2013年12月27日金曜日

6人目のポジション

ガラケーと呼ばれる携帯。
スマホは知らないけど、ガラケーは同じメールを一度に5人までしか送れない。


今回わたし含めて7人でやりとりしていた時のこと。


自分が発信者になったとしても、
一度に5人しか送れないわけだから
1人必ずあふれてしまう。


発信者から見たときの6人目のポジションというのがある。



今回、発信側になって6人目の人物をわたしが選び出すことも
反対にわたしが6人目の人物として選ばれることも
両方体験した。



今回のメールのやりとりが面白かったのは、
「あ!ぶっしーにだけ伝わっていなかった!」
と普通にメールをくれる子もいれば、


なにもなくしれ~っとしてる子もいれば、


ちょっとした気遣いで個人的にメールをくれる子もいれば、


とにかくみんなわが道スタイルでメールをやりとりしてるのがとっても心地良かった。


仮にわたしに内容が伝わってなくてもぜ~んぜん気にならなかったし、
みんなちぐはぐにその時の状況に合わせてメールをやりとりしてるのが、
なんとなく伝わってきたから、
6人目になることでわたしは知らなくても、気にならずに済んだ。


高校入学してからの付き合いだから、もうかれこれ20年になろうとしている。


わたしは集団行動もグループを成すこともとても苦手だけれど、
いい意味での自分勝手や自分のペースを持ってる人たちと付き合うのは大好きだ。


本来連絡するべきことを後回しにして、
このブログを先に書きあげてると後でみんなが知っても誰も怒らないだろう。


もしくは、「なんで先に連絡よこさないの?」
とはっきりと言ってくれるだろう・・・と何の疑いもなく信じているから
ほんと、わたしも自由気ままに自分のペースで動いてる。



話は変わって数日前のこと。


ある朝。
わたしはふたりの友達と同じ空間で朝を迎えた。


ひとりは、普段の生活から解放されてのんびりと朝を迎えていた。
まだ寝足りない様子でふとんの中にくるまっていた。


その空間の家主は、朝早くから人生の修羅場を約1時間後に迎えることが決定し、
家事をこなしながらも、もう心はすでに1時間先の未来に飛んでいた。
いかにその修羅場を乗り切るかの作戦会議で頭の中はいっぱいだっただろう。


わたしは、めちゃくちゃ楽しい時間から一気に現実に引き戻され、
行きたくもない仕事へ行く準備を整えていた。


三人三様の朝だった。


ふたりにじゃあねと告げてただ去ると思っていた。


まじめにそのつもりだった。


そうしたら、なんとふとんにくるまっていた友達が
温かいふとんから抜け出し、わたしを玄関まで見送った。


頭は寝癖でぼさぼさ。
前日のお酒はまだ体内に残っているのか全体的にけだるさ発信。
目は半開きまでひどくなくても4分の3開きといった風。


たった一瞬のできごとではあったけど、
その友達の見送りがとにかくめちゃくちゃうれしくて感動した。


自分の家でもないのに、
まるで自分の家かのように、
とても自然にわたしを見送っていた。


じゃあね~くらいの簡単なあいさつ位しか交わさなかったと思う。


でも言葉がなくても、言葉以上のなにかをわたしはその場で確実に感じ取っていたし、
その日もその後もわたしはその時の風景を何度も何度も反芻している。


反芻しては、なんともいえないしあわせな気分に浸る。


最初に書いた6人目のポジションも、
今さっき書いた朝の見送りも、
どちらも真髄の部分は同じものが流れていると思う。


「おもいやり」なんていう言葉、なんともうそっぽいと思ってしまうけど、
わたしは自分の周りの人たちのそういう自然の行動を見て
「おもいやり」だなぁ・・・と思ってしまう。

2013年12月24日火曜日

ひとりクリスマスイブ 

2013年12月24日。

名古屋は風が強いものの晴れ。

朝起きてから、18個のリストを作成。
今日することをすべて列挙。

上から順に

・レシート整理
・計算
・ゴミ出し
・シャワー
・トイレ掃除
・洗濯
・豪華朝食ブランチ
・掃除
・保険料支払い
・保険証手続き
・奨学金支払い
・家賃支払い
・くじ引き
・洗剤購入
・アソシア(でケーキセットを頼む)
・デパ地下(で夕食の食材ゲット)
・ノート書き
・バスTEL(正月の新潟帰省の電話)


上に書いたことはすべて完了。
それ以外にも、コーヒーブレークや、読書、日記書き、夕食の準備、そして今のブログアップが追加される。


冬の青空見上げて、この1年を思い返した時。

「ほんとうに良くやった!」
と自画自賛。


生活保護どころか、多分ホームレスの人並みにお金がなかった数ヶ月がある。


そこから生活再建できただけでも、
たとえ今好きでもない興味もない仕事をしていても、
普通に生活できているだけで「奇跡」だと感じる。


今日は、この1年をたたえて、思いっきり自分のためだけに過ごしてみよう!と決めた。


名古屋で多分ナンバー1と思われるホテルのラウンジでケーキセットを頼んだ時のこと。
(そこのケーキセット、味と雰囲気含めて、お得だと思います、ちなみに1300円)


ドミニカ共和国の数々の海、
カリブ海も大西洋も旅した、
祖母が亡くなって寒い日本の地も、
太平洋の空の上から自分と同じ高さにオリオン座を見た時も、
名古屋のモーニングも、
愛用そろそろ5年目の木のテーブルの上でも、
色んな時をわたしと共に旅した日記帳を携えて
ホテルのラウンジで苺たっぷりのショートケーキをほおばっていた時のこと。


2013年に書いた日記をすべて読み返していた。


「(お父さんから)電話がきた。
涙が出るばかりで電話に出なかった。
いつまでもいつまでもブーブーと鳴っていた。
切れてから見てみたら96秒と出ていた。
子どもの為だったら親はどんなこともするんだと思ったら余計と涙が出た。
もう胸がつまって何も言葉は出てこない。」


「」に書いたことは、ある春の日の場面だ。。。


ホテルのラウンジだということさえもどうでもよくなって、
というか、そんなこと気にする余裕がないくらいに、
わたしはそれを読んで泣いた。


もう何ヶ月も経っているのに、ぼろぼろと泣いた。


当時もかなりぼろぼろと泣いていたけれど、
今も泣けてしまうくらい、色んな想いがうんと詰まった場面を思い出した。


今日のクリスマスイブの日。
別に休みを申請したわけでもないのに、休みになった。


ひとりで過ごすとと~っても寂しくなるのか、確かめてみようと思った。


寂しくなる暇もなく、日常のやることをひとつひとつこなし、
そしてデートの人たちが溢れかえっていそうな場所に2つほど行ってみたけれど、
くじ引きの場所は中高年ばかりだし、
ホテルのラウンジさえ、おひとりさまの女性やらビジネスマンでごった返していた。


もちろん、道行く人たちの中にはデートを楽しんでるカップルもいれば、
多分クリスマスプレゼントを買うために彼女に同行して、
彼女は自分の好みの服を見て回っているけれど、
彼は彼女が気に入った服の値札ばかりを彼女が去った後でチェックしていて
クリスマスというより、日常のやりとりが目に見えるようだった。
「うん、それもいいね~」
と言いながら、彼女が次の服を物色する間に値札をチェックしている姿は
人間らしくて笑えた。


家に戻ってから、豪華なクリスマスディナーを演出した。
メインは、友達がくれたスペイン産の赤ワイン。


2割引で買った近所のスーパーのチキンは、
ケンタッキーよりおいしい♪と感じた位のうまさ&安さだった。
明日も売ってるなら、買って食べたいくらいのうまさ。


ワインを飲みながら、ワインの贈り主にお礼のメールを送った。
新年会の相談や今年一年のお礼をお互いにやりとりした。


だらだら書き綴ったけど、
とにかく、と~っても満たされたひとりクリスマスイブだった。


その満たされ方も、
365日の中でトップ5に入る位の満たされ方だった。


あまりにも満たされたわたしは、
今日2回目の日記を日記帳に記した。

2013年12月17日火曜日

夢ではない夢の時間

きのうのこと。
ある友達に会ってきた。


この人との出逢いは不思議だ。
わたしはその人を、自分がとっても信頼している人から
「こんな人がいるよ~」
と教えてもらったのが最初。
会ったこともない、当然名前も顔も知らない、
だけど人柄や生き様は知ってると言う
「森山直太朗知ってます」と同じレベル、
実際はそれ以下の情報しか握っていない人だった。


ある時。
わたしはその人とコーチング系の勉強会で席が隣りになった。
その時すらもその人がそのうわさの人物だとは知らなかった。
とにかく、頭のきれる人だと思った。


後日、別の人から、隣りに座っていた人が、そのうわさの人物と同一人物だと初めて知らされた。
その人にお願いして、なんとか時間を作って会って欲しいとお願いしたのが
多分去年の秋くらいだったと思う。


しばらく色んなことから距離を置いていたけれど、
また様々なことが重なって、この間数ヶ月ぶりにたくさんの人がいる会場で会った。
今度またお茶しよう!となって、会ってきたのが昨日。


昨日の3時間くらいの時間は、まさに夢のような、でも夢ではない時間だった。



わたしはそこでひとつ決心をする。


ずっとずっとやろうと思っていたことがあった。


実際は、もうすでにやり始めていることだった。


だけど、ああでもない、こうでもないと自分に言い訳して
やることから回避していた。


やることと言うより、それを誰かに伝えるのをずっとためらっていた。


正直、やってどうなるんだ?と思っていたし、
一体ぜんたい、わたしのやってることは何なんだろう…?
といつも答えの出ない質問を前に動き出すことから逃げまくっていたし、
言い訳だらけ、逃げ道だらけだった。


深層心理で「この人ならわかってくれるかもしれない」と思ってわたしは話をしたのかはわからない。
気付くと、とても自然に
「実はね…」
と前々から構想としてあったものの話をした。


それはこのブログとはまた別の「書くこと」。


その内容は、わたし自身が生み出した表現ではない。
だけど、すれ違いの見知らぬ人たちや、知ってる大切な人たちが
発した言葉とそれにまつわるエピソードを形にしたいという、
とりあえず聞いたもの見たもの、
わたしの五感すべてもしくは六感も使って感じているすべてを表現するものだった。


そのアイディアを得たきっかけや、
今年の夏、ほんとうに「これだ!これをかたちにしたい!」と思った、
ある見知らぬ親子の会話を話した。
時間にしたら1分にも満たなかったと思う。


「ぶっしー、それやろうよ!」

というようなことを言ってくれてたと思う。


細かな内容はほとんど聞かず、
わたしの簡単な説明だけ聞いて
「やろう!」
ほんとうに、その言葉だけだった。


具体的に動くステップも、とってもわかりやすく提示してくれた。


「えっ!?それだけでいいの?」
とわたしはすぐさまに聞いた。
まじめに、そんなにも簡単でかつ確実にわたしが無理なくやれる動きで、
そのシンプルさに心底驚いた。


「そんなもんだと思うよ」
と、驚いてばかりいるわたしに、相手はさらりと答えた。

  
「ねぇ、ぶっしー。
今だったら、やっても失うものないじゃん!
やることで新たな可能性が生まれることはあっても、
やることで何かを失うって絶対ないじゃん!」


と続けて言ってくれた。


ほんとうにその通りだった。


今のわたしは、特に今回のように自分の頭の中にあるものを「見えるかたち」にするのにお金はいらない(注)。


やったことで、それが何にもならなくても、
やるだけでわたしの中に後悔は100%ない。


そして、
「『わたしは○○です』と宣言した瞬間に、もうそうなるんだよ」
と、とても優しく諭された。
友達は、わたしにある称号を与えてくれた。
その称号は、友達いわくわたしのやってることそのものだと断言してくれた。
なんとも心強かった。




今年1年、とにかく悩んだ。
進む方向性も見えず。
どうしたいのかもわからず。
もう失敗も痛みもこりごりだと思った。
しばらくは派遣に逃げ込んで、なんとか生活を立て直すところから始めよう…
何かを始めるまで、まだまだうんと心の準備がいると思っていた。
先の見えないトンネルを前に、一生このままだったらどうしよう…と焦りも不安もいつも隣り合わせだった。
何かを始めるだなんて、まだまだうんと先だと勝手に決めていた。


昨日も、
そんな展開になるとはつゆ知らず、
のんきに地下鉄に乗って出かけ、
遅刻魔で有名の友達が本当に時間を守って集合場所に現れたことに驚き、
今の時間ならモーニングできる!ラッキー♪
位な感じでコメダに入った。


当たり前だけど、動くのは自分。
何かを変えられるのも自分。


だけど、わたしの場合は、大きなプッシュが必要だった。
軽く背中を押してもらう感じではなく、
具体的なステップはライトな感じでも、
動くには大きな後押しが必要だった。


まさか昨日のような形でそのプッシュがもたらされるとは、ゆめゆめ思わなかった。


そう、昨日はまさに、夢ではない夢のような時間だった。




一夜明けて、空が明るくなり出した頃。
わたしは早速、昨日話していたことを行動に移した。


それはとても自然に、まるで朝ごはんを作るかのように、その作業に没頭した。


友達にそのデータを送ってから、今日は仕事に行った。


わたし、できるんだ、
と自画自賛ではないけれど、
無理なく動けた自分に感動した。


近日中、これからしばらく取りかかるぶっしープロジェクト発表予定☆


(注)始めるのにお金が0円なのは、ほんとうにほんと。
それはまるっきしウソがない。
ただ、ひとつだけ、そこには上には書いてないことが含まれている。
わたしが今回形にするのに、友達がひとつ全面的な協力をしてくれる。
友達もプロだから、本来ならそのサービスに対してお金が発生するもの。

今回、「出世払い」という、大真面目に、そういう名のもとで絶大なる協力を得ています。

2013年12月16日月曜日

夜布団の中で書いたこと

しばらくブログから離れている。
書きたいことはあって、何回かパソコンを立ち上げて書き出してみたけれど、
いざ文章にしようとすると手が留まる。
思考が止まる。
一体何を「文章」として残しておきたいのか、
その根底を考えているうちに、気付くと別の何かを体が始めてしまっている。


体も心もいっぱいいっぱいになりだしていた10月の終わり。
とにかく何かしら非日常の味を生活に取り入れたくなった。
体が新しいことに慣れることに必死で、
非日常の具体的計画も思い浮かばず、
ただひたすら「何かいつもと違うことをしたい・・・」
そればかりを願っていたように思う。


その矢先、2つほど、1泊2日の小さな旅の計画がもたらされた。
お金・時間・体力の三拍子を揃える自信、確信があった。
若干、無理を強いる気もしたけど、
もう2つとも二度とはない計画な気もして、
二人の発案者にそれぞれ「行く」と返事した。


その2つの旅のことを本当は書きたい。
とにかく書きたい。
それを書くために何度もパソコンを立ち上げた。
言い訳じみているけれど、
2つとも感動がでかすぎて、言葉にしようとすると、
「言葉に表そうとする」ことにエネルギーが流れて、
結局言葉が思い浮かばない。



例えば、いくつもの偶然が重なりまくって、
たまたまガイド付きで登った熊野古道の頂上付近で
妊娠中の友達とその家族と私で
「安産祈願のお地蔵様」に祈りをささげるとか。


ちなみに友達家族との旅行は計画したものではなくて、
色んなことが重なった結果、なりゆきでそうなっただけだった。
しかも、ガイドの人以外、頂上に安産祈願のお地蔵様がいるなんて知らなかったし、
妊娠中の友達は当日まで同行するかどうかは体調を見てからの判断だった。

もうそこにみんなで行くしかないようになっていたとしか思えない出来事だった。



例えば、何も事情を知らないわたしが
友達の最寄り駅で、話をやめてしまうのが惜しくて惜しくてたまらなかった時、
改札前で立ち話もなんだから、あともう1軒だけどこかに入ろう!
あ、あそこにマックがあるじゃん、あそこはどう?
と提案して、そこにわたしたち3人+小さな娘ちゃんで入るんだけど、
実はそのマクドナルドこそ、そのうちの1人の人生を大きく変えた
ある日の人生の1ページに深く関わっていたとは。


そして、そこで聞いた話、と言うよりも、
その話をしていた彼女の姿、
話を聞いてるわたしともう一人、
ベビーカーの中ですやすや眠る娘ちゃん、
その4人がひとつの空間にすっぽりとおさまって
言葉にはできない雰囲気に包まれていたこととか。


これらの小さなエピソードは、それぞれの旅の断片でしかないけれど、
そんなことが山ほどあった。
もう、とにかく盛りだくさんすぎて、
ここ数ヶ月で読んだ作家さんたちの旅のエッセイの中で
「全部書いていたら1冊の本ができてしまう」
というようなことを書いていた心情が、
わたしもなるほどわかってしまう。


上の文章。
数日前の夜、もう書き出さないと悶々としてしまって、
夜布団の中でノートにダダダッと書き綴った内容。

派遣の窓から見える世界

10月の第2週から行き出した仕事。
何一つ自分のこれからを決められず、「これ!」と言ってやりたい!ということもなく。
かと言って、働かず0円生活なんてできるわけもなく。
派遣会社を数社回って、ようやく自分の条件と8、9割合致したのが今の仕事だった。


会社自体の業種で言えば、これまで一度も足を踏み入れたことのない分野だった。


今も変わらず、興味も湧かない、多分一生湧かないようなところに身を置いて
早10週間が経過した。



話は変わるが、
大型書店に行くと、あの高さは2メートル以上あって、それが両脇に何メートルも立ちはだかり、その巨大な本棚には溢れんばかりのビジネス書…
という光景がいつも不思議は不思議だった。


しかもそれが1列だけではない。
何列かビジネス書が続く。


あんなにたくさんの情報をどうするのだろうかと思っていた。


今の職場に行って、あれらのビジネス書が必要なんだろうと妙に納得してしまった。


どういうことかというと、
感情や個人の独創性なんかをもろに出していては仕事にならない。


ものすごく個人的な感想になってしまうけど、
数十年、もしくは一世紀以上読み継がれているビジネス書はさておき、
来年には本棚には並ばなそうな本たちは、
往々にして「how to本」の類いになってる。


全部が全部、how to本ではないにしても、
大半は、ビジネスのある特定の分野の特定のピンポイントにおけるhow to攻略のようになっている。


そこに感情だとか個人の独創性なんかをわんさか盛り込んだら
そしてそれを推奨したりなんかしたら
多分、日本の経済界は回らない。


how toは、どこか没個性を推進させるにおいがする。


当たり前だけど、
人間で、感情があって、おのおの思うことがあって…
そんなの当たり前だとこれまで思っていたし今も思っているけれど、
それらを押し殺さないと仕事にならない仕事がこの世にあるとは
今の仕事を始めるまで想像だにしていなかった。


職場の中をよく観察していると、
ひとりひとり個性があるし、
多分それぞれ感じてることや思ってることがあるだろうことも伝わってくる。


だけど、そういうことよりも
会社が定めた規定やマニュアルが最優先される。
その最優先されたものに、人間が合わせるしかない事態に陥っている。


規定やマニュアルももちろん誰か人間が作成したものではあるけれど、
それは売上とか効率とかを最重要視して作られたものに他ならないだろうという気がする。
人間が人間として備わっている「喜怒哀楽」をどこか隠してする仕事、
機械のように無機質になることを推奨しているかのような雰囲気、
わたしはいつまでそこに違和感を感じ続けられるのだろうかと自分が心配になる。


11年、12年の社会人生活を振り返る。
どんな仕事をしていても、基本的にわたしは感情をもろに剥き出し、
もちろん猫をかぶったり営業用の笑顔も声も作る場面だって多少あったけど、
それでもずっと自分をある程度丸出しにしてたんだなぁと思う。


だから、そうではない環境に今身を置いて違和感を覚える。