2014年11月10日月曜日

ばばちゃんの命日にかえて

2007年11月10日、ばばちゃん(祖母)が息を引き取った。

わたしはそれをドミニカ共和国で、妹からかかってきた電話で知った。

ドミニカはカリブ海に浮かぶ中米の国だ。

日本と昼夜逆転している。

あの時のことを思い出すと、やはりありとあらゆる運を授けられたということが浮かぶ。

人が死ぬというのは、人を集めるというけれど、

本当にその通りで今振り返るとわたしがばばちゃんに会うためにきちんと道が用意されていた。

その日は、年に数回関係者全員が首都に集い、何かしらの会が開催された翌日だったと思う。

わたしと同期の他の5人も全員勢揃いしていて、

まずはこの5人なくしてはわたしは日本へ帰れなかった。

わたしの代わりに日本帰国の届をExcelで作成してくれ(わたしがやったら半日以上かかる)、

わたしの代わりに荷物をパッキングしてくれ、

お金が足りないと悪いと心配し、お金をおろしてわたしに貸してくれ、

その合間にたしかわたしが飛行機のチケットの手配をしたと思う。

もしかしたら、チケットの手配もわたしではなかったかもしれない…

それを5人が協力してやってくれた。

それだけでもすごいことだったのに、まだまだ色んな人に助けられた。

何せあまりに急すぎて、高額チケット+数時間滞在のニューヨークホテル代200ドル

なんてすぐに用意できるはずもなく。

旅行会社のご夫妻に事情を話し、日本帰国したらすぐにお金を振り込むから、

小切手の換金を1週間ほど待って欲しいとお願いしたら、

まったくの初対面だったにも関わらず快諾してくれ、

さらにはチケットもわたしがいるところにわざわざ出向いて届けてくれ、

そしてなんと空港までも送ってくれた。

本当に色んな人たちに助けられて、わたしは日本へ帰った。

日本に帰ってからも、わたしは一刻も早くばばちゃんのいる元への一心でひたすら新潟を

目指したはいいけど、最後の最後になって連絡手段がないということに気付いた。

そこでわたしは最後に乗った電車で隣りになった女子高生に携帯電話をお借りした。

お金を渡そうとしたら、彼女はいいですと断固として受け取らず、

最後まで笑顔で大丈夫ですというようなことを言ってくれてたと思う。

そしてようやくわたしはばばちゃんと対面する。

本当に色んな人に助けられ、この時ばかりは本気で何か神がかったような凄みを感じた。

ばばちゃんが守ってくれたんだ、きちんとばばちゃんに会えるように道を用意してくれたんだ、

とわたしは周りの人に感謝しながらそんなことを思っていた。


7年の月日を経て、今年の命日。

下の記事をアップすることは、もう1ヶ月も前から勝手に決めていた。

わたしの名前とばばちゃんを繋いだ、生前のばばちゃんとの最後の思い出のひとつだ。

http://bibluz.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

今日起きた時、携帯に友達からメッセージが入ってた。

youtubeのアドレスだけで何のサイトなのか全く知らずに添付されていたアドレスをクリックした。

まさか、わたしが書こうとしていた記事の内容と、

友達がどういう思い付きでか送ってきたyoutubeに収められてる歌と、

お互いに関連し合ってるだなんて、わたしの寝ぼけていた頭はすっかりシャキーンとなった。

ばばちゃんが、友達を使いとしてわたしに寄越したのかと思った。


9年近くかかって迎えた日記帳の最後の1ページ。

今日のばばちゃんの命日に書いた。

最後のページを書き出す前に、ばばちゃんが死んだ日に書いた日記のページを読んだ。

7年も前のことだけど、7年前と同じ位泣けた。

その中に、ばばちゃんの遺影を前にした時、

「ばばちゃんの写真が飾ってあるにも関わらず、ばばちゃんも私たちと同じ側に座っていそうで、

何もかも現実のこととはとても思えなかった。」

と記してあった。

その感覚、今でもわかるなぁと思った。

あれからわたしは数えるくらいしか母の実家を訪ねてはいないけど、

訪ねる度にそこにばばちゃんがいないことに変な違和感を覚えて帰ってくる。

色んなものが新しくなって、いとこたちも子どもを産んで世代交代の色が強く出ている空間に、

ばばちゃんが不在ということに未だ慣れない。

話は日記に戻って、この長編の日記の最後に結んだ言葉は「ありがとう」だった。

ばばちゃんに大切な思い出をありがとう、と書いて終わった。

どんな風に最後のページを締めくくるのか、今日のこの瞬間まで想像もつかなかったけど、

自分にとって一番良い形で締めくくることができたと思う。

そして、最後はお気に入りの木のつくえの上で書けた。

こうしてゆったりとばばちゃんを思い出し、

ばばちゃんとの数々のやりとりや、それを助けてくれた人たちを多数思い出し、

すごくたくさんのもので心は埋め尽くされている。

普段と変わらない1日ではあるけれど、それが近しい人の命日というだけで、

いつもとは違う神聖な気持ちで、温かいものに包まれて今を迎えている。

命日パワーと勝手に名付けてみる。

2 件のコメント:

  1. 思いだすことができるってのは、それだけで、その人の中ではずっと生き続けてるってことなんだろうね。思い出が大きい分、喪失感がおおきいのだけど、だからまたその思い出がより愛おしいものになる。

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  2. そうちゃん、コメントありがとう。そして、こっそり読んでいてくれてありがとう。
    そうなんだよ、そうなんだよ!
    亡くなってからも、ずっとわたしの中では生き続けるんだよね。生きていた時よりも、死んでからの方がうんと色濃く残るような気がする。

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