2015年11月2日月曜日

思い出の夜勤

もう1つのブログの方に、社会人スタートした時の上司のことを書いた。

当時の仕事は週に1回必ず夜勤があって、その上司とも一緒に夜勤に入ることが度々あった。

大学を卒業した22歳から退職する27歳の間まで、何度一緒に夜勤に入ったか忘れたけれど、

その中でも忘れられない話がある。

その上司は当時40歳前後だったと思う。

ものすごいやり手で、とにかく迷ったり困ったりした時はその人によく相談していた。

いつもヒントや助け舟をさっと差し出してくれる人で、でも決してわたしの肩代わりをすることは

なく、必ずわたしがやることを陰で見守ってくれるタイプの上司だった。

上司としても尊敬していたけれど、人としてもものすごく尊敬していた人だった。

その上司が夜勤で2人きりになると、時々話してくれたこと。

「ぶしちゃん、“何で生きるんだろう?”っていっつも思うんだよね」

ものすごく出来る人で、仕事も家庭もある程度形にしてきた人なのに、大真面目に小娘のわたしに

「何で生きるんだろう?」と疑問に思うことをそのまま口にしてくれる人だった。

「いくら生きていてもわからないんだよ。わからないし誰かに相談もできないから本に頼る。

色んな本を読んだし今も読んでいるけれど、やっぱり何で生きるのかわからないんだよね」

そういつも話していた。

わたしはその話がとても好きだったし、何度その話を聞いても一度たりとも飽きることはなかった

けれど、今の自分ほどには当時その話の真髄を理解できなかった。

そしてわたしから見て色んなことが形になっているのに、なぜそんなにも人生に生きることに迷い

のような疑問を抱くのか全然理解できなかった。

今ならわかる。

あの上司が言わんとしていたことが、今なら22歳の小娘の時よりもわかる。

そしていくつになっても、自分の人生は迷いもあるし生きることに疑問を抱くことがあるということも

わかるようになってきた。


当時は単に面白いとか興味を惹かれて程度のものだった話が、今はその話を聞くことができて

本当に良かったと思う。

今の人生の悩みを自分一人だけで抱えていたら、今のわたしは爆発していただろう。

あんなにできると思い尊敬していた上司ですら生きることにものすごく真剣に疑問を持っていた。

その姿を見せてもらえたことが、今自分が生き迷っていてもそもそも当たり前だななんて思える。

多かれ少なかれ生きていたら誰しもが抱くだろう疑問で通るだろうトンネルなんだと思う。

そう思えるだけの自分にさせてもらえたのは、その上司との出逢いが大きい。


当時は夜勤の時間が半永久的に繰り返されると思っていたから、一瞬一瞬のありがたみが全くと

言っていいほどにわからなかった。

でももう戻ることのない当時を振り返り、あの夜勤の時間が他の何物にも代えられない思い出だと

気付いたのはここ最近だ。

20代の頃、上司に出逢えて本当に良かった。

彷徨いまくる30代において、当時の上司との会話を思い出すと自分の心がふっと包まれるような

感覚になる。

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