2015年11月22日日曜日

小さな花壇の物語

うちから2ブロックほど北上したところのお宅に小さな花壇がある。

幅は50cm程度で長さが3mほどだろうか。

家のすぐ脇にその花壇はあり、そして花壇の脇は公道だから、家と公道の間の小さなすき間が

花壇になっている。

本当に小さな小さな花壇ではあるけれど、この花壇が実に素晴らしい景観を伴っている。

どうやらそのお宅は2世帯住宅で、下に老夫婦、上に子ども夫婦という風で、下の老夫婦がその

花壇をいつも丁寧に世話している。

そちらの方角はスーパーに行かない限り通らない場所で、だからそもそも月に3~4回程度しか

通らないけれど、それでも月に一度は老夫婦が二人で花壇の世話をしている姿を見かける。

その二人の掛け合いも面白くて、綾小路きみまろが喜んでネタにしそうな掛け合いだ。

じいさんもばあさんも、都合が悪くなると互いに「おまえが悪い」と言い合っている。

それでも何だかんだ言いながらも、二人の協力の手は止まず、最後にはきれいに整えている。

春には桜、夏から秋にかけてはバラ、そしてそれ以外にもホームセンターで買ったと思しき花たち

が彩りを添えている。

本当に手を掛けられた花壇だというのが通っただけでわかるから、いつもそこをチェックするのが

わたしにとっては楽しみの1つでもある。


さかのぼること3年前の春。

知り合って半年ほどのとても気の合う年上の女性を我が家に招待した。

うちから一番近い大きな駐車場があるスーパーに車を止めてもらい、うちまで一緒に肩を並べて

歩いた。

途中でそのお宅の花壇の横を通りすぎた。

その時に、「わぁ~きれいね~、この桜」と二人でその年初めての桜を一緒に見て感動した。

小さな花壇だから桜も小ぶりだけど、その年初めての桜をものすごい至近距離で見ることが

できたわたしたち二人は感嘆の吐息をもらした。

あれ以降も何度もうちに寄ってもらっているけれど、その花壇の脇を通る度に二人でその花壇に

目をやり、その時々の花のきれいさに心を奪われている。

もちろんその花の姿の裏には、例の漫才のような老夫婦の手が加わっているからこその美しさ

であることは間違いない。

どうしてだろう、わたしはその老夫婦の姿を見ているからわかるけれど、年上の女性はおそらく

一度も見てなくてもそのきれいさがまっすぐに伝わる。

花が大好きな方で、そのお宅の花壇だけは唯一足を止めて何かしらの感想を述べている。

他にも立派な庭のおうちもあるのに、その家の小さな花壇だけがなぜかいつもその女性の心を

奪っている。

今は冬に向けて枯れ木や枯れ草は取り除かれ、バラ用の手作りの支柱とこれからどんどん葉っぱ

を落とす小さな桜の木だけが取り残されている。

少し寂しくなった花壇の脇を通り過ぎ、今日は彼女とのやりとりを思い出していた。

花壇からは華やかさが失くなっているけれど、心の中は温かい思い出でいっぱいになっている。

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