2014年3月29日土曜日

終わりの儀式

3日前から手紙書きを始めた。

「まるで終わりの儀式だ・・・」と思って、今日の日記の題名は『終わりの儀式』にした。

明日、6ヶ月勤めた派遣の仕事が終わる。

お世話になった人たちひとりひとりに手紙を書いている。

下書きなしで、相手を思い浮かべて出てきた言葉をひたすら紙に載せる。

相手とわたしの間で起こったとても個人的なエピソードを、

わたしの目線から見えているもの、感じているものを、そのまま言葉という道具を使って紡ぐ。

「ありがとう」以外の文章は、書き出しも内容もてんでばらばらだ。

手紙を書くことは、ふつうに思い付いてやりだしたけど、

お礼の小さなお菓子たちがあまりにも小さくて、

それをフォローする意味でも手紙を付けたいという裏心もまちがいなくあるけれど、

ふと気付くと、わたしは何かの終わりを迎える時、

毎回毎回、その時にお世話になった人たちに手紙を書く習慣がある。

あまりに毎回自然にやっていたから気付かなかったけど、

気付けば、他にもっとやらなきゃいけないことそっちのけで、手紙を書いたりする。

書きたくなるから、書いてしまう。

礼儀で書くなんて気はまるっきりゼロで、

今伝えないと一生伝える機会を失う気がする、

という気持ちで書いている部分が大きいと思う。



いったい、いつからそんな風にわたしは習慣づいたのだろうか・・・

いまいち思い出せないけれど、

ひとつ、もしかしたらこれかな・・・?というのをさっき思い付いた。

大学卒業してアメリカから日本に帰るという時。

わたしは大学最後の1年、10歳年上の社会人の女性と一緒に暮らしていた。

お互いの生活リズムはてんでばらばらで、

1週間に一度、ふたりでキッチンのテーブルを囲んでゆっくり話ができればいい方だったと思う。

すれ違い生活だったけど、だったからこそ(?)

とにかくとても仲良く暮らせた。

なにせ、いつも土壇場になって切羽詰まらないと動かないわたしは、

その当時も超ぎりぎり、その町を出る当日の日中すらも、

最後の荷物整理や片付けに追われていた。

まるっきし周りを見渡す余裕なんかなく、自分のことで手一杯だった。

そして、どのタイミングでかは忘れたけど、

わたしはクリスティン(ルームメート)から、手紙とプレゼントを受け取った。

手紙とプレゼント、すっごくうれしかったけど、

そのうれしさよりも、さんざんお世話になったクリスティンに、

手紙のひとつも書かなかった自分が悔やまれた。

たぶん、最後の日だったのではと思う。

もう、クリスティンに手紙を書く時間すら残されていなかったから。

あの時にわたしは猛烈に後悔したんじゃないかと思う。

そして、それからたしかに、何か終わりを迎える時は、

その時ご縁あって一緒になった人たちにお礼の手紙を書いて渡している気がする。



あと2人分の手紙が残っている。

仕事は最後の最後まで興味も湧かず、好きになることも全くなかったけど、

そこで働いている人たちにわたしは猛烈に興味を覚え、好きになった。

ちなみに、最後に書こうと思っている人は、

職場になじめず、仕事もなじめず、

そして職場の雰囲気や体質に対してものすごく嫌気がさしていた頃、

わたしにその仕事の「こころ」の部分を教えてくれた人だった。

その人はこうわたしに伝えてくれた。

「ほら、困ってわたしたちのところに電話してくるわけでしょ?

せめて、電話が終わった時に、その人が抱えていた問題や困っていたことが

ちょっとでも緩和してくれたらいいなぁと思って(わたしは仕事してるの)」

その人のその言葉を聞かなかったら、わたしは絶対に途中で仕事を投げ出したと思う。

事務的な対応や、言葉はきれいだけど中身のない対応に、

わたしは一体何をここでしているんだろう・・・と思っていた。

でも、それはわたしの見方であって、

見方を変えたら、彼女みたいな気持ちで仕事もできるんだと目の前で教わった。

彼女は事務的な対応も、言葉だけで取り繕うような対応もしてなくて、

どこまでも彼女は彼女の信念に基づいた仕事をしていた。

そういうことは、直接だと照れてとてもお礼なんか言えないけど、

手紙でなら言える。

そして、直接手渡しできるのは、もう明日しかない。

その明日に向かって、わたしは彼女ともう一人に向かって手紙を書く。

いつからか始めた、わたしなりの「終わりの儀式」、

案外自分で気に入っている儀式だ。


2014年3月8日土曜日

30歳の朝から5年+

朝、地下鉄ホームに入り電車を待っていたほんのわずかの時間。

時間にしたら1分か2分。

とつぜん、30歳になったばかりの日の朝の光景を思い出した。

わたしは、その日、朝起きてすぐに鏡の前に立った。

鏡の中の自分を見て、いつか大切な人から教えてもらった

「鏡の中の自分の顔を見てとにかく笑ってごらん。

笑えなくても、笑ってごらん。」

をやろうと思ったら、わたしは笑う代わりに、色んな感情がどどっと押し寄せてきて泣いた。

ほんとうに一瞬だけ泣いた。

だけど、その時のわたしの目は、まるで何十分も泣いたかのように真っ赤に腫れ上がった。

強く出てきた感情の分が、そんな風に目に現れたかのようだった。

すぐ近くでは、ふたりの友達がまだ夢の中にいた。

友達と飲み明かし、楽しい時間を山ほど過ごし、これ以上望んだらばちあたりではないかと

心配する位に、素敵な30歳の幕開けだった。

だけど、その日の朝、わたしはなぜか笑えず、突然泣いた自分に自分で驚いた。


そんなことを今朝の電車を待つわずかな時間に思い出していた。


あの日からもう5年を迎える。

30代に突入する前の時間。

わたしは、どういうわけか30代をとても楽しみにしていた。

「あぁもう30歳になる!」とそれこそ20代後半からそんなことを口にする人たちを

色々見ながらも、わたし一人はなぜか30代という時間がとても楽しみだった。

どんな年代になるんだろう・・・

計画0、夢の貯金使い果たし、まっさらな30代の幕開けだった。

もちろん、不安も心配もあったけど、これから先どんな展開を迎えるのか、

何にも想像がつかず、それが逆に楽しみでもあった。

あれからの5年間で、今のわたしは、楽しみからは程遠い形で、自分の人生が展開している。

もちろん良かった思い出もある。

だけど、苦い思い出、正面から見据えるのに随分と時間が必要となった出来事が、

もうこれでもか、これでもかと押し寄せた5年間だったように思う。

すべて自分が選んだ結果とはいえ、とにかく手痛い思いを繰り返しし、

迷い悩み立ち止まり落ち込み・・・が主軸と言わんばかりだった。


この日記を書き始めた時、もっと別のテーマがあったように思うけど、なんだか思い出せない。

代わりに、この5年間で手に入れたものってなんだろう?って今考えている。

この冬ごもりのような、いろんなものを見失ったかのようなふらふらしたこの5年間で

手に入ったもの。

それを振り返るのは面白い。

あぁ。振り返る行為を楽しめるくらいの余裕が自分に生まれた、これは確実に手に入ったもの。

よくわからない度胸や強かさ(「したたーかさ」と読むとつい最近知った)、

それも手に入った気もする。


何を書こうとしていたか、思い出した。

特に34歳の1年間は、史上最悪な位、毎朝色んな意味で不安だった。

そう、恐らく周りの人たちが「30歳になるのが怖い」という感じのものが、

わたしは今頃、35歳を目前にした34歳にそれが出てきた。

未来を考えると、暗澹たる気持ちに何度もなった。

自分の人生、これでは駄目だ!と駄目出しするそばから、

どんどん自分で自分の気力を奪って、ますますネガネガオーラに包まれた。

そうだった。

今朝、30歳を迎えた最初の朝を思い出した、その直前。

わたしは、この34歳が、もう二度とたどれない34歳が「35歳になる怖さ」のあまりに、

34歳の自分を忘れ、嫌でもやってくる35歳の自分ばかりを意識していた。

あぁなんだかもったいないことをしてしまったなぁ・・・って思ったんだった。

そう、だから、先を思い悩むことは止めようと思ってすぐに止められないものだとしても、

せめて、今しかない34歳なら34歳、35歳なら35歳を楽しもう、

今その年齢に達したから味わえるものを味わおう、って思ったんだった。

残りの34歳2日間、とりあえず「34歳満喫」と心の手帳に記す。

2014年3月4日火曜日

女子グループの克服

今月で6ヶ月目を迎える、そして今月で終了する派遣の職場でのこと。

今、所属している部署は、9割女子。

3つの部署でワンフロアを使っているけど、全員で60人位いてフロアの半数は女子。

そのうちの20数名の女子がわたしが今いる部署の人数。

勤め出してすぐの頃。

THE女子と言わんばかりの雰囲気に圧迫感を感じ、

誰とも仲良くならずに、一匹狼状態でわたしはただただ通った。

個人的に話せば、この人いいなぁと感じる人もいたけれど、

すでに目に見える範囲で女子グループ?派閥?的なものは存在し、

とにかく、極力関わりを持たないように、遠巻きに人々を見ていた。

THE女子的なグループの存在する組織に属するのは、高校卒業以来だ。



お世話になりつつも、会社そのものの体質というか雰囲気は未だに好きではないし、

頭にくることは、それも、帰宅後もずるずると怒りをひきずってしまうようなことは時々起こるけれど、

でも、なんともうあと3週間もすれば辞めますよ~というところにきて、

まさかの女子グループ克服。



今では、隣りの席になればおしゃべりする人もいれば(席は毎日替わる)、

お昼休み一緒になればお弁当を一緒に食べる人もいれば、

このあいだは、一部の人と飲み会に出かけ、

そして今日はまた新たに、なんと休みの日に、ビール工場見学に行って生ビールの試飲に行こう!!と約束する人まで現れた。


年齢も、ファッションスタイルも、生活スタイルも、考え方も、

色んなことがまるっきし違う人たちばかりだけど、

わたしが好きだなぁ~と思う人たちには共通点がある。

それぞれ違った魅力だけど、人間的魅力にみんな溢れている。

そして、みんな「ひとり」で動ける人たちだ。

変な言い方だけど、

気の合わない人たちとお昼が重なれば、それぞれがひとりで食べることができる人たちだと思う。

席が隣り同士でも、合わない者同士は、暗黙の了解で私語なしで終始貫ける。

それが出来る人たちというのは、わたしにとって居心地がいい人たちだ。

ひとりもいいし(と実際に思っているかはわからないけど)、

人と一緒ならそれも楽しいよね♪

という位のスタンスの人たちだと、わたしは女子グループ集団の中でもやっていけるんだとわかった。


20年前の中学生のわたしはそれがまるっきしできなかった。

クラスで、孤立していた。

そこにいじめもあった。

孤立したからいじめにあったのか、

いじめられたから孤立したのか、

順序はわからない。

でも、ただひとつはっきり覚えているのは、

孤立もしていたし、いじめにもあったこと。

毎日学校に行くのがしんどくてたまらなかった。

その頃の自分では、とうてい想像できない今の自分がいる。

こんな風に、うんと時間が経って、

当たり前だけど、もう大人だから、自分の付き合いたい人たちを選べるようになってから、

まして最初は苦手な人たちばかりだ・・・と思っていた集団の中で、

こんな風に女子と仲良くなれるというのは、思ってもみない展開だけに、

単純にわたしはうれしい。