2024年1月25日木曜日

言語センスとネットサーフィン

これをアップする時の今現在の写真
2024/01/25  4:26am

自分に言語センスがあるなどとは本当の本当にただの一度も思ったことがないけれど、何人かの人に言語センスがあると言われたことがあって、「こういうことを言うんじゃないかな」と思ったことがたまたまあって、センスの有る無しはさておいて、たしかにその手の感覚はあると気付いた。

今、時々半分頼まれて半分自ら買って、他人様の英訳添削を仕事中にしたりする。


今回お願いされた中に、正解はわからないけれど読んでて「おや?」と思ったことがあった。


「数種類」と「1種類に統一」というのがあって、この後者の「1種類に統一」の単語を見て、「何か違うかも」と思ったことが最初だった。


見知らぬ単語ではないけれど使ったことはないし、少なくとも大学時代も多分普段から使われてるところをほぼほぼ見ていない。


Google翻訳に他の翻訳サイトに自分の高校時代からの相棒の英和辞典にと色々見たけれど、たしかに「統一」となってはいてもやっぱり違和感が残る。


たった1つの単語をネットで日本語で解説してくれてるサイトをいくつかあたって、違和感の正体がわかって、それで諸々印刷して本人のところに行って説明した。


「私も正解がわからない」とまずは前置きした上で、この「統一」そのものの意味がわからないから何を本当に意図して日本語は統一になっているのかを担当者に確認して、その確認した後に何の単語が良いかを考えた方がいいかもとおしゃべりするように言った。


そしてここでようやく気付いた。


訳した本人の本当のところはわからないけれども、私ならたとえGoogle翻訳がこの言葉を出してきたとしても使わないのと、とりあえず直訳しては非常にまずい内容だというのがぷんぷんにおうから、直訳は避けて担当者に最初から確認に行くなと思った。


確認に行ったら、担当者いわく、数種類あったものが1種類だけになるというのが統一の真相だった。私は聞きに行った子から後から教えてもらった。


この間自分が担当した時の英訳もそんなことを思ったことがあった。


ある一定の長さ以上になることを確認するとあった後に「(長さ単位)◯がとれない場合、以下の手順を踏む」というような文章があった。


「◯がとれない」をGoogle翻訳なんかにかけると、「手にする・しない」の手にしないの方とか「取り除く」的な感じとか、とにかくちんちくりんな英訳のオンパレードだった。


言葉の通りに直訳はできないから、単純に私は「(長さ単位が)◯以下の場合」として訳した。


手順を「踏む」ではなかったけれども、もしそうだったとして「踏む」に該当する英単語をそのまま使えないのと一緒で、そこは実際の意味とそれに近しい他の表現を思い浮かべて言葉を置き換えながら訳すしかない。


多分そういうセンサー的な感覚が人よりも強いんだろうなと思ったのと、それを見て人は私に「言語センスがある」と言うのではないのかなと思った。


大学院博士号まで取った友達いわく、いつか論文に使う英訳添削を何回か頼まれてした時に、友達は最初「ここはさ、SVOCOが〜」などと言い出して、私は即座に「私そんな説明できないから無理!何がどう違うのかその思ったことや感じたままを言えと言われたらそれは言えても、きちんと文法の意味添えて説明するなんて無理!」と会話をぶった斬って言ったら、友達は即「ぶっしーが思ったまんまを教えて!」と言ってくれて、それをそのまま言ったら友達はその私のよくわからない感覚説明にいたく感動してくれて、さらには「ぶっしーのその感覚で英語をキャッチしてそれだけ説明できるって本当にすごいから!!!」と何度となく言ってくれて、その時もピンときていなかったけれども「ふーん、そうなんだ」と自分的にはパッとしない感覚で終わった。


それが今回第三者の英訳を見た時に、私なら使わない単語が出てきたのと、そもそも「統一」という日本語そのものに引っかかったのとを見て、「これって自分だけの感覚なんだな」とそこで初めて気付いた。







とかいう言語センスが、全くもって発揮されないというこれまた同じ日の別の話。


急ぎの仕事や神経使う仕事の時はまだ切羽詰まってるから仕事だけしているけれど(えっ?既に色々日本語も内容もおかしい( ̄∀ ̄;))、納期は先で慣れた仕事なんかになると途端に睡魔に襲われて私はしょっちゅうネットサーフィンをする。


ネットサーフィンと言っても当たり前だけれど手芸関係とかメルカリパトロールとかをするわけじゃなく、とりあえずパソコンのトップ画面に出てくるニュースで気になったものを1つ2つ読むというもの。


その中で今回出てきた記事は、色んなことを思い巡らせながら、途中からは目の前の仕事放置して意識は全然違うところに飛んでいた(仕事中よくあること(꒪ꇴ꒪)、おいっ!)。


記事の内容は、男性視点での全く好きでもない女子から告白されたらどうするか、気持ちが変わった派と変わらなかった派の色んな実体験が記されたものだった。


ある男性の実体験の話が頭の中に今も残っている。


その方は片思いしていた女子に告白して、付き合うでもなくその後も何だかんだとズルズル関係が続いて、多少は自分にも気があるのかと思いきやそんなことはなく、結局どうにもならなかった経験があってと前置きされていた。


今度は自分が違う女子から告白されたけれども、自分はその子と関係を進める気がなかったから、自分の時みたいに変に相手に期待させてもそれは相手に対して失礼だから「ごめんなさい」ときっぱり断って、さらには心を鬼にして仲良くしたりすることも一切しなかった模様。


他にも色んな男子たちがリアルな体験を語っていた実に面白い記事だったけれど、ここで私はまたポンと自分のことが頭に出てきた。


関係もいらないし気持ちもないから「ごめんなさい」なのはわかる。


本当にそんな気持ちも関係を作りたい意志もなかったんだと思う。


相手から何かしらアクションを起こされてその後気になった男子体験もあったけれど、気にはなっても本当に付き合うことになった人たちは皆テンプレートのごとく自分から今度は告白して前に進んでいて、そうではない、気にはなるけれどだからと言ってそういう気持ちとも違う人たちはモヤモヤしながらもどうこうするわけじゃないというのが多くの実体験たちにあって、それら全てを読むと「私の場合は何だろう?」と思った。


こちらが期待するような気がないんだろうというのはわかりつつあるものの、かと言ってバッサリと断ち切る感じでもない。


こじらせ男子なのか!?というのも違うと思う。


気がないというか、今とは違うものを求められてはいないんだろうなと思う。


日常の平穏や平和を壊してまで取り入れるようなものじゃないんだろうなと改めて思っている今日この頃。


平穏とかが乱される時というのは、自分自らそうまでして手にしたい関係なら覚悟もできるだろうけれど、そうではない相手なら覚悟なんてできるわけもなく、とりあえず放置が一番無難な線だと思う。


何の役にも立たないこのブログは、これからもご自由にな感じでオープンなままだし、私は私で書く気持ちが高まった時にこうして書いてアップするだろうし。


言語センスはこういう人間模様にもっと効力を発揮してくれるといいけれど、翻訳の時みたいな時にしか色んな読み解きができないのが相変わらず残念だなと思う。


意志のあるところには道が拓けるとよく言われるけれど、その反対も然りで意志のないところには道がどんなに欲しくても拓けない。


石を投げても道は勝手には拓いてくれないし、やっぱり大事なのは意志で、意思疎通をはかるにも「意思」があって初めて成立するわけで、意志のないことを突き付けられているようなそんな気持ちで悶々としている。


雪の日の4時半前、除雪車が始動中

2024/01/25()

2024年1月23日火曜日

真冬の真夜中のブログ


最近の観葉植物たち
一番奥と左側のお二方は御年15歳!

もし200円があったら…
私は迷わず右の糸を買うと改めて知る

「トレーシングペーパー」
なるものを人生で初めて買った

刺繍の図案写しの様子
図案写すのは楽しい作業だった!
右のシャーペンは0.3ミリのもので
当初はタロット関連の洋書の中で
意味のわからない単語の日本語訳を
書くために買ったもの…
今後は手芸用品として活躍しそう( ̄∀ ̄;)

チャコペーパー的なもの
一応手芸用のものを買ったけれど
写りが悪すぎてテンションだだ下がり
今週土曜日(1/27)に東京に繰り出すから
きちんとした良いものを買おうと決意!
(物から入る人…v(ΦдΦ)v)

本の見本だとこのくらい色が付く!
(引用:『刺しゅうの基礎』日本ヴォーグ社)


2024/01/20

真夜中に目が覚めて、そのままネットサーフィンからの眠れなくなって今に至る、夜中の3時過ぎ。


明日というか今日は土曜日で休みだから、もうこのまま眠くなるまで起きててもいいなと思っている。


今ほどインテリアジャンルの人のブログをいくつか読んだ。


その中で本人が「夢の国」と呼ぶ場所が、写真の感じからすると観葉植物満載の店?カフェ?みたいなところで、色んな角度から撮られた観葉植物の群れの写真の下に「可愛い」と連発で書かれていた。


観葉植物にさして興味のない私にはその可愛さがあまりわからなかったけれど、これは私の手芸屋さんでのツボの感じと同類項な気がする。


中身は忘れたけれど、高校の数学で「同類項」ってあった気がする。


これ書きながら、私と縁あって今同居している観葉植物たちは、この綺麗でもない部屋の中で居心地が良いのかしらね〜(´`)などと思った。


のほほんと生きていられるというか。


そしてペンジュラムのおかげで植物たちの声を聞けたから、決して緑の手など持ち合わせていない私でも今年15年目となる観葉植物たちを今もずっと持ち続けられるんだなと思っている。


世話は年がら年中週1の水やりだけ。


肥料も与えず、唯一土植えの方だけは割れた天然石が土の中に入っているけれど、それくらい。


これは妹から聞いた話で、妹が以前働いていた美容院である時店の中に置かれていた(って言ってた気がする)水晶が割れてしまって、そこで妹たちがその水晶を店の観葉植物の土の中に埋めたら、その観葉植物がビックリするくらいすくすくと大きくなったらしい。


私が入れたのは、名前は覚えていないけれど、一時期通っていた整体的なところで(通っていたと言っても年に一度とか)国家資格をお持ちのヒーラーさんからいつか「これ武士俣さんに合うと思います」と言ってもらった紫色の親指の第一関節くらいの大きさの石で、でもそれを私の不注意で床に落として割ってしまって、それでどうしても捨てられずにしばらく持っていたら妹からその話を聞いて、「そうだ!私も真似しよう!」となったのが最初。


実際の因果関係はわからないけれど、たしかにすくすくと新しい葉を付けて大きくなっているから、石と植物はお互いに合っているんだと思う。







話は変わって、来週の予定。


手芸屋巡り第4弾を決行予定!


東京へ日帰りでGO


一番のメインイベントは、クリスマスのオーナメントを作って購入した手芸屋さんにそのオーナメントと参加賞の500円分の商品券の受け取り&その場で即買物なんだけど、色々調べていくうちに東京駅近くでハンドメイドのイベントがあると知ってそれも見てこようと思う。


そして今色んな手芸雑誌を見ている中で、1865年創業の「手芸の越前屋」という糸をたくさん取り扱っている店がなんと東京駅から徒歩圏内にあるとつい昨日くらいに知って、そちらにも行くことに!


日本でその店でしか取扱いがない刺繍糸なんかもあって、早速ユザワヤのオンラインストアを開いてユザワヤで取扱いのある刺繍糸のメーカーを調べあげて携帯にメモ入れて、それにヒットしない糸たちをそこで買おうと思っている。


ユザワヤのゴールド会員の40%オフの優待を余すことなく使いたいから、ユザワヤで買えるものはユザワヤでと思っている。


手芸の越前屋に行ったことがある一般の地方の方が財布の紐が緩みまくって大変で自分なりにルールを決めて買った(ちなみに各メーカー2色までとかそんな風だった)とあって、私などはさらに危うい感じだから、私も越前屋だけはある程度ルールを決めて買物をしようと思っている。


仕事帰りにドンキホーテ(格安量品店)に寄って、その時に通り際の通路にアイシャドウが200円で出ていて、色もだし成分も良さそうでそしてペンジュラムが入った巾着袋もYESで、それをかごに入れた。

(ペンジュラムを店で直に出すと危ない人みたいに見えるから、ペンジュラムが入った巾着袋を代わりに手に持ってその巾着袋がどんな風に反応するかを見ていつもYES NOを見ている。巾着袋なら、はたから見れば何か手に持ってるくらいだと思うし、仮にユラユラ揺れていても巾着袋だからそもそも揺れても不思議じゃないだろうと…←どんな読みですか状態( ̄∀ ̄;)


その時に1年以上前のデパートでのコスメデビューをした時のことが少し頭をよぎって、私の場合は化粧品には本当に興味がやっぱりあまりなくて、200円のものでも十分だなと思っている。


そのデパコスと呼ばれるデパートコスメは、使ってみると使用感がいまいちしっくり来てなくて、使いこなせていないというか。


であれば、そこはあまりお金をかけなくても私は自分的に心健やかにいられるんだなとわかった。


でも刺繍糸や裁縫の糸たちは違う。


基本的にどんな糸たちも使い心地は実際に使ってみないとわからないけれど、どれを使う時もワクワクするし、そして合わせ方や縫い方によって表情もコロコロと変わるから面白い。


そういうのが好きなんだなとわかる。


200円を使うなら、アイシャドウはもうしばらく要らないから、迷うことなく糸を買う!


さらなる余談だけど、よく雑誌なんかで通販で取り寄せできる商品のページなんかがある。


あんなのみんな見るのかな?と常々不思議に思っていたけれど、そして私は料理系の雑誌だとまだかろうじてそういう通販ページもパラパラ程度には見るけれど買ったことはなくて、服飾系の雑誌は見ることもなくスルー、でも手芸雑誌たちは違う。(料理系の雑誌は、美容院で要らなくなったものを妹が年に数回母にあげているものが家に常にある。服飾系の雑誌も同様。)


私はあの通販ページをとても丁寧にじっくりと見て、欲しいものや気になるものがあると携帯のメモに入れる。


そして東京遠征の時にそれらのメモを見て買物をしたりする。


ちなみに過去一気になった商品は、そもそものメーカーがもう存在しないのか商品は見つけられず。


少し前に類似品を買ったけれど思ったのとは違っていて、そのシリコン的なシートはこれからも探し続けたいなと思っている。

2024年1月12日金曜日

2024年幕開け

今年の手帳の使い始め
2024/01/11

今年の手帳
1ヶ月近く毎日メルカリでリバティパトロールに励んで、やっとゲットできた1冊
(もう1冊別のデザインがあるけれど、年末に妹家族が来る前に慌てて全てをいくつかの箱や袋にしまい込んで片付けたから、今現在行方不明中
(꒪ꇴ꒪〣)
今週末こそ部屋や物を快適に過ごせるように整えたいなと思っている)


>2024/01/10

2024年初ブログ。




>2024/01/11


上の文を書いて、それ以上書こうとしても何も書けなくなって、そのうちウトウトして眠りに落ちた昨日。


全く要らぬ情報だけど、本当は9日から初出勤の予定が胃腸風邪なのか何なのか、過去に体験したことのない体調不良に見舞われて910日と仕事を休んで、それは自分の中で記憶違いでなければコロナになった時以外では今の職場では初の体調不良での欠勤だったし、子どもの頃からとにかく体調不良で休んだことが片手で数えても指が余るくらいにないから、そんなこんなですっかり社会人な自分はなりを潜めて(普段から社会人的な顔はあるのかという話はおいといて)、12日間休んで普段のイライラや喧騒から離れて、ずいぶんと自分の中に平穏さとかおだやかな空気が流れて、この清浄な感じの空気感の今こそが「やるなら今でしょ」的な後押しになってくれて、そしてたったさっき、2022年の秋の暮れからずっとずっとやろうと思っていたことを決行して今がある。


仕事も珍しく変なものが来てなくて(!)、とりあえず面倒なゴタゴタのない1人で淡々と進められる仕事をして、定時で速攻帰って。


何せコロナ以外の体調不良で休んだことがない私だから、周りはとても優しくて、具合悪かったらいつでも早退してと数人に言ってもらい♪( ´θ)ノ、何とか8時間過ごして気持ちも穏やかなまま帰宅、ごはん、風呂と終わって、早朝寝起き一番に準備したものをさっき完成させて任務完了した。


途中から可笑しなことも思った。


「今日って11日!そうだ、誕生日まであと2ヶ月だからその2ヶ月前の自分にプレゼントしたことにしたらいいんだ!」に始まり。


ずっと使い道を考えていた今年の手帳、1ヶ月近く毎日数回メルカリチェックしてゲットしたリバティ生地のスケジュール帳のフリーメモ欄の使い方が決まったのも決行1時間ほど前。


「そうだ!手帳には『今年自分にプレゼントしたもの』リストを書こう!」とこれまたテンションが上がり。


プレゼントしたとか、自分の願いを叶えてあげたよリスト。


響きだけで素敵!


ちなみに手帳には

・こんなもの作ったよ記録(手芸関係)

・お出かけ記録

・記憶に残るシーンたち

・おいしかった食べ物

・体調諸々の備忘録

とか色々名目を決めて今年は手帳を使う予定でいる。


スケジュールなんか管理するものが私の場合ほぼほぼないから(休みは引きこもり万歳な自分ゆえに予定など書くことがとんとないし、頭で記憶できるほどしか予定さえもそもそもない)、正直に言うとスケジュール帳は不要。


なんだけど、今年はリバティのスケジュール帳があまりにも可愛くて、ちなみにそれは特定のリバティショップで1万円以上の購入がないともらえないノベルティで、だからメルカリで譲ってくれる人をひたすら待つしかなく。


私は1冊目をゲットした後、中身を見て最初の月々のスケジュール以外の95%はノートとして使えると知って、柄違いのものをこれまた2冊目ゲットして、こちらはまた何か違う用途のノートとして使おうと目論んでいる。


話があちこちに逸れまくったけれど、先ほどの1年以上温め続けてきたことをようやく決行できて自分的にはとても満足している。


終わりの瞬間はボタン1つポチッと軽くタッチするだけで、拍子抜けするくらいにあっけなくて、何度も何度も本当に無事に完了できたのか確認しまくって、どうやら本当に完了というか無事に実行されたようでホッとしている。(1時間弱、数回チェックした。)


1年以上温め続けたと言うのは、内実はずいぶんと違う気がする( ̄∀ ̄;)


毎日毎日頭の中にはずっとあった。


「こうしよう!」と頭の中にポンと浮かんだ2022年の秋の暮れの時のことは、本当に何度も頭の中を去来したし、その後にイケメン上司を4年生くらいの子どもにしたようなイケメン上司そっくりな男の子にバスで席を譲ってもらった瞬間なんかは何度も思い出して時々「うぅっ」と涙が出るくらいの気持ちにもなりまくりだったし、それから何回季節が巡って色んなことがあってもその時に思ったことや見えていた風景は数えきれないくらいに自分の中を行き来していた。


関係ないけれど、占星術の先生から受けた鑑定で2023年は出会い運というか恋愛運というのかとにかくその類いの運気がとても高まることを教えてもらっていてそこ言葉も何回も頭をよぎったけれど、なんだろう、自分側のGOサインみたいなのが上手いこと出なかった。(誰かからアタックされたなんてことはもちろんない、あくまでも私個人のGOサイン)


仕事は異常なほど忙しい時が周期であって、そうなるとヘロヘロになって自分の内側にいまいち向かいにくい。


言い訳みたいだけど、そういうことが続くと自分の気持ちだけを見つめるなんてことはとっても難しい。


特に、11月と12月は毎日のように頭の中がというか体中が大噴火するくらいの火に油を注ぐような、私からすると理不尽すぎる発言や注意が仕事の中で相次いで、そちらにたくさんのエネルギーが持って行かれてしまった。


自分が悪いことや不利益なことをしてのものならわかるけれど、全精力で対応してスーパー貢献をしていてもそれでも無理解が続いてしんどすぎたし神経が擦り減って仕方なかった。


私生活はある程度落ち着いていたけれど、この1年近くはわりとけっこうな頻度で遠出や姉妹友達なんかとの往来があって、それらがあるとまた「次の◯◯の予定まで余計な懸念事を持ち込むのは嫌だから、くだんの件はもう少し先送りにしよう」とか思い始めるや否や先送り確定させて、そうこうしているうちに仕事の波が押し寄せたりして、とにかく落ち着く間もなかった。


そういうわさわさした時に動くのも1つの手だとは思ったけれど、決心がつかないところが根幹にデーンとあるところに、さらに色んな自分言い訳を始めて先送りし、本当は2023年中にやりきろう!と思ったけれどなんだかんだでできず。


それで年末年始は妹たちが帰ってきて、もちろんちびっ子たちも、そして能登沖地震の後に高速が金沢まで開通した日に私も妹家族と共に金沢に行って(ちなみに金沢は被災地と同じ県とは思えないくらいに通常運転だった)しばらくそちらで過ごした後に新潟に戻って、ようやく1人の時間を持てて「やっぱり今のタイミングで行こう」と自分の中で決意じみた、もしくは覚悟じみたものが生まれて、なのにうだうだとして動かないというより休息的な意味で休みたいと思っていたらそれは本気の体調不良の予告でさらに2日間休みが延長して、また先送りするかなと自分のことなのに他人事のように眺めていたらいきなりスイッチが入って動いて形にしてそしてさっき決行できた次第。


何せ「年」カウントをすると2年も越してしまったわけで(スタートは2022だから)、このままズルズルは本気のズルズルになるなと、謎の焦りと危機感を持った。


これは昨日かその前、具合が悪い中だったかに気付いたこととして、これまでは「叶う」「叶わない」の2択で言えば「叶わない」現実ばかりを山ほど想像していて、というよりも叶わないことしか上手く想像できなかったから、「もし叶ったら」とそちらを初めて冷静に想像してみた。


気付いたのは、叶ったとして私の中ではその現実のこともめちゃくちゃ怖れているんだと知った。


矛盾しているように聞こえる話だけれど、叶わない現実に向き合い続けることも怖いというかしんどいのは想像しなくても十二分に味わっていて、そちらの覚悟はなくても免疫力というか積み重ねで鍛えられた分があるからそれを持って臨むことができる。


でも、叶う方は嬉しいももちろんあるけれど、これまでとは違う力みたいなのがいるわけで、私は色々怖いんだなと初めて気付いた。


結局のところ、どちらも覚悟がない自分なんだとわかったのと、そんな覚悟はいつまで経ってもできるわけもないから、どちらに転んでもその転んだ段階で初めて考えたり自分の怖さなんかと向き合えばいいんだと最後は開き直った。


去年か一昨年に見た大谷翔平の軌跡的なドキュメンタリーで、日本の球団の監督が大谷翔平が入団してくれるとわかった時の心境として、「本当に純粋に嬉しかったのは入団を決めてくれたその瞬間だけですよ。次の瞬間から自分が大谷翔平を育てる立場にあってどう育てていくのが良いのかと考えたら怖くてたまりませんでした。その後からずっとずっと怖い気持ちでしたよ。自分の手に(彼の未来やさらなる成長とかそうしたものをひっくるめて)懸かってると思ったら、もう怖さしかなかったですね」みたいなことを話してた。


言葉は違うと思うけれど、その気持ちが今の自分なら少しわかるなと思う。


土俵にも立ててないから全くのお門違いも甚だしいけれど、手に入れて終わりじゃなくてその先もずっと色んなものがあると考えた時にその場で立ちすくむような怖さを自分の中にも初めて感じたのがつい最近だった。取らぬ狸の皮算用状態。


ちなみに今は、全てはなるようにしかならない、と思っている。




>2024/01/12 真夜中


私が発進したボタンの未来を想像した。


「おののく」


ポンとそんな言葉が出てきた。


本当に朝から度肝を抜かれて、1日の活力の全てを奪い、ありとあらゆる集中を切らす爆弾みたいなものだろうなといとも簡単に想像できてしまう。


もちろんそんな意図は微塵もないけれど、意図してなくても受け取り手はそのように受け取っても全くもっておかしくない。




>2024/01/12 早朝


改めて、実感が湧かないけれどもすごいことを実行してしまったんだなと思う。


私は荒波を立てたいわけでも嫌がらせをしたいわけでもない。


今の瞬間を点で見るとインパクト大だけど、私が見たのはそこじゃなかった。


過去〜今〜未来と続く時間の中で、自分が本当に叶えたいこと、何とかしたいと思ったこと、それのために今の自分がやれることを自分のためにやった。


もうこれで何にもなければ本当にダメなこともわかって、だったら自分が最後「やるだけやったよね」とそこに自分を持っていくこと、それが自分のためにできることだと思ったから。


相手の迷惑など考えたら動きも取れないし、それを第一にしたら私は昨日の夜行動に移すことはなかった。


一生のうちでこれが最後だから、と自分側の都合というか心の決め事だけを軸にして、それで動いた結果が今になる。


何も変わらなくてもそれはそれで受け止めていくし、だけど天変地異的なことがもし起こってくれるとするなら私はそちらに賭けたい、ただただその気持ちだけで動いた。


この後普通に1週間の終わりを迎えるだろう時に、その普通が大なり小なり壊されてしまうだろうこの後を想像すると(私側ではない方の話)申し訳ない気持ちももちろんあるけれど、どうか温情をなどと願う私はちと求めすぎかと思う( ̄∀ ̄;)