2015年12月27日日曜日

1年前の今頃とブログ納め

今、今日の晩酌のあての和風麻婆茄子をぐつぐつと煮込みながら書いている。

「和風」になったのは、もうかれこれ3週間ほど中華だしが切れているにも関わらず、ずっと買い

忘れていて、無いものは仕方ない、和風だしで味付けするしかなくなったから故のこと。

冷蔵庫の中も生もの系はだいぶすっきりしたから、数日後良い感じで名古屋を出れると思う。

急遽大きく変更した今年の年末年始の予定は、色んなところに余波を残している。

年末年始の帰省のチケットが取れず、今年はもう帰省せず一人で名古屋に残ろうと決めていた。

そういう年末年始を一度経験するのもいいかなぁと思っていた。

5日間しか休みのない今年の年末年始。

どうせ家にいるのであれば、これまで延ばし延ばしにしていた色んなことを1つずつ片付けていこう

と思っていた。

そう思うと5日間もあっという間に感じるし、もしかしたら何もかも終わらない可能性もあるかも、

なんて考えていた矢先、一気に色んな変更となった。

となると、先延ばしにしていたことを先延ばしにできないことも出てきて、今さらあたふたと1つまた

1つと着手し始めたような具合だ。


先ほどさらりとやったことの1つに、去年の今頃は何を書いていたのかをチェックすることだった。

去年の今頃の記憶など、もう遥か彼方遠くにあり、さっき開くまで微塵も頭の中をかすめることも

なかった。

読んでいて思い出したのは、去年の11月か12月に1週間ほど活字をほぼ100%断つ生活を

していたことだった。

そうだそうだ、そんなこともしたんだったと、遠い記憶が少しだけよみがえってきた。

とても1年前の出来事とは思えないほど、ものすごく昔に感じた。

こういう時記録ってすごいなぁと思う。

子どもの頃みたいに、今年○年生なんていう区切りがないから、大人になるとそれが去年のこと

なのか今年のことなのか、はたまたもっと前のことなのかの区別が頭の中でつかなくなる。

このブログは、今は備忘録に近い綴りになっている。

そんな大きな意味を込めて書いてはいないけれど、ブログでも手書きのメモでも、それらが唯一

当時の自分の心情や日々の行動を如実に語るものだから、とっても貴重になる。

だって今から1年前の今日に戻って、当時のわたしは何を思って何を感じて何をしていたか…

なんて記録なしには記憶を呼び戻すことさえできない。


これが今年最後のブログかなぁと思って書き始めたけれど、明日も余裕があれば書きたいと

思っている。

絶対に書かなきゃ!とは思っていないけれど、書ける時は書きたいなぁと思わせるこのブログ、

そろそろ300記事アップに到達する今、手に入れたちょっと嬉しい心境だったりする。

2015年12月26日土曜日

冬の紫陽花

これまで一度も気に留めたことがなかったけれど、冬の紫陽花を見る機会に恵まれた。

冬の紫陽花と言っても、旬の頃の紫陽花とは全く様子が違う。

他の植物と一緒で、朽ちているか枯れているかで、それが紫陽花だなんて「そこに紫陽花が毎年

咲く」ということを知っていなければ見落としてしまうような容貌だ。

住んでいるアパートの斜め向かいのお宅の角に毎年きれいな紫陽花が花開く。

あとは、スーパーへ行く通り道の大きな公園にも所々紫陽花が群生している。

今日の日が暮れる前、両方の紫陽花を見たけれど、とてもあの梅雨の時にきれいに咲き誇って

いた紫陽花と同じとは思えなかった。

反対に、そんなにも違っているのに、そして今は枯れ朽ちているのに、また来年の梅雨を迎える頃

にはきれいに咲き誇るのかと思ったら、この紫陽花の生命力に感動した。

冷たい空気の中で、今の紫陽花は葉っぱすらも滅びようとしている。

自然の摂理ゆえ仕方ないにしても、けっこうみすぼらしい姿だ。

だけどそんなみすぼらしい姿でさえも、ものすごく強い生命力を感じる。

冬の気候に合わせて、紫陽花は紫陽花の今の現状をただただ受け容れて生きている。

そしてまた春が来て夏が来る頃、自然の流れに合わせてまた盛大な花をつける。

大人になると、こういう味わい深いことに気付けるようになる。

今までだったら絶対に見過ごしていたようなことにも目が向くようになる。

そしてそういうものたちから、自分が元気やエネルギーをもらう。

生命の偉大さに驚きながら、また姿を変えていく紫陽花の様子が楽しみで仕方ない。

2015年12月23日水曜日

自分のペース

今にも雨が降り出しそうな空ではあるけれども、強行突破で洗濯物をベランダに干した。

冬場はどうしても洗濯物が増える。

単純に寒いから、1枚また1枚と重ねて着る=洗濯物が増えるの図はどうしても避けられない。

洗濯物を干す作業は元来あまり好きではないけれど、今日はとっても楽しく感じられた。

何がそんなに楽しいんだろうと思った。

しわ伸ばしたり、ハンガーにかけたり、タオル類は洗濯ばさみがたくさんついてるリング?のような

洗濯干しグッズに1つ1つ取り付けたり。

普段なら100%面倒くさいと思っている作業。

でも今日はなぜか楽しい。

手はせっせと動かしながら楽しいの理由を頭の中で追求した。

ぱっと出てきたのが、「自分のペースで動けること」だった。

わたしは自分の鈍臭さを自分でものすごく認めている。

基本的に何か「動き」のあるものをさせると、とにかく遅い。

無駄な動きが多くて遅い時もあるし、全体の作業のペースが遅い時もある。

もちろん全部が全部ではないけれど、数少ない自分の得意分野以外は基本遅い。

数少ない得意分野(?)は、書くことと料理の献立決めと料理の全体の進行、この3つ位だ、多分

人並みにテンポよくやれるのは。

残りは要領が悪過ぎてとにかく遅い。

今行っている仕事は、スピードも求められる。

スピード+判断力+思考力+俯瞰力+コミュニケーション力+事務力、と実に多岐に渡って

色んなことが同時に求められる。

週に何回言われるのだろう?要領良くやって下さい、と。

そもそも慣れない仕事に、1つとして同じようなものがない仕事に対し自分の少ない知識を使って

判断して仕事の段取りや見通しを瞬時で決定し、そして1つ1つこなす…。

お手洗いに行く時間も、茶を1口2口飲む時間も確保できない位にマックスで動き通している。

色んなことがストレスではあるけれど、その1つが自分のペースではないペースを強要させられる

ことだと思っている。

もちろん仕事だから自分のペースですべて進めていいというわけではない。

ただ、細かなところを自分のペースで進められないというのはストレスだけではなく、当人に

とっても変な力、緊張が加わって仕事をするから、個人的にその強制的な方法はものすごく効率

が悪いと思っている。

学習塾で働いていた時、わたしは日々塾に来る子どもたち1人1人のカリキュラムを作っていた。

例えば同じ学年の同じクラスの子が来ていたとする(←実際によくあった)。

学力も大して変わらないとしても、1人1人の進むペースが違うものだから、それぞれに合わせて

わたしの見立てた学習量を計画して子どもが自分で見るノートに書いていた。

勉強だから余計ということもあったけれど、本人に合わない量、多くても少なくても、そのどちらでも

子どもの力は存分に出ない。

中にはオール5の子どももいたけれど、その子は実にゆったりとした自分のペースで勉強を進める

タイプで、学習量はとかく他の子より少なかった。

量は少なくても、1つ1つの勉強に対する洞察力みたいなのが凡人にはない深さがあって、それ故

天才型の学力を有していた。

一度通常よりも多めに量を出したら、その量をこなせないことを本人がとても気にして自分を

責めたことがあった。

あぁこの子は多く出しては折角の力が出せないタイプだと判断し、それからはその子が本領発揮

する量を出すようにした。

話がどんどん逸れたけれど、自分に合わないペースであれもこれもと仕事を持たされ、さらには

残業も打ち切りで次の日へ持ち越し・・・などと言われても、余計と大変さだけが増し、どうにもこう

にもそれこそ要領が悪いと、指示を出す人を見て思う。

今日の曇り空の洗濯干しは、何にも縛られず、とりあえず自分のペースで1つ1つ干した。

途中、母から電話があり、それにも応じた。

しばし馬鹿話をした後は洗濯干しに戻り、そして今こうして自分のペースで言葉を綴っている。

ものすごく心地良い。

わたしにとって、自分のペースで動けることというのはものすごく重要なんだとわかった。

2015年12月20日日曜日

木枯らしを愉しむ心

昨日の夜、冷え込んで木枯らしぴゅうぴゅう並みの風を感じながら外を歩いた。

この1年とにかくよくお世話になっているスーパーからの帰り道だった。

帰り道は特にいつもと変わり映えはないし、よく見知った道だから、視界に入るもので目新しいもの

は何もない。

代わりに、木枯らし吹く風を体で受けることに感動しながら歩いた。

いつもの年ならこの木枯らしには全く感動しないし、むしろ早く冬が終わって春が来て欲しいとすら

思ってしまう。

でも今年は、この木枯らしさえ特別に感じた。

木枯らしを愉しむだけの心の余裕が今の自分にはあって、たしかに外はびゅうびゅうとすごい風の

音ではあるけれど、心の中はぽかぽかと温かだった。

同じ道の新緑の季節のある晴れた日の空はよく憶えている。

見上げると数メートルの大きな木が両側にあって、その両側の木から葉っぱがわさわさと生い

茂っていて、そして葉っぱ同士は上部の方でアーチを描くようにトンネルのようになっていた。

そして葉っぱ葉っぱの合間から青い空がのぞいていた。

外はものすごく晴れていて気持ちの良い季節なのに、心はいつもどんよりしていた。

先のことが何も決められなくて、何をどうしたらいいのかもわからなくなって、でもいつかは何かを

決断して前に進まないといけなくて。

不安と焦りといつも隣り合わせだった。

きれいなものを見ても、きれいと思った次の瞬間は自分の未来がものすごく心配になった。

何を始めても長続きしない自分。

そのうち色んなことが嫌になって全部投げ出したくなってしまう自分。

やらなきゃとわかっていても、全然やろうとしない自分。

とことん自分の弱さやだめなところが出まくっていた時期でもあった。

出口の見えないトンネルの中にいるような気分なのに季節は冬から春、春から夏へと向かおうと

していた。

季節にさえ追い付けない自分を見て、得体の知れない虚無感や孤独感でいっぱいになったことは

数知れない。

当時は、冬の自分なんて何をしているのか皆目見当もつかなかった。

そう遠くはない次の季節も、どんな風に自分はその時を迎えているのか何度も不安になった。

今すぐ上の文章を書いていてびっくりした。

完全にデジャヴだった。

過去にそのいつも通る公園で未来に不安を感じていた自分の残像と、それをこのパソコンで

そのまま綴っている自分の残像と、その2つがセットになっているものを過去のわたしは何かの

拍子に見ていた。

1年2年、下手したら3年前かもしれない。

変な光景、と当時は思ったけれど、まさか今それを体験するとは!

話は戻って、その数ヶ月先の未来の自分の姿すら全く見えなかった頃を思うと、今とりあえず

何かしらの道を上を歩いていて、そして来たことを1つ1つこなしていく自分を見てホッとする。

きちんとこういう未来があったんだとわかっていたなら、あんなに焦ることもなかったのに…。

この焦りさえも人生で必要な体験だったと前向きに捉えてみる。


話は少し変わって、30歳の時からこれまで数回お世話になった占い師のおばちゃんに先日

会ってきた。

多分3年ぶり4年ぶりだったと思う。

おばちゃんに「あなたこの2年ほど、とっても大変な時期だったはずよ。そうでしょ?」と聞かれた

時、その一言にものすごく救われた。

何で自分が動けないのか、動くための時間も生活を支えるお金もありながらなぜ動こうとしない

のか、自分で自分のことが全然理解できずにいた。

また得意の怠け病かと自分を責めたこともたくさんあった。

何で自分のことなのに自分のためにがんばれないのか、本当に自分が嫌だった。

でもおばちゃん所有の謎の機械は、2012年、13年~2015年の初め位までなかなか大変な

時期を人生は通過していると示していたようだった。

DSみたいな小さな機械が一体何を算出しているのかはわからない。

だけどぴったりと時期を言い当てるのは相変わらずで、このおばちゃんには毎度敬服の念で

いっぱいになる。

おばちゃんの言葉もすごく好きだ。

「あのね占いって、要はこれから先の未来の地図のようなものなの。

例えば今年は動くのを控えた方がいいとか、今年は動いた方がいいとか、そういう人生の流れを

知って自分の人生に役立てていくものなの。

それを絶対に守らなきゃいけないとかではなくて、今は動かない方が良いと知っていれば、例えば

思う方向に自分が動けていなかったとしても、今はそういう時期なのねって納得できるじゃない。

反対に何も知らずに動いてしまって、行くところ行くところ向かい風では大変じゃない。

そういうことを前もって知っておいて、そして自分が次に向かう先の地図、カーナビのような感じで

使うのよ」

この数年間、一度も行かなかったことを少しだけ後悔した。

行っておけば、もう少し気持ちの持ち方も違っていたのかもしれないなぁなんて思った。


北風びゅうびゅうの木枯らしの中、今木枯らしを愉しんでいる自分を見て嬉しくなった。

あのどこに向かっているのかも全くわからない感じだった数ヶ月前の自分と、とりあえず少し先の

向かう場所を知っている今の自分と、その差がこんなにも色んな余裕をプレゼントしてくれるとは。

とりあえず今は今のことに専念して進もう。

まだまだ人生の輪郭がはっきりしたわけではないけれど、多分少しずつ輪郭が表れる。

それと自分の感覚とを頼りに今は進んで大丈夫って思う。

もちろんおばちゃんからも大きな後押しがあったから、進んでる方向は間違いないんだと思う。

2015年12月14日月曜日

「うっかり」ということにしておきたい

派遣の仕事での出来事。

1週間程前から、わたしに回ってきた仕事があった。

元々長いこと対応されていた仕事の途中で回ってきたものだった。

途中ということは、その途中までに積み重ねられた書類がある。

それらの書類は束になって透明のケースに入れる方式だ。

何せ最初にわたしがその仕事に着手したから、わたしの手書きの文字が表紙になっていることも

何度も見たから憶えている。

機密情報満載の仕事ゆえ、そういう書類は全て厳重に保管される。

保管される場所も決まっている。

間違って捨てることもないし、取り出す場所も戻す場所も同じだ。

なのに、1週間前に途中経過の状態で回ってきた時、その書類はあるべき場所から忽然と姿を

消していた。

くまなく保管場所を全部見た。

なんだったら、もしかして…と思い、有り得ない他の部署にまでその書類があるかないかまで

こっそり聞きにいった位。

元々地声の大きめのわたしは、○○の書類がないと同僚の人にも言っていた。

小さな声でささやいてなどいなかった。

さらには、その書類の進捗状況を入力するパソコンのシステムにもあれこれと記録を残した。

それでも最後の最後まで、どうしてもその書類を見つけ出せずにいた。

ただ、見つけられないと言っても、その書類なくしては仕事を完了できないものだから、わたしは

今日の就業間際にその書類がないことを上の人に報告した。

途中で引き継いだ時点からずっとそれまでの書類がなくなっていたこと、ずっと探しているけれど

ないこと、思い当たる場所は全部探してもないことを報告に上げた。

今日必ず見つけてから帰るようにと言われ、またないものを探し始めた。

システムの方も確認すると、なんと終了を示すサインが出ていた。

「あれ!?どうした!?」と思った。

なぜならそれは全く終了ではないはずのものだから。

行き場を失ってしまった新しい書類たちは本来の保管場所に鎮座している。

なのに終了とはどういうことだろう?と思った。

終了を示すサインが出る時は、必ずそのサインを入れた人が誰かわかるようになっている。

それが誰かわかり、わたしはその人に聞きに行った。

その案件がどういうことになっていて、そしてこれまでどこにあったのかも。

そうしたら、本来の保管する場所にずっとありました、という答えが返ってきた。

最終的に仕事は終わらせてもらえたから、わたしとしても一件落着と言えば一件落着。

それは単純にありがたい。

だけれども、わたしが十数回自分の目で確認しても絶対に見つけられなかった書類たち。

それがその中にあったとは…。

その場所に保管できるファイル数としては10にいくかいかないかだ。

その10程度しかないものを十数回も見て見落とすなんてことがあるのだろうか。

毎日のように確認し、下手すると日に2回3回と見た日もある。

それでもなかったのだ。

全く腑に落ちなかった。

腑に落ちなかったけれど、ここはわたしがよくやってしまう「うっかり」ということにした。

しかも終わらせてくれた人は、苦手なタイプではあるものの仕事はものすごいきっかりとやる人。

手抜きもなければ、うっかりもほとんど皆無。

だから「わたしのうっかり」と思いたい。

手間のかかるプロセス満載の件だったから、終わらせてもらえたのは本当にありがたい。

それでも、最後の最後まで行方不明だった書類が、ずっとわたしが毎日見ていたところの場所の

1つにあったと言うのだから、もうわたしの目は節穴かという位の話だ。

もし、もし、万が一、わたしのうっかりではないのだとしたら…。

怖いなぁと思う。

大人の、しかも仕事の中の話。

小学生や中学生の靴隠されたとかそういうレベルのものじゃない。

色んな意味でどんな風に消化して良いのかわからず、だから「わたしのうっかり」にでもして

おかないと、気持ちが一気にやられる。

人生勉強と思い、とりあえずこれからは書類が行方不明の時は、全員に大声で「○○の書類を

知りませんか?」と聞いて回ることにする。

2015年12月12日土曜日

夜の掃除

1日休みだった今日。

雲はあるものの天気も良く、掃除日和だなぁと思いながら朝を迎えた。

午前中は洗濯機を回しながらパソコンでの所用を足していた。

あっという間にお昼になり、妹からもらった南アフリカ産のスパイスと半額のしらすを使って、

久しぶりにパスタを作って食べた。

南アフリカ産のスパイスは、黒胡椒の粒をごりごりと回しながらすりおろすタイプの容器と同じ容器

に入っていて、すりおろすとちょっとした隠しアクセントになって良かった。

玉ねぎのスライスと豚肉、あとはしょうゆとバターでどんな味になるのか想像できないまま作った。

思いの外おいしくでき、久しぶりに自分でも満足するパスタが出来上がった。

その後はさっさと掃除をして、色々溜めこんだ家のことを1つずつ片付けていこうと思っていた。

ところが少し昼寝をしようと横になると、そこからは睡魔にひたすら襲われて、気付けば短い昼寝

を何度も何度も繰り返した。

今思えば疲れていたことがわかる。

2週間休みなしで動いていた上に今週は4日連続残業、さらには精神的ダメージも職場で浴びる

ほどに起こり、心身共々疲弊していた。

だからあの昼間の睡魔は、もう体が発していた悲鳴に近かった。

夕方近くになり、今日はもうこのままどろんして明日を迎えようと思い始めた頃。

なぜか突然体の中でしゃきっとするものが湧きあがってきて、まずは洗濯物を畳んだ。

今日は久しぶりに布団も干していた。

折角布団がきれいになったのに、掃除をしていない部屋が気になりだした。

完璧な掃除はいいから、せめて夜気持ち良く眠れる位に部屋を整えようと思い、掃除を始めた。

多分時計は7時を回っていただろう。

掃除が終わったのは8時を過ぎた頃。

できれば朝の時間帯に掃除をする方が気持ち良いのは知っている。

朝の方がすっきりさわやかになることもわかっている。

それでも今日みたいに体がSOSを出していたら、休まざるを得ない。

それで気付けば夜暗くなってからの掃除。

もっと気持ち悪いものかと思えば、夜の掃除は夜の掃除で良かった。

朝みたいに1日時間がたっぷりとあるわけではなく、ある程度1日の中で残りの時間が限られて

いて、それがかえって気を引き締める効果をもたらした。

近所も1日の終わりに向けて静まり返っている。

その静けさの中で20年以上慣れ親しんだ音楽をかけてひたすら掃いては拭き掃いては拭きを

繰り返した。

今部屋の中は見違えるほど空気がぴりりとしている。

整った証拠だ。

今思い出して、慌てて柏手を家の中で数ヶ所打ってきたけれど、音が通るのがわかる。

どういう原理なのか知らないけれど、掃除をした後に柏手を打つと音が空間に響き渡る。

柏手を打つのは、家の空気を良い状態に保つだったか、良い気を流すだったか、そういう理由

だったかと思う。

変な言い方だけど、掃除をするとこの小さなアパートの部屋も喜んでいるように思う。

大切に扱ってもらえてるというのか、そこは人も空間も同じだなぁなんて思ってしまう。

もちろん空間に口はないから「きれいになって気持ちいい」などとは言わないけれど、そういう

気持ちのようなものが空間から伝わってくる。


この文章を書いていて、久しぶりにこのブログの原点を思い出した。

掃除の時、2年前の手帳代わりに使っていた薄い小さなノートが出てきた。

少しだけぱらぱらとめくっていると、「『心』『書くこと』『生活』この3つを結びつける」とあった。

その思いは2年経った今も変わっていない。

「心」と「生活」は密着している。

「心」のことを自分がずっと追い求めて勉強したり実践を積んだりしていても、心のことは常に

日々生きている生活とものすごく密接な関係にある。

「心」のことは難しい理論をいくら机上で学んでもわかることではない。

むしろ日々の営みと結びつけたところにそれらの難しい理論がすっと入ってくる感じだ。

生活を抜いたところでの心の話は、どこか上っ面な感じがしてならない。

そして上っ面なところだけを追い求めると、俗に言う「怪しい宗教」だの「怪しい教え」になる。

そうならないためにも、生活や日々生きていることと結び付けて考える方がわたしは自然だと

思っている。

そして、それらの思いを発信する手段としてわたしは「書く」を選んだ。

だから「心」も「生活」も「書くこと」も、すべてが揃って初めて三重奏のように1つのものが

出来上がる。

今日ここに書いたことは、まさに「心」の話で「生活」の話でもあって、そしてそれらをこうして「書く」

ことで表現している。

書いていて気持ち良い。

部屋が整っているおかげもあるけれど、とにかくすべてが1つの方向に手を取り合って進んでいる

様がとても気持ち良い。

2015年12月8日火曜日

本物に会う

先日、妹一押しのマッサージ屋さんに行ってきた。

3年位前からそのおじさんの話は聞いていた。

とにかくすごく良いことの報告続きで、どんな人なのか会うのがずっと楽しみだった。

今回3年越しに実現し、噂かねがねそれ以上の実力者でビックリ仰天した。

腕は勿論のこと、人格も素晴らしい方だった。

その方自身が発するエネルギーの気持ち良さに心底惚れ惚れとした。

久しぶりに、自分の見ている世界を隠すことなく言葉にすることができた。

そして相手の見ている世界も見せてもらえた。

普通に世間で口に出したらドン引きされるような話も、その方となら普通に「今日は晴れて気持ち

いい天気だよね」並みに話ができるのだった。

どんな話もありだったしどんな考えもありの、小さな空間なのにすっぽりと全身が包まれる、そんな

雰囲気に溢れ返っていた。

おじさんの所に来る人の中には人生そのものが変わる人もいると言っていたけれど、それはよく

わかる。

本当に人生まで変えちゃうような力を持っている人だった。


この3年位というのは、実に名ばかりの実力者という人にもたくさん会ってきた。

名ばかりの実力者は、実力は疑問符がたくさん並ぶようなレベルなのに、料金は天下一品の

もうどこまでもらうつもりですか?と言わんばかりの高額が付けられている場合が多かった。

もちろんそんな人たちにお金を払うようなことはしなかったけれど(申し込まなかった)、それでも

どうしてそういうよくわからない人たちが次から次へと現れるのか不思議で仕方なかった。

でも、それでも、わたしはどうしても諦められなかった。

絶対に自分の持っているものを素直に提供し、そしてそれに見合う金額を設定していて、さらには

純粋に相手の何か大切なものを引き出す人たちがいるって。

おかしな人たちも多数いるにしても、そうではない少数派の人たちが世の中には必ずいるって。

そしてその1人が、そのマッサージ屋のおじさんだった。

おじさんはこの手の話をわたしにものすごくわかりやすく説明してくれた。

「僕が使っている力は、自然と出てくるものなんだよ。

何か特別なことをしているわけじゃない。

その特別ではないことにもし高額の値段を設定したとしたら・・・

それは言うなれば、お天道様が無償で僕たち人間に日の光を与えてくれているのに、そして

それを僕たち人間は無償で受け取っているのに、そのお天道様の光を有償にして、そして僕たち

人間も有償でその光をもらう、そういうことと同じなんだよ。

もしそうだったとしたら、それっておかしいでしょ?

人間で生きている以上は、多少のお金は必要になってくる。

その分をもらうのは、命を生かすことに繋がるからそれはOKだと思ってる。

でもそれ以上もらうのは、お天道様がお金を払わなきゃ光を与えないぞ!と言っているのと同じ」

おおよそそんなことを言いながら、わたしに大切なことを教えてくれたおじさん。

本当にとっても素敵な本物の人だった。


おじさんパワーなのか。

おじさんと会った翌日から、思いもよらぬ形で色んなことが変化しだした。

送っている日常は一緒。

先週と何一つ変わらない。

むしろ今週の方がさらなる仕事が増えて、負担もどっと増えている。

なのに、何か軽くしてくれるものや軸となるものが自分の中にあって、それにより支えられている。

おじさんいわく、本来ある力が出てくるだけとのこと。

本来ある力をおじさんの手によって出してもらえたのだろう。

見えない部分の心を思い悩ます材料が、昨日からとても軽くなっている。


「誰と結ぶ一期一会」という歌詞のCDを持っている。

今生自分が出逢える人たちは限られているだろう。

その限られている中で、おじさんに出逢えたことはとってもラッキーだった。

おじさんは、わたしが本気で目指したい姿そのものだった。

自分の持っているものをそのまま提供し、そして損得を超えたところでもっと大切な何かを伝えて

くれる。


話は変わるけれど、わたしが持って行った陳腐な名古屋のジャンクフードの代表格インスタントの

味噌煮込みうどんにものすごく喜んでくれた姿には、本気で感動した。

それもおじさんにあげようと思って買ったわけじゃない。

6袋で1パックになっていて、なんとそれが298円という破格値で近所のスーパーで出ていた。

名古屋の味噌煮込みうどんは好きじゃない。

だけど、そのインスタントだったらどうなるのか、それはずっと前から気になっていた。

それでそのお徳用パックを目にした時、2袋を自分用にして、残りの4袋を妹二人と分けようと

考えた。

そして今回おじさんにも会うとなったから、おじさんに会う1時間前、急きょ「そうだ、おじさんにも

1袋あげよう」と決めた。

まさか1袋50円のおみやげとは…。

値段を知っているだけに、値段ではない部分に大喜びしてくれたおじさんに感動した。

言ってみたら良かった、それ50円です!って。

多分それを伝えてもおじさんの喜び方は変わらなかっただろう。

むしろもっと喜んでくれたかもしれない。

2015年12月7日月曜日

豚汁とケーキの朝ごはん

週末、妹の家に泊まった。

わたしも十分動き回って疲れているはずなのに、せっかくだからと思いせっせとごはんを作った。

夜は、生姜焼きに豚汁、切干大根サラダに30%OFFで買ってきたしめサバを食べた。

翌朝は残った豚汁を温め直し、そしてわたしが買ってきた手作りの木の実なんかがたっぷりと

入ったパウンドケーキとほわっほわのシフォンケーキを二人で半分して分けて食べた。

わたしはさらに、妹特製の辛味噌がのったおにぎりを食べた。

唐辛子と柚子の味が効いた豚汁は、さらにおいしさを増していた。

そして二人とも何の疑問も抱かず、ケーキを一緒に食べた。

わたしたちの母はとにかく何かしら朝食べることを第一としていたから、今なら「そんな朝ごはん

いけません!」と言われかねない献立もよくのぼった。

朝から肉まんやお好み焼き、菓子パン、うどんなんていうのはよくあった。

休みの日なら、朝ごはんを普通に食べた後、デザート的な何かを食べることもある。

だからなのかなんなのか、豚汁とケーキという朝ごはんの組合せでも、妹もわたしも違和感なく

普通に口に運んでいた。

そして豚汁もケーキも人の手を介して作られたものだから、とにかくおいしい。

自分で作ったものをおいしいと言うのも変だけど、とにかくおいしかった。

そしておいしいものを二人で一緒に食べるのはもっともっとおいしかった。

妹はいつもより1時間遅く出勤時間をずらしてくれ、わたしと極力長く居られるようにしてくれた。

前の日も、わたしに合わせて仕事を早く切り上げて来てくれた。

ちょっとした心遣いがとてもうれしかった。

妹を送り出した後、わたしはもう一度キッチンに立ち、4品作り置きのおかずを作った。

炊き込みご飯、賞味期限の切れたこんにゃくのピリ辛煮、わたしがはまりまくっているキャベツの

ごま味噌煮込み、マカロニサラダ。

どれもたっぷりと作って、あとはその日食べるなり冷凍するなりできるようにしてきた。

これ自分のためにやるとなると、腰は一気に重たくなる。

でも、誰か他の人のため、たとえその相手が妹でもさっさと動き出す。

そして嬉々としながら料理に取り組める。

昨日の夜、疲れて家に着くと、あの妹の家でばんばん料理していた自分が嘘みたいだった。

コンビニでコロッケを買い、スーパーで半額のポテトサラダを買い、芋×芋というひどい組合せ

だけど好きな組合せを発泡酒で流し込んで終わった。

朝の豚汁とケーキの時間を何度も思い出しながら、一人の侘しい夕食は幕を閉じた。

2015年12月1日火曜日

失敗した梅干しがおいしいものに大変身

今年の夏に漬けた梅干し。

どうも塩分の加減を間違えたようで、怖ろしくしょっぱい梅干しが出来上がった。

一部は天日干しにした後、梅酢には戻さずそのままガラス瓶に保管した。

色んな本やサイトによると、梅干し本体から水分が出て良い具合にしっとりするとのことだった。

だけど、わたしの梅干しは待てど暮らせどその状態には全然ならなかった。

しまいには、さらに乾燥し、粉吹くじゃないけれど塩が吹いて塩の結晶で梅干し全体は覆われた。

普通に食べるにはしょっぱすぎて全然食べれる代物ではなかった。

何度か捨てようと考えたこともある。

最後の賭けとして、昨日の夜、ごはんと一緒に梅干しを炊いたらどうなるだろうと思って、早速実験

した。

それでも駄目ならもう本気で捨ててもいいかなと思った。

そして今朝、昨夜セットしておいた梅干しごはんが炊けた。

その梅干しごはんは、わたしがこれまで食べたどんなゆかりごはんやその類いのごはんよりも

おいしかった。

絶品梅ごはんに朝から狂喜乱舞した。

梅干し単体としての活躍は難しい梅干しだったけれど、これがごはんと一緒に炊くと途端に別物に

生まれ変わったかのようにすごい旨みを発揮する。

若干固くなりすぎた皮は、炊飯器で炊くと適度な柔らかさになりつつもぐにゃぐにゃにはならず。

あんなにしょっぱいものが、ごはんと一緒になると適度なしょっぱさになって、さらに梅干し本来の

風味も増す。

梅干しとごはん、それぞれを単体で組み合わせてもこんなにおいしくはならない。

ふたつを一緒に炊き込むから、想像以上においしいものが出来上がる。

ということで、あんなにも捨てようとしていた梅干しが、今ではとても稀少なものになっている。

10個もないから、あと3~4回梅干しごはんを口にできたらいい方だと思う。

このごはんのために、来年はもっとたくさん天日干し後そのまま保存する梅干しを増やそう。

2015年11月30日月曜日

ミスの程度と対応

今の仕事、色々不満続出。

仕事内容の不満はそこまで強くない。

ちんぷんかんぷんなこと満載でも、もうそれは仕事の性質の問題だからあきらめもつく。

人間関係というよりも、諸々の対応の在り方にものすごくわたしは不満を抱いている。

例えば今日。

わたしのうっかりで、本来わたしでもやれることを「やれないこと」と勘違いし(業務が多すぎて

とてもじゃないけれど覚えられない)、違う人に引き継いだ。

そうしたらそれについてお叱りを受けた。

「あなたもやれることだから、やれることはやって下さい」

これはまだその通りだからわたしも納得。

その後に、「あなたがそれをしないことで、わたしの負担が大きくなる。その負担に答える余裕は

今後なくなる」と付け加えられた。

今こうして文章で書いてみると、これもごもっともな話だからわたしもそこでイラッとしなくても良い

ことだったんだと気付く。

それでもわたしは相手の発言を聞いてとてもイラッとした。

言い方もそうだし、自分がどれだけ大変かアピールが強くて、それに対して「じゃあお互いに気持ち

よく仕事するためにはどうする?」という部分が欠けている。

わたしの言い分も聞かず、頭ごなしに自分の窮状だけ訴え、だからあなたがもっとしっかりしたら

いいのよ、ってそれ違うでしょ?と思う。

わたしのうっかりがとんでもない大問題を引き起こしているのなら、まだわかる。

そういうレベルのものでないものも、とりあえず怒る、注意する、そしてうだうだと何か余計な言葉

を付け足して話す。

一番相手に伝わらない方法でお話されることが、不思議で仕方ない。

とりあえずガツガツと自分の言い分だけお話すれば相手に伝わると思っているのだろうか。

とにかく残念なコミュニケーションを取る人たちが多くて驚く。


今回の仕事を通じて知り得たこと。

とにかくこれまでどんな仕事でも、ものすごく人に恵まれていたこと。

わたしのうっかりややらかしは、今に始まったことじゃない。

だけど、これまでご一緒した方たちは実に寛容だったと思うし、フォローの仕方も上手だった。

基本的に「失敗から学べばいい、次に生かしたらいい」ということをとても自然に教えてくれる

人たちに囲まれていた。

やらかしても、まずは「どうしてそんなことになったのか、そのプロセスを聞く」ということをして

くれる人たちが実に多かった。

もう今のところでそういうことは求めてもいないけれど、それでもそういうフォローの在り方や、

実際にミスが生じた時の対応の仕方を見せてくれる大人たちに出逢えたのは、ものすごく幸運な

ことだったと思う。

もし今の仕事が社会人最初の職場だったら、終わっていただろうなぁと思う。

頭ごなしにがつがつ言っても、馬の耳に念仏状態になってしまう。

それよりも、何かあったらフォローしてもらえるという安心感と、その人には迷惑をかけられない

から、とにかく自分のできることは自分できっちりと責任を持って取り組もうという意欲、その2つを

とてもバランスよく与えてもらっていたと思う。

ないものねだりをしても仕方ないけれど、今はその両方が欠けていて、変なプレッシャーと緊張、

失敗してはいけないという圧迫感、何かあっても守ってもらえなさそうという不安、そんなものたち

で埋め尽くされている。

世の中にはこういう職場環境も存在するんだ、と別の意味でとっても感心している。

とにかく今は自分の精神安定のために、あれこれ気持ちを緩めることに余念がない。

2015年11月28日土曜日

1枚の重み

おとといから突然寒くなりだした。

一気に気温が下がり、そろそろ暖房器具もクローゼットから出さないといけないなぁと思う。

新潟にいた頃は、この時期暖房なんて当たり前、タイヤもスタッドレスへ交換済み、

そして早い年は11月中に雪が降る。

家から見える遠くの山には、当然のごとくてっぺんが白くなっている。

名古屋の冬はそこまで急激にやってはこないものの、この数日の冷え込みで冬を感じた。

さすがに羽毛布団1枚だけでは寝る時寒く、昨日の夜から毛布を1枚足した。

たった1枚の毛布なのにこんなにも温かさが違うとは、ものすごく新鮮だった。

眠たくて頭の中はぼけていたけれど、それでもその温かさにどれだけ救われたか。

たった1枚の毛布の威力を感じ、今日のブログのタイトルは「1枚の重み」にしようとひらめいた。


この1年は、瞬間瞬間はものすごくスローモーションのように過ぎる時もあったけれど、気付くと

1つまた1つと月が変わっていった。

気付けばもう11月が終わる。

台所で何かをしている時に、大体「あぁもう○月なんだ」と思うことが多かった。

正直、年の初めは、今の自分の姿や生活を1つも想像できなかったから、とりあえずここまで

これたことにものすごく感動している。

外は寒いし家の中も暖を取らないと寒くなってしまったけれど、この寒さに感動できるほどの復活

を遂げた気分だ。

自分の行き着く場所が全然思い浮かばなくて、考えることも考えられなくなって、次の一歩が

なかなか見出せなくて、本当に苦戦、苦戦の連続だったこの1年。

だから、ある程度何かを持って11月を迎え、さらに12月を迎えられるなんて夢のまた夢だった。

寒い冬が終わり、桜が咲く季節を迎え、梅雨、酷暑の夏、そして秋・・・といくつ季節を過ぎても

わたしは何も決められずにいた。

数年前、気に入って買った日付のスタンプの月を1つまた1つと手動で動かす度に、その月の

変更に全くついていっていない自分にものすごく焦った。

季節はめまぐるしく変化しているのに、自分は何も変化していない。

そして刻一刻と自分の決断の時が迫っているのに、何を決断して良いのかすらわからなかった。

だからこの寒い時期になった今を、とりあえず今日やること1週間後にやることがあるというのは、

この上ない喜びに満ちている。

決して好きなことばかりで全部が埋め尽くされているわけじゃない。

それでも何かしらすることがあるというのは、心強い。

とりあえずの羅針盤的なものを自分の中に持って進んでいる感じはある。

この羅針盤だって半永久的なものじゃない。

期限の付いてる羅針盤だ。

それでも羅針盤らしきものすらなかった今年の大半を思えば、それが1つあるだけでも気持ちの

持ちようが全然違う。

何に対して安心しているのか言葉ではうまく説明できないけれど、すべて未知の世界に今足を

踏み込んでいるのにも関わらず、なぜか安心感がある。

たった1枚の毛布が温かさを提供してくれるように、この羅針盤が得体の知れない安心感を

与えてくれる。

2015年11月26日木曜日

冬の空

今日は満月。

昨日から一気に冷え込み、今日はまた一段と冷え込んでいる。

さっきベランダに出て満月を探した。

東の方向に満月は浮かんでいた。

すっきりと晴れ渡っている空には、星もちらほらと見えた。

ザ・都会までいかなくても一面コンクリートのご近所で無数の星を見つけることは難しい。

でも、冬の空で空気が澄み渡っている晴れの日だと、いつもより少しだけ多く星が見える。

今日は満月の近くにうっすらと存在している星を見た。

北極星だろうか?

月のすぐ隣りにいつも陣取っている星があったと思うけど、何星かは忘れた。

新潟の空を思い出す。

実家の近くは、今のところに比べたらうんと街灯が少ない。

その分星もよく見える。

しかも新潟の冬の寒さは半端ないから、その寒さゆえの空気の透き通り感も名古屋とは比べ物に

ならない。

新潟の冬は、ほとんど晴れの日がない。

毎日くもりか雨か雪のいずれかだ。

だからわずかばかりの晴れの日の冬の夜空はとっても貴重だ。

そんな中で見る月は格別で、そして月のすぐ近くの星も新潟で見ると大きく見える。


月を見たのには理由がある。

ちょっと勇気の要る申込をネットで丁度するところだった。

最後の「申込」ボタンを押せば、申込は完了するというところだった。

それがどんな結果となるのかは、神のみぞ知るの世界だ。

だから少しばかりの勇気が必要だった。

その勇気をもらうために、ベランダに出て月を眺めた。

寒いから1分も外に立っていられなかったけれど、それでもその月と薄らぼんやりと見える星を

見てたら、もう結果はどちらでもいいと思えた。

結果がどちらに転んでも、また満月を見てはいいなぁと思ったり、過去の良いシーンを思い出す

きっかけになるだろうということがわかったから。

もちろん良い方に転じて欲しい。

でもそれは五分五分の賭けで、うまくいかない可能性だって十二分にある。

だからこそ月を見て心を落ち着けて、そして部屋に戻って「申込」ボタンを押した。

結果を聞くのは早くて明日、遅ければ週末。

もうどちらになっても、申し込んじゃったものは仕方ないと思っている。

またこれを書き終えたらもう一度外に満月を見に行こう。

満月見たって結果が変わるわけじゃないけれど、せめて気持ちだけでも満たすもので満たして

いけたらいいなぁと思っている。

2015年11月25日水曜日

なりたくない大人

日曜日の午後、スタバに行った時のこと。

iphoneの不具合を直すためにwi-fiの環境が必要で、そのために行ったスタバだった。

思いの外、設定に時間がかかって3時間半も滞在したのに、結局は最後まで直せずに終わった。

最後席が隣りになった中年の男女の組合せの会話がひどかった。

何せスタバの席の配置だ、隣りの会話は丸聞こえとなる。

女性の方には中学生の娘がいるとわかり、年は二人とも40代に見えた。

そもそもこの二人の組合せも何なのか、最後の最後まで謎だった。

夫婦ではないのはわかった。

でもかと言って、アバンチュールな関係でもなさそう。

じゃあ友達かと言えばこれもまた違う。

きょうだいということもないだろう。

仕事繋がりでもなさそうだった。

とにかくどんな繋がりのどんな二人なのか、全然最後までわからずじまいだった。

この二人の会話がひどいと言っても、男性の方は相づち以外言葉を一切発していなかった。

だから女側の方しか実際は話をしていない。

そしてその女の話が最初から最後までひどかった。

とにかく、ずっと誰か第三者の結婚か恋愛話しかしていない。

結婚か恋愛話が悪いわけじゃない。

悪いと感じたのは、自分以外の誰かの話をずっとしていたから。

それもものすごく親密な友達の話をしているのではなく、遠からず近からずみたいな人間関係の

中の誰かのうわさ話や聞きかじった話ばかりだったから。

悩みを相談されたことをまた相談しているという風でもなく、「○○はこの人との関係どうしよう、

って話しててさぁ、わたしはさぁ××て思うんだよね。でもそういうのって本人たちの気持ちが大事

じゃない!?・・・・・・」という具合に、本当にしょうもないことを話していた。

百歩譲って本人の悩み相談ならまだわかる。

なのに、全く関係のない人の人生を勝手に覗いて、それについてああでもないこうでもないと解説

しているという風なのが延々と繰り返されていた。

そして一通り話し終えると、「じゃあそろそろ行きましょうか?」と言って二人は去って行った。

それこそ全くの他人の人生について評価を下すなんて、わたしの方こそ余計なお世話だけれど、

こんな大人にだけは絶対になりたくないと思った。

日曜日、時間もお金も使って人と会っている。

その人と家族のようにずっと一緒にいられるのであれば、そこで聞いた話もありだけど、二人が

夫婦でないことは話の内容でわかった。

女は男性に「娘に、パパとママは何で一緒に寝ないの?って聞かれたけど、もう結婚して何年も

経てばそうなってくるわよ」と言っていて、あぁ夫婦ではないんだと確信した。

せっかくせっかくお互いの時間をすり合わせて会えているのに、こんなにも身も蓋もない話を延々

としてしまうなんて、ただただ呆れるばかりだし、そしてそれしか話題がもしないのだとしたら、

何とも悲しい大人だと思う。

他にもっと語り合うことがあるだろうに。

語り合えないような関係性なら、わざわざ時間作ってまで会わなくていいだろうに。

ものすごい消化不良を起こした話の連続だった。

あそこで相づちしか打っていなかった男性に聞いてみたかった。「話、面白いですか?」って。

年を重ねれば重ねるほど思う。

話の引き出しひとつ取っても、その人の生き様が表れるって。

2015年11月24日火曜日

相手を試し中

自分でもものすごく嫌らしいと思ったけれど、どうしてもどうしても相手の深層心理を試したくて、

今相手の出方を見守っている。

これが恋愛だったら苦しい駆け引きになるけれど、仕事だからそういう苦しさはない。

代わりに、こちらの期待から大きく外れた場合、それはそれでショックだろうから許容範囲内で

相手が対応してくれるといいなぁと思っている。

元々誰かを試すようなこととか心理的駆け引きは得意じゃない。

隠し事も下手だし、嘘も上手に使える場面と嘘の一つも言えない場面とがある。

今回そもそも相手を試そうと思ったことには理由がある。

1ヶ月近く口で約束されていたことがあった。

その口約束を条件に、わたしもその仕事の契約を結んだ。

口約束の部分は、わたしにとってとっても重要なことだった。

それは相手も知っての対応をずっとしてくれていると思っていた。

ところが直前になって、その約束は180度全く別の方向に転換されることになった。

そしてその方向転換に関し、「所詮他人事ですから」と言い放った相手にわたしはものすごい

不信感を抱いた。

聞き間違いであって欲しかった。

この数回の話し合いの場は何だったのだろう?と思った。

わたしが何度も懇願していたこと、何度も口に出して言っていた希望は何だったのだろう。

方向転換された内容よりも、それに関してOKのサインをずっと出しておきながら土壇場で変更し、

さらにそれに対して他人事と言われたことにわたしはショックを受けた。

仕事云々よりも、人としての部分にわたしは大きな疑問を抱く結果となった。

そこで大きく何かが崩れてしまったことはもう仕方ない。

気持ちを切り替えようと自分でも思っている。

そこでわたしは、もう1つの賭けに出た。

賭けと言っても、自分が担当する仕事の部分の質問を投げかけて相手の返事を待っているだけ。

実はこの返事も延びている。

しばらく様子を見ていたけれど、返事が来ないからもう一度わたしは連絡をした。

その返事がどんな風にくるのか、どのタイミングでくるのかを見守っている。

これ以上がっかりするような結果を招きたくないけれど、もし招くことになったら・・・。

それはその時に考えよう。

昔からそうだけど、仕事上のミスは人の命に関わること以外は、基本仕方ないと割り切っている。

人間がすることだから、わたしもそうだし他の誰かも間違うことはある。

ただ大事なのは、その間違いやミスが起こった時に、どう向き合ってどう対応するかだと思う。

そういう時こそ人間性がものすごく問われる。

間違いが悪いのではなく、その後の対応が悪ければ仕事全体も悪い方に足を引っ張られる。

逆に間違ってもその後の対応が良ければ、その後も何だかんだと良い具合に回っていく。

もうどうかそこが外れませんように、と今は祈るばっかりだ。

大きなはずれがやってきたら、もうその時は仕方ない。

さっき書いた通り、そうなったらその時に考えよう。

2015年11月23日月曜日

酔っぱらい奇行記

のんべえ友達と久しぶりにたくさん飲んだ。

1軒目のチョイスを誤り、そそくさと2軒目へ移動。

2軒目では1リットル入りの焼酎やかんが有名で、ぜひそこに行こうとなった。

水割りで一人5杯以上は飲んだ。

ただ閉店時間が早く、そこも中途半端すぎてもう1軒で〆ようとなり、小袋が食べれる中華料理屋

に行った。

2軒目から3軒目へ移動する時、片道3車線の大きな幹線道路を渡ることになった。

横断歩道はとりあえず100m以上先。

でもわたしたちが行きたいのは道路向こうのすぐ目の前。

日曜日の夜だから車も通っていない。

二人で「行っちゃおうか!?」と互いに言葉で確認し、わたしたちは中央分離帯の植木をまたいで

道路の向こう側を走って目指した。

中華料理屋も初めて行くところで、とりあえず「小袋があったら入る、なかったら別の店へ行こう」と

なって、小袋のあるなしを確認。

あるとのことで店内に入る。

実はこの辺りからわたしの記憶は怪しくなる。

小袋もぎょうざ一皿もビールも憶えているけれど、味なんててんで憶えていない。

おいしかったのかそうでなかったのかもわからない。

二人で何の会話を交わしたのかさえ憶えていない始末。

友達いわく、この辺りでわたしは「気持ち悪い」と言い出したらしい。

じゃあ帰ろうかとなり、まだ余裕で自分の家に帰れたのになぜか友達の家に向かった。

その辺りもどうして友達の家に泊まろうとなったのか定かではない。

たくさんの出口のある駅だったけど、一体どの出口の階段から地下鉄に下りたのかも全然記憶に

なくて、気付いたら友達の最寄り駅だった。

この辺りは、わたしはとりあえず横になれる安心感からか気持ち悪いのは収まったと思われる。

代わりに友達がものすごく具合が悪くなっていた。

トイレで吐いてくるという友達にわたしはとりあえず改札出て待ってると言った。

これは何かしら二人とも飲まないと翌日がひどくなることは、いくら酔っぱらっている頭でも十分に

理解できた。

しばらく出てきそうにない友達を置いて、すぐ近くのコンビニでヘパリーゼを2人分購入した。

店員のおばさんがわたしの横にぴったりとついてヘパリーゼを買わせてくれた。

にも関わらず、わたしはその後高級ヘパリーゼをどうしたのか憶えていない。

飲んだのかその辺に置いてきてしまったのか、でも朝起きたらコンビニの袋があったから飲んだ

ものと思われる。

改札に戻っても友達の姿はなく、駅員さんに友達がトイレで吐いていて戻らないと訴えたら、

迎えに行って下さいと言われ、わたしはもう一度改札の中に入り友達を迎えに行った。

丁度トイレから出てきた友達と、さぁ早く家に帰って寝よう!と言い、おそらくこの辺りでは2人共

無言で家路に着いたに違いない。

友達は家のトイレでも激しく吐いていたけれど、眠さと酔っぱらいの疲れとでその音さえもすぐに

耳に入らなくなり、次に起きた時は朝の4時過ぎだった。

二度寝をして、7時過ぎに目覚め、さらに三度寝をした。

気持ち悪いことが自分でもわかった。

完全なる二日酔いだった。

とりあえず荷物の確認をしようと思い、かばんの中を見てこれまたびっくりした。

何を思ったのか、かばんの中身をすべてスーパーの袋に移していた。

通常の思考回路では到底できない摩訶不思議なことを、酔っぱらいの頭は遂行していた。

一通り見て、携帯電話と別の友達からプレゼントされたタオルがないことに気付いた。

携帯電話がないことに青ざめ、かばんの隅から隅まで、そして例のスーパーの袋を透明にも

関わらずもう一度中身を取り出して見たけれどない。

携帯がないことに冷や汗をかいたけれど、立ち上がってみるとなんとちゃっかり友達の家の電気を

借りて充電していた。

しかも100%充電となっていて、一体いつ充電をしたのかさえ憶えていない。

結局友達からもらったタオルはどこかに置き忘れたのだろう。

プレゼントしてくれた友達にタオルを失くしたと連絡したら「飲んで楽しかったらいいじゃないの~」

と明るい返事が返ってきた。

わたしより重度の二日酔いになった友達は、ベッドで布団かぶりながら「ぶっしーまたね」と挨拶

するのが精一杯だった。

1日静養コースの二日酔いの様子だった。

二人で飲み過ぎたねと言いながらも、またいつかの時はこうして飲み過ぎるんだろうなぁと思い

ながらわたしは朝の電車に揺られて自分の家を目指した。


大人になればなるほどわかる。

ここで言う「大人になる」というのは、単純に年齢を重ねるという意味での大人になるということ。

年甲斐もなくがしがしと飲んで食べてしっぽりと人生の話をして、そして二人でもれなく二日酔いを

経験して、中央分離帯の植木をまたいだり、げえげえ吐いてみたり、そういうことができる友達を

持てること、そういう友達と時を共有すること、それがどれだけすごいことなのか。

7年8年の付き合いの友達になるけれど、上っ面の人間関係ではなくてお互いに格好悪いところも

至らないところもそのまま突き出してがはがはと笑い合えるというのはすごいことだと思う。

タオルをプレゼントしてくれた友達は二人の共通の友達だけど、その友達も二人だったら絶対に

楽しく飲むというのを知ってくれているから、良かったじゃないと言ってくれる。

もちろん3人で飲み交わしたこともたくさんある。

多くを語らなくても、たった一言「二人で飲んだ」と言えば伝わる。

逆に、その友達と二日酔いの友達が二人で飲んでも、わたしは同じように二人のお酒を楽しむ

姿をとても簡単に想像できる。

今窮屈な人間関係に身を置いていることもあって、余計とこの解放感たっぷりの人間関係に

ものすごく助けられている。

窮屈な方ではわたしは自分のことを1つとして語らない。

聞かれたことは最低限答えるけれど、それ以上は何も言わない。

言ったところで伝わらないだろうというのもある。

でもこの飲み友達と言い、そう頻繁には会えなくてももう何年にも渡って仲良くしている友達とは

自分の人生や自分の今のことを話せる。

安心して話せる。

すごい失敗をしても、それすらも一緒にがははと笑い合える、または一緒に泣ける。

二日酔いは最低だったけれど、二日酔いになった故気付けた人間関係のありがたさもあったから

総じてとても良かったと思っている。

2015年11月22日日曜日

小さな花壇の物語

うちから2ブロックほど北上したところのお宅に小さな花壇がある。

幅は50cm程度で長さが3mほどだろうか。

家のすぐ脇にその花壇はあり、そして花壇の脇は公道だから、家と公道の間の小さなすき間が

花壇になっている。

本当に小さな小さな花壇ではあるけれど、この花壇が実に素晴らしい景観を伴っている。

どうやらそのお宅は2世帯住宅で、下に老夫婦、上に子ども夫婦という風で、下の老夫婦がその

花壇をいつも丁寧に世話している。

そちらの方角はスーパーに行かない限り通らない場所で、だからそもそも月に3~4回程度しか

通らないけれど、それでも月に一度は老夫婦が二人で花壇の世話をしている姿を見かける。

その二人の掛け合いも面白くて、綾小路きみまろが喜んでネタにしそうな掛け合いだ。

じいさんもばあさんも、都合が悪くなると互いに「おまえが悪い」と言い合っている。

それでも何だかんだ言いながらも、二人の協力の手は止まず、最後にはきれいに整えている。

春には桜、夏から秋にかけてはバラ、そしてそれ以外にもホームセンターで買ったと思しき花たち

が彩りを添えている。

本当に手を掛けられた花壇だというのが通っただけでわかるから、いつもそこをチェックするのが

わたしにとっては楽しみの1つでもある。


さかのぼること3年前の春。

知り合って半年ほどのとても気の合う年上の女性を我が家に招待した。

うちから一番近い大きな駐車場があるスーパーに車を止めてもらい、うちまで一緒に肩を並べて

歩いた。

途中でそのお宅の花壇の横を通りすぎた。

その時に、「わぁ~きれいね~、この桜」と二人でその年初めての桜を一緒に見て感動した。

小さな花壇だから桜も小ぶりだけど、その年初めての桜をものすごい至近距離で見ることが

できたわたしたち二人は感嘆の吐息をもらした。

あれ以降も何度もうちに寄ってもらっているけれど、その花壇の脇を通る度に二人でその花壇に

目をやり、その時々の花のきれいさに心を奪われている。

もちろんその花の姿の裏には、例の漫才のような老夫婦の手が加わっているからこその美しさ

であることは間違いない。

どうしてだろう、わたしはその老夫婦の姿を見ているからわかるけれど、年上の女性はおそらく

一度も見てなくてもそのきれいさがまっすぐに伝わる。

花が大好きな方で、そのお宅の花壇だけは唯一足を止めて何かしらの感想を述べている。

他にも立派な庭のおうちもあるのに、その家の小さな花壇だけがなぜかいつもその女性の心を

奪っている。

今は冬に向けて枯れ木や枯れ草は取り除かれ、バラ用の手作りの支柱とこれからどんどん葉っぱ

を落とす小さな桜の木だけが取り残されている。

少し寂しくなった花壇の脇を通り過ぎ、今日は彼女とのやりとりを思い出していた。

花壇からは華やかさが失くなっているけれど、心の中は温かい思い出でいっぱいになっている。

2015年11月21日土曜日

好きな音

先日初対面に近い方々に普段どんな番組を見ているかだったか、そのような質問をされた。

テレビを持っていないと正直に答えた。

テレビなし生活ももう6年は過ぎたかと思う。

実家に帰ればテレビがあるから暇さえあればずっとテレビを見ている。

テレビが嫌いなわけでは全くない。

むしろ好きな方だ。

だけど、なければないで生活できるもので、なくても全く気にならなくなった。

続いて「家に帰ったら、無音ですか?」と聞かれ、そうですと答える。

わたしも子どもの頃、家にテレビを置いていないという噂の先輩の家を思っては、一体全体

どのようにして日々を送っているのか不思議でたまらなかった。

面白いアニメやドキュメンタリーやドラマ、あれらを見ずにどんな風に家の中の生活が回るのか

テレビっ子のわたしには全くと言っていいほど理解できなかった。

だから、テレビがないと言うと、9割の人には驚かれるのはいつも想定内だ。

ちなみにテレビなしの生活は始めてみるとすごく快適で、わたしが自分一人だけで暮らす間は

これからもテレビを買うつもりはない。

冷蔵庫並みにないと困るのであれば買うけれど、今のわたしにとってテレビはなくても困らない

ものになっている。

くだんの質問の「無音ですか?」で思い出したことがひとつある。

わたしは生活の中に存在する音がすごく好きだ。

例えば今なら、一文字一文字ノートパソコンのキーを打ち出す音が好きだし、パソコン内部から

発している「働いていますよ」的アピールの音は好きではないけれど生活の一部になっているし、

朝なら鳥の鳴き声、風や雨の音も好きだし、料理の時に生まれる音も好きだ。

亡くなった祖母が使っていた小さな目覚まし時計の秒針の音も時々耳に届く。

お湯を沸かす時の音や、ホーロー鍋からカップへお湯を注ぐ音も好きだ。

シャワーの音も好きだし、寝返り打つ時の布団がぱさぱさ言う音も好きだ。

さすがにそんなことは説明しなかったけれど、気付くと日々の生活の中にたくさんの好きな音が

溢れている。

たしかにテレビはないけれど、完全な無音ということはありえない。

何かしらの音が必ず耳に毎瞬毎瞬届いている。

そしてそれら生活の中から生まれる音は、子どもの頃からずっとなじみがあっていつもほっとして

心を和ませてくれる。

2015年11月20日金曜日

生きていることにむしょうに感謝したくなる日

everydayレベルで色々と嫌なことや厄介なことがある。

どうも頭がパンクしているようで、すぐに寝落ちするけれどきちんと眠れた感じがないまま、5時間も

すると目覚めることが増えてきた。

そんなこんなの日々を1ヶ月半ほど過ごしてみて、たまにむしょうに生きているだけで何だか

ものすごくありがたくて泣きたくなってしまう程に感動して感謝したくなる瞬間がある。

とにかく1日が無事に終わってくれたこと、色々あってもとりあえず何とかなってくれたこと、そういう

ことにただただ感動して、泣きたくなってしまう。

いつからここまで感動できる自分になれたのだろう?と思う位に、普段の自分からは考えられない

位に謙虚でものすごく静かに自分の命や今あるすべてのことを感じている。

そういうことを感じだすのが先なのか、摩訶不思議なことが起こる方が先なのかわからない。

だけど、最近摩訶不思議なことがたくさんある。

例えば今日も、夜も8時を回り、近所のスーパーの半額を狙って店に向かう途中、なんと真っ暗な

空のところに白い数羽の鳥が飛んで過ぎ去っていった。

夜行性の鳥なのかもしれないけれど、まずその夜の8時台の暗さの下で、白く見える鳥数羽が

飛び去るなんて初めて見た。

今日のお昼には、物乞いのおじさんに会った。

人生で初めて物乞いの人に500円玉を渡した。

それはわたしにとって、本当に色んなことを教えてくれた出来事だった。

そのおじさんの登場によって、わたしが自分の中で色々考えたことの深みは他に類を見ない。

500円を払って、人生において大切なことをわたしが学ばせてもらったと言っても過言ではない。

物事の善悪なんかを通り越したさらに先のことをわたしは知る結果となった。

こういう摩訶不思議なことがぽつりぽつりと人生の中に現れてくるようになった。

もちろんこれまでだってそういうことは沢山あった。

だけどそれらの1つ1つが生きているからこそ経験できることだというのは、最近感じ始めたこと。

だから、別に何がなくても、むしろ何かよろしくないこと不都合なことがたくさん起こって、それでも

人生が回って自分もなんとなく生きていることに感動するのかもしれない。

2015年11月18日水曜日

過去と今と未来と

ある方にメールで資料を送るついでに、以前見てみたいと言われたメキシコの遺跡の写真も送ろう

と昔の写真のデータを引っ張り出してきた。

他にもすることが控えていて、のんびり悠長に写真を眺める時間はなかったけれど、20~30枚

程度は探すついでにぱらぱらと眺めた。

今となってはどこがどれで、それが何の食べ物なのか、思い出せないものもたくさんあった。

一応後で見返した時にわかるように、場所別に写真をまとめるようにはしておいた。

それでも、こんな所も行ったんだ、と自分が行ったくせに初めて訪れる場所のごとく写真を見て

感じたところもあった。

その写真の中には当時の自分がいる。

充実度で言ったら、当時の方が断然上だ。

人も仕事も本当に恵まれていたと思う。

それに比べると、今は人はもう史上最悪と言わんばかりだし、仕事も自分が好きでやっていること

は問題ないけれどそうではない部分はこれまた史上最悪な感じだ。

色んな意味でうーんと唸りたくなるような状況に今身を置いているけれど、不思議と当時にもう一度

戻りたいとだけは一度も思わなかった。

当時は当時で大変だったことも当然あったからそれが嫌とかそういうことではない。

でも何でだろう、もう一度あの頃に戻りたいとだけは全然思わない自分がいる。

今が充実しているからということではなくても、何となく戻らなくてもいいと思う自分がいる。

昨日新しく嫌なことというか困ったことが起こった。

久しぶりに誰かに対して怒りを感じ、そして良い人と思っていた分だけ失望もした。

わたしに人を見る目がないのだろうか?と思う位に、失望するような発言が飛んできた。

このことにはもうしばらく自分の中で悶々とすることだとは思うけれど、だからと言って、その昔の

良き時代良き場所に戻りたいとは思わない。

今だっていつかは過去になるし、いつかはこのことも笑い話に自分はするような気もしている。

どんなに悪い日でも、いつかはすべて終わってしまうということが感覚の中に生まれてからは、

なぜだろう、過去に戻りたいとも早く未来に向かいたいとも思うことが一切なくなった。

それがすなわち「今を生きる」ということなのかはわからない。

正直それもどこか違うように感じる瞬間の方が多い。

時々自分がどこにいるのかわからなくなる時がある。

いつも目にしている風景であっても、ふと自分がなぜ今ここにいてこんなことしているんだろう?

って不思議な気持ちに突然なることがある。

その感覚がある以上は、どこかに戻りたいとは思わないようになっているのかもしれない。

自分の居場所がわからなくなる感覚と過去に戻りたいと思わない感覚のどこに共通点があるのか

説明なんてできないけれど、その2つが1つのセットのように自分の中に存在している。

2015年11月15日日曜日

世の中でたった1人しか呼ばない愛称

17時半と言えば真っ暗に近い夜空に、黄金色の三日月が浮かんでいた。

その三日月を見て、別のブログで小学生の男の子と一緒に見た三日月の話を書こうと決めた。

その男の子の名前をどんな仮名にしようか考えて、「フウ」にすることに決めた。

「フウ」とカタカナで出てきたから最初はぴんとこなかったけれど、「フウ」を「ふぅ」とその韻を頭の中

で反芻したら「あ!」と初めて気付いた。

世の中でたった一人だけわたしを「ふぅ」と呼ぶ人がいる。

母の妹であるおばさんの一人だ。

おばさんは、わたしは「ふぅ」、妹は「ゆぅ」、いとこの一人は「みぃ」と呼ぶ。

他の甥っ子姪っ子はそのまま呼び捨てだったり、「ちゃん」をつけたりする。

わたしたち3人だけがなぜか名前の頭文字を伸ばした形で呼ばれる。

妹の「ゆぅ」は、父もそう呼ぶことがあるから特別珍しくはない。

いとこの「みぃ」も他にそう呼ぶ人はいる。

だけどわたしだけは、そのおばさん以外に「ふぅ」と呼ばれることはない。

これまで出逢った人の数が一体どのくらいかなんて想像もつかないけれど、その中でもわたしを

「ふぅ」と呼ぶのはおばさんだけだ。

突然、「ふぅ」という韻がとても特別な響きに聞こえ、そして泣ける位に心いっぱいに広がった。

自分が生まれた時からそうやって呼ばれてきたんだと思う。

気付けばいつもそう呼ばれる。

大人になった今ももちろん同じ呼び方で呼ばれる。

「愛されている」なんて普段考えもしないけれど、「愛されている」自分の存在をものすごく強く

感じた。

2015年11月14日土曜日

個性光る表現

毎週チェックしている占いがある。

多分その文章を書いている占い師さんは男性だと思う。

切り口がすぱっとしているのにどこか柔らかさがあり、その文章にいつもぐいぐいと惹きこまれる。

毎週月曜日の更新が楽しみで、チェックを欠かさない。

何週間か前の文章に、すごく素敵な表現があった。

「ゆずを食べて体を温めよう」みたいなフレーズだった。

体を温める食材は他にもたくさんある。

たくさんあるけれど、その中で「ゆずを食べて温める」と提唱した人には初めて出逢った気がする。

「体を温める」みたいにありきたりなことを言う時、ものすごくその個人の人のセンスが表れる。

そこにあえて「ゆず」を選ぶあたりが、個人的にものすごくツボだった。

この表現いいなぁと思った。



話は変わって、このブログ、本日5つ目の文章になる。

さすがに5つも、それも朝からずっとに近いから4時間程書き続けることはあまり楽しくない。

何事も多くやればいいというわけではなくて、適量があると思う。

今の頭の回転では、「ゆずを食べて体を温めよう」なんていう素敵な発想はできそうにもない。

それよりも少し自分を休めて、全然別のことをした方がまた書く気力もひらめきも湧くだろう。

自分のこういうパターンを見ながら、今徐々に自分なりの戦略を立てている。

どうすると書きやすくて、ひらめきも出てきて、気持ち良く書けるのか。

反対にどういう条件が重なると、書くことが嫌になってくるのかも。

こういう見極めの作業は意外に楽しい。

何をしているわけでもないけれど、1つまた1つと何か知っていく、自分のことを今よりも理解して

いく、そういうプロセスは相変わらず好きだなぁと思う。

2015年11月13日金曜日

小さなはじまり

今、写経もどきにはまり出した時がいつだったのかを調べた。

2年前、2013年の夏の日付のスタンプが押されていた。

当時していた仕事の帰りに、時々少しだけ遠回りをして大きな図書館に寄っていた。

すごい蔵書の数だけど、意外にもあまり「これだ!」という本には出逢わない場所でもあった。

だけどそこで夕暮れを見ながら一人で気に入ったフレーズをひたすらノートに書き写す作業は

何だか粋で楽しかった。

あの辺りから異常なほど写経もどきにはまり出して、おそらく1000枚近い紙にひたすら写した。

普段あまり見返すこともないけれど、当時のことはとてもよく憶えている。

こんなことにはまって何になるんだろう?とだけはずっと思っていた。

やっていることは好きだし、無駄という風にはさすがに思わなかったけれど、かと言って何になるの

だろうか?なんて考えだすと、どうも何にもならなさそうという答え以外見当もつかなかった。

自分が喜びそうな答えは見つからないままだったけれど、それでも気に入った言葉を書き写す

のは好きでその後もそして今も続けている。

今は当時に比べたらかなりスローペースになった。

それでもやはり好きは好きだから続けている。


あれから2年経って、まさか本当に書くことを始めるとは思ってもみなかった。

その書くことだっていつまでやり続けたいかなんてわからないし、わたしのことだからある日突然

飽きてもう何も書かないということだって十分ありうる。

それでも、今度は誰かの言葉を書き写すのではなく、自分で自分の言葉を紡ぎ出すようになる

とは本当に驚きの展開だ。

あの写経もどきが今に繋がっているのか、もっと別の何かに繋がっているのかはわからない。

だけど、あの日々の積み重ねがやがて別の形に今なったことは紛れもない事実。

人生どこで何がどう転ぶかなんてわからないなぁと、これまた何度人生でそう思ったことかもう

わからない位の回数思ったことを今日も思う。


いつだってはじまりは小さなはじまりだ。

それも、ふと思い浮かんだことをちょっとやってみた、程度の小さなはじまり。

小さく始めたことは無理がないから、気付くとけっこうな大がかりなものに仕上がったりする。

大きく始めたことは全然長続きしなかったわたしだけど、意外にいつ始めたんだっけ?と

振り返らなければいけないようなものは、淡々と続いている。

無理するつもりもないし、気が向いた時だけする程度だから良いのかもしれない。

2015年11月11日水曜日

楽しみが1つ失くなった

いつもより2時間ほど遅れて、夜の最寄り駅に降り立った。

一緒にスタートした人と肩並べて愚痴り合い、その後ぷらぷらとウインドーショッピングを楽しみ、

電車に揺られそしていつも見慣れた最寄り駅に降り立った。

いつもと同じ光景が目の前に広がるはずだった。

もう何年もこの時期には変わらないものがあるはずだった。

少なくとも昨日の夜はあった。

今日の昼間のいつかの時間に切られたのだろう、これから一番きれいな時期を迎えるはずだった

イチョウ並木のイチョウの木がすべて丸裸にされていた。

本当にこれから12月の頭にかけてが一番きれいなイチョウ並木になる道だ。

最寄り駅を出てすぐの大通りは、道路と大きな建物か店しかなく、コンクリート一辺倒だ。

そのコンクリート一辺倒のところを毎年鮮やかにするのが、そのイチョウ並木だった。

たしかに、毎年おおよその葉っぱが落ちると枝を切る作業はしていた。

だけどそれは本当に木が半分以上裸んぼになってからのこと。

これから一番の最盛期を迎えるというこの時期に、イチョウの枝がすべて切り落とされるのは

前代未聞だ。

誰の決定なのだろう。

どこの誰の決定かもわからないけれど、このイチョウ並木の良さを全く知らない誰かが、その姿を

一度も拝むことなく、今日作業日にしようと勝手に決めたのだとしか思えない。

これがかの有名な河村市長なら、そんな全国に名を馳せる前に街の景観を残すための配慮を

先にして欲しかった。

それにしても、一体どんな理由で今年はこんなに早くイチョウの枝を落とすことになったのだろう。

わたしは自分の住んでいる地域のことなど何一つ誇るものがないけれど、このイチョウ並木だけ

は他の何にも代え難いぐらいに素晴らしいものだと思っている。

どんどん寒くなって息も白くなって・・・という頃、冬の澄み切った空気の中に黄色が鮮やかに映る

あの光景がたまらなく好きだった。

青い空の中に生える黄色も、夜のスポットライトに照らされた黄色も、どちらもとても素敵で、毎年

毎年それはそれは楽しみにしていたことだった。

毎年この時期だけは、日々その通りを歩きながら眺めるのが好きで、疲れて家に帰ろうとする日

でも、そのイチョウ並木を見るだけでなんだか心が洗われるような気がしていた。

ほんと誰の決定なのだろう。

誰かは知らなくても、この良さを知っている人ではないことは一目瞭然。

知っている人なら、絶対にこんなに早い時期に切り落とす決断などできなかっただろう。

まして雪が降るわけでもないのに、なぜこれから!というこの直前の時期に切り落とすのか。

人間って勝手だなぁと思う。

特別何も施さなくても、葉っぱは勝手に時期が来たら落ちる。

木は勝手に丸裸になる。

何でその自然の摂理を守れなかったんだろう。

誰に迷惑をかけているわけでもないこのイチョウたちを切り落とす意味なんてあったのだろうか。

失われた楽しみ。

また生えてくるけれど、今年もたっぷりと堪能したかったイチョウ並木だけあって、何とも言えず

切なさが込み上げる。

2015年11月10日火曜日

ばばちゃんの命日 2015

2007年11月10日 21:27 祖母ばばちゃん永眠。

今日は2015年の11月10日だ。もう8年も過ぎた。

ばばちゃんと会えない時間が8年分積み重なったと言うのに、そんな気は全然しない。

時々思い出すからかもしれないけれど、元々一緒に住んでいたわけじゃないし会えても年に数日

だけだったから、8年も会えてないという感覚がないまま8年も過ぎ去った。

この日は毎年色んなことを思い出すけれど、今年はやたらと最初のお墓参りの場面を思い出す。

あれが一体何の行事なのかは今もわからない。

というのも、ばばちゃんの住んでいたど田舎のその集落では、葬式にかけるエネルギーも半端なく

何日にも渡って色んな式を行うのが定例のようだった。

だからそのお墓参りの場面も、一体何でそんなことをしたのかはさっぱり思い出せない。

しかも通夜から初七日に至る1週間の間の出来事だったから、まだばばちゃんの遺骨は墓には

入れない。

だけどあの11月の冷たい雨の降る日、たしかにみんなでお墓参りをしたのだった。

その場面で鮮明に憶えているのは、3人のおばあちゃんだった。

近所と言うには遠すぎる近所に住んでいるおばあちゃんたちなのだろう。

隣りの家まで50メートルは裕にある土地柄故、近所と言っても数分なら「近く」て、歩いて10分

以上かかったとしても不思議ではない。

何せ隣りの家もそんなに離れているから、私はばばちゃんの家の近所さん達を見たことがない。

ばばちゃん一家はそれはそれは横の繋がりが強いだろうけれど、わたしのように年に1度ないし

2度しか訪ねないような外孫には近所の相関図など知る由もない。

だからあの日の3人のおばあちゃんたちもどこからやってきてくれたのかはわからない。

3人ともそれぞれ1輪ずつ花を持っていた。

その花だって葬儀屋さんが渡してくれた花じゃない。

各自が家から持参した花だ。

片手には傘、もう片手にはお墓に添える1輪の花を持って3人とも横並びに立っていた。

寒い中、親族一同がぞろぞろと墓場にやってくる前から待ち構えていたような気がする。

わたしもそのおばあちゃんたちと二言三言言葉を交わしたような記憶がある。

それよりも3人が1輪だけ花を持って立って待ってくれていた様子の方が強烈に記憶に残り、

実際のやりとりは大まかにしか憶えていない。

おばあちゃんたちはぽろりと涙を流したり涙目になりながら、ばばちゃんの死を偲んでいた。

年をとったから死ぬのが当たり前じゃなく、本当に一人の人の死を気持ちのままに悲しんで、

そしてその気持ちをわたしたちにも言葉で伝えてくれた。

たくさんは話していない。

だけどあの瞬間瞬間が今も、8年経った今も、ものすごく鮮明に残っている。


ふと自分がどんな風になりたいか?とこの間人に聞かれた時のことを思い出した。

わたしは有名になりたいも何かを成し遂げたいもなく、本当に何もぱっと思い浮かばずにいた。

でも例の3人のおばあちゃんの姿を鮮明に思い出した時、自分もあんな風に誰かの死を心から

悲しんだり、悲しめるだけの人間関係を誰かと築きたい、特にうんと年を取ってからそういう自分

でありたいと、それだけはものすごく強く思った。


今日は空が澄み渡っているらしく、名古屋の明るい空の下でもいくつか星が見えた。

ばばちゃんの死の後、日本からドミニカに戻る時、飛行機の中からすぐ自分の真横に見た

オリオン座を思い出した。

すんごく遠くにしか見えないオリオン座が、すぐ自分の真横にあった。

自分がいる高い位置よりももっと遠くにばばちゃんはいるのだろうけれど、あの時だけは

ばばちゃんがものすごく近くにいるように感じた。

今日見えた星も全く手に届きそうもない高さにあったものの、ものすごく久しぶりに見えた星たち

に、ばばちゃんの存在がふっと浮かび上がるようだった。

2015年11月9日月曜日

困ったiphone

子どもの頃『こまったさん』というシリーズの物語がとても好きだった。

話の内容は忘れたけれど、毎回こまったさんは何かにこまってそれを解決していく、というような

話だったと思う。

それはそうと、本当に困ったのはiphone。

今日の困ったは、携帯の画面に変な操作する画面が現れて、それが何をしても消えない。

普段は自分が撮った写真が画面の背景になっているのに、今はその意味不明な操作画面が背景

になってしまった。

自分がどんな操作をしてそのような画面背景にしたのかがわからないから困りものだ。

そもそものその画面を消す又はキャンセルする方法を知らない。


先日iphoneを修理に出してきた。

実際は、修理ではなく交換となって終わった。

ただその担当者の話の意味がさっぱりわからなかった。

担当者いわくわたしのiphoneは、iphone本体が壊れているのではなく、中のシステムが痛んで

いてそれにより不具合が出るとのこと。

ちなみに不具合の例としては、ネットが突然遮断される(←これはまだ序の口)、一番困っていた

のは、電話が突然切れてしまうことやエコーしてしまうことだった。

「もしもし」と会話が始まったかと思えば次の瞬間、

「もしもし、し、し、し、し、し、し、し、し、し、し・・・・・」

という具合に相手の声はエコーするわ、わたしの声は届かないわ、の大惨事となった。

で、それらがiphoneの本体ではなくシステムの問題だと言う。

「ウイルスに感染しているとかですか?」と聞いたら、ウイルスに感染しているのとは違う、中身の

具合がよろしくないから本体を交換してもまた再発する恐れがありますと言う。

再発したらどうしたらいいんですか?と聞けば、その時はコールセンターに電話して本体を初期化

してくださいと言われた。

もうハテナ?ハテナ?ハテナ?のオンパレードだった。

担当者の説明は悪くなかった。

難しい単語は少なかった。

だけどわたしの知識が丸っきりないところに説明されても、てんで的を射ない。

今回の一連のサービスで一番理解できたことは、もう次の春で保険が切れるからその後仮に

壊れた場合、修理に出すよりも機種交換した方が安く済むということだった。

だから後は極力長く無事でいてくれることを祈るしかない。

保険も2年間のものしかなく、買った時に店員さんに「2年後に保険の延長はできないんですか?」

と聞いたら、「その後は壊れていく確率が上がるので、最長2年なんです。そして壊れたら次の

ものに変えてもらうことを企業側は意図しています」と返ってきた。

ガラケーの時は何年も携帯電話というのは使うものだと思っていたから、当時は言われても

さっぱりぴんとこなかったけれど、今はなるほど納得している。

まさか本当にその2年以内に保険を使うようなことになるとは思ってもいなかった。

関係ないけれど、エアコン関連の仕事に就いていた時、今時の機能満載のエアコンは壊れやすい

と聞いた。

昔のようなただ冷やす、タイマーをつける程度の単純明快な装置ではなくなった今、その諸々の

便利機能のせいで壊れやすいのだと言う。

実際にお客さんからも、昔の方が10年20年、がんばれば30年使えた頃の機械の方が良かった

と聞いた時も二度三度じゃない。

中には、そういう単純機能のエアコンを復活させて欲しいとリクエストを出してきたお客さんまで

いた位。

iphoneも機能満載はいいけれど、それが故障を引き起こすのであれば、単純な作りでもいいのに

とわたしなんかは思ってしまう。


ちなみにAPPLE STOREで驚いたことの1つ。

なんとメモ用紙が用意されていない!

途中でIDの設定やパスワードの設定を余儀なくされ、当然新種のものはメモに残さなければ

100%忘れる。

手持ちの適当な紙がなく、店員さんに「メモ用紙をください」と言ったら、「メモ用紙ですか?」と

聞き返されたほど。

本当にメモ用紙なるものを用意していないらしく、何かの規約が印刷された紙を渡されて、この

裏面をご利用下さいと言われた。

何もわたしだけ特別にメモが必要ということもないと思う。

全体の1割ぐらいは、わたしみたいに超アナログ人間もいると思う。

なのになぜメモ用紙がない、APPLEよ!

時々Steve Jobsが本当に目指したものはこういうものだったのかな?と疑問に思うことがある。

わたしのような困ったさんを増やすための製品じゃなかっただろうに。

利便性とデザインを求めた先に、不自由ががっつり待ってるだなんて…。

2015年11月8日日曜日

きちんと出逢うようになっている

金曜日、今取り掛かり中のプロジェクトの担当者の方と会ってきた。

このプロジェクトも突然降って湧いたような話で、今振り返っても不思議な流れで運ばれてきたなぁ

と思う。

そもそもが不思議な流れだったことをさらに裏付けるように、担当者からこんな話があった。

「僕、今年の2月に名古屋に引っ越してきて…(別の話は続く)」

「えっ!?」と思った。

たしかに最近名古屋に越してきたことは知っていたけれど、2月とはその時初めて知った。

そしてその頃、実際にわたし自身もブログを本格的に稼働し始めた時だった。

自分でもしょっちゅう「何で今名古屋にいるんだろう?」と思うことはある。

そもそも30歳の時、唯一内定が出た会社が名古屋だったから名古屋に引っ越してきて、その後

コーチングのスクール通って、そして今は特に名古屋に居続ける理由など1つもない。

名古屋に住む理由がなくなって早3年。

何度となく引っ越しも考えたけれど、何だったら次の2016年の春にアパートの更新があるから

それに向けて名古屋去就もものすごく真剣に考えた時もあったけれど、結局何だかんだと名古屋

に居続けたこの3年。

今回のプロジェクトについて言えば、実は名古屋に住んでいることも1つの条件としてカウント

されている。

担当者いわく、東京・大阪・名古屋のいずれかに居住している人でなければいけないということ

だった。

わたしは特に理由もなく、もっと言えば今他の場所へ動く理由もなければ動く資金も厳しいという

ダブルの理由で単に名古屋にいるという何とも間抜けた理由で名古屋にいるけれど、

実はそれが大切な条件だったとは。

そして担当者も、社内の何かしらの動きに沿って名古屋の内示が出て今名古屋にいる。

予言とか占いで未来を視るとかそういうことは一切できないけれど、こうして自分の流れと自分

以外の誰かの流れを重ね合わせて見た時に、ふと大きな流れが見えることがある。

今振り返ると、すべてが予め決まっていたかのように小さな駒が1つまた1つと進められていた

ように思う。

相変わらず顕在意識の頭は、「どうして今も意味もなく名古屋にいるんだろう?」とか「どうして次に

動かないんだろう?」とか、自分に起こることの意味もわからず無駄に質問を投げかけている。

だけど、実はきちんとわかっていて(?)、今はまだ動く時ではないですよ、という意味で今ここに

居続けるための設定も自分でしていて、そしてここに居るような気もする。

真意の程はわからないけれど、いつも物事が起こり進みだすと思う。

「きちんと必要なものには出逢うようになっている」と。

贅沢言うならば、こういう人生の流れをもう少し信用できる自分になりたいと思う。

2015年11月7日土曜日

冬の料理

久しぶりにじっくりと時間をかける料理を作った。

1つは白菜とコーンを和風だしでコトコト煮たもの。

もう1つはポットロースト。

ポットローストは、肉、じゃがいも、さつまいも、りんご、玉ねぎを土鍋に入れてあとはオーブンに

入れて焼くだけ。

どちらもほとんど料理らしい料理はしていない。

少しだけ切って、あとはガスと電気に任せてコトコトするだけ。

すっごい簡単なのにすっごいおいしくなるのは、冬の料理の特徴だと思う。

今さっきポットローストの中に入れたりんごを1つ味見した。

悶絶級のおいしさでびっくらこいた。

この料理のレシピに出逢ったのは春先で、りんごの季節はとっくに終わっていた。

だから今回初めてりんごを入れての調理になった次第。

作った人たちみんながりんごを絶賛していたけれど、今食べてみてよくわかった。

アップルパイに入っている少し柔らかくなったりんご、あのりんごの味と食感になっている。

ものすごくおいしい。

これを書いたら、肉やいもたちと一緒に食べるけど、さぞかしおいしく出来上がっていることだろう。

この料理の唯一の欠点は、塊肉がなかなかお安くならないこと。

今度特売の時に塊肉を見つけたらまた買って試したいと思っている。

冬だからおいしい料理、今年もあれこれ試してみる予定。

それだけで冬が少し待ち遠しくなれるのは、食いしん坊の特権だと思う。

2015年11月2日月曜日

思い出の夜勤

もう1つのブログの方に、社会人スタートした時の上司のことを書いた。

当時の仕事は週に1回必ず夜勤があって、その上司とも一緒に夜勤に入ることが度々あった。

大学を卒業した22歳から退職する27歳の間まで、何度一緒に夜勤に入ったか忘れたけれど、

その中でも忘れられない話がある。

その上司は当時40歳前後だったと思う。

ものすごいやり手で、とにかく迷ったり困ったりした時はその人によく相談していた。

いつもヒントや助け舟をさっと差し出してくれる人で、でも決してわたしの肩代わりをすることは

なく、必ずわたしがやることを陰で見守ってくれるタイプの上司だった。

上司としても尊敬していたけれど、人としてもものすごく尊敬していた人だった。

その上司が夜勤で2人きりになると、時々話してくれたこと。

「ぶしちゃん、“何で生きるんだろう?”っていっつも思うんだよね」

ものすごく出来る人で、仕事も家庭もある程度形にしてきた人なのに、大真面目に小娘のわたしに

「何で生きるんだろう?」と疑問に思うことをそのまま口にしてくれる人だった。

「いくら生きていてもわからないんだよ。わからないし誰かに相談もできないから本に頼る。

色んな本を読んだし今も読んでいるけれど、やっぱり何で生きるのかわからないんだよね」

そういつも話していた。

わたしはその話がとても好きだったし、何度その話を聞いても一度たりとも飽きることはなかった

けれど、今の自分ほどには当時その話の真髄を理解できなかった。

そしてわたしから見て色んなことが形になっているのに、なぜそんなにも人生に生きることに迷い

のような疑問を抱くのか全然理解できなかった。

今ならわかる。

あの上司が言わんとしていたことが、今なら22歳の小娘の時よりもわかる。

そしていくつになっても、自分の人生は迷いもあるし生きることに疑問を抱くことがあるということも

わかるようになってきた。


当時は単に面白いとか興味を惹かれて程度のものだった話が、今はその話を聞くことができて

本当に良かったと思う。

今の人生の悩みを自分一人だけで抱えていたら、今のわたしは爆発していただろう。

あんなにできると思い尊敬していた上司ですら生きることにものすごく真剣に疑問を持っていた。

その姿を見せてもらえたことが、今自分が生き迷っていてもそもそも当たり前だななんて思える。

多かれ少なかれ生きていたら誰しもが抱くだろう疑問で通るだろうトンネルなんだと思う。

そう思えるだけの自分にさせてもらえたのは、その上司との出逢いが大きい。


当時は夜勤の時間が半永久的に繰り返されると思っていたから、一瞬一瞬のありがたみが全くと

言っていいほどにわからなかった。

でももう戻ることのない当時を振り返り、あの夜勤の時間が他の何物にも代えられない思い出だと

気付いたのはここ最近だ。

20代の頃、上司に出逢えて本当に良かった。

彷徨いまくる30代において、当時の上司との会話を思い出すと自分の心がふっと包まれるような

感覚になる。

2015年11月1日日曜日

優雅な湯気とブランケット

今このブログを珈琲を飲みながら書いている。

珈琲から立ち上る湯気に感動してしまう季節に突入した。

気付けば今日から11月。

昨日からぐっと冷え込んで、温かい食べ物が恋しくなり、水で手洗いするのが辛くなってきた。

食べ物から立ち上がる湯気も好きだけど、この珈琲から立ち上る湯気は食べ物の時とは違った

良さがある。

見ていて優雅な気持ちになれる。

食べ物からの湯気に食欲がそそられたり懐かしさを憶えたりすることはあっても、「優雅だなぁ」

なんて絶対に思わない。

ところが、珈琲の湯気は、それを見ているだけで何となく優雅でリッチな気分になれる。

湯気から伝わる温かさにほっこりしているのもある。

秋と冬限定の風物詩だなぁと思う。


いよいよ寒くなってきたから、膝掛けブランケットもつい先程クローゼットの天井部分から出した。

「深紅」という言葉が似合うようなワインレッドに近い赤いブランケット。

今から多分12年前に母がどこかからもらってきて、それをそのまま譲り受けた。

最初の5年半は、ずっと車の中に置かれていた。

運転用の膝掛けとして毎年大活躍してくれていた。

途中2年間は亜熱帯の地域に住み、このブランケットは実家のたんすにしまわれたままだった。

経緯は忘れたけれど、名古屋に持っていこうと自分で実家から今の場所へ持ち運んだのだろう。

今はもっぱら家専用の膝掛けブランケットとして毎年冬になると活躍している。

今年の春、衣替えの時期にこのブランケットを手放すかどうかずいぶんと迷った。

もう1枚別のチェック柄のブランケットは、たしか春先に思い切って処分したかと思う。

この深紅のブランケットは何となく手元に残そうと思って残したのだろう。

今考えると、このブランケットはこれから傷まない限りはずっと手元に置いておくような気がする。

干支が1周してもまだわたしの手元にあるという、稀少な1枚だ。

色も好きだし柄もないからデザインに飽きることなく、これからもずっと使い続けていくだろう。

毎年同じものを使い続ける、好きでそれを使い続ける、そういう楽しさを覚えたのは30代に入って

からだ。

たくさんの物に囲まれているよりも、自分の好きなものをずっとリピートして使っていくことの方が

粋だなと思うようになったのも30代に入ってからだ。

そういうことに感動出来るようになったから、先述の珈琲の湯気にも優雅な気持ちを抱くのだと

思う。

年を重ねないと絶対にわからないものというのがあって、そういうものを1つまた1つと知っていく、

このプロセスが楽しくてたまらない。

2015年10月27日火曜日

満月の夜に振り返る新月の願い事

2015年10月27日:満月

今日は用事があって、仕事帰りに職場の最寄り駅ではなく隣りの駅に立ち寄った。

用事を1つまた1つと済ませて繁華街を歩いていると、大通りの両端のビルとビルの合間に

うっすら満月が顔を出していた。

少し曇り気味でおぼろ月のような容貌だったけれど、満月は満月できれいだった。

都会の真ん中でものすごく見やすい位置に出ていた満月だったけれど、どの位の人がその存在に

気付いたのか定かではない。

皆目の前のことが忙しくて、周りを見ても誰も月なんか眺めていない風だった。

良いものが見れたと満足。


先ほどベランダに出たら、小雨が降り出していた。

当然空は雨の日特有の重い雲が覆っている。

あの時だから見れた満月だったと気付き、さらには今日する必要のあった隣りの駅で済ませる

用事に心から感謝したくなった。

この用事も、今日急きょ浮上した用事で、今日の仕事終わるまでは予定などしていなかった。

今日のタイミングで済ませる必要があると仕事が終わってから届いたメールで知り、それで

いそいそと隣りの駅まで出掛けたのだった。


パソコンで昨日と今日のメールをまとめてチェックした。

満月についてのメルマガも入っていて、今年の5月18日の新月の願い事を振り返ってみることを

メルマガの中で勧められていた。

願い事を書く専用のノートを引っ張り出し、5月18日の願い事を読み返した。

なんと7個中6個叶っていた。

非常に抽象的な書き方ばかりしていたにも関わらず、当たり前だけど抽象的すぎてその願い事が

どんな風に叶うのか予想すら立たなかったけど、それでも今叶っている現実がある。

本気で願ったことは叶うんだと知り、そして多分自分の人生のテーマに沿ったものは叶うように

なっているのだろうと信じている。


なぜかこれを書いている今、インスタントの塩ラーメンを煮たような匂いがする。

私は煮ていないし、基本的に隣近所のキッチンの匂いは伝わってこない。

このどこからやってくるかわからない塩ラーメンに食欲がそそられる。

タイトルを『満月と塩ラーメン』に変更しようか?などと考える自分。

2015年10月25日日曜日

タイミング良くやってくるメッセージたち

昨日2週間ほど取り置きしてもらった靴を受け取りに行った時のこと。

ついでに、大きなショッピングモールの中を4分の3ほど見て回った。

100、200軒はあるだろうショップが1つの大きな建物の中に入っていても、その中で興味惹かれ

自分が中に入るお店というのはものすごく限られている。

ほとんど素通り状態で、入ったお店はその中の両手で数えられる位だったと思う。

その中の1つに書店があった。

ただ私は、そのモールの書店に対し、ものすごくセンスが悪いと思っている。

置く本のセンスもそう、全体の配列もそう、何がどうしたらこんなにもセンス悪く本を扱えるのか

不思議でならないほどの書店だ。

売場規模はそこそこでかいのに、どういうわけかある種統一性が欠けているから、どれもこれも

非常に中途半端な内容で済まされている。

その辺の町の小さな書店と大差ない品揃えという感じだ。

だからそこの書店はふらりと入ることもほとんどない。

「どうせ良い本はないだろう」と決めつけている自分がいる。

ということでその書店は、わたしの中ではワースト3に入るセンスの悪い書店になっている。

だから今回もお店の入口付近の本をさらりと見ただけで終わった。

その入口付近に村上春樹氏の最新エッセイが山積みにされていた。

彼がどんな内容を書くのか興味がありパラリと開いたけれど、文字の量の多さに読む気が失せ、

パッと開かれたページの一番右側の行だけ読んだ。

そこに書かれていたのは、なんと今のわたしに一番必要なメッセージだった。

何が書かれていたのかというと、

「自分の頭の中にあるものは、自分でしか整理できないし、自分でしか言葉に置き換えることは

できない」

おおよそこんな風な内容だった。

本当にその通りで、今わたしの頭の中にあるもの、心の奥底から湧いて出てくるもの、いずれも

これはわたしにしか整理できないことで、そしてそれらを言葉に置き換えるのもこれまたわたし

しかやれる人はこの世の中にいない。

この言葉のおかげで「自分の役割」「今自分がやれること」がより明確になった。

不安になろうが、とことん落ち込もうが、自分の中にあるものを取り出しそしてそれを表現できる

のは自分だけ、それをはっきりと言ってもらえて覚悟みたいなものが生まれた。

いつも思う。

タイミング良くすべてやってくるようになっているなぁと。

2015年10月24日土曜日

靴との出逢い

2週間前の週末、オフィス内で履く履き物を探しに出掛けた。

よくオフィスで履かれているナースシューズというのか、サンダルというのか、わたしはあれだけは

ものすごくダサいと思っている。

自分の美的センスはさておいても、とにかくあの手のものはものすごくダサい。

だからどうしてもそれ以外のものを探すべく出掛けたのだった。

クロックスがオフィスでも履けるタイプのものを出しているけれど、どうもシーズンがずれてるようで

秋になったばかりの頃見かけた値段では買えないということが判明した。

全くないわけではなかったけれど、定価で高いオフィス用のものを新調するような気分には

なれず、ネットで送料出してまで買うのもアホらしく、どうしようかなと思っていた。

色んな店を見て回っても全然ときめくようなものはなく、かと言って別の案もなく、どうしようかなと

思案していた。

大きなショッピングモールの中をひたすら歩いていたら、「~26cm」という文言が目に入った。

女性用の靴屋さんで、気になって中に入った。

わたしの足は、母方の家の強い遺伝のおかげで幅広甲高だ。

スニーカーは24、5cmのサイズで入るけど、靴は通常のお店で置かれているサイズのものは

基本的に入らない。

ベストなのは25、5cm、幅の狭いタイプになると26cmでないと入らない。

そんなわけで、これまで靴と言う靴は、東京の池袋にある大きなサイズ専門の店で買うのが9割

ごくたまに良いものに出逢えたら、たとえそれが旅行中でもその場で買っている。

名古屋にも大きいサイズ専門の店がないわけではないけれど、どうもフィット感がよろしくない。

そこのお店のものは、長さに対しては品揃えが良いけれど幅広にはあまり対応していない。

結婚式用の靴をそのブランドのもので買ったけれど、足が痛くなって10分と歩けない。

値段がかわいくないのも気に入らない。

このような足だから、靴1足当たり諭吉様1枚は確定でプラスもう数枚のお札も必要なのは常

だから、それ位はわたしの中でも許容範囲。

その店は諭吉様2枚は必要になる。

だからあってもないに等しいお店となっている。

さっきの「~26cm」と書かれた靴屋さんの話に戻る。

今年の流行りからベーシックなものまで色々取り揃えている。

しかも、何がまず感動って、店頭に出ているものですでにわたしのサイズがあること。

その日だけでも数足その場で試し履きをしてきた。

デパートでもショッピングモールでも、その場で数足試し履きできることはまずない。

大きなサイズ専門店以外で、一度に数足も試し履きするなんて夢のまた夢状態だった。

そのお店は大きいサイズも小さいサイズも、そして通常のサイズも全て同時展開していた。

この手のお店に行き着いたのも、人生で初めてだった。

わたしは大きくて苦労しているけれど、反対に小さくて苦労している人たちもいるだろう。

そういう人たちが普通サイズの人たちが買うお店と同じお店でデザインを選べるなんて、もう奇跡

に近い。

いくつか試着した中で1足一目惚れしたものがあった。

ヒールのないタイプなのに、つま先が尖っているタイプで、色使いもとてもきれいだった。

さらには素材もスエードのようなもので、これがすごく上品な感じをかもし出している。

つま先が尖っているタイプというのは、わたしの足には一番合わない形でこれまでもその手の

タイプで履いていて楽ちんなものには一度も当たったことがなかった。

形にはものすごく憧れているけれど、自分の足の形に合わずいつも痛くなっていたから、仕方なく

諦めていた。

だけどそれは履いて、「楽」というのがすぐにわかったのと、そして「足が小さく見える」視覚効果も

ばっちりで、さらに嬉しくなった。

そこで、オフィス用の履き物に関して1つ結論を出した。

今現在使っているフラットタイプの楽チンな靴をオフィス用におろし(←だいぶ履き倒したから、

これを普段用ではなくオフィス用にするには全く問題ない)、その靴の代わりとしてこの一目惚れ

の靴を購入してはどうかと。

その場では考えがまとまらず、取り置きをお願いしてきた。

そして今日お迎えに行ってきたのだった。

今わたしのすぐ横にその靴はあるけれど、買って大正解だった。

まず、すごく良いものに見えるのに値段がかわいらしい!

カード払いにしてきたけれど、諭吉1枚で3枚+小銭のおつりがくるなんて夢のようだ。

値段もすごく良かった。

値段は前回の時に確認済みだったから、それはまぁ今さら驚くことでもなかった。

驚いたのは、店員さんの説明だった。

なんとこのお店、靴裏のかかとのすりへる部分、あそこをいつでも無料交換してくれるとのこと。

しかも買った店舗でなくても、同系列の店ならどこに持ち込んでもOKと言われた。

何せ自分の足に合う靴を探すのにものすごく時間のかかるわたしは、一度買ったら靴が傷むまで

は何度も何度もかかと部分のヒール底を修理に出す。

買ってからも維持費が半端なくかかり、それも毎回頭の痛いことだった。

それがなんと今回のお店は、お店負担で直してくれると言う。

神様かと思うような、スーパーありがたいサービスだった。

オフィス内の履き物を探すのは全然楽しい工程ではなかったけれど、そのおかげで思わぬ良い

靴屋さんと出逢えて大満足している。

もちろんそのお店は、これから大贔屓にする予定だ。

2015年10月23日金曜日

粋な朝の秋の時間

これまで毎年秋から冬になると、朝の暗さがとても残念で何ともがっかりな1日の始まりなどと

思っていた。

あの空の暗さに気持ちが呑み込まれてしまいそうで、あまり好きではなかった。

ところが最近、この暗さに惹かれている自分がいる。

最近は5時半~6時過ぎに目覚めることが続いていて、そのままうだうだと布団で過ごし、そして

頭がすっきりし出す少し前にノートを取り出し書きものを始める。

いっぱい書くわけではないし、1行書いてはぼーっとすることも多いけれど、その何とも言えない

暗さに電気スタンドのぽっと灯った感じ、そして体はまだ布団の中というその全部が粋だ。

最中に「粋だ」なんて感じるほどに頭も体も起き上がってはいないけれど、なんとなくそのまったりと

した感じと空の暗さがマッチしていて、こういうのもいいなぁと思う。

もちろん町全体はまだ眠っている雰囲気が漂っているから、外は静かだし、近くのアパートの貯水

タンクと思しき音が時折聞こえるぐらい。

外の明るさが増し出すと、1羽2羽と鳥の鳴き声も耳にする。

春や夏のような元気で軽快な鳥の鳴き声とはいかなくても、少しずつ夜明けになっている感じが

鳥の声を通して伝わってくる。

夜が明けるまでが長いだけあって、そのペースに自分も合わせてゆっくりと起きる。

中にはがばっと起き上がる日もあるけれど、基本はゆっくりだ。

秋の夜長というのは1日の終わりの夜だけじゃなくて、朝を迎える直前の夜も含まれている気が

してならない。

夜が長い分、静かな時間も増える。

静かな時間に目が覚めて、自分だけの世界にどっぷりと浸り、そして少しずつ目覚めていく。

こういうのを粋と思えるようになったのは、なんとなく大人の階段を上った気分だ。

これからますます寒さも増し、布団から体を出すのが億劫になってくるけれど、今年はこれまでに

体験しなかった「暗さ」を満喫したいと思っている。

2015年10月19日月曜日

自分の中にある力

人生の不安やら問題やらなんやらかんやら、今どどっと押し寄せている。

常に不安とか常に問題ということではなくても、多かれ少なかれそういうことを考える時間が1日の

中で存在している。

なかなか精神的にストレスも大きいところではあるけれど、それでも続けていることがある。

「書くこと」だけは、ずっとずっと続けている。

今日はもう書けないかも・・・と思っても、結局は何かしら書いている。

「書く」ことだけに関して言えば、これだけは不思議と力が要らない。

とりあえず浮かんだことを1つまた1つと言葉にすればいい。

例えば「不安」や「問題」さえも、書くことのネタになってくれるんだから、ありがたい。

言うなれば、自転車をこぐ感じだ。

自転車をこぐ時に、右足をペダルに乗せて、左足は地面を蹴って、今度は右足のペダルを前に

出して・・・なんていちいち考えずにこいでいる。

勝手に体が動いてしまう。

わたしにとっての「書く」はそれに近い感じがする。

とりあえず書き出せば何かしらの言葉を紡ぐし、読み返して変だったらそこは直すし、でもその

直す行為もあれこれ考えて直すと言うよりも、感覚的に「変」と思ったら直す、というやり方だ。

ベルトの位置とか、靴下の位置とか、新しい靴をはいた時の違和感とか、言葉では言えない

けれど何かしら「違う」と感じる感覚。

ああいう感覚で文章も直している。

食べていくための仕事と書くこととの二重生活を実際に始めてみて、書くことそのものにどんな

影響が出るだろうかとずっと心配していた。

だけど、実際にその生活が始まって、食べていくための仕事は悪戦苦闘しているけれど、書くこと

そのものはこれまでと何ら変わらなくて、拍子抜けした。

そして少しずつ、「書くこと」を自分に与えられた力、という風に認識するようになった。

気付けば今もその「食べる仕事」で悪戦苦闘しながらも、「文章にまとめる力」を一緒に入った方

から評価をいただいた。

自分で得意とは思っていなくても、周りの人から見てそう見えるものならそうなのかもしれない。

「書くこと」これが今後どんな風に広がっていくのか、自分でも楽しみなことの1つだ。


2015年10月18日日曜日

常備菜作り

これまでも短期間ではあるけれど、月曜から金曜の週5勤務というのをしたことがある。

弁当持参もついでについてくる。

だけど、弁当用の常備菜作りというのをほとんどしたことがなかった。

短期間でしかなかったから、常備菜を作り置きする必要性をあまり感じていなかった。

それにプラスして、大抵前日からの1~2品+玉子焼き程度であれば当日何とかできる。

常備菜を作るなんて、余計にわずらわしくなるだけ、と思っていた。

ところが今回は、わりかし長期での月曜から金曜の勤務が続く。

先々週、ほんのちょびっとだけ日持ちするおかずを作った。

そうしたら朝の弁当が驚くほど楽チンであることに気が付いた。

火の前に立つ時間は5分以内だし、うまくいけば一切火を使わずに弁当を作れる。

今のところ冷凍食品は使っていないから、そのあるものだけでなんとか事が足りている。

そうだ、常備菜だ!と感銘を受け、今日は常備菜を作った。

ピーマンのおかか炒め、かぼちゃの煮つけ、ごま和え用に小松菜茹でて人参とちくわ切って、

あとは当日混ぜるだけのもの、鶏手羽の甘酢煮、そしてゆで卵。

鶏手羽は20分コースだったけど、他は5分くらいでできてあっという間だった。

合計で1時間もかかっていない。

毎週できるかはわからないけれど、週5勤務が続く以上はこうして常備菜を作る方が1週間

余計な弁当作りに悩まされずに過ごせるように思う。

前日のおかずは必ずスライドするとして、そうすればあとは常備菜を適当に詰めたらいい。

まだまだ不慣れな新しい生活だけど、こうして徐々に自分のペースを作っていくそのプロセスは

楽しい。

週5勤務には慣れなくても、その中で少しずつ自分の楽しみを増やしていけたらと思っている。

2015年10月17日土曜日

同じ日でも色んな1日

今日10月17日は、父と母の結婚記念日であり、母方の祖父の命日であり、いとこの一人の

誕生日であり、そしてのんびりした土曜日の1日だった。

それぞれの人が目にする光景は全く違うものだと思う。

わたしはと言うと、昨夜寝た後、食道から腸の至る所に激痛が走り七転八倒し、その疲れで今日

1日のんびり過ごしていた。

意味不明な激痛は1年に1回ないし2回あるかないかで、昨日がたまたまその日だった。

特別食べ過ぎたわけでも飲み過ぎたわけでもなく、おそらく新生活の疲れが溜まったのかなと

思っている。

おかげでなんとか夕方には調子を戻し、とりあえず買物に出掛けた。

本当は夕焼けを見にお気に入りスポットまで行きたかったけれど、いかんせん体の調子に自信が

なく、とりあえずは買物にだけ出掛けることにした。

行く途中、小さな花壇をいつも花いっぱいにしているお宅のおじいさんが花にじょうろで水やりを

していた。

その次に目に入ったのは、そろそろ日が暮れるのに速達なのか普通郵便なのか、郵便配達を

している郵便局の人。

わたしなんか2枚も長袖を着ているのにノースリーブの服を着て赤子を散歩させていたお母さん。

お店に着いた時、「この調子ならもう少し足を伸ばせる」と思い、お気に入りスポットまで行った。

昭和の懐メロをイヤホンから大量に音漏れさせながらランニングをしている初老の男性。

息子に何度も「気を付けて運転して帰れよ」と言い、息子を見送っている父親。

小さな公園できゃっきゃっ言いながら走り回る小さな子どもたち。

そして今日もきれいな夕日を眺めるわたし。

同じ1日の中でも色んな人々の営みがある。

ちなみに結婚記念日を迎えた父と母は、今夜は別々にごはんを食べている模様。

母は友達と焼肉に出掛け、父は家で一人酒を飲んでいる。

わたしはわたしで、体に優しいものを食べようと、今豚汁を仕込みながらこれを書いている。

こういう何気ない1日が、最近心に沁みてしかたない。

2015年10月16日金曜日

思い出のナシゴレン

今日のお弁当は、即席で何かしらの焼き飯+卵でオムライス風にしようと決めた。

昨日の夜パスタを食べたのはいいけれど、そうなると翌日のお弁当のおかずがない。

週末はお弁当が要らないから、何か常備菜を作るのは避けたい。

昨日は厚切りベーコンとエリンギの炊き込みご飯を朝炊いて、茶碗1杯分だけ残っていた。

新たに米を炊くのも面倒で、冷凍庫から白いごはんを1杯分見つけ、その茶碗2杯分で何とか

今日のお弁当を作ることにした。

ベーコンとエリンギの炊き込みご飯には、すでにオリーブオイル+コンソメ+しょうゆで味が付いて

いる。

意外な組み合わせだけど、これがわたしの中で大ヒットし、繰り返し作っている。

当の白いごはんはもちろん何の味もない。

ふたつを合わせて炒めると、どうしても味が薄くなる。

炊き込みご飯は十分堪能したから、できたら別の味に変えたかった。

冷蔵庫を開けて、つい最近仕入れたスイートチリソースと目が合った。

これ入れたらおいしいんじゃなかろうか!?と思い、スイートチリソースを付け足した。

塩っ気が足りなかったから、そこにさらにしょうゆも足した。

おかしなものをたくさん組み合わせてる風だけど、これがものすごく美味しく出来上がった。

そして美味しさよりもわたしの気を引いたのは、これが過去に人が作ってくれたナシゴレンの味と

同じだったことだった。

その人は当時インドネシア人のルームメートを持っていた。

今日の夕方そのインドネシア人のルームメートの名前をようやく思い出した。

「アグース」だった。

いつかアグースが、わたしにナシゴレンを作ってくれた人に作ってくれたのが最初で、アグースは

その人にレシピを教えた。

わたしはそのナシゴレンをたくさん作ってもらい、何度も何度も美味しいと言いながら一度も飽きる

ことなく食べ続けた。

そもそも「ナシゴレン」などというインドネシア料理を食べたのは、その時が初めてだった。

作り方も教えてもらったのに、どの調味料を使っていたかはすっかり忘れてしまった。

そこでもスイートチリソースを使ったのかどうかは、今も思い出せない。

だけど今朝と今日のお昼に食べた焼き飯は、まさにあのナシゴレンの味だった。

当時住んでいた町は、1年の中で夏がものすごく短いのが特徴だった。

その短い夏に、辛いナシゴレンを食べまくり、レシピも教えてもらい、その一つ一つが今となっては

かけがえのない時間だったと気付く。

まさか今日ナシゴレンの味に再会するとは思わず、朝から一人で時間旅行をしてしまった。

ちなみに、10数年前のナシゴレンブーム以降、今日に至るまでわたしは一度もナシゴレンを

作ったことがなかった。

お店で「ナシゴレン」という名のものをみんなでシェアするように注文したこともあったけれど、

わたしが知っているナシゴレンの味とは遥かに違っていた。

全く別物と言っても良かった。

それがまさかこんな風に再会することになるとは。

人生どこで何が起こるかわからない。

だから面白い。

2015年10月15日木曜日

人を選ぶ

アメブロには「読者登録」というシステムがある。

アメブロ内の誰かのブログが気に入ったら、または何か読むメリットがあったり、はたまた何か読者

となることでメリットがあると感じれば、読者申請をする(のだと思う。←わたしは読みたいブログ

以外は読者申請はしない)。

その「読者申請希望者」が時々わたしのブログにも訪れる。

そういう人が申請をすると、アメブロからわたしにも通知がきて「○○さんがあなたのブログの読者

申請をしました」というようなものが届く。

今日もたったさっきある方から読者申請が届いた。

どういう人なのかは、わたしも相手のブログを見ることができる。

中には「読者の人数稼ぎ」のためや、「自分の事業のアピール(→わたし=未来の有料客層)」の

ために申請してくる人がいる。

今回ももれなくその手のタイプの人だった。

そしていつもの流れで、わたしはその読者申請を削除した。

そういう自分だけのメリットを考えただろう読者申請にはすぐ気付く。

わたしには興味がない。

わたしの文章にも興味がない。

もしかしたら将来の有料客層になりうる人物として、もしくはその人にお金を支払う人としての

わたしにしか興味がないのがありありと伺える。

それがせめて「お金の稼ぎ方を教えます」的なブログだったら、又は「あなたの読者数を伸ばし

さらにお客さんを獲得する」的なブログだったら、百歩譲って許せる。

稼ぐことを堂々と謳っているから卑しさがない。

その手の中で一番性質が悪いと思うのは、「あなたの夢を生き方を応援します」的なタイトルを

打ち出しているのにも関わらず、内容が「あなたのお金を僕に・私に払って下さい」のくれくれ

メッセージのもの。

今回の人ももれなくその手のタイプで、良いことを言っている風に見えない。

人を追い込むタイプのメッセージばかり発信していて、そして相手から奪うことばかりを考えている

のが文章から丸わかりなのに、自分は「人から時間を奪ってはいけません」などと言う。

何とも心の乏しさが文章の至る所で発揮されていて(←書いてる本人は多分気付いていない)、

言葉に何の説得力もなかった。

どれだけ自分の中「許せないポイント」を癒しても、この手のタイプはもう「許せない」ままでいいと

思ってる。

そんなこんなのことをしていたら、「わたしって、ものすごい厳格に人を選んでいるなぁ」と思った。

自分のことはさて棚に上げ、やっぱり誰かと関係を持つなら気持ち良く関係を持ちたい。

互いに風通しの良い、変にきばったりすることなく、居心地の好い関係。

そこから外れる人は、たとえブログであってもばっさばっさと切り捨てている自分が可笑しい。

超絶意地悪なことを言うと、多分今日の読者申請をしてきた人は、そういう関係を人と持てない

可哀相な人なのではないかと思ってる。

人の振り見て我が振り直せ、ということで自分も気を付けなければと気を引き締めようかな・・・、

などと緩く考える。

2015年10月14日水曜日

何度も見上げた天井

1年前の8月の終わり。

わたしは人生のお休みの切符を手に入れた。

すぐに失業保険がもらえるとは思っておらず、そのまさかの失業保険がすぐに下りるというのを

仕事の期間が終了する前日に聞いた。

あれから1年1ヶ月、結局ずっと半引きこもりのような生活を送った。

ちょっとは人に会っていたし、週の半分以上は1時間コースの散歩に出ていたし、スーパーの巡回

は楽しく行っていたし、全くの引きこもりというわけではなかったと思う。

ただこんなにも長く人とほとんど会わない生活を送ったのは人生で初めてだった。

そして、社会の中で自分を紹介する時に使う肩書はゼロになった。

何の役割も持たない自分というのを最初は楽しみ、途中からは焦ったり開き直ったりしながらの

日々を過ごしていた。

自分の次の一歩がずっと見えなくて困っていた。

1年1ヶ月の半引きこもりになって見えなくなったのではなく、もうやおらそろそろ10年コースでの

迷走を続けていた。

この1年1ヶ月の間も、何度真っ白い天井を眺めたかわからない。

天井を眺めたって答えなんて降ってこない。

もちろん閃いたりもしない。

ただぼんやりと時が過ぎて、ぼんやりと自分を眺めて、飽きたら他のことを始めて。

ずっとそんな繰り返しだった。

このまま80歳のおばあちゃんになるとは思わなかったけれど(現実の生活が回る保証があれば

そうも考えたかもしれない)、かと言っていつどのタイミングで何かをしたくなって動き始めるのか

皆目見当もつかなかった。

今日も天井は何も答えてくれない、などとあほみたいなことを大真面目に思った日は1日2日じゃ

ない。

もっともっとたくさんある。

嫌なことに向き合いたくない時も床に寝転がって天井を見た。

寝転がっても何にも変わらないってわかっていても、すべて投げ出したい以外の気持ちが湧かず

1人悶々としたことも数え切れない位あった。

今一気に動き出して、天井を見上げる時間はゼロに近くなった。

単純に暇があまりなくなった。

今のやりたいこととやりたくないことの両方+生活を織り成すだけで、1日が目一杯になる。

それ故に天井を見上げなくなっただけで、また見上げるチャンスが生まれたら見上げるだろう。

もちろん今も天井を見上げたって何にも答えなんかないし、閃きも生まれない。

だけど、天井を今こうして書きながら見上げると泣きたくなってしまう。

天井を見上げてばかりいた当時の自分を思い出し、色々彷徨いまくって訳分からなくて、いっぱい

色んなものを見失っていたように感じていた当時の自分がふと出てくる。

自分で「よくがんばったなぁ」と思う。

世間的には何もせず、理解ない人たちからはたくさんの批難も浴び、それでも自分の中で色々と

納得できずにじっとしていて、苦しい気持ちも理解して欲しい気持ちも、たくさんたくさんあった。

なんだかえらい孤独だなぁと思ったことも一度や二度じゃない。

それでもある時、それはものすごく意外な形で天井を見上げる生活にピリオドが打たれた。

天井を見上げていた時には思いもつかなかったものが人生に流れ込んできた。

その流れ込んできたものを動かすためにも、今再び働きだした。

働きたいから働くではない理由だけれど、それでも今のようにやりたいことを支えるために働く、

っていうのも有りだなと思う。

いつか今の場所を去る日がくる。

もちろん真っ白い天井ともお別れする。

それでもそのいつかは、この天井にものすごく愛着が湧き、感謝の念さえ覚えるのではないかと

思っている。

2015年10月13日火曜日

日々の記録

無印良品で500円の分厚いノートを取り扱っている。

1年半前の2014年の春、日々の記録を残すノートが欲しいと思った。

食べたものや天気、その日にあった出来事、感動したこと、怒ったこと、会った人、文章などなど、

とにかくあらゆる生活の記録=生きた記録を残したいと思った。

色んなノートを探し回り、一番「使い勝手が良さそう」だったのがこの無印のノートだった。

さぼったり続けたりしながら100ページ近いノート1冊目を終え、2冊目を買う買わないで迷った。

2週間ほど迷った後、やっぱり引き続き日々の記録を残そうと思って2冊目の無印ノートを買った

のがつい3週間前。

毎日書く習慣がまだないから、一気に2日3日とまとめて書いたりするけれど、本当に1日前、

2日前のことが思い出せない。

記憶をたぐりよせて何とか書いているけれど、これほどに日常の些細なことはあっという間に忘却

の彼方に葬られる。

だからこそ、わたしは日々の記録を残すことに並々ならぬ意欲を持っている。

もう二度とは取り戻せない日々、それであれば今起こったことは、今書いておこうと。

これもいつかの時にこのブログ内で書いたような気がするけれど、わたしは大学時代の生活の

様子の記録がほとんどない。

大まかな記憶とか忘れられないようなインパクト大の出来事は憶えているけれど、日々の何気

ないことがすっぽりと抜け落ちている。

そして当時の日記と言えば、好きな人にまつわることばかりを書いていて、生活のことなど全くと

言っていいほど触れていない。

当時は、その日常が当たり前だったからそこに価値なんて全く感じていなかった。

今はもうそこに戻れない日々だというのが痛いほどわかるから、せめて記録さえ残しておけば…

と思ったりもする。

その時の教訓を生かして、また今のわたしはせっせせっせと今の日常をノートに記している。

別に大きな出来事もなければ、なんだか今日は何していたんだろう自分は?なんていう日も

色々ある。

だけど時が経つと、そのさりげない日々がどれほど貴重で大切だったかに気付かされる。

もう戻れない過去の時間と自分。

せめて記録だけでも残そうと思い、また2代目無印ノートに日々の記録を綴っている。

2015年10月11日日曜日

残念すぎる近所の祭り

昨日と今日、近所の小さなお祭りだった。

何のお祭りなのかはわからない。

だけどわたしはこの祭りが毎年大嫌いだ。

とにかく非常に不快な騒音だけが辺りに響き渡るだけで、どうにかならないものかと思っている。

自分が子どもの頃に出た祭り、色んな場所で見た祭り、どれもこれもそこに傾けるエネルギーと

時間が普通はある。

いきなり祭りの日の当日を迎えて、知らない踊りを踊ったり太鼓を叩いたりはしない。

もちろん見物客の人がそこに混じって踊るとかであればわかる。

そうではなく、主催側の方のグループが練習なしで本番を迎える、そういうことはこの近所の祭り

に出会うまで知らなかったけれど、現にそういうものも存在する。

とにかく、太鼓の叩き方も騒音の他の何でもない。

体育の授業で使うような笛も適当にピーピー吹いている。

そこに子どもたちのどなり声で「元気を出ーしーてー、わっしょい、わっしょい」がずっとエンドレスで

流れる。

とにかく締まりがないし、すべてだらしない雰囲気だけが伝わってくる。

窓を閉めても音が通過する位だ。

昨日の夜、すぐ近くの通りを通ってびっくりした。

100メートル位の道路がどうもメインで、そこの通りだけに笹に提灯をぶら下げたものが5本、

数個連なった提灯を玄関に飾っていた家が3軒。

実際はもっとたくさん家があるし、笹の葉を飾るスペースも十分にある。

なのに、そこだけが祭りの雰囲気を出すために装飾された場所なのだ。

子どもたちは他の場所も練り歩くにしても、なぜそこだけにしか飾らないのかわからない。

そして昨日日中に出掛けた時、その数十人の規模のわっしょいグループを目にしてわかった。

これまでそのグループを直接目にしたことはなく、昨日初めて目にした。

まず男の人が誰もいない。

おじいちゃんを数人警備か何かの係で見たけれど、その練り歩きには子どもと母親しかいない。

そして歩き方もものすごくだらだらしている。

子どもがだらだらするのは百歩譲っても仕方ない。

大人までだらだらしている。

見ていても「何だ、あの変な団体は??」と言いたくなる位に体たらくだった。

はっきり言って騒音だけが数時間響き渡る行事だから、止めて欲しいと本気で願っている。


ふと、自分の子どもの頃の祭りを思い出した。

住んでいたところは、毎年8月の第4土日になると大きな祭りが開催されている。

日曜日は、町内ごとに仮装行列を成し、踊りや音楽を披露するだけではなく賞を競うこともした。

そのために夏休みの平日の夜は、男の子は笛や太鼓の練習、女の子は踊りの練習をするのが

常だった。

全然面白くなかったけれど、そこで町内の友達に会えるのが楽しかった。

もちろん子どもたちだけで練習するはずもなく、日中は働いている子供会の役員に当たっている

お父さんお母さんたちも皆総出で参加する。

仮装行列用の軽トラックよりもう一回り大きい位のトラックの装飾は、毎年職人の大工さんを中心

に夜な夜な作業が繰り返されていた。

当日も、「移動するための場所」と「ここは町内の人にお披露目をする所」だとか、「ここは審査員

がいる所」だとか、大人たちが的確に指示を出してくれたから、力を入れるところと抜くところが

子どもながらにもはっきりとわかった。

だからしっかりと踊らないといけない箇所では、みんな一丸になって真面目に踊った。

もちろん鼓笛部隊も同じように、お披露目する時はものすごく真剣に演奏していた。


そういうのを思い出した時、そういうことを知って大人になれて良かったなぁと思った。

こんな言い方はひどいけど、今住んでいる近所の子どもたちは可哀相だとさえ思う。

もちろん昨今の事情や地域性の差はあるにしても、人に見せるために練習を重ねること、

みんなで一つになって何かを生み出すとそれを見た人が感動すること、そういうことを知らぬまま

大人になってしまうのは残念だと思う。

子どもの頃は、その強制的な参加や練習が面倒だとも思ったし、今日は行きたくないなぁなんて

いう日ももちろんあった。

それでもこの経験があるとなしとじゃ、雲泥の差だと思う。

もしうちの近所が祭りに力を入れていたとしたら、太鼓の音も子どもたちの声も騒音としては

届かなかっただろう。

むしろ「こんなものが聞けてラッキー」とさえ思ったかもしれない。

2015年10月10日土曜日

スーパーの新しい使い方

この1年で11軒のスーパーを試して、どういう使い方ができるかを楽しく研究していた。

それぞれの店舗によって特徴が全く違うから、それぞれの良い部分だけを自分の得になるように

使っていた。

だけど、今週から派遣の仕事が始まり、月~金の9~18時がっつりと拘束されては、そんなことも

やってられない。

日曜の朝の特売だけで賄うには、少しばかり思い通りじゃない。

そしてふと今日気付いたのは、11軒の中の1軒のスーパーの土曜日の夜の売り出し方だった。

その1軒は、1年前仕事で知り合ったSさんから教えてもらったスーパーで、そこの日曜特売が

とにかくお得でいいということだった。

たしかにそこの日曜の朝の特売はとってもお得で、異常なほどの混雑を生み出している。

そこから徒歩3分ほどしか離れていない別のスーパーの、同時間帯のお客さんの少なさと

言ったら雲泥の差だ。

ちなみにお客さんの少ない方のスーパーは、うちの近隣では一番の激安スーパーだから、

曜日関係なく安定してお客さんが入っている。

だから決して少ないわけじゃなくて、激混みスーパーと比べて少ないだけ。

日曜激混みのスーパーは、まず日曜日と言うと全ての商品を一掃している。

生鮮品で前日の売れ残りというのは見当たらない。

ということは、土曜の夜は半額祭りなのではないか?と思って、出掛けたついでにその近くの

バス停でバスを降りて行ってみた。

予想的中で、肉も魚も半額シールのオンパレードだった!

しかも今、国産の豚肉が100円/g以下になることは限りなく0に近いのに、今日は50円台/g

という素晴らしい値段で出されていた。

これが明日日曜日の朝になると、約3倍の値段になって登場している。

土曜日の夕市なんかも同時開催されているから、お得な品たちもある。

今日は、野菜高騰中の今、ピーマン6個で98円も、豆腐1丁18円も手に入れた。

19時までとチラシにはあっても、とりあえず商品があればそのまま特売の値段と同じで販売して

くれることも今日初めて知った。

ということで、これからは土曜の夕方に余裕があれば、そのスーパーに買物に行こうと思う。

2015年10月9日金曜日

銀杏と食わず嫌い

夕方、近所のあるお宅の前を通ったらシチューの匂いがした。

シチュー特有の匂いが体に染み渡る季節になった。

昨日は昨日で、イチョウ並木の大通りを通った時、銀杏特有の臭いがした。

わたしはつい数年前まで、銀杏が大嫌いだった。

子どもの頃、父と母がなぜ銀杏をとてもありがたがって食べているのか理解に苦しんだ。

母なんかは休みの朝の早い時間に、車通りの多い道のイチョウ並木の下の銀杏を採りに行くと

言って、出掛けていた位だった。

市販の茶碗蒸しの中に銀杏が入っていることもあったけれど、それも好きではなかった。

食べれないほどではないにしても、あの味がどうも道に充満している銀杏の臭いとリンクして、

ゆっくりと味わうなんて絶対にしたくない食べ物の一つだった。

それが突然美味しい!と目覚めたのは、数年前友達の家での飲み会の時だった。

あの時、友達は人からもらったと言って、紙袋に銀杏を入れてレンジでチンして出してくれた。

臭いはあの銀杏特有の臭いだ。

出されてもあまり気が進まないものではあったけれども、友達が「美味しい!」を連発。

この友達とは食べ物の好みがものすごく似ている。

その友達が言う位だから、と思って一粒パクリ。

「!」

ほんと、言葉にならない感じだった。

不味いと思い込んでいた銀杏が、ものすごく美味しかった。

友達と競うようにして銀杏を食べたのは言うまでもない。

こんなに銀杏って美味しかったの!?とびっくりした。

これまでの自分の思い込みが大きく覆された瞬間だった。


元々あまり好き嫌いはない方だけれど、大人になってから好きになったものは多い。

銀杏の他にも、もつ煮、たけのこ、ニシン、みょうがなんかがある。

見ての通り、飲兵衛の父親の好きなものが我が家の食卓にはよくのぼった。

だけど、子どもの頃はいまいち好きになれず、それらのメニューがメインにのぼるとものすごく

がっかりしたことも憶えている。

今ではそれらが食卓にのぼると、ものすごく嬉しい。

たけのことニシンの煮物は、母にリクエストする位に好きになった。

苦みとか渋みとか旨みなんかは、大人になってからの方がうんとわかる「味」なのかもしれない。

ちなみに、目下苦手なままなのは、今のところパクチーぐらいだ。

いつかパクチーにも目覚めるんだろうか…。

2015年10月8日木曜日

リズム作り

今、自分のリズムを作っている。

食べる仕事と書くことの両立ができるよう、そのリズムを日々作っている。

書くことに全力を傾けられるよう、毎日家に帰ってから書く時間を設けている。

本当に書く必要のあるものはまだ着手していない。

でも、このブログともう1つのブログをひたすら綴る作業は、今日入れて丸4日続けている。

最初は、2つのことをやるなんて無理だと思っていた。

やれなくはないだろうけれど、すごく心にも体にも負荷がかかるような気がしていた。

無理に書くようになるのだけは絶対に避けたいとも思っていた。

「書かなければいけない」の「~ねばならない病」にだけは絶対にかかりたくないとも。

ところがあたふたと何のリズムもないままに始まった新しい生活の時間割。

「やればできる」ことが少しずつ体験を通じてわかってきた。

そして書くことも嫌になるどころかむしろ楽しく書いている。

もっと自分を追い込むのかと思いきや、そうでもない。

リズムは少しずつ変化しているけれど、今のところとりあえず元気だし毎日仕事も行って、

帰ってから文章書いて、そしてごはんも手抜きであっても作っている。

なんとなく、なんとなく、の小さなリズムを刻み始めている。

文章を毎日書こうと思っているのには理由がある。

以前、その時はどの位、「書くこと」から離れたのか思い出せないけど、離れたことで随分と感覚が

鈍った感じになった。

いつでも書けると思っていたのに、感覚は少し違う。

例えば今この文章を書きながら、わたしはほとんど頭を使っていない。

自分の中から出てきたものをひたすら打ち込んでいるだけ。

前回感覚が鈍ったと感じた時というのは、こういう感覚が薄れていた。

代わりに、1つ1つ言葉をするのに頭を使い、言葉も組み立てて、それで文章を書いていた。

あの感覚は気持ち悪い。

「書いている」というよりも、言うなれば子どもの頃に書かされたような読書感想文みたいな、

無理矢理何か枠に当てはめて文章を書こうとするような、あんな感じだった。

このブログもそうだし他のブログもそうだけど、すべて一発本番で書いている。

下書きもしないし、まぁたま~にするけれど、それは自分の中にあるものがあまりにごちゃごちゃ

し過ぎていて言葉にうまくできない時がほとんど。

言葉にできるのなら、そんなことする必要がないから下書きはしない。

浮かんだら浮かんだものをそのまま、ぴたっとくる言葉に置き換えてあげたらいい。

その感覚を保つために、とにかくこのブログともう1つのブログは書いている。

そしてそれが今のわたしの色んなことに結びつくことだから、そのためのリズムを作ることにも

珍しく積極的に動いている。

普段ならこのリズム作りは大嫌いなことの1つだ。

だけど、今はリズムを作る方が自分にとって心地良いと思っているから、自然とその方法を探り

そしてピンときたものを形にしている。

2015年10月7日水曜日

10歳下の女の子との出会い

月曜日から始まった仕事。

今回の研修担当者は、わたしより10歳年下の女の子だ。

年下の女の子が研修担当になるのは彼女が2人目だ。

1人目は、わたしと3つ?4つ?ほどしか離れておらず、とっても感じの良い人だったけれども、

自分のこれまでの生き方や当時の生き方が本当に良かったんだろうか?とものすごく落ち込む

こともあって、ちょっとしんどいこともあった。

これは自分が年を取ったからそう思うのか、それとも彼女が10歳も下だからそう思うのか、または

もっと複雑な理由が絡まり合ってそう思うのか、そこはわからない。

だけど、今回は彼女が研修担当者で良かったと思った。

向こうもとっても気を遣うだろうことは予想できる。

もう一人一緒に研修を受けている方は、わたしのさらに10歳上だ。

それぞれ年齢差による気遣いはあるものの、あまりにも生き方が違うから、それが程良い距離を

生み、「人それぞれ色んな生き方があるよね」の一言で済まされる。

変に自分の生き方を否定しなくてもいいし、自分を大きく見せる必要もない。

そして10歳年下であっても、今回の仕事は当たり前だけれど彼女の方が大先輩でそして丁寧に

教えてくれ、さらにその仕事の面白さも伝えてくれるから尊敬している。

今回の仕事は全く引き受ける気ゼロでやりたくないと思っていたけれど、「○○なところが面白い」

とそれぞれの観点で面白さを伝えてくれたのは、なんと彼女が3人目だ。

そういうことも聞けるとは思っていなかったから、少しだけいつもとは違う風が吹いてる気がする。


20代の頃のわたしは、自分が30代で働いた場合1つ心配していることがあった。

30代で新しいことを始める場合、自分を指導する相手は自分より年下である可能性がある。

自分はあまり気にせずにやれそうと思っていたけれども、相手は気になるだろうことは予想でき、

さらに自分も年下で生意気な人が相手だったらイライラしてしまうかも…ということ。

30代に入ってした仕事は、2人を除いてあとはみんなわたしより若い指導者だった。

実際にそうなってみてわかったことは、あまり年齢は気にならないということだった。

相手はわからないけど、わたしはそんなには気にならない。

そしてたしかに「イライラさせられる」タイプの年下指導者も存在したけれど、それは年下だから

というよりも元々の人間性だということもわかった。

そういう人は、年上でも同い年でもわたしはイライラしたかと思う。

逆に「この人すごい!」という年下の人たちにも何人か出会った。

自分が年齢的に年上であることが恥ずかしくなる位に、すごい人というのは存在する。

そんなこんなの経験を重ねていくうちに、年齢は気にならなくなった。

そしてすごい年下の人には、手放しに「すごいですね!」と言ってる自分がいる。

「すごいですね!」は上から目線ではなく、年上の人を敬う時と同じような気持ち。

年齢が上がれば上がるほど自分より年上の指導者に恵まれる可能性がどんどん低くなっていく

のも現実だから、良い意味で割り切れるようになったと感じている。

2015年10月6日火曜日

それぞれが見ている世界

ここにきて、これまで出会ったことのないタイプの人たちに出会っている。

どちらかというと、喜ばしい出会いというよりも、自分の価値観をがんがん質問されるような、

その人たちは質問はしてこないけれども、自分自身で自分に問いかける場面が多い、そういう

タイプの出会いだ。

「年金」「働き方」なんかをリアルに語る同年代と思しき人。

たしかに将来のことを見据えることも、働き方も両方大切だとは思う。

だけど、限られた時間の中で、わざわざその話をしなくてもいいだろう、と心の中で毒づくわたし。

今、年金の心配しても、その時まで生きているかどうかもわからないし、仮に生きていたとしても、

必要があれば必要な形で何かはやってくるだろう。

それよりも、その時までいかに楽しめるかの方が大切なんだ、自分は…と気付く。

過去にいた場所と同じ場所にもう一度足を踏み入れたわたし。

それでも、やっぱり人が違えば見ている世界も違う。

ほとんど同じ条件下に生きていても、話の引き出しは人によって全く違う。

気付くと、以前は「年金」の話なんて、誰とも一度もしたことなかったなぁと気付く。

色んなことを面白がって話をふくらませた当時がなつかしい。

そう、何かを楽しむ能力に長けている人たちが多かったことに今気付く。

当時はそれをあまりに当たり前と思っていて、そんなこと特別だとも思わなかった。

見ている世界が違い過ぎて、話もどうしていいものか手探り状態だけれど、とりあえず疲れは

しないことが唯一の救いだと思っている。

そしてまだ再会できていないけれど、タイミングが合えば当時の面白い話をする人たちと再会

できる環境にあるから、それを今からとても楽しみにしている。

そこで色んな愚痴が出たとしても、一緒にぎゃははと笑い飛ばせる位のパワーはある。

そして愚痴だけじゃなくて、他愛もない生産性ゼロの話にお互いくつろぎながら話せる雰囲気、

それも自然と目に浮かぶ。

思い出した。

当時一緒にいた人たちというのは、みんなそれぞれが人生の浮き沈みを体験した人が多かった。

そしてその沈み方がけっこう半端なく大きいものであることが多くて、だから痛みを経験しても

それでも人生まだまだ笑える瞬間があるんだから!というのを素でやってる人たちだった。

どの人の人生の沈んだ部分の話も、仲良くなってからある日突然教えてもらった。

教えてもらうまで何も知らなかった。

だけど、教えてもらったら逆にあの天性の明るさや人生を楽しむ術を持ち合わせている人柄に

大いに納得した。

そういうのって、黙っていても伝わる。

それぞれが見ている世界は違い過ぎるけど、それでも今わたしがいる場所は今何か大切なことに

気付くためにあるんだと思っている。

2015年10月5日月曜日

思い出の共有

今日、大学時代の友達から写真付きでメッセージがきた。

共通の友達が北海道にいて、北海道で2人が再会していた写真だった。

15年ほどあれから経過しているけれど、当時と何ら変わりない2人の顔を見てほっとした。

本当に、当時の顔のまま、今になりました!と言わんばかりだった。

撮影された場所は、とあるカフェの中だったけれど、これは単に場所だけ変わった風だった。

わたしを含めた3人は、大学時代、しょっちゅう夜中に24時間営業のレストランに行った。

チェーン店ではないファミレスというようなお店で、そこでは薄いコーヒーのお替わりを何杯もした。

一応3人とも、各々の宿題を持ち寄り、一緒に勉強するという体ではあったけれど、3人ともまったく

集中できずにいた。

夜も遅いから眠いし、夜中なのにオムレツとかけっこうガッツリメニューを頼んでは満腹になり、

さらなる眠気に襲われたり。

明日テストなのにやばいよ!と言いながら、テキストのページはほとんど進まなかったり。

それでもわたしは、あの夜に3人で自転車に乗って白い息をはあはあ吐き出しながらレストランに

向かった日々を今でもはっきりくっきりと憶えている。

つい昨日のことのように感じることもある。

あの頃は良かったなぁなんて思わないけれど、今思い出すと涙が出そうになる位にきゅんとなる。

本当に好きだったあの日々。

本当に好きだった友達。

もう戻れないからこそ、とてつもない貴重な思い出に変わっている。

当時の自分が30代も半ばになり、友達1人はキャリアウーマンに、1人は2児のワーキングママ

になり、それぞれが別々の場所で別々の道を生きている。

それでも当時分かち合ったものは未来永劫変わらない。

もう取り戻せない過去の時間は、当時から見た未来の今、ものすごく輝いている。

そしてその思いは、決してわたし一人のものではなく、他の2人も似たような思いを抱いていると

思う。

これだけたくさんの人が世の中にいるだけで、あの夜中のレストランと薄いコーヒーのお替わりの

場面を共有できるのは、その2人しかいない。

2015年10月4日日曜日

過去の自分と今の自分

過去の自分にとって、今日は大切な人の誕生日だった。

どんな風にお祝いしたかは大方忘れたけれど、一度は盛大にサプライズも開いたことがあった。

今はもう別々の人生を歩んでいるから、今のわたしはお祝いもしないし、相手も当時とは別の形で

誕生日を迎えているだろう。

今のわたしは昔を懐かしんでいるというよりも、ほっとしている気持ちの方が大きい。

よく芸能人の離婚なんかで「価値観の違い」を離婚理由に挙げているのを見かける。

実に便利な言い回しだと思うし、その相手と決別したのも「価値観の違い」が理由だった。

自分とぴったり同じ価値観を持っている人なんてこの世に一人もいないと思う。

ただ、「大切にしていること」と「されたくないこと」の二つが不一致だと、恋愛関係や夫婦関係のみ

ならず、友人関係でも厳しいかと思う。

その二つが不一致すぎて、わたしは関係を続けていくことが苦痛になった。

この埋まらない不一致感を持ったまま、一緒に年を重ねるのだろうか?誕生日をお祝いするの

だろうか?と考えた時、答えはNOと出た。

もしあのまま関係を続けて今があるとしたら、今日の日をどんな風に迎えただろう。

もう随分前の記憶しかないから、それで想像することも難しいけれども、おそらく今現在の今日の

自分ほど心穏やかには過ごせなかっただろう。

たとえ明日から自分の毎日が大きく変化する局面にあって(←これは本当)、それで不安に感じる

ことが沢山あっても、それでも今の不安の方が受け止めやすい。

今は今で良かった、とさえ思う自分がいる。

毎年は忘れているけれども、今年はなぜか今日という日が何の日か思い出した。

過去の自分にそっと「あの時に決断してくれてありがとう」と言いたい。

2015年10月2日金曜日

会社の品格

ここ数日の派遣の職探しで、新たに登録しようとしていた会社があった。

この数年で何社に登録やら問合せやらしたのかわからないけれども、少なくとも10社は何かしら

こちらから連絡を最初入れたかと思う。

今回1つだけ興味の湧いた仕事があった。

派遣の仕事で、仕事内容を見て「興味を持つ」というのは初めてに等しい。

それは非常にマニアックな職種で、おそらくほとんど求人として上がってこないものだと思う。

そこだけは唯一新規で新たに連絡を入れ、エントリーしたところだった。

ところがそんなこんなしているうちに、過去にお世話になった会社から声がかかり、今は最終的に

そちらに行くことになった。

その新たにエントリーした会社とのやりとりで「あぁこういうところに会社の品格が出るなぁ」という

ものが2点。

最初は、電話対応の時、言葉使いは丁寧だけれどもこちらの質問に対しての回答がものすごく

不親切に感じる内容だった。

こんな言い方してはなんだけど、もしわたしがその派遣会社から仮に派遣されたらころっと態度を

変えそうな雰囲気が漂っていた。

得になる人物であれば丁寧に対応、現時点で得のない人物には適当に対応。

そういう態度が丸わかりだった。

結局、その会社には最終的に自ら「選考辞退」の連絡を含め3回は電話をしたと思う。

最後の辞退の連絡の時に、先方から「では、選考の方はストップさせていただきます」と言われた。

当然ストップがかかっていると思った。

そうしたら1日遅れで、今度はメールの方に「登録会・面談」の案内がきた。

自動返信にしては遅すぎるから、おそらくチェックする担当者が流したものかと思う。

辞退の連絡が社内で共有されていないのだろうか?

どうなっているのかも不明で、とりあえず連絡先にあったメールアドレスにもう一度辞退の意向を

書いて、メールを昨日の夜出した。

少し見物だなと思っていたら、案の定翌日の今日午後9時を過ぎても何もメールがない。

少なくとも、会社側に不手際があったわけで(一連の流れはメールに書いた)、それについては

一言何かあってもいいところ。

登録にもこないわたしには無用なのもよくわかる。

だけど、何か一言言葉を言うことはできないのかな?そこ会社の顔の部分でしょ?と思う。

最終的にご縁のない会社で良かったけど、多分いつかこの体質的なものが大きなものを引き

起こしかねないなぁと思う。

本当にいくつか会社を見たことで、余計とそういう小さなことをどれだけ大事にできるかは、

その会社の直接の利益に繋がっていると思う。

2015年10月1日木曜日

怖い独り言

今日、お気に入りの大型書店に行った時のこと。

まず数人に連絡を入れる用事があり、それをするために書店内のベンチに座った。

その連絡を携帯に打ち込みながら、どこからともなく声がしてきた。

ずっと同じ言葉を繰り返しているようで、最初は自閉症とか何かしらの知的障害を持たれた方が

いるのかなと思った。

その声の主は、何かをぶつぶつと言いながら徘徊していて、そして丁度わたしの近くを通った時、

何を言っているのかはっきりと聞き取れた。

「じさつ、じさつ、じさつ、じさつ、じさつ、じさつ、じさつ……」

多分、「自殺」と言っているのだと思う。

目も少しいっている感じで、言葉と表情がセットになって変な恐怖感に襲われた。

嫌でも聞こえてしまうから場所を移動しようかと思ったけれども、まぁすぐに過ぎ去るだろうと思い、

席は移動せずまたわたしはわたしでメッセージの打ち込みに戻った。

ところが、この声の主はまた近くを通り、相変わらず「じさつ」を繰り返している。

何の根拠もないけれども、声の主は多分自閉症とかではない。

本来は健康な心と体を有しているタイプの人だと思う。

自閉症の人とか、言葉を繰り返すくせのある障害者の方と関わったことがあるからなんとなくは

わかる。

そういう方たちが仮に「じさつ」と繰り返していても、あの変なぞっとする感じはない。

「おはよう」も「ありがとう」も「バス」も「じさつ」も、同じレベルと括るには大雑把過ぎる捉え方では

あるけれど、絶対に不快なエネルギーがのっていないから「あぁ癖なんだな」というのがわかる。

今回の声の主は違う。

何かが確実におかしいと感じるタイプの独り言だった。

ただ他のお客さんに危害を加えてるわけでもないから、店員さんも注意できないのだろう。

そして注意して暴れても困る。

何とも読めない人物すぎて、誰も何も言わない。

わたしももちろん聞こえていても何も言わない。

結局ずっと近くを徘徊していて、わたしの方が耐えられず、ものすごく離れた別のセクションに

移動をした。

不快感や恐怖がとりあえず収まったところで、ふと思ったこと。

声の主は、もしかして誰かの注意を引きたくてあの言葉を言っているのではないかということ。

誰かに注目して欲しかったらもっと他の手段もあるだろうに、そうはできない。

できないのか知らないのかはわからない。

ただ知らないとしたら、寂しい人だなぁとは思う。

生きていて辛いこと、苦しいこと、そんなの誰だってある。

何にも悩みのない人なんていない。

でも、あのやり方では周りも怖くて手が出せないよ、と思う。

話を聞くことも、一緒にげらげら笑うことも、もちろん泣くことも、そういうのって「相手が安心

できる」ってわかるから成り立つこと。

人生でものすごーく大変な思いで生きてきた人、これまでたくさん会ったことある。

それでもそんなことさえも吹き飛ばす位に、魅力的な人間性に富んだ人たちばかりだった。

それこそ「自殺」してもおかしくない位に追い込まれた人も中にはいた。

なのに「怖さ」がないのは、その人が持っている人間性のおかげだと思う。

声の主だってそういう可能性が絶対にあるのに…。

何とも煮え切らない思いを感じた独り言だった。

2015年9月30日水曜日

退職を引き止められた理由

これまでも色んな理由で退職をしてきた。

「終身雇用」なんていう言葉がもう死語と化しているような今の時代、周りの人たちも多数、転職

経験者イコール退職経験者になっている。

退職時に引き止められることももちろんあったし、周りの人たちの話を聞いても結構な確率である。

ただ自分含めどの人の場合も、変な理由で引き止められることはほとんどない。

せいぜい人員不足だから、が今まで聞いた理由で会社側の都合だなぁと思った位。

今日、過去に一緒に仕事をしたことがある女の子に、急用があって電話を入れた。

というのは、派遣の仕事を探している最中に、その子が正社員で勤めている会社で急募の枠が

出てきて、派遣会社から「条件がマッチしている上に、過去にその会社でのお勤めの実績も

あるのでいかがですか?」と連絡がきた。

その会社だけはどうにもこうにも苦手で、派遣はなんとか勤め上げたけど、もう一度たとえ違う

部署でも行きたくないと思っている。

その関係でちょっと聞きたいことがあって、彼女に電話を入れた。

そうしたら先月退職したとのこと。

彼女はとっても出来る人で人間味あふれる人物だったから、わたしは素直に「辞められて、

良かったね!おめでとう!」と伝えた。

出来る人だから引き止められたでしょう?と思ったまま質問したら、

「辞めるのも大変だった」

と返ってきた。

彼女は上司に「自分の評価が下がるから留まって欲しい」というようなことを言われたらしい。

上司のことも知っているから、あぁいかにも言いそうだなぁと思って全くそれを不思議には

感じなかったけれども、そんな理由で部下を引き止める上司って最低だなと思った。

体裁とか保身とか昇格とか、そういうことがとても大切な会社のようにわたしには見えていた。

仕事の内容で勝負するというよりも、派閥争いで勝ち上がる風な感じだった。

創立がそんなに大昔ではなく、むしろ昭和か平成の境目あたりに生まれた会社だと思ったけれど

とにかく考え方が異常なほど古い。

古き良きものではなく、古き悪しきものを脈々と引き継いでいる感じ。

条件だけ見たら本当に申し分ない今回のオファーではあったけれども、これを1年限定でするに

してもあまりにも精神的ストレスがでかすぎて無理だなぁと感じた。

ということでこちらもお断りの電話を入れた。

ひょんなことから知った新種の「退職理由」。

最低だなぁと思ったけれども、これを知り得たことで条件だけではやはり働けないものだと

再認識するに至った。

今回はたまたまこうして具体的な言葉で会社の側面を見ることになったけれども、そういうものは

言葉にしなくてもどうしても雰囲気にのって表れてしまうもの、隠しても隠しきれないものだと

改めて思った。

2015年9月29日火曜日

条件は申し分なし…

昨日以前お世話になった派遣会社に電話して、こちらの希望を伝えて仕事を探してもらった。

けっこう好き放題に条件を伝えて、マッチするものはないだろうなぁと思ったら2件あると言われ、

それぞれの内容も教えてもらった。

とりあえず一晩考えます、と伝えて電話を切り、今日再度電話した。

2つのうちの1つは条件は申し分なかったけれども、そもそも月~金の通し勤務で毎日同じ人と

顔を合わせる、という形態の仕事を一度もしたことがないから、職場の雰囲気が気になった。

もし合わなければ、ある程度の長期はかなり厳しい。

そこで雰囲気と実際の仕事の時のフォロー体制について問い合わせた。

担当者不在で、数時間後に連絡がきた。

わたしもありのままの不安を口にし、この担当者もとても素敵で本当のところを教えてくれた。

なんとそのポジション、1年として人が続かないポジションとのこと。

仕事内容はさして大変ではない。

の割に時給が高くて何でだろうとは思っていた。

その続かない理由というのが、1人の女性が言うなれば性格に難あり、その人と合わず皆退職、

会社の採用者にとっても採用者泣かせの部署らしい。

ひぃー!と思って、そちらはとてもわたしも勤まるとは思えないと伝えて、残念ながら見送り。

会社も辞めさせるに辞めさせられない事情があるのだろう…と思った。

関係ないけれど、派遣に行っていた当時学んだことの1つに、本当にコネ入社なるものが存在

するということ。

そして大抵のコネ入社の人というのが、おそろしく仕事ができず、本来なら辞めさせたいだろう

人物でも会社もコネの関係でやめさせられない、という感じだった。

中には、わたしでも知っているような社名のぼんぼんとされる人もいた。

そんなこんなで仕事は断り、また振り出しに戻って探している。

探しながらも、本当は違うんだろうなぁと思っている。

2015年9月27日日曜日

素敵なご夫婦

マイブームの夕焼け観察が止まらない。

今日はスーパームーン満月の前日で、月もとってもきれいなまんまるお月さまを観察できた。

観察地点から我が家へ戻る道中、1軒のスーパーがある。

そのスーパーの魅力は、①種類豊富で新鮮な魚の赤札、②鮮度良い状態での野菜赤札、

③たまに肉、④調味料や日持ちする食品の特売があり、とりあえずチェックで立ち寄る。

今日ももれなく立ち寄ったわけだけど、そこでとても素敵なご夫婦に遭遇した。

年の頃は、40代、いっても50代かな?と思う。

パッと見、夫婦二人で子どもはいなそうな感じ。

旦那様はとりあえず服は着れたらOK、髪は邪魔にならなければOKという格好。

奥様は特別美人とかいうわけではないけれど、良識ある大人の女性という感じだった。

日曜日で単なるスーパーの買い出しでも、部屋着ではなく外に出掛ける肩のこらない服をきれい

に着ていた。

なぜそのご夫婦が目に入ったのかというと、私は完全なる特売品&赤札狙いで行っているところ、

わたしが回るルートにほぼそのご夫婦が必ずいる、という状態だったから。

こんなにも自分と見るものが似ている人に遭遇するのも珍しい。

最初は野菜コーナー。

旦那様が「この玉ねぎ安いから買いだね!」と奥様に言っていられた。

そのご夫婦が立ち去った後わたしも見てみると、なんと北海道産玉ねぎ1kg100円!

何この安さ!と思い、玉ねぎの在庫はたっぷりあったけれども自分も買うことに決定。

かごは持たずに入店したけれど、かごを取りに一度入口へ戻った。

この時すでに時間差があってもいいものの、次の魚コーナーでまたご夫妻に遭遇。

夕方の半額シールオンパレードの場所。

奥様が半額の何かの切り身のパックを指しながら旦那様に

「これ、明日のお弁当にしようと思うけど、どう思う?」と聞く。

旦那様の返事は聞かなかったけれども、多分OKが出たはず。

その後、干物系の魚のコーナーでまたもや居合わせ、そこでも半額シールの干物の購入の相談

をしていた。

次は惣菜コーナーだけれど、この店惣菜だけはなぜか強気で絶対に赤札を貼らない。

わたしもぱっと見るだけで終わりだけど、どうもその夫婦も同じようにすたこらさっさと通り過ぎた。

次が肉と、豆腐系&牛乳や飲み物系のワゴンが隣り合わせになっている。

わたしが肉を見ていたらまたそのご夫婦が登場。

一目散にワゴンの赤札コーナーに二人で行っていた。

何か買ったのかどうかは知らないけれど、その場に二人で一目散に行くのが素敵だった。

その後わたしは特売の日持ち系食料がないか店内を点検していた。

つい先日はソースが切れて、たまたまソースが500ml128円!という安さで出ていた。

そういう特売は意外なところにぽっとあるから、それで店内を回る。

今度は旦那様だけに遭遇。

どうも考えていることは同じらしい。

特に何かを買おうとはしていないけれども、丁度タイミングよく安ければ!みたいな雰囲気だ。

レジのタイミングも一緒、その後の袋詰めのタイミングも一緒、わたしは徒歩だけれど、ご夫婦は

車できていた。

どちらにしても駐車場を横切らないと歩道にはたどりつけないから、ご夫婦のあとを追うように

わたしも歩いた。

ここまで徹底した赤札教(?)の二人が、どんな車に乗るのか興味津々だった。

悪いと思いつつも、そのご夫婦が自分たちの車を見つけるところまで見届けたかった。

運よく道中にご夫婦の車があって、わたしの想像以上に素敵な車に乗られていた。

多分二人ともが好きな外国製のメーカーで色で形なんだと思う。

高級車ではないけれど、こだわって買ったのだろうと思える一台だった。


この夫婦がとても素敵に見えた理由。

まずはお金の価値観がとても似通っていてそれを共有できること。

雰囲気からして二人ともしっかりお金を稼いでいるかと思う。

お弁当の会話からしてもそうだった。

だけれど、使うところと節約するところをきちんと分けていて、そして安ければ何でもいいではなく

きちんと品定めしながら二人で選ぶところも良かった。

鮮度もそうだし好き嫌いももちろん含めてずっと二人で会話しながら選ばれていた。

少なくともわたしは初めて、夫婦そろって赤札を狙うようにして一緒に見て回る人たちを見た。

夫婦揃って赤札を見ていることはほとんどないはず。

旦那さんは適当にすぐ隣りにいるだけか、又は夫婦一緒に見て回っているようで会話ないとか、

又は夫婦揃っての価値観ではなさそうだけれどとりあえず赤札コーナーは一切寄らず、しかも

定価で買うとか。

それが普通なのかもしれないけれど、実はそういう小さなところだけれど日常にぴったりと

くっついている価値観を共有できるってすごく大きいことだと思う。

奥さん一人での買物なら、多分この肉は魚は選ばない気がする…という光景はなんとなく伝わる。

わたしが今日見たご夫婦は、何にお金を使いたいか、また安いものを買うならどれだったら自分

たちも美味しく食べられるのか、その辺りを実に事細かに話しながら買物されていた。

街中でこのカップル・夫婦素敵だなぁという人たちは出くわす確率が高いけれど、スーパーでこの

ご夫婦素敵!と思う人たちに出会えたのは、よく考えたら今回が初めてだった。

2015年9月25日金曜日

菜箸の便利さ、なくなって初めて知る

今のアパートに引っ越してきた当初菜箸は1セットのみだった。

それで困っていなかったし、不便にも感じていなかった。

今から3~4年前、友達2人が名古屋まで遊びに来てくれた。

その時に立ち寄ったお店で見た菜箸がシンプルでおしゃれな感じがして、しかも値段も100円

以下と申し分なく、お持ち帰りすることにした。

それ以来2セットの菜箸を使っていた。

後釜の方は、箸先が細すぎて当初はその細さが気になった。

菜箸なんて何でもいいかと思いきや、使いやすい細さというものが存在することを初めて知った。

かと言って使い勝手が悪いわけでもないから、そのまま使い続けた。

そのうち細さも以前ほどには気にならなくなっていた。

ところが先日、わたしの使い方が悪かったのだろう、その後釜の片割れの先っぽが折れた。

最初先っぽが変だなと思ってそのまま使い、やっぱり何か変と思ってよく見たら折れていた。

さすがにそんな状態では使えないから、後釜菜箸とはサヨナラした。

しばらく、ここ2~3週間は引っ越してきた当初と同じように初代の菜箸だけで乗り切っていた。

元々1セットしかなかったのだからそれで良いだろうと予想していたことと反して、いつの間にか

わたしは2セットの菜箸に慣れていた。

1セットしかないと至る所で不便が生じた。

これだけ断捨離だなんだと色んなものを手放している中で、初めて手放してから「不便」と感じた。

これも断捨離開始してから初めてのことだと思う、新しい菜箸を迎え入れることに決めた。

今日買ってきたものがこちら。


いつだったか別の100均で見かけた時以来、使ってみたいなぁと思っていた。

シリコン製の菜箸も初めてだけれど、上の方に計量スプーンと煮えたかどうかを確認するための

フォーク的なものも付いている、この初めて見たタイプのものが気になって仕方なかった。

自分のものぐさ度を告白すると、ここ数ヶ月でわたしは菜箸の両端を使うことを覚えた。

本来使う下の方はすでに何かしらの味が付いている。

インスタントコーヒーをお湯で溶かすのに、スプーン出すの面倒だなぁ…なんて思うと、菜箸の

頭のきれいな方を使って混ぜたりしていた。

料理の時も、毎回ではないにしても時々は上も下も使うという荒業を駆使していた。

実際、少しの調味料を足すのにスプーンを出すのは面倒!という時はたくさんある。

得意の目分量で気を付けて足していたけれども、これからはこの菜箸のスプーンを使える。

本当に使い勝手がいいのかどうかは、これから使い始めるから正直わからない。

ただ、ちょっとした冒険で今回の菜箸を試しに使うのもありだなぁと思っている。

関係ないけれど、初代菜箸の丈夫なことと言ったらこの上ない。

多少歪んでいるものの、使い勝手は常に抜群。

いい具合に使いこまれた色になっていて、それも見ていてほっこりする。

初代菜箸に負けない位に、このニュー菜箸が活躍してくれるといいなぁと思っている。

2015年9月24日木曜日

電子書籍デビュー

ひょんなことから電子書籍デビューをすることになった。

これまで「電子書籍」イコールそのための道具をまずは購入し、そしてその後電子書籍を購入する

という流れのものかと思っていた。

電子書籍のためにわざわざ道具を購入するのは面倒くさい。

iphoneで対応できるかもしれないけれども(←ちなみに今回調べたらできるらしい)、そもそも

iphoneでの日常使いで毎月容量いっぱいに使ってしまい、さらなるプラスは足すつもりなし。

それに電子書籍を購入してまで読みたい本などなく、何のメリットもないと思って無視していた。

ところがどうして電子書籍デビューをしたのかというと。

「honto」という、大手書店とアマゾン的なインターネット注文の両方を兼ね備えたサービスの会員

になっている。

時々クーポンが来たりして、丁度使う時期と重なると非常にありがたい。

そして今回来たクーポンで、電子書籍が先着●●名様まで無料で読めますとあり、その書籍の

選択肢の中に1ヶ月前に大型書店でたまたま出会った、いつかは全部読みたいなぁと思う本が

含まれていた。

これだけ世の中に大量の本が出回っている中で、たまたまその読みたいと思った1冊が含まれて

いたなんて、なんてラッキーだろう♪と心の中で小躍りした。

だから、その本欲しさで、ネットで「電子書籍」の構造を検索した。

どうやらパソコンでもいけるらしい。

とわかり、恐る恐るhontoのホームページから電子書籍用のプログラムをダウンロードした。

どうやらそれも無料らしい、でなければダウンロードするつもりもなかった。

無事ダウンロードも終え、お目当ての書籍も「無料購入」し、さぁどうなるだろうと開いてびっくり。

本当に電子書籍として、紙の書籍と同じようになっていた。

ただそれが紙媒体かパソコン画面かの違いだけだった。

いやはやびっくり仰天。

ちなみに無料で配布されていたのは全体の4分の1ほどで、残りはやはり有料とのこと。

全部読めないのは残念だけれども、とりあえずパソコンでも電子書籍を導入できると知れたのは

とても大きい。


話は変わるけど、多分こういうことでもなければ、わたしはあくまで紙媒体の書籍を買うだろう。

これは昔からの癖で、辞書も海外生活6年の間ずっと紙の辞書を使った。

電子辞書がどんなに便利なものでも、わたしには紙の辞書の方が何倍も良かったから。

紙の辞書の最大のメリットは、「単語の位置」を視覚的に覚えることだった。

一度で覚える単語はまだしも、何回も引かないとすぐに忘れてしまう単語というのがある。

そういう単語というのは、何回も引くうちに全体のページの右下にあったとか、左ページ側の中央

だとか、そういう位置を覚える。

これと語学力向上の関係性をわたしは説明できないけれども、これは電子辞書には絶対にない

大切な機能の1つ。

あとすごく役立ったのは、調べた単語の前後だけでなく何十もの単語が見開きのページにあり、

それらももれなく視界に入ることだった。

たまに興味深い単語があると、関係ないのに読んだりもしていた。

他にも、例えば補足で何か自分の言葉で足したい時、紙媒体の辞書には直接書き込める。

これもすっごく大事なことだったから、わたしは未だかつて一度も電子辞書を使ったことがない。

さらに言えば、使い方の用法なんかは、紙媒体の方が一目瞭然で見やすい。

電子辞書も年々バージョンアップしていて使いやすくなっているけれども、やはり紙で慣れた

せいか紙で用法をパッと見て必要なところをしっかり読む方が使い勝手がいい。

実はこれ、本にも同じことが言える。

本全体の真ん中あたりでさらには右のページとか左のページに書いてあったような・・・という具合

に時々本から情報を拾う時にそうやって使うことがある。

電子書籍は所詮1枚の画面でしかないから、そういう視覚とそして手に持った時の厚さというか

体感覚は絶対に再現できない。


そんなこんなで、今回はお試し的な感じでの電子書籍デビューとなったけれども、本当にお試し

一度限りで終わりそうな予感がしている。