2015年12月20日日曜日

木枯らしを愉しむ心

昨日の夜、冷え込んで木枯らしぴゅうぴゅう並みの風を感じながら外を歩いた。

この1年とにかくよくお世話になっているスーパーからの帰り道だった。

帰り道は特にいつもと変わり映えはないし、よく見知った道だから、視界に入るもので目新しいもの

は何もない。

代わりに、木枯らし吹く風を体で受けることに感動しながら歩いた。

いつもの年ならこの木枯らしには全く感動しないし、むしろ早く冬が終わって春が来て欲しいとすら

思ってしまう。

でも今年は、この木枯らしさえ特別に感じた。

木枯らしを愉しむだけの心の余裕が今の自分にはあって、たしかに外はびゅうびゅうとすごい風の

音ではあるけれど、心の中はぽかぽかと温かだった。

同じ道の新緑の季節のある晴れた日の空はよく憶えている。

見上げると数メートルの大きな木が両側にあって、その両側の木から葉っぱがわさわさと生い

茂っていて、そして葉っぱ同士は上部の方でアーチを描くようにトンネルのようになっていた。

そして葉っぱ葉っぱの合間から青い空がのぞいていた。

外はものすごく晴れていて気持ちの良い季節なのに、心はいつもどんよりしていた。

先のことが何も決められなくて、何をどうしたらいいのかもわからなくなって、でもいつかは何かを

決断して前に進まないといけなくて。

不安と焦りといつも隣り合わせだった。

きれいなものを見ても、きれいと思った次の瞬間は自分の未来がものすごく心配になった。

何を始めても長続きしない自分。

そのうち色んなことが嫌になって全部投げ出したくなってしまう自分。

やらなきゃとわかっていても、全然やろうとしない自分。

とことん自分の弱さやだめなところが出まくっていた時期でもあった。

出口の見えないトンネルの中にいるような気分なのに季節は冬から春、春から夏へと向かおうと

していた。

季節にさえ追い付けない自分を見て、得体の知れない虚無感や孤独感でいっぱいになったことは

数知れない。

当時は、冬の自分なんて何をしているのか皆目見当もつかなかった。

そう遠くはない次の季節も、どんな風に自分はその時を迎えているのか何度も不安になった。

今すぐ上の文章を書いていてびっくりした。

完全にデジャヴだった。

過去にそのいつも通る公園で未来に不安を感じていた自分の残像と、それをこのパソコンで

そのまま綴っている自分の残像と、その2つがセットになっているものを過去のわたしは何かの

拍子に見ていた。

1年2年、下手したら3年前かもしれない。

変な光景、と当時は思ったけれど、まさか今それを体験するとは!

話は戻って、その数ヶ月先の未来の自分の姿すら全く見えなかった頃を思うと、今とりあえず

何かしらの道を上を歩いていて、そして来たことを1つ1つこなしていく自分を見てホッとする。

きちんとこういう未来があったんだとわかっていたなら、あんなに焦ることもなかったのに…。

この焦りさえも人生で必要な体験だったと前向きに捉えてみる。


話は少し変わって、30歳の時からこれまで数回お世話になった占い師のおばちゃんに先日

会ってきた。

多分3年ぶり4年ぶりだったと思う。

おばちゃんに「あなたこの2年ほど、とっても大変な時期だったはずよ。そうでしょ?」と聞かれた

時、その一言にものすごく救われた。

何で自分が動けないのか、動くための時間も生活を支えるお金もありながらなぜ動こうとしない

のか、自分で自分のことが全然理解できずにいた。

また得意の怠け病かと自分を責めたこともたくさんあった。

何で自分のことなのに自分のためにがんばれないのか、本当に自分が嫌だった。

でもおばちゃん所有の謎の機械は、2012年、13年~2015年の初め位までなかなか大変な

時期を人生は通過していると示していたようだった。

DSみたいな小さな機械が一体何を算出しているのかはわからない。

だけどぴったりと時期を言い当てるのは相変わらずで、このおばちゃんには毎度敬服の念で

いっぱいになる。

おばちゃんの言葉もすごく好きだ。

「あのね占いって、要はこれから先の未来の地図のようなものなの。

例えば今年は動くのを控えた方がいいとか、今年は動いた方がいいとか、そういう人生の流れを

知って自分の人生に役立てていくものなの。

それを絶対に守らなきゃいけないとかではなくて、今は動かない方が良いと知っていれば、例えば

思う方向に自分が動けていなかったとしても、今はそういう時期なのねって納得できるじゃない。

反対に何も知らずに動いてしまって、行くところ行くところ向かい風では大変じゃない。

そういうことを前もって知っておいて、そして自分が次に向かう先の地図、カーナビのような感じで

使うのよ」

この数年間、一度も行かなかったことを少しだけ後悔した。

行っておけば、もう少し気持ちの持ち方も違っていたのかもしれないなぁなんて思った。


北風びゅうびゅうの木枯らしの中、今木枯らしを愉しんでいる自分を見て嬉しくなった。

あのどこに向かっているのかも全くわからない感じだった数ヶ月前の自分と、とりあえず少し先の

向かう場所を知っている今の自分と、その差がこんなにも色んな余裕をプレゼントしてくれるとは。

とりあえず今は今のことに専念して進もう。

まだまだ人生の輪郭がはっきりしたわけではないけれど、多分少しずつ輪郭が表れる。

それと自分の感覚とを頼りに今は進んで大丈夫って思う。

もちろんおばちゃんからも大きな後押しがあったから、進んでる方向は間違いないんだと思う。

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