2017年11月30日木曜日

めぐりあい

昨日の夜、一連の出来事を箇条書きにしたノートを読み返していた。

当時の自分にお礼を言いたい。

箇条書きであっても、当時のことを私は日付順に、要は起こった順に、何がどうなったかを書いておいた。

後でいくらでも振り返られるように、そしてその瞬間瞬間を覚えておきたくて、私はいくつかのことをメモした。

ショックなことや悲しかったことも私は目をそらさずにそのまま書いておいた。

起きたことはすべて起きたこととして記録しておきたかった。

そのメモを昨日、2ヶ月以上ぶりかと思う、改めて読んでみた。

 

当時の光景がよみがえる。

もう一度頭の中で再生。

いやいや、もう一回再生。

再生すればするほど、その時の光景に私は本音とは違うものを感じていた。

私の本音の方じゃなくて、私以外のところにある本音が本音とは違う、気のせいかもしれないけれど私はその時そんな風に感じていた。

 

2ヶ月もすれば、あったことすべてをリセットするかのように、また元の日常に戻ることになるのかと思う時もあった。

未来のことなんて当然私だって知らない。

だけど、否応なしにリセットされた環境に身を投じれば、また自分の日常もリセットされて、元の日々と変わらない日常が待っているのかもしれない、そんな風に思っていた。

もしくは、一気にリセットされなくても、日常を過ごしているうちに色んなことは忘れ去られて行く…、そうなってもおかしくないと思っていた。

だけど、2ヶ月という時間を経て今わかったことは、それらが一切色褪せることなく、むしろさらに色彩や深みを増したという事実。

リセットするどころか、ますますリセット予定のものは色濃くなっていった。

それも2ヶ月前に目の前にあった時よりも、今ない現実にいる時の方が色濃いのだから、自分でも驚いた。

日常に戻るどころか、ますます不思議なことが度重なり、不在のものは不在のくせして私はあちこちからその情報や名を耳にするという、これまた面白い日常が展開している。

目に見える現実の世界にはいないのに、名前とかのつかめない・見えない形で存在をあちこちにちりばめている。

 

昨日の夜、そのメモを見てそして2ヶ月を振り返って自分できっぱりと決めたこと。

「もう自分に嘘をつくことをしなくてもいいこと。

誰に遠慮することなく、自分が思いたいように思っていたらいい」

ようやく自分で自分にOKを出せた感じだった。

それはある種の爽快感を伴った。

常識で、または大人的な感覚で判断すると、今の私も2ヶ月前の私もとってもおかしい人になる。

それは否定しない。

本当におかしいと思う。

私は自分の感覚を説明できる言葉を持っていない。

どう説明して良いのかも正直わからない。

で、いい年した大人が今の自分を言葉で表現しようものなら、「もっと現実を見なよ」と言われるだろう。

私自身もおかしいと思っているから、自分の気がかなりぶれているか勘違いなのかもとそれこそ数え切れないくらい思った。

この2ヶ月もそう思わなった日がなかったわけじゃない。

なかったわけじゃなかったけれど、それ以上に目に見えない部分で自分の中を占めている、その事実の方がいつしか大きくなった。

どんなにおかしくても、実際に自分の中を占めているものがこんなにもはっきりと出てきたら、もう否定のしようがなかった。

 

あともうひとつ。

2ヶ月前と今とでは、私は同じところにいるけれど環境は確実に変わった。

あったものがなくなったんだから、当然変化が生じる。

目に見える景色も当然変わった。

その変化によって、私はさらに一層自分の中にあるものを確信していった。

たとえば、自分が全神経を集中して見ていたもの聞いていたものがあった。

本当にその集中力たるやすごかった。

今もその見ていたものや聞いていたものと同じような情景が目の前に広がるのは日常茶飯事だったりする。

だけど、私はもうそれらに全く見向きもせず、人や環境が変わると、たとえ同じように見えるものでも似て非なるものだということがよくわかる。

似て非なるものたちに私は一切の感情も動かなければ、何なら興味関心もないから、まるっと自分の世界に入っていて外で何が起こっているのか誰がいるのかしばし気付かないこともある。

同じような状況が復元されればされるほど、あれはあの時だけのとても特別なものであったことを実感する。

ある人が言っていた言葉がすごくぴったりな感覚だと思う。

人はドキドキしようと思ってもドキドキはできない、だけどドキドキさせられたらもうそれは自分でも止められないもの。

そんな内容だったと思う。

同じ状況でも、自分の感情が動くか動かないかは、そこにあるものが何かによって変わる。

あるものがあるのとないのとでは、こんなにも見える世界が違うのかと愕然とする。

そして、その世界にいる自分自身が、全く別人のようになっていることにも。

ないというだけで、自分の中のスイッチが完全にオフになる。

オンになった時もそれは自動でいつも勝手にオンになっていたけれど、オフも同様にまた自動的にオフになっている。

色彩が失われた世界に私は興味がなく、今は基本的にその環境下での私はオフになっている。

唯一、その情熱を傾けて見つめていたものの名残を目にする時耳にする時だけ、私のスイッチはあっという間に一瞬でオンになる。

今の私は手書きの文字1つ見るだけで狂喜乱舞する特殊体質になっている。

 

そこで昨日の夜、私はもう色々自分の中で否定することを止めようと決めた。

おかしいと言えばおかしいことでも、もうそれが私の中では自然なことなんだから、そのまま受け止めたらいいって。

異常なことでも、それが毎日毎分のこととなれば、もうそれは異常ではなくて自然なこととして日常に横たわっている。

別に誰に迷惑をかけるわけでもなければ、もちろん自分に迷惑をかけるわけでもない。

しかもその異常と思うような状態にある時の自分は、悲しみやショックなことも含めてしあわせそのものだと思う。

いくらお金を積んでも、または私がいくら偉くなって時の権力者になったとしても、決して手には入らないもの。

そういうものを私は手にした。

人生の中でそういうものに触れられるって、どれだけラッキーなことなんだろうと思う。

そういうものを自分自らは引き起こせない。

まして、欲しいと願ったら手に入るものでもない。

私はそんなものを、そんな瞬間瞬間を、この生きている人生の中で手にして出合えた。

その事実だけは変わらない。

そして時を経て、目の前の景色が変わっても、生き続けていくもの、そういうものと巡り合えるということに、私は自分の中の最上級の「目に見えない大切なもの」に触れ合っている、そういう生きた感覚だけはものすごく強くある。

 

私はこの秋、ある格闘技に嫉妬した。

「○○○○LOVE」と言ってもらえる、その格闘技に本気で嫉妬した。

大人の遠足

今年最後になると思われる1泊2日の旅。

今日(11/29)と明日とあさって、あと3回寝たら、朝早い新幹線で東京へ行く。

昨日と今日、仕事が終わってから、私は行きの新幹線用のおやつを買った。

大真面目に、行きの新幹線で350か500のどちらのビールを持って行こうか悩んでいる。

ビールの銘柄についてもどれにしようか楽しく悩んでいる。

この楽しい悩み事はいくら悩んでも飽きることがない。

今回のおやつは、最近駅にできた日本酒館に売られているカワハギ(数週間前から目をつけていた)、チェダーチーズ味のプレッツェル(「プレッツェル」とタイピングするのはとても難しいと今知った)、そしてアーモンドチョコレート。

朝7時台の新幹線だけど、朝食代わりに朝ビール♪

そしてビール片手に、日記を書くことと今はまっている日本語ひらがなの調べ物の本の読書。

もうそれだけで楽しみになっている。


東京に着いたら、まずは次の日記帳探し。

時間は2時間あるかないかだから、なければ次、なければ次とどんどん店を見ていきたい。

1日目のメインイベントは、命の授業

命の現場で働いている人たちを集めてのイベントを友達が開く。

そこにおじゃましてくる。

「ぶっしーハンカチ持参忘れずに」とラインにあったから、お気に入りのハンカチを持って行こうと思う。

その後は主催者の友達を中心とした懇親会にお邪魔して、ちょっとしたスイーツを買って妹宅へ。


2日目の日曜日は1つ以外予定をまるっと空けている。

次なる東京メモリーズを作ることももくろんでいる。

15時に吉祥寺に占いのおばちゃんのところへ行ってくる。

ついでに腕時計のベルトも替えてこようと思う。

ベージュ、赤ときたから、次は青いベルトを付けたいと長いこと思っている。

どうか素敵なベルトと出会えますように。


2日目は何が入ってもいいように、すきまを空けておこう。

そう思って、今回は誰にも連絡を取らずにふらっと東京へ行ってくる。


今朝は、普段履き慣れている白いスニーカーを風呂場で洗い上げた。

それを履いて行こうと思っている。

服も普段着とそう変わらない格好だから、土曜日にこれ日曜日にあれと決めて、逆算して木曜と金曜は仕事にこれを着て行こうと考えるのも楽しい。

おしゃれの必要性のなくなった職場は日々適当さに拍車がかかって仕方ないけれど、それでも旅に出るとなると、その服装の微調整が必要で、その必要な行為も普段なら面倒でも今はうきうきする。


昨日の朝は、その命の授業を主催する友達に頼まれて、自分の赤ちゃんの頃の写真を探しに足の踏み場もないほどの荷物で埋められた車庫に行ってきた。

引っ越し用の荷物がすべて積まれている車庫で、そのアルバムを探すのにどれだけの時間を要するのか想像もつかなかったけれど、必要なら出てくると信じて行ってみた。

車で行こうとしたら、霜が大量に下りるほどの冷気のおかげでフロントガラスが真っ白で、それを溶かす手間と時間を考えたら歩いていく方が早いと踏んで、歩いて行ってきた。

しかも寝坊して、シャワーも浴びないといけないのにも関わらず、私は出勤までの1時間少しの時間で写真を探しに出かけた。

本当に必要なものだったと思う。

想像以上に早くアルバムに辿り着き、重たいアルバムを持って車庫を後にした。

そうしたら、朝日と冷気にさらされ朝もやがかった空気とが混じり合って、何とも言えない幻想的な風景に出逢うことができた。



子どもの時はずっと、大人になってからも合わせて数年住んでいる土地だけれど、そういう風景に出逢ったのは今回が初めてだった。

そしてそういう時の時間の伸び方は不思議で、1時間ほどの時間で20分強の移動とアルバム探し+幻想的な風景の写真撮影、シャワー、身支度、朝ごはんとすべてを完了させた。

そして日課の墓参りも出勤前に済ませた。


大人の遠足、もう行く前からこんなに楽しいこと満載ですごいことになっている。

ちなみに子どもの頃、私は修学旅行も遠足も全く楽しみに思えなかった性質だから、今大人になってからの方が旅行関係はうんと楽しめるようになった。

指折り数えるとか、おやつの準備とか、荷作りとか、もうあれもこれも楽しくってたまらない。


そうだ。

2つあと東京での楽しみがある。

1つはクリスマスイルミネーション。

私は1人でもあのイルミネーションを見ているだけで超テンションが上がる。

東京はさぞかし豪華なイルミネーションがありそうだから、今からどんなイルミネーションに出逢えるかとっても楽しみ。

もう1つ。

同じ土地の空気を吸うこと。

離れた誰かと近くの空気、たとえそれが汚れた東京の空気でも、私はその空気を吸いにいけると思うと、その近くになれる感じに1人でうれしくなってしまう。

空気のきれい汚いよりも、普段は遠い空気がかなり近くなるという、そこにマジックめいたときめきポイントがある←かなりおめでたい人だと思う。

2017年11月26日日曜日

清算

社会人最初の職場の人たちと10年ぶりの再会をした今日。


10年経ったとは思えない、あの頃と何ら変わらない感じで話に花を咲かせた。


本当に良い時間を過ごせた。


当時の同僚だった3人は、私の当時の恋愛についても知っている。


若干遠慮がちに、でも一人が「当時付き合ってた人とどうなりましたか?」と聞いてくれた。


妙齢過ぎてそういう話題を私に振ってはいけない、と暗黙の了解みたいなのが久しぶりの再会とかになるとあるけれど、私はそうやって聞いてもらえた方が気持ちとしてはうれしい。


相手との関係性にもよるけれど、今日集まった人たちは少なくとも興味本位で私に聞いているんじゃなくて、私に対して純粋に「元気だった?」と聞くのと同じレベルで聞いてくれるのがわかるから、だから答えるのは全然嫌じゃなかった。


自分から話すようなことじゃないけれど、聞かれてもそのまま答えればいいだけだから。


むしろ遠慮していることだけ感じて聞かれない方がむしろ気を遣わせたことがわかって、私の方もばつが悪くなる。


一瞬頭の中でどう答えようかと言葉を選んでいる自分に気付いた。


時間にして1秒とかだと思う。


基本的に私はいつも聞かれたら即答するから言葉を選ぶなんていうことはしない。


だけど、その時だけはどういう言葉が一番いいのか懸命に言葉を選んでいた。


そして私の口から出たのは
「清算しました」
だった。


別れました、終わりました、別々の道になりました…、他にもいくらでも表現方法はあっただろうに、私の口からぽろっと出てきたのは「清算しました」だった。


自分でもその言葉を選んでいることに驚き、「でも『関係を清算する』っていうのとは違うんだよね」と思っていた。


なんとなく「清い」という言葉がぴんときたのと「清算」がそのまま出てきた。


そして今さっき「清算」を調べた。


goo辞書によると、清算は「これまでの関係・事柄に結末をつけること」と出た。


あぁぴったりだと感じた。


「これまでの関係に結末をつけること」まさにその通りだった。


先に言えば、具体的にいつかとははっきり言えないけれど、結論はとっくの昔に出ていた。


関係の白黒の結論がはっきり出るのと、それに対して自分の気持ちの結末を迎えるのとは全く別の事柄だと思う。


もう何年もずっと時は止まっていた。


日常生活にどんなにたくさんの変化が起きて、自分の周りにいる人たちが変わって、ありとあらゆる現実が変わっても、私の中ではずっとずっと止まったままだった。


気持ちがまだあるとかないとか、そんな次元の話ではなかった。


執着してるとかいうのともこれまた違う風だった。


もう言葉でなんて表すことのできない色んな気持ちがいつも自分の中にあった。


その相手との未来について、期待はゼロに何年か前になったし、そういう意味で自分も次に進もうと思ったことも何回もあった。


ようやく前を向けそうと思えるようになったのが多分今から4年ぐらい前。


2~3年前に、次にいい人に出逢えたらその人との未来を考えたい、と思えるようになった。


だけど、その時もまだまだずっとそれ以上の人なんていないとものすごく強く思っている自分がいるのも本当だった。


去年あたりから、その人がいなくても生きていけること、その人がいない人生でも私はこの10年近い間でしあわせになれることを知った。


今年の私の誕生日の日。


私はその人と出逢ってから初めて朝から泣いた。


私にとってもその人が特別であるように、その人にとっても私が特別だということをはっきりと知った。


それは表面上の関係がどうだとかそんなの関係なくて、生きているうちはお互いの誕生日はもう1人にとって特別であること、それがはっきりとわかった。


その人を追い求めたりしなくても、心の片隅にでも私はいるということが本当の本当にわかったから、それで私の中でようやく腑に落ちるものがあって、それで十分と思えた。


それからまた何ヶ月かしてその人の今年の誕生日を迎えた。


私はびっくりした。


今年も一人で小さくお祝いをした。


日記帳も開いた。


書いた。


書いたけど、もうその時には私の心はここにあらずだった。


もっと別のことで頭はいっぱいになってた。


私は自分で自分の頭の中を意図的に切り替えないと、その日記帳を書き進められないぐらいだった。


「これまでの関係に結末をつける」それが自分でも知らないうちに自然になされていた。


そしてそれから1ヶ月ぐらいした時にひまわりを見て、とても穏やかな気持ちでひまわりを眺めている自分がいた。


これから先の人生だって、ひまわりを見れば色んなことを思い出す。


他の何かを見てもひまわりと似た現象は起きると思う。


でもそれに対して私は、思いの形が変わろうが自分の生き方が変わろうが、自分の中で大切だった過去は大切なままだし、相手からもらったものすべては私の中の一生の宝物として心にそっといつもしまっておけばいい、そんな風に無理なく何なら笑顔つけてぐらいの感じで思えた。


本当にうんとうんと時間はかかったけれど、そう思えるようになった。


だから当時を知る人たちから聞かれた時に、なぜかとっさに出た言葉が「清算しました」だったことにすごく納得できる。


「これまでの関係に結末をつける」ということを自分の中でできたから、だから別れましたや終わりましたじゃない言葉、その時は「清算」の意味なんてわかっていなかったけれど、でもより相応しそうな言葉が「清算」だった。


~relative story~
奇跡の再会


予感

77777の未来


今の車が私の元へやってきたのは2016年の6月だった。

具体的に何キロ走行済みかは覚えていないけれど、65000キロ前後だったことは間違いない。

私は試乗もせず、ただ一度販売店で外見だけを1分ほど見て、それで決めた。

その決断は、「しばらく新潟にいなきゃいけないんだ」という体を縛るもののように見えて、車を前にどんよりとした気分になった。

ますます自分の人生の向かっている先が混沌として、やりたくないことはいくらでも言えてもやりたいことや向かいたい方向がさっぱりわからず、これでいいんだろうか?と何度自問自答をしたかわからない。

とりあえず仕事を始めて、そして日常的に車を運転する生活を実に10年ぶりに再開した。

10年ぶりの運転はいくら軽でも怖ろしく、私は最初に運転した時に時速30kmでも完全におののいていた。

ちょっとずつ運転にも生活にも慣れてきた頃、車のメーターを見て、「77777キロになる時は私はどんな毎日を送っているんだろう?」とちょっとだけ楽しみになった。

12000キロ程先ということは1年位先だろうなぁと思い、それはその時のお楽しみ♪と思って、小さな楽しみとして持っていた。
 

今年の夏、そろそろ77777キロが見えそうというところに来た。

その頃、1年前には全く想像もしていなかったことが人生に舞い込んできていた。

まさに77777という数字に相応しいしあわせな出来事に包まれていた。

結局夏の間には77777キロには達することなく、9月25日の夜に77777キロに達した。

9月25日の朝、たまたま見た別のキロ数表示:77.7(驚)

その時、しあわせと同じくらい大きなもしくはそれ以上の悲しみのカウントダウンが始まっていた。
 
今気付いたら、その日から今日が丁度2ヶ月だ。

77777キロの未来は、やっぱりキラキラしてた。

ラッキーセブンと呼ばれるだけあって、本当にラッキー、運に恵まれていた。

一生のうち、そう何度も経験できない出逢いを私は得た。

悲しみや他の何かもすべて凌駕する、そういう域のものだった。

生きているからこそ得られた喜びや悲しみで、それは生きていなければ経験できない極上のものだと感じている。

出逢えて本当に良かった、その一言に尽きる。

そして何よりもその少し前から確実に人生の流れが変わった。

生きることの喜びとか、人生でやりたいこととか、そういうものがまた少しずつ自分の内側から湧いて出てきた。

それはとっても大きなことではなくて、例えば今こうして書き物をしていても楽しい。

朝出勤したら手にお気に入りのハンドクリームを塗るというだけで、私はそういうことを自分で自分にしていることに酔いしれる。

私はこの年になるまで日常的にハンドクリームを自分の手に塗り込むなんていうことをしてこなかったから、だからそういういわゆる女子力と呼ばれるような行為を自ら喜んでやっている姿に感動する。

今は自分の名前の意味を調べることに余念がない。

調べる時間はあっという間でやっていて楽しい。

なんとなく、そういう小さな1つ1つのことが先々の何かに繋がっていくんだろうなぁと思っている。
 
心が完全にしおれてしまった時期に今の車はやってきて、その車は私を縛ってしまうと思っていた。

そんなことはなかった。

この車は、私を必要な場所へ連れて行ってくれた。

この車なくしては、私はこの1年半で手にしたほとんどのものを手にすることはなかった。

そして車がなければ、私は出逢いの場へと行くことは選ばなかった。

車なくしては行けない場所だったから。

次は88888キロが大きな通過点になる。

88888キロに至るまでの道もそしてその瞬間も、どんな未来になるのかそれを楽しみにしている自分がいる。

BUSHI様


朝職場に着くと、机の上にはSさんからのメモが置かれていた。

「BUSHI様」

と私の名前は書かれていて、あとは用件が書かれていた。

社会人になってから色んな人たちから手書きのメモをもらったけれど、未だかつて「BUSHI様」と書かれたことは一度もない。

私は朝から吹き出しそうになり(周りの人たちはもっと早くから出勤していて真面目に仕事をしていた)、Sさんが身支度を整えて戻ってきた頃Sさんのところに行ってメモのお礼かたがたそのBUSHI様について突っ込んだ。

Sさんはニコニコ顔で
「ぶしまたさんの名前は書くと、私の中で『武士俣』じゃなくて『BUSHI』なんです!プロレス好きな人の中ではみんな絶対にそうですよ!」
と言い放った。

メモは仕事のことだからすごい真面目な内容なのに、その私の名前のところだけ超プライベート全開のSさん好みの仕様に仕上がっていたから、そのギャップが朝から可笑しすぎた。

それがSさんから初めてもらったメモだったけれど、Sさんはこれからも私に何かを残すことが出てくれば毎回「BUSHI」と書くと私に宣言していた。
 

今でこそ私は自分の名字が嫌ではなくなったし、むしろ「ぶっしー」と老若男女問わず誰でも呼びやすいあだ名もあって便利な名前だなと思うようにはなったけれど、子どもの頃はこの名前でたくさんいじられいじめられ本当の本当に嫌な思いをたくさんした。

しかも、ぱっと見て読めないし(大抵の人はそのまま読んでいいのか迷うらしい)、電話越しでも対面でも自分の名前を言うと毎回聞き返されるしで、正直普段は不便なことの方が多い。

でも大人になってからは、この名前のおかげで笑いや空気を和らげる瞬間を経験することがうんと増えた。

日常的に面倒なことは相変わらずだけど、それ以上の良い面を見ることができたから、今はこの名字で良かったと思っている。

今回の「BUSHI」は人生初の新種のパターンだったけれど、これからもこの名前で色んなストーリーが展開していくのは面白いなと思う。

自分の名前

1998年の夏か秋だったんじゃないかと思う。

アメリカ北西部のとある田舎町の雑貨屋で私は写真のノートに出逢った。


大学のある町で、その雑貨屋は町で一番おしゃれな(唯一の)雑貨屋だった。

CDから服、雑貨まで色んなものを置いているお店だった。

まさか英語圏の国で、自分の名前と同じ字が書かれたノートを目にするとは思わず、何に使うかも決めずに即決でノートを買った。

1999年の3月に20歳になった時、そのノートを初めて使い、それ以降今に至るまで毎年誕生日の日にだけ書く日記帳として活躍している。

 

2017年の秋、つい先日、そのノートをまじまじと見た。

もうそろそろ買ってから20年経とうとしている。

19歳だった私もそれ以降の私も大してそこに大きな意味など感じず、その言葉の通りだよね~と実に軽く受け流していた。

だけど、この間よくよくそのノートを見て、自分で自分にびっくりした。

 


「史」という文字。

「writing one's own history」

と説明されている。

私は単に「自分の歴史を書く」という意味にしか捉えず、それで「誕生日日記」なんていいだろうと思って始めたのが最初だった。

本当にその通りに使っているけれど、それ以上の意味を見出すことはしてこなかった。

もっと言うと、historyはわかるけどwritingの部分だけは「何で【書く】なんだろう??」という疑問は残った。

アメリカで買ったものだから、「歴史」だけだと言葉が弱いからまた日本語の曲解でもして「書く」も付け足したんじゃないかと思いこんでいた。

勝手に外国での日本語あるあるにしてしまっていた。

 

1ヶ月ほど前だったかと思う。

何かは忘れたけれど、私は探し物をした。

ゴールデンウィーク明け、実家は建て替えに伴い今の仮住まいに引っ越した。

とても狭い今の仮住まいには最低限の荷物しか運びこめなかった。

私は7箱の段ボールを持ち込んだ。

もっと言うと、1年前の2016年の5月末に6年半住んだ名古屋から新潟に帰ってきた。

その時、私は一生使おうと思って買った一点物の木のテーブルと4箱ほどの段ボールを送り、あとは大きなスーツケースに入るものだけを持ち帰ってきた。

これ以上ない位の大幅な断捨離をした。

そして今回の引っ越しの時もまた大がかりな断捨離をした。

その7箱の内訳は
2箱:お気に入りの食器たち(車庫に保管だとカビが生えたら嫌という理由で)
2箱:衣類
3箱:CD、本、ノート類
という具合だった。

CDや本で1箱とすると、私はノート類を2箱持ち込んだことになる。

仮住まいへ持ち込む時は、あまりにもばたばたしていて、私は無意識に「持って行くもの」とそうでないものを分けていた。

少なくとも食器たち以外は自分の生活に必要と思って持ってきたものたちばかり。

私はそのばたばたして思考がいまいち働いていないような状況で、なぜか「書くもの」ばかりを集中的に必要なものと分別して持ってきていた。

この間、その探し物をしていた時に、「書く」ことを目的としたものを実にたくさん持っているその事実にびっくりした。

自分で「異常」だと思った。

数えていないけれど、ものすごい大量のノート類が出てきた。

そして私は、1冊1冊のノートがどういう役割で使われているか又は使われてきたかを言える。

中を見なくても、こういう目的のものとはっきりとすべてのノートに対して言える。

それにプラスして、名古屋から持ち帰ってきた友達や仕事を通じて知り合った人たちからもらったプレゼントが2つを除いてすべて「書く」ことにまるわるものだった、ということにも同時に気付いた。


2人の人は、はっきりと私に
「ぶっしーって思い浮かべると“書く”なんだよね。だからこれを選んだんだ」
と言って、1人は万年筆、1人は高級ノートモレスキンをプレゼントしてくれた。

しかも2人は知り合いじゃなく、それぞれ別々の時にプレゼントは貰っている。

他にももらいものはあれこれあったはずなのに、気付くと私はペンばかりが手元にあって、しかもキャラクター系のペンはそれぞれ私の不注意で一部壊れているにも関わらず、私は捨てずに名古屋から持ち帰ってきた。

そして今回も大がかりな断捨離の時、迷わずに「自分と一緒に持って行くもの」として今の仮住まいに持ってきた。

書くものをプレゼントしてくれた人たちはそれぞれ知り合いじゃないのに、なぜかなぜか「書く」ということが全部に共通している。

そんなことについ1ヶ月前気付いた。

 

そして思い起こせば、私の仕事に「書く」という行為は常に含まれている。

どの仕事も一番のメインの仕事は「書く」ことじゃない。

しかもマニュアルを作っても「書く」ということは多分含まれないか、又はざっくり一言「記録する」で終わりだろう。

特に人と密に関わる仕事だった時は、毎日その相手とどう関わったかを手書きで記録することが業務の中に含まれていた。

私が見た視点でひたすら記録する、そういうことが普通に仕事に含まれていた。

そしてどういうわけか私は、それらの仕事の最後の時は、寝る間も惜しんでひたすら全員に手紙を書いた。

1回あたり30通を超える。

それでも全力で書き連ねた。

何か伝えたいことを言葉にした。

どの手紙も一期一会の手紙で、気付けばそれ以降にその人たちに一度も手紙を書いていない。

今生で会うのは最後というのが予想できる人たちばっかりだったから、私はありがとうの手紙やその個人個人とのエピソードで心温まったものを書いていた。

 

それ以外にも、私には早くから「書く」という機会が与えられていた。

まだ今ほどにSNSも発達しておらずそもそも「ブログ」なんていう言葉がないような頃、私は友達からmixiに招待してもらった。

そこでもたくさん書いた。

mixiが何かも知らずに始めて、私はそこで初めてブログ的なことをネット上で始めた。

そしてさらにその前に、私は日本の福祉の現場で働いていて福祉の個人サイトを開設している人から、アメリカの福祉の現状をレポートで書いて欲しいと頼まれて5回程文章を書いてメールで送ったことがある。

そのまま私の書いたものをその人のサイトでアップしてもらっていた。

もうそのサイトは今は閉鎖されていて、当時の自分の文章が見れないのはとても残念に思うけれど、その時も普通に「書く」ことを見ず知らずの他人から依頼されていた。

またこれは30代になってからのこと。

仕事の自主的な勉強会で、なぜか何人も参加者がいるのに、講師を務めた上司は私に「武士俣書記をしろ」と勝手に決めてノートを押し付けてきたことがあった。

全然苦じゃないから良かったけれど、どういうわけか勉強会に最後まで参加したのは私だけで、そして最後の時にそのノートをどうしたらいいかと聞いたら「武士俣、おまえの好きにしろ、そのままやるから」と言われた。

そのノートは生涯を通じて私の生きるヒントになるようなことがたくさん書いてあるから、私はそれも今の仮住まいに持ってきている。

 

気付けば「書く」ということがいつも身近にあって、自分でも気付かないうちに自然とペンと紙を持っている。

今の仕事は貴重品と携帯さえ持って行けばいいような職場だけど、私はノートを数冊毎日持ち込んでいる。

昼休みに何か書きたくなったりしたら困るから、という私にしかわからないような理由で持って行っている。

それぐらい私には違和感のない「書く」という行為になっている。

 

10年前、ばばちゃん(祖母)が亡くなった時。

地球の裏側から日本に帰国するその時も、私はとっさに日記帳を小さなスーツケースに入れた。

行きも帰りも飛行機の中で私は日記を書いた。

私はちょっとした日帰りの旅でも、数泊宿泊が伴う旅でも、絶対に日記帳を持ち歩く。

なんなら、私のかばんを選ぶ1つの基準が、日記帳が入るかどうかだったりもする。

それぐらい、貴重品と並んで私にとっての大切な持ち物になっている。

私は携帯を家に忘れても取りには戻らないけれど、書くためのノート類を忘れると家に取りに戻る。

それぐらい「書くもの」は私の中の貴重品というか必須アイテムになっている。

 

話は戻って、最初に書いた誕生日日記の「史」の字のところに繋がるのだけれど。

私にとって「書くこと」は当たり前で、私はしないからわからないけれど、多分毎日ストレッチや運動をする人が普通に毎日するような感覚に近いと思う。

そんな私が、2016年の夏から2017年の9月前後まで、書くことをほぼほぼ止めた。

理由は特になかった。

表面上は、ネットがない環境だからブログをアップしない、という感じだったけれど、実際はそれ以外の理由もあったと思う。

なんとなく書かなかった。

全く日々の記録がないのは怖いから、月に一度は気をつけて日記をささっと書く程度だった。

書きたくないのとも違っていて、単に「書かない」という行動に過ぎなかった。

私の中で「書きたくないから書かない」という感覚が明確にあるから、それとは全く別の感じだったことだけはわかる。

 

私の「書く」が再スタートしたのは、ひょんなことからだった。

その時だって「書こう」と思って書くことを始めたんじゃなかった。

もう体の方が先に書くことを始めていて、書くことを止められなかった。

人生で初めて書いた特別な手紙が先だったのか自分の何十ページにも及ぶ日記が先だったのか忘れたけれど、とにかく私は自分の手を使ってひたすら書いた。

ちょっと冷静になった時、「あれ?私書いてる!書くことを始めてる」と気付いた具合だった。

手紙の相手は本当にただただその場に存在しているというタイプの人だったけれど、どういう影響なのか私はその人と出逢ってから書くことを再開した。

本来の自分の姿に戻っていく、そんな風だった。

その人に出逢わなくても書くことは再開したように思うけれど、ただずっと書くことを20年近くやってきてその中で1年以上まるっと書かないみたいな時期があって、その再開のきっかけが今回はその人にあったのは本当だった。

少なくともその人に出逢わなければ、私はこの今年の秋ぐらいに書くことを再開することはなかったかと思う。

そして「書く」ことを自然にしている自分の姿を客観的に捉え始めたそのタイミングで、誕生日日記の「writing one’s own history」をきちんと心で捉えられるようになった。

「史子」の「史」は、父と同じ漢字だとか、「歴史」とかだけではなく、「書く」という意味が入っていること。

そして私は名前の通りに書くことをものすごく自然体でしていたこと。

それも自分では気付かずに、それを生活の一部として普通にずっとやってきていた。

しかもプライベートだけではなく、仕事でもなぜか「書く」ことをやたらと求められることが多かったのも偶然ではないと思う。

そういうことに気付いたから、私は今自分の名前の意味をもっと客観的な事実として知りたいと思っている。

それは自分でも気付いていないヒントがあるように思う。

私がこの2ヶ月ほどしている人生の棚卸しと書くこと、そして自分の名前、そういう情報1つ1つが全て繋がっていく、そんな気がしている。

〝Look in thy heart and write"
~なんじの心を見つめなさい、そして書きなさい~
(誕生日日記の裏表紙より)




*氏名に繋がる本との出会い