2015年11月18日水曜日

過去と今と未来と

ある方にメールで資料を送るついでに、以前見てみたいと言われたメキシコの遺跡の写真も送ろう

と昔の写真のデータを引っ張り出してきた。

他にもすることが控えていて、のんびり悠長に写真を眺める時間はなかったけれど、20~30枚

程度は探すついでにぱらぱらと眺めた。

今となってはどこがどれで、それが何の食べ物なのか、思い出せないものもたくさんあった。

一応後で見返した時にわかるように、場所別に写真をまとめるようにはしておいた。

それでも、こんな所も行ったんだ、と自分が行ったくせに初めて訪れる場所のごとく写真を見て

感じたところもあった。

その写真の中には当時の自分がいる。

充実度で言ったら、当時の方が断然上だ。

人も仕事も本当に恵まれていたと思う。

それに比べると、今は人はもう史上最悪と言わんばかりだし、仕事も自分が好きでやっていること

は問題ないけれどそうではない部分はこれまた史上最悪な感じだ。

色んな意味でうーんと唸りたくなるような状況に今身を置いているけれど、不思議と当時にもう一度

戻りたいとだけは一度も思わなかった。

当時は当時で大変だったことも当然あったからそれが嫌とかそういうことではない。

でも何でだろう、もう一度あの頃に戻りたいとだけは全然思わない自分がいる。

今が充実しているからということではなくても、何となく戻らなくてもいいと思う自分がいる。

昨日新しく嫌なことというか困ったことが起こった。

久しぶりに誰かに対して怒りを感じ、そして良い人と思っていた分だけ失望もした。

わたしに人を見る目がないのだろうか?と思う位に、失望するような発言が飛んできた。

このことにはもうしばらく自分の中で悶々とすることだとは思うけれど、だからと言って、その昔の

良き時代良き場所に戻りたいとは思わない。

今だっていつかは過去になるし、いつかはこのことも笑い話に自分はするような気もしている。

どんなに悪い日でも、いつかはすべて終わってしまうということが感覚の中に生まれてからは、

なぜだろう、過去に戻りたいとも早く未来に向かいたいとも思うことが一切なくなった。

それがすなわち「今を生きる」ということなのかはわからない。

正直それもどこか違うように感じる瞬間の方が多い。

時々自分がどこにいるのかわからなくなる時がある。

いつも目にしている風景であっても、ふと自分がなぜ今ここにいてこんなことしているんだろう?

って不思議な気持ちに突然なることがある。

その感覚がある以上は、どこかに戻りたいとは思わないようになっているのかもしれない。

自分の居場所がわからなくなる感覚と過去に戻りたいと思わない感覚のどこに共通点があるのか

説明なんてできないけれど、その2つが1つのセットのように自分の中に存在している。

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