2016年2月28日日曜日

ひと手間の味

昨日の夜は、半額で買ったものたちを食卓に並べての晩酌になった。


半額の16種のスパイスで味付けしたと言われるチキン、半額のカツオの刺身、人生初の半額で

購入した宮城県産ほや、大阪の鶴橋にあるコリアンタウンのキムチと銘打ったこれまた1パック

128円に値引きされたもの、そして発泡酒。

左下のれんこんと人参のきんぴらは自分でさっと切ってさっと炒めて作った。

何よりもきんぴらが一番おいしかった。

そして体の奥底に染み渡る感じがあったのも、このきんぴらだけだった。

刺身もチキンもお店の人のひと手間がかかっている。

だけど、自分で作ったきんぴらのような体に訴えるようなものは何もなかった。

そしてこちらが今日のお昼ごはん。


久しぶりにきちんとした和定食のようなごはんが食べたくなった。

魚は、昨日の半額たち同様に半額で手にしたかますの開きと鮭のネギ味噌漬。

普通においしかったけど、一通り食べて思ったのは、その主菜が一番のごちそうではなく、他の

3品、白いごはんに友達からもらったはちみつ漬の梅干し、豚汁、マロニーで作った中華サラダの

方がうんとうんとごちそうだった。

温かさももちろん関係していたと思う。

湯気が立つ程の豚汁に白いごはん、それだけですごいごちそうだったりする。

ごはんは米を研いであとは炊飯器任せにしても、中華サラダも豚汁もそこそこ手間がかかる。

手間と言っても、野菜や肉を切って、マロニーは茹でて、いり卵作って、あとは豚汁はすべてを

鍋にぶちこんで煮ただけ。

味付けなんかは1分で終わる。

一番手間だったのは、こんにゃくを手でちぎることだった。

実際には15分も台所には立っていない。

あとは炊飯器がガスがおいしくしてくれる。

炊飯器とガスが働いている間、わたしは自分のことをして過ごした。

たったひと手間だけど、そのひと手間をしたごはんは確実においしい。

本当に適当な感じでしか料理をしないわたしだけど、適当は適当なりに体はそのひと手間かけた

ごはんに慣れている。

そしてその慣れ親しんだものがなくなると、途端に体も心も元気を失う。

びっくりする程にわかる。

さらに言うと、その手のものを食べないと、わたしの場合は食べすぎる傾向がある。

昨日の夜の晩酌は、決して栄養価は高くないのにカロリーは高い。

そういうものは食べても食べてもおなかになぜか溜まらない。

食べてるのに空腹感がちょびっと残る。

そしてその空腹感を満たすために新たな食べ物を摂取するという悪循環が始まる。

片や今日のお昼ごはんは、上の量で充分だった。

豚汁はもう少しだけ足したけど、それはあまりにおいしくてもう少し食べたい!という欲から盛った

ものだった。

健全な食べ方だなぁと自画自賛した。

豚汁に至っては、大根は1ヶ月ほど冷蔵庫の中に放置したもの、肉と薄揚げは冷凍庫で長らく

待機していたもの、えのきはそろそろご臨終しそうな状態のもの、最後に乗せたゆずは冷凍して

ずいぶん経っている。

そういう材料でできていて、決して高級食材などない。

だけど、体に大切な何かが染み渡る感触がある。

素材で言えば、昨日のカツオやほやの方が上だし、栄養価も高い気がする。

でもそういうことではなくて、もっと根本的なところ、自分の手で自分のために何かを作るという

手間が、大したことない料理を一気に体や心を元気にさせる威力のある一品に仕上げる。

これは絶対にどんなに良い素材であっても、このひと手間料理には勝てないような気がする。

もちろん良い素材にプラスひと手間があれば、もっとおいしいものができるとも思う。

ジャンクフードもお菓子も相変わらず好きだけど、こと最近はこういう体の奥から元気にさせて

くれる手料理特有の良さにものすごく敏感になってきた気がする。

2016年2月26日金曜日

朝の書き物

最近ようやく体の調子が戻りつつある。

寝る時間は相変わらず9時台10時台に集中しているけれど、早く寝た分早く起きれるようになって

きた。

正月明け辺りからずっと早く寝ても起きる時間はいつも遅め、ギリギリまで寝てしまうことが多く

自分の時間が全然取れずにいた。

それがこの1週間位で、徐々に朝型のペースが作れるようになった。

今日は大きなものを運搬する関係で、満員電車になる時間を避けて朝早く家を出る予定だ。

それゆえに早起きしようと昨日の夜に決めていたけれど、まさか5時に目覚めるとは。

暗い時間からパソコンを立ち上げて、久しぶりに文章を書いた。

この文章が3つ目の文章だったりする。

単純に楽しい。

何せ生活のリズムが大きく崩れていたがゆえ、書き物すらままならない状況だった。

それが今、また少しずつ書き物のペースが戻ってきている。

書きたいもの、自分の中であれこれ整理がつかないもの、とにかく何でもいいから書きたい衝動に

駆られる。

そして朝の暗い時間から始める書き物は、近所も静かで物音ひとつしない。

時々聞こえる鳥の鳴き声と、あとは何かの物音ぐらいなもので、ほとんどの時間は静寂に包まれ

ていた。

しかも起きてすぐだから、余計な雑念や心配事などもなく、ただただ自分の内面と対峙して言葉を

紡ぎ出すことに没頭できる。

すごく気持ちの良い行為だ。


ペースが戻ってきた理由の1つは、今月末でいったん今の仕事から退くことが挙げられる。

多分自分が思っていた以上に重圧だったのだろうと思う。

それが消化できずに悶々とし、決して時間的な拘束がきつかったわけではないのに、いつまでも

わたしは仕事でのことをずるずると引きずっていた。

今年は父から素敵な手帳(父ももらいもの)をもらったのに、白紙の週がいくつも続いた。

別に何もしていなかったわけじゃない。

そこに何かを書き留める余力さえ残らなかった。

だから今純粋にまた書き物を再開できることに、嬉しい気持ちがふわ~っと内側から湧いてくる。

定番物が少ない日本

先日買物に出かけた時のこと。

友達のお祝いの品を見に行ったところ、ついでにとても気に入ったタオルを見つけた。

本当はその場ですぐに買えば良かったものの、友達のお祝いの品が定まらず、とりあえず翌週に

持ち越すことに決めた。

タオルも残っているだろうと予想して。

そしてあれこれ見て回った結果、その最初の店にもう一度、日を置いて出向いた。

友達のお祝いの品は無事手にしたけれど、その気に入ったタオルがもうない。

店の人に聞いたら、今年の秋冬モデルのタオルだったとのこと。

なので在庫限りで売り切れ、秋冬モデルということは来年も出るのかと尋ねたら毎年同じ素材が

採用されるわけではないから来年はどういうモデルになるかわからないという回答だった。

ちなみにそのタオルというのは、台所の水仕事用の手拭きとして使っているもので、友達の結婚

式の引き出物に入っていたものだった。

今のアパートに入ってからずっと使い続けているからもう6年選手だったりする。

そのタオルが実に優秀なタオルで、裏は通常のタオル地だけど表はガーゼ地、そして色も紺が

ベースでその上に模様が描かれているから、とにかく汚れが全く目立たない。

そしてガーゼというのは不思議な素材で、どんなにガラガラと洗濯機で回しても傷まない。

そして洗う度にふんわりした感触が再現される。

柔軟剤などどう扱っていいのか未だに知らないわたしは、やっすい粉石鹸を使っている。

ちなみにニュービーズのピンクの方を長年愛用している。

特別な洗い方やお手入れなんか一切しなくても、ものすごい耐久性を持っているタオルで本当に

重宝している。

そんなタオルもそろそろにおいが取れにくくなってきたから(一度強いにおいがつくと取れない)、

次のタオルを探そうかと思い始めて早1年。

2~3年前にトイレのタオルをリニューアルした。

その時1枚だけ適当なタオルを買ったのだけど、それが全然良くない代物だった。

気付けば今普段使いしているタオルの8割は引き出物でいただいたりプレゼントされたもので、

非常に良い品質のものだったりする。

タオルというのは、良いものであれば長持ちすることもわかった。

じゃあそのタオルを定価で買えばいいのだろうけれど、さすが引き出物タオルたち、タオルを買う

には値が張る。

別に使う回数を考えたら定価で買ってもいいものかもしれないけれど、その前にもっと大きな問題

が立ちはだかっている。

今愛用しているものと同じものは、どうやらもう売られていない模様。

今回のタオルに関して言えば、実はそのメーカーのホームページまで見たことがある。

そして数軒のデパートのタオル売り場をはじめ、そういう高級タオルを取り扱う店も見てきた。

ところが同じものというのがない。

特に台所用は、一度今のタオルを使ったらものすごいこだわりを持つようになった。

表がガーゼ地で裏がタオル地なんでいうのは今けっこう世の中に出回っている。

だけど、その中で色も地味目で落ち着いたものとなると数がいきなりぐんと減る。

日本というのは、「定番」というものが定着しない国だと思う。

食器なんかは特にそうだし、今回のタオル騒動もそうだし、服もそうだけど、ものすごく気に入って

また同じものが欲しいと思ってももう次は手に入らない場合が多い。

2週ほど連続で同じ店たちをぐるぐる回ったせいもあるけれど、たかが1週間と少し間が空いた

だけでも商品が入れ替わっている。

もちろん世の中には流行というものがあるから、流行を取り入れることも大切だろう。

だけど、コロコロと商品が入れ替わるよりも、末長くロングセラーで残ってくれるものの方がこの頃

は良いなぁと思うようになってきた。

2016年2月20日土曜日

いつの間にか300突破

方向性が何なのかよくわからなくなりつつあるこのブログ、先日気付いたら300記事を突破した。

記事をいくつ書いて、公開がいくつで、下書き保存がいくつとご丁寧に数を教えてくれる。

このブログ含め、書くことだけは「継続は力なり」と大真面目に思う。

自分の何かを吐き出す意味合いが強い書く行為。

動機はかなり不純だし、テーマは日によってころころ変わるし、書きたい時にしか書かない。

全体がとってもマイペースな行為だけど、それでも塵も積もれば何とかで、気付いたら300もの

何かしらを書いていた。

当たり前だけど、最初から300記事を目指したわけじゃない。

むしろ数なんかまったく気にならずにいて、とりあえず自分の何かを書いて残す場所、自分のその

時々の生きた軌跡を残す、そんな感じで始めたから数はあってないようなものだった。

何かを目指したわけじゃないのに、気付いたらある程度まとまった数に到達していたとか、大きな

1つのものが完成したとか、そういうのっていいなぁと今回のことで思った。

がんばることは悪いことじゃないと思う。

だけど20代後半あたりからそして30代になってからは、ますます「がんばる」の意味を自分で

見つめ直すようになった。

自分の内側から勝手にやりだしてしまうこと、そういうことは


2016年2月14日日曜日

弱った時に食べたいもの

昨日の土曜日は、ほぼ1日中布団の中で過ごした。

寝る、食べる、携帯を触る、その3つを延々と繰り返していた。

最初に食べたのは、いつか手作りした冷凍餃子を焼いたもの。

12個程食べたけど満腹感は得られず、布団の中で何だったら面倒がなくすぐに食べられるかを

思案した。

次に登場したのは、実家の名産の大きな油揚げ。

大きさで言えば、B5サイズの紙を縦半分ぐらいにしたもので、厚さは3cm程ある。

ボリュームたっぷりのもの。

それも冷凍庫から1枚出し、レンジで軽くチンをしてからフライパンで焼いた。

ネギと生姜を刻み、かつおぶしもかけて醤油をたらした。

またしばらくするとおなかが空きだしていることに気付いた。

そうだ、柿の種があったはずと思い、菓子袋をのぞくと柿の種が6パックの1袋だけ残っていた。

そのまま布団の近くにまで持ってきて、ぼりぼりとむさぼった。

またしばらくするとおなかが空いて、頭の中で冷蔵庫冷凍庫乾物たちを思い描いた。

次に思い付いたのは、トースト。

山型の食パンに、今はまっているイオンで半額で出ていたフランス産の発酵バター、そして義理の

弟が手作りしたりんごジャムがある。

ちなみに弟手作りのりんごジャムは、わたしは自分が今まで食べたジャムの中で1番おいしい

ジャムだと思っている。

パンを2つに手で割って、バターと最後のりんごジャムを楽しんだ。

またしばらくするとおなかが空き、また冷蔵庫冷凍庫乾物を頭の中で想像する。

こうも寝てばかりだというのに、何がどうしておなかが空きまくるのだろう。

もうストレス最高潮としか言いようがなかった。

すぐにできるものということで、干し芋が冷蔵庫にあるのを思い出した。

これは義理の弟の茨城の実家より我が家へ毎年贈られてくるもので、父と母は好んで食べず、

わたしは毎年ありがたくいただいて帰ってくる。

そして最近のブームは、干し芋にチーズをのせてレンジで温める食べ方だ。

そうやって干し芋をおなかに収めた。

それでもまた少し経つとおなかが空くのだった。

次はいい加減何かしら買いに外に出るか、もしくは家にあるものでちょっと手を加えて食べるもの

ということになった。

しばし一人でああでもないこうでもないと考えた。

1日食べ物以外のことで生産的な考え事は1つもなかったことに気付いた。

それでもおなかが空くのは変わらない。

ふとそこで、「白米が食べたい。炊きたてのご飯に梅干し、味噌汁がいい」と思った。

そこでよいこらしょと起き上がり、ごはんの準備をした。

簡単に米を研いで、あとはスイッチを入れるだけ。

梅干しは、今回は料理上手な友達からもらった紀州のはちみつ漬けの梅干し。

味噌汁も1から作るのは面倒で、お湯だけ沸かし、お椀に顆粒だしと小さな泡立て器に味噌を

からめたものを入れておいて、お湯を注いで味噌を溶かし、そこに先ほどの友達が一緒にくれた

伊勢湾産の乾燥のあおさのりを浮かべることにした。

食べすぎな感は否めなかったけれど、一口ごはんを食べて味噌汁を啜っただけで感動した。

体に熱と力が行き渡るような感覚で、これを体は求めていたんだなと思った。

食べている途中、先月母が米と一緒に送ってくれた母手作りのたくわんも切った。

しばらく食べずにいた間に、良い漬かり加減になっていた。

本物のご馳走たちが木のテーブルの上にようやく並んだ。

餃子も油揚げもトーストもどれもご馳走だけれど、体と心が弱っている時はもっと根本的な何かを

体は求めている。

基本的にわたしはおなかを悪くしない限り、そして精神的ダメージ100%位のことが起きない限り

普通に食欲がある。

熱が出ても平気でごはんを食べる。

わたしにとって食欲がなくなったら、大真面目に体は赤信号を出している。

だけど昨日のような黄信号の時はわからないことが多い。

食欲はある。なんだったら、昨日のように食べても食べてもおなかが満たされないことだってある。

自分でもストレスの方が自分の抵抗力を上回っていることは重々承知していた。

だけどそういう時は、思考力も体感覚も低下していて、本当に食べたいものが何かすぐには

わからないようになっている。

昨日も延々と回り道した結果、白いご飯と味噌汁が一番体が欲していたことがわかった。

こういうものって特別じゃなくていいんだと思う。

子どもの頃から繰り返し繰り返し食べ慣れたもので、そして一番大事なのは、食べた瞬間、

「ほっとする」

そのことだった。

ごはんを味噌汁を口に入れた瞬間の「ほっとする」感覚は、体と心が弱っている時こそてきめんに

表れる。

普段の味覚とは全く別次元で、心が本当に生き返る感じだった。

ふと振り返れば、正月明けから昨日に至るまで、白いごはんをまともに食べていなかった。

まともに食べていなかったというのは、物理的に食べなかったのとは違う。

基本的に毎日弁当を持参しているから、1日2回、週10食近くは白米を食べている。

だけど、全然食べていなかったのも同然な毎日だった。

朝はあわただしく5分ほどでかきこむ。

昼は昼で、喧噪の集団から身をはがし、食べることよりもとにかく色んなことから離れることに

神経を集中させていた。

だから昼間は食べているのにも関わらず、食べている感覚がない。

夜は飲むことが多く、白米を食べない日の方が圧倒的に多い。

昨日1日布団の中で過ごしてわかったのは、もうそこまでしないと自分の体力も精神力も回復

できないところまでになっていることだった。

色々状況は改善の方向にある。

12月に比べたら1月2月は随分と仕事もペースダウンした。

それでも色んなことを敏感に感じ取っているのだろう、どっと疲れが出る。

なんとなく誤魔化していても誤魔化しきれなくなり、そしてとうとう昨日は寝込んだ。

1日経った今日は、すっごく元気とはいかなくても、年末からため込んだ書類の整理やお金の計算

その他家のことで気になったことを諸々片付けた。

たった1杯の白米と味噌汁がここまでのエネルギーチャージに変わる。

今日の1食目も、昨日多めに炊いた白米にネギと母のたくわんを刻んだものと納豆を混ぜたもの

を乗せて食べた。

あおさの味噌汁も昨日と同じ要領で作った。

1日の始まりに対して、とても良いスタートを切れた。

良いスタートにぴったりなごはんだった。

「食(べる)」という字は、「人を良くする」と書く。

それを教えてくれたのは、社会人最初の職場のパートのおばさんだった。

パートなんてもったいない位の機転が利きとても聡明で誠実な方だった。

その方が何度となくそれをわたしに教えてくれた。

その時はそこまでぴんと来ていなかったけれど、昨日の食事で一気に納得した。

たった1つのごはんが人を良くする。

そして「ほっとする」作用までもたらしてくれる。

一気に良くしなくても、少しずつでいいから良い方向に自分の状態を持っていきたいと思う。

その中で一番手っ取り早いのは、白米と味噌汁のような気がしてならない。

2016年2月7日日曜日

ポトフを究める

去年の冬からポトフにはまっている。

1年前、料理ブログのブロガーの方たちがこぞってポトフを作っていた。

「絶品」と皆が口を揃えて言う。

自分で実際に作ってみるまで、ポトフは単なる野菜と肉・ウインナーを煮込んだメインにならない

スープと思っていた。

しかも調味料は塩だけというとてもシンプルなもの。

そんなものが美味しそうとはとても思えなかった。

いざ作ってみたら、その野菜・肉・ウインナー+塩だけのスープがものすごく美味しいとわかった。

「絶品」と言われるだけのことあって、本当に本当においしいスープが出来上がった。

今日の昼間も、掃除したり他のことをしながらただ煮込めばいいポトフは休日ランチにもってこいの

メニューだった。

しかも昼間なら別にポトフだけ食べて終わりでも全然気にならない。

そして今回は、このポトフに新兵器を投入してみた。

「茅乃舎(かやのや)」と呼ばれるブランドのだしがある。

発祥は福岡だけど料理ブログ界では有名ブランドらしく、色んな人のところで見かける。

名古屋市内にも1店舗だけ取り扱いがあって、一度は試してみたいと前々から思っていた。

そもそもだしバックなるものを買ったことのなかったわたしにとって、だしパックとはいくらが相場

なのかさっぱりわからずにいた。

だけど5パック入って300円台であれば、手が伸ばせる。

しかもそこはすべて試飲させてくれる。

店頭で味見をさせてもらって驚いた。

本当に「料亭か!?」と思ったほどの旨さで、これは皆が使うのもうなずけた。

それでその5パック入っただしパックを手に入れ、今日はポトフにパックを破いて直接入れた。

そう、茅乃舎のだしは袋を破いてそのまま使ってもOKというので、これまたありがたい限り。

さらに今日はもう2つ高級食材が一緒に入った。

1つは「インカのめざめ」と呼ばれるじゃがいも。

もう1つは、アップルベーコンというベーコンで有名なところが出してるウインナーがなんと特価!

普通の市販のものより安かったから、それも入れてみた。

ちなみに「インカのめざめ」は、なぜか半額になっていたものを買い置きしておいたもの。

もうどれだけ高級食材が揃ったんだという位の高級ポトフになった。

期待で胸を膨らませ、お気に入りのボウル型の陶器にポトフを盛り付けて一口スープを啜った。

あれ?と思った。

おいしいはおいしい。

だけどポトフ本来の良さも半減、茅乃舎のだしの良さも半減。

1+1=2ではなかった。

どちらも良さが失われて、実に中途半端になってしまった。

まぁおいしいのは変わらないから、と思って気を取り直し次はインカのめざめへ。

これもまた実に中途半端な味に仕上がっていた。

正しくは味が薄れ、何ともぼけた味しかしなかった。

今回インカのめざめを色んな食べ方で食べてみてわかったことは、わたし自身が多分じゃがいも

に関してはとても舌が肥えている。

子どものころからじゃがいもがとても好きだ。

別に特別ないもでなくていい、普通の男爵とかで十分。

ただ年に1度だけ、母の勤めている会社の社長夫人が夫人の実家の北海道からきたじゃがいも

を届けてくれていた。

今から25年程前は、じゃがいもと言えば男爵とメークイーン位なもので、その他の種類のものを

手に入れるのはほぼ不可能に近かった。

ましてや今のようにインターネットでボタン一つで全国各地のおいしいものを手にするような時代

でもなかったから、じゃがいもも当然スーパーで手にするか、農家の方のおすそわけをいただく

位しかなかった。

ところがその秋口に毎年届けられたじゃがいもは、まず皮が赤かった。

さつまいもの皮をもう少し濃くしたような赤で、子ども心に「これは絶対に高級じゃがいもに違い

ない」と踏んでいた。

このじゃがいもに関しては、わたしは一切の労を惜しまず、きちんと蒸し器を用意して自分の

おやつとして吹かし芋を食べていた。

本当においしくて、大きなじゃがいも2つは平気でぺろりと食べていた。

そういう芋を食べた記憶があるせいか、インカのめざめにはあまり感動を覚えなかった。

そしてさらに今回のポトフで言えば、人からおすそわけでいただいたさつまいもも入れていて、

そのさつまいもの圧倒的勝利で余計とインカのめざめは影が薄くなってしまった。

そう、さつまいもを入れるのも料理ブログの影響で、これまた色んな人が口を揃えて「ポトフには

絶対にさつまいも!」と言う。

1年前半信半疑で入れてみたらものすごくおいしくて、それ以来作る時は毎回入れている。

ウインナーに関して言えば、もうポトフには入れない方がおいしいと今回わかった。

ウインナーはおいしいものだと思うけれど、ポトフはあくまで野菜が主役で、そして少しばかりの

塊り肉があればそれで十分おいしいだしが出ることもわかった。

今回のポトフを作ってわかったことは、高級なもの同士を組み合わせればいいというものでもない

ということ。

高級であればあるほど、その素材をそのまま生かす方法で食べた方が絶対においしい。

実際にインカのめざめも、一番おいしいと思った食べ方は、単に吹かしてそしてあとはバターと塩

で和えただけのものだった。

個人的にポトフの材料でマストなのはさつまいも。

あとは適当で大丈夫。

逆に入れるといまいちなのは、じゃがいも(←さつまいもの甘さに負けて味がぼける)、大根。

大根は、あの大根特有の青臭さが目立つ。

個人的にいまいちだったのは、れんこん。

れんこんはあの歯ごたえが好きだから、煮た食感があまり好きではない。

今日はごぼうも入れてみたけれど、これはおいしかった。

ごぼう特有のくせが良い具合にスープに溶け込んでいた。

この冬、もう一度位ポトフを作ってみたいと思う。

その時は、また調味料は塩だけで作る予定。

2016年2月6日土曜日

改名した人

最近仕事を通じて仲良くなった子からfacebookの申請が届いた。

久しぶりに「友達の数を増やす」目的ではない人からの申請ですごく嬉しかった。

何せ数ヶ月放置中のfacebook。

開いたついでに、わたしは自分が誰と繋がっているのかを確認してみた。

1人、「友達」になっている人で、全く身に覚えのない名前の人がいた。

名字も名前も知らない人。

わたし間違って登録でもしたのだろうか?と思い、その人のページを見てみた。

そうしたら知人であることが判明した。

例えば女性で結婚していて改名したとか、反対に知り合った時既に結婚していて旧姓を名乗って

いるというタイプの名字の違う人は何人かいる。

だけど、男性で本人の本名からは何一つ受け継がれるものがなく、全くの別人の名前になると

いうのは、これが芸能人だとか何かしら本人の安全を守るための理由でそうする以外は何とも

変な印象を受けてしまう。

その人とは別の人だけれども、数年前「名字」しか絶対に名乗らない男性に会ったことがある。

実際に本人にお会いして話を聞いた時に、私はなぜ名字しか名乗らないのか失礼でなければ

教えて欲しいと、純粋な興味で聞いた時があった。

今振り返ると若気の至りではないけれど、よく聞けたものだと思う。

相手の答えはこんな風だった。

「自分のビジネスの師匠にあたる人から、有名になればなるほど自分の身の安全を守るのが

とても難しくなる。

そうなる前に別の名前を用意しておいて、そちらでビジネスでは通す方が良いと言われたから、

だから自分は今のところ名字のみ名乗っている。

今後は人前で名乗る時も、もっと別の名前に変更しようと考えている」

ということだった。

わたしは呆気にとられた。

こんな言い方は失礼だけど、その人を見て話を聞いて

「この人は絶対に将来大物になる」

というエネルギーは一切感じられない人だった。

むしろ、あの手この手と手を変えるだけ変えて、でも本人の力は何一つ追いつかず表面的なこと

だけをひたすらよく見せるタイプの人にさえ感じた。

実力が伴ってから言っているのであればまだわかる。

でもそうではない。

そしてその方はセラピーだったかコンサルだったかそういう類いのことを生業にしようとしている

途中だったけれど、その後に出逢った本物の人たちはそんな名前がどうだとか職業名がどうだ

とかで勝負することもなく、ただひたすら自分の持っているものを純粋に惜しみなく出して、そして

ひたすら自分のことに従事しているタイプの人ばかりだった。

そんなことを思い出しながら、今日見つけた知人の名前の変更。

変更した名前はたしかにとてもきれいで整っている風な印象を与える。

本当にその名前が本名ならそれで違和感もなかったかもしれない。

だけど、当人の本名も知っていて、そしてその人の在り方も知っている以上、その名前と本人とが

全然マッチしない。

せっかく良いものを持っている人ゆえ、余計とその改名の名前の浮いた感じがしっくりこない。

本名の方はたしかに目立つ名前ではないし、印象に残る名前ではないのも本当。

だけど、その本名から取ったあだ名と本人の印象はものすごくマッチしていて、わたしはその

あだ名で呼ぶ時もそして呼ばれる本人の様子も何も違和感がなかったから、あれを大事にした

方が絶対にいいのにと余計なことまで思ってしまった。

多分本名は改名せず、通称だけを変更したのかなとは思う。

たった一度、子どもの名前を変更した方から話を聞いたことがある。

離婚とかではなく、そのお母さんにとってはものすごく納得のいかない理由での変更となり、

聞いてるわたしもその時ばかりはとても同情した。

その時の手続きで家庭裁判所まで行かなければいけないことを言っていて、名前を変えるって

すごく大変なんだと知った。

その方は家庭もあるから、そんな面倒な手続きを家族全員分してまで改名しているとはとても

思えないので(子どもはまだ未成年)、本当に表向きの改名だと思われる。

名前って生まれた瞬間、真っ先に与えられるものの1つだったりする。

名字はその家系にご縁があったということ、名前は少なくともその子どもに関わる大人たちが

考えて付けたもの。

もちろんどの子も平等に愛され家族の元に生まれるとは限らなくても、名前こそその本人の何か

大切なものを表すようにわたしは感じてならない。

わたしは子どもの頃、自分の名字がものすごく嫌でたまらなかった。

からかわれる名前ナンバー1と言っても過言ではない名前だった。

大真面目に佐藤や鈴木のような名前に憧れた。

だけど風向きが変わったのは大人になってから。

わたしは今の自分の名字のおかげで、色んな場面で救われている。

どんな職場に行っても、基本的にわたしはあまり「さん」付で呼ばれない。

その時々で名字をアレンジしたあだ名で呼ばれる。

もちろんみんながそんな風に呼ぶわけではなくても、そう呼ぶ人たちもたくさんいる。

仕事の上であだ名があると、これはわたしのものすごく勝手な解釈だけど、何か難しいことを

やりとりしなければいけない時もちょっとだけ場が和らぐ。

そしてプライベートでも仕事でも同じ呼ばれ方をするから、わたしもいちいちよそ行きの顔をせず

そのままで仕事ができるから楽チンだったりする。

最初の改名した知人のことに戻れば、その方がどういう理由で改名したかは知る由もない。

だけど名前は自分の感じ方ひとつで、同じ名前でも印象ががらりと変わるものだと思う。

あんなに嫌だと思っていた名前も今ではものすごく愛着がある。

50を過ぎてからの改名で、そこまで嫌だったなら仕方ないけれど、全然関係ない理由で簡単に

変えてしまっていたとしたら何だか残念な大人だなぁと思ってしまう。

2016年2月5日金曜日

対照的な気持ち

こんなことを1日の中で2回も(実際は知人の話含め3回)聞く日があることに驚いたけど、本当に

あるのだからある意味すごい。

2人の友達から全く別々に1人はかばんを紛失盗難に遭い、もう1人は海外で強盗に遭ったと連絡

があった。

前者をA、後者をBとして話す。

本人の過失度で言えば、Aの方がうんと高い。

単純に電車の中にかばんを忘れたらしい。

そこにはありとあらゆる貴重品が入っていたから、本人の困り方も半端ではなかっただろう。

Bの方は滞在先のホテルの前で身ぐるみはがされたように盗られてしまったらしい。

こうして文章にすると、Bがものすごく大変だったことがわかる。

だけどわたしは、状況的なものは圧倒的にBの方が大変にも関わらず、Bには怒りまで湧き、

Aには自ら本当に大変ならわたしにできることがあればすると連絡した。

Bにももちろんできることはすると伝えたけど、わたしが頼まれたことはわたしの予想をはるかに

超える金額の海外送金だった。

申し訳ないけどそれはできないと伝えて断った。

もしその指定された金額を持っていたとしたら、わたしは出したかどうかわからない。

金額ではなく、もちろんお金の貸し借りがどうこうというのでもなく、もっと個人的な感情の中で

わたしがしっくりきていない部分があるから出さないと決断するような気がする。

ちなみにAがなぜそんな個人的なことを伝えてきたのかと言えば、元々今日の夜会う約束を

していた。

それがそういう事情で今、仕事の合間に諸々の手続きに奔走している状態で、今日の夜は当然

飲んだくれているわけにもいかず、それで事情を伝えてキャンセルとなった。

Aは一言も助けてとも何とかしてとも言わず、淡々と自分のやるべきことをこなしている風だった。

だからAには逆にわたしの方から、何かできることがあればするということを具体的にできることの

例も挙げて伝えた。

何もできないし何もすることはないけれど、Aには心から早く解決に向かうといいねと思っている。

片やBの方はそうもいかなかった。

まず最初にわたしは、いたずらメールがBのメールアドレスを通じてやってきたのかと思った。

幸か不幸か、わたしはそこに書かれている英文をすべて解読できてしまった。

海外にいて日本語の打てないパソコンから送信しているのだから(とも書いてあった)、それは

それで仕方ない。

最初の感想は、本人が書いたが50%、何かに乗っ取られてのメールが50%だと思った。

英語も基本的に日本語と同じで、わたし個人向けに書かれたメールや文章かそうでないかは

読んでいたら伝わってくる。

大量に出すための一斉メールであれば、英語でもそのにおいはぷんぷんとする。

でも今回は、自分の私情を挟んでいることもあってか、よくわからなかった。

これがわたし宛のものなのか、そうでないのか、もしくはそのような文章を1つ書いてあとはそれに

対して反応してくれる人を待つために書いているのか…。

だから大変失礼ながら、わたしは友人の心配よりもこのメールが本人が書いたかどうかが最初に

気になってしまうという風だった。

だからとりあえず短い英語と日本語の文章で返信した。

本当にトラブルに巻き込まれているのであれば、○○円までなら送金すると具体的な金額まで

挙げて返信した。

そうしたら本当に返信が来て、そしてわたしが提示した金額を大幅に上回る額と送付先の海外の

銀行名と具体的な送金した際に発生する手続きの最後の部分だけ書かれてきた。

金額ももちろんだけれど、そもそもわたしは海外に送金したことがなく、当然そうなると海外に送金

するための銀行口座なども持ち合わせておらず、今の時代はわからないけれど、わたしが海外に

いた時は必ず海外に送金するための特定の銀行が必要だった。

その特定の銀行にまずは入金して、そこから次は海外のわたしの銀行口座に入金するという

手続きを取っていた。

その役割は家族が毎回担ってくれていたから、実はわたしの方が海外送金に関してはずぶの

素人だったりする。

もちろん何が必要かを簡潔に伝えてもらうことは必要だったりする。

だけど、何て言うのだろう、そこに自分側だけの都合が述べられていて、それにも腹が立った。

大変な状況の時に相手の都合まで考えろというのは無茶だと思う。

だけど、話の流れで、例えばすべてわたしが海外送金のための手段を持ち合わせている体で、

そしてわたしの都合などお構いなしな感じの表現と、わたしははっきりといくらなら送金できると

書いたにも関わらずそこはスルーでわたしからしたらとんでもない額をさらりと提示…。

何かがいちいち神経に触って、わたしはとてもではないけれど冷静にそのメールを読むことが

できなかった。

少し時間を置いて考えてみると、多分わたしの神経が逆撫でされたところというのは、おそらく

普段の関係性なんだと思う。

普段お互いにやりとりしていたり、不精なわたしはその普段さえも1年に1回や数年に1回になる

可能性も大だけど、それまでの積み重ねたものがベースになる。

Bの場合、その関係の中で大きくわたしを怒らせた過去がある。

怒ったのはわたしが勝手に怒ったことではあるけれど、わたしからしてみたらそれってどうなの?

と思うことがいくつか度重なった。

だから互いに距離を置き、もう2年から3年はやりとりをしていないと思う。

最後に連絡をもらった時も、わたしは非常に変な感じで終わったことは覚えている。

何て言うのだろう、これってある程度見知った人にかける言葉だろうか?と思ったこと。

言葉の内容は忘れたけれど、こんな言葉なら黙って何も言われない方がうんとましだと思ったこと

それは覚えている。

そんな最後の終わり方以来の昨日のお願いだった。


2016年2月2日火曜日

贈り物についての考察

『贈り物についての考察』なんていうタイトルを付けている時点で卑しい感じがしてしまう。

だけど本音だから仕方ない。

事の発端は今日の仕事帰りのこと。

今の職場は徒歩圏内に「百貨店」と呼ばれる建物がいくつかある。

デパ地下もある。

徒歩圏内にあるからと言って、そうそう足を運ぶ場所ではないけれど必要であれば行く。

今日は同僚の人とついでに行こうとなって行ってきた。

彼女とわたしの目当てのものは、今月末に辞める際に配る菓子折りだ。

菓子折りである必要はないけれど、これまで退職した方たちも皆きちんとした菓子折り系の菓子を

用意していた。

わたしたちは2人だから金額も2等分できるけれど、1人で用意する人たちはなんと60~70人分

の菓子を1人で用意する。

どれだけふざけているのかと思われるの覚悟で言うと、正直スーパーで売ってる菓子でも買って

配って歩きたいとさえ思っている。

会社の慣習で配るだけで、こんなにも用意するのがためらわれる贈り物もそうそうない。

自分を良く見せるための言い訳とは違うけど、これまで数々の職場を渡り歩いたわたしは、お世話

になった方たちには、とにかく色んなものを贈ってきた。

高額な方になると、数千円の花束を用意して家まで届けた方もいる。

そこまでしてやったという意味ではなく、それをしたくなってしまう程、本当によく面倒を見てもらい

至る所でフォローされ、そしてわたしのどんな愚痴も至らなさも受け入れて常にサポートして

もらったから、もう花束では足りない位の恩をたくさん受けていた。

せめてもの恩返しでの花束だったし、他の品物だったりする。

ブラック企業と呼ばれるところで働いた時も、最後はお世話になった方数名には個人的にお礼の

品を渡した。

それらを選ぶ時間も楽しかったし、そして一言手紙を添える時も真剣に考えて書いたものだった。

そう、いつも仕事でお世話になった方たちへ何かを贈る時は、そこに自分の気持ちもこもっていて

自らの意志で贈り物を用意していたのだった。

ところが今回はだいぶ勝手が違う。

正直、なぜ人数分の形だけのお菓子が必要で、ましてや名前すらわからない人もたくさんいて、

そこにどんな意味があって贈るのだろうと思ってしまう。

はっきり言って、お金さえもったいないと思っている。

これまでも共同で用意したり、多人数分を一気に用意したりしたことはある。

だけど一度たりとも今回のような気持ちで贈り物を贈ったことはない。

少なくとも「お世話になった」せめてもの心付けのようなつもりで用意していた。

だから贈り物の品物候補で色々考えを巡らすことはあっても、なぜ贈り物を用意しなければ

いけないのかなんていう、とんでもなく低レベルなことを考えてしまうことはなかった。

まさかそんな気持ちで何かを贈るなんて、人生で体験するとは思ってもみなかった。

自分でも腑に落ちていない今回の贈り物だけど、もうそれは最後の大仕事と思って突破するしか

ないと思っている。

ちなみにもっともっとしたくないことは、最後のご挨拶だ。

それこそ何とか辞退できないものかと真剣に願っている。