2025年4月7日月曜日

2025メッセージの舞台裏側

2025/03/20

今カードリーディングしているけれど超絶やりにくい。


おまえさんはそんなメッセージを書けるほどきちんとできているのかい?と自分へのツッコミが止まらないまま書いている。


色々集中できないからスイッチが入ったらまた書こうかと。


毎回言い訳並べて本当にどうかしてると思っているけれど、今年もさぁどうする?と思った。


余談だけれど、ここ3ヶ月4ヶ月で数個のオラクルカードをお出迎えしていて、それらの初めてのカードとの対話的な儀式は毎回やっていて、それさえもやっとこすっとこやっているというのに、第三者向けにお願いもされていないメッセージをカードから読み解くなんて、あなたできるの?と超疑いの目を自分に向け。


アップする当日は私は金沢に移動しているし金沢着いたらドタバタしてメッセージを書くどころじゃないし、っていうかそもそもお願いされてもないからやんなくて良くね!?みたいな。


まずはやるやらないの葛藤しているところにとりあえずここは冷静に判断してくれるペンジュラムを登板。


ペンジュラムがNOと出せばもちろんやらない。


ペンジュラムを手に持って聞く。


「やる?」


クルクルクル、右回り、YES。


いやいやいや、間違えてるかもと今度は「やらない?」


クルクルクル、左回り、NO、すなわち「やる」。


しつこくは聞かず日を置いて多分3回くらい聞いてみたら、絶対にYES。


もうあきらめた。


もはや色々何なのかよくわからないし、最近は「これは幻の世界?」「現実逃避?」「何かの魂修行?」とか色々思いつつ、もう繋がるとか会えるとかそういう現実はやってこないだろうと受け入れる受け入れないも現実は「無い」ことが現実だから、そんなの私がまた空想のように色々繰り広げても自分も自虐的な感じになってちとばかり辛いというか針で自分をツンツン刺すみたいな感じで好ましいのじゃない。


「これまでも今もこれからも何も起こらない」と思って生きていく方が人生の中で健やかに生きていける気持ちがどんどん膨らんでいく。


とかいう心理状態で始めているカードリーディングだから、そりゃもう色んな意味で邪念だらけになっている。


そんなの差し出すのか?という話。


毎回裏切ることなくやばし。

(↑自分で書いといてなんだけど、今日4/6読み返すと「毎回裏切ることなくやばし。」って何が言いたかったのかさっぱりわからない。わからないけれど可笑しいからネタとしてそのまま載せようと思う。ちなみに最後の「やばし。」だけはこの言葉だけで色々やばいと思っていただろうことは簡単に想像がつく。)




2025/03/29


今金沢行きのバスの中。


カードリーディングは超途中までやって


↑ここでストップした(この1週間少しでネットゲームとネットコミックにどハマりして、そちらを少ししようとしたらそれだけして金沢に着いてしまった)←えっ(。-_-。)




2025/04/06


今日こそメッセージを書き終えてアップしたいと思っている(日曜日の日没前…)。


3月の下旬に入った頃、やろうと決めて先にカードリーディングをして、その時に感じたことをとりあえず8割近く書いといて良かった。


メッセージを書いている私側というか裏側について書き始めたこの文章たちだけれど、突如友人ノムから言われたことを今日4/6になって思い出した。


いつだったかノムはイケメン上司と私のことを見て「ぶっしーの◯◯さん(=イケメン上司)に対するものって無償の愛なんだと思うんだよね」と言った時があった。


時を空けて2回か3回はそんなようなことを言われた記憶がある。


直近でもこの数ヶ月以内に言われたなと思う。


そんな崇高なものじゃないし、愛という定義と自分とがミスマッチな感じも多々するし、言われる(読まされる)イケメン上司からするとやめてくれと言いたくなるかもわからない。


このカードリーディングから受け取ったメッセージを言語化してブログにアップするという行為そのものがもはや何なのかなんてわからないし、意味とか名前とかなんて無いと言えばそうだし。


でももはや見返りなど求めたところで何も返ってこないし、この先のいつかまたリアルに交わる機会が巡ってくるのかと言えばそんなこと普通に考えたら無いだろうし、そんな無い無いだらけの中でもメッセージを紡ぐ・伝える行為はある種の無償の愛と名付けてもらえるならどうぞよろしくお願いしますと頭をペコペコ下げたくなる。


どんな心情になるのかわからないけれど、本当にほんの少しでも元気やパワーをもたらすものになれたらこの上なく嬉しい。


個人的なことだけれど、この3週間くらい仕事の人間関係のやりとりで相当参っている。


この私が仕事中やりとりの後相手が立ち去って1人になった時自然と涙が出てきてしまうくらいにやられた。


自分は誰に何を言われても本当に必要なこと適切なことをできる限りやりきったと言えるくらいだけれど、1つ1つケチを付けられこちらの支障や問題を伝えてもそれは無視され、反対に少しでもやらかすと糾弾され、本気で意味がわからないことが立て続けに起こって、それが数回続いていつまでもグジグジとしたものが残っているみたくなっている。


こんな言い方はおかしいけれど、私と上層部の人の言い分を同じ場所と時間と人(会社トップ級の役職の人)の前でそれぞれが説明したとするなら、間違いなく怒られたり注意されるのは上層部の方。


自分の味方というより、その場に居合わせた人や一緒に対応した人皆が口を揃えて「あれは無茶ぶり過ぎる」と言い切ったくらいに、私含めて対応に当たった人たちは今回の惨状を上層部の一方的且つ自己保身の身勝手な決定で本当に酷かったことを身をもって体験している。


だからあまりにも理不尽でやるせなさすぎてメンタルが相当やられた。


ちなみにそれを機に本当に自分が楽に呼吸できるところ、やることを適切に評価されるところ、そういうところに自分の身を置けるように今のところは次の契約更新の9月末か年末で辞めれるようにしようと日に日に気持ちをそちらに向けてあとは粛々と自分の仕事をやりながら静かにしている。


こんなメンタル状態の自分に対してひたすら労い寄り添いがんばってると言い、あとはメンタルの回復をひたすら待っている。←だいぶ良くはなってきた。


そんなこんなを経て思うのは、もし誰かが絶対に自分の味方をしてくれるとわかったのならそれってすごく強いなと思った。


教科書的に言えば親が子どもをどんな風でも第一にそして大切に思うみたいな気持ちで誰かに自分が寄り添ってもらえたらとても心強い。


イケメン上司の今現在がどんなかなんて全くわからないし、絶好調かもだし可も不可もないのかもしれないし絶不調かもわからない。


いずれの状態でも無事や安寧を祈る人がこの世に1人はいるよというのを伝えるものにこのメッセージたちがなってくれたらそれで十分だと思う。(安寧って出てきたから調べたらこれは無事でやすらかなこと、特に社会とかに対して使う言葉らしく、でも個人レベルでも無事でやすらかであるのは大事だし必要だよねと思ってこのままにしようと思う)


無償の愛だなんてあまりにも大義すぎる上に何じゃらほいの感じが出てしまうけれど、無事であることや元気でいるといいなという気持ちを常に持っているのは本当だから、それをイケメン上司が受け取らなくてもせめて知ってもらえたら御の字だなと思う。


大人になればなるほど心の鎧みたいなのがますます分厚くなって不遇なことや理不尽なことも色々出てきてしまってますます心を閉ざしがちになるかもしれないけれど、本当に心の底からイケメン上司が今日もどこかで元気だといいなと思っている、そんな人がこの世に1人はいつもいるよ!が伝わるといい。


それが伝わるのなら、もはやカードリーディングのメッセージを伝える伝えないとかいうことをうだうだとああでもないこうでもないと言い訳する必要はない気がしてきた。


もはや私の自己満足のためにしてると思われてもいい。


何でもいいから伝わればそれでいい。


本当にそんな風に今は思っている。

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