2021年5月30日日曜日

最後の挨拶とananと手紙



5月最後の金曜日。


脳内で再生されたものの記録。


中間管理職的立場のニシさんという同年代か少し下の年齢の男性が退職された。


ニシさんとは何回か仕事で絡んで、私はニシさんにお礼のメールを書いて出した。


役職が付いていてそこそこの現役の年齢域の人で辞める人は初めてで、初めて辞令を見た時は心底驚いた。


普段接点もないし、最後に仕事で絡んだのは数ヶ月以上も前だったと思うしでしばらくお礼のメールをどうしようかと迷ったけれど、ニシさんが辞める3日前の終業間際に急遽空いた時間が少し生まれて、そこで一気に書いた。


翌日出勤すると、ニシさんから心のこもったとても素敵な返信が届いたのがわかった。


その中でも嬉しかったことは、私の仕事ぶりを見てくれていたことと、そしてこの後も同じ市内にいるからもしバッタリ見かけたら声をかけてくださいと言われたことだった。


ニシさんと私とは学校とかの体育館の端から端くらいまで席が離れている。


部署も違うしとにかく仕事で絡まない限りは何も絡まない。


そんななのに私の仕事ぶりを見てくれていたのは本当の本当に嬉しかった。


ニシさんが最終日となった金曜日、定時間際になって大至急の英訳依頼がやってきた。


それで残業を急遽申請して残っていたら、ニシさんが色んな人たちに1人1人挨拶して回っていて、なんと私のところにまで来てくれた。


余談だけど、去年の年末に派遣先の会社は売上ガタ落ちで、一斉に派遣切りをした。


私はその時は契約が1月末まででその対象から外れたけれど、その後も英訳という特殊な業務のおかげで今も契約更新されているけれども、100人以上いる今のフロアで派遣は私1人しかいなくなった。


これはどの会社でもそうだけれど、派遣だというだけで距離を置く人もいれば社外の人という立ち位置をしっかりと区分して避ける人も必ずいる。


今の社内でも実際にそういう人たちもいるし、失礼なことを平気で言ったり態度に出す人たちもいる。


だけど、ニシさんはそのタイプでは全くなくて、あくまでも人と人として実際の仕事で絡んだ時も対応してくれた人だった。


そしてニシさんにそういうニシさんの接し方が良かったみたいなことをお礼のメールに書いたら、実はニシさんもそれは自分で普段から意識していて、人によって態度を変えないように気をつけているとあった。


ニシさんの様子を見ていると、全員に挨拶しているわけではなかったけれど、あのお礼メールもあってなのか本当にわざわざ私のところに立ち寄ってくれて、つかの間のおしゃべり兼挨拶をした。


メールだけじゃなくて、その時もニシさんは見えないところで私のことをよく見てくれていたんだと知った。


何せ英訳は誰から依頼されるものかわからないから、依頼されたらされた人の元へ行く。


ニシさんは「このフロアで武士俣さんのことを知らない人なんていないんじゃないかと思うくらい、色んな人たちのところに行っていつもすごいがんばってるなと思って」というようなことを言ってくれた。


たしかに縦横無尽に駆け巡ってはいるけれども、まさかそんな風に見てくれているとはその時まで全く知らなかった。


次も機械系の仕事とは書いてあって気になってさらにつっこんだら、ロボットを造る会社に行くと教えてくれて、それはずっとしたかったことなんですか?と聞いたらそうなんですと返ってきて、私は迷わずに「おめでとうございます」と言った。


そして、ニシさんが将来有名人になったら私連絡取って押しかけます!などとも言った。


その後ももう一度ニシさんは私の席の近くの誰かに挨拶に行ったみたいで、その時も私にまた「誰も残っていないのに武士俣さんだけ残っていて頑張っていますね〜」と声をかけてくれて、一言二言話をして最後ニシさんを見送った。







ニシさんとのやりとりを経て、私は4年前のイケメン上司との最後の時とを思い浮かべてその2つのシーンを並べて思った。


もしニシさんとのような交流が持てていたのなら、イケメン上司との最後ももっと穏和なものだったんだろうなぁと。


笑顔があってちょっとつっこんだ個人的なことも聞けて思ったことを思ったまま口にできて、それの真逆を行った4年前とは何もかもが違っていた。


当時の事務所は今のフロアの10分の1程度の広さで、顔も表情を読み解くまではいかなくてもそこそこ見える距離感だったし、少なくとも普通に喋る分にはその声がどこにいても聞こえるくらいの広さだった。


ニシさんが私の仕事ぶりを見てくれていたと知って、当時のもっともっと目が届きやすいところではイケメン上司から見てどんな風に私は映っていたんだろうと疑問を抱いた。


そもそも今とは違って置き物のように静かに淡々と仕事をしていて、パソコン画面やらなんやらで前は見えないイコール他者からも私の顔は見えない、声も出さない毎日だったから、空気と同化するくらいの存在感の薄さだったと思う。


そんな風なのにごはんに誘われたり長い手紙が入った分厚い茶封筒を渡されたりしたら、そりゃホラー級に恐怖だろうなぁと当時はよく思った。


そんなこんなを経てのイケメン上司最終日は、今回のような明るさは当然1ミリもなく、目の前のイケメン上司は今この瞬間がすぐに終わってくれますように!!!、と本気で願っているとしか思えなかった冷たさと突き放したような拒絶みたいなのと、色んな意味で強烈な最後だった。


間違えてもどこに行くのかなんて聞けなかったし、軽口を叩くなんてとてもじゃないけれどもそんな雰囲気も皆無であればそうするだけの積み重ねた歴史もなく、何もかもが重たすぎる空気感と表情を硬くする以外の選択肢なんてないような、そういう時間だった。


今だからある程度心に余裕を持って言えるけれど、あんなにも棒読み且つ心にも思っていないだろう「ありがとうございました」を言われたことなんか人生においてなかったと思う。


今この瞬間、すべてにごめんなさいと言いたくなるくらいに私もやらかした!としか思えなかった、そういう強烈極まりない瞬間だった。


ニシさんとの挨拶とは似ても似つかわない挨拶で、本当にもしニシさんとのやりとりの10分の1でもいい、そういう時間をイケメン上司と仕事で持てていたのならもしかしたらもう少し柔らかい感じの最後を迎えられたのかもしれないななんて思った。







残業の後、当初予定していたコメダに行った。


この週末に保存期間が切れる3時間強の占星術講座の録画ビデオをダウンロードするには安定したWi-Fiが必要だから、そのためにコメダに立ち寄った。


私は当時2日に分けて手紙を書いた。


初日は下書き。


2日目は清書。


どちらかは駅前のドトールで書いたことは覚えているけれども、もう1日はどこで書いたのか丸っと記憶がない。


当時は家を建て直している最中でプライベートスペースがなかったから、私は外で書いた。


もう1日はコメダだったのかな?、でもここに別の日に来てananを見たのは覚えている、とそんなことを思い出した。


ダウンロードしている間、持参した日記帳を開いて日記を書いていたけれど、ふと気になってananを本棚から取ってきて開いて見てみた。


当たり前だけど、4年前に連載されていた小さなコラムは無くなっていた。


無いのは予測していたけれど、その中のどんな言葉に自分が勇気づけられたのかそれが気になって、過去のブログから探した。


何せどんな言葉か完全に忘れていて、あちらこちら探してようやく出てきた。


【彼は、よくあんなに勇気を出せるな、とあきれるかもしれないが、記憶に残る。】

anan  2018.10.17号』


この言葉を改めて見て、本当にその通りになれたんじゃないのかと思う。


呆れたかどうかはわからないけれど、少なくとも記憶には残れたと思う。


まさか、こんなにも自分が書きまくることも想定していなかったけれども、それ以上にイケメン上司がその書きまくりなブログたちに懲りもせず延々と付き合ってくれることはもっともっと想像できなかった。


どんな風に私が記憶に蓄積されているのかはわからないけれども、少なくとも私という人間がこの世に存在しているということは記憶してもらえたと思う。


過去のブログを探していた時に別のブログも目に入った。


【咳はその人の命の音だった。

私はその命の音をいつも耳を澄ませて聞いていた。

咳の音がすると、キョロキョロして、他の人がしてないかを確認した。

その人だとわかっていても、確認せずにはいられなかった。

咳で生存確認するなんておかしいけれど、それぐらいに大切な音だった。】


その様子が目に浮かんだ。


そうだった、そうだった、咳で生存確認をしていたんだった、と思い出した。


書いておくことでその記憶がすぐによみがえる。


しばらく忘れていても一瞬で記憶は戻った。


そういう記憶の残り方をした存在がイケメン上司なんだと改めて認識した。







ニシさんとの最後の挨拶の時間を思い浮かべて、そしてイケメン上司との最後の挨拶の時間も思い浮かべてということの何回目かをコメダからの帰り道の車の中でやった。


その時に私は思った。


たしかにニシさんとの時間は心地良くて本当に気持ちの良い最後ではあったけれども、それよりも硬くてそこだけマイナス何十度みたいな業務用大型冷凍庫みたいな寒さで何もかもがピキッと凍ってさらに寒さと重さしか感じられないそんな瞬間でも、その強烈極まりないイケメン上司との最後の刻(とき)の方が自分の中に死ぬまで残るシーンなんだろうと思った。


笑うとかお互いに目を見て話すとかそういうものは何一つなくても、イケメン上司との最後は何がどうであってもそこに存在してくれていて、私の目の前に今の瞬間いてくれて、それが今生の別れになってもそれでも命を持ってそこに居合わせられる唯一無二の時間だったから、それに勝るものは何もなかった。


当時は最後は周りに人がわちゃわちゃいる中で挨拶した方が私の気持ちが楽かもしれない、なぜなら人がいればさすがにあまりにもつっけんどんにはできないだろうから、なんて考えたけれど、逆に超絶冷たくて「俺は今この状況が本気で耐えられません」アピールを全力でされても、やっぱり最後はイケメン上司と私しかいない空間で挨拶できて良かったと思う。


その瞬間だけは本当に誰にも邪魔されず、数少ないイケメン上司と私しかいない空間で、そしてイケメン上司も今思うと不器用なんだと思うけれども、上司だとか会社の人だとかいう社会人の顔じゃなくて、完全に個人としての私的な顔を出していた。


出そうと思ったかどうかはわからない。


もう隠すことができないくらいに嫌だったのかもしれないけれども、とにかくあの時は会社の肩書は全てぶっ飛んでいた。


あるのは個人としてのイケメン上司の姿だった。


甘さもやさしさも穏やかさも全て皆無で、あるのは冷たさと刺すような鋭い感じとすべてを拒絶するオーラと、とにかくあんなの二度は経験したくないようなものではあったけれども、それでもその瞬間を自分の人生に持てて良かった。


それはイケメン上司の命の時間と私の命の時間がきちんとタイミング良く重なってくれた瞬間だから、中身が何であれその重なったことの方が私には今でも大事なこととして残っている。


本当に変な話だけれど、ニシさんとばったり街中で会うことの方がイケメン上司と残りの人生のどこかで再会する可能性よりも何千倍と高いけれども、それでもニシさんとの挨拶では感じることのなかったものがイケメン上司との挨拶ではあった。


これだけ時間が経って、そして当時何一つ想像できなかった今みたいにブログが2人の間を繋げてくれるツールになる経過を経て思うのは、本当に凄まじかった最後というのは、嫌とか不快とか不愉快とかそういうこととは違ったんだろうなぁと思う。


そういうことではない、何かもっと言葉での説明がつかないような感覚だったんじゃないのかなと思う。


魂の引き合わせ方が凄くて、でもそんなの普段生きてて経験するようなものじゃないから、色んな意味でぶっ飛んでいて混乱と動揺と錯綜がミックスされたみたいな感じで、全体的に居心地も悪くでも気になるみたいな感じでもおかしくなかったと思う。


私がもし今とは違う容姿でイケメン上司のどストライクな容姿の好みの持ち主だったらまた違ったのかもしれないけれど(そうだったとするなら私に恋してくれたんじゃないのかなと思う())、何でこんな好みでも何でもない人が色々振り回してきて惑わして意味不明な行動に出るんだろう?とそういう感じだったんじゃないのかななんて想像している。


で、わりかし何でもかんでも赤裸々にこうして言葉にする私というのは、言葉による自己表現に苦手意識を強く持っていそうなイケメン上司からすれば、自分が言葉にできないものを言葉にする翻訳機みたいなものなのかもしれない。


今ついでだから言いたい。


普通にはありえないのかもしれないけれども、私は男と女という別の性だからってそれら全てが彼氏彼女とかパートナーとか配偶者である必要なんかないと思っている。


私相手だとどれにも当てはまらないあまりにも微妙な立ち位置なんだろうけれど、別にそれでいいじゃんとさえ思っている。


イケメン上司が一番付き合いやすい形を私は持てたらいいと思うし、私もいくらなんでも気持ちが向いてない人を無理やり自分に向けるような趣味も心の強さもない。


例えば星読みをして欲しくて一度だけ星読みだけして欲しい、でももちろんいいと思っている。


私はもう十分すぎるほどの生きる力をイケメン上司からもらったから、それの恩を返す意味でも何かお願いされたのなら二つ返事で喜んでやるし、形とか在り方とかは気にならない。


普段の人間関係なら絶対に嫌だけど、イケメン上司なら私は自分が利用されたって良いと本気で思っている。


それは私にとって、イケメン上司から利用されるだけの価値を認められてさらには必要とされることとイコールだから、喜んでやる。


他の人の時はそうはいかないけれども(なんなら断固拒否)、そういう意味ではイケメン上司は別次元の人だから、それが生涯で一度きりのお願いに終わってもその時はその時で喜んで受けるのにー!と思っている。


っていうか、こういうことを平気で言ってくるところがそもそもアウトなのかもしれない汗。


話を元に戻そう。


最後に交わした挨拶、「交わした」という言葉さえも話を盛り過ぎな感じのあの挨拶は、当時も今も変わらずにとても特別で尚且つ一生の思い出になっている。


そして4年近く経った今、ようやく少しだけ「嫌とか不快とかいうこととは違う気持ちもあったんじゃないかな」と思えるようになった。


好きとか恋愛感情とかいうよりも、言葉にならない感覚があったんじゃないのかなと。


イケメン上司はそれをどうしたのかはわからないけれど、そういうのはとても便利な言葉「魂の感覚」という風にしちゃえばいい。


私なんか都合のよろしくないものは全て「魂の感覚」でくくるのに。


よりにもよって相手が私で、一般の人よりオカルト的な体質や出来事の濃度が濃い目で、よってイケメン上司側に到来するものもずいぶんとちんちくりんというかヘンテコなものなんじゃないかと思うけれども、それはそういう魂的な意図や背景が強く働いてるから仕方ないと思う。


そうした変な感覚に対しての嫌悪感なのか違和感なのかであの最後の挨拶なら、仕方のないことだったと思う。


ちなみにそうであって欲しい。


私に対しての嫌悪感ではなく、意味不明な感覚、またはそういうものをもたらす私という人物に対しての嫌悪感であって欲しい(切実)。







手紙のことは気になって当時のノートや日記帳を開いて見てみた。


肝心のどこでどうしたかを書いていなくて、何でそんな大事な情報が抜けてるの!?と思ったけれど、どこかにはあるはず!と思って探したら出てきた。


下書きしたのはコメダの方。


そして清書したのはドトールだった。


私はそれをイケメン上司がいなくなった後に、当時の細かな記録を残しておきたいと思って、オシャレなデザインのシンプルな大学ノートを買って、そこにいくつかのすでに終わった予定を書き込んだ。(もっと書いておけば良かった!)


その中に書いていただけじゃなく、私はご丁寧に便箋と封筒を買った時のレシートを張り付けていた。


便箋はもしかするとイケメン上司も行ったことがあるんじゃないのかなと予想できる、イケメン上司が当時住んでいた場所から一番近いところのダイソーで買っていた。


その日の私は朝からイボ治療で皮膚科に行って、その後ダイソーに寄って便箋を買って、それを持ってコメダに行った。


次の日の日曜日は、今度はドトールに行って、そこで前の日の下書きしたものを推敲しながら清書して、それで最後終わった時に封筒に入らないことに気付いて、それで慌てて同じビルの中に入っている百均に駆け込んで茶封筒を買ったんだった。


レシートを見たら、閉店7分前でギリギリセーフだった。


そうだった、そうだった!とレシートを見て当時を鮮明に思い出した。


不思議な時間だった。


そしてそれは今でも思う。


あれは人間である私と何回も転生を重ねた私の魂とが同じ目的に向かって共同で書き上げたものなんだろうと。


捨てられるの覚悟して書いたけれども、1つだけ叶えてもらえるならば、何でもいいからイケメン上司の手元に自分の足跡を残したかった。


イケメン上司の隣りで誰が生きることになっていても、私はそのポジションには決して立てなくても、何でもいいから出逢えたことの印を残して渡したかった。


名刺も持たない、仕事中に仕事のメモは渡してもそれはその場限りのもので残らない、連絡先の紙もどうなったのかわからない、何にもなかった私にとって、物体化したもので何かを残すとなればそれくらいしか思いつけなかった。


こんなにもブログをチェックしてくれてるところを見ると、手紙はもしかすると今もずっと本人の日常の空間のどこかにあるんじゃないのかなと思う。


その手紙がどんな意味があるかなんてわからないけれども、邪険にはされてないような気がするし、なんだかんだとわりかし重要な位置に置いてもらえてるかもしれない。(むしろあんなの危険すぎて、他人に見られたくない代物だと思う。)


そうやって手元に残してもらえたのなら本望だし、それだけでも残ることができたのならスーパー御の字になる。


自分の足跡が、自分の手を介して生まれたものが、誰か他の人の人生に入り込めるなんて、ものすごい奇跡だと私は思っている。


他人の人生には勝手には入り込めない。


特に何の関係もない場合は、さらに相手の人生との距離感が無限大に悲しいぐらいに広がっていく。


入る隙なんてない。


そんなところに私は無理矢理橋を渡そうとしたわけで、自分の無謀さには自分でも呆れ返ったし、なんていう古風で重たくて迷惑行為みたいなことをしようとしてるんだろうと何度も何度も思った。


しかも突き返されたら嫌だから、私は本人がいる時に本人の机の上にお願いしますとだけ言って置いたというか押し付けてきた。


ますます全ては波乱の色しか見えなくて、本当に私は何してるんだろ?とどこかで冷静に思っていた。


そうした波乱色のものが4年くらいしたら、「あれ?意外にもあれは手元にあったりして」と思えるんだから、なんとも頭の中がめでたい。


あれこそブログとは違って姿形を変えないどころか中身も更新されない、時と共にひたすら古びるしかない代物だけれど、なんなら材質は紙だから経年劣化も確実にあって色が朽ちててもおかしくないけれど、それでも今もまだご存命なら嬉しい。


私という人は色々と予測不能で変な人だったんだろうけれども、手紙共々記憶に残れたのならとっても嬉しい。


何を書いているのかわからなくなってきたところでこれはおしまいにしてアップしよう。


普段の記憶力は穴でも開いてるのかと思うくらいに残らないことが多々あるけれど、ことイケメン上司絡みの諸々は時間が経とうが自分の人生の日常生活が変わろうが、何一つ取りこぼすことなく鮮明にくっきりと残っている。


今すごい可笑しな想像をしてしまったけれども


これだけ「イケメン上司」などと連呼して、命名したのは私だし、この上ないくらいに本人の特徴が正しく盛られていて社会的立場もわかる素晴らしいネーミングセンスだったと超自己満足しているけれども、これが万が一本人から連絡が来たらそれこそ呼ばれた本人も呼んでる私も超絶恥ずかしいことになるって今さらなことを思った。


でも本名は出せないし、AさんとかXさんなんてのもおかしいし、そうじゃなくても私のブログには色んな方たちを登場させてるからある程度固有名詞の方が書く上では都合が良いわけで、ってなるとやっぱり固有名詞ならイケメン上司が断トツで使い勝手がいい。


そして意外にも私はこのニックネームを気に入っていて愛着を持っている。


本人目の前にしては呼べないけれども、ブログの中のことだけならいいかと思っている。得意の開き直り。


もし万が一本人から直接クレームを言われるようなそんな奇跡が起こったのなら、その時は全力で謝ろう、そうしよう。

2021年5月28日金曜日

伝言メモ

書き途中のものがあるけれど、先にオンタイムの話を書いてしまいたい。

昨日(5/26)の皆既月食の夜、友達のノムと電話をした。


お互いの近況やら仕事ですったもんだしていてそれの話とか、皆既月食に相応しい流れだね〜なんて話して楽しい電話タイムは終わった。


その後いつものように、ブログのチェックをした。


どうせそんなに見られていないだろう、と決めつけてブログの管理画面を見た。


私は最初見間違えたのかと思った。


普段見たことのない数字が訪問数として並んでいた。


そして直近にチェックされた記事が最大20記事までそのタイトルが表示される。


それらを見た時に真っ先に思ったのは

「何かあったのかな?」

だった。


そんなの私が心配しても仕方のないことだけれど、いつもとは違う感じが伝わってきて、何もないこと、月蝕だったからそれの影響で心の状態がいつもよりナイーブだったりオープンなことの可能性を信じたいと思った。


読まれてるのかどうかはさておいて(何せ1つ1つが長いから、それぞれの記事の中の気になるものだけを拾い読みしてるのかななんて勝手に想像している)、画面に表示されているタイトルたちを見て、本当にきちんと知ってもらえていることを感じて、言葉もないくらいにしばらく放心して、その後じわじわと喜びというか嬉しい気持ちを味わった。


書いている私でさえも、もはやどの記事がどこにあるのかわからなくて、さらにはタイトルを見ただけでは何を書いたかさえすぐには思い出せない。


その人が選ぶ記事たちは、開くとその中で共通点があるのがわかる。


それだけ多くのものを1200以上ある記事の中からピンポイントで選ぶというのは至難の業になる。


例えばその中にある共通のテーマに沿って私自身がそのテーマに沿ったブログを選ぶとするなら、そんなにピンポイントで正確には選ぶことができない。


本当の本当によく知ってくれてることが伝わってきたし、それだけのものにするにはそれだけの時間をかけてくれたことでもあるから、そのことに対してもとてもうれしい気持ちになった。


連絡してくれたらいいのに、とも思った。


今なら数百キロの距離があるから、近付いてこられる心配もないし、ぐいぐいと寄って来られることも絶対にない。


ある意味とても安全だから、連絡もらえたらいいなと思った。


今日というより昨日(5/27)になってしまったけれど、皆既月食の翌日も色々とチェックしてくれたのはわかった。


2日立て続けにそうだったから、それでうれしい気持ちとは別に心配になる気持ちもムクムクと出てきた。


どうか無事でありますように、と祈らずにはいられない。





皆既月食の翌朝、起きて歯磨きしながら茶の間のテレビを付けた。


何かのCMの最後1秒、2秒が映し出されたそのすぐ後、その人が当時乗っていた車のCMが流れた。


私は穴が開くほどにそれを見つめて、この皆既月食の翌日にこんなにテンションが朝から上がるものに遭遇できたシンクロに心から感謝した。


画面右下に流れている音楽のタイトルがあった。


そのタイトルを見て、色々と思うことがあった。


タイトルの中に『カタチ』という文字が入っている。


そのタイトルに含まれたカタチは、色んなカタチがあっていいし、それはそうだとわからなくても相手がそうだと感じるならそれでOKだなと思った。


ちょうど読まれたかはわからないけれども、チェックはされた記事の1つの中に姪っ子とのやりとりが出てきた。


私が出かける時に、当時3歳だった姪っ子から「ふみこもきをつけていってきてね」と抱っこしながらそのように言ってもらって送り出してもらったシーンがそこには描かれていた。


そこに私は愛を感じた。


姪っ子は私に愛を渡そうなんて思ってないだろうし、愛をプレゼントしている気も毛頭ないと思う。


だけどそのように言ってもらった私の方は、姪っ子とのやりとりに愛を感じた。


そう、カタチは何でもいいんだと思った。


色んなカタチがあって良くて、その中で私が何を感じるかは私の自由なんだと思った。


私がそこに何か温かいものを感じればそれがそのカタチだし、愛を感じればそれが愛のカタチの1つなんだと思った。


そのCMのタイトルが本当にドンピシャで良くて、朝からとてもしあわせな気持ちに包まれた。





元気なのかな?大丈夫かな?と気になったから、伝言メモのようなこの記事を先に書いた。


どうか無事でありますように( *ˊᵕˋ)


2021年5月24日月曜日

心の窓、心のお守り

ゴールデンウィーク明けからのおかしな暗雲は今もしばらく続いている。

過去の負の遺産が社内の至るところに在るのは知っていた。


色んな企業や団体の記録やデータの保存の仕方を見てきたけれど、今のところはその中でも一番酷いんじゃないかと思うやり方が貫き通されている。


今の仕事に就いて、初めて「疑うことを前提で過去の資料を見ること」を覚えた。


真面目にあてにならない。


あてにならない位ならまだまし。


さらにバージョンアップしたものは、内容の誤記や誤りがてんこ盛りすぎて、内容を知らない私でさえも「えっ∑(ΦдΦlll?」って毎回なる。


自分で1からやり直す方が速いものもあって、そういう時は一言上の人たちに断ってからそれをする。


ほぼほぼそういうものにしか当たらなかったから、毎回何かしらのすったもんだは付き物だし、仕方のないこととして割り切っている。


冗談抜きで、そんな仕事の仕方をしていたのなら、いつかは倒産するんじゃないのかと思う。


そんなこんなのところに最近浮上してきたのが会社の製品catalogueカタカナ読みすると、カから始まってグで終わるもの)


それをこの後からはネコ資料とする。


ネコ資料、この度中身を追加して刷新することに決まった。


どうぞどうぞ、というか基本的に会社のなんだかんだの決定には何の興味もないから我関せずの気持ちで聞いていた。


しかも担当者Aさんは私のことが苦手だから私にはよほどのことがなければ頼んでこないだろうから、私はもはや自分はその業務に携わらないものだと思っていた。


実際に4月はほぼほぼ私はそのネコ資料業務から外されていたから、その後もそのままだと思った。


それの風向きが確実に変わったのはゴールデンウィーク明けからだった。


当初はどんな予定でいたのか知らないけれど、何とネコ資料の総合版を全面改訂することになった。


過去にどうやっていたのかはもはや今いるメンバーの誰も詳細は知らないけれども、とにかく今回からは外部の業者の協力も得た上で作られることになった。


業者に出すためのデータはこちらで最初に作ることになっていて、そのデータ作りの英語部分があれよあれよという間に私の業務に成り上がっていった。


何せ総合版だから基本的に総合ラインナップ=膨大な量のデータになる。


Σ(; ))) Σ(; )))) Σ(; )))) Σ(; )))) 


薄々気付いてはいたけれども、既存のものの出来映えが及第点どころか超怪しい英訳が満載で、単に過去のデータをそのまま入力して使えばいいものとは違っていた。


相当直さないといけないのは、わかっていた。


だけど、まさかのそんなことたちの修正係が我が身に降りかかるなんて想定外過ぎた。


量が大量になった時点で、確実に残業ができる私に振られるのは仕方ないにしても、量が納期に対して全く間に合わない量で、私は始める前から「無理です、間に合いません」と担当者たちに言いに行った。


しかも修正だけじゃなくて、私の手元に来るまでに色んな人たちも関わっている中で、その人たち1人1人がいい加減な仕事や手抜き仕事をして、それの修正やら確認までもが全て私1人のところにやってきて、何事かと思った。


元々の担当は私ではなかったけれども、色んな事情が組み込まれて最終的に私のところに特大業務がのしかかってきた。


本当に何度も手抜き仕事をした人たちにブチ切れたし、その実情を知らない上の人たちが勝手に業者に提出する締切を決めて完全に手も首も回らない状況になって、そのための説明から調整までありとあらゆることが私が声を上げたり動かなければ誰もやってくれない、という史上最悪な状況になった。


さすがの私も今回は吠えに吠えて、納期が絶対に間に合わないものは「間に合いません」と早々に言って、他の人たちの協力無しではやれないとわかったから方々に協力依頼をして、あとはひたすら時間と自分との戦い状態で、気が狂いそうになりながらやり続けた。


長いこと放置されていたものと誰も手付かずでいたもの、今回の関係者たちの当初は自分さえ良ければいいスタイルの手抜きや無責任乱発の仕事の仕方で、それら全ての負のオーラをまとったとんでも案件が私のところに来て、本気で気が狂いそうだった。


正社員や役職付きの人たちは何してくれてんの?と大真面目に思ったし、何が間違えて派遣の私がそれらの人たちの無責任な仕事を全部最後整える、英訳の他にその整える作業までプラスされるって、その引き継ぎも連絡も不十分で、不十分と知ったそばから都度都度確認に行って、さらにはその無責任だった人たち側にはきっちり時間が与えられていて、私のところは超ウルトラスーパー短納期で納期までマックス残業しても終わりの見通しが立たないってどういうこと!?と思った。


なぜに半分以下の給料の人(=私)が2倍以上もらってる人たちの2倍の仕事をしないといけないのか、本気でこの会社バカなのかと思った。


この一連のことに対して私は要望書を関係者全員に向けて出して、さすがに考慮されるような流れには少しずつなってきたけれども、本当に酷かった。


何か呪いでもかけられてるのかと思ったほどに酷くて、それであまりにもやるせないわ納期縛りはきついわ、その納期縛りを前に私の前の人たちのズボラな仕事ぶりが目の前で発覚するわで、そりゃ涙も出た。


ここまで酷いと、「泣きたい」じゃなくて「泣く」んだとわかった。


みんながなぁなぁにしたことが、まさか私が最後に全てのフォローに回らなきゃいけないなんて、その適当だった人たちは気づかないし言っても理解できないだろうなぁと思った。(ちなみに理解できなくてもいいから、きちんと事の次第を伝えてくださいと文面揃えて担当者にメールでも口頭でもお願いした。それも適当な対応だったけれども、最後は黒幕的な上の人が相当テコ入れしてくれて、とにかくこれまでのやり方ではダメだとなって今少しずつ改善が図られようとしている。)


周りは対岸の火事でも私は自分のところが火事で、何一つ予断は許されなかった。


もちろん協力者も私のフォローをしてくれた人たちもいたけれども、いかんせん全ての負の遺産の最初の確認者が私で、その8割近いものを担当するのも私で、心身共々本気で参った。


・大量のボロボロデータ

・超ウルトラスーパー短納期

・大幅な英訳の直し

・各種確認と調整

・仕事分担の依頼

・変更知らされず途中からの大幅変更

・長い歴史の中で放置されていたもの

・間違えられないプレッシャー


こういうものたちが一気に押し寄せていた。







くどいようだけれど、前回書いた『日常に溶けこむ』はそんな渦中と並行してあった。


仕事でここまで酷いものはそうそう当たらないけれど、何か想像を絶する世界にしばらく身を置いていた。


気は休まらない、周りが動くのを待っては締切に間に合わないから自分が動いて調整するしかない、実務も当然進めないといけない、周りは私ほどの危機感が全くない、「私がやらなきゃ」なんていう責任感も気持ちもないけれども私がやらなきゃ完全にアウトになる、やる以外の選択肢がない、完全に神経ギリギリのところでやって、なんなら早く出社したり残業後も注意されない程度に残ったりしながら、本当にそうした日々がずっと続いていた。


今回納期の重圧が半端なかったのは、会社の全体の納期は絶対的に変えられなくて(これがそもそもおかしかったけれどどうにもならないと説明された)、それだけならまだしも、こちらが遅れることで業者側の時間がその分カットされると知らされて、私一人の遅れがその後の色んな関係者たちにもっと重圧がかかると知ったからだった。


そうじゃなくても社内の調整がボロボロで1日延長してもらったのに、それ以上はもう無理だったから何とかするしかなかった。(なんとこの事態がその後類似案件でもう一度起きて、それでとうとう全てやり終えた後に関係者全員に要望書を出した。)


派遣の私が会社の顔となるネコ資料の一番大事な中身を整えるなんて、本気で間違っていた。


しかも周りの人たちの他の仕事が終わるまで冗談抜きで私1人に全て負わされて、上場一部の企業が扱うものとして本気で対応がお粗末すぎた。(そういう規模の企業のものをまさか派遣の人間がやってるなんて外部は思わないと思う。)


本気で強烈すぎてやるだけのことはやっても終わりが見えなくて、でも何とかする以外の選択肢がなくて、それで半端なく追い込まれて涙が出た。


そんな時に本気で救われた。


どんなに目を凝らしても絶対にいないイケメン上司の存在に救われていた。


前回も少し書いたけれど、その時というのは完全に普段の意識とは違っていて、とりあえず心のキャパはとうに超えていたし、こんな負・負・負のエネルギー満載のことたちをどうしろと!?という色んな意味でフリーズしていて、でもフリーズする時間さえもったいなくて1つでも何かをやって完成に近付けないといけなくて、とにかく尋常ではない心理状態だった。


危機的な状況を前に、意識のある層が普段とは別のレベルにあるなぁなんて薄ぼんやり思ったくらいだった。


そんな時になぜか私はイケメン上司がいたシーンを無意識に、でもとても自然に思い返していた。


尋常じゃないストレスにさらされていたその時に思い出したイケメン上司は、透明でキラキラした空気をまとっていた。


向こうは気付いていないけれど、私側の視点でチラチラ見ていた時の姿と同じだった。


目の前の景色は今の巨大オフィスだし、手元の資料もネコ資料のものたちで溢れ返っている。


でも脳内で自然と再生されていたのはイケメン上司と彼特有の空気感と盗み見していた表情だった。


全然大丈夫じゃなかったけれど、その大丈夫じゃない状況を前に心は大丈夫になれるものを求めた、そんな感じだった。


もうそろそろ4年が経つ。


4年前の私がまさかその時目の前にいた人に救われるとか、それがその時だけじゃなくて4年も先のその時とは全く関係のないところで癒されるとか、そんなこと一切想像できなかった。


色んなシーンが鮮明に今も私の中に残っている。


そういう時の心の動きは、意図してそうなるものじゃない。


絶体絶命的なピンチの時は、ありとあらゆる細胞が協力し合って危機から自分自身を全身全霊で守ろうとするんだと思うけれど、そんな時に突如出てきたのはイケメン上司だった。


私が元気になるような言葉をかけてもらったとか何か手伝ってもらったとか、そういうわかりやすいものは何もない。


なんだけど、その存在があるだけで張り詰めていた神経が少し和らいで、無意識にその姿を思い浮かべて目の前の気が滅入る状況から自分を救おうとしていた。


想像でしかないけれど、過去世でイケメン上司と私とが近くにいた者同士だということが本当で、そして同時の私は10歳前後で早々と死んでいたのが本当だとするなら、その時の安心感の種を今も引き継いでいるんじゃないのかと思う。


状況から想像するに、当時の早すぎた私の死を見届けてくれた1人がイケメン上司だと思う。


ネコ資料の酷すぎた惨状は、明らかに意識そのものが普段感じない危険ゾーンを感じていたし、意識の状態が普段とは別の域にあるのも感じ取っていた。


そんな中で本能的に求めた安心感は、もはや知性や理論で導き出せるものではなくて、本当に自分の中にある感覚1本で引き出していたんじゃないのかなと思う。


そしてその本能的に求めた安心感が、気付いたらイケメン上司の姿だった。


これはなんとなくの想像だけれど、具合悪い時は言葉とかがなくてもただそばにいてくれるだけでいい、人の気配が感じられたらいい、ましてや死に行くと感覚でわかっていたのなら尚さらのこと、ただただ今この瞬間に自分を気にかけてくれる人がいたら心強い、そんな感じなんじゃないかと思う。


そこまで究極ではないネコ資料だけれど、しんどさから言うと人生でもわりかし上位に入るくらいの強烈さだったわけで、そのしんどい時に思い出したのがイケメン上司だったのは、何も今の人生だけじゃなくて魂が転生する前の別の人生から引き継いだ感覚なのかもしれないなと思った。


話はすごい変わるけれど、何年も前に私は自分が死に行く夢を見たことがあった。


今思うと、あれは今生の自分が死んでいくいつかの予知夢というよりも、実際に過去世のいつか体験した死の間際の記憶が再生されてたんじゃないのかと思う。


それはもう本当に今でもくっきりはっきりと覚えているくらいにリアルで、とりあえず私は病院なのか自宅なのかはわからなかったけれども、ベッドの上で重たくはない布団が掛けられた状態で仰向けになって寝ていた。


自分はもうそろそろ死ぬことがはっきりとわかっていて、体は完全に弱っているから何もできないんだけれど、表層の意識は朦朧としながらもそのベッドのすぐ横に誰かがいてくれて私の手(右手)をずっと握り続けてくれる人がいた。


自分は死ぬけれど、こうして最期誰かに寄り添ってもらえる人生なんだ、と私の感動ポイントはそこにあって、その場面と感覚だけがやたらとリアルに今もずっと記憶に残っている。


手を握ってくれてる誰かはベラベラ喋らず静かにしていて、でもそこにいてくれるだけで私は本当にしあわせで満たされていて、死ぬとわかっていても怖くなくて穏やかだった。


夢の中でも私という人はかなりおめでたい頭の中をお持ちのようだったけれど、とにかくその感覚は今でも鮮明に覚えているし、今回の大パニック且つ涙が出るくらいの追い込まれ方をした時にイケメン上司がふと出てきたのは、そうした感覚にけっこう近い感じがする。


夢の中では死に行く感じで、ネコ資料を前にした今の自分は単なるしんどさMAXで、それぞれ置かれてるシーンは全く共通項がないけれども、その時にそれぞれ登場してくれた人物によってもたらされたものはどちらも同じタイプのもののように感じている。


平常ではない非常事態の時に、自分が求める心の安らぎや安心を得ようとする、得ようとするその気持ちに応えてくれる誰かがいてくれる、そうした中にイケメン上司がいた。







あと数時間すると月曜日が始まる。


今週もかなり怪しげなスケジュールが組まれそうで先週の時点で変な汗が出そうだった。


でもこの2日ないし3日かけてこのブログを書いて、イケメン上司の存在を普段とは違う視点で眺めてそれらを丁寧に思い出して言葉にしたら、そのことをこれから始まる月曜日以降でも自分の中に常に置いておいたらいいんだと思った。


何度も何度も強烈な納期や業務がやってこられては困るけれども、これだけ言葉にしたら自分の中のいざという時の心のお守りが何かわかって安心する。


当初このブログは「社窓の窓」として書く予定でいた。


1つ前のブログを書き終えたその直後にこれの下書きをすぐに始めて、それでもっと仕事を通じて感じた色んなことを書こうとしていた。


だからはじまりは、やたらとリアルな描写になっている。


そして書く内容もイケメン上司のことではなくて、書きながら感じたことをそのまま書いていこうと思っていた。


ところが書けば書くほど、気付けばイケメン上司の話になって、全然違う内容に変わった。


だから「社窓の窓」はやめて「心の窓」にしようと思っている。


ここまで書き終えてみると、今書いてきたことが今の私にとって何よりも必要なことだったとわかる。


仕事について思うこと云々は、たしかに頭の中が整理されるかもしれない。


けれども、しばらく怪しげなスケジュールが予想されてしまう今、頭の中の整理よりももっと大事なのは、そうとわかる時に何か心の支えが自分の中にあるかどうかの確認の方だと感じている。


心の中に灯すものがあれば、色々危なくなってもそこを灯台のように自分の中に抱いてそれでまた乗り越えていったらいい。


私は自分にそういうものを持たせるためにこれを書いたんじゃないかとさえ思っている。


書いている途中、1つすごく気になることが思い出されて、私は数時間前、クローゼットの段ボールを3つほどガサゴソとして、その中から数年前のメモをようやく見つけ出した。


それはイケメン上司に出逢うさらに何年か前のメモで、そこに未来の予言が書かれていて、それが本当にその通りになった。


そのこともここに一緒に書こうと思ったけれども、それを書くと長くなるから、ここで一旦切って未来の予言話はまた別の記事で書いてアップしようと思う。


その未来の予言話は私をとてつもなく勇気づけた。


メモ書きの当時は、年がまだ割り出せていないけれども、2011年から2014年のいずれかの2月だと思われる。


今メールを調べたら2013年とわかった。


その当時の予言めいた話が今に繋がっている。


それはまた改めて書きたい。







もうひとつ、全然関係のないことを思い出した。


今とある古書を探していて、その古書名を日曜日の夜に検索したら、どういうわけかイケメン上司の趣味の関連本が多数ヒットした。


どの言葉がヒットしているのか全然わからなかったけれども、ヒットした検索結果を見ていた時に先週会ったSさんとの会話の1つを思い出した。


Sさんとイケメン上司はその趣味で今も繋がっている。


それは一緒に働いていた頃から知っていたけれども、今回会った時にその共通の趣味を持っているSさんがイケメン上司に対してこんな風に言っていた。


「◯◯さんと見るのは、本当に楽しくて面白いんですよね。

もちろんそもそも見るのが好きだから、中身は何であっても楽しいんですけど、『この人と見たら楽しい!とか面白い!』っていう視点で言えば、◯◯さんは断トツで本当に面白くて楽しいんですよ!!!

一緒に見るなら◯◯さんがいいですね」


そんな風に話していたことを思い出した。


思い出した時に「これブログに書こう!」と決めた。


ここからは超お節介ババアになるけれど、イケメン上司にとって誰かから面白いとか楽しいって言ってもらうことは、心の中で多分かなり上位の気にしていることだろうから、それが本人にとって言われたら嬉しいこと、自信に繋がりそうなことなんじゃないかと思った。


Sさんはもしかしたら直接言ってくれてるかもしれないけれど、言ってない可能性も存分にあって、だから私がこの話のメッセンジャーをしようと思った。


直接言われてたとしても、またここで再度言われても悪い気はしないだろうと思う。


そして、誰かから、それは何もイケメン上司じゃなくても、一緒にいて楽しいとか面白いと言われて悪い気はしないどころか嬉しくなると私は思うし、私は実際にそれが何の時でも言われたら絶対に嬉しい。


自分といる時間が楽しいって言ってもらえるなんて、それも他の人たちとの時間を並べて比べた時にその中でも群を抜いて楽しいって言ってもらえるなんて、すごい特別なことだと思う。


この話を直接伝えられる関係にあればいくらでも直接言ったけれども、そうはできないから、突如今回思い出したタイミングの今、ブログに書いて発信しようと思った。


自分がイケメン上司からもらってる力には全く及ばないけれども、せめて少しでも還元できるもの、還元と言っても私発信ではなくてSさん発信のものに単に私が便乗して文字起こししてるに過ぎないけれども、それでも私1人の中に留めておくのはもったいない。


元気の出る言葉や話は本人に届くのが一番良いと私は思ってる人だから、これが伝わるといい。


自分との時間が楽しいと思ってもらえるなんて、それって人生の中でも人からもらえるご褒美的な言葉の1つだと思う。


ましてや大人になればなるほど、あまり言ってもらえない類いの言葉でもあって、言われたら、それが直接でなくても間接的に第三者から聞いても嬉しいなぁと思う。


書くことは書いたし、今週もおかしな風が吹き荒れるかもしれないけれども、いざという時の自分の安心ポイントがわかったから、安心して仕事に行ける。


この強力なお守りは、持てるだけでとってもラッキーなこと。


またひと眠りして今週の戦に備えよう。