2014年8月10日日曜日

腹が異常に立った日の処方箋

ここ何年、下手したら社会人になってから初めて?という位、

今日は仕事で腹が立ちまくった。

そもそも今日は日曜日で、日曜日は「当番」と呼ばれるだけあって人数は最小限。

今日はわたしともう一人Aさんの二人だけ。

Aさんの言動という言動に、行動という行動に、とことん神経が逆撫でされた。

社員のAさんの2倍量の仕事を派遣社員のわたしが執り行うという、

ほんとうに大袈裟でも話を盛ってるわけでもなく、

そんな意味不明な仕事の分担に加え、
(Aさんのペースが遅くて、結果、負担がしわ寄せでやってくる)、

わたしの仕事のひとつひとつにすべからくケチをつけ、

なんだったらAさんの本来する仕事までわたしにやるように言い、

やったらやったでAさんのやり方と少しでも違うとそこをとことん指摘し、
(言うけれど、間違った対応は一切していない)

挙げ句の果て、毎回対応方法がバラエティに富んでいるから、

イレギュラーな依頼が来たら社員に確認しないとわからないのに、

最後の最後、

「もう8月で終わりだけど、きちんとプロセス理解していないと・・・(社員側が)つらいね」

と言われてしまった。

ぶちぶちぶちっ、とMAXに腹が立ったけど、もう何も言い返す気力もなく、

自分のやれるところまでやって退散した。

その場を離れても、怒りは1時間以上尾を引いた。

当然何回も何回も今日は攻撃を受けてる状態だったわけで、

明らか理不尽なことは、最初訂正を申し出たりもしたけど、

訂正しても、「はい」と返事しても、もう何をしていても言われ続けるから、

とにかく、消化不良の怒りで満載だった。



前置きが長くなったけど、そんなこんなで家に到着。

まだその怒りから全然離れられずにいたから、

とりあえず携帯でニュース読んだり、最近はまってる某ブログたちを読み漁ったり・・・

そうこうしているうちに、ふとこれまでの人間関係に意識が飛んだ。

ちょうど2人の友達と昨日今日でやりとりしていたことも重なり、

その2人から受けた心くばりに意識が集中した。



わたしが心から尊敬する料理家の高山なおみさんが、

心が弱った時や緊張している時は、

自分の大事な家族や恋人、友達などを思い浮かべて、

その人たちひとりひとりに応援されてる、

その人たちが自分のことを応援してくれてる姿を、ひとりずつ丁寧に思い浮かべる作業をする、

していくうちに心が軽くなったり、緊張が和らいだりする、

その人たちから力をもらえる、たとえすぐ近くにいなくても、

というようなことを言われていた。



今日、その言われていたことを体感!!!

2人からしてもらったことを通じて、

仕事でさんざんだったけど、

この2人からは良いエネルギーをもらっているんだなぁと気付かされた。

具体的な思い出を振り返っているうちに、

何とも言えない良い心地になってきて、

そのうちす~っと怒りがおさまってきて、

そうだ、この体験を書こう!とパソコンを開いた次第。

書いているうちに、別の友達が

「今やってる『劇的ビフォーアフター』は舞台が新潟だよ!!」

とメッセージが来た。

そんな小さな知らせを知らせるためにわざわざメールしてくれる友達。

非常にありがたい。

いいぞいいぞ、運気上昇中!!!とひとりで舞い上がった。

ビフォーアフターの友達とは、「日々の積み重ねが色んなものを形作る」という話にまで発展し、

色々奥深い話をしていくうちに、あの仕事での怒りはいつの間にか消えていた。

自分の焦点が、友達とのメールやこのブログに移っただけかもしれないけれど、

そもそもは周りの人たちとの小さな思い出ややりとりを思い出すことで

消化不良の怒りたちがやわらぎ、

あの苛立ちから4時間経過、苛立ちきれいに拭い去られた。

今はとっても気分がいい。


最後にまとめ。

「腹が異常に立った日の処方箋」

自分の好きな人たちを一人ずつ具体的に思い浮かべ、

その人(たち)との思い出なり会話なりを振り返る。

そうしているうちに、ふと心の転換がやってくる。

2014年8月9日土曜日

食についてのあれこれ

ここ1年位だろうか、外食しても「おいしい!」と思うことがとっても少なくなった。

基本的に食べることがとても好きだし、好き嫌いもないに等しいし、

どんなものであれ、出されたものはきれいに食べる習慣がついているから、

食べ残すこともないけれど、

「これ、うまい、また食べたい!」というのは少ない。

例外的に、精肉店直営の焼肉食べ放題のところと、ホルモン専門店のところは、

いつ行ってもおいしいし名古屋にきてから何回通ったかわからない。

あとは、近所の毎朝手作りの小さなパンを出してくれるモーニングのお店とか。

でも、基本的に何度も通うということは、ほとんどない。


ついこの間、手作りお惣菜のおいしいお店と呼ばれるところに初めて行った。

結果として、「わたしでも作れる」という感想だった。

もっと言うと、すべてしょっぱくて、しょうゆならしょうゆ、味噌なら味噌、塩なら塩の味が

単体で際立っていて、調味料を口にしているのか、料理されたものを食べているのか

わからない位だった。


自分が料理上手だとも思わないし、料理に異常なこだわりがあるわけでもない。

でも、日々自炊していると、大抵のものは作れるようになってくる。

しかも、材料や調味料も特別高価なものでなくて、スーパーで安価に入手できるもので、

十分おいしいものができあがることも知っている。

そういう風に自分の舌が慣れてくると、

お金を払って食べるお店というものに対して、

中途半端なものを出していることに、損した気持ちと残念な感じと、場合によっては怒りなんかも

ふつふつと湧いてくる。

お金を払ってサービスを受ける、この場合なら食事になるわけだけど、

そういうものに対して、ある程度のレベルでないと満足できない自分に気付いた。

逆に、ファーストフードなんかだと、安い速いが売りで味は二の次と思うと、

ふつうにおいしいと思って食べられる。

わたしが苦手なのは、「食にこだわってます!」風に見せかけて、

人の手を介してすべて調理されていて、

なのにおいしくなかったりまずかったりすることなんだと思う。

2014年8月3日日曜日

海から届いた一期一会

今日、市内のとあるデザインの展示会に行ってきた。

正直、案内のデザインを見ても、そこに添えられている言葉を読んでも、

いったいどんな展示なのか、皆目見当もつかないまま行ってきた。

面白そうという気持ちはもちろんあったけど、

それよりも、妹の旦那のお兄さん夫婦がふたりで創りあげてるもの、

だから見にいってみたい、という気持ちの方が強かった。


行ってみて、驚いた。

「一期一会」とは、本当にこういうことを言うんだと思う。

細かいことを書くと、大切なアイディアがばれてしまうからたくさんは説明できないけど、

お兄さんたちがしていたのは、

海辺に落ちているもの、それもひとつとして同じものがないものを見つけ、

その見つけたものでまた唯一無二のデザインを創り上げていた。

海辺に落ちているものも、特殊なものではない。

言われてみれば、あるある!というもの。

はっきり言って「ゴミ」と言われても、まったくその通りというものなのに、

お兄さんたちふたりの手にかかると、

それはゴミではなく、特別な意味合いを持ったものになり、

そしてそれが新しい命として別のものに生まれ変わる。

目の前に広がるデザインのみなもとはすべて、

人の手から海に流れ、波打たれ、浜に打ち上げられ、

そしてそこに希少性を見出すお兄さんたちに見つけ出してもらったものたちだった。

すごい偶然が幾つも重なり合って、最後は人間がイメージするものとして再生する。


デザインももちろんすごいのだけれど、

ひとつのデザインのうしろに広がっているストーリーを思うと、

果てしない一期一会に気が遠くなりそうになる。

「神業」という言葉があるけれど、本当に神様がいるとしたら、

その作品のすべてに神様が降り立っているような感じだった。

2014年7月24日木曜日

心理検査の落とし穴

「エコグラム」と呼ばれる心理検査がある。

全部で50問(10問×5分野)、YES・NOで答えていく(一応、どちらでもない、も有り)。

わたしがエコグラムを最初受けたのは、今から10年ほど前。

通信制の大学の心理講座の中だった。

実際にキャンパスに行って、対面式の授業を受けたのだけど、

その時のわたしの結果の分析の言われようは、相当ひどいものだった。

大学で教鞭がとれるわけだから、少なくとも博士号なんかを持ってられる、

カウンセラーの先生だったと思う。

先生は、わたしの数字的な結果と、その結果を折れ線グラフのようにした図の両方を見て、

「あなた大変でしょう!?

色々と生きづらかったり、人との関係の中で大変でしょう!?」

そんな類のようなことを言われた。

わたしはいきなりそんなことを言われて、はっきり言ってパニックだった。

わたしがぴんときてなくて、答えないうちに、

「お母さんとの関係で、何か思い当たることない?」

とさらに質問を重ねた。

これが1対1のやりとりではなく、数十人授業を受けている中での出来事だった。

その場では何が何だかわからず、わたしは授業の後にもう一度個人的に先生に質問した。

どんな意味や意図でそういうことを質問されたのか、当時のわたしには理解できなかった。

先生は、とにかく親子カウンセリングの必要性をわたしに説き、

わたしはわたしで、自分の親子関係の悪いところを必死に探そうとし、

何かがまちがっていたんだろうか・・・という不安ばかりが募って、それっきりになってしまった。


その後も、2回程度は、エコグラムを何かの折に受けたと思う。

よく就職試験なんかで使われたりするから、そんな感じで受けた記憶がある。


で、今回、興味が湧いて受けた心理講座の中にまたエコグラムが登場した。

最初のスタートから数えて10年以上は経過したかと思う。

そこで、わたしは、当時なぜあれほどに先生にマイナスにしか取れないようなことばかり

言われたのか、言われたというより、先生がどうしてそういう発言に固執したのか、

その謎がよく解けた。


人によっては、エコグラムの折れ線グラフの形が変わったりするらしいけど、

わたしは、その初回から今回のも含めて、数回分すべて同じ様相の形だった。

だから、わたし自身、基本的な考え方や行動はあまり変わっていない。

で、そのわたしの折れ線グラフの形というのが、

「人間関係に振り回される、典型的な例」

にぴったり一致するものだった。

この、「人間関係に振り回される、典型的な例」

という分析は、実は今回初めて知った。

わたしは、今回講座を担当した先生のところにも、個別に聞きに行った。

でも、今度はちょっと違う質問をした。

わたしが質問したことは、

自分は人にはとっても恵まれていると思っている、

これは今だけじゃなくもうずっと長いことそう思っている、

周りの人にもそう言われたことまである位に本当に恵まれている、

なのになぜ、人間関係に振り回される典型的な例になるのかがわからない、

そう質問した。

先生の答えはいたってシンプルだった。

「貴女、困ってないんだよね?だったらそれでOKよ!」

その後補足して、

一般的にはそう言われてしまう形ではあるけれど、

本人がそう感じてなければ違うってこと。

ついでに最初に受けた時の、当時の先生に言われたことも伝えたら、

「それは、その先生が一般的な理論に当てはめて貴女を見ていただけ。

こういう結果なら、こういう性格の人だと決めつけて話していただろうから、

だから、そんな内容のことを言われたのかな・・・」

あと、人間関係に振り回されるという傾向が強い形ではあっても、

ひとつひとつのパートを見ていけば、

楽しいことが好きで、裏表がなくて、面白い人っていう風にもなるから、

周りにはそう映ってるんじゃない?とまで言ってもらえた(←これはとてもうれしかった)。


長いこと、なんであそこまで強く言われなければいけなかったのかわからなかったことが、

今になってわかった。

最初の先生は、理論が最初にあってその後に目の前のわたし、

要はわたしが二番目だった。

目の前の人よりも、理論が勝り、当然わたしは混乱し、

わたしもわたしで、この人はわたしの何も知らないのに、何を好き勝手に言ってるんだろう・・・

と思えば良かったけど、そう思えるだけの自信がなかった。


わたしは、やっぱり人は、たとえどんな人でも、

数字や傾向だけでは推し測ることのできないものだと思っている。

同じ人でも、昨日のその人と、今日のその人と、明日のその人と、

それぞれ状態が違う。

ある程度の枠組みはあった方が便利だし必要だとも思うけれども、

それによって目の前にいる人が決めつけられてしまうことは本末転倒だと思ってる。


当時は、とっても不愉快な思いをしたし、

必要以上にいろんな不安や葛藤がのちのちにもたらされるようなことにはなったけど、

この心理検査の落とし穴的な体験ができたことは、ある意味とっても貴重だと思ってる。

2014年7月9日水曜日

35歳4ヶ月

この日記の公開は、いつかこういう自分をさらけだしてもいいなぁ~!
こんな時代もありました、私!と堂々と胸を張れる時に公開したいと思う。
(2014.7.9)

私が想像していた35歳の自分は、

結婚して子育てしている私。
もしくは、自分の天職はこれ!と定めてひたすら突き進む私。
もしくは、まだ天職と堂々と言えなくても、なんとなく少しずつ形にしだしている私。

この3つのどれかと思っていた。

まだ30代前半の時の自分の想像だった。

まさか35歳になって、
結婚もせず、
当然子育てもせず、
派遣で仕事をして、
何がしたいのかわからず、
焦りと心配と不安でいっぱいで、
肩で息をしているような日々を送ることになるとは、
もう想像外だった。

こんな風に毎日を過ごしたいなぁ・・・
あんな風に生きたいなぁ・・・
そういうことを想像することが、とっても苦しくなった。

どうせ駄目なんだ自分は・・・とか、
誰誰、○○のせいで自分は・・・とか、
そういうことは思わないけど、
何やってんだろ自分は・・・とは思う。

なんでみんな迷わずに前に進めるの?と不思議でならない。

それぞれ見えないところで悩んだり迷ったりしているんだろう。

でも、そんなの微塵も感じさせない位にバイタリティがあったりする。

私は、迷いまくり、立ち止まりまくり、でも答えを出そうとしない、

どこからどこまでもスパイラルだらけで苦しい。


世の中の梅干しの怪

今年初めて梅干しなるものを漬けてから、

今日ふと気になったことがひとつ。

一般に市販されている、梅干し、の存在。

梅そのものは、1年365日あるうちの、多分1ヶ月にも満たない位しか市場に出回らない。

春や真夏、秋、冬に梅が売られているのは見たことがないし、

実際に収穫不可能なんだろうと思う。

つい2週間くらい前まではぎりぎり売られていた梅も、七夕を過ぎた今は目にしなくなった。

でも、スーパーの漬けものコーナーに行けば、

いつだって梅干しは数種類陳列されている。

春も夏も秋も冬も関係なく、売られている。

手作りをごり押しするつもりもなければ、

添加物反対!とか、自然由来のものしか口にしない!とか、

そういうことも一切言うつもりはない。

だけど、今回梅干しを自分で漬けてみてわかったのは、

梅、特に熟しだした梅というのは、あっという間に傷む。

黄色くなって、いい香りだなぁ~なんて悦にひたった3日後には、

茶色い斑点が!、あぁ白いカビが!とか言う羽目に。

それくらい、梅の旬は一瞬で、すぐに手を打たないと大変なことになる。

通常、(梅干しを漬けてから)食べ頃とされるのは、秋らしい。

まるで、新米の時期に合わせたようだけど、色んな本や梅干し先生(母)いわく、

秋くらいとのこと。

じゃあ、あの市販されている梅干しは、一体いつ収穫されたもので、

一体いつ仕込まれたものとなるんだろう・・・?

単純に考えてみれば、添加物しかあの梅を救済するものはないんじゃないかと思う。

わたしは、今回あの超スピーディーな傷み具合を実況中継並みに観察していたから、

だからあれを防ぐために使用される添加物の量といったら、

そりゃあ半端ないだろう・・・・・・

というのが素人目にもわかる。

これからも多分ふつ~うに添加物満載の食べものを口にするだろうし、

添加物ゼロの食べものを探す方がうんと大変だと思う。

だけど、今回、自分で実験的に始めた梅干しを通して、

まさか添加物の恐るべき強さを目の当たりにするとは・・・

想像外の産物でした。


2014年7月5日土曜日

梅干しを漬ける

本の影響で、ことし人生で初めての梅干しを漬けている。

料理家の高山なおみさんが、

梅干しを漬ける時期に部屋中に充満する梅の香りがとっても楽しみだ、

1年の中でもこの時期にしかない楽しみ・・・

というような内容のことをエッセーで書いていた。

それを読んだのはたしか冬くらいで、

その頃から梅が出回る時期をそれはそれは楽しみにしていた。

梅干しを漬けることより、「部屋中に充満する梅の香り」の体験をしたかった。


母親は、物心つく頃より毎年梅干しを漬けていた。

だけど、興味がないというのは、目の前で梅干し先生がいてもいないも同然で、

今となってはとっても勿体ないことをしたと思う。


梅干し1年生のわたしは、とりあえず、

母の難解な教授(電話)と、
クックパッドと、
スーパーに置いてあった梅干しの漬け方の紙と、

それぞれを組み合わせながらやっている。

母の難解な説明を聞いた後、クックパッドで写真付きの工程を見ると、なるほど納得だ。


話が飛ぶが、「梅干しを漬ける」ことに興味を持ちだしてから、

はじめてスーパーに並ぶ梅を観察するようになった。

梅干し用の梅は、青梅ではなく、黄色い熟した梅が適しているとのことだけど、

青い梅が並んで、次いで黄色い梅が並ぶ、という季節に沿った変化を

今年はスーパーに行くたびにわざわざ立ち寄って見てみた。

本当にその通りだった。

6月の最終週、なんとなくこれが最後の梅のような気がする、

と思って黄色い梅を買った。

買っといて良かった。

なぜなら、本当にその後、梅が店頭に並ぶことがなかったから。


すぐにでも漬けて良い状態だったにも関わらず、

わたしはその買った黄色い梅を数日放置した。

放置したことが吉と出るか凶と出るかわからないけど、

少なくとも高山なおみさんが言われていた

「部屋中に充満する梅の香り」を思う存分堪能した。

わたしの場合、3日ほどしかそれは楽しめなかったけど(梅が傷みだしたから)、

本当にその匂いをかぐためだけに毎年梅仕事をしてもいい!という位の、

この上ない楽しみな香りではあった。


赤紫蘇は、梅が終わる頃、店頭に並ぶことも今年はじめて知った。

母や本の中の説明通りだった。

こういう旬のものというのはすごい。

数日の違いこそあれど、寸分狂わず、毎年同じような時期に出回る。


この1年ほどだろうか、こういう季節の移り変わりや旬のものへの興味が強くなってきた。

小学校のときの、朝顔やひまわりなんていうのは全然興味が湧かないものだったけど、

今の年齢になって、初めてそういう自然の流れや自然の力みたいなもの、

それを楽しみながら観察したり、実験のように何かを体験するようになった。