2023年12月10日日曜日

静かな師走と健康寿命

「静かな師走と健康寿命」というタイトルは、近所の100均に行く道中歩きながら思いついた。

1週間前の今日東京に行っていたとは思えないくらいになんだかすごくそれが遠い昔の出来事のように感じながら、この1週間書きたいと思いながらもなかなか書けない、夜になると眠いしダラダラしたいしで全然下書きさえも書けなくて、それでようやく今日の土曜日の夕方になって少し書く元気が出てきた。


書こうとしていたことをちょこちょこ書いて、とりあえずある程度形になったらしっぽ切れとんぼみたいでもアップしてしまおうと思っている。


関係ないけれど、今年は本当にブログを書かない1年だったなと思う。


書いたは書いたけれど、これまでのペースを思うと本当に半分以下とかじゃないかと思うくらいに書いていない。


それは日記然り、他のノート然りで、書くことが今年1年は全体的に遠くにあった。


いつでも書ける状態ではあったけれど、書く気力がないというか、いまいち書くことに気持ちが向かわない、そんな感じだった。







静かな師走、というのは今現在の私の着地地点。


先週吉祥寺で手芸屋巡りをすることが今年最後の外に出るイベントで、今年はもう特別に自ら企てない限りは予定がない。


これからクリスマスカードを恩師に書くとか年賀状を書くとか、他にも私にプレゼントを贈ってくれた方々へのお礼の手紙を書くとか、そういう予定はいくつかあるけれど、どこかに出かけるというタイプの予定はない。


誰かに会う予定もない。


仕事、家、時々手芸というのがしばらくの冬の定番スタイルになりそう。


家の中でやりたいことが色々あるから、とりあえず暇になることがない。


それはそれとして、とにかく静かな自分だけの時間が流れつつある今日この頃。


仕事も落ち着いていて、色々面倒なことや普段以上にやりたくないことはあれこれあるけれど、それでもなんとなく仕事に行ってやることやって家に帰れば家事して風呂入ってダラダラしてたらそこそこ日常が回るというところに今はいる。


イライラすることや疑問に思うことも細々とはあるけれど、それらは自分の人生を左右するようなものたちじゃないから、とりあえずの自分のおなかの虫がざわざわしない程度におさめられたら御の字と最近は思っている。


静かで落ち着いているからこそ、より一層際立つ。


自分が本当に叶えたいことと叶えるために今できることが何かということ。


1年前の秋の終わりに、ノムとミッチーと2人の濃密な知人(友人というのもなんだか違うけれど、知人レベルではないし、とにかくすごく強い影響力のある方)とに会った時、そこで伝えられたこと、さらにはその帰り道、最寄りのバス停からバスに乗ったら小学生の男の子に席を譲ってもらったそのシーン、それらがずっとずっと自分の中に静かに暖炉の火が燃えるように灯っていて、多くの時間は日常にかき消されていても火は消えることがなくて、その火の源泉と言えばいいんだろうか、そういうものを自分の中でようやく「やっぱりこれだ、今だよね」という気持ちが固まりつつ、あとはいつかのタイミングで自分が動くことを今も静かに待っている。







「健康寿命」は最初「健康年齢」だった。


でも色々歩きながら考えていくうちに「健康寿命」の方が言葉としてふさわしいし的を射ていると思ってそちらにした。


父と母は同い年で、父の大親友だった同級生の人の奥さんが最近施設に入居したと、父がその大親友の命日に家を訪ねようとしても毎回留守で、共通の友達に連絡したら施設に1ヶ月くらい前から入ったと聞いた、という話を木曜日の夜にごはんを食べながら父と母から聞いた。


奥さんも同級生で、だから今72歳か73歳とのこと。


私もその父の大親友の方には何回も世話になったし、奥さんの方も何回か会って言葉を交わしたこともあって、あの元気な人がそんな風になるだなんて想像がつかなかった。


それを聞いて初めて「健康でいられるのってあと何年くらいなんだろう?」と思った。


40歳を過ぎてからさすがに体というのは20代30代の頃と同じとはいかないのは色んな場面で体感しているけれども、だからと言って体に何か支障があるわけじゃないから、あとどのくらい健康でいられるのかなんて考えたこともなかった。


自分の老後は全く想像がつかないけれども、そういうことよりも仮に70歳までそこそこ頭も体もまともに機能してくれたとして、それまでの時間を単純計算するとあと25年しかないこと、そして体もだけど仮に認知症とかアルツハイマーにならずに済んだとしてもそうなる可能性は五分五分なわけで、それを自分の身に置き換えて想像した時に「動こう」と思った。


動こうというのは、健康のために運動しようとか体に気をつけて◯◯をしようとかそういうことじゃない。


私が真っ先に思った「動こう」は、自分の願いを叶えるために自分のために動こうの方の動こうだった。


上に書いたノムやミッチーが出てくる1年前の話に通じていくけれど、ずっとこの1年くらいああでもないこうでもないと考えたり先延ばしにしたりはたまた日常の忙しさがあるとそれにかまけたりしていた。


1年以上経過した今、1年前に思ったことと今思っていることに何ら差はない。


もちろんその時その時に思ったことは小さな差はあるにせよ、基本のところ、根本的なところはずっと同じことを思っている。


そして同じことを願っている。


とりあえず来年にまた持ち越すのは嫌だから今年中、もう12月だからあと3週間くらいなわけだけどそこで何とかしたいなというのは前々から思ってはいた。


そんな折に突然入ってきた私も知っている方の施設の入居で、そこで初めて「何年あと自分は元気でいられて、誰かを見て誰とわかって、誰かと会話してそれが会話になってると意識することなくスムーズにやりとりができるんだろう?」と思ったら、初めて残されている時間はもう自分が思っているよりもそんなにはないんだと気付いた。







さっと読み返したら、何が言いたいのかは私にしかわからないようなものでも、読んでて面白かった。


面白いじゃなくてテンポが良いかな?


真夜中に書いたブログとか夕ごはん作る前の限られた時間に書いたから、ポンポンと出てきた言葉をそのまま綴った感じ。


今日の日曜日の昼下がりの一大イベントは、新調する羽毛布団を楽天で検索して決めること。


あまりにも数やら見るポイントが多すぎてげんなりしていて、最後は「ペンジュラムに決めてもらおう」と思っている。


今ぬくぬくと布団に入っているから、昼下がりの用事が夕方や夜に繰り越されそうな予感

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