帯型の携帯充電器を買った( ̄∀ ̄;)



東京DAY 12022.10.14()

タロット美術館


中途半端に浮く時間ができたことで、何かしら東京にいるからこそできることをやりたいと思った。


瞬時に浮かんだのがタロット美術館に行くことで、その後すぐにネットで予約して行ってきた。


地図を見て行ったけれど、確実に目の前を通っているはずなのに見つけられなくて、同じ場所を30メートルくらい行ったり来たりして、それでも見つけられなくて、今度は建物の入口にあるテナント名一覧とかを見てようやく見つけた。


中の話はまた別口でブログにできたらいいなと思っているけれど、結論として(えっ?もう?)、このタロット美術館はこの後の日程全てにおいて超重要な立ち寄りスポットだった。


ここで私は1つ新しいタロットカードを手にして、そのタロットがこの後色んな物語を編み出すなんてその時は想像もしていなかった。


タロット美術館にちなんだオマケ話(マヌケ話が正しい( ̄∀ ̄;))。


タロット美術館の最寄りの浅草橋の駅で大型の荷物たちをロッカーに預けるところまでは良かったものの、なんと100円玉が1枚足りなくて超焦った。


中途半端にロッカーにお金を入れたまま、たまたますぐ隣りに自販機があってそこで両替がてら水を買って、何とか残り1枚必要だった100円玉をゲットした。


そして荷物を無事ロッカーに入れた後、タロット美術館は飲食の持ち込み禁止だから300ミリくらいと思しき水を即座に喉も乾いてないのにがぶがぶ飲むことになるなんて、相変わらずすごい抜けっぷりだった( ̄∀ ̄;)


財布を見てから預けたつもりが、その最後の1枚の100円玉だと思っていたのは50円玉だった…Σ( )))) 


(後日談:上の話は新潟に帰ってわりかし早い段階で書き始めたから、超詳細にどうでもいいロッカー話を書いているけれど、今読み返すと本当にしょうもないこと書いてるなと思う( ̄∀ ̄;)。そしてもっと重要なネタは何にも書いていなくて、本当ならそういう大切なことたちをこのくらい詳細に書きたかったなと遠い目になりつつ思っている…10/27




御徒町南口パンダのいる広場


シオくんとぐちおとの待ち合わせ場所は、御徒町駅南口、パンダのいる広場という実に不思議な待ち合わせの場所だった。


本物のパンダではないだろうことは想像がついたけれど、これ渋谷駅のハチ公前とかそんな風な小さなパンダでもいるんだろうか?と想像は膨らむばかりだった。


私が一番ノリで、そこに行くとようやく公園とかによくありそうなパンダの子供用の置き物みたいなものがあってわかった。


今回は仕事の関係で来れなくなったリーダーの結婚式が最後にみんなで会った時で、2017年の夏以来5年ぶりの再会になる。


しばらくするとぐちおとシオくんがそれぞれやってきた。


シオくんは仕事帰りのスーツのジャケットないバージョンで、ぐちおは1人浮きまくりの半袖+サングラスで登場した。


ドミニカ共和国の大衆文化で口をプスプスーと鳴らして相手を呼ぶという、日本人からして馴染みのない、でも3人には即座にわかる音ジェスチャーから始まった。


「東京酒場」に案内すると言ってシオくんが連れて行ってくれたのは「大統領」という名前の店だった。


飲みブログで見たことのある場所で、少しだけ待った後うちら3人が入口に面した、ギリギリ店内みたいな、半分路面みたいなところのザ・東京酒場的な席に案内された。


もしかすると、ぐちお・シオくん・私という3人で飲むのは初めてかもしれない。


『飲みキャラ』と名前を付けた呑兵衛のためのひたすら飲みまくる会のメンバーだった3人は、他の人たちも交えてよく一緒に飲んでいたけれど、3人で待ち合わせて、それも日本の超都心で会って飲むのはお初。


初めてだし5年ぶりなんだけど、なんか先月もうちら飲んだよねーな雰囲気で全く懐かしさも感慨深さもなく、久しぶり感ゼロのスタートだった。


協力隊の友達はみんなそうだけど、もう日本全国散り散りに散ったメンバーたちがどこかで集うなんて残りの人生から逆算してもあと数えるくらいしかないと思う。


なんだけど、いつ会っても「久しぶりー!元気だった?」な挨拶は似合わなくて、なんだか時が同じ時のまま会ったねという感じ。


時は確実に動いているけれど、そういうことが飛んでしまう、そういう間柄のとても希少な人たち。


しかも5年とか会ってないなら、さらに普段も1年に1回くらいしか連絡を取り合わないわけで、お互いの状況やら会っていない間の細かいことは何も知らないのに、それらが全く問題なくスムーズにコミュニケーションが始まってそれは終わりまでずっとそうで、これはこの人たちの持っている徳によって成り立っていると大真面目に思う。


余談だけれど、協力隊に行く前に訓練があって長野の訓練所に2ヶ月強ほど滞在したけれど、その時はもうめちゃくちゃその団体が醸し出す空気も集団生活も苦手過ぎてどうしようかと思っていた。


200人くらいいるうちの3分の2から4分の3くらいは、言うなれば学校で学級委員長になるみたいな、又は生徒会長になるみたいな人たちの感じで、私はそういう感じもとても苦手だったし基本陰キャラな自分がそういう陽キャラな人たちたくさんみたいなところにいるのは相当しんどかった。


中にはそういうのが苦手な人たちもいて、そういう数少ない人たちと仲良くしていた。


なんだけれど、ドミニカに行ったら変わった。


最初は人見知り発動で誰とも仲良くなれる気もしなかったし、そもそもの生活が落ち着かなくてそちらが忙しかったから人と交流している場合でもなかったけれど、自分が任期2年の半分を過ぎて残り1年の頃、シオくんとぐちおたちのグループが到着して、その辺りから感じがかなり変わった。


素のままで良くて、一緒にいても個がそれぞれのペースでいて集っている感じで、何人かで一緒の空間にいても全然苦にならない人たちだった。


みんなが超マイペースで思い思いの感じでいて、まとまりなど皆無だったけれどきちんとなんとなく共有できてるみたいな、実に不思議な感じの空気をまとってその空気を吸える、そういう関係性を持てるスーパー希少な人たちだった。


当時からそんな風だったから共通点も共有するべき点もなくて、だから日本でみんなてんでばらばらで普段連絡も取らないし会えないし全く違う分野にいるけれど、それでもみんな会えば何かしらの話で盛り上がれてその時間を存分に楽しめるってすごいことだと私は思っている。


そんなシオくんとぐちおとの飲みが始まった。


大統領という店はザ・酒場的な雰囲気でそれはそれで味わいがあったけれど、カードリーディングをしよう!とどの時点か忘れたけれど決めていて、オラクルカードなんてとても広げられた雰囲気じゃなかったから、とりあえず1軒目を飲み食いした後、サイゼリヤに行くことになった。


どこをどう歩いているのか全くわからなかったけれども、シオくんの素晴らしい地図読みセンスか普段の脳内マップのおかげで迷うことなくスムーズにサイゼリヤに着いた。


何組か待ちが出ていたけれど、回転も速いだろうからとシオくんの読みでそのまま待つことにした。


待ったのは10分程度だった気がする。


2回目の乾杯をデカンタ白ワイン1500ミリでする。


1杯目はシオくんがサーブしてくれて(シオくんの分は2人のどちらかで)、その後はオール手酌で各自好きずきに飲んだ。


いくつか注文もしてある程度食べた後、シオくんのカードリーディングを始めた。


ぐちおは2日目も3日目も会えるから後にしようと言って、リーディングの間は使わないカードを見てもらってた。


時間にしてどれくらいしていたのかわからない。


必要なことをそのまま伝えて、シオくんの質問に答えて、そしてもうラストオーダーの時間ですと店員さんから声をかけられてデザートを頼んだ。


カードリーディングの話はまた別記事でまとめて書けたらいいなと思っているからここでは割愛。


代わりに最後にみんなで話したテーマを書こうと思う。


そもそも今回、ぐちおは九州から私は新潟から東京にお上りした1番の目的は、1年前の夏に亡くなったMちゃんに手を合わせることだった。


私は2人と同期のリーダーを通じて、リーダーを名古屋に訪ねてきたMちゃんと日本ではしめましてだったけれども、シオくんとぐちおはドミニカで1年Mちゃんと任期がかぶっていて、その時からの縁になる。


シオくんが言った。


「まだ信じられないんだよね。

◯◯がもういないことに。

死ぬ2ヶ月か3ヶ月前だと思うけれど電話が来て、普通に電話で話して、何話したとかは全然覚えていないけれど、また次もあるって普通に思って。

まさかそれが最後になるなんて

◯◯が死んだってまだ今も全然実感がない」


◯◯とシオくんがあだ名呼びしていたことを今書きながら思い出した。


シオくんは私が年上だというのもあって、私のことは「武士俣さん」と呼ぶし、奥さんのことはわかんないけれども、当時付き合っていた女の子のことも「花子さん」と呼んでいた。


いつだったかシオくんと話した時に、シオくんは人の呼び方にポリシーを持っていて、基本的に誰に対しても「さん付け」で呼ぶと言っていた。


それは相手を敬う気持ちでそうしていると言っていて、だから同期のことは年齢関係なく年上でもあだ名呼びをしているけれど、それ以外の人たちのことはみんなさん付けで呼んでいた。


だからドミニカにいた当時、私のことを「武士俣さん」と呼んだのはシオくんともう1人私より年上のインテリ男子だけで、あとはみんな年齢関係なくぶっしーだとかぶっしーさんだとかそんな風に日本人の人たちからは呼ばれていた。(超どうでもいいけれど、私は今のところの職場とイケメン上司と同じだった職場以外は基本的にどこでも「武士俣」にまつわる何かしらのあだ名で職場では呼ばれるようになっていたから、当時からしても「武士俣さん」とポリシーを持ってさん呼びされるなんてすごく珍しいことだった。)


そんなシオくんがMちゃんのことを「◯◯」とあだ名で呼んでいたことは斬新で(話を頭の中で整理すると2人は同い年な気がする)、そこに深い絆と呼んでもいいものがあっただろうと感じた。


感情をほぼほぼ外に出さないシオくんが◯◯ちゃんとの最後やそれから1年何度もそして今も信じられない気持ちでいることを熱を帯びた話し方をしているところが、Mちゃんが残した偉大なものという感じやMちゃんの存在の大きさそのものがうかがえた。


次の日の土曜日にMちゃんの家に行けないのは、その日は奥さんの誕生日で、そこよりもMちゃんに手を合わせることを優先させたのなら色々支障がありまくりということで、それでやむを得ず今回は行くのを断念していたと言っていた。


Mちゃんなら絶対にそうしろと言うだろうことが目に浮かんだ。


そして半分どころか自分が何を具体的に話したかは忘れたけれども、感極まってウッとなって半泣きになりながらMちゃんから呼ばれて今ここに私もいられると思った話をシオくんとぐちおにした。


私はドミニカで全くMちゃんと任期が重なっていないから、本来なら知り合うことのなかった誰かだった。


けれどもリーダーが繋げてくれて(ちなみにリーダーとぐちおとシオくんは九州男児で、時々九州で集っている)、さらにはリーダーとぐちおのそれぞれの結婚式があった5年前の夏にもMちゃんと会っている。


すごく不思議な縁で繋がったわけだけど、正直な気持ち、1年前にみんなでお花や電報を出すとなった時も、今回の一周忌を見越した集いも、私は自分が参加していいのかどうかわからなかった。


そんな時、毎回欠かさず私に個人的に連絡をくれたのがぐちおで、ぐちおがいなかったら今目の前でぐちおとシオくんに会うとかその後Mちゃんの仏壇の前に手を合わせるとかみんなに会うとかできなかった。


『ぶっしーはフィーリングが合えば会った回数、時間に関係なく親近感を覚える人だと思って連絡した。』


1年前の夏、ぐちおとのLINEのやりとりの中で上のようにぐちおは返してくれた。


今回も今回で、周りはみんなMちゃんと親交が深い中、私は行って大丈夫なものか長く迷っていた。


今回行けたのは、ぐちおとすーさんがいてくれたから。


2人を頼れたらなんとなく行けると思えたのと、最後はカードに聞いてみよう!とこんな時までカードを引く自分もどうかと思うけれども、その何百枚と家の中にあるカードからペンジュラムがこれだと指す1枚を選んで見たら『Hello from heaven』と出てきて本当に腰を抜かすくらいにビックリして、あぁMちゃんが呼んでくれてるんだなと思ってそれでやっと行こうと決められた。


そんなこんなのこともシオくんとぐちおを前に話したと思う。


話してる途中、声が上ずるぐらいに涙も目に溜まるぐらいに感極まるつもりなどなかったけれども、私の咄嗟の反応はそれで、そうなってるとどこかで冷静に見ている自分は「うわー、やらかした。ゲッ( ̄∀ ̄;)」と思っていたけれど、私がそんな風でもシオくんもぐちおも私がなっているままにしてくれてた。


ドミニカにいた頃は今以上にとてつもなく恥ずかしい失態を犯しまくり、やらかしまくりだったから2人も慣れてるというかなんというかではあったけれども、そういう感じも恥ずかしいんだけど包まれてるやさしい空気がある。


上手く言えないけれど、その時が本当にMちゃんを偲んでいる感じが一番した。


誰も茶化さず真面目に本音を、お互いに思っていることの本音をポツポツと話せる、そういう場だった。


これ書きながら、もうあの日は今から10日も前になってしまって、徐々に「昔」という時系列側にどんどん向かってしまっているけれども、あの時のやさしい感じは今も体で覚えている感じ。


デカンタ1500ミリの白ワイン2本目とデザートの皿をしっかり空にして、サイゼリヤを後にした。


気付いたらうちら3人が最後の客だった。


サイゼリヤを出た後はシオくん誘導の下、駅まで連れて行ってもらった。


もはやどんな道を歩いてどの駅に着いたかも全くわからないまま、私はここですと連れて行かれた駅から地下鉄に乗って次なる目的地、横浜のすーさん宅を目指した。

2022年10月25日火曜日

東京から日常@新潟

東京出発直前のバス停前にて
モデル:すすき
(次の写真とのギャップを感じてもらうための
ススキ田舎写真)

次に撮った風景写真は池袋東武デパートの
12とか13階くらいの窓から

2日目、横浜某所のショッピングモールの
立体駐車場から
天気悪そうだけれど、天気良かった

3日目は横浜から八王子に電車1本で移動
1本で行けて超絶助かった!
(荷物が多かったから移動が少ないと助かった)

八王子駅前で撮った別の写真
携帯の電源の問題で、景色の写真がすごく少ない
八王子駅近くの写真だけ他より多いけれど
そればかり掲載するのもどうなの…と思って
とりあえずこちらを掲載



スーパー激務だった今週。

金曜日の夜、飲み用のつまみ的なおかずを作りながら「1週間前の今頃は東京にいて飲んでたんだな」と思った。


【東京DAY 12022.10.14()

タロット美術館】


などと書き出して東京の旅の詳細の下書きを始めたけれど、毎日10時間勤務の怒涛の4日間をやる中で、ブログどころではなくなってきて、そして今土曜日の朝を迎えている。


ちなみに1週間前の土曜日の朝の4時前後は、二日酔いの激頭痛で目覚めて、「コロナかもしれない( ̄∀ ̄;)」と心配したものだった。


サイゼリヤで3人で行って、1500ミリのデカンタ白ワインを2本開けた。


だから1人当たり1リットル飲んだという綺麗な数字が普通に出せた。


そしてサイゼリヤは2軒目で、その前にビール2杯とレモンハイ1杯飲んで、そんなすごいアルコール摂取の後に私はサイゼリヤでカードリーディングを始めた。


真面目にそしてカードしている時はアルコールなんて何のそので、1ミリも気になるところがなかった。







そんな日々激務の中、何度も東京での様々なシーンを思い出していた。


今回は、激務だったことがけっこう良い方に働いた。


東京から帰ってきてすぐに「この感覚を忘れたくない」と真っ先に思った。


とにかく心が柔らかくて満たされていて、普段なら至ることのできない境地みたいな感じだった。


「こういう感覚で生きていたい」そんな風に思うところがあった。


で、多忙過ぎる日々は余計なことを考えずに済んだし、帰ったら帰ったで色々家事やら炊事やらをしないと生活が回らなくて、そして東京にいる間に両親が妹家族のいる金沢に行ったから私はまた1人暮らしになって生活そのものもリセットされて、とにかく日常に戻ったものの余計なことをする時間がないおかげでしばらく心の感覚は引き継がれていった。


さすがに2日、3日と経つうちにあの感覚は薄らいで、そして1週間経った今は感覚があったことは覚えていてももうあの感覚を味わうような境地からは外れてしまったことがわかる。


で、何がそんなにも良かったのかなと思った時に、「やさしさ」だと思った。


言葉にするとするなら「やさしさ」。







東京に行く前の3週間とか1ヶ月前とかだったと思う。


友人ノムが「今回のぶっしーの東京の旅って、ぶっしーが新しくなった後に会うわけだから特別なものになると思う」と電話越しに言ってくれた時があった。


ノムが新しいと言ったか今のぶっしーと言ったかはたまた別の言葉を言っていたか記憶が曖昧だけれど、ノムの言葉に猛烈に納得したことは覚えている。


ノムが言ってくれたことは、本当にその通りだった。


これは行く前からわかっていたことだけれど、ノムとノムのパートナー・ミッチーはオカルト体質全開の状態で知り合ったも同然だから2人共は特段新しい私ではじめましてにはならない。


けれども、ぐちお、シオくん、すーさんの3人はみんな5年ぶりの再会なのは同じだけれど、オカルト体質の私として会うのはもうかれこれ知り合って12年近くになるけれど、初めてのことだった。


しかも3人はドミニカ共和国で出会ったわけで、その時はもっと頻繁にお互いに会えていたけれど(すーさんとは仕事の関係でほぼ毎週。ぐちおとシオくんも月1とかでは確実に会ってた)、当時の私はオカルト系は「危ないもの」としてしか認識してなくて絶対に近寄らない徹底ぶりだったから、まずはそんなこと日常の中に全くなかった。


そういう時の自分としか3人とは日常的に会ってないから、長い付き合いになる人になればなるほどカミングアウトもとてもハードルが上がったのはよく覚えている。


そしてたしか2018年頃から自分のこの体質的なものをカミングアウトすることを始めたと思うけれど、3人には早い段階で伝えていた。


最初の何人かの何人に確実に入っていたと思う。


今ならわかるけれども、私が伝える人の人選基準(偉そうな言葉( ̄∀ ̄;)だけれど、便宜上そう言ってるだけ)は「今後も会いたい人」かどうかだった。


今後も会いそう、会えそうな人たちには絶対に言おうと決めてた。


本当にそうしておいて良かったけれど、もしオカルト体質の自分を隠しながら今も人間関係を続けていたのなら私自身がキツかったなと思う。


(ここからは時系列破茶滅茶だけれど、思ったままのことを書こうと思ういちいち断りを入れてもいつものこと…( ̄∀ ̄;)


初日のシオくんとぐちおとの御徒町集合の東京酒場体験の前に、ポンと時間ができた私はタロット美術館に行った。


ぐちおがシオくんと私とそれぞれ連絡を密に取って連絡係をしてくれていて、ある時シオくんが仕事を早く上がれることになって16時から開始できると連絡がきた。


あいにく私は16時から17時半の枠でタロット美術館を予約していたから、その旨そのまま伝えて18時頃から合流できると返した。


そうしたらぐちおから「タロット美術館がパワーワード過ぎて何言ってるか分からなくなった」と返ってきたけれど()、とにかくぐちおもそのまま感じたまま思ったままを私に返せるし私もいつも通りの自分なわけで何ら不自然な感じがない。


もし私が言わなかったのなら「ぶっしー何してたん?」となって、それを適当に「小さな美術館に行ってた」とかモゴモゴと言ったり、「ぶっしーって今何してんの?」と聞かれたとするなら(大体は知られてるから聞かれもしなかったけれど)、「派遣で英訳の仕事してる」と当たり障りのないことだけ話していただろうなと思う。


自分を隠すというか取り繕うというか、そういうことをしないといけなかったとするなら、私は相当に自分がしんどかっただろうなと思う。


まずはそういうことをしなくて済んでとても気持ちが楽だった。


さらには、3人ともが私がカミングアウトした後も何ら変わりなくて、私という人間に単に追加で別のものがあるだけというか、私は私で何にも変わらない、そういう気持ちで一緒に過ごしてくれてたと思う。


そんな風に言われたわけじゃないけれど、そんな気がひしひしと伝わってきた。


シオくんはエリートサラリーマンで(抜擢されての本社勤務になって、今は課長になってる)、ぐちお、私、シオくんの3人の中では一番日本社会にきちんと適応して素晴らしい仕事をしているけれど(ぐちおもきちんと仕事をしているけれど自営業だからシオくんとはタイプが全然違って、自然と一体化した日常)何を隠そうシオくんこそが私にいの一番に「武士俣さんのすることって必要なことだと思います」って当時言ってくれた人だった。


本当に嬉しかったし、シオくんはその当時最初に電話越しに自分の人生についてかいつまんで話して私が何を思ったり感じたりするのかを聞いてくれた人でもあった。


ぐちおもふざけたりはしょっちゅうだけれど、本当に真面目なところは絶対に外さないし静かに見守ったり丸ごと受け止めるみたいな懐の深さがある。


すーさんはあーだこーだと多くを言うことはしないけれど、絶対に否定しないことは黙っていても伝わってくる。


書いてて思った。


当時の私はたしかに言う前はすごく怖かったけれど(相手の反応も読めなければ、オカルト体質が原因で距離を置かれたら嫌だと思ってた)、どこかで私がカミングアウトした人たちは知っても多分関係はそのままでいてくれると思えていたと思う。


そんなことで関係がダメになるような人たちじゃ絶対にない、それを本気で信じていられたから言えたと思う。


そして、5年越しに再会した今回(そもそもカミングアウトするほどの体質に5年前の私は気付いていなかった)、自分が信じた以上の現実を前に本当に嬉しくなった。


みんな何にも変わらなくて、カードリーディングしている時も変わらなかった。


本当に何ひとつ変わらない、色々お互いの人生は変わっても目の前の人間関係はドミニカにいた頃と何ら変わらない、そのことが本当に嬉しくてそして心底ホッとしていた。







2022/10/25()


東京から戻ってきた翌日から毎日残業が続いている。


今週もフル残業DAYになりそうだし、本当に多忙を極めている。


昨日(10/24)仕事のことでイライラした時に、何ならあまりにも酷い状況過ぎて今すぐに改善できることを部長にお願いに行ったくらい(役職就いてる人が諸事情で頻繁に休むのは仕方ないけれども、休むことも関係者全員に言わなければ、休むことで生じる業務の引継ぎもなく、私なんかはモロにその影響を受けて、何なら私の先には会社として1年の中で一番大きなイベントに直結する何十億何百億単位のものが動くから、滞ることだけは非常にまずすぎる)、そんなこんなのことに頭がしばらくいっぱいになっていた時、それがというよりその感覚になってしまったことがとても悲しかった。


私が東京にいる間感じていたのは、「やさしさ」だった。


一応言葉にしているけれど、言葉では言い表すのが難しいほどに感情も感覚も柔らかくて、自分の中で殻が破れて心の一番やわらかいところが前面に出てきて、その感覚で生きていけることにとても感動していた。


社会や周りに合わせていなくて良くって、自分のままで堂々としていられて、言葉もよそ行きじゃなくて自分の言葉で、とにかくカチッと何かピッタリとしている、ハマっているとかそんなことさえ考えなくてもいいくらいにピタッとしていた。


その感覚が日々薄れて日常にかえっていくのは自分でもわかってはいたけれど、昨日怒りを覚えてとうとう上に話に行った時(一応相談できる子に相談して、それはもう黙ったままじゃなくて部長案件で対応をお願いするレベルだと言われて、言われたらそうだなと100%の納得で、だから話に行った)、大切なものはあるはずなのにこんな日常の超絶くだらないことに飲み込まれていることがなんだかとっても悔しかった。


ただ自分で気をつけているというか意図的に、今はニュースやテレビをほとんど見ないで、テレビも見るのは『オモウマイ店』か『サラメシ』の録画か、はたまた別の料理や食べ物番組の録画か放送中のものを見ている。


自分の感覚に少しでも集中したいみたいな気持ちがあって、そもそも考えるような時間もあまりないのだけれど、可能な限りまだあの東京DAYSの感覚に浸ったり振り返ったりしたい。


仕事が激務過ぎだからあんまりしっかりとした時間は取れていないけれど、東京でのことを書けるなら書きたいなと今でも思っている。


備忘録として残しておきたいくらいに素敵で濃密で、本当は1日ごとの旅日記にしたかったけれども、それは難しいならせめて印象に強く残ったことだけでも書いてアップしたいなと思っている(書くのはこれから)。

2022年10月18日火曜日

序章〜東京3泊4日の旅

久しぶりの裁縫
左上は自作の針ケース
2004年作
下の針山は、最近この3ヶ月くらいで買ったもの
手作りサイトで見つけた、唯一無二の針山

ペンジュラムと御守りを入れる二代目巾着袋

布も出来上がりもとても気に入っている
初代の巾着袋がボロボロで、
今回の東京旅で
ペンジュラムを見せてと言われそうだから
人前に出しても恥ずかしくない袋を新調しようと
そう思って作った。
初代は7年ほど頑張ってくれた。



2022/10/9 (日)

来週金曜日14日から17日にかけて東京に行ってくる。


14日の昼過ぎから19時前まで1人の時間ができて、その計画を急遽立て始めた。


滞在日数+車の駐車料金を加味して今回は行き帰り高速バスにした。


いきなり時間ができて行きだけでも新幹線にしたら良かったかななんて思ったけれど、新幹線の駅と高速バスの乗り場とが車がないと行き来できないから、今回はこの形で行こうと思う。(しかもチケットを取ってしまったから手続きも手続きするためのまずは調べることも面倒くさい。)


到着は池袋、夜の3人飲みは御徒町、そもそも地理的な位置がわからないから、まずは電車の時間を調べた。


名古屋にいた頃は日々地下鉄に乗っていたからサイトを常に見ていたけれど、あまりに久しぶりすぎてサイトの名前どころか言葉も出てこなくて、「電車時間」と入れて検索して「乗換案内」なるサイトがヒットしたのを見て、そうだったそうだった、乗換案内だったなと思い出した。


池袋と御徒町がけっこう近いと知って、なら思う存分色々時間を使えると知って、頭の中でさっと組み立てた。


今回したいこと

・スープカレーを食べる

・ジュンク堂本店(池袋)でタロットや占星術の本を見てくる

・池袋のデパートで美容部員がいるお店で化粧品を買う


ここまでは到着が池袋だったから元々立ててはいたけれど、御徒町に19時集合と連絡が来て、もう少し何かを入れられると思った時に、とある場所を検索して最寄駅を特定させて、それで「うん、そうしよう」と今さっき決めた。


タロット博物館なるものが浅草にあって、そちらに行くことにした。


タロットを探し始めたのが年明け前の11月とかそのくらいだったと思う。


タロットを手にしてから1年以上経った気でいたけれど、まだ1年も経っていないことに驚いた。


当時手始めにメルカリで買った占い系の雑誌(タロット特集の回)の中で、この世にタロット博物館なるものが存在していることを始めて知った。


いつか行きたいとは常々思っていて、今回はその時間的に足りるのかどうかわからないけれども、ギリギリ行けると踏んで(なんなら池袋の予定を削ってもいい)そちらに行こうと心に決めた。


今調べたら90分制とあった。(90分で入れ替えになるらしい。)


で、事前予約制(+チケット支払い)で、今ほど申し込んだ!!!


とても速い対応。


突然楽しい東京行きになった。







「コスメカウンター」

「デパコス」


デパートの1階とかに大体ある、ブランド系の化粧品コーナーに私は行ったことがない。


何ヶ月か前、意を決して新潟の伊勢丹で行ってみたけれど、私の外観的な感じに問題があるのか、買わない人と思われたのか、すごくぞんざいに扱われた接客で、丁寧だけどぞんざいな感じが伝わってしまう、そんな風で心折れて買わずに帰ってきた。


東京の美容部員が違うのかはわからないけれど、とりあえず今回人生初のデパートのコスメコーナーで買う予定で参戦する。


ちなみに何で買おうと思ったかと言うと、そもそも最小限の化粧しかしないから(してることさえ気付かれない程度)、それなら自分に合う色で肌に負担が少なく長く使えるものを買いたいなと思ったから。


昔はファンデーションを塗っていたりもしたけれど、ファンデーションでさえも私は止めた。


更年期とか関係なく、気温差が激しいと真冬でも顔面汗ダラダラになるから、そして例えば氷点下近い外を歩いた後、密集地帯の10何度かはある地下鉄の車内になんて入ったら、汗がしばらく止まらない。


となると、ファンデーションなんかは仕事に行く前に全て剥げ落ちて、そして見た目にも本当に汚くなるから、30代の初め頃からファンデーションを止めた。


ちなみに顔汗がすごい年上の女性に聞いたら、更年期になるとさらに顔汗がすごくなるらしい(꒪ꇴ꒪)


今でもすごいのに、今後もっとそんなところだけパワーアップされても困る。




2022/10/17もうすぐ18


東京から帰ってきた。


2357分で、もう18日になる。


なった。


23時前に家に着いた。


3泊4日の東京旅はとてつもなく濃密で最高の時間だった。


18日以降の体力や書く気力が未知数という名の読めないというか超絶怪しい感じがするから、1つだけすごく大きな出来事となったことだけサラサラと書いてしまおうと思う。


今回最大の出来事は、自分がずっと探し求めていたものが見つかったことだった。


どの時間も超濃密過ぎて、1年分のトップ10がすべてこの4日に集約されて起こったと言ってもいいくらいだった中で、まさかまさかの自分がずっとずっと何年も、10年以上探していたものがようやく見つかった。


自分のオカルト体質の活かし方、それを第三者に向けて使う時の使い方がものすごく自然な形で手に入った。


そんな予定は一切なかったのに、まさかまさかの展開の先に活かし方・使い方が自分でもはっきりとわかった。


それも申し分ない、自分の中の細かなこだわりや譲れないポイント、苦手・拒否反応ポイントなんかも色々クリアされ、さらには自分の持っているものをフル活用できるタイプの、そういう活かし方・使い方をとても自然な形で見つけた。


余談というかギャグみたいなあっぱれみたいな、何とも言い難いことだけれど、そのやり方を私は酒を飲みながら見つけた( ̄∀ ̄;)


ビール2杯、レモンハイ1杯、白ワイン1000ml(=1L)飲んだ後、別の日はビール1杯、赤ワイン2杯飲んだ後、なんならシャワーまで浴びて寝る直前に始めたという邪道まっしぐらみたいなツッコミどころ満載な状態で見つけるという偉業だった٩(ˊˋ*)و


ちなみに飲んだだけじゃない。


飲んだそれぞれの状態で、超真面目なタロットカードとオラクルカードを使ってカードリーディングをして、それぞれの友達の人生のコアなテーマについて読み解き+ヒントを話す、対話するということをしていた。


そんなこと書き出したら今夜は眠れなくなるから、とりあえずこれだけ書いてアップしたいと思う。







火曜日の朝、二度寝したいと思いつつ、寝たら起きれなくなりそうだから、半分眠い中もう少しだけ付け足しで書いている。


初日の予定

・スープカレーを食べる

・ジュンク堂本店(池袋)でタロットや占星術の本を見てくる

・池袋のデパートで美容部員がいるお店で化粧品を買う

・タロット美術館に行く

は、スープカレーとタロット美術館は実現したけれど、ジュンク堂とデパートの化粧品はあきらめた。


本当に時間が足りなくて、スープカレーを食べた後はタロット美術館に向けての移動までに1時間少ししか時間を作ることができなかった。


そもそも荷物も多いから、とっさに「本は買うと物が増えるから却下」となった。

(池袋に着いて最初にしたのは、空いているコインロッカー探しだった。)


東京に行く直前の連休に、ペンジュラムたち御守りグッズを入れる巾着袋を作った関係で、突然また手芸熱に火が点いた。


東京に行く前に池袋の手芸屋さんを調べて、そこで見つけた西武デパート内のフランスの手芸用品を取り扱っているという店に行った。


そして近くの店を見ているだけであっという間に移動時間近くなってしまったから、デパコスすなわちデパートコスメ巡りは考えることもなく却下になった。


「デパコス」なる言葉をネットで最初に見た時、「ガラパゴスの新しい仲間!?何なのその言葉!?」と意味がわからなくて調べた。


そんな風で、デパコスデビューは延期になった。


タロット美術館は浅草橋にあって、浅草橋に降りたら手芸屋さんの看板がいくつか見えて、そうした店にさえ行く時間がなくてとても残念だった。







火曜日の夜、布団の上から。


今回の3泊4日の旅、1つ1つ書き残したい、それを静かにでもとても強く思うから、この後1日ずつ小さなエピソードをなるべくペース良く書きたいと思う。


忘れてしまうのはとてももったいない。


だから細かく覚えているエピソードを1日ずつまとめて書いていきたいと思う。