2021年11月27日土曜日

日常の小さな悩みと見えない力のオマケ

左がPENCOのノートで、右がツバメノート
(2017年の夏の記録帖)
今日11/27、下弦の月の日に
ツバメノートを新調する予定

グリーンカルサイト
この石たちの記録用のノートのために
ツバメノートを新調する予定



2021/11/26(
)

このブログ初の試み。


片目だけで今この文章を書いている。


目を怪我したとかじゃないけれども、霰粒腫(さんりゅうしゅ)と思しき症状が先日の月蝕の日に表れて、それで症状は落ち着いたけれどもその膿出しをするために、ユキノシタと呼ばれる野草の葉っぱを今左目に貼っている。


まぶたの裏側の腺が詰まってそれで目が腫れる。


20代前半でなった記憶があるから、20年ぶりくらいに今回なったと思う。


月蝕の日は、顔の左半分がずっと腫れて痛くて、何が原因かもわからなくてしばらくしんどかったけれども、ようやく左の目のきわのところが腫れてるとわかって、なっちゃったななんて思ってた。




2021/11/27()


上のところまで書いただけで目がすごく疲れたから書くのをやめた。


少しだけネットサーフィンしたけれども、それも片目だけだとすぐに疲れて、休前日でそこまで眠くはなかったけれども、そそくさと寝ることにした。


目の上に葉っぱを貼りつけているなんてとんでもなくマヌケだけれど、私は今回のユキノシタには絶大な信頼を置いている。


20代の頃なった時は、すごい痛みと両目になってしまって何が何だかわからなくて、眼科通院をした。


だけれども、いくら処方された薬を塗っても全く良くならないし、どんどん腫れてるようにも感じた。


それを見た母がうちの裏に生えているユキノシタを採ってきて火で炙って、それを目に貼ると良いと得意顔で言った。


私も最初はすごく疑ったし、目に葉っぱを貼り付けるなんて何とも滑稽だと思って抵抗したけれども、薬塗ってもダメだし、葉っぱが効かなくても毒ではないこともわかるから、まぁいっかと思って貼って寝てみた。


それはもう本当に驚いた。


何をやってもダメだったのに、ユキノシタを貼った翌朝、目から大量の膿が出て、最初はその膿が固まって目やにの特大バージョンみたいなのが目一帯を覆っていて目が開けられないほどだった。


それを2日3日ほど続けたら、あっという間に目は良くなって、出来物も何事もなかったかのように無くなった。


だから今回もそれを期待して、ユキノシタに頼ることにした。


で、一夜明けてみて、もう症状がだいぶ落ち着いているのもあってさほど膿的なものは出てこなかったけれども、いつもよりも目やにが多いように思うから効いてると思う。


また2日3日続けてみたいと思う。


ついでの話で、月蝕の日に発症した左目の不調は、たった1日でいきなりかなり痛みが引いて腫れも随分と穏やかなものになってくれて、私はこれはもしかしてと思うことがある。


その日、前のどこかのブログにも書いたけれども、グリーンカルサイトと呼ばれる天然石を29個出迎えた。


その石たちをとりあえず、座布団の上に私お手製のランチョンマットを置いてその上に29個並べて頭上に置いて寝た。


それは月蝕パワーを石も感じられるようにと思って、窓に一番近いところが私の頭上だったからそうしたに過ぎなかった。


そうしたら、どういうわけか目の腫れが引いた。


因果関係はわからないけれども、石の効能を調べていた時に、浄化だとか身体の疲労に効くみたいなことが書いてあったから、本当に石パワーかもしれない。


その因果関係はさておいても、何よりも嬉しかったことは、石の発するものと自分とが合っていたこと。


こんなにたくさんの天然石を一気に手にしたことがないからわからないけれども、石たちのパワーが強すぎたり本人と合わなかったりすると、人間側の具合が一時的に悪くなるらしい。


だけど私は翌朝も身体は何ともないどころか目の腫れが引いてくれて、これは合ってる証拠だなと思った。


それは単純に嬉しかった。







で、昨日の夜に片目で書こうとしていたことは、昨日の夜の小さな悩みについて。


今朝はもう結論を出したから、この後支度して動くことに決めた。


そのグリーンカルサイトたちは「ルーン占い」と呼ばれる、石にルーン文字なるものを書いてそれでメッセージを引き出すために私はゲットした。


けれどもルーン文字だけじゃなく、何であっても、石たちと実際に対面したらそこに文字を書くなんて絶対にできないと感じた。


石たちもそれはされたくないとペンジュラムを通して意思表示している。


そこで別の方法をとることにしたけれど、諸々のことをメモするためにノートが必要と思った。


昨日金曜日の仕事の後にノート探しに出たけれども、ピンとくるノートがなかった。


頭の中にはある程度イメージがあるけれども、それと合致してくれるノートがなかった。


ちなみに、もし大学ノート的なノートに落ち着くとするなら、PENCOと呼ばれるものかまたはツバメノートが良いと思った。


ただPENCOはもう製造中止なのか基本目にはしないし、ツバメノートなるものも基本市販はどこでも取扱があるわけではなくて、ごく限られた店舗にしか置かれていない。


ツバメノートについては、永久保存がきくと表紙をめくったところに書いてあるほど良いものらしい。


たしかに書きやすい。


で、ノートが見つからなくて、最初メルカリかAmazonなんかで探そうと思ったけれども、これもけっこう面倒くさくてすぐに嫌になった。


それで、本当は週末の2日間は引きこもりの予定だったけれども、ノートがないと実際に物事が動かないのも本当だから、ノートを買いに出かけるかどうかを迷っていた。


片道40キロ近く走ったところの書店にツバメノートが常に置いてあるのは知ってる。


気が進まないけれども、ネットで2000円分もノートを買うなんてそれもまた気が進まないし、1冊Amazonで見つけた本革ケースのノートがあったけれども、デザインは一目惚れでも私が想定している使い方に対しては使い勝手が悪い気がしてならなかった。


ちょっとしたマニアみたいなものだけれど、私の中でノートは書きたい太さがある。


基本は横罫、方眼、無地とあったら横罫、そして今回のようなノート使いの場合は横罫の7ミリが良い。


ちなみに日記帳ならば8ミリとかもっと大きい方が良い。


パッケージなんかに包まれていたり記載がなくて横罫の大きさがはっきりしない場合は、私なんかは店内の売り物のものさしを借りて、それで大きさを調べる。


パッケージで開かない時も、運が良ければノートの縁(ふち)側に線が出ているから、そこに定規を当てて測定する。


反対にわからない時は買わないくらいに、私にとっては横罫の大きさが重要になる。


そういうはたからすると、訳の分からないこだわりが色々あるから、だからノートはある程度実物を見てこれが良い!とかいうものを探し当てることが大事になる。


ノートは欲しいけれども出かけたくない、ましてや天気が悪い日にわざわざ出かけるなんて嫌だな、どうしようかなというのが金曜の夜の悩みだった。


けれども、私は行くことに決めた。


ここから先はもはやいつ雪が降ってもおかしくないし、星読みをする用事や占星術講座の用事が先々の週に控えている。


日程的にそして天候的に、ノートをのんびり探しに行くのは難しいなと思った。


この冬は、石たちやペンジュラム用のボードのために裁縫をしたり、そうしたものたちの調べ物をしたり、はたまた星読み的なものでずっとやりたかった調べ物をしたりと、家ですることが満載すぎる。


冬ごもりのために買い物に出るのもそれはありかなと思えるようになって、結局はこの後支度してノートを探しに行こうと思っている。


私の個人の悩みはそういう小さなことたちで溢れていると思った時に、この手の悩みはかわいらしく人生が豊かだななんて思った。







こんなことさらにどうでもいいかと思うけれども、連日にぎわせている仕事のすったもんだの続き。


「見えない力」が本当に働いていると感じた出来事が昨日も起こってくれた。


昨日中に仕上げる予定というか完成させないとまずい資料があった。


全部で200ページくらい。


で、最後に規定のデータの形態でデータ化にしたら、なんとデータの一部が飛んだ。


∑((꒪ꇴ꒪) ∑((꒪ꇴ꒪) ∑((꒪ꇴ꒪) ∑((꒪ꇴ꒪)


もうあとはアップしたら終わりという時に飛んだ。


それも変な飛び方で、まとめて飛ぶんじゃなくて、今でも覚えているけれども、下2桁のページ数が、32、36、39、40ページと数ページごとに図の一部だけが飛ぶというハプニングに見舞われた。


飛んだデータの様子を見て、何をどうしたらそんなことが実際の設定でできるのか、神業に近い飛ばし方だった。


実際の設定でそんな設定はできないから、ありえない事態になっていた。


データが飛ぶくらいはいいけれども(こういう時のために、バックアップが最低でも1つは別のところで保管されている)、今回面倒だったのは飛んだものの一部が別のページに飛んでる可能性があることだった。


これは見本と突き合わせて照合するしかなく、それで図を直した後に照合作業をした。


その中で壊れてはいない別のページに

「①(空白)」 「②(空白)45」

という文字列を見つけた。


前後のページを見ても、そのことたちを指し示すまたは説明しているだろう内容がどこにもなくて、これどこか別のところから飛んできたのかもしれないと思って、過去のデータたちを見た。


見たらそれは間違いかどうかはさておき、何を示してるのかわからないけれども普通に図の中にあった。


だから壊れたデータの一部が位置がズレて飛んできたのではなく、元々そこにあったものだというのはわかった。


だけど、素人目から見てもその何を指すのかもわからない①たちがどうにもこうにも怪しい。


それで本当は担当している別部署の部長に聞きに行きたかったけれども、社内のイベントなのか不在で、それで課長に聞きに行った。


まず見てすぐに意味がわからないと言われただけじゃなく、前後を全て確認して調べないとわからない、でも今すぐにそれをやれないと言われて、もう1人の課長にも聞いてもし不要だと言われたら消してもいいかを聞いて、それなら大丈夫と言われた。


で、もう1人別の課長のところに行って、要らないなら消してしまいたい、必要なら必要でそのまま残すのでと同じ説明をしたら、最初の課長と同じように、何を意味しているのかわからないからこれは担当に聞いて確認しなきゃわからない、とここまでの回答は同じだった。


けれども、そもそも普段は毎回部長のところに足繁く通っているわけで、そんな人が突然課長のところに来る、それも何も頼んでもない案件を突然確認してくるわけで緊急事態だと感知してくれたようで、一言

「武士俣さんそれ急ぐの?」

と聞いてくれた。


神対応な質問に

「来週早々客先に出るもので急いでます」

と答えた。


課長は「じゃあ今からすぐに聞きに行ってくるわ」と言って、すぐに書類を預かって帽子を手に持って即座に別棟の建物に向かって出発してくれた!!!

(別棟に行くには帽子着用が定められている)


スーパー神対応に感動しながら、待てど暮らせど帰ってこず、本当に1時間コースだったけれども、今日中の完成は無理かもとなっていた時に課長は私のところに来てくれた。


担当者に確認したら消して良いものではなく、説明が足らなさすぎて色々と書き足したり修正したりしないとまずいものだったことが判明して、どうするのかを具体的に紙にメモしたものをくれた。


何せ図を直すから、私には線と点と数字と記号にしか見えないものが何を指すかなんてわからないから、直したら確認をお願いしてもいいですか?とこれまた余計な仕事を増やして、それも二つ返事でいいよ!と返ってきた。


苦手な図の修正作業をしながら終業まで1時間切ったところで課長をもう一度捕まえて見てもらって、さらには最初の課長にも見てもらって足りないものを教えてもらってさらに追加で直して、それでギリギリというか終業後少し残ってやり終えた。(残業の規定が厳しい企業で、残業申告してない日はサービス残業的に残るのがアウトなところ)


とかいう、本気で普段起こりもしないデータがぶっ飛んで壊れて、それで修正作業をしてたら謎の①とかの怪しい暗号めいたものを見つけて、まさかの不具合も同時に発覚して、再度修正になって


今ペンジュラムに聞いたらやっぱりそうで、見たこともない壊れ方はパソコンとかの不具合ではなくて、その誤った情報にたどり着いて修正するために起こったようだった。


普通に考えたら、ページの間と間にも他の図たちが色々入っているのに、ごく一部だけがダメになって、さらには文字だけが消えたところもあったからもしかして文字が違うところに移動したかもという状況で私が文字や記号の確認をせざるを得なくなってそれで見つけたものだった。


こういう見えない力の働き方は、個人的には全くありがたくないけれども、こうでもならないと絶対に見てもらえない部分でもあるから、そのために起こったとしか思えない。


本当に見えない部分から使われてる気がしてならない( ̄∀ ̄;)







本当はイケメン上司についてのことを、数ヶ月温めたというか持ち越してきたものを書きたいんだけど、こうした色々な日常のことたちが自分の中にいつまでもあるとそちらが気になったりしてイマイチ集中できない。


だからそちらをまずは書いてしまって、そして然るべきタイミングできちんと書けるんだろうなと思う。


日常は色々カオスすぎるし、オカルト系のものはなんだか猛スピードで突き進んでいくし、イケメン上司との接点はますます「無」の境地へと向かっているようにしか感じられないけれども、せめて自分側のことは言葉に書き起こして伝えたいと思う。


よくわからないことばかり起こる日常に身を置いていると、イケメン上司が目の前にいた時間がまるで夢のように感じたり、あれは本当に現実に起こったんだろうか?などと思ったりすることも日に日に増えてきたけれども、やっぱりそれで大丈夫だったんだよと自分で自分に言うためにも書き残しておきたいと思っている。


さっき日めくりカレンダーを見たら今日11/27は下弦の月で、下弦の月自体は珍しくないけれども、ネットで調べたら月蝕と日蝕の間の下弦の月で特別な月だとあったから、そんな日にノートを新調する、それも石たちのために新調するのはいいなと思った。


石のためと言うよりも私のためだけど。


こうした日常を書いたりオカルトワールド的なことを書いたりするのには、別の意図もある。


イケメン上司に嫌われたくはないけれども、普段の私はこんなだし、おかしいとか変人だとか思われるかもしれなくても、やっぱりここに書いているのが私の姿の一部には間違いないわけで、なんとなく知らせたい、知らせたってどうにもならないけれども、なんとなくお知らせしておきたい気持ちがある。


理由なんかわからない。


もし受け付けられないのであればもう私のところには来ないだろうし、ドン引きされたらそれはそれで仕方ないと思っている。


猫をかぶっていたわけではないけれども、イケメン上司の前にいた私はここに書いたことを1ミリも醸し出してなくて、可も不可もない単なる派遣の1人みたいな感じだったんじゃないかなと思う。


しゃべりもしないし、プライベートも全く見えない風になっていたし、全く得体の知れない人なところに、こんなにも色々くっついていたなんてますます距離を置きたい感じではないのかなと思う。


だけどこれが私だし、もうどうやっても繋がらないなら、ダンマリな自分じゃなくてそのままの自分を出す方が自然で健やかで気持ち的に楽だし、私がこういう私でもおとなしくしていた私でもいずれの私でもイケメン上司と繋がれないなら素のままの方がいいかなと思っている。


これ書き出したら止まらなくなりそうだからここで一旦やめて、とりあえず出かける用意と朝ごはん(チーズをのせたバゲットをこれからトーストする)を用意しよう。

2021年11月26日金曜日

見えない力

本文とは全く関係ない1枚
でも、木の根っこの部分が
いかにも「見えない力」や「生命力」みたいな
そんな感じがする。
2021/11/23 金沢市内の紅葉がきれいな並木道



何ていうタイトルにしようか迷っている。

前回の記事『題名を忘れてしまった書き物』は、本当にタイトル通り、題名を忘れてしまった。


途中ですっごく良いタイトルを思いついたのに、そのタイトルをどうやっても思い出せなくて、それでそのまま『題名を忘れてしまった書き物』になった。


それに続編を書く予定なんか当初全くなかった。


なかったけれども、あまりにも急展開が24時間経過しないうちに起こったから、これは備忘録も兼ねて書いておきたい。


本当に「見えない力」みたいなのが働いているんだろうなと思って、それですぐアップできるくらいの量を見込んで書き始めている。


仕事で全く嬉しくない大物エラーを引き当ててしまって、内部告発的に動かざるを得ないところまできたことの話の続き。


内部告発的なことに対して、当たり前だけど私は全くやりたくもなければ、避けれるものなら避けたいと思っていた。


あとどのくらい自分が今のところにいるかはわからなくても、内部告発的なことをすれば周りとの関係に大なり小なり亀裂を生じさせるだろうし、ギスギスしたくないから極力避けたかった。


企業のためにはものすごくなる。


カッコよく言えば、社会的責任を全うして、企業への多大なる貢献になることもわかる。


だけど私はそういうことに全く興味がないし、不具合を無視することで自分の体の具合が悪くなるのだけは避けたいから、とりあえず仕方ないからやるくらいの気持ちでしかなかった。


今回の内部告発的なことに対してさらに消極的な理由があった。


いくら正論で且つ企業の危機管理に役立つと言えども、それは同時に長年この仕事に携わっている人たちの仕事のやり方や姿勢にケチをつけ、そのやり方はダメですと突きつけ、そして名指しでダメ出しをお見舞いする、それも1人ではなく最低でも3人、ただそんなことには留まらずこの後その対象はもっと増えそうな感じに今なっているけれど、その自分の仕事の仕方について注意を受けるなんていうタイプの企業体質にないから、大の大人がそういう不慣れなものを受けるなんて普段メンタルトレーニングでもしてくれてりゃいいけれどそんなわけもなく、予後も芳しくないことは明らかだった。


しかもそれでメンタルに来てそれで体調不良になるメンバーもいればさらにやりにくい。


もちろんそんなのは普段のツケが本人に回り回って返ってきているだけだけど、それにしたってその最初の舵きりを私がするのはやらなくて済むなら絶対にやりたくないことの一択だった。


とかいうことに現状なっていて、問題の大きさというかそれが企業側にもたらす危険度の高さもわかっていたから、さすがに今回は1人で動くのは危ないと判断して、私はいきなりウルトラCの方法でいくことにした。


ちょうど夕方にやっていたニュースで危機管理的に同じレベルのものをやっていたから先にそれを補足的に書きたい。


うちから車で1時間くらいのところに東京電力がある。


全国的に東京電力の不正行為や管理不行き届き的なことがどの程度ニュースになっているのかわからないけれど、新潟県内ニュースではしょっちゅう流れる。


今日の夕方流れていたのもその1つで、火災探知器が100個とかそのくらいの単位で電力発電の施設に付いているらしいけれど、そのうちの10数個?30数個?何個か忘れたけれど、設置基準に達してないことが判明して、それの謝罪会見が流れていた。


本当に火災が起きた場合、その地域にも被害が及ぶ危険性が非常に高いわけで、そのための火災探知器だったりするのにその機能が不十分とは大問題なのがわかる。


東日本大震災で原発の問題が実際に起こってからというもの、東京電力なんかも当然その辺りの規定が厳しくなってさらなる安全のための色んなことをやっていかないといけないのに、見てると年がら年中何かしら不手際があって謝罪しているのをよく見る。


しかも不手際が人的な落ち度やこれまでの隠蔽体質が元になってのことばかりで、時々しか目にしなくても毎回呆れてしまうようなアホらしい話のオンパレードだったりする。


話が逸れたけれど、放置していたのなら必ずそういう良からぬ未来を自分たちの手で自ら作り出すみたいな、今色んな企業が謝罪会見を開いているけれども、それ級に近い不具合を今回見事引き当ててしまって、だからさすがにダンマリはまずいものの、派遣でしかない私が声を上げたところで何一つ物事は動かないだろうことは火を見るよりも明らかで、だからウルトラCの方法が必要だった。


上にきちんと引き継がれて、共有されて、さらにはそれについて上の方で検討・相談してもらって、その内容をまた現場で日々対応する私たちのところに下ろしてさえもらえたら御の字で、言うは易しでも実現度はどこまでも低く見通しが全く立たなかった。


謝罪会見開きますか的なアウトな案件にも関わらず、これがまた日常に埋もれてこのヤバすぎる時限爆弾みたいなものを経営陣はじめ現場の長たちがわからないのはどう考えたってヤバい。


ヤバいと知っていて、それで上の判断で「隠蔽しましょう」「見て見ぬふりしましょう」ならいい。


だけどそれさえも共有されなければ、あまりにもマズすぎる。


で、事の重大度を加味して、今回私はいきなりそれに全くと言っていいほど関与していない、私の英訳の師匠Mr.ダンディに相談することにした。


Mr.ダンディは会社でも相当上の立場にある人だというのは知っている。


なんだけど、つい最近までどのくらい上の人なのか全く気付いてなくて、ふと冷静に考えたら超絶上な人だとようやく気付いた。


大企業で、会長、社長といたら、その次の立ち位置のところにいる人になる。


そりゃ誰も反論などしないわとようやく納得した。


私はそんな人相手に、平気で「急ぎの英訳と言われたので、申し訳ないですが何とか時間の合間にこの件の確認をお願いします」だの、添削してもらってからのMr.ダンディの手書き文字が読めないと「これって何て書いてありますか?」としれっと聞くだの、とにもかくにも毎回ことごとく失礼極まりない又は立場をわきまえずに好き放題に自分のリクエストをして色んな業務に関与してもらうと言うよりも押し付けているような感じで、先日もMr.ダンディからこの社内の中の誰よりも私がMr.ダンディを使うのが上手いと褒められた!?評価をいただいた!?ばかりだった( ̄∀ ̄;)


なんなら立場をわきまえず、疑問に思うことは毎度確認に行くし、意見もすれば英語の間違いとわかるものはそれを指摘しつつ直す方に誘導するという、誰もやらないようなことをしれっと日常的にやってる。


今回みたいなMr.ダンディに関係ないことも平気でぶち込んで助けを求めるのもしょっちゅうしているから、Mr.ダンディもそのおかしな状況対応に実に慣れている。


しかも重大案件や問題に何十年と最前線で携わってきた人ゆえに、そうした危機管理的な対応は神業の域で、決断や動き方に関して本当に目を見張るほどの最善の選択を最小限のリスクや工程で提案して実際に人を動かしている。


本当にすごい人だとわかる。


で、Mr.ダンディとはお昼休みの歯磨きタイムがわりかしかち合うから、水曜日、私は4連休明けの初日でMr.ダンディに会うのも4日ぶりだった時に、またもやお願いしたいことがあると話しかけた。


今回は英語じゃなくて全く関係ないことで、何ならMr.ダンディに相談するのが筋なのかと問われると答えに窮するようなものだと前置きした上で、急ぎではないから会社の大規模なイベントが終わる翌週にでも時間が欲しいと言った。


Mr.ダンディは二つ返事で快諾してくれて、その時はその場で終わった。


会社の大規模なイベントは木曜金曜とあって、Mr.ダンディはずっと出ずっぱりだろうと思って私は引き続き爆弾案件の業務を続けた。


見れば見るほど爆弾が次から次へと出てきて、もはやごちゃごちゃと個人の関係性など考慮している場合じゃないなと腹をくくっていた。


ヤバい案件にこれまでだってたくさん当たってきたけれども、今回はこれまでと次元が違うことを肌でひしひしと感じていた。


で、マイペースに仕事を進めていたのなら、突然電話がかかってきて、Mr.ダンディから今手が空いて席にいると連絡をもらって、何も準備などしてないに等しかったけれども、今から行きますと言って、とりあえず持つものを持って席に伺った。


関係者に出す予定のメールの下書きとも呼べないものもとりあえず印刷して持って行った。


Mr.ダンディに事の顛末を説明した。


元々英訳の関係で相当手伝ってもらった案件ではあったから、話はゼロからのスタートじゃなくて、ちょいちょい進捗を世間話程度にしたりもしていたから、Mr.ダンディもすぐに話の内容はわかってくれた。


今回の件はMr.ダンディにとっても初耳且つ斜め上をいくような突然の話ではあったけれども(私の中でも斜め上どころか想定外過ぎることのオンパレード)、Mr.ダンディは一通りの説明を聞いた後にまず一言

「これはメールじゃなくて関係者を集めて話をしなきゃダメだ」

と言った。


本当に言われてみればその通り過ぎるけれども、いかんせん私は派遣であってさらには何の決定権もなければ人を集めるなんていう立場には一切ない。


だからMr.ダンディに、私はたしかに今回の件の発見者で全部自分の目で見て確かめたことだから事の次第はわかるけれども、かと言って私が人を集める立場にあるかと言えばそれは絶対に違うからどうしたらいいですか?と返した。


Mr.ダンディは私の3人の直の上司の名前を挙げて、それぞれの性格や姿勢なんかを一言二言で言いながら、そうだなとその先の言葉を飲み込んでいた。


私が何故に上司のところに行かないかと言えば、1人は業務外ゆえに全く把握してないからとりあえずは人選として適当ではないこと、本来なら一番適した上司はとにかく逃げることと蓋をするなり見て見ぬふりをするタイプの人だからこれまたアウトなのと、さらにもう1人はMr.ダンディも相当わかってきていてYESマンではあるけれどもとにかく判断や行動に信用が置けないというかその辺りがズレてるからで、とにかくみんな役職付いていてもとてもじゃないけれども今回の内部告発的な重たさなものを相談する相手としては「うーん……(❛_❛;)」となる人たちばかりだった。


そこでMr.ダンディが「私が関係者たちを集めよう!」と言ってくれた。


それも、私はてっきり今回の問題を引き起こした現場側の人たちを想定していたけれども、Mr.ダンディの視点は全然違っていて、部長たち数人の名前を挙げてまずはこの◯人で共有して、そして今回の件の中でも大元の根本的な問題を作り出している海外の拠点にも言及して、そこの責任者にも連絡を取って事実確認をしようと言っていた。


現場側にはその後どうするかの話によってどう話すかになると道筋を付けてくれた。


で、私の方はそのための資料集め(論より証拠の数々の超やらかし案件のものたち)をして提出するように言われた。


問題点も箇条書きにして出すことにした。


とかいうことがたったの5分程度でスムーズに話が運んで、私はそれだけで本当に気持ちが楽になれた。


考えてみたら、本当にそのレベルの首脳陣たちで状況把握をして方針を検討して決定しないとまずい内容なんだとしみじみと感じた。


今回のことは改めて振り返ると、私の方はたった1枚、それもA4の紙で3分の1程度のスペースに収まる情報が必要かどうかの確認だけで動いていたことが始まりで、まさかそんな小さな事柄が現場の長年のアウト過ぎる対応と海外のアウト過ぎる対応とそれを把握していない上層部とがいっぺんに炙り出されて、そこにメスが入れられるなんて全く想像もしていない未来だった。


それもそのA4の3分の1に収まる小さな事柄も、今回の件が直接関わっていたのじゃなくて、別件の方で動いていた時に、そう言えば本件となってしまったこの件にも関係するんだろうか?と疑問に思って、関係するなら後から直すの面倒だから今まとめてやった方が後々楽だなぁという、実に単純な動機から確認したに過ぎなかった。


それがあっという間にこんなにも一気に動いて、前回のブログをアップして半日も経たないうちにそんな展開になった。


こんなの氷山の一角だから、おそらく芋づる式に他の不具合も一気に噴出することになるだろうと思う。







「見えない力」


事の動き方のスピードが尋常じゃない。


今回ばかりは、見えない力が相当働いていると思う。


どういうところに着地するかはさておいて、これだけ早く動くというのはすなわちそれだけ何とかしないとまずいから、何が何でも本来あるべき方向に軌道修正が為されるよう、見えない部分で相当テコ入れされてるように感じる。


さらには書いてて思い出したけれども、私が今その仕事にかかりっきりになれるのは、至急の英訳やら至急対応の他の業務から解放されてるから。


そう、期限付きのものではあるけれども、わりとマイペースに作業しても大丈夫な状態に今落ち着いていて、ということはこれを最優先でやらざるを得ない、それも本来なら私はその業務にはまず入らないけれども(至急の英訳は基本私に担当が回ってくるから、それに絶対的に最優先で入れるように、私じゃなくてもいい業務は基本私のところに回ってこないよう配慮されている)今回はひょんなことから私が担当している。


というか、逆に私じゃないとダメだったんだと思う。


何せ不慣れな業務ゆえに、私なんかは1つ1つの作業ペースがのろいし、確認もきちんとしないと慣れてない分見落としやすい。


しかも他の人たちは他の業務に追われているわけで、私みたいにある程度まとまった時間をかけてやれるような時間的余裕もない。


さらに事の重大さを感知してそれをウルトラCの手段、Mr.ダンディにいきなり相談するなんて絶対に他の誰もやらない。


そしてMr.ダンディでなければ、あちこちの大御所たちを巻き込んでの情報共有と対処法の検討・選定、その後の周知なんていうのは、絶対にありえない流れになる。


だから英訳なんかよりも、今回の件はそれこそ企業の責任問題やはたまた企業の存続さえ左右しかねないすったもんだな問題なわけで、そちらを優先的に対応できるように他の至急の仕事が来ないこともなんとなく納得できる。


見えない力の威力を感じまくっている。


ちなみに超個人的な願い事だけれど、この見えない力とやらが本当にあるとするなら、こんな私の得になる要素ゼロのところよりも私が本当に発揮して欲しい領域で拡大してくれたらいいのにー!!!と大真面目に思う。


わかった。


今回のタイトルは『見えない力』にしよう。


そしていい加減こういうスピーディーな話たちはいいから、本当に書きたいこと、残るは2つの記事を年内を目安に書いてアップしたいと思う。

2021年11月25日木曜日

題名を忘れてしまった書き物

2021/11/19 撮影
赤のボールペンの先の小さな葉が
月蝕の翌日に開いた葉っぱ


2021/5/15 撮影
土栽培から水栽培に切り替えてまもなくの頃
4枚スタートだったものが6枚に増えた図


植物の希望で植え替えをした
サンスベリア
今は支柱の焼き鳥串やテープを取っていて、
それなしでも新しい葉が生えて来た。



自分の中の優先順位なるものを思った。

つい最近読まれたブログ記事の中に、ネットバンキングの手続きのために2年半近く初回の設定を放置していたことが書かれていて、自分のことなのにすっかり忘れていて驚いた。


私ならやりかねないから、妙に納得はしたけれど。


その一方で、数日前に届いた手作り占いグッズのための天然石たちとの対話は速攻で始めた。


やるべきことをやらずして、目の前のやりたい石たちとの対話を優先した。


10時間後くらいには家を出て金沢に向かわないといけないのに、その支度やら諸々の家事を放置してまで対話に精を出した。


石も植物も本来言葉を持たない存在とのコミュニケーションはとても面白い。


この数ヶ月の間に、私は2つの観葉植物と対話して、見事に2つの植物を当時より大きくすることに成功した。


1つは、土栽培から水栽培に切り替えた。


観葉植物は本来水を乾いた時にだけ欲するから、私も最初は水栽培に切り替えることにGOサインを出した植物を超疑った。


それってもっと枯れちゃうんじゃない!?と思ったし、水による根腐れを起こしそうとも思った。


去年の冬から今年の春にかけて越冬できずに根も土の中で上手く張り切れず、12年目突入とはいかないかなとあきらめモードだった。


だけど、水でいけると植物自身は言うから信じてそのようにしたら、本当に復活した。


今にも枯れて死んでしまいそうだったのに、あれよあれよと葉を次々につけて、夏には当初4枚スタートだったところ倍以上に成長した。


ずっと好調だったのに、秋に入るくらいからまたもや不調気味になった。


つい最近も、新しく出た葉っぱの位置があまり良くなくて、これも枯れてしまうかなと心配したところがあった。


それが枯れたら、次に新しいものは芽吹かないことになってしまうから、どうにかこうにか復活してくれないかななんてずっとずっと思っていた。


かれこれ2ヶ月3ヶ月は停滞していて、さらには位置が悪くて葉っぱが自力で開くことができないような状態が数週間続いた。


さすがにダメかと思って、月蝕の前日に「大丈夫?」と植物に聞いた。


植物は大丈夫と答えた。


冗談かと思った。


私の目には全然大丈夫そうに見えないけれど、植物は大丈夫だと言う。


それが本当にどうしたことやら、月蝕の日、なんとずっと開かなかった葉っぱがとうとう開いた。


満月新月に合わせて潮の満ち引きが変わったりやたらと出産ラッシュだったりするというのはよく聞くけれど(助産師の人たち数人から、本当にそうだと聞いた!)、まさか植物までもそれに同調するとは本気で驚いた。


月蝕の前の日を意識して聞いたのとは違う。


月蝕の当日に葉が開いたのを見て、前の日にそんな質問を植物にして、それで本当にその通りだったことにただただ驚いた。


もう1つの観葉植物は、水栽培はアウトで土栽培のまま、だけど植え直しを希望した。


だから意向に沿って植え直したところ、そちらも新しい芽がなんと一気に2つも出てきてビックリした。


水栽培に切り替えた植物の方が先に成功したから、もう1つも水栽培に切り替えるかどうかを聞いた。


だけどそちらは水栽培はダメだと言って、代わりに根っこが脆くて怪しげだったのに、植え替えをして欲しいと希望してきた。


根っこを掘り起こすも何もないくらいにスポッとすぐに抜けてしまって、それ見て「本当に大丈夫!?植え替えする前に根っこがダメになってしまいそう」と思った。


とりあえず、植物の希望通りにしてみようと思ってしてみたら、最初は危うげだったのが落ち着いてきて、そのうち焼き鳥の串で抑えていた支え棒も要らなくなって、さらにこの2週間くらいだったと思うけれど、一気に新しい葉が2枚ニョキニョキと生えてきた。


水やりも適当だし、特別なことは何もしてないけれども、こちらも復活した。


という2つの植物とのおしゃべりというか意思疎通が上手くいったことで、私はますます声を持たない物たちに興味が湧いた。


なぜなら、静物たちは静かで人間が使う言葉を使うことは基本ないけれども、確実に意思めいたものを持っているし、ペンジュラムを使って聞くと何かしらの答えは返ってくる。


どんなものにも魂的なものなのか命なのか何かしらが宿っている。


ブログに書いたかどうか忘れたけれども、私はある時、歴史博物館に展示されていた陶器たち、それこそ国宝級のものも含めて何百年と生き長らえた器たち1つ1つに、どういう扱われ方を希望しているのかを聞き回ったことがあった。


100までいかなくても何十という器に聞いた。


使われたい器もいれば、価値のわかる人の手に渡ってそこで飾られたいという器もいれば、はたまた現状のように骨董品や美術品として飾られたい器もいた。


7〜8割の器は使われたいという希望で、価値あるものなのはわかったけれども、器たちの声を聴いてしまうと不憫な気持ちになった。


そんなこんなで植物だの物だのの声を聞くことを趣味のように楽しんでいる私にとって、次なる相手はつい数日前にお出迎えした、グリーンカルサイトと呼ばれる天然石29個。


ルーン占いが全くわからないまま始めるけれど、ふと思いついて、実際に使う石たち25個に占星術の要素を足しても面白いなと思って、石たちに聞いたら賛成を得られた。


だからそれぞれの石に占星術的な意味を付ける予定。


今思いついて、ムクリと起き上がって(夜中の12時半、明日はもちろん仕事)、石たちに聞いた。


この中に冥王星担当の石があるはず!と思って聞いた。


1つだけYESと出た石があって、さらっと手持ちの入門書とネットで調べたけれど、その石と冥王星は基本リンクしない。


しないけれど、そうだと出る。


調べ物をした中で「冷静に戦略を立てて問題を解決する」みたいな意味があった。


書くと長いから説明はカットするけれども、多分そんな風にして調べたものと自分の中の何かがカチッとハマったら、唯一無二の意味を持つ石が誕生しそう。


とかいうことをこれから時間をかけてするのかと思うととっても楽しみ。







4連休明けに仕事に行ったら、元々連休前に発覚した問題がさらにパワーアップしてしまった。


私がパワーアップさせたのではなく、パンドラの箱を開けたかのごとく、芋づる式にこれまで隠し通されてきたもしくは放置されていたものが明るみになってしまった。


さすがにアウトすぎて、それこそ冷静に戦略めいたものを考えて内部告発じゃないけれども、それに近いことをしないといけないんだろうなぁと思う。


積極的に関与したいものではなく、できれば目をつむりたいところだけど、本当にたった1つの小さな修正が一気に積年のアウトな事態を見える化してしまった。


ここから先は相当な針のむしろ状態だなと思う。


長い目で見たら、絶対的に企業利益になるし、必ずそれを続けたのなら確実に企業の信頼度が増すのはわかる。


だけれど、それを内部告発的に明るみに出すというのは、すなわち敵も同時にたくさん作るわけで、それははたして自分のこれからの数ヶ月にとって良いことかと言うと、一言で言えば「避けたい」。


本音は避けたい。


とりあえず、職場はありがたいことにバタバタしてくれているから、週末に英気を養って翌週に持ち越して、自分が耐えられるスピードで進めようと思っている。


大御所のヘルプが絶対に必要だから、そのためのお願いは今日のうちにしてきたから、後は言い方とか考え方とか諸々時間をかけて戦略を立てたらいい。







ここ最近、Facebookのお知らせがメールにじゃんじゃん届くから、少し気になって久しぶり、多分数ヶ月ぶりとかにログインして見てきた。


改めてFacebookから離れた意味がわかった。


今回ビックリしたのは2つあって。


1つはコーチング関係でなんだかんだと知り合いになった人が100万円越えの個人セッションを提供していたこと。(実際は100万円+世のトップ20%には入るだろう人たちの月収分くらいの金額がプラス)


個人的に好きなタイプの人だけれど、もう生きる道や生きる時の優先順位が交わらない人なんだなとどこかで思った。


個人的には残念な気持ちになった。


単純に高いと思った。


能力に見合った対価なのかもしれないけれども、私にはどこか搾取のような感覚が残ってしまった。


能力の高い人だと思うけれど、何かズレてる。


お金云々よりも何か根本がズレてる。


これを書いている今も違和感を拭えないまま、しばらくは頭から離れなくて自分の個人的なテーマに当たりそうな予感がしている。


もう1つのビックリしたことは、私の長年の友達だったけれども距離ができた人と、コーチングスクールに通っていた時に一度は耳にした記憶がある、某有名なコーチングのコーチが繋がって、何かしらトークショーみたいなことをすることだった。


ちょっとだけ案内文を見たけれども、私にはもう絶対に肌に合わないタイプの人たちだった。


私が今というか10年近く彷徨(さまよ)って出てきた1番のテーマというか落としどころは、いかに自分と仲良くするかということ。


自分との付き合い方や関係性がある程度のものにできたのならば、他はある程度何とかなるように思っている。


自分だけは24時間365日お付き合いしないといけないわけで逃げ出せないから、その自分との関係をマスターすること、マスターまでいかなくても許容範囲内にすることがすごく重要だと思っている。


そして、その中でも特に大事なのが、超絶受け入れ難い、超超超拒否りたい自分の部分を自分の中でどう受け止めるかにかかっている。


だから背伸びした自分とかちょっとイケてる自分とか、そんなのではなくて、死ぬまで隠し通したい自分の影の部分をいかに自分がOKできるかが全てにおいての鍵だとさえ思っている。


とかいう考え方と真逆の方にありそうなトークショーと2人の考え方に、これもまたすごい違和感を覚えた。







植物や鉱物とおしゃべりすること(意思疎通の通訳担当はペンジュラム)、仕事では内部告発的な段階にあること、Facebookで見た2つの違和感を覚えたニュース、それぞれ何の繋がりもないようなものだけれど、私の中では繋がっている。


色んな生き方や考え方、価値観があるのは理解しているつもり。


だけれど、やっぱり自分の中でストレートに取り入れられるものと、どうやっても縦のものを横にはできないものとがある。


で、その差は何なんだろう?と思うと、そこに嘘がないか、真のものであるかどうか、森羅万象ではないけれども本当に理にかなったものなのかどうか、そういうことの差のように感じる。


はたから見たら私がペンジュラム(石とひも)を使って声を持たない物たちから声を拾ってそれを採用することの方が実に馬鹿げていてぶっ飛んでいるんだと思うけれども、そちらは人間の私が考える以上どころか私なんかの考えも及ばない深くて見えない部分できちんと整えられている。


そして、整えられたものは、ある時それで正しいんだよと言わんばかりに結果が目に見える形になって現れてくる。


私が勝手に月蝕の日に葉よ開け!などと操作や命令ができるわけもなく、でも葉っぱはきちんと自分のタイミングで開くことができる。


それも自力で開く。


私が信じているのはそういった力で、内部告発的なものもFacebookで違和感を覚えた人たちの発信しているものも、その自力とか自然の成り行きとかいうこととは真逆にあるように見えてならない。


余談だけれど、内部告発的なことに繋がったものは、本件とは関係ないところが発端だった。


発端は全くの別件で、じゃあ本件も関係してるんじゃ!?と思って確認したら本件も適用で、じゃあ適用させたらいいのね!と思って適用させようとしたら、そこで本件の不具合が発覚して、最初はたった1つの不具合だったものがもうそんな小さな不具合では済まされなくて、ずっといい加減に為されていただろうことが次々と出てきてしまって、さすがに私が一個人で黙って正せば良い範疇を大幅に越えたから、色んな経緯を含めて報告・連絡・相談をせざるを得ないところに来てしまった。


大袈裟に聞こえるかもしれないけれども、今色んな大企業が隠蔽工作していたものをカミングアウトして、企業のトップたちが謝罪会見開いて第三者委員会を設けてみたいなことが連日ニュースになっているような感じだけれど、それくらいの規模の不具合を今回引き当ててしまったから、だからさすがに黙り通すのはまずい。


私が報告を上げて、上の判断で隠蔽するのは構わないけれども(そんなのは私の知ったこっちゃない)、私が隠蔽するのは嫌だしそれはさすがにまずい。


葉っぱたちが見えないところで成長していたのと同じで、不正解の行為を積み重ねれば当然それが爆弾のように成長を遂げて、ある時それが大爆発する。


どうせ同じように育てるなら、私は爆弾じゃなくて葉っぱを育てたい。


私のところに、海を越え何人もの人たちの手を介して集まって来てくれた石たちを、愛でたいし発展的なものに育てたい。


やっても報われないことではなくて、せめて自分がやって良かった!と思えるところに落ち着きたい。


石たちが何にもならなくても、私はすでに十分楽しんだ時間やワクワクドキドキ感を石たちからもらったわけで、そういうものを自分は大事にしたいんだとわかる。


社会での肩書は派遣で、趣味の欄があったら「物と対話すること」とか「ペンジュラムを使うこと」とか「星と天然石と木を融合させて新しい境地を拓くこと」とか、超絶怪しい人でしかないけれども、周りからどう思われてもそれは仕方ないけれども、せめて自分は自分に忠実でありたいし、湧いて出てくるものに関しては忖度せずに受け取れる自分でいたい。


「ペンジュラムとか言って怪しい」じゃなくて、「ペンジュラムと対話できるって面白い!」の方が人生断然豊かだなと思う。


半分寝ながら書いているから、今日も今日でずいぶんと振り幅の大きい、意味があまり通じないことを書いていると思うけれど、これが私だし、隠しても隠しきれない。


私はこういう考え方の人間です、って正々堂々と言えるようになるにはまだまだ長い道のりだけれど、こうして誰が見ているのかもわからない場所で自由気ままに話せるのはけっこう清々しい。