2015年11月21日土曜日

好きな音

先日初対面に近い方々に普段どんな番組を見ているかだったか、そのような質問をされた。

テレビを持っていないと正直に答えた。

テレビなし生活ももう6年は過ぎたかと思う。

実家に帰ればテレビがあるから暇さえあればずっとテレビを見ている。

テレビが嫌いなわけでは全くない。

むしろ好きな方だ。

だけど、なければないで生活できるもので、なくても全く気にならなくなった。

続いて「家に帰ったら、無音ですか?」と聞かれ、そうですと答える。

わたしも子どもの頃、家にテレビを置いていないという噂の先輩の家を思っては、一体全体

どのようにして日々を送っているのか不思議でたまらなかった。

面白いアニメやドキュメンタリーやドラマ、あれらを見ずにどんな風に家の中の生活が回るのか

テレビっ子のわたしには全くと言っていいほど理解できなかった。

だから、テレビがないと言うと、9割の人には驚かれるのはいつも想定内だ。

ちなみにテレビなしの生活は始めてみるとすごく快適で、わたしが自分一人だけで暮らす間は

これからもテレビを買うつもりはない。

冷蔵庫並みにないと困るのであれば買うけれど、今のわたしにとってテレビはなくても困らない

ものになっている。

くだんの質問の「無音ですか?」で思い出したことがひとつある。

わたしは生活の中に存在する音がすごく好きだ。

例えば今なら、一文字一文字ノートパソコンのキーを打ち出す音が好きだし、パソコン内部から

発している「働いていますよ」的アピールの音は好きではないけれど生活の一部になっているし、

朝なら鳥の鳴き声、風や雨の音も好きだし、料理の時に生まれる音も好きだ。

亡くなった祖母が使っていた小さな目覚まし時計の秒針の音も時々耳に届く。

お湯を沸かす時の音や、ホーロー鍋からカップへお湯を注ぐ音も好きだ。

シャワーの音も好きだし、寝返り打つ時の布団がぱさぱさ言う音も好きだ。

さすがにそんなことは説明しなかったけれど、気付くと日々の生活の中にたくさんの好きな音が

溢れている。

たしかにテレビはないけれど、完全な無音ということはありえない。

何かしらの音が必ず耳に毎瞬毎瞬届いている。

そしてそれら生活の中から生まれる音は、子どもの頃からずっとなじみがあっていつもほっとして

心を和ませてくれる。

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