2015年11月23日月曜日

酔っぱらい奇行記

のんべえ友達と久しぶりにたくさん飲んだ。

1軒目のチョイスを誤り、そそくさと2軒目へ移動。

2軒目では1リットル入りの焼酎やかんが有名で、ぜひそこに行こうとなった。

水割りで一人5杯以上は飲んだ。

ただ閉店時間が早く、そこも中途半端すぎてもう1軒で〆ようとなり、小袋が食べれる中華料理屋

に行った。

2軒目から3軒目へ移動する時、片道3車線の大きな幹線道路を渡ることになった。

横断歩道はとりあえず100m以上先。

でもわたしたちが行きたいのは道路向こうのすぐ目の前。

日曜日の夜だから車も通っていない。

二人で「行っちゃおうか!?」と互いに言葉で確認し、わたしたちは中央分離帯の植木をまたいで

道路の向こう側を走って目指した。

中華料理屋も初めて行くところで、とりあえず「小袋があったら入る、なかったら別の店へ行こう」と

なって、小袋のあるなしを確認。

あるとのことで店内に入る。

実はこの辺りからわたしの記憶は怪しくなる。

小袋もぎょうざ一皿もビールも憶えているけれど、味なんててんで憶えていない。

おいしかったのかそうでなかったのかもわからない。

二人で何の会話を交わしたのかさえ憶えていない始末。

友達いわく、この辺りでわたしは「気持ち悪い」と言い出したらしい。

じゃあ帰ろうかとなり、まだ余裕で自分の家に帰れたのになぜか友達の家に向かった。

その辺りもどうして友達の家に泊まろうとなったのか定かではない。

たくさんの出口のある駅だったけど、一体どの出口の階段から地下鉄に下りたのかも全然記憶に

なくて、気付いたら友達の最寄り駅だった。

この辺りは、わたしはとりあえず横になれる安心感からか気持ち悪いのは収まったと思われる。

代わりに友達がものすごく具合が悪くなっていた。

トイレで吐いてくるという友達にわたしはとりあえず改札出て待ってると言った。

これは何かしら二人とも飲まないと翌日がひどくなることは、いくら酔っぱらっている頭でも十分に

理解できた。

しばらく出てきそうにない友達を置いて、すぐ近くのコンビニでヘパリーゼを2人分購入した。

店員のおばさんがわたしの横にぴったりとついてヘパリーゼを買わせてくれた。

にも関わらず、わたしはその後高級ヘパリーゼをどうしたのか憶えていない。

飲んだのかその辺に置いてきてしまったのか、でも朝起きたらコンビニの袋があったから飲んだ

ものと思われる。

改札に戻っても友達の姿はなく、駅員さんに友達がトイレで吐いていて戻らないと訴えたら、

迎えに行って下さいと言われ、わたしはもう一度改札の中に入り友達を迎えに行った。

丁度トイレから出てきた友達と、さぁ早く家に帰って寝よう!と言い、おそらくこの辺りでは2人共

無言で家路に着いたに違いない。

友達は家のトイレでも激しく吐いていたけれど、眠さと酔っぱらいの疲れとでその音さえもすぐに

耳に入らなくなり、次に起きた時は朝の4時過ぎだった。

二度寝をして、7時過ぎに目覚め、さらに三度寝をした。

気持ち悪いことが自分でもわかった。

完全なる二日酔いだった。

とりあえず荷物の確認をしようと思い、かばんの中を見てこれまたびっくりした。

何を思ったのか、かばんの中身をすべてスーパーの袋に移していた。

通常の思考回路では到底できない摩訶不思議なことを、酔っぱらいの頭は遂行していた。

一通り見て、携帯電話と別の友達からプレゼントされたタオルがないことに気付いた。

携帯電話がないことに青ざめ、かばんの隅から隅まで、そして例のスーパーの袋を透明にも

関わらずもう一度中身を取り出して見たけれどない。

携帯がないことに冷や汗をかいたけれど、立ち上がってみるとなんとちゃっかり友達の家の電気を

借りて充電していた。

しかも100%充電となっていて、一体いつ充電をしたのかさえ憶えていない。

結局友達からもらったタオルはどこかに置き忘れたのだろう。

プレゼントしてくれた友達にタオルを失くしたと連絡したら「飲んで楽しかったらいいじゃないの~」

と明るい返事が返ってきた。

わたしより重度の二日酔いになった友達は、ベッドで布団かぶりながら「ぶっしーまたね」と挨拶

するのが精一杯だった。

1日静養コースの二日酔いの様子だった。

二人で飲み過ぎたねと言いながらも、またいつかの時はこうして飲み過ぎるんだろうなぁと思い

ながらわたしは朝の電車に揺られて自分の家を目指した。


大人になればなるほどわかる。

ここで言う「大人になる」というのは、単純に年齢を重ねるという意味での大人になるということ。

年甲斐もなくがしがしと飲んで食べてしっぽりと人生の話をして、そして二人でもれなく二日酔いを

経験して、中央分離帯の植木をまたいだり、げえげえ吐いてみたり、そういうことができる友達を

持てること、そういう友達と時を共有すること、それがどれだけすごいことなのか。

7年8年の付き合いの友達になるけれど、上っ面の人間関係ではなくてお互いに格好悪いところも

至らないところもそのまま突き出してがはがはと笑い合えるというのはすごいことだと思う。

タオルをプレゼントしてくれた友達は二人の共通の友達だけど、その友達も二人だったら絶対に

楽しく飲むというのを知ってくれているから、良かったじゃないと言ってくれる。

もちろん3人で飲み交わしたこともたくさんある。

多くを語らなくても、たった一言「二人で飲んだ」と言えば伝わる。

逆に、その友達と二日酔いの友達が二人で飲んでも、わたしは同じように二人のお酒を楽しむ

姿をとても簡単に想像できる。

今窮屈な人間関係に身を置いていることもあって、余計とこの解放感たっぷりの人間関係に

ものすごく助けられている。

窮屈な方ではわたしは自分のことを1つとして語らない。

聞かれたことは最低限答えるけれど、それ以上は何も言わない。

言ったところで伝わらないだろうというのもある。

でもこの飲み友達と言い、そう頻繁には会えなくてももう何年にも渡って仲良くしている友達とは

自分の人生や自分の今のことを話せる。

安心して話せる。

すごい失敗をしても、それすらも一緒にがははと笑い合える、または一緒に泣ける。

二日酔いは最低だったけれど、二日酔いになった故気付けた人間関係のありがたさもあったから

総じてとても良かったと思っている。

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