2019年9月30日月曜日

米の仕事①仕事おわり

8月の稲刈り前

最終日:9/27の同じ場所の風景

休憩室のカレンダー



ペンジュラムでその仕事に行くかどうかを確認した時、きれいにYESが出た。

久しぶりに行く仕事は、ペンジュラムで最後は決めた。

最後に長期の仕事でYESが出たのは、2017年の5月だった。

いや、YESが出て行く気があった年明けの仕事は、ほぼ内定していたのに、他の派遣会社の人が入って話がなくなったとかで、ダメになりましたと言われた。

そこはダメになってくれて良かった。

ダメにならずそちらが採用されていたのなら、私は今回の米の仕事には行かなかったと思うから。

とにかく、たとえ1ヶ月でもそこそこ日々通う仕事に行くのは、1年半ぶりだった。

今回の仕事は、一生忘れないだろう、思い出深いものをたくさんもたらした。





米の仕事は、シリーズ化して書きたいぐらい、多分書いたら10話は書けるだろうぐらいにネタ満載だった。

だけど、それをしたらもういつまで経っても書かないだろうし、それは避けたいから、とりあえず今思いつくままに書きたいと思う。





米の仕事の現場は、超がつくぐらいのカオスだった。

まず初日に驚いたのは、5分程度の朝礼時は責任者はじめ愛煙者たちがみんなタバコ吹かしながらミーティングをすることだった。

外の受付のテントの中にも、30センチ四方はあるかと思われるでかい「すいがら入れ」と印字された缶からがあって、受付の時もみんなタバコを好き放題に吸ってた。

なんなら、フォークリフトもタバコ吸いながら運転するツワモノおじさんまでいた。

誤解を招くと悪いから言うと、どの人も米を作る農家さんだから、絶対に農作物に被害が出ることはしないし、農作物に関してはもうこれ以上ないっていうぐらいにリスペクトしていた。

タバコもセクハラも色々ありまくりではあったけれど、全然卑しさがなかった。

今、世の中でタバコ吸う場所も規制されまくりだし、各種ハラスメントに関しても超ピリピリしていて、派遣で何社か勤めたけれど、どこもかしこも「ハラスメント研修」が必須である。

そこは逆だった。

吸ってもいい場所ときちんと聖域として守る場所とを分けていた、各自の感覚で。

特定の喫煙場所はなくて、とにかく農作物を守るべきところでは吸わないという暗黙の了解が敷かれていて、それは見事に全員守っているから、見ていて気持ちがいいぐらいだった。

セクハラは毎日のように笑いネタとしてあった。

下ネタが聞かれない日なんて1日としてなかったと思う。

だけど、それも全然卑しさがなかった。

40歳の私が「若い人」認定されるだけあって、何人かの還暦越えのおじさんたちから肩や膝を触られても、全く嫌な感じがなくて、この人たち役得だなぁと思った。

反対に、何個か前の記事に、派遣の男性が派遣の女性にちょっかいを出していたことには、女性陣みんなでドン引きした。

「プールや海に行く?」(←ひとつにまとめたけれど、実際は2つの質問だった模様)とか、「スタイルいいね」と舐め回すように見ながら手をかざしながら言うなんて、気持ち悪すぎだった。

それもその子の身体的特徴をいくつか言って「自分はそういう体型が好み」と言った後のプールや海発言で、みんなでそれについての気持ち悪さを熱くバッシングしたのは言うまでもない。

他にも日々セクハラ的な発言を受けていたようで、そちらはみんなで気持ち悪すぎるという話になった。

おじさんたちは下ネタトークに日々精進していても卑しさが全くなくて、笑いに全て変わっていたけれど、派遣男性は真面目なフリして見えないところではそれで、本当に背筋が凍るような気持ち悪さがあった。

幸いなことに、それを知ってから私はその人には会ってなく、他の女性陣で普通に話していた人は知ってから気持ち悪くてガン無視していると言っていた。

話は戻して米仕事。

忘れもしない、2日目のお仕事の日。

その日は内部の大掃除をした。

建物は東京ドームひとつ分はあろうかと思うくらいの大きさだけど、事務所や休憩室なんかはコンビニ1軒分くらいの大きさでしかない。

休憩室の中を掃除した時、冒頭の写真のカレンダーを見つけた。

Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) !!!

罪に問われても困るから一応加工してアップしたけれど、加工なしのフルヌードのアラーキーが撮影した写真が普通に飾ってあった。

不思議なもので初回の衝撃たるや凄かったけれど、見慣れると何ともなくなって、9月になっても誰もカレンダーをめくらないことが気になって仕方なかった。

9月の写真は超控えめで、だからこのままなのかと勝手に推測。

取引があるだろう会社からのカレンダーのようだった。

というか、その会社の社長もエロじじいなのかと勝手に想像した。

しかも、カレンダー1本当たりの単価は知らないけれど、他の企業カレンダーより明らかに単価高いだろうと思った。

他にもカオスなエピソード紹介。

男性陣の数名は、青空トイレを活用。

要は立ちション。

なんなら先日、室内で頼まれていた作業を終えた女の子が「〇〇さん、どこに行きました?」と責任者の人を探していた。

周りの人たちが「裏じゃねー?」などと言ったから、その子は裏に探しに行った。

何せ敷地が広すぎて、その後どうなったのかは私たちのいる場所から全く見えないから、そんなことはすっかり忘れてた。

〇〇さんが戻ってきた時に、「さっきSさん探しに来ましたけど、会いましたか?」と私が聞いた。

そうしたら、想定外の返事が返ってきた。

「ちょうどさ、立ちションしてるとこに来てさぁ、いやぁ焦ったてー!チャック上げてる時だったからまぁギリギリだったけれど、っていうか、誰も来ないと思って裏に行ったのに、何で裏なんて案内したんだ!?」

男性陣から「そんなこと知るわけねーだろ!」と言われていたけれど、本当に普通にそういうことが会話に出ちゃう職場だった。

野生的というか超自然派というか、とにかく何もかもオブラートに包まれることなく、色んなものがオープンすぎる職場だった。

そんな職場が私の長年のトラウマや今現在の色んなことを癒す場所になるなんて、全く想像さえしていなかった。

ちなみに私がそこに行った表面上の理由は、
・時給が高いこと
・雨になったら休みになること
・必要に応じて休めること
だった。

8月のあたまに占星術講座のクラスメイトだったノムから、書く仕事を一緒にやろうと声をかけてもらって、それをするために8時間×週5でみっちりの勤務よりも、適度に休みがもらえる方が良かったから、私には好都合だった。

8月こそ連休があったけれど、9月は1日休みばかりで連休なしだった。

けっこうなハードスケジュールだったけれど、私は連休がないことも気にならなければ、むしろ休みを取らずに全部行きたかったぐらいにその仕事に行くのが楽しくて仕方なかった。

私が休んだのは3回だけで、1回は単発の試験監督の仕事を入れていた日と重なって休み、1回はノムの昔からの友達夫婦が新潟にトーク会で来たからそれに参加するために休み、最後の1回はノムとミッチーが東京で2人展を初めて開催するからそれに行くために休み、それ以外は行った。

その3回も、上手い具合に休みの日と重なればいいのになぁと思ってた。

それぐらい私は行くのが苦になるどころか、楽しくて楽しくてしかたなかった。

これもあとから知ったことだけど、あの仕事は、誰と組むかがものすごく重要だったということ。

いつかのブログにも書いた気がするけれど、稲刈り繁忙期は主に3つの係があって、私はたまたま3つとも最低1回はやった。

3つのうち、喋ることも含まれる仕事は1つだけで、それに私は9割がた充てがわれた。

農家さんの受付は、文字通り農家さんの受付で、軽トラや2トントラックで刈った米(米穀)を運んでくるから、手書き伝票を見て受け付けるだけで良かった。

まさか無言というわけにもいかないから、農家さんと喋って、セクハラまがいなことも言われてもそれも適当に合わせて喋っていたら良かった。

常に色々変化するから、私には本当に合っていた。

たまに若い農家さんが来ると、受付係で「あの人若いよね」から始まり、遠くで見た時と近くで見た時の年齢差について語り合ったり、顔が好みか好みでないならどうがいいかを言ったり、本当に好き放題喋ってた。

繁忙期は本当に一瞬で、それ以外は暇になってくるから、その時は「待機」が仕事だった!

責任者の人も、朝タバコ吹かしながら、みんなに「待機も大事な仕事だっけ」と笑いながら言ってた日が何回かあった。

待機が仕事の日は、ことさら誰と組むかが最重要項目になった。

待機は文字通り「待つ」ことが仕事で、その間やることは何もなくなる。

本当に暑いさなか、後半は半袖だと極寒のさなか(10月中旬〜下旬みたいな寒い日があった)、何にもせずに待つわけで、その時は一緒にあたる人が楽しい人だと全く苦ではない時間になるけれど、これが合わない人と一緒だと本当に苦でしかなかった。

その待機時間にフォークリフトのおじさんたちも暇を持て余して、それで私たちのところにやってきて一緒におしゃべりするのが恒例となった。

ちなみに、おじさんたちもみんながみんな超人好きとは限らなくて、スーパーシャイなおじさんは絶対に輪には入ってこなかったし、反対に係の現場を離れても輪に入ってくる話好きなおじさんもいたし、それは人それぞれだった。

私はスーパーシャイなおじさんのはにかんだ笑顔が大好きで、おじさんが近くに来たら積極的に笑顔を向けたり話しかけたりという、普段なら絶対にしないことまでやっていた。

最後なんかは、近くになったら互いに小さな会話ができるぐらいまでになった!

私の当たった受付係だけが唯一楽しいお喋りが可能なポジションで、他の2つはそういうわけにはいかなかった。

2つのうちの1つは、私がいたところからは視界にさえ入らない場所にあって、そこで例の派遣男性のセクハラ事件が日々起こっていたから、そんなところに配属されなくて本当に良かったと思った。

運命のロシアンルーレットではないけれど、同じ時間同じ敷地内にいても、係や組み合わせによって体験することはまるっと違うようになっていた。

受付係も、本当に仲良しな女の人たちが2人いて、その人たちと一緒だと女子トークもこんなにも楽しいんだ!と感激した。

最終日は午前の3時間だけの勤務だったけれど、その時に初めて女同士も仲違いしてしまっている人たちがいることを知った。

仲違いした2人は、別に個人個人で接する分には何ともないと思っていたら、その2人組になると突然仲悪くなるどころか口論のような状態になることが初めてわかった。

仲良くしていた受付係の2人と私とは、共通点として、女同士のいざこざが面倒くさいと思っていて、その辺りはあっけらかんとして適当にかわすとか、そうならないように上手くやるとか、そういうことを自然に努力するところだった。

だから3人でもペアで2人同士になっても、とにかく楽しく穏やかな(だけど騒がしい)時間を持てた。

そうではない仲違いした2人は、見えないところで実は冷戦のようなことになっていて、私からするとどっちもどっちだなぁという感じだった。

だから、もし受付係がその冷戦2人組と私なんていう組み合わせだったら、こんな風に最後まで楽しくは勤められなかったかもしれないなぁと思った。




おじさんたちもそうそうたるメンバーだった。

おじさんたちは、みんな退職したような年齢層で、一番上は70代の人だった。

会社員なら退職でも、みんなまだ農業の現場にもいるから、現役バリバリだった。

孫もいたりして「おじいちゃん」であっても、そんな感じは微塵もしなかった。

むしろ、超がつく「男戦士」っていう感じの働き方と勤勉さをどの人も持ち合わせていた。

動き方も40代や50代の現役世代と変わらなかった。

世代的に戦前前後生まれで、とにかく努力とか勤勉をひたすら教え込まれて大人になった世代の人たちだから、驚くぐらいによく働いていた。

合言葉は「完璧」と言わんばかりに、絶対の品質にこだわる職人気質も健在で、その人たちの仕事ぶりには敬意以外何も思い浮かばないぐらいに凄くきちんとしていた。

私みたいなど素人が簡単に「すごい!」なんて口にすることさえはばかられるぐらいに凄かった。

関係ないけれど、私今回行ってみて、男の人に求める条件が1つはっきりとわかった。

「求める条件」なんていう言い方もどうかとは思うけれども、私は今回行くまで気付かなかった。

どういうわけか私は、あたる男の人男の人、それが職場でもプライベートでも、「仕事ができる人」たちにひたすらあたってきたと思う。

塾の時なんかは営業成績全国トップの人と成績落ちこぼれの人と両方と仲良くなって、トップの人はさておき、落ちこぼれの人についても私は全然気にならなかった。

落ちこぼれの人は成績はたしかにイマイチではあったけれど、影でしている努力を私は知っていたし、努力の話ではなく「こんな風にしてみたんですけど、何がもっとよくできると思います?」と私や周りに聞いていて、そして聞いたら実行して…という根っからの真面目な人で、私は何もみんなトップやリーダーでなくても、そういう人柄の人たちにばかり当たっていたから、男の人たるやそういうものだと思っていた。

だから今回、「真面目に仕事しない」男の人たちに初めて当たって、生理的に無理なぐらい無理だった。

派遣や契約社員の中に男性がいることも今では珍しくないから、それに対して違和感はないけれど、どの時も「仕事をしない男の人」とか「不真面目な男の人」とかいうのに当たったことがなかった。

今回そんな人たちを何人か見て、私は本気で驚いた。

なんならそのうちの2人には、あまりに目に余ることがあって、私は直接こうして欲しいとお節介ババアとなって、苦言を呈した。

一緒に仕事するにあたって真面目にやりにくいどころか不具合があったから、それで私は言った。

そんなことこれまでしたことない気がするけれど、しなくてはいけない位に酷い有り様だった。(←周りの全員が目を見張るぐらいの酷さだった。)

それでも直さなくて、何なのかと思った。

しかもうち1人は、同じことを日を改めて4回ないし5回も言って、それでもやらなくて、私は唖然茫然とした。

私がちなみに言ったのは、農家の人が来たら担当する係の仕事をすぐに始めて、ということだった。

私が遠くから声張り上げて「〇〇(←係の名前)お願いします」と言って、「えっ?おれ?」みたいな顔して、あんた以外誰がいるの?と思ったけれども、とにかく促してようやく自分の仕事を始めていた。

それも全く急がないどころか、ちんたらちんたらと動いていて、それも余計にイラッとした。

そんな風だったから、私は毎回マックスブチ切れてた。

自分が相手(農家さん)を待たせてるということがわからないのか、とにかく私には理解不能すぎた。

ちなみに、差別するわけではないけれど、発達障害の子どもたちやそうと思われる大人の人たちも見てきているから、そのタイプでやっても上手くできない人の場合、私は仕方ないと割り切れる。

その人は絶対にできるのにやらなかったから、私は嫌だった。

その辺りの差は見たら私は少なくともわかるから、その男の人が能力的にできないタイプでないのはわかった。

そんな人たちを見て、そこで私ははじめて「仕事しない男の人」というのを目の当たりにした。

そして、これまで当たり前に「仕事をバリバリする」男の人たちに囲まれていて、それが私の基準だったから、ここで初めて「仕事しない男の人」は私からして絶対に嫌なタイプだとわかった。

これまた余計な話だけど、さっきの真面目にやっているけれど結果が出ないタイプの人に関して思うのは、「道が違う」だろうということ。

もっと本人に相応しい道があって、そこじゃないですよー、ってことなんだろうと思っている。

あと、そのやらない男性陣は、別に私じゃなくてもみんなから不評だった。

もっと言うと、本人損するのになぁって思った。

真面目にやりさえすれば、何かあった時に本当に周りが助け舟出してくれる。

自分を見ていつも思うけれど、私は自分の得意ではないことの方が圧倒的に多くて、不得意なものは平均点的ならいいけれど、私の場合は本当に目も当てられないひどいレベルだったりする。

今回ももれなく不器用さ全開となる場面がいくつかあったけれど、そこはみんな周りの人たちがさりげなくフォローしてくれてすべて何とかなった。

自分で言うのもなんだけど、普段から真面目に取り組んでたからだと思うv( ̄∀ ̄)v。

話が飛ぶけれど、おじさんたちは少数精鋭と言わんばかりに、超できるのは見ていてすぐに伝わってきた。

現役世代の時は、トップ走っていたんだろうなぁと思った。

全員からさすがに聞き出せなかったけれども、2人からは聞き出せたから、あーやっぱり!!!と超納得した。

1人のおじさんは、いつか朝採りの枝豆をくれた。

その枝豆があまりにもおいしくて、後日私は枝豆おじさんに話を聞いた。

なんと枝豆おじさん、枝豆部門で農林水産大臣賞とかを受賞された農業法人のトップの方だった。

「日本一の枝豆」を作る、と国からの賞を受けるぐらいにすごいものを生み出す人で、しかもそのトップ!

これは本気の査定を経て贈られる賞だから、賄賂やお金で買うタイプの賞ではなく、本当に力がないともらえない賞だというのもわかった。

おじさん超凄い人なのに、そんなことは微塵も出さない。

農林水産大臣賞のくだりも、私がツッコミまくって聞かせてもらった。

でなかったら、おじさんはひたすらエロ話だけするおじさんだった。

おじさんから習った、男の人から「触ってやろうか?」と言われた時の返し方。

「えー!やだー!」とか乙女みたいな反応ではなく、「触ってもらっても喜びたてられない」と言うのが男の先をいく返し方とのこと。

一生使う場面すら巡ってこない返事の仕方はじめ、そんなことばっかり山ほど習った( ̄∀ ̄;)。

なんだけど、実際は日本一の枝豆生産者とは!

もう1人は、途中まで書いた文章があるから、おいおいアップするけれど、ヨシダさんという70歳のおじさんだった。

このおじさんにはものすごくたくさん救われた。

一匹狼みたいなタイプだけど、実は輪を大事にする人で、そして黒幕的存在で全体を統括していた。

今から30年以上前、まだ世の中が、特に田舎は子ども3人が当たり前みたいな時代に、当時の市町村の町レベルで、家の数より田んぼの数が圧倒的に多そうな町で、各自治区毎に農業組合を作ろうと町内の全農家を回って、それで最終的に32の自治区に組合を作ることに成功した人だった。

後継者が確実にいなくなる、と言って、当時はそんなわけないと周りから大反対を受け、100人いたら100人から反対されるみたいなスタートから始めた人だった。

全国的にもまだそんなことをしている人がいたかいないかの頃だったらしい。

話していると、感覚が普通じゃないことがわかる。

普通じゃないというのは、先を見通しての本質のみをひたすら追求するタイプという感じで、言葉は多くないけれど、ひとつひとつが深く響く、それは思想だけじゃなく行動も伴っての言葉という感じだった。

ヨシダさんも立ちションの常連ではあったけれど、とにかく筋を絶対に通す人だった。

話し方も面白くて、「ヨシダさん、若い頃遊んでたでしょ?」と聞いたら、「遊んでねぇって言ったら、それは嘘になるな」と半笑いで答えてくれた。

本当に男気のある人で、超かっこいいと思った。




最終日は午前上がりだったから、私は帰りに遠くのホームセンターに立ち寄った。

9月の中旬頃から腕時計が止まった。

唯一、米の仕事で必要な近代的な道具だった。

米の仕事の終わりにホームセンターに立ち寄るのはしんどくて、それでようやく行ける運びとなった。

私の腕時計は、妹夫婦の結婚祝いのお返しとしてもらったもので、もう10年近く電池やベルトを交換して使っている。

made in Franceの時計は、ホームセンター対応ではなく、地元の老舗時計店に出されることを知っている。

だからいつも同じホームセンターに持って行く。

ホームセンターも顧客のデータ化を始めたと言って、これまでは手書き伝票だったのに、データ入力するから15分ほどお待ち下さいと説明を受けた。

止まったままの腕時計を預けて私は店内をウロウロしていた。

放送で呼び出されて、時計カウンターに戻ったら、さっきの受付の方に言われた。

「あのーですね、先ほど入力している最中に、時計が動き出したんです。見ていると、また普通に動いているので、おそらく電池切れではないと思うんですが、いかがいたしますか?様子を見られますか?」

私は一瞬、ぽかーんとした。

何で動いた!?と思った。

とりあえず動いているのならそれに越したことはないから、様子を見ますと言って、修理には出さず持ち帰ってきた。

あれから3日目になるけれど、普通に今も動いている。

電池交換はいつも1週間はかかっているから、修理から戻ったら米の仕事も終わると思って、それで出さずにいた。

それはいいけれど、何で今、不要になったらまた時計が動き出して、本当に必要だった時動かなかった!?と思った。

ちなみに動かなくなっても時計は要るから、私は代わりの時計を2つも受付係をするのに持ち込んだ。

はじめの日は、iPhoneをエプロンのポケットに忍ばせた。

でも、やたらと重たいのと、それ以上に周りのおじさんたちから「携帯なんか持ってどうしたんだ?」と突っ込まれたり、携帯見て訝しげに見られたりすることに居心地の悪さを感じて、iPhoneはやめることにした。

突っ込んだり訝しげに思ってわたしに聞いてきたりするおじさんたちの行動はそれで良かった。

私が耐えられなかったのは、おじさんたちから「今どきの若いもんは…」というくくりにされて、自分の心証を悪くすることだった。

良い人に思われたいというより、気に入られたままでありたかった。

携帯ごときで、おじさんたちから受ける心づかいの量を減らしたくなかったし、今ある良き感じのままの関係を保ちたかった。

余談というかそここそ本当にきちんと別の記事で書きたいことだけど、米の仕事の中で私は色んな自分を見ることになった。

自分が気に入っている人たちからは気に入られたい自分とか、そのためなら印象が悪くなるようなものはとことん省く計算高い自分とか、人の悪口を平気で口にする自分とか、とにかく色んな自分を見た。

意味がわからないかと思うけれど、そうした自分を出せれば出せるほど、私は癒された。

大人社会できちんと生きようとすると、私は超つまずきまくる。

だけど、素の自分のままなら、無理がないから生きやすくなる。

それの実験をするように、米の仕事には通っていた。

相手は米のプロで、嘘は通用しない。

だから私はかなり普段のままの私で仕事に行ってた。

それは社会人最初の児童養護施設以来のことだった。

話がズレまくった。

そんな風だったから、iPhoneは却下した。

続いては、祖母の形見の小さな目覚まし時計と昔使っていたガラケーを用意して行った。

目覚まし時計もこれまた遅れ出して、最終的にガラケーが一番問題なかったから、ガラケーに落ち着いた。

ガラケーの時ももれなく突っ込まれたけれど、それは明らかに時計がないからとすぐにわかってもらえて、それで話はついた。

別に携帯いじっていても何も思わなかっただろうし、だから何だ?という程度でしかなかったかもしれない。

けれど、携帯を触ってないことで「暇アピール」ができたし、待機(暇)だからこそのおしゃべりタイムであって、何もしてない=いつでもおしゃべりOKサインでもあった。

明らかに、携帯見るよりおじさんたちや他の受付係の人たちとおしゃべりしている方が何十倍と楽しく過ごせた。

話はさらに飛ぶけれど、その日ホームセンターに行く行かないをペンジュラムに聞いて最後は決断した。

ペンジュラムも何で行くなんて言ったんだろう?と、また得意の腑に落ちない→ペンジュラム何か間違えたんじゃ?疑惑を抱くという、毎度のことを頭の中では展開した。

帰り道も、わざわざ無駄足を運んだとしか思えない、絶妙なタイミングでの時計の復活に「どうして?」の質問が頭から離れなかった。

家に着いて、その意味をネットで調べた。

だけど、どれもこれもピンとこなかった。

そこで私は今度はペンジュラムを使って時計に聞いてみた。

「何かこれって(私に向けて)メッセージある?」

何もないのに時計が止まるわけもなければ、これまた不要になったら突然動き出すわけもない。

メッセージの他の何ものでもないと思った。

ペンジュラムも激しくYESになっていた。

念のため反対も聞いた。

「メッセージない?」

そうしたら、今度は激しくNOになった。

だから私は、「時計が止まった意味やそのメッセージ」を引き続き探しまくった。

ネットで見た自分がピンときていないメッセージは、絶対に今回は違う。

真夜中の3時、目が覚めた時に思いついた。

「ノムに聞こう」

ノムはLINEをiPadでする人で、起動させない限りはメッセージを受信することがない。

起こしてしまう心配もしなくていいから、とりあえず簡単に状況を説明して、ノムにどんなメッセージがあると思うか教えて欲しいとお願いした。

数時間後には、ミッチーとの2人展の在廊日でいないことを知っていたから、返事はいつでもいいと言い添えた。

そうしたら、朝の6時台にこんな風に返信が来た。


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おはよう。パッとおきちゃった。で、ぶしーLINEをパッと見て、パッと、逆行って思った。時計がとまってる間は前へ進むのではなくて、これまでを振り返る。そうおもったよ!

ふりかえるのは、これから進むため。それもただ進むのではなく、今までとはちがう進み方をするから、一度時を止めて、立ち止まり、しっかり清算というのか内観というのか、癒し的なことが必要だった。

なんか、冥王星って今思った。時は命。時が止まったら死ぬ。死んで、生まれ変わったのかも。リボーン。ちょうどきのう、ふるい友人がバースデーで、彼女へも、リボーンって浮かんで伝えてた。あ!! わかった!  ぼくに新生、新星ノムって言葉をくれたでしょ、メールのタイトルで。ぶっしーも、新生、新星ぶっしーになったんだよ! ぼくたちいっしょにニューになった。ニューになるためんj、ふたりして切磋琢磨、磨き合うセッションしてたんじゃないかなー!

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しっくりきた。

ノムの言葉の中に、私の米の仕事の全部が入ってた。

米の仕事は、私の心の傷を全部取り出すかのように出して、そこに色んな薬が塗られて、最後は状態が良くなって私の中にエネルギーが戻された。

今回の仕事で、どんな風にも自分を癒せるとわかったし、何も大枚払って個人セラピーを受けなくても自分は癒されると知った。

しかも、何となくだけど、急いで先に進まなくてもいいんじゃないかと思った。

形にすることばかり考えて焦っていたけれど、ちゃんと然るべきタイミングで然るべき人たちに仕事でもプライベートでもこの1ヶ月出会わせてもらえたから、そして必要なことがきちんとそれぞれのタイミングで起こっていたり私にもたらされたりしたから、それでいいんだよ、大丈夫だよ、と言ってもらえてるみたいだった。

ふと、思った。

もし時計が止まらなければ、そしてちょうど仕事終わりの直後に動き出すことがなければ、ノムに聞くこともなかったし、ノムが教えてくれたメッセージを聞くこともなかった。

もし途中で復活したら「直って良かった」で終わったし、もしくはカバンの中で復活したらそのまま見過ごして終わっていた。

ペンジュラムがどうでも今行けと言った意味がようやくわかった。(ペンジュラムは「行け」とか命令はしない…( ̄∀ ̄;))

いきなりまた全てが真っ白な状態になったけれど(9月1ヶ月分だけで2019年の残り11ヶ月分に匹敵する予定があったように感じる)、たしかにノムが言うように前と後という感じなのかもしれない。

今回は死んだというよりも「再生」、一度リセット(破壊)されてからの再生という感じがする。




とりあえず、このまま一度アップしてしまう。

9月中にアップできるだけ大満足!

米の仕事は、細かなエピソードをブログに書こうと思っていたから、箇条書きで携帯メモに日々の出来事を残すようにしていた。

残しておいて良かった。

消さずに一生取っておこうと思っている。

もしかしたらこれっきり書かないかもしれないけれど、また書くと悪いからタイトルに番号を振ることにした。

だからタイトルまだ決めてないけれど、
『米の仕事①ふりかえり』
とかそんな風にしてシリーズ化してもいいようにする予定。

8月の第1週だった。

米の仕事の申込みを兼ねて派遣会社の登録に行った。

今ならわかる。

史上最速で採用が決まった仕事だった。

書類に諸々記入している最中に別場所に呼ばれて、担当者に会って、その場で即決だった。

人がいなかったからだと言われたらそれまでだけど、私にはわかる。

急募でも内々定もらっていても落とされてきたから、今回は行く必要があること、そしてその異常な速さで決まる時というのは、人生においてもすっごい大事な何かがそこにあるということ。

まさか30数年分のトラウマを癒してくるなんて、その時どう想像できようか。

そこで毎日ゲラゲラ笑ってくるのが仕事だなんて、そんなの説明になかった。

そこは何がなんでも行くところだよ!!!と言わんばかりに、速攻で決まった。

そして終わった今、そこで体験した数々の癒しに支えられて今の私がある。

超具体的な癒しについては、余力あればいつか書きたいと思っている。

2019年9月27日金曜日

2年後の朝ー米の仕事最終日

2019/09/27の朝焼け

これから旅立つものたち


2019/09/27

昨日午前中休んだ後、午後から米の仕事に行った。

すると、明日(9/27)で最後と知らされ、さらには男性陣は今日が最後、明日は女性陣のみ掃除で出ると知らされた。

あまりに突然すぎて驚いた。

きちんと挨拶もままならないまま、最後の時になってしまった。

ヨシダさんという一番良くしてもらった人が一言私に「今度会う時はよろしく」みたいなことを言ってくれた。

そんな言葉じゃなかったけれど、もはや何かは忘れてしまったけれど、とにかくわざわざキリッとして一言声をかけてくれた。

最後の日となった男性陣は、建物脇に付けられたテントの撤去を最後にした。

さんざん受付の待機の時に使ったテントだった。

本当に終わるんだな…と寂しい気持ちが沸きながら、私も撤去の手伝いをした。

その少し前まで3人の名物おじさんが来て、私たちの間と間に座って話し込んでたら、それを見た責任者の男性が
「キャバクラみてえだね、ここ」
と苦笑いしながら言った。

みんなで場末のキャバクラだの熟女パブだのとはやし立てていたら、10年選手のおばちゃん(70代)がやってきて、
「仕事中なのに、3びき、何サボってんの?」
と呼びに来たらしい。

3びきと呼ばれたおじさんたちはコッテリしぼられて、持ち場に戻って行った。

私はちょうど農家さんの受付でいなくて、その面白い瞬間を逃してしまった。

とにかく突然決まった終わりで、私は仕事が終わったら0泊2日のような弾丸東京旅の疲れを取るために寝る気満々でいたけれど、急遽変更した。

責任者の方に、男性陣は来月の20日あたりから今度は大豆の仕事のために来ると聞いた。

だから、最後渡そうと思って東京からの帰り道、休憩で寄った埼玉辺りのどこかのサービスエリアでお菓子を買ってあって、そしてそれに小さなメッセージを一言ずつ付けようと当初から予定していたから、それを大急ぎで書き始めた。

責任者の人にはお菓子用意したから、大豆の時に誰が戻ってくるかを聞いて、その時に渡してもらえるようお願いしようと決めた。

そうやって慌ただしく色んなことが駆け足で過ぎ去っている。


24日…
10日前の小さなトーク会に参加した時にキャッチしたある人への魂からのメッセージを書き終えて主催者の方にメールしたり、ノムとミッチーとれいちゃんに手紙を書いたり、『eat LOVE AFTER ⑵ わがままプラン』のブログを大急ぎで仕上げた。

25日になってすぐ家を出て、東京行きの高速バスに乗った。


25日…
れいちゃんに朝の7時過ぎに京王八王子駅まで迎えに来てもらって、コメダでモーニング。その後ノムとミッチーとも11時頃から合流して、そこから21時過ぎまで超過密スケジュールを3人で駆け抜ける。夕ごはんのeat LOVEタイムからはれいちゃんの高校生の次男くんも加わって、最後の最後にセラピー的な時間をみんなで持って、ノム魂からのメッセージを伝えるデビューの瞬間を目撃するような出来事が起こった。

23時過ぎ、池袋から新潟行きのバスに乗って東京を出る。
日付変わったあたりの時におみやげもとい最後に渡すお菓子をサービスエリアで購入。


26日…
明け方前の3時過ぎにバス停に着いて、4時前に家に到着。
午前中に寝たり身支度整えて、午後から米の仕事へ。
そこで明日27日で最後と知らされる。

仕事の後に大急ぎで小さなメッセージ、そのうち3人だけは個人的に書きたいことがあったから長めのメッセージを書いた。

27日…
朝の5時台に目が覚めて、今これを書いている。




このくらい慌ただしくて良かった。

これが終わると明日9/28から何をするのかすべて白紙になるけれど、それでもいいから今日27日という日がこんなにバタバタしている中で迎えられて良かった。

ノムとミッチーとれいちゃんとれいちゃんの次男くんと私とで過ごした最後の30分ほどの時間の時、次元がぶっ飛んだとしか言いようのないようなことが起こって、絶対的に今生必ず体験すべき再会の時みたいな瞬間に5人で立ち会った。

そうした時間の後、米の仕事の方も駆け足で色んなことが一気に動いたから、私は私でちょっと感覚が面白い感じになっている。

今にいるようで全然違うところにいるみたいな感じがある。

でも、とにかくこの目まぐるしい忙しさに救われている。

2年前の9/27は、この世の終わりかと思った時間を迎えていた。

一日中、時間のカウントダウンをしていた。

どんなに精を尽くしたとしても、止まらない時の針を前に私には絶望しかなかった。

やっと出逢えたという人物は、私の前からいなくなった。

2年かけて、私はその人がやっぱり普通の出逢いとは全く違う次元の人だということは知っていった。

細かく思い出そうと思わなくても細かく思い出せる。

自分の中の気持ちに整理がつかないまま迎える2年後の今日だった。

そちら側があまりにも大きなこと過ぎて、何事も感じずに普通に1日をやり過ごす時間はずっとなかった。

これから先、再会することもなく自分の気持ちだけを今のようにどうしていいかわからないまま生きていく心づもりが出来つつある。

これが5年10年となる頃には、今とはもっと違って、気持ちもおだやかになったり他の誰かや他の何かに忙しくなれている可能性もある。

でも2年後の今日は、まだ2年前とさほど差がなくて、それがわかっていたからこそ私は今日という日を迎えることが怖かった。

だから慌ただしくてバタバタしている方が、気持ちが救われる。

そこにどっぷり向き合うよりも、別の何かで忙しければ、一時的にでもそこに気持ちを向けていられる。

私の中にしか存在しない誰かを残りのまだまだ長いだろう、最大に見積もったら60年くらいある人生で、その誰かが忘れられない自分と向き合うというのは、とてもしんどい。

生きているのに会えないことは、これ以上ない絶望でしかない。

日々は仕方ない。

だけど、節目節目の日に、他のことで忙しくてしばしそのことを忘れられるというのは、あるところで私は確実に救われる。

突然決まった最終日は、そんな風にしてこれからやってくる。

誤字脱字だけチェックしたらこのままアップする。

どんなにカッコ悪いこと書いてても、それが今の私だからもう内容は直さない。

嘘は書いてない、本当のことばかりだからこのままアップする。

2019年9月24日火曜日

eat LOVE AFTER ⑵ わがままプラン

(↑リンク飛びます…リンク先:ノムのブログ)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

作品展「uni」
渋谷区神山町17−1第二渡辺ビル3A 「maruta 」
電話 03-5738-7083

在廊日:9月21日、22日、23日、28日、29日にいます。13時~20時頃 

平日は、基本的にランチタイム(11:30~14:30)の営業時に、
見づらいかもだけど、見ることはできます。
ぼくらの在廊日は、鯖サンドやおつまみプレートなどと、ドリンクがたのしめます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








久しぶりのeat LOVEシリーズ。

本題に入る前に登場人物の紹介。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ノム…占星術講座のクラスメイトだったゲイの43歳男性。絵を描いて文を書いている。最近の目覚ましい新能力に関しては後述。

ミッチー…ノムの恋人でつい最近38歳になったばかり。家庭用ミシンで素敵な刺繍作品や手芸品を生み出している。

れいちゃん…ノムとミッチーの大家さん、51歳女性。某国家資格所持者でお堅いお仕事の現在最終章にいつつ、ゲイカップルとお家ごはん食べたり、誕生日祝いに2人を大きな車に乗せて300キロ以上離れた町に星を見に連れて行ったりする。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


自分で3人の紹介文を書いて、内容が素敵☆とウットリしつつ、その素敵なものをたくさん持っている人たちだからこそ、どこを切り取って紹介するのか悩ましいところ…なんていうちょっぴり贅沢な悩み事を体験した。

久しぶりの星トリオたち(3人合わせて星トリオ)との物語。




冒頭の宣伝にあるように、ノムとミッチーの2人展「uni」がこの三連休から始まる。
(注釈:この文章を書き始めた時は秋分の日の三連休前だった…汗)

9月のどこかのタイミングで2人展をすることは、ノムからずっと聞いていた。

懐事情がかんばしくないのは相変わらずではあるけれど、今回訪問するのに十分なお金はある。

そこはクリア。

クリアというか、それにはお金を使うって決めると、優先順位がはっきりして、その後の細かな諸々はまたおいおい何とかするようになる。

次は日程。

基本的に米の仕事は休みは申請すればいつでも基本的に休める。

ただ、米の仕事に行ける日は行きたいのと、いつどの日が最終日になるのかはっきりしてなくて、最終日は逃さずにきちんと行きたい。

表面上は米の仕事だけど、私にとってそこは心の癒しを色んな形で享受できる凄い場所だから、そういう超貴重な時間は極力こぼさず手にしたい。

そうやって消去法で見て(高速バスのチケット料金も日によって変動するから、それもすかさずチェックした)、それで1日なら行けるかもー!と可能性が見えてきた。

在廊日である土日祝は、米の仕事が確実にあるのと、よくよく想像したら在廊日はノムやミッチーとゆっくり話す時間がないと思った。

色々図々しい私でも、さすがに他のお客さんを差し置いて2人を独占するなんてできないし、そうやって周りに気を使いながらそこで過ごすのは避けたかった。

キラーン(ΦдΦ)☆!!!←ひらめいた。

ここは平日を狙って、ノムとミッチーとれいちゃんから時間を作ってもらうのはどうかと思った。

私は展示も見たいけれど、ぶっちゃけそれよりも3人との時間が欲しかった。

しかも、在廊日だとどう考えても3人同時に一緒にいるなんて無理すぎる。

せいぜい数分がいいとこだろうと思った。

そこが決まったら、あとは相談して調整するばかりになった。

ノムと電話で話した。

ノムは喜んでくれて、それなら僕は大丈夫だし、多分ミッチーも大丈夫、それよりもれいさんが大丈夫かどうかを確認した方がいいとなった。

れいさんが仮に仕事で夜しか体が空かない場合、展示の店まで車で行くからぶっしーを迎えに行くよと言われた。

とにかくれいさんと相談して日にちと時間のすり合わせが最優先ということになった。

ノムとの電話を切ると、速攻でれいちゃんにLINEした。

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れいちゃん、突然の提案・相談なんだけど。

25日水曜日に朝6時前到着、夜は23時池袋出発のバスで東京行って、ノムとミッチーの2人展を間に挟んで、その前と後両方、又はみんなの都合で後の方に八王子に寄らせてもらって、あの2人とれいちゃんと(れいちゃんの次男くんも良ければ)4人ないし5人で集ないかと思って!

ノムにさっき言って、展示のところまでは迎えに行くなり、状況に合わせて対応してもらえるとのことで、それよりもれいちゃんと先に日にちの都合がつくつかないを相談した方がいいってなってね。

今、例の監査で忙しいのは聞いたから、せめて夜だけでも都合ついたらいいし、ぶっちゃけ第1希望は、朝着いたら真っ直ぐ八王子目指して、八王子ー渋谷ー八王子ってできたら一番いいなぁって。

れいちゃんの都合はいかがかしら⁇

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ノムと話した時に、私の中で1つの案が浮上した。

ノムとミッチーはどう考えても、用事がなければ朝は早くて10時過ぎにしか起床しない。

朝の早い時間なら、れいちゃんと確実に2人で過ごせる。

朝の7時くらいに駅まで迎えに来てもらってそのまま一緒にいたい…、それを第一希望として言ってみた。

何という暴挙に出たのかと思いつつ、でも本当にそれこそが第一希望で、それが通るのが私には一番だったから、しのごの言わず、どストレートに希望を口にしてみた。

れいちゃんからこんな風に返事が来た。

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おー、そうか。
25日は午前中仕事あるんだ。でも、予定変更はやろうと思えばできる。
色々調整もしてみるから、できるだけ会う時間多くできるよう、考えてみるね。
夜また連絡するよ🙋

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そんな風にして、れいちゃんも調整してくれることになり、細かなことが1つ判明するたびに私は今度ノムにショートメールを打った。

冒頭のショートメールのスクリーンショットはその様子。

連なってはいるけれど、時差がそれぞれあって、ノムはどうやらその都度ミッチーに報告に行ったらしい。

その日の朝ミッチーにブログを書いたよと連絡を入れた時に、こんな風に返信がきた。

「ぶっしー、おはよう☀️
起きてる起きてる。笑。追い込み製作してるー🌀
いまだ何かアイデアが降りてこないか、と、脳と交信中だよ🔃
ブログもありがとう!作業しながら機械に読み上げてもらうね。笑笑」

だから、ミッチーには1日の終わりに連絡しようと思ったら、ノムは知らぬうちに逐一報告してた…笑。

ノムにミッチー忙しかった?と聞いたら、
「うん! あきらかに、ぼくは邪魔者っぽかった。笑」
と返ってきた。

とにかくそんな風に話がトントン拍子に進んだ。




夜になって、れいちゃんからLINEがきた。

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ぶっしーこんばんはー🙋

私は家事が一段落しました。
ぶっしーはどうかな?

もし、良ければ電話で話したいけど、時間的に余裕ある?

大丈夫なら、何時頃かけていいかと、電話番号教えて。
私のスマホは仕事でも使っているから、かけ放題プランになってて、料金気にせずかけられるのよー。

話している時間なければ、ラインでOKだからね😉

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れいちゃんが提案してくれたことで、れいちゃんとの初電話が実現した。

不思議なもので、ノムと初めて電話した時はもはやどんな風だったかかなり記憶が曖昧だけど、れいちゃんと電話するとなったら妙に緊張をし始めた。

れいちゃんはれいちゃん、ノムはノム、ミッチーはミッチー、と三人三様違うし、それぞれの人と私との関係の性質みたいなものもこれまた違っている。

れいちゃんと電話するとなって緊張したのは、れいちゃんにも言ったけれど、それこそ好きな男の子と初めて電話する時みたいな、そういうタイプの緊張感だった。

ノムに電話するのが女友達と電話するみたいな風なら、れいちゃんとの電話は好きな人と初めて電話する風で、普通に考えてあべこべだけど、本当にそんな風だった。

れいちゃんのLINEに返信後、すぐに電話がきた。

電話越しのれいちゃんの声は、当たり前だけど、私が知っているれいちゃんの声だった。

聞くとホッとした。

今思ったけれど、聞くとホッとする声なんてのは、あまりない体験だなぁと思う。

まず出だしは、ここに書いた通り、なぜか緊張してドキドキしているとお互いに言った。

れいちゃんも同じ気持ちと知って嬉しかった。

何が良かったって、れいちゃんの夫婦間のやりとりをネタにして、2人でゲラゲラ笑えたこと。

普通ならそんなこと恐れ多くてできないし、地雷のありかがわからなくて話がおかしな方向に向かうことも十分に考えられるから絶対に避けるけれど、れいちゃんとはそれができる!と感じて、ほんと人様の旦那をネタに超笑い倒すなど普通はできないことも普通にしれっとやった。

私、霊視力でも身に付けたかと思うくらいに、れいちゃんの旦那の行動や考え方が手に取るようにわかった。

れいちゃんも、「ぶっしーが今言った通りだから!」と一緒にゲラゲラ笑いながら話してる。

今日の本題の話に最初から移ったか途中からかは忘れたけれど、れいちゃんは相変わらず嬉しいことを言ってくれた。

「ぶっちゃけ第1希望は、朝着いたら真っ直ぐ八王子目指して、八王子ー渋谷ー八王子ってできたら一番いいなぁって」

本当にぶっちゃけ過ぎなリクエストをしたわけだけど、私もダメならダメでもいいからとりあえず聞いてから決めようと思った。

れいちゃんと2人で過ごそうと思ったら、そこしかそもそも時間的に難しいだろうというのは思った。

だから、それが叶うといいなぁと思って、それならプランは相当おかしなものでもまずは提案しないことには始まらないから、言うだけ言ってみようと思った。

れいちゃんには言える!という自負もあった。

逆に私はノムやミッチーに朝の7時ぐらいに八王子駅に来てなどとは頼めない。

ということは、最低でも6時台の起床と出発がマストなわけで、もしれいちゃんが都合つかないなら、私は午前中適当に過ごして、午後から渋谷でノムとミッチーと合流する気でいた。

そして、れいちゃんとはれいちゃんの都合の良いところから合流…、そんな風に考えてた。

考えてみたら、れいちゃんにはそれが言える!っていう確固たる確信みたいなものがあった。

れいちゃんの返事はこうだった。

「ぶっしーが第1希望をはっきり言ってくれたからすごい良かった!
普通なら言いにくいことかもしれないけれど、はっきり言ってくれた方が私も調整しやすいし、今なら仕事も自分の用事以外は毎日行っているから休みやすい。他のことは明日の朝調整するけれど、それもなんとかなるしね。
私は本当にはっきり言ってもらえる方がいいから、今回みたいな感じが本当に一番良いからね!」

やっぱりはっきり言って良かった。

気遣いって難しくて、人によって同じことしても、それが歓迎されることもあれば非常識になることもある。

だけど、今回は言わない方が何となく双方にとって損になるような気がして、もし後から「私、実は朝から東京にいてね」なんてれいちゃんに言ったら、「えー!!!それなら言ってくれたら仕事休み取ったのに」とかいうことになりかねないと思って、それで提案してみた。

れいちゃんは大喜びで調整してくれて、2人で指折り数えて、目の前に人参ぶら下げてその日まで心待ちにできるね〜なんて話した。

しかも、話の途中でお互いに思いついて、あることをその日の午前中にする計画も立てた。

2人で「あの2人(ノムとミッチー)は多分起きるの遅いから、それならこの計画を実行できそうだよね♪」と、勝手に2人の起床時間が遅いことに賭けて、れいちゃんと2人でする楽しみも追加で計画した。

楽しみがさらに増した!

(順不同で書いていて、この後ノムの回顧録が出てくるけれど、そちらはもっと早くに書いてた)

今朝(9/24)、朝洗濯物を取り込みながら、「あ!明日はもうこの時間、れいちゃんと落ち合っているんだ」と時間を見ながら思った。

不思議な気分だった。

今は新潟の片田舎の自分の部屋の前にある洗濯スペースで乾いた洗濯物を取り込んでいるのに、24時間後はれいちゃんに、そしてもっと時間が進むとノムとミッチーとも合流している。

れいちゃんに前回の八王子駅がどんな風だったかを聞かれて、それを説明したその場所に明日は2人で落ち合っている。

この部分を書いている今、この後に続くノムのホロスコープ鑑定の話(回顧録)はすでに書いていて、私はもう自分の中の心の覚悟みたいなのはできている。

れいちゃんと朝の7時から落ち合ってモーニングするとか、その後2人と合流するまで女同士2人仲良く楽しみを堪能して、その後ノムとミッチーも合流して4人で2人展の会場でランチして展示見てカフェ夫妻にもお会いして、その後また八王子に戻って今度は本気のeat LOVEの晩餐会開催する。

どれも最初で最後だとあらかじめ知って臨む。

よく考えたら、れいちゃんと女2人ですることは、過去にも他の人たちとやったことがある。

でも、それは儀式的というか形式的なもので、楽しんでやったことはない。

今回のそれは、2人で楽しんでやれることがあらかじめわかっている。

なんて素敵な計画なんだろう。

それはれいちゃんも同じ気持ちだと思う。

同じ気持ちで同じように心待ちにできるって、大人社会で生きていたら、それって奇跡だってわかる。




電話の時に、星トリオの由来となった3人が互いに誕生日を祝う発端となった出来事をれいちゃんが教えてくれた。

私はてっきり、れいちゃんが言い出しっぺで2人の友達の誕生日をお祝いしたのが最初なのかと当初思い込んでた。

別に根拠はなくて、最初の話がノムからの話で、こんな風だった。

6月13日付 ノムのメールより

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ぼくはカレと広い敷地の中の貸家に住んでいるんだけど、
敷地に、大家さんがときどきやってきてね、
なんというか、彼と彼女(51歳女性の大家さん)とのトリオは、
ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?
そういう間柄となったのだけど、

先日ぼくの誕生日があり、
大家さんが、ぼくの「星をみたい!」って願いを叶えるべく
プランニングをしてくれ、すべての準備をしてくれ、車もだし運転もしてくれ、
当初、長野に行く予定だったのが、天候の関係で、新潟へ行く運びとなり、
上越のほうに、車で‪4時‬間くらいかけて、いってきました。

ぶしまたさんが広い新潟のどこに住んでいるのかわからないけど、
新潟、というだけで、もちろんのことぶしまたさんのことが浮かび、
お茶とかできたらおもしろいなー、なんて想像をしながら、
すばらしい星空を満喫してきました!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

だから私はてっきりれいちゃんの提案で、毎年の誕生日を祝っているのかと思った。

でも、発端は、まさかのミッチーだった!
(「まさか」って言うのは、私の中で星トリオの3人の中での色んな行事は、れいちゃんかノム提案で基本行われていると勝手に思い込んでいて、だからミッチーがその最初の発起人と知って、超驚いた!)

れいちゃんがこんな風に話してくれた。

それはさかのぼること今から2年半前、れいちゃんにしたら今から2歳前の誕生日になる。(今年が3回目のお祝いになった。)

誕生日当日だった日、れいちゃんとミッチーはどういうわけか2人でホームセンターに行ったらしい。

そこでたまたまれいちゃんの旦那さんの車を駐車場で見かけて、旦那さんが仕事で半休を取ったことを知った。

その夜、れいちゃん宅でごはんの終わり頃、旦那さんがれいちゃんに「ケーキは?」と聞いてきたらしい。

その一言でれいちゃんの中で一気に色んなことが爆発した。

その日、旦那さんは仕事で休みを取ったから、本来なら祝う側の旦那さんがケーキを用意してくれてもいい。

その時間ももちろんあった。

なのに、用意してないどころか「ケーキは!?」などと、誕生日本人のれいちゃんに聞いてくる。

その時のことをれいちゃんは、翌日か何かに、庭の草取りをミッチーと一緒にした時にミッチーに愚痴った。

れいちゃんは単に誰かに話を聞いて欲しかっただけで、お祝いして欲しいとかそういうのでは全くなかった、と話していた。

するとミッチーが突然、ちょっと用事があるとか何とか言っていなくなった。

しばらくすると、ケーキを持ったミッチーとノムがれいちゃんの前に現れて、それでれいちゃんの誕生日を一緒にお祝いしたらしい。

何その超感動的な誕生祝いは!!!

私は電話の向こうで目をウルウルさせながら聞いてた。

私も過去に私の誕生日を祝うのが超面倒くさい人といたからわかる。

別にすごいお祝いしてというのじゃない。

私なんかは「誕生日おめでとう」のメールひとつ電話ひとつ、できたらショートケーキでもいいから小さなケーキ1つ用意してもらえるだけで本気で大喜びできるのに、それさえも面倒くさがられて、毎年どうしても来てしまう自分の誕生日が憂鬱で仕方なかった。

毎年具合悪くなりそうなくらい、「誕生日に一言もおめでとうって言われなかったらどうしよう…」と超思い悩んでた。

誕生日におめでとうって一言心を込めて言ってもらえるだけで、私は自分が生きてていいんだとか、生きてる意味があるんだと思えるくらいに単純にできている。

当時は施設に勤めていて、学校から帰ってきた子どもが第一声に
「ぶっちゃん、誕生日おめでとう!」
って笑顔で言ってくれた瞬間なんかは今でも覚えている。

食堂に貼ってある誕生日の表を見て、私の誕生日を事前に調べていた。

そんなことしてるとは全く知らずにいて、だから当日帰ってきたその時がその日初めての顔合わせだったわけだけど、顔を見るなり玄関で「おめでとう」と言ってくれた。

その小さな心づかいが本当に嬉しくて、私は涙が出そうなほどに感動した。

私はプレゼントが欲しいとかどこか美味しいところに連れて行ってというのじゃない。

本当に自分の命があって良かったんだよね、と私がわかればそれで十分で、よくよく考えたら、私は過去に一度も誕生日のリクエストを付き合っていた人たちにしたことがない。

話がそれたけれど、れいちゃんのその誕生日の日の気持ちが自分の過去と重なるようで、ものすごくよくわかった。

だから、それを聞いてすぐにケーキを買いに走ったミッチーの気持ちや行動が、そしてノムと2人で現れて誕生日をお祝いしてくれることが、どれだけ嬉しいことで感動することで一生忘れられないことなのかよく伝わってきた。

ミッチーはたしかに普段静かだけど、そういう人の気持ちや想いに関してはものすごく大切にしてくれる人だと感じる。

それはミッチーといたらわかる。

そんな風にして、3人それぞれの誕生日をお祝いする習慣が始まったのだそう。

その頃から「eat LOVE」してたんだなと知った。

eat LOVEをノムは私に最初こんな風に説明してくれた。

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”ホーム”が、なによりもぼくには大切で、
そして、ぼくだけではなく、「みなさん、ホームって大事じゃない?」
「大切な人といっしょにご飯を食べると幸せじゃない?」ってなことを、伝えてみたいとか思う気持ちがあって。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




色々決まってから、私は「そうだった、そうだった!」と思い出して、ノムから2日前に送られてきたメールを開いた。

ノムはその何日か前に、私たちの占星術講座の先生から個人鑑定を受けて、その時の90分に渡る録音したものを全て文字に書き起こした。

その書いたものを私にも送ってくれた。

少しだけちらっと見た後、長いから全部は読めなくて、それできちんと読みたいと思ったままそのことをすっかり忘れて、それでまた改めて開いて読んだ。

すべて読んだ後、私はわかってしまった。

今が単なる特別ではなく、生涯において多分最初で最後だということ。

7月から始まったノムとのやりとりの話がずっと延び延びになっているけれど、この2ヶ月半くらいの間、私は毎回ノムからセラピーを受けてるかのような時間をもらっている。

ノムと私がそれをする回数は、私からしてものすごく異常で、メール・LINE・電話合わせて、連絡を取っていない日がないぐらいじゃないかと思う回数で、特に電話するとそれが自分の根底から何か変わる、または何か絶対に譲れない大切なものに気付くという感じだった。

私は30代前半の2年間、2時間のコーチングセッションを月1で受けていたけれど、それよりももはや強いエネルギーの化学変化が起きるみたいな感じになっている。

その当時、私は月に1回おしゃべりのような時間を過ごしていただけで(実際は無作為なおしゃべり様相のものの力で、自分の深い意識のところが大きく癒されたり変わったりしてた、と自分で分析している)、毎日服薬が必要なレベルの良性の腫瘍が小さくなって最終的に服薬をやめて良くなったし、仕事は売上と契約率共に上がって安定したし、働き方改革も起こったし(よくは知らないけれど、私が社内初のような新しい働き方の選択肢が与えられた人のようだった)、個人的に待ちわびた人からの連絡が入ったのもその頃だった。

そういうレベルの変化を起こした過去のセラピー的なものと同等のセラピー力を、私はノムとのやりとりの中で感じている。

まずはそれだけ強いエネルギーのものを言うなれば7月から週に2回ないし3回受けてるみたいな感じになって、本来数年、下手したら40年の人生まるごとかかるような心の根底からの癒しをたかが数週間で起こすみたいな感じになっている。

当たり前だけど、そんなの普通に日常的に起こることが異常なのは、私も重々承知している。

そして、その中で私はもう1つ気付いている。

ノム自身も気付いている。

ざっくり言うと、私は自分が他人の潜在意識や魂からメッセージをキャッチすることに関して、初めて自分と全く同じことをする人に出会った。

それがノムだった。

私は自分の体質に気付いて以降、自分と同じものを持つ人に生涯を通じて誰にも会わないと思っていた。

だから、ノムがそうだと知って心底驚いた。

しかも、私はそれをする時に自分の中の細かなルールみたいなのがある。

例えば愛と誠意を持って対応するとか、自分の主観は脇に置いてとにかく真っ直ぐに来たものを伝えるとか、あくまでも主体は伝えられる本人で私がその人の何かを決められるわけじゃないとか。

そのルール、もとい基本的な考え方や価値観までもがノムはそっくりで、そういう部分のすり合わせをすればするほど、2人とも似ていることに気付く。

そんな上で、ノムは私の魂からまさしく伝えられたんだろうなぁと思うことを、普通のおしゃべりのような時間の中で、私が抵抗を全くしないやり方でさらりと伝えてくる。
(私がそこまでできているかは、また別の話…( ̄∀ ̄;))

そもそも今回行こうと決めた1番の理由は、ノムとミッチーが2人だけで本当に始める2人展は初のものだから。

それは生涯において最初で最後の【初回】になるわけで、この後おそらく2人は2人展を相当な回数行うんじゃないかと思うけれど、その中でも【はじめての2人展】は今回だけになる。

そうした記念すべき回に足を運びたい、ましてやその時はそんなことになるとは思ってなかったけれど、タイトルの「uni」に関わるおしゃべりを自分もしたと思ったら、余計と愛着があって、それは足を運んで直接触れたいなぁと思った。

だからあまり深いことは考えず、とりあえず「行けそう!」と思ったから、まずはノムに提案して、即れいちゃんにもその後提案して、星トリオとの超贅沢な時間を、2人展に行くことも含めての時間を過ごすことになった。

今書いてて思った。

れいちゃんは冒頭の写真を撮った人で、ノムとミッチーの2人を普段からよく知っているからこそ撮れたショットだった。

そしてそれが今回の宣伝写真だし、ノムは次回以降もれいちゃんに撮影をお願いしようと考えている。

そのれいちゃんも含めて3人を独占して、そして2人展の会場に行ける人は、多分だけど、私だけだと思う。

しかもれいちゃんが他の用事をすべて動かしてくれたことで、行きも帰りも4人一緒に動けるという、もはやピクニック的な感じで足を展示会場に入れるなんていう、超超超贅沢なプロセスで私は体験できる。

当たり前だけど、そんなの最初で最後の機会なのは間違いない。

3人と集うことはこれからもあっても、そこにノムとミッチーの2人展の初回も組み込んでの会は今回しかありえない。

そういう機会は、もうない。

↑ここまで書いたものは、今書いてて気付いたこと。

これから書くことは、ノムの鑑定を文章に起こしたメールを読んだ時に感じたこと。

私は内容云々よりも、まず真っ先に思い浮かんだことは、「これが最初で最後」ということだった。

私が言う「最後」は、その時はノムと今一緒にしている色んなことが「最後」で、さらにそれは生きている中で、仮にこれからあと50年60年と生きたとしても「今生最後」だということ、なんならもし自分がこの人生が本当に人間としての人生最後なら、もう二度とは訪れない瞬間なんだ、って私にはわかってしまった。

2年前の秋以来だなぁと気付いた。

過去に一度だけ、「これが最後の機会」、人間として生きる中で最後だと感じた場面があった。

それは「わかってしまう」感覚で、どうしてわかってしまうのか私にはわからないけれど、そしてそれは過去に一度しかないから解析できるほどの実体験があまりに乏しいけれど、その感覚は私には本当に強烈で、それは自分の一番深いところで「わかっちゃう」感じが沸き起こることには間違いない。

ノムの鑑定文を読んだ時、私は内容云々よりもそこが強烈に出てきた。

どうしてそう思ったのかは、私たちの先生がノムの未来を予測するようなことをノムに伝えていたから。

話があちこちに飛ぶけれど、今から1ヶ月前、8月の終わりに私はノムにノムの魂からのメッセージとして4通のメールを書いて送った。

10数人目にして、私はこれまでの個人の人たち1人あたりのメッセージの10倍くらいに相当するメッセージをノムに書いて渡した。

これは後から分析してわかったことだけど、書いている時は無我夢中でそんなことには気付かなかった。

話を戻す。

そのメッセージに書いたことは、私の場合は私がキャッチしたまま書くから、根拠なんか何もない。

ただそうだからそう、などという本当に説明の仕様がないから、とにかくわかったままを書く。

そのわかったことは、どういうわけか私は「そうだ」と確信している。

その当時書いたことと、今回先生が超超超マニアックな手法で読み解いたノムの星情報とが重なった。

先生が言う詳細な内容まで私は読み解いてはないけれど、概論は同じだった。

私が概要に触れたとするなら、先生は詳細をこれでもか!というぐらい、ふんだんにノムに伝えていた。

しかも私たちの先生は感覚ではなく、完全にすべてデータから読み解くから、何を言うにしても根拠がある。

先生は、どういうわけか講座内ではノムのホロスコープに関して、私のようなオカルト的な内容については何も触れなかった。

だから、ノムのことをそういう目で見たことがなかった。

見たことがないけれど、7月からの濃密なやりとりによって、ノムは絵や文章だけじゃなく、もっと人の根底をくつがえすような、もしくは人の生き様に触れるメッセンジャー的な役割があるんじゃないかというのは薄々感じていた。

だけど、ノムの目下の活動は、絵であり、そしてこの夏からは書くことも本当の意味で再スタートしたから、とにかく表現活動が先みたいなイメージだった。

だけど、それだけにとどまらないよね!?というのは、頭の片隅にずっとあった。

私では感じていても言葉にできなかったそうした部分を、先生はものすごくはっきりと言葉でノムに伝えていた。

先生というのは、私が山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しいと依頼が入る直前に、「武士俣さんは、人の命、それこそ生死に関わる仕事をしていくようになると思います」と、後から予言としか思えない読み解きをして私に一言ポンと伝えてくれた先生だった。

ホロスコープ鑑定デビューの時だって、先生はその行方不明者の方繋がりのご縁の人が来ると言っていて、それも本当にその通りになった。
(ちなみに鑑定はそれ以降やっていない)

そういう先生がノムの世の中における役割的なものに多数触れていて、だから私にはわかってしまった。

もう今しかないんだろうなぁって。

で、私は猛烈に寂しくなって、色々考えていたら涙まで出てきて、もうその涙が私の中では「絶対」だと確信するレベルのことだと、最後の太鼓判のごとく来てしまった。

ノムが手の届かない人になるとは思っていないけれども、代わりにノムはもっとノムを必要とする人たちに対して自分を使うことになっていくだろうことは想像できた。

それはミッチーも同じで、ミッチーの生む作品はミッチーにしか出せないものを必要とする人たちに応えていく、応えていくのかミッチーはただただ自分の中から出てきたものを表現する先にそれを待ちわびている人たちがたくさんいるのか、最終的なところはわからなくても、少なくとも今ほどにのんびりとした時間の流れ方ではなくなるだろうなぁ…と思う。

現にノムとミッチーは、来月、相手側の招待で海外に行ってくる。

それはわかりやすい例だけど、そういうことが増えてくるのは間違いないと思われる。

れいちゃんも今まさに変遷期にあって、これからますます自分の人生を生きていくことになるだろうから、そうなってくると、単純に今みたいに朝の7時から私を拾ってモーニングするとか、その後も丸っと1日超自由に付き合ってくれるなんてのも、今と同じくらい簡単にできるかと言えば、多分そうではないだろうなぁと思う。

関係性が変わるのではなく、それぞれを取り巻く環境が変化することで、どうしても優先するものが不可抗力的に変更せざるを得ないこともあるんだろうなぁと感じる。

そんなことはないにしても、「不可抗力的」というもののたとえを出すとするなら、ペンジュラムで人を探して欲しいと設定した日に、例えば星トリオの3人も新潟を通過すると連絡が来ても、私は星トリオではなく行方不明者を探す方を優先する、そういうことを私は指している。

先生の鑑定文を読んで、そういうことが瞬時にパッとわかってしまった。

だから、今回、4人で超自由気ままに2人展を堪能しつつeat LOVEな時間も持てるのは、もう今しかない超とっておきの瞬間なんだと感じた。

人生でもう二度とは訪れない、そういう感覚がすぐに自分の中に広がった。




ぶっしー→ノム(9/20  5:47am)

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ノムおはよう😃
昨日は無事に帰れた?
ミッチーが「浩平がまだ帰ってこない」って言ってたから(たしか23時過ぎ)。
そうやってミッチーが心配というか、気にしているというか、そういうの良いなってまた思ったり。
上のものが既読になってるから、ノム帰れたんだろうなぁなんて思ってるよ。

今きりよし先生の鑑定文、途中まで読んだよ。ほんと、「圧巻!」という言葉がピッタリな鑑定内容で1つ1つ色々驚いているところ。

また改めて感想は書きたいと思っているけれど、これだけは先に伝えたいと思ってね。
先生の鑑定を読んで、ノムとこうして今お互いにたくさん時間を意図的に作って、長電話したりメールやLINEするのは、今だけなんだろうなぁ…、ってそれをふと感じてね。忙しくなってもメールも電話もするだろうけれど、今ほどに時間は許されないというか、ふんだんに使える状況とは違う風になっていくのは、それこそもう時間の問題だろうなぁと思ってる。

ノムを独占するようにして、ノムとお互いにセラピーをするように話し込んで、お互いの志を確認するように語り合って…、今はそれが日常の中にあってくれるからそれが特別なことというのが若干薄れているけれど、本当は人生の中でも超特殊で特別で、それこそúnicoの中でもオンリーワン感が強いúnicoみたいなね。
そういう時間を私はノムからもらい続けているんだろうなぁって思った。
それは本当にありがたいことで、ありがたいは綺麗に言い過ぎた(ありがとうとはものすごくたくさん思ってる)。
最初は、いつかそういうことが今ほどにできなくなると思った時、真っ先に「さみしい」と思った。いつかは終わりが来る、終わらないけれど、形態が変わるというかね。


長くなるから、本来メールで書くことだったなぁって今にして思うけれど、このままLINEでね。

先生が言うことにいちいちピッタリするぐらいピンとくるのは、私は私で先生が言う言葉の内容をノムと一緒にいて体験しているから。
だからこそわかる。
ノムのその能力を私が独り占めしていいわけじゃないし、必ずそれは必要とする人たちに次はバトンタッチしていかなきゃいけないって。そのバトンタッチするまでの時間、それがあとどのくらいあるのかはわからなくても、それまでの時間は、私にとって本当に贈り物の時間なんだってものすごく思った。
ノムと話してたらわかる。こんなの私が独り占めしていいことじゃないんだよ。絶対に必要とする人たちがいる。それは私もそうなのかもしれないけれど、私はまだスイッチがオンにならないというか、どこかグズグズしている。それはそうと、ノムはもう既にカードリーディングを展示の時にやっていて、多分それはもう今みたいなノムが自由にやるスタイルでやるのは、いや今後もスタイルは自由でも、多分受けたい人がたくさんいて、それはさすがに人数さばけないから、この間も言ったように人数制限するとか、有料の超本気セッションみたくなるのか、そこはわからないけれど。とにかく、そちらの比重がどうしても増えてしまうだろうから、それはこの風の時代に向けてパラダイムシフトが起こる上で避けて通れないみたいなものだと思っていて。
で、何が言いたいかって。
それがある程度ふつうに見越せてしまうから、だからこそノムとこんな風にできるのは今だけなんだろうなぁって。歯を抜いた話を2人でするなんて、もしかしたらあれが最初で最後の機会かもしれないしね。歯を抜いたとか体のどこかが不具合なんて話はない方がもちろんいいんだけれど、こういう時間を思うと、歯の治療さえもこうした時間に繋がるから本当に貴重というかギフトというかね。
ノムがブレークする前にこんな風に時間をもらえることは、私の中で一生忘れられない出来事になる。


今回、超はちゃめちゃな弾丸ツアーを組んだわけだけど、それを可能としてくれる、ノムとミッチーとれいちゃんには超絶感謝だし、昨日れいちゃんと話してて、わざと在廊日を外して良かった!と心底思った。
れいちゃんが春先のくうこさん含めた3人の展示の時のことを話していたのか、いつの話なのかわからないけれど、展示の在廊日だとやっぱりゆっくりと話す時間を持つのは超難しいと言っていたから、今回在廊日でもなんでもない時にパッと行って、ほぼ1日もらうようなスケジュール組んで、そんな贅沢な過ごし方、今後もそう多くはないだろうなぁと思った。
本当に今回、ピッタリなタイミングで行けて、なぜか良い年した大人たちが4人とも都合がつけられて(れいちゃんはやっぱり仕事や他の用事を移動してまでも時間を作ってくれるらしい。本当は空いてない日を空けてくれる)。ノムが「用事は歯医者だけ」なんて、今限定なんだろうなぁと思う。
全然鑑定の感想になってないけれど、真っ先に私は今ある時間が、6月の終わりに星トリオの3人とeat LOVEの会を開いてから今に至るまで、この濃縮濃密な時間は、本気の人生の命の時間の贈り物で、一生忘れない、一生ここから先の自分の礎になってくれるものだとそこだけは強く強く思っている。
ノムありがとう。

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ノム→ぶっしー(9/20  20:47)

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ぶっしー

こんばんは。
LINEをありがとう〜。
どうも今日は、ほんとに調子悪くって、
寝ては起き寝ては起きで、夕方くらいからようやく活動をはじめたよ。

鑑定からのこと、なんかね、ぼくも、ちょっと寂しくなった。
けど、けれど、忙しいってのは、
どうも桐吉先生は「今」もその状態にあるとさしているし、
そして実際、物理的な時間はあるのだけど、
心的に、あれもこれもというか、ぶっしーも同じだと思うのだけど、
まさに、今のような「雪崩のように展開していく!」みたいな意味の忙しさもあるのかなー、と思う。

実際、44歳からどのような人生に入っていくのかわからないけど、
ただ、先生も43歳のうちに準備をしておけ。
自分がどうありたいかを把握しておけ。
ってなことを言われたけれど、
まさにそれだよなー、って思った。

たとえば社会的になんらか日の目をみることがあったとして、
それに付随して忙しくなるのだとしても、
やはり、心の余裕というのか、
自分にとってのよろこびやら安らぎの時間は大切にしたい。
というか、それをおざなりにしてしまったら、もともこもないような気がする。

あらためてゆっくり電話などで伝えたいなと思っているけど、
きのうのyさんは、まさにそういう感じがした。
悪い意味じゃなくてね、生き急いでるというか、
わからないけど、もう捧げているような感じもしたんだよね。

なんというか、とんでもなく依存してくる人がたくさん彼のところにはきていそうで、
でも、そうした人たちにも、どうやら鑑定ではけっこう厳しいことも言いそうだったけど、
それでも、やさしく接していそうな人でさ。

たった1日の、数時間で、直接会話を交わしたのでもないからあくまでも想像なんだけど、
ぼくの印象でのyさんは、自分の役目というか仕事に、
人生の多くを捧げているんじゃないかなあ、って。実際はわからないけどもね。

もし、そうなら立派だなー、とも思うけど、
ぼくは、やっぱり、自分のための時間を大事にしたい。
友だちと飲んで発散!とかじゃもちろんなく、
それこそミッチーとトーストを食べる時間とか、
ぶっしーとのおしゃべり、れいさんとのご飯や立ち話、そういう時間。

自分を整えるというのか安らがせるこうした時間が人生にあってこそ、
そのほかのこともありがたくとりくめる。
そんなことを思ってるよ。

と同時に、ぶっしーが「今だけの貴重な時期」というのはぼくも思っていて、
ぼくの未来はひとまず、ぼくの中のヴィジョンには、
ぶっしーもまた、その存在や力が誰かからさらに求められるようになって、
気ままに何時間もおしゃべりすることが日常じゃなくなるのかもなあ、とも思うし、
それこそ、この夏、秋とぼくがぶっしー独占状態なのは、
今のふたりにとって、それが必要だからであって、
その時期がすぎたら、ぶっしーを必要とする人のために、
その時間やエネルギーは注がれる日がくるのだろうなあ、と思う。

ま、でも、それはそのとき。
きっと、ぼくたちは、そのときには、その流れの必然をわかっていて、
自然とそれを受け入れているにちがいない! って思う。

とにかく、そんなことも思うと25日、また八王子で過ごせること、とてもうれしいよー。
どんなことがおきるのかな?
その場でそのことを即座にシェアできたりもしそうで、たのしみ!

あ、そうそう、25日は、
martには‪13時半‬くらいに到着するくらいがいいかな、って思う。
‪12時台は混みそうで、落ち着かないし、作品もちゃんと見れないだろうし、‬
せっかくだから、お店の人にも二人をちゃんと紹介したいしさ。

今日は、れいさんが夕飯を、おにぎりとか作ってくれて、三人で食べてさ、
文化祭の前夜みたいなムードの今だよ。
みっちーはまたアトリエに戻っていき、また作業中。

ぼくもさすがに今日は、ようやく体調も復活したから、追い込みします^ー^!!

また、メールなりLINEなりするね〜。



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[出発半日前]
ーー書いてるのは出発4時間前


ミッチーがノムの髪の毛を切るかたわらで、ノムと電話した。

この10数年、ずっとミッチーがノムの髪の毛を切っているとのこと。

ミッチーは、ヘアメイクの仕事を長いことしていて、美容師免許はないけれど髪の毛は切れる。

最初の3日間の2人展の在廊日の話を聞いて、ますます確信した。

出発前だから、これから風呂入ったり荷物の用意したりが控えているからざっくりとしか書けないけれど、ノムの話を聞いてわかった。

ノムはこれからますますメッセンジャーとしての役割が増えていく。

聞いていると、すでに絵の展示のはずなのに、そちらが主だって来ていることがわかった。

3日間で10人か11人の人にメッセージを伝えたらしい。

そして、それがどんな内容かはわからなくても、どんなタイプのメッセージかはすぐにわかった。

その人その人の魂からのメッセージをノムは確実におろしている。

細かく聞かなくてもわかる。

私がさんざんしてもらっていたから、すぐにわかった。

相手への響き方の具合はさておいても、ノムが真っ直ぐに伝えるメッセージは、ノムの意見とかではなく、相手の人生にとって必要なものを伝えている。

それは私がしていることと似ていて、ノムが喋っているようでノムじゃない。

「始まった」

そう思った。

もうそれは二度と引き返せないものだし、ノムがこれからどうなるのかはそれは今後の楽しみでも、もうそうしたメッセンジャーをやらないという選択肢は完全になくなったと感じた。

ミッチーもミッチーで新しい展開にあった。

これはまた帰ってきてから書こうと思う、ミッチーの話を聞いた上で。

だから、これから始まる1日は、「思い出を作りに行く」ことが私の最大の目的になる。

ノムは「僕たちも初めてお客さんとして、自分たちの展示に行く」と言っていた。

行動は「ノム、ミッチー、れいちゃん、私で渋谷の2人展に行く」になるけれど、私の中では生涯でただ一度しか訪れない瞬間を4人で堪能してくると思っている。

そこにはカフェオーナーのご夫婦や、明日(9/25)駆けつけるミッチーのお友達もいるだろうことも知って、ますます人間交差点的なところで思い出を作るんだと確信した。

だからこそ、私はノムとミッチーに提案した。

「八王子出発前の1時間程度、れいちゃんの母屋でミッチーが淹れるコーヒーでみんなでゆったり過ごしたい」

ミッチーがコーヒーを淹れてくれるかどうかをノムに聞いてとお願いした。

ミッチーは電話の向こうじゃ無言でOKしてくれてた風だけど、ノムがそれを代弁するように
「この人やだー、言葉で答えて欲しいのに何も言わないんだもん!」
と苦笑いしながら嘆いていた。

その様子があまりに普段通りすぎて、私はそれがすごく可笑しかった。

明日11時頃、母屋でミッチーのコーヒーでのeat LOVEタイム決定。

電話の後、れいちゃんにも速攻で連絡入れた。

私も千利休になったつもりで、一期一会の教えを大切にしてこようと思う。

一期一会というのは、その時しかないという意味ではなくて、本当の意味は、生涯においてその時しかないかもしれないから、その時を全身全霊で大切にする、その時にできる最大限のこと、利休の場合は茶で客人をもてなすことだったけれど、その最大限のことをやり尽くす、という意味らしい。

星トリオとの一期一会を存分に楽しみ尽くそうと思う。


(写真:明日のミッチーのコーヒーによるeat LOVEタイムのイメージ図)



2019年9月23日月曜日

米の仕事中間ポツリ


9/23の朝、駐車場からの風景



米の仕事も残すところあと1週間。

元々すごく恵まれているなぁと思ってはいたけれど、今日その恵まれ具合が判明した。

とにかくおじさんたちから、ものすごーくかわいがってもらって、色々気にかけてももらって、面白い話もたくさん聞けて、すごい恵まれている。

今後記事にする予定だけど、おじさんたちはただのおじさんじゃなくて、あるものの日本一の賞を取ったり、時代を先読みして超画期的なことを早くからしたりして、本当にすごい。

私はそうした人たちに触れられてラッキーだとは常々思っていたけれど、今日それが本当に超幸運だったことが、他の係の女の子と話して判明した。

今は日々作業が変化しているけれど、繁忙期の頃は、みんな業務がある程度固定していた。

派遣の人たちは当初11人いて、3つの作業にそれぞれ割り振られた。

それぞれ作業場所も違えば作業内容も違う。

唯一人と話すのは、私がした、米を搬入してくる農家さんたちの受付係のみで、他の係は基本的に黙々と同じ作業を繰り返すようになっていた。

その凄いおじさんたちと話すのは私のいた受付係かもうひとつの係で、もうひとつの係は目を光らせた10年選手のおばちゃんがいて、羽目を外すと私なんかも含め大きな声でおしゃべりしすぎと注意されたぐらいだから、自由度が受付係に比べると低めの場所だった。

私の係こそ、本当に一番無法地帯で、かなりやりたい放題に楽しくおしゃべりができたから、本当に恵まれていたことが今日さらに判明した。

今日話した女の子は、派遣の男性の1人からセクハラを受けていて、それで派遣会社に相談したぐらいの子だった。

私は単に気に入ってちょっかいを出してるのかと思いきや、そんなレベルではないことが本人から直接聞いて判明した。

その子と私は全く係が同じにならず、きちんと話せたのは今日が初めてだった。

今日はイレギュラーな作業があって、その子と私がペアになることになった。

話を聞けば聞くほど、ドン引きな内容だった。

体の線に沿って手を上から下まですっとするようにして「スタイル良いね」と言ったり、舐め回すように見たり、年齢を聞いて年齢より若く見えると言ったり、休みの日に何してるとかどこに行くとか誰と過ごすとか聞いたり、よく行く店を聞いたり、プールや海に行くかを聞いたり、他にもデートに誘いたいのかそういう話に繋げたそうな話題を振ったりと、本当に聞いててドン引きだった。

ちなみに年齢差は14歳。

さらにデートに行くなら…の話をしていて、女の人とホテルに泊まるなら割り勘でとか、そんなの男が全部払うのはおかしいと言ったらしい。

割り勘の考え方はいいけれど、それ女友達と行くならわかるけれど、彼女とか彼女候補とそれなら、最初からそんなの提案するのおかしくない!?と思った。

男の人が出して当たり前とかいう風に私は思わないけれど、体の関係を求めてばかりで、でもそれは割り勘ねみたいな物言いを最初からする男の人ってどうなのかと思う。

女側からして、自分が大切に想われてるとはとても思えない。

自分よりも本人の懐の方が大事なんだと感じてしまう。

それは考え方は十人十色だから置いといても、話を聞けば聞くほど「すごく変」と感じた。

その女の子も話を盛ってもなければ、あるがままのことを言っていたに過ぎず、私はそれを聞いた多分時間にして1時間ほどで、本当に気持ち悪さだけを覚えた。

それがその子の場合は、この1ヶ月ほどほぼそうだったわけで、これ係が違えばそういう気持ち悪い現場を目撃することになったんだなと思った。

その男の人は間違えても私にはそういうことを言ってこないけれど、代わりにその気持ち悪いやりとりは見ることになったと思う。

普通に昼休み一緒になれば話していたけれど、裏側ではそんなことが繰り広げられていたとは、今日被害に遭っていた女の子の話を聞くまで本当に何一つ知らなかった。

そこまで聞いた時に、自分が本当に恵まれていたことがものすごくよくわかった。

係は責任者が采配を振るから、私は体調的に1つの係から外して欲しいこと以外は希望を出したことはなかった。
(実際に別の係に入った日、稲のもみ殻の細かい繊維みたいなのが多分皮膚の中に入り込んで、服を着ている部分も含めて全身痛痒くなって、それで体が無理だから外して欲しいとお願いした。)

私の個人的な係の希望ははっきり言って超イレギュラーで、他の人たちはそんな風に係の希望を出す人は誰もいなかった。

だから、係の振り方も私の決められない部分で決められたわけで、それは他の人たちも同様だった。

自分が何の係なのか、誰と組むのか、他の人たちの係は何なのか、その全てが絶妙にマッチしていた。

そんな風にして、上手い具合に私はおじさんたちや他の派遣の女の人たちと楽しく過ごす時間を手に入れていた。





ここからは腹黒いことを少し言い足す。

個人的に、今回の女の子の話に私は少しイラッとした。

どうしてその状況を許してしまうんだろう…って。

まずそのようにやってくる男がそもそもおかしいのもわかる。

私的にそれは無理だし、気持ち悪くて仕方ないから、その子の気持ちもわからなくもない。

だけど、最後自分の身を守れるのは自分しかいない。

どうしてそれをOKにしてここまで来たのか、それがわからない。

このぐらいならいいか、と思ったのかもしれない。

嫌さ加減の加減や感じ方は個人差があるから、私は自分基準で判断はできない。

だけど、それってすごい自分傷付いちゃうけど…と私は単純に思った。

もうひとつ、今回の働き方と時給について口にした言葉を聞いて、私は正直ガッカリした。

さすがにこれはちょっと…と思って、口に出した。

今回の設定は、通常派遣ならありえないものだということ(これは書類見たらわかるようになっていて、特別優遇の具合がよくわかる)。

その部分を具体的に伝えてみたけれど、ピンと来ていないみたいだった。

それは本当に色んな人たちの善意がなければ成り立たないものになっている。

私からしたら奇跡的なことばかりで成り立っていて、それがわかるからこそ、そしてそこにプラスして私は毎回笑いだの癒しだのをもらってきているから、本当に時給以上の価値を得てきている。

それって、私は正直な話、何を見るかのセンスだと思う。

コップに半分水が入っているものを見て「これしかない」と思うか「こんなにある」と思うか、その差と同じで、時給を見たら破格値でさらに仕事内容は私が社会人になってから一番楽ちんで特別な能力も要求されず、さらに責任を取ることを一切しなくてそれだから、私からしたらパラダイスのような職場環境とお金的価値になっている。

さらには仕事は「安全第一」だから、「急がなくていいから自分のペースでゆっくりやって」と言われる。

私のように鈍臭い人からすると、神のような指示で、ありがたいばかり。

私の個人的な感覚を抜いても、今の状況で文句言うなら、他の仕事ならその10倍文句を言わなきゃいけない状況になる。

感じたのは、目の前のことに対して価値を見出せなければ、どこに行っても何をしても価値なんか見出せないと思った。

超ブラックみたいな働き方や待遇で文句垂れるのならわかる。

今のところはそうじゃない。

待遇的なところはケチの付けようがない。

中身も色々と本当にすごいところだし、色んな人たちから面白いものも見せてもらえる。

その価値に気付けないのは、本当にもったいないと感じる。

私が楽観主義なのではなく、本当に書類にはっきりとわかる形で出ているし、そして1人1人の人たちとやりとりすると、さらにその凄さがわかる。

気付くか気付かないかでこれだけの差が出るわけだから、そこは気付いたモノ勝ちだなぁと思った。

残りはあと片手で数えるぐらいしか行けないけれど、最後まで存分に堪能してこようと思っている。

寝起きのボヤキ

もうひとつの心模様。

今3つのブログの下書きと、先日お会いした人から魂のメッセージ的なものをキャッチしてしまったからそのメールとを同時進行的に書いている。

少しずつ少しずつ、私は現実を受け入れ始めてきた気持ちが感じられるようになってきた。

合計4つの文章を書きながら、そちらは今オンタイムで起こっている人生の一場面たちなわけで、その中に登場して欲しくても登場さえしない人物が1人いる。

普通に考えて、登場しなくて当たり前だし、残りの人生で登場しないのがどう考えても王道だと思う。

これに関してはだいぶ悔しい。

私は、いつも思う。

本当にありえない出来事や普通には出会えない人たちというのが、私の人生には多数登場する。

すごい引きの良さだと思う。

そこまで引く力というか確率を誇っているのに、本当に繋がりたい人とは繋がれない現実を前に毎回色んな気持ちが湧きまくる。

その引きの良さをどうして本来発揮して欲しいところに発揮されないのかと思ってしまう。

関係ないけれど、今一緒に働いているところに男性の派遣の人たちがいて、そのうちの1人、私の中では一番まともに仕事をしている人だと思っていた人が、派遣の女の子にちょっかいを出してるようで、それを昨日初めて知って私なんかはドン引きした。
(派遣会社側に相談するレベルでそんなことが起こっていた模様)

それはさておき、その女の子というのが、本当に華奢で色白で茶道を習っていて、静かめだけど朗らかで、自分から話しかけるタイプではなくても話しかけられたら楽しく会話できる人。

もちろん好みは人それぞれだけど、男の人たちからウケがいいのは間違いない。

そういうのを見ると、私は何とお門違いのことを自分はやらかしたんだろう…と毎回思う。

その2人や他の誰か云々は関係なくて、過去の自分にタイムスリップする。

高嶺の花のような男性に自分が自ら声をかけるなんて、なんだか色々間違えてる気がした。

そして、この手の話を聞くたびに、私は本当に一瞬で「気持ち悪い」と生理的に受け付けられない気持ち悪さを感じてしまったけれど、その自分を見て、自分も反対のことをやっていたんじゃないかとものすごく疑ってしまう。

容姿端麗とか性格美人とかならいいけれど、そのどちらでもない私、性格は悪くないと思うけれど、かと言って男ウケなど全くしない、人として「良い」という感じなんだと思うけれど、だから男友達とは普通に付き合えてもそれは男の人たちから好まれる何かを発してはいない。

そのようなことを考え出すと、過去の自分がいかに身勝手で無鉄砲なことをしたのかと思う。

この年になって容姿コンプレックスなどというのはほとんど感じる機会もないけれど、相手があまりにイケメンすぎると、なんだか本当にごめんなさいという気持ちになる。

同じように言い寄って来られるなら、可愛いとか綺麗とかスタイル良いとか、何かしら特典付きの方が良いだろうに…などと思ってしまう。

そのどれでもない私が押せ押せで来て(押せ押せの予定ではなかったけれど、そういうのが不慣れすぎて全て滑りまくりだったというのが私側からの景色)、相手の目にはどのように映っていたんだろう…なんて思った。

今回の女の子の話を聞いて、初めてその子を「女性」として見た時に、好みは人それぞれにしても、間違いなく一般ウケはいい。

女の私からしても、女らしいと感じる。

きめ細やかとか穏和とか、そういう言葉が似合う。

私の細かさは自分の気になるところだけでそれは「きめ細かい」のではなく「神経質」のようなもので、それ以外は基本大雑把。

穏和は言われたことないなぁと思う。

みんな騙されて私を「やさしい人」と言ってくれるけれど、みんな騙されてるよと毎度思う。

というか、そんなやさしさをその人の前で発揮する場面なんてなかったから、何にも喋らない人が突然やってきて、グイグイ自分のペースで押してきて、相手もさぞかし負担か罰ゲームのような様相でしかなかったんじゃないかと思ってしまう。

何で手の届かない人に私は手を出そうとしたんだろう…。

そして、そんな可能性のない人を相手に私は「もしかして…」とものすごい勢いで違う可能性を思いやったわけで、もう常軌を逸してるとしか言えない。

普通に考えて、「無いわ」と思う。

相手の好みは全く知らないけれど、いや、ひとつだけ人づてに知ったけれど、なんなら私もそれなら満たしているけれど、どう言うんだろう…、たまたま満たしたことを私もその好みに入ってるなんて口が裂けても言えない。

メガネ女子…そう聞いて「私も」と思った自分のおめでたさは、ネットで「メガネ女子」を調べて一瞬で消えた。

なんか悲しいなぁと毎度毎度思う。

冒頭に「もうひとつの心模様」と書いた理由を思い出した。

今書いている4つの文章は、魂の旅路からして大正解のものだと思う。

そちらはもう勢いが止まらない。

よくわからない、でも確実に必要な展開を見せている。

なんだけど、いつ何時も私の中でずっとずっと反芻されているのは、その魂側のよくわからないスピーディなストーリー展開よりも、もう過去のものにして生きていかなきゃいけない忘れられない人のことばかりが頭から離れない。

相手は高嶺の花で色々やらかしたとしか思えない自分のことも絶対に消せないけれど、本当に生理的に受け付けられないぐらい気持ち悪くさせていたのなら…なんてことも否定できないまま今に至ったけれど、それでも忘れられない、もうずっと自分の中から消えることのない人を自動反応で思い続けた時間だった。