2013年12月27日金曜日

6人目のポジション

ガラケーと呼ばれる携帯。
スマホは知らないけど、ガラケーは同じメールを一度に5人までしか送れない。


今回わたし含めて7人でやりとりしていた時のこと。


自分が発信者になったとしても、
一度に5人しか送れないわけだから
1人必ずあふれてしまう。


発信者から見たときの6人目のポジションというのがある。



今回、発信側になって6人目の人物をわたしが選び出すことも
反対にわたしが6人目の人物として選ばれることも
両方体験した。



今回のメールのやりとりが面白かったのは、
「あ!ぶっしーにだけ伝わっていなかった!」
と普通にメールをくれる子もいれば、


なにもなくしれ~っとしてる子もいれば、


ちょっとした気遣いで個人的にメールをくれる子もいれば、


とにかくみんなわが道スタイルでメールをやりとりしてるのがとっても心地良かった。


仮にわたしに内容が伝わってなくてもぜ~んぜん気にならなかったし、
みんなちぐはぐにその時の状況に合わせてメールをやりとりしてるのが、
なんとなく伝わってきたから、
6人目になることでわたしは知らなくても、気にならずに済んだ。


高校入学してからの付き合いだから、もうかれこれ20年になろうとしている。


わたしは集団行動もグループを成すこともとても苦手だけれど、
いい意味での自分勝手や自分のペースを持ってる人たちと付き合うのは大好きだ。


本来連絡するべきことを後回しにして、
このブログを先に書きあげてると後でみんなが知っても誰も怒らないだろう。


もしくは、「なんで先に連絡よこさないの?」
とはっきりと言ってくれるだろう・・・と何の疑いもなく信じているから
ほんと、わたしも自由気ままに自分のペースで動いてる。



話は変わって数日前のこと。


ある朝。
わたしはふたりの友達と同じ空間で朝を迎えた。


ひとりは、普段の生活から解放されてのんびりと朝を迎えていた。
まだ寝足りない様子でふとんの中にくるまっていた。


その空間の家主は、朝早くから人生の修羅場を約1時間後に迎えることが決定し、
家事をこなしながらも、もう心はすでに1時間先の未来に飛んでいた。
いかにその修羅場を乗り切るかの作戦会議で頭の中はいっぱいだっただろう。


わたしは、めちゃくちゃ楽しい時間から一気に現実に引き戻され、
行きたくもない仕事へ行く準備を整えていた。


三人三様の朝だった。


ふたりにじゃあねと告げてただ去ると思っていた。


まじめにそのつもりだった。


そうしたら、なんとふとんにくるまっていた友達が
温かいふとんから抜け出し、わたしを玄関まで見送った。


頭は寝癖でぼさぼさ。
前日のお酒はまだ体内に残っているのか全体的にけだるさ発信。
目は半開きまでひどくなくても4分の3開きといった風。


たった一瞬のできごとではあったけど、
その友達の見送りがとにかくめちゃくちゃうれしくて感動した。


自分の家でもないのに、
まるで自分の家かのように、
とても自然にわたしを見送っていた。


じゃあね~くらいの簡単なあいさつ位しか交わさなかったと思う。


でも言葉がなくても、言葉以上のなにかをわたしはその場で確実に感じ取っていたし、
その日もその後もわたしはその時の風景を何度も何度も反芻している。


反芻しては、なんともいえないしあわせな気分に浸る。


最初に書いた6人目のポジションも、
今さっき書いた朝の見送りも、
どちらも真髄の部分は同じものが流れていると思う。


「おもいやり」なんていう言葉、なんともうそっぽいと思ってしまうけど、
わたしは自分の周りの人たちのそういう自然の行動を見て
「おもいやり」だなぁ・・・と思ってしまう。

2013年12月24日火曜日

ひとりクリスマスイブ 

2013年12月24日。

名古屋は風が強いものの晴れ。

朝起きてから、18個のリストを作成。
今日することをすべて列挙。

上から順に

・レシート整理
・計算
・ゴミ出し
・シャワー
・トイレ掃除
・洗濯
・豪華朝食ブランチ
・掃除
・保険料支払い
・保険証手続き
・奨学金支払い
・家賃支払い
・くじ引き
・洗剤購入
・アソシア(でケーキセットを頼む)
・デパ地下(で夕食の食材ゲット)
・ノート書き
・バスTEL(正月の新潟帰省の電話)


上に書いたことはすべて完了。
それ以外にも、コーヒーブレークや、読書、日記書き、夕食の準備、そして今のブログアップが追加される。


冬の青空見上げて、この1年を思い返した時。

「ほんとうに良くやった!」
と自画自賛。


生活保護どころか、多分ホームレスの人並みにお金がなかった数ヶ月がある。


そこから生活再建できただけでも、
たとえ今好きでもない興味もない仕事をしていても、
普通に生活できているだけで「奇跡」だと感じる。


今日は、この1年をたたえて、思いっきり自分のためだけに過ごしてみよう!と決めた。


名古屋で多分ナンバー1と思われるホテルのラウンジでケーキセットを頼んだ時のこと。
(そこのケーキセット、味と雰囲気含めて、お得だと思います、ちなみに1300円)


ドミニカ共和国の数々の海、
カリブ海も大西洋も旅した、
祖母が亡くなって寒い日本の地も、
太平洋の空の上から自分と同じ高さにオリオン座を見た時も、
名古屋のモーニングも、
愛用そろそろ5年目の木のテーブルの上でも、
色んな時をわたしと共に旅した日記帳を携えて
ホテルのラウンジで苺たっぷりのショートケーキをほおばっていた時のこと。


2013年に書いた日記をすべて読み返していた。


「(お父さんから)電話がきた。
涙が出るばかりで電話に出なかった。
いつまでもいつまでもブーブーと鳴っていた。
切れてから見てみたら96秒と出ていた。
子どもの為だったら親はどんなこともするんだと思ったら余計と涙が出た。
もう胸がつまって何も言葉は出てこない。」


「」に書いたことは、ある春の日の場面だ。。。


ホテルのラウンジだということさえもどうでもよくなって、
というか、そんなこと気にする余裕がないくらいに、
わたしはそれを読んで泣いた。


もう何ヶ月も経っているのに、ぼろぼろと泣いた。


当時もかなりぼろぼろと泣いていたけれど、
今も泣けてしまうくらい、色んな想いがうんと詰まった場面を思い出した。


今日のクリスマスイブの日。
別に休みを申請したわけでもないのに、休みになった。


ひとりで過ごすとと~っても寂しくなるのか、確かめてみようと思った。


寂しくなる暇もなく、日常のやることをひとつひとつこなし、
そしてデートの人たちが溢れかえっていそうな場所に2つほど行ってみたけれど、
くじ引きの場所は中高年ばかりだし、
ホテルのラウンジさえ、おひとりさまの女性やらビジネスマンでごった返していた。


もちろん、道行く人たちの中にはデートを楽しんでるカップルもいれば、
多分クリスマスプレゼントを買うために彼女に同行して、
彼女は自分の好みの服を見て回っているけれど、
彼は彼女が気に入った服の値札ばかりを彼女が去った後でチェックしていて
クリスマスというより、日常のやりとりが目に見えるようだった。
「うん、それもいいね~」
と言いながら、彼女が次の服を物色する間に値札をチェックしている姿は
人間らしくて笑えた。


家に戻ってから、豪華なクリスマスディナーを演出した。
メインは、友達がくれたスペイン産の赤ワイン。


2割引で買った近所のスーパーのチキンは、
ケンタッキーよりおいしい♪と感じた位のうまさ&安さだった。
明日も売ってるなら、買って食べたいくらいのうまさ。


ワインを飲みながら、ワインの贈り主にお礼のメールを送った。
新年会の相談や今年一年のお礼をお互いにやりとりした。


だらだら書き綴ったけど、
とにかく、と~っても満たされたひとりクリスマスイブだった。


その満たされ方も、
365日の中でトップ5に入る位の満たされ方だった。


あまりにも満たされたわたしは、
今日2回目の日記を日記帳に記した。

2013年12月17日火曜日

夢ではない夢の時間

きのうのこと。
ある友達に会ってきた。


この人との出逢いは不思議だ。
わたしはその人を、自分がとっても信頼している人から
「こんな人がいるよ~」
と教えてもらったのが最初。
会ったこともない、当然名前も顔も知らない、
だけど人柄や生き様は知ってると言う
「森山直太朗知ってます」と同じレベル、
実際はそれ以下の情報しか握っていない人だった。


ある時。
わたしはその人とコーチング系の勉強会で席が隣りになった。
その時すらもその人がそのうわさの人物だとは知らなかった。
とにかく、頭のきれる人だと思った。


後日、別の人から、隣りに座っていた人が、そのうわさの人物と同一人物だと初めて知らされた。
その人にお願いして、なんとか時間を作って会って欲しいとお願いしたのが
多分去年の秋くらいだったと思う。


しばらく色んなことから距離を置いていたけれど、
また様々なことが重なって、この間数ヶ月ぶりにたくさんの人がいる会場で会った。
今度またお茶しよう!となって、会ってきたのが昨日。


昨日の3時間くらいの時間は、まさに夢のような、でも夢ではない時間だった。



わたしはそこでひとつ決心をする。


ずっとずっとやろうと思っていたことがあった。


実際は、もうすでにやり始めていることだった。


だけど、ああでもない、こうでもないと自分に言い訳して
やることから回避していた。


やることと言うより、それを誰かに伝えるのをずっとためらっていた。


正直、やってどうなるんだ?と思っていたし、
一体ぜんたい、わたしのやってることは何なんだろう…?
といつも答えの出ない質問を前に動き出すことから逃げまくっていたし、
言い訳だらけ、逃げ道だらけだった。


深層心理で「この人ならわかってくれるかもしれない」と思ってわたしは話をしたのかはわからない。
気付くと、とても自然に
「実はね…」
と前々から構想としてあったものの話をした。


それはこのブログとはまた別の「書くこと」。


その内容は、わたし自身が生み出した表現ではない。
だけど、すれ違いの見知らぬ人たちや、知ってる大切な人たちが
発した言葉とそれにまつわるエピソードを形にしたいという、
とりあえず聞いたもの見たもの、
わたしの五感すべてもしくは六感も使って感じているすべてを表現するものだった。


そのアイディアを得たきっかけや、
今年の夏、ほんとうに「これだ!これをかたちにしたい!」と思った、
ある見知らぬ親子の会話を話した。
時間にしたら1分にも満たなかったと思う。


「ぶっしー、それやろうよ!」

というようなことを言ってくれてたと思う。


細かな内容はほとんど聞かず、
わたしの簡単な説明だけ聞いて
「やろう!」
ほんとうに、その言葉だけだった。


具体的に動くステップも、とってもわかりやすく提示してくれた。


「えっ!?それだけでいいの?」
とわたしはすぐさまに聞いた。
まじめに、そんなにも簡単でかつ確実にわたしが無理なくやれる動きで、
そのシンプルさに心底驚いた。


「そんなもんだと思うよ」
と、驚いてばかりいるわたしに、相手はさらりと答えた。

  
「ねぇ、ぶっしー。
今だったら、やっても失うものないじゃん!
やることで新たな可能性が生まれることはあっても、
やることで何かを失うって絶対ないじゃん!」


と続けて言ってくれた。


ほんとうにその通りだった。


今のわたしは、特に今回のように自分の頭の中にあるものを「見えるかたち」にするのにお金はいらない(注)。


やったことで、それが何にもならなくても、
やるだけでわたしの中に後悔は100%ない。


そして、
「『わたしは○○です』と宣言した瞬間に、もうそうなるんだよ」
と、とても優しく諭された。
友達は、わたしにある称号を与えてくれた。
その称号は、友達いわくわたしのやってることそのものだと断言してくれた。
なんとも心強かった。




今年1年、とにかく悩んだ。
進む方向性も見えず。
どうしたいのかもわからず。
もう失敗も痛みもこりごりだと思った。
しばらくは派遣に逃げ込んで、なんとか生活を立て直すところから始めよう…
何かを始めるまで、まだまだうんと心の準備がいると思っていた。
先の見えないトンネルを前に、一生このままだったらどうしよう…と焦りも不安もいつも隣り合わせだった。
何かを始めるだなんて、まだまだうんと先だと勝手に決めていた。


昨日も、
そんな展開になるとはつゆ知らず、
のんきに地下鉄に乗って出かけ、
遅刻魔で有名の友達が本当に時間を守って集合場所に現れたことに驚き、
今の時間ならモーニングできる!ラッキー♪
位な感じでコメダに入った。


当たり前だけど、動くのは自分。
何かを変えられるのも自分。


だけど、わたしの場合は、大きなプッシュが必要だった。
軽く背中を押してもらう感じではなく、
具体的なステップはライトな感じでも、
動くには大きな後押しが必要だった。


まさか昨日のような形でそのプッシュがもたらされるとは、ゆめゆめ思わなかった。


そう、昨日はまさに、夢ではない夢のような時間だった。




一夜明けて、空が明るくなり出した頃。
わたしは早速、昨日話していたことを行動に移した。


それはとても自然に、まるで朝ごはんを作るかのように、その作業に没頭した。


友達にそのデータを送ってから、今日は仕事に行った。


わたし、できるんだ、
と自画自賛ではないけれど、
無理なく動けた自分に感動した。


近日中、これからしばらく取りかかるぶっしープロジェクト発表予定☆


(注)始めるのにお金が0円なのは、ほんとうにほんと。
それはまるっきしウソがない。
ただ、ひとつだけ、そこには上には書いてないことが含まれている。
わたしが今回形にするのに、友達がひとつ全面的な協力をしてくれる。
友達もプロだから、本来ならそのサービスに対してお金が発生するもの。

今回、「出世払い」という、大真面目に、そういう名のもとで絶大なる協力を得ています。

2013年12月16日月曜日

夜布団の中で書いたこと

しばらくブログから離れている。
書きたいことはあって、何回かパソコンを立ち上げて書き出してみたけれど、
いざ文章にしようとすると手が留まる。
思考が止まる。
一体何を「文章」として残しておきたいのか、
その根底を考えているうちに、気付くと別の何かを体が始めてしまっている。


体も心もいっぱいいっぱいになりだしていた10月の終わり。
とにかく何かしら非日常の味を生活に取り入れたくなった。
体が新しいことに慣れることに必死で、
非日常の具体的計画も思い浮かばず、
ただひたすら「何かいつもと違うことをしたい・・・」
そればかりを願っていたように思う。


その矢先、2つほど、1泊2日の小さな旅の計画がもたらされた。
お金・時間・体力の三拍子を揃える自信、確信があった。
若干、無理を強いる気もしたけど、
もう2つとも二度とはない計画な気もして、
二人の発案者にそれぞれ「行く」と返事した。


その2つの旅のことを本当は書きたい。
とにかく書きたい。
それを書くために何度もパソコンを立ち上げた。
言い訳じみているけれど、
2つとも感動がでかすぎて、言葉にしようとすると、
「言葉に表そうとする」ことにエネルギーが流れて、
結局言葉が思い浮かばない。



例えば、いくつもの偶然が重なりまくって、
たまたまガイド付きで登った熊野古道の頂上付近で
妊娠中の友達とその家族と私で
「安産祈願のお地蔵様」に祈りをささげるとか。


ちなみに友達家族との旅行は計画したものではなくて、
色んなことが重なった結果、なりゆきでそうなっただけだった。
しかも、ガイドの人以外、頂上に安産祈願のお地蔵様がいるなんて知らなかったし、
妊娠中の友達は当日まで同行するかどうかは体調を見てからの判断だった。

もうそこにみんなで行くしかないようになっていたとしか思えない出来事だった。



例えば、何も事情を知らないわたしが
友達の最寄り駅で、話をやめてしまうのが惜しくて惜しくてたまらなかった時、
改札前で立ち話もなんだから、あともう1軒だけどこかに入ろう!
あ、あそこにマックがあるじゃん、あそこはどう?
と提案して、そこにわたしたち3人+小さな娘ちゃんで入るんだけど、
実はそのマクドナルドこそ、そのうちの1人の人生を大きく変えた
ある日の人生の1ページに深く関わっていたとは。


そして、そこで聞いた話、と言うよりも、
その話をしていた彼女の姿、
話を聞いてるわたしともう一人、
ベビーカーの中ですやすや眠る娘ちゃん、
その4人がひとつの空間にすっぽりとおさまって
言葉にはできない雰囲気に包まれていたこととか。


これらの小さなエピソードは、それぞれの旅の断片でしかないけれど、
そんなことが山ほどあった。
もう、とにかく盛りだくさんすぎて、
ここ数ヶ月で読んだ作家さんたちの旅のエッセイの中で
「全部書いていたら1冊の本ができてしまう」
というようなことを書いていた心情が、
わたしもなるほどわかってしまう。


上の文章。
数日前の夜、もう書き出さないと悶々としてしまって、
夜布団の中でノートにダダダッと書き綴った内容。

派遣の窓から見える世界

10月の第2週から行き出した仕事。
何一つ自分のこれからを決められず、「これ!」と言ってやりたい!ということもなく。
かと言って、働かず0円生活なんてできるわけもなく。
派遣会社を数社回って、ようやく自分の条件と8、9割合致したのが今の仕事だった。


会社自体の業種で言えば、これまで一度も足を踏み入れたことのない分野だった。


今も変わらず、興味も湧かない、多分一生湧かないようなところに身を置いて
早10週間が経過した。



話は変わるが、
大型書店に行くと、あの高さは2メートル以上あって、それが両脇に何メートルも立ちはだかり、その巨大な本棚には溢れんばかりのビジネス書…
という光景がいつも不思議は不思議だった。


しかもそれが1列だけではない。
何列かビジネス書が続く。


あんなにたくさんの情報をどうするのだろうかと思っていた。


今の職場に行って、あれらのビジネス書が必要なんだろうと妙に納得してしまった。


どういうことかというと、
感情や個人の独創性なんかをもろに出していては仕事にならない。


ものすごく個人的な感想になってしまうけど、
数十年、もしくは一世紀以上読み継がれているビジネス書はさておき、
来年には本棚には並ばなそうな本たちは、
往々にして「how to本」の類いになってる。


全部が全部、how to本ではないにしても、
大半は、ビジネスのある特定の分野の特定のピンポイントにおけるhow to攻略のようになっている。


そこに感情だとか個人の独創性なんかをわんさか盛り込んだら
そしてそれを推奨したりなんかしたら
多分、日本の経済界は回らない。


how toは、どこか没個性を推進させるにおいがする。


当たり前だけど、
人間で、感情があって、おのおの思うことがあって…
そんなの当たり前だとこれまで思っていたし今も思っているけれど、
それらを押し殺さないと仕事にならない仕事がこの世にあるとは
今の仕事を始めるまで想像だにしていなかった。


職場の中をよく観察していると、
ひとりひとり個性があるし、
多分それぞれ感じてることや思ってることがあるだろうことも伝わってくる。


だけど、そういうことよりも
会社が定めた規定やマニュアルが最優先される。
その最優先されたものに、人間が合わせるしかない事態に陥っている。


規定やマニュアルももちろん誰か人間が作成したものではあるけれど、
それは売上とか効率とかを最重要視して作られたものに他ならないだろうという気がする。
人間が人間として備わっている「喜怒哀楽」をどこか隠してする仕事、
機械のように無機質になることを推奨しているかのような雰囲気、
わたしはいつまでそこに違和感を感じ続けられるのだろうかと自分が心配になる。


11年、12年の社会人生活を振り返る。
どんな仕事をしていても、基本的にわたしは感情をもろに剥き出し、
もちろん猫をかぶったり営業用の笑顔も声も作る場面だって多少あったけど、
それでもずっと自分をある程度丸出しにしてたんだなぁと思う。


だから、そうではない環境に今身を置いて違和感を覚える。



2013年11月30日土曜日

ざわざわ感もやもや感から得たもの

前回の『心がざわざわしてる時わたしはどうしてる?』
を書いていて、いくつか思ったことがあったからそれも覚書として残す。


世の中には、たくさんの気持ちや感情のコントロール方法、
気分転換の方法、停滞気味の状態から抜け出す方法・・・
有名無名問わず、色んな人が色んな方法を紹介している。


まさにhow to本やプログラムが巷に溢れかえっている。


わたしが実際に自分が本当に滅入っている時に取っている方法


1、寝る
2、その時食べたいものを食べる
3、ひたすらノートに感じてることを書き綴る
4、家事をする(炊事・料理など)
5、散歩する
6、意識してコーヒーを淹れる(注:インスタントです)
7、風呂に入る
8、自然のものに触れる
ただいまパソコン不調でDVDも見れないけど、DVDが見れた時は
9、映画を見る


それらは、はたから見たら「え~、そんな方法!?」と思われるかもしれないけれど、
わたしは自分の滅入っている時を振り返ると
それができるだけすごいことだと本気で思ってる。


あのざわざわする感じや、もやもやする感じ、
心もとない感じ、
どれもはっきり言って好きな感覚じゃない。

できれば、そんな感覚ない方がありがたいと思ってる自分もいる。


ただ、そういう感覚が出てきてしまう以上は、
そういうものとうまく付き合う方法を自分なりに編み出していきたいとはよく思う。


そして、その方法に求めるわたしなりの基準があって

1、簡単なこと
2、すぐにできること
3、日常生活と並行してできそうなこと
4、ひとりでできること
この4つは外せない。


心の状態がよくない時に、
1、難しかったり
2、実行するために色々用意が必要だったり
3、非日常の何かを生み出す必要があったり
4、他人の協力が必要だったり

それでは余計に疲弊してしまうから、
だから上の4つは大事な基準。


コーチングやNLP、各種セラピー、
色々受けたり見聞きしたりしたけれど、
それらはある種条件が整わないと成り立たないことだと気付いた。


そして、意外にも、ざわざわやもやもやは一人でいる時に起こる確率が非常に高い。


そんな時に、いくら専門的な手法を知っていて使える技量があっても、
それを自分のために使う元気がそもそもないから
変な話、無いも同然になっている。


わたしが、そういう意味で唯一専門的に学んで良かったと思うことは、
自分の見たくない感情や気持ちを自分一人でも安全に見る方法だと思う。





心がざわざわしてる時わたしはどうしてる?

「心の声を聞こうとしてざわざわがとれない時ってどうしてる?」

と友達に聞かれた。
正しくは、友達が聞きたかった時わたしは自分の娯楽に走っていてメールも電話も気付かず、
翌日、どうしたのか聞いたら、それを聞きたかった・・・ということが判明(汗)。


でも、せっかくの機会だから、
わたしの心がざわざわしてる時実際にどうしているのかを書こうと思う。


ひとつひとつは後から説明するとして、
最初にぱっと思い付いたこと。


1、寝る
2、その時食べたいものを食べる
3、ひたすらノートに感じてることを書き綴る
4、家事をする(炊事・料理など)
5、散歩する
6、意識してコーヒーを淹れる(注:インスタントです)
7、風呂に入る
8、自然のものに触れる
ただいまパソコン不調でDVDも見れないけど、DVDが見れた時は
9、映画を見る


コーチングもNLP(「神経言語プログラム」と呼ばれる心理系の手法)も学んだし、
元々福祉上がりだけあって諸々の心理系の勉強もしたし、
スピリチュアル系も好き好んで色々独学で勉強したけれど、
でも、わたしが自信を持って人様におすすめできる方法は上の9つ。


後から(エネルギー余ってたら)、逆にそういう専門的なことがそういうとき
なぜ役に立たせることができなかったかも、わたしは是非書きたいと思ってる。



1、寝る


これは本当に一番の特効薬だと個人的には思っている。
体を横たえてしばし眠りの世界へ。

あわよくば、夢の中で何かヒントを得てから目覚めるけど、
だいたい心のエネルギーが枯渇している時は、
あまり夢に期待しても仕方ない場合が多い。

でも、夢を見た見ないに関わらず、
なぜか眠った後は少しすっきりしている。

もう終わったことは仕方ないと思うのか、
さっきよりなんだかちょびっとだけ楽かも・・・
起きるとそういう感覚が出てくる。


上の9個全部に共通して言えることは、
強烈にざわざわもやもやしている時と比べて、
寝るなりなんなりをした後に
「楽になったかも・・・」
ということに気付くことはとてつもなく大きい。


べつにすんごく楽にならなくていい。
でも、1ミリでも1グラムでも、体が心が楽になれたのなら、
それに気付けると後の回復が良い気がする。



2、その時食べたいものを食べる


これもハードルが低い上に、すぐに実行できて良い。

わたしは、体でも心でも何か追い詰められると
大学の頃からなぜかジャンクフードが食べたくなる傾向が強いけど、
もう体が欲している時は、逆らうよりそれに従った方が早い。


それがやけ食い的になっても、
体に悪そうな感じでも、
そんなことは二の次、
まずは自分のあるがまま欲求に従っている。


ドミニカに住んでいた頃、
それまでまったくビールが好きでなかったわたしは、ビールの味を覚えた。


それ以来、朝から、又は昼からビールという日もある。


普段あまり口にしない、甘いものの時もある。


とにかく、なんとなくぱっと思い付いたものを口にする。
自分のために用意する。
それが、不思議と心を落ち着かせる材料になるのだから、面白い。


今書いていて気付いた。


そう、「自分のために用意する」
という行為そのものが
「自分をいたわる」ことに繋がって、徐々に心がほぐれていくのかもしれない。



3、ひたすらノートに感じてることを書き綴る


これは、ある程度余力がある時の手段。


本当に滅入っている時は、
ノートや筆記用具を用意することすら億劫になるから・・・・


とにかく、感じたままを書く。


具体的な出来事や人物がざわつきの原因のときは、
誰も見ないことをいいことに、言いたい放題書いている。
だただた書く。


書き続けると、不思議な感覚が生まれてくる。
嘔吐したくても吐けずにずっと気持ち悪い感じが残るよりも、
吐いて楽になる、
あの感じに似たものが出てくる。


色々思っていたことや感じていたことが溜まり出すと、
そしてそれを何らかの形で吐き出さないと、
気付くと体か心が不調を訴えてくる。


だから、とりあえず、出す。


内容はどうでもいいから、出す。


出した分は、程度の差こそあれ、楽にはなる。



4、家事をする(炊事・料理・掃除など)


わたしは、個人的に「家事セラピー」と呼んでいる。


体を動かすことが元来嫌いなわたしだけど、
家事だけはなぜかそんなに嫌じゃない。


以前はとっても嫌だったけど、
今は嫌じゃないばかりか、楽しんでやってることも多々ある。


スポーツ系が好きな人は、自分の好きなスポーツに置き替えてもいいと思う。


家事の良いところは、


☆やったらやった分、目に見える形で成果が表れる

☆いくら考え事をしていても、手や体を動かしているうちに、なんとなくざわざわ感やもやもや感が解消される


細かい心理の分析はわからないけど、
とにかく、家事というのはびっくりするくらいに心を清めてくれる効果があると個人的に思ってる。



5、散歩する

近所をぷらぷらする。

庭とも呼べない狭い場所に植えられた樹木や花を見たり、
人の家の風貌を眺めたり、
散歩している犬の歩き方を見たり、
空を見上げたり、
お目当ての食べ物を買いに行くでもいい。


歩いているうちに、すっとしたりする。


家に戻ってどんよりする場合もある。


だけど、散歩している時、少しでも気分転換できたらいいかな~と思う。


その場しのぎの方法だけど、その場しのぎできるだけでもOK!と思ってる。



6、意識してコーヒーを淹れる(注:インスタントです)


ある時、離れて暮らす友達とまったく同じ時期によしもとばななの同じ本を読んでいたことがあった。


その友達がくれた、よしもとばななの本の感想が次のようにあった。


「『私って、ただ毎日起きて仕事行って家に帰ってご飯食べてお風呂に入って寝て、
それ繰り返すだけの人生なのかなー』って思ってた。

でも、死ぬとできなくなると言われると、

起きて→コーヒー飲むためにお湯わかして→顔洗って→テレビで天気見て・・・
てゆう、まさに順番通りのつまらない雑事が、
ちょっとだけ『生きてる間にしかできない体験』みたいに感じられる

毎日やってると飽き飽きするけど、
でも『心に思ったとたん目の前にコーヒーが現れる』
んではなくて、
いちいちカップ出してお湯沸かして豆選んで・・・
みたいな動きをいちいちいちいちやっていくのが人生。
って、別に悪くないのかもしれないなぁ」


その友達の感想を読んでから、わたしの中でも「コーヒーを淹れる」ことが特別になった。


どんなに煩わしくても、
生きているときにしか、体験できないことなのかもしれない・・・
そう本当に思えるようになってから、コーヒーを淹れることが特別になって、
そして心のざわつきももやっと感も「これも今しか感じられないかもしれない」
などと思うようになった。


7、風呂に入る

お風呂は、本当に体の血流を良くしたり、
体の緊張をほぐしてくれたり、
もうそのままの効果があると感じる。


そして、本当にゆるむと、なぜかずっとこわばっていたものがほどけて、
泣けたりする。


ずっとずっとどこにも持って行けなかった感情が溢れる。


あと、個人的に好きなのは、
お風呂場を真っ暗にして、キャンドルを灯すこと。


火がゆらゆらと動くさまに心は奪われるし、
そのゆらめきと一緒に、色んなことを一瞬忘れたりする。


「あ、今わたし色んなこと忘れてた・・・・」
と我に帰った時、ちょっぴりうれしくなる。



8、自然のものに触れる


今家で3つの観葉植物を育てている。

毎日違う表情を見せる空を見上げたり、

桜、新緑、朝顔、イチョウ、ハダカになった樹木・・・

道端に生えている雑草やその花たち

そんなものを見ているだけで、わたしの心は洗われる。


風を肌で感じる、

鳥のさえずりを耳にする、

植物特有のにおいをかぐ、

そういうものも心を整えてくれることに貢献してくれる。


色んな人が癒しの方法で「自然に触れる」ことを紹介しているけど、
これはわたしも本当に本当だと思う。



9、映画を見る


これは、自分の今ある軸をずらすのにぴったりだと思う。

2時間ほど、今のもやもややざわざわから逃れるように映画を見る。

映画にはまる。

少しの間、自分を忘れる。

一瞬でも何かを忘れることができたら合格。




最後に・・・


9つも書いてみて、共通していることに気付いた。


「小さな変化に気付く」

「一気に良くなろうとしない」

「自分に過大な期待をかけない」


多分この3つをわたしは自分のもやもやざわざわ解消の上で、おそらく大切にしている。



2013年11月22日金曜日

魂の台所

これは魂のはなしでも、スピリチュアルな話でもなく、
先週ともだちと夜道を歩いて偶然見つけたお店の名前だ。


その数日前、わたしはちょっとしたトラブルのすえに、
むかしの西洋のお城のような形の、屋根がきれいにライトアップされている建物に出くわした。


トラブルにはがっくり肩を落としたけれど、
そのライトアップされた建物を目にしたことはとっても感動した。



先週ともだちと会った日。
最初待ち合わせた駅からそのお城みたいな建物が歩いていける距離にあったから、
そこに行ってみよう!と提案した。


ほろ酔い気分でふたりでその建物を見に行った。


15階ほどのマンションや一戸建てが乱立する住宅街の中に、
突如現れるそのライトアップの建物。


ほろ酔い気分はさらに良い気分に変わり、
「今日はせっかくだから、このまま街の方に繰り出して、新しいお店を開拓しよう!」
ということにまとまった。


そして、延々と続く住宅街の一角に、何かしらお店のような雰囲気のところが目に飛び込んだ。

何せ、家がずっと建ち並んでいたから、ほんとうに「目に飛び込んだ」という表現がぴったりの見つけ方だった。



近くで見ると

[cocina de alma]


と看板に書いてあった。


cocina(コシナ)はスペイン語で台所。

alma(アルマ)は魂。

ふたつ合わせて「魂の台所」になる。


表の看板を見てスペインのビールを出す店だとわかり、
この間スペインを旅してきたともだちは
「うわぁ~」と感嘆をもらし、
今日はここにしようと決めた。


名前は「魂の台所」でも、
中はスペイン?ヨーロッパ?のプロサッカーの試合の録画されたものがTVに流れていて、
わたしたちと入れ違いのグループは、男性バニーちゃんやセクシーサンタクロースに扮して、
異様な雰囲気をかもし出していた。


音楽はスペイン語なら何でもありのようで、
店の少し薄暗い雰囲気にマッチしたバラードが流れたかと思えば、
陽気なラテン音楽も時々流れていた。


ひとつ強く感じたのは、
そこのオーナーが自分の好きなものをすべて詰めこんだ空間だということ。


色んなものが詰めこまれているから、
パッと見、色んなものがあるなぁと感じるけど、
なぜかそれらすべてがひとつにまとまって見えるからとても不思議だった。


そういう意味かはわからないけど、
「魂の台所」という言葉は、たしかに店の雰囲気にぴったりな感じだった。



ここからは今のわたしの備忘録。


先週から、この魂の台所の話をブログに残そうと決めていた。


なんとなく残しておきたい、
はっきりとした理由はわからないけど、とにかく残したい、
ずっとそう思っていた。
そんな気持ちから今日ようやく時間が取れて書けた。


魂の台所来訪は1週間も前のことになっている。


1週間、この出来事を熟成させていたら、
今日一気に色んなことを思い出した。


いつか別のともだちも交えて同じように夜道をほろよい加減で歩いたこと。


その時、たまたま畑の脇を通りかかって、
ふたりは足を止めて、その畑の作り方(構造)について超マニアックな分析をして、
そのふたりにはとてもついていけないと思いながらも、
なぜか今もその光景がとても強く残っていること。


またいつかの時は、
「『ありがとう』って言葉は『有難い』で『ありがとう』だよね。
ありがたいっていうことは、すなわち有ることが難しい、
そう、それ自体が奇跡のようなものだよね」
と語り出したともだちの言葉。


それもまた、いつかの夜道のほろ酔い散歩のときだった。


挙げたらきりがないからやめるけど、
そういう小さなちいさな思い出をたくさん積み重ねてきたんだなぁと、
そしてそれこそがわたしがとても好きなものたちなんだなぁと思った。


魂の台所の翌日、また貴重な時間を刻んだ。


どんなにお金を積んでも手に入らないような、
そして多分同じことを意図的に計画しても同じようにはならなかったような、
そんな時間を手に入れた。


そして、明日から、今度は別の思い出を作りにちょっと出かけてくる。


多分最初で最後になりそうな、まさに一期一会の会になりそうな雰囲気を今すでに感じている。



平凡な毎日でも、もちろんその時その時しか存在しないのだけれど、
そんな中で「特別な出来事」と認識するような瞬間は、さらにその時しかない感じを強くして、
そして後から振り返ると「思い出」に変わってる。



たとえば、あの畑分析の瞬間なんか、
正直まったく興味のないわたしには全然つまらない内容に思えたけど、
あとから振り返るとあそこにあった空気感や、
まったく一体感のない3人がそこに一緒にいるだけで生まれる一体感や、
言葉には表せない色んなものがそこにあったんだなと思う。


自分のしたいことは相変わらずぼんやりだけど、
でも、これまでとても大事にしてきたことやこれからも大事にしたいこと、
どんなものにわたしは感動したり心が温まるのかは、
前よりももっと鮮明になってきた。


自分で、その部分に関しては、いいぞ!!いいぞ!!と思ってる。

2013年11月12日火曜日

言葉のフシギ

~~「あんたなんか死ねばいい」
その言葉を他人から言われたのは生まれてはじめてだった。~~


『さきちゃんたちの夜』(よしもとばなな)に収められている、短編集のひとつの出だしがそんな風に始まっている。



わたしはしばし本を脇に置いて、その言葉から引き出された数々の出来事を思い出していた。



「死ね」「殺す」という言葉たちをわたしはどれだけの数で20代浴びまくったのか
もはや半端ない数すぎて憶えていない。


お茶碗に盛られた米粒を数えるくらい数限りなかったため、そんな数を数えたこともない。


ただ、不思議と、当時のわたしはそれらを言われても嫌ではなかった。


20代のうちの5年半、わたしは「児童養護施設」と呼ばれる2~18歳の子どもで家庭では生活できなくなった子たちが生活する施設で働いた。


「養護」というと、障害児を思い浮かべる人が多かったけれど、
基本的には心身共々健康な子どもたちだ。


そして、その心身共々健康な子どもたちの口から
「死ね」「殺す」「うざい」「くそばばあ」「大嫌い」
などという言葉がわたしに向けて発射された。
30人もいれば、誰かがそういうことを言うわけで、
なので、言われない日の方が少なかったような気がする。


小さな子たちも「ありがとう」の前に「ばか」や「死ね」を覚えるから、
大人側の希望なんかこれっぽちも汲みとってもらえないことは、体で理解した。


言葉だけを取ったら、人格否定、存在そのものを全否定並みの強さがあるけれど、
わたしにはそんな風には感じられず、
「おはよう」「今日どうだった?」と同じくらいに受け取る感じだった。


言葉本来の汚さは、全部の日本語をかき集めても「汚い日本語トップ10」くらいに入るとは思うけど、
わたしはその汚さを聞いていたのではなくて、
そこにのっているエネルギーを聞き取っていたんだと思う。


子どもたちは、無意識のうちにそれらの言葉でコミュニケーションを図っていたし、
そしてそれらの言葉でわたしをテストしていたと思う。


わたしをテストしていたというのは、
わたしが信用できる人間かどうか、
それを見極める手段のひとつに汚い言葉たちが存在していたと思う。


SMの世界の話をしているわけじゃない。


どんな子も、あの手この手で大人を試していた。
汚い言葉を言うこともあれば、無視を通したり、
通常されて嫌なことをあえてやっていた感じがする。


へんてこなコミュニケーションだけど、
数限りないものを積み重ねると、ある時臨界点が訪れる。
関係性が気付くと変わっていたりする。


わたしが勤めている間、いちばん長く近くで見た子がいる。
その子がダントツでわたしに「くそばばあ」と「死ね」を吐きまくった子だった。


ある時、その子が大事件を起こした。
そして、いちばん長く近くで見ているにも関わらずわたしには何にも本人から情報をもらえなかった。


他の大人たちが本人から情報を得ているのに、
わたしには何一つ話そうとしなかった。
なので、わたしは他の職員の人たちから情報をもらうという、
とても変な構図になっていた。


ある夜、ふたりで事件の話をすることになった。


わたしは正直になぜわたしには何も言わないのかと聞いた。


彼女から返ってきた言葉は一言。


「だって、本気で心配して本気で泣くでしょ。
他の人たちはそうじゃないから…」


「くそばばあ」と「死ね」を発しながら
ずっと別のものをその先に乗せていたんだろうなぁと思った。



話はうんと変わって今。


34歳にして、わたしは今「正しい日本語」を教わっている。
わたしの数々の言葉使いに問題があるから、
隣りで訂正される。


「よろしいでしょうか」
「かしこまりました」
「申し訳ございません」
 を目下意識的に練習中だ。


気を抜くと、
「よろしかったでしょうか」
「わかりました」
「申し訳ないです」
とわたしは言っている。


それは仕事だから仕方ないと思う。


だけど、必ずしも丁寧な正しい日本語が良いエネルギーを
持っているわけではないし、
反対に響きはお下劣なのに血の通ったコミュニケーションが成立したりする。



真逆のものが今人生に流れ込んでいる。


真逆のきれいなものたちに囲まれて、
わたしは逆に窮屈になっている自分を感じている。


たしかに良い勉強の機会ではあるけれど、
表面だけを取り繕うような、そういうやりとりをわたしは全く好まないことがよくわかる。